Soranoha

右門捕物帖

うもんとりものちょう

佐々木 味津三

1

その三十一番です。

江戸城、内濠うちぼりの牛うしガ淵ふち。――名からしてあんまり気味のいい名まえではない。半蔵門から左へつづいたあの一帯が、今もその名の伝わる牛ガ淵ですが、むかしはあれを隠し井の淵ともいって、むしろそのほうが人にも世間にも親しまれる通り名でした。濠の底にありかのわからぬ秘密の隠れ井戸が六つあって、これが絶えずこんこんと水を吹きあげているために、その名が起こったとは物知りの話――。

しかし、どちらであるにしても、内濠とある以上は、たとい天下、波風一つ起こらぬ泰平のご時勢であったとて、濠は城の鎧兜よろいかぶと、このあたり一帯の警戒警備に怠りのあるはずはない。特にお濠方ほりかたという番士の備えがあって、この内濠だけが百二十人、十隊に分かれて日に三度ずつ、すなわち暮れ六つに一回、深夜に一回、夜あけに一回。騎馬、ぶっさき羽織、陣笠じんがさ姿で、四人ひと組みがくつわを並べながら見まわるしきたりでした。

長つゆがようやく上がって、しっとりと深い霧の降りた朝――ちょうど見まわり当番に当たっていたのは三宅みやけ平七以下四人の若侍たちでした。禄ろくは少ないが、いわゆるお庭番と称された江戸幕府独特の密偵隊みっていたい同様、役目がなかなかに重大な役目であるから、いずれも心きいた者ばかり。その四人が定めどおり馬首をそろえて、半蔵門から隠し井の淵までさしかかってくると、

「よッ……!」

三宅が不意に鋭く叫びながら、馬のたづなをぎゅっと引き締めました。

上と下と濠ほりが二つあって、まんなかが水門。上ではない、その下のほうの濠に、いぶかしい品がぶかりぶかりと浮いているのです。

「なんじゃ」

「変なものだぞ」

まだあけたばかりで薄暗いためによくはわからないが、赤いものが一つ、白いものが一つ。とにかく、穏やかでない品でした。

「おりろ。おりろ」

ふたりが馬を捨てて、土手を下りながら長つゆのあとの水かさのました水面に近づいてよくよくみると、二つとも女の持ちものなのです。

一つはなまめかしい紅扇子。

いま一つは、これまたなまめかしい白綸子りんずづくりの懐紙入れでした。

「水死人があるかもしれぬぞ」

「のう……!」

「いずれも懐中にさしている品ばかりじゃ。このようなところへ捨てる道理がない。入水じゅすいいたした者の懐中から抜けて浮きあがったものに相違ないぞ。土手に足跡でもないか」

足跡はなかったが、この二つの品を見て、ただちに水死人と断じたのはさすがです。

「だれか一騎、すぐに屯所とんしょへ飛べッ」

「心得た。手はずは?」

「厳秘第一、こっそりお組頭くみがしらに耳打ちしてな、足軽詰め所へ参らば水くぐりの達人がおるに相違ない。密々に旨を含めて、五、六人同道せい」

パカパカとひづめの音を鳴らして、事変突発注進の一騎が、霧のかなたに消え去りました。

同時に、一騎は半蔵御門へ。一騎は反対の竹橋御門へ。

すべてがじつに機敏です。ご門詰めの番士に事の変を告げて、出入り差しとめ、秘密警戒の応急てはずを講ずるために、たちまち左右へ駆けだしました。

見張りに残ったのは三宅平七ただひとり。この男、旗本の次男でまだ二十三になったばかりだが、諸事みな采配さいはいふるって、なかなかおちついているのです。

あちらへ漂い、こちらへ漂っているふた品を見ていると、どうも少し変なことがある。濠のまんなかごろのある一カ所から、間をおいてときどき思い出したようにぶくぶくとあわが浮きあがって、さながらそのあわの下に何か気味のわるい秘密でもあるかのように、ふたつの品がまた浮き漂いながらも、その一カ所のぐるりを離れないのでした。

「死骸しがい!」

もしもそこに品物の持ち主の死骸が沈んでいるとするなら、怪談ものです。ふたつの品に何かのぶきみな怨念おんねんでもが残っていると思うより思いようがない……。

いやなことには、まだ霧がなかなか晴れないばかりか、注進にいったものたちの帰りもおそいのです。

待ち遠しい四半刻しはんときでした。

ぶきみな思いをしながら待ちあぐんでいたところへ、前後して三騎がはせ帰ってくると、城内屯所へいったのが馬上から呼び呼び伝えました。

「城外へ漏れてはならぬゆえ、そのことくれぐれも心して、たち騒がずに見張りせいとのお達しじゃ。お組頭はあとからいますぐ参られるぞ」

「足軽たちは?」

「いっしょに来るはずじゃ、それから……」

「だれかほかにご城内からお検分にお越しか」

「いいや。どういうおつもりか、お組頭、ちとふにおちぬことをされたわい。密々の早馬、すぐに八丁堀はっちょうぼりへ飛ばしてのう、だれか知らぬが火急に呼び招いた様子でござるぞ」

「ほほう。なるほど、さすがはお組頭じゃ。八丁堀なら、おおかた――」

三宅の平七、なかなかに目がきくのです。いわずとしれた、むっつり右門であろう、というように、にったり笑ったところへ、足軽六、七人を従えて色めきたちつつはせつけたのは、お組頭畑野蔵人くらんどでした。

「浮いているのはどの辺じゃ」

「あのまんなかでござります」

「いかさま、女物じゃな。だれぞひとり、はようあのふた品をこれへ、残りはすぐさま水へくぐらっしゃい」

下知もろとも足軽たちが下帯一つになって、ひとりは命ぜられたとおりなぞのふた品を岸へ、あとの五人が水底めがけていっせいに飛び込もうとしたのを、

「いや、場所がある。まてまてッ」

三宅が制して指さしました。

「今のあそこじゃ。ぶくぶくと水底からあわが吹いているあのあたりが怪しゅう思われるゆえ、まずあそこへくぐってみい」

いずれも水練自慢とみえて、たくましやかな五体をおどらしながら、さっといっせいにもぐりました。

しかし、まっさきにもぐって、まっさきにあわの下へいったのが、まっさきにまっさおな顔で浮き上がってくると、不思議なことをいったのです。

「いのちには替えられませぬ。あそこばかりは二度ともう――」

「たわけッ、いのちに替えられぬとは何をいうかッ。いいや、なんのためにお禄米ろくまいをいただいているのじゃ。もいちど行けいッ」

しかりつけてくぐらせようとしたとぎ、ふたりめ、三人め、四人め、五人めと次々に浮かび上がると、いずれも同様に色を失いながらいうのでした。

「あそこばかりは二度ともう――」

「うぬらもかッ」

「でも、気味がわるくて近よれませぬ」

「死骸しがいか! 死骸が気味わるうてよりつけぬと申すかッ」

「いいえ、何もござりませぬ。死骸はおろか何一つ怪しいものは見えませぬのに、どうしたことか、あそこへ近よりますと身のうちが凍えるように冷たくなりまして、ぐいぐいと気味わるく引き入れられそうになりますゆえ、いかほどしかられましても、てまえどもの手には合いませぬ」

組頭蔵人はじめ三宅平七たち五人の者は、目と目を見合わせながら、いずれもぞっと水をでも浴びせられたように、えり首をすぼめました。

怪しいものがないというのに、ぶくぶくとあわがたっているはずはない。しかも、疑問のふた品が岸へ揚げられるまで、ぶきみなその一カ所の周囲ばかりを、底に引く糸でもあるかのごとく漂って離れなかったのが不思議です。

「そんなバカなはずはない。寄りつけないというはずがない。だれぞ勇を鼓して、いまいちどくぐる者はないか」

「…………」

「戦場と思うたら行けるはずじゃ。だれもおらぬか!」

よくよく恐ろしかったものとみえて、裸男たちが声もなく顔見合わせているとき、

「えへへ。みなさんご苦労さま。ただいまはごていねいに早馬をいただいて、あいすみませんでしたね」

姿より先に、かしましい声を飛ばせながら、大道せましと右に左にからだを振って、霧の中をこちらへ駆けつけてきたのは、

あの男です。

あとから静かにむっつりの名人……。

2

「これはようこそ」

組頭くみがしら蔵人くらんど、それを見るといんぎんでした。

「わざわざお呼びたてつかまつって恐縮にござる」

「いや、てまえこそ……」

右門またもとよりいんぎんでした。

「ご城内のことは、われら町方同心ふぜいの差し出らるべきはずござりませぬが、特にてまえをお呼び出しは、あなたさまのお計らいで?」

「いや、かねがね伊豆守様が仰せでのう。手にあまる変事出来しゅったいの節は、八丁堀に一人心きいた者がおるゆえ、忘れずに、とご諚じょうござったゆえ、その一人とは貴殿よりほかにござるまいと、とりあえず早馬さしあげたのじゃ」

「なるほど、知恵伊豆様のおさし金でござりましたか、その変事とやらは?」

「女持ちのこのふた品じゃ、かような品が浮いているからには、昨夜のうちに入水じゅすいした女があったに相違ない。しかし、外濠そとぼりならいざ知らず、このあたりは知ってのとおり、夜中の通行はご禁制の場所、ましてや、われわれお濠方が見まわっておるのに、その目をかすめて女が水死いたしたとすれば、容易ならぬ変事に相違あるまいと察したゆえ、騒ぎの大きくならぬうちに、尊公のお力を借りてと、火急にこっそりお招き申したのじゃ」

「なるほど。なまめかしい品々でござりまするな。浮いていた場所は?」

「ほら、あのまんなかを見られよ。ぶくぶくと、ときおりあわが吹いておるところがござろう。あのあたりひとところを離れずに、ゆらりゆらりと漂っていたのじゃ。それゆえ、不審はまずあの一カ所と、このとおり、水練に達者な者どもをさっそくかしこへくぐらせてみたが、奇態でござるわい。どうしたことやら、名うての泳ぎ達者どもでさえが、魔に吸いこまれるようなここちいたして、寄りつかれぬと申すのじゃ」

「なに、魔に吸いこまれるようなここちいたしますとのう。ほほう。あそこでござりまするな」

じっと目を光らせて見ながめていたかと見るまに、

「アハハハ……もっともなお話でござります」

からからとうち笑うと、来るそうそうからすでにもう、すばらしい右門流でした。地の底、水の底の秘密も、いながらにしてたなごころをさすごとく、こともなげになぞを解いて、ずばりといったものです。

「かしこへは寄りつかれぬも道理、おそらく隠し井戸の一つがござりまして、どうしたことか、たぶん吹き井戸の水道が切れましたために、かえって地の底へ濠水を吸い込んでおるに相違ござりませぬよ。あのあわを吹いておるのがなによりの証拠、底知れぬ穴へ水がしみ入っているゆえ、ぶくぶくとあわだつのでござります。アハハハ……幽霊の正体見たり枯れ尾花とはまさにこのこと、これなる扇子と懐紙入れがあの一カ所から離れなかったのも、かしこの水がうずというほどのうずでないうずを巻いているため、水もろとも穴の底に引きつけられて、ぐるぐるあのまわりを漂っていたに相違ござりませぬ」

「いかさまのう。なぞが解ければ恐るるところはない。どこかほかのところに骸むくろが沈んでいるはずじゃ。手を分けて残らず捜してみい」

蔵人の下知とともに、水練自慢の足軽たちが、にわかに活気づいていっせいに飛び込もうとしたのを、

「いや、お待ちなされませい!」

何思ったか名人が呼びとめると、上と下との濠の境の水門のあいているのをいぶかしげに見ながめていたが、ぶきみなくらいな右門流がだんだんと飛び出しました。

「あの水門は?」

「何がご不審じゃ?」

「いつもは締まっておるはず、どうしてあいておるのでござります?」

「なるほど、あれでござるか。長つゆで上の濠水が増したゆえ、土手を浸さぬようにとあけさせておいたのじゃ」

聞くや同時です。莞爾かんじとしてうち笑えむと、名人が意外なことを断ずるごとく言い放ちました。

「ならば、下のこの濠を捜すより、上の濠をお捜しなさるが早道、あちらの水底をさぐってごらんなさりませい」

「なに、それはまたどうしたわけじゃ。上の濠ほりをさらえとはなにゆえじゃ」

「下の濠にこのふた品が浮いていたゆえ、入水じゅすいの者はこの水底に沈んでおると見るはおしろうと考え、あのとおり水門から今もなおこちらへ濠水が流れ込んでおりますからには、このふた品もまた上から流れてきたものかもしれませぬ。右にすきあると思わば左をねらえとは剣の極意、道こそ違え吟味詮議せんぎもまたそれが奥義でござります。右門のにらんだことに狂いござりませぬ。ものはためし、あちらを捜させてごらんなさりませい」

むっつり流十八番のからめ手詮議です。濠を替えてくぐらせてみると、果然ひとりが浮きあがりざま、けたたましく叫びました。

「ありました! ありました! たしかに死骸しがいがござりまするぞ!」

「なにッ、あったか! やはり女か!」

「しかとはわかりませぬが、どろへ深くはまっておりまして持ちあげられませぬ。みな手を貸せい!」

場所は水門から上へ二間ばかり、お城寄りの土手に近く、ぬっと大きな松が水の上に枝をのばしているちょうどその真下あたりです。

六人協力してくぐりながら、引き揚げた死体を見ると、意外! 男だった。女と思いきや、りっぱな男でした。

それも両刀たばさんだままの若侍なのです。

蔵人くらんどはいうまでもないこと、三宅平七はじめお濠方の番士たちは、いずれも目をみはりました。

大小差したままで沈んでいたというのも不審です。

女と思いのほかに若侍だったのも不審です。

しかるにもかかわらず、女の持ちものがふた品浮き流れていたというのは、さらに不審です。

若侍とそのふた品にどんなつながりがあるか? ――普通に考えれば、恋を入れられなかったために、思いをよせている女の持ちものを懐中して、入水じゅすいしたとも考えて考えられないことはないのでした。

しかし、町人ならいざ知らず、かりにも大小差す者が、たとい恋に破れての乱心ざたにしても、水にはまって命を断つなぞと笑止きわまる死に方をするはずがない。よしんば、腹切るすべも、自刃するすべも知らないための入水にしたところで、大小差したまま投身するというのは、いかにも筋が通らないのです。

疑問はその一点。解決のかぎもまたその一点。

「たまらねえね。こういうなぞたくさんの変事になると、知恵蔵もたくさんあるが、切れ味もまたいいんだから。え? だんな。遠慮はいらねえんだ。ちょっくら小手しらべに、正宗まさむね、村正むらまさ、はだしというすごいところをお目にかけなせえましよ」

「うるさいよ」

「へ……? これっぱかりしゃべってもうるさいですかね。お将軍さまのお寝間へちけえと思って、大きに遠慮しているつもりなんですがね。あっしがものをいうと、何をしゃべってもうるさいですかね」

「それがうるさいというんだ。黙ってろ」

しかっておいて、静かにあごをなでながら考えつめていたが、一筋一筋となぞのもつれ糸がほぐれだしたとみえて、ぼんやりとたたずんでいた足軽たちのところへ穏やかに声が向けられました。

「大小の重みぐらいで今までこの死体の浮き上がらなかったのがいかにも不思議、どろへはまっておったと申されたが、どのくらい深くうずまっておりましたか」

「一尺ほどでござりました。いや、もっと深かったかもしれませぬ。両方のたもとに大きな石がふたつずつはいっておりましたのでな、頭をさかさまにめりこんでおりましたよ」

「なに! さかさまにめり込んでおりましたとのう! どうやらそのぶんでは、まず十中八、九――」

「乱心ざたの入水か!」

「いえ、おそらくさようではありますまい。よしやどろが深かったにしても、頭をさかさまにしてはまっておったというのが不思議。ましてや、二本差す身でござります、入水などと恥多い死に方をするはずござりませぬ。何か容易ならぬ秘密がありましょうゆえ、さしでがましゅうござりまするが、ともかく死体を一見させていただきましょう」

近寄って見しらべていたその目が、死人の口もとへそそがれるや同時です。きらり、名人の目が鋭い光を放ちました。

変なものがある! 口中にいっぱい黒いものが詰まっているのです。どろか? ――小柄こづかの切っ先で食いしばっていた歯を、ぐいとこじあけてみると、血だ! どろかと思われるような、どす黒い血のどろどろと固まったのが、口中いっぱいに含まれているのです。

「案の定――」

「毒死か!」

「さようでござります。一服盛ってから、石の重りをつけて沈ましたものに相違ござりますまい。事がそれと決まりますれば――」

詮議せんぎの筋道もおのずからその手順がたつというものである。

第一は、まず殺された若侍が何者であるか、その身もと詮議でした。

第二は、扇子と懐紙入れの持ち主が何者であるか、その穿鑿せんさくでした。あるべきはずのないところに、あるべきはずのない品が浮いていたとすれば、そのふた品の持ち主たる女が、少なくもこの毒殺に重大な糸を引いていることは確かです。

服装もしらべてみると、紋服、はかま、べつにこれといって変わったところはないが、腰に二つのさげ物がある。

一つは城内出入りのご門鑑。これがあるからには、お城仕えをしているものであることが明らかでした。

いま一つは、印籠いんろうのようなさげ物です。しかし、印籠ではない。形は丸筒、生地は竹、塗りは朱うるし、緒締めのふたがあって、中をしらべてみると、刀剣の手入れにはなくてかなわぬ紅絹もみの打ち粉袋がはいっているのです。――同時に、名人のさえた声が放たれました。

「お刀番でござりまするな」

「なに! お刀番?――お刀番出仕のものなら、てまえ知らぬでもない。死に顔をよく拝見いたしましょう」

三宅平七が進み出て、形相もぶきみに変わった死に顔をしげしげ見しらべていたが、おどろいたように叫びました。

「まさしく、中山数馬かずまじゃ!」

「存じ寄りのおかたでござりまするか!」

「話したことも、つきあったこともないが、てまえの叔父おじが富士見ご宝蔵の番頭ばんがしらをいたしておるゆえ、ちょくちょく出入りいたしてこの顔には見覚えがある。たしかにこれはご宝蔵お二ノ倉の槍やり刀剣お手入れ役承っておる中山数馬という男じゃ」

身分身もとはわかったのです。残るは扇子と懐紙入れふた品の穿鑿せんさくでした。もとより、この持ち主が女たるに疑いはない。しかし、このふた品の持ち主が、ただちに下手人であるかどうかは、即断のできないことでした。所有主そのものが下手人だったら、いうまでもなく、死体を沈めるとき、あやまって懐中から落としたものに相違ないが、他に意外な犯行者があって、罪をこのふた品の所有主に負わせるために、わざわざ死体もろとも、濠へ投げ入れたものとも考えられるのです。

もし、下手人そのものが知らずに落としたとするなら、外から来たか、内から来たか、この死体を沈めに来た女の身分素姓、居どころに眼がんをつけるが事の急でした。

問題はその一点、なぞもまたその一点。

「それなるふた品、拝見させていただきましょう」

蔵人の手からうけとって見ながめたかと思われるや、まことに快刀乱麻を断つがごとし、即座にずばりといったものです。

「ご城内奥女中のご用品でござりまするな」

「な、なぜおわかりじゃ! なぜこれが奥女中の品とおわかりじゃ」

「この紅いろ扇子がその証拠。骨に透かしがござります。紅いろ透かし骨の扇子といえば、日本橋石町たらちね屋が自慢の品物、たしか大奥にも出入り御用を仰せつかっているように聞いておりましたゆえ、奥女中の持ちものとにらんだだけのことでござります」

「灯台もと暗しとは、まさしくこれじゃのう。お城仕えのわれわれが存ぜぬとはうかつ千万、面目次第もござらぬわい」

「えへへ。いえなに、知らねえのはお互いさまでね。知らぬあんたがたが別段うかつというわけじゃねえんだ。おらのだんなが、すこうしばかり物を知りすぎているんですよ。ね、だんな。事ははええがいいんだ。大奥であろうが、天竺てんじくであろうが、人を殺した女をのめのめ見のがしておいたら、八丁堀の恥になるんだからね。どんどんと乗りこんでめえりましょうよ」

「うるさい。黙ってろ!」

ここらあたりが口の出しどころと思ったものか、のこのことしゃきり出て伝六が鳴りはじめたのを、手もなく一言にしかりつけておくと、名人は黙々としばらくうち考えました。事は伝六のいうごとく、さように簡単には参らないのです。特にお声がかりで招き呼ばれたとは言い条、町方勤めの八丁堀ものが、城内の変事に手を染めたことからしてが、そもそも異常事なのでした。ましてや、こと大奥にかかわりができたとなると、むっつり右門、いかに捕物とりものの名人であったにしても、たやすく乗りこんでいかれるわけがない。第一に、手続きもめんどうならば、詮議せんぎ手入れはさらにめんどう、奥女中総手入れとなると、数そのものがあだやおろそかな人数ではないのです。上はお局つぼねから下お末端女すえはしためまで数えたてるとざっとまず六、七百人、手続きを踏む段になれば、松平伊豆守という鬼に金棒のうしろだてがあるにはあるが、しかし、六、七百人からの奥女中をひとりひとり吟味するとなると、容易なわざではないのです。

いかにすべきか?――じっとうち考えていた名人の目に、ふとそのとき映ったのは、三宅平七の姿でした。目のくばり、他のお濠方と違って、どことなく心きいたところが見えるのです。

「ご貴殿は?」

「なんじゃ」

「やはり蔵人くらんど様のお組下でござりまするか」

「さよう。三宅平七という者じゃ。御用あらば、いかほどなりとお力になってしんぜまするぞ」

「なによりでござります。事は密なるが第一。蔵人様、しばらく三宅氏うじをお借り申したいが、いかがでござりましょう」

「異存のあろうはずはない、いかようなりと」

「かたじけのうござります。右門、これをお引きうけいたしましたからには、必ずとも変事のなぞ解いてお目にかけますゆえ、なにとぞお心安う。――では、三宅どの、ちとお耳を拝借願いとうござりますゆえ、あちらへお越し願えませぬか」

いぶかりながら松の木陰へついてきた三宅平七を見迎えると、不意に異なことを尋ねました。

「貴殿ならばご城内のこと、奥も表もあらましはお通じのはず、お知り人もたくさんござりましょう。もしや、だれか大奥お坊主衆におちかづきはござりませぬか」

「あるとも! われわれお濠方はお庭番同様、ご城内の出入りはお差し許しの身分ゆえ、お城坊主衆ならば残らずちかづきじゃ。何かご用か」

「ご存じならば、お坊主衆にひとりぜひ用がござります。おくびょう者でひときわ口やかましい者、お心当たりござりませぬか」

「あるある! お鳥係りに可賀べくがと申すおしゃべり者のいたってひょうげたやつがひとりおるわい。用ならば、今からすぐにでもお引き合わせつかまつるぞ」

「では、さっそく――」

「えへへ。うれしいことになりやがったね」

もうここから鳴りだしてもよかろうと、たちまちお株を始めたのは、こっちのおしゃべり者でした。

「兄弟に用があるとはたのもしいですよ。やっぱり世間は広いやね。おしゃべり者はあっしばかりと思っていたのに、大奥にもそんなたのもしいのがいるとはうれしいね。善は急げだ。死ぬまでにいっぺん大奥の女護の島へお参りしてえと思ってたんだからね。なろうことなら、年の若いべっぴんからお引き合わせを願いますよ」

やかましくさえずりだしたのをしりめにかけて、右門、平七のふたりは一ノ橋ご門から左へお薬園の前に抜け、ぐるりと回ってご本丸大奥外のお番屋を訪れました。ここはいわずと知れた大奥警備の番士たちの詰め所です。

あきべやを借りうけて、伝六ともども待ちうけているところへ、まもなく三宅平七が伴ってきたのは、大奥名代なだいのおしゃべり坊主可賀べくがでした。

「これはこれは、わざわざてまえをお名ざしで御用とは、近ごろ冥加みょうがのいたりでござりやす。八丁堀ご名物むっつり右門とおっしゃりますそうなが、御用の筋はなんでおじゃります。てまえはお鳥係り。烏は唐からの金鶏鳥、四国土佐のおながどり、あるはまためじろ、ほおじろ、うぐいすならば鳴き音が千両、つるに、ひばりに、恋慕鳥、別して大奥のお女中がたは、この恋慕鳥が大の好物でござりやす。御用はその鳥に何か?」

「アハハ。なるほど、ききしにまさるお口達者でござりまするな。そのぶんならば、ずんと頼みがいもありましょう。ちと異なお願いでござりまするが、てまえは今おおせのその右門、けさほど牛うしガ淵ふちでゆゆしき変事がござりましたのでな。ぜひとも今明日中に、大奥仕えのお女中残らずをお詮議せんぎいたさねばなりませぬ。それゆえ、じつは、そなたさまのお口達者なところを見込んで、今より大奥女中残らずへ――」

「吹聴ふいちょうせいとのお頼みでござりますか」

「さようさよう、なにしろたくさんなご人数、それにとつぜん参りましたら、お気の小さいお女中がたでござりますゆえ、さぞかし肝をお冷やしなさるであろうと存じまして、特に前もってお吹聴願いたいのでござります。いかがでありましょうな」

「いや、ぞうさもないこと。千人、二千人おりましょうとも、この可賀が引きうけましたからには、お茶の子さいさいでござりやす。あなたさまはいま八丁堀でお名うての知恵巧者、むっつり右門が乗りこんだからには、ただでは済みませぬぞ、と、このように少しく色をつけて、すみからすみまでずいと触れ歩きまするでござります。ご用はそれだけで?」

「さようじゃ。なるべくお早くのう」

「心得まして候そうろうじゃ。では、またのちほど」

「いや、ちょっと待たれよ」

不意に横から呼びとめて、あやぶむように三宅平七が名人に念を押しました。

「なんぞお考えあってのことでござりましょうが、城内の手入れはいうまでもないこと、大奥お手入れとならば、手続きがなおさらめんどう、あのように吹聴させて、大事ござらぬか」

「そのご懸念ならば、手つづきせずとも、たぶん伊豆守様が――」

莞爾かんじと笑っていったことです。

「いずれは伊豆守様のお耳へはいるは必定、はいればたぶん伊豆守様がにやりとお笑いあそばしまして、右門やりおるなと、お黙許くださるに相違ござりませぬ。可賀どの、ではなにぶんともによろしゅうな」

「万事は可賀が胸のうち、お羽織のひもでござりやす」

駆けだしていったのを見送って、さっと立ち上がると、じつに奇怪でした。

「三宅氏、お手数でござった。伝六! 用はすんだ。八丁堀へ帰ってひと寝入りしようぜ」

「ね……!」

可賀のすさまじいおしゃべりに、さすがの伝六も音が止まったと見えるのです。「ね!」とただいったきりで、ぼうぜんとしながらあとを追いました。

3

不思議なのは右門です。まさかと思ったのに、八丁堀へほんとうに引き揚げていくと、そのままふた品のことも、下手人詮議せんぎのことも忘れ果てたかのように、寝るでもなく起きるでもなく、ただごろごろとその日一日を黙り暮らしました。

伝六がまた穏やかでない。あのうるさい男が、可賀のおしゃべりにすっかり当てられたとみえて、ぼんやりとしたまま、おしゃべりらしいおしゃべりは、ひとこともいわないのです。

「ね……! ね……!」

と、ただときおり首をひねっては、思い出したように焦心するばかり。

一夜がすぎて、同じようにつゆ上がりの霧の深い朝があけました。――その朝まだき。

「行ってこい!」

右門の唐突な命令が、不意に伝六へ下りました。

「早く行くんだよ」

「どこへ行くんですかい」

「おまえの兄弟分のところへ、大急ぎに行くんだ。きのうのあのお番屋へ行って、だれかに取り次いでもらえば会えるから、至急に駕籠かごで可賀をここへ連れてくるんだよ」

「…………」

「変にしょげているな。おまえらふたりがしゃべりだしたら、年の暮れでなくちゃ帰ってこねえかもしれねえ。いい気になってしゃべりはじめちゃいけねえぜ」

「あれにゃとてもかなわねえんです。だから、しょげもするじゃねえですか。なんとなく、おら、おもしろくねえや……」

とぼとぼと出かけていったその伝六が、駕籠をつらねて可賀ともどももどり帰ったのは、半刻はんときとたたないまもなくでした。

「いや、これはこれは。またまたお名ざしのお呼びたてで、可賀、恐縮でござりやす。きのうお申し伝えのことをな――」

「ご披露ひろうくださりましたか」

「それはもうてまえのこと、そこに抜かりのあるはずはござりませぬ、さっそくに奥女中がた残らずへ吹聴いたしましたら、みな、みなもう――」

「どんな様子でござった」

「色も青ざめて震えあがり、なんでござりましょうと、おどろくかと思いのほかに、女というものはなんともいやはや奇態な生き物でござります。ふふんと横を向いて相手にいたしませぬのでな、愚老もとんと張り合いぬけいたしまして、おしゃべり損かと思うておりますると、ここにいぶかしきはただひとり――」

「来ましたか! うろたえて、そなたに、なんぞ聞き尋ねに参った者がござったか!」

「ござりました、ござりました。名は岩路、御台みだいさま付きの腰元が、なにやらうろたえ顔にこっそりと参りましてな、いやはや、根ほり葉ほりききますことききますこと。右門とやらは何を詮議せんぎにお越しじゃ、どのようなことをそなたにおいいじゃ、牛うしガ淵ふちで何をお見つけじゃ、と、おしゃべりのてまえもほとほともて余すほどうるさくききましてござりやす。そのうえ、急にけさほど――」

「宿下がりいたしましたか!」

「さようでござりやす。気分がすぐれぬとか申して、てまえがこちらへ出かける半刻はんときほどまえに、親もとへ帰りましたげにござりやす」

「家はどこじゃ!」

「神田鍛冶町かじちょう、御用お槍師やりし、行徳助宗すけむねというが親でござりやす」

「よしッ。それだ! 伝六ッ」

莞爾かんじと笑って身を起こすと、断ずるごとくいったものです。

「ホシはその女だ! 駕籠かごだよ! 駕籠だよ!」

「偉い! さすがだね」

止まっていた水が吹きあげでもしたように、伝六がまたにわかに活気づいて、珍しやずぼしをさしました。

「黙っていると、われながら勘がよくなるとみえらあ。偉いね、さすがにだんなですよ。密々に詮議をしなきゃならんものが、わざわざ吹聴ふいちょうさせて何をするかと思っていたんですが、これこそほんとうに右門流だね。だんなが乗りこむと聞いたら、胸に覚えのある女がさぞかしあわてだすだろうというんで、ちょっとひと出し、知恵の袋を小出しにしたんですかい」

「決まってらあ。お鳥係りのお坊主を使って鳥網を張ったというなこのことよ。近ごろ珍しい、ほめてつかわす。お駄賃だちんに駕籠をおごってやるよ」

「かたじけねえ! 可賀の大将、こうなりゃおしゃべりっくらに負けはとらねえんだ。小道具に使ってしまえばもう用はねえからね、口もとの明るいうちにとっとと帰ってくんな!」

パンパンとはぜるようにまくしたてられて、ぼうぜんと目を丸めている可賀をあとに、伝六、名人二つの御用駕籠は、時を移さず神田鍛冶町へはせ向かいました。

表通りはなかなかの構えで、柳営御用槍師やりしと、なるほど大きな看板が見える。

案内を請うてはいるような名人ではない。ホシとにらめば疾風迅雷、ずかずかとはいっていくと、

「あッ……」

姿を見ると同時に、かすかなおどろきの叫びをあげながら、奥座敷目がけて逃げはいろうとした女の影がちらりと目にはいりました。せつな――。

「しゃらくせえや。おれを知らねえかよ」

伝六、じつに生きがいいのです。押えているまに、名人はあちらこちらそれとなく見ながめたが、ほかにはひとりも家人の姿はない。親の行徳助宗がいないばかりか、かりにも将軍家御用槍師といえば、弟子でしの二、三人ぐらいはもとよりのこと、下働きの小女も当然いるべきはずなのに、どうしたことか、ひとりも見えないのです。

「この様子では、ちと手数がかかりそうだな。よしよし、伝六、相手はお女中だ。手荒にするんじゃねえよ」

制しておいて、奥の座敷の片すみに、必死と顔を伏せている女のところへ静かに近よりながら、まず穏やかにいったことでした。

「おまえさんが岩路いわじというんだろうね」

「…………」

「ほほう。親が槍師だ。武物を扱う稼業かぎょうだけに、いくらか親の血をうけているとみえて、強情そうだね、そっちが一本槍で来るなら、こっちは七本槍で責めてやらあ。まずお顔を拝見するかね」

「…………」

「手向かったら、だいじなお顔にあざがつきますよ。おとなしくこっちへ向けりゃいいんだ。――ほら、こうやって、そうそう。ほほう、なかなかべっぴんさんだね。いい女ってえものには、とかく魔物が多いんだ。むだはいわねえ。なんだって中山数馬さんをあんなむごいめに会わしたんですかい」

「…………」

「思いのほか手ごわいね。女が強情張るぐれえたかがしれていらあ。むっつり右門の啖呵たんかと眼がんの恐ろしさを知らねえのか! べらぼうめ、責め道具は掃くほどあるんだ。名こそ書いてはねえが、この扇子もおまえさんの品のはずだ。この懐紙入れもおまえさんがたいせつにしていた持ち物のはずだ。いいや、もっと急所があらあ、やましくもねえものが、可賀に張らした網にひっかかって、目のいろ変えながらこんなところへ逃げだすはずはねえんだ。べっぴんならべっぴんらしく、きれいにどろを吐きなせえよ」

「…………」

「笑わしやがらあ、おいらを相手にどうあっても強情を張るというなら、手近な責め道具をほじくり出してやりましょうよ」

あちらこちら見捜していたその目が、はしなくもその床わきの地袋の、二枚引き戸の合わさりめから、ちらりとはみ出している金水引きの端を見つけました。同時です。がらりあけて中を見ると、島台に飾られた紅白ふたいろの結納綿が名人の目を射ぬきました。いや、飾り綿ばかりではない。

「寿ことぶき、中山数馬」

はっきりと、あの毒死をとげたご宝蔵おん刀番の名が見えるのです。

「こりゃなんだッ、この名はなんだ」

「あッ! 知りませぬ。知りませぬ。なんといわれても……なんといわれましても……」

ぎょッとなりながら必死に抗弁していたその口が問うに落ちず語るに落ちて、おもわずも口走ったのは笑止でした。

「いかほど、どれほど責められましても、わたくし、中山様に毒など盛った覚えござりませぬ」

「それみろッ。とうとういっちまったじゃねえか。それが白状だ。身に覚えのねえものが、中山数馬の毒死を知っているはずはねえ。だれからそれを聞いたんだ」

「えッ……」

「ウフフ、青くなったな。りこうなようでも、女は女よ。可賀にさえも毒死の一件はあかさなかったんだ。話しもせず、しゃべらせもしなかった毒のことを、おまえさんばかりが知っておるはずはねえよ。手間をとらせりゃ、こっちの気もたってくる。気がたてば、情けのさばきもにぶる。どうだ、むっつり右門とたちうちゃできねえぜ。もうすっぱりと吐いたらどんなものだよ」

「…………」

面を伏せてすすり泣きつつ、やがてしゃくりあげつつ、ややしばし泣き入っていたが、ついに岩路の強情が理づめの吟味に折れました。

「申、申しわけござりませぬ……いかにもわたくし、下手人でござります。なれども、これには悲しい子細あってのこと、父行徳助宗は、ご存じのように末席ながら上さま御用鍛冶かじを勤めまするもの、事の起こりは富士見ご宝蔵お二ノ倉のお宝物、八束穂やつかほと申しまするお槍やりにどうしたことやら曇りが吹きまして、数ならぬ父に焼き直せとのご下命のありましたがもと、そのお使者に立たれましたのが中山数馬さまでござりました。さそくに沐浴もくよく斎戒いたしまして、焼き直したところ、未熟者ではござりましたが、父も槍師やりし、さすがはお名代のお宝物だけありまして、穂先、六尺柄の飾り巻きともどもいかにもおみごとな業物わざものぶりに、なんと申しましょうか、魅入られたといいまするか、心奪われたと申しまするか、ゆゆしきご宝物と知りつつ、父が手ばなしかねたのでござります。なれども、いかように執心したとて、ものがもの、日限参らばお倉へ納めねばならぬお品でござりますゆえ、とつおいつ思案したうえに、とうとう父が恐ろしい悪心起こしました。穂先、飾り柄ともににせもの打ち仕立て、そしらぬ顔で納めましたるところ、かりにもご宝蔵を預かるお番士の目に、真贋しんがんのわからぬ道理ござりませぬ。わけても中山さまは若手のお目きき、ひと目ににせものとお見破りなさりましたが、人の世のまわり合わせはまことに奇くしきものでござります。その中山さまが、ふつつかなわたくしふぜいにとうから思いをお運びでござりましたゆえ、女夫めおとの約束すれば一生口をつぐまぬものでもないと、父をおどし、わたくしをお責めなさりましたのが、運のつき、父の悪業ひたかくしに隠そうと、心染まぬながらとうとうこの飾り綿まで受け取らねばならぬようなはめになったのでござります。なれども、恋ばかりは……真実かけた恋ばかりは……」

「ほかにまえから契った男でもござったか!」

「あい。名はいいませぬ! たとい死ぬとも、あのかたさまのお名はいいませぬ! 同じお城仕えのさるかたさまときびしいご法度はっとの目をかすめ、契り誓ってまいりましたものを、いまさら中山さまのごときに身をまかするは、死ぬよりもつろうござりましたゆえ、いっそ、もう事のついでに――」

「よろしい。わかった。毒くらえばさらまでと、数馬に一服盛ったというのであろうが、しかしちと不審は女手一つで中山数馬の死体をあの濠ほりぎわまで運んだことじゃ。名をいえぬその男にでも力を借りたか!」

「いいえ、結納つかわしたならば、式はまだあげずとも、もうわがもの同然じゃ、意に従えと口くどうお責めなさりますゆえ、では、あの牛ガ淵の土手のうえでお待ちくださりませ、心を決めてご返事いたしますると、巧みにさそい出し、お菓子に仕込んだ毒をそしらぬ顔で食べさせたのでござります。あとはおしらべがおつきでござりますはず、ただ一つ死体を沈めるおりに、あやまって懐中のふた品を濠に落としたのが、悪運の尽きでござりました……」

「あたりめえよ。悪運が尽きねえでどうするかい。その八束穂やつかほのご宝物はどこへやった」

「いえませぬ! そればかりはいえませぬ!」

「なに! また強情張りだしたな。では、親の助宗はどこへうせた! 姿が見えぬようじゃが、いずれへ逃げた?」

「そ、それもいえませぬ! 父はあのお槍に魅入られておりまする。思えばその心根がいっそふびん、せ、せめてもこのわたくしが、ふびんなその父への孝道に、最、最後の孝道までに、いいませぬ! 口がさけても申しませぬ……ご、ごめんくださりませ!」

いったかと思うや、ひそかに用意していたとみえて、懐中から一服を取り出すと、あっというまもあらず、みずから毒を仰ぎました。

「やい! な、な、何をしやがるんだ。たいせつな玉に死なれちゃ、あとのほねがおれらあ。吐けッ、吐けッ」

うろたえて伝六がまごまごとしながらしかりつけたが、もうおそい。

「死ねば罪のおわびもかない、父への孝道もたちますはず。たって父の居どころ、お槍のありかを知りたくば、ともども、あの世へおいでなさりませ……」

凄婉せいえんな笑えみを見せると、岩路はほどたたぬまに黒血を吐きながら、父助宗の行くえと八束穂槍やつかほやりの行くえを永遠のなぞに葬りつつんで、ぐったり前へうっ伏しました。

しかし、右門の目が二つある。

「しようがねえや。ぴかりと二度ばかり光らしてやろうよ」

おどろきもせずに、へやからへやを調べてみると、弟子でしがいたらしい大べや、小女がいたらしい小べやとも、事露見と知って岩路が城中から駆けもどり、いちはやく暇をとらせて立ち去らせたものか、急いで荷物をまとめ、急いで出ていった形跡があるのです。

助宗もまた同様、いちはやく姿を消したにちがいない。その居間とおぼしき一室にはいってみると、まず目に映ったのは大きな仏壇でした。

しかし、位牌いはいがない! いくつかあったと思われる跡が残っているのに、仏壇にはつきものの位牌がもぬけのからとなって一つもないのです。

そのかわりに、無言のなぞを秘めながら、弘法こうぼう大師のご尊像が正面にうやうやしく掛けられてあるのでした。見ながめるや同時です。

「ウフフ。どうだよ、伝あにい。まずざっとこんなものだ。むっつり右門の目が光ったとなると、事は早いよ。野郎め、お槍をひっかついで高野こうやへとっ走ったぜ」

「はてね、高野とね。お大師さまが何かないしょでおっしゃりましたかい」

「いったとも! いったとも! あの女、なかなかしゃれ者だよ。行き先を聞きたけりゃあの世へ来いとぬかしたが、お大師さまがこのとおりちゃんとあの世からおっしゃっていらあね。このご尊像があるからには、宗旨は高野山だ。おまえなぞ知るめえが、高野はこの世のあの世、ひと足お山の寺領へ逃げ込めば、この世の罪は消滅、追っ手、捕とり手、入山禁制のお山だ。この世を逃げても、せめてご先祖だけはいっしょにと、位牌を背負ってとっ走ったにちげえねえよ。山へ入れたら指をくわえなくちゃならねえ! まだとっ走って一刻いっときとはたつめえから、早だッ。宿継しゅくつぎ早の替え駕籠二丁仕立てろッ。ここからすぐに追っかけるんだ」

「ちくしょうッ。たまらねえね。とっ走りを追っかけて、遠っ走りとはこれいかにだ。お大師さま、たのんますぜ! さあ来い、野郎だッ」

うなりをたてながら飛び出していったかと思うまに、伝六得意の一つ芸、たちまちそろえたのは替え肩六人つきの早駕籠二丁です。

「できましたよ! ひと足おくれりゃ、野郎め、ひと足お山へ近くなりゃがるんだ。急いだッ、急いだッ」

「あわてるな」

制しておいてふところ紙を取り出すと、どこまでも行き届いているのです。

「町役人衆に一筆す。

八丁堀右門検死済み。死体はねんごろに葬ってとらすべし。

ただちにお城内、お濠方畑野蔵人くらんど、三宅平七御両名へ、右門、二、三日中によき生きみやげ持参つかまつると伝言すべし」

さらさらと書きしたためて、岩路の背にのせておくと、ひらりと駕籠へ。

「早だッ 早だッ。じゃまだよ! のいた! のいた!」

かけ声もろとも、ひた、ひた、ひたとまっしぐらに品川めざして駆けだしました。

4

その品川を駆けぬけたのが朝の五ツ。

次は川崎、これが二里半。ここで宿継しゅくつぎの駕籠を替えて、次の宿、神奈川へ同じく二里半、お昼少しまえでした。

一里九町走って程ほどガ谷やの宿。二里九町走って戸塚とつか。さらに二里飛ばして藤沢ふじさわ。よつや、平塚ひらつかと走りつけてこの間が二里半。大磯おおいそ、小田原と宿継ぎに飛ばして、ここが四里。日あしの長い初夏の日にも、もう夕ばえの色が見えました。

普通の旅なら、むろんここで一宿していい刻限であるが、追えど走れど、行徳助宗とおぼしき姿も影も見えないのです。

「ああ苦しい、なんとか鳴りつづけていきてえんだが、声が出ねえや。だんなえ! このあんばいじゃ、助宗の野郎も、早駕籠を飛ばせていったにちげえねえですぜ」

「決まってらあ。だからこそ、こっちも早にしたんじゃねえか。いよいよ箱根だ。一杯ひっかけて、景気よく走ってくんな!」

人足たちがどぶろくをあおる間に、名人主従ははや握りのむすびで腹をこしらえて、いよいよ箱根八里の険所にさしかかりました。のぼり、くだり、合わせて八里とあるが、正確にいえばお関所までの登りが四里八町。下りの三島までが三里二十八町。

坂にかかったとなると、いかに屈強、早足自慢の人足たち六人が肩を替えつつ急いでも、今までのようにはいかないのです。

あえぎあえぎ、夜道を登りつづけて、天下名代のお関所門を、おりからの星やみに見つけたのは、かれこれもう真夜中近い刻限でした。もとより、門はもう堅く閉まって、わきには名代のお制札がある。

定

一 この関所通行のやからは、笠かさ、頭巾ずきんを脱ぐべきこと。

一 乗り物にて通る面々、乗り物の戸をひらくべし。

一 鉄砲、長柄物所持の面々は、お公儀定めどおりの証文なくして通行かなわざること。

右この旨あい守るべきものなり。よって下知くだんのごとし

奉行

そういうものものしいお札です。

「お槍を持って逃げたとしたら、長柄物所持うんぬんのお定め書きにひっかかって、お取り調べをうけているはずじゃ。伝六、大声で呼びたてろッ」

「よしきた。ご開門を願います。江戸よりの早駕籠でござります。この木戸、おあけ願いまする!」

「なにッ、また早駕籠とな! よく早駕籠の通る晩じゃな。まてッ、まてッ。そらッ、はいれッ」

つぶやきながらあけた小役人のそのつぶやきを聞きのがす右門ではない。

「ただいま、異なことを仰せられたな。よく早駕籠の通る晩じゃというたようじゃが、われらの駕籠の前にも通りましたか」

「一刻いっときほどまえに一丁通りおった。それがどうしたのじゃ」

「われら、ちと不審あって江戸より追っかけてまいったもの。もとより、お改めのうえお通しでござろうが、人相風体、通行申し開きの口上はどのようでござった」

「どのようもこのようもござらぬわい。年のころは五十がらみ。御用鍛冶かじ、行徳助宗、将軍家御台所みだいどころのお旨をうけ、要急のご祈願あって、高野山へお代参に参る途中じゃ、とこのように申し、御台さまのお手形所持いたしおったゆえ、否やなく通行許したのじゃ」

「なに! お手形まで所持しておったとのう!……」

おどろくべき早手まわしでした。みずから果てたあの岩路こそは、御台所お付きの腰元なのです。事露見と察して、早くも父を高野へ落とすべく、御台所お手形までももらいうけてきたものにちがいない。問題はお槍です。

「長柄物、所持してはおりませなんだか」

「長柄物?」

「槍でござる」

「おらぬ、おらぬ。そのようなもの目にかからば、おきてお定め書きにもあるとおり、証文の吟味もうけるべきはず、いっこう見かけなんだわい」

「それはちと奇態、なんぞ変わったところ、目にとまった覚えござらぬか」

「さようのう……いや、あるある、一つ覚えがござるわい。駕籠の肩棒が並みよりも少々太めで、きりきり白布で巻いてござったが、変わったところといえばそのくらいじゃ」

「それこそまさしくお槍! 六尺柄の肩棒とは、ちょうどあいあいの長さじゃ、容易ならぬことになり申したぞ。番のおかた! 上役のおかたはおりませぬか! おはようこれへお出会いめされいッ」

声にあわただしく姿を見せたのは、番頭ばんがしら次席あたりとおぼしき関所役人です。

「容易ならぬくせもの、まんまと当関所を破ってござる。お力借りたい、火急にお手配くだされたい」

「貴殿は?」

「江戸八丁堀、近藤右門と申す者じゃ」

「なに、ご貴殿がのう。ご姓名は承っておらぬでもないが、関所のおきて、なんぞお手あかし拝見つかまつりたい」

「取り急いでまいったゆえ、ご奉行さまお手判は所持しておらぬが、これこそなによりの手あかし、ご覧召されい」

取り出したのは、きのう朝、お濠方ほりかた畑野蔵人くらんどから火急の招致をうけたその招き状です。

「城中、内濠にていぶかしき変事出来しゅったい、即刻おん越し待ちあげ候そうろう。

お濠方組頭 畑野蔵人

近藤右門殿

とある一通でした。

「何よりたしか、よろしゅうござる。いかにも力お貸し申そうが、手配のてはずは?」

「今よりただちに早馬飛ばさば、じゅうぶんにまだまにあいまするはず、一騎か二騎か、火急に三島へ飛ばして、宿止しゅくどめするよう、お計らいくだされい」

「口上は?」

「江戸より急ぎのご宝物、ご通行とお触れくださらばけっこうでござる」

「心得た。二騎すぐに行けいッ」

深夜のやみにぶきみなひづめの音をのこして、関所用意の馬が、火急の命をうけた両士をのせながら、一気に三島めざしつつ駆け降りました。

宇治お茶園へ、将軍家ご料のお茶受け取りにただの茶つぼが街道かいどうを通っていっても、お茶つぼご通行と称して、沿道の宿役人はいうまでもないこと、代官、国守までがお出迎えお見送りをするほどのご権勢なのです。将軍家ご宝物がご通行とあっては、出迎えどころの騒ぎでない。まさに土下座ものでした。

「伝あにい、これでどうやら少し涼しくなった。そろそろ三島へ下るかのう」

「わるくねえ筋書きだね。お関所の早馬が宿止めだと止めたところへ、あとからのっと降りていってね、御用だ、神妙にしろと大みえをきるなんてえものは、まったく江戸のあの娘こたちに見せてえもんですよ」

ゆられゆられて道は、その三島まで三里二十八町のくだり坂、もうこうなれば道も早いが捕物とりものも早い。

たどりついたのは丑満うしみつ少し手前でした。しかし、いかな真夜中とはいえ、ひとたびご宝物ご通行、宿止めの声がかかったからには、色めきたたぬという道理はない。本陣わき、本陣の前はいうに及ばず、宿場会所の前からずっとこちらへ人の波がざわめき、うねりつつ待ちうけているところへ、ほんとうにのっそりと二丁の駕籠をつけて、のっそりと中から現われたのは右門主従。

ひょいと見ると、宿場会所の前の人波のうしろに、ある、ある、柄に白布を巻いた駕籠があるのです。

同時でした。

「行徳助宗、神妙にしろッ」

「えッ……」

ぎょっとなって、駕籠の横からのぞかせたその顔へ、じつにみごとな啖呵たんかがまっこうくだしにおそいかかりました。

「たわけめッ。むっつり右門が生きておるからにゃ、どこまでとっ走ろうとも、六十余州ひとにらみに目がきかあ! そら! そら! それがたわけだというんだ。草香流の味を知らねえのかい。あばれると、ききがいいぞ」

ぎゅっとぞうさもなく押えたやつを伝六に渡しておいて、すばやく手、口、ともにすすぎ清めると、懐紙を口にくわえながら、白布を解きほどきました。

同時に現われたのは、まさしく八束穂やつかほのお槍です。

宿役人のさしつけたあかりをうけて、飾り巻き柄に打ったる三つ葉葵ばあおいのご定紋が、ぴかりと金色に輝き渡りました。

ハッとなって、居合わせた路傍の人の群れがいっせいに土下座、地にひれ伏しました。

「お関所役人つつしんで、ご奉持なさりませい。これなる不届き者行徳助宗は宿送り、届け先は江戸ご城内お濠方畑野蔵人、三宅平七ご両士じゃ」

右門の声、さえざえとしてあたりを払ったことです。用意の軍鶏駕籠とうまるかごに投げ入れられて、愁然としながら、また道を江戸へ送られていく行徳助宗の姿を見送りつつ、そっとささやきました。

「助宗、娘の岩路はそちを無事に高野へ落とそうと、悲しい孝道たてて、毒をあおったぞ。罪は憎いが、心さま思えばふびんな最期じゃ。江戸へ行ったら、せめても娘へのたむけに諸事神妙にいたせよ」

白々と夜が明けかかった……。

底本 / Source edition

底本:「右門捕物帖(四)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ
2000年2月12日公開
2005年9月23日修正
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TEI
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書誌 / Bibliography
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佐々木 味津三「右門捕物帖──31 毒を抱く女」(新字新仮名)、底本『右門捕物帖(四)』春陽文庫、春陽堂書店、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000561_000111, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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