Soranoha

秋の暈

あきのかさ

織田 作之助

秋という字の下に心をつけて、愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う。まことにもの想う人は、季節の移りかわりを敏感に感ずるなかにも、わけていわゆる秋のけはいの立ちそめるのを、ひと一倍しみじみと感ずることであろう。私もまた秋のけはいをひとより早く感ずる方である。といって、もの想う故にではない。じつは毎夜徹夜しているからである。

私の徹夜癖は十九歳にはじまり、その後十年間この癖がなおらず、ことに近年は仕事に追われる時など、殆んど一日も欠さず徹夜することがしばしばである。それ故、およそ一年中の夜明けという夜明けを知っていると言ってもよいくらいだが、夜明けの美しいのはやはり秋、ことに夏から秋へ移ろうとする頃の夜明けであろう。

五尺八寸、十三貫、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は、裸で夜をすごすということは余りなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣をきて、机の前に坐っているのだが、八月にはいって間もなくの夜明けには、もう浴衣では肌寒い。ひとびとが宵の寝苦しい暑さをそのまま、夢に結んでいるときに、私はひんやりした風を肌に感じている。風鈴の音もにわかに清い。蝉の声もいつかきこえず、部屋のなかに迷い込んで来た虫を、夏の虫かと思って、団扇ではたくと、ちりちりとあわれな鳴声のまま、息絶える。鈴虫らしい。八月八日、立秋と、暦を見るまでもなく、ああ、もう秋だな、と私は感ずるのである。ひと一倍早く……。

四、五年前まえの八月のはじめ、信濃追分へ行ったことがあった。

追分は軽井沢、沓掛とともに浅間根腰の三宿といわれ、いまは焼けてしまったが、ここの油屋は昔の宿場の本陣そのままの姿を残し、堀辰雄氏、室生犀星氏、佐藤春夫氏その他多くの作家が好んでこの油屋へ泊りに来て、ことに堀辰雄氏などは一年中の大半をここの大名部屋か小姓の部屋かですごしていたくらい、伊豆湯ヶ島の湯本館と同様、作家たちに好かれた旅館であった。

十時何分かの夜行で上野を発った。高崎あたりで眠りだしたが、急にぞっとする涼気に、眼をさました。碓氷峠にさしかかっている。白樺の林が月明かりに見えた。すすきの穂が車窓にすれすれに、そしてわれもこうの花も咲いていた。青味がちな月明りはまるで夜明けかと思うくらいであった。しかし、まだ夜が明けていなかった。

やがて軽井沢につき、沓掛をすぎ、そして追分についた。

薄暗い駅に降り立つと、駅員が、

「信濃追分! 信濃追分!」

振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名を称んでいた。乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと泛びあがって来る。間もなく夜が明ける。

人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方の白樺の木に裸電球がかかっている。にぶいその灯のまわりに、秋の夜明けの寂けさが、暈のように集っていた。しみじみと遠いながめだった。夜露にぬれた道ばたには、高原の秋の花が可憐な色に咲いていた。私はしみじみと秋を感じた。暦ではまだ夏だったが……。

かつて、極めて孤独な時期が私にもあった。ある夜、暗い道を自分の淋しい下駄の音をききながら、歩いていると、いきなり暗がりに木犀の匂いが閃いた。私はなんということもなしに胸を温めた。雨あがりの道だった。

二、三日してアパートの部屋に、金木犀の一枝を生けて置いた。その匂いが私の孤独をなぐさめた。私は匂いの逃げるのを恐れて、カーテンを閉めた。しかし、その隙間から、肌寒い風が忍び込んで来た。そして私のさびしい心の中をしずかに吹き渡った。それが私を悲しませた。

一週間すると、金木犀の匂いが消えた。黄色い花びらが床の間にぽつりぽつりと落ちた。私はショパンの「雨だれ」などを聴くのだった。そして煙草を吸うと、冷え冷えとした空気が煙といっしょに、口のなかにはいって行った。それがなぜともなしに物悲しかった。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第12刷発行
底本の親本:「定本織田作之助全集 第八巻」文泉堂出版
1976(昭和51)年4月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:渡邉つよし
校正:今井忠夫
2000年10月13日公開
2013年8月12日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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織田 作之助「秋の暈」(新字新仮名)、底本『日本の名随筆19 秋』作品社、1984年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001041_000040, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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