Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

こんにちでも全く跡を絶ったというのではないが、東京市中に飴売りのすがたを見ることが少なくなった。明治時代までは鉦かねをたたいて売りに来る飴売りがすこぶる多く、そこらの辻に屋台の荷をおろして、子どもを相手にいろいろの飴細工を売る。この飴細工と糝粉しんこ細工とが江戸時代の形見といったような大道だいどう商人あきんどであったが、キャラメルやドロップをしゃぶる現代の子ども達からだんだんに見捨てられて、東京市のまん中からは昔の姿を消して行くらしく、場末の町などで折りおりに見かける飴売りにも若い人は殆ど無い。おおかたは水洟みずっぱなをすすっているような老人であるのも、そこに移り行く世のすがたが思われて、一種の哀愁を誘い出さぬでもない。

その飴売りのまだ相当に繁昌している明治時代の三月の末、麹町の山王山さんのうさんの桜がやがて咲き出しそうな、うららかに晴れた日の朝である。わたしは例のごとく半七老人をたずねようとして、赤坂の通りをぶらぶら歩いてゆくと、路ばたには飴屋の屋台を取りまいて二、三人の子どもが立っている。

それは其の頃の往来にしばしば見る風景の一つで、別に珍らしいことでも無かったが、近づくにしたがって私に少しく不思議を感じさせたのは、ひとりの老人がその店の前に突っ立って、飴売りの男と頻りに話し込んでいることであった。彼は半七老人で、あさ湯帰りらしい濡れ手拭をぶら下げながら、暖い朝日のひかりに半面を照らさせていた。

半七老人と飴細工、それが不調和の対照とも見えなかったが、平生へいぜいから相当に他人ひとのアラを云うこの老人としては、朝っぱらから飴屋の店を覗いているなどは、いささか年甲斐のないようにも思われた。この老人を嚇おどすというほどの悪意でもなかったが、わたしは幾らか足音を忍ばせるように近寄って、老人のうしろから不意に声をかけた。

「お早うございます」

「やあ、これは……」と、老人は急に振り返って笑った。

「又お邪魔に出ようと思いまして……」

「さあ、いらっしゃい」

老人は飴売りに別れて、わたしと一緒にあるき出した。

「あの飴屋は芝居茶屋の若い衆しゅでね」と、老人は話した。「飴細工が器用に出来るので、芝居の休みのあいだは飴屋になって稼いでいるんです」

成程その飴売りは三十前後の小粋こいきな男で、役者の紋を染めた手拭を肩にかけていた。その頃の各劇場は毎月開場すること無く、一年に五、六回か四、五回の開場であるから、劇場の出方でかたや茶屋の若い者などは、休場中に思い思いの内職を稼ぐのが習いで、焼鳥屋、おでん屋、飴屋、糝粉しんこ屋のたぐいに化けるのもあった。したがって、それらの商人の中にはなかなか粋いきな男が忍んでいる。芝居の話、花柳界の話、なんでも来いというような者もあって、大道商人といえども迂濶うかつに侮りがたい時代であった。かの飴屋もその一人で、半七老人とは芝居でのお馴染であることが判った。

家へゆき着いて、例の横六畳の座敷へ通されたが、飴の話はまだ終らなかった。

「今の人たちは飴細工とばかり云うようですが、むかしは飴の鳥とも云いました」と、老人は説明した。「後にはいろいろの細工をするようになりましたが、最初は鳥の形をこしらえたものだそうです。そこで、飴細工を飴の鳥と云います。ひと口に飴屋と云っても、むかしはいろいろの飴屋がありました。そのなかで変っているのは唐人とうじん飴で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切りの飴ん棒を一本二本ずつ売るんです」

「じゃあ、和国橋わこくばしの髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」

「そうです、そうです。更紗さらさでこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓くつをはいて、鉦かねをたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……」

そら来たと、わたしは思わず居住いずまいを直すと、老人はにやにやと笑い出した。

「うっかりと口をすべらせた以上、どうであなたの地獄耳が聞き逃す筈はありません。話しますよ。まあ、ゆっくりとお聴きください」

有名の和蘭おらんだ医師高野長英が姓名を変じて青山百人町まち(現今の南町六丁目)にひそみ、捕吏とりかたにかこまれて自殺したのは、嘉永三年十月の晦日みそかである。その翌年の四月、この「半七捕物帳」で云えば、かの『大森の鶏』の一件から三月の後、青山百人町を中心として、さらに新しい事件が出来しゅったいした。

江戸の地図を見れば判るが、青山には久保町ちょうという町があった。明治以後は青山北町四丁目に編入されてしまったが、江戸時代には緑町、山尻町などに接続して、武家屋敷のあいだに町屋まちやの一郭をなしていたのである。久保町には高徳寺という浄土宗の寺があって、そこには芝居や講談でおなじみの河内山こうちやま宗春そうしゅんの墓がある。その高徳寺にならんで熊野権現ごんげんの社やしろがあるので、それに通ずる横町を俗に御熊野横町と呼んでいた。

御熊野横町の名は昔から呼び習わしていたのであるが、近年は更に羅生門横町という綽あだ名が出来た。よし原に羅生門河岸らしょうもんがしの名はあるが、青山にも羅生門が出来たのである。その由来を説明すると長くなるが、要するに嘉永二年と三年との二年間に、毎年一度ずつここに刃傷沙汰にんじょうざたがあって、二度ながら其の被害者は片腕を斬り落とされたのである。江戸時代でも腕を斬り落とされるのは珍らしい。それが不思議にも二年つづいたので、渡辺綱が鬼の腕を斬ったのから思い寄せて、誰が云い出したとも無しに羅生門横町の名が生まれたのである。

この久保町、緑町、百人町のあたりへ、去年の夏の末頃から彼かの唐人飴を売る男が来た。ここらには珍らしいので相当の商売になっているらしかったが、これを誰が云い出したか知らず、あの飴屋は唯の飴屋でなく、実は公儀の隠密であるという噂が立った。そのうちに高野長英の捕物一件が出来しゅったいして、長英は短刀を以って捕手とりての一人を刺し殺し、更に一人に傷を負わせ、自分も咽喉のどを突いて自殺するという大活劇を演じたので、近所の者は胆きもを冷やした。そうして、かの唐人飴は公儀の隠密か、町方まちかたの手先が変装して、長英の探索に立ち廻っていたに相違ないということになった。

ところが、その唐人飴は長英一件の後も相変らず商売に廻って来た。飴売りは年ごろ二十二三の、色の小白い、人柄の悪くない男で、誰に対しても愛嬌を振り撒いているので、内心はなんだか薄気味悪いと思いながらも、特に彼を忌いみ嫌う者もなかった。彼も平気で長英の噂などをしていた。そのうちに、その年の冬から翌年の春にかけて、ここらで盗難がしばしば続いた。

「あの唐人飴は泥坊かも知れない」

人の噂は不思議なもので、最初は捕吏かと疑われていた彼が、今度は反対に盗賊かと疑われるようになった。昼間は飴を売りあるいて家々の様子をうかがい、夜は盗賊に変じて仕事をするのであろうという。実際そんなことが無いとも云えないので、その噂を信ずる者も相当にあったが、さりとて確かな証拠も無いのでどうすることも出来なかった。

「あの飴屋が来ても買うのじゃあないよ」

土地の人たちは子供らを戒めて、飴を買わせないようにした。商売がなければ、自然に来なくなるであろうと思ったのである。こうして土地の人たちから遠ざけられているにも拘らず、彼はやはり商売に廻って来た。子供が買っても買わなくても、かれは鉦かねをたたいて、おかしな唄を歌って、唐人のカンカン踊りを見せていた。この頃は碌々に商売もないのに、根こんよく廻って来るのは怪しいと、人々はいよいよ白い眼を以って彼を見るようになったが、彼は一向に平気であるらしかった。或る人がその名を訊きいたらば、虎吉と答えた。家は四谷の法善寺門前であると云った。

四月十一日の朝である。久保町の豆腐屋定助が商売柄だけに早起きをして、豆腐の碓うすを挽ひいていると、まだ薄暗い店先から一人の女が転げるように駈け込んで来た。

「ちょいと、大変……。あたし、本当にびっくりしてしまった」

女は、この町内の実相寺門前に住む常磐津の師匠文字吉で、なんの願がんがあるか知らないが、早朝に熊野さまへ参詣に出てゆくと、御熊野横町、即ち彼かの羅生門横町で人間の片腕を見付けたと云うのである。

「あの羅生門横町で……。又、人間の腕が……」

定助も顔の色を変えた。しかも彼は自分ひとりで見届けに行くのを恐れて、文字吉同道で先ず町ちょう役人の門かどを叩いた。それから近所へも触れて歩いた。

人間の腕が往来に落ちていたというのは、勿論一つの椿事出来しゅったいに相違ないが、それが彼の羅生門横町であるだけに、一層ここらの人々を騒がせた。これで腕斬りが三年つづく事になるのであるから、御幣ごへいかつぎの者でなくても、又かと顔をしかめるのが人情である。近所近辺の人々は寝ぼけ眼まなこをこすりながら、われ先にと羅生門横町へ駈けつけると、彼等をおどろかす種がまた殖えた。

「あの腕は……。唐人飴屋だ」

往来に落ちていたのは男の左の腕で、着物の上から斬られたと見えて、その腕には筒袖が残っていた。筒袖は誰も見識っている唐人飴の衣裳である。疑問の唐人飴屋がここで何者にか腕を斬られたに相違ない。それに就いて又いろいろの噂が立った。

「あいつはいよいよ泥坊で、お武家の物でも剥ぎ取ろうとして斬られたのだ」

「いや、泥坊には相違ないが、仲間同士の喧嘩で腕を斬られたのだ」

いずれにしても、尋常の唐人飴屋が夜更よふけにここらを徘徊している筈がない。斬られた事情はどうであろうとも、彼が盗賊であることは疑うべくもない。たとい腕一本でも、それが人間のものである以上、犬や猫の死骸と同一には取り扱われないので、町でも訴え出での手続きをしている処へ、ひとりの男がふらりとはいって来た。

男は半七の子分の庄太であった。庄太は浅草の馬道うまみちに住んでいながら、その菩提寺は遠い百人町の海光寺であるので、きょうは親父の命日で朝から墓参に来ると、ここらには唐人飴の噂がいっぱいに拡がっていた。彼も商売柄、それを聞き流しには出来ないので、町役人の玄関へ顔を出したのである。

彼は先ずその腕を見せて貰った。その腕に残っていた筒袖をあらためた。その飴屋の年頃や人相や、ふだんのあきない振りなどに就いても聞きあわせた。それから熊野権現の近所へまわって、羅生門横町の現場をも取り調べた。ここは山尻町との境で、片側には小さい御家人ごけにんと小商人こあきんどの店とが繋がっているが、昼でも往来の少ない薄暗い横町で、権現のやしろの大榎おおえのきが狭い路をいよいよ暗くするように掩おおっていた。

庄太が帰ったあとで、又もやここらの人々をおどろかしたのは、かの唐人飴の虎吉が、相変らず鉦かねを叩いて来たことである。腕斬りの一件を聴いて、かれは眼を丸くして云った。

「それは驚きましたね。だが、わたしはこの通りだから御安心ください」

彼は両手をひろげて、いつものカンカン踊りをやって見せた。その両腕はたしかに満足に揃っていた。こうなると、ここらの人々は唯ぽかんと口を明いているのほかは無かった。

二

神田三河町の半七の家では、親分と庄太が向かい合っていた。

「だが、土地の奴らも愚昧ぼんくらですよ」と、庄太は笑った。「土地の奴らはまあ仕方がないとしても、町役人でも勤める奴らはもう少し眼が明いていそうなものだが……。その腕は現場で斬られたものじゃあねえ、何処からか捨てに来たのか、犬がくわえて来たのか、二つに一つですよ。人間の腕一本を斬ったら、生血なまちがずいぶん出る筈だが、そこらに血の痕なんか碌々残っていやあしません」

「初めにそれを見付けたという常磐津の師匠はどんな女だ」と、半七は訊きいた。

「実相寺門前にいる文字吉という女で、わっしがたずねて行ったときには、湯に行ったとか云うので留守でしたが、近所の話じゃあ何でも年は三十四五で、色のあさ黒い、力りきんだ顔の、容貌きりょうは悪くない女だそうで……。浄瑠璃は別にうまいという程でもねえが、なかなか良い弟子があって、ずいぶん遠い所から通って来るのがあるので、場末の師匠にしては内福らしいという噂です」

「文字吉には旦那も亭主もねえのか」と、半七はまた訊いた。

「旦那はあります」と、庄太は答えた。「原宿町まちの倉田屋という酒屋の亭主だそうですが、文字吉は感心にその旦那ひとりを守っていて、ちっとも浮気らしい事をしねえばかりか、その旦那に遠慮して男の弟子をいっさい取らねえと云うのです。今どきの師匠にゃあ珍らしいじゃありませんか」

「めずらしい方だな。奉行所へ呼び出して、鳥目ちょうもく五貫文の御褒美でもやるか」と、半七は笑った。

「師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。家うちはどこだ」

「四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北町まちの法善寺門前を軒別のきなみに洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ」

「そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五十人も百人もいる筈はねえ。それからそれへと仲間を洗って行ったら、大抵わかるだろう」

「じゃあ、すぐに取りかかりますか」

「ともかくもそうしなけりゃあなるめえ」と、半七は云った。「丁度いいことには、下っ引の源次の友達に飴屋がある筈だ。あいつと相談してやってくれ。おれも青山へ一度行ってみよう」

云いかけて、半七は又かんがえた。

「なあ、庄太。土地の者はその飴屋を隠密だとか捕方とりかただとか云っているそうだが、よもやそんなことはあるめえな」

隠密や捕吏が何かの恨みを受けた為に、或いは何かの犯罪露顕をふせぐ為に、闇討ちに逢うようなことが無いとは云えない。もしそうならば、その片腕を人目に触れるような場所へ捨てる筈はあるまい。殊に証拠となるべき唐人服の片袖をそのままに添えて置くなどは余りに用心が足らないように思われる。しかし又、世間には大胆な奴があって、わざと面当てらしくそんな事をしないとも限らない。もしそうならば、あの辺に住む悪旗本か悪御家人などの仕業しわざである。相手が屋敷者であると、その詮議がむずかしいと半七は思った。

そのうちに庄太は俄かに叫んだ。

「あ、いけねえ。飛んだことを忘れていた。親分、堪忍しておくんなせえ。実はその腕はね、切れ味のいい物ですっぱりとやったのじゃあありません。短刀か庖丁でごりごりやったらしい。その傷口がどうもそうらしく見えましたよ」

「そうか」と、半七は更にかんがえた。そうすると、その下手人げしゅにんは屋敷者では無いらしい。なんにしても、ここで考えていても果てしが無い。現場を一応調べた上で、臨機応変の処置を取るのほかは無いので、やはり最初の予定通りに、まず飴屋の仲間を洗わせることにした。下っ引の源次は下谷で飴屋をしている。それと相談して万事いいようにしろと、庄太に重ねて云い含めた。

「ようがす。親分はあした青山へ出かけますかえ」

「日暮れにさしかかって場末へ踏み出しても埓が明くめえ。あしたゆっくり出かける事にしよう」

「それじゃあ、その積りでやります」

庄太は約束して帰った。帰る時に、彼はきょうの掘り出し物を自慢して、これも青山へ墓まいりに行ったお蔭であるから、死んだ親父の引き合わせかも知れないなどと云って、半七を笑わせた。まったく親は有難い、お前のような不孝者にも掘り出し物をさせてくれるとからかわれて、庄太はあたまを掻いて帰った。

あくる朝は晴れていた。半七は八丁堀の屋敷へ行って、唐人飴の探索に取りかかることを一応報告した上で、山の手へぶらぶら上のぼってゆくと、時候は旧暦の四月であるから、青山あたりは其の名のように青葉に包まれていた。

ここらの土地の姿は明治以後著しく変ってしまって、殆ど昔の跡をたずぬべきようも無いが、こんにち繁昌する青山の大通りは、すべて武家屋敷であったと思えばよい。町屋まちやは善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。青山五丁目六丁目は百人町の武家屋敷で、かの瞽女節ごぜぶしでおなじみの「ところ青山百人町に、鈴木主水もんどという侍」はここに住んでいたらしい。

その寂しい場末の屋敷町にさしかかって、半七は思わず足を停めた。芝居の鳴り物が耳に入ったからである。江戸辺から行けば、右側が久保町で、その筋むかいの左側に梅窓院の観音がある。観音のとなりにも鳳閣寺という真言宗の寺があって、芝居の鳴り物はその寺の境内けいだいからきこえて来るのであった。

「むむ、小三こさんの芝居か」

江戸の劇場は由緒ある三座に限られていたが、神社仏閣の境内には宮芝居または宮地芝居と称して、小屋掛けの芝居興行を許されていた。勿論、丸太に筵張むしろばりの観世物小屋同様のものであるが、その土地相応に繁昌していたのである。鳳閣寺の宮芝居は坂東小三という女役者の一座で、ここらではなかなかの人気者であることを半七は知っていた。

小三の名は知っていたが、半七は曾てその芝居を覗いたことはないので、一体どんな様子かと、鳴り物に誘われて境内へはいると、型ばかりの小屋の前には、古い幟のぼりや新しい幟が七、八本も立ちならんで、女や子供が表看板をながめているのが、葉桜のあいだに見いだされた。小屋のなかでは鉦や太鼓をさわがしく叩き立てていた。和藤内わとうないの虎狩が今や始まっているのである。看板にも国姓爺こくせんや合戦と筆太ふでぶとにしるしてあった。

「国姓爺か。大物をやるな」

半七はふと何事かを考え付いたので、十六文の木戸銭を払ってはいった。虎狩の場に出るのは、和藤内の母と和藤内と、唐人と虎だけである。座頭ざがしらの小三が和藤内に扮して、お粗末な縫いぐるみの虎を相手に大立ち廻りを演じていた。それだけを見物して、半七はもう帰ろうとしたが、また思い直して次の一幕を見物した。次は楼門の場である。

この場には和藤内の父母と、和藤内と錦祥女きんしょうじょと、唐人と唐女が出る。錦祥女は小三の弟子の小三津こみつというのが勤めていた。舞台顔で本当の年を測はかるのはむずかしいが、小三津はせいぜい二十四五であるらしく、眼鼻立ちの整った細面ほそおもてで、ここらの芝居の錦祥女には好過ぎるくらいの容貌きりょうであった。木戸銭十六文の宮芝居であるから、鬘かつらも衣裳も惨みじめなほどに粗末であるのを、半七は可哀そうに思った。

虎狩の場に出る虎もなかなかよく動いた。虎にしては胴体が小さく、なんだか犬のようにも見えたが、身軽に飛び廻って、二、三度も宙返りを打ったりして、大いに観客を喜ばせていた。女役者にこんな芸の出来る筈はない。虎は男が縫いぐるみを被かぶっているに相違ないと、半七は鑑定した。

三

鳳閣寺の境内を出て、半七は更に久保町へむかった。ここらにも町名主ちょうなぬしの玄関はある。半七はその玄関をおとずれて町ちょう役人に逢い、かの片腕の一件についてひと通りのことを訊ききただしたが、庄太の報告以外に新らしい発見もなかった。唯ここで少しく意外に感じたのは、疑問の唐人飴屋がきのうも平気でここへ姿をあらわしたという事であった。しかも其の両手は満足に揃っているというのである。

「あの飴屋は毎日いつごろ廻って来ます」と、半七は訊いた。

「大抵八ツ(午後二時)頃です」

八ツまではまだ半ときほどの間ひまがある。そのあいだに遅い午飯ひるめしを食うことにしたが、ここらの勝手をよく知らない半七は、迂濶うかつなところへ飛び込むのは気味が悪いと思って、当座の腹ふさぎに近所の蕎麦屋へはいると、ほかに一人の客もなかった、注文の蕎麦の出来るのを待つあいだ、煙草を吸いながら見まわすと、くすぶった壁には彼かの坂東小三の芝居のビラが掛けてあった。

店は狭いので、釜前に立ち働いている亭主はすぐ眼のさきにいる。半七はビラを見返りながら亭主に声をかけた。

「小三の芝居はなかなか景気がいいね」

「ご見物になりましたか」と、亭主は云った。

「実は今、二幕ばかり覗いて来たのだが、宮芝居でも馬鹿にゃあ出来ねえ。みんな相当に腕達者だ」

土地の芝居を褒められて、亭主も悪い心持はしないらしく、にこにこしながら答えた。

「どうでお江戸の方々の御覧になるような物じゃあござんすまいが、相当によくすると皆さんが云っておいでですよ。あれでも此処らじゃあなかなかの評判です」

「そうだろうな。錦祥女をしている小三津というのは綺麗だね」

「ええ、小三津は年も若いし、容貌きりょうもいいので、人気者ですよ」

蕎麦を食いながら亭主の話を聞くと、座頭の小三はもう三十七八である。小三津はその弟子で、まだ二十二三である。小三津は今度の錦祥女も評判がいいが、この前の「鎌倉三代記」の時姫もよかった。そんなわけで、小三津はこの一座の花形であるが、なぜか此の頃は師匠の機嫌を悪くして、このあいだも楽屋でひどく叱られた。小三津は泣いて退座すると云い出したが、花形役者に退のかれては興行にさわるので、ほかの人々が仲裁して無事に納めた。

「なんと云っても女同士の寄合いですから、いろいろうるさいと見えますよ」と、亭主は云った。

「小三津はなんで師匠に叱られた。舞台の出来が悪かったのか、それとも色男でもこしらえたか」と、半七は笑いながら訊いた。

「小三津は堅い女で、これまで浮いた噂も無し、今でもそんなことは無いらしいというのですが……」と、亭主は首をかしげながら云った。「それですから幾らか給金も溜めているし、着物なぞも相当に拵こしらえていたのだそうですが、それをどうしてかみんな無くしてしまったのを、師匠に見付けられて叱られたのだとかいう噂です。どうしたのですかね」

「博奕ばくちでも打つかな」

「まあ、そんなことかも知れません。その連中には女でも手慰てなぐさみをする者がありますからね。地道じみちなことで無くしたのなら、師匠もそんなに叱る筈はありません。なにか悪いことをしたのでしょうね」

「むむ」と、半七は蕎麦の代りをあつらえながら又訊いた。

「今見たら、木戸前に小三津の新しい幟が立っている。呉れた人は常磐津文字吉とある。小三津は文字吉に何か係り合いがあるのかね」

「文字吉は実相寺門前の師匠ですが、小三津をたいへん贔屓ひいきにして、楽屋へ遣つかい物をしたり幟をやったり、近くの料理屋へ呼んだりしたので、小三津の方でも喜んで、このごろでは師匠の家うちへもちょいちょい出這入りをしているようです」

「それで叱られたわけでもあるめえ」

「勿論それは別の話で……」と、亭主は笑っていた。「芸人同士、女同士で、贔屓にしてくれる所へ顔出しをするのを、師匠がやかましく云う筈はありません」

「まったくだ。そんな野暮を云っちゃあ、役者稼業は出来ねえ」

それから糸を引いて、今度は文字吉の噂に移ったが、亭主は彼女を悪く云わなかった。やはり庄太の報告通り、酒屋の旦那に遠慮して男の弟子は取らない。弟子は近所の娘たちか、遠方から通って来る女たちである。旦那から月々の手当てを貰う上に、いい弟子が相当にあるので、師匠はなかなか内福であるらしいと云った。

「遠くからどんな弟子が来るのだね」と、半七は訊いた。

「遠方から来るのですから、若い人はありません、大抵は二十代か三十代の年増としまです。日本橋や神田の下町したまちからも来ますし、四谷牛込の山の手辺からも来るそうです。まあ、囲い者のような女か、後家さんらしい人たちですね」

この上に深い詮議をするのもよくないと思って、半七は勘定を払って蕎麦屋を出た。文字吉という師匠はそれほど上手でもないと云うのに、なぜ遠方から年増の女弟子がわざわざ通って来るのか、それには何かの仔細がありそうに思われた。半七はそれを考えながら、熊野権現の社のあたりをひと廻りして、実相寺門前の文字吉の家をたずねると、五十六七の雇い婆らしい女が出て来て、三角な眼をひからせながら無愛想に答えた。

「お師匠ししょさんは風邪を引いて寝ていますよ。お前さんはどなたで……」

「お弟子入りの子供をたのまれて、赤坂の方から参りましたが……」と、半七はおだやかに云った。

「そうですか」と、彼女は相手の顔をながめながら又答えた。「それにしてもお師匠さんはゆうべから寝ていますからね、又出直して来てください」

「世間の噂じゃあ、お師匠さんはきのうの朝、熊野さまの近所で、往来に落ちている片腕を見付けたそうで……。それから熱でも出たのですかえ」

「そんなことは知りませんよ」

彼女の眼はいよいよ光った。ここで自分の正体をあらわすのも面白くないので、半七はいい加減に挨拶して早々にここを出た。出て見ると、いつの間に来たか知らず、塩煎餅屋の前に子供をあつめて、唐人飴の男が往来でカンカンノウを踊っていた。彼は型のごとく唐人笠をかぶって、怪しげな更紗さらさの唐人服を着て、飴の箱を地面におろして、両手をあげて踊っていたが、色の小白い、眼つきのやさしい、いかにも憎気にくげのない男であった。半七はしばらく立ちどまって眺めていた。

子供たちは笑って踊りを見ているばかりで、一人も飴を買う者はなかった。親たちから飴を買う銭ぜにを与えられない為であろう。それでも飴売りはちっとも忌いやな顔をしないで、何か子供たちに冗談などを云っていた。

なにぶんにも天気はいい。日はまだ高い。その真っ昼間の往来で、いつまでも飴売りのあとを付け廻しているわけにも行かないので、半七はその人相を篤とくと見定めただけで、ひと先ずそこを立ち去るのほかは無かった。行きかけて見ると、文字吉の家の雇い婆は裏口から表へ出て、半七の挙動をそっと窺っているらしかった。

この婆も唯者でないと、半七は肚はらの中で睨んだ。さてそれからどうしようかと考えながら、ともかくも久保町の通りを行き過ぎると、荒物屋の前に道具をおろして手桶の箍たがをかけ換えている職人の姿が眼についた。それは往来を流してあるく桶屋である。もしやと思って覗いてみると、職人は下っ引の源次であるので、半七は行き過ぎながら合図の咳払いをすると、源次は仕事の手をやすめて顔をあげた。二人は眼を見合わせたまま無言で別れた。

源次が来ている以上、庄太も来ているかも知れないと、半七は気をつけて見まわしたが、其処らにそれらしい人影も見えなかった。大通りへ出ると、百人町の武家屋敷は青葉の下に沈んで、初夏の昼は眠ったように静かである。渋谷から青山の空へかけて時鳥ほととぎすが啼いて通った。

半七は時々うしろを見かえりながら善光寺門前へさしかかると、源次は怱々そうそうに仕事を片付けたと見えて、やがて後あとから追って来た。半七は彼を頤あごで招いて、善光寺の仁王門をくぐろうとしたが、また俄かに立ちどまった。青山善光寺の仁王尊は昔から有名で、その前には大きい草鞋や下駄がたくさんに供えてある。奉納の大きい石の香炉もある。その香炉に線香をそなえて、一心に拝んでいる若い男の姿に、半七は眼をつけた。

彼はまだ十八九の色白の男で、髪の結い方といい、それが役者であることは一見して知られた。彼はしゃがんで俯向いて拝んでいた。その格好が彼かの和藤内の虎狩に働いていた虎によく似ているのを、半七は見逃がさなかった。あたかもそこへ十三四の小娘が二人連れで通りかかった。

「あら、あすこに照之助が拝んでいてよ」

娘たちは若い役者を幾たびか見返りながら行き過ぎるのを、半七は追いかけて小声で訊いた。

「あの役者はなんというのです」

「市川照之助……。浅川の小屋に出ているのです」と、娘のひとりが教えた。

「浅川の芝居……」と、半七はかんがえていた。「あの、小三の芝居に出ているのじゃありませんか」

「そんな噂もありますけれど、男の役者ですから今までは浅川の芝居に出ていたのですが……」と、他の娘が云った。

「いや、ありがとう」

娘をやりすごして、半七はしばらく市川照之助のすがたを眺めていた。若い役者はなんにも知らないように、いつまでも仁王尊に何事かを祈っていた。

四

善光寺境内は広い。半七は人目の少ないところへ源次を連れ込んで、その報告を聞くと、彼は庄太の指図にしたがって、ゆうべから今朝にかけて懇意の飴屋仲間を問い合わせたが、唐人飴屋で青山の方角へ立ち廻る者はないらしいというのであった。

「して見ると、あの飴屋はほんとうの商人あきんどじゃあねえ。やっぱり喰わせ者ですよ」と、源次は云った。「お前さんはあの若い役者もしきりに睨んでいなすったが、あれにも何か仔細がありますかえ」

「むむ、あいつも唯者じゃあねえな」と、半七は云った。「あいつの拝み方が気に入らねえ。そりゃあ芸人のことだから、不動さまを信心しようと、仁王さまを拝もうと、それに不思議はねえようなものだが、唯ひと通りの拝み方じゃあねえ。あいつは真剣に何事か祈っているのだ」

「そりゃあ役者だから、自然にからだの格好が付いて、真剣らしく見えるのでしょう」

「いや、そうでねえ。舞台の芸とは違っている。あいつは本気で一生懸命に祈っているのだ。あいつは浅川の芝居の役者だというが、どうもそうで無いらしい。さっき見た小三の芝居にあんな奴が出ていた。第一、おれの腑に落ちねえのは、小三の芝居は女役者だ。その一座に男がまじっているという法はねえ。宮地の芝居だから、大目に見ているのかも知れねえが、男と女と入りまじりの芝居は御法度ごはっとだ。恐らく虎になる役者に困って、男芝居の役者を内証で借りて来たのだろうと思うが、その役者が眼の色を変えて仁王さまを拝んでいる……。それがどうも判らねえ。なにか仔細がありそうだ」

「そこで、わっしはどうしましょう」

「そうだな」と、半七は又かんがえながら云った。「まあ仕方がねえ。おめえはもう少しここらを流しあるいて、何かの手がかりを見つけてくれ。常磐津の師匠と雇い婆、あいつらもなんだか胡散うさんだから、出這入りに気をつけろ」

なにを云うにも人通りの少ない場末の町である。そこをいつまでも徘徊しているのは、人の目に立つ虞おそれがあるので、半七はここで源次に別れて、ひとまず引き揚げることにした。

帰るときに半七は、念のために浅川の芝居の前へ行った。その頃の青山には、今の人たちの知らない町の名が多い。久保町から権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いている。それは現今の青山北町二丁目辺である。その浅川町の空地あきちにも小屋掛けの芝居があって、これは男役者の一座である。半七は小屋の前に立って眺めると、庵看板いおりかんばんの端はしに市川照之助の名が見えた。

この時、半七の袖をそっと引く者があるので、見返れば庄太が摺りよっていた。

「源次に逢いましたか」と、彼はささやくように訊きいた。

「むむ、逢った。善光寺前にうろ付いている筈だ。あいつと打ち合わせて宜しく頼むぜ」

「ようがす」

半七はあとを頼んで神田へ帰った。彼が鳳閣寺内の宮芝居をのぞいたのは、単に芝居好きであるが為ではない。そこで「国姓爺合戦」を上演していたからである。そうして、案の如くに一つの手がかりを掴んだ。まだそれだけでは此の事件を完全に解決することは出来なかった。彼は文字吉に就いても考えなければならなかった。小三津や照之助についても考えなければならなかった。

あくる日の午前ひるまえに、庄太が汗をふきながら駈け込んで来た。

「親分、済みません。おおしくじりだ。まあ、堪忍しておくんなせえ」

きのうの日暮れ方に源次を帰して、彼は百人町の菩提寺にひと晩泊めて貰った。しかもその夜のうちに、眼と鼻のあいだで、又もや一つの椿事が出来しゅったいしたと云うのである。

「どうした」と、半七は訊いた。「また斬られた奴があるのか」

「その通り……。場所も同じ羅生門横町に、唐人飴の片腕がまた落ちていました」

「そうか」と、半七はにやりと笑った。「それからどうした」

「やっぱり唐人の筒袖のままです。なんぼ羅生門横町でも、三日と経たたねえうちに二度も腕を斬られたのだから、近所は大騒ぎ、わっしも面くらいましたよ」

「腕は前のと同じようか」

「違います。前のは生なまっ白ちろい腕でしたが、今度のは色の黒い、頑丈な腕です。前のは若い奴でしたが、今度のはどうしても三十以上、四十ぐらいの奴じゃあねえかと思われます。なにしろ泊まり込みで網を張っていながら、こんな事になってしまって、なんと叱られても一言いちごんもありません。庄太が一生の不覚、あやまりました」

彼はしきりに恐縮していた。

「今さら叱っても後あとの祭りだ。その罪ほろぼしに身を入れて働け」と、半七は苦笑にがわらいした。「おめえは早く青山へ引っ返して、そこらの外科医者を調べてみろ。今度斬られたのは近所の奴だ。ゆうべのうちに手当てを頼みに行ったに相違ねえ。斬った奴も大抵心あたりがある。おれは誰かを連れて行って、その下手人を見つけてやる」

「下手人はあたりが付いていますか」

「大抵は判っている。やっぱり眼のさきにいる奴だ。浅川の芝居にいる市川照之助だろう。あいつは力を授かるために仁王さまを拝んでいたらしい。どうもあいつの眼の色が唯でねえと、おれはきのうから睨んでいたのだ」

「でも、唐人飴とどういう係り合いがあるのでしょう。斬られた腕は二度とも唐人飴の筒袖を着ていたのですが……」

「おめえは知るめえが、鳳閣寺の女芝居で国姓爺の狂言をしている。十六文の宮芝居だから、衣裳なんぞは惨めなほどにお粗末な代物しろもので、虎狩や楼門に出る唐人共も満足な衣裳を着ちゃあいねえ。みんな安更紗の染め物で、唐人飴とそっくりの拵えだ。それを見ると、今度の腕斬りの一件は、この女芝居の楽屋に係り合いがあるらしいと思っていたが、いよいよそれに相違ねえ。照之助という奴が誰かの腕を斬って、それに唐人の衣裳の袖をまき付けて、わざと羅生門横町へ捨てて置いたのだろう。その訳も大抵察しているが、それを云っていると長くなる。これだけのことを肚はらに入れて、おめえは早く青山へ行け」

この説明を聞かされて、庄太は幾たびかうなずいた。

「わかりました。すぐに行きます」

庄太が出ていった後、半七も身支度をして待っていると、やがて亀吉が顔を出した。

「おい、亀、御苦労だが、青山まで一緒に行ってくれ」と、半七はすぐに立ち上がった。「筋は途中で話して聞かせる」

こんなことには馴れているので、亀吉は黙って付いて来た。

大体の筋を話しながら、青山まで行き着くあいだに、きょうの空は怪しく曇って来たが、どうにか今夜ぐらいは持つだろうと半七は云った。ここらの宮芝居は明るいうちに閉場はねることになっている。殊に照之助は虎狩に出るだけの役らしいので、ぐずくずしていると帰ってしまうかも知れないと、二人は鳳閣寺へ急いで行くと、桶屋の源次が門前に待っていた。

二人を見ると、源次は駈けて来て、顔をしかめながら訊いた。

「さっき庄太さんに逢いましたが、又ほかに変なことがあるので……」

「又ほかに……。何が始まった」と、半七は催促するように訊きいた。

「ここの小屋の様子を探ってみると、虎を勤める奴は確かに市川照之助ですが、きょうは楽屋に来ていません。呼び物の虎が出て来ない上に、錦祥女を勤める坂東小三津という女役者も急病だというので、きょうは舞台を休んでいるのです。表向きは急病と云っているが、実は其のゆくえが知れないので、芝居の方じゃあ大騒ぎをしているそうです。時が時だけに、少し変じゃあありませんかね」

「むむ。それも面白くねえな」と、半七は舌打ちした。「そこで小三津の家うちはどこだ」

「小三津は師匠の小三の家にいるのです。小三の家は善光寺門前です」

「照之助の家は……」

「照之助は兄きの岩蔵と一緒に、若松町の裏店うらだなに住んでいます。兄きも役者で市川岩蔵というのですが、芝居が半分、博奕が半分のごろつき肌で、近所の評判はよくねえ奴です。おふくろはお金といって、常磐津の師匠の文字吉の家うちへ雇い婆さんのように手伝いに行っていますが、こいつもなかなかしっかり者のようです。実は照之助の家を覗きに行ったのですが、兄きも弟も留守で、家は空からッぽでした」

「岩蔵はどこの小屋に出ているのだ」

「弟と一緒に、ここの芝居へ出ていたのですが、それに就いて何か面倒が起こって、この二、三日は休んでいるようです」

これで唐人飴の謎も半分は解けたように、半七は思った。最初に発見されたのは、市川岩蔵の腕である。二度目の腕は誰か判らないが、それを斬ったのは市川照之助である。照之助は兄のかたき討ちに、相手の腕を斬ったらしい。そうして、同じ唐人の衣裳の袖につつんで、同じ場所へ捨てたらしい。二度目の腕の主ぬしは、庄太が外科医を調べて来れば、大抵は知れる筈である。

唯わからないのは、最初からここらに立ち廻っている疑問の唐人飴屋の正体である。もう一つは、坂東小三津のゆくえ不明である。師匠の小三と折り合いが悪くて、結局無断で飛びだしたのか。或いは別に仔細があるのか。常磐津の文字吉はいっさい無関係であるのか。雇い婆のお金は照之助兄弟の母である以上、この事件に無関係であるとは思われない。それらの秘密がはっきりしたあかつきでなければ、半七も迂濶に手を入れることが出来なかった。

「なにぶん場所が悪い」と、半七はつぶやいた。

町方の半七らに取っては、まったく場所が悪いのである。この事件の関係者は多く寺門前に住んでいる。現にこの芝居小屋も寺内にある。寺内は勿論、寺門前の町屋まちやはすべて寺社方の支配に属しているのであるから、町奉行所付きの者が、むやみに手を入れると支配違いの面倒がおこる。十分の証拠を挙げて、町奉行所から寺社奉行に報告し、その諒解を得た上でなければ、町方の者が自由に活動することを許されない。それを付け目にして、寺門前には法網をくぐる者が往々ある。その欠陥を承知していながら、先例を重んずる幕府の習慣として、江戸を終るまであらためられなかった。

庄太の戻って来るのを待つあいだ、三人が寺門前に突っ立ってもいられないので、源次だけをそこに残して、半七と亀吉は百人町の表通りをぶらぶらと歩き出した。ほかに行く所もないので、二人はきのうの蕎麦屋へはいった。

五

きのうの今日であるから、蕎麦屋の亭主も半七に余計なお世辞などを云っていた。きょうは亀吉が一緒であるので、半七も酒を一本注文した。

「ここらにゃあ顔役とか親分とかいうものはいねえかね」と、半七は訊いた。

「ここらのことですから大していい顔の人もいませんが、原宿の弥兵衛という人があります」と、亭主は答えた。「子分といったところで五、六人ですが、ここらでは相当に幅を利かせているようです」

「浅川の芝居に出ている岩蔵は、弥兵衛の子分かえ」

「岩蔵さんは役者ですから、子分というわけでもないでしょうが、あの人もちっと悪い道楽があるので、弥兵衛さんのところへも出這入りをしているようです」

「やかん平というのは違うのかえ」と、亀吉は口を出した。

「違います。やかん平さんは一昨年おととしなくなりました。あの人は町内の鳶頭かしらで、本名は平五郎、あたまが禿げているので薬罐平やかんべえという綽名を付けられたのですが、あの人はまことに良い人で、町内の為にもよく働いてくれました。原宿の弥兵衛は別な人で、これは薬罐平さんのようには行きません。それに、親分よりも子分の角兵衛というのが幅を利かして……。本名は角蔵とか角次郎とかいうのでしょうが、ここらではみんなが角兵衛と云っています。その角兵衛さんがあんまり評判のよくない人で……」

亭主がここまで話して来た時に、暖簾のれんの外から覗き込んだのは庄太であった。亭主が眼のさきにいるのを見て、彼は半七を表へ呼び出した。

「どうだ、判ったか」と、半七は小声で訊いた。

「わかりました」と、庄太も小声で云った。「この近所に外科医はねえので、だんだん探して宮益みやます坂まで行きました。岡部向斎という医者で、何か口留めされていると見えて、最初はシラを切っていましたが、こっちが御用の風を匂わせたので、とうとう正直に云いました。どこで斬られたのか知らねえが、ゆうべの四ツ過ぎに、原宿の弥兵衛の子分が怪我人をかつぎ込んで来た。怪我人は弥兵衛の一の子分の角兵衛という奴で、左の腕を斬り落とされていたそうです。多分喧嘩でもしたのだろうが、まあ死ぬような事はあるまいと云っていました」

二度目の腕の主ぬしは、今や亭主の噂にのぼった角兵衛であった。斬られた角兵衛は秘密にしているにしても、人の腕を斬って往来へ投げ捨てて、世間を騒がした照之助を不問に付ふして置くわけには行かない。この上はいよいよ照之助のありかを詮議しなければならないが、何をするにも寺社方の諒解を得て置かなければ不便であるので、その後の仕事を庄太と亀吉にたのんで、半七は再びここを引き揚げることにした。

彼はその足で八丁堀同心の屋敷へまわって、いっさいの経過を報告して、町奉行所から寺社方へ通達の手続きを頼んだ。それから神田の家へ帰ると、その夜更けに亀吉と源次も帰って来た。

かれらの報告によると、角兵衛は親分の弥兵衛の家で傷養生をしている。岩蔵はどうしているか判らないが、常磐津の師匠の家に寝込んでいるのではないかと思われるのは、おふくろのお金が赤坂まで金創の塗り薬を買いに行ったことである。師匠の文字吉は風邪を引いたと云って稽古を断わり、湯にも行かず引き籠っていると云うのである。

「そこで、飴屋はどうした」

「飴屋は一日来ませんでした」と、亀吉は云った。「近所の者は、きょうに限ってあの飴屋の来ないのは不思議だ。今度こそはあの飴屋の腕だろうなぞと噂をしていますよ」

「きょうは来ねえか。二度あることは三度ある。今度はおれの番だと思ったわけでもあるめえが、なにしろ変な奴だな」と、半七も首をかしげていた。「それはまあそれとして、さしあたりは照之助の片を付けてしまおう。寺社の方へも断わって置いたから、もう遠慮はいらねえ。どこへでも踏ん込んで引き挙げるのだ」

そうなると、源次は下っ引で、蔭で働く人間であるから、表向きの捕物に顔は出せない。半七は亀吉だけを連れて行くことにして、その晩は別れた。夜半よなかから雨がふり出した。

青山には庄太が出張っている。こちらからは半七と亀吉が出てゆく。三人がかりで立ち騒ぐほどの大捕物でもないと思ったが、それからそれへと糸を引いて、また何事が起こらないとも限らないので、ともかくも三人が手分けをして働くことになった。

明くれば四月十四日、ゆうべの雨も今朝はうららかに晴れたので、半七と亀吉は早朝から青山へ出向いた。ここらの青葉の色も日ましに濃くなって、けさも時鳥ほととぎすが幾たびか啼いて通った。

鳳閣寺の門前には庄太が待っていた。

「お早うございます」と、彼は半七に挨拶して、寺の奥を指さした。「きょうは休みです。小三津のゆくえがまだ知れねえ。ほかにも休みの役者がある。座頭の小三も気を腐らして、血の道が起こったとか云って、これも楽屋入りをしねえ。そんなわけで芝居はわやになってしまって、ともかくもきょうは休みの札ふだを出しました。折角評判のいい芝居がめちゃめちゃになって、小屋の連中はおおこぼしですよ」

「そうか」と、半七はうなずいた。「なにしろ常磐津の師匠という奴が気になってならねえ。まずあすこを調べることにしよう」

三人は連れ立って、久保町の実相寺門前へゆくと、文字吉の家では何か女の罵るような声がきこえた。近寄って覗くと、四十近い女役者が弟子らしい若い女二人を連れて、格子のなかで押し問答をしている。その相手になっているのは雇い婆のお金である。双方ともに気が強いらしく、負けず劣らずに云い合っていた。

「あの年増が小三ですよ」と、庄太は小声で教えた。

「さあ、隠さずに小三津を出して下さい」と、小三は云った。「師匠が弟子を連れに来たのに不思議は無いじゃありませんか」

「不思議があっても無くっても、当人はいませんよ。大かた師匠を見限って、ほかの小屋へでも行ったのでしょう。ここの家うちへばかり因縁を付けに来たって仕様がない。おまえさんも国姓爺を勤める役者だ。唐から天竺てんじくまで渡って探して歩いたらいいでしょう」と、お金はせせら笑っていた。

喧嘩の火の手はいよいよ強くなるばかりである。小三は舞台の和藤内をそのままに、大きい眼を剥むいて又呶鳴った。

「シラを切っても、いけないいけない。あたしはちゃんと証拠を握っているのだ。ここの師匠は化けもんだ、女のくせに女をだまして、金も着物もみんな捲きあげて、仕舞いには本人の体からだまで隠して……。並大抵のことじゃあ埓があかないから、きょうは芝居を休んで掛け合いに来たのだ。もうこうなりゃあ出るところへ出て、拐引かどわかしの訴えをするから、そう思うがいい」

「どうとも勝手にするがいいのさ。白い黒いはお上かみで決めて下さるだろう」

「知れたことさ。そのときに泣きっ面をしないがいい。さあ、もう行こうよ」

小三は弟子たちをみかえって表へ出ると、半七はふた足三足追いかけて呼び留めた。

「おい、師匠。待ってくんねえ」

六

「長くなるから、ここらでお仕舞いにしましょうかね」と、半七老人は云った。

これが老人のいつもの手で、聴く者を焦じらすかのように、折角の話を中途で打ち切ってしまうのである。その手に乗ってはたまらないと、わたしは続けて訊いた。

「まだ半分で、なにも判りませんよ」

「判りませんか」

「判りませんよ。一体それからどうなったんです」

「小三は自分の弟子を隠された口惜くやしまぎれに、何もかも話しました。それを聞くと、常磐津文字吉という師匠は不思議な女で、酒屋の亭主を旦那にしているが、ほかに男の弟子は取らないで、女の弟子ばかり取る、それには訳のあることで、本人は女のくせに女をだますのが上手。ただ口先でだますのでは無く、相手の女に関係をつけて本当の情婦いろにしてしまうのです。こんにちではなんと云うか知りませんが、昔はそういう女を『男女おめ』とか『男女さん』とか云っていました。もちろん、滅多にあるものじゃあありませんが、たまにはそういう変り者があって、時々に問題を起こすことがあります。文字吉は浄瑠璃が上手というのでも無いのに、女の弟子ばかり来る。殊に囲い者や後家さん達がわざわざ遠方から来るというのを聞いて、わたくしは少し変に思って、もしやと疑っていたら案の通りでした。つまりは色と慾との二筋道ふたすじみちで、女が女を蕩たらして金を絞り取る。これだから油断がなりませんよ」

「そうすると、小三津という女役者もそれに引っ懸かったんですね」

「そうですよ」と、老人はうなずいた。「小三津は人気役者で、容貌きりょうもよし、小金も持っている。それに眼をつけて、最初は贔屓ひいきのように見せかけて、うまく丸め込んでしまったんです。どういう手があるのか知りませんが、この『男女』に引っかかると、女はみんな夢中になること不思議で、小三津も文字吉に魂を奪われてしまって、持っている金も着物も片っ端から入れ揚げる。それを師匠の小三に覚られて、幾たびか意見されても小三津は肯きかない。これだけでも無事には済みそうもないところへ、又ひとつの事件が出来しゅったいしました。それは国姓爺の芝居です」

「鳳閣寺の芝居ですね」

「さっきもお話し申した通り、ここの芝居は女役者の一座ですから、男と女と入りまじりの芝居は出来ない。そこで、今度の国姓爺を上演するに就いては、虎狩の虎を勤める役者に困ったので、浅川町の男芝居から市川岩蔵と照之助の兄弟を引っこ抜いて来ました。岩蔵はごろつきのような奴ですから、金にさえなれば何でも引き受けるというわけで、弟の照之助にすすめて虎を勤めさせ、自分も一緒に出て唐人の役を勤めることになりました。芝居の方じゃあ岩蔵に用はないが、照之助を借りる都合上、兄きも一緒に買ったのです」

「浅川の芝居では黙って承知したんですか」

「承知しません」と、老人は頭かぶりをふった。「おまけに、その国姓爺の評判がよくって、自分の芝居が圧おされ勝になったから、猶さら承知しません。第一、男と女と入りまじりの芝居をするのは不都合だというので、浅川の方から鳳閣寺の芝居小屋へ掛け合いを持ち込んだが、四の五の云って埓が明かない。それを聞き込んだのが原宿の弥兵衛で、それなら俺の方から掛け合ってやる……。こういうときに口を利けば、両方から金がはいると思ったから、弥兵衛はそれを買い込んで、子分のひとりを女芝居へやって、少し話したいことがあるから、誰か来てくれと云わせました。

弥兵衛がはいると、どうも事面倒になると思って、芝居の方でもいろいろ相談の末に、岩蔵をたのんで原宿へやりました。岩蔵は博奕も打つ奴で、弥兵衛の家うちへも出這入りをしているから、こいつをやるがよかろうと云うことになったんです。岩蔵もよろしいと引き受けました。これも少し変った奴で、楽屋で一杯飲んだ勢いで、舞台の唐人衣裳を着たままで原宿の弥兵衛の家うちへ出かけると、弥兵衛はなにか急用があって表へ出たあとで、子分の角兵衛という奴が親分気取りで掛け合いを始めました。

ここで親分が掛け合ったら、なんとかおだやかに納まったかも知れませんが、唐人のままで押し掛けて来た岩蔵をみて、人を馬鹿にしやあがると角兵衛はむっとした。岩蔵は又、角兵衛の奴めが親分顔をして威張りゃがると思って、これもむっとした。そんなわけですから、この掛け合いも所詮しょせん無事には済みません。双方が次第に云い募って、角兵衛が『貴様も小屋の代人で出て来たからは、どうして俺たちの顔を立てるか、その覚悟はあるだろう』と云うと、岩蔵の方でも『知れたことだ、おれの首でもやる』と売り言葉に買い言葉、根が乱暴な連中だから堪まりません。角兵衛は『手めえの首なんぞ貰っても仕様がねえ。これから稼業が出来ねえように腕をよこせ』と云って、ほかの子分に出刃庖丁を持って来させました」

「腕を斬ったんですか」と、わたしもその乱暴におどろかされた。

「さあ、野郎、斬るぞと云って、角兵衛の方じゃあ少しは嚇かしの気味もあったのでしょうが、岩蔵はびくともしない。さあ、すっぱりやってくれと、左の腕をまくって出した。もう行きがかりで後へは引かれず、とうとう岩蔵の腕を斬ってしまったんです。そこへ親分の弥兵衛が帰って来て、さすがに驚いたが、今さら仕方がない。腕の喜三郎の芝居をそのままという始末。取りあえず近所の心やすい医者を呼んで手当てをしたが、これは外科でないから本当の療治は出来ない。まあいい加減なことをして、おふくろのお金を呼んで引き渡すと、お金はそれを自分の奉公さきへ連れ込んで養生させることにしました。

そんな物を担かつぎ込まれては、文字吉の家うちでも迷惑ですが、それを忌いやとも云われないのは、例の男女さんの秘密をお金に握られている為です。そこで怪我人を引き取ったのはいいが、斬られた腕も一緒に送って来たので、その始末に困った。羅生門の鬼の腕とは違って、もとの通りに継つぐわけには行かない。いっそ庭の隅へでも埋めてしまえばいいのに、なんだか気味が悪いと云うので、文字吉は明くる朝、それを羅生門横町へ捨てに行ったのです。女の浅はかと云うのでしょうか、実に詰まらない事をしたもので……。捨てたは捨てたが、又なんだか気が咎とがめるので、自分がそこで初めて見付けたように騒ぎ立てて、豆腐屋へ駈け込んだと云うわけです。自分が見付けたように騒ぎ立てるのは、世間によくあることで、誰の知恵も同じものだと見えます」

「そのかたき討ちに、照之助が角兵衛の腕を斬ったんですね」

「照之助は兄思いの人間で、それを知るとたいへんに口惜しがって、その意趣返しに角兵衛の腕を斬ってやろうと思い込んで、どこからか刀を買って来ました。自分は年が若い、相手は頑丈の大男ですから、善光寺の仁王さまを拝んで、十人力を授かるように祈って、角兵衛の出入りを付け狙っていると、そんな事とは夢にも知らずに、角兵衛は十二日の夜の五ツ頃(午後八時)に権田原の方へ出かけた。そこを待ち受けて斬り付けたんですが、人間の一心は恐ろしいもので、兄きと丁度同じように、角兵衛の片腕を斬り落としてしまいました。

角兵衛は倒れる。照之助は落ちている片腕を拾って逃げました。万事が兄きの通りにしなければ気が済まないので、照之助はかねて用意の唐人の筒袖……楽屋の衣裳の袖を切って来たんです。それを角兵衛の腕に着せて、例の羅生門横町へ捨てて置いて、これで先ず立派にかたき討ちを仕遂げたつもりで立ち去りました。

これは後に判ったことで、坂東小三もそんなことまでは知りません。自分の弟子の小三津を文字吉が隠したと思って、その掛け合いに行っているところへ、丁度わたくし達が行き合わせたんです。小三の話を聞いて、文字吉の正体も判りましたから、小三を連れて引っ返して、無理に文字吉の家へ踏み込むと、奥の四畳半に岩蔵が寝ていました」

「文字吉はどうしました」

「文字吉は二階にいました」と、老人はその光景を思い泛かべるように顔をしかめた。「ちらし髪で、真っ蒼な顔をして、まるで幽霊のような姿で、だらし無く坐っていました。なにを訊きいても碌に返事をしない。戸棚の中がおかしいので、念のために明けてみると、そこに若い女役者の死骸がある。小三津が絞め殺されているんです」

「文字吉が殺したんですか」

「勿論、文字吉の仕業しわざです。前にも云う通り、文字吉には女の関係者がたくさんあるんですが、こういう女に限って不思議に嫉妬深い。それで、このごろ小三の楽屋へはいって来た照之助と、小三津が人一倍に仲よくするというのがもとで、小三津を自分の二階へ呼び付けて、やかましく責め立てる。云わば女同士の痴話喧嘩、それが嵩こうじて文字吉は半狂乱、そこにあった手拭をとって小三津を絞め殺してしまったが、さてどうするという分別もなく、死骸を戸棚へ押し込んだままで、自分はその張り番をするように、唯ぼんやりと坐っていたんです。それも十二日、照之助が角兵衛の腕を斬ったのと同じ晩のことで、狭い土地にいろいろの事件が湧いたものです。その翌日も、又その次の日も、文字吉は碌々に飲まず食わず、自分も半分は死んだようになって、その戸棚の前に坐り込んでいるところへ、わたくし共が踏み込んだのでした。

だんだん調べてみると、文字吉は小三津のほかに、囲い者やら後家さんやら併あわせて八人の女に関係していることが判りました。それがみんな色と慾で、女を蕩たらして自分のふところを肥やしているという、まったく凄い女でした。こんな奴とはちっとも知らずに、酒屋の亭主は世話をしていたので、それを聞いて真っ蒼になって驚いていました。文字吉のような女をそのままにして置くことは出来ません。殊に小三津を殺した罪がありますから、後に死罪になりました」

「照之助は……」

「それにもお話があります。小三津の死骸は師匠の小三が引き取って、海光寺に葬りました。これは庄太の菩提寺です。その葬式の済んだ晩、照之助がそっと忍んで来て、小三津の新らしい墓の前で腹を切ろうとする処を、庄太に召し捕られました。もしやと思って張り込んでいたら、まんまと罠わなにかかったんです。文字吉が嫉妬をおこしたのも無理ではなく、小三津と照之助は関係があったのでした。照之助は年も若いし、兄のかたき討ちというところに情状酌量の点もあるので、遠島になりました。

腕を斬られた二人、そのうちで岩蔵は癒りましたが、角兵衛はとうとう死にました。碌々に手当てをしなかった岩蔵が助かり、外科医の手当てを受けた角兵衛が死ぬ。人間の命は判らないものです。角兵衛が死んだ以上、照之助の命もない筈ですが、前に云ったようなわけで、一等を減じられたのでした」

これで先ず一服と、老人はしずかに煙草を吸いはじめたが、私としてはまだ聞き逃がすことの出来ない大事の問題が残っている。それはかの唐人飴屋の正体で、この謎が解けなければ、この話は終ったとは云えない。老人が煙管きせるをぽんと掃はたくのを待ち兼ねるように、私は重ねて訊きいた。

「そこで飴屋はどうなりました」

「はははははは」と、老人は笑い出した。「これはお話をしない方がいいくらいで……。飴屋は四、五日ほど姿を見せないで、又あらわれて来ました。もう打っちゃっては置けないので、庄太が取とっ捉つかまえて詮議すると、いや、もう、意気地のない奴で、小さくなって恐縮している。だんだん調べると、こいつは外神田の藤屋という相当の小間物屋のせがれで、名はたしか全次郎といいました。稽古所ばいりをする、吉原通いをする。型のごとくの道楽者で、お定まりの勘当、多年出入りの左官屋に引き取られて、その二階に転がっていたんですが、ただ遊んでいても仕方がない、勘当の赦ゆりるまで何か商売をしろと勧められた。といっても根が道楽者だから肩に棒を当てるようなまじめな商売も出来ない。そこで考えたのが唐人飴、ちっとは踊りが出来るので、これがよかろうと云うことになったが、さすがに江戸のまんなかでは困るので、遠い場末の青山辺へ出かけることになったんです。

相当の店の若旦那が飴屋になって、鉦をたたいて踊り歩く。他人ひとから見れば随分気の毒なわけですが、当人頗るのん気で、往来でカンカンノウを踊っているのが面白いという始末。どうも困ったもので、これでは勘当はなかなか赦りません。おまけに女親が甘いので、勘当とはいいながら内証で小遣いぐらいは届けてくれるので、飴は売れても売れないでも構わない。道楽半分に歌ったり踊ったりしている。正体を洗えばこういう奴で、隠密も泥坊もあったもんじゃない。実に大笑いでした。それでも唐人の腕が二度も斬られたと云うので、自分もなんだか気味が悪くなって、四、五日ばかり場所をかえて、青山辺へは寄り付かなかったんですが、馴染なじみのない場末は面白くないと見えて、又もや青山辺へ立ち廻って来たところを庄太に押さえられたんです。

青山辺を荒らした賊は別にあるので、これは又あらためてお話をする時がありましょう。全次郎はその正体が判ったので、俄かに信用を回復して、飴もよく売れるようになったそうです。何が仕合わせになるか判りません」

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月24日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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岡本 綺堂「半七捕物帳──54 唐人飴」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(五)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001019_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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