Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

ある日、例のごとく半七老人を赤坂の家にたずねると、老人はあたかも近所の碁会所から帰って来た所であった。

「あなたは碁がお好きですか」と、わたしは訊いた。

「いいえ、別に好きという程でもなく、いわゆる髪結床かみゆいどこ将棋のお仲間ですがね」と、半七老人は笑った。「御承知の通りの閑人ひまじんで、からだの始末に困っている。といって、毎日あても無しにぶらぶら出歩いてもいられないので、まあ、暇潰しに出かけると云うだけの事ですよ」

それから糸を引いて、碁や将棋のうわさが出ると、話のうちに老人はこんなことを云い出した。

「あなたは御存じですか。下谷坂本の養玉院という寺を……」

「養玉院……」と、わたしは考えた。「ああ、誰かの葬式で一度行ったことがあります。下谷の豊住町ちょうでしょう」

「そうです、そうです。豊住町というのは明治以後に出来た町名で、江戸時代には御切手町ごぎってちょうと云ったのですが、普通には下谷坂本と呼んでいました。本当の名は金光山大覚寺というのですが、宗対馬守そうつしまのかみの息女養玉院の法名を取って養玉院と云うことになりました。この寺に高尾の碁盤と将棋盤が残っているのを御存じですか」

「知りません」

「吉原の三浦屋はこの寺の檀家であったそうで、その縁故で高尾の碁盤と将棋盤を納めたと云うことになっています。高尾は初代といい、二代目といい、確かなことは判りませんが、ともかくも古い物で、わたくしも一度見たことがあります。今でも寺の什器になっている筈ですから、あなたなぞは一度御覧になってもいいと思います。いや、その碁盤で思い出しましたが、ここに又、薄雲の碁盤というのがありました」

「それも養玉院にあるんですか」

「違います。その碁盤は深川六間堀の柘榴ざくろ伊勢屋という質屋から出たのです」と、老人は説明した。「ところで、その碁盤については怪談めいた由来話が付きまとっているのです。御承知の通り、高尾と薄雲、これが昔から吉原の遊女の代表のように云われていますが、どちらも京町きょうまちの三浦屋の抱妓かかえで、その薄雲は玉という一匹の猫を飼っていました。すると、ある時その猫が何かにじゃれて、床の間に飛びあがったはずみに、そこに置いてある碁盤に爪を引っかけて、横手の金蒔絵に疵を付けました。もちろん大きな疵でもなく、薄雲もふだんからその猫を可愛がっているので、別に叱りもしないで其のままにして置きました」

「碁盤は金蒔絵ですか」

「なにしろ其の頃の花魁おいらんですからね。その碁盤もわたくしは見ましたが、頗る立派なものでした。木地きじは榧かやだそうですが、四方は黒の蝋色で、それに桜と紅葉を金蒔絵にしてある。その蒔絵と木地へかけて小さい爪の跡が残っている。それが玉という猫の爪の痕だそうで……。爪のあとが無かったら猶よかろうと思うと、そうで無い。前にも申す通り、ここに一場の物語ありという訳です。

ある日のこと、薄雲が二階を降りて風呂場へゆくと、かの猫があとから付いて来て離れない。主人と一緒に風呂場へはいろうとするのです。いくら可愛がっている猫でも、猫を連れて風呂へはいるわけにはいかないので、薄雲は叱って追い返そうとしても、猫はなかなか立ち去らない。ふだんと違って、すさまじい形相ぎょうそうで唸りながら、薄雲のあとを追おうとする。これには持て余して人を呼ぶと、三浦屋の主人も奉公人も駈けて来て、無理に猫を引き放そうとしたが、猫はどうしても離れない。

こうなると、猫は気が狂ったのか、さもなければ薄雲を魅込みこんだのだろうと云うことになって、主人は脇差を持って来て、猫の細首を打ち落とすと、その首は風呂場へ飛び込みました。見ると、風呂場の竹窓のあいだから一匹の大きい蛇が這い降りようとしている。猫の首はその蛇の喉のどに啖くらい付いたので、蛇も堪まらずどさりと落ちる。その頃の吉原は今と違って、周囲に田圃たんぼや草原が多いので、そんな大きな蛇が何処からか這い込んで来たとみえます。猫はそれを知って主人を守ろうとしたのかと、人々も初めて覚ったがもう遅い。薄雲は勿論、ほかの人々も猫の忠義をあわれんで、その死骸を近所の寺へ送って厚く弔ってやりました。

その時に例の碁盤も一緒に添えて、その寺へ納めたのだそうですが、それから百年ほど経って、明和五年四月六日の大火で、よし原廓内は全焼、その近所もだいぶ焼けました。猫を葬った寺もその火事で焼けて、それっきり再建さいこんしないので、寺の名はよく判りません。しかし、どうして持ち出されたのか、その碁盤だけは無事に残っていて、それからそれへと好事家こうずかの手に渡ったのちに、深川六間堀の柘榴伊勢屋という質屋の庫くらに納まっていました。この伊勢屋は旧い店で、暖簾に柘榴を染め出してあるので、普通に柘榴伊勢屋。これにも由来があるのですが、あまり長くなりますから略すことにして、ともかくもこの伊勢屋では先代の頃から薄雲の碁盤というのを持っていました。物好きに買ったのではなく、商売の質流れで自然に引き取ることになったのです。

そこで、養玉院にある高尾の碁盤と将棋盤、これは今日こんにちまで別条無しに保存されているのですが、一方の薄雲の方は大いに別条ありで、それが為にわたくし共もひと汗かくような事件が出来しゅったいしました」

ここまで話して来た以上、どうで聞き流しにする相手でないと覚悟しているらしく、老人はひと息ついて又話しつづけた。

「質屋の庫に鼠は禁物です。質に取った品は預かり物ですから、衣類にしろ、諸道具にしろ、鼠にかじられたりすると面倒ですから、どこの店でも鼠の用心を怠りません。ところが、不思議なことには、例の碁盤を預かって以来、伊勢屋の庫に鼠というものがちっとも出なくなりました。碁盤には猫の爪のあとが残っているばかりでなく、恐らく猫の魂も残っているので、鼠の眷族けんぞくも畏おそれて近寄らないのだろうという噂でした。昔はとかくにこんな怪談めいた噂が伝わったものです。又、そういう因縁付きの品には、不思議に何かの事件が付きまとうものです。

お話は文久三年十一月、あらためて申すまでもありませんが、その頃は幕末の騒がしい最中で、押込みは流行る、辻斬りは流行する。放火つけびは流行る。将軍家は二月に上洛、六月に帰府、十二月には再び上洛の噂がある。猿若町さるわかまちの三芝居も遠慮の意味で、吉例の顔見世狂言を出さない。十一月十五日、きょうは七五三の祝い日だと云うのに、江戸城の本丸から火事が出て、本丸と二の丸が焼ける。こんな始末で世間の人気じんきは甚だ穏かでありません。それに付けても、わたくし共の仕事は忙がしくなるばかりで、今になって考えると、よくもあんなに働けたと思う位です。

その二十三日の朝のことでした。本所竪川たてかわ通り、二つ目の橋のそばに屋敷を構えている六百五十石取りの旗本、小栗昌之助の表門前に、若い女の生首なまくびが晒さらしてありました。女は年ごろ二十二、三で、顔にうす痘痕あばたはあるが垢抜けのしたいい女。どう見ても素人らしくない人相、髪は散らしているので、どんな髷まげに結っていたか判りません。その首は碁盤の上に乗せてありました」

「碁盤……。薄雲の碁盤ですか」と、わたしはすぐに訊き返した。

「そうです。例の薄雲の碁盤です」と、老人はうなずいた。「勿論それと知れたのは後のことで、そのときは何だか判らず、ただ立派な古い碁盤だと思っただけでしたが、なんにしても女の生首を碁盤に乗せて、武家の門前に晒して置くなどは未曾有みぞうの椿事で、世間でおどろくのも無理はありません。それに就いて又いろいろの噂が立ちました。

前にも申す通り、なにぶん血なまぐさい世の中ですから、人間の首も今ほどには珍らしく思われない。現にこの六月頃にも、浪人の首二つが両国橋の際きわに晒されていた事があります。しかし女の首は珍らしい。そこで、この女も何か隠密のような役目を勤めていた為に、幕府方の者に殺されたか、攘夷組に斬られたか、二つに一つだろうという噂が一番有力でしたが、さてどこの者か一向に判りません。

迷惑したのは小栗家で、自分の屋敷の門前に据えてあったのですから、係り合いは逃のがれられません。橋の上にでも晒してあったのならば格別、この屋敷の前に据えてあった以上、なにかの因縁がありそうに思われても仕方がありません。小栗家でもひどく迷惑して、用人の淵辺新八という人がわたくしの所へ駈けて来て、一日も早くこの事件の正体を突き留めてくれという頼みです。用人が来たのは検視その他が済んだ後で、二十三日の夕方でした。

用人の話によると、小栗の屋敷はどこまでも係り合いで、女の首と碁盤とはひとまず其の屋敷の菩提寺、亀戸かめいどの慈作寺に預けることになったと云うのです。まったく関係の無いものなら、飛んだ災難です」

「むかしは武家に首はめでたいと云ったそうですが……」

「ふるい云い伝えに、元禄十四年の正月元旦、永代橋ぎわの大河内という屋敷の玄関に女の生首を置いて行った者がある。屋敷じゅうの者はみんなびっくりすると、主人はおどろかず、たとい女にせよ、歳としの始めに人の首を得たと云うのは、武家の吉兆であると祝って、その首の祠ほこらを建てたという話があります。昔の武家はそんなことを云ったかも知れませんが、後世になってはそうはいきません。縁もない人間の首なぞを押し付けられては、ただただ迷惑に思うばかりです。わたくしもそれを察していたので、自分の縄張り内ではありませんが、なんとかしてやることになりました」

云いかけて、老人は笑った。

「こう云うと、たいそう侠気おとこぎがあるようですが、これをうまく片付けてやれば、屋敷からは相当の礼をくれるに決まっている。時々こういう仕事も無ければ、大勢の子分どもを抱えちゃあいられませんよ」

二

この年の冬は雨が少ないので、乾き切った江戸の町には寒い風が吹きつづけた。その寒い風に吹きさらされながら、二十四日の朝から半七は子分の松吉を連れて、亀戸の慈作寺をたずねた。小栗の屋敷の用人から頼まれて来たことを打ち明けると、寺でも疎略には扱わなかった。それは御苦労でござると早速に奥へ通して、茶菓などをすすめた。

問題の首は小さい白木の箱に納めて、本堂の仏前に置かれてあった。碁盤も共に据えてあった。但しその碁盤が名妓の遺物であるか無いか、又それが深川の柘榴伊勢屋から出たものであるか無いか、その当時の半七はまだなんにも知らなかったのである。二人は線香の煙りのなかから彼かのふた品を持ち出して、縁側の明るいところで一々にあらためた。

用人は飽くまでも無関係のように云っているが、そこに何かの秘密がないとは限らない。半七は住職に逢っていろいろの質問を試みた後に、いずれ又まいりますと挨拶して、門前町の霜どけ路へ出た。

「いい塩梅あんばいに風がちっと凪なぎましたね」と、松吉は云った。

「もう午ひるだ。そこらで飯でも食おう」

半七は先きに立って、近所の小料理屋の二階にあがった。誂え物の来るあいだに、松吉は小声で訊いた。

「親分。どうです、見込みは……」

「まだ見当が付かねえ」と、半七は煙管きせるを下に置いた。「首だけでも大抵見当は付く。あの女は確かに堅気かたぎの素人じゃあねえ。どこかで見たような顔だが、どうも思い出せねえ」

「いや、それですよ」と、松吉もひと膝乗り出した。「実はわっしも見たことがあるように思うんですがね。親分もそう思いますか」

二人の意見は一致したが、さてそれが何者であるかは容易に思い出せなかった。やがて女中が運んで来た膳を前にして、二人は寒さ凌ぎに一杯飲みはじめた。話の邪魔になる女中を遠ざけて、松吉はまた云い出した。

「一体この一件は、まったく小栗の屋敷に係り合いがないんでしょうか」

「用人はなんにも心当たりがないと云っている。首になっている女の顔も曾かつて見たことが無いという。しかしそれが本当だかどうだか判らねえ。そこで此の一件は、まず第一に小栗の屋敷に係り合いがあるか無いかを突き留める事と、もう一つは、なぜあんな碁盤に首を乗せて置いたかと云うことを詮索しなけりゃあならねえ」

「小栗の主人は碁を打つのでしょうか」

「おれもそれを考えたが、用人の話を聞いても、住職の話を聞いても、小栗の主人は碁も将棋も嫌いで、そんな勝負をした例ためしは無いと云うのだ」

小栗家の主人昌之助は三十一歳で、妻のお道とのあいだに、昌太郎お梅の子供がある。昌之助の弟銀之助はことし二十二歳で、深川籾蔵前もみくらまえの大瀬喜十郎という二百石取りの旗本屋敷へ養子に貰われている。昌之助と銀之助は兄弟仲も悪くない。現に五、六日前にもたずねて来て、夕飯を食って帰ったと、用人は話した。銀之助は碁を打つらしいが、それとても道楽という程ではないとの事であった。

「こうなると、碁盤の方の手がかりはねえようだ」と、半七は云った。「もし小栗の屋敷に係り合いが無いとすれば、どこへか持って行く途中、なにかの故障で小栗の屋敷の前に置き捨てて行ったと鑑定するのほかはねえ。碁盤は重い、その上に人間の首を乗せたのじゃあ、恐らく一人で持ち運びは出来めえ。ひとりは碁盤、ひとりは首、二人がかりで運んで行くにゃあ、余ほどの仔細がなけりゃあならねえが……」

「そうですねえ」と、松吉も首をかしげた。

「なにしろ昼間から錨いかりを卸しちゃあいられねえ。早く出かけよう」

早々に飯を食って、二人はここを出た。風の止んだのを幸いに、亀戸の通りをぶらぶら来かかると、天神橋の袂で、二人づれの女に出逢った。女は柳橋芸者のお蝶と小三である。芸者たちは半七らをみて会釈えしゃくした。

「どこへ行く。天神様かえ」と、半七は笑いながら訊いた。

「あしたはお約束で出られないもんですから、繰り上げて今日ご参詣にまいりました」と、お蝶も笑いながら答えた。

半七は何か思い出したように、お蝶のそばへ摺り寄った。

「だしぬけに変なことを訊くようだが、お俊しゅんは相変らず達者かえ」

「あら、御存じないんですか。お俊ちゃんはこの六月に引きましたよ」

「ちっとも知らなかった。誰に引かされて、どこへ行った」

「深川の柘榴伊勢屋の旦那に引かされて、相生町あいおいちょう一丁目に家を持っていますよ」

「相生町一丁目……。回向院えこういんの近所だね」

「そうです」

「お俊は薄あばたがあったかね」

「いいえ」

お蝶は小三をかえりみると、彼女もうなずいた。

「お俊ちゃんは評判の容貌きりょう好しで、あばたなんかありませんわ」

「そうだな」と、半七もうなずいた。

芸者たちに別れて歩き出すと、松吉はあとを見かえりながら云った。

「だれの眼も違わねえもので、あの女たちに逢った時に、わっしもふっと思い出しました。例の女は柳橋のお俊に似ていると……。だが、今の話じゃあお俊に薄あばたはねえと云う。おなじ仲間が云うのだから間違いはありますめえ。それを聞いてがっかりしましたよ」

「むむ、おれも当てがはずれてしまった」と、半七は溜め息をついた。「あいつらの顔をみると、急にお俊を思い出して、こりゃあ占めたと思ったが、他人の空似そらにでやっぱりいけねえ。柳橋を引いてから疱瘡をしたと云えば云うのだが、例の女の顔はきのう今日の疱瘡の痕じゃあねえ。だが、おれ達の商売に諦めは禁物だ。どうだ、帰り道だから回向院前へ廻って、お俊の様子をよそながら見届けようぜ」

お俊は相生町一丁目に住んでいるとすれば、小栗の屋敷から三、四丁を隔てているに過ぎない。何ものかがお俊の首をそこまで運んで行くと云うことがないとは云えない。あばたがあろうが無かろうが、ともかくも一度は探索の必要があると半七は思った。松吉は気のないような顔をして、親分のあとに付いて来た。

「回向院前……。回向院前……」と、半七はひとり言のように繰り返した。

吉良きらの屋敷跡の松坂町を横に見て、一つ目の橋ぎわへ行き着いて、相生町一丁目のお俊の家をたずねると、それは竹本駒吉という義太夫の女師匠の隣りであると教えてくれた者があった。

「お俊だけに義太夫の師匠の隣りに住んでいるのか。それじゃあ竪川でなくって、堀川だ」と、半七は笑った。

しかも二人は笑っていられなかった。たずねるお俊の家はいつか空家あきやになって、かし家の札が斜めに貼られてあった。

「やあ、空店あきだなだ」と、松吉は眼を丸くした。

「隣りで訊いてみろ」

松吉は義太夫の師匠の格子をあけて、何か暫く話していたようであったが、やがて忙がしそうに出て来た。

「親分。お俊の家はきのう急に世帯を畳んで、どこへか引っ越してしまったそうです。知らねえ人が来て、諸道具をどしどし片付けて、近所へ挨拶もしねえで立ち去ったので、近所でも不思議に思っていると云うことです。ちっと変ですね」

「引っ越しの時に、お俊は顔を見せねえのか」と、半七は訊いた。

「だしぬけにばたばた片付けに来たので、近所隣りでもよく判らねえのですが、どうもお俊の姿は見えなかったらしいと云うことです。ここらで例の首を見た者はないかと、念のために訊いてみると、その噂を聞いて五、六人駈け着けたが、気味が悪いので誰もはっきりとは見とどけずに帰って来た。なにしろ薄あばたがあると云うのじゃあ、お俊とは違っていると云うのです」

「近所へ挨拶はしねえでも、家主いえぬしには断わって行ったろう。家主はどこだ」

「二丁目の角屋すみやという酒屋だそうですから、そこへ行って訊きましょう」

二人は更に相生町二丁目の酒屋をたずねると、帳場にいる番頭は答えた。

「お俊さんの家では二、三日前から引っ越すという話はありました。そこで、きのうの朝、知らない男の人が来て、これから引っ越すとことわって、家賃や酒の代もみんな綺麗に払って行きましたから、わたしの方でも別に詮議もしませんでした。引っ越し先は浅草の駒形こまかただということでした」

「お俊は柳ばしの芸者だったと云うが……」と、半七は訊いた。「その店請人たなうけにんは誰ですね」

「お俊さんの旦那は深川の柘榴伊勢屋だそうで、店請はその番頭の金兵衛という人でした」

「お俊さんというのはどんな女でした」

「商売人揚がりだけに、誰にも愛嬌をふりまいて、近所の評判も悪くなかったようです。わたし共の店へ寄って、時々に話して行くこともありましたが、ひどく鼠が嫌いな人で、あの家には悪い鼠が出て困るなぞと云っていました」

お俊と鼠と、それを結び付けて考えても、差しあたりいい知恵が出そうもないので、ほかに二、三のうわさ話を聞いた後、半七らは角屋の小僧に案内させて、お俊のあき家を一応あらためたが、ここにはなんの獲物もなかった。

三

「柘榴伊勢屋の亭主は船遊びが好きで、お俊が柳橋にいる頃から、一緒に大川へ出たことがあるそうだと、角屋の番頭が何ごころなくしゃべったのは、天の与えだ」と、半七は歩きながら云った。「これから柳橋へ行って船宿ふなやどを調べてみよう。案外の掘出し物があるかも知れねえ」

「だが、親分。例の首はお俊じゃあ無さそうですぜ。誰に聞いても、お俊にあばたはねえと云いますから」

「そりゃあそうだが、まあ、もう少しおれに附き合ってくれ」

無理に松吉を引き摺って、半七は更に柳橋の船宿をたずねた。

ここらの船宿は大抵知っているので、その一軒について聞き合わせると、柘榴伊勢屋が馴染の船宿は三州屋であるとすぐに判った。三州屋の店の前には、長半纏を着た若い船頭が犬にからかっていた。

「おい、よしねえよ」と、半七は笑いながら声をかけた。「いい若けえ者が酒屋の御用じゃああるめえし、犬っころを相手に日向ひなたぼっこは面白くねえぜ」

半七の顔をみて、徳次という船頭は笑いながら挨拶した。

「いいお天気だが寒うござんす。まあ、親分。お上がんなさい」

「いや、上がるまでもねえ。ちょいと店さきで訊きてえことがある」と、半七は店に腰をかけた。「おかみさんは留守かえ」

「ええ、ちょっと出まして」

徳次は女中に指図して、火鉢や茶を運ばせた。托鉢僧が来かかって、ここの店さきで鉦かねをたたいて去るあいだ、半七らは黙って茶を飲んでいた。隣りの二階では昼間から端唄の声がきこえた。

「そこで早速だが、六間堀の伊勢屋はこの頃も出かけて来るかえ」と、半七は訊いた。

「お俊さんと時々に見えます。このあいだも、枯野見かれのみだと云って上手うわてまでお供をしましたが、いやどうも寒いことで……。枯野見なんて云うのは、今どき流行りませんね。雪見だって、だんだんに少なくなりましたよ」と、徳次は笑った。

「通人つうじんが少なくなったのだろう」と、半七も笑った。「おめえなら知っているだろうが、伊勢屋に贔屓ひいきの相撲があるかえ」

「ありますよ。万力まんりき甚五郎で……」

「万力甚五郎……。二段目だな。たいそう力があるそうだが……」

「力がありますね。まったくの万力で……。近いうちに幕へはいるでしょう」と、徳次は自分の贔屓相撲のように褒め立てた。「伊勢屋の旦那は万力にたいへん力を入れて、本場所は勿論ですが、深川で花相撲のある時なんぞも、毎日見物に出かけて大騒ぎ。万力もいい旦那を持って仕合わせだと、みんなに羨まれていますよ」

「伊勢屋のほかに抱え屋敷はねえのか」

「十万石の抱え屋敷があったのですが、可哀そうにお出入りを止められてしまって、今じゃあ伊勢屋が第一の旦那場です。万力が抱え屋敷をしくじったのも、まあ伊勢屋の為ですから、伊勢屋も猶さら万力の世話をしてやらなけりゃあならない義理もあると云うわけで……」

ことしの三月、伊勢屋の亭主由兵衛は万力を連れて三州屋へ来たが、花見どきではあり、天気はいいので、大抵の芸者はみな出払って、お馴染のお俊も家にいなかった。しかし前からの約束でもないので、由兵衛はそれをかれこれ云うほどの野暮やぼでもなかった。ほかの芸者二人と万力とを連れて、屋根船を徳次に漕がせて大川をのぼった。向島から堤どてへあがって、今が花盛りの桜を一日見物して、日の暮れる頃に漕ぎ戻って来ると、あいにくに桟橋のきわには二、三艘の船が落ち合って、伊勢屋の船を着けることが出来ない。船頭同士が声を掛け合って、伊勢屋の一行は前の船の舳ともを渡って行くことになった。

由兵衛と芸者ふたりは挨拶して先きに渡ったが、最後に出た万力甚五郎は、船のなかを横眼で視ただけで、なんの挨拶もせずに渡り過ぎようとした。その船には二人の侍と一人の芸者が乗っていたが、花見帰りであるから皆酔っていたらしく、侍のひとりは声をかけて、挨拶をして行けと云った。それでも万力は知らぬ顔をして行き過ぎて、今や桟橋へと足を踏みかけた途端に、ひとりの侍は衝つと寄ってきて、万力の腰の刀を鞘ぐるみ引き抜いた。そうして、自分の船の船頭にむかって、早く出せと呶鳴った。

呶鳴られて船頭は棹さおをとった。混み合っている中であるから、思うように棹を張ることは出来なかったが、それでも一間ほどは横に開いたので、桟橋に取り残された万力はあっと驚いた。腰の物を取られたからである。

武士は勿論、力士が腰の物を取られるのも、決して名誉のことではなかったが、更に万力をおどろかしたのは、その刀は十万石の抱え屋敷から拝領の品であった。それを失っては、屋敷へ出入りすることが出来なくなる。それを思うと、万力は顔の色を変えてうろたえた。あっと云っても、もう及ばない。相手の船は一間あまりも開いてしまったので、大兵肥満の彼は身を跳らせて飛び込むことは出来ない。彼は実に途方に暮れた。

その騒ぎに由兵衛も後戻りをして来たが、これもどうすることも出来ない。こうなったら謝あやまるのほかはないので、由兵衛は早くあやまれと万力に注意して、自分も口を添えて詫びた。万力も幾たびか頭を下げて平謝りにあやまった。こっちの弱味に付け込んで、相手はこの刀を大川に投げ込むぞとおどした。投げ込まれては大変であるから、万力は殆ど泣かぬばかりに弱り切って、結局は桟橋に両手をついて謝った。

仮りにも天下の力士たるものに、両手をついて謝らせて、相手も胸が晴れたであろう。刀は船頭の手から無事に戻された。由兵衛はその船頭に相当の祝儀をやって別れた。

「まあ、そう云うわけで……」と、徳次は話しつづけた。「わたしも傍そばに見ていたのですが、相手がお武家だからどうすることも出来ません。相撲取りの腰に差しているのだから、おおかた屋敷の拝領物だろうと見当を付けて、手っ取り早く引ったくってしまうなんて、なかなか喧嘩馴れているのだから敵かないません」

「だが、万力という奴も愛嬌がねえ。なぜ最初に挨拶をしなかったのだ。それじゃあ怒られても仕方があるめえ」と、松吉が喙くちを容れた。

「それがねえ。松さん」と、徳次は更に説明した。「万力も礼儀も知らねえ男じゃあねえのだが、ちょいと面白くねえ事があって……。と云うのは、伊勢屋の旦那のお馴染のお俊がその客の船に乗り合わせていたので……。そりゃあ芸者稼業をしている以上は、どんな客と一緒に乗っていようと、別に不思議はねえ理窟ですが、万力にしてみると、自分の旦那のなじみの女がほかの客の船に乗っている。それがなんだか癪にさわったので……。勿論、癪にさわる方が悪いのだが、根が正直で一本気の男だから、つい癪にさわって無愛想になったようなわけで、当人だって真逆まさかにこんな事になろうとは思わなかったのでしょう。なにしろ相手の素早いには驚きましたよ」

「小ッ旗本の道楽者にゃあ摺れっからしが多いから、うっかり油断は出来ねえ」と、半七は笑った。「それでも、まあ無事に済んでよかった」

「ところが、無事に済まねえんで……」と、徳次は顔をしかめた。「そこはまあ、それで納まったのですが、その一件がいつか屋敷の耳にはいって、天下の力士が拝領の刀を取られて、桟橋に両手をついて謝ったなぞとは、抱え屋敷の面目にかかわると云うので、万力はとうとう出入りを止められてしまいました。そうなると伊勢屋の旦那も、自分が花見に連れ出してこんなことが出来しゅったいしたというので、今までよりも余計に万力の世話をしてやるようになったのです。伊勢屋は旧い店で、身上しんしょうもなかなかいいそうですから、その後楯うしろだてが付いていりゃあ万力も困ることは無いでしょうが、抱え屋敷をしくじっちゃあ仲間に対して幅が利かねえ。それを思うと、一概に羨ましいとばかりも云われません。当人は肚はらで泣いているかも知れませんよ」

「そうだろうな」と、半七も溜め息をついた。「そうして、その相手の二人侍ににんざむれえは、何者だか判らねえのか」

「ひとりは本所の御旅所おたびしょの近所に屋敷を持っている平井善九郎というお旗本ですが、連れの一人は判りません。刀を引ったくったのは平井さんでなく、連れのお武家の方でしたが、年頃は二十一、二で小粋な人柄でした。まあ、次三男の道楽者でしょうね」

「お俊はその平井という侍とも馴染なのか」

「別に深い馴染というでもありませんが、まんざら知らないお客でも無いそうです。なにしろ、そんな船に乗り合わせていたお俊も災難で、本人のした事じゃあありませんが、自然に伊勢屋の旦那の御機嫌を損じるような破目はめになって、その当座はちっと縺もつれたようでしたが、芸者をさせて置けばこそこんな事にもなるのだと云うので、この六月、急にお俊を引かせる話になりました。お俊としてみれば、災難が却って仕合わせになったかも知れません。今じゃあ川向うの一つ目に囲われて気楽に暮らしているようです」

「お俊に薄あばたは無かったかね」

「あの人は土地でも容貌きりょう好しの方で、あばたなんぞはありませんよ」と、徳次は打ち消すように答えた。

松吉はふたたび失望したように半七の顔を見た。

四

「親分、どうしますね」と、三州屋を出ると松吉は訊いた。きょうももう八ツ(午後二時)過ぎで、寒い風が又吹き出して来た。

「強情なようだが、おれはまだ思い切れねえ」と、半七は考えながら云った。「殺されたのはお俊で、殺したのは万力だ」

「碁盤はお俊の家うちにあったのでしょうか」

「まあ、そうだろうね。伊勢屋は旧い質屋だから、流れ物か何かで、好い品を持っていて、それをお俊の家へ持ち込んでいたのだろう。寒いのに御苦労だが、これから六間堀へ行って、伊勢屋の様子を探って来てくれ」

「ようがす」

橋の上で松吉に別れて、半七はひとまず神田の家へ帰った。いつの世でも探索に従事する者は皆そうであるが、情況証拠と物的証拠のほかに自分の判断力を働かせなければならない。茶の間の長火鉢の前に坐って、半七はきょうの獲物を胸のうちに列べてみた。あばたの有無などに拘泥こうでいするのは素人である。加害者は万力、被害者はお俊、この推定はどうしても動かないと彼は思った。

木枯しは夜通し吹きつづけて、明くる朝は下町したまちも一面に凍っていた。その五ツ(午前八時)頃に松吉は寒そうな顔をみせた。

「なるほど親分の眼は高けえ。やっぱりお俊らしゅうござんすよ。なにしろ、あの碁盤は伊勢屋から出たものに相違ありません。近所の同商売の者に訊いてみると、柘榴伊勢屋には先代から薄雲の碁盤という物があるそうです。その碁盤には、猫の魂が宿っていて、それを置くと鼠が出ないと云うので……」

「そうか。判った」と、半七はうなずいた。「酒屋の番頭の話じゃあ、お俊は鼠が大嫌いで、あの貸家に鼠が出て困ると云っていたそうだ。その鼠よけのまじないに、伊勢屋から薄雲の碁盤を持ち込んだのだろう。そこで、伊勢屋の主人と云うのはどういう奴だ」

「伊勢屋の由兵衛は四十ぐらいで、女房のおかめは三十五、夫婦のあいだに子供はありません。あんまり万力を可愛がっているので、今に万力を養子にするのじゃあねえかと、近所じゃあ云っていますが、真逆まさかにそうもなりますめえ。万力は二十一で、男も好し、力もあり、人間も正直でおとなしいから、今に出世をするだろうと、世間じゃあ専ら噂をしています。その万力がどうして旦那の妾を殺したのでしょうかね」

「それに就いて、ゆうべもいろいろ考えたのだが、この一件は、小栗の屋敷の次男坊に係り合いがあるらしい」と、半七は自信があるように微笑ほほえんだ。「小栗の次男は銀之助、ことし二十二で、深川籾蔵前の大瀬喜十郎という旗本屋敷へ養子に行っていると云う。これが平井という旗本の遊び友達で、例の花見の一件のときに、万力の刀をひったくったのは其の仕業しわざだろうと思う。これが多分お俊に係り合いがあって、万力は旦那への忠義と、自分の遺恨とで、お俊の首を碁盤に乗せて、わざと本家の小栗の屋敷の前にさらして置いたのだろう」

「そんなら銀之助も一緒に殺ばらしそうなものですがね」

「殺ばらすつもりであったのを仕損じたのか、何かほかに仔細があったのか、どっちにしても万力の仕業に相違あるめえ。しかし相手は天下の力士だ。確かな証拠を挙げた上でなけりゃあ、むやみに御用の声は掛けられねえ。おめえはもう一つ働いて、銀之助の方を調べてくれ。万力の脇差を取ったのは確かに銀之助か、又その銀之助がお俊の家へ出這入りしていたかどうだか、それをよく洗い上げるのだ」

「わかりました。じゃあすぐに行って来ます」

松吉は受け合って出て行った。ひと足おくれて半七も家を出て、本所の小栗の屋敷に用人の淵辺新八をたずねた。そうして、大瀬の屋敷へ養子に行っている銀之助の行状をふたたび詮議すると、相手が主人の弟であるから、用人も最初は何かと取りつくろっていたが、半七が相当にくわしい事を探っているらしい口振りにおどされて、迷惑そうにだんだん打ち明けた。それによると、銀之助はかなりの放蕩者で、養家の両親と折り合わず、あるいは不縁になりはしまいかと内々心配しているとの事であった。但しお俊という女と関係があるか無いか、そんなことは一切知らないと用人は云った。

「深川のお屋敷へは、いつから御養子にお出でになったのです」と、半七は訊いた。

「去年の秋からです」と、用人は答えた。「まあ、一年は客分のような形で、それから表向きの披露をすることになっていました。そこで無事に行けば、この十月にはいよいよ披露をする筈だったのですが、どうも養子親との折り合いが好くないので、まだ其の儘になっているような次第で……。したがって亦、世間では大瀬の屋敷へ行ったことを知らないで、いまだにこの屋敷にいるものと思っている人もあるそうです」

万力もその一人かも知れないと、半七は思った。しかし迂闊なことを云い出して、ここで用人らを騒がせるのは好くないので、半七はなんにも云わずに帰った。

その帰り道に、半七はふと思い付いて、相生町一丁目の竹本駒吉をたずねた。お俊の家のとなりである。格子をあけると、二十五、六の女師匠が出て来た。相手は女であるから、いっそ正直に調べた方が面倒でないと思って、半七は御用で来たことを云い聞かせると、駒吉は丁寧に内へ招じ入れた。

「お稽古の邪魔じゃあねえか」

「いいえ、誰も来ていやあしません」と、駒吉は急いで茶をいれる支度にかかった。

「もう構わねえがいい。遊びに来たのじゃあねえ」と、半七は直ぐに用談に取りかかった。「実は隣りのお俊の一件だが、あの女の旦那は深川の柘榴伊勢屋だね」

「そうです」

「伊勢屋は始終来るのかえ」

「ちょいちょい見えるようでした」

「旦那のほかに誰か来やあしねえか。若い男でも……」

駒吉はすこし躊躇したが、半七の前で隠すことも出来ないらしく、正直に話した。

「ええ、時々に若い男の人が……。お武家さんのようでした」

「泊まって行くような事もあったかえ」

「泊まることは無かったようですが、いつも一人で来て、四ツ過ぎまで遊んでいたようです。女中の話では、なんでも深川の方の人だと云うことでした」

「女中はなんと云うのだね」

「女中はお直さんと云って、十七、八のおとなしい人でした。家うちはやっぱり深川で、大島町ちょうだとか云っていました」

「きのう引っ越しをする時に、お直もいたかえ」

「お直さんは見えなかったようです。あとで聞くと、もう前の日あたりに暇を取って、出て行ってしまったらしいと云うことでした」

「そうすると、おとといの晩はお俊ひとりで寝ていたわけだね」

「そうかも知れません。日の暮れる頃にどこへか出て行って、夜の更けた頃に帰って来たようです。わたくしはもう寝ていましたから、よくは存じませんが、格子をあける音がしましたから、その時に帰って来たのだろうと思っていました」

「格子をあけて帰って来て、また出て行ったような様子はなかったかね」

「さあ」と、駒吉はかんがえていた。「今も申す通り、わたくしはもう寝ていましたので、半分は夢うつつで、帰って来たらしい様子は知っていましたが、また出て行ったかどうだか、そこまでは覚えて居りません」

時々に遊びに来るという若い武家について、半七は更に詮議をはじめた。

「その武家というのはお俊の情人いろだろうね」

「そうかも知れません」と、駒吉は笑っていた。「見たところ、粋な道楽肌の人でしたから……」

「相撲取りで出這入りをする者はなかったかね」

「伊勢屋の旦那がたいそう御贔屓だそうで、万力というお相撲さんが来ることがありました」

「万力はひとりで来る事もあったかえ」

「ひとりで来たことは無いようです。大抵は旦那と一緒のようでした」

「いや、有難う。判らねえことがあったら、また訊きに来るとして、きょうはこれで帰るとしよう。御用とは云いながら、稽古所へ来て邪魔をして済まなかった。こりゃあ少しだが、白粉でも買ってくんねえ」

辞退する駒吉に幾らかの白粉代を渡して、半七はここを出た。相変らずの寒い風に吹かれながら回向院前へ来かかると、半七は呼び出しの三太に逢った。

云うまでなく、この当時の大相撲すなわち勧進相撲は春場所と冬場所の二回で、冬場所は十月の末頃から十一月にかけて晴天十日の興行と決まっていた。その冬場所が終った後で、呼び出しの三太は江戸に遊んでいるらしかった。彼は半七を見て挨拶した。

「親分、お寒うございます」

「冬場所はたいそう景気が好かったそうだね」

「世間がそうぞうしいのでどうだかと案じていましたが、お蔭でまあ繁昌でした」

「いいところでおめえに逢った。少し訊きてえことがある」

回向院の境内へ三太を連れ込んで、半七は万力甚五郎の詮議をはじめた。

五

日の暮れる頃に松吉は帰って来たが、その報告は小栗の用人の話に符合していた。大瀬の屋敷の養子銀之助は、その当時の旗本の次三男にあり勝ちの放蕩者で、近所の評判もよくない。平井善九郎そのほか五、六人の遊び友達と連れ立って諸方を押し廻している。万力の刀を取り上げたのも銀之助の仕業で、天下の力士に両手をついて謝らせたと、彼は自慢そうに吹聴ふいちょうしていた。

その一件の当時、その船に乗り合わせていたのは確かにお俊であったが、彼女が伊勢屋に引かされた後、銀之助がその妾宅へ出入りしていたかどうかはよく判らないと云うのであった。

しかも以上の探索で半七の肚は決まったので、その翌朝、八丁堀同心熊谷八十八の屋敷に行って、委細の事情を申し立てた。その許可を得て、彼は直ぐに深川の北六間堀へ出向いて、柘榴伊勢屋の主人由兵衛を番屋へ呼び出した。

それと同時に、本所回向院門前に住む二段目相撲万力甚五郎の宅をあらためると、家財をそのままにして、万力は駈け落ちしたと云うのである。その台所の床下から首のない女の死骸があらわれた。

「先ずこんなわけで、これだけお話をすれば、もう大抵お判りでしょう」と半七老人は云った。「女の生首を碁盤に乗せて、武家屋敷の門前にさらして置く。……事件は頗る珍らしいのですが、その事情は案外に単純で、別に講釈をする程のことはありません」

「それでも私たちには判らない事がいろいろあります」と、わたしはまだ手帳をひろげていた。「そこで、伊勢屋の主人を調べたら、どんなことを申し立てたんです」

「さすがは大家たいけの主人だけに、何もかも正直にはきはきと答えました。万力は抱え屋敷に申し訳ないと云って、腹を切ろうとまで覚悟したのを、由兵衛がいろいろになだめて、まあ無事に済ませたのだそうです。それからお俊を引いて本所に世帯を持たせ、いわゆる囲い者にして、由兵衛が世話をしていました。前にも申す通り、お俊は鼠が大嫌い、その本所の家に鼠が出て困るというので、例の碁盤を持ち込んだのですが、由兵衛の話では不思議に鼠が出なくなったと云うことです。

それで小半年は何事もなかったのですが、十一月頃になって、お俊は頻りに何処へか引っ越したいと云う。そこで、浅草の駒形こまかたの方に借家をさがして、十一月二十三日には引っ越す筈になったので、例の碁盤はいったん伊勢屋へ返すことになりました。その前日の二十二日の朝、万力が伊勢屋へ来た時にその話を聞いて、それじゃあ私が取って来ましょうと云って気軽に出て行きました。

万力はそれぎり帰って来なかったが、明くる二十三日は引っ越しの当日なので、伊勢屋から手伝いの人を出してやると、一つ目の橋のきわに万力が待っていて、お俊さんはもう駒形へ行っているから、構わずに道具を搬はこび出してくれと云って、自分はどこへか立ち去ってしまいました。なんにも知らない手伝いの連中は家主の酒屋にことわって、お俊の家財をどしどし積み出して、駒形の引っ越しさきへ送り込むと、ここにもお俊は来ていない。まるで狐に化かされたような始末です。

午ひる過ぎになってもお俊の姿は見えないので、手伝いの連中も待ちくたびれて、深川の伊勢屋へ知らせに行きました。それは二十三日の七ツ(午後四時)近い頃で、もう其の頃には小栗の屋敷の噂が深川へも響いていました。そこで、由兵衛ははっと思ったが、もう遅い。万力はやはり姿を見せないので、何が何やら判らない。迂闊に立ち騒いでは外聞にも拘わるので、ひそかに胸を痛めながら由兵衛はぼんやりと二、三日を暮らしていた。そのほかの事はなんにも知らないと云うのです。

こう云うと、ひどく手鈍てぬるいようですが、相当の大家では世間の外聞というものを気にかけます。殊にそれが妾の一件だなぞと云うと、猶さら世間体を気遣うので、伊勢屋の主人もどうしていいか途方に暮れて、まあ黙って成り行きを窺っていたのでしょう。こうなると、主人の由兵衛に科とがはないわけで、ひとまず自分の家うちへ下げてやりました」

「下手人はやはり万力ですね」

「万力は野州鹿沼在の者で、それから江戸を立ちのいて、故郷の叔父や兄に暇乞いをした上で、蓮行寺という菩提寺に参詣し、家代々の墓の前で切腹しました。人殺しの罪は逃のがれられないとは云いながら、年は若し、出世の見込みのある相撲を、こんなことで殺すのは可哀そうでした。

万力の叔父の甚右衛門は本人の遺言だと云うので、その書置を持って江戸へ出て、深川の伊勢屋へたずねて来ました。万力が甚右衛門に打ち明けたところによると、二十二日に本所の家へ碁盤を受け取りにゆくと、お俊はもう引っ越しの荷作りをしていたが、女中のお直の姿は見えない。お直さんはどうしたと訊くと、もう暇を出したと云う。お直さんがいては邪魔になるからだろうと、万力は皮肉らしく云うと、お俊はなんにも返事をしなかったそうです。その場は無事に碁盤を受け取って帰ったのですが、それから自分の家へいったん帰って、その碁盤を床の間に置いて、暫くじっと眺めているうちに、急にむらむらと殺気を生じて、お俊の首を碁盤の上へ乗せて見たくなったそうです」

「碁盤の猫が崇ったんですかね」

「崇ったのかどうか知りませんが、急に殺す気になったのだそうです。勿論、万力がお俊を狙っていたのはきょうに始まったことではないのです」と、老人は説明した。「お俊が旦那の眼を偸ぬすんで、小栗の次男銀之助を引き摺り込んでいることを、近所に住んでいるだけに万力はもう知っていました。お俊が駒形へ引っ越すと云い出したのも、万力に睨まれているのがうるさいからでした。万力は正直者ですから、お俊が旦那の眼を掠めて不埒を働いているのを、怪けしからぬ奴だと睨んでいました。殊にその不埒の相手が小栗の銀之助で、こいつの為に抱え屋敷をしくじっているのですから、万力に取っては仇かたきも同様、いよいよ我慢が出来ないのは無理もありません。

そこで、旦那の由兵衛にむかって、万力は内々注意したのですが、あくまでもお俊に迷っている由兵衛は取り合わない。そればかりでなく、この頃は万力を少しくうとんじるような気色けしきも見える。それも恐らくお俊の讒言ざんげんに相違ないと、万力はますますお俊を憎むようになりました。

もう一つ、由兵衛は子供のないのを云い立てに、女房のおかめを里へ戻して、お俊を深川の本宅へ引き入れるような噂がある。そんなことになれば、女房の里方さとかたの不承知は勿論、親類たちからも故障が出て、伊勢屋の店にお家騒動が起こるのは見え透いている。忠義の万力としては、これも我慢の出来ないことです。それやこれやを考えると、万力はどうしてもお俊をそのままにして置くことは出来ないと、ひそかに覚悟を決めていました。

どうせお俊を殺すならば、かたきの銀之助も一緒に殺したいと思って、万力はその出入りを窺っていたのですが、あいにくいい機会がない。そんな屈托くったくがあるためか、この冬場所の万力は白星四つ、黒星六つという負け越しで、大いに器量を下げました。そんなことで気を腐らしているところへ、お俊の引っ越し一件が出来しゅったいしたので……。駒形へ引っ越すのは、自分の近所を離れて、自由に銀之助を引き入れる料簡だろう。お直に暇を出したのも、伊勢屋の方から廻して来た女中では、なにかに付けて気が置ける為だろう。そう思うと、万力はますます腹が立ちました。

その矢さきに例の碁盤を見て、万力は急に殺気を帯びて……。猫のたましいが乗り移ったと云うわけでも無いでしょうが、もう銀之助などはどうでもいい、今夜のうちにお俊を殺してしまおうと断然決心して、日の暮れる頃から相生町一丁目へ出かけて、お俊の家うちのあたりを徘徊していると、どこへ行くつもりかお俊は頭巾をかぶって出て来ました。これ幸いと声をかけて、旦那は深川の平清ひらせいに来ているので、私がおまえさんを迎いに来たと云う。お俊も万力に対しては内々用心していたのでしょうが、そこが運の尽きと云うのでしょう。うっかり瞞だまされて一つ目の橋の上まで来ると、人通りのないのを見すまして、万力は不意にお俊の喉を絞めました。相撲の力で絞められちゃあ堪まりません。お俊は半死半生でぐったりとなったのを、万力は背中に負って、回向院前の自宅へ帰りました。

万力は男世帯で、家には黒松という取的とりてきがいるだけです。その黒松に手伝わせてお俊の首を斬り落とし、死骸は床下に埋めました。これで先ずお俊は片付けてしまいましたが、もしや銀之助が泊まりにでも来ているかと、万力は夜更けにお俊の家へ忍び込みましたが、誰もいないので空しく引っ返しました。隣りの駒吉が格子の音を聞いたのは此の時でしょう。それからお俊の切り首を風呂敷につつんで万力が引っかかえ、碁盤を黒松に持たせて、ふたたび自分の家を忍んで出ました。

最初は銀之助の屋敷の前へ置いて来るつもりで、深川の籾蔵前まで行ったのですが、その屋敷はたった一度見ただけで、しかも闇の晩なので、同じような屋敷が幾軒も列んでいると、どれが大瀬の屋敷だか判らなくなってしまいました。迂闊に門かど違いをしては、他人の迷惑になると思ったので、万力は又引っ返して本所へ行って、小栗の屋敷の前に置いて来たという訳で……。まあ、次男の恨みを本家に報いた形です。悪い弟を持った為に、本家は飛んだ迷惑、思えば気の毒でした」

「そうすると、黒松という弟子も共犯ですね」

「師匠の指図で忌いやとも云えなかったのでしょう。万力は幾らかの金を持たせて、夜の明けないうちに黒松を逃がしてやりました。黒松の故郷は遠州掛川在ですから、念のために問い合わせましたが、そこにも姿を見せない。多分上方かみがたへでも行ったのだろうと云うことで、とうとうゆくえ知れずになってしまいました。黒松なんぞは名も知れない取的ですから、別に問題にもなりませんが、万力は二段目の売出しですから、この噂が伝わると世間では驚きました。

銀之助に対する恨みがまじっているとは云いながら、万力がお俊を殺したのは我が身の慾でもなく、色恋でもなく、旦那に対する忠義の心から出たことですから、自然に世間の同情も集まるというわけでした。この前年、即ち文久二年の四月にも相撲の人殺しがありました。これは不動山と殿しんがりの二人が同じ力士の小柳平助を斬り殺して自首した一件で、その噂の消えないうちに、又もや万力の事件が出来しゅったいしたので、いよいよその噂が高くなったのでした」

「そこで、問題のあばたはどういうことになりました」

「前にも申す通り、わたくし共の商売には感が働きます」と、老人は笑った。「そのなかには飛んだ感違いもあるのですが、このときは巧く働きました。あばたが無かろうが有ろうが、女はどうしてもお俊らしいと、わたくしは最初から睨んでいましたが、やっぱりそうでした。お俊には薄あばたがあったのですが、それを白粉で上手に塗り隠していたのです。あとで聞くと、お俊は身嗜みだしなみのいい女で、朝は暗いうちにお化粧を済ませて、自分の素顔を人に見せたことが無かったと云いますから、そのあばたを隠すためには本人もよほど苦心していたと見えます。

殺された晩にも、勿論お化粧をしていたのでしょうが、万力が顔の血でも洗った為に、初めて生地きじがあらわれたのでは無いかと察せられます。折角隠していたあばたの顔を、死んだ後に晒されては、お俊も残念であったかも知れません。お家騒動を起こすつもりであったかどうだか、万力の片口ばかりでは判りません。しかしその位のことは仕兼ねない女だという評判もありました」

最後に残ったのは、例の碁盤の一条である。それに就いて半七老人は斯う語った。

「碁盤は伊勢屋へ戻されましたが、いくら薄雲の由来付きでも、もうこうなってはどうにもなりません。伊勢屋ではそれを菩提寺へ送って、大勢の坊さんにお経を読ませて、寺の庭で焼き捨ててしまったそうです。その煙りの中から女の首をくわえた猫があらわれたなぞと、本当らしく吹聴する者もありましたが、これはヨタに決まっています。

銀之助は、その歳の暮に本家へ帰りました。そうしてぶらぶらしているうちに、慶応四年の上野の戦争、下谷の辺で死にました。と云っても、彰義隊に加わったわけじゃあない。町人の風をして、手拭をかぶって、戦争見物に出かけると、流れ玉にあたって路傍みちばたで往生、いかにもこの男らしい最期でした」

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
2000年2月3日公開
2004年3月1日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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岡本 綺堂「半七捕物帳──67 薄雲の碁盤」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(六)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001022_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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