Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

秋の夜の長い頃であった。わたしが例のごとく半七老人をたずねて、面白い昔話を聴かされていると、六畳の座敷の電灯がふっと消えた。

「あ、停電か」

老人は老婢ばあやを呼んで、すぐに蝋燭を持って来させた。

「行灯あんどうやランプと違って、電灯は便利に相違ないが、時々に停電するのが難儀ですね」

「それでもお宅には、いつでも蝋燭の用意があるのには感心しますね」と、わたしは云った。

「なに、感心するほどのことでも無い。わたくしなぞは昔者ですから、ランプが流行はやっても、電灯が出来ても、なんだか人間の家に蝋燭は絶やされないような気がして、いつでも貯えて置くんですよ。それが今夜のような時にはお役に立つので……」

ふた口目にはむかし者というが、明治三十年前後の此の時代に、普通の住宅で電灯を使用しているのはむしろ新らしい方であった。現にわたしの家などでは、この頃もまだランプをとぼしていたのである。新らしい電灯を用いて、旧ふるい蝋燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。

こんにちと違って、そのころの停電は長かった。時には三十分も一時間も東京の一部を闇にして、諸人を困らせることがあった。今夜の停電も長い方で、主人も客も夜風にまたたく蝋燭の暗い火を前にして、暫く話し続けているうちに、その蝋燭から縁を引いて、老人は「金の蝋燭」という昔の探偵物語をはじめた。

「御承知の通り、安政二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町はまちょうの千歳座ちとせざで九蔵の藤十郎、菊五郎の富蔵という役割でしたが、その評判が大層いいので、わたくしも見物に行って、今更のように昔を思い出したことがありました。その安政二年はわたくしが三十三の年で、云わば男の働き盛りでしたから、この一件が耳にはいると、さあ大変だというので、すぐに活動を始めたんです。勿論、わたくしばかりじゃあない、江戸じゅうの御用聞きは総がかりです。八丁堀の旦那衆もわたくし共を呼びつけて、みんなも一生懸命に働けという命令です。その時代のことですから、御金蔵破りなどということは決して口外してはならぬ、一切秘密で探索しろというのですが、人の口に戸は立てられぬの譬えの通りで、誰の口からどう洩れるものか、その噂はもう世間にぱっと広まっていました」

その年の四月二日の夜も、やがて四ツ(午後十時)に近い頃である。両国橋の西寄りに当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六間の長い橋で、昼夜の往来も繁はげしい所であるから、十七年目の安政二年には所々におびただしい破損が出来て、人馬の通行に危険を感じるようになったので、ことしの三月から修繕工事に取りかかることになって、橋の南寄り即ち大川の下流しもてに仮橋が作られていた。その仮橋から何者かが飛び込んだらしいのである。

夜は暗く、殊に細雨こさめが降っている。一方には橋の修繕工事用の足場が高く組まれている。それに列んで仮橋が架けられている、木材や石のたぐいを積み込んだ幾艘かの舟も繋がれている。その混雑のなかで、橋の上から提灯を振り照らしたぐらいの事ではどうなるものでも無い。結局はなんの発見も無しに終った。

橋番は多年の経験で、その水音が何であるかを知っていた。それは重い物を投げ込んだのではなく、人間が飛び込んだか、或いは投げ込まれたに相違ないと云った。但し暗夜のことであるから、不完全の仮橋から何か粗相で墜落したのかも知れない。いずれにしても、男か女か、その人間のゆくえは判らなかった。

それから六日目の朝である。神田三河町の半七の家の裏口から、子分の幸次郎が眼をひからせながらはいって来た。

「お早うございます。早速ですが、親分、両国の一件を聴きましたかえ」

「両国の一件……。四、五日前の晩に誰か落ちたというじゃあねえか。あの長げえ仮橋のまん中に、提灯一つぶら下げて置くだけじゃあ不用心だ」と、半七は顔をしかめた。「そこで、その死骸でも揚がったのか」

「まあ、揚がったようなわけで……。実はきのうの午ひるすぎに、何かの仕事の都合で上かみの方の流れを少し堰せいたので、西寄りの仮橋の裾の方が浅くなって干上ひあがった。そうすると、女の死骸が沈んでいるというので人足どもは大騒ぎ……。まあ、お聴きなせえ。それがおかしい」と、幸次郎はいよいよその眼を光らせた。「その女は風呂敷包みを大事そうにしっかり抱えている……。その包みをあけて見ると、大きい蝋燭が五、六本……いや、確かに五本あったそうです。ところが、その蝋燭が馬鹿に重いので、こいつは変だなと云って、人足のひとりがその一本をそこらの杭くいに叩き付けてみると、なるほど重い筈だ。芯しんは金無垢の伸べ棒で、その上に蝋を薄く流しかけて、蝋燭のように見せかけてある。これにはみんなも驚いて、早速に係りの役人衆に訴え出る。それからだんだんに調べてみると、どの蝋燭も芯は金無垢の拵え物……。どうです、まったくおかしいじゃありませんか」

「むむ、おかしいな。そこで、その死骸はどんな女だ」

「わっしは見ませんが、なんでも三十二三の小粋な女房で、その風呂敷包みのほかにはなんにも持っていなかったそうです。からだに疵は無し、水を嚥のんでいる。たしかに身投げに相違ねえというのですが、さてその蝋燭がわからねえ。芯が金無垢でこしらえた蝋燭なんていう物が、この世の中にある筈がねえ。一体その女がどうしてそんな物を抱えていたのか、ひと詮議しなけりゃあなるめえと思うのですが、どうでしょう」

「おめえの云う通り、こりゃあ打っちゃって置かれねえな」と、半七は膝を立て直した。「おい、幸。しっかりしなけりゃあいけねえ。魚さかなは案外に大きいかも知れねえぞ」

「どうも唯事じゃあ無さそうですね」

「なにしろ、いいことを嗅ぎ出して来てくれた。さあ、帯を絞め直して取りかかるかな」

金の蝋燭について、半七が俄かに緊張の色を見せたのは、それが彼かの御金蔵破りに関係があるらしいと認めたからである。犯人が何者であるか判然はっきりしたのは、その翌々年、即ち安政四年のことであって、その当時は全く目星が付かない。江戸城内の勝手を知っている番士またはその家来どもの仕業しわざであるか、或いは町人どもの仕業であるか、その判断にも苦しんでいた矢さきであるから、少しの手がかりでも見逃がすことは出来ないのである。いずれにしても、江戸城内に忍び入って金蔵を破るほどの大胆者である以上、彼らにも相当の覚悟がある筈で、右から左にその大金を湯水のように使い捨てるような、浅はかな愚かなことはしないであろう。恐らく何処にか埋め隠して置いて、詮議のゆるんだ頃にそっと持ち出すという方法を取るであろうとは、何人なんびとも想像するところであった。

さてその金をかくす方法は、まず自宅の床下に埋めて置くのが普通である。次は他人ひとの眼に付かないような場所を選んで、なにかの眼じるしを立てて埋めて置くのである。これは誰でも考えることで、今度の犯人もその一つを択えらんだであろうと察せられるが、そのほかの方法はその小判を鋳潰いつぶして地金じがねに変えてしまうことである。通貨をみだりに地金に変えることは、国宝鋳潰しの重罪に相当するのであるが、すでに金蔵を破るほどの重罪犯人であれば、そのくらいの事は憚はばかる筈もない。たといその小判の全部でなくとも、その一部を鋳潰して、何かの形に変えて置くようなことが無いとも限らない。純金の伸べ棒を芯しんに入れて、それを大きい蝋燭に作って置くなども、確かに一つの方法であると半七は思った。

金蔵やぶりの盗賊が一人の仕業でないのは、容易に想像されることである。少なくも二人または三人の同類が無ければならない。殊に鋳潰しなど企てたとすれば、まだほかにも同類がありそうである。半七はすぐに子分らを呼びあつめて、江戸じゅうの蝋燭屋と、金銀細工の職人を片っぱしから調べてみろと云い付けた。

「さあ、これからどうするかな」

なにしろ一応は現場を見ておく必要があるので、半七は幸次郎を連れて出た。四月はじめの大空は蒼々と晴れて、町には初袷はつあわせの男や女が賑わしく往来していた。昔ほどの景気はないが、それでも初鰹を売る声が威勢よくきこえた。

「すっかり夏になりましたね」と、幸次郎は云った。

「寒い時も困るが、おれ達の商売も暑くなると楽じゃあねえ。一体、両国橋の繕つくろいというのは、いつ頃までに出来上がるのだ」

「五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ」

「そうだろうな」

柳原堤どての夏柳を横に見ながら、二人は西両国へ行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のために広小路の興行物はすべて休業で、職人や人足を目あての食い物屋ばかりが繁昌していた。

「おい、鯡にしんの蒲焼はどうだ」と、半七は幸次郎をみかえって笑った。

「やあ、御免だ」

「あんまりそうでもあるめえ」

作事場の役人にことわって、半七は仮橋のあたりを一応見まわった後に、西の橋番をたずねた。両国橋は東西に橋番の小屋があるが、金の蝋燭の一件は橋の西寄りであったので、すべて西の橋番の係り合いとなったのである。橋番の久八というおやじは半七の顔を見識っているので、丁寧に挨拶した。

「親分さん、御苦労でございます。まあ、おかけ下さい」

「きのうはこの川で大変な掘り出し物をしたというじゃあねえか」と、半七は腰をかけながら云った。「おれも一生に一度はそんな掘り出し物をしてえものだ」

「いえ、お前さん。あの女が散らし髪になって、恐ろしい顔をして、死んでも放すまいというように、風呂敷包みをしっかり抱えていたのを見ると、慾も得もありません。金の蝋燭でも、金の伸べ棒でも、あんな物を貰ったら、きっと執念が残って祟られますよ」

「三十二三で、小粋な女だそうだね」

「今は堅気かたぎのおかみさんでも、若い時にゃあ泥水を飲んだ女じゃあないかと思われました。木綿物じゃあありますが、小ざっぱりした装なりをして……。まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね」

「困る筈はねえ。金の棒をかかえている位だ」と、幸次郎は笑った。「まあ、その晩のことを親分にひと通り話してくれ」

二

「一体、その女は自分で飛び込んだのか、粗相で落ちたのか、誰かに突き落されたのか、おめえに心当りはねえのかね」と、半七は訊きいた。

「それはきのうも検視のお役人から御詮議がありましたが、まったく何も心当りが無いのです。わたくしは唯、ざぶんという水の音を聞いただけで、すぐに提灯を持って出ましたが、男か女か判らないので……」

久八は少し曖昧に答えた。身投げを見付けたらば直ぐに救うのが橋番の役であるが、今や欄干に手をかけた者を留めることはあっても、すでに飛び込んでしまった者を救い揚げることは滅多めったに無い。久八も水音におどろかされて一旦は出て行ったものの、もう遅いと諦めて、いい加減に引っ返したらしいのである。しかもそれが女であると判って、彼もいささか気が咎めないでも無かった。その時代の習慣として、男を見殺しにしたよりも、女や子供の弱い者を見殺しにしたということが、余計に不人情と認められたからである。

しかし今の半七に取っては、そんな詮議はどうでもよかった。彼は重ねて訊きいた。

「その晩はまあそれとして、その後にも別に気の付いたことは無かったかね」

「それがねえ、親分」と、久八は声を低めた。「実はすこし変だと思うことが無いでもないので……。その明くる日の朝、ようよう夜が明けた頃に、ひとりの男が仮橋の上に突っ立って、暫く水の上を眺めていたのです。その時はさのみ気にも留めませんでしたが、御承知の通り、その日は朝の四ツ頃から雨があがっていい天気になりました。そうすると、午過ぎになって又その男が橋の上に来て、今朝とおなじように水を眺めているのです、それが二日も三日も続いたので、いよいよ変だと思っていると……。ねえ、お前さん。きのう女の死体が揚がってみると、死体は丁度その男の立っていた橋の下あたりに沈んでいたわけで……。してみると、その男は何かの係り合いがあって、女がそこらに沈んでいることを知っていて、幾度も川を覗きに来たのじゃあないかと思われるのですが……」

「ふうむ。そんなことがあったのか。そこで、その男はどんな奴だ」

「もう四十近い、色の浅黒い、がっしりした男で、まんざら野暮やぼな人でも無いようなふうをしていました。勿論、別に証拠があるわけじゃあありませんが、ひょっとすると死骸の女の亭主で……」

「爺さん、偉えれえ」と、幸次郎は啄くちを容いれた。「おれも其の話を聴いて、すぐにそう思った。世間によくある奴で、女は夫婦喧嘩でもして飛び込んだのかも知れねえ。それにしても、やっぱり判らねえのは金の蝋燭……。どうしてそんな物を抱えていたかな」

「それが判りゃあ仔細はねえ」と、半七はにが笑いした。「いや、判らねえところが面白いのかも知れねえ。その男はきょうも来たかえ」

「きょうはまだ見えないようです」と、久八は答えた。「死骸が揚がってしまったので、もう来ないのかも知れませんよ」

「むむ」と、半七は薄く眼を瞑とじて考えていた。「その男は西からか東からか、早く云えば日本橋の方から来たのか、本所の方から来たのか、それも判らねえかね」

「いつでも柳橋の方から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね」

「いや、ありがとう。御用とはいいながら、飛んだ邪魔をした。おい、爺さん。こりゃあ少しだが、煙草でも買いねえ。放し鰻の代りだ」

久八に幾らかの銭ぜにをやって、半七はここを出ると、幸次郎もつづいて出た。

「親分、女の亭主という奴はもう来ねえでしょうか」

「来ねえだろうな。困ったことには、人足どもが見付け出したのだから、方々へ行ってしゃべるだろう。そんな噂が立つと、奴らもきっと用心して証拠物を隠してしまうに相違ねえ。気の早い奴はどこへか飛んでしまうかも知れねえ。ぐずぐずしていると折角の魚に網を破られてしまう。何とか早く埒を明けてえものだな」

「橋番のおやじがもう少し気が利きいていりゃあ何とかなるのだが……」

「あんな耄碌もうろくおやじを頼りにしていて、上かみの御用が勤まるものか」と、半七は笑った。「まあ、柳橋の方へ行ってみよう」

女の亭主らしい男が柳橋の方角から来たというだけのことで、その方角へ向ってゆくのは甚だ知恵のない話のようであるが、柳橋の方角から来たというのに対して、本所深川の方角へ向うわけには行かない。たとい何の当てが無くとも、ともかくもその方角へむかって探索を進めてゆくのが、その時代の探索の定石じょうせきであると、半七老人は説明した。

前にもいう通り、橋の工事で広小路はふだんよりもさびれていたが、それでも食物屋くいものやのほかに、大道商人だいどうあきんどや大道易者の店も相当にならんでいた。易者は筮竹ぜいちくを襟にさし、手に天眼鏡を持ってなにか勿体らしい講釈をしていると、その前にうつむいて熱心に耳を傾けているのは、十八九ぐらいの小綺麗な女であった。半七は幸次郎をみかえって訊いた。

「おい、おめえはあの女を知っているかえ」

「冗談じゃあねえ。いくらわっしだって、江戸じゅうの女をみんな知っているものか」

云いながら、幸次郎は女の横顔をのぞいて、笑い出した。

「いや、知っています、知っています。あれは奥山おくやまのお光ですよ」

「むむ、宮戸川のお光か。道理で、見たような女だと思った。あいつ、いい亡者もうじゃになって大道占いに絞られている。はは、色男でも出来たかな」

「色男でも出来たか、おふくろと喧嘩でもしたか。まあ、そんなところでしょうね」

自分の噂をされているとも知らずに、お光は見料けんりょうの銭ぜにを置いて易者の店を出た。本来ならば唯そのままに行き過ぎてしまうのであるが、虫が知らせるというのか、半七は立ちどまって彼女のうしろ姿を暫く眺めていると、お光は更に両国橋に向って辿って行った。彼女は島田髷の頭を重そうに垂れて、なにかの苦労ありげに悄然としているのが半七の注意をひいたので、彼は幸次郎に眼配めくばせしながら、小戻りして其のあとを追った。

お光はそれにも気がつかないらしく、狭い仮橋の中程を行きつ戻りつしていたが、やがて立ち停まって四辺あたりを見まわしながら、川にむかってそっと手をあわせた。口の中でもなにか念じているらしかった。半七は幸次郎にささやいて、再び橋番の小屋へはいった。

「爺さん、又来たよ、おれはちょいと奥を貸して貰うぜ」

半七は障子をあけて小屋の奥に身を忍ばせると、やがてお光が帰って来た。それを待ち受けていた幸次郎は声をかけた。

「おい、お光ちゃん。どこへ行った」

呼ばれてお光は驚いたように振り返った。その顔は陰って蒼ざめていた。

「どうしたえ。ひどく顔の色が悪いじゃあねえか。麻疹はしかかえ。はは、そりゃあ冗談だ。なにしろまあここへ掛けねえ」と、幸次郎は笑いながら呼び込んだ。

お光は奥山の宮戸川という茶店の女で、幸次郎の職業もかねて知っているのであるから、呼びかけられて素通りも出来なかった。彼女は努めて笑顔を粧つくって、愛想よく挨拶した。

「おや、幸さん。急にお暑くなったようでございますね。きょうはこちらで何かのお見張りですか」

「なに、見張りというわけでもねえ。あんまりからだが閑ひまだから、野幇間のだいことおなじように、ここらへ出て来て岡釣りよ。そういう俺よりも、お光ちゃんこそ忙がしいからだで、ここらへ何しに出て来たのだ。おめえも色男の岡釣りかえ」

「ほほ、御冗談でしょう。両国橋が御普請ごふしんだというので、どんな様子か拝見に出て来たんですよ」

「と云うのは、世を忍ぶ仮の名で、占い者にお手の筋を見て貰って……。それから両国の川へ行ってお念仏を唱えて……。これから何処へかお寺参りにでも行くのかね。はは、お若けえのに御奇特ごきどくなことだ」

お光は顔の色を変えて、暫く無言で相手の顔を見つめていた。客商売に馴れている彼女も、当座の返事に困ったらしい。そこへ附け込んで、幸次郎は嚇すように云った。

「おい、お光。正直に云えよ。おめえは何でこの川へ来て拝んでいたのだ。後生ごしょう願いに放し鰻をするほどの皺くちゃ婆さんでもあるめえ。それとも男を散々だました罪亡ぼしかえ。おい、唯の人が訊くのじゃあねえ。おれが訊くのだ。正直に云えよ」

彼女はやはり黙って俯向いていたが、その顔色はいよいよ蒼ざめて来たので、幸次郎は嵩かさにかかって嚇し付けた。

「こいつ、わる強情な女だな。おい、爺さん、縄を持って来い。この阿魔あまをふん縛ってしまうから……」

如何にこの時代でも、単にこれだけのことで無闇に人を縛ることの出来ないのは判り切っているのであるが、若い女はその嚇しに乗せられたのか、但しはほかに仔細があるのか、縄をかけると聞いて彼女はひどくおびえた。口を利くにも利かれず、逃げるにも逃げられず、彼女は身を固くして立ちすくんでいた。

ここらで好かろうと、半七は奥からふらりと出て来た。

「何だか嚇かされているじゃあねえか。宮戸川のお光が縄付きになったら、泣く人がたくさんあるだろう。なんとか助けてやりてえものだな」

幸次郎一人でさえも受け切れないところへ、又その親分が不意にあらわれて来たので、お光の顔は蒼いのを通り越して、土のような色になってしまった。

三

「おい、お光。おれは幸次郎のように嚇かしゃあしねえ」と、半七は賺すかすように云い出した。「若い女をおどしにかけて白状させたと云われちゃあ、御用聞きの名折れになる。おれはおとなしくおめえに云って聞かせるのだ。その積りで、まあ聴け。宮戸川のお光には此の頃いい旦那が出来て、当人も仕合わせ、おふくろも喜んでいる。ところが、その旦那には女房がある。これがお定まりのやきもちで、いろいろのごたごたが起る。その挙げ句の果てに、女房は二日の晩にこの大川へ飛び込んだ。亭主もいい心持はしねえから、毎日この川へ覗きに来る。お光も寝覚めが悪いから、ひょっとすると、その枕もとへ女房の幽霊でも出るのかも知れねえ。そこで自分も大川へ来て、人に知れねえように南無阿弥陀仏か南無妙法蓮華経を唱えている。話の筋はまあこうだ。大道占いはどんな卦けを置いたか知らねえが、おれの天眼鏡の方が見透しの筈だ。おい、どうだ。おれにも幾らか見料を出してもよかろう」

「恐れ入りました」と、お光はふるえながら微かに答えた。

「おい、幸」と、半七は笑った。「恐れ入りましたと云う以上は、弱い者いじめをしちゃあいけねえ。これからはお互いに仲良くするのだ。そこで、お光。その旦那というのは何処の人だ」

「田町たまちでございます」

「浅草の田町だな」

「はい。袖摺稲荷そですりいなりの近所で……」

「なんという男で、何商売をしている」

「宗兵衛と申しまして、金貸しを商売にして居ります。おもに吉原へ出入りをする人達に貸し付けているのだそうで……」

「じゃあ、小金こがねを貸しているのだな、身上しんしょうはいいのか」

「よくは知りませんが、不自由は無いようでございます」

「おめえは宗兵衛の女房を知っているのか」

「知って居ります」と、お光は云い淀みながら答えた。「あたしの家うちへ幾度も来たことがありますので……」

「おめえの家はどこだ」

「馬道うまみちの露路の中でございます」

「女房が何しに来た。暴れ込んで来たのか」

「旦那を迎えに……。初めのうちは旦那も素直に帰ったんですが、しまいには喧嘩を始めて……。おっ母さんも、あたしも困ったことがあります。この二日の晩にも、旦那がよっぽど酔っているところへ、おかみさんが押し掛けて来て、とうとう大喧嘩になってしまって……。旦那はおかみさんを引き摺り倒して、乱暴に踏んだり蹴ったりするので、あたし達もみかねて仲へはいって、ともかくもおかみさんを宥なだめて表へ連れ出そうとすると、おかみさんはもう半気違いのようになっていて、鬼のような顔をして旦那を睨んで、この野郎め、おぼえていろ、あたしが死んでも、蝋燭が物を云うぞ……」

「蝋燭が物を云うぞ……。女房がそんなことを云ったのか」と、半七は訊き返した。

「云いました」と、お光はうなずいた。「そうして、あたし達を突きのけて、跣足はだしで表へ駈け出してしまいました。旦那は平気で冷せせら笑って、あいつは陽気のせいでちっと取り逆上のぼせているのだ。あんな気違いに構うな、構うなと云って、相変らずお酒を飲んでいましたが、そのうちにふいと気がついたように、急ぎの用を思い出したから直ぐに帰ると云い出して、雨の降るなかを帰って行きました」

「そりゃあ何刻なんどきだ」

「弁天山の四ツがきこえる前でした」

「その後に宗兵衛はおめえの家うちへ顔を見せたか」

「一度も来ません」

「その仮橋から身を投げたのは宗兵衛の女房だということを、おめえはどうして知っているのだ」

「今も申す通り、あの晩おかみさんが出て行く時に、あたしが死んでも蝋燭が物を云う……。それが耳に残っているところへ、きのうこの川で揚がった女の死骸は、金の蝋燭をかかえていたという評判で、その年ごろも丁度おなじようですから、きっと旦那のおかみさんに相違ないと、おっ母さんは大変に心配しているんです。あたしも気になって堪まりませんから、その様子を聞きながらここへ来て、占い者に見て貰いますと、おまえさんには死霊が祟っていると云われたので、いよいよぞっとしてしまいました」

「宗兵衛は江戸者かえ」

「いいえ、なんでも東海道の方に長くいたそうで、大井川の話なんぞをした事があります。江戸へは一昨年おととしの春頃から出て来たということです」

お光は更に半七の問いに対して、宗兵衛はことし四十歳、女房のお竹は三十三歳、夫婦のあいだに子供は無く、田町の家はお由という山出しの女中と三人暮らしである。他国者よそものだけに、江戸には身寄りも無いらしく、かつて親類の噂などを聞いたことも無いと云った。

「そこで、その蝋燭の一件だが……」と、半七はまた訊いた。「それに就いて何か聞いたことがあるかえ」

「二日の晩に初めて聞いたので……。それまでに誰もそんな話をしたことはありませんでした」

「そうか。じゃあ、きょうはまあこの位でよかろう。おっ母かあにもあんまり心配するなと云って置け」

「ありがとうございます」

「宗兵衛という旦那が来ても、きょうのことは決してしゃべっちゃあならねえ。詰まらねえおしゃべりをすると飛んだ係り合いになるぞ」

半七はよく云い含めてお光を帰した。

「ねえ、親分。あの女は旦那という奴に内通しやあしませんかね」と、幸次郎は云った。

「なに、奥山の茶屋女が慾得ずくで世話になっている旦那だ。心から惚れているわけでもあるめえ。それにしても、宗兵衛という奴を早く引き挙げなけりゃあならねえ。野郎め、女房にひどい意趣返しをされたな」

「意趣返しだろうか」

「意趣返しよ」と、半七は笑った。「亭主の悪事が露顕するように、女房は金の蝋燭を抱いて身を投げたのだ」

「そんならむしろ訴えて出ればいいのに……」

「それにゃあ訳があるのだろう。訴えて出れば自分もお仕置にならなけりゃあならねえ。自分はひと思いに死んでしまって、あとに残った亭主を磔刑はりつけか獄門にでもしてやろうという料簡だろう。女に怨まれちゃあ助からねえ。おめえも用心しろよ」

「はは、わっしは大丈夫だ」

二人は両国を出て浅草の方角にむかった。

「都合によっちゃあ、それからそれへと追っ掛けにならねえとも限らねえ」と、半七は云った。

「刻限はちっと早えが、腹をこしらえて置こう」

茶屋町辺の小料理屋で午飯ひるめしを済ませて、二人は馬道から田町一丁目にさしかかった。表通りは吉原の日本堤づつみにつづく一と筋道で、町屋まちやも相当に整っているが、裏通りは家並やなみもまばらになって、袖摺稲荷のあるあたりは二、三の旗本屋敷を除くのほか、うしろは一面の田地になっているので、昼でも蛙の声が乱れてきこえた。稲荷の近所というのを心当てに、二人は探しあるいていると、往来で酒屋の小僧に出逢った。

「おい、ここらに金貸しの宗兵衛さんという家うちはねえかね」と、幸次郎は小僧を呼びとめて訊きいた。

「宗兵衛さんはいないよ」

「どこへ行った」

「どこへ行ったか知らないが、ゆうべから帰らないと女中が云ったんだ」

「まあ、留守でもいいや。その家を教えてくれ」

小僧に教えられて、宗兵衛の家をたずねて行くと、柾木まさきの生垣いけがきに小さい木戸の入口があって、それには昼でも鍵が掛けてあるので、二人は更に横手へまわると、ここにも裏木戸があって、その戸を押すとすぐに明いた。

「御免なさい」

女中は居睡りでもしていたらしく、二、三度呼ばせて漸く出て来た。彼女は水口みずぐちの障子をあけて、不審そうに半七らをながめていた。

「おまえさんは女中かえ。お由さんというのだね」と、半七は先ず訊いた。

お由は無言でうなずいた。

「旦那はお留守ですかえ」

「ゆうべから帰りませんよ」

「馬道のお光さんのところへ泊まり込みかね」

何でもよく知っていると云うように、お由は無言で半七らの顔をふたたび眺めた。

「実はそのお光さんの家うちへ行ってみたのですが、ゆうべから旦那は来ないというので……。それでお宅の方へ参ったのですが、旦那はどこへ行くとも、いつ帰るとも、云い置いて行きませんでしたかえ」

「なんにも云って行きませんよ」と、お由は素気そっけなく答えた。

「おかみさんは……」

「おかみさんも留守ですよ」

「二日の晩から居ないのかえ」

お由は無言であった。

「隠しちゃあいけねえ。おかみさんは本当に二日の晩から帰らねえのだろう」

お由はやはり無言であった。半七は舌打ちしながら幸次郎を見かえった。

「また両国と同じ芝居を打たにゃあならねえ。女を嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼むよ」

四

お由は下総しもうさの松戸の生まれで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年ちょうねんしているのであった。ことし十八で、いわゆる山出しの世間見ずではあるが、正直一方に働くのを取得とりえに、主人夫婦にも目をかけられていた。そういう女であるから、宗兵衛夫婦のあいだにどんな秘密がひそんでいるかを勿論知っている筈はなかった。彼女は幸次郎に嚇されて、ただふるえているばかりであったが、それでも途切れ途切れにこれだけの事を語り出した。

「旦那とおかみさんとは去年の夏頃からたびたび喧嘩をしていました。去年の暮に一旦別れるような話もありましたが、まあ其の儘になっていたのです。今月の二日の晩に、おかみさんは宵から出て行きましたが、出先でまた旦那と喧嘩をしたと見えて、散らし髪になって真っ蒼な顔をして帰って来て、癪が起ったと云って暫く横になっていました。それから奥へはいって何か探し物でもしている様子でしたが、やがてわたくしを呼んで、本所まで駕籠を一挺頼んで来てくれというので、すぐに表通りの辻倉へ呼びに行きました。おかみさんがその駕籠に乗って出たあとへ、ひと足違いで旦那が帰って来ましたから、おかみさんはこうこうですと話しますと、旦那はすぐに奥へはいって、これも何か探し物をしているようでしたが、わたくしには何も云わずに、あわてて表へ出て行きました。その晩の四ツ過ぎに、旦那はひとりで帰って来ましたが、おかみさんはそれぎり帰りません。旦那の話では、おかみさんは体が悪いので箱根へ湯治にやったということでした」

「それは二日の晩のことで、旦那はそれから毎日どうしていた」と、半七は訊いた。

「それから毎日どっかへ出て行きました。ゆうべも日が暮れてから帰って来て、わたくしにお湯へ行って来いと云いますから、近所のお湯屋へ行って来ますと、その留守のあいだに旦那は着物を着かえて、小さい包みを持って、旅へ出るような支度をしていて、おれもこれから箱根まで行って、十日とおかばかりすると帰って来ると云い置いて出ました」

きのうの今日であるから、お由はまだ両国の噂を聞いていないのであった。正直者の彼女は旦那のいうことを一途いちずに信じて、おかみさんの帰らないのをさのみ怪しんでもいなかったらしい。半七は更に訊いた。

「おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか」

「本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません」

「本所に親類か知人しるべでもあるのか」

「本所からは増さんという人が時々に見えますが、家うちはどこにあるのか存じません」

「おかみさんの駕籠は辻倉だね」

「そうでございます」

「じゃあ、表の辻倉まで行って来てくれ」と、半七は幸次郎に云いつけた。「二日の晩にここのおかみさんを担かついで行った駕籠屋を調べて、本所のどこまで送ったか訊きただして来るのだ」

幸次郎はすぐに出て行った。その帰るのを待っている間ひまに、半七は家内を見まわると、寄付き、茶の間、座敷、納戸なんど、女中部屋の五間いつまで、さすがは小金でも貸して暮らしているだけに、家内はきちんと片付いて、小綺麗に住んでいるらしく見えた。台所へ出ると、柱には細長い竹の紙屑籠が掛けてあった。

「おい。この紙屑はこのごろ売ったかえ」

「屑屋さんは先月の晦日みそかに来て、それぎり参りません」と、お由は答えた。

半七は紙屑籠をおろして、念のために紙屑をつかみ出した。それを一々ひろげて丹念に調べているうちに、底の方から半紙の屑を発見した。半紙は幾きれにも引き裂いて丸めてあるので、その皺を伸ばして継ぎ合わせてみると、女の筆の走り書きで、書いては消し、消しては書き、どうも思うように書けないので、中途で引き裂いて紙屑籠へ押し込んでしまったらしい。したがって、文意はよく判らないが、ともかくも、「五年前のことを忘れたか――不人情な男――死んで恨みを晴らしてやる――蝋燭が物を云う――」と、これだけの事はおぼろげに推察された。

蝋燭が物を云うは、お光の口からも洩らされているので、別に新らしい発見でもなかったが、五年前のことを忘れたか――この一句は半七の胸に強く響いた。それによると、金の蝋燭に絡からんだ一種の秘密は五年以前の出来事であるらしい。江戸城本丸の金蔵破りは先々月の六日であるから、五年以前の出来事と無関係であるのは判り切っている。金蔵やぶりの盗賊が証拠湮滅いんめつのために、小判を地金に鋳潰して蝋燭に作り換えたものではないかと、今までひそかに見込みを付けていたのであるが、その推定は土台から引っくり返されることになった。五年以前の秘密、それが何であるかを改めて詮索しなければならないと、半七は思った。

勿論、一つの犯罪を探索しているうちに、その見込み違いから、更に犯罪を発見するような例は、これまでにもしばしば経験があるので、半七は今さら驚くという程でもなかったが、見込み違いは確かに見込み違いである。彼は一種の失望を感じた。

そこへ幸次郎が威勢よく飛び込んで来た。彼は半七を座敷へひき戻して口早にささやいた。

「親分、魚さかなはやっぱり大きいようです。辻倉の若い者に訊いたら、ここのおかみさんを乗せて行った先は、本所のももんじい屋の近所の錺屋かざりやだそうですよ」

ゆく先が錺屋というので、彼は大いに意気込んでいるらしいが、今の半七の考えはもう違っていた。然し金の蝋燭をかかえて身を投げた女――それが、古今に例のない不思議の出来事であるだけに、彼の職業的興味は再び湧き起った。それが五年前の出来事であるにもせよ、金蔵やぶりと無関係であるにもせよ、進んでその秘密を発あばかなければならないと思うにつけて、金の蝋燭と錺屋、そこに離るべからざる連絡を見いだしたのを喜んだ。彼はお由を座敷へ呼んで訊いた。

「おい、本所から来る増さんというのは、錺屋かえ」

「はい。錺屋さんだそうでございます」

「なんの用で来るのか知らねえか」

「やっぱりお金を借りに来るようです」

「この女じゃあ埒らちが明きますめえ」と、幸次郎は催促するように云った。「なにしろ早いが勝だから、すぐ本所へ廻りましょう」

「むむ。出かけよう」

お由には当分おとなしくしているように云い聞かせて置いて、半七と幸次郎は更に本所へむかった。駒止こまどめ橋の近所で錺屋の増さんと訊くと、すぐに知れた。

「あの店におしゃべりらしい嬶かかあがいる。あすこへ寄って内聞ないぎをしてみろ」

半七に指図されて、幸次郎は路ばたの魚屋へ立ち寄った。店さきで盤台を洗っている女房に話しかけて、錺屋の噂を聞き出すと、果たして彼女は口軽にいろいろのことをしゃべった。錺屋の増蔵は三十二三で、去年の春に女房に死に別れ、今では小僧と二人暮らしの男世帯である。腕はなかなかにいい職人であるが、女房をなくしてから道楽を始めて、諸方に義理の悪い借金が出来たらしいという。それで大抵の見当も付いたので、二人は錺屋へたずねて行くと、小僧がぼんやりと店に坐っていて、親方は二階に寝ていると答えた。

呼びおろされて出て来た増蔵はほろよい機嫌であったが、これは山出しのお由とちがって、江戸生え抜きの職人であるだけに、半七らが唯の人でないことに早くも気がついたらしく、俄かに形をあらためて丁寧に挨拶した。

「わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか」

「おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来ねえかね」

「いえ、どなたも……」と、増蔵は不安らしく相手の顔をみあげた。

「まだここらまでは廻って来ねえか。遅い奴らだな。じゃあ、すぐに御用に取りかかろう。本来ならば番屋へ引っ張って行くのだが、近所の手前もあるだろうから、ここで訊くことにするよ」

小僧を奥へ追いやって、半七は店にあがり込んだ。よもやとは思うものの野暮やぼに立ち騒いだらば直ぐに押える積りで、幸次郎は店さきに腰をかけていた。

しかし相手は案外におとなしく、半七の調べに対して正直に答えた。

「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという噂を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申し上げようかと思ったのですが、なんだか気が咎めて其のままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数てかずをかけまして相済みません」

「おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか」

「いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っているというので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入りをするようになりました」

「宗兵衛からよっぽど借りたか」

「一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二歩ぶか三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります」

「七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか」

「ちっとも催促しないで、いつもいい顔をして貸してくれました。あとで考えると、それには少し思惑おもわくのあることで……。先月のはじめに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蝋燭を出して見せまして、おまえは商売だから金銀細工の地金屋じがねやを知っているだろう。これを一度に持って行くとおかしく思われるから、幾つかに分けて方々の地金屋へ持って行って、相当の相場で売って来てくれ。その働き賃には今までの借金を帳消しにするばかりでなく、相場によっては又幾らかの手数料をやるというのです。わたくしも慾が手伝って、無分別に請け合って、一本の蝋燭をあずかって帰って、念のために蝋燭の横っ腹へ小さい穴をあけて見ると、なるほど金がはいっているのです。金無垢きんむくの伸べ棒を芯にした蝋燭……不思議な物もあるものだと思うに付けて、わたくしは又急に気味が悪くなりました。宗兵衛という人はどうしてこんな物を持っているのだろうと、翌日また出直して仔細を訊きに行きました」

「宗兵衛はなんと云った」

「おまえは知るまいが、京大阪の金持は泥坊の用心に、こういう物をこしらえて置く。どんな泥坊が徒党を組んで押し込んで来ても、蝋燭なんぞには眼をかけないから、こうして隠して置くのが一番確かだ。もう一つには、それが通用の小判であると、自分もとかくに手を付けて使い勝だから、地金のままで仕舞って置くのが無事だということになっている。町屋まちやばかりでなく、諸大名の屋敷でも軍用金はこうして貯えて置くのだと、そう云うのです」

そんなことが本当にあるか無いかを、半七もよく知らなかった。幸次郎は勿論知らなかった。二人は唯だまっていると、増蔵は猶も語りつづけた。

「それでまあ不審は晴れたのですが、わたくしのような貧乏人が金のかたまりを持ち歩いても、どこでも滅多めったに取り合ってくれそうもありませんから、どうしたものかと考えているうちに、つい花どきだものですから田町へ行って又一両借りてしまいました。そんなわけで、いよいよ退引のっぴきならない羽目はめになって、わたくしも困っているところへ、この二日の晩に宗兵衛のおかみさんが駕籠で乗り付けて来て、ここの家にあずけてある蝋燭をかえしてくれというのです。その様子が何だかおかしい。おかみさんは散らし髪で眼の色が変っていて、どうも唯事ではないらしく、夫婦喧嘩でもして来たらしいので、大事の品をうっかり渡していいかどうだかと、わたくしは又困っていると、おかみさんは凄いような顔をして是非渡せと云う。そうなると、猶さら不安になって来て、旦那が来なければ渡されないと云う。いや、渡せと云う。しまいには喧嘩腰になって争っているところへ、いい塩梅あんばいに宗兵衛も駕籠に乗って来てくれました。その顔をみても、おかみさんは黙っていて口を利きません。それを宗兵衛が無理に二階へ連れて行って、どういう風になだめたか知りませんが、まあ仲直りをしたような様子で、夫婦は無事に二階を降りて来ました。もう四ツ時分だから駕籠を呼ばせようかと云いましたが、そこらへ出て辻駕籠を拾うからと云って、二人は細雨こさめのふる中を出て行きました」

「その蝋燭はどうした」

「女房がやかましいから一旦返してくれと宗兵衛が云うので、わたくしも厄介払いをしたような心持で、すぐに返してやりました。その時におかみさんは、まだ何本かの蝋燭を重そうに抱えているようでした」

「それからどうした」

「それから先のことはなんにも知りません。夫婦は無事に田町へ婦ったものだと思っていると、実に案外の始末でびっくりしました。たぶん帰り路で二度の喧嘩をはじめて、おかみさんは両国の仮橋から飛び込んだのだろうと思います。宗兵衛はどうしたのか、田町へ様子を見に行こうと思いながら、うっかり出て行って飛んだ係り合いになっても詰まらない。といって、知らん顔をしているのも義理が悪いようで、なんだか心持が好くないもんですから、昼間から湯にはいって一杯飲んで、二階で横になっていたところです」

気の弱い職人の申し立てはこれで終った。

五

「そうすると、その宗兵衛という男は、何処からか金の蝋燭を盗んでいたんですね」と、私は訊いた。

「そうです」と、半七老人はうなずいた。「しかし宗兵衛が増蔵に話して聞かせたのは出たらめで、上方かみがたの金持が泥坊よけに金の蝋燭をこしらえるの、大名が軍用金に貯えて置くのというのは、みんないい加減の誤魔化しである事が、あとですっかり判りました。金の蝋燭はそんなわけの物ではなかったんです。そこで、かの宗兵衛夫婦がどうしてそんな不思議な物を持っていたかと云うと、ここに小説のようなお話があるんです。まあ、お聴き下さい。

どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷かなやの宿、この二つの宿しゅくのあいだを流れています。その金谷の宿から少し距はなれたところに、日坂峠というのがあって、それから例の小夜さよの中山なかやまに続いているんですが、峠の麓ふもとに一軒の休み茶屋がありました。立場たてばというほどでは無いんですが、休んだ旅人たびびとには番茶を出して駄菓子を食わせる。有り合いの肴で酒ぐらいは飲ませるという家で、その茶屋の亭主が宗兵衛、女房がお竹、夫婦二人で商売をしていたんです。宗兵衛は三州岡崎の生まれですが、道楽のために家を潰して金谷の宿へ流れ込んで来た者で、女房のお竹は岡崎女郎衆の果てだそうです。それでも夫婦が無事に暮らしていると、ある日の午過ぎに、武家の中間ちゅうげんふうの男が一人通りかかって、この店に休んで酒なぞを飲んでいたんですが、そのうちに急に気分が悪くなったから、少しのあいだ寝かしてくれと云うので、夫婦の寝所ねどこになっている奥の間へ通して、ともかくも寝かして置くと、男は日の暮れる頃まで起きることが出来ない。だんだんに容態が悪くなって来るらしい。その頃のことですから、近所に医者もないので、夫婦は有り合わせの薬なぞを飲ませて介抱した。そこは人情で、夫婦も見識らない旅の男を親切に看病してやったらしいんです。

その看病の効かいがあったのか、一時はむずかしそうに見えた病人も、明くる朝からだんだんに落ちついて、その日の午飯には粥を食うようになったので、まあ好かったと喜んでいると、七ツ下がり(午後四時過ぎ)になってから、旅の男はもうすっかり快よくなったから発たつと云い出した。秋の日は短い、やがて暮れるという時刻になって峠を越すよりも、もうひと晩泊まって養生して、あしたの朝早く発っことにしたら好かろうと勧めたが、男はさきを急ぐとみえて無理に振り切って出て行った。その別れぎわに、男はきのうから世話になったお礼をしたいが、路用は手薄てうすであるし、ほかには持ち合わせも無いから、これを置いて行く。しかし今すぐに使ってはいけない。まあ半年ぐらいは仏壇の抽斗ひきだしへ仕舞って置くがいいと、謎のようなことを云い残して、一本の大きい蝋燭をくれて行きました」

「それが例の蝋燭なんですね」

わたしは待ち兼ねて、思わず口を出した。話の腰を折られても、老人は別にいやな顔を見せなかった。

「その男の云った通りにしたならば、夫婦も余計な罪を作らずに済んだのかも知れませんが、折角くれた蝋燭を今すぐに使ってはいけないと云う。それが何だかおかしいばかりでなく、その蝋燭があんまり重いので、夫婦が不思議がって眺めているうちに、どっちの粗相だか土間に落として、そこにある石にかちりとあたると、蝋は砕けて芯が出た。それが金色に光ったので、夫婦は又おどろきました。それが即ち金の蝋燭の由来……」

「その旅の男というのは何者ですか」

「まあ、お待ちなさい。まだお話がある。その蝋燭を見て、夫婦は考えたんです。中間ふうの旅の男がこんな物を持っている筈がない。殊に病い挙げ句のからだで、今ごろから怱々そうそうに出て行ったのは、なにかうしろ暗い身の上であるに相違ない。亭主の宗兵衛は急に思案して、こんな物を貰って何かの係り合いになっては大変だから追っかけて行って返して来ると、その蝋燭を風呂敷につつんで、男のあとを追って出たが、それっきり暫く帰って来ない。そのうちに日が暮れて暗くなる。どうしたのかと女房が案じていると、亭主は風呂敷包みを重そうに抱えて帰って来た……。と云ったら大抵お察しも付くでしょうが、一本の蝋燭が六本になっていたんです。本当に返す積りであったのか、それとも他に思惑おもわくがあったのか、その辺はよく判りませんが、なにしろ追っかけて行ってみると、男は峠の中途に倒れて苦しんでいる。病気が再発したらしいので、木の蔭へ引っ張り込んで介抱しているうちに、宗兵衛は腰にさげている手拭をとって男を不意に絞め殺した上に、残りの蝋燭をみんな引っさらって来たというわけです。これには女房も驚いたが今さら仕方がない。夫婦はその晩のうちに旅支度をして、六本の蝋燭をかかえて夜逃げをしてしまったんです。

それからひと先ず京都へ行って、どういうふうに誤魔化したか、ともかくも一本の蝋燭の芯を売って通用の金に換え、それを元手にして二年ほど何か商売をやっていたんですが、その商売が思うように行かなかったのか、何かのことで足が付きそうになったのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。吉原に近いところですから、小金を借りに来る者もあって、商売は相当に繁昌したんですが、相手が相手だから貸し倒れも多い。おまけに宗兵衛は江戸の水に浸みて、奥山の茶屋女に熱くなるという始末だから、夫婦喧嘩の絶え間が無いばかりか、宗兵衛のふところも次第にさびしくなる。そこで錺屋の増蔵をうまく手なずけて、例の蝋燭をなんとか処分しようとしているうちに、女房のやきもちから椿事出来しゅったいして、只今お話し申したような手続きになったんです」

「宗兵衛はどうしました」

「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過ぎた頃に、亭主の隙すきをみて不意に川のなかへ飛び込んでしまった。もちろん、蝋燭は自分がしっかりと抱えたままで飛び込んだのですから、宗兵衛も呆気あっけに取られた。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸かし伝いに吾妻橋へ出て、無事に田町の家へ逃げ帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が引き揚げられて、金の蝋燭の一件が露顕しそうになったので、もううかうかしてはいられないと思って、その晩すぐに支度をして、なんにも知らない女中のお由を置き去りにして、駈け落ちを極めてしまったんです。

わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んでしまったんですから、その間に一日の差があります。どっちの方角へ逃げたかは知らないが、逃げる方は一生懸命だから、一日おくれては容易に追い着かれそうもない。どうしたものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、ぼんやりと水をながめている。その年頃や人相風俗が彼かの宗兵衛によく似ているので、つかつかと寄って『おい、宗兵衛』と声をかけると、男は二人を見て慌てた様子で、一旦は川へ飛び込もうとしたらしいんですが、夜と違って昼間のことですから、川には石や材木を槙んだ船が幾艘も出ている。人足や船頭も働いている。そこへ飛び込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人しろうとの悲しさ、気ばかり焦あせって体が前へ泳いでいるので、ちょいと蹉つまずくとすぐに突んのめる。男が何かにつまずいてばったり倒れたところを、二人がすぐに取り押えました。

それが丁度、橋番の小屋の前でしたから、おやじの久八を呼んで首実検をさせると、毎日この橋の上へ来て大川を眺めていた男は、たしかにこいつに相違ないというので、もう一言もなく恐れ入ってしまいました。そこで、だんだんに調べてみると、宗兵衛は前の晩に田町の家うちを出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中仙道を行くことにして、その晩は板橋の女郎屋に泊まったんです。明くる朝、そこからすぐに発たてばいいのに、例の宮戸川のお光に未練があるので、もう一度逢って行きたいような気になって、そこから又引っ返して馬道へ来たが、なんだか近所の人達が自分をじろじろ見ているような気がするので、思い切って露路のなかへはいることも出来ず、いっそ日が暮れてから尋ねて行こうと思って、あても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。多分お竹の魂に引き寄せられたのでしょうと、本人は怪談めいたことを云っていましたが、犯罪者はとかくにそうしたもので、自分に係り合いのある所へわざわざ近寄って、結局破滅を招くことになるのが習いです。宗兵衛もやはり其のたぐいでしょう」

これでこの事件の顛末は判ったが、最後に残っているのは金の蝋燭の問題である。それについて、半七老人はこう説明した。

「旅の男は宗兵衛に縊くびり殺されてしまったので、その身許も蝋燭の出所でどこもいっさい判らないんですが、宗兵衛の申し立てに因よって判断すると、その蝋燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門』なぞと云いましたが、つまりは一種の賄賂です。表向きは金をやるわけにも行かないので、菓子折の底へ小判を入れたり、金銀の置物をこしらえたり、いろいろの工夫くふうをするのが習いでしたから、この蝋燭も一つの新工夫で、おそらく九州辺の大名が国産の蝋燭を進上するなぞと云って、金の伸べ棒入りの蝋燭を持ち込む積りであったのだろうと思われます。そこで、その進物しんもつを国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありませんが、その供の者、すなわち中間どもの中に良くない奴があって、事情を知って一と箱ぐらいを盗み出し、それを抱えて途中から逐電ちくてんしたらしい。ほかに同類があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方へむかって引っ返す途中、金谷の宿しゅくで急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢はかなくなりにけりという事になったんでしょう。今更ではないが、悪いことは出来ません。

それがなぜ世間へ知れずにいたかというに、その大名も元来秘密の仕事ですから、たとい途中でどんな事があろうとも、表向きの詮議は出来ません。江戸の幕府の役人たちに蝋燭を贈ったなぞということが世間へ知れては、その屋敷の大迷惑になりますから、何事も泣き寝入りにして、闇から闇へ葬るのほかはない。それを承知で、持ち逃げをした奴もあるわけです。昔はそういうたぐいの秘密がいろいろありました。いや、今日でも『珍物』なぞという贈り物があるとか聞いていますが……。はははははは。

ついでに申し上げますが、御金蔵やぶりの藤十郎と富蔵は、安政四年二月二十六日に召し捕られ、五月十三日に千住の小塚ッ原で磔刑はりつけになりました。わたくしも随分これには頭を痛めたんですが、運がないのか、知恵がないのか、他人ひとに巧を奪われて、この捕物にはいっさい係り合いがなかったのを今でも残念に思っています」

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:しず
1999年12月13日公開
2004年3月1日修正
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岡本 綺堂「半七捕物帳──47 金の蝋燭」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(四)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000988_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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