Soranoha

半七捕物帳

はんしちとりものちょう

岡本 綺堂

一

「幽霊の観世物」の話が終ると、半七老人は更にこんな話を始めた。

「観世物ではまだこんなお話があります。こんにちでも繁昌している団子坂の菊人形、あれは江戸でも旧ふるいものじゃあありません。いったい江戸の菊細工は――などと、あなた方の前で物識りぶるわけではありませんが、文化九年の秋、巣鴨の染井の植木屋で菊人形を作り出したのが始まりで、それが大当りを取ったので、それを真似まねて方々で菊細工が出来ました。明治以後は殆ど団子坂の一手専売のようになって、菊細工といえば団子坂に決められてしまいましたが、団子坂の植木屋で菊細工を始めたのは、染井よりも四十余年後の安政三年だと覚えています。あの坂の名は汐見坂しおみざかというのだそうですが、坂の中途に団子屋があるので、いつか団子坂と云い慣わして、江戸末期の絵図にもダンゴ坂と書いてあります。

そこで、このお話は文久元年の九月、ことしの団子坂は忠臣蔵の菊人形が大評判で繁昌しました。その人形をこしらえたのは、たしか植梅という植木屋であったと思います。ほかの植木屋でも思い思いの人形をこしらえました。その頃の団子坂付近は、坂の両側にこそ町屋まちやがならんでいましたが、裏通りは武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所でしたが、菊人形の繁昌する時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて来るので、たいへんな混雑でした。それを当て込みに、臨時の休み茶屋や食い物店なども出来る。柿や栗や芒すすきの木兎みみずくなどの土産物を売る店も出る。まったく平日と大違いの繁昌でした。

ところが、その繁昌の最中に一つの事件が出来しゅったいしました。というのは、九月二十四日昼八ツ(午後二時)頃に、三人づれの外国人がこの菊人形を見物に来たんです。その頃はみんな異人と云っていましたが、これは横浜の居留地に来ている英国の商人で、男ふたりはいずれも三十七八、女は二十五六、なにかの用向きをかねて江戸見物に出て来て、その前夜は高輪たかなわ東禅寺の英国仮領事館に一泊して、きょうは上野から団子坂へ廻って来たというわけで……。勿論、その頃のことですから、異人たちの独り歩きは出来ません。東禅寺に詰めている幕府の別手組べつてぐみの侍ふたりが警固と案内をかねて、一緒に付いて来ました。異人三人も別手組ふたりも、みんな騎馬でした。

前にも申す通り、根津から団子坂へかかって来ると、ここらは大へんな混雑、殊にこんにちと違って道幅も狭いのですから、とても騎馬では通られない。そこで、五人は馬から降りて、坂下の空地あきちをさがして五匹の馬を立ち木につないで置きました。馬丁ばていを連れていないので、別手組のひとりはここに馬の番をしていることになって、他のひとりが異人たちを案内して坂を昇って行きました。異人のめずらしい時代ですから、往来の人達はみんな立ちどまって眺めている。又そのあとへぞろぞろと付いて来るのもある。そのうちに一人の女が男の異人に摺れ違ったかと思うと、素早くそのポケットの紙入れを抜き取った。しかし異人の方でも油断していなかったと見えて、すぐにその女を取り押さえました。

付いていた別手組もおどろいて、その女を押さえると、女は何も取った覚えはないと云う。袂や内ぶところや帯のあいだを探しても、紙入れは見付からない。異人はどうしても取ったと云う。女は取らないと云う。なにしろその品物を持っていないんだから、女の方が強味です。女は仕舞いには大きな声を出して、この異人はあたしに云いがかりをする。取りもしないものを取ったと云って、あたしに泥坊の濡衣ぬれぎぬを着せる。皆さんどうぞ加勢をして下さいと、泣き声で呶鳴るという始末。

異人嫌いの時代ですから、こうなると堪まりません。この毛唐人め、ふてえ奴だ。取りもしねえものを取ったと云って、日本人を泥坊扱いにしやあがる。こいつ勘弁が出来ねえというので、気の早い二、三人が飛びかかって、その異人をなぐり付ける。さあ、大変です。忽ちに弥次馬が大勢あつまって来て、三人の異人を袋叩きにするという騒ぎになりました。附き添いの別手組もたった一人ではどうすることも出来ない。まさかに刀をぬいて斬り払うわけにも行かないので、騒ぐなとか、静かにしろとか云って、しきりに制しているけれども、弥次馬連はなかなか鎮まらない。そのうちには石を投げ付ける者もあるのでいよいよあぶない。現に異人の男ひとりは、左の頬を石に撃たれて血が流れ出した。

なにをいうにも多勢たぜいに無勢ぶぜいですから、こうなったら逃げるよりほかはない。異人たちは真っ蒼になって坂下の方へ逃げました。別手組も一緒に逃げました。弥次馬は閧ときの声をあげて追って来る。事の仔細をよくも知らないで、相手が異人だから遣やっ付けてしまえと、無我夢中で加勢に出て来る者もある。敵はだんだんに殖えて来るばかりで、中には屋根に昇って瓦を投げる者がある。石ころでも竹切れでも、薪まきざっぽうでも、手あたり次第に投げつけるのだから防ぎ切れない。異人たち三人も別手組もみな大小の疵を負って、血だらけになって逃げる。いや、飛んだ災難で気の毒でした。

この騒ぎを聞きつけて、もう一人の別手組が駈けて来たが、これもどうすることも出来ない。早く馬に乗って逃げろと注意したんですが、大勢の敵に隔てられて、馬をつないである空地あきちの方角へ行くことが出来ない。結局、馬は置き捨てにして、命からがら池いけの端はたの辺まで逃げました。異人たちはここへ来る途中で何か買物なぞをして来たんですが、それもみんな抛ほうり出してしまい、帽子もステッキもなくなって、散らし髪の血だらけという姿、実に眼も当てられません。

追って来る連中ももう倦あきたと見えて、途中からだんだんに減ってしまって、池の端まで来る頃には誰も付いて来ない。これで先ずほっとしたんですが、さて困ったのは馬の一件で、そのままに捨てて帰るわけには行かない。といって、迂濶に引っ返すと又どんな目に逢うかも知れないので、異人たちは怖がって帰らない。女の異人などは顔の色をかえてふるえている。別手組二人で五匹の馬の始末はちっと困ると思ったが、ともかくも牽ひいて来ることにして、二人の侍は元の空地へ戻ってみると、五匹のうちで二匹はゆくえ知れずになっている。この騒ぎにまぎれて、誰かが盗んで行ったに相違ない。一匹は女異人の乗っていた馬で、一匹は別手組の市川又太郎という人の馬でした。

今更ここで詮議をしていることも出来ないので、異人たちを三匹の馬に乗せて、ひと足先へ帰すことにして、別手組の二人はあとから徒歩かちで帰りました。これでまあ済んだようなものですが、相手が異人ですから事が面倒になりました。殊に三人ながらみんな顔や手に負傷しているので、東禅寺の方からむずかしい掛け合いを持ち込んで来ました。まさかに償金を出せとも云いませんが、その乱暴者を処分して、今後を戒めるようにしてくれと云うのです。乱暴者の処分と云ったところで、大勢の弥次馬ですから誰が何をしたのか判る筈はありません。ただ、捨て置かれないのは、どさくさまぎれの馬泥坊です。異人の馬ばかりでなく、日本の侍の馬まで盗んで行ったんですから、こいつは何とかして探し出さなければなりません。

八丁堀同心丹沢五郎治という人の屋敷へ呼ばれて、半七御苦労だが働いてくれという命令です。まあ、仕方がない。かしこまりましたと請け合って帰りました。かんがえて見ると、世の中にはいろいろの事件が絶えないものですね」

二

半七は主おもな子分らをあつめて評議の末に、皆それぞれの役割を決めた。九月二十六日の朝、自分は子分の幸次郎を連れて、ともかくも団子坂へ出てゆくと、菊人形は相変らず繁昌していた。別手組の一人が一緒に来てくれると、万事の調べに都合がいいと思ったのであるが、東禅寺警固の役目をおろそかには出来ないというので、現場へ同道することを断わられた。

しかし、別手組の人達から詳しい話を聞いて来たので、まず大抵の見当は付いていた。半七は歩きながら云った。

「馬どろぼうとは別物だろうが、異人の紙入れを取ったとか取らねえとかいう女、それもついでに調べて置く方がよさそうだな」

「そうですね」と、幸次郎もうなずいた。「いずれ女の巾着切きんちゃっきりでしょう。異人の紙入れを掏り取って、手早く相棒に渡してしまったに相違ありませんよ。江戸の巾着切りは手妻てづまがあざやかだから、薄のろい毛唐人なんぞに判るものですか」

二人はそこらの休み茶屋へはいって、茶を飲みながらおとといの噂を訊くと、ここらの人達は皆よく知っていた。茶屋の女の話によると、その女は年ごろ二十八九の小粋な風俗で、ほかに連れも無いらしかった。彼女は騒動にまぎれて何処へか立ち去ったので、何者であるかを知る者はなかった。

女の人相などを詳しく訊きただして、二人はそこを出ると、幸次郎はすぐにささやいた。

「今の話で大抵わかりました。その女は蟹かにのお角かくと云って、両腕に蟹を一匹ずつ彫っている奴ですよ」

「そいつの巣はどこだ」

「どこと云って、巣を決めちゃあいねえようですが、お角と判れば調べようもあります」

二人は更に坂下の空地へまわると、秋草の乱れている中に五、六本の榛はんの木が立っていた。うしろは小笠原家の下屋敷で、一方には古い寺の生垣いけがきが見えた。一方には百姓の片手間に小商こあきないをしているような小さい店が二、三軒つづいていた。それに囲まれた空地は五六百坪の草原に過ぎないで、芒のあいだに野菊などが白く咲いていた。五匹の馬をつないだのはかの榛の木に相違なく、そのあたりの草むらは随分踏み荒らされていた。

「馬を盗んで行った奴は素人しろうとでしょうね」と、幸次郎は云った。「商売人ならば日本馬か西洋馬か判る筈です。西洋馬なんぞ売りに行けばすぐに足が付くから、どうで盗むならば日本馬を二匹牽ひき出しそうなものだが、そこに気がつかねえのは素人で、手あたり次第に引っ張って行ったのでしょう」

「そうかな」と、半七は首をかしげた。

こんにちと違って、その時代における日本馬と西洋馬との相違は、誰が眼にも容易に鑑別される筈であった。第一に鞍くらといい、鐙あぶみといい、手綱たづなといい、いっさいの馬具が相違しているのであるから、いかなる素人でも西洋馬と知らずに牽き去るはずがないと、彼は思った。

なにか手がかりになるような拾い物はないかと、一応はそこらを見まわしたが、何分にも草深いので探すことは出来なかった。ともかくも地つづきの百姓家へたずねて行って、その日の様子を訊いてみようと、二人は引っ返して歩き出そうとする時、幸次郎は小声であっと云った。半七も振り向いた。

江戸は繁昌と云っても、その頃の江戸市内に空地はめずらしくなかった。三百坪や四百坪の草原は到る所にある。まして半分は田舎のような根津のあたりに、このくらいの草原を見るのは不思議でもなかったが、ここの空地は取り分けて草が深い。その草のあいだに、古い小さい祠ほこらのようなものが沈んで見えるのを、二人は最初から知っていたが、今や彼等を少しく驚かしたのは、祠のうしろから一人の女の姿があらわれ出でたことであった。

女は五十以上であるらしく、片手に小さい風呂敷包みと梓あずさの弓を持ち、片手に市女笠いちめがさを持っているのを見て、それが市子いちこであることを半七らはすぐに覚った。市子は梓の弓を鳴らして、生霊いきりょうや死霊しりょうの口寄せをするもので、江戸時代の下流の人々には頗る信仰されていたのである。その市子が草にうもれた古祠のかげから突然にあらわれたのは、白昼でも何だか気味のいいものでは無かった。二人は黙って見ていると、女の方から声をかけた。

「もし、おまえさん方は何か探し物でもしていなさるのか」

「ええ、落とし物をしたので……」と、幸次郎はあいまいに答えた。

「おまえさん方の探す物は、ここらでは見付からないはずだ」と、老女は笑いながら云った。「もっと西の方角へ行かなければ……」

市子は占うらない者や人相見ではない。その口から探し物の方角などを教えられても、恐らく信用する者はあるまい。まして半七らがその忠告をまじめに聴くはずはなかった。

「いや、ありがとう」と、幸次郎も笑いながら答えた。

それぎりで、二人は往来の方へあるき出すと、老女はそのあとを慕うように続いて来た。二人も無言、彼女も無言である。草をかき分けて往来へ出て、二人は左へむかって行くと、彼女もおなじく左へむかって来た。彼女はなかなか達者であるらしく、わずかに一間ほどの距離を置いて、男のようにすたすたと歩いて来る。それが自分たちのあとを尾つけて来るようにも思われるので、幸次郎は振り返って訊いた。

「おめえはあすこに何をしていたのだ。あの祠ほこらを拝んでいたのかえ」

老女は黙っていた。

「あの祠には何が祭ってあるのだ」

「神様です」と、老女は答えた。

「神さまは判っているが、なんの神様だ」

「知りません」

「毎日拝みに来るのかえ」

「あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます」

「おめえの家うちはどこだ」

「谷中やなかです」

「谷中はどの辺だ」

「三崎さんさきです」

「おめえは市子さんかえ」

「そうです」

「商売は繁昌するかえ」と、幸次郎は冗談のように訊いた。

「繁昌します」と、彼女はまじめに答えた。

そんなことを云っているうちに、半七らは百姓家の前に出た。それは片商売に荒物を売っている店で、十歳とおばかりの男の児が店の前に立っていたが、半七らを見ると慌てて内へ逃げ込んだ。それに構わずに、二人は店へずっとはいると、三十二三の女房が奥の障子をあけて出た。彼女は先ず子供を叱った。

「なんだねえ、お前は……。お客さまが来たのに、逃げることがあるものか」

「狐使いだよ」と、男の児は表を指さすと、女房も表をちょっと覗いて、ふたたび小声で子供をたしなめるように叱った。

男の児は半七らを恐れたのではなく、そのあとから付いて来た市子を恐れているのであろう。その口から洩れた「狐使い」の一句が半七らの注意をひいて、二人は一度に表をみかえると、市子の老女は、彼等にうしろを見せて谷中の方角へたどって行った。

「あの市子は狐を使うのかえ」と、半七は訊いた。

「よくは知りませんが、そんな噂があります」と、女房は答えた。

「ここらへも始終来るのかえ」

「この頃は毎日のようにここへ来て、あの祠を拝んでいるので、ここらの者は気味悪がっています」

「あの空地の祠はなんだね」

「わたくしも子供の時のことですから、詳しい話は知りませんが、あの空地のところは臼井様とかいう小さいお旗本のお屋敷があったそうです」と、女房は説明した。「なにかの訳で殿様は切腹、お屋敷はお取り潰しになりまして、その以来二十年余もあの通りの空地になっています。その当座は祟りがあるとか云って、誰も空地へはいる者もなかったのですが、この頃は子供たちが平気で蜻蛉とんぼやばったなぞを捕りに行くようになりました。祠はその臼井様のお屋敷内にあったもので、お屋敷がお取り払いになる時にもそのままに残ったのですから、一体なにを祭ってあるのか誰も知っている者もありません。御覧の通りに荒れ果ててしまって、自然に立ち腐れになるのでしょう。仮りにも神様と名のつくものを打っちゃって置くのも良くないから、なんとか手入れをしようかと云う人もあるのですが、障らぬ神に祟り無しで、うっかりした事をして何かの祟りでもあるといけないというので、まあ其の儘にしてあります。そこへ此の頃あの市子さんが毎日御参詣に来るのですが、狐を使うなぞという噂のある人だけに、なんだか気味が悪いと近所の者も云っています。子供たちまでその姿をみると、狐使いが来たと云って逃げるのです」

「市子の名は何というのだね」

「おころさんと云うそうです」

「おころ……。めずらしい名だな」

半七らの詮議は市子や狐使いでない。そんなことは出さきの拾い物に過ぎないのであるから、その詮索はこのくらいに打ち切って、二人はかの異人の一件について話し出した。

「おとといは大騒ぎだったと云うじゃあねえか」と、半七は何げなく訊いた。

「ええ、たいへんな騒ぎでした」と、女房はうなずいた。「異人を殺してしまえと云って、大勢が追っかけて来るので、どうなる事かと思いました。それでもまあみんな無事に逃げたそうです」

「五人の馬はそこの空地あきちにつないであったのかえ」

「そうです。そのうちの二匹がなくなったというのですが、どうしたのでしょうかね」

異人の騒ぎで、ここらの者はいずれも家を空明がらあきにして駈け出した。その留守のあいだに、二匹の馬が紛失したのであるから、誰が牽ひき出したのか知っている者もない。別手組の侍が来ていろいろ詮議したが、誰も答えることが出来なかったと、女房は話した。

「年増のおんなが引っ張って行ったなんて云いますけれど、それもどうだか判りません」と、彼女は更に付け加えた。

「女が引っ張って行った……」と、半七は訊きかえした。「それを誰か見た者があるのかえ」

「いいえ、おれが確かに見たという者もないので……。誰が云い出すと無しに、そんな噂を聞きますが……。まさか女が……。ねえ、お前さん」

女房はその噂を信じないように云った。

三

半七と幸次郎は荒物屋の店を出て、再びかの空地のまん中に立った。五六百坪のところに屋敷を構えていたのであるから、昔ここに住んでいたという臼井なにがしはよほどの小旗本であろう。武家屋敷のうちに祭られているのは、まず稲荷の祠が普通である。二人はその祠の正体を見とどけることにして、草の奥へ踏み込んで行った。

「ねえ、親分」と、幸次郎はあるきながら云った。「荒物屋のかみさんは気のねえように云っていましたが、おんなが馬を引っ張って行ったというのも、聞き流しにゃあ出来ねえようですね。もしやお角じゃあありますめえか」

「おれも何だかそんな気がしねえでもねえ。勿論、最初から企らんだことでもあるめえが、どさくさまぎれの出来ごころで馬を引っ張り出したかも知れねえ。しかし女ひとりで二匹の馬を牽ひき出すのは、ちっと手際てぎわがよ過ぎるようだ。相棒の巾着切りが手伝ったのだろう」

「そうでしょうね。なに、お角のありかが判れば、その相棒も自然に知れましょう」

云ううちに、二人は古祠の前に行き着いた。祠は間口まぐち九尺に足りない小さい建物であるが、普請ふしんは相当に堅固に出来ていると見えて、二十年以上の雨風に晒されているにも拘らず、柱や扉などは案外にしっかりしているらしかった。扉をあけて覗くと、神体はすでに他へ移されたのであろう、古びた八束やつか台の上に一本の白い幣束へいそくが乗せてあるだけであった。その幣束の紙はまだ新らしかった。

「御幣は市子が納めたのだな」

半七は更に隅々を見まわしたが、煤すすびた古祠のうちには何物も見いだされなかった。二人は祠のうしろへ廻って、草のあいだを暫くあさりあるいたが、そこにも別に掘り出し物はなかった。

「まあ、仕方がねえ。ここはこの位にして、一旦引き揚げよう。おめえはそのお角という女の居どころを突き留めてくれ、おれはこれから足ついでに谷中やなかへ廻って、三崎をうろ付いてみよう」

幸次郎に別れて、半七は谷中の方角へ足を向けた。千駄木の坂下から藍染あいそめ川を渡って、笠森稲荷を横に見ながら、新幡随院のあたりへ来かかると、ここらも寺の多いところで、町屋まちやは門前町に過ぎなかった。その寺門前で市子のおころの家を訊くと、彼女は蕎麦屋と草履屋のあいだの狭い露路のなかに住んでいることが判った。

おころは孀婦やもめぐらしの独り者で、七、八年前からここへ来て、市子を商売にしている。別に悪い噂もないが、一種の変り者で殆ど近所の附き合いをしない。彼女が狐を使うという噂は五、六年前にも一度伝えられたが、その噂もいつか止んだ。それがこの春頃から再び伝えられて、彼女は尾先おさき狐を使うとか、管くだ狐を使うとかいう噂が立った。しかし彼女はいわゆる狐使いのように、自分の狐を放して他人に憑つかせるなどということはしないらしく、唯その狐の教えに依って、他人ひとの吉凶禍福や失せ物、または尋ね人のありかを占うに過ぎないのである。したがって、別に他人に害をなすというのではないが、ともかくも狐使いの名が其の時代の人々を恐れさせて、彼女が附き合いを好まないのを幸いに、近所の者も彼女と親しむことを避けていた。

そんなわけであるから、近所の者も彼女が出這入りの姿を見るだけのことで、そのふだんの行状などについては多くを知らないと云うのである。半七は露路へはいっておころの家を窺うと、江戸のまん中と違ってここらの露路の奥は案外に広かった。入口の狭いにも似ず、そこはかなりの空地があって、近所の人たちの物干場になっていた。おころの家には格子がなく、入口は明け放しの土間になっていたが、それでもふた間くらいの小じんまりした住居で、家内も綺麗に片付いているらしかった。おころはさっき一度帰って来て、すぐ又出て行ったと、隣りの女房が話した。

半七はその女房をつかまえて、おころのことを何か聞き出そうとしたが、壁ひとえの隣りに住みながら彼女はなんにも知らないと云った。唯その女房の口からこんなことが洩らされた。

「よくは知りませんが、おころさんには息子があって、どこかの屋敷奉公をしているそうです」

「その息子は時々たずねて来ますかえ」

「めったに来たことはありませんが、一年に二、三度くらいはたずねて来るようです」

「屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。足軽か中間だろうね」

「まあ、そうでしょうね」

「ここの家うちへ占いを頼みに来る人がありますかえ」と、半七は訊きいた。

「ここへ頼みに来る人は少ないようです。大抵は自分の方から出て行くのです」

「それじゃあ狐を連れて行くのだね」

「そうかも知れません」

余り多くを語るをはばかるように、女房は口をつぐんだ。半七もいい加減に打ち切ってそこを出た。おころという女がたとい狐を使うとしても、他人ひとに格別の害をあたえない限りは、そのままに見逃がして置くのが其の時代の習いであるから、これだけの材料ではどうする事も出来ないのである。きょうは取り留めた獲物も無しに、半七は神田の家へ帰った。

取り留めた獲物は無いと云っても、どこかの女が彼かの馬を牽ひき出したらしいという噂と、おころの息子が屋敷奉公をしているという噂と、この二つを結びつけて半七は何事かを考えさせられたのであった。

その晩に亀吉が来た。その報告によると、けさから方々の博労ばくろうを問い合わせてみたが、どこへも馬を売りに来た者は無いらしいと云うのである。馬を盗む以上は、どこへか売りに行くのが普通であるが、あるいは詮議を恐れて当分は隠して置くのかも知れないと思われた。

あくる日の午過ぎに幸次郎が来た。

「お角の居どころは知れました。浅草の茅町かやちょう一丁目、第六天の門前に小さい駄菓子屋があります。おそよという婆さんと、お花という十三四の孫娘の二人暮らしで、その二階の三畳にお角はくすぶっているのです」

「商売は巾着切りか」と、半七は訊いた。

「若い時から矢場女をしたり、旦那取りをしたり、いろいろのことをやって来たようですが、この頃は決まった亭主も無し、商売も無し、まあ巾着切りが本職でしょうね。女のくせに酒を飲む、博奕を打つ、殊に博奕が道楽と来ているのだから、他人ひとの巾着を稼いだくらいじゃあ、あんまり旨い酒も飲めねえようですよ。それでもこの七月頃にゃあ、近所の近江屋という呉服屋の通い番頭を引っかけて、蟹の彫り物の凄いところを見せて、三十両とか五十両とか捲き上げたそうです。駄菓子屋の婆さんも近所の手前、お角の評判の悪いのに困り切って、なんとかして追い出そうとしているが、お角がなかなか動かねえので持て余しているらしく、わっしにも頻りに愚痴を云っていましたよ」

「人の目につかねえ為でもあろうが、駄菓子屋の三畳にくすぶっているようじゃあ、お角という女もあんまり景気がよくねえと見えるな」と、半七は笑った。「だが、異人の紙入れに幾らあったかな。勿論こっちの金に両替えしてあったろうが、外国の金だったら使い道はあるめえ。うっかり両替屋へ持って行ったら藪蛇やぶへびだ。巾着切りの方は現場げんばを見たわけでもねえから仕様がねえが、例の馬の一件、それが確かにお角の仕業だかどうだか、今のところじゃあ一向に手がかりがねえ。そこで、お角の相棒はどんな奴だ」

「駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で賽さいころを振ったりするので、婆さんもひどく弱っているようでしたよ。来る奴らの居どころも名前も、婆さんはよく知らねえのですが、そのなかで一番近しく出入りをするのは、長さんと平さん……。平さんというのがお角の男らしいと云うのですが……」

「そいつの居どころもわからねえのか」

「確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷片町かたまち辺の屋敷にいる奴だそうで……」

「本郷の屋敷にいる……」

半七は偶然の掘り出し物をしたように感じた。市子のおころの息子は屋敷奉公をしていると云う、それがもしやこの平さんなる者ではないかと思い浮かんだのである。たとい取り留めた証拠はなくとも、探索はこんな頼りないようなことを頼りにして、根こんよくあさって行くのが成功の秘訣であることを、半七は多年の経験によってよく知っていた。

しかし本郷片町というだけでは、どこの屋敷であるか判らない。平さんというだけでは、その人間を探し当てることも困難である。お角を調べたところで、それを素直に云う筈はない。さしあたりは駄菓子屋の近所に網を張って、平さんなる者の出入りを窺うのほかは無い、気の長い仕事のようであるが、まあ我慢して張り込んでくれと、半七は幸次郎に云い含めた。

「如才じょさいもあるめえが、そいつの帰るときに尾つけて行って、なんという屋敷の何者だか突き留めるのだぜ」

「承知しました」

幸次郎は請け合って帰ったが、それから二日ばかりは音沙汰もなかった。亀吉と善八は手を分けて近在までを詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、生馬いきうまを戸棚や縁の下に隠して置けるはずもないのであるから、近在の大きい農家か武家屋敷のうちにつないであるに相違ないと半七は鑑定して、亀吉らにもその注意をあたえて置いた。

十月朔日ついたちの朝である。けさは急に冬らしい風が吹き出したと云っているところへ、松吉が息を切って駈け込んで来た。

「親分。おころという市子が殺されました」

四

松吉の報告によると、おころの死体はけさの六ツ半(午前七時)頃に、近所の人々に発見された。但し谷中の自宅に死んでいたのではなく、かの団子坂下の空地に倒れていたのである。

その死体は古祠の前に横たわっていたが、よほど激しい格闘を演じたらしく、彼女は髪をふり乱し、着物の胸をはだけて、かた手に白い幣束へいそくを持ちながら、仰向けに倒れていた。彼女はその顔をめちゃめちゃに掻きむしられた上に、喉のどを絞められていたのであるが、その死因が頗る怪しかった。喉を紋められたというよりも、三枚の長い鋭い爪で頸の左右を強く刺されたような形で、爪のあとが皮肉ひにくのなかに深く喰い込んでいた。鋭い爪に脈を破られたと見えて、頸くびのあたりから流れ出した血汐が枯草を紅あかく染めていた。

死に場所といい、その死にざまの怪しいのを見て、狐使いの彼女が狐に殺されたのであろうと、近所の者はおどろき恐れた。彼女は狐を夫にしていたが、近ごろほかに情夫おとこをこしらえた為に、狐が怒って彼女を殺したのであると、まことしやかに云い触らす者もあった。彼女は自分の商売の種に狐を使いながら、碌々に毎日の食い物もあたえないので、狐が怨んで彼女を殺したのであると伝える者もあった。いずれにしても、怪しい市子の怪しい死について、いろいろの怪奇な浮説がそれからそれへと伝えられているのは事実であった。

「なにしろ、すぐに行ってみよう」

松吉を連れて、半七は早々に団子坂へ駈けつけると、おころの死体は今や検視を終ったところであった。検視に出張ったのは、あたかもかの丹沢五郎治で、彼は半七の顔を見るとすぐに声をかけた。

「半七、早えな。又ここで変なことが始まったよ。この草ッ原はどうも鬼門だ」

「まったく困りました」

半七は挨拶して、草のあいだに横たわっているおころの死体を一応あらためた。おころは大きい眼をむき出しにして死んでいた。

「狐に殺されたという噂だが、まさかにそんなこともあるめえ」と、丹沢は云った。「だが、爪のあとがちっとおかしい。まあ、よく調べてくれ。頼むぜ」

検視の役人はやがて引き揚げて、市子の死体は長屋の者に引き渡された。おころには息子があるらしいが、どこに住んでいるか判らないので、知らせてやることも出来なかった。相長屋の人達があつまって通夜つやをして、翌日近所の寺へ葬ることになった。

その通夜の晩に、亀吉はおころの露路の近所をうろ付いていた。半七と松吉は荒物屋の店を足溜まりにして、かの空地のあたりを見張っていた。

夜も九ツ(午後十二時)を過ぎた頃であろう。昼からの風は宵に止んだが、夜ふけの寒さは身に泌みるので、半七と松吉は小さい火鉢に炭団たどんを入れてもらって、荒物屋の店の隅にすくんでいると、縁の下には鳴き弱ったこおろぎの声が切れ切れにきこえた。やがて表の暗いなかで犬の吠える声がきこえた。つづいて二匹三匹の吠える声がきこえた。

「忌いやですね。ゆうべも夜なかに犬が吠えました」と、店の女房がささやいた。

それを聞きながら、二人は立ち上がった。月のない夜ではあるが、星の光りはきらめいている。それをたよりに足音をぬすんで忍び出ると、犬の声は次第に近づいて、その犬の群れに追われながら、一つの黒い影が忍んで来るらしかった。注意して窺うと、犬の声はかの草原の方角にむかって行くのである。枯草を踏む犬の足音ががさがさと聞こえるので、人の足おとは確かに聞きわけかねたが、何者かが草原の奥へ忍んでゆくに相違ない。二人は息を殺して尾つけてゆくと、犬の声はかの古祠のあたりに止まった。

ここまで来ると、犬はみな吠えなかった。かれらはただ低く唸るばかりであった。黒い影は祠の前で何事をしているのか、半七らの眼には見えなかった。この上はもう猶予すべきでない。半七は突然に声をかけた。

「もし、おまえさんは誰だね」

相手は返事をしなかった。

「わしらは御用でここに張り込んでいるのだ。返事をしねえと、つかまえるよ」と、半七は再び云った。

相手はやはり返事をしなかった。

二度までも念を押して、相手が黙っている以上、手捕りにするのほかはないので、松吉は探り寄って取り押さえようとすると、相手はいつの間にか摺り抜けてしまったらしく、そこらに人らしい物はいなかった。

「いねえか」と、半七は小声で訊いた。

「はてな」と、松吉はそこらを探し廻っていた。

この時、犬の群れはまた吠え出して、何者かが草の上を這って行くらしいので、半七は走りかかって押さえ付けた。暗いなかで、その腰のあたりへ手をかけたかと思うと、相手は急に跳ね起きて両手で半七の喉を絞めようとした。半七はその手を取って、再び草の上に捻じ伏せた。

「つかめえましたか」と、松吉は声をかけた。

「仕様がねえ。石橋山の組討ちだ」と、半七は笑った。「だが、もう大丈夫。女だ、女だ」

半七と松吉に引き摺られて、荒物屋の店の灯の前に照らし出された曲者は、六十前後の老女であった。その人柄や身装みなりによって察すれば、彼女もおころと同様に市子か巫子みこのたぐいであるらしかった。

店の框かまちに腰をかけながら、半七は訊いた。

「おめえは何処の者だ」

「信州から来ました」と、老女は案外におとなしく答えた。

信州といえば、戸隠山とがくしやまの鬼女を想像させるが、彼女はそのやつれた顔に一種の気品を具えていた。その物云いや行儀も正しかった。

「名は何といって、いつから江戸へ来ているのだ」

「お千といいます。江戸へはこの六月に出て来ました」

「それまで国にいたのか」

「いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました」

「なんでそんなに諸国を廻っていたのだ」

「尋ねる人がありまして……」

「たずねる人というのは……。市子のおころか」

「はい」

老女の眼は怪しく輝いた。

「ゆうべおころを殺したのはお前だな」

「はい」と、彼女は素直に白状した。

「今夜はここへ何しに来た」

「狐を取りに来ました」

膝の上に置いた彼女の両手の爪は、天狗のように長く伸びていた。取り分けて人差指と中指と無名指の爪が一寸以上も長く鋭く伸びているのを見ると、おころの死因も容易に想像された。半七も危くその恐ろしい爪にかかるところであった。

「おまえも狐を使うのか」

「使います。おころはわたくしの狐をぬすんで逃げたのです」

お千は若いときから信州のある神社の巫子みこであったが、二十歳はたちを越えてから巫子をやめて、市子を自分の職業としていた。彼女は一生独り身であった。彼女自身の申し立てによると、彼女は一匹の管狐くだぎつねを養っていた。管狐は決してその姿を見せず、細い管のなかに身をひそめているのである。彼女は市子を本業としながら、その管狐の教えによって他人ひとの吉凶を占っていた。

あしかけ十一年の昔である。彼女は江戸へ出ようとして、信州から甲州へさしかかって石和いさわの宿しゅくまで来た時に、風邪をこじらせて高熱に仆たおれた。それは木賃きちん同様の貧しい宿屋に泊まった時のことで、相宿あいやどの女が親切に看病してくれた。女はかのおころで、同商売といい、女同士といい、その親切に油断して、管狐の秘密をおころに話した。それから半月ほどの後、お千がどうやら起きられるようになった頃に、おころはかの管狐をぬすんで逃げた。

それを知って、お千は狂気の如くに怒った。彼女は病み揚げ句の不自由な身をおこして、すぐにおころの後を追いかけたが、そのゆくえは知れなかった。ともかくも江戸へ出て半年あまりも探しあるいたが、おころのありかは遂に判らなかった。しかも彼女の決心は固かった。命のあらん限りは尋ねあるいて、どうしても管狐を取り戻さなければ置かないと、それから足かけ十一年、殆ど日本の半分以上をさまよい歩いて、ことしの六月、再び江戸の土を踏んだのである。

かたきを尋ねる者は結局何処かでめぐり逢うと、昔から云い伝えている通り、彼女は九月のはじめに、上野の広小路でおころの姿を見つけた。ひそかにそのあとを尾つけて行って、彼女が谷中の三崎に住んでいることを突き留めた。おころも最初はシラを切って、それは人違いであると云い抜けようとしたが、お千に激しく責められて、彼女もとうとう白状した。彼女は其の後二、三年のあいだ、伊豆相模のあたりを徘徊して、それから江戸へ戻って来たのである。しかし管狐を自分の家へ置くことは何だか気味が悪いばかりでなく、狐も人家の近いところに住むのを嫌うので、なるべく人家に遠いところを択えらんで養っていた。それも同じ場所では人の目につく虞おそれがあるので、時々に場所を変えることにして、この頃は道灌山の辺に隠してあるから、いずれ持ち帰ってお前に戻すと誓ったので、お千も一旦は得心とくしんして帰った。

「おころは狐を返したか」と、半七は訊いた。

「返しません」と、お千の窪んだ眼はいよいよ異様にかがやいた。「わたくしも油断なく気をつけていますと、道灌山に隠してあるというのは嘘で、ほかに隠してあるらしいのです。その上に、わたくしが幾たび催促しても返しません。きのうの夕方、池の端で逢いましたから、きょうこそは勘弁ならないと厳しく催促しますと、実は団子坂の空地の古祠のなかに隠してあるから、夜更よふけに行って取り出すと云うのです。それでは九ツ過ぎに逢おうと約束しまして、その時刻にこの空地へ来てみますと、おころは、ひと足先に来ていました。そこで祠の扉をあけると狐はいません。いつの間にか逃げたらしいと云うのですが、わたくしは本当にしません。わたくしをだまして、又どこへか隠したに相違ないとおころを激しく責めましたが、おころはどうしても知らないと云う。もういよいよ勘弁が出来なくなりましたから、その場で殺してしまいました」

「そこで、今夜は何しにここへ来たのだ」

「おころを殺しましたが、狐のありかは判りません。やっぱりここに隠してあるのかと思って、念の為にもう一度さがしに来たのです」

「まずこれで埓らちがあきました」と、半七老人は笑った。

「そこで、馬の一件はどうなりました」と、わたしは訊いた。

「五、六日の後に幸次郎が平吉という奴を挙げて来ました。それが即ち平さんというので、本郷片町の神原内蔵之助くらのすけという三千石取りの旗本屋敷の馬丁でした。こいつはちょっと苦にがみ走った小粋な男で、どこかの賭場でお角と懇意になって、それから関係が出来てしまったんです。お角のところへたずねて来たのを、張り込んでいる幸次郎に見付けられて、あとを尾つけられたのが運の尽きです。それからだんだん探ってみると、異人の馬は神原の屋敷の厩うまやにつないであることが判りました」

「じゃあ、主人も承知なんですか」

「承知なんです。と云うと、主人の神原も馬泥坊のお仲間のようですが、それには訳があります。神原という人は馬術の達人で、近授流の免許を受けていました。近授流というのは一場藤兵衛が師範で、文政の末に一場家滅亡と共に一旦断絶したのですが、天保以後に再興して、その流儀を学ぶ者が出来ました。御承知でもありましょうが、武家が馬術を学ぶのは自分の嗜たしなみにすることで、師範の家は格別、普通の者は馬術がよく出来るからといって立身出世することは出来ません。それですから、ひと通り以上に馬術を稽古するのは、馬に乗ることが好きだという人で、云わば本人の道楽です。神原は三千石の大身たいしんで、馬に乗るのが大好きでした。同じ道楽でも、武士としては誠に結構な道楽で、広い屋敷内に馬場をこしらえて毎日乗りまわし、時には方々へ遠乗りに出る。厩には三匹の馬を飼って、二人の馬丁を置いていました。そのなかでも平吉がお気に入りで、遠乗りの時なぞには大抵この平吉がお供をしていました。

いつぞやお話をした『正雪の絵馬』と同じように、道楽が昂こうじると、とかくに何かの間違いが起こり易いものです。神原という人も決して馬鹿な人物ではなかったんですが、好きなことには眼がくらむ。このごろ異人が日本へ渡って来て、西洋馬に乗り歩くのを見ると、馬も立派であり、馬具のたぐいも珍らしい。といって、その当時にはいくら金を出しても、西洋馬や西洋馬具を手に入れることは出来ない。おれもああいう馬に西洋鞍を置いて一度乗り廻してみたいと、よだれを垂らしながら眺めているのほかはありません。

そのうちに、かの団子坂の騒動が起こって、そこへちょうどに馬丁の平吉が通り合わせました。見ると、空地には西洋馬三匹と日本馬二匹がつないである。どさくさまぎれにこれを盗んで行けば、殿様もよろこぶに相違ない。こう云うと、たいへん忠義者のようですが、実は殿様から御褒美をたんまり頂戴しようという慾心が先に立って、一匹の西洋馬をこっそりと牽ひき出しました。西洋馬にしましても、こっちは本職の馬丁ですから馬の扱い方には馴れているので、難なく牽いて出かけるところへ、お角が来かかったのです」

「異人の紙入れを掏ったのは、やっぱりお角でしたか」

「われわれの想像通り、蟹のお角でした。お角もあんな騒ぎになろうとは思わなかったんでしょうが、なにしろ、それが勿怪もっけの仕合わせで、これもどさくさ騒ぎにまぎれて其の場を立ち去る途中、西洋馬を牽いて来る平吉に出逢ったのです。おや、平さん、その馬はとお角が声をかけると、平吉は眼で制して、おめえも一匹引っ張って来いと、冗談半分に云って行き過ぎると、お角もひどい奴、女のくせに平吉の真似をして、これも日本馬を一匹牽き出して行ったというわけです。誰が云い出したのか知りませんが、年増の女が馬を牽いて行ったという噂は、決して嘘ではなかったのです。

それから本郷の屋敷へ牽いてゆくと、主人の神原も少しおどろきました。異人の馬を盗んで来るなぞは、もちろん良くないに決まっている。そこで平吉を叱って、元へ返すように指図すればいいんですが、さてそこが道楽の禍いで、平生から欲しい欲しいと思っていた西洋馬や西洋馬具を眼の前に見せられると、たまらなく欲しいような気もする。平吉もそばから勧める。結局その気になって、神原は西洋馬を自分の厩につないで置くことにしました。屋敷内の馬場を乗り廻っているだけならば大丈夫、表へ乗り出さなければ露顕する気遣いはないと多寡をくくっていた。平吉はその褒美に十五両貰ったそうです。しかし日本馬の方は主人の気に入らない。むやみに売りに行けば、それから足が付く虞れがあるので、平吉は浅草あたりの皮剥かわはぎ屋へ牽いて行って、捨て値に売ってしまいました。殺して太鼓の皮に張るのです。

こうして日本馬は処分してしまい、西洋馬は旗本屋敷の厩にはいってしまえば、容易に知れそうも無い理窟ですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その秘密もたちまち露顕することになりました。

さっきもお話し申した通り、お角の借りている駄菓子屋の二階へは、長さんと平さんが一番近しく来るという。その長さんは長蔵という奴で、お角が巾着切りの相棒です。こいつもお角に気があるんですが、お角は平吉ばかりを可愛がって、長蔵の相手にならない。幸次郎はこの長蔵を取っ捉まえて詮議すると、こいつは馬の一件は大抵知っている。そこで平吉に対するやきもちから、自分の知っているだけの事をべらべら喋しゃべってしまいました。昔から色恋の恨みはおそろしい。こいつが喋ったので何もかも露顕しました。

しかし相手が大身たいしんの旗本ですから、町方が迂濶に手を出すことは出来ません。そこで、町奉行所から神原家の用人をよび出して、その屋敷の馬丁平吉は行状よろしからざる者であるから、長ながの暇いとまを出したらよかろうと内々で注意しました。こう云われれば胸に釘で、用人もぎっくり堪こたえます。承知の上で屋敷へ帰って、平吉には因果をふくめて暇を出すと、門の外には幸次郎が待っていて、すぐ御用……」

「主人はどうなりました」

「本来ならば主人にも何かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に済んでしまいました。神原内蔵之助という人は、維新の際に用人堀河十兵衛と一緒に函館へ脱走して、五稜郭ごりょうかくで戦死したそうですから、本人としては馬泥坊の罪を償つぐなったと思っていたでしょう」

「平吉はおころという女の息子ですか」

「おころのせがれでした。しかし馬の一件と、狐の一件とは、別になんの係り合いも無かったのです」

「狐に馬を乗せたというわけですね」

「はは、しゃれちゃいけない。いや、その馬を取り返すのが面白い。神原の屋敷から表向きに牽き出しては、事が面倒です。そこで、夕がたの薄暗い時分に、本郷の屋敷の裏門からそっと牽き出して、かの団子坂の空地に放して置くと、町方の者が待っていて牽いて帰る。つまりは、馬が何処からか戻って来て、元の空地に迷っているのを取り押さえたということにして、外国側へ引き渡したのです。気の毒なのは別手組の侍で、この人の馬はもう皮を剥がれてしまったので、どうにも取り返しが付きませんでした」

「お角はどうなりました」

「蟹のお角、これに就いてはまだいろいろのお話がありますが、この一件だけを申せば、幸次郎が平吉を召し捕ると同時に、善八が茅町の駄菓子屋へむかった処、お角は早くも風をくらって、どこへか姿を隠しました」

最後に残ったのは、狐使いの問題である。それについて半七老人は斯こう説明した。

「今どきの方々にお話し申しても、とても本当にはなさるまいが、江戸時代には狐使いという者がありました。それにも種類があるんですが、まず管狐というのを飼っているのが多い。細い管のなかに潜ひそんでいて、滅多にその姿を見せないが、その狐がいろいろのことを教えてくれるので、狐使いは占いのようなことをやる。時にはその狐を他人ひとに憑つけることもあるというので、恐れられたり忌がられたりするのです。しかしその狐にはいろいろの供え物をしなければならないので、狐使いは一生貧乏すると云い伝えられました。

おころが死んでしまったので、問題の管狐はどうなったか判りません。どこにか隠してあるか、逃げてしまったのか、そんなものが本当にあるのか無いのか、それらのことも判りません。お千はきっと何処にか隠してあるに相違ないと云っていました。人殺しですから、当然死罪になりそうなものでしたが、遠島で落着らくぢゃくしました。女牢にいるあいだも、今に狐が迎えに来てくれるなぞと云って、相牢の女どもを怖がらせていたそうですが、島へ行ってからどうしたか、あとの話は聞きません。

わたくしも暫く団子坂へ行きませんが、新聞なぞを見ると、菊細工はますます繁昌して、人形も昔にくらべるとたいへん上手に出来ているようです。しかし団子坂の菊人形を見物に行く明治時代の人達は、三十余年前にここで異人を殺してしまえと騒いだり、狐使いが殺されたりした事を夢にも知りますまい。世の中はまったく変りました。異人だの狐使いだのという言葉さえも消えてしまいました。菊人形の噂を聞くたびに、わたくしはその昔のことが思い出されます」

古歌に「月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつは本もとの身にして」とある。半七老人の感慨もそれに似たものがあるらしい。私もさびしい心持で、この筆記の筆をおいた。

底本 / Source edition

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月22日公開
2004年3月1日修正
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書誌 / Bibliography
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岡本 綺堂「半七捕物帳──58 菊人形の昔」(新字新仮名)、底本『時代推理小説 半七捕物帳(五)』光文社時代小説文庫、光文社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000987_000082, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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