Soranoha

雪霊記事

せつれいきじ

泉 鏡花

一

「此このくらゐな事ことが……何なんの……小兒こどものうち歌留多かるたを取とりに行いつたと思おもへば――」

越前ゑちぜんの府ふ、武生たけふの、侘わびしい旅宿やどの、雪ゆきに埋うもれた軒のきを離はなれて、二町ちやうばかりも進すゝんだ時とき、吹雪ふゞきに行惱ゆきなやみながら、私わたしは――然さう思おもひました。

思おもひつゝ推切おしきつて行ゆくのであります。

私わたしは此處こゝから四十里り餘あまり隔へだたつた、おなじ雪深ゆきぶかい國くにに生うまれたので、恁かうした夜道よみちを、十町ちやうや十五町ちやう歩行あるくのは何なんでもないと思おもつたのであります。

が、其その凄すさまじさと言いつたら、まるで眞白まつしろな、冷つめたい、粉こなの大波おほなみを泳およぐやうで、風かぜは荒海あらうみに齊ひとしく、ぐわう〱と呻うなつて、地ち――と云いつても五六尺しやく積つもつた雪ゆきを、押搖おしゆすつて狂くるふのです。

「あの時分じぶんは、脇わきの下したに羽はねでも生はえて居ゐたんだらう。屹きつと然さうに違ちがひない。身輕みがるに雪ゆきの上うへへ乘のつて飛とべるやうに。」

……でなくつては、と呼吸いきも吐つけない中うちで思おもひました。

九歳こゝのつ十歳とをばかりの其その小兒こどもは、雪下駄ゆきげた、竹草履たけざうり、それは雪ゆきの凍いてた時とき、こんな晩ばんには、柄がらにもない高足駄たかあしださへ穿はいて居ゐたのに、轉ころびもしないで、然しかも遊あそびに更ふけた正月しやうぐわつの夜よの十二時過じすぎなど、近所きんじよの友ともだちにも別わかれると、唯たゞ一人ひとりで、白しろい社やしろの廣ひろい境内けいだいも拔ぬければ、邸町やしきまちの白しろい長ながい土塀どべいも通とほる。………ザヾツ、ぐわうと鳴なつて、川波かはなみ、山颪やまおろしとともに吹ふいて來くると、ぐる〱と𢌞まはる車輪しやりんの如ごとき濃こく黒くろずんだ雪ゆきの渦うづに、くる〱と舞まひながら、ふは〱と濟すまアして内うちへ歸かへつた――夢ゆめではない。が、あれは雪ゆきに靈れいがあつて、小兒こどもを可愛いとしがつて、連つれて歸かへつたのであらうも知しれない。

「あゝ、酷ひどいぞ。」

ハツと呼吸いきを引ひく。目口めくちに吹込ふきこむ粉雪こゆきに、ばツと背せを向むけて、そのたびに、風かぜと反對はんたいの方はうへ眞俯向まうつむけに成なつて防ふせぐのであります。恁かう言いふ時ときは、其その粉雪こゆきを、地ぢぐるみ煽立あふりたてますので、下したからも吹上ふきあげ、左右さいうからも吹捲ふきまくつて、よく言いふことですけれども、面おもての向むけやうがないのです。

小兒こどもの足駄あしだを思おもひ出だした頃ころは、實じつは最もう穿はきものなんぞ、疾とうの以前いぜんになかつたのです。

しかし、御安心ごあんしん下ください。――雪ゆきの中なかを跣足はだしで歩行あるく事ことは、都會とくわいの坊ぼつちやんや孃ぢやうさんが吃驚びつくりなさるやうな、冷つめたいものでないだけは取柄とりえです。ズボリと踏込ふみこんだ一息ひといきの間あひだは、冷つめたさ骨髓こつずゐに徹てつするのですが、勢いきほひよく歩行あるいて居ゐるうちには温あたゝかく成なります、ほか〱するくらゐです。

やがて、六七町ちやう潛もぐつて出でました。

まだ此この間あひだは氣丈夫きぢやうぶでありました。町まちの中うちですから兩側りやうがはに家いへが續つゞいて居をります。此この邊へんは水みづの綺麗きれいな處ところで、軒下のきしたの兩側りやうがはを、清きよい波なみを打うつた小川をがはが流ながれて居ゐます。尤もつとも其それなんぞ見みえるやうな容易やさしい積つもり方かたぢやありません。

御存ごぞんじの方かたは、武生たけふと言いへば、あゝ、水みづのきれいな處ところかと言いはれます――此この水みづが鐘かねを鍛きたへるのに適てきするさうで、釜かま、鍋なべ、庖丁はうてう、一切いつさいの名産めいさん――其その昔むかしは、聞きこえた刀鍛冶かたなかぢも住すみました。今いまも鍛冶屋かぢやが軒のきを並ならべて、其その中なかに、柳やなぎとともに目立めだつのは旅館りよくわんであります。

が、最もう目貫めぬきの町まちは過すぎた、次第しだいに場末ばすゑ、町端まちはづれの――と言いふとすぐに大おほきな山やま、嶮けはしい坂さかに成なります――あたりで。……此この町まちを離はなれて、鎭守ちんじゆの宮みやを拔ぬけますと、いま行ゆかうとする、志こゝろざす處ところへ着つく筈はずなのです。

それは、――其許そこは――自分じぶんの口くちから申兼まをしかねる次第しだいでありますけれども、私わたしの大恩人だいおんじん――いえ〱恩人おんじんで、そして、夢ゆめにも忘わすれられない美うつくしい人ひとの侘住居わびずまひなのであります。

侘住居わびずまひと申まをします――以前いぜんは、北國ほつこくに於おいても、旅館りよくわんの設備せつびに於おいては、第一だいいちと世よに知しられた此この武生たけふの中うちでも、其その隨一ずゐいちの旅館りよくわんの娘むすめで、二十六の年としに、其その頃ころの近國きんごくの知事ちじの妾おもひものに成なりました……妾めかけとこそ言いへ、情深なさけぶかく、優やさしいのを、昔いにしへの國主こくしゆの貴婦人きふじん、簾中れんちうのやうに稱たゝへられたのが名なにしおふ中なかの河内かはちの山裾やますそなる虎杖いたどりの里さとに、寂さびしく山家住居やまがずまひをして居ゐるのですから。此この大雪おほゆきの中なかに。

二

流ながるゝ水みづとともに、武生たけふは女をんなのうつくしい處ところだと、昔むかしから人ひとが言いふのであります。就中なかんづく、蔦屋つたや――其その旅館りよくわんの――お米よねさん(恩人おんじんの名なです)と言いへば、國々くに〲評判ひやうばんなのでありました。

まだ汽車きしやの通つうじない時分じぶんの事こと。……

「昨夜さくやは何方どちらでお泊とまり。」

「武生たけふでございます。」

「蔦屋つたやですな、綺麗きれいな娘むすめさんが居ゐます。勿論もちろん、御覽ごらんでせう。」

旅たびは道連みちづれが、立場たてばでも、又また並木なみきでも、言ことばを掛合かけあふ中うちには、屹きつと此この事ことがなければ納をさまらなかつたほどであつたのです。

往來ゆききに馴なれて、幾度いくたびも蔦屋つたやの客きやくと成なつて、心得顏こゝろえがほをしたものは、お米よねさんの事ことを渾名あだなして、むつの花はな、むつの花はな、と言いひました。――色いろと言いひ、また雪ゆきの越路こしぢの雪ゆきほどに、世よに知しられたと申まをす意味いみではないので――此これは後言くりごとであつたのです。……不具かたはだと言いふのです。六本指ろつぽんゆび、手ての小指こゆびが左ひだりに二ふたつあると、見みて來きたやうな噂うはさをしました。何故なぜか、――地方ゐなかは分わけて結婚期けつこんきが早はやいのに――二十六七まで縁えんに着つかないで居ゐたからです。

(しかし、……やがて知事ちじの妾おもひものに成なつた事ことは前まへに一寸ちよつと申まをしました。)

私わたしはよく知しつて居ゐます――六本指ろつぽんゆびなぞと、氣けもない事ことです。確たしかに見みました。しかも其その雪ゆきなす指ゆびは、摩耶夫人まやぶにんが召めす白しろい細ほそい花はなの手袋てぶくろのやうに、正まさに五瓣ごべんで、其それが九死一生きうしいつしやうだつた私わたしの額ひたひに密そつと乘のり、輕かるく胸むねに掛かゝつたのを、運命うんめいの星ほしを算かぞへる如ごとく熟じつと視みたのでありますから。――

また其その手てで、硝子杯コツプの白雪しらゆきに、鷄卵たまごの蛋黄きみを溶とかしたのを、甘露かんろを灌そゝぐやうに飮のまされました。

ために私わたしは蘇返よみがへりました。

「冷水おひやを下ください。」

最もう、それが末期まつごだと思おもつて、水みづを飮のんだ時ときだつたのです。

脚氣かつけを煩わづらつて、衝心しようしんをしかけて居ゐたのです。其そのために東京とうきやうから故郷くにに歸かへる途中とちうだつたのでありますが、汚よごれくさつた白絣しろがすりを一枚まいきて、頭陀袋づだぶくろのやうな革鞄かばん一ひとつ掛かけたのを、玄關げんくわんさきで斷ことわられる處ところを、泊とめてくれたのも、螢ほたると紫陽花あぢさゐが見透みとほしの背戸せどに涼すゞんで居ゐた、其そのお米よねさんの振向ふりむいた瞳めの情なさけだつたのです。

水みづと言いへば、せい〲米こめの磨汁とぎしるでもくれさうな處ところを、白雪しらゆきに蛋黄きみの情なさけ。――萌黄もえぎの蚊帳かや、紅べにの麻あさ、……蚊かの酷ひどい處ところですが、お米よねさんの出入ではひりには、はら〱と螢ほたるが添そつて、手てを映うつし、指環ゆびわを映うつし、胸むねの乳房ちぶさを透すかして、浴衣ゆかたの染そめの秋草あきぐさは、女郎花をみなへしを黄きに、萩はぎを紫むらさきに、色いろあるまでに、蚊帳かやへ影かげを宿やどしました。

「まあ、汗あせびつしより。」

と汚きたない病苦びやうくの冷汗ひやあせに……そよ〱と風かぜを惠めぐまれた、淺葱色あさぎいろの水團扇みづうちはに、幽かすかに月つきが映さしました。……

大恩だいおんと申まをすは此これなのです。――

おなじ年とし、冬ふゆのはじめ、霜しもに緋葉もみぢの散ちる道みちを、爽さわやかに故郷こきやうから引返ひつかへして、再ふたゝび上京じやうきやうしたのでありますが、福井ふくゐまでには及およびません、私わたしの故郷こきやうからは其それから七里りさきの、丸岡まるをかの建場たてばに俥くるまが休やすんだ時とき立合たちあはせた上下じやうげの旅客りよかくの口々くち〲から、もうお米よねさんの風説うはさを聞ききました。

知事ちじの妾おもひものと成なつて、家いへを出でたのは、其その秋あきだつたのでありました。

こゝはお察さつしを願ねがひます。――心易こゝろやすくは禮手紙れいてがみ、たゞ音信おとづれさへ出來できますまい。

十六七年ねんを過すぎました。――唯今たゞいまの鯖江さばえ、鯖波さばなみ、今庄いましやうの驛えきが、例れいの音おとに聞きこえた、中なかの河内かはち、木きの芽峠めたうげ、湯ゆの尾峠をたうげを、前後左右ぜんごさいうに、高たかく深ふかく貫つらぬくのでありまして、汽車きしやは雲くもの上うへを馳はしります。

間あひの宿しゆくで、世事せじの用ようは聊いさゝかもなかつたのでありますが、可懷なつかしさの餘あまり、途中とちうで武生たけふへ立寄たちよりました。

内證ないしようで……何なんとなく顏かほを見みられますやうで、ですから内證ないしようで、其その蔦屋つたやへ參まゐりました。

皐月さつき上旬じやうじゆんでありました。

三

門かど、背戸せどの清きよき流ながれ、軒のきに高たかき二本柳ふたもとやなぎ、――其その青柳あをやぎの葉はの繁茂しげり――こゝに彳たゝずみ、あの背戸せどに團扇うちはを持もつた、其その姿すがたが思おもはれます。それは昔むかしのまゝだつたが、一棟ひとむね、西洋館せいやうくわんが別べつに立たち、帳場ちやうばも卓子テエブルを置おいた受附うけつけに成なつて、蔦屋つたやの樣子やうすはかはつて居ゐました。

代替だいがはりに成なつたのです。――

少すこしばかり、女中ぢよちうに心こゝろづけも出來できましたので、それとなく、お米よねさんの消息せうそくを聞ききますと、蔦屋つたやも蔦龍館てうりうくわんと成なつた發展はつてんで、持もちの此この女中ぢよちうなどは、京きやうの津つから來きて居ゐるのださうで、少すこしも恩人おんじんの事ことを知しりません。

番頭ばんとうを呼よんでもらつて訊たづねますと、――勿論もちろん其その頃ころの男をとこではなかつたが――此これはよく知しつて居ゐました。

蔦屋つたやは、若主人わかしゆじん――お米よねさんの兄あに――が相場さうばにかゝつて退轉たいてんをしたさうです。お米よねさんにまけない美人びじんをと言いつて、若主人わかしゆじんは、祇園ぎをんの藝妓げいしやをひかして女房にようばうにして居ゐたさうでありますが、それも亡なくなりました。

知事ちじ――其その三年前ねんぜんに亡なく成なつた事ことは、私わたしも新聞しんぶんで知しつて居ゐたのです――其そのいくらか手當てあてが殘のこつたのだらうと思おもはれます。當時たうじは町まちを離はなれた虎杖いたどりの里さとに、兄妹きやうだいがくらして、若主人わかしゆじんの方はうは、町中まちなかの或會社あるくわいしやへ勤つとめて居ゐると、此この由よし、番頭ばんとうが話はなしてくれました。一昨年いつさくねんの事ことなのです。

――いま私わたしは、可恐おそろしい吹雪ふゞきの中なかを、其處そこへ志こゝろざして居ゐるのであります――

が、さて、一昨年いつさくねんの其その時ときは、翌日よくじつ、半日はんにち、いや、午後ごご三時頃じごろまで、用ようもないのに、女中ぢよちうたちの蔭かげで怪あやしむ氣勢けはひのするのが思おもひ取とられるまで、腕組うでぐみが、肘枕ひぢまくらで、やがて、夜具やぐを引被ひつかぶつてまで且かつ思おもひ、且かつ惱なやみ、幾度いくたびか逡巡しゆんじゆんした最後さいごに、旅館りよくわんをふら〱と成なつて、たうとう恩人おんじんを訪たづねに出でました。

故わざと途中とちう、餘所よそで聞きいて、虎杖村いたどりむらに憧憬あこがれ行ゆく。……

道みちは鎭守ちんじゆがめあてでした。

白しろい、靜しづかな、曇くもつた日ひに、山吹やまぶきも色いろが淺あさい、小流こながれに、苔蒸こけむした石いしの橋はしが架かゝつて、其その奧おくに大おほきくはありませんが深ふかく神寂かんさびた社やしろがあつて、大木たいぼくの杉すぎがすら〱と杉すぎなりに並ならんで居ゐます。入口いりぐちの石いしの鳥居とりゐの左ひだりに、就中とりわけ暗くらく聳そびえた杉すぎの下もとに、形かたちはつい通とほりでありますが、雪難之碑せつなんのひと刻きざんだ、一基きの石碑せきひが見みえました。

雪ゆきの難なん――荷擔夫にかつぎふ、郵便配達いうびんはいたつの人ひとたち、其その昔むかしは數多あまたの旅客りよかくも――此これからさしかゝつて越こえようとする峠路たうげみちで、屡々しば〱命いのちを殞おとしたのでありますから、いづれ其その靈れいを祭まつつたのであらう、と大空おほぞらの雲くも、重かさなる山やま、續つゞく巓いたゞき、聳そびゆる峰みねを見みるにつけて、凄すさまじき大濤おほなみの雪ゆきの風情ふぜいを思おもひながら、旅たびの心こゝろも身みに沁しみて通過とほりすぎました。

畷道なはてみち少すこしばかり、菜種なたねの畦あぜを入はひつた處ところに、志こゝろざす庵いほりが見みえました。侘わびしい一軒家いつけんやの平屋ひらやですが、門かどのかゝりに何なんとなく、むかしの状さまを偲しのばせます、萱葺かやぶきの屋根やねではありません。

伸上のびあがる背戸せどに、柳やなぎが霞かすんで、こゝにも細流せゝらぎに山吹やまぶきの影かげの映うつるのが、繪ゑに描かいた螢ほたるの光ひかりを幻まぼろしに見みるやうでありました。

夢ゆめにばかり、現うつゝにばかり、十幾年いくねん。

不思議ふしぎにこゝで逢あひました――面影おもかげは、黒髮くろかみに笄かうがいして、雪ゆきの裲襠かいどりした貴夫人きふじんのやうに遙はるかに思おもつたのとは全然まるで違ちがひました。黒繻子くろじゆすの襟えりのかゝつた縞しまの小袖こそでに、些ちつとすき切ぎれのあるばかり、空色そらいろの絹きぬのおなじ襟えりのかゝつた筒袖こひぐちを、帶おびも見みえないくらゐ引合ひきあはせて、細ほつそりと着きて居ゐました。

其その姿すがたで手てをつきました。あゝ、うつくしい白しろい指ゆび、結立ゆひたての品ひんのいゝ圓髷まるまげの、情なさけらしい柔順すなほな髱たぼの耳朶みゝたぶかけて、雪ゆきなす項うなじが優やさしく清きよらかに俯向うつむいたのです。

生意氣なまいきに杖ステツキを持もつて立たつて居ゐるのが、目めくるめくばかりに思おもはれました。

「私わたしは……關せき……」

と名なを申まをして、

「蔦屋つたやさんのお孃ぢやうさんに、お目めにかゝりたくて參まゐりました。」

「米よねは私わたしでございます。」

と顏かほを上あげて、清すゞしい目めで熟じつと視みました。

私わたしの額ひたひは汗あせばんだ。――あのいつか額ひたひに置おかれた、手ての影かげばかり白しろく映うつる。

「まあ、關せきさん。――おとなにお成なりなさいました……」

此これですもの、可懷なつかしさはどんなでせう。

しかし、こゝで私わたしは初戀はつこひ、片かたおもひ、戀こひの愚癡ぐちを言いふのではありません。

……此この凄すごい吹雪ふゞきの夜よ、不思議ふしぎな事ことに出であひました、其そのお話はなしをするのであります。

四

その時ときは、四疊半かこひではありません。が、爐ろを切きつた茶ちやの室まに通とほされました。

時ときに、先客せんきやくが一人ひとりありまして爐ろの右みぎに居ゐました。氣高けだかいばかり品ひんのいゝ年としとつた尼あまさんです。失禮しつれいながら、此この先客せんきやくは邪魔じやまでした。それがために、いとゞ拙つたない口くちの、千せんの一ひとつも、何なんにも、ものが言いはれなかつたのであります。

「貴女あなたは煙草たばこをあがりますか。」

私わたしはお米よねさんが、其その筒袖こひぐちの優やさしい手てで、煙管きせるを持もつのを視みて然さう言いひました。

お米よねさんは、控ひかへて一寸ちよつと俯向うつむきました。

「何事なにごともわすれ草ぐさと申まをしますな。」

と尼あまさんが、能のうの面めんがものを言いふやうに言いひました。

「關せきさんは、今年ことし三十五にお成なりですか。」

とお米よねさんが先さきへ數かぞへて、私わたしの年としを訊たづねました。

「三碧さんぺきなう。」

と尼あまさんが言いひました。

「貴女あなたは?」

「私わたしは一ひとつ上うへ……」

「四緑しろくなう。」

と尼あまさんが又また言いひました。

――略りやくして申まをすのですが、其處そこへ案内あんないもなく、づか〱と入はひつて來きて、立状たちざまに一寸ちよつと私わたしを尻目しりめにかけて、爐ろの左ひだりの座ざについた一人にんがあります――山伏やまぶしか、隱者いんじやか、と思おもふ風采ふうさいで、ものの鷹揚おうやうな、惡わるく言いへば傲慢がうまんな、下手へたが畫ゑに描かいた、奧州あうしうめぐりの水戸みとの黄門くわうもんと言いつた、鼻はなの隆たかい、髯ひげの白しろい、早はや七十ばかりの老人らうじんでした。

「此これは關せきさんか。」

と、いきなり言いひます。私わたしは吃驚びつくりしました。

お米よねさんが、しなよく頷うなづきますと、

「左樣さやうか。」

と言いつて、此これから滔々たふ〱と辯べんじ出だした。其その辯べんずるのが都會とくわいに於おける私わたしども、なかま、なかまと申まをして私わたしなどは、ものの數かずでもないのですが、立派りつぱな、畫ゑの畫伯方せんせいがたの名なを呼よんで、片端かたつぱしから、奴やつがと苦にがり、彼あれめ、と蔑さげすみ、小僧こぞう、と呵々から〱と笑わらひます。

私わたしは五六尺しやく飛退とびさがつて叩頭おじぎをしました。

「汽車きしやの時間じかんがございますから。」

お米よねさんが、送おくつて出でました。花菜はななの中なかを半なかばの時とき、私わたしは香かに咽むせんで、涙なみだぐんだ聲こゑして、

「お寂さびしくおいでなさいませう。」

と精一杯せいいつぱいに言いつたのです。

「いゝえ、兄あにが一緒いつしよですから……でも大雪おほゆきの夜よなぞは、町まちから道みちが絶たえますと、こゝに私わたし一人ひとりきりで、五日いつかも六日むいかも暮くらしますよ。」

とほろりとしました。

「其そのかはり夏なつは涼すゞしうございます。避暑ひしよに行いらつしやい……お宿やどをしますよ。……其その時分じぶんには、降ふるやうに螢ほたるが飛とんで、此この水みづには菖蒲あやめが咲さきます。」

夜汽車よぎしやの火ひの粉こが、木きの芽峠めたうげを螢ほたるに飛とんで、窓まどには其その菖蒲あやめが咲さいたのです――夢ゆめのやうです。………あの老尼らうには、お米よねさんの守護神まもりがみ――はてな、老人らうじんは、――知事ちじの怨靈をんりやうではなかつたか。

そんな事ことまで思おもひました。

圓髷まるまげに結ゆつて、筒袖こひぐちを着きた人ひとを、しかし、其その二人ふたりは却かへつて、お米よねさんを祕密ひみつの霞かすみに包つゝみました。

三十路みそぢを越こえても、窶やつれても、今いまも其その美うつくしさ。片田舍かたゐなかの虎杖いたどりになぞ世よにある人ひととは思おもはれません。

ために、音信おとづれを怠おこたりました。夢ゆめに所ところがきをするやうですから。……とは言いへ、一ひとつは、日ひに増まし、不思議ふしぎに色いろの濃こく成なる爐ろの右左みぎひだりの人ひとを憚はゞかつたのであります。

音信おとづれして、恩人おんじんに禮れいをいたすのに仔細しさいはない筈はず。雖然けれども、下世話げせわにさへ言いひます。慈悲じひすれば、何なんとかする。……で、恩人おんじんと言いふ、其その恩おんに乘じやうじ、情なさけに附入つけいるやうな、賤いやしい、淺あさましい、卑劣ひれつな、下司げすな、無禮ぶれいな思おもひが、何どうしても心こゝろを離はなれないものですから、ひとり、自みづから憚はゞかられたのでありました。

私わたしは今いま、其處そこへ――

五

「あゝ、彼處あすこが鎭守ちんじゆだ――」

吹雪ふゞきの中なかの、雪道ゆきみちに、白しろく續つゞいた其その宮みやを、さながら峰みねに築きづいたやうに、高たかく朦朧もうろうと仰あふぎました。

「さあ、一息ひといき。」

が、其その息いきが吐つけません。

眞俯向まうつむけに行ゆく重おもい風かぜの中なかを、背後うしろからスツと輕かるく襲おそつて、裾すそ、頭かしらをどツと可恐おそろしいものが引包ひきつゝむと思おもふと、ハツとひき息いきに成なる時とき、さつと拔ぬけて、目めの前まへへ眞白まつしろな大おほきな輪わの影かげが顯あらはれます。とくる〱と𢌞まはるのです。𢌞まはりながら輪わを卷まいて、卷まき〱卷込まきこめると見みると、忽たちまち凄すさまじい渦うづに成なつて、ひゆうと鳴なりながら、舞上まひあがつて飛とんで行ゆく。……行ゆくと否いなや、續つゞいて背後うしろから卷まいて來きます。それが次第しだいに激はげしく成なつて、六むツ四よツ數かぞへて七なゝツ八やツ、身體からだの前後ぜんごに列れつを作つくつて、卷まいては飛とび、卷まいては飛とびます。巖いはにも山やまにも碎くだけないで、皆みな北海ほくかいの荒波あらなみの上うへへ馳はしるのです。――最もう此この渦うづがこんなに捲まくやうに成なりましては堪たへられません。此この渦うづの湧立わきたつ處ところは、其その跡あとが穴あなに成なつて、其處そこから雪ゆきの柱はしら、雪ゆきの人ひと、雪女ゆきをんな、雪坊主ゆきばうず、怪あやしい形かたちがぼツと立たちます。立たつて倒たふれるのが、其そのまゝ雪ゆきの丘をかのやうに成なる……其それが、右みぎに成なり、左ひだりに成なり、横よこに積つもり、縱たてに敷しきます。其その行ゆく處ところ、飛とぶ處ところへ、人ひとのからだを持もつて行いつて、仰向あをむけにも、俯向うつむかせにもたゝきつけるのです。

――雪難之碑せつなんのひ。――峰みねの尖とがつたやうな、其處そこの大木たいぼくの杉すぎの梢こずゑを、睫毛まつげにのせて倒たふれました。私わたしは雪ゆきに埋うもれて行ゆく………身動みうごきも出來できません。くひしばつても、閉とぢても、目口めくちに浸しむ粉雪こゆきを、しかし紫陽花あぢさゐの青あをい花片はなびらを吸すふやうに思おもひました。

――「菖蒲あやめが咲さきます。」――

螢ほたるが飛とぶ。

私わたしはお米よねさんの、清きよく暖あたゝかき膚はだを思おもひながら、雪ゆきにむせんで叫さけびました。

「魔まが妨さまたげる、天狗てんぐの業わざだ――あの、尼あまさんか、怪あやしい隱士いんしか。」

底本 / Source edition

底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店
1941(昭和16)年9月30日第1刷発行
1975(昭和50)年7月2日第2刷発行
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2005年11月1日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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泉 鏡花「雪霊記事」(旧字旧仮名)、底本『鏡花全集 卷二十一』岩波書店、1941年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001184_000050, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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