１

その第二十番てがらです。

事の端を発しましたのは、ずっと間をおいて十一月下旬。奇態なもので、寒くなると決まってこがらしが吹く。寒いときに吹く風なんだから、こがらしが吹いたとてなんの不思議もないようなものなんだが、江戸のこがらしとなると奇妙に冷たくて、これがまた名物です。こやつが軒下をカラカラと吹き通るようになると、奇態なものできっと火事がある。寒くて火をよけい使うようになるんだから、火事が起きたとてべつに不思議はないようなもんなんだが、江戸の火事となると奇妙によく燃えて、これがまた名物です。それからいま一つこの季節に名物なのは将軍家のお<ruby><rb>鷹狩</rb><rt>たかが</rt></ruby>り――たいそうもなくけっこうな身分なんだから、将軍家がお鷹狩りをやろうと、どじょうすくいをあそばそうと、べつに名物というほどのこともなさそうなんだが、人間は暑いときよりも寒いときのほうがいくらか殺伐になるとみえて、必ず十一月になると、このお鷹野の仰せいだしがあるから奇妙です。

そこで、このときも二十六日に、<ruby><rb>尾久</rb><rt>おぐ</rt></ruby>から<ruby><rb>千住</rb><rt>せんじゅ</rt></ruby>を越えて<ruby><rb>隅田村</rb><rt>すみだむら</rt></ruby>に、というご<ruby><rb>沙汰</rb><rt>さた</rt></ruby>が下りました。お供を仰せつかったのがまず紀、尾、水のご三家。それからおなじみの大器量人<ruby><rb>松平伊豆守</rb><rt>まつだいらいずのかみ</rt></ruby>、つづいて<ruby><rb>勢州松平</rb><rt>せいしゅうまつだいら</rt></ruby>、<ruby><rb>隠岐</rb><rt>おき</rt></ruby>松平、<ruby><rb>出雲</rb><rt>いずも</rt></ruby>松平などの十八ご連枝、それに<ruby><rb>井伊</rb><rt>いい</rt></ruby>本多、<ruby><rb>酒井榊原</rb><rt>さかいさかきばら</rt></ruby>の徳川四天王をはじめ二十三家の譜代大名。これらの容易ならぬ大名に、それぞれ各家の侍臣が付き添い、警固の者お<ruby><rb>徒侍</rb><rt>かちざむらい</rt></ruby>の一統がお供するので、人数も人数なんだが、諸事万端の入費をくるめた当日のお物入りなるものがまたおろそかな高ではないので。ご本丸をお出ましになるのが明けの七ツ。すなわち今の四時です。お<ruby><rb>駕籠</rb><rt>かご</rt></ruby>でずっと<ruby><rb>千駄木村</rb><rt>せんだぎむら</rt></ruby>なる土井<ruby><rb>大炊守</rb><rt>おおいのかみ</rt></ruby>のお下屋敷へおなりになり、ここで狩り着にお召し替えとなって、吉祥寺裏のお<ruby><rb>鷹</rb><rt>たか</rt></ruby>べやからお鷹をお連れになり、<ruby><rb>上尾久</rb><rt>かみおぐ</rt></ruby>、下尾久、と川に沿って、ほどよく<ruby><rb>浩然</rb><rt>こうぜん</rt></ruby>の気を養いあそばしつつ、お昼食は<ruby><rb>三河島</rb><rt>みかわしま</rt></ruby>村先の石川<ruby><rb>日向守</rb><rt>ひゅうがのかみ</rt></ruby>のお下屋敷、そこから川を越えて隅田村に渡り、大川筋を寺島村から水戸家のお下屋敷まで下って、狩り納めのご酒宴があってから、めでたく千代田城へご帰館というのがその道順でした。

おなりの順序が決まると、第一に忙しいのは、むろんのことに沿道沿道の警固に当たる面々ですが、それにつづいて多忙をきわめるのは、吉祥寺裏のお鷹べやで、お鷹のご用を承っている<ruby><rb>鷹匠</rb><rt>たかしょう</rt></ruby>たちです。当時将軍家のおなぐさみ用として用意してあったお鷹べやは、東狩りのときのご用のこの吉祥寺裏と、西狩りの場合のご用の大久保とつごう二カ所あったもので、この二カ所に飼育されている鷹が六十六羽。これを預かっているお鷹匠が二十人。この二十人が、一年に一度あるか、二度あるかわかりもしないお鷹狩りをあてにしながら、いっこうおもしろくもおかしくもない鷹を相手に暮らして、けっこうりっぱなお<ruby><rb>禄</rb><rt>ろく</rt></ruby>をいただいているんですから、世の中にお鷹匠くらいおよそばかばかしくて、めでたい職業というものはまたとないが、しかし事ひとたびお鷹野の仰せいだしがあったとなると、ばかばかしがったり、めでたがってはいられない。預かり鳥のできふできによって、いただく禄にも響き、家の系図にもかかわるんですから、<ruby><rb>水垢離</rb><rt>みずごり</rt></ruby>とってはだし参りをするほどの騒ぎです。

かくて、当日吉祥寺裏のお鷹べやから伴っていった<ruby><rb>隼</rb><rt>はやぶさ</rt></ruby>は、<ruby><rb>姫垣</rb><rt>ひめがき</rt></ruby>、<ruby><rb>蓬莱</rb><rt>ほうらい</rt></ruby>、<ruby><rb>玉津島</rb><rt>たまつしま</rt></ruby>など名代の名鳥がつごう十二羽。

「これよ、伊豆」

「はっ」

「あちらの畑で、百姓どもが珍奇な<ruby><rb>槍</rb><rt>やり</rt></ruby>を振りまわしている様子じゃが、あれはなんじゃ」

「恐れ入ってござります。あれなる品は槍でござりませぬ。<ruby><rb>鍬</rb><rt>くわ</rt></ruby>と申す農具にござります」

「なに、あれが鍬と申すか。ほほうのう。予はよい学問いたしたぞ」

できるものなら<ruby><rb>二日</rb><rt>ふつか</rt></ruby>ばかり将軍さまになってみたい。――たいそうもなく斜めないごきげんで鷹野をつづけていくうちに、下尾久へはいろうとするあたりから、年まえの江戸には珍しい粉雪が、ちらちらと舞いだしました。なんともふつごう千万な話です。せっかくの鷹狩りに雪が舞いだしたとは、いいようもなくふらちな話ですが、雪になったとならば、残念ながらお鷹が飛ばないのです。鷹野にやって来て、第一の狩り道具たる鷹が飛ばないとならば、いうまでもない！

「帰館じゃ！　予はもう帰館いたすぞ。供ぞろいせい！」

「ちぇッ。なんでえ！　なんでえ！」

お中止になったそのお<ruby><rb>沙汰</rb><rt>さた</rt></ruby>を聞いて、響きの物に応ずるごとく、たちまち鳴りだしたのは余人ならぬ伝六でした。――もっとも、伝六なぞのいたところは、うしろもうしろもずっとうしろの、遠がすみにかすんで見えるあたりでしたから、中止のお沙汰が将軍家からまず伊豆守に伝わり、伊豆守から諸侯がたに伝わり、諸侯がたから近侍に伝わり、近侍からお<ruby><rb>徒供</rb><rt>かちとも</rt></ruby>、町方衆へと、そのまた町方のいちばん末の伝六なぞのところまで伝わってくるには、そばかうどんであろうものなら、とっくにもう伸びてしまっている時分でしたが、しかし遠いところにいようと、近くにいようと、このもっぱらうるさいやつが、町方警固の衆の一人としてお供うちに加わっていた以上、たちまち自慢の鳴り音をあげたのは当然なことです。

「なんでえ！　なんでえ！　だからおいら、てんとうさまとさいころばかりは、わがまますぎて気に入らねえんだ。せっかく寒い中を夜中起きして、きょうばかりはおいらもお将軍さまになったつもりでいようと楽しみにしていたのに、なにも今が今になって義理も人情もわきまえねえまねしなくったっていいでしょう！　ね！　だんな！　違いますかい！　雪までなにも降らせなくたっていいでしょう！　ね！　だんな！　違いますかい！　あっしのいうことは、理屈が通っちゃおりませんかい！」

「<ruby><rb>頭</rb><rt>ず</rt></ruby>が高い！　控えろッ」

「え？」

「あのお姿がわからぬか！　頭が高いッ。控えろッ」

鳴りだそうとした出鼻を、やにわに頭が高いとしかりつけられたので、なにごとならんかとちぢこまりながら、おそるおそる伺うと、頭の高かったのも道理、こちらへ急ぎ足でお近づきになってきたのは、だれならぬ名宰相<ruby><rb>伊豆守</rb><rt>いずのかみ</rt></ruby>です。

「ちこう！　ちこう！」

しかも、あわただしげに目顔で名人をお招きなさったものでしたから、すわ大事<ruby><rb>出来</rb><rt>しゅったい</rt></ruby>とばかり、いろめきたちながら聞き耳立てていると、だが、伊豆守のわざわざお運びになったのは、名人に用があったのではなく、善光寺<ruby><rb>辰</rb><rt>たつ</rt></ruby>へのご用なのでした。お鷹狩りが中止になった結果、急にもようが変わり、将軍家をはじめ<ruby><rb>扈従</rb><rt>こじゅう</rt></ruby>の諸侯がたが、今から小石川のご用矢場に回って、御前競射をすることになったので、至急に愛用の弓を屋敷からその小石川のほうへ辰に持参せい、というご<ruby><rb>諚</rb><rt>じょう</rt></ruby>なのでした。それだけのご用ならば、なにも善光寺辰をわざわざ使者に立てなくともよさそうに思われましたが、しかし、このとき伊豆守が侍臣としてお鷹野お供に召し連れていたのは、お気に入りの小姓<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>がただ一人でした。これは一代の名宰相松平知恵伊豆の行状中、最も特筆すべき慣例なので、他の諸侯がたがいずれも多いのは十人、少なくても六、七人は従者を伴っているのに、老中という顕職にある<ruby><rb>信綱</rb><rt>のぶつな</rt></ruby>ばかり、特に一人であったというのは、こういうとき多くの家の子郎党を召し連れていったら、閣老<ruby><rb>豆州</rb><rt>ずしゅう</rt></ruby>の従者という意味で、将軍が特別の下されものなぞあそばして、そのため他の諸侯がたから、<ruby><rb>嫉視</rb><rt>しっし</rt></ruby>反感をうけるようなことがあっては、という賢人の賢慮から、わざと身軽で<ruby><rb>扈従</rb><rt>こじゅう</rt></ruby>するのがいつもその定例なのでした。――辰はいうまでもなくその名宰相伊豆守のご推挙で、名人の配下になった者。さればこそ、屋敷のもよう様子なども心得たこの愛くるしいお<ruby><rb>公卿</rb><rt>くげ</rt></ruby>さまに、白羽の矢が立ったとてもなんの不思議はないが、聞いて、納まらなかったのは伝の字あにいです。

「ちぇッ」

特別に勇ましく鳴らすと、いうことがまた伝六流でした。

「うまくやっていやがらあ。犬になるなら大所の犬にとね。安くてまず小判、少し風もようがよろしくばご<ruby><rb>印籠</rb><rt>いんろう</rt></ruby>ものだ。――ね、だんな、かりに辰めが今の使い賃にその印籠をいただいたと思ってごろうじろ。おくだされあそばす殿さまは今が飛ぶ鳥の豆州さまなんだからね。いずれは<ruby><rb>堆朱</rb><rt>ついしゅ</rt></ruby>か、<ruby><rb>螺鈿</rb><rt>らでん</rt></ruby>細工のご名品にちがいないが、それに<ruby><rb>珊瑚珠</rb><rt>さんごじゅ</rt></ruby>の根付けかなんかご景物になっていたひにゃ、七つ屋へ<ruby><rb>入牢</rb><rt>にゅうろう</rt></ruby>させても二十金どころはたしかですぜ。ね！　だんな！　だんなは辰めがうらやましくないんですかい！」

２

しかるに、うらやましいにも憎いにも、その辰がどうしたことか容易に八丁堀へ帰らないのです。お屋敷へいって、小石川へ回って、ご命令どおり弓をお届けしたにしても、じゅうぶんお昼までには組屋敷へ帰るだろうと思われたのが、八ツになっても七ツになっても、いたずらにしんしんと粉雪が舞うばかりで、いっこうに小さいのが姿を見せなかったものでしたから、物議をかもさずにいられるわけはない！

「ちくしょうめ。やけにまた降りやがるな。雪は豊年の<ruby><rb>貢</rb><rt>みつぎ</rt></ruby>がきいてあきれらあ。おいらにゃ不作の貢じゃねえか。ね！　だんな！」

「…………」

「ちぇッ。せめて相手になとなっておくんなさいよ、この雲行きじゃ、辰の野郎め、ご印籠どころじゃござんせんぜ。雪中を大きにご苦労だった。ついでにいま一度屋敷へ回って、腰元どもでも相手にゆるゆるちそうをとっていけ、とでもいうようなことになって、やつめ、やにさがっているにちげえござんせんぜ。豆州さまのお腰元となると、またやけに絶品ぞろいなんだからな。くやしいな」

鳴っているさいちゅう、不審です。どうしたことか、伝六のまげのもとどりの元結いが、ぷつりひとりでにはぜて飛びました。

「よッ。気味がわりい！　けさ結ったばかりなのに、なんとしたものでしょうね！」

いうかいわないかのとき、ぶきみともぶきみ、そこの床の間の刀かけにかけてあった名人愛用の一刀が、するりと<ruby><rb>鞘走</rb><rt>さやばし</rt></ruby>りました。元結いの切れるは縁の切れる凶兆、刀の鞘走るは首の飛ぶ不吉な前兆と、古来からの言い伝えです。どうして帰らないのか、辰のおそいのに不審があったやさきでしたから、それまでこたつに長くなって、いいこころもちそうに伝六の鳴り太鼓を聞き流していた名人が、がばとはね起きると、つぶやくようにいいました。

「ただの一度縁起をかついだことのねえおれだが、――急に年が寄ったかな。ちっと帰りが長引きすぎるようだ。ひとっ走り様子見にいってきなよ」

促して、伝六を走らせようとしているところへ、雪の表の道をこちらに、トウトウ、トウトウとひづめの響きも高く駆け迫ってきたのは、まさしく早馬の音でした。

「…………？」

はてな、というように聞き耳立てたとき――

「ご在宅かッ。右門どのはご在宅かッ」

あわただしく言い叫んだ声がありました。

「殿が――伊豆守様が火急のお召しじゃ！　お出会いくだされよッ。そうそうこれへお出会いくだされよッ！」

語韻の乱れ、呼吸のはずみ、容易ならぬ珍事でもが突発したらしいけはいでしたので、聞くや名人は、一足飛び――。

「なにごとにござります？」

「これじゃ！　これじゃ！」

年若い近侍が、手渡す間ももどかしいように差し出したのは、次のごとき一通の密書でした。

「――いかなることあるとも他言いたすべからず。大事<ruby><rb>出来</rb><rt>しゅったい</rt></ruby>、一刻を急ぎ<ruby><rb>候</rb><rt>そうろう</rt></ruby>あいだ、馬にて参るべし。　　　　　　　　　　豆州」

かつてないお差し紙です。一刻を急ぎ候あいだ馬にて参るべしとは、将軍家のお身のうえにでも変事があったか、それとも伊豆守ご自身にかかわる大事か、いずれにしても容易ならざる急達でしたので、物に動じない名人のことばもおのずから震えました。

「どちらに！　殿は、どちらでござります？」

「お下屋敷じゃ！」

「馬は？」

「これじゃ！　てまえのこの<ruby><rb>鹿毛</rb><rt>かげ</rt></ruby>にて参れとのご<ruby><rb>諚</rb><rt>じょう</rt></ruby>じゃ！」

「心得ました！」

代わってひらりとうちまたがると、

「伝六。つづけよッ」

降りまさる雪の夕暮れ道を八条流の手綱さばきもあざやかに、<ruby><rb>不忍池</rb><rt>しのばずのいけ</rt></ruby>の裏なる豆州家お下屋敷目ざして一散走りでした。

はせつけたのは、ちょうど暮れ六ツ。パッと馬を捨てて地上に降り立ったとき――、

「おう！　参ったか！」

ご門わきの茂みの中から、雪ずきんもされずに、降りしきる粉雪を全身に浴びたままで、待ちきれなかったもののようにつとお姿を見せたのは、だれでもない伊豆守ご自身でした。その一事だけでもがよくよく事件の重大事であるのを物語っているうえに、密事の漏れるのをはばかってか、側近の者をすらも従えず、ただご一人でお待ちうけしたので、名人の声はいよいよ震えました。

「よほどの大事と拝せられまするが、なにごとにござります？」

「一見いたさばあいわかる。こちらに参れ」

みずから先にたって、ちょうどそのとき、息せき切りながらはせつけた伝六ともども、名人主従を導いていかれたところは、いぶかしいことに屋敷のすみの一郭のお長屋でした。しかも、そのいちばんはずれの小さな一軒の前へ行くと、

「<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>、だれもいまいな」

「はっ。じゅうぶんに見張っておりましたゆえ、だいじょうぶにござります」

<ruby><rb>鷹野</rb><rt>たかの</rt></ruby>に召し連れていった小姓の采女に念を押していられましたが、先にたってそこのくぐり門から庭先へはいっていくと、足もとを指さしながらおごそかにいわれました。

「なぞはこの二つの<ruby><rb>菰</rb><rt>こも</rt></ruby>の下じゃ。とってみい！」

取りのけて雪あかりをたよりながら見ながめるや同時に、名人も伝六も、伊豆守の面前であるのを忘れたほどに、声をそろえておもわずあッと叫びました。また、なぜにこれが<ruby><rb>驚愕</rb><rt>きょうがく</rt></ruby>しないでいられましょう！　その菰の一つの下にはあの辰が、帰りのおそかったあの善光寺辰が、肩から背にかけて一面あけに染まりながら、見るもむざんなむくろとなっていたからです。いや、<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>は辰のがひとつではない！　向き合った隣の菰の下には、いま一つ同じように肩先を<ruby><rb>袈裟</rb><rt>けさ</rt></ruby>がけにやられたむくろがありました。しかも、その手は、しっかりと<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>を握りしめているのです。それをもってわれらが名人のなにものにも替えがたい配下を仕止めたらしく、必死と一刀を握りしめていたのです。辰もまたそれをもって相手を討ち止めたものか、その手には一刀が握られていたものでしたから、事のいかんはさておいて、伝六の口から、場所がらも人前もかまっていられない驚きと憤りとを一つにしたことばが、爆発するようにまず放たれました。

「これはいってえ、こ、これはいってえ、ど、どうしたんだッ。辰ッ。た、辰公！　もうおめえは、も、もうおめえは息がねえのか！　息はねえのかッ……いってくれッ。な、なんとかいってくれッ。辰ッ……辰公……！　息はねえのかッ。もう息はねえのかッ……」

控えろ！　お人前をわきまえろ――！　伊豆守のお面前であるのをはばかって、いつもならそういってたしなめるのが普通でしたが、今度ばかりは名人右門も、伝六に愁嘆させたままでした。また、そうあるべきが当然です。配下の辰が難に会っていたとは、わけても配下思いの名人に、同じ嘆きの募ったのも当然なのです。――それに勢いを得たもののごとく、泣き上戸、おこり上戸の伝六は、おいおいと、手放しにやりながらつづけました。

「息はねえ！　もう息はねえ！　なんてまあ情けねえことになったでしょうね！　なんとかしておくんなさい……。はええところ、なんとかしておくんなせえまし……ね！　だんな！　ね！　だんな！　後生です……後生です！」

その涙に誘われて、名人の秀麗な面にも、滝のようにしずくが流れ伝わりました。しかし、――泣いている場合ではない！　いたずらに嘆き悲しんでいる場合ではないのです。急いで両ほおをぬぐうと、ことばを改めて伊豆守にきき尋ねました。

「かわいそうに、どうしてまた、このようなことになりましたのでござります」

「それがいっこうにわからぬゆえ、なにはともかくと、急いでそのほうを呼び招いたのじゃ。じつは、そちたちも知ってのとおり、この屋敷から小石川のほうへ弓を届けるよう命じたのに、これなる辰がいつまで待ってもお矢場に持参せぬゆえ、ようやくご用を済まし、不審に思いながら、ほんのいましがた帰ってまいったところ、このような仕儀になっていたのじゃ」

「お耳に達しましたのは、いつのことにござります」

「帰邸いたすとすぐさまじゃ」

「たれがお知らせ申し上げたのでござります」

「あの者じゃ――ほら、聞こえるであろう。あれが知らせた当人じゃ」

いわれたそのことばとともに、そのとき、ぴたりと障子をしめきった暗い家の中から、急に情が迫りでもしたかのごとく、よよと忍び音に泣き忍ぶ人の声が漏れました。

「女でござりまするな。何者にござりまする」

「こちらに倒れている古橋<ruby><rb>専介</rb><rt>せんすけ</rt></ruby>のひとり娘じゃ。あれなる者が最初にこのさまを見つけ出し、わしにも知らせた本人ゆえ、遠慮のう尋ねてみい」

最初に発見した者がその娘とするなら、いうまでもなくまず尋問してみるべきが事の第一です。名人はちゅうちょなく座敷へ押し上がりました。

それとともに、暗かったへやの中には、けはいを知った娘の手によって、あわただしく<ruby><rb>短檠</rb><rt>たんけい</rt></ruby>がともされ、じいじいと陰に悲しく明滅するあかりのもとに、その姿のすべてがパッと浮かび上がりました。――年のころはまだ咲ききらぬつぼみの十五、六歳。<ruby><rb>少禄</rb><rt>しょうろく</rt></ruby>の者らしいが、容姿ふぜいは目ざむるばかり。しかも、それが泣きぬれているだけに、ひとしおの<ruby><rb>可憐</rb><rt>かれん</rt></ruby>をまして、そのういういしさ、あどけなさ、一指を触るればこぼれ散りはしないかと思われるほどの美しさでした。

むろんのことに、押し入った以上、すぐにも尋問が始められるだろうと思われたのに、しかし、いつものあの十八番です。見るような、見ないような目で、じろじろと小娘をながめていましたが、やがてずばり右門流でした。

「そなた、きょう寺参りに行きましたな！」

「えッ――」

というように、ぎょッとなったのを押えてずばり――。

「身にお線香がしみついているは、たしかにその証拠じゃ――。のう、このとおり、どのようなことでも見通すことのできるわしゆえ、隠してはなりませぬぞ。見れば、家人とてはそなたおひとりのようじゃが、墓参りに行ったはお母ごか」

「あい……そうでござります」

「きょうがご命日か」

「あい。月は違いますなれど、二十六日がみまかりました日でござりますゆえ、父にるすを頼みまして、朝ほど浅草の<ruby><rb>菩提寺</rb><rt>ぼだいじ</rt></ruby>へ参り、五ツ少しすぎまして帰ってまいりますると――」

「お父上とあれなる辰がふたりして切り結んでいたと申されるか」

「いえ、違います。違います。父はおはぎが大の好物でござりましたゆえ、<ruby><rb>駒形</rb><rt>こまがた</rt></ruby>まで回ってみやげに買ってまいりましたところ、いかほど呼んでも、ととさまのご返事がござりませなんだゆえ、捜すうちにこの庭先で、ふたりが雪の中にこのようにあけに染まって倒れていたのでござります」

「そのときはもうこと切れてでござったか。それとも、まだ息がござりましたか」

「こと切れてでござりましたが、まだふたりとも、からだにぬくもりがござりましたゆえ、いっしょうけんめい介抱いたしましたなれど、あの深手でどうなりましょう、そのうちにも冷たくなってしまいましたゆえ、さっそくどなたかにお知らせいたしましてと存じましたなれど、あいにくきょうは、お長屋のかたがたみなご非番で、どこぞに他出なされて、どなたもおいでがござりませなんだゆえ、どういたしましょうと考えまどうているうちに、なまじ騒ぎたてて、お家のお名にでもかかわるようなことになりましてはとようやく心を定め、目だたぬようにと、そのまま手もつけず菰をかむせ、悲しいのをこらえましてお待ちいたしましておりましたところへ、お殿さまご帰館のようにござりましたゆえ、こっそりとお目通りを願い、委細をお耳に達したのでござります」

陳述なかなかあっぱれ。騒ぎたててお家の名にかかわってはと、むくろに手もつけず、そのまま長い時刻の間秘密を守っていたとは、少女、容姿ふぜいのごとく、その心がけ見上げた賢女です。宰相伊豆守また賢女であるのを折り紙つけるようにいうのでした。

「いちいちみな聞いてのとおり、わしに述べたのもそのとおりじゃ。応急の処置もまた、小娘に似合わずあっぱれであったのでな、わしもことのほかかわいく思い、<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>に言いつけ、このとおりじゅうぶんに見張りをさせて、密々そちのところへ急使を立てたのじゃ。むくろのぐあいから判ずれば、どうやらこれなる専介と辰九郎の両名が、なにごとか争いを生じ、この庭先で<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>に及び、かくのごとく双方ともに相討ちとなって落命いたしたようじゃが、それにしても不審は、両名が何をもとに争ったかじゃ。弓を取りに参った辰九郎に争うべき筋があるとも思われず、専介とても辰九郎にいどみかかるべき節があろうとも思われぬのに、かく相討ち遂げているとは気がかりゆえ、じゅうぶん心いたして、一世一代の知恵ふるってみい！」

いわれるまでもない！　おのが配下の辰九郎が、――宰相伊豆守の推挙によって配下となったその辰が、推挙をしてくれた伊豆守のご家臣と、かようないぶかしき刃傷の相討ちを遂げているとは、まさに容易ならぬ事件です。ただ一つ恨むらくは、発見したという朝の五ツから、この<ruby><rb>宵</rb><rt>よい</rt></ruby>六ツすぎまで、少しく時のたちすぎているのが心がかりでしたが、こと、それと決まらばなんのちゅうちょがあろう！　つづいて急務は二つの<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>の検証です――。名人は<ruby><rb>短檠</rb><rt>たんけい</rt></ruby>を片手にすると、いまだにしんしんとおやみなく降りしきる粉雪を浴びつつ、やおらふたたび庭先に降り立ちました。

その顔の青さ！

その決意の強さ！

ぶきみにぼうっとあかりさす短檠を片手にかざして、降りしきる雪の庭にたたずみ立った名人右門の姿は、さっそうというよりむしろ<ruby><rb>凄艶</rb><rt>せいえん</rt></ruby>でした。いや、凄艶であるべきが当然です。何がゆえに、わが配下の辰と、恩顧ある名宰相のお<ruby><rb>禄人</rb><rt>ろくびと</rt></ruby>とかように争い、かように相討ち遂げたか、その原因たる事の起こりのいかんによっては、おのが身の進退にも及ぶべき重大事だったからです。

伝六とてもまたしかり！　百鳴り　千鳴り、万鳴りのあいきょう者も、おのが弟分にかかわりある事件とあっては、鳴る太鼓も日ごろのように朗らかな音が出ないものか、それきり音止めをやって、かたずをのみながらじっと見守りました。

名人は静かに歩みよると、まず見ながめたのは、ふたりの肩口の傷です。それから、両名が握りしめている<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>――。つづいて両人の位置。互いに顔を向き合わせるようにして、うち倒れているその位置です。以上の三点を林のごとき静けさを保って短檠のあかりをさしつけながら、<ruby><rb>巨細</rb><rt>こさい</rt></ruby>に見調べていましたが、そのうちに、ピカリと、真にピカリと、名人の目がさえ渡るや同時に、

「よッ！――」

力のこもったよッという叫びが漏れました。

「なんぞあったか！」

「…………」

「なんぞ、調べのついたことがあるか！」

「はっ。ござります！　たしかにござります！」

「なんじゃ！　なんじゃ！」

せき込んで問いつめた伊豆守のおことばを、

「少々お待ちくだされませ」

制しながら向き返ると、静かに尋ねました。

「あれなるお娘ごは、なんという名にござります」

「小梅というのじゃが、あれになんぞ不審があるか」

「いえ、そうではござりませぬ。ちと尋ねたいことがござりますので――、のう！　小梅どの！　小梅どの！」

さし招くと、念を押しました。

「そなた、これなる二つの<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>は見つけたときのままで、少しも動かしはいたしますまいな」

「あい。ととさまと、そちらのおかたと、お口のところへは手を触れましたが、そのままどこにもさわりませぬ」

「そういたしますると――」

「なんじゃ！」

「お驚きあそばしますな。ちょっと見は、これなる両名が、刃傷に及んだ結果、共に手傷を負うて落命いたしたように思われまするが、断じて相討ち遂げたものではござりませぬぞ」

「なに！　相討ちでないとな！　なぜじゃ！　なぜじゃ！」

「第一の証拠はふたりの肩傷でござりますゆえ、ようごろうじませ。相討ち遂げてこのように向き合うたまま倒れているならば、互いに前傷こそあるべきが当然。しかるに、両名の傷は申し合わせていずれも背をうしろから<ruby><rb>袈裟掛</rb><rt>けさが</rt></ruby>けにやられているではござりませぬか」

「ふうんのう――しかし」

「いえ、断じて眼の狂いござりませぬ。第二の証拠は両名の太刀でござりますゆえ、比べてようごろうじなさりませ。両人が互いに相手を仕止めて落命したならば、二本とも太刀には血のあぶらが浮いているべきはずなのに、辰の得物にはそれが見えても、専介どのが所持の一刀にはなんの曇りも見えないではござりませぬか」

名人右門の明知によって、がせん事件はここにいくつかの不審がわき上がりました。死体は行儀よく顔と顔とをつき合わするようにして並びながら倒れているのに、受けているふたりの傷は向こう傷でなく、うしろからやられたうしろ袈裟とは、いかにも奇怪至極です。しかも、辰の刀には人を切った血の曇りがあるのに、相手の専介の一刀にそれがないとは、いよいよもって不審千万！――

「しからば――」

「なんでござります」

「専介を討ったは辰に相違ないが、辰を切ったはほかに下手人があると申すか」

「いえ、おめがね違いでござります」

当然の帰結として、伊豆守の下した推断を名人は軽く押えると、ずばりと言い放ちました。

「専介どのを討ったのは辰でござりませぬぞ」

「なにッ。辰でもないとな！　たれじゃ！　たれじゃ！　しからば、ふたりとも他の下手人の手にかかったと申すか」

「はい。右門の見るところをもってすれば、まさしくそれに相違ござりませぬ。その証拠は、両名が握りしめている<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>の握り方でござりますゆえ、ようごろうじなさりませ。ほら！　かくのとおり専介どのは握りしめたままで切られたと見えて、いかほど引いても抜けませぬ、辰のはこのとおり――」

引くと同時に、その手から所持の太刀がするすると抜けました。抜けたとすれば、いうまでもない――辰の手にしていたいっさいは、あとから握らせた証拠です。切っておいて、殺しておいて、むりやりあとから握らせたに相違ないのです。しかも、ふたりの受けている致命傷が、同型のうしろ袈裟とすれば、同一人が専介、辰の両人を切って捨てておいて、おのが犯行をくらますために、切った太刀を辰の手に握らせたうえ、さも両名が相討ち遂げて倒れたごとく見せかけて、いずれへか逐電したに相違ないのです。その推断に誤りなくんば、当然のごとくつづいて起きる疑問は次の一事でした。

なぜまた弓を取りに来た辰がこんな災禍に会ったか！　どうして専介といっしょに、かような巻き添えくって、むざんな横死を遂げるにいたったか？――それです。なぞと不審は、その一事です。

だが、名人の明知は、真に快刀乱麻を断つがごときすばらしさでした。

「なわがない！　辰がはだ身離さず所持いたしている投げなわが、腰にも懐中にも見当たらない！　察するに、弓を取りにここまで参り、何者か専介どのにいどみかかっている敵を見つけ、すけだちに飛び出したところをやられたに相違ないゆえ、伝六ッ、雪をかいてこのあたりを捜してみろ！」

伝六もとより必死！　けんめいに、辰の周囲の雪をかき分けたその下から、果然出てきたのは、日ごろ手なれのその投げなわの端です。たぐり寄せつつ雪の下から引き抜くと、先がない！　推断どおり、まんなかごろからプツリと一刀両断に断ち切られているのです。通りかかって専介と敵とが争っている現場でも見かけ、一度はきっとみごとに相手をからめ押えたのに、敵はよほど腕がさえてでもいたとみえて、プツリと投げなわを断ち切り、しかもその一刀で辰をも切りすて、かく相討ちのごとき形をよそおっておいてから、すばやく逐電したに相違ないのです。

「ふふうむ！　さすがそちじゃな……」

名宰相の口からは、いまさらのように感嘆の声がほころびました。

しかし、名人にとってはこれからが明知の奮いどころです。

しからば、何者が専介と辰のかたきであるか？

なんのために、専介がいどまれるにいたったか？

いどんだ敵は、切った敵は、どこの者か？

鋭くその目を光らして、専介の<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>を見調べていましたが、いつものあのからめ手攻めです。からめ手吟味のあの明知です。伊豆守を驚かして、ずばりとホシをさしました。

「よッ。これなる古橋専介どのは、絵のおたしなみがござりまするな！」

「そのとおりじゃ！　そのとおりじゃ！　雅号を孔堂と申して、わが家中では名を売ったものじゃが、どうしてまたそれがわかった！」

「指に染まっている絵の具がその証拠にござりまするが、では、絵をもってご仕官のおかたにござりましたか」

「いや、わしが目をかけて使うていた<ruby><rb>隠密</rb><rt>おんみつ</rt></ruby>のひとりじゃ」

「なんでござりまする！　隠密でござりますとな！　近ごろでどこぞにご内命をうけて、内偵に参られたことござりましたか」

「大ありじゃ。何をかくそう！　<ruby><rb>生駒壱岐守</rb><rt>いこまいきのかみ</rt></ruby>の行状探らせたは、たれでもない、この古橋専介じゃわ！」

「えッ――」

名人右門はおもわず驚きの声をあげました。<ruby><rb>讃岐</rb><rt>さぬき</rt></ruby>高松の城主生駒壱岐守に、<ruby><rb>不羈</rb><rt>ふき</rt></ruby>不行跡の数々があったために、その所領十七万石を没収されて、<ruby><rb>出羽</rb><rt>でわ</rt></ruby>の由利矢島に配流された事実は、つい最近のことだったからです。

「ふうん、そうでござりましたか！　いったい、専介どのは何を探ってまいったのでござります」

「壱岐守が、ご公儀の許しもうけずに、せんだって中高松の居城に手入れをいたせし由、密告せし者があったゆえ、専介めが絵心あるをさいわい、隠密に放って城中の絵図面とらせたところ、ご禁制の防備やぐらを三カ所にも造営せし旨判明したゆえ、生駒家は名だたるご名門じゃが、涙をふるって処罰したのじゃわ」

「それでござりまするな！」

「なに！　では、古橋専介をねらいに参ったのは、生駒の浪人どもででもあったと申すか！」

「まず十中八、九、それでござりましょう。ご公儀や御前さまに刃向こうことはなりませぬゆえ、せめても恨みのはしにと、筋違いの古橋どのをねらったに相違ござりますまい。いずれにしても、かような<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>を辰の手に残しておいたはなによりさいわい、これを手がかりにいたさば、おっつけ下手人のめぼしもつきましょうゆえ、とくと見調べまするでござりましょう」

取りあげて<ruby><rb>錵</rb><rt>にえ</rt></ruby>、におい、こしらえのぐあいを、<ruby><rb>巨細</rb><rt>こさい</rt></ruby>に見改めていましたが、その目が<ruby><rb>鍔元</rb><rt>つばもと</rt></ruby>へ注がれると同時に、ふふん――という軽い微笑が名人の口にほころびました。

「わかったか！」

「たぶん――」

「なんじゃ！」

「この<ruby><rb>鍔</rb><rt>つば</rt></ruby>をごろうじなさりませ。まさしく<ruby><rb>千柿</rb><rt>せんがき</rt></ruby>名人の作にござりまするぞ」

「なに！　千柿の鍔とな」

伊豆守の驚かれたのも当然――当時千柿名人の千柿の鍔といえば、知る人ぞ知る、知らぬ者は聞いておどろく得がたい鍔だったからです。住まいは目と鼻の先浅草<ruby><rb>聖天町</rb><rt>しょうでんちょう</rt></ruby>、名人かたぎも名人かたぎでしたが、読んで字のごとく、鍔の裏と表に柿の金象眼を実際の数で千個刻みつけるために、早く仕上がって一年半、少し長引けば三カ年、したがってそのこしらえた今までの千柿鍔も、六十歳近いこのときまでに、せいぜい十個か十五個くらいのものでした。作品の数が少なければ、値段は高い！　値段が高価ならば、<ruby><rb>少禄</rb><rt>しょうろく</rt></ruby>の者ではまず手中しがたい！　しがたいとするなら、いうまでもなく高禄の者が、それもよほどの<ruby><rb>数寄者</rb><rt>すきしゃ</rt></ruby><ruby><rb>好事家</rb><rt>こうずか</rt></ruby>が、買うか、<ruby><rb>鍛</rb><rt>う</rt></ruby>たせたかに相違ないのです。相違ないとするなら――。

「伝六ッ」

「できました！」

いつのまにか<ruby><rb>敏捷</rb><rt>びんしょう</rt></ruby>に借り出してきたとみえて、棒はなをそろえながら待っていたのは、お<ruby><rb>陸尺</rb><rt>ろくしゃく</rt></ruby>つきのお屋敷<ruby><rb>駕籠</rb><rt>かご</rt></ruby>が二丁――。

「暫時拝借させていただきとうござります！」

「おう！　いかほどなりとも！――吉報、楽しみに待ちうけているぞ！」

宰相伊豆守のおことばをうしろに残して、手がかりとなるべきそれなる千柿鍔の一刀をかかえ持ちながら、ごめんとばかり駕籠の人となると、主従ふたりは、今なお降りしきる雪を冒して、千柿老人の住まいなる浅草へ！　聖天町へ！

３

行きついたとき、初更のちょうど五ツ――

「ここだッ。ここだッ。ここが千柿老人の住まいでこぜえます！　今度ばかりゃ、いかなどじの伝六でもへまをするこっちゃねえから、あっしに洗わしておくんなせえまし！　石にかじりついても辰のかたきを討って成仏させてやらなくちゃ、兄分がいがねえんだから、伝六に男をたてさせておくんなせえまし！」

手がかりの一刀を名人の手から奪い取って、矢玉のようにおどりこむと、そこの細工場でこつこつと刻んでいた千柿老人に<ruby><rb>鍔元</rb><rt>つばもと</rt></ruby>をさしつけながら、かたきが目の前にいでもするかのように、どもりどもりやにわといいました。

「こ、こ、これに覚えはねえか！」

「…………？」

「急ぐんだッ、パチクリしていねえで、はええところいってくれッ。この鍔は、どこのどいつに頼まれて彫ったか覚えはねえか」

「控えさっしゃい」

「控えろとは何がなんだッ。右門のだんなと、伝六親方がお越しなすったんだッ。とくと性根をすえて返事しろッ」

「どなたであろうと、まずあいさつをさっしゃい！」

「ちげえねえ！　ちげえねえ！　おいらふたりの名めえを聞いても恐れ入らねえところは、さすがに名人かたぎだな！　わるかった！　わるかった！　じゃ、改めて、こんばんはだ。この鍔に覚えはねえか！」

「なくてどういたしましょう！　まさしく、こいつはてまえが、大小そろえ六年かかって刻みました第八作めの品でございますよ」

「そうか！　ありがてえ！　注文先はどこのどいつだ！」

「<ruby><rb>生駒</rb><rt>いこま</rt></ruby>さまのご家来の――」

「なにッ。ああ、たまらねえな！　だんな！　だんな！　眼だッ、眼だッ、眼のとおりだッ――あっしゃ、あっしゃもう、うれしくって声が、ものがいえねえんです！　代わって、代わって洗っておくんなせえまし……！　うんにゃ、まて！　まて！　やっぱりあっしが洗いましょう！　辰が喜ぶにちげえねえから、あっしが洗いましょう！――とっさん！　生駒のご家来の名はなんていう野郎なんだッ」

「<ruby><rb>権藤四郎五郎左衛門</rb><rt>ごんどうしろうごろうざえもん</rt></ruby>様といわっしゃる長い名まえのおかたでございますよ」

「身分もたけえ野郎か！」

「野郎なぞとおっしゃっちゃあいすまぬほどのおかたでごぜえます。<ruby><rb>禄高</rb><rt>ろくだか</rt></ruby>はたしか五百石取り、<ruby><rb>三品流</rb><rt>みしなりゅう</rt></ruby>の達人とかききましたよ」

「つらに覚えはねえか！」

「さよう……？」

「覚えはねえか！　なんぞ人相書きで目にたつようなところ、覚えちゃいねえか！」

「ござります。四十くらいの中肉<ruby><rb>中背</rb><rt>ちゅうぜい</rt></ruby>で、ほかに目だつところはございませぬが、たしかに左手の小指が一本なかったはずでござります」

「ありがてえ！　ありがてえ！　ああ、ありがてえな！――だんな！　だんな！　お聞きのとおりでごぜえます。これだけの手がかりがありゃ、ぞうさござんすまいから、はええところなんとかしてくだせえまし！　どけえ逃げやがったか、はええところ眼をつけておくんなせえまし！」

「よしッ。泣くな！　泣くな！」

じっとうち考えていましたが、ひらりと駕籠にうち乗ると、

「お<ruby><rb>陸尺</rb><rt>ろくしゃく</rt></ruby>！　お屋敷へ！」

いかなる秘策やある？――ふたたび<ruby><rb>豆州</rb><rt>ずしゅう</rt></ruby>家のお下屋敷目ざして息づえあげさせました――雪はもとより降りつづいて、文字どおりの銀世界。ぼうッと夢のようにぼかされた<ruby><rb>白銀</rb><rt>しろがね</rt></ruby>のその雪の夜道を、豆州家自慢のお陸尺たちは、すた、すた、と矢のように飛びました。

行きついたときは――天下の執権松平伊豆守様がお手ずからもったいないことです。恩顧の<ruby><rb>隠密</rb><rt>おんみつ</rt></ruby>古橋専介のむくろに並べて、善光寺辰こと辰九郎のなきがらをもいっしょに、お屋敷内の藩士たまりべやに安置しながら、香煙<ruby><rb>縷々</rb><rt>るる</rt></ruby>としてたなびく間に、いまし、おみずからご焼香あそばさっていられるところでした。

「御前！」

「おお！　首尾はどうじゃ！」

「もとより――」

「上首尾じゃと申すか！」

「はっ。下手人はやはり生駒家がお取りつぶしになるまで<ruby><rb>禄</rb><rt>ろく</rt></ruby>をはんでいたやつにござりまするぞ」

「では、新しゅう浪人となった者じゃな！」

「御意にござります。生駒家お取りつぶしとともに、浪人となったはずにござります。それゆえ――」

「なんじゃ！　余になんぞ力を貸せと申すか」

「はっ。てまえ一人にてぜひにも捜せとのご<ruby><rb>諚</rb><rt>じょう</rt></ruby>でござりますれば、少しく日にちはかかりましょうとも、必ずともに潜伏先突きとめてお目にかけまするが、古橋どのはもとよりのこと、辰九郎ことも御前にはご縁故のものにござりますゆえ、できますことなら――」

「わかった！　わかった！　力を貸す段ではないが、余に何をせよというのじゃ」

「下手人はこのごろ新しく浪人になった者でござりましょうとも、浪人とことが決まりますれば、御前の、あの――あとはご賢察願わしゅう存じます」

「おお！　そうか！　しかとわかった！　いうな！　いうな！　あとをいってはならぬ！　その者はどのような人相いたしているやつじゃ」

「四十年配の中肉中背で、左手の小指が一本ないやつじゃそうにござります」

「それだけわかっていればけっこうじゃ。――みなの者も人相書きのことを聞いたであろうな」

宰相伊豆守は、かたわらに居流れていた近侍の面々を顧みると、<ruby><rb>猪突</rb><rt>ちょとつ</rt></ruby>に命じました。

「わからば、<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>！　そちが<ruby><rb>采配</rb><rt>さいはい</rt></ruby>振って、火急に七、八頭ほど、早馬の用意せい！」

不思議な命令です。早馬を八頭近くも用意させて、いずこへ飛ばせようというのか！　浪人者と決まりますれば、御前の、あの――あとはご賢察願わしゅう存じます、といった御前のあの、というその「あの」なる「あの」はなんであるか？――よしわかった。いうな、いうな、あとをいってはならぬ、といったその「あと」なる「あと」は、いかなるなぞであるか？――。いつもながら、捕物名人と、名宰相とのやりとりは、まこと玄々妙々の腹芸ですが、しかし、ありようしだいを打ち割ってみれば、不思議でもない、不審でもない、名人のいったその、御前のあのなる「あの」は、伊豆守の浪人取り締まり政策を利用しようというのでした。ご存じのごとく、松平信綱という人は、ほとんどその半生を浪人の弾圧取り締まりに費やした秘密政治家の大巨頭です。なかんずく、この事件の前後における時代は、浪人のほうも極度に<ruby><rb>跋扈</rb><rt>ばっこ</rt></ruby>し、伊豆守のほうでもまた、極度に弾圧取り締まりに力をつくした時代で、ご府内すなわち江戸市中に浪人の潜入し、跋扈するのを防ぐために、<ruby><rb>五街道</rb><rt>ごかいどう</rt></ruby>への出入り口出入り口に、浪人改めの隠し目付け<ruby><rb>屯所</rb><rt>とんしょ</rt></ruby>なるものを秘密に設け、すなわち、東海道口は品川の宿、甲州街道口は<ruby><rb>内藤新宿</rb><rt>ないとうしんじゅく</rt></ruby>、<ruby><rb>中仙道</rb><rt>なかせんどう</rt></ruby>口は板橋の宿、奥羽、日光両街道口は<ruby><rb>千住</rb><rt>せんじゅ</rt></ruby>に、それぞれまったくの秘密な隠し屯所を設けて、四六時中ゆだんなくそれらの五街道口を出入する浪人の身分改め、ならびに不審尋問を行ない、市中そのものにはまた一町目付けという隠語をもって呼ばれた、同じ浪人取り締まりの隠し目付け屯所を各町各町に設置しておいて、ある者は町人に化け、ある者はまた職人にやつして、市中在住の浪人どもを絶えず監視せしめ、かつまたその動静を内偵せしめて、大小残らずの報告を細大漏らさずおのれの身辺へ集中せしめるような、じつにおびただしくも精密な取り締まり網が張りめぐらされていたことを熟知していたればこそ、名人はさとくもそのくもの手のごとき浪人取り締まり網を利用しようと思いついたのでした。もしも、権藤四郎五郎左衛門なる長い名のその生駒家新浪人が、いちはやくご府外へ逐電したならば、五街道口のいずれかの隠し屯所へ、まだ市中に潜伏しているならば一町目付けのどこかの隠し場所へ、必ずなんらかの足跡動静を残しておいたであろうと知ったからです。

命ぜられた采女以下の近侍も、もとよりそれなる浪人網は熟知してのこと、たちまちそこへ引き出した馬は、いずれも<ruby><rb>駿馬</rb><rt>しゅんめ</rt></ruby>の八頭でした。秘密の急使に立つ乗り手の八人は、伊豆小姓と江戸に評判の美童ぞろい――。

「おう、いずれも用意ができたな。よいか、四人は街道口隠し屯所へ。あとの四人は市中の一町目付けへ、いま右門が申した人相書きの浪人を目あてに、ぬかりなく動静探ってまいれよ。念までもあるまいが、隠し屯所へ出入りいたすときは、人に見とがめられぬよう、じゅうぶんに注意いたすがよいぞ」

「はっ」

とばかりに八美少年は、馬上ゆたかに雪の道を、八方に散っていきました。――ときに二更近くの五ツ下がり。

４

残った名人主従は、辰の霊前にじっと端座したままでした。つねならば千鳴り万鳴りの伝六が鳴らずにいるはずはないが、<ruby><rb>今宵</rb><rt>こよい</rt></ruby>ばかりは別人です。

思い出してはぽろり……。

ぽろりとやってはまたぽろり……。

大きな手でそれをふいてはまたぽろり……。

伝六だけに、ひとしお哀れです。

名人はもとより黙々として、これもじわり、じわりと、隠し涙を散らしました。

そのかたわらに、古橋専介のひとり娘の小梅がしとやかに並んですわって、名人右門と一対の<ruby><rb>雛</rb><rt>ひな</rt></ruby>ではないかと思われる美しい姿に美しい涙をためながら、なき父の霊前に、静かな<ruby><rb>回向</rb><rt>えこう</rt></ruby>をささげつづけているのでした。

宰相伊豆守も、高貴のおん身のおいといもなく、しんしんと降りまさり、しんしんとふけまさる雪の夜を冒して、お静かにそこに端座されたままでした。

かくて<ruby><rb>半刻</rb><rt>はんとき</rt></ruby>。――四半刻。

それからまた四半刻。

深夜の九ツが、上野のお山からわびしく鳴り伝わりました。

と――タッ、タッ、タッ、というひづめの音です。満座、いろめきたって待ち構えているところへ――

「帰りましてござります！」

第一着の姿を見せたのは、たれならぬ<ruby><rb>采女</rb><rt>うねめ</rt></ruby>でした。

「おお！　どうじゃ！　どうじゃ！」

「わかりましてござりまするぞ！　手がかりがつきましてござりますぞ！」

「なに！　ついたとな！　そちが参ったはいずれじゃった！」

「<ruby><rb>中仙道</rb><rt>なかせんどう</rt></ruby>口の板橋でござります！」

「そうか！　申せ！　申せ！　はよう申せ！　どんな手がかりじゃ！」

「つい先ほど暮れ六ツ少してまえじゃったそうにござりまするが、日の暮れどきのどさくさまぎれに乗じ、眼の配り、肩、腰、どう見ても、ひとくせありげな武家と思われるやつが、中間ふうにやつし、中仙道目ざして、早足に通り抜けようといたしましたゆえ、不審をうって調べましたら、左小指がないばかりか、中間ふぜいに不似合いな千柿鍔の小わきざしを所持いたしておりましたゆえ、今もなお隠し屯所に止めおいているとのことでござりまするぞ！」

「なに！　さようか！　まさしくそやつじゃ！　右門！　どうじゃ！　違うか！」

「いえ、それに相違ござりませぬ！　千柿鍔の小わきざしを所持いたしておるというがなによりの証拠、先ほど千柿老人が、大小二つの鍔をこしらえたと申しておりましたゆえ、たしかにそやつが権藤四郎五郎左衛門めでござりましょう！　では、お駕籠三丁お貸しくださりませ！――さ！　伝六ッ」

「…………」

「いかがいたした！　なぜ立たぬ！　なぜ立たぬ！　いかがいたした！」

「うれしすぎて、うれしすぎて、はや腰が抜けちまやがったんでごぜえます！　ひとつ、どやしておくんなせえまし！」

「かたきのありかを聞いたばかりで、今から腰抜かすやつがあるかッ。相手は三品流の達人じゃ！　しっかりいたせ！――そらどうじゃ！　いま一つたたいてつかわそうか！」

「いえ、た、た、立ちましたッ。ちくしょうめ！　腰が立ったからにゃ、さあ、もうかんべんしねえぞッ。――辰ッ、これ辰よ！　よく聞いていろよ！　おめえの、お、おめえのかたきは、兄貴が、この伝、伝六がきっと討ってやるぞ！　わかったか！　これ辰ッ、わかったかッ。わかりゃ、いってくるぞッ。小梅さん、さ！　あんたもいっしょだ！　たすきをかけて！　はち巻きをして！　そうそう！　おしたくができりゃ、この駕籠にお乗んなせえ！」

乗ったところを、三丁のお屋敷駕籠は、板橋目ざしていっさん走り――。

お目をかけた古橋専介、ならびに辰九郎の両人を討ったばかりか、天下公儀のご処断に筋違いのさか恨みをするとは、捨ておきがたい浪人者と、お怒りなさったとみえて、宰相伊豆守も、雪ずきんに面を包み白馬にうちまたがって、小姓の采女一騎をうしろに従えながら、お<ruby><rb>微行</rb><rt>しのび</rt></ruby>で三丁の駕籠のあとを追いました。

駆けつけた時は九ツ下がり。

目ざした隠し屯所は、一見ただの町家のごとくに見られましたが、しかし一歩その中へはいれば設備はいたれりつくせりで、土蔵と見せかけて、その実<ruby><rb>不審牢</rb><rt>ふしんろう</rt></ruby>につくられたその土蔵の中に、厳重な警固と見張りをうけながら、問題の生駒家浪人権藤四郎五郎左衛門は、なるほど中間ふうに化けながら、不敵にもぐうぐうと高いびきかいて眠りをむさぼっているさいちゅうでした。

「ふうむ、あやつか。思いのほかの豪胆者とみゆるな」

唯一の証拠にと、携え持ってきたあの千柿鍔の一刀をこわきにしながら、名人はゆうぜんとはいっていくと、

「起きろ！」

パッとそのまくらをけって、ずばりといいました。

「長え名のお客仁！　おひざもとで味なまねしやがったなッ」

「えッ――」

「驚くにゃまだはええや、<ruby><rb>讃岐</rb><rt>さぬき</rt></ruby>でもちったァ名を聞いたろう！　おれが、むっつりとあだ名の右門だッ。名を名のりゃ、もういうことはあるまい！　ここにおれが持っているこのなげえ一刀の千柿鍔と、おぬしが所持のその小わきざしの千柿鍔と、大小二つがぴったり合うこそ、なによりの証拠とホシをさしたら、ほかに責め道具はいらなかろう！　どうじゃ、江戸まえの町方衆は、むだをいわねえんだッ。ずんとこのせりふが骨身にしみたか！」

「そうか！　きさまが右門とかいう小わっぱか！　それならば」

ゆうゆうと帯をしめながら、長い名の四郎五郎左衛門、さすがにおちついたものです。

「千柿鍔に眼をつけたとあらば、じたばたすまい。いかにも古橋専介を討ったはこのおれじゃ。こざかしいあの<ruby><rb>隠密</rb><rt>おんみつ</rt></ruby>めが、いらぬ忠義だてしたため、あったら十七万石に傷がついたゆえ、討ったのじゃ。投げなわの小さなやつも、いらぬすけだちしたゆえ、一つ刀で手にかけたが、この夜ふけに起こして、どうしようというのじゃ」

「<ruby><rb>誉</rb><rt>ほまれ</rt></ruby>のあだ討ちさ！　お気に召したか！」

「おもしろい！　権藤四郎五郎左衛門の三品流知らぬとはおもしろい！　いかにも相手になろう！　来いッ」

パッとさがって、小わきざしに手をかけたを、名人右門は<ruby><rb>莞爾</rb><rt>かんじ</rt></ruby>としながら余裕しゃくしゃく。

「せくな。せくな」

押えて先へたちながら、雪の表へいざない出すと、なおよく敵をも愛す、感激したいくらいな計らいでした。

「晴れの勝負に、そなたもその短いわきざしでは不自由でござろう。使い納めに、こちらをお持ちめされよ」

手にしていた千柿鍔の長刀を四郎五郎左衛門に投げて渡すと、

「さ！　伝六ッ。おまえはこれを使え！」

みずからの腰の細身の<ruby><rb>蝋色鞘</rb><rt>ろいろざや</rt></ruby>を抜いて渡して、

「小梅さんは、こちらをお使いなさいまし」

短い腰の小刀をも、父のあだ討つ小梅に手渡しながら、本人はまったくの無腰。しかも、ゆうぜんとしていうのでした。

「さ！　両名とも、かかれッ」

声に、伝六、小梅が必死に構えましたが、腕が違うのです。三品流の達人とは、いかさまそのとおり。

「このようななまくら腕で、かたき討ちが片腹痛いわッ。きのどくながら、返り討ちだぞッ」

あざ笑いながら四郎五郎左衛門が、まず伝六から先にといわぬばかりにいどみかかってきたのを、

「見そこなうなッ。右門がすけだちしているんだッ」

ずばりというや、おどり込みざまに無敵無双の草香流です。パッときき腕とって、ねじ上げながら、体をひねると岩石おとし！　あおがえるのように雪の上へ、四郎五郎左衛門が長々とのめったところを――左から小梅が一刀！　右から伝六がひとたち！

「おう！　みごとであるぞ！　両人ともみごとであるぞ！」

降りしきる雪の中に、おしのび姿で馬上から見守っていられた宰相伊豆守の口から、期せずしておほめのことばがあがりました。

がっくりうなだれて、気も遠くなったように伝六が、ややしばしぼうぜんとしていましたが、ようよう目のかすみがとれたものか、

「わッ。切れましたか！　切れましたか！　あっしが切ったんですか！　切ったんですか？　辰ッ、辰ッ。<ruby><rb>魂魄</rb><rt>こんぱく</rt></ruby>があったらよう聞けよ！　討ったぞッ、討ったぞッ。おめえのかたきは、この伝六が、たったひとりで、たしかに討ったぞ！」

たったひとりで、というところにひときわ力を入れて叫ぶと、わッと雪の上に泣き伏しました。喜びに耐えられないもののように泣き伏しました。――父のかたきを討った小梅も共に同様、よよと雪に伏しました。

名人もまた同様、しずかにこうべをたれると、そっと目がしらを押しぬぐいました。

その三人の姿の上へ、そして四郎五郎左衛門のむくろの上へ、そしてお感慨深げに、黙念と馬上から見守っていられる宰相伊豆守のおしのび姿の上へ、馬首を並べてご警固申し上げている美小姓釆女の前髪姿の上へ、深夜の雪がおやみなく、しんしんと降りそそぎました。