Soranoha

霜夜

しもよ

芥川 竜之介

霜夜の記憶の一つ。

いつものやうに机に向つてゐると、いつか十二時を打つ音がする。十二時には必ず寝ることにしてゐる。今夜もまづ本を閉ぢ、それからあした坐り次第、直に仕事にかかれるやうに机の上を片づける。片づけると云つても大したことはない。原稿用紙と入用の書物とを一まとめに重ねるばかりである。最後に火鉢の火の始末をする。はんねらの瓶に鉄瓶の湯をつぎ、その中へ火を一つづつ入れる。火は見る見る黒くなる。炭の鳴る音も盛んにする。水蒸気ももやもや立ち昇る。何か楽しい心もちがする。何か又はかない心もちもする。床は次の間にとつてある。次の間も書斎も二階である。寝る前には必ず下へおり、のびのびと一人小便をする。今夜もそつと二階を下りる。家族の眼をさまさせないやうに、出来るだけそつと二階を下りる。座敷の次の間に電燈がついてゐる。まだ誰か起きてゐるなと思ふ。誰が起きてゐるのかしらとも思ふ。その部屋の外を通りかかると、六十八になる伯母が一人、古い綿をのばしてゐる。かすかに光る絹の綿である。

「伯母さん」と云ふ。「まだ起きてゐたの?」と云ふ。「ああ、今これだけしてしまはうと思つて。お前ももう寝るのだらう?」と云ふ。後架の電燈はどうしてもつかない。やむを得ず暗いまま小便をする。後架の窓の外には竹が生えてゐる。風のある晩は葉のすれる音がする。今夜は音も何もしない。唯寒い夜に封じられてゐる。

薄綿はのばし兼ねたる霜夜かな

底本 / Source edition

底本:「芥川龍之介全集 第十巻」岩波書店
1996(平成8)年8月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:松永正敏
2002年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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芥川 竜之介「霜夜」(新字旧仮名)、底本『芥川龍之介全集 第十巻』岩波書店、1996年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001129_000879, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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