<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><TEI xmlns="http://www.tei-c.org/ns/1.0" xmlns:snh="https://w3id.org/soranoha/ns/tei" snh:vocab-version="1">
  <teiHeader>
    <fileDesc>
      <titleStmt>
        <title type="main" xml:lang="ja">農場開放顛末</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">のうじょうかいほうてんまつ</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>有島</surname><forename>武郎</forename><idno type="aozora-person-id">000025</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>ありしま</surname><forename>たけお</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Arishima</surname><forename>Takeo</forename></persName></author>
      </titleStmt>
      <publicationStmt>
        <publisher ref="https://w3id.org/soranoha/">Soranoha</publisher>
        <idno type="soranoha-work-identifier">001149_000025</idno>
        <idno type="aozora-work-id">001149</idno>
        <idno type="aozora-card-url">https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card1149.html</idno>
        <date when="2014-09-18">2014-09-18</date>
        <availability status="free">
          <licence target="https://creativecommons.org/publicdomain/mark/1.0/">The underlying work is in the public domain; Soranoha asserts no rights over it.</licence>
          <licence target="https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/">Soranoha's encoding of this work and the artifacts derived from it are dedicated to the public domain under CC0-1.0. Attribution is requested, not required. Full rights statement: <ptr target="https://w3id.org/soranoha/rights"/></licence>
        </availability>
      </publicationStmt>
      <sourceDesc>
        <bibl><title>日本の名随筆　別巻96　大正</title><publisher>作品社</publisher><date>1999（平成11）年2月25日</date><note type="input-edition">1999（平成11）年2月25日第1刷</note></bibl>
        <bibl><idno type="source-content-hash">sha256:ce5a1e5989b6017cdf1c98139bf55bd0e0e33c95d88f74b794aa555a3a25d235</idno></bibl>
        <bibl><idno type="primary-text-hash">sha256:d6182c568c6b3784b9b0f3961fe7ded3e8ee65e36de356b3c532128d849e8d7a</idno></bibl>
      </sourceDesc>
    </fileDesc>
    <encodingDesc>
      <styleDefDecl scheme="css"/>
      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
    </encodingDesc>
    <profileDesc>
      <langUsage>
        <language ident="ja">日本語</language>
      </langUsage>
      <textClass>
        <classCode scheme="#ndc">916</classCode>
        <classCode scheme="#aozora-orthography">新字旧仮名</classCode>
      </textClass>
    </profileDesc>
  </teiHeader>
  <text>
    <body>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-256-3205">小樽函館間の鉄道沿線の比羅夫駅の一つ手前に狩太といふのがある。それの東々北には蝦夷富士がありその裾を尻別の美河が流れてゐるが、その川に沿うた高台が私の狩太農場であります。この農場は、私の父が子供の可愛さから子供の内に世の中の廃りものが出来たときにその農場にゆけば食ひはぐれることはあるまいといふ考へからつくつたものであります。その当時この北海道の土地は財産を投じて経営する大規模の農場には五百町歩まで無償貸附し小規模の農場には五町歩を無償貸附したのでした。そしてその条件は其翌年の内に一部を開墾するといふので道庁から役人がきてそれを検べ一定の年限がたてばその土地をたゞで呉れるといふことになつてゐたのであります。それから地租はたしか十五年間は免ぜられてゐたと思ひます。私は札幌農学校を明治三十四年に卒業しましたが、三十二年からこの農場が私の父によつて経営されました。この農場の面積は四百五十町歩足らずなのであります。私は農学校を卒業する前年の夏にはじめてこの農場を訪れました。倶知安まで汽車で参つてそれから荷馬を用ひ随分と難儀していつたのでした。熊笹はこの天井位の高さにのびて見通しがきかないのみか樹木は天をくらくする位に繁つてゐました。そこに小さい掘立小屋をたてゝ開墾の事務所がありました。初めに入つた農民が八戸でありまして川に沿うたところに草で葺いた小屋をたてゝ開墾に従つたのでした。小作料なしで三年やり三年後から小作料がとれるとかうなつてゐました。その開墾の方法は秋にはいると熊笹に火を点けて焼き最初はそこに蕎麦を蒔く、それから二年目に麦を蒔き三年目からいくらかの収穫があるといふのでした。狩太の農場は三十二年からはじめて。三十七八年に至つて成墾いたし、こゝで私の父の所有になつたのであります。それ迄にどれ丈けの金がかゝつたかといふと凡そ二万であります。二万円ではやすく出来たのでありました。今この農場へ行つてみましても小作人の家屋はその最初と同じ掘立小屋なのであつて牛一頭も殖えてゐないのであります。私はこれを見て非常に変な感じに打たれたのでありますが、せめて家丈けでも板葺きの家が見られるやうになりたいといつても小作人は自分が経済が発展しやうがないので迷惑がるのであります。廿四五年たちました今は七十戸程に増してゐますがその内で障子をたてたりして幾分でも</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-3205-3226"><rb>住居</rb><rt>すまひ</rt></ruby><seg source="#source-3226-4914">らしくなつた家は、小作をし乍ら小金をためて他の小作へ金を貸したりした人のもので、農業ばかりしてゐた小作人の家はいつまでたつても草葺の掘つ立小屋なのであります。この農場の小作人の出入は随分激しく最初からの人はなく始めて七年後に入つたのが一人あります。併し他と比べて私の農場は変らない方なのであります。何分にも農場は太古から斧鉞が入らない原始の豊饒な土地なもので麦などは実に見事に出来るのですがそれにいゝ気になつて、肥料を施さぬものですから廿五六年もたつて全くひどく枯れて了ふといふことが起つてゐます。それに五六年目毎にはげしい虫害を蒙つてその年は小作料をとりあげられる丈でも苦しいといふことがあるのであります。かうした不安の上に、国内経済から国際経済に移つた為でせうが、外国からの穀物の輸入されるやうになつて、その収穫の作物の価の高低がはげしく時にはそれに投じた資金をも回収できない位に作物の価が廉くなるのであります。それから今一つ、この小作人と市場との間にたつ仲買といふのがその土地の作物を抵当にして恐ろしい利子にかけて所謂米塩の資を貸すのであります。小作人はこれにそれを借りねばならないのでありますがそのため時としては収穫したものをそのまゝ持つていかれて仕舞ふことがあるのであります。この仲買といふのが中々跋扈してゐます。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4914-5141">私は明治廿七八年頃から小作人の生活をみてゐますが実に悲惨なものでありまして、そのため私の農場の附近は現在小作権といふものに殆ど値がないのであります。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5141-5491">さて私は明治三十六年から明治四十年まで亜米利加に留学しました。亜米利加にゐるときクロポトキンの著作などに親しんだことから物の所有といふことに疑問を抱かされたのでありましたが、帰朝するとすぐ英語の教師となつて札幌に赴任いたしました。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は父の財産で少しの不自由もせずに修学してきたのですけれどほんとうのところそれで少しも圧迫されることが無かつたかといへばさうでもありませんでした。『一円の金でもそれは人力車夫が三日働かねば得られないものだ』と父に戒められたことを記憶してゐます。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5862-6884">人は財産があるがために親子の間の愛情は深められるといひますが私は全く反対だと思ふのです。本能としての愛で愛し合つてこそ其愛情が純粋さを保つのであつて経済関係が這入れば這入るほど鎖のやうなつながりに親子の間はなるのであるとかう信ぜられるのであります。私の家庭では毫も父によつて圧迫を感じさせられたことはなかつたのでしたが、私自身にとつて親子の間に私有財産が存在するといふことが常に一つの圧迫として私にはたらいてゐました。明治四十年頃に私はこの農場を投げだすことを言ひましたがそれは実行が困難でありそれに父に対して、たとひこのことが父のためにも恩恵を与へることになるとは知つてゐましたが、徒らに悲しませることになると思つたのでともかく父の生きてゐる間は黙つてゐることにしたのでした。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6884-7615">併し父も逝くなりそれに最近に至つてしなくてはならなくなつたから――つまり他人がどう思つてもいゝしたくてせずに居られなくなつたので愈かの農場を抛棄することになつたのであります。私が自分自身の為仕事を見出したといふこともこの抛棄の決心を固めさせてくれました。文学といふところに落着くことが出来た、それでその自分の為仕事を妨げようとするものはすべてかいやりたくなつて了つたので。それからもう一つは農民の状態をみるとどうしてもこのまゝにしておけない、このことも強く自分に迫つて参つたのでした。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7615-7758">狩太農場を開放するに到りました動機、それをたづねてみましたら先づ以上のやうなものであります。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7758-7896">私は昨年北海道に行きまして小作人の人々の前で私の考へをお話しました。そして私の趣旨も大体は</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-7896-7911"><rb>訳</rb><rt>わか</rt></ruby>つてくれました。そのとき私がいつたことは『泉』の第一号に小作人への告別として載せておきました。私はどう考へても生産の機関は私有にすべきものでない、それは公有若くは共有であるべき筈のものだ。私有財産としてこの農場からの収益は決して私が収める筈のものでない。小作料は貴君方自身の懐にいれてどうか仲よくやつていつて貰ひたいとお話したのでした。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8417-8806">これでもう私は引退ればいゝのでしたが、その後をいゝ結果のでるやうに組織運営されそこを共同的精神が支配出来るやうにといふ願ひから私はこの農場の組織と施設とを北海道大学農業経済の教室で作製して貰つたのであります。その案は最近に森本厚吉君から私の手に届きました。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8806-9612">それを見て第一に感じたことは今の日本の法律は共有財産を保護するといふ点に於て殆ど役に立たぬものでないかといふことでした。あの農場を小作人の共有にするといふことが許されないなら残つた方法は二つで財団法人にするか組合組織にするかであります。前者にするといはゞ専制政治のやうになつてそこに協調的施設が加はつても小作人自身は自分を共有的精神に訓練させることが困難となる。また組合組織にしても幾多の矛盾は避けがたく一例せば利益金の分配が極めて面倒なのであつてその創設のとき現金を多くもつた人が組合から一番多く利益をうけることになるのであります。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9612-10619">今度出来てきた施行案は土地は皆のものであるとして小作株といふのを持たしてあるので、そのため公有になつても実際の状態は私有制度だといはれるのであります。忠告してくれる人はその小作株は一応買取つて了つてそれの転売をも防ぎ利益配当の不平等もなくするやうに――そして名実ともに公有にせよといつてくれるのであります。土地の利益と持株の利益とを別にして了ふことも必要と思つてゐますが、兎も角充分に案に付き練りました上で、農園の総会に提出したいと考へてゐるのです。農民自身が自身をトレインするものでもつと自由な共産的規約に致しておきたく思つてゐます。今迄に例がないのでクリエイトするより仕方ありません。この農場は共産農園と名付けることを望んだのでしたが共生農園といふ名になりました。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10619-11420">私はこの共生農園の将来を決して楽観してゐない。それが四分八裂して遂に再び資本家の掌中に入ることは残念だが観念してゐる。武者小路氏の新しい村はともかく理解した人々の集まりだが私の農園は予備知識のない人々の集まりで而かも狼の如き資本家の中に存在するのであります。併し現在の状態では共産的精神は周囲がさうでない場合にその実行が結局不可能で自滅せねばならない、かく完全なプランの下でも駄目なものだ――この一つのプルーフを得る丈けで私は満足するものでこの将来がどうであるかといふことはエッセンシャルなことゝは思つてゐないものであります。（終）</seg></p>
    </body>
    <back>
      <div type="source">
        <note type="source-attribution" source="#source-11428-11650"><seg type="source-line">底本：「日本の名随筆　別巻96　大正」作品社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1999（平成11）年2月25日第1刷発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「有島武郎全集　第九巻」筑摩書房</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1981（昭和56）年4月</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-11650-11970"><seg type="source-line">入力：加藤恭子</seg><lb/><seg type="source-line">校正：篠原陽子</seg><lb/><seg type="source-line">2005年2月20日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
        <note type="source-span" xml:id="source-10619-11420" n="22"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-11428-11650" n="26"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-11650-11970" n="30"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-256-3205" n="11"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3205-3226" n="11"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3226-4914" n="11"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-4914-5141" n="12"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-5141-5491" n="13"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-5862-6884" n="15"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-6884-7615" n="16"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-7615-7758" n="17"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-7758-7896" n="18"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-7896-7911" n="18"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-8417-8806" n="19"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-8806-9612" n="20"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-9612-10619" n="21"/>
      </div>
      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
    </back>
  </text>
</TEI>