Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

老人とわたしと差し向いで、五月の雨のふる日曜日を小半日も語り暮した。時節柄で亀戸かめいどの藤の噂が出た。藤の花から藤娘の話をよび出して、それから大津絵の話に転じて、更に鷹匠たかじょうのはなしに移る。その話を順々に運んでいては長くなるから、前置きはいっさい略して、単に本文だけを紹介することにした。

安政六年の十月、半七があさ湯にはいっていると、子分の一人があわただしく迎えに来た。

「親分。八丁堀の旦那から急に来てくれということですぜ」

「そうか。すぐ帰る」

八丁堀から呼ばれるのは珍らしくない。しかしそれが普通の出来事であるならば、すぐにその現場へ出張を命ぜられるのが習いで、特に八丁堀の屋敷へ呼び付けられる以上、なにか秘密の用件であることは多年の経験で半七もよく承知していた。彼は早速に湯屋から飛び出して、あさ飯を食って着物を着かえる間にも、その用件がどんなことであるかを想像した。この職業の者には、一種の暗示がある。俗に、「虫が知らせる」ということが不思議に的中するためしがしばしばある。半七も黙ってそれを考えていたが、けさはどうもその判断がつかなかった。その事件の性質がなんであるか、まるで見当が付かないで、半七はなんだか落ち着かないような気持でそわそわと神田の家を出た。

八丁堀同心山崎善兵衛は彼の来るのを待ち受けて、すぐに用談に取りかかった。

「おい、半七。早速だが、また一つ御用を勤めて貰いたいことがある。働いてくれ」

「かしこまりました。して、どんな筋でございますかえ」

「ちっとむずかしい。生き物だ」

火付けも人殺しも盗賊も生き物には相違ないが、ここで特に生き物という以上、それが鳥獣か魚のたぐいを意味するのは判り切っているので、半七はすこし意外に感じた。なるほど今朝はなんの暗示もなかった筈だとも思った。彼はすぐに小声で訊きき返した。

「鶴でございますかえ」

江戸時代に鶴を殺せば、死罪または磔刑はりつけになる。鶴殺しは重罪犯人である。生き物と聞いて、彼はすぐに鶴殺しを思いうかべたのであるが、相手はほほえみながら頭かぶりをふっていた。

「鶉うずらですかえ」と、半七はまた訊いた。

この時代には鶉もいろいろの問題を起し易い生き物であった。善兵衛はやはり首をふって、焦じらすように半七の顔を見た。

「判らねえか」

「わかりませんね」

「はは、貴様にも似合わねえ。生き物は鷹たかだ。お鷹だよ」

「へえ、お鷹でございますか」と、半七はうなずいた。「そのお鷹が逃げたんですか」

「むむ、逃げた。それで、御鷹匠は蒼くなっているのだ。けさ其の叔父というのが駆け込んで来て、おれにいろいろ泣き付いて行ったが、ほかの事とも違うから、打っちゃっては置かれねえ。その当人も可哀そうだ。早くなんとかしてやりたいと思うのだが……」

お鷹といえば将軍の飼い鳥である。それを逃がした鷹匠は命にかかわる椿事ちんじで、かれは切腹でもしなければならない。本人は勿論、その親類どもがうろたえて騒ぐのも無理はなかった。

「そこで、そのお鷹はどこでどうして逃がしたのですかえ」と、半七は訊きいた。

「それが重々悪い。遊所場ゆうしょばで取り逃がしたのだ」

「宿しゅくですね」

「そうだ。品川の丸屋という女郎屋だ」

善兵衛の説明によると、事件の顛末てんまつはこうであった。鷹匠の光井金之助が、二人の同役と連れ立って、きのうの午ひるすぎから目黒の方角へお鷹馴らしに出た。鷹匠はその役目として、あずかりの鷹を馴らすために、時々野外へ放しに出るのである。由来、鷹匠なるものは高百俵、見習い五十俵で、決して身分の高いものではないが、将軍家の鷹をあずかっているので、「御鷹匠」と呼ばれて、その拳こぶしに据えているお鷹を嵩かさに被きて、むやみに威張り散らしたものである。かれらは絵で見るように、小紋の手甲脚絆草鞋穿てっこうきゃはんわらじばきで菅笠をかぶり、片手に鷹を据えて市中を往来する。その場合にうっかり彼等にすれ違ったりすると、大切なお鷹をおどろかしたと云って、むずかしく食ってかかる。その本人はともかくも、その拳に据えているのは将軍家の鷹であるから、それに対してはどうすることも出来ないので、お鷹をおどろかしたと云いかけられた者は、大地に手をついてあやまらなければならない。万事がこういう風で、かれらはその捧げている鷹よりも鋭い眼をひからせて、江戸の市民を睨みまわして押し歩いていた。

かれらが野外へお鷹馴らしに出る場合には、多くその付近の遊女屋に一泊するのを例としていた。よし原と違って、新宿や品川には旅籠屋はたごやに給仕の女をおくという名義で営業しているのであるから、かれらの宿泊を拒こばむわけには行かない。それが一種の弱い者いじめであって、一旦かれらを宿泊させた以上は、ほかの客を取ることを許さないのである。三味線や太鼓は勿論、迂濶うかつに廊下をあるいても、お鷹をおどろかしたという廉かどで厳しく痛め付けられるのであるから、家中うちじゅうの者は息を殺して鎮まり返っていなければならない。したがって、その一夜は営業停止である。どんな馴染み客が来ても断わるほかはない。それは遊女屋に取って甚だしい苦痛であるので、せいぜい彼等を優遇した上に、ある場合には幾らかの「袖の下」をも遣つかって、大抵のことを見逃がして貰うのである。その厄介きわまる御鷹匠三人が品川の丸屋に泊り込んだ夜に、一つの椿事が出来しゅったいした。

三人の鷹匠は光井金之助、倉島伊四郎、本多又作で、いずれもまだ二十一二の若い者であるので、丸屋の方でも心得ていて給仕としてお八重、お玉、お北という三人の抱妓かかえを出した。そのなかで一番容貌きりょうのいいお八重が金之助のそばに付いていることになった。金之助も三人の鷹匠のなかでは一番の年下で、男振りも悪くない、おとなしやかな男であった。普通の客とは違うので、女達もせいぜい注意して勤めていたが、そのなかでもお八重は特別に気をつけて若い鷹匠を歓待した。御鷹匠といえば一概に恐ろしいもののように考えていたお八重は、案外に初心うぶでおとなしい金之助を憎からず思ったらしい。こうして、仲よく一夜を明かしたが、朝になって三人が帰り支度をしている間に、お八重と金之助とが何かふざけ出したらしく、女は男を打ぶったり叩いたりしてきゃっきゃっと笑った。いつもの云いがかりとは違って、それがほんとうに大切の鷹を驚かしたらしく、俄かに羽搏はばたきをあらくした鷹はその緒を振り切って飛び起たった。丸屋は宿の山側にある家うちで、あいにくお八重の座敷の障子が明け放されていたので、鷹はそのまま表へ飛び去ってしまった。

不意の出来事におどろかされて、二人はあれあれと云っているうちに、鳥の姿はもう見えなくなった。その騒ぎを聞きつけて伊四郎も又作もびっくりして駈けつけたが、今更どうする術すべもないので、三人は顔の色を変えて、しばらくは唯ぼんやりと突っ立っていた。まして其の本人の金之助は殆ど生きている心持はなかった。それに係り合いのお八重もどんなお咎めをうけるかとふるえ上がった。

なにしろ、これは内密にして置いて、なんとかして彼かのお鷹を探し出すよりほかはないと、年嵩としかさの伊四郎がまず云い出した。実際それよりほかには知恵も工夫もないので、二人もそれに同意して、丸屋の者にも固く口止めをして置いて、早々に千駄木の御鷹所おたかじょへ帰って来た。当人の金之助は勿論であるが、連れ立っていた伊四郎、又作も何等かのお咎めは免かれないので、その親類一門も俄かにうろたえ騒いで、寄りあつまっていろいろ評議の果てが、これは内密に町方まちかたの手を借りて詮議するのが一番近道であるらしいということに決定して、金之助の叔父の弥左衛門が取りあえず山崎善兵衛のところへ駈けつけたのであった。

この事情をくわしく話した上、善兵衛は一と息ついた。

「まあ、そんな筋道なのだが、どうだろう、何とかなるめえか。心柄とは云いながら、本人はまず切腹、連れのものも御役御免か、謹慎申し付けられるか、なにしろ大勢の難儀にもなることだ。考えてみれば可哀そうだからな」

「そうでございますよ。御鷹匠もこの頃あんまり羽はねを伸ばし過ぎるからね」と、半七は云った。「併しそれはまあそれにして、出来たことは何とかしてやらざあなりますまい。まったく可哀そうですからね」

「なんとかなるだろうか」

「生き物ですからね」と、半七は首をかしげていた。

おなじ生き物のうちでも飛ぶ鳥と来ては最も始末がわるい。まして鷹のような素捷すばやい鳥はどこへ飛んで行ってしまったか判らない。それを探し出すというのは全く困難な仕事であると、さすがの半七も胸をかかえた。

「まあ、なんとか工夫して見ましょう」

「工夫してくれ。光井金之助の叔父も涙をこぼして頼んで行ったのだからな」

「かしこまりました」

ともかくも受け合って、半七は善兵衛の屋敷を出たが、どう考えてもこれは難儀の役目であった。雲をつかむ尋ね物というが、これは空を飛ぶ尋ねものである。神田へ帰る途中も彼はいろいろに考えた。

「家うちへ帰ってもしようがねえ。ともかくも品川へ行って見よう」

こう思い直して、かれは更に爪先を南に向けると、この頃の空の癖で、時雨しぐれを運び出しそうな薄暗い雲が彼の頭の上にひろがって来た。

二

半七は品川の丸屋へ行って、主人にも逢った。お八重にも逢った。主人はどんな飛ばっちりを食うのかとおびえているらしかったが、取り分けてお八重は真っ蒼さおになっていた。なにぶんにも鳥のことであるから、別に詮議のしようもなかったが、それでも一応はお八重の座敷へ通って、鷹の飛んで行った方角などを聞き定めて帰った。

丸屋の暖簾のれんをくぐり出て、半七はまた考えた。鳥の飛んで行ったのは目黒の方角らしい。現に金之助らも目黒へ鷹馴らしに出かけたのである。して見ると、鷹はそこらに降りたかも知れない。なにしろ念のために一応その方角を調べてみようと思い立って、彼は更に目黒の方に足を向けると、空の色はいよいよ悪くなって来た。

「降られるかな」

半七は空をみながら急いで行った。これがほかの事件ならば、それぞれに筋道を立てて、捜索の歩をすすめるのであるが、事件が事件であるだけに、半七もいわゆる行きどころばったりに探しあるくよりほかはなかった。まことに知恵のない話だとは思ったが、半七は差し当りここらの村々の名主なぬしをたずねて、誰か鷹を見付けたか、あるいは鷹を捕えたかを聞き合わせようとした。

庶人が鷹を飼うことは遠い昔から禁じられている。鎌倉時代、足利時代、降くだって徳川時代に至っては、その禁令がいよいよ厳重になって、ひそかに鷹を飼うものは死罪、それを訴人したものには銀五十枚を賜わるということになっていた。したがってそこらの村々で鷹を見つけ、又は鷹を捕えたものは、その村名主に届け出るにきまっている。足に緒をつけている鳥であるから、あるいは遠く飛ばないでここらの村の者に捕われまいとも限らない。こう思って、半七はまず名主の宅をたずねようとしたのである。

堤を降りた川の縁ふちで、二人の女が真っ白な大根を洗っていた。それを見つけて、半七は声をかけた。

「もし、名主様の家うちはどこですね」

ふり向いたのはいずれも若い女であった。一人は頭の手拭をはずしながら答えた。

「名主様の家はこの堤をまっすぐに行って、それから右へ曲がって、大きい竹藪のある家ですよ」

「ありがとう。それから……姐ねえさん達は、けさここらへ鷹の降りたという噂を聞かなかったかね」

二人の女は黙っていた。

「知らないかえ」

「知りませんね」と、初めの女が答えた。

「いや、ありがとう」

挨拶して半七は別れた。教えられたままに名主の家をたずねて、鷹のことを聞き合わせると、村じゅうで誰も見つけたものはないらしく、現に今までも届けて来たものは無いとのことであった。鷹は前にもいう通り、普通の家で飼うべきものでない。その鷹の詮議とあれば容易ならぬことと察したらしく、名主も眉をよせて訊いた。

「そのお鷹はやはり御鷹所のでございますか」

「千駄木のですよ」と、半七は正直に答えた。「しかし、これは内密に探索しなければならないのですから、おまえさんの方でもそのつもりで……。なにか心当りがありましたら、わたしのところまでこっそり知らせてください」

「承知しました」

名主によく頼んで置いて、半七はそこを出ると、空の色はいよいよ怪しくなって来た。引っ返して名主のところで傘を借りて来ようかと思ったが、それも面倒だとその儘まますたすた歩き出すと、川の縁でさっきの二人の女にまた逢った。

「や、さっきはありがとう」

女たちは無言で会釈えしゃくして別れた。村はずれまで来かかると、時雨しぐれがとうとうざっと降って来たので、半七は手拭をかぶりながら早足に急いでくると、路ばたに小さい蕎麦そば屋を見つけたので、彼は当座の雨やどりのつもりで、ともかくも暖簾のれんをくぐると、四十ばかりの女房が雑巾ぞうきんのような手拭で濡れ手を拭きながら出て来た。

「いらっしゃいまし。おあつらえは……」

「そうさなあ」

云いながら半七は家のなかを見まわした。この小ぎたない店付きではどうで碌なものは出来まいと思ったので、彼は当り障りのないように花巻の蕎麦を註文すると、奥から五十ばかりの亭主が出て来て、なにか世辞を云いながら釜前へまわって行った。すすけた壁をうしろにして、半七は黙って煙草をのんでいると、外の時雨はひとしきり強くなって来たらしく、往来のさびしい街道にも二、三人の駈けてゆく足音がきこえた。と思ううちに、一人の男がこの雨に追われたように駈け込んで来た。

「やあ、降る、降る。こんな雨になろうとは思わなかった」

男の菅笠からはしずくが流れていた。かれは手甲脚絆の身軽な扮装いでたちで、長い竹の継竿つぎざおを持っていたが、その竿にたくさんの鳥黐とりもちが付いているのを見て、それが鳥さしであることを半七はすぐに覚った。彼は時々ここへ来ると見えて、蕎麦屋の夫婦とも懇意であるらしく、たがいに馴れなれしくなにか挨拶していた。狭い店であるから、彼は半七のすぐ前に腰をおろして、濡れた笠をぬぎながら会釈した。

「悪いお天気ですね」

「そうでございます」と、半七も会釈した。「とりわけお前さん方はお困りでしょう」

「まったくですよ。黐をぬらしてしまうのでね」と、鳥さしは腰につけていた鳥籠を見返りながら云った。

「おまえさんは千駄木ですか、それとも雑司ヶ谷ですかえ」

「千駄木の方ですよ」

徳川家の御鷹所は千駄木と雑司ヶ谷の二カ所にある。鳥さしはそれに付属する餌取えとりという役で毎日市中や市外をめぐって、鷹の餌にする小雀を捕ってあるくのである。鷹のゆくえを詮議している折柄に、あたかも鳥さしに出合って、しかもそれが千駄木であるということが何かの因縁であるように思われたが、勿論、この鳥さしはお鷹紛失のことを知らないに相違ない。うっかりしたことをしゃべって善いか悪いかと、半七はしばらく躊躇していた。鳥さしはもう五十を二つも三つも越えているらしいが、背の高い、色の黒い、見るからに丈夫そうな老人であった。

鳥さしはかけ蕎麦を註文して食った。半七も自分のまえに運ばれた膳にむかって、浅草紙のような海苔のりをかけた蕎麦を我慢して食った。そのいかにも不味まずそうな食い方を横目に視て、鳥さしの老人は笑いながら云った。

「ここらの蕎麦は江戸の人の口には合いますまいよ。わたし達は御用ですからここらへも時々廻って来るので、仕方無しにこんなところへもはいりますが、それでも朝から駈けあるいて、腹が空いている時には、不思議に旨く食えますよ。ははははは」

「そうですね。江戸者は詰まらない贅沢ぜいたくを云っていけませんよ」

こんなところから口がほぐれて、半七と鳥さしとは打ち解けて話し出した。外の雨はまだ止まないので、二人は雨やどりの話し相手というような訳で、煙草を喫すいながらいろいろの世間話などをしているうちに、半七はふと思い出したように訊いた。

「おまえさんは千駄木だと仰しゃるが、御組ちゅうに光井さんという方かたがありますかえ」

「光井さんというのはあります。弥左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね」

「その金之助さんというお方に一度お目にかかったことがありました。まだ若い、おとなしいお方で……」と、半七はいい加減に答えた。

「はあ、おとなしい人ですよ」と、老人はうなずいた。「組中でも評判がいいので、ゆくゆくはお役付きになるかも知れません」

その金之助がまかり間違えば切腹の大事件を仕でかしていることを、鳥さしの老人は夢にも知らないらしかった。それからだんだん話して見ると、この老人は光井金之助という若い鷹匠に対してよほどの好意をもっているらしく、しきりに彼の出世を祈るような口ぶりであった。由来、鷹匠と餌取りとは密接の関係をもっている職務でありながら、その折り合いがどうもよくないもので、餌取りに褒ほめられる鷹匠はあまり多くない。その餌取りの老人がしきりに金之助を褒める以上、双方のあいだに特別の親しみがあるらしく察せられたので、半七はむしろこの老人を語らって自分の味方に引き入れようかとも考え付いた。

「おまえさんはけさ早くに千駄木をお出かけになりましたかえ」

「六ツ半頃に出ました」と、鳥さしの老人は答えた。

「それじゃあ光井さんのことをなんにも御存知ないんですか」と、半七は小声で云った。

「光井さんがどうかしましたか」

「これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……」

老人の顔色は俄かに変った。

「それはどこで逃がしたのです」

「品川の丸屋という家の二階で……」

「丸屋で……」と、老人はいよいよ其の顔をしかめた。

鷹を逃がした前後の事情を聞かされて、老人は太息といきをついていた。かれは殆ど途方に暮れたように其の首をうなだれたまま、しばらくは何にも云わなかった。その苦労の色があまりに甚だしいので、半七も少しく意外に感じた。普通の親しみというのを通り越して、この老人と若い鷹匠とのあいだには、なにか特別の関係があるのではないかと疑った。

この時に、裏口から若い女がはいって来て、ぬれた袂たもとや裾を釜前で乾かしていた。半七はふと見ると、それはさっき川端で出逢った二人の女のひとりで、どこをどう廻って来たのか、たった今ここの家へ戻ったらしい。年のころは二十歳はたちばかりで、色の白い、小肥りにふとった、憎気のない娘であった。かれは半七と顔を見あわせて無言で会釈した。

「たびたびお目にかかるね」と、半七は笑った。「おまえはここの家うちの娘さんかえ」

「はい」と、娘は初めて口をきいた。「あの、名主さんの家は知れましたか」

「知れた。知れた」

この話し声で気がついたらしく、鳥さしの老人は思わず顔をあげて娘の方を見かえると、娘は老人に向っても無言で会釈した。しかも老人と顔を見あわせて、娘の眼の色が俄かに変ったらしいのを、半七は決して見逃がさなかった。

老人は再び首を垂れてしまったが、娘はやはり嶮けわしい眼をして老人をじっと眺めていた。

三

娘は仔細ありげな眼をして老人をうかがっている。老人は首を垂れて黙っている。そこにどんな事情が忍んでいるかを半七も容易に想像することは出来なかったが、とにかくに老人の苦労があまり大きそうなので、半七も黙っているわけには行かなくなって、小声で彼を励ますように云った。

「ねえ、おまえさん。もうこうなったらお互いに考えていても仕方がありません。わたしは神田三河町の半七という御用聞きで、実は八丁堀の旦那から内密にその詮議を云い付けられているんです。お前さんは光井さんと心安いようではあるし、犬も朋輩、鷹も朋輩、いわば朋輩同士のことだから、なんとかわたしに手伝って、そのお鷹を早く見つけ出す工夫をしてくれませんか。逃がした鳥さえ無事に探し出せば、そこは何とでも穏便に済むだろうじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」

「そうです、そうです」と、老人は力を得たようにうなずいた。「それよりほかにしようはありますまい。わたしに出来ることならば何でも手伝いをいたしますから、どうぞ一刻いっときも早くそのお鷹を探し出してください。わたしからもくれぐれもお願い申します」

「おまえさんが手伝ってくだされば、蛇じゃの道は蛇へびで、わたしの方でも大変に都合がいい。いい塩梅あんばいに雨も大抵やんだようだから、そろそろ出かけながら相談しようじゃありませんか」

半七は鳥さしの分も一緒に勘定を払って出ると、老人はひどく気の毒そうに礼を云いながら半七のあとに付いて出て来た。鳥さしも鷹匠とおなじことで、ふだんは御用を嵩かさにきて、かなり大面おおづらをしているものであるが、この場合、かれは半七の救いを求めるように至極おとなしく振舞っていた。二人は雨あがりの田舎道をひろいながら歩いた。

「おまえさん、あの蕎麦屋の娘を知っていなさるのかえ」と、半七はあるきながら訊いた。

「はあ、時々あすこの家うちへ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ」

「もう二十歳はたちぐらいでしょうね」

「左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます」

「どこに奉公していたんです」

「雑司ヶ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……」

「その吉見というのは幾つぐらいの人ですね」

「二十三四にもなりましょうか」

「独り身ですかえ」

「組が違うのでよく知りませんが、もう御新造ごしんぞがある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才じょさいない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……」

「そうですか」と、半七は一々うなずきながら聴いていた。「あの娘は何年ぐらい吉見さんに奉公していたんですえ」

「なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです」

「雑司ヶ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ」

「ときどきに出て来ます」と、老人は答えた。

半七はしばらく立ち停まって思案していたが、やがて左右を見かえってささやいた。

「おまえさん。御苦労だが、もう一度あの蕎麦屋へ引っ返してくれませんか」

「はあ」と、老人は不審そうに半七の顔を見た。「なにか、忘れ物でも……」

「さあ、どうも大きな忘れ物をして来たらしい」と、半七はほほえんだ。「おまえさんの鳥籠にはまだ三匹しかはいっていませんね」

「けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません」

「むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ」

「今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます」

「じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい」

老人はその意味を解げし兼ねたらしいが、云われるままに承知して、竹竿のぬれた黐もちを練り直していると、しぐれ雲はもう通り過ぎてしまったらしく、初冬の弱い日のひかりが路傍の藁屋根をうす明るく照らして来た。

「いい塩梅に日が出て来ました。これなら二羽や三羽は訳なしです」と、老人は空を見あげながら云った。

「なるべく多い方がいいんですね」

「と云って、二十匹も三十匹も要いるわけじゃありません。まあ、五、六匹か、十匹もあればたくさんだろうと思うんです。そうすると、わたしはもう一度、あの蕎麦屋へ行っていますからね。雀が捕れ次第に引っ返して来てください」

約束して二人は別れた。半七はまた引っ返して蕎麦屋の前に来ると、むすめのお杉は暖簾から首を出して、仔細らしくこっちをうかがっているらしかった。

「おい、ねえさん。ちょいと用がある。こっちへ来てくんねえ」

半七は小手招こてまねぎをして娘を呼び出した。お杉は少しく躊躇しているらしかったが、とうとう思い切って外へ出て来た。二人は大きい榎えの木の下に立って、脚もとに遊んでいる鶏をながめながら小声で話し出した。

「姐ねえさん、おまえさんの名はお杉さんというんだね」と、半七はまず訊いた。

お杉はやはり無言でうなずいた。

「わたしは神田の半七という御用聞きだ。今おまえを調べるのは御用だから、そのつもりで何でも正直に云ってくれないじゃあ困る。いいかえ」と、半七はまず嚇おどして置いて、それから吉見の屋敷の奉公のことを訊いた。

それに対して、お杉は正直に答えた。自分は十七の春から雑司ヶ谷の吉見の屋敷に奉公して、この二月の出代りのときに暇を取って退がったと云った。吉見仙三郎は養子で、家付きの娘お千江と五年まえから夫婦になったが、お千江はとかく病身で、夫婦の仲にはまだ子供もないということも話した。

「おまえは婿を取るために家うちへ帰ったんだろう」と、半七は笑いながら訊いた。

「そう云って無理にお暇をいただいたのです」

「それでなぜ婿を取らねえ。気に入ったのがねえのか」

お杉はすこし顔を赧あかくして黙っていた。

「吉見の旦那は時々たずねてくるのかえ」

お杉は眼をひからせて半七の顔を屹きっと見たが、すぐに又うつむいてしまった。

「え、そうだろう。吉見の旦那はゆうべ来やしなかったか。え、来たろうな」

お杉はやはり黙っていた。半七はその肩に手をかけて云った。

「え、ほんとうに来たろう。隠しちゃあいけねえ」

「いいえ」

「たしかに来ねえか」

「おいでになりません」と、お杉はきっぱり答えた。

「嘘をついちゃあいけねえぜ。嘘をつくと飛んだことになる。吉見さんは全く来ねえか」

「一度もおいでになりません」

半七は黙ってお杉の顔色をながめていると、足もとの鶏がだしぬけに時を作ったので、お杉は思わず顔をあげた。その顔はいつか蒼ざめていた。

おとなしそうに見えてもなかなかに強情らしいので、半七はこの上の詮議は無駄であろうと思った。もちろん彼女を引っ張って行って、表向きに吟味する術すべがないでもないが、町方まちかたと違ってここらは郡代ぐんだいの支配であるから、公然彼女を吟味するとなれば、どうしても郡代の屋敷へ引っ立てて行かなければならない。そうなると、この事件は明るみへ持ち出されて、たといその鳥のゆくえは判ったとしても、光井金之助らは当然その咎めをうけなければならない。それではなんにもならないと思ったので、半七はひとまずお杉の詮議を切り上げることにした。

「いや、そう判ったらもうそれでいい。お父とっさんや阿母おっかさんにはこんなことは黙っているがいいぜ」

お杉は網を逃がれた小鳥のように、早々に会釈して立ち去った。暖簾をはいる彼女のうしろ姿を見届けて、半七は二、三軒先の荒物屋へ寄ると、まだ若い女房が火鉢のまえで継つぎ物をしていた。

「麻裏はありませんかえ」

「いらっしゃい」と、女房は針をやすめて起って出た。「どうも宜しいのが切れて居りまして……」

「なんでもいい。俄か雨でこの通り泥だらけにしてしまったのだから、何か丈夫そうなのを下さいな」

どうで気に入ったのは無いと承知の上で、半七はありあわせた麻裏草履を一足買った。かれは店口に腰をかけて、その草履を穿はきかえながら訊いた。

「おかみさん。そこの蕎麦屋の娘は雑司ヶ谷に奉公していたんだね」

「よく御存じで……。そうでございますよ」

「わたしもあの辺の者だから知っているんだが、あの娘は御鷹匠の吉見さんの御屋敷に奉公していたんだろう」

「そうでございますよ」と、女房はうなずいた。

「だが、どうして暇を取るようになったのかなあ」と、半七はわざと首をかしげて見せた。「そんな筈じゃあないんだが……」

「お杉さんの忌いやがるのを、親たちが無理に下げたのだということでございますよ」

「そうだろう。御新造は病気だし、旦那が暇をくれる筈はないんだから」

女房はすこし驚いたように半七の顔を見たが、やがて又笑い出した。

「ほほ、なにもかも御存じなのでございますねえ」

「知っているよ。今もいう通り、すぐ近所に住んでいるんだから」と、半七も笑った。「その一件があるので、あの娘はまだ婿を取らないんだろう。え、そうだろう」

女房は意味ありげに笑っていた。

四

半七にかまをかけられて、荒物屋の女房はとうとうおしゃべりをしてしまった。その話によると、お杉は十七の春から吉見の屋敷へ奉公に出ているうちに、病身の妻を持っている主人と一種の関係が結ばれた。そんなことは知らないお杉の両親は、もう年頃になった娘をいつまで奉公させて置くでもない、家へ帰って相当の婿を取らせなければならないというので、忌がる娘を無理に連れて帰ったが、そういう秘密があるので、お杉は容易に婿を取ろうと云わないばかりか、店の手伝いも碌々にしないので、この頃は親子喧嘩が絶えないとのことであった。

「それでもさっきのあの川かわっ縁ぷちで大根を洗っていたぜ」と、半七は云った。

「まあ、その位のことはするでしょうけれど……」と、女房はほほえんだ。「ここらにいれば其のくらいのことは当りまえですもの。それで何でも以前の旦那様というのが時々たずねていらっしゃるんですよ」

「あすこの家へ来るのかえ」

「いいえ、親たちは堅い人ですから、そんなことは出来ません。この先の辰さんの家で、ほほほほほ」

いくらか法界悋気ほうかいりんきもまじって女房はこんな秘密までもべらべらしゃべった。辰蔵というのは小料理屋の亭主であるが、身持ちのよくない人間で小博奕ばくちも打つ男である。料理屋といっても、家には老母と小女こおんながいるきりなので、お杉はどんなふうに頼み込んだか知らないが、その家を逢い曳びきの場所に借りて、ときどきに旧主人に逢っている。それを近所ではみんな知っているが、お杉の親たちは不思議に知らないらしい。知れたらきっとなにかの面倒が起るであろうと女房は仔細らしく話した。

「なるほど、そいつは粋事いきごとだね。不動前まで行ったら、もっといい茶屋もあるだろうに……」と、半七は笑った。多寡たかが百俵取りで、おまけに道楽者の吉見としては、金廻りが悪いに相違ない。ここらの小料理屋が分相当であるかも知れないと彼は思った。

これでまずお杉と吉見との関係は確かめられた。ゆうべも吉見が来たらしいかと訊いたが、荒物屋の女房もさすがにそこまでは知らないと云った。そこへ鳥さしの姿が見えたので、半七は外へ出て招くと、老人は黐竿をかかえて小走りに急いで来た。

「もし、これだけ捕って来ました」

老人は一生懸命になって猟あさり歩いたらしい。運の悪い雀が十二三羽も籠の中に押込まれていた。

「たいそう捕れましたね」と、半七は笑いながら云った。「それだけあればたくさんです。ところで、どうでしょう。その雀の羽には黐が付いているが、それでも飛べますか」

「飛べるのもあり、飛べないのもあります」と、老人は云った。「しかし、どうせこの黐は洗って取るのです。黐の付いているままでお鷹にやるわけには行きませんからね」

「ここで逃がさないように巧く洗えますかえ」

「そりゃ洗えないことはありませんよ」

「そうですか。だが、まあ、その儘にして出かけましょう」

「これから何処へまいります」

「すぐそこの料理屋へ行くんです」

半七は老人に何かささやくと、彼はおとなしくうなずいた。草履の代を払って、半七は先に立って出てゆくと、やがて彼かの辰蔵の店のまえに来た。小料理屋といっても、やはり荒物屋兼帯のような店で、片隅には草鞋や渋団扇しぶうちわなどをならべて、一方の狭い土間には二、三脚の床几しょうぎが据えてあった。その土間をゆきぬけた突き当りに、四畳半ぐらいの小座敷があるらしく、すすけた障子が半分明けてあるのが表からみえた。店口の柳の木には一匹の荷馬がつないであった。と思うと、店のなかでは俄かに呶鳴る声がきこえた。

「この野郎、横着な野郎だ。三日の約束がもう五日になるでねえか」

半七は表から覗のぞいてみると、今しきりに呶鳴っているのは、三十五六の赭あから顔の大男で、その風俗はここらの馬子まごと一と目で知られた。その相手になって何か云い争っているのは、やはりおなじ年頃の色の黒い、中背の男で、おそらく亭主の辰蔵であろうと半七は想像した。

「嘘つき野郎め、ふてえ奴だ、われには何度だまされたか知れねえぞ。もうその手を食うものか、耳をそろえて直ぐに渡せ」と、馬子は嵩かさにかかって哮たけり立った。

「嘘をつく訳じゃねえ。今ここにねえから我慢してくれと云うのだ。近所隣りの手前もあらあ。無暗むやみに大きな声をするな」と、辰蔵は着物の襟を掻き合わせながら云った。

「なんの、遠慮があるものか。貴様が横着の嘘つき野郎ということは不動様も御存じで、近所隣りでもみんな知っているんだ。それが口惜くやしければ銭ぜにを出せ」

「だから、少し待てと云うのだ」と、辰蔵はそらうそぶいていた。「多寡が盆の上の貸し借りだ。まさかに名主や代官所へ持ち出すわけにもいくめえ。いくら騒いだって始まらねえ理窟だ。まあ、おとなしくあしたまで待つがいい。きょう中にはきっと金のはいるあてがあるんだから」

「その嘘はもう聞き飽きた。貴様のような奴に一杯食わされて、べんべんと待っている俺じゃねえだ。さあ、すぐに出せ。これだけの家台骨を張っていて、一貫と二百ばかりの銭がねえとは云わせねえぞ」

馬子は辰蔵の胸ぐらを引っ掴んで小突きまわすと、辰蔵も半纒はんてんをぬいで起ち上がった。そばに十四五の少女がぼんやり突っ立っているが、相手の権幕が激しいので取り鎮めるすべもないらしい。老母らしい女のすがたは見えなかった。

二人の問答によって想像すると、馬子は博奕の貸しを催促に来たらしい。この行きがかりではどうでも一と騒動なくては納まるまいと、半七は黙って表から覗いていると、果たして二人の拳固が入り乱れて打ち合いをはじめた。力ずくでは馬子の方が強いらしく、辰蔵は忽ちその利き腕を捻じ曲げられて、床几の上に押し付けられると、床几はかたむいて倒れて、馬子も辰蔵に折りかさなって土間にころげた。もう見てもいられないので、半七は店へはいって声をかけた。

「おい、おい、どうしたんだ。おれ達はさっきから待っているじゃねえか。喧嘩はあとにして、お客様の方をどうかしてくれ」

哮たけり狂っている二人の耳には、その声が容易に聞えないらしいので、半七は舌打ちをしながら進み寄って、まず馬子の腕を押え付けた。捕物に馴れている半七に利き腕をつかまれて、暴れ狂っている馬子もいたずらに身をもがくばかりであった。

「まあ、静かにするがいい。ここの家の商売の邪魔にもなる。今聞いていりゃあ盆の上の貸し借りだというじゃあねえか。そんな野暮に催促するにも及ばねえ。ここの亭主もきょう中には金がきっとはいるというんだから、わたしが仲人だ。まあ待ってやるがよかろうぜ」

馬子は黙って半七の顔をながめていたが、腕をつかんだ手際てぎわといい、その風俗といい、その口振りといい、なんだか薄気味悪くも感じたらしく、無言のままで、のそのそと表へ出て行ってしまった。

「やい、待て。野郎」

跳ね起きてそのあとを追おうとする辰蔵を、半七はまた押えた。

「おめえも大人気おとなげねえ。まあ、落ち着くがよかろう。こうして、お客様が二人はいって来たんだ」

無頼漢ならずものでも博奕打ちでも、さすがに客商売の辰蔵は客に対して苦にがい顔をしているわけにも行かなかった。殊に相手の馬子は繋いである馬を解いて、そのまま出て行ってしまったので、彼は眼の前の客をかき退のけてそれを追ってゆくことも出来ないので、着物の泥をはたきながら急に笑顔を作った。

「どうも相済みません。飛んだところをお目にかけまして……」

「おめえは苦労人らしい。あんな馬子を相手にしてどたばたしちゃあいけねえ」と、半七は笑いながら床几に腰をかけた。

「まことに恐れ入りますが……」と、辰蔵は突ん曲がった髷まげの先を直しながら云った。「懇意先に急病人が出来たというので、おふくろはその手伝いに行きましてね。もう午過ぎだというのに、まだなんにも支度がしてねえのでございますが……。まあ、お茶でも上がって、どこかよそへお出でなすってください」

かれは小女に指図さしずして、煙草盆と茶とを運ばせると、半七は表を見かえって声をかけた。

「もし、お前さんもここへ来て、茶でもお上がんなさい。ここの家じゃ何も出来ねえそうだから」

鳥さしの老人は、軒さきに黐竿を立てかけてはいって来た。その人をみると、辰蔵の眼は急に光った。

五

「はあ、大きな銀杏いちょうだな」

半七は茶を飲みながら往来をながめた。今までは気がつかなかったが、この店の筋向いには何か小さな祠ほこらのようなものがあって、その前の空地には可なり大きい銀杏の木が突っ立っていた。時雨を浴びた冬の葉は、だんだんに明るくなって来た日の下に、その美しい金色をかがやかしていた。

「なに、葉が落ちてしようがありませんよ」と、辰蔵は云った。

「だが、銀杏は冬がいい」

新らしい草履でぬかるみを爪立ってあるきながら、半七はその銀杏の前に立った。足の下には黄いろい落葉が一面にうず高くなっているのを、半七は何げなく眺めていたが、更に眼をあげて高い梢こずえを仰いだ。そうして又うつむいて、何かその落葉でも拾っているらしかったが、やがて店のなかへ引っ返して来た。

「おい、御亭主。この頃に誰かこの銀杏の木へ登りましたかえ」

「いいえ、そんなことは無いようです」と、辰蔵は答えた。

「だって、小さい小枝がみんな折れている。その折れた路がまっすぐに付いているのを見ると、どうも誰か登ったらしい。ここらに猿はいめえじゃねえか」

「そうでございます」と、辰蔵はよんどころなしに笑った。「それじゃあ近所の子供が銀杏ぎんなんを取りに登ったかも知れません。随分いたずら者が多うございますからね」

「そうかも知れねえ」と、半七は笑った。「それから木の下にこんな物が落ちていたが……」

それは一枚の小さい鳥の羽であった。辰蔵は思わず覗き込んだ。

「鳥の羽ですね」

「どうも鷹の羽らしい。もし、おまえさん。これは鷹でしょうね」

眼の前に突きつけられて、鳥さしの老人はその薄黒い小さい羽をじっと視た。

「そうです。たしかに、鷹の羽でございます」

「そうすると鷹があの木の上に降りて来て……」と、半七は銀杏のこずえを指さした。「足の緒おが枝にからんで飛べなくなったところを、誰かが登って行って捉えたと、まあ、こう判断するんですね。小枝は折れている。木の下に鷹の羽は落ちている。まあ、そう判断するのが無理のないところでしょうね」

云いながら辰蔵の顔をじろりと見かえると、彼は唖おしのように黙って立っていた。

「まったく鷹の羽に相違ありませんよ」と、老人はかさねて云った。

「そうですか」

半七は突然起ちあがって辰蔵の腕を強く掴んだ。

「さあ、辰蔵。正直に云え。貴様はけさあの銀杏に降りた鷹を捕ったろう」

「御冗談を……。そんなことは知りません」

「知らねえものか。もう一つ、貴様に調べることがある。貴様の家へゆうべ雑司ヶ谷の鷹匠が泊ったろう」

「そ、そんなことはありません」

辰蔵は声をふるわせて云い訳をした。彼も堅気の人間でないだけに、早くも半七の身分を覚ったらしく、顔の色を変えておどおどしていた。大した悪党でもないらしいと多寡をくくって、半七は畳みかけて責め付けた。

「やい、おれを見そこなやがったか、貴様たちに眼つぶしを食うような俺じゃあねえ。雑司ヶ谷の鷹匠の吉見仙三郎が蕎麦屋のお杉とここの家で逢い曳きをしていることも、俺はちゃんと知っているんだ。さあ、その鷹は貴様が捕ったか、はっきり云え」

「親分。それは御無理ですよ」と、辰蔵はいよいよ声をふるわせた。「わたくしは全くなんにも知らねえんですから」

「まだ強情を張るか。貴様も大抵知っているだろうが、鷹を取れば死罪だぞ。貴様の首が飛ぶんだぞ。しかしこっちにも訳があるから、素直にその鷹を出してわたせば、今度だけは内分に済ましてやる。それとも俺と一緒に郡代屋敷へ行くか、どっちでも貴様の好きな方にしろ」

「でも、親分。ここは一軒屋じゃありません。近所にも大勢の人が住んでいます。木の枝が折れていようと、鷹の羽が落ちていようと、何もわたくしと限ったことはございますまい。まったく私はなんにも知らないのでございます」

「理窟をいうな。貴様が手をくだして捕らねえでも、たしかに係り合いに相違ねえ。きょう中に金がきっとはいるというのは、その鷹をどこへか売るつもりだろう。さあ、云え。貴様が捕ったか、それとも吉見が捕ったか」

床几の上に引き据えられて、辰蔵はまた黙ってしまった。その時、店の入口で何か物音がきこえたらしいので、眼のはやい半七はふと見かえると、いつの間に来ていたのか、かのお杉が柳のかげから一心にこちらを覗いているらしかった。彼女は半七の顔を見ると、身をひるがえして一目散に逃げ出した。

「こん畜生、丁度いいところへ来た」

半七は辰蔵を突き飛ばして表へ飛び出すと、足の早いお杉はもう三、四間も行きすぎていた。咄嗟とっさのあいだに思案した半七は軒先に立てかけてある長い黐竿をとって駈け出して、お杉のあとを追いながら、竿のさきで彼女の頭を押えた。蝉やとんぼを捕る子供の黐竿とは違って、本職の鳥さしの鳥黐であるから、お杉は右の横鬢から銀杏返しの根へかけてべっとりとねばりついた黐をどうすることも出来なかった。彼女は雀のように半七の黐竿に捕えられてしまった。それを無理に引き放そうとあせっているところへ、半七は竿を捨てて追い付いて来た。

「さあ、来い」

お杉も辰蔵の店へ引き摺ずり込まれた。黐竿で人間をさしたのを初めて見た老人は、眼を丸くして眺めていた。

「さあ、これで二人揃った。さあ、片っ端から白状しろ。やい、お杉。なんでここへ覗きに来た。てめえはゆうべここの家へ泊り込んで、何もかも知っているだろう。鷹は誰が捕ったんだ」

白状しなければ死罪だと嚇おどされて、さすがは女だけにお杉はまず問いに落ちた。辰蔵ももう包み切れなくなって白状した。半七の鑑定通り、吉見とお杉はゆうべここの家で逢った。けさになって吉見が帰ろうとするときに、一羽の鷹が降りて来て銀杏のこずえに止まったが、その足の緒が枝にからんで再び飛ぶことが出来なくなったらしい。それを見付けた吉見はすぐに梢によじのぼって、平生手馴れているだけに、無事にその鷹を捕えて来た。

それを郡代の屋敷へ届け出るか、または雑司ヶ谷へ持って帰るか、二つに一つの処置を取れば別に何事もなかったのであるが、そこで彼は辰蔵から或る知恵を吹き込まれた。この村に鷹を欲しがっている者がある。ないしょで彼に売ってやれば、大金になる仕事だと勧められて、ふところの苦しい吉見はふとその気になった。買い手はこの村の大地主の当兵衛というもので、わたくしに鷹を飼えば重罪ということを承知していながら、いつの代にも絶えない金持の僭上せんじょうから、自分も一度は鷹が飼ってみたいと望んでいることを、辰蔵はかねて知っていたので、とうとう吉見をそそのかして、百五十両でその鷹を当兵衛に売り渡すことに相談を決めたのであった。

その約束をして吉見は帰った。金はあした受け取ることにして、辰蔵はともかくもその鷹を当兵衛の家へ送り届けた。

「よし、すっかり判った」と、半七は二人の白状を聴き終って云った。「そんなら辰蔵、すぐに当兵衛の家へ案内しろ。お杉は家へ帰って神妙にしていろ」

辰蔵は先きに立って店を出ようとした時、半七は急に思い付いたように老人を見かえった。

「まだ少し趣向がある。出る前にその雀の羽を洗ってくれませんかね」

「承知しました」

鷹のありかもまず判って、俄かに元気のついた鳥さしの老人は、辰蔵に水を汲ませて、籠のなかの雀を一羽ずつ掴み出した。毎日手馴れている仕事であるから、雀の羽にねばりついていた鳥黐もたちまち綺麗に洗い落された。

「これで飛ぶには差し支えありませんね」と、半七は念を押した。

「きっと飛びます」

「これで支度が出来た。さあ、行きましょう」

三人はすぐに当兵衛の家をたずねた。大きい冠木門かぶきもんの家で、生け垣の外には小さい小川が流れていた。半七は立ち停まって辰蔵に訊いた。

「貴様はさっきその鷹を持って来たときに、主人に逢ったんだろうな」

「逢いました」

「その鷹はどうした」

「入れる籠がないとかいうので、ともかくも土蔵のなかへ入れて置くと云っていました」

「むむ、いずれ何処にか隠してあるに相違ねえ。ここの家に土蔵は幾つある」

「五戸前いつとまえある筈です」

半七は門の内へはいって、すぐに主人の当兵衛を呼び出した。

「御用がある。土蔵の戸前をみんな明けて見せろ」

当兵衛はおどおどしながら何か弁解しようとするのを、半七は追い立てるようにして、奥の土蔵前へ案内させた。御用の声におしすくめられて、当兵衛は五つの土蔵の扉を一々にあけた。

「大きい土蔵だ。一々調べてもいられめえ。もし、おまえさん。願いますよ」

半七に眼配せをされ、鳥さしの老人はすすみ出た。かの籠の中から二、三羽の雀をつかみ出して、扉の間からばらばら投げ込むと、第一第二の土蔵には何のこともなく、第三の土蔵も静まり返っていた。半七は注意して、第四と第五の土蔵の扉を半分閉めさせた。

老人の手から投げられた三羽の雀が第四の土蔵へ飛び込むと、やがてその奥であらい羽搏はばたきの音がきこえた。半七は老人と眼を見あわせて、すぐに扉のあいだから駈け込むと、うす暗い隅には鷹の眼が鋭くひかっていた。鷹はしきりに羽搏きして、そこらを飛びまわっている小雀を掻い掴もうと睨んでいるのであった。しかもその脚の緒が厳重に縛られているので、かれは思うがままに飛びかかることが出来ないらしい。心得のある老人は静かに進み寄って、その緒を解いてやると、鷹はすぐに飛びたって一羽の獲物を掴んだ。ほかの二羽は運よく表へ飛び去ってしまった。

こうして、鷹はおとなしく老人の拳こぶしに戻った。鷹は一面に白斑しらふのある鳥で、雪の山と名づけられた名鳥であると老人は説明した。

これを表向きにすれば、大変である。

当兵衛は無論に死罪で、辰蔵も死罪をのがれることは出来まい。お杉は女のことであり、且つ直接の罪人でないから、あるいは処払いぐらいで済むかも知れないが、一旦その鷹を捕えながら更に他へ売り渡した吉見仙三郎は、不埒重々とあってどうしても死罪である。遊女屋に夜をあかして、おあずかりの鳥を逃がした光井金之助もおそらく切腹であろう。一羽の鳥のために、四人の人間が命を捨てなければならないかと思うと、半七もあまりに恐ろしくなった。殊に初めから内密に探索するのが趣意であるから、鳥が無事に戻ったのを幸いに、彼は当兵衛と辰蔵に云い渡した。

「みんな運のいい奴らだ。きょうのことは必ず他言するな。世間に洩れたら貴様たちの首が飛ぶぞ」

ふたりは土に頭を摺りつけた。鳥さしの老人も涙をながして半七を拝んだ。

それから二日経って、鳥さしの老人は神田の半七の家をたずねて来て、くり返して礼を云った。そうして、本人の光井金之助も、叔父の弥左衛門もあらためて礼に来ると云った。

「なに、わたしはお役だから仕方がねえ。そんなに恩に被きせることもねえのさ」と、半七は答えた。「それにしても、おまえさんはどうしてそんなに光井さんの為に心配しなさるんだ。なにか格別に心安いのかえ」

「はい、おまえさんですから申し上げますが、実はわたくしには十八になる娘がございますので……」

「十八になる娘……。おまえさんの娘なら美しかろう。それだのに、光井さんは品川なんぞへ泊るから悪い。これもみんな娘の思いだと云ってやるがいいや。ははははは」

半七は大きい声で笑った。

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年7月19日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/001018_000082/

岡本 綺堂「半七捕物帳──15 鷹のゆくえ」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(二)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 001018_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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