Soranoha

右門捕物帖

うもんとりものちょう

佐々木 味津三

1

――その第二十一番てがらです。

事件の起きたのは、年を越して、それも松の内の二日ふつか。

「めでたさも中ぐらいなりおらが春」――というのが俳諧寺一茶はいかいじいっさの句にありますが、中ぐらいでも、下の下の下々であっても、やりくり、七転八倒、夜逃げの名人であろうと、年が明けたとならばともかくもめでたいというよりいいようはない。ましてや、上の上の上々の大名諸侯が、言いようもなくめでたいのはあたりまえなことなので、だからこの二日の日がめでたすぎるそれらお歴々の、三百二十八大名全部が、将軍家へお年賀言上のために総登城する定例なのでした。

一国一城のあるじにしてすでにそうであるから、およそ官途かんとにある者のすべてが、下は上へ、上はそのまた上へと、一年一度の義理を果たしに出かけるのはさらに当然なことなので、すなわち伝六は右門のところへ、右門はお奉行ぶぎょうのところへ、――もちろん行くだろうと思ったのに行かないのです。縁ならぬ縁でしたが、目をかけた配下の善光寺辰たつが死んでみれば、まだ四十九日もたたないうちに、めでたいどころの騒ぎでない。

「服喪中につき、年賀欠礼仕候つかまつりそうろう」

薄い墨で書いた一札を玄関前にぺたりと張りつけておいて、名人は郡内のこたつぶとんにぬくぬくとくるまりながら、もぞりもぞりとなでては探り、探ってはあごをなでて、朝からお組屋敷にとじこもったままでした。

はたから見ると、気になるくらいたいくつそうに見えるのに、当人はいっこうそれでたいくつしていないのですから、頭の中はいったい、どんなゼンマイ仕掛けになっているのか、少し気味がわるいくらいですが、しかし、名人はけっこうそれでいいにしても、納まらないのは伝六です。

「くやしいな……」

ゆくりなくもまた辰のことを思い出したとみえて、ほろりと鼻をつまらせると、初鳴りに鳴りはじめました。

「どう考えてもくやしいな。今さら愚痴をいったって、死んだものがけえるわけじゃねえが、なにもよりによって、おらがの辰を連れていかなくてもいいでしょう。まくらを並べて寝ていたらね、かわいいやつだったじゃござんせんか、なあおい兄貴、と、こんなにいってね、夜中にふいっとくつくつ笑いだしたものだから――」

「途方もねえこと、やにわにいいだすなッ」

「いいえ、いわしてください! いわしてください! 辰の思い出話は一生いいますぜ! いうんだ、いうんだ。いやア辰だって浮かばれるにちげえねえんだから、いくらしかられたって、こればかりゃいいますぜ! 造りもちまちまっとしてかわいらしかったが、きっぷも子どもみてえなやつだったですよ。まくらを並べて寝ていたらね、いきなりくつくつと笑いだしたものだから、何がおかしいんだといってやったら、いかにも辰らしいじゃござんせんか。寝床の上にふいっと起き上がってね、福助の頭はどうしてあんなにでけえだろうな、とこんなにいうんですよ」

「…………」

「だから、あっしゃ少しかんしゃくが起きてね、まじめくさってバカげたことをいうな、たこの頭はもっとでけえじゃねえかといったら、かわいいやつでした。なるほど、兄貴ゃ兄貴だけのことがあらあ、大きにそれにちげえねえや、と、こんなにいってね、安心したようにころりとなると、ぐうぐう寝ちまったんですよ」

「バカだな」

「え……?」

「そんな途方もねえバカ話を思い出して、バカげたことをいうと、人さまに笑われるといってるんだよ」

「だって、くやしいんだッ。死んでいいでこぼこ野郎が掃くほども世間にゃころがっているのに、おらがの辰を殺すとはなにごとですかい! だれに断わって殺したんですかい!」

「おれに食ってかかったってしようがねえじゃねえか」

「いいえ、だんなが下手人だというんじゃねえんですよ。ねえ、けれども、ほかに食ってかかる人はいねえんだからね、きょうばかりゃ辰を殺したつもりになって、あっしの愚痴を聞いておくんなせえな。まったく、あれはいちいちやることがかわいかったね。ある晩もね、鼻の頭に梅干しの皮をぺたりと張って、チュウチュウとねずみなきをしながら、お勝手もとをはいまわっていたんでね。何をバカなまねするんだといったら、こうしてねずみをとるんだというんですよ。江戸じゃいっこう聞かねえ話なんだが、鼻の頭に梅干しなんかを張っておいたら、ねずみがとれるんですかねえ。え……? だんな! とれるんですかね」

「うるさいッ。だれか庭先に来たじゃねえか」

なるほど、ちらりと縁側の向こうに人影がさしたので、なにげなく障子をあけて、ひょいと見ると、これがただ者ではない、まことに久方ぶりでのお目みえですが、同僚のあのあばたの敬四郎です。声もかけずに、無断で人の庭先までも押し入るとは、ふらちなやつと思いましたが、同役同僚とはいうものの、とにもかくにも先輩でしたから、何ご用かと名人みずから立ち上がって縁側まで出迎えると、こやつ、よくよく生まれながらのかたき役でした。顔じゅういっぱいのあばたを気味わるくゆがめて、意地わるそうにせせら笑いながら、いきなりいいました。

「捕物とりもの名人とやらいうおかたは、お違い申すな」

「なんでござります」

「お偉くなると、お心がけも変わるとみえるよ。正月の二日ふつかといえば、上役同僚おしなべて年始に参るが儀礼じゃ、縁もゆかりもない手下の小奴こやっこがくたばったぐらいで、服喪中につき、年賀欠礼仕候と納まり返っているは、さすがに違ったものじゃというのさ」

じつにいやみたっぷりな言い方でした。それとはっきりはいわなかったが、つまりは先輩のおれのところへ、なぜ年始に来ぬかという遠まわしの詰問なのです。だが、名人の返事がまたたまらない。皮肉というよりも、じつにあざやかな揶揄やゆでした。

「では、貴殿のところへだけ参ってごきげん取り結ぶために、ひとつおせじを使いますかな。お追従ついしょうを申しておくと、これからさき憎まれますまいからな」

「憎まれますまいからとはなんじゃい。身どもがこうして参ったは、憎まれ口ききに来たのではないわ。さぞかしうらやましゅうなるだろうと思うて参ったのじゃ。人が年始回りをするときはな、人並みのことをしておくものでござるぞ。お奉行さまのところへ年賀に参ったればこそ、この敬四郎も年初めそうそう大役を仰せつかったわ。どうじゃ、くやしいか」

奥歯に物のはさまったようなことばを残しながら、すうと立ち去っていった姿を見ながめて、ことごとくあわてだしたのは伝六です。

「さあ、いけねえ。さあ、いけねえ。お奉行さまもお奉行さまじゃござんせんか。年初めそうそう大役を仰せつかったっていうなア、きっとあばたの野郎め、与力か、同心主席に出世しやがったにちげえござんせんぜ。でなきゃ、用もねえのに、わざわざあんないやがらせを吹聴ふいちょうに来るはずはねえんだ。人を見そこなうにもほどがあるじゃござんせんか。むっつりの右門というおらがのだんながおいでましますのに、あばたの大将を出世させるとはなにごとですかい。べらぼうめ! お奉行になんぞ掛け合ったってらちのあくはずはねえんだから、伊豆守いずのかみのお殿さまへじかに掛け合いにめえりましょうよ! ね! だんな、めえりましょうよ! 行きましょうよ!」

「…………」

「いやんなっちまうな。何をにやにや笑っていらっしゃるんですかい。人もあろうに、あばたの大将なんかに出しぬかれてうれしいんですか! お奉行さまに目がねえんだ。松平のお殿さまなら、うん、そうか、よしよし、とおっしゃるにちげえねえんだから、直訴にめえりましょうよ! いいや、殿さままでがおらがのだんなをそでになさるんなら、この伝六が胸倉にくいついてやるんだ。――ちぇッ、やりきれねえな。にやにや笑って、何がおかしいんですかい!」

しかし、名人は何もいわずに、むっつりとしてあごをなでながら、ふいっと鳴り屋の目の前に、捕物にはなくてかなわぬ表道具の十手を黙ってつきつけたものでしたから、

「なんです?」

ぱちくりと目を丸めました。

「こんなものに、なんの御用があるんです⁈」

「しようがねえな。おめえの目はどっち向いていたんだ。あばたの先生が今どんな身なりをしてきたか、気がつかなかったのかい」

「バカにおしなさんな。あたりめえの人間がきる着物をきてきたじゃござんせんか! そいつのどこが不思議だとおっしゃるんです!」

「だから、雑煮でもうんといただいて、丹田に力でもはいるようにしておけというんだよ。おめえは大役仰せつかったといったせりふを聞いて、出世したろうの、松平のお殿さまへ食いつこうのと途方もねえことをいって騒いでいるが、お年始へいった帰りだけだったのなら、熨斗目裃のしめかみしものご定服を着ているのがあたりめえなんだ。にもかかわらず、大将は巻き羽織で十手を腰にしていたじゃねえか。何かあな(事件)が降ってわいて、その大役仰せつけられたにちげえねえから、とち狂っていずと、ひとっ走りお番所へいってきな」

まことに、名人の目のつけどころ、その眼のさえはこわいくらいです。

「なんでえ! そうか! あばたの大将のあのいもづらを見るてえと、むしずが走ってカンカンとくるから、われしらず逆上しちまうんですよ。畜生めッ、さあ、おもしろくなったぞッ。じゃ、風に乗っていってめえりますから、すぐお出ましできるように、おしたくしておいておくんなせえよ」

胸のつかえが通じてしまったとならば韋駄天いだてん走り――。

2

当人のことばどおり、風のように走っていって、風のように駆け帰ってくると、果然、名人の予言は当たりました。

「ホシだッ、ホシだッ。お番所はどえれえ騒ぎですぜ」

「お年賀登城のお大名がたにでも何かまちがいがあったのかい」

「ところが大違い。本郷のね、妻恋坂で人が殺されたっていうんですよ」

「また人殺しか。あんまりぞっとしねえな」

「とおっしゃるだろうと覚悟してめえりましたが、詳しく聞くと、なかなかこれがぞっとする話なんだから、まあお聞きなせえまし。訴えてきたのは妻恋坂の町名主だっていうんですがね、殺されている相手が考えてもかええそうじゃござんせんか。十と、八つと、六つの子どもだっていうんですよ」

「なに! 子どもばかり三人やられているとな! ふうむな。いかさま、ちっとよろしくないな」

「でしょう。だから、話はおしまいまでお聞きなせえましといってるんですよ。シナの孔子様もおっしゃったんだ。常人の狂えるは憎むべからず、帝王にして心狂えるは憎むべしとね」

「なんだい。いきなり漢語を使って、それはなんだい」

「いいえ、こないだ辰たつのふた七日なのかの日にね、あんまり気がめいってならねえから、通りの釈場にいったら講釈師がいったんですよ。あたりめえの人間の気違いはかええそうだが、王さまで気の触れているのは何をしでかすかわからねえから、あぶなくてしようがねえんだ、とこういうわけあいなんだそうながね、なかなかうめえことをいうじゃござんせんか。つまり、その心狂えるっていうやつが、殺された子どものそばにいるっていうんですがね」

「キの字か」

「そうそう、そのキの字なんだ、キ印なんだ。それも、二十三、四のうらわけえ気違いがね、殺された子どものそばに、にやにや笑いながら血のついた出刃包丁をさか手に握って、しょんぼりと張り番をしているっていうんですよ。だから、殺した下手人はてっきりもうそれにちげえねえが、それにしても子どもの親っていうのがだれだかわからねえと、こういうんですがね。どう考えてみても、男の気違いが子どもを産むはずはなし、よしんば産んだにしても、二十三、四のわけえ野郎に十をかしらの子どもが三人もある道理はねえんだから、そりゃこそ大事件だとこういうことになって、おらがだんなはお出ましにならねえし、だれにしよう、かれにしようと、人選みをしたあげくがくやしいじゃござんせんか。あばたの大将にそのおはちが回っていったと、こういうんですよ」

いかさま、松の内そうそうに容易ならぬ怪事件です。しからば一つ、――大きくいって、ずっしりとあの蝋色鞘ろいろざやを落とし差しにしながら、すぐにも立ち上がるだろうと思われたのに、だが、名人は事の子細を聞き終わると、何を考えたものか、フフン、――というように微笑しながら、そのままごろりと横になってしまったものでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓がすさまじい音をあげてがみがみと鳴りだしました。

「ちぇッ。何がお気に入らねえんですかい! 人がせっかくこの寒い中を汗水たらしてかぎ出しにいってきたのに、フフンはねえでやしょう! どこがお気に入らねえんです! この伝六のどこがお気にさわったんです!」

「…………」

「そりゃね、あっしがきいたふうな漢語なんぞ使うのはがらにねえですよ。ええ、ええ、そうです。そうですよ。どうせ伝六は無学文盲なんだからね、さぞかしお気にもさわったでござんしょうが、しかし、ありゃ講釈師がいったんだ。常人の狂えるは憎むべからず、帝王の心狂えるは憎むべしとね。だんなだってそう思うでしょう。この伝六やあばたの敬大将が気違いになってるぶんなら驚きゃしますまいが、松平のお殿さまやお将軍家が気違いになったと思ってごらんなせえまし、右門、前へ出ろ、そのほうはむっつりといたして気に食わんやつじゃ、手討ちにいたすぞ、としかられたってしようがねえじゃござんせんか。だから、それをいうんだ。大きにもっともだと、それをいっただけなのに、フフンとはなんです!」

「…………」

「ね! フフンとはなんですかよ! しかもだ、並みの人間が殺されたんじゃねえ、かわいい子どもが三人も手にかかってるんだというんですよ。おまけに、あばたの大将がわざわざいやがらせをいいに来ているんじゃねえですか! 何が気に入らねえんです! 伝六の話のどこがお気に召さねえんです!」

しかし、名人がいったんこうしてごろりと横になりながら、ひとたびその手があごのあたりを散歩しはじめたとなったら、もう梃子てこでも動くものではない。四半刻しはんとき、半刻、一刻と、やがて三時間近くも、押し黙って依然ごろりとなったままでしたから、とうとう初雷が夕だちを降らせました。

「ようがす。どうせそうでしょうよ。ええ、ええ、だんなはあっしよりか、死んだ辰のほうがかわいいんだからね。え、ええ、ようがすよ。どうせ、あっしがかぎ出してきたあな(事件)じゃお気に召さんでしょうからね。あばたの大将にてがらをされてもけっこうとおっしゃるなら、それでいいんだ。あっしゃ……あっしゃ……」

「ウッフフ……。アハハ……」

「え……?」

「ウッフフ……アッハハ」

「何がおかしいんです! あっしが泣いたら、何がおかしいんです!」

「では、ひとつ――」

むくりと起き上がると、伝六ならずともまったく腹がたつくらいでした。

「九ツが鳴ったようだね。あれを聞いたら急にげっそりとおなかがへったようだから、おまんまを食べさせてくんな」

「いやですよ!」

「だって、おれがすかしたんじゃねえ、おなかのほうでひとりでにすいたんだから、しょうがねえじゃねえか。何か早くしたくをやんな」

「いやですよ。ろくでもねえおなかをぶらさげているからわりいんだ。だんなは辰がお気に入りでござんしょうから、妙見寺の裏の墓から、おしゃりこうべでも連れてきて、お給仕してもらいなさいな」

「しようのねえあにいだな。いつになったらりこうになるんだ。おちついて物事をよく考えてみねえな。ああしてあばたの大将が、今度こそはてがらにとしゃちほこ立ちをして出かけたうえは、あわててあとを追っかけていったとて、けんかになるばかりなんだ。あのとおり了見のせめえ男だから、お係り吟味を命ぜられた役がらをかさに着て食ってもかかるだろうし、意地わるくじゃまもするだろうし、眼がんになるネタだってひっかきまわして、気よく手助けさせる気づかいはこんりんざいあるまいと思ったればこそ、わざとこうして、ほとぼりがさめるまで、時のたつのを待っていたんじゃねえか。敬公を相手の相撲すもうなら、このくれえゆるゆるとしきっても、軍配はこっちに上がるよ。どうだい、おこり虫、これでもまだ、おれにおまんまを食べさせねえというのかい」

「ちぇッ。そうでござんしたか。あやまった! あやまった! それならそうと、はじめからおっしゃりゃ、泣くがところはなかったのに、正月そうそうからつれなくなさるから、つい愚痴が出たんですよ。べらぼうめ! あばたの敬公、ざまアみろい。おらがのだんなは、初めから相撲にしていねえんだ。そうと事が決まらば、おまんまも食わする段じゃねえ。あるものをみんな読みあげるから、ほしい品だけをおっしゃってくだせえましよ。――いいですか。ええと、ごまめに、きんとん、おなます、かずのこ、かまぼこ、小田巻き、こはだのあわづけ、芋のころ煮、ふなのこぶ巻き、それから、きんぴらに、松笠まつかさいかのいそ焼きと、つごう十一色ござんすが、どれがお好きですかい」

「みんな出しなよ」

「え……?」

「みんな出せばいいんだよ」

「おどろいたな。このほかにまだあるんですぜ。これは暮れの歳暮の到来ものなんだが、赤穂あこおだいの塩むしがまるまる一匹と、房州たこのでけえやつもまだ一ぱい残っているんですぜ」

「遠慮はいらんから、それも出しな」

「あきれたな。こいつをみんな召し上がるんですかい」

「あたりめえだ。食べ物だって風しだい、舵かじしだいだよ。はしの向いたほう、目の向いたほうをいただくんだから、威勢よくずらずらッと並べておきな」

まったく驚くほかはない。いや、むしろ壮観でした。右の十何色のうちから、風しだい舵かじしだいで、はしの向いたほう、舳先へさきの向いたほうをたっぷりいただくと、もうこれで胆力はじゅうぶん、といわぬばかりに、ずいと立ち上がって、珍しやきょうは黒羽二重上下の着流しに、すっぽり雪ずきん――、雪駄せったの音が江戸一のいきな音をたてながら、いよいよ二十一番てがらの道中にかかりました。

3

「うちはどこだ」

「あれですよ、あれですよ。妻恋坂を上りきって、右へ十五、六間いったところの二階家だといいましたからね。たぶん、あのしいの木の下のうちですよ」

しかるに、その二階家の前まで行くと、表へいっぱいの人だかりがしているのみか、もうとっくにあばたの敬四郎が手配をつけてほとぼりもさめているだろうと思ってきたのに、案に相違して、中ではまだしきりにどたんばたんとやっているのです。

ひょいとのぞいてみると、その若いのが伝六の報告にあったなぞの狂人にちがいない、気違い力を出して、血まみれの出刃包丁をふりまわしながら、しきりにあばれつづけているのを、あれから今までかかってまだ捕えることができないとみえて、敬四郎をはじめ配下の小者三人が総がかりとなりながら、汗水たらしてまごまごと、あちらに追い、こちらに追い、必死に追いまわしているさいちゅうなのでした。

「ほほう、なかなかご活発でいらっしゃいますな。ヤットウのおけいこでござりますかな」

笑止なその光景をみて、やんわりと皮肉に揶揄やゆしながら、ぬっと雪ずきんのままで名人が静かにはいっていったものでしたから、恥ずかしかったのと腹だたしさがごっちゃになったとみえて、敬四郎がどもりどもり青筋を立てながら、当然のごとくに口ぎたなく食ってかかりました。

「貴、貴公なぞが用はないはずじゃ。のっぺりした身なりをいたして、何しに参った!」

「これはきついごあいさつじゃ。だいぶ逆上していらっしゃるとみえますな。ときに、この狂人にご用がおありでござろうな」

「いらぬおせっかいじゃわッ」

しかし、おせっかいであろうと、やっかいであろうと、二刻ふたとき近くもかかっていまだに捕えることができないとならば、いかほど皮肉をいわれたとてもしかたのないことです。

「だいぶお困りのようだから、ご用ならばお手を貸しましょうかな」

軽くいいながら、あちらにまごまご、こちらにまごまごと、必死になって敬四郎たちが追いまわしているのを、ふところ手しながら見守っていましたが、そのときふと名人が荒れ狂っている狂人の手を見ると、右手の血まみれな出刃包丁はよいとして、左手になおしっかりと、かじりかけのなまもちを握りしめているのが、はしなくも映りました。しかも、さらに目を転ずると、今までなまもちにそれをつけながらかじりかじり張り番をしていたらしく、三人の子どもの死骸しがいのまくらもとに、きな粉のさらがうやうやしく置いてあるのがふと目に映ったものでしたから、名人の顔が美しくほころびました。

「お知恵のないおかたというものは、いたしかたのないものじゃな。物事には法があるのじゃ。二刻近くもヤットウのおけいこをなさっては、さだめしご空腹でござりましょうから、ちょっとお手貸しいたしましょう」

静かに立ち上がりながら、きな粉のさらを手にすると、

「おにいさん……」

声からしてできが違うのです。笑いわらい、荒れ狂っている狂人に近づくと、やさしく呼びかけました。

「そなた、このきな粉に未練がおありだろう。こわいおじさんたちは情がないから、しかたがないのう。な! そうだろう! おにいさんがいっしょうけんめいにおもちを食べているところを、いきなり御用ッと打ってかかったんで、そなた腹をたててあばれだしたんだろう。あげるよ! あげるよ! ほら、きな粉をあげるから、たっぷりつけておあがりな」

まったくうれしいくらいでした。いや、真に人を見て法を施せとはこれでした。果然、狂人は名人のずぼしどおりきな粉に未練があったとみえて、にやりとしながらおとなしく近よってきたところを、――やんわりと軽く草香流!

「あぶない! あぶない! こんな出刃包丁なんぞ振りまわしながらおもちを食べてはあぶないよ。おにいさんが自分でけがをするとあぶないから、これはこっちへしまっておいて、ほら! ゆっくりきな粉をおなめな。そう! そう! なかなかおりこうだね」

物騒な刃物を取りあげておくと、自身のてがらにするかと思ったのに、淡々として水のごとし! きれいにのしをつけて敬四郎に進上したので、なおさらうれしくなるのです。

「いかがです? このにいさん、ご入用ではござりませぬかな」

「いろうと、いるまいと、うぬからさしずうけぬわッ」

「ま、そう、きまり悪がって、がみがみとおこらなくてもよいですよ。ご入用なら、お持ちあそばしませな」

「ちぇッ。せっかくだんなが手取りにした上玉を、なにものしをつけて進上するこたあねえでしょう! 人がいいからな、見ているこっちがくやしくなるじゃござんせんか!」

横から鳴り屋の太鼓が鳴りだそうとしたのを、名人は微笑しながら目顔で穏やかに押えておいて、じろりと足もとに目を移しながら、非業の凶刃に倒れている三人の子どものむくろを見ながめました。と同時に、名人の目がきらりと光った。むざんもむざんでしたが、第一に不審だったのは、それなる三人の子どもが、そろいもそろった男の子ばかりだったからです。いや、不審はそればかりでない。奇態なのはその傷でした。血のついた出刃包丁を振りまわしていた以上は、おそらくその凶器で狂人が突き刺したのだろうと思われるのに、傷が二色あるのです。ぐさりと胸もとをえぐっている三少年の三つの傷は、たしかに出刃包丁の突き傷に相違ないが、いま一カ所子どもたちの首筋に、そろいもそろって何か細ひものようなものででも強く絞めつけたらしい、赤く血のしんだみみず色の斑痕はんこんがあるのです。絞殺しておいて、しかるのちになんらかの必要から、出刃包丁の突き傷をこしらえたのか、それとも、出刃包丁で突いておいて、なお入念にも細ひもで絞めつけたのか、いずれにしても、それなる首筋のみみずばれこそ、事件のなぞを解く唯一のかぎであることが判定されたので、フフンというように微笑したのを、早くも敬四郎がちらりとながめて、おそるべき勁敵けいてきの捕物名人に、おそるべき慧眼けいがんのホシをつけられたら、しょせんたち打ちはできないと思ったものか、つかつかとやって来ると、案の定食ってかかりました。

「何をするのじゃ! 死骸しがいに指一本たりとも触れると許さぬぞッ、者ども! おせっかい者のじゃまがはいってはならぬゆえ、三つのむくろ、戸板にでものせて、早う番所へ連れていけ」

つきのけながら、配下に命じて、自分は名人にてつだってもらってようやく押えたなぞの狂人を引っ立てながら、ネタになるものは何一つやるまじといいたげに、憎々しく流し目を残して、意気昂然こうぜんと引き揚げていったので、当然のごとくに伝六がいろめきたちました。

「なんでえ! なんでえ! 恩知らず! 首筋のみみずばれに眼がんをつけたのも、あぶねえ気違いを押えたのも、みんなおいらのだんなじゃござんせんか! にもかかわらず、お礼一ついわねえで、けんつく食わせるたア、何がなんでえ! 何がなんでえ!」

「下郎が何をほざくかッ。お奉行さまからご内命うけたのは、この敬四郎じゃ! 四の五の申すなッ」

係り吟味の特権をかさに着ながら、表の人集まりを押しのけて、これみよがしに引き揚げようとしたとき、

「待ってくださいまし! お待ちなすってくださいまし! 子どもたちがかわいそうでござります! 他人ばかりのご番所へなぞ運んでいかれましては新仏たちがかわいそうでござりますゆえ、わたしにくださいまし! わたくしにおさげくださいまし!」

群集を押し分けながらつと駆けだすと、声もおろおろと叫びながら、芋虫かなぞのように戸板の上へむぞうさに積み重ねている少年たちのむくろにすがりついて、必死に哀訴した者がありました。しかも、女なのです。年のころは二十七、八。そのうえに色っぽいのだ。青々しい落としまゆに、艶えんなお歯ぐろ染めて、下町ふうの黒えりかけたあだめかしい女でしたから、突如現われた疑問の女性に、名人の目が鋭くさえたのは当然――。

「伝六ッ。新手のかぎがまた一つ出てきたようだ。こっそりいって、あの玉をこっちへいただきな」

心得ましたとばかりに駆けだしたのを、敬四郎がまたおちょっかいを出したのです。さてはこれにも眼をつけたかとすばやく察したものか、伝六の胸倉をドンと強く十手ではじき飛ばすと、

「何をでしゃばりいたすんだッ。この女とてもこちらのものじゃ! かってなまねをすると、手はみせんぞッ」

「なんでえ! なんでえ! 情けねえおっさんだな。てめえじゃなにひとつ眼をつける力がねえくせに、いちいちと横取りなさらなくともいいじゃござんせんか! その玉はおらがのだんなが見つけたんだッ。これまでもみすみす渡してなるもんですかい! ――だんな! だんな! にやにやしていねえで、草香流を貸しておくんなせえましよ! ちょっぴりでいいんだ。ほんのちょっぴり草香流でおまじないすりゃ、ぞうさなく取りけえすことができるんだから、はええところ貸しておくんなせえよ!」

力のかぎり手向かいながら、必死と名人に助だちを求めましたが、しかし名人はにやにやと薄笑いしたままで、敬四郎が伝六を突き飛ばしながら、疑問の女すらも奪いとって引っ立てていったのを、いっこうに驚くけしきも見せず、ゆうぜんと見ながめていたので、伝六が当然のごとくに爆発させました。

「おいらもう……」

「なんでえ」

「いいですよ! そんな薄情ってものはねえんだ。なにもこの場に及んで、草香流の出し惜しみなんぞしなくたってもいいんだ。なんべん使ったってもべつに減るもんじゃねえんだからね。いいんですよ! 子分の災難を見ても、腹のたたねえようなだんななら、こっちにだっても了見があるからいいんですよ」

「ウフフフ……」

「何がおかしいんです! 人のいいばかりが能じゃねえんだ。いいえ、納まっているばかりが能じゃねえんですよ。納まっている人間がえれえんなら、ふろ屋の番台はいちんちたけえところにやにさがっているんだからね、日本一えれえんだ。ほんとにばかばかしいっちゃありゃしねえや。気違いもとられ、子どももとられ、女までも巻きあげられてどうするんですかい! 眼になるネタは一つもねえじゃござんせんか!」

しかし、名人は依然にやにやとやったきり、あちらをのそのそ、こちらをのそのそと家のうちを歩いていましたが、そのときふと目についたのは、すばらしいりっぱな金も相当かかったらしい仏壇です。しかも、ひょいと中をのぞくと、新しい白木の位牌いはいが二枚あるのだ。――一枚は新帰元泰山大道居士こじという戒名。他は同じく新帰元円明貞鏡大姉とあるのです。

「フフン。居士号大姉号をつけてあるところは相当金持ちだな」

「え……?」

「てつだってくれなくともいいよ。どうせ、おれはふろ屋の番台だからな。おめえはひとりでかんかんおこってりゃいいじゃねえかよ」

「ちぇッ」

裏を返してみるとよろしくない。新帰元とあるからには、いずれ最近に物故した新仏だろうとは思われましたが、このころもこのころ、仏はふたりともに、寛永十六年十二月十二日没、すなわち去年の師走しわすの同じ日にそろってなくなっているのです。そのうえ、二つの位牌の前には数珠じゅずがあるのだ。しかも水晶。仏壇ですから数珠があるのに不思議はないが、男の子どもが三人と気違いと、よそから飛び込んできた疑問の女と、人物は五人しか現われないのに、祥月命日が同月同日の新しい位牌が二つあって、その前にけっこうな水晶の数珠があるとは、余人ならいざ知らず、名人の目をもってしてははなはだ大問題です。

「そろそろ少し――」

「え? なんです? なんです? 何か眼がんがつきかかったんですかい」

「いらぬお世話だよ」

「ちぇッ、なにもすねなくたって、いいじゃござんせんか! あっしのがみがみいうのは、今に始まったことじゃねえんだ。鳴るがしょうべえだと思や、腹たてるところはねえでやしょう。意地のわるいことをおっしゃらねえで、聞かしておくんなせえな」

「いいや、よしましょうよ。わたしはどうせふろ屋の番台だからね、アハハハ。いいこころもちだね」

にやにやしながら、さらにあちらをこちらをと捜していましたが、そのときふとまた目についたのは、そこの茶の間の茶だんすの上にあった子どものおもちゃ箱です。あけてみると、まず第一に現われたのは首振り人形。それからやじろべえ。つづいてめんこ、でんでん太鼓にピイヒョロヒョロの笙しょうの笛。その下からただのおもちゃにしては少しおかしい変な玉が三つころころと飛び出しました。赤に、白に、黄――。大きさはすももくらい。

「よッ。江戸も広いが、こんなおもちゃは知らないぞ。まさに、これは玉ころがしに使う玉だな」

「え……? なんです? なんです? 玉ころがしとは、浅草のあの玉ころがしですかい」

「いらぬお世話だよ」

「ちぇッ、なんてまあ意地まがりだろうな。ついもののはずみで、番台にたとえただけじゃござんせんか。いつまでもそう意地わるくいびらなくたってもいいでやしょう」

「いいえ、どうせあたしはふろ屋の番台ですよ。アッハハハ。伝六あにい、きょうはけっこうなお日よりでござるな」

笑いわらいそこの座敷のすみを見ると、ここにも変なものがあるのだ。殺されるまえまで遊び戯れてでもいたらしいすごろくなのです。子どもにすごろくは少しも不思議はないが、いぶかしいのはその賽さい! 粘土造りの安物と思いのほかに、りっぱな象牙ぞうげなのです。子どものすごろく用にはぜいたくすぎる角製のさいころなのです。いや、不審はそればかりではない! すごろく盤の上をよくよく見ると、ところどころにちかちかとなにか光っている粉がついているのだ。金です! 粉れなく金粉なのです! 同時に名人の目も鋭くぴかりと光ると、さえざえとしたことばがはじめて飛びました。

「あにい!」

「えッ! ごきげんが直りましたかい」

「町方役人というものはな」

「どうしたというんです」

「腕ずくでネタやホシをかっ払っていったとてな」

「さようさよう」

「変なところであいづちをうつない。町方役人というものはな。腕より、度胸より――」

「さよう、さよう」

「わかってるのかい」

「いいえ」

「なんでえ、わかりもしねえのに、さようさようもねえじゃねえか。町方役人の上玉と下玉の分かれめはな、腕より度胸より、これとこれだよ」

指さしたのは目と頭! ――まことにしかり、第一は鑑識鑑定の目の力、第二は推理判断判定の頭脳なのです。

「だから――」

「たまらねえな。駕籠かごですかい」

「違うよ。近所へいって聞いてきな」

「え……?」

「わからねえのか。近所へいって、ここの家の様子を洗ってくるんだ」

「いいえ、それならわかっていますが、賽ですよ。さいころですよ。金粉を見つけ出して、ぴかぴかと目を光らしたようですが、こいつのどこが不思議なんですかい」

「しようがねえな。こんなものぐらい知らなくて、ご番所の手先は勤まらねえぜ。いんちきばくちのいかさま師が使う仕掛けのコロじゃねえかよ」

「へえ! これがね」

驚いたのも当然です。今はもちろんご法度はっとだから見たくも見られますまいが、江戸のころは鉛仕掛け、針の仕掛け、あるいはこの種の金粉仕掛けのいんちきコロが、ずいぶんとくろうと筋の間に乱用されたものなので、すなわちさいころの中をくりぬいてまず金粉を仕込み、もちろん仕掛けのコロですから容易に看破できないように巧みにこしらえ、しかるのち五なら五と、ある限った一つの目の下になっているかどに、小さく目だたない穴をこしらえておいて、ガラガラポーンと茶わんかなぞで伏せながら、コロをかきまわしているうちに、もしも五の目が上になって仕掛けのかどの穴が下にならば、当然その穴から仕込みの金粉が盆の上とかござの上に、ちかちかと漏れる道理ですから、それが見えればつけ目張り目、賭かけた、三二六さあ張っちょくれッ、胴は五の目だ、半目だぞッ、――というかいわないか、それまでは詳しく詮索せんさくする必要がないにしても、とにかくそのさいころは右のごときいんちきばくちのいかさま師くろうと筋のみが使用して、悪銭をせしめようとするふらちな道具なのです。

「ほら、みろよ。こいつあ二の目に細工がしてあるとみえて、下からちかちかと金粉が漏れるじゃねえか。気違いや十だの六つだのの子どもが、こんなくろっぽい品を所持しているはずはねえんだ。おそらくは、この家に出入りのやつか、でなきゃ、血筋でも引いたやつが置き忘れていったか、子どもにねだられてくれたものか、どっちにしてもただものじゃねえんだから、これに目をつけたとて何が不思議かい。そっちの玉ころがしの玉にしたってそうじゃねえか。赤や黄のきれいな色がついているから、子どもはたいせつなおもちゃだと思ってしまっておいたかもしれねえが、どいつがどうしてこんな品をくれたか、それも眼がんのつけめなんだ。このうちの家族の様子を探りゃ、おおかた目鼻もつこうというもんだから、とち狂っていずと、はよういってきな」

「ちげえねえ! ちげえねえ! べらぼうめ! ざまあみろい! ええと――、さてな、どこで洗ってきたものかな」

まごまごしながら表へ駆けだしていった様子でしたが、ほど経て帰ってくると、

「変ですぜ! 変ですぜ! 町名主から聞き出してきたんですがね、ちっとこのうちは変ですぜ!」

うろたえて報告しようとしたのを、押えてずばりと右門流でした。

「変だというのは、たぶんあの子どもの親たちのことだろう。父親も母親もそろって去年の十二月十二日に死んだといやしなかったか」

「そうです! そうです! そのとおりなんだが、気味がわるいね、どうしてまたそいつをご存じですかい」

「また始めやがった。あの新しい位牌いはいの裏に、十二月十二日没と書いてあるじゃねえか。それもおそらく変死だろう」

「そうなんだ、そうなんだ。夫婦そろって首をくくったというんですよ。なんでも、ご先祖代代日本橋のほうでね、手広くかつおぶし問屋をやっていたんだそうなが、なんのたたりか、代代キ印の絶えねえ脳病もちの血統があるというんですよ。だから、それをたぶん気に病みでもしたとみえて、去年の十二月店をたたんでここへひっこすそうそう、いやじゃありませんか、ちょうどこの辺ですよ、今だんなのいらっしゃるあたりだというんですがね、跡取りの長男夫婦が急にふらふらと変な気になって、その鴨居かもいからぶらりとやったというんですよ」

「へへえ、この鴨居かい。おおかたそんなことだろうと思ったよ。夫婦ふたりが同じ日に仏となるなんて、そうざらにあるこっちゃねえからな、するてえと、さっきの気違いは、ぶらりとやった長男の兄弟なのかい」

「そうです、そうです。三人めの、つまり一番末のむすこだというんですがね。だから、あのかわいそうな子どもたちにゃ、気は狂っていても正銘の叔父貴おじきだというんですよ」

「というと、死んだ兄貴とあの気違いのまんなかにまだひとりあるはずだが、もしやそいつが、さきほどちらりと姿を見せたあの落としまゆの女じゃねえか」

「ホシ! ホシ! そのとおりですよ。どこかなんでも下町のほうへね、お嫁にいっている娘なんだそうですよ」

「よし、わかった。それで兄弟の人別調べははっきりしたが、もうひとりだいじな人があるだろう。年寄りのはずだが、聞かなかったか」

「気味がわるいな。あるんですよ、あるんですよ、おばあさんだそうながね、どうしてまたそれをご存じですかい」

「いちいちとうるせえな。あそこに水晶の数珠があるじゃねえか。年寄りででもなくちゃ、数珠いじりはしねえよ。するてえと――な、大将!」

「え……?」

「おめえ、変なことが一つあるが、気がついているかい」

「はてな……」

「しようがねえな。いねえじゃねえか! いるべきはずの、そのおばあさんがいねえじゃねえか! な! おい! 伝六ッ。どうだ! どうだ! 不思議に思わねえか!」

「ちげえねえ! さあ、事がややこしくなってきたぞ! だいじな孫が三人も殺されているのに姿を見せねえたア、ばばあめが下手人かもしれねえな。女の年寄りだっても、いんちきばくちのいかさま師がいねえとはかぎらねえんだからね。べらぼうめ! じゃ、もちろん――」

駕籠だろうと駆けだしたのを、

「あわてるな、あわてるな」

制しながら、名人は、疑問の赤、白、黄に染めた三つの玉と、金粉仕掛けのさいころを懐中すると、どこへ行くだろうと思われたのに、ずうと一本道にめざしたのは数寄屋すきや橋のお番所です。

4

「へえ、下手人はここにいるんですかい」

「やかましいよ。敬公がどんな様子をしているか、ちょっとのぞいておいでな」

「え……?」

「よくよく目をぱちくりさせるやつだな。敬公の様子によっちゃ、けんかにならねえように陣立てしなくちゃならねえんだ。こっそりいって、空もようを探ってきなよ」

駆け込んでいった様子でしたが、しかしまもなく帰ってきての報告は、悲しや一歩手おくれだった。

「いけねえ! いけねえ! ひと足先にもう――」

「あげてきたか」

「いいえ、あの変な落としまゆの女を締めあげてね、下手人のどろも吐かし、ありかも突き止めて、今のさっきしょっぴきに出かけたというんですよ」

「ほほう、そうかい」

驚くかと思いのほかに、ゆうぜんたるものでした。

「いくら敬公だっても、そのくらいなてがらはたてるだろうよ。なにしろ、責め道具のネタを三つも持ってけえったんだからな。それで、女はどうしたのかい」

「かわいそうに! 大将のことだから、さんざん水責め火責めの拷問をやったんで、虫の息になりながら、お白州にぶっ倒れているんですがね。ところが、伝六あにいとんだ眼がんちげえをやったんですよ。ちょっと変なことがあるんですが、だんなはいってえだれが下手人だと思ってるんですかい」

「決まってらあ。おめえは行くえ知れずのばあさんだろうとかなんとかさっき啖呵たんかをきったようだが、あの女の亭主野郎、すなわちこの懐中しているさいころの持ち主、詳しくいえばいんちきばくちうちの玉ころがし屋に縁のある野郎だよ」

「かなわねえな。どうしてまたそうぴしぴしとホシが的中するんだろうね」

「またひねりだしやがった。とっくりと考えてみねえな。女のなかにもいかさまばくちの不了見者はたまにいるかもしれねえが、かわいい孫を三人もひねり殺すような鬼畜生は、そうたんとねえよ。あの落としまゆの女が飛び出したときからくせえなとにらんでいたところへ、さいころは見つかる、玉ころがしの玉は出てくる、そのうえに下町へ嫁にいっているといったようだが、敬公のしょっぴきに行ったところもその下町じゃねえのかい」

「そうですよ、そうなんですよ。それも、奥山のたった一軒きりきゃねえその玉ころがし屋が、下手人の野郎のうちだといってね、おおいばりに出かけていったというんですよ」

「そうだろう。女はたぶん亭主と同罪じゃあるめえが、それまでは聞かなかったかい」

「いいえ、聞きました、聞きました。泣いて亭主をいさめたのに、悪党めどうしてもきかずに飛び出したんで、せめても甥おいたちの菩提ぼだいを弔おうと、ああしてさっき子どものむくろにすがりついたというんですよ。だから、もう死ぬ死ぬといってね、ほら、あのとおり――」

「なるほど、泣いているらしいな。それならひとつ――」

疑問なのは老婆なのだ。いや、その行くえと、なにゆえにいなくなっているか、問題はそれです。もちろん、その場になぞを解くべく行くえ探索の行動を開始するだろうと思われたのに、何思ったか名人は反対でした。

「では、ひと寝入りするかな」

あごをなでなでお番所の控え室へはいろうとしたとき――、意気揚々と引き揚げてきたのは、あば敬とその一党です。しかも、眼がんのとおり、一見していんちきばくちのいかさま師と思われる遊び人ふうの男をおなわにしていたものでしたから、あば敬の鼻の高いこと、高いこと。

「ご無礼したな、せいぜいあごでもなでるといいよ」

いどみがましく通っていったのを、名人は柳に風と受け流しながら、なにごとか確信でもがあるらしく、にやにややったままでした。と同時のように、ぴしりぴしりとお白州から、あば敬がさっそくお手のものの拷問を始めたらしく、打ち打擲ちょうちゃくの音が聞こえるのです。

聞いて、まごまごとあわてだしたのは伝六でした。

「泣きたくなるな。今のせりふがくやしいじゃねえですか! ご無礼されねえように、なんとかしてくだせえよ! ね! だんな、なんとか力んでくださいましよ!」

「うるせえな、てがらはこれからだよ。静かにしろ」

その間にもいんちきばくち師を責めにかけつづけているとみえて、ぴしりぴしりとあば敬一流の責め音が聞こえたものでしたから、気が気でなかったとみえて、伝六太鼓があちらにまごまごこちらにまごまごと行ったり来たり、すわったり立ったり、しきりにお白州と控え席を行き来していましたが、まもなく血相変えてもどってくると、どもりどもり告げました。

「いけねえ! いけねえ! 下手人のいかさま野郎、いま舌をかみ切ろうとしたんでね、大騒ぎしているんですよ」

「なに! そうか! じゃ、ちっとも白状しねえのか」

「いいえね、あの三人の子どもを殺したのはいかにもおれだと、それだけは白状したというんですがね、それがまた、むごいまねをしたもんじゃねえですか。おちついているところをみるてえと、もちろんだんなはもう眼がんがついていらっしゃるでしょうが、あの玉ころがしの玉と、さいころをくれてやって日ごろから子どもたちを手なずけてからね、ゆうべすごろくで遊んでいるところへ、ぬっと押しかけ、グウともスウともいわさずに細ひもでくびり殺しておいてから、てめえの罪を隠すためにあくどい細工をしやあがって、さらに胸倉を出刃包丁で突き刺したうえに、あの気違いをいいことさいわいにしながら、役者に使ったっていうんですよ。その使い方も罪なまねしやがったもんだが、かわいそうな気違いさんがね、もちをくれろ、もちをくれろとせきついたんで、くれてやるかわりに、血のついた出刃包丁を持って、死骸しがいのそばに張り番しているかといったら、脳のわりい者は孔子様の口調をまねるんじゃねえが、ほんとうに憎めねえじゃござんせんか、うれしがって、ゆうべからさっきまで、なまもちをかじりかじり張り番していたっていうんですよ。けれどもね、どうしてまたそんなむごい子ども殺しをやったか、肝心かなめのそいつをちっとも白状しねえので、敬大将カンカンになりながら責めにかけているうちに、死んでもいわねえんだと、すごい顔をしながら、ぷつりと舌をかみ切ったというんですよ」

「ふん――」

聞き終わるや同時に、ゆうぜんと立ちながら、シュッシュッと博多はかたのいきな茶献上をしごいていましたが、まことに胸のすくひとりごとでした。

「知恵のねえ男ほど、この世に手数のかかるやつはねえよ。あば敬さんが手を染めたあな(事件)だからな、恥をかかしちゃなるめえと、今までこうしててがらにするのを遠慮していたが、いつまでたっても火責め水責めを改めねえから、おきのどくだが、またこちらにてがらをいただかなくちゃならねえんだ。では、ひとつ生きのいいその知恵を小出しに出かけますかね」

「行くはいいが、どけへ出かけるんです」

「知れたこった。行くえしれずのおばあさんを堀り出しに行くんだよ。その玉さえ拾ってくりゃ、白状しねえで舌をかみ切ったなぞの玉手箱も、ひとりでにばらりと解けらあ。さあ、駕籠かごだッ」

二丁並べて松の内正月二日の初荷の町を、われらも初出とばかり、ひたひたといっさん走り。しかも、目ざしたところは浅草の奥山のたった一軒しかない玉ころがし屋です。

5

降りると、なに思ったか用意の雪ずきんをすっぽりやって、堅くおしゃべり屋の鳴り太鼓を封じました。

「いいかい、ここがいかさまばくちのあの野郎がやっているうちのはずだ。ちっとこれから奇妙なことをするから、いつものように鳴っちゃだめだぜ。ごろごろと遠鳴りさせても、今度は本気でおこるよ」

念を押しておくと、ずいとはいっていって、店番をしていた者に、ふいっといいました。

「五両かかっても、十両かかってもいいんだから、ゆっくり遊ばせてもらいますぜ」

鷹揚おうようにいいながら、赤、白、黄なぞたくさん並んでいた玉の中からむぞうさにその一つを手にすると、さっそくごろごろところがしはじめました。もちろんご存じのことと思いますが、この玉ころがしなる遊びは、坂になった台があって、そのところどころに無数の障害物たるくぎを打ち、坂の下に江戸、京都、大坂おおさか、長崎ながさき、名古屋なぞと地名を書いた穴を設け、上からころがした玉が、くぎの障害物に当たっては当たり、当たっては当たって、あちらへころがり、こちらへ突き当たりながら、下に設けた穴のうちの江戸へ首尾よくぽとりはいらば、江戸は日本一、したがって景品もまた一等で、おひざもとのひざのもとというのをもじった座ぶとんが五枚、大坂ならば浪華なにわをもじって波の花の塩が五合、長崎ならば長く先までつづくというところからひもが一本、名古屋ならば金のしゃちにまねて、おもちゃの瀬戸焼きのしゃちが二個といったような景品のつく遊びなのです。もちろん、なかなかその穴に玉がはいらないので、一個ころがすのが一文というような零細な金高でもけっこう商売になる遊びですが、名人がまたひどくおもしろそうに、ころがしてはころがし、しきりに繰り返していたものでしたから、

「ちぇッ」

あやうく鳴らそうとしたのを、目顔でしかりながら繰り返すこと四半刻しはんとき。――しかし、その目は絶えず鋭く動いているのです。何を捜そうというのか、だれを待っているのか、玉をころがしながら、ちょいちょいと奥をのぞき、ころがしながらまたちょいちょいと集まったり帰ったりするお客を鋭くながめて、かくすることさらに四半刻――。

と――、そのとき、唐棧とうざんの上下に藤倉ふじくらぞうりをつっかけた、一見遊び人ふうと思えるふたりが、弥造やぞうをこしらえながら、さっさと玉ころがし屋の奥へ消えると、ほどなくあわてふためきつつ、また姿を見せて、うろたえ顔にささやいた声が、はしなくも名人の耳にはいりました。

「いけねえぜ! いけねえぜ! あねごばかりか、兄貴もしょっぴかれたようじゃねえか。このぶんなら、あっちのほうの玉にも手が回るぜ」

「回りゃ――」

「そうよ。おれたちの笠かさの台だって満足じゃいねえんだ。急ごうぜ」

早口にささやきながら、駆け去るように出ていったのを、ぴかりと目を光らして見送ると、さえた声が間をおかずに伝六のところへ飛びました。

「ホシだッ、野郎どものあとをつけろッ」

「え……?」

「じれってえな、今やつらが、あっちのほうの玉にも手が回るぜといったじゃねえか。その玉とは、こっちがほしいおばあさんだよ」

「…………?」

「ちぇッ、まだわからねえのかい。おまえの口ぐせじゃねえが、ほんとうにちぇッといいたくなるよ。今の二匹は、同じいかさま師の一家にちげえねえんだ、やつらの仲間がうしろに隠れて、何か細工をしているに相違ねえよ、舌をかみ切った野郎が白状しねえのもそれなんだ。やつら遊び人が親分や兄弟に災難のふりかかることなら、なにごとによらずいっさい口を割らねえしきたりゃア、おめえだっても知っているはずじゃねえか。まごまごしていると、見えなくなっちまうぜ」

わかりすぎるほどわかりすぎたとみえて、珍しくおしゃべり屋がものをいわなかった。そのかわりに、いっさん走り。尾行となるとこやつの一芸で、伝六がまた名人です。

遠いだろうとつけていったところが、目と鼻の本願寺裏でした。しかも、ひと目に丁半師のうちと思われる一軒へ消えていくと、ふたりの注進によって、ほどたたぬまに荷物としながら表へかつぎ出してきたのは、怪しくも大きなつづらです。まわりに六、七人の長わきざしがぐるりと取り巻き、それらのうしろにいるやつが、何のそれがしという親分にちがいないつらだましい精悍せいかんな一人が、羽織の長いひもを、いかにも遊び人ふうに首へかけながら、鮫鞘さめざやの大わきざしをぶっさして、つづらをさしずしながら、いず地かへ運び去ろうとしていたものでしたから、名人が雪ずきんにふところ手したまま、ずいとその行く手をふさぐと、あの胸のすく名啖呵たんかでした。

「この江戸にゃ、おれがいるんだぜ」

「なんだと!」

「下っぱのひょうろく玉たちが、豆鉄砲みたいな啖呵をきるなよ。観音さまがお笑いあそばさあ」

「気に入らねえやつが降ってわきやがった! どうやらくせえぞッ。めんどうだッ。たたんじまえッ」

ばらばらと左右から飛びかかろうとしたのを、

「下郎! 控えろッ」

ずばりと大喝だいかつ一声! いいつつぱらりと雪ずきんをかなぐりすてると、うって変わって、すうと溜飲りゅういんのさがる伝法な啖呵でした。

「同じ江戸に住んでいるじゃねえかよ。いんちきさいころをいじくるほどのやくざなら、このお顔は鬼門なんだ。よく見て覚えておきなよ」

「そうか! うぬがなんとかの右門かッ。生かしておきゃ仲間にじゃまっけだ。骨にしてやんな!」

いまさら、と思われたのに、親分がののしりながら、鮫鞘さめざやを抜き払って、笑止にも切ってかかろうとしたので、ダッと草香流。ぐいとねじあげておいて、心持ちよさそうに片ひざの下へ敷いておくと、莞爾かんじとしながらいどみかかろうとした子分たちへ朗らかに浴びせかけました。

「どうだね、むっつり右門の草香流というなあ、ざっとこんなぐあいなんだ。ほしけりゃ参ろうかい。ほほう。さび刀をまだひねくりまわすつもりだな、草香流が御意に召さなきゃ錣正流しころせいりゅうの居合い切りが飛んでいくぞッ。――のう、ひざの下の親分、だんだんと人だかりがしてくるじゃねえか。恥をかきたくなけりゃ、子分どもをしかったらどうだい。それとも、三、四人三途さんずの川を渡らせるかッ」

「お、恐れ入りました。本願寺裏のだんだら団兵衛だんべえといわれるおれが、世間に笑われちゃならねえ。すなおにすりゃお慈悲もあるというもんだ。野郎ども、だんなのおっしゃるとおり、手を引きな」

だんだら団兵衛とは名のるにもおこがましいような名まえだが、とにかくひざの下のやつも一人まえの親分とみえて、しかりつけたところを、得意の伝六がかたっぱしから数珠じゅずつなぎ――。

「手間をとらしゃがった。いまに騒ぎだすだろうと思って、おもしろくもねえ玉ころがしで、あわてだすのを張っていたんだ。右門の眼がんに狂いはねえはずだから、そのつづらをあけてみな」

伝六さらに得意になって、怪しくも大きなそれなるつづらのふたをあけてみると、果然、さるぐつわのままで、ひょろひょろと現われたのは、探索中の老婆です。しかも、名人のいったとおり、ひとりでにいっさいのなぞが老婆の口から解けました。

「ありがとうござります。ありがとうござります。婿は、玉ころがし屋の悪はどうなりました」

「きのどくながら、ご番所で舌をかみ切りましたぜ」

「いい気味でござんす! あんな鬼畜生は、それがあたりまえでござんす! ほんとに、なんて人でなしの野郎でござんしょう! いくら血筋はつながっていなくとも、義理の甥おいをくびり殺すとは、ばちあたりでござります」

「じゃ、おばあさん、何もかも見ていたのかい」

「見ていたどころか、わたしの目の前で殺したんでございますよ。それというのが、一万両ばかり先代の残した金がござんすので、せがれ夫婦が死んだあとの遺産に目をつけて、かわいそうに、孫どもをなくして跡を断ってしまえば、気の触れた弟子おとうとごに行くはずはなし、そっくりそのまま婿のわが身にころがり込むだろうと、あのようなおろかなまねをいたしまして、このわたくしまでをも、こんな悪のところに押し込め、今が今まで身代を譲れの渡せのと、責め折檻せっかんをしていたのでござります。――どなたさまやら、なんとおっしゃるだんなさまやら、年寄りの目には……この老婆の目には、生き如来様のように見えまするでござります」

「もったいのうござんすよ。拝まれるほどの男じゃねえんです。お手をおあげなすって! お手をおあげなすってくだせえまし! そんなに拝まれりゃ、地もとの観音さまに申しわけござんせんや」

まことに淡々として名利に淡泊でした。

「じゃ、伝六ッ、なんとやら団兵衛とかいった一家の者は、例のように辻つじ番所へでも始末してな。おばあさんはこっちのお駕籠かごだ。お乗りなせえまし」

いたわりながら数寄屋橋すきやばしへ引き揚げていくと、舌をかみ切ってひくひくと苦悶くもんしている玉ころがし屋のそばで、ぼうぜんと失神したようにまごまごとしていたあば敬の前に、老婆をずいと押しやりながら、あっさりと一揖いっしゅうしていいました。

「へえ、お待ちどうさま、おみやげでござんすよ、おばあさんに聞きゃわかるから、尋ねてごらんなさいな」

去ろうとしかけて、ふいっと何か思いついたように立ち止まると、にやにやしながら、改まっていいました。

「そうそう、いま思い出しました。朝ほどはわざわざ組屋敷のほうへご年始の催促に来ていただいて恐縮しましたね、ついでに、ここで申しておきましょう。明けましておめでとうござる。ことしもこんなぐあいに、あいかわらず――さようなら」

「ちぇッ。すっとしたね。ああ、たまらねえな。ね、敬だんな! ことしもこんなぐあいに、あいかわらずたアどうですかい。おらがだんなのせりふは、このとおり、こくがあるんですよ。ああ、たまらねえな。すっとしましたね」

伝六のよろこぶこと、溜飲りゅういんをさげること!

「ほい! どきな! どきな! 初荷だよ! 初荷だよ!」

主従ふたりが戸を並べて出ていったその表の通りを、いなせに景気のいい江戸まえの初荷が、景気よくいなせに呼んで通りすぎました。

――なお、これは余談ですが、まもなく本郷妻恋坂の片ほとりに、三体の子ども地蔵が安置されて、朝夕、これに向かって合掌看経かんきんを怠らぬ年老いた尼と、年若い尼のふたりが見うけられました。老尼はいうまでもなくあの老婆、若尼は不良の夫をいさめてついにいさめきれなかったあの落としまゆの女でした。もちろん、みなこれらのことは、わが捕物名人の情けある計らいによった結果です。

底本 / Source edition

底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:しず
2000年4月12日公開
2005年9月20日修正
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/000592_000111/

佐々木 味津三「右門捕物帖──21 妻恋坂の怪」(新字新仮名)、底本『右門捕物帖(三)』春陽文庫、春陽堂書店、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000592_000111, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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