Soranoha

秋雨の追憶

あきさめのついおく

岡本 かの子

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十月初めの小雨の日茸狩りに行つた。山に這入ると松茸の香がしめつた山氣に混つて鼻に泌みる。秋雨の山の靜けさ、松の葉から落ちる雨滴が雜木の葉を打つ幽かな音は、却つて山の靜寂を増す。水氣を一ぱいに含んだ青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい感觸が足の甲をつゝむ。咲きおくれた桔梗の紫が殊更鮮かだ。濕つた羊齒をかき分けると可愛らしい松茸が雀の子のやうにうづくまつてゐた。

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夏の初から――六月の半頃から三月以上もかけ續けてやうやく古びた竹の簾。今日は今日はと思ひながらはづしそびれてゐた。

初秋の薄ら冷たさも身に泌みなれた九月下旬の或日の夕方、いよ〱それを取はづさうとして手をかけた。

裏庭に面した西向の窓である。窓は高いので私は背のびをした。水色絹の簾の縁がしつとりと濡れて居り、簾の生地の竹の手觸りの冷え〲しさに、目をとめて見れば、いつの程よりか外には時雨のやうに冷い細雨がしとしとと降つて居たのである。

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今迄かつと照り渡つてゐた初秋の空に僅か飛行船程の暗雲が浮んだ。と見る間に箒ではきかけるやうなあわただしい雨、私があわてゝ逃げ込んだのは、山の手のとある崖際の家の歌舞伎門であつた。ほつとしてその柱にとりすがると心がしんとする程門の柱は落ちついて居た。前の道を通る人もないので、私は安心してその柱によりかゝつた。駈けこんだ時のはづんだ息が靜まると、門のさゝやかな板葺屋根に尚ぱら〱とあたる雨の音が聞える。――立騷いだ後の和やかに沈んだ官能(耳)が一層澄んでそのさわやかな雨滴の音が頭の底まで泌みるやうな冷快な感じがして來た。それを享樂しつゝ、しばらくつぶつてゐた眼を開くと、門内の前庭に焔を洗つたやうなカンナの花瓣が思ふさまその幅廣の舌を吐いてゐた。餘り突然目の前に現れたので、そのカンナの群は私の方へ生きて歩いて來るかと思つた。あまつさへ、粒太の雨滴をさんらんと冠つてその生彩が私の息をひかしめた。

カンナから七歩も離れてゐる窓が開いた。ひつそりとした小さな紙障子の窓である。開いた紙障子の方から現はれた顏はチヨコレート色の目鼻立の正しい印度インド人の男の顏であつた。私は自然その顏と直面した、私はあわててその顏へ一つお辭儀をした。そして後をも見ずに門を離れて道へ出た。雨はやんで、晴れ上つた青空の奧に、私は今窓に現はれた印度人が正しく前へ向けて開いてゐたかんらん色の瞳の色が光つて居るのを見つゝ歩いた。

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黄色い小菊の花が一つ路上に棄てゝある――。否、小雨にぬれた山まゆの繭。

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震災の年の秋には雨が多かつたやうに覺えてゐる。衣類を失つた人々が秋が更けても白地の單衣の重ね着の袖を雨にしめらせながら街を歩いてゐた。わびしいあはれな光景であつた。

底本 / Source edition

底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第12刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十四巻」冬樹社
1977(昭和52)年5月
入力:渡邉つよし
校正:菅野朋子
2000年7月11日公開
2005年1月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
/works/000437_000076/tei
プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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岡本 かの子「秋雨の追憶」(旧字旧仮名)、底本『日本の名随筆19 秋』作品社、1984年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000437_000076, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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