## １

帝都二百万の市民の心臓を、一瞬にして<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>んでしまったという評判のある、この「<ruby><rb>射撃手</rb><rt>しゃげきしゅ</rt></ruby>」事件が、<ruby><rb>突如</rb><rt>とつじょ</rt></ruby>として新聞の三面記事の王座にのぼった其の日のこと、東京××新聞の若手記者<ruby><rb>風間八十児</rb><rt>かざまやそじ</rt></ruby>君が、此の事件に関係ありと唯今目をつけている五人の人物を<ruby><rb>歴訪</rb><rt>れきほう</rt></ruby>して<ruby><rb>巧</rb><rt>たく</rt></ruby>みに取ってきたメッセージを、その懐中手帳から<ruby><rb>鳥渡</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>失敬して並べてみる。

＊　　　＊　　　＊

「僕は、探偵小説家の<ruby><rb>戸浪</rb><rt>となみ</rt></ruby>三四郎である。かねがね僕は、原稿紙上の探偵事件ばかりを扱っているのに<ruby><rb>慊</rb><rt>あきた</rt></ruby>らず、なにか手頃の事実探偵事件にぶつかってみたいものだと考えていたところ、こんど偶然の機会をつかみ、この『射撃手』事件の捜査のお仲間入りができるようになったのである。……だが僕は、仕事が忙しいうえに、至って面倒くさがり屋だから、事件が起っても、いつも<ruby><rb>直</rb><rt>す</rt></ruby>ぐに駆けつけて犯罪の<ruby><rb>現場</rb><rt>げんじょう</rt></ruby>調べをやるというような<ruby><rb>勤勉</rb><rt>きんべん</rt></ruby>な真似ばかりは出来ない。事件に関する僕の知識は<ruby><rb>大江山</rb><rt>おおえやま</rt></ruby>捜査課長の報告に<ruby><rb>基</rb><rt>もとづ</rt></ruby>いているものも少くない」（東京郊外、<ruby><rb>大崎町</rb><rt>おおさきちょう</rt></ruby>の同氏邸にて）

「わたくしはＪＯＡＫ放送局技術部の<ruby><rb>笹木光吉</rb><rt>ささきこうきち</rt></ruby>です。このたびは飛んだことから事件に関係を持つようになりました。と申しますのは、わたくしの邸宅が、事件の犯罪現場に近いところにあって、そのうえ<ruby><rb>可</rb><rt>か</rt></ruby>なり広い<ruby><rb>面積</rb><rt>エリア</rt></ruby>を占めているところから、犯人が邸内のどこかを、うろついているんじゃないかとの御疑いから、警視庁のお呼出しを、しばしば<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>るようになったのだそうです。なったのだそうです、とは妙な申し<ruby><rb>様</rb><rt>よう</rt></ruby>でございますが、これは大江山捜査課長殿のお話なのですが、わたくしはそれについて半信半疑でいます。それと申しますのが、わたくしが科学者であるというのを<ruby><rb>口実</rb><rt>こうじつ</rt></ruby>にして、わたくしには関係のない事柄にまで科学的意見を<ruby><rb>徴</rb><rt>ちょう</rt></ruby>されたことが、随分と多うございますのです」（<ruby><rb>上目黒</rb><rt>かみめぐろ</rt></ruby>の笹木邸内新宅に於て）

「僕は<ruby><rb>帆村荘六</rb><rt>ほむらそうろく</rt></ruby>です。僕は或る本職を持っている<ruby><rb>傍</rb><rt>かたわら</rt></ruby>、お<ruby><rb>恥</rb><rt>はず</rt></ruby>かしい次第ですが、『<ruby><rb>素人</rb><rt>しろうと</rt></ruby>探偵』をやっています。無論、その筋の公認を得て居りまして、唯今の捜査課長の大江山も、僕を御存知です。こんどの殺人事件は別に依頼をうけたわけではありませんが、始終注意しています。ひょっとすると、事件の<ruby><rb>成行次第</rb><rt>なりゆきしだい</rt></ruby>で、第一線に立たなきゃならないかも知れません。僕はこの事件に、非常な魅力を感じています」（電話にて）

「あたくしは、<ruby><rb>赤星龍子</rb><rt>あかぼしりゅうこ</rt></ruby>と申します。あたくしは、自分自身のことを余り申上げる気が致しません。そのために疑いが深くなっても仕方がありません。こんな事件に、<ruby><rb>何</rb><rt>な</rt></ruby>にも罪のないあたくしみたいなものが引込まれるなんて、あたし一生の不運だと思っていますわ、なんでもいいんです」（東京郊外、<ruby><rb>渋谷町</rb><rt>しぶやまち</rt></ruby><ruby><rb>鶯谷</rb><rt>うぐいすだに</rt></ruby>アパートにて）

「大江山警部。年齢三十七歳。警視庁刑事部捜査課長。在職満十年。今回<ruby><rb>省線</rb><rt>しょうせん</rt></ruby>電車内に起りたる殺人事件は、本職を始め警視庁を<ruby><rb>愚弄</rb><rt>ぐろう</rt></ruby>することの<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だしきものにして、<ruby><rb>爾来</rb><rt>じらい</rt></ruby><ruby><rb>極力</rb><rt>きょくりょく</rt></ruby><ruby><rb>探索</rb><rt>たんさく</rt></ruby>の結果、<ruby><rb>此程</rb><rt>このほど</rt></ruby><ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く犯人の<ruby><rb>目星</rb><rt>めぼし</rt></ruby>を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>むことを得たるを以て、遠からず事件解決の<ruby><rb>搬</rb><rt>はこ</rt></ruby>びに至るべし。なお本職を指して<ruby><rb>米国</rb><rt>べいこく</rt></ruby><ruby><rb>市俄古</rb><rt>シカゴ</rt></ruby>の<ruby><rb>悪漢</rb><rt>ギャング</rt></ruby>団長アル・カポーンに買収されたる同市警察署長某氏に比するものあるは<ruby><rb>憤慨</rb><rt>ふんがい</rt></ruby>を通り越して、そぞろ<ruby><rb>噴飯</rb><rt>ふんぱん</rt></ruby>を禁じ得ざるなり」（警視庁において、タイプライターでうった原文を<ruby><rb>手交</rb><rt>しゅこう</rt></ruby>）

＊　　　＊　　　＊

さて「射撃手」事件の、そもそも<ruby><rb>発端</rb><rt>ほったん</rt></ruby>は、次のようだった――

## ２

もう九月も暮れて十月が来ようというのに、其の年はどうしたものか、厳しい<ruby><rb>炎暑</rb><rt>えんしょ</rt></ruby>がいつまでも<ruby><rb>弛</rb><rt>ゆる</rt></ruby>まなかった。「十一年目の気象の大変調ぶり」と中央気象台は、新聞紙へ弁解の記事を寄せたほどだった。復興新市街をもった帝都の昼間は、アスファルト路面が熱気を一ぱいに吸いこんでは、所々にブクブクと真黒な<ruby><rb>粘液</rb><rt>ねんえき</rt></ruby>を<ruby><rb>噴</rb><rt>ふ</rt></ruby>きだし、コンクリートの厚い<ruby><rb>壁体</rb><rt>へきたい</rt></ruby>は燃えあがるかのように白熱し、隣りの<ruby><rb>通</rb><rt>とおり</rt></ruby>にも向いの<ruby><rb>横丁</rb><rt>よこちょう</rt></ruby>にも、暑さに脳髄を変にさせた犠牲者が発生したという騒ぎだった。夜に入ると<ruby><rb>流石</rb><rt>さすが</rt></ruby>に猛威をふるった<ruby><rb>炎暑</rb><rt>えんしょ</rt></ruby>も次第にうすらぎ、帝都の人々は、ただもうグッタリとして<ruby><rb>涼</rb><rt>りょう</rt></ruby>を求め、睡眠をむさぼった。帝都の<ruby><rb>外郭</rb><rt>がいかく</rt></ruby>にそっと<ruby><rb>環状</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>を描いて走る省線電車は、窓という窓をすっかり開き時速五十キロメートルの<ruby><rb>涼風</rb><rt>りょうふう</rt></ruby>を<ruby><rb>縦貫</rb><rt>じゅうかん</rt></ruby>させた<ruby><rb>人工冷却</rb><rt>フォースド・クーリング</rt></ruby>で、乗客の居眠りを誘った。どの電車もどの電車も、前後不覚に寝そべった乗客がゴロゴロしていて、まるで病院電車が<ruby><rb>馳</rb><rt>はし</rt></ruby>っているような有様だった。そんな折柄、この射撃事件が発生した。その第一の事件というのが。

時間をいうと、九月二十一日の午後十時半近くのこと、品川方面ゆきの省線電車が<ruby><rb>新宿</rb><rt>しんじゅく</rt></ruby>、<ruby><rb>代々木</rb><rt>よよぎ</rt></ruby>、<ruby><rb>原宿</rb><rt>はらじゅく</rt></ruby>、<ruby><rb>渋谷</rb><rt>しぶや</rt></ruby>を<ruby><rb>経</rb><rt>へ</rt></ruby>て、エビス駅を発車し次の目黒駅へ向けて、<ruby><rb>凡</rb><rt>およ</rt></ruby>そその中間と思われる地点を、<ruby><rb>全速力</rb><rt>フル・スピード</rt></ruby>で疾走していた。この辺を通ったことのある読者諸君はよく御存知であろうが、渋谷とエビスとの<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎ</rt></ruby>やかな街の灯も、一歩エビス駅を出ると急に淋しくなり、線路の両側にはガランとして<ruby><rb>人気</rb><rt>ひとけ</rt></ruby>のないエビスビール会社の工場だの、<ruby><rb>灯火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>も<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>れないような静かな少数の小住宅だの、<ruby><rb>欝蒼</rb><rt>うっそう</rt></ruby>たる林に囲まれた二つ三つの広い邸宅だのがあるきりで、その<ruby><rb>間間</rb><rt>あいだあいだ</rt></ruby>には起伏のある<ruby><rb>草茫々</rb><rt>くさぼうぼう</rt></ruby>の堤防や、赤土がむき出しになっている大小の<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>や、池とも<ruby><rb>水溜</rb><rt>みずたまり</rt></ruby>ともつかぬ<ruby><rb>濠</rb><rt>ほり</rt></ruby>などがあって、電車の窓から首をさしのべてみるまでもなく、真暗で陰気くさい場所だった。この辺を電車が<ruby><rb>馳</rb><rt>はし</rt></ruby>っているときは、車内の電燈までが、電圧が急に下りでもしたかのように、スーッと薄暗くなる。そのうえに、線路が悪いせいか又は<ruby><rb>分岐点</rb><rt>ぶんきてん</rt></ruby>だの<ruby><rb>陸橋</rb><rt>りっきょう</rt></ruby>などが多いせいか、窓外から噛みつくようなガタンゴーゴーと<ruby><rb>喧</rb><rt>やかま</rt></ruby>しい騒音が入って来て気味がよろしくない。という地点へ、その省線電車が、さしかかったのだった。

その電車は六輌連結だったが、前から数えて第四輌目の車内に、みなさんお<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじみ</rt></ruby>の探偵小説家戸浪三四郎が乗り合わせていた。もし読者諸君がその車輌に同車していたならきっとおかしく思われたに<ruby><rb>相違</rb><rt>そうい</rt></ruby>ない。というのは、戸浪三四郎は『新青年』へ随筆を寄稿してこんなことを云った。

「僕は電車に乗ると、なるべく若い婦人の身近くを選んで座を占める。彼女の<ruby><rb>生</rb><rt>なま</rt></ruby>ぐさい体臭や、胸を<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>くような官能的色彩に富んだ衣裳や、その下にムックリ盛りあがった<ruby><rb>肢態</rb><rt>したい</rt></ruby>などは、日常<ruby><rb>吾人</rb><rt>ごじん</rt></ruby>の<ruby><rb>味</rb><rt>あじわ</rt></ruby>うべき最も<ruby><rb>至廉</rb><rt>しれん</rt></ruby>にして合理的なる<ruby><rb>若返</rb><rt>わかがえ</rt></ruby>り法である」と。そして、<ruby><rb>成程</rb><rt>なるほど</rt></ruby>戸浪三四郎の向いには、桃色のワンピースに、はちきれるようにふくらんだ真白な二の腕も<ruby><rb>露</rb><rt>あらわ</rt></ruby>な十七八歳の美少女が居て、窓枠に白いベレ帽の頭を<ruby><rb>凭</rb><rt>もた</rt></ruby>せかけ、弾力のある紅い<ruby><rb>口唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>を軽くひらいて眠っていた。それから戸浪三四郎の隣りには、これはなんと水々しく<ruby><rb>結</rb><rt>ゆ</rt></ruby>いあげた<ruby><rb>桃割</rb><rt>ももわ</rt></ruby>れに、<ruby><rb>紫紺</rb><rt>しこん</rt></ruby>と水色のすがすがしい大柄の<ruby><rb>絽縮緬</rb><rt>ろちりめん</rt></ruby>の着物に<ruby><rb>淡黄色</rb><rt>たんこうしょく</rt></ruby>の夏帯をしめた<ruby><rb>二十歳</rb><rt>はたち</rt></ruby>を二つ三つ踏みこえたかと思われる純日本趣味の美女がいた。車内にチラホラ目を<ruby><rb>覚</rb><rt>さま</rt></ruby>している組の連中は、この二人の美しい対照に、さり気ない視線をこっそり送っては<ruby><rb>欠伸</rb><rt>あくび</rt></ruby>を噛みころしていたのだった。

車輪が<ruby><rb>分岐点</rb><rt>ぶんきてん</rt></ruby>と噛み合っているらしくガタンガタンと<ruby><rb>騒々</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>しい音をたてたのと、車輌近くに陸橋のマッシヴな<ruby><rb>橋桁</rb><rt>はしげた</rt></ruby>がグオーッと<ruby><rb>擦</rb><rt>す</rt></ruby>れちがったのとが同時だった。乗客は前後にブルブルッと<ruby><rb>揺</rb><rt>ゆ</rt></ruby>られたのを感じた。その<ruby><rb>躁音</rb><rt>そうおん</rt></ruby>と激動に乗せられたかのように、例のワンピースの美少女の身体が前方へ、ツツツーと<ruby><rb>滑</rb><rt>すべ</rt></ruby>った。両膝を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もろ</span>に床の上にドサリとつくと、ブラリと下った二本の裸腕で支えようともせず、上体をクルリと右へ<ruby><rb>捩</rb><rt>よじ</rt></ruby>ると、そのままパッタリ、電車の床にうつ<ruby><rb>伏</rb><rt>ぶ</rt></ruby>せになって倒れた。

車内の人々は、少女が居眠りから本眠りとなり、うっかり<ruby><rb>打転</rb><rt>うちころが</rt></ruby>ったのだったと思った。乗客たちは、洋装のまくれあがったあたりから覗いている真白のズロースや、恐いほど真白な太股の一部に<ruby><rb>灼</rb><rt>や</rt></ruby>けつくような視線を送りながら、今この少女が起きあがって、どのような魅力のある<ruby><rb>羞恥</rb><rt>しゅうち</rt></ruby>をあらわすことだろうかと、期待をいだいた。だが、一同の期待を裏切って、少女はなかなか起き上ろうとしなかった。ピクリとも動かなかった。

「様子がヘンじゃありませんか、皆さん！」

そう云って立ち上ったのは、<ruby><rb>商人体</rb><rt>しょうにんてい</rt></ruby>の四十近くの男だった。一座は<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かにザワめいて、ドヤドヤと少女の周囲に馳けよった。

「早く起してやり給え」

こう云ったのは、探偵小説家戸浪三四郎のうわずった<ruby><rb>声音</rb><rt>こわね</rt></ruby>だった。

「モシモシ、娘さん」と<ruby><rb>甲斐甲斐</rb><rt>かいがい</rt></ruby>しく進みでた商人体の男は、少女の肩を、つっついた。無論、少女はなんの<ruby><rb>応答</rb><rt>いらえ</rt></ruby>もしなかった。さらばと云うので、彼氏は右手を少女の肩に、それから左手をしたから少女の胸に差入れて、グッと<ruby><rb>抱</rb><rt>かか</rt></ruby>え起した。少女の頭はガクリと胸に垂れ下った。ヌルリと滑った少女の<ruby><rb>胸部</rb><rt>きょうぶ</rt></ruby>だった。

「<ruby><rb>呀</rb><rt>あ</rt></ruby>ッ」抱きおこした少女を前から<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いた男が、顔色をかえて、背後の人の<ruby><rb>胸倉</rb><rt>むなぐら</rt></ruby>に<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>りついた。

「血だ。血――血、血、血ッ」その隣りの男が、気が変になったように声を<ruby><rb>震</rb><rt>ふる</rt></ruby>わせて叫んだ。

「ヒエッ！」商人体の男は<ruby><rb>吃驚仰天</rb><rt>びっくりぎょうてん</rt></ruby>して、前後の考えもなく、少女の身体をその場にドサリと<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り出した。

戸浪三四郎がこれに代って進み出ると、少女の身体をソッと上向きに寝かせた。人々の前に、少女の美しい<ruby><rb>死顔</rb><rt>しにがお</rt></ruby>が始めてハッキリと現れたのだった。左胸部を中心に、衣服はベットリ<ruby><rb>鮮血</rb><rt>せんけつ</rt></ruby>に染っていた。その上、床の上に二尺四方ほどを、<ruby><rb>真紅</rb><rt>まっか</rt></ruby>に<ruby><rb>彩</rb><rt>いろど</rt></ruby>っているところをみると、出血は極めて瞬間的に多量だったものと見える。

「車掌君はいないか。駄目らしいが、一応早く医者に見せなくちゃいけない」

そこへ車掌が来た。

「皆さん、ずっと<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>へ寄って下さい。電車は只今、全速力で次の駅へ急がせていますから……」

言葉の終るか、終らないうちに、電車は悲鳴に似たような非常警笛をならして、目黒駅の構内に突入して行った。電車が停車しない前に、専務車掌の倉内銀次郎はヒラリとプラットホームに飛び降り、駅長室に馳けこむなり、医者と警視庁とに電話をかけた。その間に電車は停り、美少女の倒れた第四輌目の乗客は全部、外に追いだされた。

## ３

駆けつけた附近の医者は、電車の<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>の上に<ruby><rb>転</rb><rt>ころが</rt></ruby>った美少女に対して、<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>すべき何の<ruby><rb>策</rb><rt>すべ</rt></ruby>をももたなかった。というのは、彼女の心臓の上部が、一発の弾丸によって、<ruby><rb>美事</rb><rt>みごと</rt></ruby>射ちぬかれていたから。弾丸は左背部の肋骨にひっかかっているらしく、裸にしてみた少女の背中には弾丸の<ruby><rb>射出口</rb><rt>しゃしゅつぐち</rt></ruby>が見当らなかった。「<ruby><rb>銃丸</rb><rt>じゅうがん</rt></ruby>による心臓貫通――無論、<ruby><rb>即死</rb><rt>そくし</rt></ruby>」と医者は断定した。

<ruby><rb>惨死体</rb><rt>ざんしたい</rt></ruby>を乗せた電車は、そのまま<ruby><rb>回避線</rb><rt>かいひせん</rt></ruby>へひっぱり込まれ、警視庁からは大江山捜査課長一行が到着し、検事局からは<ruby><rb>雁金</rb><rt>かりがね</rt></ruby>検事の顔も見え、係官の揃うのを待ち、電車をそのまま<ruby><rb>調室</rb><rt>しらべしつ</rt></ruby>にして取調べが始まった。

大江山警部は、やや青ざめた神経質らしい顔面を、ピクリと動かして、専務車掌の倉内銀次郎を招いた。

「倉内君、君に判っている一と通りを話してきかせ給え」

「ハァ、それはこうなんです」と彼は、係官の前の<ruby><rb>小机</rb><rt>こづくえ</rt></ruby>の上に、線路図や、電車内の見取図を<ruby><rb>拡</rb><rt>ひろ</rt></ruby>げて、彼が乗客の注意で、殺人の現場にかけつけてのちに見た事柄や、乗客から聞いたそれ以前の話など、既に読者諸君が御存知の事実を述べた。

「君は、事件の起ったときに、どの位置に居たかネ」大江山警部は<ruby><rb>訊問</rb><rt>じんもん</rt></ruby>した。

「ハッ、やはりあの第四輌目に居りましたが、車掌室が別になっているもんで、早く気がつきませんでした」

「君は車掌室のどの辺に居たか」

「右側の窓のところに頭部を当てて立って居りました」

「事件の前後と思われるころ、何かピストルらしい音響をきかなかったか」

「電車の音が<ruby><rb>騒々</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>しいもので聞きとれませんでした」

「君は窓外の<ruby><rb>暗闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>に何かパッと光ったものを認めなかったかい」

「ハッそれは……別に」

「君の位置から車内が見えていたか」

「見えていません。カーテンが降りていましたから……」

「車内へ入ってから、銃器から出た煙のようなものは<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>っていなかったか」

「御座いませんでした」

「車内の乗客は何人位で、男女の別はどうだった」

「サア、三十名位だったと思います。婦人乗客が四五人で、あとは男と子供とでした」

「その車の定員は？」

「百二名です」

「これは参考のために答えて貰いたいんだが、あの際、銃丸は車内で発射されたものか、それとも車外から射ちこんだものか、<ruby><rb>何</rb><rt>いず</rt></ruby>れであると思うかね、君は」

大江山警部が、少女の射ち殺された頃の事情を一向<ruby><rb>弁</rb><rt>わきま</rt></ruby>えぬ専務車掌に、こんなことを聞くのは、愚問の外のなにものでもないと思われた。

「車内で射ったんでしょうと思います」

専務車掌の倉内は、警部の愚問に<ruby><rb>匹敵</rb><rt>ひってき</rt></ruby>するような<ruby><rb>愚答</rb><rt>ぐとう</rt></ruby>を<ruby><rb>臆面</rb><rt>おくめん</rt></ruby>もなくスラリと述べた。

「じゃ君は何故、あの車輌に居た乗客を<ruby><rb>拘束</rb><rt>こうそく</rt></ruby>して置かなかったのか」

「……<ruby><rb>只今</rb><rt>ただいま</rt></ruby>になってそう気が付いたもんですから」

「そう思う根拠は、なにかね」

「別に根拠はありませんが、そんな気がするんです」

「それでは仕方がないね。なんだったら、ここに居られるあの時の乗客有志を一時退場ねがった上で、君の考えをのべて貰ってよいが……」

車内に居た乗客の多くは、事件に<ruby><rb>係合</rb><rt>かかわりあい</rt></ruby>になるのを<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>がったものと見え、死人電車が目黒駅のプラットホームに着くと、バラバラ散らばってしまい、このところまで<ruby><rb>随</rb><rt>つ</rt></ruby>いてきたのは僅か二人だった。その一人は、左手を少女の血潮で真赤に染めた商人<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>の四十男で、もう一人は探偵小説家の戸浪三四郎だった。

「ばば馬鹿を言っちゃいかん」と其の商人体の男が、たまり兼ねて口を差入れた。「いま聞いてりゃ、車内の者が射ったということだが君が出て来たのは随分経ってからじゃないか。そんなに<ruby><rb>後</rb><rt>おく</rt></ruby>れ<ruby><rb>走</rb><rt>ば</rt></ruby>せに出てきて何が判るものか。第一、あたしはあの車内に居たが、ピストルの音をきかなかった。ね、あなたも聞かなかったでしょう」と戸浪三四郎の方を振りかえった。

戸浪は黙って軽く<ruby><rb>肯</rb><rt>うなず</rt></ruby>いた。

「ほら御覧なせえ、鉄砲<ruby><rb>弾</rb><rt>だま</rt></ruby>は窓の外から飛んできたのに<ruby><rb>違</rb><rt>ち</rt></ruby>げえねえ。あまり根も葉もないことを言って貰いたかねえや。<ruby><rb>手前</rb><rt>てめえ</rt></ruby>の間抜けから起って、<ruby><rb>多勢</rb><rt>おおぜい</rt></ruby>の中からコチトラ二人だけがこうして引っ張られ、おまけに人殺しだァと証言するなんて、ふざけやがって……」

「これ林三平さん、静かにしないか」と、車掌に喰ってかかろうとする商人体の男を止めたのは、大江山警部だった。「戸浪三四郎さんから何か別な<ruby><rb>陳述</rb><rt>ちんじゅつ</rt></ruby>を<ruby><rb>承</rb><rt>うけたまわ</rt></ruby>りたいですが」

「僕はすこし意見を持っています。<ruby><rb>先刻</rb><rt>せんこく</rt></ruby>申しあげたように探偵小説家という立場から僕は申すので、或いは実際と大いに違っているかも知れません。僕は殺された美少女、――<ruby><rb>一宮</rb><rt>いちみや</rt></ruby>かおるさんと云いましたかネ、かおるさんの直ぐ向いに居たのですが、確かにピストルの爆音を耳にしませんでした。ですが、ちょっと耳に残る<ruby><rb>鈍</rb><rt>にぶ</rt></ruby>い音をきいたんです。さよですなア、空気をシュッと切るような音です。きわめて鈍い、そして<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かな音でした。これはどうやら右の耳できいたのです。右の耳というと、電車の進行方面の側の耳です。その行手には、倉内君の居られた車掌室があります。またその右の耳のある隣りには二尺ほど離れて、日本髪の婦人が腰をかけて居りました。そんなことから思い合わせると、<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は僕の身体より右側の方からとんで来たと思われます。林さんは僕よりずっと左手に居られたので関係はないようです。車内で射ったとすれば、私も<ruby><rb>嫌疑者</rb><rt>けんぎしゃ</rt></ruby>の一人でしょうが、僕より右手にいた連中も同時にうたがってみるべきでしょう。日本髪の婦人は勿論のこと、失礼ながら倉内車掌君も<ruby><rb>同類項</rb><rt>どうるいこう</rt></ruby>です」

「すると貴方は、車内説の方ですか」と大江山警部が尋ねた。

「いえ、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ僕は車外説をとります。<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は車外から射ちこまれ、例の日本髪の婦人と僕との間をすりぬけて、正面に居た一宮かおるさんの<ruby><rb>胸板</rb><rt>むないた</rt></ruby>を<ruby><rb>貫</rb><rt>つらぬ</rt></ruby>いたのです。シュッという音は、<ruby><rb>銃丸</rb><rt>じゅうがん</rt></ruby>が僕の右の耳を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めるときに聞こえたんだと思います」

「もう外に聞かしていただくことはありませんか」

「現場に居た人間としては、もう別にありません。<ruby><rb>老婆心</rb><rt>ろうばしん</rt></ruby>に申上げたいことは、あの現場附近を広く探すことですな。もしあの場合<ruby><rb>銃丸</rb><rt>たま</rt></ruby>が乗客にあたらなかったとしたら、銃丸は窓外へ飛び出すだろうと思うんです。いや、そんな銃丸が既に沢山落ちているかもしれません。そんなものから犯人の手懸りが出ないかしらと思います。<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>もよく<ruby><rb>検</rb><rt>しら</rt></ruby>べたいのですが、何か異変がありませんでしたか」

「いや、ありがとう御座いました」と警部は戸浪三四郎の質問には答えないで、彼の労を<ruby><rb>犒</rb><rt>ねぎら</rt></ruby>った。

## ４

大江山捜査課長は、警視庁の一室で<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>ひとり、「省線電車射撃事件」について、想念を<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>めようと努力していた。

戸浪三四郎が「一宮かおるの屍体に異常はないか」と聞いたのは<ruby><rb>炯眼</rb><rt>けいがん</rt></ruby>だった。屍体の<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>っていた衣服の左ポケットに、おかしな<ruby><rb>小布</rb><rt>こぬの</rt></ruby>が入っていた。それは<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>シャツの<ruby><rb>襟下</rb><rt>えりした</rt></ruby>に縫いつけてある製造者の<ruby><rb>商標</rb><rt>しょうひょう</rt></ruby>に似て、大きさは三センチ四方の青い小布で、中央に白い十字架を浮かし、その十字架の上に重ねて赤い糸で、横向きの<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>の縫いがあった。

この髑髏の<ruby><rb>小布</rb><rt>こぬの</rt></ruby>はなにを示すものなのだろう。

お守りなのであろうか、と考えた。あまりに平凡である。

<ruby><rb>不図</rb><rt>ふと</rt></ruby>思いついたことは、これはある不良少女団の<ruby><rb>団員章</rb><rt>だんいんしょう</rt></ruby>ではないか、と。殺された一宮かおるは、××女学校の校長の<ruby><rb>愛娘</rb><rt>まなむすめ</rt></ruby>だったのであるが、教育家の家庭から不良児の出るのは、珍らしいことではない。かおるは不良少女であったが、仲間の<ruby><rb>掟</rb><rt>おきて</rt></ruby>を破ったために殺された、と見てはどうであろう。

大江山警部は給仕を呼んで、不良少女<ruby><rb>調簿</rb><rt>しらべぼ</rt></ruby>をもってこさせると丹念にブラック・リストの隅から隅まで探しまわったが、かおるの名前も、その怪しげな<ruby><rb>徽章</rb><rt>きしょう</rt></ruby>も見つからなかった。そうすると、未検挙の不良団なのであろうか。

このように考えてくると、<ruby><rb>銃丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は車内でぶっぱなされたと考えるのが、<ruby><rb>本道</rb><rt>ほんどう</rt></ruby>である。だが車内でズドンという音を聞いたものがないではないか。それなら<ruby><rb>消音</rb><rt>しょうおん</rt></ruby>ピストルを用いたものと考えてはどうか。

だが乗客の多くは逃げてしまった。商人と称する林三平と、小説家の戸浪三四郎とを疑うのは最後のことである。車掌の倉内は、たった一人で<ruby><rb>車掌室</rb><rt>しゃしょうしつ</rt></ruby>に居ただけに、すこし弁明がはっきりしない。答弁にすこしインチキ臭いところが無いでもない。彼はピストルの音をきかなかったという。<ruby><rb>騒音</rb><rt>そうおん</rt></ruby>に慣れた彼が、ピストルの音をきかなかったというのであるからそれは本当であろう。

ところが刑事が出かけて、現場附近の住民に聞き正したところによると、当日夜の十時と十一時との間に爆音をきいたという人間が三人ばかり現れた。そのうちの一人は、<ruby><rb>現場</rb><rt>げんじょう</rt></ruby>に割合い近い踏切の番人だったが、丘陵にひびくほど相当大きい音だったという。但し発砲の音というよりも、自動車がパンクしたような音に近かったという。これは帝都全市のタクシーや自家用自動車につき調査中であるから、二三日のうちに判明するであろう。

もしそれが発砲の音だったら、車掌の耳はどうかしていたことになりはしまいか。電車の騒音は、車内よりもむしろ車外の方が大きいのだから。専務車掌室の<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>を細目にひらいて、消音ピストルを打ったと考えてはどうであるか。それでは<ruby><rb>銃丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は、かおるの<ruby><rb>左胸</rb><rt>さきょう</rt></ruby>を<ruby><rb>側面</rb><rt>そくめん</rt></ruby>から射つことになる。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>るに彼女の弾丸による<ruby><rb>創管</rb><rt>そうかん</rt></ruby>は、ほんの少し左へ傾いているが、ほとんど正面から<ruby><rb>真直</rb><rt>まっすぐ</rt></ruby>に入っている。これは違う。それでは、電車の進行中、彼は窓から屋根によじ昇り、屋上の<ruby><rb>欄干</rb><rt>らんかん</rt></ruby>に足を入れて<ruby><rb>真逆</rb><rt>まっさかさま</rt></ruby>にぶら下ると<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>、顔が窓の<ruby><rb>上枠</rb><rt>うわわく</rt></ruby>のところにとどくから、そのまま<ruby><rb>蝙蝠式</rb><rt>こうもりしき</rt></ruby>にぶら下って消音ピストルをうち放つ。それがすむと、<ruby><rb>何喰</rb><rt>なにくわ</rt></ruby>ぬ顔をして車掌室にかえり、室内の騒ぎを始めて知ったような風を<ruby><rb>装</rb><rt>よそお</rt></ruby>って馳けつける。うん、こいつは出来ないことじゃない。車掌倉内銀次郎の<ruby><rb>身辺</rb><rt>しんぺん</rt></ruby>をすこし洗ってみよう。

「コツ、コツ！」と<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>を叩く者がある。

「よろしい」大江山警部は、扉の方を向いた。扉がスウと開いた。入って来たのは、給仕だった。

「速達でございます」そう云って給仕は、課長の<ruby><rb>机上</rb><rt>きじょう</rt></ruby>に、茶色の大きい包紙のかかっている四角い包を置いて、出て行った。

警部は、注意して包をひらいてみた。中には、「ラジオの日本」という雑誌の昭和五年十二月号が一冊入っているきりだった。それを取上げてペラペラと<ruby><rb>頁</rb><rt>ページ</rt></ruby>をめくってみると、<ruby><rb>半頃</rb><rt>なかごろ</rt></ruby>に<ruby><rb>頁</rb><rt>ページ</rt></ruby>を折ってあるところがあった。そこを開けると、白い<ruby><rb>小布</rb><rt>こぬの</rt></ruby>が<ruby><rb>栞</rb><rt>しおり</rt></ruby>のように<ruby><rb>挿</rb><rt>はさ</rt></ruby>まっていて、矢印が書いてある。矢印の示すところには赤鉛筆で、<ruby><rb>傍線</rb><rt>ぼうせん</rt></ruby>のついている記事があった。表題は、「無線と雑音の研究」とあり、「<ruby><rb>大磯</rb><rt>おおいそ</rt></ruby>ＨＳ<ruby><rb>生</rb><rt>せい</rt></ruby>」という人が書いているのだった。大江山警部にとって、無線の記事は一向ありがたくなかった。彼は雑誌を<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>りだそうと思ったが、「雑音」という文字が、電車の騒音と関係がありはしまいかと思って、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>、ぽつりぽつりと読みはじめた。直ぐに彼は、見当ちがいだったことに気がついたけれども、その記事は、思ったよりも<ruby><rb>平易</rb><rt>へいい</rt></ruby>である上に、その内容は大江山警部の注意を<ruby><rb>喚起</rb><rt>かんき</rt></ruby>するのに充分だった。

「無線と雑音の研究」を思いたったＨＳ生は、東海道線大磯駅から程とおからぬ山手に住んでいる人だった。彼の家にはラジオ受信機があったが、ラジオを聴いていると、それが聴きとれないほどのガリガリッという大きな雑音が、一日にうちに数十回入ってくるのだった。彼はラジオに雑音の起る時刻を測ってみたところ、それは毎日きまった時刻にガリガリッと鳴ることを発見した。それから、<ruby><rb>探求</rb><rt>たんきゅう</rt></ruby>を進めてゆくと、雑音の原因は、家の前を通る列車の電気機関車が、<ruby><rb>架空線</rb><rt>かくうせん</rt></ruby>に接触するところで、小さい火花を生ずるためで、<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に大きい雑音は、架空線の<ruby><rb>継</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>目</rb><rt>め</rt></ruby>のところで起ることが判った。その結果、受信機で雑音を数えながら、時計をみていると、列車が毎時幾キロメートルの<ruby><rb>速度</rb><rt>スピード</rt></ruby>で走っているか、又列車はどの地点を走っているかが、家の中に居ながらして、手にとるように判るというのである。ＨＳ生は、大磯附近の地図や雑音の大きさを示す曲線図を沢山<ruby><rb>挿入</rb><rt>そうにゅう</rt></ruby>して、これを説明してあった。

「こりゃ面白い発見だ」と大江山警部は、思わず<ruby><rb>独言</rb><rt>ひとりごと</rt></ruby>を言った。「だが、この記事が、なにになるというんだ」

なにか省線電車射撃事件に関係があるようでいて、さァそれはどういう関係だと聞かれると、説明ができなかった。ただ<ruby><rb>漠然</rb><rt>ばくぜん</rt></ruby>たる一致が感じられるばかりだった。警部は、それを、自分の科学知識不足に<ruby><rb>帰</rb><rt>き</rt></ruby>して、ちょっと<ruby><rb>忌々</rb><rt>いまいま</rt></ruby>しく感じたのだった。それにしても、一体誰がこの雑誌を送ってよこしたのだ。

また<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>を叩くものがあった。部下の多田刑事であることは開けてみるまでもないことだった。<ruby><rb>応</rb><rt>おう</rt></ruby>と答えると、果して多田刑事が入ってきた。彼の喜びに輝いている顔色はなにごとかを発見してきたのに違いない。

「課長！　とうとう面白いものを見付けてきました。これです」多田は、そう云って、小さい紙包を、大江山警部の前に置いた。

警部は、それを手にとって開いてみると、二個の<ruby><rb>薬莢</rb><rt>やっきょう</rt></ruby>だった。

「ほほう、これはどこにあった」

「現場附近の<ruby><rb>笹木邸</rb><rt>ささきてい</rt></ruby>の<ruby><rb>塀</rb><rt>へい</rt></ruby>の下です」

「待て待て、これが<ruby><rb>弾丸</rb><rt>だんがん</rt></ruby>に合うかどうか」と警部はやおら立って<ruby><rb>傍</rb><rt>かたわ</rt></ruby>らの<ruby><rb>硝子函</rb><rt>ガラスばこ</rt></ruby>から弾丸をつまみ出すと薬莢に合わせてみた。<ruby><rb>果然</rb><rt>かぜん</rt></ruby>、二つはピタリと合って、一つのものになった。警部が硝子函からとり出したのは、殺された一宮かおるの体内から抜きとった弾丸だったので、多田刑事の拾ってきたのは、<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れもなく、その弾丸を打ち出した薬莢にちがいないと思われる。薬莢が二個で、弾丸は一個――そこに謎がないでもなかったが。

「お手柄だ。そして笹木邸をあたってみたかい、多田君」

「<ruby><rb>早手廻</rb><rt>はやてまわ</rt></ruby>しに、若主人の笹木<ruby><rb>光吉</rb><rt>こうきち</rt></ruby>というのを<ruby><rb>同道</rb><rt>どうどう</rt></ruby>して参りました。ここに大体の<ruby><rb>聞書</rb><rt>ききがき</rt></ruby>を作って置きました」

そう云って、多田刑事は、小さい<ruby><rb>紙片</rb><rt>しへん</rt></ruby>を手渡した。警部は<ruby><rb>獣</rb><rt>けもの</rt></ruby>のように低く<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>りつつ、多田の聞書というのを読んだ。「よし、会おう」

案内されて、室へ静かに姿をあらわした笹木光吉は、三十に近い青年紳士だった。色は黒い方だったが、ブルジョアの息子らしく、上品ですこし<ruby><rb>我</rb><rt>が</rt></ruby>が強いらしいところがあった。

「飛んだ御迷惑をかけまして」と大江山警部の口調は<ruby><rb>丁重</rb><rt>ていちょう</rt></ruby>を<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>めていた。「実は部下のものが、こんなものを（と、二個の薬莢と一個の弾丸を示しながら）拾って参りましたが、薬莢の方はお邸の塀下に落ちて居り、弾丸は、ここに地図がありますが、線路を越してお<ruby><rb>邸</rb><rt>やしき</rt></ruby>の向い側にあたる<ruby><rb>草叢</rb><rt>くさむら</rt></ruby>から拾い出したのです。お心あたりはございませんか」

そう云って刑事は、白い西洋紙の上に、三品をのせて差し出した。多田刑事は、課長の<ruby><rb>出鱈目</rb><rt>でたらめ</rt></ruby>に<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れながら、青年の顔色を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>った。

「一向に存じません」と笹木はアッサリ答えた。「指紋が<ruby><rb>御入用</rb><rt>ごいりよう</rt></ruby>なら、遠慮なく本式におとり下さい」

大江山警部は、笑いに、<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>い顔を<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>らせながら、白い西洋紙をソッと<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>へひっぱったのだった。

「九月二十一日の午後十時半には、どこにおいででしたか、<ruby><rb>承</rb><rt>うけたまわ</rt></ruby>りたい」

「家に居ましたが、もう寝ていました。私はラジオがすむと、<ruby><rb>直</rb><rt>す</rt></ruby>ぐ寝ることにして居りますから……」

「おひとりでおやすみですか」

「ええ、どうしてです。私のベッドに、<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り寝ます。妻は、まだありません」

「誰か、当夜ベッドに寝ていられてのを証明する人がありますか」

「ありますまい」

「十時半頃、何か銃声みたいなものをお聞きになりませんでしたか」

「いいえ。寝ていましたので」

「御商売は？」

「ＪＯＡＫの技術部に勤めてます」

「ＪＯＡＫ！　アノ放送局の技師ですか」大江山警部の<ruby><rb>顔面筋肉</rb><rt>がんめんきんにく</rt></ruby>がピクリと動いた。

「そうです、どうかしましたか」

「『ラジオの日本』という雑誌を御存知ですか」

「無論知っています」

「貴方のお名前は<ruby><rb>光吉</rb><rt>ひかりきち</rt></ruby>ですか」

「<ruby><rb>光吉</rb><rt>こうきち</rt></ruby>です」

「大磯に別荘をお持ちですかな」

「いいえ」

「だれかに<ruby><rb>恨</rb><rt>うら</rt></ruby>みをうけていらっしゃいませんか」

「いいえ、ちっとも」

「邸内に悪漢が忍び入ったような<ruby><rb>形跡</rb><rt>けいせき</rt></ruby>はなかったですか」

「一向にききません」

大江山警部は、さっぱり当りのない<ruby><rb>愚問</rb><rt>ぐもん</rt></ruby>に、<ruby><rb>自</rb><rt>みずか</rt></ruby>ら<ruby><rb>嫌気</rb><rt>いやけ</rt></ruby>がさして、<ruby><rb>鳥渡</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>押し黙った。

「省線電車の殺人犯人は、まだ見当がつかないのですか」と反対に笹木光吉が口を切った。

「まだつきません」と警部は、ウッカリ返事をしてしまった。

「<ruby><rb>銃丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は車内で射ったものですか、それとも車外から射ちこんだものなんですか」

「……」警部はむずかしい顔をしただけだった。

「銃丸を身体の中へ打ちこんだ角度が判ると、どの方角から発射したかが<ruby><rb>識</rb><rt>し</rt></ruby>れるんですが、<ruby><rb>御存知</rb><rt>ごぞんじ</rt></ruby>ですか。殺されたお嬢さんは、心臓の真上を殆んど正面からうたれたそうですが、正確にいうとどの位の角度だけ<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>いていましたかしら」

「さあ、それは……」警部はギクリとした。彼は屍体に<ruby><rb>喰</rb><rt>く</rt></ruby>い込んだ弾丸の<ruby><rb>入射角</rb><rt>にゅうしゃかく</rt></ruby>を正確に測ろうなどとは<ruby><rb>毛頭</rb><rt>もうとう</rt></ruby>考えたことがなかった。「それは面白い方法ですね」

「面白いですよ、いいですか、これが電車です。電車の速度をベクトルで書くと、こうなります、弾丸の速度はこうです……」と笹木光吉は、三角<ruby><rb>定規</rb><rt>じょうぎ</rt></ruby>を組合わしたような線を、紙の上に引いてみせて、「これが<ruby><rb>弾丸</rb><rt>だんがん</rt></ruby>の<ruby><rb>入射角</rb><rt>にゅうしゃかく</rt></ruby>です。分解するとどの方向からとんで来たか、直ぐ出ます、やってごらんなさい」



「あとからやってみましょう」

と警部は礼を言った。

「射たれたとき、お嬢さんの身体はすこし右に倒れかかっていたそうですね」

「ほう、それをどうして御存知です」警部は<ruby><rb>驚愕</rb><rt>きょうがく</rt></ruby>を<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いて隠そうと努力するのだった。

「あの晩、邸へ遊びに来た親類の女が云っていました。殺されたお嬢さんの直ぐ前に居たのだそうです」

「ああ、それでは<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>しや<ruby><rb>日本髪</rb><rt>にほんがみ</rt></ruby>の……」

「その通りです」

「その御婦人はどこに住んでいらっしゃいます」

「<ruby><rb>渋谷</rb><rt>しぶや</rt></ruby>の<ruby><rb>鶯谷</rb><rt>うぐいすだに</rt></ruby>アパート」

「お名前は？」

「<ruby><rb>赤星龍子</rb><rt>あかぼしりゅうこ</rt></ruby>」

## ５

大江山警部は、夜に入っても、捜査課長室から動き出そうとしなかった。事件に関係のありそうな「謎」は後から後へと<ruby><rb>山積</rb><rt>さんせき</rt></ruby>したものの、これ<ruby><rb>等</rb><rt>ら</rt></ruby>を解くべき「<ruby><rb>鍵</rb><rt>キー</rt></ruby>」らしいものは一向に見当らないのだった。

この上は<ruby><rb>恥</rb><rt>はじ</rt></ruby>を忍び、あえて<ruby><rb>満都</rb><rt>まんと</rt></ruby>の<ruby><rb>嘲笑</rb><rt>ちょうしょう</rt></ruby>に耐えて、しっかりした推理の足場を組みたてて事件の真相を<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>まなければならない。警部はその第一着として、笹木光吉の残して行ってくれた弾丸の<ruby><rb>飛来方向</rb><rt>ひらいほうこう</rt></ruby>の計算にとりかかった。

改めて電話で、法医学教室へかおるの<ruby><rb>創管</rb><rt>そうかん</rt></ruby>の角度は正確なところ、幾度となってるかを問いあわしたり、鉄道局を呼び出して、エビス目黒間に於ける電車の速度変化を<ruby><rb>訊</rb><rt>たず</rt></ruby>ねたりして、数字を知ると、懸命に数式を解いた。なるほど、弾丸の飛来方向がちゃんと出て来たので現場を中心として、鉛筆でその方向に長々と直線をひっぱった。それは線路に、ほとんど九十度をなして<ruby><rb>交</rb><rt>まじわ</rt></ruby>る方向だった。そして、なんとその弾丸線は、笹木邸の<ruby><rb>北隅</rb><rt>きたすみ</rt></ruby>を貫いているのである。しかも弾丸線のぶつかった塀の下こそは、部下の多田刑事が、薬莢をひろってきた地点だったではないか。その地点から、電車の窓までの最短距離は<ruby><rb>僅々</rb><rt>きんきん</rt></ruby>五十メートルしかなかったのだった。小さなピストルでも、容易に<ruby><rb>偉力</rb><rt>いりょく</rt></ruby>を発揮できるほどの近さだった。

それにしても、みすみす自分の邸が疑惑の<ruby><rb>的</rb><rt>まと</rt></ruby>になると知りながら、この計算法を教えていった笹木光吉の真意というものが、警部にはサッパリ解らなかった。彼は、課長室の椅子にふんぞり<ruby><rb>反</rb><rt>かえ</rt></ruby>って、大きい頭をいくたびとなく振ってみたものの、笹木の好意と悪意とが互いに<ruby><rb>相半</rb><rt>あいなか</rt></ruby>ばして考えられるほかなかったのだった。

ジリジリと<ruby><rb>喧</rb><rt>やかま</rt></ruby>しく課長室の卓上電話が鳴ったのは、このときだった。

「課長どのですか」そういう声は、多田刑事だった。

「そうだ、多田君どうした」

「あの赤星龍子を渋谷からつけて、品川行の電車にのりました。八時半でした。すると、私と赤星龍子の乗っていた車輌に、また殺人事件がおこりました」

「なに、人が殺された。<ruby><rb>銃創</rb><rt>じゅうそう</rt></ruby>かい」

「そうです。若い婦人、<ruby><rb>二</rb><rt>ふた</rt></ruby>ツ<ruby><rb>木</rb><rt>ぎ</rt></ruby><ruby><rb>兼子</rb><rt>かねこ</rt></ruby>という名前らしいです。弾丸のあたったのは、矢張り心臓の真上です」

「よし、直ぐゆく。乗客は<ruby><rb>禁足</rb><rt>きんそく</rt></ruby>しといたろうな」

「それが皆、出ちまったのです。あまり早く駅についたものですから……」

「馬鹿！」

大江山捜査課長はカンカンに怒って、四十<ruby><rb>哩</rb><rt>マイル</rt></ruby>で自動車を飛ばして、<ruby><rb>待避線</rb><rt>たいひせん</rt></ruby>に収容された死人電車にとびこんでいった。

「課長、こっちに殺されています」と<ruby><rb>悄気</rb><rt>しょげ</rt></ruby>かえった多田刑事が案内した。

「龍子はどうした」

「目黒で降りたようです」

「屍体なんか、どうでもよいから、今度からは龍子を其の場でとりおさえるんだぞ」

「課長、例の十字架に<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>の<ruby><rb>標章</rb><rt>ひょうしょう</rt></ruby>の入った<ruby><rb>小布</rb><rt>こぬの</rt></ruby>が、死体の<ruby><rb>袂</rb><rt>たもと</rt></ruby>の中から出てきました」

第二の犠牲者二ツ木兼子は二十歳あまりの和服すがたの丸ぽちゃ美人だった。

「弾丸は、この窓から、とんで入ったらしいです」

「地点はどうかッ！」

「昨日の一宮かおるの場合と全く同じなんです」

「ううむ」警部は<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>った。

「専務車掌は倉内銀次郎か、どうか」

「違います。倉内は今日非番で、出てこないそうです」

そう言っているところへ、赤と金との筋の入った帽子を<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>った<ruby><rb>助役</rb><rt>じょやく</rt></ruby>が、<ruby><rb>真蒼</rb><rt>まっさお</rt></ruby>になって、とびこんできた。

「警視庁の方、ももも申し上げます」

「どうしたかッ」大江山警部は、ギョッとふりかえって、<ruby><rb>一喝</rb><rt>いっかつ</rt></ruby>した。

「唯今、プラットホームへ入って来た<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>り電車で、乗客がまた一名射殺されました」

「なに、又殺されたッ、女か男か」

「奥様風の二十四五になる婦人です」

「上り電車の窓は皆締めるよう、エビス駅長へ警告しろッ」

「ハッ、でもこの暑さでは……」

「しっかりしろ、暑さよりも生命じゃないか、助役君」

<ruby><rb>待避線</rb><rt>たいひせん</rt></ruby>にはガラ<ruby><rb>空</rb><rt>あ</rt></ruby>き電車が二組も<ruby><rb>窮屈</rb><rt>きゅうくつ</rt></ruby>そうにつながった。駅は上を下への大騒ぎだった。駅員はもとより、しっかりしていなければならない警官たちまでが、常識を<ruby><rb>喪</rb><rt>うしな</rt></ruby>ったかのように、意味なく騒ぎまわった。捜査課長大江山警部だけは、眼を<ruby><rb>真紅</rb><rt>まっか</rt></ruby>に充血させて<ruby><rb>呶鳴</rb><rt>どな</rt></ruby>りちらしてはいるものの、一番冷静だった。

第三の犠牲者は三浦糸子と云った。<ruby><rb>可</rb><rt>か</rt></ruby>なり<ruby><rb>上背</rb><rt>うわぜい</rt></ruby>のある婦人で、クッションのように<ruby><rb>軟</rb><rt>やわらか</rt></ruby>くて弾力のある肉付の所有者だった。銃丸は心臓の丁度真上にあたる部分を射って、<ruby><rb>大動脈</rb><rt>だいどうみゃく</rt></ruby>を破壊してしまったものらしい。第一、第二の犠牲者に比して<ruby><rb>創口</rb><rt>きずぐち</rt></ruby>はすこし上方にのぼっているのだった。三人の犠牲者は、いずれも左側の座席に腰を下ろしていたことが判った。そのうえ弾丸の射ちこまれた地点までが、物差で<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>ったようにピタリと一致していた。大江山警部の頭には、線路を<ruby><rb>距</rb><rt>へだ</rt></ruby>てて、真暗な林に<ruby><rb>囲</rb><rt>かこま</rt></ruby>れ立つ笹木邸の洋館が浮びあがってくるのを、<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>いのけることができなかった。

警部は数名の刑事を<ruby><rb>手許</rb><rt>てもと</rt></ruby>によんで、一人一人に秘密の命令を耳打ちした。駅員には、上り電車がプラットホームに到着しても、車内に<ruby><rb>異状</rb><rt>いじょう</rt></ruby>を認めない上でないと、乗客出入口の<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>を開いてはならないと命令した。

そのあとで警部は、今しがた第三の犠牲者のハンドバックから見付けてきた例の十字架に<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>の<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>を、車内の明るい<ruby><rb>燈火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>の下で、注意深く調べた。前の二枚の<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>と<ruby><rb>合</rb><rt>あ</rt></ruby>わせてこれで三枚になったのだった。警部の<ruby><rb>面</rb><rt>おもて</rt></ruby>には<ruby><rb>困惑</rb><rt>こんわく</rt></ruby>の色がアリアリと現れた。グッとその<ruby><rb>小布</rb><rt>こぬの</rt></ruby>を<ruby><rb>掌</rb><rt>て</rt></ruby>のうちに握りしめると、警部は、車外に出てザクリと<ruby><rb>砂利</rb><rt>じゃり</rt></ruby>を踏んだ。

（おお<ruby><rb>呪</rb><rt>のろ</rt></ruby>いの<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>よ）

警部は心の中でそう云って「ううむ」と<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>り<ruby><rb>声</rb><rt>ごえ</rt></ruby>をあげた。それを持っている人間ばかりが、どうして射殺されるのだろう。

<ruby><rb>窓外</rb><rt>そうがい</rt></ruby>から弾丸を射ちこんだとすれば、その犯人は、なんという射撃の名人だろうか。<ruby><rb>呪</rb><rt>のろ</rt></ruby>いの<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>を贈ったその人間を<ruby><rb>覘</rb><rt>ねら</rt></ruby>うこと正確に、しかもその心臓を<ruby><rb>美事</rb><rt>みごと</rt></ruby>に射ち<ruby><rb>貫</rb><rt>つらぬ</rt></ruby>くことは、実に容易ならぬ技量である。だがこの悪意ある射撃は、世紀末的な<ruby><rb>廃頽</rb><rt>はいたい</rt></ruby>せる現代に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>て、なんと似合わしいデカダン・スポーツではあるまいか。

<ruby><rb>小暗</rb><rt>こぐら</rt></ruby>いレールを踏み越えて、ヒラリとプラットホームに飛びあがった大江山警部の鼻先に、ヌックリ<ruby><rb>突立</rb><rt>つった</rt></ruby>った男があった。

「大江山さん、<ruby><rb>豪</rb><rt>えら</rt></ruby>いことになりましたね」

「おお、貴方は、探偵小説家の戸浪三四郎さんでしたな」と警部は云った。戸浪は洗いざらしの<ruby><rb>浴衣姿</rb><rt>ゆかたすがた</rt></ruby>というだらしの無い<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>をしていたのだった。警部は戸浪三四郎が、第一の射殺事件のときに指摘してくれたヒントが、唯今になって否定することのできない明確な事実を生んでいるのに、思いあたった（この探偵小説家の名論が聞けるものなら）。――それは溺れる者がつかむという<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>以上のものであると、警部はみずからの心に弁解をして置いて口を開いた。「どうして、これへ来られましたな」

「これごらんなさい」そう云って彼の差出したのは、<ruby><rb>初号</rb><rt>しょごう</rt></ruby>活字の大きい見出しのついた東京××新聞の号外だった。

省線電車に

大胆不敵な射撃手現わる

前夜と同一犯人か

とあり、今夜の二ツ木兼子射殺事件がデカデカに報道されてあった。間もなく第三の三浦糸子射殺事件が更に大々的活字で報道されるのかと思うと、警部の<ruby><rb>耳底</rb><rt>じてい</rt></ruby>に、新聞社の輪転機の<ruby><rb>轟々</rb><rt>ごうごう</rt></ruby>たる響がにわかに聞こえてくるようだった。

「射撃手――だって、新聞は云ってますぜ。これで三人ですね」

「若い女性ばかりを<ruby><rb>覘</rb><rt>ねら</rt></ruby>う痴漢射撃手です」と警部は、ムッとして思わぬことを言い放った。「ときに貴方はエロ探偵小説もお得意のようでしたな。ハッハッ」

「冗談云っちゃいけません、大江山さん、貴方は隠しておいでのようですが、省線電車の射撃手は地獄ゆきの<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>を<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れておいて殺すというじゃありませんか。三人の犠牲者はどこの人で、どこを通ってきたのかを調べると三人に共通なもののあるのが発見されると思いますよ。そいつをひっぱってゆくと、十字架と<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>の秘密結社が出てくるんじゃないですか」

「秘密結社ですって？」

「そりゃ僕の想像ですよ」

戸浪三四郎は呪いの<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>についてもっと何かを知っているのだと、警部は<ruby><rb>悟</rb><rt>さと</rt></ruby>った。小説家にも尾行をつけることだ。「探偵小説家は実際の犯罪をしない。それは、いつもペンを走らせて犯罪を<ruby><rb>妄想</rb><rt>もうそう</rt></ruby>しているから、犯罪興奮力が<ruby><rb>鈍</rb><rt>にぶ</rt></ruby>っているのだ」と云った人があるが果してそうだろうか。

「だが戸浪さん。犯人を解く謎は、そればかりではなく、<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>あるのですよ」

「謎がそう沢山あると思うのは、大間違いです」と戸浪は<ruby><rb>軽蔑</rb><rt>けいべつ</rt></ruby>の口調をあらわして云った。「僕は案外単純な事件だと思うが……」

「戸浪さん、貴方は弾丸が車内で射たれたか又は車外から射ちこんだか、どっちと考えていますか」

「それですよ、大江山さん。僕は昨日その質問をうけたとき、車外説をもち出しました。今夜の殺人の話をきいてみますと、三人が三人とも同じ地点で、同じ右側にかけた人が、同じく心臓を射たれたそうですね。それは車内で射ったとしてもあり得ることですが、その正確なる射撃ぶりから<ruby><rb>推</rb><rt>お</rt></ruby>して、何か車外の地点に、非常に正確な銃器を<ruby><rb>据</rb><rt>す</rt></ruby>えつけて、機械的に的を<ruby><rb>覘</rb><rt>ねら</rt></ruby>ったのだと考えた方が、面白くありませんか」

「すると、どんな機械なんでしょう」

「僕もよくは知りませんが、四・五センチの<ruby><rb>口径</rb><rt>こうけい</rt></ruby>をもったピストルなんて、<ruby><rb>市場</rb><rt>しじょう</rt></ruby>にはちょっと見当らない品です」

「ほほう、よく口径を御存知ですね」

「法医学教室にいる友人に聞いたのです。それで犯人は特殊な科学知識をもっていて、恐るべき武器を持っていると考えるのです。ピストルを消音にすること位は、わけはありません。発砲の火を隠すためには、相当長い<ruby><rb>管</rb><rt>くだ</rt></ruby>をつかって、先に弾丸の出る小さい穴をあけとけばよろしい。専務車掌が窓外に火を見なかったというのも、こんな仕掛けをすれば説明がつきます。あとは、電気を使って発砲させることもできるでしょう」

「わかります！」と警部は、探偵小説家の途方もない想像力で<ruby><rb>煙</rb><rt>けむ</rt></ruby>にまかれながら、<ruby><rb>合槌</rb><rt>あいづち</rt></ruby>をうった。

「射撃手が<ruby><rb>跳梁</rb><rt>ちょうりょう</rt></ruby>するのは、三人が三人とも申し合わせたように夜間に限るのはどうしたものでしょう。いいですか、これは面白い問題です。車内に<ruby><rb>殺人鬼</rb><rt>さつじんき</rt></ruby>がいるのだったら、なにも夜分を選ばなくても、真昼間だって割合<ruby><rb>空</rb><rt>す</rt></ruby>いた電車があるでしょうから、射ちたくなる筈です。それがなくて夜に限るというのは、この精巧な器械を、或る地点に据えつける必要があるからなんです。器械や、犯人の姿を見られては困るからです」

大江山警部は、例の<ruby><rb>癖</rb><rt>くせ</rt></ruby>をだして<ruby><rb>獣</rb><rt>けもの</rt></ruby>のように<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>っていた。その一方に、探偵小説家というものは、こんなにまで科学的でなければ<ruby><rb>勤</rb><rt>つと</rt></ruby>まらないものかと、或る種の疑惑が湧いてこないでもないのだった。

「貴方はよくお調べですね」と警部が<ruby><rb>皮肉</rb><rt>ひにく</rt></ruby>のつもりで云った。

「貴方が見逃しているところを拾って、事件を早く解決したいのです。僕も容疑者の一人だそうですからね。ハッハッ」

刑事が一人、<ruby><rb>馳</rb><rt>か</rt></ruby>けてきた。

「課長どの、総監閣下のお電話です」

「ナニ総監の……」警部は<ruby><rb>渋面</rb><rt>じゅうめん</rt></ruby>を作った。

「お気の毒ですなア」と戸浪が彼の背中をポンと叩いた。

総監は果して非常に不機嫌だった。大江山捜査課長は<ruby><rb>油汗</rb><rt>あぶらあせ</rt></ruby>を<ruby><rb>拭</rb><rt>ぬぐ</rt></ruby>う<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>もなく、水を浴びたような顔をして、<ruby><rb>縷々</rb><rt>るる</rt></ruby>と<ruby><rb>陳述</rb><rt>ちんじゅつ</rt></ruby>した。

「君は、目黒の笹木光吉の<ruby><rb>情婦</rb><rt>じょうふ</rt></ruby>である赤星龍子が<ruby><rb>本郷</rb><rt>ほんごう</rt></ruby>の<ruby><rb>小柴木</rb><rt>こしばぎ</rt></ruby>病院で毎日耳の治療をうけているのを知っているか」と総監が突然言った。

「いや、存じませんが……」警部は耳の治療どころか、龍子が笹木の愛人であることも聞くのが始めてだった。

「そんなんじゃ困るね、君は」と総監のつっぱなすような声が受話器の中に反響した。「それから、戸浪三四郎が元浜松高等工業学校の電気科の先生をしていたことを知ってるか」

「ううウ」と警部は電話機に<ruby><rb>獅噛</rb><rt>しが</rt></ruby>みついて<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>った。「そそそれも存じませんが……」

「……」総監は無言だった。総監も呻っているのであろう。

「総監閣下、失礼ですが、誰がそんなことを申しましたか」

「<ruby><rb>帆村荘六</rb><rt>ほむらそうろく</rt></ruby>氏じゃ、私立探偵の。いま私の邸に見えて居られる」

帆村荘六といえば、警部は知らぬ人でもなかった。まだ経歴の若い素人探偵だったが、モダーンな科学探偵術をチョコチョコふりまわし、事件を不思議な手で解決するので、少し評判が出てきた人だった。

「君が必要なとき、いつでも応援をして下さるそうだ。今、お願いしておこうか」

「いえ、それには及びません」大江山捜査課長は、泣きだしたいような気持をこらえて、<ruby><rb>断然</rb><rt>だんぜん</rt></ruby><ruby><rb>拒絶</rb><rt>きょぜつ</rt></ruby>した。

## ６

大江山警部は電話をガチャリと切ると、しばし其の場に立ちすくんだ。考えてみるまでもなく、彼の立場はたいへん不運だった。彼は今度の事件で、どうしたものか、犯人の目星を一向につけることができなかった。昨日今日の事件ではあるが、林三平、倉内銀次郎、戸浪三四郎、赤星龍子、笹木光吉と疑いたい者ばかり多いくせに、犯人らしい人物を指すことができないのだった。唯今の総監の言葉から思いついたことは、電気の先生だった戸浪が<ruby><rb>相当</rb><rt>そうとう</rt></ruby><ruby><rb>頼母</rb><rt>たのも</rt></ruby>しい探索をしていてくれるから、彼と同盟すれば、大いに<ruby><rb>便宜</rb><rt>べんぎ</rt></ruby>が得られるであろうという見込みだが、但し戸浪自身が犯人の場合は全く失敗になるわけだった。戸浪に会って気をひいた上で決定しようと考えた。赤星龍子が笹木の愛人であるのは驚いたが、前後二回も、殺人のあった電車にのっていたのは、<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>偶然とは考えられない。実は先刻部下に命じて置いた龍子の<ruby><rb>動静</rb><rt>どうせい</rt></ruby>報告がきた上で、もすこし<ruby><rb>詳</rb><rt>くわ</rt></ruby>しく考えてみたい。……

大江山警部は電話のある室を出て、階段をプラットホームに下りながら、懐中時計を出してみた。もう夜も<ruby><rb>大分</rb><rt>だいぶ</rt></ruby><ruby><rb>更</rb><rt>ふ</rt></ruby>けて、ちょうど十時半になっていた。昨日の今頃突如として起った射殺事件のことを思いだして、いやな気持になった。すると、どこやら遠くで、非常<ruby><rb>警笛</rb><rt>けいてき</rt></ruby>の鳴るのをきいた、と思った。

彼は階段の途中に立ちどまった。

「ポ、ポ、ポ、ポッ」

ああ、<ruby><rb>警笛</rb><rt>けいてき</rt></ruby>だ。<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れもなく、<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>り電車の警笛だ。次第次第に、<ruby><rb>叫音</rb><rt>きょうおん</rt></ruby>は<ruby><rb>膨</rb><rt>は</rt></ruby>れるように大きくなってくるではないか。彼は<ruby><rb>墜落</rb><rt>ついらく</rt></ruby>するように階段を駆けくだった。そのとき<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>、<ruby><rb>叫喚怒号</rb><rt>きょうかんどごう</rt></ruby>する人間を積んだ上り電車が、<ruby><rb>驀地</rb><rt>まっしぐら</rt></ruby>にホームへ滑りこんできたのだった。

「やられたかッ」警部は<ruby><rb>呶鳴</rb><rt>どな</rt></ruby>った。

「また若い婦人です」と車掌が窓から叫んだ。

「窓があいているじゃないか、あれほど言ったのに」警部は真赤になって憤慨した。

「エビス駅を出るときには閉っていたんです」

「よォし、では乗客を<ruby><rb>禁足</rb><rt>きんそく</rt></ruby>しとくんだぞ」

「わかりましたッ」

大江山警部は、若い婦人の<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>が<ruby><rb>転</rb><rt>ころが</rt></ruby>っているという二輌目の車輌の前へ、かけつけた。窓がパタリと開いて、多田刑事の泣いているような顔が出た。

「課長どの、殺されたのは赤星龍子です」

「えッ、赤星龍子が――」

総監から注意のあったばかりの女が殺された。警部自身が大きい疑問符を五分ほど前にふったその女が殺されたのだった。警部は車中へ入ってみた。

「課長どの」と多田刑事は警部をオズオズと呼んで、この車輌の一番先端部にあたる左側客席の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>した。

「ここの隅ッ子に龍子が腰を下ろしていました。向い側の窓はたしかに閉っていたんですが、ビール会社の前あたりまで来たときに、そこにいた地方出身の<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さんが、窓をあけちまったんです。私が止めようとしたときにはもう遅うございました」

「君は一体どこに居たんだ」

「向うの入口（と彼は指を後部<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>へさしのべた）から龍子を監視していたのです」

「龍子は死んだか」そう云って警部はうしろを向いた。彼女は<ruby><rb>軽便担架</rb><rt>けいべんたんか</rt></ruby>の上で、裸にむかれていた。

「課長さん、重傷ですが、まだ生きています。<ruby><rb>創管</rb><rt>そうかん</rt></ruby>は心臓を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>って背中へむけています。カンフルで二三時間はもっているかも知れません」と医師が言った。

「意識は<ruby><rb>恢復</rb><rt>かいふく</rt></ruby>しないかネ」

「むずかしいと思いますが、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>さっきから手当をしています」

「輸血でもなんでもやって、この女にもう一度意識を与えてやってくれ」警部は、紙のように真白な赤星龍子の顔を祈るようにみてそう云った。

「多田君、田舎者の<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さんというのは、どこに居るか」

「はァ、そこに居ますが……」そう云って多田刑事は車内の連中の顔をみまわしたが居なかった。刑事は<ruby><rb>狼狽</rb><rt>ろうばい</rt></ruby>して、一人一人を<ruby><rb>訊問</rb><rt>じんもん</rt></ruby>した。その結果、仕切の<ruby><rb>小扉</rb><rt>こドア</rt></ruby>をひらいて後の車へ行ったのを見たと云った者がいた。驚いて後の車を<ruby><rb>尋</rb><rt>たず</rt></ruby>ねてみたが、田舎者の爺さんなんか、誰も見たものがないというのだった。

「なに、どこにも見当らないって」その報告をきいた大江山警部は、<ruby><rb>鈍間</rb><rt>とんま</rt></ruby>な刑事を<ruby><rb>殴</rb><rt>なぐ</rt></ruby>りたおしたい<ruby><rb>衝動</rb><rt>しょうどう</rt></ruby>に<ruby><rb>駆</rb><rt>か</rt></ruby>られたのを、やっとのことで我慢した。

「課長どの、こういう方がお目にかかりたいと<ruby><rb>仰有</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>いますが」と部下の一人が、<ruby><rb>一葉</rb><rt>いちよう</rt></ruby>の名刺を持って来た。とりあげてみると、

「私立探偵。帆村荘六」

大江山警部は、帆村の力を借りたい心と、まだ燃えのこる<ruby><rb>敵愾心</rb><rt>てきがいしん</rt></ruby>とに<ruby><rb>挿</rb><rt>はさま</rt></ruby>って、例の「ううむ」を<ruby><rb>呻</rb><rt>うな</rt></ruby>った。そのとき<ruby><rb>側</rb><rt>かたわ</rt></ruby>らに声があった。

「大江山さん。総監閣下を通じてお願いしましたところ、お使い下さるお許しを得たそうでして大変有難うございました」

「やあ、帆村君」警部は、青年探偵帆村荘六の<ruby><rb>和</rb><rt>なご</rt></ruby>やかな眼をみた。事件の<ruby><rb>真只中</rb><rt>まっただなか</rt></ruby>に入ってきたとは思われぬ<ruby><rb>温容</rb><rt>おんよう</rt></ruby>だった。彼は帆村を使うことを許した覚えはなかったが、それは多分帆村探偵の心づかいだろうと悟って、悪い気持はしなかった。

帆村探偵と大江山捜査課長とは、顔を近づけて、それから約二十分というものを、<ruby><rb>低声</rb><rt>ていせい</rt></ruby>で協議をした。それが終ると、大江山警部の顔色は、急に生々と元気を恢復してきたように見えた。

「さあ、赤星龍子さんを、伝染病研究所の手術室へ送るんだ。ここから一番近くていい。それから私も、そっちの方へ行くから、用事があったら電話をかけて貰いたい」

部下一同は<ruby><rb>呆気</rb><rt>あっけ</rt></ruby>にとられたのだった。大江山課長は、<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>三人の犠牲者を出したこの駅に、徹夜して頑張るのだろうと、誰もが思っていた。なんの<ruby><rb>面目</rb><rt>めんぼく</rt></ruby>があってオメオメ此の現場を去ることができるのか。それに、電車はまだひっきりなしに通る筈だ。終電車までにまだ二時間もあるではないか。それを気に留めないで引き払おうという課長の意が、<ruby><rb>那辺</rb><rt>なへん</rt></ruby>にあるかを計りかねた一同だった。

頭の働く部下の一人は、こう考えた。

（課長が重症の赤星龍子について引上げるというは、<ruby><rb>最早</rb><rt>もはや</rt></ruby>今夜は犯罪が行われないことがわかったのだ。なぜそれが確かになったのであるか。――うん、もしかすると、赤星龍子が射たれたというのは間違いで、彼女は、われとわが身体を<ruby><rb>傷</rb><rt>きずつ</rt></ruby>けたんじゃなかったか。彼女の自殺！　あの怖ろしい省線電車の射撃手は、実に赤星龍子だったんだ。）

そう思って眺めると、彼女を<ruby><rb>伝研</rb><rt>でんけん</rt></ruby>の病室に送る一行の物々しさは、右の<ruby><rb>推定</rb><rt>すいてい</rt></ruby>を<ruby><rb>裏書</rb><rt>うらが</rt></ruby>きするに充分だった。

「赤星龍子はカンフルで持ち直して、うまくゆくと一命はとりとめるかもしれないということだ」

そんな噂が、伝研ゆきの自動車が出て行ったあとで、駅員たちの間に拡って行ったほどだった。果して龍子は助かるだろうか。のこる四人の容疑者の謎は、もうとけたのだろうか。

## ７

「大江山さん。<ruby><rb>手筈</rb><rt>てはず</rt></ruby>はいいですか」

「すっかり貴方の<ruby><rb>仰有</rb><rt>おっしゃ</rt></ruby>るとおり、やっといたです。帆村君」

ここは伝研の病室だった。伝研の構内には、昼間でも<ruby><rb>狸</rb><rt>たぬき</rt></ruby>が出るといわれる<ruby><rb>欝蒼</rb><rt>うっそう</rt></ruby>たる大森林にとりまかれ、あちこちにポツンポツンと、ヒョロヒョロした建物が建っていた。今は、ましてや真夜中に近い時刻であるので、構内は湖の底に沈んだように静かで、<ruby><rb>霊魂</rb><rt>れいこん</rt></ruby>のように<ruby><rb>夜気</rb><rt>やき</rt></ruby>が<ruby><rb>窓硝子</rb><rt>まどガラス</rt></ruby>を<ruby><rb>透</rb><rt>とお</rt></ruby>して室内に<ruby><rb>浸</rb><rt>し</rt></ruby>みこんでくるように思われた。

「では私の話をきいていただきましょう」帆村探偵はソッと別室の<ruby><rb>半</rb><rt>なかば</rt></ruby>開かれた扉を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>うようにしてから、おもむろに口を開いた。「射撃手事件は、並々の事件ではないのです。犯人は、飛行船を組立てるように、なにからなにまで<ruby><rb>周到</rb><rt>しゅうとう</rt></ruby>の注意を<ruby><rb>払</rb><rt>はら</rt></ruby>って事件を計画しました。そこにはうっかり通りかかるとひっかからずには居られない<ruby><rb>陥穽</rb><rt>かんせい</rt></ruby>や、飛びこむと再び外へ出られないような<ruby><rb>泥沼</rb><rt>どろぬま</rt></ruby>を用意して置いたのです。ひっかかったものが不運なんです。私も<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>同様に手も足も出なくなるところでした、もし犯人が最後に演じた大きい失敗をのこして<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れなかったら。

第一から第三まで、三人の若い婦人の射殺は巧妙に<ruby><rb>遂</rb><rt>と</rt></ruby>げられました。三人の射たれた<ruby><rb>箇所</rb><rt>かしょ</rt></ruby>は、完全に一致しています。貴方は<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>の飛来した方向を計算で出されたようですね。あれは大体事実と符合していますが、唯少し<ruby><rb>補正</rb><rt>ほせい</rt></ruby>が必要なのです。それは、犯人が弾丸を車外から射ちこんだのではなくて、車内から射ったという点を補正すればよろしい」

「犯人は車内にいたというお考えですな」と警部は云って、首を<ruby><rb>肯</rb><rt>うなず</rt></ruby>かせた。

「犯人は車外から射撃したと思わせるためにいろんな注意を払っています。弾丸が向いの窓を通ったと思わせるために、被害者の前面には必ず空席をちょっと明けて置きました。射殺地点の一致は、車外に正確な器械があるのだと思わせるに役立ちました。被害者が十字架と<ruby><rb>髑髏</rb><rt>どくろ</rt></ruby>のついた<ruby><rb>標章</rb><rt>マーク</rt></ruby>を持っているということは、車内にいる犯人が犯行の直後に自ら標章を被害者のポケットにねじこんだものと考えられるのを、逆に車外の器械の正確さに結びつけることによって考えをかき<ruby><rb>乱</rb><rt>みだ</rt></ruby>しました。<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>、<ruby><rb>薬莢</rb><rt>やっきょう</rt></ruby>を拾わせたり、時にはタイヤをパンクさせて<ruby><rb>擬音</rb><rt>ぎおん</rt></ruby>を利用したり、うまくごまかしていましたが、最後に赤星龍子嬢の<ruby><rb>傷口</rb><rt>きずぐち</rt></ruby>によって一切のインチキは<ruby><rb>曝露</rb><rt>ばくろ</rt></ruby>しました。

龍子嬢は車輌の後方の隅に身体をもたせていました。彼女が正確に正面に向いていたことは始終眼をはなさなかった多田刑事が保証しています。彼女の向いの座席の<ruby><rb>窓枠</rb><rt>まどわく</rt></ruby>は、<ruby><rb>鋼鉄車</rb><rt>こうてつしゃ</rt></ruby>のことですから向って<ruby><rb>左端</rb><rt>さたん</rt></ruby>から<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>って十センチの<ruby><rb>幅</rb><rt>はば</rt></ruby>の、内面に板を張った<ruby><rb>縦長</rb><rt>たてなが</rt></ruby>の壁となりそれから右へ四角い窓が開いています。もし車外から彼女の心臓を射ったとすると、この窓枠の<ruby><rb>縁</rb><rt>ふち</rt></ruby>をスレスレに弾丸が通るはずです（と、彼は紙に書いた電車の図面の上へ鉛筆でいろんな線をひっぱった）。



しかしこれは電車が静止していたときの話で電車が若し五十キロの速度で左へ走っていたものとすると、弾丸が向いの窓をとおって被害者の胸に達するまではすこし時間がかかりますから、<ruby><rb>創口</rb><rt>きずぐち</rt></ruby>はずっと右側へ寄り、恐らく右胸か又は右腕あたりに当ることになります。しかも赤星龍子嬢は心臓より反対に左によった箇所を真正面から打たれているのですから、これは弾丸が、<ruby><rb>鋼鉄板</rb><rt>こうてついた</rt></ruby>を打ち破り<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>も物凄い勢いをもって被害者の胸を刺すことにならねば出来ない相談です。無論、<ruby><rb>現場</rb><rt>げんじょう</rt></ruby>をしらべてみると、鋼鉄板に<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>があいているどころか、弾丸の当ったあともありません。明らかにこれは車内で弾丸を射った<ruby><rb>証拠</rb><rt>しょうこ</rt></ruby>です。車内で射ったという條件がきまると問題は大変簡単になります。車外の出来ごとは<ruby><rb>悉</rb><rt>ことごと</rt></ruby>く問題の<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>に置いていいのです」

そう云って帆村探偵はちょっと言葉をきった。

「なるほど面白い推理ですね」と大江山警部は大きく頭をふって云った。「すると犯人の名は……」

と云いかけたところへ、けたたましい<ruby><rb>警笛</rb><rt>けいてき</rt></ruby>の<ruby><rb>響</rb><rt>ひびき</rt></ruby>がして、自動車が病舎の玄関まで来てピタリと止った様子だった。やがて廊下をパタパタと跫音がすると、病室の<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>にコトコトとノックがきこえた。帆村探偵が席を立って開けてみると、多田刑事が笹木光吉を連れて立っていた。

「課長どの、すっかり種をあげてきました」と多田は晴やかに笑顔を作った。「これです、<ruby><rb>消音式</rb><rt>しょうおんしき</rt></ruby>で無発光のピストルなんです。笹木邸の<ruby><rb>大欅</rb><rt>おおけやき</rt></ruby>の<ruby><rb>洞穴</rb><rt>ほらあな</rt></ruby>に仕かけてあったんです」といって真黒な<ruby><rb>茶筒</rb><rt>ちゃづつ</rt></ruby>のようなものを、ズシリと机の上に置いた。

大江山警部が茶筒をあけてみると、内部には果して<ruby><rb>一挺</rb><rt>いっちょう</rt></ruby>のピストルが入っていた。弾丸をぬき出してみると、確かに<ruby><rb>口径</rb><rt>こうけい</rt></ruby>四・五センチだ。ピストルの内部を開いて<ruby><rb>螺旋溝</rb><rt>らせんこう</rt></ruby>の<ruby><rb>寸法</rb><rt>ディメンション</rt></ruby>を<ruby><rb>顕微鏡</rb><rt>けんびきょう</rt></ruby>で測ってみると、<ruby><rb>兼</rb><rt>か</rt></ruby>ねて押収して置いた被害者達の体内をくぐった弾丸の<ruby><rb>溝跡</rb><rt>こうせき</rt></ruby>の寸法と完全に一致した。

「ではこのピストルは、笹木君のか」警部はきいた。

「私のでは<ruby><rb>御座</rb><rt>ござ</rt></ruby>いません」

「いえ、課長どの。この男が赤星龍子に殺意を持っていたことは確かなんです。この手紙をみて下さい」そう云ってる多田は、龍子から笹木にあてた手紙の<ruby><rb>束</rb><rt>たば</rt></ruby>をさし出した。それを読んでみると、このところ両人の関係が、非常に<ruby><rb>危怡</rb><rt>きたい</rt></ruby>に<ruby><rb>瀕</rb><rt>ひん</rt></ruby>しているのが、よく判った。

笹木光吉は<ruby><rb>不貞不貞</rb><rt>ふてぶて</rt></ruby>しく無言だった。大江山警部はこの場の有様と、帆村探偵の結論が大分喰いちがっているのを<ruby><rb>不審</rb><rt>ふしん</rt></ruby>がる様子でチラリと帆村探偵の顔色を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>った。

「そのピストルは犯人が直接に用いたピストルと違っています」帆村はピストルを調べたのち静かに言った。

「<ruby><rb>溝跡</rb><rt>みぞあと</rt></ruby>までが同じであるのに、違うというんですか」警部は、すこし冷笑を浮べて云った。

「そうです」帆村はキッパリ答えた。「これも犯人のトリックです。犯人はピストルの<ruby><rb>弾丸</rb><rt>だんがん</rt></ruby>には人間で言えば指紋のようにピストル独特の<ruby><rb>溝跡</rb><rt>こうせき</rt></ruby>がつくこと位よく知っていたのです。彼はそこをごまかすために、多田さんが唯今お持ちになったピストルを、<ruby><rb>軟</rb><rt>やわらか</rt></ruby>い地面に向けて射った後、土地を掘りかえして<ruby><rb>弾丸</rb><rt>だんがん</rt></ruby>を掘りだしたんです。犯人は、こうしてピストル特有の溝跡がついた弾丸を、又別に持っている<ruby><rb>無螺旋</rb><rt>むらせん</rt></ruby>のピストル、それは多分、上等の<ruby><rb>玩具</rb><rt>がんぐ</rt></ruby>ピストルを改造したんだろうと思われますが、その別なピストルに入れて、省線電車の中に持ちこんだんです。よく調べてごらんなさい。<ruby><rb>屍体</rb><rt>したい</rt></ruby>の中から抜きとった弾丸には、薬莢にとめるときについた<ruby><rb>鍵裂</rb><rt>かぎさけ</rt></ruby>の傷がついています」

大江山警部は、この執念ぶかい犯人のトリックに、<ruby><rb>唯々</rb><rt>ただただ</rt></ruby><ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れるばかりだった。

「すると真犯人は玩具ピストルに、この<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>を<ruby><rb>籠</rb><rt>こ</rt></ruby>めたのを持っているんですな。笹木君は犯人ではないのですか」

「笹木君ではありません」と帆村が<ruby><rb>言下</rb><rt>げんか</rt></ruby>に答えた。

「では犯人の名は……」

その瞬間だった。

「ガチャリッ」と<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>の破れる音が<ruby><rb>隣室</rb><rt>りんしつ</rt></ruby>ですると、屋根から窓下にガラガラッと大きな物音をさせて<ruby><rb>墜落</rb><rt>ついらく</rt></ruby>したものがある。ソレッというので一同は<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>を押し開いて隣室に飛びこんだ。

「<ruby><rb>呀</rb><rt>あ</rt></ruby>ッ」

一同はその場に立ちすくんだ。

真正面の大きい窓硝子が<ruby><rb>滅茶滅茶</rb><rt>めちゃめちゃ</rt></ruby>に<ruby><rb>壊</rb><rt>こわ</rt></ruby>れて、ポッカリ異様な<ruby><rb>大孔</rb><rt>おおあな</rt></ruby>が出来、<ruby><rb>鉄格子</rb><rt>てつごうし</rt></ruby>が<ruby><rb>肋骨</rb><rt>ろっこつ</rt></ruby>のように露出していた。その窓の下に寝台があって、その上に寝ているのは重症の赤星龍子だった。ああしかし<ruby><rb>無惨</rb><rt>むざん</rt></ruby>なことに、龍子の胸から下を<ruby><rb>蔽</rb><rt>おお</rt></ruby>った白い病衣のその<ruby><rb>胸板</rb><rt>むないた</rt></ruby>にあたる箇所には、蜂の巣のように孔があき、その底の方から静かに真紅な<ruby><rb>血潮</rb><rt>ちしお</rt></ruby>が湧きだしてくるのだった。この場の光景は、何者かが<ruby><rb>窓外</rb><rt>そうがい</rt></ruby>にしのびより、寝ている龍子に銃丸の雨を降らしたことを物語っていた。射ったのは誰だ。

「帆村さん、とうとう<ruby><rb>掴</rb><rt>つかま</rt></ruby>えましたよ」

<ruby><rb>格子</rb><rt>こうし</rt></ruby>の外に近付いた人の顔がある。それは白い記者手帳を片手にもった東京××新聞の記者<ruby><rb>風間八十児</rb><rt>かざまやそじ</rt></ruby>だった。その後には<ruby><rb>雁字搦</rb><rt>がんじがら</rt></ruby>めに縛られた男が、大勢の刑事に守られて立っていた。

それは捜査課長に<ruby><rb>馴染</rb><rt>なじみ</rt></ruby>の深い探偵小説家を名乗る戸浪三四郎の<ruby><rb>憔悴</rb><rt>しょうすい</rt></ruby>した姿だった。

「帆村さん。お<ruby><rb>駄賃</rb><rt>だちん</rt></ruby>にちょっと返事をして下さい」と風間記者は鉛筆を<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>め<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>め格子の間から顔をあげた。

「<ruby><rb>真犯人</rb><rt>しんはんにん</rt></ruby>戸浪三四郎は、目立たぬ<ruby><rb>爺</rb><rt>おやじ</rt></ruby>に変装したり、美人に<ruby><rb>衆人</rb><rt>しゅうじん</rt></ruby>の注意を集めその蔭にかくれて犯罪を重ねた、いいですね」

帆村は軽くうなずいた。

「戸浪三四郎が目星をつけて置いた<ruby><rb>掩護物</rb><rt>えんごぶつ</rt></ruby>は片方の耳の悪い美女赤星龍子だった。龍子の隣りに席をとった彼は消音ピストルを発射して巧みにごまかした。ところが龍子の聴力は<ruby><rb>余程</rb><rt>よほど</rt></ruby><ruby><rb>恢復</rb><rt>かいふく</rt></ruby>していたので、とうとう龍子に犯行を感付かれた。そこで彼は殺意を<ruby><rb>生</rb><rt>しょう</rt></ruby>じたが、マンマとやり損じた。いいですね、帆村さん。

ええと、それから、龍子は重症だが、一命をとりとめると噂が耳に入ったので、戸浪三四郎は彼女の跡を追って<ruby><rb>伝研</rb><rt>でんけん</rt></ruby>の病室へ忍び入り、機会を待った。チャンスが来た。寝ている龍子の心臓のあたりをポンポン打った。イヤ<ruby><rb>消音</rb><rt>しょうおん</rt></ruby>ピストルだからプスプス射ったというんですね、そこを待ち構えていた刑事諸君の手でつかまっちまった。僕の手柄は<ruby><rb>手前味噌</rb><rt>てまえみそ</rt></ruby>ですから書きません。<ruby><rb>無論</rb><rt>むろん</rt></ruby>戸浪が犯行につかったインチキ・ピストルも発見せられた。いいですね、帆村さん。

うまく龍子を射殺したと思ったのは戸浪の思いちがいだった。

龍子は目黒駅に居るとき死んでいたのだった。生きているような噂が拡がったのは、犯人をおびき寄せるため帆村探偵の<ruby><rb>案出</rb><rt>あんしゅつ</rt></ruby>した手だった。戸浪は、探偵小説家の名を<ruby><rb>汚</rb><rt>けが</rt></ruby>し、彼の変態的な純情（？）に<ruby><rb>殉</rb><rt>じゅん</rt></ruby>じた、とでも結んで置きますか、ねえ帆村さん」

帆村は静かに笑った。「戸浪君は車内ではピストルをどこに隠してたか……」

「ああ、それを忘れちゃっちゃ、お手柄がなんにもならないな。エエと、戸浪はピストルの口を、上衣の右ポケットの底穴から<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>かせて射ったため、僕の外には誰も気がつかなかった、というのはどうでしょう」