## 一

モーパサンの書いた「二十五日間」と題する小品には、ある温泉場の宿屋へ落ちついて、着物や白シャツを<ruby><rb>衣装棚</rb><rt>いしょうだな</rt></ruby>へしまおうとする時に、そのひきだしをあけてみたら、中から巻いた紙が出たので、何気なく引き延ばして読むと「<ruby><rb>私の二十五日</rb><rt>メヴァサンジュール</rt></ruby>」という標題が目に触れたという冒頭が置いてあって、その次にこの無名式のいわゆる二十五日間が一字も変えぬ元の姿で転載された体になっている。

プレヴォーの「不在」という<ruby><rb>端物</rb><rt>はもの</rt></ruby>の書き出しには、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いがけなく手紙が出てきたとあって、これにもその手紙がそっくりそのまま出してある。

二つともよく似た趣向なので、あるいは新しいほうが古い人のやったあとを踏襲したのではなかろうかという疑いさえさしはさめるくらいだが、それは自分にはどうでもよろしい。ただ自分もつい近ごろ、これと同様の経験をしたことがある。そのせいか今まではなるほど小説家だけあってうまくこしらえるなとばかり感心していたのが、それ以後実際世の中にはずいぶん似たことがたくさんあるものだという気になって、むしろ偶然の重複に<ruby><rb>咏嘆</rb><rt>えいたん</rt></ruby>するような心持ちがいくぶんかあるので、つい<ruby><rb>二人</rb><rt>ふたり</rt></ruby>の作をここに並べてあげたくなったのである。

もっともモーパサンのは標題の示すごとく、<ruby><rb>逗留</rb><rt>とうりゅう</rt></ruby>二十五日間の印象記という種類に属すべきもので、プレヴォーのは滞在ちゅうの<ruby><rb>女客</rb><rt>おんなきゃく</rt></ruby>にあてたなまめかしい男の<ruby><rb>文</rb><rt>ふみ</rt></ruby>だから、双方とも無名氏の文字それ自身が興味の眼目である。自分の経験もやはりふとした場所で意外な手紙の発見をしたということにはなるが、それが導火線になって、思いがけなくある実際上の効果を収めえたのであるから、手紙そのものにはそれほど興味がない。少なくとも、小説的な情調のもとに、それを読みえなかった自分にはそういう興味はなかった。そこが前にあげたフランスの二作家と違うところで、そこがまた彼らよりも散文的な自分をして、彼らの例にならって、その手紙をこの話の中心として、一字残らず写さしめなかった原因になる。

手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところとほとんど変わりはない。けれどもどうしてかどんな手紙をとかいう問いに答えるためには、それを発見した当時から約一週間ほどまえにさかのぼって説明する必要がある。

いよいよＫ市へ立つという前の晩になって、<ruby><rb>妻</rb><rt>さい</rt></ruby>がちょうどいいついでだから、帰りに<ruby><rb>重吉</rb><rt>じゅうきち</rt></ruby>さんのところへ寄っていらっしゃい、そうして重吉さんに会って、あのことをもっとはっきりきめていらっしゃい。なんだか<ruby><rb>紙鳶</rb><rt>たこ</rt></ruby>が木の枝へ引っかかっていながら、途中で揚がってるような気がしていけませんからと言った。重吉のことは自分も同感であった。それにしても妻によくこんな気のきいた言葉が使えると思って、お前誰かに教わったのかいと、なにも答えないさきに、まず冗談半分の疑いをほのめかしてみた。すると妻は存外まじめきった顔つきで、なにをですと問い返した。開き直ったというほどでもないが、こっちの意味が通じなかったことだけはたしかなようにみえたから、自分は紙鳶の話はそれぎりにして、直接重吉のことを談合した。

重吉というのは自分の身内ともやっかいものともかたのつかない一種の青年であった。一時は自分の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に寝起きをしてまで学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、大学へはいって以来下宿をしたぎり、四年の課程を終わるまで、とうとう家へは帰らなかった。もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた時はやって来て長く遊んでいった。元来が<ruby><rb>鷹揚</rb><rt>おうよう</rt></ruby>なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなはだ重吉を好いていた。重吉のほうでも自分らを<ruby><rb>叔父</rb><rt>おじ</rt></ruby>さん<ruby><rb>叔母</rb><rt>おば</rt></ruby>さんと呼んでいた。

## 二

重吉は学校を出たばかりである。そうして出るやいなやすぐいなかへ行ってしまった。なぜそんな所へ行くのかと聞いたら別にたいした意味もないが、ただ口を頼んでおいた先輩が、行ったらどうだと勧めるからその気になったのだと答えた。それにしてもＨはあんまりじゃないか、せめて大阪とか名古屋とかなら地方でも仕方がないけれどもと、自分は当人がすでにきめたというにもかかわらず一応彼のＨ<ruby><rb>行</rb><rt>ゆき</rt></ruby>に反対してみた。その時重吉はただにやにや笑っていた。そうして今急にあすこに欠員ができて困ってるというから、当分の約束で行くのです、じきまた帰ってきますと、あたかも未来が自分のかってになるようなものの言い方をした。自分はその場で重吉の「また帰ってきます」を「帰ってくるつもりです」に訂正してやりたかったけれどもそう思い込んでいるものの心を、無益にざわつかせる必要もないからそれはそれなりにしておいて、じゃあのことはどうするつもりだと尋ねた。「あのこと」は今までの行きがかり上、重吉の立つまえにぜひとも聞いておかなければならない問題だったからである。すると重吉は別に気にかける様子もなく、万事<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>にお任せするからよろしく願いますと言ったなり、平気でいた。刺激に対して急劇な反応を示さないのはこの男の天分であるが、それにしても彼の年齢と、この問題の性質から一般的に見たところで、重吉の態度はあまり冷静すぎて、定量未満の興味しかもちえないというふうに思われた。自分は少し不審をいだいた。

元来自分と<ruby><rb>妻</rb><rt>さい</rt></ruby>と重吉の間にただ「あのこと」として一種の<ruby><rb>符牒</rb><rt>ふちょう</rt></ruby>のように通用しているのは、実をいうと、彼の縁談に関する件であった。卒業の少し前から話が続いているので、自分たちだけには単なる「あのこと」でいっさいの経過が明らかに頭に浮かむせいか、べつだん改まって相手の名前などは口へ出さないで済ますことが多かったのである。

女は妻の遠縁に当たるものの次女であった。その関係でときどき自分の家に出はいるところからしぜん重吉とも知り合いになって、会えば互いに<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>するくらいの交際が成立した。けれども<ruby><rb>二人</rb><rt>ふたり</rt></ruby>の関係はそれ以上に接近する機会も企てもなく、ほとんど同じ距離で進行するのみにみえた。そうして二人ともそれ以上に何物をも求むる気色がなかった。要するに二人の間は、年長者の監督のもとに立つある少女と、まだ修業ちゅうの身分を自覚するある青年とが一種の社会的な事情から、互いと顔を見合わせて、礼儀にもとらないだけの応対をするにすぎなかった。

だから自分は驚いたのである。重吉があがらずせまらず、常と少しも違わない平面な調子で、あの人を<ruby><rb>妻</rb><rt>さい</rt></ruby>にもらいたい、話してくれませんかと言った時には、君ほんとうかと実際聞き返したくらいであった。自分はすぐ重吉の挙止動作がふだんにたいていはまじめであるごとく、この問題に対してもまたまじめであるのを発見した。そうして過渡期の日本の社会道徳にそむいて、私の歩を相互に進めることなしに、意志の重みをはじめから監督者たる父母に寄せかけた彼の行ないぶりを快く感じた。そこで彼の依頼を引き受けた。

さっそく妻をやって先方へ話をさせてみると、妻は女の母の挨拶だといって、妙な返事をもたらした。金はなくってもかまわないから道楽をしない保証のついた人でなければやらないというのである。そうしてなぜそんな注文を出すのか、いわれが説明としてその返事に伴っていた。

女には一人の姉があって、その姉は二、三年まえすでにある資産家のところへ嫁に行った。今でも行っている。世間並みの夫婦として別にひとの注意をひくほどの<ruby><rb>波瀾</rb><rt>はらん</rt></ruby>もなく、まず平穏に納まっているから、人目にはそれでさしつかえないようにみえるけれども、姉娘の父母はこの二、三年のあいだに、苦々しい思いをたえず陰でなめさせられたのである。そのすべては娘のかたづいた先の夫の不身持ちから起こったのだといえばそれまでであるが、父母だって、娘の亭主を、業務上必要のつきあいから追い出してまで、娘の権利と幸福を<ruby><rb>庇護</rb><rt>ひご</rt></ruby>しようと試みるほどさばけない人たちではなかった。

## 三

実をいうと、父母ははじめからそれを承知のうえで娘を嫁にやったのである。それのみか、腕ききの腕を最も敏活に働かすという意味に解釈した酒と女は、仕事のうえに欠くべからざる交際社会の必要条件とまで認めていた。それだのに彼らはやがて<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>をひそめなければならなくなってきた。かねてじょうぶであった娘の健康が、嫁にいってしばらくすると、目につくように衰えだした時に、彼らはもう相応に胸を傷めた。娘に会うたびに母親はどこか悪くはないかと聞いた。娘はただ微笑して、べつだんなんともないとばかり答えていた。けれどもその血色はしだいにあおくなるだけであった。そうしてしまいにはとうとう病気だということがわかった。しかもその病気があまりたちのよいものではないということがわかった。なおよく探究すると、公に言いにくい夫の<ruby><rb>疾</rb><rt>やまい</rt></ruby>がいつのまにか妻に感染したのだということまでわかった。父母の懸念が道徳上の着色を帯びて、好悪の意味で、娘の夫に反射するようになったのはこの時からである。彼らは気の毒な長女を見るにつけて、これから嫁にやる次女の夫として、姉のそれと同型の道楽ものを想像するにたえなくなった。それで金はなくてもかまわないから、どうしても道楽をしない保険付きの堅い人にもらってもらおうと、夫婦の間に相談がまとまったのである。

自分の<ruby><rb>妻</rb><rt>さい</rt></ruby>は先方から聞いてきたとおりをこういうふうに詳しくくりかえして自分に話したのち、重吉さんならまちがいはなかろうと思うんですが、どうでしょうと言った。自分はただそうさと答えたまま、畳の上を見つめていた。すると妻はやや疑ぐったような調子で、重吉さんでも道楽をするんでしょうかと聞いた。

「まあだいじょうぶだろうよ」

「まあじゃ困るわ。ほんとうにだいじょうぶでなくっちゃ。だってもしか、<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>でもついたら、私すまないんですもの。私ばかしじゃない、<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>だって責任がおありじゃありませんか」

こう言われてみるとなるほど先方へいいかげんな返事をするのもいかがなものである。といって、あの重吉が遊ぶとは、どうしても考えられない。むろん彼のようすにはじじむさいとか無骨すぎるとか、すべて<ruby><rb>粋</rb><rt>いき</rt></ruby>の裏へ回るものは一つもなかった。けれども全面が平たく尋常にでき上がっているせいか、どことさして、ここが道楽くさいという点もまたまるで見当たらなかった。自分は妻といろいろ話した末、こう言った。

「まあたいていよかろうじゃないか。道楽のほうは受け合いますと言っといでよ」

「道楽のほうって――。しないほうをでしょう」

「あたりまえさ。するほうを受け合っちゃたいへんだ」

妻はまた先方へ行って、けっして道楽をするような男じゃございませんと受け合った。話はそれから発展しはじめたのである。重吉が地方へ行くと言いだした時には、それがずっと進行して、もう十の九まではまとまっていた。自分は重吉のＨへ立つまえに、わざわざ先方へ出かけて行って、父母の同意を求めたうえで重吉を立たせた。

重吉とお<ruby><rb>静</rb><rt>しず</rt></ruby>さんとの関係はそこまで行って、ぴたりととまったなり今日に至ってまだ動かずにいる。もっとも自分はそれほど気にもかからない、今にどっちからか動きだすだろう、万事はその時のことと覚悟をきめていたが、妻は女だけに心配して、このあいだも長い手紙を重吉にやって、いったいあのことはどうなさるつもりですかと尋ねたら、重吉は万事よろしく願いますと例のとおりの返事をよこした。そのまえ聞き合わせた時には、私はまだ道楽を始めませんから、だいじょうぶですというはがきが来た。妻はそのはがきを自分のところへ持ってきて、重吉さんもずいぶんのんきね、まだ始めませんって、いまに始められたひにゃ、だいじょうぶでもなんでもないじゃありませんか、冗談じゃあるまいし、と少しおこったような語気をもらした。自分にも重吉の用いたこのまだという字がいかにもおかしく思われた。妻に、当人本気なのかなと言ったくらいである。

妻が評したごとく、こういうふうに、いつまでも、<ruby><rb>紙鳶</rb><rt>たこ</rt></ruby>が木の枝に引っかかって中途から揚がっているようなありさまでおしてゆかれては間へはいった自分たちの責任としても、しまいには放っておかれなくなるのは明らかだから、今度の旅行を幸い、帰りにＨへ寄って、いわゆる「あのこと」をもっとはっきりかたづけてきたらよかろうという妻の意見に従うことにきめて家を出た。

## 四

汽車中では重吉の地方生活をいろいろに想像する暇もあったが、目的地へ下りるやいなや、すぐ当用のために<ruby><rb>忙殺</rb><rt>ぼうさつ</rt></ruby>されて、「あのこと」などはほとんど考えもしなかった。ようよう四、五日かかって、一段落がついた時、自分はまた汽車に揺られながら、まだ見ないＨの町や、その町の中にある重吉の下宿している旅館などを、頭の奥に漂う<ruby><rb>画</rb><rt>え</rt></ruby>のようにながめた。もとよりものずきのさせるわざだから、<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>の<ruby><rb>煙</rb><rt>けぶり</rt></ruby>に似て、取り留めることのできないうちに、また煙草の煙に似た淡い愉快があった。とかくするうちに汽車はとうとうＨへ着いた。

自分はすぐ<ruby><rb>俥</rb><rt>くるま</rt></ruby>を雇って、重吉のいる宿屋の玄関へ乗りつけた。番頭にここに佐野という人が下宿しているはずだがと聞くと番頭はおじぎを二つばかりして、佐野さんは先だってまでおいでになりましたが、ついこのあいだお引き移りになりましたと言う。けしからんことだと思いながらも、なお引っ越し先の模様を尋ねてみると、とうてい自分などの行って、一晩でも二晩でもやっかいになれそうな所ではないらしい。いっそここへ泊まるほうが楽だろうと思って、じゃあいたへやへ案内してくれと言うと、番頭はまたおじぎを一つして、まことにお気の毒さまでございますが、招魂祭でどのへやもふさがっておりますのでとていねいに断わった。自分は<ruby><rb>傘</rb><rt>かさ</rt></ruby>を突いたまましばらく玄関の前に立っていた。正式にいうと、あらかじめ重吉に通知をしたうえ、なおＨ着の時間を電報で言ってやるべきであるが、なるべくお互いの<ruby><rb>面倒</rb><rt>めんどう</rt></ruby>を省いて簡略に事を済ますのが当世だと思って、わざと前触れなしに重吉を襲ったのであるが、いよいよ来てみると、自分のやり口はただの不注意から、出る不都合な結果を、自分のうえに投げかけたと同じことになってしまった。

自分はＨにどんな宿屋が何軒あるかまるで知らなかったが、この旅館がそのうちでいちばんよいのだということだけは、かねて受け取った重吉の手紙によって心得ていた。なるほど奥をのぞいてみると、廊下が折れ曲がったり、中庭の先に新しい<ruby><rb>棟</rb><rt>むね</rt></ruby>が見えたりして、さも広そうでかつ<ruby><rb>物綺麗</rb><rt>ものぎれい</rt></ruby>であった。自分は番頭にどこか都合ができるだろうと言った。番頭は当惑したような顔をして、しばらく考えていたが、はなはだ見苦しい所で、<ruby><rb>一夜泊</rb><rt>いちやどま</rt></ruby>りのお客様にはお気の毒でございますが、佐野さんのいらしったお座敷なら、どうかいたしましょうと答えた。その口ぶりから察すると、なんでもよほどきたない所らしいので、また少し<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちゅうちょ</rt></ruby>しかけたが、もとよりこの地へ来て体裁を顧みる必要もない身だから、一晩や二晩はどんなへやで明かしたってかまわないという気になって、このあいだまで重吉のいたというそのへやへ案内してもらった。

へやは第一の廊下を右へ折れて、そこの縁側から<ruby><rb>庭下駄</rb><rt>にわげた</rt></ruby>をはいて、二足三足たたきの上を渡らなければはいれない代わりにどことも続いていないところが、まるで一軒立ちの観を与えた。天井の低いのや柱の細いのが、さも茶がかった空気を作るとともに、いかにも湿っぽい陰気な感じがした。そうして畳といわず<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>といわずはなはだしく古びていた。向こうの<ruby><rb>藤棚</rb><rt>ふじだな</rt></ruby>の陰に見える少し<ruby><rb>出張</rb><rt>でば</rt></ruby>った新築の中二階などとくらべると、まるで比較にならないほど趣が違っていた。

「こんな所にはいっていたのか」と思いながら、自分は茶をのんでしばらく座敷を見回していたが、やがて<ruby><rb>硯</rb><rt>すずり</rt></ruby>を借りて、重吉の所へやる手紙を書いた。ただ簡単にＫ市へ用があって来たついでにここへ寄ったから、すぐ来いというだけにとどめた。それから湯にはいって出ると、もう食事の時間になった。自分はなるべく重吉といっしょに晩飯を食おうと思って、煙草を何本も吹かしながら、彼の来るのを心待ちに待っているうちに、向こうの中二階に電気燈がついて、にぎやかな人声が聞こえだした。自分はとうとう待ち切れず<ruby><rb>一人</rb><rt>ひとり</rt></ruby><ruby><rb>膳</rb><rt>ぜん</rt></ruby>に向かった。給仕に出た女が、招魂祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろの催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへお呼ばれなすったんでしょうとか言うのを聞きながら、ビールを一、二はいのんだ。下女は重吉のことをおとなしいよいかただと言った。女にほれられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。道楽をするだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をしていいえと答えた。

## 五

食事が済んで下女が<ruby><rb>膳</rb><rt>ぜん</rt></ruby>をさげたのは、もう九時近くであった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自分はひとりで縁鼻へ座ぶとんを運んで、<ruby><rb>手摺</rb><rt>てす</rt></ruby>りにもたれながら向こう座敷の明るい電気燈やはでな笑い声を湿っぽい空気の中から遠くうかがってつまらない心持ちをつまらないなりに引きずるような態度で、<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>ばかり吹かしていた。そこへさっきの下女が<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>をあけて、やっといらっしゃいましたと案内をした。そのあとから重吉が赤い顔をしてはいってきた。自分は重吉の赤い顔をこの時はじめて見た。けれども席に着いて<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>をする彼の様子といい、言葉数といい、<ruby><rb>抑揚</rb><rt>あげさげ</rt></ruby>の調子といい、すべてが平生の重吉そのままであった。自分は彼の言語動作のいずれの点にも、酒気に駆られて動くのだと評してしかるべききわだった何物をも認めなかったので、異常な彼の顔色については、別にいうところもなく済ました。しばらくして彼は茶器を代えに来た下女の名を呼んで、コップに水を一ぱいくれと頼んだ。そうして自分の方を見ながら、どうも<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>がかわいてと間接な弁解をした。

「だいぶ飲んだんだね」

「ええお祭りで、少し飲まされました」

赤い顔のことは簡単にこれで済んでしまった。それからどこをどう話が通ったか覚えていないが、三十分ばかりたつうちに、自分も重吉もいつのまにか、いわゆる「あのこと」の圏内で受け答えをするようになった。

「いったいどうする気なんだい」

「どうする気だって、――むろんもらいたいんですがね」

「真剣のところを白状しなくっちゃいけないよ。いいかげんなことを言って引っ張るくらいなら、いっそきっぱり今のうちに断わるほうが得策だから」

「いまさら断わるなんて、僕はごめんだなあ。実際<ruby><rb>叔父</rb><rt>おじ</rt></ruby>さん、僕はあの人が好きなんだから」

重吉の様子にどこといって<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>らしいところは見えなかった。

「じゃ、もっと早くどしどしかたづけるが好いじゃないか、いつまでたってもぐずぐずで、はたから見ると、いかにも煮え切らないよ」

重吉は小さな声でそうかなと言って、しばらく休んでいたが、やがて元の調子に戻って、こう聞いた。

「だってもらってこんないなかへ連れてくるんですか」

自分はいなかでもなんでもかまわないはずだと答えた。重吉は先方がそれを承知なのかと聞き返した。自分はその時ちょっと困った。実はそんな細かなことまで先方の意見を確かめたうえで、談判に来たわけではなかったのだからである。けれども行きがかり上やむをえないので、

「そう話したら、承知するだろうじゃないか」と勢いよく言ってのけた。

すると、重吉は問題の方向を変えて、目下の経済事情が、とうてい暖かい家庭を物質的に形づくるほどの余裕をもっていないから、しばらくのあいだひとりでしんぼうするつもりでいたのだという弁解をしたうえ、最初の約束によれば、ことしの暮れには月給が上がって東京へ帰れるはずだから、その時は先さえ承知なら、どんな小さな家でも構えて、お静さんを迎える考えだと話した。もし事が約束どおりに運ばないため、月給も上がらず、東京へも帰れなかったあかつきには、その時こそ、先方さえ異存がなければ、自分の言ったようにする気だから、なにぶんよろしく頼むということもつけ加えた。自分は一応もっともだと思った。

「そうお前の腹がきまってるなら、それでいい。<ruby><rb>叔母</rb><rt>おば</rt></ruby>さんも安心するだろう。お静さんのほうへも、よくそう話しておこう」

「ええどうぞ――。しかし僕の腹はたいてい<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>がたにはわかってるはずですがねえ」

「そんなら、あんな返事をよこさないがいいよ。ただよろしく願いますだけじゃなんだかいっこうわからないじゃないか。そうして、あのはがきはなんだい、私はまだ道楽を始めませんから、だいじょうぶですって。本気だか冗談だかまるで見当がつかない」

「どうもすみません。――しかしまったく本気なんです」と言いながら、重吉は苦笑して頭をかいた。

「あのこと」はそれで切り上げて、あとはまとまらない<ruby><rb>四方山</rb><rt>よもやま</rt></ruby>の話に<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>をふかした。せっかくだから二、三日<ruby><rb>逗留</rb><rt>とうりゅう</rt></ruby>してゆっくりしていらっしゃいと勧めてくれるのを断わって、やはりあくる日立つことにしたので、重吉はそんならお疲れでしょう、早くお休みなさいと挨拶して帰っていった。

## 六

あくる朝顔を洗ってへやへ帰ると、<ruby><rb>棚</rb><rt>たな</rt></ruby>の上の鏡台が麗々と障子の前にすえ直してある。自分は何気なくその前にすわるとともに鏡の下の<ruby><rb>櫛</rb><rt>くし</rt></ruby>を取り上げた。そしてその櫛をふくつもりかなにかで、鏡台のひきだしを力任せにあけてみた。すると浅い<ruby><rb>桐</rb><rt>きり</rt></ruby>の底に、奥の方で、なにかひっかかるような手ごたえがしたのが、たちまち軽くなって、するすると、抜けてきたとたんに、まき納めてねじれたような手紙の端がすじかいに見えた。自分はひったくるようにその手紙を取って、すぐ五、六寸破いて櫛をふこうとして見ると、細かい女の字で白紙の<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>をたどるといったように、細長くひょろひょろとなにか書いてあるのに気がついた。自分はちょっと一、二行読んでみる気になった。しかしこのひょろひょろした文字が言文一致でつづられているのを発見した時、自分の好奇心は最初の一、二行では満足することができなくなった。自分は知らず知らず、先に裂き破った五、六寸を<ruby><rb>一息</rb><rt>ひといき</rt></ruby>に読み尽くした。そうして裂き残しの分へまでもどんどん進んでいった。こう進んでゆくうちにも、自分は絶えず微笑を禁じえなかった。実をいうと手紙はある女から男にあてた<ruby><rb>艶書</rb><rt>えんしょ</rt></ruby>なのである。

艶書だけに一方からいうとはなはだ陳腐には相違ないが、それがまた形式のきまらない言文一致でかってに書き流してあるので、ずいぶん奇抜だと思う文句がひょいひょいと出てきた。ことに字違いや仮名違いが目についた。それから感情の現わし方がいかにも露骨でありながら一種の型にはいっているという意味で誠がかえって出ていないようにもみえた。最も恐るべくへたな恋の<ruby><rb>都々一</rb><rt>どどいつ</rt></ruby>なども遠慮なく引用してあった。すべてを総合して、書き手のくろうとであることが、<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>の目にもなにより先にまず映る手紙であった。どうせ無関係な第三者がひとの艶書のぬすみ読みをするときにこっけいの興味が加わらないはずはないわけであるが、書き手が節操上の徳義を負担しないで済むくろうとのような場合には、この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられるおそれがないだけに、読み手ははなはだ気楽なものである。

そういう訳で、自分は多大の興味をもってこの長い手紙をくすくす笑いながら読んだ。そうして読みながら、こんなに女から思われている色男は、いったい何者だろうかとの好奇心を、最後の一行が尽きて、名あての名が自分の目の前に現われるまで引きずっていった。ところがこの好奇心が遺憾なく満足されべき<ruby><rb>画竜点睛</rb><rt>がりょうてんせい</rt></ruby>の名前までいよいよ読み進んだ時、自分は突然驚いた。名あてには重吉の姓と名がはっきり書いてあった。

自分は少しのあいだぼんやり庭の方を見ていた。それから手に持った手紙をさらさらと巻いて<ruby><rb>浴衣</rb><rt>ゆかた</rt></ruby>のふところへ入れた。そうして鏡の前で髪を分けた。時計を見ると、まだ七時である。しかし自分は十時何分かの汽車で立つはずになっていた。手をたたいて下女を呼んで、すぐ重吉を車で迎えにやるように命じた。そのあいだに飯を食うことにした。

なんだかおかしいという気分もいくぶんかまじっていた。けれども総体に「あの野郎」という心持ちのほうが勝っていた。そのあの野郎として重吉をながめると、宿をかえていつまでも知らせなかったり、さんざん人を待たせて、気の毒そうな顔もしなかったり、やっとはいってきたかと思うと、一面アルコールにいろどられていたり、すべて不都合だらけである。が、平生どの角度に見ても尋常一式なあの男が、いつのまに女から手紙などをもらってすまし返っているのだろうと考えると、あたりまえすぎるふだんの重吉と、色男として別に通用する特製の重吉との矛盾がすこぶるこっけいに見えた。したがって自分はどっちの感じで重吉に対してよいかわからなかった。けれどもどっちかにきめて、これを根本調として会見しなければならないということに気がついた。自分は食後の茶を飲んで<ruby><rb>楊枝</rb><rt>ようじ</rt></ruby>を使いながら、ここへ重吉が来たらどう取り扱ったものだろうと考えた。

## 七

そこへ宿から迎えにやった車に乗って、彼はすぐかけつけてきた。彼に対する態度をまだよく定めていない自分には、彼の来かたがむしろ早すぎるくらい、現われようが今度は<ruby><rb>迅速</rb><rt>じんそく</rt></ruby>であった。彼は簡単に、早いじゃありませんか、<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>起きたらすぐ上がるつもりでいたところをお迎えで――と言ったまま、そこへすわって、自分の顔を正視した。この時はたから<ruby><rb>二人</rb><rt>ふたり</rt></ruby>の様子を虚心に観察したら、重吉のほうが自分よりはるかに無邪気に見えたに違いない。自分は黙っていた。彼は<ruby><rb>白足袋</rb><rt>しろたび</rt></ruby>に角帯で<ruby><rb>単衣</rb><rt>ひとえ</rt></ruby>の下から<ruby><rb>鼠色</rb><rt>ねずみいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>羽二重</rb><rt>はぶたえ</rt></ruby>を掛けた<ruby><rb>襦袢</rb><rt>じゅばん</rt></ruby>の<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>を出していた。

「<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby>はだいぶしゃれてるじゃないか」

「<ruby><rb>昨夕</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>もこの<ruby><rb>服装</rb><rt>なり</rt></ruby>ですよ。夜だからわからなかったんでしょう」

自分はまた黙った。それからまたこんな会話を二、三度取りかわしたが、いつでもそのあいだに妙な穴ができた。自分はこの穴を故意にこしらえているような感じがした。けれども重吉にはそんなわだかまりがないから、いくら口数を減らしてもその態度がおのずから天然であった。しまいに自分はまじめになって、こう言った。

「実は昨夕もあんなに話した、あのことだがね。どうだ、いっそのこときっぱり断わってしまっちゃ」

重吉はちょっと<ruby><rb>腑</rb><rt>ふ</rt></ruby>に落ちないという顔つきをしたが、それでもいつものようなおっとりした調子で、なぜですかと聞き返した。

「なぜって、君のような道楽ものは向こうの夫になる資格がないからさ」

今度は重吉が黙った。自分は重ねて言った。

「おれはちゃんと知ってるよ。お前の遊ぶことは天下に隠れもない事実だ」

こう言った自分は、急に自分の言葉がおかしくなった。けれども重吉が苦笑いさえせずに控えていてくれたので、こっちもまじめに進行することができた。

「元来男らしくないぜ。人をごまかして自分の得ばかり考えるなんて。まるで詐欺だ」

「だって<ruby><rb>叔父</rb><rt>おじ</rt></ruby>さん、僕は病気なんかに、まだかかりゃしませんよ」と重吉が割り込むように弁解したので、自分はまたおかしくなった。

「そんなことがひとにわかるもんか」

「いえ、まったくです」

「とにかく遊ぶのがすでに条件違反だ。お前はとてもお静さんをもらうわけにゆかないよ」

「困るなあ」

重吉はほんとうに困ったような顔をして、いろいろ泣きついた。自分は<ruby><rb>頑</rb><rt>がん</rt></ruby>として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は十円を五円に負けてくれと言ったが、自分は聞き入れないで、とうとうこっちの言い条どおり十円ずつ送らせることに取りきめた。

まもなく時間が来たので、自分はさっそくたって着物を着かえた。そうして<ruby><rb>俥</rb><rt>くるま</rt></ruby>を命じて<ruby><rb>停車場</rb><rt>ステーション</rt></ruby>へ急がした。重吉はむろんついて来た。けれども<ruby><rb>鞄</rb><rt>カバン</rt></ruby><ruby><rb>膝掛</rb><rt>ひざか</rt></ruby>けその他いっさいの手荷物はすでに宿屋の番頭が始末をして、ちゃんと列車内に運び込んであったので、彼はただ<ruby><rb>手持</rb><rt>ても</rt></ruby>ち<ruby><rb>無沙汰</rb><rt>ぶさた</rt></ruby>にプラットフォームの上に立っていた。自分は窓から首を出して、重吉の羽二重の襟と角帯と白足袋を、得意げにながめていた。いよいよ発車の時刻になって、車の輪が回りはじめたと思うきわどい瞬間をわざと見はからって、自分は<ruby><rb>隠袋</rb><rt>かくし</rt></ruby>の中から<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>読んだ手紙を出して、おいお<ruby><rb>土産</rb><rt>みやげ</rt></ruby>をやろうと言いながら、できるだけ長く手を重吉の方に伸ばした。重吉がそれを受け取る時分には、汽車がもう動きだしていた。自分はそれぎり首を列車内に引っ込めたまま、<ruby><rb>停車場</rb><rt>ステーション</rt></ruby>をはずれるまでけっしてプラットフォームを見返らなかった。

うちへ帰っても、手紙のことは<ruby><rb>妻</rb><rt>さい</rt></ruby>には話さなかった。旅行後一か月めに重吉から十円届いた時、妻はでも感心ねと言った。二か月めに十円届いた時には、まったく感心だわと言った。三か月めには七円しかこなかった。すると妻は重吉さんも苦しいんでしょうと言った。自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。将来の敬意に至ってはむろん疑問である。