一

臆病者というのは、勇気の無い<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事をこいねがうの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持った者、殊に手足まといの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願うの念が強いのである。

一朝<ruby><rb>禍</rb><rt>わざわい</rt></ruby>を蹈むの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害はその惨の甚しいものがあるからであろう。

天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の<ruby><rb>極</rb><rt>きょく</rt></ruby>なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、<ruby><rb>自</rb><rt>みずか</rt></ruby>ら<ruby><rb>振作</rb><rt>しんさ</rt></ruby>するの勇気は、もって笑いつつ天災地変に臨むことができると思うものの、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考えても事に対する処決は単純を許さない。思慮分別の意識からそうなるのではなく、自然的な極めて力強い余儀ないような感情に壓せられて勇気の振いおこる余地が無いのである。

宵から降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち<ruby><rb>激</rb><rt>たぎ</rt></ruby>つ水の音、ひたすら<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>なかれと祈る人の心を、有る限りの<ruby><rb>音声</rb><rt>おんせい</rt></ruby>をもって<ruby><rb>脅</rb><rt>おびやか</rt></ruby>すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。

少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢か<ruby><rb>現</rb><rt>うつつ</rt></ruby>かの差別は判らないのである。外は明るくなって夜は明けて来たけれど、雨は夜の明けたに何の関係も無いごとく降り続いている。夜を降り通した雨は、又昼を降り通すべき気勢である。

さんざん耳から<ruby><rb>脅</rb><rt>おびやか</rt></ruby>された人は、夜が明けてからは更に目からも脅される。庭一面に<ruby><rb>漲</rb><rt>みなぎ</rt></ruby>り込んだ水上に水煙を立てて、雨は<ruby><rb>篠</rb><rt>しの</rt></ruby>を突いているのである。庭の飛石は<ruby><rb>一箇</rb><rt>ひとつ</rt></ruby>も見えてるのが無いくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。

もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと<ruby><rb>若</rb><rt>わか</rt></ruby>い<ruby><rb>衆</rb><rt>しゅ</rt></ruby>も訴えて来た。

最も臆病に、最も内心に恐れておった自分も、<ruby><rb>側</rb><rt>はた</rt></ruby>から騒がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>をして、何ほど増して来たところで溜り水だから高が知れてる。そんなにあわてて騒ぐに及ばないと<ruby><rb>一喝</rb><rt>いっかつ</rt></ruby>した。そうしてその一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心が揺いだのであった。雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まって来る。

強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うことを、秒時もゆるがせにしてはいない。

不安――恐怖――その堪えがたい<ruby><rb>懊悩</rb><rt>おうのう</rt></ruby>の苦しみを、この際幾分か<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>らかそうには、体躯を運動する外はない。自分は横川天神川の増水<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>を見て来ようとわれ知らず身を起した。出掛けしなに妻や子供たちにも、いざという時の準備を命じた。それも準備の必要を考えたよりは、彼らに手仕事を授けて、いたずらに懊悩することを軽めようと思った方が多かった。

干潮の刻限である為か、河の水はまだ意外に低かった。<ruby><rb>水口</rb><rt>みずぐち</rt></ruby>からは水が随分盛んに落ちている。ここで雨さえやむなら、心配は無いがなアと、思わず嘆息せざるを得なかった。

水の<ruby><rb>溜</rb><rt>たま</rt></ruby>ってる面積は五、六町内に<ruby><rb>跨</rb><rt>また</rt></ruby>がってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがりと<ruby><rb>迂曲</rb><rt>うきょく</rt></ruby>している。水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降った水の半分も落ちきらぬ内に、上げ潮の刻限になってしまう。上げ潮で河水が多少水口から突上るところへ更に雨が強ければ、立ちしか間にこの一区劃内に湛えてしまう。自分は水の心配をするたびに、ここの工事をやった人の、馬鹿馬鹿しきまで実務に不忠実な事を<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れるのである。

大洪水は別として、排水の装置が実際に適しておるならば、一日や二日の雨の為に、この<ruby><rb>町中</rb><rt>まちなか</rt></ruby>へ水を湛うるような事は無いのである。<ruby><rb>人事</rb><rt>じんじ</rt></ruby>僅かに至らぬところあるが為に、幾百千の人が、一通りならぬ苦しみをすることを思うと、かくのごとき実務的の仕事に、ただ形ばかりの仕事をして、平気な人の不親切を嘆息せぬ訳にゆかないのである。

自分は三か所の水口を検して家に帰った。水は三か所へ落ちているにかかわらず、わが庭の水層は少し増しておった。河の水はどうですかと、家の者から口々に問わるるにつけても、ここで雨さえ小降りになるなら心配は無いのだがなアと、思わず又嘆息を繰返すのであった。

一時間に五<ruby><rb>分</rb><rt>ぶ</rt></ruby>ぐらいずつ増してるから、これで見ると床へつくにはまだ十時間ある訳だ。いつでも畳を上げられる用意さえして置けば、住居の方は差当り心配はないとしても、もう捨てて置けないのは牛舎だ。<ruby><rb>尿板</rb><rt>ばりいた</rt></ruby>の後方へは水がついてるから、牛は一頭も残らず<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>ってる。そうしてその<ruby><rb>後足</rb><rt>あとあし</rt></ruby>には皆一寸ばかりずつ水がついてる。豪雨は牛舎の屋根に<ruby><rb>鳴音</rb><rt>めいおん</rt></ruby>烈しく、ちょっとした会話が聞取れない。いよいよ平和の希望は絶えそうになった。

人が、自殺した人の苦痛を想像して見るにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感ずるのであろう。しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の懊悩が、遥かに自殺そのものよりも苦しいのでなかろうか。自殺の凶器が、<ruby><rb>目前</rb><rt>もくぜん</rt></ruby>に横たわった時は、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか。

豪雨の声は、自分に自殺を強いてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。

死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや<ruby><rb>一縷</rb><rt>いちる</rt></ruby>の望みを掛けているものならば、なおさらその覚悟の中に用意が無ければならぬ。

何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟は必ず相当の時機を待たねばならぬ。

豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮頃にでも<ruby><rb>歇</rb><rt>や</rt></ruby>むものか、もしくは今にも<ruby><rb>歇</rb><rt>や</rt></ruby>むものか、<ruby><rb>一切</rb><rt>いっさい</rt></ruby>判らないが、その降り止む時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日の事は判らない。判らぬ事には覚悟のしようもなく策の立てようも無い。厭でも<ruby><rb>中有</rb><rt>ちゅうう</rt></ruby>につられて不安状態におらねばならぬ。

しかしながら牛の後足に水がついてる眼前の事実は、もはや何を考えてる余地を与えない。自分はそれに促されて、明日の事は明日になってからとして、ともかくも今夜一夜を<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>ぐ画策を定めた。

自分は猛雨を冒して材木屋に走った。同業者の幾人が同じ目的をもって多くの材料を求め走ったと聞いて、自分は更に恐怖心を高めた。

五寸<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>の土台数十丁一寸<ruby><rb>厚</rb><rt>あつ</rt></ruby>みの<ruby><rb>松板</rb><rt>まついた</rt></ruby>数十枚は時を移さず、牛舎に運ばれた。もちろん大工を呼ぶ暇は無い。三人の男共を指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活動した結果、牛舎には<ruby><rb>床上</rb><rt>ゆかうえ</rt></ruby>更に五寸の<ruby><rb>仮床</rb><rt>かりゆか</rt></ruby>を造り得た。かくて二十頭の牛は水上五寸の<ruby><rb>架床</rb><rt>かしょう</rt></ruby>上に争うて<ruby><rb>安臥</rb><rt>あんが</rt></ruby>するのであった。<ruby><rb>燃材</rb><rt>ねんざい</rt></ruby>の始末、飼料品の片づけ、為すべき仕事は無際限にあった。

人間に対する用意は、まず畳を上げて、<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby><ruby><rb>障子</rb><rt>しょうじ</rt></ruby><ruby><rb>諸財一切</rb><rt>しょざいいっさい</rt></ruby>の始末を、<ruby><rb>先年</rb><rt>せんねん</rt></ruby><ruby><rb>大水</rb><rt>おおみず</rt></ruby>の標準によって、処理し終った。<ruby><rb>並</rb><rt>なみ</rt></ruby>の席より<ruby><rb>尺余</rb><rt>しゃくよ</rt></ruby><ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>を高くして置いた一室と<ruby><rb>離屋</rb><rt>はなれ</rt></ruby>の茶室の一間とに、家族十人の者は<ruby><rb>二分</rb><rt>にぶん</rt></ruby>して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に悦んだ。そうして間もなく無心に眠ってしまった。二人の姉共と彼らの母とは、この気味の悪い雨の夜に別れ別れに寝るのは心細いというて、雨を<ruby><rb>冒</rb><rt>おか</rt></ruby>し水を渡って茶室へやって来た。

それでも、これだけの事で済んでくれればありがたいが、明日はどうなる事か……取片づけに掛ってから幾たびも幾たびもいい合うた事を又も繰返すのであった。あとに残った子供たちに呼び立てられて、<ruby><rb>母娘</rb><rt>おやこ</rt></ruby>は寂しい影を夜の雨に<ruby><rb>没</rb><rt>ぼっ</rt></ruby>して去った。

遂にその夜も豪雨は降りとおした。実に<ruby><rb>二夜</rb><rt>ふたよ</rt></ruby>と一日、三十六時間の豪雨はいかなる結果を<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>すべきか。翌日は晃々と日が照った。水は少しずつ増しているけれど、牛の足へもまだ水はつかなかった。避難の<ruby><rb>二席</rb><rt>にせき</rt></ruby>にもまだ五、六寸の余裕はあった。新聞紙は諸方面の水害と今後の警戒すべきを特報したけれど、天気になったという事が、非常にわれらを気強く思わせる。よし河の水が増して来たところで、どうにか<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>ぎのつかぬ事は無かろうなどと考えつつ、懊悩の頭も大いに軽くなった。

平和に<ruby><rb>渇</rb><rt>かつ</rt></ruby>した頭は、とうてい安んずべからざるところにも、強いて<ruby><rb>安居</rb><rt>あんご</rt></ruby>せんとするものである。

二

<ruby><rb>大雨</rb><rt>たいう</rt></ruby>が晴れてから二日目の午後五時頃であった。世間は恐怖の<ruby><rb>色調</rb><rt>しきちょう</rt></ruby>をおびた騒ぎをもって満たされた。<ruby><rb>平生</rb><rt>へいぜい</rt></ruby>聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を<ruby><rb>振蕩</rb><rt>しんとう</rt></ruby>して起った。

天神川も<ruby><rb>溢</rb><rt>あふ</rt></ruby>れ、<ruby><rb>竪川</rb><rt>たてかわ</rt></ruby>も溢れ、横川も溢れ出したのである。平和は<ruby><rb>根柢</rb><rt>こんてい</rt></ruby>から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>、何を<ruby><rb>顧</rb><rt>かえり</rt></ruby>みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を<ruby><rb>叱</rb><rt>しっ</rt></ruby>して乳牛の避難にかかった。かねてここと<ruby><rb>見定</rb><rt>みさだ</rt></ruby>めて置いた高架鉄道の線路に添うた<ruby><rb>高地</rb><rt>こうち</rt></ruby>に向って牛を引き出す手筈である。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどではない。

自分はまず<ruby><rb>黒白斑</rb><rt>くろしろぶち</rt></ruby>の牛と赤牛との二頭を<ruby><rb>牽出</rb><rt>ひきだ</rt></ruby>す。彼ら無心の<ruby><rb>毛族</rb><rt>けもの</rt></ruby>も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又<ruby><rb>自</rb><rt>おのず</rt></ruby>から<ruby><rb>牽手</rb><rt>ひきて</rt></ruby>の心を興奮させる。自分は二頭の<ruby><rb>牝牛</rb><rt>めうし</rt></ruby>を引いて門を出た。腹部まで水に<ruby><rb>浸</rb><rt>ひた</rt></ruby>されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂い廻る。もとより<ruby><rb>溝</rb><rt>どぶ</rt></ruby>も道路も判らぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の<ruby><rb>手綱</rb><rt>たづな</rt></ruby>を採って、ほとんど<ruby><rb>制馭</rb><rt>せいぎょ</rt></ruby>の道を失った。そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。

<ruby><rb>人畜</rb><rt>じんちく</rt></ruby>を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に<ruby><rb>漬</rb><rt>つか</rt></ruby>っては戦士が<ruby><rb>傷</rb><rt>きず</rt></ruby>ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は<ruby><rb>四肢</rb><rt>しし</rt></ruby>の<ruby><rb>節々</rb><rt>ふしぶし</rt></ruby>に振動した。二頭の乳牛を両腕の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛の避難を終え、翌日一日分の飼料をも用意し得た。

水層はいよいよ高く、<ruby><rb>四</rb><rt>よ</rt></ruby>ツ<ruby><rb>目</rb><rt>め</rt></ruby>より<ruby><rb>太平町</rb><rt>たいへいちょう</rt></ruby>に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。

水を恐れて雨に懊悩した時は、未だ直接に水に触れなかったのだ。それで水が恐ろしかったのだ。濁水を冒して乳牛を引出し、身もその濁水に没入してはもはや水との争闘である。奮闘は目的を遂げて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た<ruby><rb>心地</rb><rt>ここち</rt></ruby>である。

洪水の襲撃を受けて、失うところの<ruby><rb>大</rb><rt>だい</rt></ruby>なるを<ruby><rb>悵恨</rb><rt>ちょうこん</rt></ruby>するよりは、一方のかこみを打破った奮闘の勇気に快味を覚ゆる時期である。化膿せる<ruby><rb>腫物</rb><rt>しゅもつ</rt></ruby>を<ruby><rb>切開</rb><rt>せっかい</rt></ruby>した後の痛快は、やや自分の今に近い。打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、総ての懊悩を一掃した快味である。わが家の水上僅かに屋根ばかり現われおる<ruby><rb>状</rb><rt>さま</rt></ruby>を見て、いささかも痛恨の念の湧かないのは、その快味がしばらくわれを支配しているからであるまいか。

日は暮れんとして空は又雨模様である。<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>に聞ゆる水の音は、今の自分にはもはや壮快に聞えて来た。自分は四方を眺めながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。

うず高に水を盛り上げてる天神川は、盛んに濁水を両岸に<ruby><rb>奔溢</rb><rt>ほんいつ</rt></ruby>さしている。薄暗く曇った夕暮の底に、濁水の溢れ落つる白泡が、夢かのようにぼんやり見渡される。恐ろしいような、面白いような、いうにいわれない一種の強い刺戟に打たれた。

遠く亀戸方面を見渡して見ると、黒い水が漫々として大湖のごとくである。<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>に浮いてる<ruby><rb>家棟</rb><rt>やのむね</rt></ruby>は多くは軒以上を水に没している。なるほど洪水じゃなと<ruby><rb>嗟嘆</rb><rt>さたん</rt></ruby>せざるを得なかった。

亀戸には同業者が多い。まだ避難し得ない牛も多いと見え、そちこちに牛の叫び声がしている。暗い水の上を伝わって、長く尻声を引く。聞く耳のせいか溜らなく厭な声だ。稀に散在して見える三つ四つの燈火がほとんど水にひッついて、水平線の上に浮いてるかのごとく、寂しい光を漏らしている。

何か人声が遠くに聞えるよと耳を立てて聞くと、助け舟は無いかア……助け舟は無いかア……と叫ぶのである。それも三回ばかりで声は止んだ。水量が盛んで人間の騒ぎも壓せられてるものか、割合に世間は静かだ。まだ宵の口と思うのに、水の音と牛の鳴く声の外には、あまり人の騒ぎも聞えない。<ruby><rb>寥々</rb><rt>りょうりょう</rt></ruby>として寒そうな水が漲っている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかも判らぬ。鉄橋を引返してくると、牛の声は<ruby><rb>幽</rb><rt>かす</rt></ruby>かになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴ってる。自分は眼前の問題にとらわれてわれ知らず時間を費やした。来て見れば乳牛の近くに若者たちもいず、わが乳牛は多くは安臥して<ruby><rb>食</rb><rt>は</rt></ruby>み返しをやっておった。

何事をするも明日の事、今夜はこれでと思いながら、主なき家の有様も一見したく、自分は再び猛然水に投じた。道路よりも少しく低いわが家の門内に入ると足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。

<ruby><rb>幸</rb><rt>さいわい</rt></ruby>に家族の者が逃げる時に消し忘れたものらしく、ランプが<ruby><rb>点</rb><rt>とも</rt></ruby>して釣り下げてあった。天井高く釣下げたランプの尻にほとんど水がついておった。<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>の上に昇って水は乳まであった。<ruby><rb>醤油樽</rb><rt>しょうゆだる</rt></ruby>、炭俵、下駄箱、上げ板、薪、雑多な<ruby><rb>木屑</rb><rt>きくず</rt></ruby>等有ると有るものが浮いている。どろりとした汚い<ruby><rb>悪水</rb><rt>おすい</rt></ruby>が、身動きもせず、ひしひしと家一ぱいに這入っている。自分はなお一渡り奥の方まで一見しようと、ランプに手を掛けたら、どうかした拍子に火は消えてしまった。後は闇々黒々、身を動かせば雑多な浮流物が体に触れるばかりである。それでも自分は手探り足探りに奥まで進み入った。浮いてる物は胸にあたる、顔にさわる。畳が浮いてる、<ruby><rb>箪笥</rb><rt>たんす</rt></ruby>が浮いてる、夜具類も浮いてる。それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。

自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。

家族の逃げて行った二階は七畳ばかりの一室であった。その家の人々の外に他よりも四、五人逃げて来ておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ膝と膝を突合せて坐しおるのである。

罪に触れた者が捕縛を恐れて逃げ隠れしてる<ruby><rb>内</rb><rt>うち</rt></ruby>は、一刻も精神の休まる時が無く、夜も安くは眠られないが、いよいよ捕えられて獄中の人となってしまえば、気も安く心も<ruby><rb>暢</rb><rt>の</rt></ruby>びて、愉快に熟睡されると聞くが、自分の今夜の状態はそれに等しいのであるが、将来の事はまだ考える余裕も無い、煩悶苦悩決せんとして決し得なかった問題が解決してしまった自分は、この数日来に無い、心安い熟睡を遂げた。頭を曲げ手足を縮め<ruby><rb>海老</rb><rt>えび</rt></ruby>のごとき状態に困臥しながら、なお気安く心地爽かに眠り得た。数日来の苦悩は跡形も無く消え去った。ために体内新たな活動力を得たごとくに思われたのである。

実際の状況はと見れば、僅かに人畜の生命を保ち得たのに過ぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷を極めているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬ訳にゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を哀嘆してる暇がない為であろう。人間も無事だ、牛も無事だ、よしといったような、爽快な気分で朝まで熟睡した。

家の雞が鳴く、家の雞が鳴く、という子供の声が耳に入って眼を覚した。<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>って窓外を見れば、濁水を一ぱいに湛えた、わが家の周囲の一廓に、ほのぼのと夜は明けておった。忘れられて取残された雞は、主なき<ruby><rb>水漬屋</rb><rt>みづきや</rt></ruby>に、常に変らぬのどかな声を長く引いて時を告ぐるのであった。

三

一時の急を免れた避難は、人も家畜も一夜の宿りがようやくの事であった。自分は知人<ruby><rb>某氏</rb><rt>なにがしし</rt></ruby>を両国に<ruby><rb>訪</rb><rt>と</rt></ruby>うて第二の避難を<ruby><rb>謀</rb><rt>はか</rt></ruby>った。侠気と同情に富める<ruby><rb>某氏</rb><rt>なにがしし</rt></ruby>は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってくれ、牛は<ruby><rb>回向院</rb><rt>えこういん</rt></ruby>の庭に置くことを諾された。天候<ruby><rb>情</rb><rt>じょう</rt></ruby>なくこの日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに等しき避難者は、男女老幼、雨具も無きが多く、陸続として、約二十町の間を引ききりなしに渡り行くのである。十八を<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>に赤子の<ruby><rb>守子</rb><rt>もりこ</rt></ruby>を合して九人の子供を引連れた一族もその内の一群であった。大人はもちろん大きい子供らはそれぞれ<ruby><rb>持物</rb><rt>もちもの</rt></ruby>がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない<ruby><rb>素足</rb><rt>すあし</rt></ruby>を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象を残した。

もう家族に心配はいらない。これから牛という事でその手配にかかった。人数が少くて数回にひくことは容易でない。二十頭の乳牛を二回に牽くとすれば、十人の人を要するのである。雨の降るのにしかも大水の中を牽くのであるから、無造作には人を得られない。<ruby><rb>某氏</rb><rt>なにがしし</rt></ruby>の尽力によりようやく午後の三時頃に至って人を頼み得た。

なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の附近から高架線の上を<ruby><rb>本所</rb><rt>ほんじょ</rt></ruby>停車場に出て、横川に添うて<ruby><rb>竪川</rb><rt>たてかわ</rt></ruby>の<ruby><rb>河岸</rb><rt>かし</rt></ruby>通を西へ両国に至るべく順序を<ruby><rb>定</rb><rt>さだ</rt></ruby>めて出発した。雨も止んで来た。この間の日の暮れない内に牽いてしまわねばならない。人々は勢い込んで乳牛の所在地へ集った。

用意はできた。この上は鉄道員の<ruby><rb>許諾</rb><rt>きょだく</rt></ruby>を得、少しの間線路を通行させて貰わねばならぬ。自分は駅員の集合してる所に到って、かねて避難している乳牛を引上げるについてここより本所停車場までの線路の通行を許してくれと乞うた。駅員らは何か話合うていたらしく、自分の切願に<ruby><rb>一顧</rb><rt>いっこ</rt></ruby>をくれるものも無く、挨拶もせぬ。

いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、是非お許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛を牽く事ができませんから、と自分は<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>を<ruby><rb>尽</rb><rt>つく</rt></ruby>して哀願した。

そんな事は出来ない。いったいあんな所へ牛を置いちゃいかんじゃないか。

それですからこれから牽くのですが。

それですからって、あんな所へ牛を置いて届けても来ないのは不都合じゃないか。

無情冷酷……しかも<ruby><rb>横柄</rb><rt>おうへい</rt></ruby>な駅員の態度である。精神興奮してる自分は、<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>に<ruby><rb>障</rb><rt>さわ</rt></ruby>って<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>らなくなった。

君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。

ほとんど口の先まで出たけれど、僅かにこらえて更に哀願した。結局避難者を乗せる為に列車が来るから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうして何時頃来るかといえば、それは判らぬという。そのじつ判っているのである。配下の一員は親切に一時間と経ない内に来るからと注意してくれた。

かれこれ空しく時間を送った為に、日の暮れない内に二回牽くつもりであったのが、一回牽き出さない内に暮れかかってしまった。

なれない人たちには、荒れないような牛を<ruby><rb>見計</rb><rt>みはか</rt></ruby>らって引かせることにして、自分は<ruby><rb>先頭</rb><rt>せんとう</rt></ruby>に大きい<ruby><rb>赤白斑</rb><rt>あかしろぶち</rt></ruby>の<ruby><rb>牝牛</rb><rt>めうし</rt></ruby>を引出した。十人の人が引続いて後から来るというような事にはゆかない。自分は続く人の無いにかかわらず、まっすぐに停車場へ降りる。全く日は暮れて僅かに水面の白いのが見えるばかりである。鉄橋の下は意外に深く、ほとんど胸につく深さで、奔流しぶきを飛ばし、少しの間流れに<ruby><rb>遡</rb><rt>さかのぼ</rt></ruby>って進めば、牛はあわて狂うて先に出ようとする。自分は胸きりの水中容易に進めないから、しぶきを全身に浴びつつ水に<ruby><rb>咽</rb><rt>む</rt></ruby>せて顔を<ruby><rb>正面</rb><rt>まとも</rt></ruby>に向けて進むことはできない。ようやく<ruby><rb>埒</rb><rt>らち</rt></ruby>外に出れば、それからは流れに従って行くのであるが、先の日に石や土俵を積んで防禦した、その石や土俵が道中に散乱してあるから、水中に牛も<ruby><rb>躓</rb><rt>つまず</rt></ruby>く人も躓く。

わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてしかも馴れない人たちの事が気にかかるのである。自分はしばらく牛を<ruby><rb>控</rb><rt>ひか</rt></ruby>えて後から来る人たちの様子を窺うた。それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を<ruby><rb>務</rb><rt>つと</rt></ruby>めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。某氏の激励至らざるなく、それでようやく欠員の補充もできた。二回目には自分は最後に廻った。ことごとく人々を先に出しやって一渡り後を見廻すと、八升入の牛乳鑵が二つバケツが<ruby><rb>三箇</rb><rt>みっつ</rt></ruby>残ってある。これは明日に入用の品である。若い者の取落したのか、下の帯一筋あったを幸に、それにて牛乳鑵を<ruby><rb>背負</rb><rt>せお</rt></ruby>い、三箇のバケツを左手にかかえ右手に牛の<ruby><rb>鼻綱</rb><rt>はなづな</rt></ruby>を取って<ruby><rb>殿</rb><rt>しんがり</rt></ruby>した。自分より一歩先に行く男は始めて牛を牽くという男であったから、幾度か牛を手離してしまう。そのたびに自分は、その牛を捕えやりつつ擁護の任を兼ね、土を洗い去られて、石川といった、<ruby><rb>竪</rb><rt>たて</rt></ruby>川の河岸を練り歩いて来た。もうこれで終了すると思えば心にも余裕ができる。

道々考えるともなく、自分の今日の奮闘はわれながら意想外であったと思うにつけ、深夜十二時あえて見る人もないが、わがこの容態はどうだ。腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。<ruby><rb>臍</rb><rt>へそ</rt></ruby>も<ruby><rb>脛</rb><rt>はぎ</rt></ruby>も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。

自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、果なき人生に露のごとき命を<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>って、こんな醜態をも厭わない情なさ、何という卑しき心であろう。

前の牛もわが引く牛も今は落ちついて静かに歩む。二つ目より西には水も無いのである。手に足に気くばりが無くなって、考えは先から先へ進む。

超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を<ruby><rb>解得</rb><rt>かいとく</rt></ruby>し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情ない。たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀なき事の勢いに迫ったにせよ、あまりに蛮性の露出である。こんな事が奮闘であるならば、奮闘の価は卑しいといわねばならぬ。しかし心を卑しくするのと、体を卑しくするのと、いずれが卑しいかといえば、心を卑しくするの最も卑しむべきはいうまでも無いことである。そう思うて見ればわが今夜の醜態は、ただ体を卑しくしたのみで、心を卑しくしたとはいえないのであろうか。しかし、心を卑しくしないにせよ、体を卑しくしたその事の恥ずべきは少しも減ずる訳ではないのだ。

先着の<ruby><rb>伴牛</rb><rt>ともうし</rt></ruby>はしきりに友を呼んで鳴いている。わが引いている牛もそれに応じて一声高く鳴いた。自分は夢から<ruby><rb>覚</rb><rt>さ</rt></ruby>めた<ruby><rb>心地</rb><rt>ここち</rt></ruby>になって、覚えず手に持った鼻綱を<ruby><rb>引詰</rb><rt>ひきつ</rt></ruby>めた。

四

水は一日に一寸か二寸しか減じない。五、六日経っても七寸とは減じていない。水に<ruby><rb>漬</rb><rt>つか</rt></ruby>った<ruby><rb>一切</rb><rt>いっさい</rt></ruby>の物いまだに手の着けようがない。その後も<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>か雨が降った。乳牛は<ruby><rb>露天</rb><rt>ろてん</rt></ruby>に立って雨たたきにされている。同業者の消息もようやく判って来た。亀戸の<ruby><rb>某</rb><rt>なにがし</rt></ruby>は十六頭殺した。<ruby><rb>太平</rb><rt>たいへい</rt></ruby>町の某は十四頭を、大島町の某は<ruby><rb>犢</rb><rt>こうし</rt></ruby>十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。

疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごとく雨の音水の騒ぎである。最も懊悩に堪えないのは、実際雨が降って音の聞ゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨に濡れて露天に立っているのは考えるに堪えない苦しみである。何ともたとえようのない<ruby><rb>情</rb><rt>なさけ</rt></ruby>なさである。自分が雨中を奔走するのはあえて苦痛とは思わないが、牛が雨を浴みつつ泥中に立っているのを見ては、言語にいえない<ruby><rb>切</rb><rt>せつ</rt></ruby>なさを感ずるのである。

若い衆は代り代り病気をする。水中の物もいつまで捨てては置けず、自分の為すべき事は無際限である。自分は日々朝<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>をはいて立ち、夜まで脱ぐ<ruby><rb>遑</rb><rt>いとま</rt></ruby>がない。避難五日目にようやく牛の為に雨掩いができた。

眼前の迫害が無くなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとしている。一度減じた量は決して元に恢復せぬのが常である。乳量が恢復せないで、<ruby><rb>妊孕</rb><rt>にんよう</rt></ruby>の期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されて来ると、天災に反抗し奮闘したのも極めて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。

生活の革命……八人の<ruby><rb>児女</rb><rt>じじょ</rt></ruby>を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。

残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。<ruby><rb>汝</rb><rt>なんじ</rt></ruby>は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は即時に安心ができぬと答えた。いよいよ余儀ない場合に迫って、そうするより外に道が無かったならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の惨憺たる有様を想見するより<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>に何らの答を為し得ない。

一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰って来ないという。自分は<ruby><rb>蹶起</rb><rt>けっき</rt></ruby>して<ruby><rb>乳搾</rb><rt>ちちしぼ</rt></ruby>りに手をかさねばならぬ。天気がよければ家内らは運び来った濡れものの仕末に眼の廻るほど忙しい。

家浮沈の問題たる前途の考えも、<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>き難い目前の仕事に<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>われてはそのままになる。見舞の手紙見舞の人、一々応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見廻ることもある。夜は疲労して座に堪えなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覚え、その業に堪え難き思いがするものの、常よりも快美に進む食事を取りつつひとたび草鞋を踏みしめて起つならば、自分の<ruby><rb>四肢</rb><rt>しし</rt></ruby>は<ruby><rb>凛</rb><rt>りん</rt></ruby>として振動するのである。

肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もいつしか<ruby><rb>屏息</rb><rt>へいそく</rt></ruby>して、愉快に奮闘ができるのは妙である。八人の<ruby><rb>児女</rb><rt>じじょ</rt></ruby>があるという痛切な観念が、常に肉体を興奮せしめ、その苦痛を忘れしめるのか。

あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。

破壊後の生活は、<ruby><rb>総</rb><rt>すべ</rt></ruby>ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。

自分は一日大道を闊歩しつつ、突然として思い浮んだ。自分の反抗的奮闘の精力が、これだけ<ruby><rb>強堅</rb><rt>きょうけん</rt></ruby>であるならば、<ruby><rb>一切</rb><rt>いっさい</rt></ruby>迷うことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの労働をすれば、何の苦労も心配もいらぬ事だ。今まで文芸などに遊んでおった身で、これが果してできるかと自問した。自分の心は無造作にできると明答した。文芸を三、四年間<ruby><rb>放擲</rb><rt>ほうてき</rt></ruby>してしまうのは、いささかの<ruby><rb>狐疑</rb><rt>こぎ</rt></ruby>も要せぬ。

肉体を安んじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神を安んずるのがよいか。こう考えて来て自分は愉快でたまらなくなった。われ知らず問題は解決したと<ruby><rb>独語</rb><rt>どくご</rt></ruby>した。

五

水が減ずるに従って、後の始末もついて行く。運び残した財物も少くないから、夜を守る考えも起った。物置の天井に一坪に足らぬ場所を発見してここに蒲団を<ruby><rb>展</rb><rt>の</rt></ruby>べ、自分はそこに横たわって見た。これならば夜をここに寝られぬ事もないと思ったが、ここへ眠ってしまえば少しも夜の守りにはならないと気づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた体を横たえて休息するには都合がよかった。

人は境遇に支配されるものであるということだが、自分は僅かに<ruby><rb>一身</rb><rt>いっしん</rt></ruby>を入るるに足る狭い所へ横臥して、ふと夢のような事を考えた。

その昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかった時、彼は嘆じていう。こういう風に互に心持よく円満に楽しいという事は、今後ひとたびといってもできないかも知れない、いっそ二人が今夜眠ったまま死んでしまったら、これに上越す幸福はないであろう。

<ruby><rb>真</rb><rt>しん</rt></ruby>にそれに相違ない。このまま苦もなく死ぬことができれば満足であるけれど、神様がわれわれにそういう幸福を許してくれないかも知れない、と自分もしんから嘆息したのであった。

当時はただ一場の癡話として夢のごとき記憶に残ったのであるけれど、二十年後の今日それを極めて<ruby><rb>真面目</rb><rt>まじめ</rt></ruby>に思い出したのはいかなる訳か。

考えて見ると果してその夜のごとき感情を繰返した事は無かった。年一年と苦労が多く、子供は続々とできてくる。年中あくせくとして歳月の廻るに支配されている外に何らの<ruby><rb>能事</rb><rt>のうじ</rt></ruby>も無い。次々と来る小災害のふせぎ、人を<ruby><rb>弔</rb><rt>とぶら</rt></ruby>い己れを悲しむ消極的<ruby><rb>営</rb><rt>いとな</rt></ruby>みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。

二人が<ruby><rb>相擁</rb><rt>あいよう</rt></ruby>して死を語った以後二十年、実に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は苦しんでるのが常であるとはいかなる訳か。

五十に近い身で、少年少女<ruby><rb>一夕</rb><rt>いっせき</rt></ruby>の癡談を真面目に回顧している今の境遇で、これをどう考えたらば、ここに幸福の光を発見することができるであろうか。この自分の境遇にはどこにも幸福の光が無いとすれば、一少女の癡談は大哲学であるといわねばならぬ。人間は苦しむだけ苦しまねば死ぬ事もできないのかと思うのは考えて見るのも厭だ。

手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来毎日手伝いに来てくれる友人であった。

（明治四十三年十一月）