Soranoha

牛をつないだ椿の木

うしをつないだつばきのき

新美 南吉

一

山やまの中なかの道みちのかたわらに、椿つばきの若木わかぎがありました。牛曳うしひきの利助りすけさんは、それに牛うしをつなぎました。

人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、椿つばきの根本ねもとへ人力車じんりきしゃをおきました。人力車じんりきしゃは牛うしではないから、つないでおかなくってもよかったのです。

そこで、利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、水みずをのみに山やまの中なかにはいってゆきました。道みちから一町ちょうばかり山やまにわけいったところに、清きよくてつめたい清水しみずがいつも湧わいていたのであります。

二人ふたりはかわりばんこに、泉いずみのふちの、しだやぜんまいの上うえに両手りょうてをつき、腹はらばいになり、つめたい水みずの匂においをかぎながら、鹿しかのように水みずをのみました。はらの中なかが、ごぼごぼいうほどのみました。

山やまの中なかでは、もう春蝉はるぜみが鳴ないていました。

「ああ、あれがもう鳴なき出だしたな。あれをきくと暑あつくなるて。」

と、海蔵かいぞうさんが、まんじゅう笠がさをかむりながらいいました。

「これからまたこの清水しみずを、ゆききのたンびに飲のませてもらうことだて。」

と、利助りすけさんは、水みずをのんで汗あせが出でたので、手拭てぬぐいでふきふきいいました。

「もうちと、道みちに近ちかいとええがのオ。」

と海蔵かいぞうさんがいいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんが答こたえました。ここの水みずをのんだあとでは、誰だれでもそんなことを挨拶あいさつのようにいいあうのがつねでした。

二人ふたりが椿つばきのところへもどって来くると、そこに自転車じてんしゃをとめて、一人ひとりの男おとこの人ひとが立たっていました。その頃ころは自転車じてんしゃが日本にっぽんにはいって来きたばかりのじぶんで、自転車じてんしゃを持もっている人ひとは、田舎いなかでは旦那衆だんなしゅうにきまっていました。

「誰だれだろう。」

と、利助りすけさんが、おどおどしていいました。

「区長くちょうさんかも知しれん。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。そばに来きてみると、それはこの附近ふきんの土地とちを持もっている、町まちの年としとった地主じぬしであることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主じぬしがかんかんに怒おこっていることでした。

「やいやい、この牛うしは誰だれの牛うしだ。」

と、地主じぬしは二人ふたりをみると、どなりつけました。その牛うしは利助りすけさんの牛うしでありました。

「わしの牛うしだがのイ。」

「てめえの牛うし? これを見みよ。椿つばきの葉はをみんな喰くってすっかり坊主ぼうずにしてしまったに。」

二人ふたりが、牛うしをつないだ椿つばきの木きを見みると、それは自転車じてんしゃをもった地主じぬしがいったとおりでありました。若わかい椿つばきの、柔やわらかい葉ははすっかりむしりとられて、みすぼらしい杖つえのようなものが立たっていただけでした。

利助りすけさんは、とんだことになったと思おもって、顔かおをまっかにしながら、あわてて木きから綱つなをときました。そして申もうしわけに、牛うしの首くびったまを、手綱たづなでぴしりと打うちました。

しかし、そんなことぐらいでは、地主じぬしはゆるしてくれませんでした。地主じぬしは大人おとなの利助りすけさんを、まるで子供こどもを叱しかるように、さんざん叱しかりとばしました。そして自転車じてんしゃのサドルをパンパン叩たたきながら、こういいました。

「さあ、何なんでもかんでも、もとのように葉はをつけてしめせ。」

これは無理むりなことでありました。そこで人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、まんじゅう笠がさをぬいで、利助りすけさんのためにあやまってやりました。

「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助りすけさも、まさか牛うしが椿つばきを喰くってしまうとは知しらずにつないだことだで。」

そこでようやく地主じぬしは、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、体からだがふるえるとみえて、二、三べん自転車じてんしゃに乗のりそこね、それからうまくのって、行いってしまいました。

利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、村むらの方ほうへ歩あるきだしました。けれどもう話はなしをしませんでした。大人おとなが大人おとなに叱しかりとばされるというのは、情なさけないことだろうと、人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんは、利助りすけさんの気持きもちをくんでやりました。

「もうちっと、あの清水しみずが道みちに近ちかいとええだがのオ。」

と、とうとう海蔵かいぞうさんが言いいました。

「まったくだて。」

と、利助りすけさんが答こたえました。

二

海蔵かいぞうさんが人力曳じんりきひきのたまり場ばへ来くると、井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんがいました。人力曳じんりきひきのたまり場ばといっても、村むらの街道かいどうにそった駄菓子屋だがしやのことでありました。そこで井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんは、油菓子あぶらがしをかじりながら、つまらぬ話はなしを大おおきな声こえでしていました。井戸いどの底そこから、外そとにいる人ひとにむかって話はなしをするために、井戸新いどしんさんの声こえが大おおきくなってしまったのであります。

「井戸いどってもなア、いったいいくらくらいで掘ほれるもんかイ、井戸新いどしんさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、じぶんも駄菓子箱だがしばこから油菓子あぶらがしを一本ぽんつまみだしながらききました。

井戸新いどしんさんは、人足にんそくがいくらいくら、井戸囲いどがこいの土管どかんがいくらいくら、土管どかんのつぎめを埋うめるセメントがいくらと、こまかく説明せつめいして、

「先まず、ふつうの井戸いどなら、三十円えんもあればできるな。」

と、いいました。

「ほオ、三十円えんな。」

と、海蔵かいぞうさんは、眼めをまるくしました。それからしばらく、油菓子あぶらがしをぼりぼりかじっていましたが、

「しんたのむねを下おりたところに掘ほったら、水みずが出でるだろうかなア。」

と、ききました。それは、利助りすけさんが牛うしをつないだ椿つばきの木きのあたりのことでありました。

「うん、あそこなら、出でようて、前まえの山やまで清水しみずが湧わくくらいだから、あの下したなら水みずは出でようが、あんなところへ井戸いどを掘ほって何なににするや。」

と、井戸新いどしんさんがききました。

「うん、ちっとわけがあるだて。」

と、答こたえたきり、海蔵かいぞうさんはそのわけをいいませんでした。

海蔵かいぞうさんは、からの人力車じんりきしゃをひきながら家いえに帰かえってゆくとき、

「三十円えんな。……三十円えんか。」

と、何度なんどもつぶやいたのでありました。

海蔵かいぞうさんは藪やぶをうしろにした小ちいさい藁屋わらやに、年としとったお母かあさんと二人ふたりきりで住すんでいました。二人ふたりは百姓仕事ひゃくしょうしごとをし、暇ひまなときには海蔵かいぞうさんが、人力車じんりきしゃを曳ひきに出でていたのであります。

夕飯ゆうはんのときに二人ふたりは、その日ひにあったことを話はなしあうのが、たのしみでありました。年としとったお母かあさんは隣となりの鶏にわとりが今日きょうはじめて卵たまごをうんだが、それはおかしいくらい小ちいさかったこと、背戸せどの柊ひいらぎの木きに蜂はちが巣すをかけるつもりか、昨日きのうも今日きょうも様子ようすを見みに来きたが、あんなところに蜂はちの巣すをかけられては、味噌部屋みそべやへ味噌みそをとりにゆくときにあぶなくてしようがないということを話はなしました。

海蔵かいぞうさんは、水みずをのみにいっている間あいだに利助りすけさんの牛うしが椿つばきの葉はを喰くってしまったことを話はなして、

「あそこの道みちばたに井戸いどがあったら、いいだろにのオ。」と、いいました。

「そりゃ、道みちばたにあったら、みんながたすかる。」

と、いって、お母かあさんは、あの道みちの暑あつい日盛ひざかりに通とおる人々ひとびとをかぞえあげました。大野おおのの町まちから車くるまをひいて来くる油売あぶらうり、半田はんだの町まちから大野おおのの町まちへ通とおる飛脚屋ひきゃくや、村むらから半田はんだの町まちへでかけてゆく羅宇屋らうやの富とみさん、そのほか沢山たくさんの荷馬車曳にばしゃひき、牛車曳ぎゅうしゃひき、人力曳じんりきひき、遍路へんろさん、乞食こじき、学校生徒がっこうせいとなどをかぞえあげました。これらの人ひとののどがちょうどしんたのむねあたりで乾かわかぬわけにはいきません。

「だで、道みちのわきに井戸いどがあったら、どんなにかみんながたすかる。」

と、お母かあさんは話はなしをむすびました。

三十円えんくらいで、その井戸いどが掘ほれるということを、海蔵かいぞうさんが話はなしました。

「うちのような貧乏人びんぼうにんにゃ、三十円えんといや大たいした金かねで眼めがまうが、利助りすけさんとこのような成金なりきんにとっちゃ、三十円えんばかりは何なんでもあるまい。」

と、お母かあさんはいいました。海蔵かいぞうさんは、せんだって利助りすけさんが、山林さんりんでたいそうなお金かねを儲もうけたそうなときいたことをおもいだしました。

ひと風呂ふろあびてから、海蔵かいぞうさんは牛車曳ぎゅうしゃひきの利助りすけさんの家いえへ出でかけました。

うしろ山やまで、ほオほオと梟ふくろうが鳴ないていて、崖がけの上うえの仁左にざエ門もんさんの家いえでは、念仏講ねんぶつこうがあるのか、障子しょうじにあかりがさし、木魚もくぎょの音おとが、崖がけの下したのみちまでこぼれていました。もう夜よるでありました。行いってみると、働はたらき者ものの利助りすけさんは、まだ牛小屋うしごやの中なかのくらやみで、ごそごそと何なにかしていました。

「えらい精せいが出でるのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがいいました。

「なに、あれから二へん半田はんだまで通かよってのオ、ちょっとおくれただてや。」

といいながら、牛うしの腹はらの下したをくぐって利助りすけさんが出でて来きました。

二人ふたりが縁えんばなに腰こしをかけると、海蔵かいぞうさんが、

「なに、きょうのしんたのむねのことだがのオ。」

と、話はなしはじめました。

「あの道みちばたに井戸いどを一つ掘ほったら、みんながたすかると思おもうがのオ。」

と、海蔵かいぞうさんがもちかけました。

「そりゃ、たすかるのオ。」

と、利助りすけさんがうけました。

「牛うしが椿つばきの葉はをくっちまうまで知しらんどったのは、清水しみずが道みちから遠とおすぎるからだのオ。」

「そりゃ、そうだのオ。」

「三十円えんありゃ、あそこに井戸いどがひとつ掘ほれるだがのオ。」

「ほオ、三十円えんのオ。」

「ああ、三十円えんありゃええだげな。」

「三十円えんありゃのオ。」

こんなふうにいっていても、いっこう利助りすけさんが、こちらの心こころをくみとってくれないので、海蔵かいぞうさんは、はっきりいってみました。

「それだけ、利助りすけさ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、お前まえ、だいぶ山林さんりんでもうかったそうだが。」

利助りすけさんは、いままで調子ちょうしよくしゃべっていましたが、きゅうに黙だまってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。

「どうだエ、利助りすけさ。」

と、海蔵かいぞうさんは、しばらくして答こたえをうながしました。

それでも利助りすけさんは、岩いわのように黙だまっていました。どうやら、こんな話はなしは利助りすけさんには面白おもしろくなさそうでした。

「三十円えんで、できるげながのオ。」

と、また海蔵かいぞうさんがいいました。

「その三十円えんをどうしておれが出だすのかエ。おれだけがその水みずをのむなら話はなしがわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸いどに、どうしておれが金かねを出だすのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」

と、やがて利助りすけさんはいいました。

海蔵かいぞうさんは、人々ひとびとのためだということを、いろいろと説ときましたが、どうしても利助りすけさんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助りすけさんは、もうこんな話はなしはいやだというように、

「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、腹はらがへっとるで。」

と、家いえの中なかへむかってどなりました。

海蔵かいぞうさんは腰こしをあげました。利助りすけさんが、夜よるおそくまでせっせと働はたらくのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。

ひとりで夜よみちを歩あるきながら、海蔵かいぞうさんは思おもいました。――こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんの力ちからでしなけりゃ、と。

三

旅たびの人ひとや、町まちへゆく人ひとは、しんたのむねの下したの椿つばきの木きに、賽銭箱さいせんばこのようなものが吊つるされてあるのを見みました。それには札ふだがついていて、こう書かいてありました。

「ここに井戸いどを掘ほって旅たびの人ひとにのんでもらおうと思おもいます。志こころざしのある方かたは一銭せんでも五厘りんでも喜捨きしゃして下ください。」

これは海蔵かいぞうさんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六日にちのち、海蔵かいぞうさんは、椿つばきの木きに向むかいあった崖がけの上うえにはらばいになって、えにしだの下したから首くびったまだけ出だし、人々ひとびとの喜捨きしゃのしようを見みていました。

やがて半田はんだの町まちの方ほうからお婆ばあさんがひとり、乳母車うばぐるまを押おしてきました。花はなを売うって帰かえるところでしょう。お婆ばあさんは箱はこに目めをとめて、しばらく札ふだをながめていました。しかし、お婆ばあさんは字じを読よんだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。

「地蔵じぞうさんも何なにもないのに、なんでこんなとこに賽銭箱さいせんばこがあるのじゃろ。」そしてお婆ばあさんは行いってしまいました。

海蔵かいぞうさんは、右手みぎてにのせていたあごを、左手ひだりてにのせかえました。

こんどは村むらの方ほうから、しりはしょりした、がにまたのお爺じいさんがやって来きました。「庄平しょうへいさんのじいさんだ。あの爺じいさんは昔むかしの人間にんげんでも、字じが読よめるはずだ。」と、海蔵かいぞうさんはつぶやきました。

お爺じいさんは箱はこに眼めをとめました。そして「なになに。」といいながら、腰こしをのばして札ふだを読よみはじめました。読よんでしまうと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど。」と、ひどく感心かんしんしました。そして、懐ふところの中なかをさぐりだしたので、これは喜捨きしゃしてくれるなと思おもっていると、とり出だしたのは古ふるくさい莨入たばこいれでした。お爺じいさんは椿つばきの根元ねもとでいっぷくすって行いってしまいました。

海蔵かいぞうさんは起おきあがって、椿つばきの木きの方ほうへすべりおりました。

箱はこを手てにとって、ふってみました。何なんの手てごたえもないのでした。

がっかりして海蔵かいぞうさんは、ふうッと、といきをもらしました。

「けっきょく、ひとは頼たよりにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりの力ちからでやりとげるのだ。」

といいながら、海蔵かいぞうさんは、しんたのむねをのぼって行いきました。

四

次つぎの日ひ、大野おおのの町まちへ客きゃくを送おくってきた海蔵かいぞうさんが、村むらの茶店ちゃみせにはいっていきました。そこは、村むらの人力曳じんりきひきたちが一仕事ひとしごとして来くると、次つぎのお客きゃくを待まちながら、憩やすんでいる場所ばしょになっていたのでした。その日ひも、海蔵かいぞうさんよりさきに三人にんの人力曳じんりきひきが、茶店ちゃみせの中なかに憩やすんでいました。

店みせにはいって来きた海蔵かいぞうさんは、いつものように、駄菓子箱だがしばこのならんだ台だいのうしろに仰向あおむけに寝ねころがってうっかり油菓子あぶらがしをひとつ摘つまんでしまいました。人力曳じんりきひきたちは、お客きゃくを待まっているあいだ、することがないので、つい、駄菓子箱だがしばこのふたをあけて、油菓子あぶらがしや、げんこつや、ぺこしゃんという飴あめや、やきするめや餡あんつぼなどをつまむのが癖くせになっていました。海蔵かいぞうさんもまたそうでした。

しかし海蔵かいぞうさんは、今いま、つまんだ油菓子あぶらがしをまたもとの箱はこに入いれてしまいました。

見みていた仲間なかまの源げんさんが、

「どうしただや、海蔵かいぞうさ。あの油菓子あぶらがしは鼠ねずみの小便しょうべんでもかかっておるだかや。」

といいました。

海蔵かいぞうさんは顔かおをあかくしながら、

「ううん、そういうわけじゃねえけれど、きょうはあまり喰たべたくないだがや。」

と、答こたえました。

「へへエ。いっこう顔色かおいろも悪わるくないようだが、それでどこか悪わるいだかや。」

と、源げんさんがいいました。

しばらくして源げんさんは、ガラス壺つぼから金平糖こんぺいとうを一掴ひとつかみとり出だすと、そのうちの一つをぽオいと上うえに投なげあげ、口くちでぱくりと受うけとめました。そして、

「どうだや、海蔵かいぞうさ。これをやらんかや。」

といいました。海蔵かいぞうさんは、昨日きのうまではよく源げんさんと、それをやったものでした。二人ふたりで競争きょうそうをやって、受うけそこなった数かずのすくないものが、相手あいてに別べつの菓子かしを買かわせたりしたものでした。そして海蔵かいぞうさんは、この芸当げいとうではほかのどの人力曳じんりきひきにも負まけませんでした。

しかし、きょうは海蔵かいぞうさんはいいました。

「朝あさから奥歯おくばがやめやがってな、甘あまいものはたべられんのだてや。」

「そうかや、そいじゃ、由よしさ、やろう。」

といって、源げんさんは由よしさんと、それをはじめました。

二人ふたりは色いろとりどりの金平糖こんぺいとうを、天井てんじょうに向むかって投なげあげてはそれを口くちでとめようとしましたが、うまく口くちにはいるときもあれば、鼻はなにあたったり、たばこぼんの灰はいの中なかにはいったりすることもありました。

海蔵かいぞうさんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、と思おもいながら見みていました。あまり源げんさんと由よしさんが落おとしてばかりいると、「よし、おれがひとつやって見みせてやろかい。」といって出でたくなるのでしたが、それをがまんしていました。これはたいへんつらいことでありました。

はやく、お客きゃくがくればいいのになあ、と海蔵かいぞうさんは眼めをほそめて明あかるい道みちの方ほうを見みていました。しかしお客きゃくよりさきに、茶店ちゃみせのおかみさんが、焼やきたてのほかほかの大餡巻おおあんまきをつくってあらわれました。

人力曳じんりきひきたちは、大おおよろこびで、一本ぽんずつとりました。海蔵かいぞうさんもがまんできなくなって、手てが少すこしうごきだしましたが、やっとのことでおさえました。

「海蔵かいぞうさ、どうしたじゃ。一銭せんもつかわんで、ごっそりためておいて、大おおきな倉くらでもたてるつもりかや。」

と、源げんさんがいいました。

海蔵かいぞうさんは苦くるしそうに笑わらって、外そとへ出でてゆきました。そして、溝みぞのふちで、かやつり草ぐさを折おって、蛙かえるをつっていました。

海蔵かいぞうさんの胸むねの中うちには、拳骨げんこつのように固かたい決心けっしんがあったのです。今いままでお菓子かしにつかったお金かねを、これからは使つかわずにためておいて、しんたのむねの下したに、人々ひとびとのための井戸いどを掘ほろうというのでありました。

海蔵かいぞうさんは、腹はらも歯はもいたくありませんでした。のどから手てが出でるほど、お菓子かしはたべたかったのでした。しかし、井戸いどをつくるために、今いままでの習慣しゅうかんをあらためたのでありました。

五

それから二年ねんたちました。

牛うしが葉はをたべてしまった椿つばきにも、花はなが三つ四つ咲さいたじぶんの或ある日ひ、海蔵かいぞうさんは半田はんだの町まちに住すんでいる地主じぬしの家いえへやっていきました。

海蔵かいぞうさんは、もう二ふタ月つきほどまえから、たびたびこの家いえへ来きたのでした。井戸いどを掘ほるお金かねはだいたいできたのですが、いざとなって地主じぬしが、そこに井戸いどを掘ほることをしょうちしてくれないので、何度なんども頼たのみに来きたのでした。その地主じぬしというのは、牛うしを椿つばきにつないだ利助りすけさんを、さんざん叱しかったあの老人ろうじんだったのです。

海蔵かいぞうさんが門もんをはいったとき、家いえの中なかから、ひえっというひどいしゃっくりの音おとがきこえて来きました。

たずねて見みると、一昨日いっさくじつから地主じぬしの老人ろうじんは、しゃっくりがとまらないので、すっかり体からだがよわって、床とこについているということでした。それで、海蔵かいぞうさんはお見舞みまいに枕まくらもとまできました。

老人ろうじんは、ふとんを波なみうたせて、しゃっくりをしていました。そして、海蔵かいぞうさんの顔かおを見みると、

「いや、何度なんどお前まえが頼たのみにきても、わしは井戸いどを掘ほらせん。しゃっくりがもうあと一日にちつづくと、わしが死しぬそうだが、死しんでもそいつは許ゆるさぬ。」

と、がんこにいいました。

海蔵かいぞうさんは、こんな死しにかかった人ひとと争あらそってもしかたがないと思おもって、しゃっくりにきくおまじないは、茶ちゃわんに箸はしを一本ぽんのせておいて、ひといきに水みずをのんでしまうことだと教おしえてやりました。

門もんを出でようとすると、老人ろうじんの息子むすこさんが、海蔵かいぞうさんのあとを追おってきて、

「うちの親父おやじは、がんこでしようがないのですよ。そのうち、私わたしの代だいになりますから、そしたら私わたしがあなたの井戸いどを掘ほることを承知しょうちしてあげましょう。」

といいました。

海蔵かいぞうさんは喜よろこびました。あの様子ようすでは、もうあの老人ろうじんは、あと二、三日にちで死しぬに違ちがいない。そうすれば、あの息子むすこがあとをついで、井戸いどを掘ほらせてくれる、これはうまいと思おもいました。

その夜よる、夕飯ゆうはんのとき、海蔵かいぞうさんは年としとったお母かあさんに、こう話はなしました。

「あのがんこ者もんの親父おやじが死しねば、息子むすこが井戸いどを掘ほらせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三日にちで死しぬからええて。」

すると、お母かあさんはいいました。

「お前まえは、じぶんの仕事しごとのことばかり考かんがえていて、悪わるい心こころになっただな。人ひとの死しぬのを待まちのぞんでいるのは悪わるいことだぞや。」

海蔵かいぞうさんは、とむねをつかれたような気きがしました。お母かあさんのいうとおりだったのです。

次つぎの朝あさ早はやく、海蔵かいぞうさんは、また地主じぬしの家いえへ出でかけていきました。門もんをはいると、昨日きのうより力ちからのない、ひきつるようなしゃっくりの声こえが聞きこえて来きました。だいぶ地主じぬしの体からだが弱よわったことがわかりました。

「あんたは、また来きましたね。親父おやじはまだ生いきていますよ。」

と、出でて来きた息子むすこさんがいいました。

「いえ、わしは、親父おやじさんが生いきておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」

と、海蔵かいぞうさんはいいました。

老人ろうじんはやつれて寝ねていました。海蔵かいぞうさんは枕まくらもとに両手りょうてをついて、

「わしは、あやまりに参まいりました。昨日きのう、わしはここから帰かえるとき、息子むすこさんから、あなたが死しねば息子むすこさんが井戸いどを許ゆるしてくれるときいて、悪わるい心こころになりました。もうじき、あなたが死しぬからいいなどと、恐おそろしいことを平気へいきで思おもっていました。つまり、わしはじぶんの井戸いどのことばかり考かんがえて、あなたの死しぬことを待まちねがうというような、鬼おににもひとしい心こころになりました。そこで、わしは、あやまりに参まいりました。井戸いどのことは、もうお願ねがいしません。またどこか、ほかの場所ばしょをさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死しなないで下ください。」

と、いいました。

老人ろうじんは黙だまってきいていました。それから長ながいあいだ黙だまって海蔵かいぞうさんの顔かおを見上みあげていました。

「お前まえさんは、感心かんしんなおひとじゃ。」

と、老人ろうじんはやっと口くちを切きっていいました。

「お前まえさんは、心こころのええおひとじゃ、わしは長ながい生涯しょうがいじぶんの慾よくばかりで、ひとのことなどちっとも思おもわずに生いきて来きたが、いまはじめてお前まえさんのりっぱな心こころにうごかされた。お前まえさんのような人ひとは、いまどき珍めずらしい。それじゃ、あそこへ井戸いどを掘ほらしてあげよう。どんな井戸いどでも掘ほりなさい。もし掘ほって水みずが出でなかったら、どこにでもお前まえさんの好すきなところに掘ほらしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地とちだから。うん、そうして、井戸いどを掘ほる費用ひようがたりなかったら、いくらでもわしが出だしてあげよう。わしは明日あしたにも死しぬかも知しれんから、このことを遺言ゆいごんしておいてあげよう。」

海蔵かいぞうさんは、思おもいがけない言葉ことばをきいて、返事へんじのしようもありませんでした。だが、死しぬまえに、この一人ひとりの慾よくばりの老人ろうじんが、よい心こころになったのは、海蔵かいぞうさんにもうれしいことでありました。

六

しんたのむねから打うちあげられて、少すこしくもった空そらで花火はなびがはじけたのは、春はるも末すえに近ちかいころの昼ひるでした。

村むらの方ほうから行列ぎょうれつが、しんたのむねを下おりて来きました。行列ぎょうれつの先頭せんとうには黒くろい服ふく、黒くろと黄きの帽子ぼうしをかむった兵士へいしが一人ひとりいました。それが海蔵かいぞうさんでありました。

しんたのむねを下おりたところに、かたがわには椿つばきの木きがありました。今いま花はなは散ちって、浅緑あさみどりの柔やわらかい若葉わかばになっていました。もういっぽうには、崖がけをすこしえぐりとって、そこに新あたらしい井戸いどができていました。

そこまで来くると、行列ぎょうれつがとまってしまいました。先頭せんとうの海蔵かいぞうさんがとまったからです。学校がっこうかえりの小ちいさい子供こどもが二人ふたり、井戸いどから水みずを汲くんで、のどをならしながら、美うつくしい水みずをのんでいました。海蔵かいぞうさんは、それをにこにこしながら見みていました。

「おれも、いっぱいのんで行いこうか。」

子供こどもたちがすむと、海蔵かいぞうさんはそういって、井戸いどのところへ行いきました。

中なかをのぞくと、新あたらしい井戸いどに、新あたらしい清水しみずがゆたかに湧わいていました。ちょうど、そのように、海蔵かいぞうさんの心こころの中なかにも、よろこびが湧わいていました。

海蔵かいぞうさんは、汲くんでうまそうにのみました。

「わしはもう、思おもいのこすことはないがや。こんな小ちいさな仕事しごとだが、人ひとのためになることを残のこすことができたからのオ。」

と、海蔵かいぞうさんは誰だれでも、とっつかまえていいたい気持きもちでした。しかし、そんなことはいわないで、ただにこにこしながら、町まちの方ほうへ坂さかをのぼって行いきました。

日本にっぽんとロシヤが、海うみの向むこうでたたかいをはじめていました。海蔵かいぞうさんは海うみをわたって、そのたたかいの中なかにはいって行いくのでありました。

七

ついに海蔵かいぞうさんは、帰かえって来きませんでした。勇いさましく日露戦争にちろせんそうの花はなと散ちったのです。しかし、海蔵かいぞうさんのしのこした仕事しごとは、いまでも生いきています。椿つばきの木こかげに清水しみずはいまもこんこんと湧わき、道みちにつかれた人々ひとびとは、のどをうるおして元気げんきをとりもどし、また道みちをすすんで行いくのであります。

底本 / Source edition

底本:「少年少女日本文学館第十五巻 ごんぎつね・夕鶴」講談社
1986(昭和61)年4月18日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第13刷発行
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
2009年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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新美 南吉「牛をつないだ椿の木」(新字新仮名)、底本『少年少女日本文学館第十五巻 ごんぎつね・夕鶴』講談社、1986年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000638_000121, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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