一

（前略）それだから今日すなわち四月九日の晩をまる<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>しにして何か御報知をしようと思う。報知したいと思う事はたくさんあるよ。こちらへ来てからどう云うものかいやに人間が<ruby><rb>真面目</rb><rt>まじめ</rt></ruby>になってね。いろいろな事を見たり聞たりするにつけて日本の将来と云う問題がしきりに頭の中に起る。<ruby><rb>柄</rb><rt>がら</rt></ruby>にないといってひやかしたまうな。僕のようなものがかかる問題を考えるのは全く天気のせいや「ビステキ」のせいではない天の然らしむるところだね。この国の文学美術がいかに盛大で、その盛大な文学美術がいかに国民の品性に感化を及ぼしつつあるか、この国の物質的開化がどのくらい進歩してその進歩の裏面にはいかなる潮流が横わりつつあるか、英国には武士という語はないが紳士と〔いう〕言があって、その紳士はいかなる意味を持っているか、いかに一般の人間が<ruby><rb>鷹揚</rb><rt>おうよう</rt></ruby>で勤勉であるか、いろいろ目につくと同時にいろいろ<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>に<ruby><rb>障</rb><rt>さわ</rt></ruby>る事が持ち上って来る。時には<ruby><rb>英吉利</rb><rt>イギリス</rt></ruby>がいやになって早く日本へ帰りたくなる。するとまた日本の社会のありさまが目に浮んでたのもしくない情けないような心持になる。日本の紳士が徳育、体育、美育の点において非常に欠乏しているという事が気にかかる。その紳士がいかに平気な顔をして得意であるか、彼らがいかに浮華であるか、彼らがいかに空虚であるか、彼らがいかに現在の日本に満足して己らが一般の国民を堕落の<ruby><rb>淵</rb><rt>ふち</rt></ruby>に誘いつつあるかを知らざるほど近視眼であるかなどというようないろいろな不平が持ち上ってくる。せんだって日本の上流社会の事に関して長い手紙を書いて親戚へやった。しかしこんな事はただ英国へ来てから<ruby><rb>余慶</rb><rt>よけい</rt></ruby>に感ずるようになったまででちっとも英国と関係のない話しだし、君らに聞せる必要もなし、聞きたい事でもなかろうから先ぬきとして何か話そう。何がいいか、話そうとすると出ないものでね、困るな。仕方がないから今日起きてから今手紙をかいているまでの出来事を「ほととぎす」で募集する日記体でかいて御目にかけよう。出来事だって風来山人の生活だから面白おかしい事はない、すこぶる平凡な物さ。「オキスフォード」で「アン」を見失ったとか、「チェヤリングクロス」で決闘を見たとか云うのだと張合があるが、いかにも<ruby><rb>憫然</rb><rt>びんぜん</rt></ruby>な生活だからくだらない。しかし僕が<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>に来てどんな事をやっているかがちょっと分る。僕を知っている君らにはそこに少々興味があるだろう。

この前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター」の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜になってようやくもとに復する例である。内の夫婦は御祭中<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>の妻君の里へ旅行した。田中君は「シェクスピヤ」の旧跡を探るというので「ストラトフォドオンアヴォン」と云う長い名の所へ行かれた。<ruby><rb>跡</rb><rt>あと</rt></ruby>は妻君の妹と下女のペンと吾輩と三人である。

朝目がさめると「シャッター」の<ruby><rb>隙間</rb><rt>すきま</rt></ruby>から朝日がさし込んで<ruby><rb>眩</rb><rt>まばゆ</rt></ruby>いくらいである。これは寝過したかと思って枕の下から例のニッケルの時計を引きずり出して見るとまだ七時二十分だ。まだ第一の<ruby><rb>銅鑼</rb><rt>どら</rt></ruby>の鳴る時刻でない。起きたって仕方がないが別にねむくもない。そこでぐるりと壁の方から寝返りをして窓の方を見てやった。窓の両側から申訳のために<ruby><rb>金巾</rb><rt>かなきん</rt></ruby>だか麻だか<ruby><rb>得体</rb><rt>えたい</rt></ruby>の分らない窓掛が左右に開かれている。その後に「シャッター」が下りていて、その一枚一枚のすき間から<ruby><rb>御天道様</rb><rt>おてんとうさま</rt></ruby>が御光来である。ハハーいよいよ春めいて来てありがたい、こんな天気は倫敦じゃ拝めなかろうと思っていたが、やはり人間の住んでる所だけあって日の当る事もあるんだなとちょっと悟りを開いた。それから<ruby><rb>天井</rb><rt>てんじょう</rt></ruby>を見た。<ruby><rb>不相変</rb><rt>あいかわらず</rt></ruby>ひびが入っていて不景気だ。上で何かごとごという音が聞こえる。下女が四階の室で靴でもはいているんだろう。部屋はますますあかるくなる。銅鑼はまだ鳴りそうな景色がない。今度は天井から眼をおろしてぐるぐる部屋中を撿査した。しかし別に見るものも何にもない。まことに御恥しい部屋だ。窓の正面に<ruby><rb>箪笥</rb><rt>たんす</rt></ruby>がある。箪笥というのはもったいない、ペンキ塗の箱だね。上の引出に股引とカラとカフが<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>っていて、下には<ruby><rb>燕尾服</rb><rt>えんびふく</rt></ruby>が這入っている。あの燕尾服は安かったがまだ一度も着た事がない。つまらないものを作ったものだなと考えた。箱の上に尺四方ばかりの姿見があってその左りに「カルルス」泉の<ruby><rb>瓶</rb><rt>びん</rt></ruby>が<ruby><rb>立</rb><rt>たっ</rt></ruby>ている。その横から茶色のきたない皮の手袋が半分見える。箱の左側の下に靴が二足、赤と黒だ、並んでいる。毎日<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>くのは戸の前に下女が<ruby><rb>磨</rb><rt>みが</rt></ruby>いておいて行く。そのほかに礼服用の光る靴が<ruby><rb>戸棚</rb><rt>とだな</rt></ruby>にしまってある、靴ばかりは中々大臣だなと少々得意な感じがする。もしこの家を引越すとするとこの四足の靴をどうして持って行こうかと思い出した。一足は<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>く、二足は<ruby><rb>革鞄</rb><rt>かばん</rt></ruby>につまるだろう、しかし余る一足は手にさげる訳には行かんな、裸で馬車の中へ<ruby><rb>投</rb><rt>ほう</rt></ruby>り込むか、しかし引越す前には一足はたしかに破れるだろう。靴はどうでもいいが大事の書物がずいぶん厄介だ。これは大変な荷物だなと思って板の間に並べてある本と、<ruby><rb>煖炉</rb><rt>だんろ</rt></ruby>の上にある本と、机の上にある本と、書棚にある本を見廻した。せんだって「ロッチ」から古本の目録をよこした「ドッズレー」の「コレクション」がある。七十円は高いが欲い。それに製本が皮だからな。この前買った「ウァートン」の英詩の歴史は製本が「カルトーバー」で古色<ruby><rb>蒼然</rb><rt>そうぜん</rt></ruby>としていて実に安い掘出し物だ。しかし<ruby><rb>為替</rb><rt>かわせ</rt></ruby>が来なくっては本も買えん、少々閉口するな、そのうち来るだろうから心配する事も入るまい、……ゴンゴンゴンそら鳴った。第一の銅鑼だ、これから起きて仕度をすると第二の「ゴング」が鳴る。そこでノソノソ下へ降りて行って朝食を食うのだよ。起きて股引を<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>きながら、<ruby><rb>子</rb><rt>ね</rt></ruby>にふし銅鑼に起きはどうだろうと思って一人でニヤニヤと笑った。それから寝台を離れて顔を洗う台の前へ立った。これから御化粧が始まるのだ。西洋へ来ると猫が顔を洗うように簡単に行かんのでまことに面倒である。<ruby><rb>瓶</rb><rt>びん</rt></ruby>の水をジャーと<ruby><rb>金盥</rb><rt>かなだらい</rt></ruby>の中へあけてその中へ手を入れたがああしまった顔を洗う前に毎朝カルルス塩を飲まなければならないと気がついた。入れた手を盥から出した。拭くのが面倒だから壁へむいて二三<ruby><rb>返</rb><rt>べん</rt></ruby>手をふってそれから「カルルス」塩の調合にとりかかった。飲んだ。それからちょっと顔をしめして「シェヴィング・ブラッシ」を<ruby><rb>攫</rb><rt>つか</rt></ruby>んで顔中むやみに塗廻す。<ruby><rb>剃</rb><rt>そり</rt></ruby>は安全<ruby><rb>髪剃</rb><rt>かみそり</rt></ruby>だから<ruby><rb>仕</rb><rt>し</rt></ruby>まつがいい。大工がかんなをかけるようにスースーと<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>をそる。いい心持だ。それから頭へ<ruby><rb>櫛</rb><rt>くし</rt></ruby>を入れて、顔を拭て、白シャツを着て、<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>をかけて、襟飾をつけて「シャッター」を<ruby><rb>捲</rb><rt>ま</rt></ruby>き上ると、下女がボコンと部屋の前へ靴をたたきつけて行った。しばらくすると第二のゴンゴンが鳴る。ちょっと<ruby><rb>御誂</rb><rt>おあつらえ</rt></ruby>通りにできてる。それから<ruby><rb>階子段</rb><rt>はしごだん</rt></ruby>を二つ下りて食堂へ這入る。例のごとく「オートミール」を第一に食う。これは<ruby><rb>蘇格土蘭</rb><rt>スコットランド</rt></ruby>人の常食だ。もっともあっちでは塩を入れて食う、我々は砂糖を入れて食う。麦の<ruby><rb>御粥</rb><rt>おかゆ</rt></ruby>みたようなもので我輩は大好だ。「ジョンソン」の字引には「オートミール」……蘇国にては人が食い英国にては馬が食うものなりとある。しかし今の英国人としては朝食にこれを用いるのが別段例外でもないようだ。英人が馬に近くなったんだろう。それから「ベーコン」が一片に玉子一つまたはベーコン二片と相場がきまっている。そのほかに焼パン二片茶一杯、それでおしまいだ。吾輩が二片の「ベーコン」を五分の四まで食い<ruby><rb>了</rb><rt>おわ</rt></ruby>ったところへ田中君が二階から下りて来た。先生は昨夜遅く旅から帰って来たのである。もっとも先生は毎朝遅刻する人でけっして定刻に二階から天下った事はない。「いや御早う」。妻君の妹が Good morning と答えた。吾輩も英語で Good morning といった。田中君はムシャムシャやっている。吾輩は Excuse me といって食卓の上にある手紙を開いた。「エッジヒル」夫人からこの十七日午後三時にゆるゆる御話しを伺いたいからおいでくだされまじきやという招待状だ。おやおやと思った。吾輩は日本におっても交際は<ruby><rb>嫌</rb><rt>きら</rt></ruby>いだ。まして西洋へ来て無弁舌なる英語でもって<ruby><rb>窮窟</rb><rt>きゅうくつ</rt></ruby>な交際をやるのはもっとも<ruby><rb>厭</rb><rt>きら</rt></ruby>いだ。加之<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>は広いから交際などを始めるとむやみに時間をつぶす、おまけにきたない「シャツ」などは着て行かれず、「ズボン」の<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>が前へせり出していてはまずいし雨のふる時などはなさけない金を出して馬車などを<ruby><rb>驕</rb><rt>おご</rt></ruby>らねばならないし、それはそれは気骨が折れる、金がいる、時間が<ruby><rb>費</rb><rt>つい</rt></ruby>える、真平だが仕方がない、たまにはこんな酔興な貴女があるんだから行かなければ義理がわるい、困ったなと思っていると、田中君が旅行談を始めた。吾輩に「シェクスピヤ」の<ruby><rb>石膏製</rb><rt>せっこうせい</rt></ruby>の像と「アルバム」をやろうと云うからありがとうといって貰った。それから「シェクスピヤ」の墓碑の<ruby><rb>石摺</rb><rt>いしずり</rt></ruby>の写真を見せて、こりゃ何だい君、英語の漢語だね、僕には読めないといった。やがて先生は会社へ出て行った。これから吾輩は例の通り「スタンダード」新聞を読むのだ。西洋の新聞は実にでがある。始からしまいまで残らず読めば五六時間はかかるだろう。吾輩はまず第一に支那事件のところを読むのだ。今日のには魯国新聞の日本に対する評論がある。もし戦争をせねばならん時には日本へ攻め寄せるは得策でないから朝鮮で<ruby><rb>雌雄</rb><rt>しゆう</rt></ruby>を決するがよかろうという主意である。朝鮮こそ善い迷惑だと思った。その次に「トルストイ」の事が出ている。「トルストイ」は先日<ruby><rb>魯西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>の国教を<ruby><rb>蔑視</rb><rt>べっし</rt></ruby>すると云うので破門されたのである。天下の「トルストイ」を破門したのだから大騒ぎだ。或る絵画展覧会に「トルストイ」の肖像が出ているとその前に花が山をなす、それから皆が相談して「トルストイ」に何か進物をしようなんかんて「トルストイ」連は<ruby><rb>焼気</rb><rt>やっき</rt></ruby>になって政府に<ruby><rb>面当</rb><rt>つらあて</rt></ruby>をしているという通信だ。面白い。そうこうする内に十時二十分だ。今日は例のごとく先生の家へ行かねばならない。まず便所へ行って三階の部屋へかけ上って<ruby><rb>仕度</rb><rt>したく</rt></ruby>をして下りて見るとまだ十一時には二十分ばかり間がある。また新聞を見る。昨日は「イースター・モンデー」なのでところどころで興行物があった。その雑報がある。「アクエリアム」で熊使いが熊を使うと云う事が載っている。熊が馬へ乗って<ruby><rb>埒</rb><rt>らち</rt></ruby>の周囲をかけ廻る、棒を飛び超える、輪抜けをすると書いてある。面白そうだ。此度は広告を見た。「ライシアム」で「アーヴィング」が「シェクスピヤ」の「コリオラナス」をやると出ている。せんだって「ハー・マジェスチー」座で「トリー」の「トェルフスナイト」を見た。脚本で見るより<ruby><rb>遥</rb><rt>はる</rt></ruby>かに面白い。「アーヴィング」のも見たいものだ。十一時五分前になった。書物を抱えて家を出た。

僕の下宿は東京で云えばまず深川だね。橋向うの場末さ。下宿料が安いからかかる不景気なところにしばらく――じゃない、つまり在英中は<ruby><rb>始終</rb><rt>しじゅう</rt></ruby><ruby><rb>蟄息</rb><rt>ちっそく</rt></ruby>しているのだ。その代り下町へは<ruby><rb>滅多</rb><rt>めった</rt></ruby>に出ない。一週に一二度出るばかりだ。出るとなると厄介だ。まず「ケニントン」と云う処まで十五分ばかり<ruby><rb>徒行</rb><rt>ある</rt></ruby>いて、それから地下電気でもって「テームス」川の底を通って、それから汽車を乗換えて、いわゆる「ウエスト・エンド」辺に行くのだ。停車場まで<ruby><rb>着</rb><rt>つい</rt></ruby>て十銭払って「リフト」へ乗った。<ruby><rb>連</rb><rt>つれ</rt></ruby>が三四人ある。駅夫が入口をしめて「リフト」の<ruby><rb>縄</rb><rt>なわ</rt></ruby>をウンと引くと「リフト」がグーッとさがる、それで地面の下へ抜け出すという趣向さ。せり上る時はセビロの<ruby><rb>仁木弾正</rb><rt>にっきだんじょう</rt></ruby>だね。穴の中は電気灯であかるい。汽車は五分ごとに出る。今日はすいている、<ruby><rb>善按排</rb><rt>いいあんばい</rt></ruby>だ。隣りのものも前のものも次の車のものも皆新聞か雑誌を出して読んでいる。これが一種の習慣なのである。吾輩は穴の中ではどうしても本などは読めない。第一空気が<ruby><rb>臭</rb><rt>くさ</rt></ruby>い、汽車が揺れる、ただでも吐きそうだ。まことに不愉快極まる。停車場を四ばかりこすと「バンク」だ。ここで汽車を乗りかえて一の穴からまた他の穴へ移るのである。まるでもぐら持ちだね。穴の中を一町ばかり行くといわゆる two pence Tube さ。これは東「バンク」に始まって<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>をズット西へ横断している新しい地下電気だ。どこで乗ってもどこで下りても二文すなわち日本の十銭だからこう云う名がついている。乗った。ゴーと云って向うの穴を反対の方角に列車が出るのを相図に、こっちの列車もゴーと云って負けない気で進行し始めた。車掌が next station Post\-office といってガチャリと車の戸を閉めた。とまるたびにつぎの停車場の名を報告するのがこの鉄道の特色なのである。向うの方に若い女と四十<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>の女が差し向いに座を占めていた。吾輩の右に一間ばかり<ruby><rb>隔</rb><rt>へだた</rt></ruby>って婆さんと娘がベチャベチャ話しをしている。向うの連中は雑誌を読みながら「ビスケット」か何かかじっている。平凡な乗合だ。少しも小説にならない。

もう<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>になったからこれで<ruby><rb>御免蒙</rb><rt>ごめんこうむ</rt></ruby>る。実は僕の先生の話しをしたいのだがね。よほど奇人で面白いのだから。しかし少々頭がいたいからこれで御勘弁を願おう。四月九日夜。

二

また「ホトトギス」が届いたから出直して一度伺おう。我輩の下宿の体裁は前回申し述べたごとくすこぶる<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れっぽい始末だが、そういう<ruby><rb>境界</rb><rt>きょうがい</rt></ruby>に澄まし返って三十代の<ruby><rb>顔子然</rb><rt>がんしぜん</rt></ruby>としていられるかと君方はきっと聞くに違いない。聞かなくっても聞く事にしないとこっちが不都合だからまず聞くと認める。ところで我輩が君らに答えるんだ、<ruby><rb>懸価</rb><rt>かけね</rt></ruby>のないところを答えるんだから、そのつもりで聞かなくっては行けない。

我輩も時には禅坊主みたような変哲学者のような悟りすました事も云って見るが、やはり大体のところが御存じのごとき俗物だからこんな窮屈な暮しをして<ruby><rb>回</rb><rt>かい</rt></ruby>やその楽をあらためず賢なるかなと<ruby><rb>褒</rb><rt>ほ</rt></ruby>められる権利は毛頭ないのだよ。そんならなぜもっと愉快な所へ移らないかと云うかも知れないが、そこに大に理由の存するあり焉さ。まず聞きたまえ。なるほど留学生の学資は御話しにならないくらい少ない。<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>ではなおなお少ない。少ないがこの留学費全体を投じて衣食住の方へ廻せば我輩といえども<ruby><rb>最少</rb><rt>もうすこ</rt></ruby>しは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つ事は<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>ないが（国にいれば高等官一等から五つ下へ<ruby><rb>勘定</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>すれば直ぐ僕の番へ<ruby><rb>巡</rb><rt>ま</rt></ruby>わってくるのだからね。もっとも下から勘定すれば四つで来てしまうんだから日本でもあまり威張れないが）とにかくこれよりもさっぱりした家へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>れる。然るにあらゆる節倹ををしてかようなわびしい<ruby><rb>住居</rb><rt>すまい</rt></ruby>をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分ではない単に学生であると云う感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだから成る事なら一冊でも余計専門上の書物を買って帰りたい慾があるからさ。そこで家を持って<ruby><rb>下婢</rb><rt>かひ</rt></ruby>共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で<ruby><rb>雪駄</rb><rt>せった</rt></ruby>のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構？　まず結構だと思っているのさ。人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うかも知れないがそんな事に<ruby><rb>頓着</rb><rt>とんじゃく</rt></ruby>する必要はない。かような<ruby><rb>陋巷</rb><rt>ろうこう</rt></ruby>におったって引張りと近づきになった事もなし<ruby><rb>夜鷹</rb><rt>よたか</rt></ruby>と話をした事もない。心の底までは受合わないがまず挙動だけは君子のやるべき事をやっているんだ。実に立派なものだと自ら慰めている。

しかしながら冬の夜のヒューヒュー風が吹く時にストーヴから煙りが逆戻りをして室の中が真黒に一面に<ruby><rb>燻</rb><rt>いぶ</rt></ruby>るときや、窓と戸の<ruby><rb>障子</rb><rt>しょうじ</rt></ruby>の<ruby><rb>隙間</rb><rt>すきま</rt></ruby>から寒い風が遠慮なく<ruby><rb>這込</rb><rt>はいこ</rt></ruby>んで股から腰のあたりがたまらなく冷たい時や、板張の椅子が堅くって<ruby><rb>疝気持</rb><rt>せんきもち</rt></ruby>の尻のように痛くなるときや、自分の着ている着物がぜんぜん変色して来るにつれて自分がだんだん下落するような情ない心持のする時は、何のためにこんな切りつめた生活をするんだろうと思う事もある。エー構わない。本も何も買えなくても善いから<ruby><rb>為替</rb><rt>かわせ</rt></ruby>はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しをしようという気になる。それからステッキでも振り回わしてその辺を散歩するのである。向へ出て見ると<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>う<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>も逢う奴も皆んな<ruby><rb>厭</rb><rt>いや</rt></ruby>に<ruby><rb>背</rb><rt>せ</rt></ruby>いが高い。おまけに<ruby><rb>愛嬌</rb><rt>あいきょう</rt></ruby>のない顔ばかりだ。こんな国ではちっと人間の背いに税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだろうなどと考えるが、それはいわゆる負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な処が向うの方がどうしても立派だ。何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向うから人間並外れた低い奴が来た。<ruby><rb>占</rb><rt>しめ</rt></ruby>たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち<ruby><rb>乃公</rb><rt>だいこう</rt></ruby>自身の影が姿見に写ったのである。やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑いをする。これは理の当然だ。それから公園へでも行くと角兵衛獅子に網を<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>せたような女がぞろぞろ<ruby><rb>歩行</rb><rt>ある</rt></ruby>いている。その中には男もいる。職人もいる。感心に大概は日本の奏任官以上の服装をしている。この国では衣服では人の高下が分らない。牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。しかし一般に人気が<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>い。我輩などを捕えて悪口をついたり<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>ったりするものは一人もおらん。ふり向いても見ない。当地では万事<ruby><rb>鷹揚</rb><rt>おうよう</rt></ruby>に平気にしているのが紳士の資格の一つとなっている。むやみに<ruby><rb>巾着切</rb><rt>きんちゃくき</rt></ruby>りのようにこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品となっている。ことに婦人なぞは後ろをふりかえって見るのも品が悪いとなっている。指で人をさすなんかは失礼の骨頂だ。習慣がこうであるのにさすが<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>は世界の<ruby><rb>勧工場</rb><rt>かんこうば</rt></ruby>だからあまり珍らしそうに外国人を<ruby><rb>玩弄</rb><rt>がんろう</rt></ruby>しない。それからたいていの人間は非常に忙がしい。頭の中が金の事で充満しているから日本人などを冷かしている暇がないというような訳で、我々黄色人――黄色人とは<ruby><rb>甘</rb><rt>うま</rt></ruby>くつけたものだ。全く黄色い。日本にいる時はあまり白い方ではないがまず一通りの人間色という色に近いと心得ていたが、この国ではついに人\-間\-を\-去\-る\-三\-舎\-色と言わざるを得ないと悟った――その黄色人がポクポク人込の中を<ruby><rb>歩行</rb><rt>ある</rt></ruby>いたり芝居や興行物などを見に行かれるのである。しかし時々は我輩に聞えぬように我輩の国元を気にして評する奴がある。この間或る所の店に立って見ていたら後ろから二人の女が来て“least poor Chinese”と評して行った。least poor とは物匂い形容詞だ。或る公園で男女二人連があれは支那人だいや日本人だと争っていたのを聞た事がある。二三日前さる所へ呼ばれてシルクハットにフロックで出かけたら、向うから来た二人の職工みたような者が a handsome Jap\. といった。ありがたいんだか失敬なんだか分らない。せんだって或芝居へ行った。大入で<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>れないからガレリーで立見をしていると傍のものが、あすこにいる二人は<ruby><rb>葡萄耳</rb><rt>ポルトガル</rt></ruby>人だろうと評していた。――こんな事を話すつもりではなかった。話しの筋が分らなくなった。ちょっと一服してから出直そう。

まず散歩でもして帰るとちょっと気分が変って来て晴々する。何こんな生活もただ二三年の間だ。国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食う物を食って普通の人の寝る処へ寝られる。少しの我慢だ、我慢しろ我慢しろ、と<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り<ruby><rb>言</rb><rt>ごと</rt></ruby>をいって寝てしまう。寝てしまう時は善いが、寝られないでまた考え出す事がある。元来我慢しろと云うのは現在に安んぜざる訳だ――だんだん事件がむずかしくなって来る――時々やけの気味になるのは貧苦がつらいのだ。年来自分が考えたまた自分が多少実行し来りたる処世の方針はどこへ行った。前後を切断せよ、<ruby><rb>妄</rb><rt>みだ</rt></ruby>りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働けというのが<ruby><rb>乃公</rb><rt>だいこう</rt></ruby>の主義なのである。しかるに国へ帰れば楽ができるからそれを楽しみに<ruby><rb>辛防</rb><rt>しんぼう</rt></ruby>しようと云うのははかない考だ。国へ帰れば楽をさせると受合ったものは誰もない。自分がきめているばかりだ。自分がきめてもいいから楽ができなかった時にすぐ<ruby><rb>機鋒</rb><rt>きほう</rt></ruby>を転じて過去の<ruby><rb>妄想</rb><rt>もうそう</rt></ruby>を忘却し得ればいいが、今のように未来に御願い申しているようではとうていその未来が満足せられずに過去と変じた時にこの過去をさらりと忘れる事はできまい。のみならず報酬を目的に働らくのは<ruby><rb>野暮</rb><rt>やぼ</rt></ruby>の至りだ。死ねば天堂へ行かれる、未来は<ruby><rb>雨蛙</rb><rt>あまがえる</rt></ruby>といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層<ruby><rb>陋劣</rb><rt>ろうれつ</rt></ruby>な考だ。国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や<ruby><rb>愚痴</rb><rt>ぐち</rt></ruby>は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。それで少々得意になったので外国へ行っても金が少なくっても<ruby><rb>一箪</rb><rt>いったん</rt></ruby>の食<ruby><rb>一瓢</rb><rt>いっぴょう</rt></ruby>の飲然と<ruby><rb>呑気</rb><rt>のんき</rt></ruby>に<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃらく</rt></ruby>にまた沈着に暮されると自負しつつあったのだ。<ruby><rb>自惚</rb><rt>うぬぼれ</rt></ruby><ruby><rb>自惚</rb><rt>うぬぼれ</rt></ruby>！　こんな事では道を去る事三千里。まず明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。こう決心して寝てしまう。

かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。おったのみならずこの先も留学期限のきれるまではここにおったかも知れぬのである。しかるにここに或る出来事が起っていくらおりたくっても退去せねばならぬ事となった、というと何か小説的だが、その訳を聞くとすこぶる平凡さ。世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。この家はもとからの下宿ではない。去年までは女学校であったので、ここの<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な<ruby><rb>商買</rb><rt>しょうばい</rt></ruby>を始めたのである。彼らは<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より不正な人間ではない。正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。しかし<ruby><rb>耶蘇教</rb><rt>ヤソきょう</rt></ruby>の神様も存外<ruby><rb>半間</rb><rt>はんま</rt></ruby>なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。そこでもって家賃が<ruby><rb>滞</rb><rt>とどこお</rt></ruby>る――<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>の家賃は高い――借金ができる、寄宿生の中に熱病が<ruby><rb>流行</rb><rt>はや</rt></ruby>る。一人退校する、二人退校する、しまいに閉校する。……運命が<ruby><rb>逆</rb><rt>さかさ</rt></ruby>まに回転するとこう行くものだ。可憐なる彼ら――可憐は取消そう二人とも可憐という<ruby><rb>柄</rb><rt>がら</rt></ruby>ではない――エー<ruby><rb>不憫</rb><rt>ふびん</rt></ruby>なる――憫然なる彼らはあくまでも困難と奮戦しようという決心でついに下宿を開業した。その開業したての煙の出ているところへ我輩は飛び込んだのである。飛び込んでからだんだん事情を聞いたときにこんどこそはこの二人の少女、ではない我輩より三寸ばかり<ruby><rb>背</rb><rt>せ</rt></ruby>いの高い女に成功あらしめたまえと<ruby><rb>私</rb><rt>ひそ</rt></ruby>かに祈念を<ruby><rb>凝</rb><rt>こ</rt></ruby>らした。誰れに祈念を凝らしたと聞かれると少々困る。祈るべき神に交際の無い拙者だから、ただあてどもなく祈念した。<ruby><rb>果</rb><rt>はた</rt></ruby>せるかないっこう霊現がない。ちっとも客が来ない。「夏目さん、あなたの御存じの方でいらしっていただく方はありますまいか」「さよう、実に御気の毒だから周旋したいのだが、<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>には別に<ruby><rb>朋友</rb><rt>ほうゆう</rt></ruby>というものがないから――」。それでもせんだってまでは日本人が一人おった。この先生はすこぶる陽気な人でこんな家には向かない。我輩がほととぎすを読んでいるのを見て、君も天智天皇の方はやれるのかいと<ruby><rb>聴</rb><rt>きい</rt></ruby>た男だ。その日本人がとうとう逃出す。残るは我輩一人だ。こうなると家を畳むより仕方がない。そこでこれから南の方にあたる倫敦の町外れ――町外れと云っても倫敦は広い、どこまで広がるか分らない――その町外れだからよほど<ruby><rb>辺鄙</rb><rt>へんぴ</rt></ruby>な処だ。そこに<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>な<ruby><rb>小奇麗</rb><rt>こぎれい</rt></ruby>な新宅があるので、そこへ引越そうという相談だ。或日亭主と<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さんが出て行って我輩と妹が差し向いで食事をしていると陰気な声で「あなたもいっしょに引越して下さいますか」といった。この「下さいますか」が色気のある小説的の「下さいますか」ではない。色沢気抜きの<ruby><rb>世帯染</rb><rt>しょたいじみ</rt></ruby>た「下さいますか」である。我輩がこの語を聞いたときは非常にいやな可愛想な気持ちがした。元来我輩は江戸っ児だ。しかるに朱引内か朱引外か少々<ruby><rb>曖昧</rb><rt>あいまい</rt></ruby>な所で生れた<ruby><rb>精</rb><rt>せい</rt></ruby>か知らん今まで江戸っ児のやるような心持ちのいい慈善的事業をやった事がない。今何と答をしたかたしかに覚えておらん。いやしくも一遍の<ruby><rb>義侠心</rb><rt>ぎきょうしん</rt></ruby>があるならば、うんあなたの移る処ならどこでも移ります、と答えるはずなのだ。そうは答えなかったらしい。ここにそう答えられない訳がある。なるほどこの妹はごく内気なおとなしいしかも非常に堅固な宗教家で、我輩はこの女と家を共にするのは<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>も不愉快を感じないが、姉の方たる少々<ruby><rb>御転</rb><rt>おてん</rt></ruby>だ。この姉の経歴談も<ruby><rb>聞</rb><rt>きい</rt></ruby>たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意気だ、第二知ったかぶりをする、第三つまらない英語を使ってあなたはこの字を知っておいでですかと聞く事がある。一々<ruby><rb>勘定</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>すれば際限がない。せんだってトンネルと云う字を知っているかと聞た。それから straw すなわち<ruby><rb>藁</rb><rt>わら</rt></ruby>という字を知っているかと聞た。英文学専門の留学生もこうなると怒る張合もない。近頃は少々見当がついたと見えてそんな失敬な事も言わない。また一般の挙動も大に<ruby><rb>叮嚀</rb><rt>ていねい</rt></ruby>になった。これは漱石が一言の争もせず<ruby><rb>冥々</rb><rt>めいめい</rt></ruby>の<ruby><rb>裡</rb><rt>うち</rt></ruby>にこの御転婆を屈伏せしめたのである。――そんな得意談はどうでも<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>いとして、この国の女ことに婆さんとくると、いわゆる老婆親切と云う訳かも知れんが、自分の使う英語に頼みもせぬ註解を加えたり、この字は分りますかなどという事がたくさんある。この間さる処へ呼ばれてそこの奥さんと<ruby><rb>談</rb><rt>はな</rt></ruby>しをした。するとその人が大の<ruby><rb>耶蘇</rb><rt>ヤソ</rt></ruby>信者だからたまらない。<ruby><rb>滔々</rb><rt>とうとう</rt></ruby>と神徳を述べ立てた。まことに品の善い、しとやかな御婆さんだ。しかる処 evolution と云う字を御承知ですかと聞かれた。「世の中の事は乱雑で法則がないようですがよく御覧になると皆進化の道理に支配されております……進化……分りますか」。まるで赤ん坊に説教するようだ。<ruby><rb>向</rb><rt>むこう</rt></ruby>は親切に言ってくれるんだから、へーへーと云っているより仕方がない。それはこの婆さんのようにベラベラしゃべる事はできない。<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>などもただ<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>の処へせり上って来た字を使ってほっと一息つくくらいの仕儀なんだから向うでこっちを見くびるのは無理はないが、離れ離れの言語の数から云えばあなたよりも我輩の方が余計知っておりますよといってやりたいくらいだ。それからよく御婆さんを引合に出すが、もう一人御婆さんがある。この御婆さんがせんだって手紙をよこしてその中に folk という字を使っている。ただ使っているばかりなら不思議はないが、その字に foot note が付いている。これは英国古代の字なりとあった。「ノート」を自分の手紙へつけるのも面白いが、そのノートの文句がなおさら面白い。この御婆さんと船へ合乗をした時に、何か文章を書け、直してやるというから、日記の一節を出してよろしくおたのもうす事にした。すると大変感心したといって二三所一二字添削して返した。見ると直さなくってもけっして<ruby><rb>差支</rb><rt>さしつかえ</rt></ruby>のない所を直している。そしてとんでもない間違った事が例のノート的で書いてある。この御婆さんはけっして下等な人でない。相応な身分のある中流の人である。かくのごとき人間に<ruby><rb>邂逅</rb><rt>かいこう</rt></ruby>する英国だから、我下宿の妻君が生意気な事を云うのも別段相手にする必要はないが、同じ英国へ来たくらいなら今少し学問のある話せる人の家におって、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい。こう云う望があるから、へー行きましょうとは答えなかったが、自分の望み通りの人で下宿人を置く処があるかそれがすこぶる疑わしい。広い世界にはあるだろう。けれどもそれに<ruby><rb>逢着</rb><rt>ほうちゃく</rt></ruby>するのは難中の難事である。我輩の先生の処が一間あいておれば置てもらうのだけれども、それは間がないのだからできない相談だ。こう云う時になると西洋の新聞は便利だ。万事広告の世界なのだから下宿の広告がいくらでもある。我輩が以前下宿をさがす時 Daily Telegraph の下宿の広告欄を見た事がある。始めから終りまで読むのに三時間かかった事を<ruby><rb>記臆</rb><rt>きおく</rt></ruby>している。今は「テレグラフ」を取っておらん、「スタンダード」だ。この新聞は上品な新聞だからここへ出る広告なら間違はないと思って四月十七日の分の広告欄を読み始めると、存外営業的のが多くって素人家へ置きたいと云うのが少ない。しかしいろいろのがある。「宿料低廉、風呂付、食物上等」こんなのは普通なのだ。「ハイドパークに面し地下電気へ三分地下鉄道へ五分、貴女と交際の便利あり」なんと云うのがある。「球突随意ピヤノあり gay society, late dinner」これも珍らしくない。「レートジンナー」と云うのはこの頃の流行なのだ。<ruby><rb>我輩</rb><rt>わがはい</rt></ruby>などには<ruby><rb>至極</rb><rt>しごく</rt></ruby>不便だ。その中で下のようなのを見出した。「立派なる室を有する寡婦及その妹と共に同宿せんとするあまり派出やかならざる紳士を求む。御望の方は○○筆墨店へ御一報を乞う」。まずここへでも一つあたってみようと云う気になったから直ぐ手紙を書いて、宿料その他委細の事を報知して貰いたい、小生の身分はかくかく職業はかくかく、なるべく低廉でなるべく愉快な処に住みたいと勝手な事をかいてやった。

その夜の十時頃自分の<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>で読書をしていると、室の戸をコツコツ叩くものがある。“Yes, come in\.”といったら宿の亭主がニコニコして<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来た。「実はあなたも御承知の通りこの度引越す事にきまりましたが、どうでしょう、向うはここよりも大分<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>でかつ器具などもよほど上等にしますが、来ていただく訳には参りますまいか」「それは君の方で僕に是非来てくれと言うのなら……」「イエ是非といって御無理を願う訳ではありませんが、御都合がよければ――実は<ruby><rb>御馴染</rb><rt>おなじみ</rt></ruby>にもなっておりますし家内や妹も大変それを希望致しますから」「君の新宅へ下宿人を置きたいという事は僕も承知していますが、あながち僕でなくっても<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>いだろうと思ってね」と実はこれこれだと話すと、亭主の顔が少々陰気になって来た。我輩も少々<ruby><rb>手持無沙汰</rb><rt>てもちぶさた</rt></ruby>である。「それじゃこうしよう、いずれ先方から返事が来る、来ればひとまず行って室を見て、それが気に入らなかったら君の方へ行くとしよう、ほかを探す事はやめにして。あの手紙を出す前に君の方の希望がどのくらいの程度だか分っていれば、聞き合せるまでもない御望みに応じたのだが、こうなっては仕方がない。まず先方の返事次第ですね。その代りほかはけっしてさがさない。あれがいけなければきっと君の方へ行きますよ」。亭主は御邪魔様といって下りて行った。

朝になって食堂へ行くと誰もいない。皆んな飯をすました後である。ああ今日も寝坊して気の毒だなと思って「テーブル」の上を見ると、<ruby><rb>薄紫色</rb><rt>うすむらさきいろ</rt></ruby>の状袋の四隅を一分ばかり濃い<ruby><rb>菫色</rb><rt>すみれいろ</rt></ruby>に染めた封書がある。我輩に来た返事に違いない。こんな表の状袋を用るくらいでは少々我輩の手に合わん高等下宿だなと思ながら「ナイフ」で開封すると、「御問合せの件に付申上候。この家はレデー（このレデーという字の下に棒が引いてある）の所有にて室内の装飾の立派なるはもちろん室々はことごとく電気灯を用いよき召使を雇い高尚優雅なる生活に適するように意を用い候。宿料は一週三十三円に御座候。あるいは御気に召さぬかと存じ候えども、<ruby><rb>御出被下</rb><rt>おいでくだされ</rt></ruby>候えば喜こんで室々御案内<ruby><rb>可仕</rb><rt>つかまつるべく</rt></ruby>候、敬具」。飯を食いながら呼鈴を押して宿の<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さんを呼んだ。「とうとうあなたの方へ行く事にしましたよ。一週三十三円の下宿料なんかとうてい我輩には払えんから君の方へ行きましょうよ」「はあそうですか、どうもありがとう、なるべく気をつけますからどうぞさよう願いたいもので」。細君が出て行った後から亭主の首が半分戸の間から出た。Thank you, Mr\. Natsume, thank you\. と言ってニコニコ笑った。我輩も少々<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しいような心持ちがした。細君と妹は引越しの荷ごしらえで終日急がしい。七時に茶を飲むときに食堂で<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>った。「今日は飼っていた<ruby><rb>鸚鵡</rb><rt>おうむ</rt></ruby>を売りました」と妹がいった。姉もまけずに「前使った学校の<ruby><rb>招牌</rb><rt>かんばん</rt></ruby>も売りました。十円に買って行きました」と云った。

運命の車は容赦なく廻転しつつある。我輩の前および彼ら二人の前にはいかなる出来事が横わりつつあるか。我らは三人ながら愚な事をしているかも知れぬ。愚かも知れぬ、また利口かも知れぬ。ただ我輩の運命が彼ら二人の運命と漸々接近しつつあるは事実である。後を<ruby><rb>顧</rb><rt>かえり</rt></ruby>みてかの薄紫の貴女及びその妹の事とその<ruby><rb>門構付</rb><rt>もんがまえつき</rt></ruby>の家を想像し、前を見てこの貧困なるしかし正直なる二人の姉妹とその未来の楽園と予期しつつある<ruby><rb>格子戸作</rb><rt>こうしどづく</rt></ruby>りを想像して、両者の差違を趣味あるようにも感ずる。また貧富の懸隔はかように色気なき物かとも感ずる。またミカウバーと住んでおったデヴィッド・カッパーフィールドのような感じもする。四月二十日。

三

<ruby><rb>朋友</rb><rt>ほうゆう</rt></ruby>その朋友と共に我輩が生活を共にするところの朋友姉妹の事については前回少しく述ぶるところあったが、このほかに我輩がもっとも敬服しもっとも<ruby><rb>辟易</rb><rt>へきえき</rt></ruby>するところの朋友がまだ一人ある。姓はペン<ruby><rb>渾名</rb><rt>あだな</rt></ruby>は bedge pardon なる聖人の事を少しく報道しないでは何だか気がすまないから、同君の事をちょっと御話して、次回からは方面の変った目撃談観察談を御紹介仕ろう。そもそもこのペンすなわち内の下女なるペンになぜ我輩がこの渾名を呈したかと云うと、彼は舌が短かすぎるのか長すぎるのか<ruby><rb>呂律</rb><rt>ろれつ</rt></ruby>が少々廻り兼ねる善人なる故に I beg your pardon と云う代りにいつでも bedge pardon と云うからである。ベッジ・パードンは名のごとくいかにもベッジ・パードンである。しかし非常な能弁家で、彼の舌の先から<ruby><rb>唾液</rb><rt>だえき</rt></ruby>を容赦なく我輩の顔面に吹きかけて話し立てる時などは<ruby><rb>滔々滾々</rb><rt>とうとうこんこん</rt></ruby>として<ruby><rb>惜</rb><rt>おし</rt></ruby>い時間を遠慮なく人に<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>させて<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>も気の毒だと思わぬくらいの善人かつ雄弁家である。この善人にして雄弁家なるベッジパードンは<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>に生れながらまるで倫敦の事を御存じない。<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>は無論御存じない。また御存じなさりたくもない様子だ。朝から晩まで晩から朝まで働き続けに働いてそれから四階のアッチックへ登って寝る。翌日日が出ると四階から<ruby><rb>天降</rb><rt>あまくだ</rt></ruby>ってまた働き始める。息をセッセとはずまして――彼は<ruby><rb>喘息持</rb><rt>ぜんそくもち</rt></ruby>である――はたから見るのも気の毒なくらいだ。さりながら彼は<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>も自分に対して気の毒な感じを持っておらぬ。Ａの字かＢの字か<ruby><rb>見当</rb><rt>けんとう</rt></ruby>のつかぬ彼は少しも不自由らしい様子がない。我輩は朝夕この女聖人に接して敬慕の念に<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>えんくらいの次第であるが、このペンに捕って話しかけられた時は幸か不幸かこれは他人に判断して貰うより仕方がない。日本にいる人は英語なら誰の使う英語でも大概似たもんだと思っているかも知れないが、やはり日本と同じ事で、国々の方言があり身分の高下がありなどして、それはそれは千違万別である。しかし教育ある上等社会の言語はたいてい通ずるから<ruby><rb>差支</rb><rt>さしつかえ</rt></ruby>ないが、この<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>のコックネーと称する言語に至っては我輩にはとうてい分らない。これは当地の中流以下の用うる<ruby><rb>語</rb><rt>こと</rt></ruby>ばで字引にないような発音をするのみならず、前の言ばと後の言ばの句切りが分らないことほどさよう早く<ruby><rb>饒舌</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>るのである。我輩はコックネーでは毎度閉口するが、ベッジパードンのコックネーに至っては閉口を通り過してもう一遍閉口するまで少々<ruby><rb>草臥</rb><rt>くたびれ</rt></ruby>るから開口一番ちょっと休まなければやり切れないくらいのものだ。我輩がここに下宿したてにはしばしばペンの襲撃を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>って恐縮したのである。やむをえずこの旨を<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さんに届け出ると、可愛想にペンは大変御小言を頂戴した。御客様にそんなぶしつけな<ruby><rb>方</rb><rt>ほう</rt></ruby>があるものか以後はたしなむが善かろうときめつけられた。それから従順なるペンはけっして我輩に口をきかない。ただし口をきかないのは妻君の内にいる時に限るので、山の神が外へ出た時には依然としてもとのペンである。もとのペンが無言の業をさせられた口惜しまぎれに折を見て元利共取返そうと云う勢でくるからたまらない。一週間無理に断食をした先生が八日目に<ruby><rb>御櫃</rb><rt>おひつ</rt></ruby>を抱えて奮戦するの慨がある。

例のごとくデンマークヒルを散歩して帰ると、我輩のために戸を開いたるペンは直ちにしゃべり出した。果せるかな家内のものは皆新宅へ荷物を<ruby><rb>片付</rb><rt>かたづけ</rt></ruby>に行って<ruby><rb>伽藍堂</rb><rt>がらんどう</rt></ruby>の中に残るは我輩とペンばかりである。彼は立板に水を流すがごとく<ruby><rb>娓々</rb><rt>びび</rt></ruby>十五分間ばかりノベツに何か云っているが<ruby><rb>毫</rb><rt>ごう</rt></ruby>もわからない。能弁なる彼は我輩に一言の質問をも<ruby><rb>挟</rb><rt>さしは</rt></ruby>さましめざるほどの速度をもって弁じかけつつある。我輩は仕方がないから話しは分らぬものと<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>めてペンの顔の<ruby><rb>造作</rb><rt>ぞうさく</rt></ruby>の吟味にとりかかった。温厚なる<ruby><rb>二重瞼</rb><rt>ふたえまぶた</rt></ruby>と先が少々逆戻りをして根に近づいている鼻とあくまで<ruby><rb>紅</rb><rt>くれな</rt></ruby>いに健全なる顔色とそして自由自在に運動を<ruby><rb>縦</rb><rt>ほしい</rt></ruby>ままにしている舌と、舌の両脇に流れてくる白き唾とをしばらくは無心に見つめていたが、やがて気の毒なような可愛想のようなまたおかしいような<ruby><rb>五目鮨司</rb><rt>ごもくずし</rt></ruby>のような感じが起って来た。我輩はこの感じを現わすために唇を曲げて少しく微笑を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らした。無邪気なるペンはその辺に気のつくはずはない。自分の<ruby><rb>噺</rb><rt>はなし</rt></ruby>に身が<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>って笑うのだと<ruby><rb>我点</rb><rt>がてん</rt></ruby>したと見えて赤い頬に<ruby><rb>笑靨</rb><rt>えくぼ</rt></ruby>をこしらえてケタケタ笑った。この<ruby><rb>頓珍漢</rb><rt>とんちんかん</rt></ruby>なる出来事のために我輩はいよいよ変テコな心持になる、ペンはますます乗気になる、始末がつかない。彼の云う所をあそこで一言ここで一句、分ったところだけ<ruby><rb>綜合</rb><rt>そうごう</rt></ruby>して見るとこういうのらしい。昨日差配人が談判に来た。内の女連はバツが悪いから留守を使って追い返した。この玄関払の使命を<ruby><rb>完</rb><rt>まっと</rt></ruby>うしたのがペンである。自分は<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>をつくのは<ruby><rb>嫌</rb><rt>いや</rt></ruby>だ。神さまにすまない。しかし主命もだしがたしでやむをえず嘘をついた。まずたいていここら当りだろうと遠くの火事を見るように見当をつけてようやく自分の部屋へ引き下った。我輩のトランクと書籍は今朝三時頃主人が新宅へ運んでしまったので、残るのは身体ばかりだ。何となく<ruby><rb>寂漠</rb><rt>せきばく</rt></ruby>の感がある。夜の八時頃にコツコツ戸を叩いて<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来た――例のペンが――今日差配人が四度来たという注進だ。それから何かいうが少しも解しかねる。あまり面倒だから善い加減にして追さげる。……十時頃にまたペンが来た。今度差配が来たらどうしようという。今度は相談のためだ。心配するには及ばんといって慰めて引きさがらせる。十時半になるがまだ内のものは帰らない。もしここの亭主が<ruby><rb>詐欺師</rb><rt>さぎし</rt></ruby>であって我輩を置き去りにして荷物だけ取って行ったとすれば我輩はアンポンタンの骨頂でさぞかし人に笑われるだろうと気がついた。やがて門の戸のあく音がする。帰ったらしい。まずアンポンタンにならずにすんだ。ありがたいと寝る。

翌日が四月二十五日、九時頃起きて下へ行くと主人夫婦が今朝飯をすましたところだ。我輩が食卓につくのを相図に昨夜の騒動を御存じですかと神さんが尋ねた。我輩は三階に寝るのである。下でどんな事があったか少しも知らない。騒動って何があったのですと聞くと、例の差配人との<ruby><rb>悶着</rb><rt>もんちゃく</rt></ruby>一件である。昨夜彼らが新宅から帰って家へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>る<ruby><rb>途端</rb><rt>とたん</rt></ruby>門口に待ち設けていた差配人は、亭主が戸をしめる余地のないほど早く彼らに続いて飛び込んで、なぜ断りなしにしかも深夜に引越をするそれでも君は紳士かと云うと、我輩が我輩の荷物をわきへ運ぶに誰に断わる必要がある。また何時に荷を出そうとこっちの勝手じゃないかと亭主が抗弁する。それからだんだん議論に花が咲いて<ruby><rb>壮語</rb><rt>そうご</rt></ruby>四隣を驚かすと云う騒ぎであったそうな。元来この家は神さんの名前でかりている。ところが七年前に少々家賃を<ruby><rb>滞</rb><rt>とどこ</rt></ruby>おらしたのが今日まで<ruby><rb>祟</rb><rt>たた</rt></ruby>っていて出る事ができん。しかも彼の財産は早晩家賃のかたに取られるという始末だ。しかし<ruby><rb>憐</rb><rt>あわ</rt></ruby>れなる姉妹は別段取押えられて困るような物も持っていない。差配もそれには目をつけておらん。ただこの老差配の目ざしているのは亭主その人の家財にある。亭主も二十世紀の人間だからその辺に抜かりはない。代言人の所へ行ってちゃんと相談している。日没後日出前なれば彼の家具を運び出しても差配は指を<ruby><rb>啣</rb><rt>くわ</rt></ruby>えて見物しておらねばならぬと云う事を承知している。それだから朝の三時頃から大八車を<ruby><rb>￼</rb><rt>やと</rt></ruby>って来て一晩寝ずにかかって自分の荷を新宅へ運んだのである。彼はすこぶる<ruby><rb>尨大</rb><rt>ぼうだい</rt></ruby>なるシマリのない顔をしている。そこで申訳のために少々鼻の下へ<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>をはやしてはいるが、なかなか差配に負けぬ抜目のない男と見える。

我輩は亭主に自分の<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>はいつ移れるのかと聞いたら今日でもよいというから、<ruby><rb>午飯</rb><rt>ひるめし</rt></ruby>の後妻君と共に新宅へ引き移る事にした。

神さんと二人で午飯を食っていると亭主が代言人の所から帰って来て神さんに、御前一つ手紙をかいて差配の所へ郵便でやれ書留にしなくてはいかんといってまた出て行った。神さんはサラサラ何か書き始める。どんな手紙をかくか少々見たい心持でもある。やがて神さんは書き<ruby><rb>了</rb><rt>おわ</rt></ruby>って「ちょっと○○さんこういう手紙なんです聞いて下さい」と高慢な顔をして手紙を読み始める。「拝啓妾は驚入申候。……どうですもう少しゆっくり読みましょうか……妾は驚き入申候。昨日は三度ならず四度までも留守宅へ御来臨の上<ruby><rb>下婢</rb><rt>かひ</rt></ruby>に向って妾ら身の上に関する種々なる質問を発せられ、それのみならず無断にて人の家を捜索なされ、あまつさえ下婢に向って妾はレデーの資格なきものなりなど余計な事を<ruby><rb>吹聴</rb><rt>ふいちょう</rt></ruby>せられ候由、元来右はいかなる御主意に御座候や伺度候。この乱暴なる貴下の挙動に対し妾は弁解を求むる権利ありと存候。……こう云うのです。これがね策なんですよ」と云うから我輩も少々驚き入申しておるところだが、策って云うのはどんな策なんですと聞くと、先生いよいよ得意だ。ようござんすか、御手紙を書いてちゃんとこの通り控えをとっておくでしょう、先方でもしこの事件を裁判沙汰にする日にはこれが<ruby><rb>証拠</rb><rt>しょうこ</rt></ruby>になって差配が乱暴を働いたという種になるのですよ。今までは女二人だと思ってずいぶん勝手な事ばかりしたのですが、今じゃ男がついているからそうばかり踏みつけられちゃいませんのさ、と間接に亭主の自慢を仰せられた。それから御待遠様それでは出かけましょうと云うから出かけた。我輩は<ruby><rb>手提革鞄</rb><rt>てさげかばん</rt></ruby>の中へ雑物を押し込んですこぶる重い<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>をさげてしかも左の手には<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>こうもり</rt></ruby>とステッキを二本携えている。レデーは網袋の中へ渋紙包を四つ入れて右の手にさげている。この渋紙包の一つには我輩の寝巻とヘコ帯が<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>っているんだ。左の手にはこれも我輩のシートを渋紙包にして抱えている。両人とも両手が<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>がっている。とんだ道行だ。<ruby><rb>角</rb><rt>かど</rt></ruby>まで出て鉄道馬車に乗る。ケニングトンまで二銭宛だ。レデーは私が払っておきますといって黒い皮の<ruby><rb>蟇口</rb><rt>がまぐち</rt></ruby>から一ペネー出して切符売に渡した。乗合は少ない。向側に<ruby><rb>派出</rb><rt>はで</rt></ruby>ななりをしている若い女が乗っている。すると我輩の随行しているレデーが突然あなたはメリー・コレリのマスタークリスチアンを御読みなさいましたかと大きな声で聞た。これは近頃十五万部売れたというちょっと有名な本だ。我輩は書物は持っているがまだ読まないと答えた。「あの本はね、大変<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>くできているのですがね、どうも作者の宗旨が何だか分らないのですよ。私の知っている者なんか皆んなコレリの宗旨は何だろうって<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>していますよ」とますます向側の婦人に聞えよがしである。自分だって読んだ事もないのに鉄道馬車の中なんかでよせば善いと思ったが、仕方がないからウンウンと生返事をしていた。やがてケニングトンに<ruby><rb>着</rb><rt>つい</rt></ruby>た。ここで馬車を乗り<ruby><rb>換</rb><rt>かえ</rt></ruby>る。こんどは上へ上がろうと云うから<ruby><rb>階子</rb><rt>はしご</rt></ruby>を登ってトップへ乗った。「この左りにあるのが有名な孤児院でスパージョンの紀念のために作ったのです。「スパージョン」て云うのは有名な説教家ですよ」「スパージョン」ぐらい講釈しないだって知っていら、腹が立ったから黙っててやった。「だんだん木が青くなって好い心持ですね、二週間ぐらい前からズット景色が変って来ましたね」「さよう、時にあすこに並んでいるのは何んて云う<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>ですか」「あれ？　あれはポプラーでさあね」「ヘエーあれがポプラーですか、ナールほど」我輩は感嘆の辞を発した。<ruby><rb>神</rb><rt>かみ</rt></ruby>さんはすぐツケ上る。「ポプラーはよく詩に咏じてありますよ、「テニソン」などにも出ています。どんな風の無い日でも枝が動く。アスペンとも云います。これもたしか「テニソン」にあったと思います」と「テニソン」専売だ。そのくせ何の詩にあるとも云わない。我輩は面倒臭いという風でウンウン云うのみである。向うの敷石の上を立派な婦人が<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>を長く引いて通る。「家の内での御引きずりには不賛成もありませんが、外であんな長い裾を引きずって<ruby><rb>歩行</rb><rt>ある</rt></ruby>くのはあまり体裁の善いものではありませんね」と裾短かなるレデーは我輩に教うる処あった。ようやく「ツーチング」という処へつく。今度は円太郎馬車で新宅の横町の前まで来た。「どれが内ですか」と聞いた。向うに雑な<ruby><rb>煉瓦造</rb><rt>れんがづく</rt></ruby>りの長屋が四五軒並んでいる。前には何にもない。砂利を掘った大きな穴がある。東京の小石川辺の景色だ。長屋の端の一軒だけ<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>がっていてあとはみんな貸家の札が張ってある。塞がっているのが大家さんの内でその隣が我輩の新下宿、彼らのいわゆる新パラダイスである。<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>らない先から聞しに劣る殺風景な家だと思ったが、這入って見るとなおなお不風流だ。しかのみならずどの室にも荷物が<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り込んであってまるで類焼後の立退場のようだ。ただ我輩の陣取るべき二階の一間だけが少しく<ruby><rb>方付</rb><rt>かたづい</rt></ruby>てオラレブルになっている。以前の部屋よりも<ruby><rb>奇麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>だ。装飾もまず我慢できる。やがて亭主が出て来て窓掛をコツコツ打ちつける。ストーヴの上へ額をかけるが「ミッスルトー」という額はいかがです、あれは人によると嫌いますがちょっと御覧に入れましょうと<ruby><rb>云</rb><rt>いっ</rt></ruby>て持って来て見せた。何でもない裸体画の美人だ。「ハハー裸体画ですな、結構です」と<ruby><rb>冗談</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>半分にいったら「へへへ私もちっとも構いませんがね」とコツコツ<ruby><rb>釘</rb><rt>くぎ</rt></ruby>をうってかける。「どうですこれで角度は……もう少し下向に……裸体美人があなたの方を見下すように――よろしゅうございます」。それから我輩の書棚を作ってやるといって壁の寸法と書物の寸法をとって「グードナイト」といって出て行った。

門前を通る車は一台もない。往来の人声もしない。すこぶる<ruby><rb>寂寥</rb><rt>せきりょう</rt></ruby>たるものだ。主人夫婦は事件の落着するまでは毎晩旧宅へ帰って寝なければならぬ。新宅には三階に寝る妹とカーロー君とジャック君とアーネスト君である。カーロー君とジャック君は犬の名であってアーネスト君はここの主人の店に使っている若き人間の名である。我輩の敬服しかつ<ruby><rb>辟易</rb><rt>へきえき</rt></ruby>するベッジパードンは解雇されてしまった。我輩は移転後にこの話を聞いて<ruby><rb>憮然</rb><rt>ぶぜん</rt></ruby>として彼の未来を想像した。

<ruby><rb>魯西亜</rb><rt>ロシア</rt></ruby>と日本は争わんとしては争わざらんとしつつある。支那は<ruby><rb>天子蒙塵</rb><rt>てんしもうじん</rt></ruby>の<ruby><rb>辱</rb><rt>はずかしめ</rt></ruby>を受けつつある。英国はトランスヴㇵールの金剛石を掘り出して軍費の穴を<ruby><rb>填</rb><rt>う</rt></ruby>めんとしつつある。この多事なる世界は日となく夜となく回転しつつ<ruby><rb>波瀾</rb><rt>はらん</rt></ruby>を生じつつある間に我輩のすむ小天地にも小回転と小波瀾があって我下宿の主人公はその<ruby><rb>尨大</rb><rt>ぼうだい</rt></ruby>なる身体を<ruby><rb>賭</rb><rt>と</rt></ruby>してかの小冠者差配と<ruby><rb>雌雄</rb><rt>しゆう</rt></ruby>を決せんとしつつある。しかして我輩は子規の病気を慰めんがためにこの日記をかきつつある。四月二十六日。