Soranoha

右門捕物帖

うもんとりものちょう

佐々木 味津三

1

その第二十五番てがらです。

事の起きたのは仲秋上浣じょうかん。

鳶とびノ巣山すやま初陣ういじんを自慢の大久保彦左ひこざがあとにも先にもたった一度詠よんだという句に、

「おれまでが朝寝をしたわい月の宿」

という珍奇無双なのがあるそうですが、月に浮かれて夜ふかしをせずとも、この季節ぐらい、まことにどうも宵臥よいぶし千両、朝寝万両の寝ごこちがいい時候というものはない。やかまし屋で、癇持かんもちで、年が年じゅう朝早くからがみがみと人の世話をやいていないことには、どうにも溜飲りゅういんが起こって胃の心持ちがよくないとまでいわれた彦左の雷おやじですらもが、風流がましく月の宿なぞと負け惜しみをいいながら、ついふらふらと朝寝するくらいですから、人より少々できもよろしく、品もよろしいわが捕物とりもの名人が、朝寝もまた胆の修業、風流の一つとばかり、だれに遠慮もいらずしきりと寝ぼうをしたとてあたりまえな話です。

だから、その朝もいい心持ちで総郡内のふっくらしたのにくるまりながら、ひとり寝させておくには少し気のもめる臥床ふしどの中で、うつらうつらと快味万両の風流に浸っていると、

「ちぇッ、またこれだ。ほんとに世話がやけるっちゃありゃしねえや。ちょっと目を放すと、もうこれだからな。今ごろまでも寝ていて、なんですかよ。なんですかよ、ね、ちょっと、聞こえねえんですかい。ね、ちょっとてたら!――」

遠鳴りさせながらおかまいなくやって来て、二代め彦左のごとくにたちまちうるさく始めたのは、あのやかましい男でした。

「起きりゃいいんだ、起きりゃいいんだ。ね、ちょっと!――やりきれねえな、毎朝毎朝これなんだからな。見せる相手もねえのに、ひとり者がおつに気どって寝ていたってもしようがねえじゃござんせんか。起きりゃいいんですよ、起きりゃいいんですよ。たいへんなことになったんだから、早く起きなせえよ」

「…………」

「じれってえな。だれに頼まれてそんなに寝るんでしょうね。ね、ちょっと! たいへんですよ。たいへんですよ。途方もねえことになったんだから、ちょっと起きなせえよ」

声に油をかけながらしきりとやかましく鳴りたてたので、不承不承に起き上がりながらひょいと見ながめると、これはまたどうしたことか、ただやかましく起こしに来たと思いのほかに、あの伝六がじつになんともかとも困りきったといった顔つきで、いいようもなくぶかっこうな手つきをしながら、後生大事と赤ん坊をひとり抱いているのです。

「ほほう。珍しいものをかっ払ってきたね。豪儀なことに、目も鼻もちゃんと一人まえについているじゃねえか。どうやら、人間の子のようだな」

「またそれだ。どこまで変なことばかりいうんだろうね。もっと人並みの口ゃきけねえんですかよ。抱いてくださりゃいいんだ。忙しいんだから、早くこいつを受け取っておくんなせえよ」

「起きぬけにそうがんがんいうな。――ああ、ブルブル――ほら、ほら、こっちだよ。こっちだよ。おじちゃんの顔はこっちだよ。ああ、ブルブル。――わっははは、かわいいね。この子は生きているよ。ね、見ろ、笑ったぜ」

「ちぇッ、おこりますよ、おこりますよ。なんてまあ、そう次から次へとろくでもねえ口がきけるんでしょうね。目と鼻があって、息の通っている人間の赤ん坊だったら、生きているに決まってるんだ。この忙しいさなかに、おちついている場合じゃねえんだから、はええところ抱きとっておくんなせえよ」

「変なことをいうね。はばかりながら、おいらはそんな赤ん坊に親類はないよ。おれに抱けとは、またどうした子細でそんな因縁つけるんだ」

「あっしにきいたっても知らねえんですよ。あの三助がわりいんだ。あの横町のふろ屋のね。あいつめがパンパンと変なことをぬかしゃがったもんだから、べらぼうめ、そんなバカなことがあってたまるけえと思って、橋のたもとへいってみるてえと、この子がころがっていたんだ。だから、はええところ受け取ってくださりゃいいんですよ」

「あわてるな、あわてるな。ひとりがてんに三助がどうのふろ屋がどうのと変なことばかりいったって、何がなんだかさっぱりわからねえじゃねえか。その子の背中に、むっつり右門の落とし子とでも書いてあるのかい」

「いいえ、書いちゃねえんだ。一行半句もそんなことは書いちゃねえが、もう少し早起きすると何もかもわかるんですよ。朝起き三文の得といってね、寝る子は育つというなア数え年三つまでのことなんだ。四つそろそろかわいざかり、五つ歯ぬけに六ついたずら、七八九十はよみ書きそろばん、飛んで十五とくりゃもう元服なんだからね。ましてや、だんなのごとく二十五にも六にもなるいいわけえ者が、日の上がるまでも寝ているってことはねえんですよ。だから、あっしもね――」

「なにをつまらん講釈するんだ。そんなことをきいているんじゃねえ、赤ん坊のことをきいているんだよ。横町のふろ屋の三助がどうしたというんだよ」

「いいえ、そりゃそうですがね、全体物事というものは順序を追って話さねえといけねえんだ。これでなかなか、こういうふうに筋道をたてて話すということは、駆けだしのしろうとにゃできねえ芸当でね、なんの縁故もかかり合いもねえような話でも、順を追ってだんだんと話していけば、だんなも一つ一つとふにおちていくでしょうし、ふにおちりゃしたがって眼がんのつきもはええだろうと思って、せっかくあっしもこうしてつまらんようなことからお話しするんだが、だからね、朝起き三文の得というからにゃ、おいらだっても早起きしなくちゃなるめえとこういうわけで、けさも六つの鐘を耳にすると、すぐさまひとっぷろ浴びに行ったんですよ。するてえと、だんな、あんな三助ってえ野郎もねえものなんだ。いかに朝湯は熱いものと相場が決まっているにしても、まるでやけどをしそうなんですよ。ぜんたい、お湯屋というものは、だんなを前において講釈いうようだが、人間をゆでだこにするためにこしらえてあるんじゃねえ、からだをあっためるためにこしらえてあるんだからね、さっそくあっしがぱんぱんと啖呵たんかをきってやったんですよ。やい、バカ野郎ッ、こんな煮え湯をこしれえておいて、おいらをゆであげておいてから、あとで酢だこにでもする了見かい、と、こういってやったらね、三助の野郎がまたとんでもねえ啖呵をきりやがったんですよ。何をぬかしゃがるんだ、酢だこになりたくなけりゃかってに水をうめろ、それどころの騒ぎじゃねえんだ、通りの橋のたもとに、おかしな捨て子があるっていうんで、みんないま大騒ぎしているじゃねえか、と、こんなにいいやがったんですよ。だから、あっしもまた啖呵をきってやったんだ。べらぼうめ、この泰平な世の中に、そんなおかしな捨て子なんぞがあってたまるもんけえというんでね、さっそく飛んでいってみるてえと、――ほら、なんとかいいましたっけね、あそこの町のまんなかに大きな橋があるじゃござんせんか。ありゃなんといいましたっけね」

「どこの町だよ」

「日本橋の大通りにあるじゃござんせんか、東海道五十三次はあそこからというあの橋ですよ」

「あきれたやつだな。あいそがつきて笑えもしねえや。日本橋の大通りにある橋なら、日本橋じゃねえかよ」

「ちげえねえ、ちげえねえ。その日本橋の人通りのはげしい橋のたもとにね、目をくるくるさせながら、この子がころがっていたんだ。だから、ともかくこいつをはええところ抱きとっておくんなせえよ」

「受け取るはいいが、なんだってまた、おれがこれを受け取らなくちゃならねえんだ」

「じれってえだんなだな、捨て子はこの子がひとりじゃねんだ。まだあとふたりも同じようなのがころがっているんですよ。だから、あとのを運ぶに忙しいといってるんじゃござんせんか」

「ちぇッ、なんでえ。あきれけえったやつだな。それならそうと、最初からはっきりいやいいじゃねえか。手数をかけるにもほどがあらあ、あとのふたりは、どうして置いてきたんだ」

「どうもこうもねえんですよ。ねこや犬の子なら、三匹いようと八匹いようと驚くあっしじゃねえんだが、なにしろ人間の子ときちゃ物が物だからね、いっしょに運んでつぶしちゃならねえと思って、わいわい騒いでるやつらをしかりとばしながら、張り番させて置いてきたんですよ。売るにしろ、飼うにしろ、だんなにまずいちおうお目にかけてのことにしなくちゃと思ったからね」

「よくよくあきれけえったやつだな。急いでしたくをやんな」

「え……?」

「胡散うさんな捨て子が三人もあっちゃ、どうやらいわくがありそうだから、とち狂っていねえで、はええところしたくをしろといってるんだよ」

「ちッ、ありがてえ。だから、早起きもして、ふろ屋の三助ともけんかするもんさね。ざまあみろ。事がそうおいでなさりゃ、もうしめたものなんだ。それにしても、せわしいな、なんてまあこうせわしいんだろうね。――いやだよ、大将、おい、赤ん坊の大将、泣くな、泣くな。泣いちゃいやだよ。おじさんだってもこわくないぜ。ね、ほら、おもちゃがほしくば、この鼻の頭をしゃぶるといいよ。――ああ、せわしいな。いつになったら、あっしゃもっと楽になれるんでしょうね」

まったく、いつまでたってもせわしい男です。ぶ器用に赤ん坊をあやしあやし道いっぱいに広がるように歩きながら、すいすいと風を切って、日本橋へ急いだ名人のあとを追いかけました。

2

行きついてみると、いかさま橋のたもとはわいわいと文字どおり老若男女入り交じって、さすがの日本橋も身動きができないほどにいっぱいの人だかりでした。無理もない。一つ朝に、同じ場所へ三人もの捨て子をするとは、なにごとも日の本一を誇る江戸においても、まさに古今未曽有みぞう前代未聞みもんのできごとだったからです。

「かわいそうにね」

「そうよ。おいらはさっきからもう腹がたってならねえんだ。産むってこたあねえのですよ。産むってこたあね。え? 棟梁とうりょう! そうじゃござんせんか。捨てるくらいなら、なにも手数をかけてわざわざと産むってこたあねえでしょう」

「おれに食ってかかったってしょうがねえじゃあねえか。文句があるなら親にいいなよ」

「いいてえのは山々だが、その親がいねえから、よけい腹がたつんですよ。ね、ご隠居! おたげえ人の親だが、いくら貧乏したっても、おいらは子を捨てる気にゃならねえんですよ。え? ご隠居。ご隠居さんはそう思いませんかい」

「さようさよう。しかればじゃ、世の戒めにと思ってな、さきほどから一首よもうと考えておるのじゃが、こんなのはどうかな。朝早く橋のたもとに来てみれば、捨て子がありけり気をつけろ――というのはいかがじゃな」

「あきれたもんだ。油が抜けると、じき年寄りというやつは、歌だの発句ほっくだのというからきれえですよ。でも、子どもはまったく罪がねえや。捨てられたとも知らねえで、にこにこしながら、あめをしゃぶっておりますぜ」

憤慨する者、同情する者、目にたもとをあててもらい泣きする女たち、――それらのささやきかわし、嘆きかわしているさまざまの物見高い群衆を押し分けながら、名人は面をかくすようにして近づくと、何をするにもまずひと調べしてからというように、いつものあの鋭いまなざしで、じろりじろりと残っているふたりの捨て子を見ながめました。――年のころはいずれも二つくらい。ひとりはどうやら女らしく、あとのひとりは伝六がいまだにまごまごして抱いているのと同様、まさしく男でした。しかるに、これが少しおかしいのです。十中十まで捨て子をするには、それが長い昔からのお定まりであるかのごとく、あとあとへの目印と証拠になるべきお守り札に、少なくも着替えの一、二枚は必ず添えてあるのが普通なのに、どうしたことか、いぶかしいその捨て子には、いっこうにそれらしい品が見当たらないのでした。のみならず、子どもそのものにも不思議な相違が見えました。左に寝かされている男の子のほうは、まるまると肥だちもよくて、ずきんから着物にいたるまでひと目に裕福な良家の生まれらしい節々が見えましたが、右に寝かされている女の子のほうは見るからにやせ細って、そのうえに着物も継ぎはぎだらけの洗いざらしなのです。

――せつな! 名人の目がきらりと光るや、同時にさえまさった声があいきょう者のところへ飛びました。

「抱いているその子も、いっしょに並べてみい!」

「え……?」

「おまえの抱いている赤ん坊も、そこへもういっぺん寝かせといってるんだよ」

「情なしだな。せっかく拾ったものを、また捨てるんですかい」

「文句をいうな。早くしたらいいじゃねえかよ」

「へいへい。お悪うござんした。並べましたよ。さあ、並べましたからね。お気のすむようになさいませよ。どうせ、あっしはいろいろと文句をいう変な野郎なんだからね。ええ、そうですとも」

「…………」

「ええ、ええ、どうせそうですよ。どうせあっしなんざあ人前でがみがみとしかられるようにできた野郎なんだからね。もっとしかりゃいいんだ。出世まえの男を人前でしかるのがりっぱなことなら、もっとしかりゃいいんですよ。――おやッ。はあてね。少し変だな。こうして並べてみると、三人の様子がおかしいじゃござんせんかい。いま捨てた子も、左の赤ん坊も、男の子はみんなまるまる太っていかにも金満家のぼっちゃまらしいが、それにひきかえまんなかの女の子ばかりは、やけに貧乏ったらしいじゃござんせんか。ね! ちょいと! どうしたんだろうね」

すねながら見比べているうちに、血のめぐりの大まかなあいきょう者もそのことがいぶかしく思われたとみえて、必死と首をひねりだしました。まことに、これは不審といわざるをえない。まんなかのやせ細った貧しげな赤ん坊から推断すると、世のつねの捨て子のごとく貧ゆえに育てかねて捨てたらしく思われるが、それにしては右と左のまるまる肥え太ったふたりの子どもが奇怪なのです。ただの捨て子か? それとも、何か秘密があるか?――。

「なぞを解くかぎはこれだな」

いうように名人はそろりそろりとあごをなでなで、何か眼がんのネタになるものはないかと、鋭く目を光らしました。巨細こさいに見調べると、まんなかの女の子の着物の継ぎはぎが、いかにもぶ細工なのです。しまがらのおそろしく違ったところがあるかと思えば、縫いめが曲がっていたり、ゆがんでいたり、はなはだしくふてぎわで、針の道を知らぬ男目から判断しても、おそらくこの繕い主はまだとしはのいかぬいたいけな子どもか、でなくばぶ器用な男手でやったものか、二つのうちのどちらかでした。しかも、さらに不審なのは、その子ばかりが敷き物を敷いているのです。その敷き物がまたただの敷き物ではなく、一枚は七つか八つの男物の、一枚は十か十一、二歳くらいの女物の、両方ともにあかじみたぼろぼろの子どもばんてんでした。いや、そればかりではない。よくよく見ると、そのはんてんの端にくるんでまくらがしてあるのでした。そのまくらもまたありきたりのまくらではなく、捨てるときにぬぎ捨てて、まにあわせのまくら代わりにしておいたらしい同じ子どものぞうりなのです。それも七、八つくらいと、十一、二歳くらいの大小二足。

「ふふうむな。どうやら、そろそろと――」

「ありがてえ。つきましたかい。え? ちょっと! もう眼がんがつきましたかい」

「やかましいや。黙ってろ」

しかりながら、片手を伸ばして取り出そうとしたとたん――、ぱさりとそのぞうりの間から地に落ちたいぶかしいひと品が、強く名人の目を射ぬきました。何のまじないに使ったものか、青竹にはさんだ祈願用の小さな畳紙たとうがみです。のみならず、その小さな玉串たまぐしの表には、達者な筆で鬼子母神と書かれてあるのでした。

「はあてね。まるでこりゃなぞなぞの判じ物みてえじゃござんせんか。鬼子母神といや、昔から子どもの守り神と相場が決まってるんだが、それにしても、ぞうりの間に畳御幣をはさんでおくたア、ちっと風変わりじゃござんせんかい。まさかに、この赤ん坊が年ごろの娘になったら、ぞうり取りの嫁にしてくれろってえなぞじゃありますまいね」

「…………」

「え? ちょっと! ね、だんな! かなわねえな。すこうし眼がんがつきかけると、じきにむっつり屋の奥の手を出すんだからね。なにもあっしだって、ひとりごとをいうために生まれてきたんじゃねえんだ。ああでもねえ、こうでもねえと、いろいろやかましくしゃべっているうちにゃ、だんなの眼もはっきりついてくるだろうと思って、せいぜい年季を入れているんですよ。ね、ちょっと。ええ? だんな!」

うるさくいうのを、名人は柳に風と聞き流しながら、しきりと右の畳御幣を朝日にすかしつつ見ながめていましたが、ふとそのとき、ありありと目に映ったのは、折りたたんだ紙の中にも何か書いてあるらしい墨の跡でした。これは書いてあるのがあたりまえです。畳御幣は中にご立願りゅうがんの文句を書いてたたみ込むのが普通ですから、墨の跡の見えるのが当然ですが、しかしその書かれてあった祈願の文句なるものが、すこぶる不審でした。

「母かあよ。みんなひもじくてならねえんだ。はやくかえってきてくんな」

そう書いてあるのです。それも、くねくねと曲がりくねった金くぎ流のおぼつかない文字で、一読肺腑はいふをえぐるような悲しい訴えと祈願が、たどたどしげに書いてあるのでした。――せつな! 名人がさわやかに微笑すると、なに思ったか不意にきき尋ねました。

「みなの衆! 隠しだてしてはなりませぬぞ。この子のしゃぶっている棒あめは、どなたが与えたのじゃ」

「…………」

「だれぞかわいそうに思うて恵んだ者があるであろう。とがめるのではない。ちと必要があっておききしたいのじゃ。見れば、しゃぶらしてからまだ間もないようじゃが、どなたがお恵みなすったのじゃ」

「いえ、あの、それはだれも恵んだのではござりませぬ。初めからしゃぶっていたのでござります」

いっぱいの人だかりを押し分けながら進み出て、てがら顔に答えたのは、このあたりの者らしい町家のご新造でした。

「わたしがいちばん最初にこの捨て子を見つけた当人でござりますゆえよく存じておりますが、初めからまんなかのその子ばかりがしゃぶっておりましてござります」

「しかとさようか」

「あい、うそ偽りではござりませぬ。わたしが見つけたほんのすぐまえにでも与えたものとみえて、まだまるのままのを持ってでござんした」

聞くや同時です。とつぜん、ずばりと生きのいい右門流があいきょう者のところへ飛びました。

「それがわかりゃ、もうぞうさはあるめえ。はだしではんてんを着ていねえ子どもがふたり、どこかそこらの人込みの中に隠れているにちげえあるめえから、手分けしておまえもいっしょに捜しな」

「フェ……?」

「何をとぼけた顔しているんだ。おめえにゃこの畳御幣の文句が見えねえのかよ。母よ。みんなひもじくてならねえんだ。早くかえってきてくんなと、読んだだけでもまぶたの奥が熱くなるようないじらしい文句がけえてあるじゃねえか。しゃぶっているそのあめも、ついでによく見ろよ。だれも恵んだ者がねえにかかわらず、まだ三つ一も減っちゃいねえところを察すると、ぞうりを脱いで、はんてんを脱いで、あめをしゃぶらせて、おっかあは来ねえか、母は帰らねえかと、首を長くしながら様子を探っているこの畳紙の文句の書き手の子どもがふたり、どこかに隠れているはずだよ。とち狂っていねえで、早く捜しな」

「なるほどね。いわれてみりゃ、おおきにそれにちげえねえや。べらぼうめ、なんて人騒がせなまねしやがるんでしょうね。――やい! どきな! どきな! 見せ物じゃねえんだ。見せ物に捨て子したんじゃねえんだよ。おっかあがけえってくるように捨て子をしたと、おらのだんなが狂いのねえ眼をおつけあそばしたんだ。どきな! どきな!」

「…………」

「じゃまっけだな。そこんところに毛ずねをまる出しにして伸び上がっているのっぽは、どこの野郎だ。おめえなんぞの毛ずねに用はねえんだよ。はだしの子どもを捜しているんだ。はんてんを着ていねえ子どもを捜しているんだよ。どきな! どきな!」

ここをせんどとやかましくどなりながら、あちらに泳ぎ、こちらに泳いで、しきりと人込みをかき分け捜し歩いていたかとみえたが、果然名人の推断が的中したとみえて、けたたましくあいきょう者の呼びたてる声が聞こえました。

「ちくしょうッ。いやがったッ、いやがったッ。ここんところに餓鬼めが二匹震えているんですよ」

声に、どっとひしめきたったやじうまたちを押し分けながら近づいてみると、いかさま朝あけの冷たい道にはだしとなって、はんてんのない薄着のからだをふるわせながら、寒そうに相抱き合って、おどおどしている貧しげな子どもがふたりいるのです。――姉とおぼしき者はやはり十一、二歳くらい。その弟と見ゆる子どもは八つくらい。

「ね! これがそうですよ。ふてえやつらだ。このふたりが、そうにちげえねえんですよ」

ぎゅっと両手でわしづかみにしながら、てがら顔にどなっているのを、ずかずかと近よって、ぱらりその手首をはねのけると、まことに涙ぐみたくなるような右門流でした。

「手荒なまねをすりゃこわれちまわあ。――寒いとみえて、くちびるが紫色だな。ほら、これを首にでも巻いていな」

おのが羽織をぬぎ取りながら、きょうだいふたりのえりもとへふんわりかけてやると、黙々としてややしばしじいっとふたりの面を見守っていましたが、じわり、その目に涙をためながら、やさしくいたわるようにいいました。

「二、三日何も食べないとみえて、だいぶおなかがすいているようじゃな。右門のおじさんの目に止まったからにゃ、どんなにでも力になってしんぜるぞ」

「…………」

「泣くでない、泣くでない。さぞかし、ひもじいだろうな。伝六ッ」

用もないのに、こういうときにこそ、おらがだんなのすばらしいところをいばらねば、といわぬばかりで、群衆の間をあちらにまごまご、こちらにまごまごと泳ぎまわっていたあいきょう者を鋭く呼び招くと、ずばり命じました。

「そこの横町へはいれば、大福もち屋があるはずだ。大急ぎで百ばかり買ってきな」

「え? 百! 数の、あの、数の百ですかい」

「決まってらあ。数の百だったらどうだというんだ」

「いいえ、その、ちっと多すぎるんでね、残ったあとをどうするんかと心配しているんですよ」

「さもしいなぞをかけるな! 食べたかったら、おめえがいただきゃいいじゃねえか」

「ちッ、ありがてえ。おらがだんなは、諸事こういうふうに大まかにできているからな。ざまあみろ。やい、何をゲタゲタ笑ってるんだ。じゃまじゃねえか。大福もちが百がとこ買い出しに行くんだ。じゃまだよ、じゃまだよ。どきな! どきな!」

勇みに勇んであいきょう者が飛び出していったのを見送りながら、いまかいまかと命令のあるのを待ちうけていた自身番詰めの小者たちをさし招くと、

「もうご用済みだ。だいじな赤ん坊にかぜでもひかしちゃならねえから、てつだってあっちへ運んでいきな」

いいつけておいて、いたわりながら、おびえおののいているきょうだいふたりを橋向こうのその自身番小屋へいざなっていきました。

3

むろんのことに、すぐさま尋問を始めるだろうと思われたのに、そうではないのです。気の静まるまでというように、じいっと名人は静かにきょうだいふたりを見守ったままでした。

ところへ、両わき両手いっぱいに大福もち包みをいくつかかかえながら、ふうふう息を切って駆けもどってきたのは、あいきょう者のあにいでした。

「江戸っ子はもち屋までがいいきっぷをしているから、うれしくなるんですよ。きょう一日分のできたてをみんな買い占めてやったんでね、ないしょに二つまけてくれましたぜ」

「はしたないことをいうな! 早くこっちへ出しなよ」

袋ごと取って差し出すと、やさしくきょうだいにすすめました。

「遠慮はいらぬ。さぞひもじいだろうから、かってにつまんでお上がり」

「…………」

「ほほう、なかなかお行儀がよいのう。だいじない。だいじない。はようお上がり」

いわれて、姉のほうがもじもじしながら一つつまみあげたので、もちろんおのが口へ運ぶだろうと思われたのに、黙ってかたわらを顧みると、弟のほうに差し出しました。しかも、おのれはそれっきり食べようとしないのです。――飢えて飢えて口なづきするくらいにも飢えきっているのに、いただこうともしないのです――見ながめながら名人の目にはふたたびきらきらと露の玉が宿りました。そのいじらしい心にしずくが散りました。いや、散ったばかりではない。慧眼けいがんまことにはやぶさのごとし!

「感心なことよのう。こんなにたくさんあるのに、そなたいただきませぬのは、このおもちをうちへ持って帰って、二、三日の間のおまんま代わりにしたいためであろうのう」

「…………」

「え? そうであろうのう。それゆえ、ひもじいのをこらえて、いただかないのでありましょうのう」

あい――、というように、名も知れぬいたいけな小娘は、その目にいっぱい涙をためながら、かぶりを縦にふりました。

「ちくしょうッ、泣けやがらあ、泣けやがらあ。なんてまあ、なんてまあ、いじらしいでしょうね。べらぼうめ! どこのどいつが、こんなかわいらしい子どもたちを貧乏にしやがったんだ。――食べな! 食べな! おらのだんなは、日本一お情けぶけえおかたなんだ。ほしけりゃ、江戸じゅうの大福もちみんなでも買ってくださるんだから、どんどん食べな、腹いっぱい食べな」

そばから伝六も伝六らしいもらい泣きをしながら、必死にすすめたが、自分はこらえられるだけこらえて弟にというように、いくたびか口なづきしながらも小娘はじっと耐え忍びつつ、飢えをかくして悲しげにさし控えたままでした。――そのいじらしさ! しおらしさ! 名人はあふれあがるしずくを散るがままにまかせながら、やさしく尋問を始めました。

「よくよくつらいめに会うているとみえますのう。なれども、おじさんがこうして力になってあげますからには、もうだいじないゆえ、なにごとも隠さずに申さねばなりませぬぞ。どうした子細で、このようなことをしたのじゃ」

「…………」

「え……? どうした子細で、としはもいかぬそなたたちが、こんなことをせねばならぬのじゃ。母よ、早く帰ってきてくんなと鬼子母神さまにお願いしてあるようじゃが、そなたたちのかあやんはどこへ行ったのじゃ。のう! どこへ行ってしまったのじゃ」

問えども、きけども、どうしたことか小娘は涙をいっぱいためたままで、何も告げないのです。

しかし、そのかわりに、とつぜんそのとき表のほうが騒がしくなったかと思うや同時に、目色を変えながら、おのおの丁稚でっちと子もりらしいのをいっしょに引き従えて、どやどやと自身番小屋へ駆け込んできたのは、ひと目にそれとわかる裕福そうな町家のご新造連れ二組みでした。しかも、両人ともに柳眉りゅうびをさかだてんばかりにしながらかん高い声をあげると、異口同音にわめきたてました。

「やっぱり、うちの子でござんす! うちの子でござんす! だれがこんなところへ盗み出して捨てたんでござんしょう! そちらに寝かしてある坊やは、わたしたちのだいじなだいじなひと粒種でござんすゆえ、早く返しておくんなさいまし! 早くこちらへお返しくださいまし!」

会釈もせずに駆け上がって連れ出そうとしたのを、

「騒々しい、なにごとじゃ」

静かに名人が押えながら、ぎろり目を光らして問いなじりました。

「盗み出したとは、いったいどうしたわけじゃ」

「どうもこうもござんせぬ。ゆうべ本所の子育て観音さまに虫封じのご祈祷きとうがござんしたゆえ、こちらにおいでの糸屋のご新造さんとお参りに行きましてついおそうなり、疲れてそのままぐっすり寝込みましたら、いつとられましたものか、朝になってみますると、ふたりとも坊やたちを盗まれていたのでござります。それゆえぎょうてんいたしまして、大騒ぎをしておりましたところへ、いましがた日本橋に似たような捨て子があると知らしてくれた人がありましたゆえ、もしやと思って駆けつけたのでござんす。ほんに憎らしいってたらありゃしない。だれが盗み出したやら――、ま! その子じゃ! その子じゃ! 下手人はそのきょうだいに相違ござんせぬ!」

わめきたてながら、はしなくもそこに震えているなぞの小娘たちふたりを発見すると、こづきまわさんばかりにしながら、がみがみとののしりました。

「おまえじゃ! おまえたちじゃ! たしかに、下手人はおまえたちであろう! きのうの夕がたうちの前をうろうろしていた様子がうさんじゃと思うていたが、きっと夜中に忍び込んで盗み出したのじゃ! さ! 白状しませい! せねば、こうしまするぞ!」

女の身にあられもなくののしりわめきながら、新造のひとりが力まかせに小娘の手を取ってつねろうとしたのを、

「やい! 何しゃがるんだ、なんで手荒なまねしゃがるんだ」

ついと横からしゃきり出て、景気のいい啖呵たんかをきりながら、身をもって小娘をかばったのは、江戸っ子中の江戸っ子をもって任ずる伝あにいです。

「だれに断わって、ふざけたまねしゃがるんだ。よしんばこの小娘が子ぬすっとの下手人であろうと、うぬらにかってな吟味折檻せっかんさせてたまるけえ。それがために、こうやって、できのいいおらがのだんなが、わざわざとお出ましになっているんじゃねえか。てめえの子どもを盗まれても知らねえような唐変木が出すぎたまねしやがると、この伝六様が承知しねえぞ」

「…………⁈」

「何をぱちくりやってるんだ。無傷で赤ん坊が手にけえりゃ文句はねえはずだから、とっとと抱いてうしゃがれッ。まごまごしてりゃ、おらがはあんまりじょうずじゃねえが、だんなの草香流はききがいいぞ」

ぱんぱんとかみつくようなすさまじいけんまくに、肝をつぶしたのは子をとられたふたりの新造たちでした。あわてふためきながら、それぞれひとりずつ抱きあげてそうそうに帰っていったのを、名人は微笑とともに見送りながらことばを和らげると、やさしく小娘にききました。

「あのとおり、みんなが騒いでじゃ。おじさんはけっしてしかりませぬゆえ、はよう何もかもいうてみい」

「…………」

「のう! なぜいわぬのじゃ。どうしてまた、よその赤ちゃんなぞをふたりも盗み出して、こんなところに捨てたのじゃ。――いうてみい! のう! はよう心配ごとをいうてみい!」

しかし、なぞの小娘は何も答えないのです。答えないで、じわりと大きなしずくをほうりおとすと、やにわに何を思いたったか、そこに残されていたあのかぼそくやせ衰えている女の子をひしと抱きしめるように取りあげながら、おどおどと恐れおののいている小さな弟を従えて、物のけにつかれでもしているかのごとく、ふらふらと表のほうに歩きだしました。しかも、同じように黙って、ただ泣きなきずんずんと通りを右に折れながら曲がっていったので、ことごとく首をひねったのは伝あにいでした。

「はあてね。まさかに、唖おしじゃねえでしょうね」

「…………」

「え? だんな! どうしたんでしょうね。唖なら耳が聞こえねえはずだが、こっちのいうことはちゃんと通じているんだ。通じているのにものをいわねえとは、いったいどうしたんですかね。え? ちょいと!」

「…………」

「やりきれねえな。気味わるくおちついていねえで、なんとかおっしゃいませよ。下手人はこの小娘にちげえねえんだ。さっき目色を変えて飛び込んできやがったご新造たちの口うらから察してみても、あのふたりの太った赤ん坊を盗み出して捨て子にしたのは、たしかにこの小娘にちげえねえんですよ。ね! ちょっと! 黙ってちゃわからねえんだ。黙ってたんじゃ何もわからねえんだから、なんとかおっしゃいませよ」

しかし、名人はなにごとか早くも看破せるもののごとく、黙々としてただ微笑しながら、小娘の行くほうへ行くほうへと、静かにそのあとを追いました。小娘もまた、あとをつけてきてくれたら、すべての秘密となぞが解けるといわぬばかりに、みどり子をひしと抱きながら、泣きなき歩きつづけました。――十軒店じゅっけんだなを左に折れて俗称願人坊主の小路といわれた伝右衛門でんえもん横町、その横町の狭い路地をどんどん奥へはいっていくと、奇怪です。不思議な小娘は、しめなわをものものしげに張りめぐらしたそこの右側の扶桑教ふそうきょう祈祷所きとうしょと見える一軒へ、主従ふたりを誘うかのごとくにおどおどとはいりました。同時に、伝六が息ばりながら十手を斜しゃに構えとって、たちまち音をあげたのは当然でした。

「ちくしょうッ、気味のわりいところへ連れてくりゃがったね。扶桑教といや、ちんちんもがもがの行者じゃねえですか。べらぼうめ、もったいらしくしめなわなんぞ張りめぐらしゃがって、きっと子ぬすっとのにせ行者にちげえねえんだ。さ! 出てみせろ。ただじゃおかねえんだから、出てみせろッ」

「あわてるな! がんがんと声をたてて、逃げうせたらどうするんだ。役にもたたねえ十手なんぞ引っ込めてろッ」

制しながら、名人はあごをなでなでおちつきはらって、小娘のあとからずかずかと押し入りました。

4

――その出会いがしら、がなりたてた伝六の声を聞きつけたとみえて、奥の祈祷所の中からいぶかり顔にのっそり出てきたものは、薄ぎたない白衣に同じくあかじみた白ばかまをはいたひとりの行者です。だが、その行者が、ぎろりと怪しく目が光ってひとくせありげなつらだましいでもしているだろうと思いのほかに、よぼよぼとした六十がらみの見るからに病身らしい老爺ろうやなのです。しかも、目がよくきかないとみえて、ためつすかしつしながら、しげしげと不意の闖入者ちんにゅうしゃを見ながめていましたが、ひと目に八丁堀衆とわかる巻き羽織した名人のそでの陰に、小娘がおどおどしながらたたずんでいるのに気がつくと、やにわに顔色を変えながら、よたよたとあわてふためいて逃げ出しました。――せつな!

「大笑いだよ。足が二十本あったって、逃げられる相手と相手が違うんだ。神妙にしろ」

ふところ手をしながら、いたって静かなものです。微笑しいしい、とっさにずいと名人がその行く手をふさぐと、伝法にずばりと手きびしい尋問の矢が飛びました。

「逃げるからにゃ、何かうしろぐれえことをしているんだろう。すっぱりいいな」

「へえい。なんともどうも――」

「なんともどうもが、どうしたというんだ。ただ震えているだけじゃわからねえよ」

「ごもっともさまでござります。まことになんともごもっともさまでござりまするが、いかほどおしかりなさいましても、てまえにだってどうもしようがござりませなんだゆえ、てだてに困り、つい盗み出せともったいらしく知恵をつけただけのことなのでござります。それが悪いとおっしゃいますなら、相談うけたてまえも災難でござりますゆえ、どのようなおしおきでもいただきまするでござります」

「ほう。これは少し妙なことになったようだな。やぶからぼうにおかしなことをいうが、てだてに困ってもったいらしく知恵をつけたとは、何がなんだよ」

行者のいぶかしいことばに、名人の疑惑はにわかに高まりました。

「相談うけたてまえも災難だとは、いったいどんな相談うけたんだ」

「どんなといって――、では、なんでござりまするか、何もかもこの小娘からお聞きなすってお調べにお越しなすったんじゃないのでござりまするか」

「いかほどきいても口をあけずに、知りたくばこちらへ来いといわぬばかりでどんどん連れてきたから、何かいわくがあるだろうと乗り込んだまでなんだ。どんな入れ知恵つけたかしらねえが、人より少しよけい慈悲も情けも持ち合わせているおれのつもりだ。隠さずにいってみな」

「いや、そういうことなら、むだな隠しだていたしましても、三文の得になることではござりませぬゆえ、申す段ではござりませぬ。まことに面目めんぼくのないしだいでござりまするが、この子たちの嘆きをまのあたり見聞きいたしまして、いかにもふびんでなりませなんだゆえ、老いぼれの身にくふうもつかず、子を捨てろと教えたのでござります。と申しただけではおわかりでござりますまいが、まことにこの子たちほどかわいそうな者はござりませぬ。住まいはつい向こう横町の裏店うらだなでござりまするが、働き盛りの父御ててごがこの春ぽっくりと他界いたしましてからというもの、見る目もきのどくなほどのご逼塞ひっそくでござりましてな、器量よしのまだ若い母御が残ってはおりますというものの、女手ひとりではどんなに器量ばかりよろしゅうござりましたとて、天からお米のなる木が降ってくるはずもなし、二つになったばかりのその子のような赤子があるうえに、としはもいかぬこんなきょうだいふたりまでもかかえて、なに一つ身に商売のない女ふぜいが、その日その日を楽々と送っていかれるわけのものではござりませぬ。それゆえ、とうとうせっぱつまってのことでござりましょう。日ごろはただの一度行き来したことのない親類じゃが、なんでも板橋の宿の先とやらに遠い身寄りの者がひとりあるから、そこへ金策にいってくるとか申しましてな、赤子をその姉娘にあずけ、子どもたちばかり三人を残しておいて、十日ほどまえのかれこれもう四ツ近い夜ふけに、母親がたったひとりで、ふらふらと出かけていったのでござりますよ。ところが――」

「待てッ、待てッ、ちょっと待てッ」

「は……?」

「ちとおかしいな」

「何がおかしいのでござります」

「ここから板橋の先までといえば、一里や二里ではきかぬ道のりじゃ。にもかかわらず、女ひとりが四ツ近いというようなそんな夜ふけの刻限に、それもがんぜない子どもばかりを残してふらふらと出かけたというは、ちと不審じゃな」

「そうでござります、そうでござります。じつは、てまえどももそれを不思議に思っておりましたところ、どうもあとの様子がいかにもふにおちないのでござりまするよ。その晩出ていったきり、たよりはおろか、もうきょうで十日にもなるのに、なんの音さたもござりませんのでな、町内の者もいろいろと心配いたしまして、子どもに板橋とやらの親類先をきいたところ、そんなところはいっこうに聞いたことも、聞かされたこともないというてらちは明かぬし、二日三日のおまんまを恵む者はあっても、七日十日とそうそう長い間あかの他人のめんどうをみる者はござりませぬ。それゆえ、とうとう子ども心に思い余ったのでござりましょう。その子がきのうの朝とつぜんてまえをたずねてきたのでござります。それもただ来たのではござりませぬ。おじいさんは神さまに仕える行者ゆえ、人の目に見えぬことでも見通しがつくはずじゃ。母はどこにいるか、どうしたら帰ってくるか、神さまとご相談して早く呼びよせてくれと、こんなに申しながら、泣きなき訴えたのでござります。なれども、お恥ずかしいことながら、てまえとてただの人間、千里万里先のことまでもわかるはずはござりませぬゆえ、ふびんと思いながらも、てだてに困りまして、いろいろと考えましたところ、もしやと思いついたのでござります。かわいい子どもをのこして自分だけ身をかくすなんてことはめったにある道理はござりませぬが、広い世間には鬼親もないわけではござりませぬ。ひょっとしたら、あの器量よしの若後家も、おまんまいただけぬつらさから、ついふらふらと心に魔がさし、子どもたちを置き去りにして、自分だけどこかへ姿を隠したのではなかろうかと存じましたのでな。いっそ思いきって、日本橋か浅草か、人通りのしげい町中へ子を捨ててみろと、入れ知恵したのでござります」

「異なことを申すな。人通りのはげしい町中へ捨て子をしたら、なんのまじないになるのじゃ」

「べつになんのまじないになるのでもござりませぬが、人出のしげいところへ捨て子をしておけば、それだけよけいひと目にかかり、それだけよけい評判も高まる道理。伝わり伝わって、捨て子のうわさが江戸のどこかに隠れている母親の耳にはいりましたら、よし一度は思いあまって邪慳じゃけんな心となった鬼親でござりましょうとも、やはり真底は子どもがかわいいに相違ござりませぬゆえ、もしや置き去りにしたわが子が捨てられたのではなかろうかと、うしろ髪引かれて姿を見せぬものでもあるまいと思うたからでござります。何をいうにも行き先はわからず、居どころ隠れどころもわからぬ人を呼び返そうというのでござりますゆえ、そんなことでもするよりほかに、この老いぼれにはよいくふうがつきませなんだのでござります」

「いかさまな。見かけによらず、なかなかの軍師じゃ。しかし、それにしても、よそさまの子どもまで盗み出して捨てさせるとはどうしたわけじゃ」

「ごもっともでござります。そのおしかりはまことにごもっともでござりまするが、ひとりよりはふたり、ふたりよりは三人と、数多く捨て子をさせましたならば、それだけうわさも高まりましょうし、高まればしたがって母ごの耳にも早く伝わるじゃろうと存じましたゆえ、悪いこととは知りながら、その姉娘に入れ知恵つけて、似通うた年ごろの子を見つけさせ、こっそり盗み出させたのでござります。それもこれも、みなこの娘たちがふびんと思えばこそのこと、お目こぼし願えますればしあわせにござります」

「なるほどな。ひとのだいじな宝を盗ませて世間を騒がした罪は憎むべきじゃが、かわいそうなこのきょうだいの嘆きを救おうためのこととあらば深くはとがめまい。しかし――」

「なんでござります」

「これはなんじゃ。この畳たとう紙をぞうりの中にはさんでおいたは、なんのいたずらじゃ」

「それはその――」

「それはその、どうしたというのじゃ」

「なんともはや面目ござりませぬ。かようなことを申しましたら、さぞかしお笑いでござりましょうが、相手は子どものことゆえ、なんぞもったいつけねば納得いくまいと存じまして、ぞうりは足にはくものであることから思いつき、母ごの行くえにも早く足がついて居どころがわかりますようにと、しかつめらしく畳御幣をはさんで、まくらにさせるよういいつけたのでござります」

「ちぇッ、なんでえ、なんでえ! 子どもだましにもほどがあらあ。おいら、なんのまじないだろうと、どのくれえ首をひねったかわからねえじゃねえか。みろ。おかげでこんなに肩が凝りやがった。これからもあるこったから気をつけな」

聞いて、なにごとによらずおにぎやかしい伝あにいはたいそうもなくふきげんのご様子でしたが、名人はさわやかに微笑を浮かべたままでした。ぞうりは足にはくものゆえ、母よ早く帰れと書いた畳御幣をその間にはさんでおいたら、たずねる人に早く足がつくだろうとは、行者のおやじなかなかにしゃれ者だったからです。

「じゃ、もう聞くことはあるまい。そろそろあごをなでなくちゃならなくなったようだ。あにい、代わってその赤子を抱いてやんな」

「え……?」

「器量よしの若い後家さんが、夜ふけにひとりでどこの板橋へ金策にいったか、その眼がんをつけに行くんだから、赤子を代わって抱いて、おとなしくついてこいといってるんだよ。――ねえや、このおじさんは行者じゃねえが、千里も万里も先が見える目玉が二つあるからな。きっと母かあの居どころを見つけてやるぞ。泣かいでもいい、泣かいでもいい。もう泣かいでもいいから、おまえのうちへ連れていきな」

うれし泣きに泣きつづけながら、急に元気づいて、ころころところがるように駆けだしていった小娘を道案内に立たせながら、いかなる秘密もあばかねばおかじといわぬばかりの面持ちで、名人は自信ありげにそのあとを追いました。

5

行くこと四町ばかり。

案内していった向こう横町のその住まいへはいってみると、なるほど家の中は荒廃をきわめて、いかにこれまで小娘一家が貧に苦しんでいたか、目をおおいたいくらいでした。売り食いに売り払って、その日の糧かてを求めてでもいたものか、家具と名のつくほどの品はなに一つなく、まにあわせのお勝手道具が少々と、売るに売れぬぼろでもはいっているらしい破れつづらがたった一つ、へやのすみにころがっているばかりです。

「おどろいたね。いくら貧乏しても、こんなあばら屋ってえものはねえですよ。もののたとえにも、日本橋といや土一升金一升というくれえのもんだが、目と鼻のその日本橋近くにこのあばら屋は、なんですかよ。おら、承知ができねえんだ。え? ちょいと、だんな! だれがいってえこんなに貧乏にしやがったんですかい。ね、ちょいと! え? だんな?」

「…………」

「へへえね。こいつあおどろいた。生意気に押し入れがついておると思ったら、何もねえんですよ。ふとん一枚ねえんですよ。もう十日もたちゃ霜が降りようってえいうこの薄寒い秋口に、毎晩毎晩何を着て寝ていたんでしょうね。え? ちょいと。ね、だんな!」

そろそろともううるさく始めかけたのを、相手にもせずに名人は聞き流しながら、しきりとへやのうちをあちらこちらと見捜しました。

しかし、何もない。まったく何もこれと思われる品は見当たらないのです。もしや何かと思って、丹念に破れつづらの中をも調べてみたが、出てきたものはまったく着るにたえないほどもぼろぼろになった子どもたちの衣類が三、四枚と、これも物の用をなさない母親の破れ着物が一、二枚、はかなげな残骸ざんがいを目の前にさらしたきりでした。

「ちとこれは手間がかかりそうかな」

いいながらお勝手をひょいと見ると、そこの米びつの上に奇怪なものが祭ってあるのです。たしかに、それは祭ってあるのです。きらり目を光らして近づいたかと思われるや、――せつな!

「よッ」

名人の声がはぜ返りました。なんともぶきみ! じつに奇怪! 無言のなぞを秘めながら米びつの上に祭られてあったものは、墓場の土まんじゅうにさしてあるあの卒塔婆そとばの頭なのです。それも新墓にいばかのものと思われる卒塔婆をぽきり折り取ってきて祭ったらしく、四、五粒ほどのお撰米せんまいに水までもちゃんと供えてあるのです。――じろりじろりとそれを見ながめながら、なでてはさすり、さすってはなでなで、しきりとあごをまさぐっていましたが、やがてあの秀麗な面に、とてもたまらなくみごとな微笑がにんめりとほころびました。

「ウフフフ。とんだ福の神だ。ちっと手間がかかりそうだと思ったが、このあんばいじゃぞうさなくかたがつきそうだよ」

「ありがてえ。どこです! どこです! え? ちょいと。どこに眼のネタがあるんですかい」

「この米びつの上に祭ってあるご神体をよくみろよ」

「ふえッ、気味のわるい! こ、こりゃ亡者もうじゃの七つ道具じゃねえですかよ。こんな卒塔婆がどうしたというんです。こんなものを祭っておきゃ、なにがどうしたというんですかよ」

「しようのねえやつだな。ご番所勤めをする者が、このくれえなことを知らねえでどうするんだ。真夜中にこいつを新墓から折り取ってきて祭っておきゃ、さいころの目が思うとおりに出るとかいうんで、昔からばくちうちがよくやる縁起物だよ。どうかひとあたり当たって、この米びつにざくざくお米がたまるようにと、こんなところに祭っておいたにちげえねえんだ。――ねえや! のう、ねえや?」

あごをなでなでぎろりと小娘のほうをふりかえると、名人のさえまさった声が飛んでいきました。

「もう何も隠しちゃいけねえぞ。こりゃだれが祭ったんだ。まさかに、おまえのいたずらじゃあるめえと思うが、だれがこんな気味のわるいものを祭ったんだ」

「…………」

「え?――隠さずにいってみな。手間をとりゃ、それだけかあやんを見つけ出すのが遅れるんだからな、早くいってみな。きっと、おまえのかあやんが祭ったものと思うが、違うか、どうだ」

「あい、あの……いったら、かあやんがこわいめに会うだろう思って隠しておりましたんですけれど、早く見つけてくださるというんなら申します。やっぱり、あの、かあやんが祭ったのでござります」

「ほほう、そうか。子ども心にも何かよくないことと思うて、今までかあやんのこともなにもいわずにいたんだな。悪いことを隠すのはよくないことだが、親のふためになることをいわずにいたなあ、なかなか賢いや。おそらく、出かけていくまえにこれを祭ったんだろうな」

「あい。あの、まえの晩おそくに、どこかからこれを持ってきて祭っておいてから、青い顔して出ていかんした。でも、あの……、でも……」

いいつつ、その目が名人に発見されるのを恐れでもするかのように、しきりと米びつの上にそそがれながら怪しく動いたので、なんじょうのがすべき! 不審に思って静かにふたをとってみると、ある! ある! 米びつの中には八分めほども、もっこりと実が詰まっているのでした。しかし、米ではない。ぬかなのです。米のぬかなのです。

「ほほう。これを焼いて、おまんま代わりに食べていたんだな」

「…………」

「え? ねえや! そうだろう。このぬかを、だんごに丸めて焼いて食べていたのだろうな」

「あい……なんにも食べるものがないので、あの……あの……」

「よいよい。泣くな、泣くな。泣かいでもいいよ。ぬかを食べるとは、かわいそうにな……」

言いながらよく見ると、そのぬかの上がきれいに平手でならしてあるのです。しかも、ならしたその平手の跡は、まさしく子どもの手形でした。むろん、これは不思議といわざるをえない。おそらく、三度三度つまみ出してだんごに焼いたにちがいないと思われるのに、そのつまみ出したあとのぬかが、行儀よく平らにならされているのは、何かその中に秘密のひそんでいることを物語っていたので、ずいと中へ手をさし込んでみると、果然、ぬかの底でばさりと手先に当たった品がありました。薄い小さな横とじの豆本なのです。取り出して、ぬかを払いながら表紙の文字を見ながめるや同時に、名人の目は烱々けいけいとしてさえ渡りました。いかにも奇怪!

「いんちきばくち勝ち抜き秘法」

と、そういう文字が読まれたからです。いや、そればかりではない。ぺらぺらとまくった拍子に、そのいんちきばくち必勝秘伝書の中から、ひらひらと下に舞い落ちただれかの書面らしい紙片がありました。しかも、その紙片には、じつにいぶかしいことにも、あきらかな女文字で、次のごとき文言が書かれてあったのです。

「今宵こよいこそまこと上首尾に御座候ござそうろう。千葉のいなかよりたんまりとやまぶき色をご用意のおだんな衆が三人ほど参り候まま、万障お繰り合わせご入来じゅらいくだされたく、みなみな首長くしてお待ちいたしおり候。かしこ」

と書いて、そのあとがいかにも奇怪でした。差し出し人のところには変な符丁があるのです。本所と書いて、その下に人間の目を一つ書いて、さらにその下に丸々が三つ――、すなわち、三つの輪が書いてあるのです。

「はあてね。またなぞなぞの判字物が出りゃがった。なんてまあ、きょうはおればっかりにいやがらせをしやがるんでしょうね。え? ちょいと!」

「…………」

「ね! だんな! かなわねえな。三世をかけた主従なんだ。だんなの苦労はおらの苦労、おらの災難はだんなの災難なんだから、仲よくいっしょになって心配しておくんなせえよ。え? ちょいと! ちゃんとした名まえがあるのに、わざとこんな人泣かせをしなくたってもいいじゃござんせんか。この目はなんですかよ。三つの輪丸は、なんのまじねえですかよ」

たちまち横からうるさく鳴りだしたのを、名人は黙々としてあごをなでなでじいっと、ややしばしうち考えていましたが、やがて、あのさわやかな微笑がふたたび浮かんだかと思われるやせつな!

「ウフフフ。なんでえ、なんでえ。来てみればさほどでもなし富士の山っていうやつさ。とんだ板橋のご親類だよ。――のう、ねえや!」

しゅッしゅッと一本独鈷どっこをしごき直して、ずっしりと蝋色鞘ろいろざやを握りしめると、静かに問いなじりました。

「正直にいわなくちゃいけねえぜ。この豆本も、おっかあがここへ隠したんだろうな」

「…………」

「え? だいじない。だいじない。しかりゃしねえから、隠さずにいわなくちゃいけないよ。のう! そうだろう。おっかあがしまっておいて行ったんだろうな」

「あい、あの、そうでござります、そうでござります。出かけるまえにいっしょうけんめいこのご本を習っておいて、だれにもいうなといっておいてから出かけましてござります」

「そんなことだろう。見りゃ押し入れに夜着もふとんもねえようだが、出かけるまえにそれを売っ払ってお金をこしらえてから行ったんじゃねえのかい」

「あい、そのとおりでござります。お宝ができたら、それでお米を買ってくださればいいと思いましたのに、しっかり帯の中にはさんで出ていかんした。それゆえ……それゆえ……」

「泣かいでもいい! 泣かいでもいい! もうおっかあの行く先ゃわかったから、心配せんでもいいよ。――さ! あにい! 何をまごまごしているんだ。駕籠かご先ゃ本所の一つ目だよ」

「フェ……?」

「なにをぱちくりやってるんだよ。こんなたわいもねえなぞなぞがわからなくてどうするんだ。本所の下に目が一つありゃ、本所一つ目じゃねえか。その下に輪が三つありゃ三つ輪だよ。本所一つ目に三つ輪のお絹ってえいう女ばくちのいんちき師があるのは、おめえだっても知っているはずじゃねえか。ふとんを売っ払って金をつくって、このいんちきばくちの勝ち抜き秘伝書をとっくり覚え込んでから、千葉のおしろうとだんなをむくどりにしようと出かけていったにちげえねえんだ。はええところ二丁用意しな!」

「ちくしょうッ。なんでえ、なんでえ。そんならそうと、ひと筆けえておきゃいいじゃねえですか。首をひねらせるにもほどがあらあ。べらぼうめ、女だてらにばくちをうつとは、何がなんでえ。べっぴんだったら大目に見てもやるが、おかめづらしていたら承知しねえぞ」

連れてきた駕籠を、名人が一丁、あとからつづいて伝あにいが、あたりまえのように斜に構えながら乗ろうとしたのを、

「食い物のいい大男が、何を足おしみするんだ。子どもを三人乗せるんだよ。おまえなんぞ小さくなってついてきな」

しかって三人の子どもたちを乗せながら、えいほうと飛ばしていったのは本所のその一つ目小路です。――中天高く秋日がさえて、ちょうど昼下がり。

「さ! うちを捜すなおめえの役だ。はええところ三つ輪のお絹がとぐろ巻いている穴を捜し出しな」

「ここだ、ここだ。駕籠を止めたこの家ですよ。家捜し穴捜しとなりゃ、伝六様も日本一なんだからね。おおかたここらあたりだろうと、鼻でかいでやって来たんだ。さ! 乗り込みなせえよ」

しかし、名人はなに思ったか、表からははいらずに、ずかずかとそこのめくら路地をぬけながら、裏口へ回っていくと、しきりに家の棟むねの様子を探っていましたが、ふと目についたのは庭奥の物置き小屋らしい一棟でした。

「ほほう、あれだな」

「え? あの物置き小屋がどうしたんですかい」

「いくらばくちはお上がお目こぼしのいたずらだっても、うちの表べやでやっちゃいねえんだ。あの物置き小屋がいんちきばくちの開帳場にちげえねえから、しりごみしていずと乗り込みな」

押し入ろうとしたせつな!――はしなくも聞こえたのは、ガラガラポーンという伏せつぼの音ならで、悲鳴に近い女の叫びです。

「いやでござんす! そんなこと、そんないやらしいこと、何度いわれてもいやでござんす!」

しかも、ドタンバタンと必死に抵抗でもしているらしいけはいがあったので、一躍、ガラリ――、さっそうとしておどり入ると、高窓一つしかない暗いへやの中を鋭くぎろりと見まわしました。同時に目を射たのは、怪しげな三人の姿です。ひとりはいぎたなく立てひざをした四十がらみの大年増おおどしま。むろんそれが女ばくちのしれ者と名の高い三つ輪のお絹に相違なく、その隣にてらてらと油光りのする卑しい顔に、みだらな笑いを浮かべて、つくねいものごとくすわっていたのは、ひと目にいなかの物持ちだんなとわかる好色そうな五十おやじでした。そのおやじの淫情いんじょうに燃え走る油目に見すくめられながら、へやの片すみに、三十そこそこの、ひとふぜいもふたふぜいもある、美人ぶりなかなかによろしい中年増がふるえおののいていたのを見つけると、我を忘れて、きょうだいが武者ぶりつきながら、おろおろと叫びました。

「かあだ! おっかあだ! 悲しかったよ。おらは、おらは、悲しかったよ。もういやだ。もうどっかへ行っちゃいやだよ。な! かあや! いやだよ! いやだよ!」

左右から顔をすりよせて泣き入りました。――とたん! それと様子を察したとみえて、あたふたと五十おやじが逃げ走りだそうとしたのを、

「なんでえ、なんでえ。何をしゃらくせえまねしやがるんだ。おれの十手だって、ものをいうときがあらあ。じたばたすると、いてえめに会うぞ」

押えとったは伝六。こういうふうな性の知れたお上りさんのおやじが相手となると、伝六も強くなるからかなわない。しかし、三つ輪のお絹はさすがにふてぶてしく横っすわりにすわったままで、にったりしながら名人に食ってかかったものです。

「騒々しいね。せっかく楽しみのところへ、どなたに断わってはいりましたえ。少しばかり男ぶりがいいったって、目のくらむあっしじゃござんせんよ」

「ウフフフフ。やすでの啖呵たんかをおきりだな」

静かにいって微笑しながらずいとはいると、ずばり、あの生きのいい名人の名啖呵が見舞いました。

「おたげえ色恋がしたくて、こんなところをまごまごしているんじゃねえんだ。見そこなっちゃいけねえぜ。本所の一つ目にゃ目が一つしかねえかもしれねえが、むっつりの右門にゃできのいいやつが二つそろってるんだ。油っけのぬけたやつが、女衒ぜげんみてえなまねしやがって、何するんでえ。来年あたりゃ西国順礼にでも出たくなる年ごろじゃねえかよ。はええところ恐れ入りな」

「おいいですね。油けがぬけていようといなかろうと、大きなお世話ですよ。恐れ入ろとはなんでござんす。何を恐れ入るんでござんすかえ」

「へへえ。まだしらをきるな。むっつり右門の責め手も風しだいだ。凪なぎとくりゃ凪のように、荒れもようとくりゃ荒れもようのように、三十六反ひと帆に張れる知恵船があるんだ。四の五のいや草香流も飛んでいくぜ」

「いえ、わたしが……わたしが何もかも代わって申します」

ことばを奪って横合いからにじり出たのは、きょうだいたちを置きざりにして、悲しいうきめを見させたあの中年増です。

「何から申してよいやら、まことに面目しだいもござりませぬ。ここまでお越しなさりましたからには、おおかたもう何もかもお察しでござりましょうが、女だてらにだいそれたさいころいじりをやって、お米の代なりとかせがせていただこうとしたのがまちがいのもとでござりました。それもなんと申してよいやら、人取りの蛇人へびひとに取られたとでも申しますのか、こちらのお絹さまは少しも知らないおかたでござんしたなれど、貧には代えられませぬゆえ、せっぱつまって人のうわさをたよりにご相談に上がりましたら、近いうちに千葉のほうからお金持ちのおだんなさまが参るはずゆえ、そのおりいかさまころでも使ってもうけたらよいと、たいへんご親切そうにおっしゃってくださったのでござります。それゆえ、わるいこととは知りながら、秘伝書をたよりに夜の目も眠らず、つぼいじりを覚えこみ、これならと思って夜具ふとんまでも売ってこしらえたお鳥目を元手にやって参りましたところ、もともとがしろうとの悲しさ、かえってお絹さんたちのいんちきにかかりまして、だんだんと借金がかさむうちに――」

「お黙り! お黙り! めったなことをおいいでないよ! かえってお絹さんたちのいんちきにかかったとは、どこを押すとそんな音がお出だね。ありもしないことを泣き訴訟すると承知しないよ」

きんきんとかん高にがなりながら、三つ輪のお絹が横からのさばり出て折檻せっかんしようとしたのを、

「うるせえや。舌抜いて、田楽でんがくにでもしておきな」

きゅッと名人が軽く草香流でその手をねじあげておくと、さわやかにいいました。

「よし、もうあとはわかった。かえってお絹たちのいんちきにかかり、だんだん借金がかさむうちに、金で払うことができねばからだで払えとでもいって、このろくでもねえいなかひひおやじと、そっちの四十ばばあの女衒ぜげんとふたりが、きょうまでおめえさんをここへ閉じこめて、毎日毎日責め折檻していたんだろう。どうだ。ずぼしは当たったはずだが、違うか、どうだ」

「あい、お恥ずかしいことながら、そのとおりでござります。心の迷いで、ついふらふらとばくちなぞに手は染めましたなれど、まだわたしは女の操までも人に売るはした女めではござりませぬ。それゆえ、逃げよう逃げようと存じましてずいぶんと争いましたなれど、借金のあるうちはこっちのからだだとおふたりさまが申しまして、いっかな帰しませぬゆえ、子どもたちのことを案じながらも、つい今までどうすることもできずにいたのでござります」

「バカ野郎ッ。やい、いなかのひひじじいのバカ野郎ッ」

聞いてことごとく江戸まえの憤りを発したのは伝六でした。

「腹がたつじゃねえか。話を聞いただけでもむかっ腹がたたあ。つら見せろ。やい! バカ野郎ッ、つらを見せろ!――ちぇッ、なんてうすみっともねえつらしているんだ。そんな肥くせえつらで、江戸の女のそれもこんなべっぴんをものにしようったって、お門が違うぜ。ほんとにくやしくなるじゃねえか。おひざもとっ子のみんなになり代わって、おれが窮面してやらあ。ざまあみろ。もっとおとなしくしていろ。じたばたすりゃ、もっといてえめに会わしてやるぞ」

きゅうきゅうしめあげておくと、伝六のきょうの働きというものはおどろくくらいです。

「そっちのお絹のあまも同罪だ。きっとこりゃひひじじいと相談して、まんまとここへおびきよせてから、いんちきばくちのわなにしかけ、若後家のおかみさんをものにしようとしたにちげえねえからね。はめ込み女衒ぜげんのだまし罪ゃ入牢じゅろうと決まってるんだ。ついでにふたり、伝馬町へ涼ましに送りますぜ」

「よろしい。手配しろ」

早いこと、早いこと、名人の命令一下とともに、たちまちもよりの自身番から小者を連れてきて、いなかだんなと三つ輪のお絹のなわじりを渡しておくと、伝あにいがまたなんともかともいいようなく、おつに気どりながら、すそなぞのほこりをパンパンとはたいていったものでした。

「えへへへ。やけに胸がすっとしやがったな。だから、お番所勤めはやめられねえんだ。いえ、なにね、このくれえの芸当なら、あっしだってもときどきぞうさなくかたづけるんですよ。ときに、いっぺえやりますかね」

ひとりで心得ながら出ようとしたのを、

「まて、まて。まだ用があるんだよ」

静かに名人が呼びとめると、不意にいいました。

「おまえ、へそくりを三両持っていたね」

「へえ……?」

「とぼけるな。ゆうべおまんまごしらえをしながら、ひとりごとをいってたじゃねえかよ。へそくりが三両たまったんだが、どうすべえかな。くれてやる女の子はなし、善光寺参りに行くにゃまだちっと年がわけえし、何に使ったものかなと、しきりに気をやんでいたが、今も持っているだろうな」

「ちぇッ。なんてまあ、だんなの耳ゃ妙ちくりんな耳でしょうね。聞いてもらいてえことはちっとも聞こえねえで、聞かなくともいいことはやけに耳ざとく聞こえるんだからね。三両へそくりがあったら、どうしたというんですかい」

「ここへみんな出しな」

「へえ……?」

「出しゃいいんだ。そんなに心配するほど使いみちがなけりゃ、おいらが始末してやるよ」

ちゃりちゃりきんちゃくをはたかして三両の小判を手にすると、それに名人みずから十枚のやまぶき色を添えながら、そこに泣きぬれている若後家にざくりと手渡していいました。

「子どもがかわいそうだから、ふたりの志だ。どんなに貧乏しようとも、まっとうな世渡りするほどりっぱなことはねえ。これからけっしてさいころいじりなんぞに手出ししちゃいけませんぜ。十三両ありゃ、一年や二年寝ていても暮らせるが、働くこうべに神宿るだ。これを元手に、何か小商いでもやって、子どもたちにうまいおまんまを腹いっぺえたべさせておやりなせえよ」

「えれえ。ちくしょう。どう考えても、だんなはおらよりちっとえれえね。三両のへそくりをここへ使うたあ気に入った。めんどうくせえから、みんなはたいてやらあ。ね、ほら、まだ小粒銀が六つ七つと、穴あき銭が二、三枚ありますよ。けえりにあんころもちでも大福もちでもたんと買ってね、子どもたちのその落ちくぼんだ目玉をもとどおりに直させておやんなせえましな。へえ、さようなら――」

伝六またなかなかにうれしい男です。――すいすいと秋風が吹き渡って、大江戸の町なかもしみじみとした秋でした。

底本 / Source edition

底本:「右門捕物帖(三)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:kazuishi
2000年5月23日公開
2005年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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書誌 / Bibliography
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佐々木 味津三「右門捕物帖──25 卒塔婆を祭った米びつ」(新字新仮名)、底本『右門捕物帖(三)』春陽文庫、春陽堂書店、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000590_000111, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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