Soranoha

寒山拾得

かんざんじっとく

森 鴎外

唐たうの貞觀ぢやうくわんの頃ころだと云いふから、西洋せいやうは七世紀せいきの初はじめ日本にほんは年號ねんがうと云いふもののやつと出來掛できかかつた時ときである。閭丘胤りよきういんと云いふ官吏くわんりがゐたさうである。尤もつともそんな人ひとはゐなかつたらしいと云いふ人ひともある。なぜかと云いふと、閭りよは台州たいしうの主簿しゆぼになつてゐたと言いひ傳つたへられてゐるのに、新舊しんきうの唐書たうしよに傳でんが見みえない。主簿しゆぼと云いへば、刺史ししとか太守たいしゆとか云いふと同おなじ官くわんである。支那しな全國ぜんこくが道だうに分わかれ、道だうが州しう又または郡ぐんに分わかれ、それが縣けんに分わかれ、縣けんの下したに郷がうがあり郷がうの下したに里りがある。州しうには刺史ししと云いひ、郡ぐんには太守たいしゆと云いふ。一體たい日本にほんで縣けんより小ちひさいものに郡ぐんの名なを附つけてゐるのは不都合ふつがふだと、吉田東伍よしだとうごさんなんぞは不服ふふくを唱となへてゐる。閭りよが果はたして台州たいしうの主簿しゆぼであつたとすると日本にほんの府縣知事ふけんちじ位くらゐの官吏くわんりである。さうして見みると、唐書たうしよの列傳れつでんに出でてゐる筈はずだと云いふのである。しかし閭りよがゐなくては話はなしが成なり立たたぬから、兎とも角かくもゐたことにして置おくのである。

さて閭りよが台州たいしうに著任ちやくにんしてから三日目かめになつた。長安ちやうあんで北支那きたしなの土埃つちほこりを被かぶつて、濁にごつた水みづを飮のんでゐた男をとこが台州たいしうに來きて中央支那ちゆうあうしなの肥こえた土つちを踏ふみ、澄すんだ水みづを飮のむことになつたので、上機嫌じやうきげんである。それに此この三日かの間あひだに、多人數たにんずの下役したやくが來きて謁見えつけんをする。受持々々うけもち〱の事務じむを形式的けいしきてきに報告はうこくする。その慌あわただしい中なかに、地方長官ちはうちやうくわんの威勢ゐせいの大おほきいことを味あじはつて、意氣揚々いきやう〱としてゐるのである。

閭りよは前日ぜんじつに下役したやくのものに言いつて置おいて、今朝けさは早はやく起おきて、天台縣てんだいけんの國清寺こくせいじをさして出掛でかけることにした。これは長安ちやうあんにゐた時ときから、台州たいしうに著ついたら早速さつそく往ゆかうと極きめてゐたのである。

何なんの用事ようじがあつて國清寺こくせいじへ往ゆくかと云いふと、それには因縁いんねんがある。閭りよが長安ちやうあんで主簿しゆぼの任命にんめいを受うけて、これから任地にんちへ旅立たびだたうとした時とき、生憎あいにくこらへられぬ程ほどの頭痛づつうが起おこつた。單純たんじゆんなレウマチス性せいの頭痛づつうではあつたが、閭りよは平生へいぜいから少すこし神經質しんけいしつであつたので、掛かかり附つけの醫者いしやの藥くすりを飮のんでもなか〱なほらない。これでは旅立たびだちの日ひを延のばさなくてはなるまいかと云いつて、女房にようばうと相談さうだんしてゐると、そこへ小女こをんなが來きて、「只今たゞいま御門ごもんの前まへへ乞食坊主こじきばうずがまゐりまして、御主人ごしゆじんにお目めに掛かかりたいと申まをしますがいかがいたしませう」と云いつた。

「ふん、坊主ばうずか」と云いつて閭りよは暫しばらく考かんがへたが、「兎とに角かく逢あつて見みるから、こゝへ通とほせ」と言いひ附つけた。そして女房にようばうを奧おくへ引ひつ込こませた。

元來ぐわんらい閭りよは科擧くわきよに應おうずるために、經書けいしよを讀よんで、五言ごんの詩しを作つくることを習ならつたばかりで、佛典ぶつてんを讀よんだこともなく、老子らうしを研究けんきうしたこともない。しかし僧侶そうりよや道士だうしと云いふものに對たいしては、何故なぜと云いふこともなく尊敬そんけいの念ねんを持もつてゐる。自分じぶんの會得ゑとくせぬものに對たいする、盲目まうもくの尊敬そんけいとでも云いはうか。そこで坊主ばうずと聞きいて逢あはうと云いつたのである。

間まもなく這入はひつて來きたのは、一人にんの背せの高たかい僧そうであつた。垢あかつき弊やぶれた法衣ほふえを着きて、長ながく伸のびた髮かみを、眉まゆの上うへで切きつてゐる。目めに被かぶさつてうるさくなるまで打うち遣やつて置おいたものと見みえる。手てには鐵鉢てつぱつを持もつてゐる。

僧そうは默だまつて立たつてゐるので閭りよが問とうて見た。「わたしに逢あひたいと云いはれたさうだが、なんの御用ごようかな。」

僧そうは云いつた。「あなたは台州たいしうへお出いでなさることにおなりなすつたさうでございますね。それに頭痛づつうに惱なやんでお出いでなさると申まをすことでございます。わたくしはそれを直なほして進しんぜようと思おもつて參まゐりました。」

「いかにも言いはれる通とほりで、其その頭痛づつうのために出立しゆつたつの日ひを延のばさうかと思おもつてゐますが、どうして直なほしてくれられる積つもりか。何なにか藥方やくはうでも御存ごぞんじか。」

「いや。四大だいの身みを惱なやます病やまひは幻まぼろしでございます。只たゞ清淨しやうじやうな水みづが此この受糧器じゆりやうきに一ぱいあれば宜よろしい。呪まじなひで直なほして進しんぜます。」

「はあ呪まじなひをなさるのか。」かう云いつて少すこし考かんがへたが「仔細しさいあるまい、一つまじなつて下ください」と云いつた。これは醫道いだうの事ことなどは平生へいぜい深ふかく考かんがへてもをらぬので、どう云いふ治療ちれうならさせる、どう云いふ治療ちれうならさせぬと云いふ定見ていけんがないから、只たゞ自分じぶんの悟性ごせいに依頼いらいして、其その折々をり〱に判斷はんだんするのであつた。勿論もちろんさう云いふ人ひとだから、掛かかり附つけの醫者いしやと云いふのも善よく人選にんせんをしたわけではなかつた。素問そもんや靈樞れいすうでも讀よむやうな醫者いしやを搜さがして極きめてゐたのではなく、近所きんじよに住すんでゐて呼よぶのに面倒めんだうのない醫者いしやに懸かかつてゐたのだから、ろくな藥くすりは飮のませて貰もらふことが出來できなかつたのである。今いま乞食坊主こじきばうずに頼たのむ氣きになつたのは、なんとなくえらさうに見みえる坊主ばうずの態度たいどに信しんを起おこしたのと、水みず一ぱいでする呪まじなひなら間違まちがつた處ところで危險きけんな事こともあるまいと思おもつたのとのためである。丁度ちやうど東京とうきやうで高等官かうとうくわん連中れんちゆうが紅療治べにれうぢや氣合術きあひじゆつに依頼いらいするのと同おなじ事ことである。

閭りよは小女こをんなを呼よんで、汲立くみたての水みづを鉢はちに入いれて來こいと命めいじた。水みづが來きた。僧そうはそれを受うけ取とつて、胸むねに捧さゝげて、ぢつと閭りよを見詰みつめた。清淨しやうじやうな水みづでも好よければ、不潔ふけつな水みづでも好いい、湯ゆでも茶ちやでも好いいのである。不潔ふけつな水みづでなかつたのは、閭りよがためには勿怪もつけの幸さいはひであつた。暫しばらく見詰みつめてゐるうちに、閭りよは覺おぼえず精神せいしんを僧そうの捧さゝげてゐる水みづに集注しふちゆうした。

此この時とき僧そうは鐵鉢てつぱつの水みづを口くちに銜ふくんで、突然とつぜんふつと閭りよの頭あたまに吹ふき懸かけた。

閭りよはびつくりして、背中せなかに冷汗ひやあせが出でた。

「お頭痛づつうは」と僧そうが問とうた。

「あ。癒なほりました。」實際じつさい閭りよはこれまで頭痛づつうがする、頭痛づつうがすると氣きにしてゐて、どうしても癒なほらせずにゐた頭痛づつうを、坊主ばうずの水みづに氣きを取とられて、取とり逃にがしてしまつたのである。

僧そうは徐しづかに鉢はちに殘のこつた水みづを床ゆかに傾かたむけた。そして「そんならこれでお暇いとまをいたします」と云いふや否いなや、くるりと閭りよに背中せなかを向むけて、戸口とぐちの方はうへ歩あるき出だした。

「まあ、一寸ちよつと」と閭りよが呼よび留とめた。

僧そうは振ふり返かへつた。「何なにか御用ごようで。」

「寸志すんしのお禮れいがいたしたいのですが。」

「いや。わたくしは群生ぐんしやうを福利ふくりし、憍慢けうまんを折伏しやくぶくするために、乞食こつじきはいたしますが、療治代れうぢだいは戴いたゞきませぬ。」

「なる程ほど。それでは強しひては申まをしますまい。あなたはどちらのお方かたか、それを伺うかゞつて置おきたいのですが。」

「これまでをつた處ところでございますか。それは天台てんだいの國清寺こくせいじで。」

「はあ。天台てんだいにをられたのですな。お名なは。」

「豐干ぶかんと申まをします。」

「天台てんだい國清寺こくせいじの豐干ぶかんと仰おつしやる。」閭りよはしつかりおぼえて置おかうと努力どりよくするやうに、眉まゆを顰ひそめた。「わたしもこれから台州たいしうへ往ゆくものであつて見みれば、殊ことさらお懷なつかしい。序ついでだから伺うかゞひたいが、台州たいしうには逢あひに往いつて爲ためになるやうな、えらい人ひとはをられませんかな。」

「さやうでございます。國清寺こくせいじに拾得じつとくと申まをすものがをります。實じつは普賢ふげんでございます。それから寺てらの西にしの方はうに、寒巖かんがんと云いふ石窟せきくつがあつて、そこに寒山かんざんと申まをすものがをります。實じつは文殊もんじゆでございます。さやうならお暇いとまをいたします。」かう言いつてしまつて、ついと出でて行いつた。

かう云いふ因縁いんねんがあるので、閭りよは天台てんだいの國清寺こくせいじをさして出懸でかけるのである。

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全體ぜんたい世よの中なかの人ひとの、道みちとか宗教しうけうとか云いふものに對たいする態度たいどに三通みとほりある。自分じぶんの職業しよくげふに氣きを取とられて、唯たゞ營々役々えい〱えき〱と年月としつきを送おくつてゐる人ひとは、道みちと云いふものを顧かへりみない。これは讀書人どくしよじんでも同おなじ事ことである。勿論もちろん書しよを讀よんで深ふかく考かんがへたら、道みちに到達たうたつせずにはゐられまい。しかしさうまで考かんがへないでも、日々ひゞの務つとめだけは辨べんじて行ゆかれよう。これは全まつたく無頓著むとんちやくな人ひとである。

次つぎに著意ちやくいして道みちを求もとめる人ひとがある。專念せんねんに道みちを求もとめて、萬事ばんじを抛なげうつこともあれば、日々ひゞの務つとめは怠おこたらずに、斷たえず道みちに志こゝろざしてゐることもある。儒學じゆがくに入いつても、道教だうけうに入いつても、佛法ぶつぱふに入いつても基督教クリストけうに入いつても同おなじ事ことである。かう云いふ人ひとが深ふかく這入はひり込こむと日々ひゞの務つとめが即すなはち道みちそのものになつてしまふ。約つゞめて言いへばこれは皆みな道みちを求もとめる人ひとである。

この無頓著むとんちやくな人ひとと、道みちを求もとめる人ひととの中間ちゆうかんに、道みちと云いふものゝ存在そんざいを客觀的かくくわんてきに認みとめてゐて、それに對たいして全まつたく無頓著むとんちやくだと云いふわけでもなく、さればと云いつて自みづから進すゝんで道みちを求もとめるでもなく、自分じぶんをば道みちに疎遠そゑんな人ひとだと諦念あきらめ、別べつに道みちに親密しんみつな人ひとがゐるやうに思おもつて、それを尊敬そんけいする人ひとがある。尊敬そんけいはどの種類しゆるゐの人ひとにもあるが、單たんに同おなじ對象たいしやうを尊敬そんけいする場合ばあひを顧慮こりよして云いつて見みると、道みちを求もとめる人ひとなら遲おくれてゐるものが進すゝんでゐるものを尊敬そんけいすることになり、こゝに言いふ中間人物ちゆうかんじんぶつなら、自分じぶんのわからぬもの、會得ゑとくすることの出來できぬものを尊敬そんけいすることになる。そこに盲目まうもくの尊敬そんけいが生しやうずる。盲目まうもくの尊敬そんけいでは、偶たま〱それをさし向むける對象たいしやうが正鵠せいこくを得えてゐても、なんにもならぬのである。

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閭りよは衣服いふくを改あらため輿よに乘のつて、台州たいしうの官舍くわんしやを出でた。從者じゆうしやが數すう十人にんある。

時ときは冬ふゆの初はじめで、霜しもが少すこし降ふつてゐる。椒江せうこうの支流しりうで、始豐溪しほうけいと云いふ川かはの左岸さがんを迂囘うくわいしつつ北きたへ進すゝんで行ゆく。初はじめ陰くもつてゐた空そらがやうやう晴はれて、蒼白あをじろい日ひが岸きしの紅葉もみぢを照てらしてゐる。路みちで出合であふ老幼らうえうは、皆みな輿よを避さけて跪ひざまづく。輿よの中なかでは閭りよがひどく好いい心持こゝろもちになつてゐる。牧民ぼくみんの職しよくにゐて賢者けんしやを禮れいすると云いふのが、手柄てがらのやうに思おもはれて、閭りよに滿足まんぞくを與あたへるのである。

台州たいしうから天台縣てんだいけんまでは六十里り半はん程ほどである。日本にほんの六里り半はん程ほどである。ゆる〱輿よを舁かかせて來きたので、縣けんから役人やくにんの迎むかへに出でたのに逢あつた時とき、もう午ひるを過すぎてゐた。知縣ちけんの官舍くわんしやで休やすんで、馳走ちそうになりつゝ聞きいて見みると、こゝから國清寺こくせいじまでは、爪先上つまさきあがりの道みちが又また六十里りある。往ゆき著つくまでには夜よに入いりさうである。そこで閭りよは知縣ちけんの官舍くわんしやに泊とまることにした。

翌朝よくてう知縣ちけんに送おくられて出でた。けふもきのふに變かはらぬ天氣てんきである。一體たい天台てんだい一萬まん八千丈ぢやうとは、いつ誰たれが測量そくりやうしたにしても、所詮しよせん高過たかすぎるやうだが、兎とに角かく虎とらのゐる山やまである。道みちはなか〱きのふのやうには捗はかどらない。途中とちゆうで午飯ひるめしを食くつて、日ひが西にしに傾かたむき掛かかつた頃ころ、國清寺こくせいじの三門もんに著ついた。智者大師ちしやだいしの滅後めつごに、隋ずゐの煬帝やうだいが立たてたと云いふ寺てらである。

寺てらでも主簿しゆぼの御參詣ごさんけいだと云いふので、おろそかにはしない。道翹だうげうと云いふ僧そうが出迎でむかへて、閭りよを客間きやくまに案内あんないした。さて茶菓ちやくわの饗應きやうおうが濟すむと、閭りよが問とうた。「當寺たうじに豐干ぶかんと云いふ僧そうがをられましたか。」

道翹だうげうが答こたへた。「豐干ぶかんと仰おつしやいますか。それは先頃さきころまで、本堂ほんだうの背後うしろの僧院そうゐんにをられましたが、行脚あんぎやに出でられた切きり、歸かへられませぬ。」

「當寺たうじではどう云いふ事ことをしてをられましたか。」

「さやうでございます。僧共そうどもの食たべる米こめを舂ついてをられました。」

「はあ。そして何なにか外ほかの僧達そうたちと變かはつたことはなかつたのですか。」

「いえ。それがございましたので、初はじめ只たゞ骨惜ほねをしみをしない、親切しんせつな同宿どうしゆくだと存ぞんじてゐました豐干ぶかんさんを、わたくし共どもが大切たいせつにいたすやうになりました。すると或ある日ひふいと出でて行いつてしまはれました。」

「それはどう云いふ事ことがあつたのですか。」

「全まつたく不思議ふしぎな事ことでございました。或ある日ひ山やまから虎とらに騎のつて歸かへつて參まゐられたのでございます。そして其その儘まゝ廊下らうかへ這入はひつて、虎とらの背せで詩しを吟ぎんじて歩あるかれました。一體たい詩しを吟ぎんずることの好すきな人ひとで、裏うらの僧院そうゐんでも、夜よるになると詩しを吟ぎんぜられました。」

「はあ。活いきた阿羅漢あらかんですな。其その僧院そうゐんの址あとはどうなつてゐますか。」

「只今たゞいまも明家あきやになつてをりますが、折々おり〱夜よるになると、虎とらが參まゐつて吼ほえてをります。」

「そんなら御苦勞ごくらうながら、そこへ御案内ごあんないを願ねがひませう。」かう云いつて、閭りよは座ざを起たつた。

道翹だうげうは蛛くもの網いを拂はらひつゝ先さきに立たつて、閭りよを豐干ぶかんのゐた明家あきやに連つれて行いつた。日ひがもう暮くれ掛かかつたので、薄暗うすくらい屋内をくないを見𢌞みまはすに、がらんとして何なに一つ無ない。道翹だうげうは身みを屈かゞめて石疊いしだゝみの上うへの虎とらの足跡あしあとを指ゆびさした。偶たま〱山風やまかぜが窓まどの外そとを吹ふいて通とほつて、堆うづたかい庭にはの落葉おちばを捲まき上あげた。其その音おとが寂寞せきばくを破やぶつてざわ〱と鳴なると、閭りよは髮かみの毛けの根ねを締しめ附つけられるやうに感かんじて、全身ぜんしんの肌はだに粟あはを生しやうじた。

閭りよは忙せはしげに明家あきやを出でた。そして跡あとから附ついて來くる道翹だうげうに言いつた。「拾得じつとくと云いふ僧そうは、まだ當寺たうじにをられますか。」

道翹だうげうは不審ふしんらしく閭りよの顏かほを見みた。「好よく御存ごぞんじでございます。先刻せんこくあちらの厨くりやで、寒山かんざんと申まをすものと火ひに當あたつてをりましたから、御用ごようがおありなさるなら、呼よび寄よせませうか。」

「はゝあ。寒山かんざんも來きてをられますか。それは願ねがつても無ない事ことです。どうぞ御苦勞ごくらう序ついでに厨くりやに御案内ごあんないを願ねがひませう。」

「承知しようちいたしました」と云いつて、道翹だうげうは本堂ほんだうに附ついて西にしへ歩あるいて行ゆく。

閭りよが背後うしろから問とうた。「拾得じつとくさんはいつ頃ごろから當寺たうじにをられますか。」

「もう餘程よほど久ひさしい事ことでございます。あれは豐干ぶかんさんが松林まつばやしの中なかから拾ひろつて歸かへられた捨子すてごでございます。」

「はあ。そして當寺たうじでは何なにをしてをられますか。」

「拾ひろはれて參まゐつてから三年ねん程ほど立たちました時とき、食堂しよくだうで上座じやうざの像ざうに香かうを上あげたり、燈明とうみやうを上あげたり、其その外ほか供そなへものをさせたりいたしましたさうでございます。そのうち或ある日ひ上座じやうざの像ざうに食事しよくじを供そなへて置おいて、自分じぶんが向むき合あつて一しよに食たべてゐるのを見付みつけられましたさうでございます。賓頭盧尊者びんづるそんじやの像ざうがどれだけ尊たつといものか存ぞんぜずにいたしたことゝ見みえます。唯今たゞいまでは厨くりやで僧共そうどもの食器しよくきを洗あらはせてをります。」

「はあ」と言いつて、閭りよは二足ふたあし三足みあし歩あるいてから問とうた。「それから唯今たゞいま寒山かんざんと仰おつしやつたが、それはどう云いふ方かたですか。」

「寒山かんざんでございますか。これは當寺たうじから西にしの方はうの寒巖かんがんと申まをす石窟せきくつに住すんでをりますものでございます。拾得じつとくが食器しよくきを滌あらひます時とき、殘のこつてゐる飯めしや菜さいを竹たけの筒つゝに入いれて取とつて置おきますと、寒山かんざんはそれを貰もらひに參まゐるのでございます。」

「なる程ほど」と云いつて、閭りよは附ついて行ゆく。心こゝろの中うちでは、そんな事ことをしてゐる寒山かんざん、拾得じつとくが文殊もんじゆ、普賢ふげんなら、虎とらに騎のつた豐干ぶかんはなんだらうなどと、田舍者いなかものが芝居しばゐを見みて、どの役やくがどの俳優はいいうかと思おもひ惑まどふ時ときのやうな氣分きぶんになつてゐるのである。

――――――――――――――――――――――――

「甚はなはだむさくるしい所ところで」と云いひつゝ、道翹だうげうは閭りよを厨くりやの中うちに連つれ込こんだ。

こゝは湯気ゆげが一ぱい籠こもつてゐて、遽にはかに這入はひつて見みると、しかと物ものを見定みさだめることも出來できぬ位くらゐである。その灰色はひいろの中なかに大おほきい竈かまどが三つあつて、どれにも殘のこつた薪まきが眞赤まつかに燃もえてゐる。暫しばらく立たち止とまつて見みてゐるうちに、石いしの壁かべに沿そうて造つくり附つけてある卓つくゑの上うへで大勢おほぜいの僧そうが飯めしや菜さいや汁しるを鍋釜なべかまから移うつしてゐるのが見みえて來きた。

この時とき道翹だうげうが奧おくの方はうへ向むいて、「おい、拾得じつとく」と呼よび掛かけた。

閭りよが其その視線しせんを辿たどつて、入口いりくちから一番ばん遠とほい竈かまどの前まへを見みると、そこに二人ふたりの僧そうの蹲うづくまつて火ひに當あたつてゐるのが見みえた。

一人ひとりは髮かみの二三寸ずん伸のびた頭あたまを剥むき出だして、足あしには草履ざうりを穿はいてゐる。今いま一人ひとりは木きの皮かはで編あんだ帽ばうを被かぶつて、足あしには木履ぽくりを穿はいてゐる。どちらも痩やせて身みすぼらしい小男こをとこで、豐干ぶかんのやうな大男おほをとこではない。

道翹だうげうが呼よび掛かけた時とき、頭あたまを剥むき出だした方はうは振ふり向むひてにやりと笑わらつたが、返事へんじはしなかつた。これが拾得じつとくだと見みえる。帽ばうを被かぶつた方はうは身動みうごきもしない。これが寒山かんざんなのであらう。

閭りよはかう見當けんたうを附つけて二人ふたりの傍そばへ進すゝみ寄よつた。そして袖そでを掻かき合あはせて恭うや〱しく禮れいをして、「朝儀大夫てうぎたいふ、使持節しぢせつ、台州たいしうの主簿しゆぼ、上柱國じやうちゆうこく、賜緋魚袋しひぎよたい、閭丘胤りよきういんと申まをすものでございます」と名告なのつた。

二人ふたりは同時どうじに閭りよを一目ひとめ見みた。それから二人ふたりで顏かほを見合みあはせて腹はらの底そこから籠こみ上あげて來くるやうな笑聲わらひごゑを出だしたかと思おもふと、一しよに立たち上あがつて、厨くりやを驅かけ出だして逃にげた。逃にげしなに寒山かんざんが「豐干ぶかんがしやべつたな」と云いつたのが聞きこえた。

驚おどろいて跡あとを見送みおくつてゐる閭りよが周圍しうゐには、飯めしや菜さいや汁しるを盛もつてゐた僧そう等らが、ぞろ〱と來きてたかつた。道翹だうげうは眞蒼まつさをな顏かほをして立たち竦すくんでゐた。

底本 / Source edition

底本:「鴎外全集 第十六卷」岩波書店
1973(昭和48)年2月22日発行
※底本では「寒山拾得」「附寒山拾得縁起」と「附」付きでまとめてあったものを、「寒山拾得」「寒山拾得縁起」として分割しました。
入力:青空文庫
1997年10月8日公開
2004年3月24日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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森 鴎外「寒山拾得」(旧字旧仮名)、底本『鴎外全集 第十六卷』岩波書店、1973年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000679_000129, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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