Soranoha

一握の砂

いちあくのすな

石川 啄木

函館なる郁雨宮崎大四郎君

同国の友文学士花明金田一京助君

この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。

また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。

著者

明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇ちかきをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。

我を愛する歌

東海とうかいの小島こじまの磯いその白砂しらすなに

われ泣なきぬれて

蟹かにとたはむる

頬ほにつたふ

なみだのごはず

一握いちあくの砂を示しめしし人を忘れず

大海だいかいにむかひて一人ひとり

七八日ななやうか

泣きなむとすと家を出いでにき

いたく錆さびしピストル出いでぬ

砂山すなやまの

砂を指もて掘ほりてありしに

ひと夜よさに嵐あらし来きたりて築きづきたる

この砂山は

何なにの墓はかぞも

砂山の砂に腹這はらばひ

初恋の

いたみを遠くおもひ出いづる日

砂山の裾すそによこたはる流木りうぼくに

あたり見まはし

物もの言いひてみる

いのちなき砂のかなしさよ

さらさらと

握にぎれば指のあひだより落つ

しっとりと

なみだを吸すへる砂の玉

なみだは重きものにしあるかな

大だいという字を百あまり

砂に書き

死ぬことをやめて帰り来きたれり

目さまして猶なほ起おき出いでぬ児の癖くせは

かなしき癖ぞ

母よ咎とがむな

ひと塊くれの土に涎よだれし

泣く母の肖顔にがほつくりぬ

かなしくもあるか

燈影ほかげなき室しつに我あり

父と母

壁のなかより杖つゑつきて出いづ

たはむれに母を背負せおひて

そのあまり軽かろきに泣きて

三歩あゆまず

飄然へうぜんと家を出いでては

飄然と帰りし癖よ

友はわらへど

ふるさとの父の咳せきする度たびに斯かく

咳の出いづるや

病やめばはかなし

わが泣くを少女等をとめらきかば

病犬やまいぬの

月に吠ほゆるに似たりといふらむ

何処いづくやらむかすかに虫のなくごとき

こころ細ぼそさを

今日けふもおぼゆる

いと暗き

穴あなに心を吸すはれゆくごとく思ひて

つかれて眠る

こころよく

我にはたらく仕事あれ

それを仕遂しとげて死なむと思ふ

こみ合あへる電車の隅すみに

ちぢこまる

ゆふべゆふべの我のいとしさ

浅草あさくさの夜よのにぎはひに

まぎれ入いり

まぎれ出いで来きしさびしき心

愛犬あいけんの耳斬きりてみぬ

あはれこれも

物に倦うみたる心にかあらむ

鏡かがみとり

能あたふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ

泣き飽あきし時

なみだなみだ

不思議なるかな

それをもて洗あらへば心戯おどけたくなれり

呆あきれたる母の言葉に

気がつけば

茶碗ちやわんを箸はしもて敲たたきてありき

草に臥ねて

おもふことなし

わが額ぬかに糞ふんして鳥は空に遊べり

わが髭ひげの

下向く癖くせがいきどほろし

このごろ憎にくき男に似たれば

森の奥より銃声じうせい聞ゆ

あはれあはれ

自みづから死ぬる音のよろしさ

大木たいぼくの幹みきに耳あて

小半日こはんにち

堅かたき皮をばむしりてありき

「さばかりの事に死ぬるや」

「さばかりの事に生くるや」

止よせ止せ問答

まれにある

この平たひらなる心には

時計の鳴るもおもしろく聴きく

ふと深き怖れを覚え

ぢっとして

やがて静かに臍ほそをまさぐる

高山たかやまのいただきに登り

なにがなしに帽子ばうしをふりて

下くだり来しかな

何処どこやらに沢山たくさんの人があらそひて

鬮くじ引ひくごとし

われも引きたし

怒いかる時

かならずひとつ鉢はちを割わり

九百九十九くひやくくじふく割りて死なまし

いつも逢あふ電車の中の小男こをとこの

稜かどある眼まなこ

このごろ気になる

鏡屋かがみやの前に来て

ふと驚きぬ

見すぼらしげに歩あゆむものかも

何なにとなく汽車に乗りたく思ひしのみ

汽車を下おりしに

ゆくところなし

空家あきやに入いり

煙草たばこのみたることありき

あはれただ一人居いたきばかりに

何がなしに

さびしくなれば出でてあるく男となりて

三月みつきにもなれり

やはらかに積れる雪に

熱ほてる頬ほを埋うづむるごとき

恋してみたし

かなしきは

飽あくなき利己りこの一念を

持てあましたる男にありけり

手も足も

室へやいっぱいに投げ出だして

やがて静かに起きかへるかな

百年ももとせの長き眠りの覚さめしごと

呿呻あくびしてまし

思ふことなしに

腕うで拱くみて

このごろ思ふ

大おほいなる敵てき目の前に躍をどり出いでよと

手が白く

且かつ大だいなりき

非凡ひぼんなる人といはるる男に会ひしに

こころよく

人を讃ほめてみたくなりにけり

利己りこの心に倦うめるさびしさ

雨降れば

わが家いへの人誰たれも誰も沈める顔す

雨霽はれよかし

高きより飛びおりるごとき心もて

この一生を

終るすべなきか

この日頃

ひそかに胸にやどりたる悔くいあり

われを笑はしめざり

へつらひを聞けば

腹立はらだつわがこころ

あまりに我を知るがかなしき

知らぬ家いへたたき起して

遁にげ来くるがおもしろかりし

昔の恋しさ

非凡ひぼんなる人のごとくにふるまへる

後のちのさびしさは

何なににかたぐへむ

大おほいなる彼の身体からだが

憎にくかりき

その前にゆきて物を言ふ時

実務には役に立たざるうた人びとと

我を見る人に

金借りにけり

遠くより笛の音ねきこゆ

うなだれてある故ゆゑやらむ

なみだ流るる

それもよしこれもよしとてある人の

その気がるさを

欲ほしくなりたり

死ぬことを

持薬ぢやくをのむがごとくにも我はおもへり

心いためば

路傍みちばたに犬ながながと呿呻あくびしぬ

われも真似まねしぬ

うらやましさに

真剣になりて竹もて犬を撃うつ

小児せうにの顔を

よしと思へり

ダイナモの

重き唸うなりのここちよさよ

あはれこのごとく物を言はまし

剽軽へうきんの性さがなりし友の死顔の

青き疲れが

いまも目にあり

気の変る人に仕つかへて

つくづくと

わが世がいやになりにけるかな

龍りようのごとくむなしき空に躍をどり出いでて

消えゆく煙

見れば飽あかなく

こころよき疲れなるかな

息もつかず

仕事をしたる後のちのこの疲れ

空寝入そらねいり生呿呻なまあくびなど

なぜするや

思ふこと人にさとらせぬため

箸はし止とめてふっと思ひぬ

やうやくに

世のならはしに慣れにけるかな

朝はやく

婚期こんきを過ぎし妹の

恋文こひぶみめける文ふみを読めりけり

しっとりと

水を吸すひたる海綿かいめんの

重さに似たる心地ここちおぼゆる

死ね死ねと己おのれを怒いかり

もだしたる

心の底の暗きむなしさ

けものめく顔あり口をあけたてす

とのみ見てゐぬ

人の語るを

親と子と

はなればなれの心もて静かに対むかふ

気まづきや何なぞ

かの船の

かの航海の船客せんかくの一人にてありき

死にかねたるは

目の前の菓子皿くわしざらなどを

かりかりと噛かみてみたくなりぬ

もどかしきかな

よく笑ふ若き男の

死にたらば

すこしはこの世さびしくもなれ

何がなしに

息いききれるまで駆かけ出だしてみたくなりたり

草原くさはらなどを

あたらしき背広など着て

旅をせむ

しかく今年ことしも思ひ過ぎたる

ことさらに燈火ともしびを消して

まぢまぢと思ひてゐしは

わけもなきこと

浅草の凌雲閣りよううんかくのいただきに

腕組みし日の

長き日記にきかな

尋常じんじやうのおどけならむや

ナイフ持ち死ぬまねをする

その顔その顔

こそこその話がやがて高くなり

ピストル鳴りて

人生終る

時ありて

子供のやうにたはむれす

恋ある人のなさぬ業わざかな

とかくして家を出いづれば

日光のあたたかさあり

息ふかく吸ふ

つかれたる牛のよだれは

たらたらと

千万年も尽きざるごとし

路傍みちばたの切石きりいしの上に

腕拱くみて

空を見上ぐる男ありたり

何やらむ

穏おだやかならぬ目付めつきして

鶴嘴つるはしを打つ群を見てゐる

心より今日けふは逃げ去れり

病やまひある獣けもののごとき

不平逃げ去れり

おほどかの心来れり

あるくにも

腹に力のたまるがごとし

ただひとり泣かまほしさに

来て寝たる

宿屋やどやの夜具やぐのこころよさかな

友よさは

乞食こじきの卑いやしさ厭いとふなかれ

餓うゑたる時は我も爾しかりき

新しきインクのにほひ

栓せん抜ぬけば

餓ゑたる腹に沁しむがかなしも

かなしきは

喉のどのかわきをこらへつつ

夜寒よざむの夜具にちぢこまる時

一度でも我に頭を下げさせし

人みな死ねと

いのりてしこと

我に似し友の二人ふたりよ

一人は死に

一人は牢らうを出いでて今病やむ

あまりある才を抱いだきて

妻のため

おもひわづらふ友をかなしむ

打明けて語りて

何か損そんをせしごとく思ひて

友とわかれぬ

どんよりと

くもれる空を見てゐしに

人を殺したくなりにけるかな

人並ひとなみの才さいに過ぎざる

わが友の

深き不平もあはれなるかな

誰たれが見てもとりどころなき男来て

威張ゐばりて帰りぬ

かなしくもあるか

はたらけど

はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり

ぢっと手を見る

何もかも行末ゆくすゑの事みゆるごとき

このかなしみは

拭ぬぐひあへずも

とある日に

酒をのみたくてならぬごとく

今日けふわれ切せちに金かねを欲ほりせり

水晶すゐしやうの玉をよろこびもてあそぶ

わがこの心

何なにの心ぞ

事もなく

且かつこころよく肥こえてゆく

わがこのごろの物足らぬかな

大いなる水晶の玉を

ひとつ欲ほし

それにむかひて物を思はむ

うぬ惚ぼるる友に

合槌あひづちうちてゐぬ

施与ほどこしをするごとき心に

ある朝のかなしき夢のさめぎはに

鼻に入いり来きし

味噌みそを煮にる香かよ

こつこつと空地あきちに石をきざむ音

耳につき来きぬ

家いへに入いるまで

何がなしに

頭あたまのなかに崖がけありて

日毎ひごとに土のくづるるごとし

遠方ゑんぱうに電話の鈴りんの鳴るごとく

今日けふも耳鳴る

かなしき日かな

垢あかじみし袷あはせの襟えりよ

かなしくも

ふるさとの胡桃くるみ焼やくるにほひす

死にたくてならぬ時あり

はばかりに人目を避さけて

怖こはき顔する

一隊の兵を見送りて

かなしかり

何なにぞ彼等のうれひ無なげなる

邦人くにびとの顔たへがたく卑いやしげに

目にうつる日なり

家にこもらむ

この次の休日やすみに一日寝てみむと

思ひすごしぬ

三年みとせこのかた

或る時のわれのこころを

焼きたての

麺麭ぱんに似たりと思ひけるかな

たんたらたらたんたらたらと

雨滴あまだれが

痛むあたまにひびくかなしさ

ある日のこと

室へやの障子しやうじをはりかへぬ

その日はそれにて心なごみき

かうしては居をられずと思ひ

立ちにしが

戸外おもてに馬の嘶いななきしまで

気ぬけして廊下らうかに立ちぬ

あららかに扉ドアを推おせしに

すぐ開あきしかば

ぢっとして

黒はた赤のインク吸ひ

堅くかわける海綿かいめんを見る

誰たれが見ても

われをなつかしくなるごとき

長き手紙を書きたき夕ゆふべ

うすみどり

飲めば身体からだが水のごと透すきとほるてふ

薬はなきか

いつも睨にらむラムプに飽あきて

三日みかばかり

蝋燭らふそくの火にしたしめるかな

人間のつかはぬ言葉

ひょっとして

われのみ知れるごとく思ふ日

あたらしき心もとめて

名も知らぬ

街など今日けふもさまよひて来きぬ

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

花を買ひ来きて

妻つまとしたしむ

何なにすれば

此処ここに我ありや

時にかく打驚うちおどろきて室へやを眺むる

人ありて電車のなかに唾つばを吐はく

それにも

心いたまむとしき

夜明けまであそびてくらす場所が欲ほし

家いへをおもへば

こころ冷つめたし

人みなが家いへを持つてふかなしみよ

墓に入いるごとく

かへりて眠る

何かひとつ不思議を示し

人みなのおどろくひまに

消えむと思ふ

人といふ人のこころに

一人づつ囚人しうじんがゐて

うめくかなしさ

叱しかられて

わっと泣き出だす子供心

その心にもなりてみたきかな

盗むてふことさへ悪あしと思ひえぬ

心はかなし

かくれ家がもなし

放はなたれし女のごときかなしみを

よわき男の

感かんずる日なり

庭石にはいしに

はたと時計をなげうてる

昔のわれの怒いかりいとしも

顔あかめ怒いかりしことが

あくる日は

さほどにもなきをさびしがるかな

いらだてる心よ汝なれはかなしかり

いざいざ

すこし呿呻あくびなどせむ

女あり

わがいひつけに背そむかじと心を砕くだく

見ればかなしも

ふがひなき

わが日ひの本もとの女等をんならを

秋雨あきさめの夜よにののしりしかな

男とうまれ男と交まじり

負けてをり

かるがゆゑにや秋が身に沁しむ

わが抱いだく思想はすべて

金かねなきに因いんするごとし

秋の風吹く

くだらない小説を書きてよろこべる

男憐あはれなり

初秋はつあきの風

秋の風

今日けふよりは彼かのふやけたる男に

口を利きかじと思ふ

はても見えぬ

真直ますぐの街をあゆむごとき

こころを今日は持ちえたるかな

何事も思ふことなく

いそがしく

暮らせし一日ひとひを忘れじと思ふ

何事も金金かねかねとわらひ

すこし経へて

またも俄にはかに不平つのり来く

誰たそ我われに

ピストルにても撃うてよかし

伊藤のごとく死にて見せなむ

やとばかり

桂かつら首相に手とられし夢みて覚さめぬ

秋の夜の二時

煙

一

病やまひのごと

思郷しきやうのこころ湧わく日なり

目にあをぞらの煙けむりかなしも

己おのが名をほのかに呼びて

涙せし

十四じふしの春にかへる術すべなし

青空に消えゆく煙

さびしくも消えゆく煙

われにし似るか

かの旅の汽車の車掌しやしやうが

ゆくりなくも

我が中学の友なりしかな

ほとばしる喞筒ポンプの水の

心地ここちよさよ

しばしは若きこころもて見る

師も友も知らで責せめにき

謎なぞに似る

わが学業のおこたりの因もと

教室の窓より遁にげて

ただ一人

かの城址しろあとに寝に行きしかな

不来方こずかたのお城の草に寝ころびて

空に吸はれし

十五じふごの心

かなしみといはばいふべき

物の味あぢ

我の嘗なめしはあまりに早かり

晴れし空仰あふげばいつも

口笛を吹きたくなりて

吹きてあそびき

夜寝ても口笛吹きぬ

口笛は

十五の我の歌にしありけり

よく叱しかる師ありき

髯ひげの似たるより山羊やぎと名づけて

口真似もしき

われと共ともに

小鳥に石を投げて遊ぶ

後備大尉こうびたいゐの子もありしかな

城址しろあとの

石に腰掛こしかけ

禁制の木この実みをひとり味あぢはひしこと

その後のちに我を捨てし友も

あの頃は共に書読ふみよみ

ともに遊びき

学校の図書庫としよぐらの裏の秋の草

黄きなる花咲きし

今も名知らず

花散れば

先まづ人さきに白の服ふく着きて家いへ出いづる

我にてありしか

今は亡き姉の恋人のおとうとと

なかよくせしを

かなしと思ふ

夏休み果はててそのまま

かへり来こぬ

若き英語の教師もありき

ストライキ思ひ出いでても

今は早はや吾が血躍をどらず

ひそかに淋さびし

盛岡もりをかの中学校の

露台バルコンの

欄干てすりに最一度もいちど我を倚よらしめ

神有りと言ひ張る友を

説ときふせし

かの路傍みちばたの栗くりの樹きの下もと

西風に

内丸大路うちまるおほぢの桜の葉

かさこそ散るを踏ふみてあそびき

そのかみの愛読の書しよよ

大方おほかたは

今は流行はやらずなりにけるかな

石ひとつ

坂をくだるがごとくにも

我けふの日に到り着きたる

愁うれひある少年せうねんの眼に羨うらやみき

小鳥の飛ぶを

飛びてうたふを

解剖ふわけせし

蚯蚓みみずのいのちもかなしかり

かの校庭の木柵もくさくの下もと

かぎりなき知識の慾よくに燃ゆる眼を

姉は傷いたみき

人恋ふるかと

蘇峯そほうの書しよを我に薦すすめし友早く

校かうを退しりぞきぬ

まづしさのため

おどけたる手つきをかしと

我のみはいつも笑ひき

博学の師を

自しが才さいに身をあやまちし人のこと

かたりきかせし

師もありしかな

そのかみの学校一のなまけ者

今は真面目まじめに

はたらきて居をり

田舎ゐなかめく旅の姿を

三日みかばかり都に曝さらし

かへる友かな

茨島ばらじまの松の並木の街道を

われと行きし少女をとめ

才さいをたのみき

眼を病みて黒き眼鏡めがねをかけし頃

その頃よ

一人泣くをおぼえし

わがこころ

けふもひそかに泣かむとす

友みな己おのが道をあゆめり

先さきんじて恋のあまさと

かなしさを知りし我なり

先んじて老おゆ

興きよう来きたれば

友なみだ垂たれ手を揮ふりて

酔漢ゑひどれのごとくなりて語りき

人ごみの中をわけ来くる

わが友の

むかしながらの太ふとき杖つゑかな

見よげなる年賀の文ふみを書く人と

おもひ過ぎにき

三年みとせばかりは

夢さめてふっと悲しむ

わが眠り

昔のごとく安からぬかな

そのむかし秀才しうさいの名の高かりし

友牢らうにあり

秋のかぜ吹く

近眼ちかめにて

おどけし歌をよみ出いでし

茂雄しげをの恋もかなしかりしか

わが妻のむかしの願ひ

音楽のことにかかりき

今はうたはず

友はみな或日あるひ四方しはうに散り行ゆきぬ

その後のち八年やとせ

名な挙あげしもなし

わが恋を

はじめて友にうち明けし夜よるのことなど

思ひ出いづる日

糸切れし紙鳶たこのごとくに

若き日の心かろくも

とびさりしかな

二

ふるさとの訛なまりなつかし

停車場ていしやばの人ごみの中に

そを聴ききにゆく

やまひある獣けもののごとき

わがこころ

ふるさとのこと聞けばおとなし

ふと思ふ

ふるさとにゐて日毎ひごと聴ききし雀すずめの鳴くを

三年みとせ聴かざり

亡なくなれる師がその昔

たまひたる

地理の本など取りいでて見る

その昔

小学校の柾屋根まさやねに我が投げし鞠まり

いかにかなりけむ

ふるさとの

かの路傍みちばたのすて石よ

今年も草に埋うづもれしらむ

わかれをれば妹いもといとしも

赤き緒をの

下駄げたなど欲ほしとわめく子なりし

二日ふつか前に山の絵ゑ見しが

今朝けさになりて

にはかに恋しふるさとの山

飴売あめうりのチャルメラ聴きけば

うしなひし

をさなき心ひろへるごとし

このごろは

母も時時ときどきふるさとのことを言ひ出いづ

秋に入いれるなり

それとなく

郷里くにのことなど語り出いでて

秋の夜よに焼く餅もちのにほひかな

かにかくに渋民村しぶたみむらは恋しかり

おもひでの山

おもひでの川

田も畑はたも売りて酒のみ

ほろびゆくふるさと人びとに

心寄する日

あはれかの我の教へし

子等こらもまた

やがてふるさとを棄すてて出いづるらむ

ふるさとを出いで来きし子等の

相会あいあひて

よろこぶにまさるかなしみはなし

石をもて追はるるごとく

ふるさとを出いでしかなしみ

消ゆる時なし

やはらかに柳あをめる

北上きたかみの岸辺きしべ目に見ゆ

泣けとごとくに

ふるさとの

村医そんいの妻のつつましき櫛巻くしまきなども

なつかしきかな

かの村の登記所とうきしよに来て

肺はい病やみて

間もなく死にし男もありき

小学の首席を我と争あらそひし

友のいとなむ

木賃宿きちんやどかな

千代治等ちよぢらも長ちやうじて恋し

子を挙あげぬ

わが旅にしてなせしごとくに

ある年の盆ぼんの祭に

衣きぬ貸かさむ踊れと言ひし

女を思ふ

うすのろの兄と

不具かたはの父もてる三太さんたはかなし

夜よるも書ふみ読よむ

我と共に

栗毛くりげの仔馬こうま走らせし

母の無き子の盗癖ぬすみぐせかな

大形おほがたの被布ひふの模様の赤き花

今も目に見ゆ

六歳むつの日の恋

その名さへ忘られし頃

飄然へうぜんとふるさとに来て

咳せきせし男

意地悪いぢわるの大工だいくの子などもかなしかり

戦いくさに出いでしが

生きてかへらず

肺を病む

極道地主ごくだうぢぬしの総領そうりやうの

よめとりの日の春の雷らいかな

宗次郎そうじろに

おかねが泣きて口説くどき居をり

大根だいこんの花白きゆふぐれ

小心せうしんの役場の書記の

気の狂ふれし噂うはさに立てる

ふるさとの秋

わが従兄いとこ

野山の猟かりに飽あきし後のち

酒のみ家いへ売り病やみて死にしかな

我ゆきて手をとれば

泣きてしづまりき

酔ゑひて荒あばれしそのかみの友

酒のめば

刀かたなをぬきて妻を逐おふ教師けうしもありき

村を遂おはれき

年ごとに肺病はいびやうやみの殖ふえてゆく

村に迎へし

若き医者かな

ほたる狩がり

川にゆかむといふ我を

山路やまぢにさそふ人にてありき

馬鈴薯ばれいしよのうす紫の花に降ふる

雨を思へり

都みやこの雨に

あはれ我がノスタルジヤは

金きんのごと

心に照れり清くしみらに

友として遊ぶものなき

性悪しやうわるの巡査の子等こらも

あはれなりけり

閑古鳥かんこどり

鳴く日となれば起おこるてふ

友のやまひのいかになりけむ

わが思ふこと

おほかたは正ただしかり

ふるさとのたより着つける朝あしたは

今日聞けば

かの幸さちうすきやもめ人びと

きたなき恋に身を入いるるてふ

わがために

なやめる魂たまをしづめよと

讃美歌うたふ人ありしかな

あはれかの男のごときたましひよ

今は何処いづこに

何を思ふや

わが庭の白き躑躅つつじを

薄月うすづきの夜よに

折をりゆきしことな忘れそ

わが村に

初めてイエス・クリストの道を説ときたる

若き女かな

霧ふかき好摩かうまの原はらの

停車場の

朝の虫こそすずろなりけれ

汽車の窓

はるかに北にふるさとの山見え来くれば

襟えりを正ただすも

ふるさとの土をわが踏めば

何がなしに足軽かろくなり

心重おもれり

ふるさとに入いりて先まづ心傷いたむかな

道広くなり

橋もあたらし

見もしらぬ女教師をんなけうしが

そのかみの

わが学舎まなびやの窓に立てるかな

かの家いへのかの窓にこそ

春の夜よを

秀子ひでことともに蛙かはづ聴ききけれ

そのかみの神童しんどうの名の

かなしさよ

ふるさとに来て泣くはそのこと

ふるさとの停車場路ていしやばみちの

川ばたの

胡桃くるみの下に小石拾ひろへり

ふるさとの山に向ひて

言ふことなし

ふるさとの山はありがたきかな

秋風のこころよさに

ふるさとの空遠とほみかも

高たかき屋やにひとりのぼりて

愁うれひて下くだる

皎かうとして玉をあざむく小人せうじんも

秋あき来くといふに

物を思へり

かなしきは

秋風ぞかし

稀まれにのみ湧わきし涙の繁しじに流るる

青に透すく

かなしみの玉に枕まくらして

松のひびきを夜もすがら聴きく

神寂さびし七山ななやまの杉

火のごとく染めて日入いりぬ

静かなるかな

そを読めば

愁うれひ知るといふ書ふみ焚たける

いにしへ人びとの心よろしも

ものなべてうらはかなげに

暮れゆきぬ

とりあつめたる悲しみの日は

水潦みづたまり

暮れゆく空とくれなゐの紐ひもを浮べぬ

秋雨あきさめの後のち

秋立つは水にかも似る

洗あらはれて

思ひことごと新しくなる

愁うれひ来て

丘にのぼれば

名も知らぬ鳥啄ついばめり赤き茨ばらの実み

秋の辻つじ

四よすぢの路みちの三すぢへと吹きゆく風の

あと見えずかも

秋の声まづいち早く耳に入いる

かかる性さが持つ

かなしむべかり

目になれし山にはあれど

秋来くれば

神や住まむとかしこみて見る

わが為なさむこと世に尽つきて

長き日を

かくしもあはれ物を思ふか

さらさらと雨落ち来きたり

庭の面もの濡ぬれゆくを見て

涙わすれぬ

ふるさとの寺の御廊みらうに

踏ふみにける

小櫛をぐしの蝶てふを夢にみしかな

こころみに

いとけなき日の我となり

物言ひてみむ人あれと思ふ

はたはたと黍きびの葉鳴れる

ふるさとの軒端のきばなつかし

秋風吹けば

摩すれあへる肩のひまより

はつかにも見きといふさへ

日記にきに残れり

風流男みやびをは今も昔も

泡雪あわゆきの

玉手たまでさし捲まく夜よにし老おゆらし

かりそめに忘れても見まし

石だたみ

春生おふる草に埋うもるるがごと

その昔揺籃ゆりかごに寝て

あまたたび夢にみし人か

切せちになつかし

神無月かみなづき

岩手いはての山の

初雪の眉まゆにせまりし朝を思ひぬ

ひでり雨さらさら落ちて

前栽せんざいの

萩はぎのすこしく乱みだれたるかな

秋の空廓寥くわくれうとして影もなし

あまりにさびし

烏からすなど飛べ

雨後うごの月

ほどよく濡ぬれし屋根瓦やねがはらの

そのところどころ光るかなしさ

われ饑うゑてある日に

細き尾を掉ふりて

饑ゑて我を見る犬の面つらよし

いつしかに

泣くといふこと忘れたる

我泣かしむる人のあらじか

汪然わうぜんとして

ああ酒のかなしみぞ我に来きたれる

立ちて舞まひなむ

蛼いとど鳴なく

そのかたはらの石に踞きよし

泣き笑ひしてひとり物言ふ

力なく病やみし頃ころより

口すこし開あきて眠ねむるが

癖くせとなりにき

人ひとり得うるに過ぎざる事をもて

大願たいぐわんとせし

若きあやまち

物怨ゑずる

そのやはらかき上目うはめをば

愛めづとことさらつれなくせむや

かくばかり熱あつき涙は

初恋の日にもありきと

泣く日またなし

長く長く忘れし友に

会ふごとき

よろこびをもて水の音聴きく

秋の夜の

鋼鉄はがねの色の大空に

火を噴はく山もあれなど思ふ

岩手山いはてやま

秋はふもとの三方さんぱうの

野に満つる虫を何なにと聴くらむ

父のごと秋はいかめし

母のごと秋はなつかし

家いへ持たぬ児こに

秋来くれば

恋こふる心のいとまなさよ

夜よもい寝ねがてに雁かり多く聴く

長月ながつきも半なかばになりぬ

いつまでか

かくも幼く打出うちいでずあらむ

思ふてふこと言はぬ人の

おくり来きし

忘れな草ぐさもいちじろかりし

秋の雨に逆反さかぞりやすき弓ゆみのごと

このごろ

君のしたしまぬかな

松の風夜昼よひるひびきぬ

人訪とはぬ山の祠ほこらの

石馬いしうまの耳に

ほのかなる朽木くちきの香かをり

そがなかの蕈たけの香りに

秋やや深し

時雨しぐれ降るごとき音して

木伝こづたひぬ

人によく似し森の猿さるども

森の奥

遠きひびきす

木きのうろに臼うすひく侏儒しゆじゆの国にかも来きし

世のはじめ

まづ森ありて

半神はんしんの人そが中に火や守りけむ

はてもなく砂うちつづく

戈壁ゴビの野に住みたまふ神は

秋の神かも

あめつちに

わが悲しみと月光げつくわうと

あまねき秋の夜よとなれりけり

うらがなしき

夜よるの物の音ね洩もれ来くるを

拾ひろふがごとくさまよひ行ゆきぬ

旅の子の

ふるさとに来きて眠るがに

げに静かにも冬の来きしかな

忘れがたき人人

一

潮しほかをる北の浜辺はまべの

砂山のかの浜薔薇はまなすよ

今年も咲けるや

たのみつる年の若さを数かぞへみて

指を見つめて

旅がいやになりき

三度みたびほど

汽車の窓よりながめたる町の名なども

したしかりけり

函館はこだての床屋とこやの弟子でしを

おもひ出いでぬ

耳剃そらせるがこころよかりし

わがあとを追ひ来きて

知れる人もなき

辺土へんどに住みし母と妻かな

船に酔ゑひてやさしくなれる

いもうとの眼め見ゆ

津軽つがるの海を思へば

目を閉とぢて

傷心しやうしんの句を誦ずしてゐし

友の手紙のおどけ悲しも

をさなき時

橋の欄干らんかんに糞くそ塗ぬりし

話も友はかなしみてしき

おそらくは生涯しやうがい妻をむかへじと

わらひし友よ

今もめとらず

あはれかの

眼鏡めがねの縁ふちをさびしげに光らせてゐし

女教師よ

友われに飯めしを与へき

その友に背そむきし我の

性さがのかなしさ

函館はこだての青柳町あをやぎちやうこそかなしけれ

友の恋歌こひうた

矢ぐるまの花

ふるさとの

麦のかをりを懐なつかしむ

女の眉まゆにこころひかれき

あたらしき洋書の紙の

香かをかぎて

一途いちづに金かねを欲ほしと思ひしが

しらなみの寄せて騒さわげる

函館の大森浜おほもりはまに

思ひしことども

朝な朝な

支那しなの俗歌ぞくかをうたひ出いづる

まくら時計を愛めでしかなしみ

漂泊へうはくの愁うれひを叙じよして成ならざりし

草稿さうかうの字の

読みがたさかな

いくたびか死なむとしては

死なざりし

わが来こしかたのをかしく悲し

函館の臥牛ぐわぎうの山やまの半腹はんぷくの

碑ひの漢詩からうたも

なかば忘れぬ

むやむやと

口の中うちにてたふとげの事を呟つぶやく

乞食こじきもありき

とるに足らぬ男と思へと言ふごとく

山に入いりにき

神のごとき友

巻煙草まきたばこ口にくはへて

浪なみあらき

磯いその夜霧に立ちし女よ

演習のひまにわざわざ

汽車に乗りて

訪とひ来きし友とのめる酒かな

大川おほかはの水の面おもてを見るごとに

郁雨いくうよ

君のなやみを思ふ

智慧ちゑとその深き慈悲じひとを

もちあぐみ

為なすこともなく友は遊べり

こころざし得えぬ人人の

あつまりて酒のむ場所が

我が家なりしかな

かなしめば高く笑ひき

酒をもて

悶もんを解げすといふ年上の友

若くして

数人すにんの父となりし友

子なきがごとく酔ゑへばうたひき

さりげなき高き笑ひが

酒とともに

我が腸はらわたに沁しみにけらしな

呿呻あくび噛かみ

夜汽車の窓に別れたる

別れが今は物足ものたらぬかな

雨に濡れし夜汽車の窓に

映うつりたる

山間やまあひの町のともしびの色

雨つよく降る夜の汽車の

たえまなく雫しづく流るる

窓硝子まどガラスかな

真夜中の

倶知安駅くちあんえきに下おりゆきし

女の鬢びんの古き痍きずあと

札幌さつぽろに

かの秋われの持てゆきし

しかして今も持てるかなしみ

アカシヤの街樾なみきにポプラに

秋の風

吹くがかなしと日記にきに残れり

しんとして幅広き街まちの

秋の夜の

玉蜀黍たうもろこしの焼くるにほひよ

わが宿の姉と妹いもとのいさかひに

初夜しよや過ぎゆきし

札幌の雨

石狩いしかりの美国びくにといへる停車場の

柵さくに乾ほしてありし

赤き布片きれかな

かなしきは小樽をたるの町よ

歌ふことなき人人の

声の荒さよ

泣くがごと首ふるはせて

手の相さうを見せよといひし

易者えきしやもありき

いささかの銭ぜに借かりてゆきし

わが友の

後姿うしろすがたの肩かたの雪かな

世わたりの拙つたなきことを

ひそかにも

誇ほこりとしたる我にやはあらぬ

汝なが痩やせしからだはすべて

謀叛気むほんぎのかたまりなりと

いはれてしこと

かの年のかの新聞の

初雪の記事を書きしは

我なりしかな

椅子いすをもて我を撃うたむと身構みがまへし

かの友の酔ゑひも

今は醒さめつらむ

負けたるも我にてありき

あらそひの因もとも我なりしと

今は思へり

殴なぐらむといふに

殴れとつめよせし

昔の我のいとほしきかな

汝なれ三度みたび

この咽喉のどに剣けんを擬ぎしたりと

彼かれ告別こくべつの辞じに言へりけり

あらそひて

いたく憎にくみて別れたる

友をなつかしく思ふ日も来きぬ

あはれかの眉まゆの秀ひいでし少年よ

弟と呼べば

はつかに笑ゑみしが

わが妻に着物縫ぬはせし友ありし

冬早く来くる

植民地かな

平手ひらてもて

吹雪ふぶきにぬれし顔を拭ふく

友共産を主義とせりけり

酒のめば鬼おにのごとくに青かりし

大いなる顔よ

かなしき顔よ

樺太からふとに入いりて

新しき宗教を創はじめむといふ

友なりしかな

治をさまれる世の事無ことなさに

飽あきたりといひし頃こそ

かなしかりけれ

共同の薬屋開き

儲まうけむといふ友なりき

詐欺さぎせしといふ

あをじろき頬ほほに涙を光らせて

死をば語りき

若き商人あきびと

子を負おひて

雪の吹き入いる停車場に

われ見送りし妻の眉まゆかな

敵として憎みし友と

やや長く手をば握にぎりき

わかれといふに

ゆるぎ出いづる汽車の窓より

人ひと先さきに顔を引きしも

負まけざらむため

みぞれ降る

石狩いしかりの野の汽車に読みし

ツルゲエネフの物語かな

わが去れる後のちの噂うはさを

おもひやる旅出たびではかなし

死ににゆくごと

わかれ来きてふと瞬またたけば

ゆくりなく

つめたきものの頬をつたへり

忘れ来きし煙草たばこを思ふ

ゆけどゆけど

山なほ遠き雪の野の汽車

うす紅あかく雪に流れて

入日影いりひかげ

曠野あらのの汽車の窓を照てらせり

腹すこし痛いたみ出いでしを

しのびつつ

長路ちやうろの汽車にのむ煙草たばこかな

乗合のりあひの砲兵士官はうへいしくわんの

剣の鞘さや

がちゃりと鳴るに思ひやぶれき

名のみ知りて縁えんもゆかりもなき土地の

宿屋やどや安けし

我が家いへのごと

伴つれなりしかの代議士の

口あける青き寐顔ねがほを

かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分ぞんぶん泣いてみむと

泊とまりし宿屋の

茶のぬるさかな

水蒸気

列車の窓に花のごと凍いてしを染そむる

あかつきの色

ごおと鳴る凩こがらしのあと

乾かわきたる雪舞ひ立ちて

林を包つつめり

空知川そらちがは雪に埋うもれて

鳥も見えず

岸辺きしべの林に人ひとりゐき

寂莫せきばくを敵とし友とし

雪のなかに

長き一生を送る人もあり

いたく汽車に疲れて猶なほも

きれぎれに思ふは

我のいとしさなりき

うたふごと駅の名呼びし

柔和にうわなる

若き駅夫えきふの眼をも忘れず

雪のなか

処処しよしよに屋根見えて

煙突えんとつの煙けむりうすくも空にまよへり

遠くより

笛ふえながながとひびかせて

汽車今とある森林に入いる

何事も思ふことなく

日一日ひいちにち

汽車のひびきに心まかせぬ

さいはての駅に下おり立ち

雪あかり

さびしき町にあゆみ入いりにき

しらしらと氷かがやき

千鳥なく

釧路くしろの海の冬の月かな

こほりたるインクの罎びんを

火に翳かざし

涙ながれぬともしびの下もと

顔とこゑ

それのみ昔に変らざる友にも会ひき

国の果はてにて

あはれかの国のはてにて

酒のみき

かなしみの滓をりを啜すするごとくに

酒のめば悲しみ一時に湧わき来くるを

寐ねて夢みぬを

うれしとはせし

出だしぬけの女の笑ひ

身に沁しみき

厨くりやに酒の凍こほる真夜中

わが酔ゑひに心いためて

うたはざる女ありしが

いかになれるや

小奴こやつこといひし女の

やはらかき

耳朶みみたぼなども忘れがたかり

よりそひて

深夜しんやの雪の中に立つ

女の右手めてのあたたかさかな

死にたくはないかと言へば

これ見よと

咽喉のんどの痍きずを見せし女かな

芸事げいごとも顔も

かれより優すぐれたる

女あしざまに我を言へりとか

舞まへといへば立ちて舞ひにき

おのづから

悪酒あくしゆの酔ゑひにたふるるまでも

死ぬばかり我が酔ゑふをまちて

いろいろの

かなしきことを囁ささやきし人

いかにせしと言へば

あをじろき酔ゑひざめの

面おもてに強しひて笑ゑみをつくりき

かなしきは

かの白玉しらたまのごとくなる腕に残せし

キスの痕あとかな

酔ゑひてわがうつむく時も

水ほしと眼めひらく時も

呼びし名なりけり

火をしたふ虫のごとくに

ともしびの明るき家いへに

かよひ慣なれにき

きしきしと寒さに踏めば板いた軋きしむ

かへりの廊下の

不意のくちづけ

その膝ひざに枕まくらしつつも

我がこころ

思ひしはみな我のことなり

さらさらと氷の屑くづが

波に鳴る

磯の月夜のゆきかへりかな

死にしとかこのごろ聞きぬ

恋がたき

才さいあまりある男なりしが

十年ととせまへに作りしといふ漢詩からうたを

酔ゑへば唱となへき

旅に老おいし友

吸ふごとに

鼻がぴたりと凍こほりつく

寒き空気を吸ひたくなりぬ

波もなき二月の湾わんに

白塗しろぬりの

外国船が低く浮かべり

三味線さみせんの絃いとのきれしを

火事のごと騒ぐ子ありき

大雪の夜よに

神のごと

遠く姿をあらはせる

阿寒あかんの山の雪のあけぼの

郷里くににゐて

身投げせしことありといふ

女の三味さみにうたへるゆふべ

葡萄色えびいろの

古き手帳にのこりたる

かの会合あひびきの時と処ところかな

よごれたる足袋たび穿はく時の

気味きみわるき思ひに似たる

思出おもひでもあり

わが室へやに女泣きしを

小説のなかの事かと

おもひ出いづる日

浪淘沙らうたうさ

ながくも声をふるはせて

うたふがごとき旅なりしかな

二

いつなりけむ

夢にふと聴ききてうれしかりし

その声もあはれ長く聴かざり

頬ほの寒き

流離りうりの旅の人として

路みち問とふほどのこと言ひしのみ

さりげなく言ひし言葉は

さりげなく君も聴きつらむ

それだけのこと

ひややかに清き大理石なめいしに

春の日の静かに照るは

かかる思ひならむ

世の中の明るさのみを吸ふごとき

黒き瞳ひとみの

今も目にあり

かの時に言ひそびれたる

大切の言葉は今も

胸にのこれど

真白ましろなるラムプの笠かさの

瑕きずのごと

流離の記憶消しがたきかな

函館はこだてのかの焼跡やけあとを去りし夜よの

こころ残りを

今も残しつ

人がいふ

鬢びんのほつれのめでたさを

物書く時の君に見たりし

馬鈴薯ばれいしよの花咲く頃と

なれりけり

君もこの花を好きたまふらむ

山の子の

山を思ふがごとくにも

かなしき時は君を思へり

忘れをれば

ひょっとした事が思ひ出の種たねにまたなる

忘れかねつも

病やむと聞き

癒いえしと聞きて

四百里しひやくりのこなたに我はうつつなかりし

君に似し姿を街まちに見る時の

こころ躍をどりを

あはれと思へ

かの声を最一度もいちど聴きかば

すっきりと

胸や霽はれむと今朝けさも思へる

いそがしき生活くらしのなかの

時折ときおりのこの物おもひ

誰たれのためぞも

しみじみと

物うち語る友もあれ

君のことなど語り出いでなむ

死ぬまでに一度会はむと

言ひやらば

君もかすかにうなづくらむか

時として

君を思へば

安かりし心にはかに騒ぐかなしさ

わかれ来きて年としを重ねて

年としごとに恋しくなれる

君にしあるかな

石狩いしかりの都みやこの外の

君が家

林檎りんごの花の散りてやあらむ

長き文ふみ

三年みとせのうちに三度みたび来きぬ

我の書きしは四度よたびにかあらむ

手套を脱ぐ時

手套てぶくろを脱ぬぐ手ふと休やむ

何やらむ

こころかすめし思ひ出のあり

いつしかに

情じやうをいつはること知りぬ

髭ひげを立てしもその頃なりけむ

朝の湯の

湯槽ゆぶねのふちにうなじ載のせ

ゆるく息いきする物思ひかな

夏来くれば

うがひ薬の

病やまひある歯に沁しむ朝のうれしかりけり

つくづくと手をながめつつ

おもひ出いでぬ

キスが上手じやうずの女なりしが

さびしきは

色にしたしまぬ目のゆゑと

赤き花など買はせけるかな

新しき本を買ひ来て読む夜半よはの

そのたのしさも

長くわすれぬ

旅たび七日なのか

かへり来きぬれば

わが窓の赤きインクの染しみもなつかし

古文書こもんじよのなかに見いでし

よごれたる

吸取紙すひとりがみをなつかしむかな

手にためし雪の融とくるが

ここちよく

わが寐飽ねあきたる心には沁しむ

薄れゆく障子しやうじの日影ひかげ

そを見つつ

こころいつしか暗くなりゆく

ひやひやと

夜は薬の香かのにほふ

医者が住みたるあとの家いへかな

窓硝子まどガラス

塵ちりと雨とに曇くもりたる窓硝子にも

かなしみはあり

六年むとせほど日毎日毎ひごとひごとにかぶりたる

古き帽子も

棄すてられぬかな

こころよく

春のねむりをむさぼれる

目にやはらかき庭の草かな

赤煉瓦あかれんぐわ遠くつづける高塀たかべいの

むらさきに見えて

春の日ながし

春の雪

銀座の裏の三階の煉瓦造づくりに

やはらかに降る

よごれたる煉瓦の壁に

降りて融とけ降りては融くる

春の雪かな

目を病やめる

若き女の倚よりかかる

窓にしめやかに春の雨降る

あたらしき木のかをりなど

ただよへる

新開町しんかいまちの春の静けさ

春の街まち

見よげに書ける女名をんななの

門札かどふだなどを読みありくかな

そことなく

蜜柑みかんの皮の焼くるごときにほひ残りて

夕ゆふべとなりぬ

にぎはしき若き女の集会あつまりの

こゑ聴きき倦うみて

さびしくなりたり

何処どこやらに

若き女の死ぬごとき悩なやましさあり

春の霙みぞれ降る

コニャックの酔ゑひのあとなる

やはらかき

このかなしみのすずろなるかな

白き皿さら

拭ふきては棚たなに重かさねゐる

酒場の隅すみのかなしき女

乾きたる冬の大路おほぢの

何処いづくやらむ

石炭酸せきたんさんのにほひひそめり

赤赤あかあかと入日いりひうつれる

河ばたの酒場の窓の

白き顔かな

新しきサラドの皿さらの

酢すのかをり

こころに沁しみてかなしき夕ゆふべ

空色そらいろの罎びんより

山羊やぎの乳をつぐ

手のふるひなどいとしかりけり

すがた見の

息いきのくもりに消されたる

酔ゑひうるみの眸まみのかなしさ

ひとしきり静かになれる

ゆふぐれの

厨くりやにのこるハムのにほひかな

ひややかに罎びんのならべる棚たなの前

歯はせせる女を

かなしとも見き

やや長きキスを交かはして別れ来きし

深夜の街の

遠き火事かな

病院の窓のゆふべの

ほの白じろき顔にありたる

淡あはき見覚みおぼえ

何時いつなりしか

かの大川おほかはの遊船いうせんに

舞まひし女をおもひ出でにけり

用もなき文ふみなど長く書きさして

ふと人こひし

街に出でてゆく

しめらへる煙草たばこを吸へば

おほよその

わが思ふことも軽かろくしめれり

するどくも

夏の来きたるを感じつつ

雨後うごの小庭こにはの土の香かを嗅かぐ

すずしげに飾かざり立てたる

硝子屋ガラスやの前にながめし

夏の夜の月

君来るといふに夙とく起き

白シャツの

袖そでのよごれを気にする日かな

おちつかぬ我が弟の

このごろの

眼のうるみなどかなしかりけり

どこやらに杭くひ打つ音し

大桶おほをけをころがす音し

雪ふりいでぬ

人気ひとけなき夜よの事務室に

けたたましく

電話の鈴りんの鳴りて止みたり

目さまして

ややありて耳に入いり来きたる

真夜中すぎの話声かな

見てをれば時計とまれり

吸はるるごと

心はまたもさびしさに行ゆく

朝朝あさあさの

うがひの料しろの水薬すゐやくの

罎びんがつめたき秋となりにけり

夷なだらかに麦の青める

丘の根の

小径こみちに赤き小櫛をぐしひろへり

裏山の杉生すぎふのなかに

斑まだらなる日影ひかげ這はひ入いる

秋のひるすぎ

港町

とろろと鳴きて輪を描く鳶とびを圧あつせる

潮しほぐもりかな

小春日こはるびの曇硝子くもりガラスにうつりたる

鳥影とりかげを見て

すずろに思ふ

ひとならび泳げるごとき

家家いへいへの高低たかひくの軒のきに

冬の日の舞ふ

京橋の滝山町たきやまちやうの

新聞社

灯ひともる頃のいそがしさかな

よく怒いかる人にてありしわが父の

日ごろ怒いからず

怒れと思ふ

あさ風が電車のなかに吹き入いれし

柳やなぎのひと葉

手にとりて見る

ゆゑもなく海が見たくて

海に来ぬ

こころ傷いたみてたへがたき日に

たひらなる海につかれて

そむけたる

目をかきみだす赤き帯おびかな

今日逢あひし町の女の

どれもどれも

恋にやぶれて帰るごとき日

汽車の旅

とある野中のなかの停車場の

夏草の香かのなつかしかりき

朝まだき

やっと間まに合あひし初秋はつあきの旅出たびでの汽車の

堅かたき麺麭ぱんかな

かの旅の夜汽車の窓に

おもひたる

我がゆくすゑのかなしかりしかな

ふと見れば

とある林の停車場の時計とまれり

雨の夜よの汽車

わかれ来きて

燈火あかり小暗をぐらき夜の汽車の窓に弄もてあそぶ

青き林檎りんごよ

いつも来くる

この酒肆さかみせのかなしさよ

ゆふ日赤赤あかあかと酒に射さし入いる

白き蓮沼はすぬまに咲くごとく

かなしみが

酔ゑひのあひだにはっきりと浮く

壁かべごしに

若き女の泣くをきく

旅の宿屋の秋の蚊帳かやかな

取りいでし去年こぞの袷あはせの

なつかしきにほひ身に沁しむ

初秋はつあきの朝

気にしたる左の膝ひざの痛みなど

いつか癒なほりて

秋の風吹く

売り売りて

手垢てあかきたなきドイツ語の辞書のみ残る

夏の末かな

ゆゑもなく憎にくみし友と

いつしかに親しくなりて

秋の暮れゆく

赤紙あかがみの表紙手擦てずれし

国禁こくきんの

書ふみを行李かうりの底にさがす日

売ることを差し止とめられし

本の著者に

路みちにて会へる秋の朝かな

今日よりは

我も酒など呷あふらむと思へる日より

秋の風吹く

大海だいかいの

その片隅かたすみにつらなれる島島しまじまの上に

秋の風吹く

うるみたる目と

目の下の黒子ほくろのみ

いつも目につく友の妻かな

いつ見ても

毛糸の玉をころがして

韈くつしたを編あむ女なりしが

葡萄色えびいろの

長椅子ながいすの上に眠りたる猫ほの白じろき

秋のゆふぐれ

ほそぼそと

其処そこら此処ここらに虫の鳴く

昼の野に来て読む手紙かな

夜よるおそく戸を繰くりをれば

白きもの庭を走れり

犬にやあらむ

夜の二時の窓の硝子ガラスを

うす紅あかく

染めて音なき火事の色かな

あはれなる恋かなと

ひとり呟つぶやきて

夜半よはの火桶ひをけに炭すみ添そへにけり

真白ましろなるラムプの笠かさに

手をあてて

寒き夜にする物思ひかな

水のごと

身体からだをひたすかなしみに

葱ねぎの香かなどのまじれる夕ゆふべ

時ありて

猫のまねなどして笑ふ

三十路みそぢの友のひとり住ずみかな

気弱きよわなる斥候せきこうのごとく

おそれつつ

深夜の街を一人散歩す

皮膚ひふがみな耳にてありき

しんとして眠れる街まちの

重き靴音

夜よるおそく停車場に入いり

立ち坐すわり

やがて出いでゆきぬ帽ばうなき男

気がつけば

しっとりと夜霧下おりて居をり

ながくも街をさまよへるかな

若もしあらば煙草たばこ恵めぐめと

寄りて来くる

あとなし人びとと深夜に語る

曠野あらのより帰るごとくに

帰り来きぬ

東京の夜よをひとりあゆみて

銀行の窓の下なる

舗石しきいしの霜しもにこぼれし

青インクかな

ちょんちょんと

とある小藪こやぶに頬白ほほじろの遊ぶを眺む

雪の野やの路みち

十月の朝の空気に

あたらしく

息吸すひそめし赤坊あかんぼのあり

十月の産病院の

しめりたる

長き廊下のゆきかへりかな

むらさきの袖そで垂たれて

空を見上げゐる支那しな人ありき

公園の午後

孩児をさなごの手ざはりのごとき

思ひあり

公園に来てひとり歩あゆめば

ひさしぶりに公園に来て

友に会ひ

堅かたく手握り口疾くちどに語る

公園の木この間まに

小鳥あそべるを

ながめてしばし憩いこひけるかな

晴れし日の公園に来て

あゆみつつ

わがこのごろの衰おとろへを知る

思出のかのキスかとも

おどろきぬ

プラタヌの葉の散りて触ふれしを

公園の隅すみのベンチに

二度ばかり見かけし男

このごろ見えず

公園のかなしみよ

君の嫁とつぎてより

すでに七月ななつき来きしこともなし

公園のとある木蔭こかげの捨椅子すていすに

思ひあまりて

身をば寄せたる

忘られぬ顔なりしかな

今日街まちに

捕吏ほりにひかれて笑ゑめる男は

マチ擦すれば

二尺ばかりの明るさの

中をよぎれる白き蛾がのあり

目をとぢて

口笛かすかに吹きてみぬ

寐ねられぬ夜の窓にもたれて

わが友は

今日も母なき子を負ひて

かの城址しろあとにさまよへるかな

夜よるおそく

つとめ先よりかへり来きて

今死にしてふ児こを抱だけるかな

二三ふたみこゑ

いまはのきはに微かすかにも泣きしといふに

なみだ誘さそはる

真白ましろなる大根の根の肥こゆる頃

うまれて

やがて死にし児このあり

おそ秋の空気を

三尺四方さんじやくしはうばかり

吸ひてわが児の死にゆきしかな

死にし児の

胸に注射の針を刺す

医者の手もとにあつまる心

底知れぬ謎なぞに対むかひてあるごとし

死児しじのひたひに

またも手をやる

かなしみのつよくいたらぬ

さびしさよ

わが児のからだ冷ひえてゆけども

かなしくも

夜よ明あくるまでは残りゐぬ

息いききれし児の肌はだのぬくもり

底本 / Source edition

底本:「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」集英社
1967(昭和42)年9月12日初版発行
1972(昭和47)年9月10日9版発行
底本の親本:「一握の砂」東雲堂書店
1910(明治43)年12月1日刊行
※冒頭の献辞と自序は、「啄木全集 第一巻」筑摩書房、1970(昭和45)年5月20日初版第4刷発行から、補いました。
※底本巻末の小田切進による注解は省略しました。
入力:j.utiyama
校正:浜野智
1998年8月11日公開
2017年10月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/000816_000153/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/000816_000153/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/000816_000153/

石川 啄木「一握の砂」(新字旧仮名)、底本『日本文学全集12 国木田独歩・石川啄木集』集英社、1967年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000816_000153, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite