Soranoha

妄想

もうそう

森 鴎外

目前もくぜんには広々と海が横はつてゐる。

その海から打ち上げられた砂が、小山のやうに盛り上がつて、自然の堤防を形づくつてゐる。アイルランドとスコットランドとから起つて、ヨオロッパ一般に行はれるやうになつた dûnドユウン といふ語ことばは、かういふ処を斥さして言ふのである。

その砂山の上に、ひよろひよろした赤松が簇むらがつて生えてゐる。余り年を経た松ではない。

海を眺めてゐる白髪の主人は、此松の幾本かを切つて、松林の中へ嵌はめ込んだやうに立てた小家こいへの一間ひとまに据わつてゐる。

主人が元もと世に立ち交つてゐる頃に、別荘の真似事のやうな心持で立てた此小家は、只二間ふたまと台所とから成り立つてゐる。今据わつてゐるのは、東の方一面に海を見晴らした、六畳の居間である。

据わつてゐて見れば、砂山の岨そはが松の根に縦横に縫はれた、殆ど鉛直な、所々中窪なかくぼに崩れた断面になつてゐるので、只果はてもない波だけが見えてゐるが、此山と海との間には、一筋の河水と一帯いつたいの中洲なかすとがある。

河は迂回うくわいして海に灌そそいでゐるので、岨そはの下では甘い水と鹹からい水とが出合つてゐるのである。

砂山の背後うしろの低い処には、漁業と農業とを兼ねた民家が疎まばらに立つてゐるが、砂山の上には主人の家が只一軒あるばかりである。

いつやらの暴風に漁船が一艘跳はね上げられて、松林の松の梢こずゑに引つ懸かかつてゐたといふ話のある此砂山には、土地のものは恐れて住まない。

河は上総かづさの夷灊川いしみがはである。海は太平洋である。

秋が近くなつて、薄靄うすもやの掛かつてゐる松林の中の、清い砂を踏んで、主人はそこらを一廻ひとめぐりして来て、八十八やそはちという老僕の拵こしらへた朝餉あさげをしまつて、今自分の居間に据わつた処である。

あたりはひつそりしてゐて、人の物を言ふ声も、犬の鳴く声も聞えない。只朝凪あさなぎの浦の静かな、鈍い、重くろしい波の音が、天地の脈搏みやくはくのやうに聞えてゐるばかりである。

丁度径わたり一尺位に見える橙黄色たうわうしよくの日輪にちりんが、真向うの水と空と接した処から出た。水平線を基線にして見てゐるので、日はずんずん升のぼつて行くやうに感ぜられる。

それを見て、主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死といふ事を考へる。

「死は哲学の為めに真の、気息を嘘ふき込む神である、導きの神(Musagetes)である」と Schopenhauerシヨオペンハウエル は云つた。主人は此語ことばを思ひ出して、それはさう云つても好からうと思ふ。併し死といふものは、生といふものを考へずには考へられない。死を考へるといふのは生が無くなると考へるのである。

これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵老おいが迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。主人は過去の経歴を考へて見るに、どうもさういふ人々とは少し違ふやうに思ふ。

*    *    *

自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内には嘗かつて挫折ざせつしたことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は伯林ベルリンにゐた。列強の均衡を破つて、独逸ドイツといふ野蛮な響の詞ことばにどつしりした重みを持たせたヰルヘルム第一世がまだ位にをられた。今のヰルヘルム第二世のやうに、dämonischデモオニシユ な威力を下しもに加へて、抑へて行かれるのではなくて、自然の重みの下に社会民政党は喘あへぎ悶もだえてゐたのである。劇場では Ernstエルンスト vonフオン Wildenbruchヰルデンブルツホ が、あの Hohenzollernホオヘンツオルレルン 家の祖先を主人公にした脚本を興業させて、学生仲間の青年の心を支配してゐた。

昼は講堂や Laboratoriumラボラトリウム で、生き生きした青年の間に立ち交つて働く。何事にも不器用で、癡重ちちようといふやうな処のある欧羅巴ヨオロツパ人を凌しのいで、軽捷けいせふに立ち働いて得意がるやうな心も起る。夜は芝居を見る。舞踏場にゆく。それから珈琲店コオフイイてんに時刻を移して、帰り道には街燈丈だけが寂しい光を放つて、馬車を乗り廻す掃除人足が掃除をし始める頃にぶらぶら帰る。素直に帰らないこともある。

さて自分の住む宿に帰り着く。宿と云つても、幾竈いくかまどもあるおほ家いへの入口の戸を、邪魔になる大鍵で開けて、三階か四階へ、蝋らふマッチを擦すり擦すり登つて行つて、やうやう chambreシヤンブル garnieガルニイ の前に来るのである。

高机一つに椅子二つ三つ。寝台に箪笥たんすに化粧棚。その外にはなんにもない。火を点ともして着物を脱いで、その火を消すと直ぐ、寝台の上に横になる。

心の寂しさを感ずるのはかういふ時である。それでも神経の平穏な時は故郷の家の様子が俤おもかげに立つて来るに過ぎない。その幻を見ながら寐入る。Nostalgiaノスタルギア は人生の苦痛の余り深いものではない。

それがどうかすると寐附かれない。又起きて火を点して、為事しごとをして見る。為事に興が乗つて来れば、余念もなく夜を徹してしまふこともある。明方近く、外に物音がし出してから一寸寐ても、若い時の疲労は直ぐ恢復くわいふくすることが出来る。

時としてはその為事が手に附かない。神経が異様に興奮して、心が澄み切つてゐるのに、書物を開けて、他人の思想の跡を辿たどつて行くのがもどかしくなる。自分の思想が自由行動を取つて来る。自然科学のうちで最も自然科学らしい医学をしてゐて、exactエクサクト な学問といふことを性命せいめいにしてゐるのに、なんとなく心の飢を感じて来る。生といふものを考へる。自分のしてゐる事が、その生の内容を充たすに足るかどうだかと思ふ。

生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策むちうたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪あくせくしてゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上しあげるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後うしろに、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策むちうたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚せいかくする暇ひまがないやうに感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生といふのが、皆その役である。赤く黒く塗られてゐる顔をいつか洗つて、一寸舞台から降りて、静かに自分といふものを考へて見たい、背後うしろの何物かの面目を覗のぞいて見たいと思ひ思ひしながら、舞台監督の鞭むちを背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考へられない。背後うしろにある或る物が真の生ではあるまいかと思はれる。併しその或る物は目を醒さまさう醒さまさうと思ひながら、又してはうとうとして眠つてしまふ。此頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行つて浮いてゐるのに、どうかするとその揺れるのが根に響くやうな感じであるが、これは舞台でしてゐる役の感じではない。併しそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思ふと、直ぐに引つ込んでしまふ。

それとは違つて、夜寐られない時、こんな風に舞台で勤めながら生涯を終るのかと思ふことがある。それからその生涯といふものも長いか短いか知れないと思ふ。丁度その頃留学生仲間が一人窒扶斯チフスになつて入院して死んだ。講義のない時間に、Charitéシヤリテエ へ見舞に行くと、伝染病室の硝子ガラス越ごしに、寐てゐるところを見せて貰ふのであつた。熱が四十度を超過するので、毎日冷水浴をさせるといふことであつた。そこで自分は医学生だつたので、どうも日本人には冷水浴は危険だと思つて、外のものにも相談して見たが、病院に人れて置きながら、そこの治療方鍼はうしんに容喙ようかいするのは不都合であらうし、よしや言つたところで採用せられはすまいといふので、傍観してゐることになつた。そのうち或る日見舞に行くと昨夜ゆうべ死んだといふことであつた。その男の死顔を見たとき、自分はひどく感動して、自分もいつどんな病に感じて、こんな風に死ぬるかも知れないと、ふと思つた。それからは折々此儘伯林ベルリンで死んだらどうだらうと思ふことがある。

さういふ時は、先づ故郷で待つてゐる二親ふたおやがどんなに歎くだらうと思ふ。それから身近い種々の人の事を思ふ。中にも自分にひどく懐なついてゐた、頭の毛のちぢれた弟の、故郷を立つとき、まだやつと歩いてゐたのが、毎日毎日兄いさんはいつ帰るかと問ふといふことを、手紙で言つてよこされてゐる。その弟が、若もし兄いさんはもう帰らないと云はれたら、どんなにか嘆くだらうと思ふ。

それから留学生になつてゐて、学業が成らずに死んでは済まないと思ふ。併しかし抽象的にかう云ふ事を考へてゐるうちは、冷かな義務の感じのみであるが、一人一人具体的に自分の値遇ちぐうの跡あとを尋ねて見ると、矢張身近い親戚のやうに、自分に Neigungナイグング からの苦痛、情じやうの上の感じをさせるやうにもなる。

かういふやうに広狭くわうけふ種々の socialゾチアル な繋累的けいるゐてき思想が、次第もなく簇むらがり起つて来るが、それがとうとう individuellインヂヰヅエル な自我じがの上に帰着してしまふ。死といふものはあらゆる方角から引つ張つてゐる糸の湊合そうがふしてゐる、この自我といふものが無くなつてしまふのだと思ふ。

自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇があれば外国の小説を読んでゐる。どれを読んで見てもこの自我が無くなるといふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云つてある。ところが自分には単に我が無くなるといふこと丈ならば、苦痛とは思はれない。只刃物で死んだら、其刹那せつなに肉体の痛みを覚えるだらうと思ひ、病や薬で死んだら、それぞれの病症薬性やくせいに相応して、窒息するとか痙攣けいれんするとかいふ苦みを覚えるだらうと思ふのである。自我が無くなる為めの苦痛は無い。

西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人の謂いふ野蛮人といふものかも知れないと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時二親ふたおやが、侍さむらひの家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々諭さとしたことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂いはゆる野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。

そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平気でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。残念である。漢学者の謂いふ酔生夢死すゐせいむしといふやうな生涯を送つてしまふのが残念である。それを口惜しい、残念だと思ふと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覚える。

それが煩悶になる。それが苦痛になる。

自分は伯林ベルリンの garçonガルソン logisロジイ の寐られない夜なかに、幾度も此苦痛を嘗なめた。さういふ時は自分の生れてから今までした事が、上辺うはべの徒いたづら事ごとのやうに思はれる。舞台の上の役を勤めてゐるに過ぎなかつたといふことが、切実に感ぜられる。さういふ時にこれまで人に聞いたり本で読んだりした仏教や基督教キリストけうの思想の断片が、次第もなく心に浮んで来ては、直ぐに消えてしまふ。なんの慰藉ゐしやをも与へずに消えてしまふ。さういふ時にこれまで学んだ自然科学のあらゆる事実やあらゆる推理を繰り返して見て、どこかに慰藉になるやうな物はないかと捜さがす。併しこれも徒労であつた。

或るかういふ夜の事であつた。哲学の本を読んで見ようと思ひ立つて、夜の明けるのを待ち兼ねて、Hartmannハルトマン の無意識哲学を買ひに行つた。これが哲学といふものを覗いて見た初で、なぜハルトマンにしたかといふと、その頃十九世紀は鉄道とハルトマンの哲学とを齎もたらしたと云つた位、最新の大系統として賛否さんぴの声が喧かまびすしかつたからである。

自分に哲学の難有ありがたみを感ぜさせたのは錯迷さくめいの三期であつた。ハルトマンは幸福を人生の目的だとすることの不可能なのを証する為めに、錯迷の三期を立ててゐる。第一期では人間が現世で福さいはひを得ようと思ふ。少壮、健康、友誼いうぎ、恋愛、名誉といふやうに数へて、一々その錯迷さくめいを破つてゐる。恋なんぞも主に苦である。福さいはひは性欲の根ねを断つに在る。人間は此福さいはひを犠牲にして、纔わづかに世界の進化を翼成よくせいしてゐる。第二期では福を死後に求める。それには個人としての不滅を前提にしなくてはならない。ところが個人の意識は死と共に滅する。神経の幹みきはここに絶たれてしまふ。第三期では福を世界過程の未来に求める。これは世界の発展進化を前提とする。ところが世界はどんなに進化しても、老病困厄は絶えない。神経が鋭敏になるから、それを一層切実に感ずる。苦は進化と共に長ずる。初中後しよちゆうごの三期を閲けみし尽しても、幸福は永遠に得られないのである。

ハルトマンの形而上学けいじじやうがくでは、此世界は出来る丈だけ善く造られてゐる。併し有るが好いか無いが好いかと云へば、無いが好い。それを有らせる根元こんげんを無意識と名付ける。それだからと云つて、生を否定したつて、世界は依然としてゐるから駄目だ。現にある人類が首尾好く滅びても、又或る機会には次の人類が出来て、同じ事を繰り返すだらう。それよりか人間は生を肯定して、己を世界の過程に委ゆだねて、甘んじて苦を受けて、世界の救抜きうばつを待つが好いと云ふのである。

自分は此結論を見て頭を掉ふつたが、錯迷打破さくめいだはには強く引き附けられた。Disillusionヂスイリユウジヨン にはひどく同情した。そしてハルトマン自身が錯迷の三期を書いたのは、Maxマツクス Stirnerスチルネル を読んで考へた上の事であると自白してゐるのを見て、スチルネルを読んだ。それから無意識哲学全体の淵源えんげんだといふので、遡さかのぼつて Schopenhauerシヨオペンハウエル を読んだ。

スチルネルを読んで見ると、ハルトマンが紳士の態度で言つてゐる事を、無頼漢ぶらいかんの態度で言つてゐるやうに感ずる。そしてあらゆる錯迷さくめいを破つた跡に自我を残してゐる。世界に恃たのむに足るものは自我の外には無い。それを先きから先きへと考へると、無政府主義に帰着しなくては已やまない。

自分はぞつとした。

ショオペンハウエルを読んで見れば、ハルトマン・ミヌス・進化論であつた。世界は有るよりは無い方が好いばかりではない。出来る丈だけ悪く造られてゐる。世界の出来たのは失錯しつさくである。無むの安さが誤まつて攪乱かうらんせられたに過ざない。世界は認識によつて無の安さに帰るより外はない。一人一人の人は一箇一箇の失錯で、有るよりは無いが好いのである。個人の不滅を欲するのは失錯を無窮にしようとするのである。個人は滅びて人間といふ種類が残る。この滅びないで残るものを、滅びる写象しやしやうの反対に、広義に、意志と名付ける。意志が有るから、無は絶待の無でなくて、相待の無である。意志が Kantカント の物その物である。個人が無に帰るには、自殺をすれば好いかといふに、自殺をしたつて種類が残る。物その物が残る。そこで死ぬるまで生きてゐなくてはならないといふのである。ハルトマンの無意識といふものは、この意志が一変して出来たのであつた。

自分はいよいよ頭を掉ふつた。

*     *     *

兎角する内に留学三年の期間が過ぎた。自分はまだ均勢を得ない物体の動揺を心の内に感じてゐながら、何の師匠を求めるにも便たよりの好い、文化の国を去らなくてはならないことになつた。生きた師匠ばかりではない。相談相手になる書物も、遠く足を運ばずに大学の図書館に行けば大抵間に合ふ。又買つて見るにも注文してから何箇月目に来るなどといふ面倒は無い。さういふ便利な国を去らなくてはならないことになつた。

故郷は恋しい。美しい、懐かしい夢の国として故郷は恋しい。併し自分の研究しなくてはならないことになつてゐる学術を真に研究するには、その学術の新しい田地でんぢを開墾して行くには、まだ種々いろいろの要約の闕かけてゐる国に帰るのは残惜のこりをしい。敢あへて「まだ」と云ふ。日本に長くゐて日本を底から知り抜いたと云はれてゐる独逸ドイツ人某は、此要約は今闕かけてゐるばかりでなくて、永遠に東洋の天地には生じて来ないと宜告した。東洋には自然科学を育てて行く雰囲気ふんゐきは無いのだと宣告した。果してさうなら、帝国大学も、伝染病研究所も、永遠に欧羅巴ヨオロツパの学術の結論丈を取り続つぐ場所たるに過ぎない筈である。かう云ふ判断は、ロシアとの戦争の後に、欧羅巴の当り狂言になつてゐた Taifunタイフン なんぞに現れてゐる。併し自分は日本人を、さう絶望しなくてはならない程、無能な種族だとも思はないから、敢て「まだ」と云ふ。自分は日本で結んだ学術の果実を欧羅巴へ輸出する時もいつかは来るだらうと、其時から思つてゐたのである。

自分はこの自然科学を育てる雰囲気のある、便利な国を跡に見て、夢の故郷へ旅立つた。それは勿論立たなくてはならなかつたのではあるが、立たなくてはならないといふ義務の為めに立つたのでは無い。自分の願望ぐわんまうの秤はかりも、一方の皿に便利な国を載せて、一方の皿に夢の故郷を載せたとき、便利の皿を弔つつた緒ををそつと引く、白い、優しい手があつたにも拘かかはらず、慥たしかに夢の方へ傾いたのである。

シベリア鉄道はまだ全通してゐなかつたので、印度インド洋を経て帰るのであつた。一日行程の道を往復しても、往きは長く、復かへりは短く思はれるものであるが、四五十日の旅行をしても、さういふ感じがある。未知の世界へ希望を懐いだいて旅立つた昔に比べて寂しく又早く思はれた航海中、籐とうの寝椅子に身を横へながら、自分は行李かうりにどんなお土産みやげを持つて帰るかといふことを考へた。

自然科学の分科の上では、自分は結論丈を持つて帰るのではない。将来発展すべき萌芽はうがをも持つてゐる積りである。併し帰つて行く故郷には、その萌芽を育てる雰囲気が無い。少くも「まだ」無い。その萌芽も徒いたづらに枯れてしまひはすまいかと気遣はれる。そして自分は fatalistischフアタリスチツシユ な、鈍い、陰気な感じに襲はれた。

そしてこの陰気な闇を照破せうはする光明のある哲学は、我行李の中には無かつた。その中に有るのは、ショオペンハウエル、ハルトマン系の厭世哲学である。現象世界を有るよりは無い方が好いとしてゐる哲学である。進化を認めないではない。併しそれは無に醒覚せんが為めの進化である。

自分は錫蘭セイロンで、赤い格子縞かうしじまの布を、頭と腰とに巻き附けた男に、美しい、青い翼の鳥を買はせられた。籠を提さげて舟に帰ると、フランス舟の乗組貝が妙な手附きをして、「Ilイル neヌ vivraヰウラ pasパア !」と云つた。美しい、青い鳥は、果して舟の横浜に着くまでに死んでしまつた。それも果敢はかない土産であつた。

*     *     *

自分は失望を以て故郷の人に迎へられた。それは無埋もない。自分のやうな洋行帰りはこれまで例の無い事であつたからである。これまでの洋行帰りは、希望に輝かがやく顔をして、行李の中から道具を出して、何か新しい手品を取り立てて御覧に入れることになつてゐた。自分は丁度その反対の事をしたのである。

東京では都会改造の議論が盛んになつてゐて、アメリカのAとかBとかの何号町なんがうまちかにある、独逸人の謂ふ Wolkenkratzerヲルケンクラツツエル のやうな家を建てたいと、ハイカラア連れんが云つてゐた。その時自分は「都会といふものは、狭い地面に多く人が住むだけ人死ひとじにが多い、殊に子供が多く死ぬる、今まで横に並んでゐた家を、竪たてに積み畳かさねるよりは、上水じょうすゐや下水げすゐでも改良するが好からう」と云つた。又建築に制裁を加へようとする委員が出来てゐて、東京の家の軒の高さを一定して、整然たる外観の美を成さうと云つてゐた。その時自分は「そんな兵隊の並んだやうな町は美しくは無い、強しひて西洋風にしたいなら、寧むしろ反対に軒の高さどころか、あらゆる建築の様式を一軒づつ別にさせて、ヱネチアの町のやうに参差錯落しんしさくらくたる美観を造るやうにでも心掛けたら好からう」と云つた。

食物改良の議論もあつた。米を食ふことを廃やめて、沢山牛肉を食はせたいと云ふのであつた。その時自分は「米も魚もひどく消化の好いものだから、日本人の食物は昔の儘が好からう、尤も牧畜を盛んにして、牛肉も食べるやうにするのは勝手だ」と云つた。

仮名遣かなづかひ改良の議論もあつて、コイスチヨーワガナワといふやうな事を書かせようとしてゐると、「いやいや、Orthographieオルトグラフイイ はどこの国にもある、矢張コヒステフワガナハの方が宜よろしからう」と云つた。

そんな風に、人の改良しようとしてゐる、あらゆる方面に向つて、自分は本もとの杢阿弥説もくあみせつを唱へた。そして保守党の仲間に逐おひ込まれた。洋行帰りの保守主義者は、後には別な動機で流行し出したが、元祖は自分であつたかも知れない。

そこで学んで来た自然科学はどうしたか。帰つた当座一年か二年は Laboratoriumラボラトリウム に這人つてゐて、ごつごつと馬鹿正直に働いて、本もとの杢阿弥説もくあみせつに根拠を与へてゐた。正直に試験して見れば、何千年といふ間満足に発展して来た日本人が、そんなに反理性的生活をしてゐよう筈はない。初から知れ切つた事である。

さてそれから一歩進んで、新しい地盤の上に新しい Forschungフオルシユング を企てようといふ段になると、地位と境遇とが自分を為事場しごとばから撥はね出した。自然科学よ、さらばである。

勿論自然科学の方面では、自分なんぞより有力な友達が大勢あつて、跡に残つて奮闘してゐてくれるから、自分の撥ね出されたのは、国家の為めにも、人類の為めにもなんの損失にもならない。

只奮闘してゐる友達には気の毒である。依然として雰囲気ふんゐきの無い処で、高圧の下に働く潜水夫のやうに喘あへぎ苦んでゐる。雰囲気の無い証拠には、まだ Forschungフオルシユング といふ日本語も出来てゐない。そんな概念を明確に言ひ現す必要をば、社会が感じてゐないのである。自慢でもなんでもないが、「業績」とか「学問の推挽すゐばん」とか云ふやうな造語ざうごを、自分が自然科学界に置土産にして来たが、まだ Forschungフオルシユング といふ意味の簡短で明確な日本語は無い。研究なんといふぼんやりした語ことばは、実際役に立たない。載籍調さいせきしらべも研究ではないか。

*     *     *

かう云ふ閲歴をして来ても、未来の幻影を逐おうて、現在の事実を蔑ないがしろにする自分の心は、まだ元の儘ままである。人の生涯はもう下り坂になつて行くのに、逐うてゐるのはなんの影やら。

「奈何いかにして人は己を知ることを得べきか。省察せいさつを以てしては決して能はざらん。されど行為を以てしては或は能よくせむ。汝なんぢの義務を果さんと試みよ。やがて汝の価値を知らむ。汝の義務とは何ぞ。日ひの要求なり。」これは Goetheギヨオテ の詞ことばである。

日の要求を義務として、それを果して行く。これは丁度現在の事実を蔑ないがしろにする反対である。自分はどうしてさう云ふ境地に身を置くことが出来ないだらう。

日の要求に応じて能事のうじ畢をはるとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知るといふことが、自分には出来ない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のゐない筈の所に自分がゐるやうである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出来ないのである。道に迷つてゐるのである。夢を見てゐるのである。夢を見てゐて、青い鳥を夢の中に尋ねてゐるのである。なぜだと問うたところで、それに答へることは出来ない。これは只単純なる事実である。自分の意識の上の事実である。

自分は此儘で人生の下り坂を下つて行く。そしてその下り果てた所が死だといふことを知つて居る。

併しその死はこはくはない。人の説に、老年になるに従つて増長するといふ「死の恐怖」が、自分には無い。

若い時には、この死といふ目的地に達するまでに、自分の眼前に横はつてゐる謎なぞを解きたいと、痛切に感じたことがある。その感じが次第に痛切でなくなつた。次第に薄らいだ。解けずに横はつてゐる謎が見えないのではない。見えてゐる謎を解くべきものだと思はないのでもない。それを解かうとしてあせらなくなつたのである。

この頃自分は Philippフイリツプ Mainlaenderマインレンデル が事を聞いて、その男の書いた救抜きうばつの哲学を読んで見た。

此男は Hartmannハルトマン の迷まよひの三期を承認してゐる。ところであらゆる錯迷さくめいを打ち破つて置いて、生を肯定しろと云ふのは無理だと云ふのである。これは皆迷だが、死んだつて駄目だから、迷を追つ掛けて行けとは云はれない筈だと云ふのである。人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面おもてを背そむける。次いで死の廻りに大きい圏けんを画ゑがいて、震慄しんりつしながら歩いてゐる。その圏が漸やうやく小くなつて、とうとう疲れた腕を死の項うなじに投げ掛けて、死と目と目を見合はす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンデルは云つてゐる。

さう云つて置いて、マインレンデルは三十五歳で自殺したのである。

自分には死の恐怖が無いと同時にマインレンデルの「死の憧憬しようけい」も無い。

死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下つて行く。

*     *     *

謎は解けないと知つて、解かうとしてあせらないやうにはなつたが、自分はそれを打ち棄てて顧みずにはゐられない。宴会嫌ひで世に謂いふ道楽といふものがなく、碁も打たず、象棋しやうぎも差さず、球たまも撞つかない自分は、自然科学の為事場しごとばを出て、手に試験管を持たなくなつてから、稀まれに画や彫刻を見たり、音楽を聴いたりする外には、境遇の与へる日ひの要求を果した間々に、本を読むことを余儀なくせられた。

ハルトマンは人間のあらゆる福さいはひを錯迷さくめいとして打破して行く間に、こんな意味の事を言つてゐた。大抵人の福さいはひと思つてゐる物に、酒の二日酔をさせるやうに跡腹あとばらの病やめないものは無い。それの無いのは、只芸術と学問との二つ丈だと云ふのである。自分は丁度此二つの外にはする事がなくなつた。それは利害上に打算して、跡腹の病めない事をするのではない。跡腹の病める、あらゆる福さいはひを生得しやうとく好かないのである。

本は随分読んだ。そしてその読む本の種類は、為事場を出てから、必然の結果でがらりと変つた。

西洋にゐた時から、Archiveアルヒイヱ とか Jahresberichteヤアレスベヒリテ とか云ふやうな、専門の学術雑誌を初巻から揃そろへて十五六種も取つてゐたところが、為事場に出ないことになつて見れば、実験の細こまかい記録なんぞを調べる必要がなくなつた。元来かう云ふ雑誌は学校や図書館で買ふもので、個人の買ふものではなかつたのを、政府がどれ丈雑誌に金を出してくれるやら分からないと思ふのと、自分がどこで為事をするやうになるやら分からないと思ふのとで、数千巻買つて持つてゐたが、自分は其中で専門学科の沿革えんかくと進歩とを見るに最も便利な年報二三種を残して置いて、跡は悉ことごとく官くわんの学校に寄附してしまつた。

そしてその代りに哲学や文学の書物を買ふことにした。それを時間の得られる限り読んだのである。

只その読み方が、初めハルトマンを読んだ時のやうに、饑うゑて食を貪むさぼるやうな読み方ではなくなつた。昔むかし世にもてはやされてゐた人、今いま世にもてはやされてゐる人は、どんな事を言つてゐるかと、譬たとへば道を行く人の顔を辻に立つて冷澹れいたんに見るやうに見たのである。

冷澹には見てゐたが、自分は辻に立つてゐて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あつたのである。

帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行かうとは思はなかつた。多くの師には逢つたが、一人の主しゆには逢はなかつたのである。

自分は度々此脱帽によつて誤解せられた。自然科学を修をさめて帰つた当座、食物の議論が出たので、当時の権威者たる Voitフオイト の標準で駁撃はくげきした時も、或る先輩が「そんならフォイトを信仰してゐるか」と云ふと、自分はそれに答へて、「必ずしもさうでは無い、姑しばらくフォイトの塁るゐに拠よつて敵に当るのだ」と云つて、ひどく先輩に冷かされた。自分は一時の権威者としてフォイトに脱帽したに過ぎないのである。それと丁度同じ事で、一頃ひところ芸術の批評に口を出して、ハルトマンの美学を根拠にして論じてゐると、或る後進の英雄が云つた。「ハルトマンの美学はハルトマンの無意識哲学から出てゐる。あの美学を根拠にして論ずるには、先づ無意識哲学を信仰してゐなくてはならない」と云つた。なる程ハルトマンは自家の美学を自家の世界観に結び附けてはゐたが、姑しばらくその連鎖を断たつてしまつたとして見ても、彼の美学は当時最も完備したものであつて、而も創見に富んでゐた。自分は美学の上で、矢張一時の権威者としてハルトマンに脱帽したに過ぎないのである。ずつと後になつてから、ハルトマンの世界観を離れて、彼の美学の存立してゐられる、立派な証拠が提供せられた。ハルトマン以後に出た美学者の本をどれでも開けて見るが好い。きつと美の Modificationモヂフイカチオン と云ふものを説いてゐる。あれはハルトマンが剏はじめたのでハルトマンの前には無かつた。それを誰も彼も説いてゐて、ハルトマンのハの字も言はずにゐる。黙殺してゐるのである。

それは兎に角、辻に立つ人は多くの師に逢つて、一人の主にも逢はなかつた。そしてどんなに巧みに組み立てた形而上学けいじじやうがくでも、一篇の抒情詩に等しいものだと云ふことを知つた。

*     *     *

形而上学と云ふ、和蘭オランダ寺院楽じゐんがくの諧律かいりつのやうな組立てに倦うんだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれの Aphorismenアフオリスメン の旋律が聞えて来た。

生の意志を挫くじいて無に入らせようとする、ショオペンハウエルの Quietiveクヰエチイフ に服従し兼ねてゐた自分の意識は、或時懶眠らんみんの中から鞭むちうち起された。

それは Nietzscheニイチエ の超人てうじん哲学であつた。

併しこれも自分を養つてくれる食餌ではなくて、自分を酔はせる酒であつた。

過去の消極的な、利他的な道徳を家畜の群むれの道徳としたのは痛快である。同時に社会主義者の四海同胞観しかいどうはうくわんを、あらゆる特権を排斥する、愚な、とんまな群の道徳としたのも、無政府主義者の跋扈ばつこを、欧羅巴ヨオロツパの街に犬が吠えてゐると罵つたのも面白い。併し理性の約束を棄てて、権威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥もんばつの為め、自我の為めに、毒薬と匕首ひしゆとを用ゐることを憚はばからない Cesareチエザレ Borgiaボルジア を、君主の道徳の典型としたのなんぞを、真面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理説を見た目には、所謂いはゆる評価の革新さへ幾分の新しみを殺そがれてしまつたのである。

そこで死はどうであるか。「永遠なる再来」は慰藉ゐしやにはならない。Zarathustraツアラツストラ の末期まつごに筆を下おろし兼ねた作者の情を、自分は憐んだ。

それから後にも Paulsenパウルゼン の流行などと云ふことも閲けみして来たが、自分は一切の折衷主義せつちゆうしゆぎに同情を有せないので、そんな思潮には触れずにしまつた。

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昔別荘の真似事に立てた、膝を容いれるばかりの小家こいへには、仏者ぶつしやの百一物ひやくいちもつのやうになんの道具も只一つしか無い。

それに主人の翁おきなは壁といふ壁を皆棚にして、棚といふ棚を皆書物にしてゐる。

そして世間と一切の交通を絶つてゐるらしい主人の許もとに、西洋から書物の小包が来る。彼が生きてゐる間は、小さいながら財産の全部を保菅してゐる Notarノタアル の手で、利足りそくの大部分が西洋の某書肆しよしへ送られるのである。

主人は老いても黒人種こくじんしゆのやうな視力を持つてゐて、世間の人が懐かしくなつた故人こじんを訪ふやうに、古い本を読む。世間の人が市いちに出て、新しい人を見るやうに新しい本を読む。

倦うめば砂の山を歩いて松の木立を見る。砂の浜に下りて海の波瀾はらんを見る。

僕ぼく八十八やそはちの薦すすめる野菜の膳に向つて、飢を凌しのぐ。

書物の外で、主人の翁の翫もてあそんでゐるのは、小さい Loupeルウペ である。砂の山から摘んで来た小さい草の花などを見る。その外 Zeissツアイス の顕微鏡がある。海の雫しづくの中にゐる小さい動物などを見る Merzメルツ の望遠鏡がある。晴れた夜の空の星を見る。これは翁が自然科学の記憶を呼び返す、折々のすさびである。

主人の翁はこの小家に来てからも幻影を追ふやうな昔の心持を無くしてしまふことは出来ない。そして既往きわうを回顧してこんな事を思ふ。日ひの要求に安んぜない権利を持つてゐるものは、恐らくは只天才ばかりであらう。自然科学で大発明をするとか、哲学や芸術で大きい思想、大きい作品を生み出すとか云ふ境地に立つたら、自分も現在に満足したのではあるまいか。自分にはそれが出来なかつた。それでかう云ふ心持が附き纏まとつてゐるのだらうと思ふのである。

少壮時代に心の田地でんぢに卸された種子は、容易に根を断つことの出来ないものである。冷眼れいがんに哲学や文学の上の動揺を見てゐる主人の翁は、同時に重い石を一つ一つ積み畳かさねて行くやうな科学者の労作にも、余所よそながら目を附けてゐるのである。

Revueルヰユウ desデ Deuxドユウ Mondesモオンド の主筆をしてゐた旧教徒 Brunetiéreブリユンチエエル が、科学の破産を説いてから、幾多の歳月を閲けみしても、科学はなかなか破産しない。凡すべての人為じんゐのものの無常の中で、最も大きい未来を有してゐるものの一つは、矢張科学であらう。

主人の翁おきなはそこで又こんな事を思ふ。人間の大厄難になつてゐる病やまひは、科学の力で予防もし治療もすることが出来る様になつて来た。種痘で疱瘡はうさうを防ぐ。人工で培養ばいやうした細菌やそれを種うゑた動物の血清けつせいで、窒扶斯チフスを防ぎ実扶的里ジフテリを直すことが出来る。Pestペスト のやうな猛烈な病も、病原菌が発見せられたばかりで、予防の見当は附いてゐる。癩病も病原菌だけは知られてゐる。結核も Tuberculinツベルクリン が予期せられた功を奏せないでも、防ぐ手掛りが無いこともない。癌がんのやうな悪性腫瘍しゆやうも、もう動物に移し植ゑることが出来て見れば、早晩予防の手掛りを見出すかも知れない。近くは梅毒が Salvarsanサルワルサン で直るやうになつた。Eliasエリアス Metschnikaffメチユニコツフ の楽天哲学が、未来に属しよくしてゐる希望のやうに、人間の命をずつと延べることも、或は出来ないには限らないと思ふ。

かくして最早幾何いくばくもなくなつてゐる生涯の残余ざんよを、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁おきなは送つてゐる。

その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々けい〱たる目が大きく睜みはられて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。

これはそんな時ふと書き捨てた反古ほごである。

(明治四十四年三月―四月)

底本 / Source edition

底本:「日本文学全集4 森鴎外集」筑摩書房
1970(昭和45)年11月1日初版発行
入力:伊藤弘道
校正:伊藤時也
2000年5月16日公開
2006年5月10日修正
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森 鴎外「妄想」(新字旧仮名)、底本『日本文学全集4 森鴎外集』筑摩書房、1970年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000683_000129, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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