## 一

吉田は肺が悪い。<ruby><rb>寒</rb><rt>かん</rt></ruby>になって少し寒い日が来たと思ったら、すぐその翌日から高い熱を出してひどい咳になってしまった。胸の臓器を全部押し上げて出してしまおうとしているかのような咳をする。四五日経つともうすっかり痩せてしまった。咳もあまりしない。しかしこれは咳が<ruby><rb>癒</rb><rt>なお</rt></ruby>ったのではなくて、咳をするための腹の筋肉がすっかり疲れ切ってしまったからで、彼らが咳をするのを<ruby><rb>肯</rb><rt>がえん</rt></ruby>じなくなってしまったかららしい。それにもう一つは心臓がひどく弱ってしまって、一度咳をしてそれを乱してしまうと、それを再び鎮めるまでに非常に苦しい目を見なければならない。つまり咳をしなくなったというのは、身体が衰弱してはじめてのときのような元気がなくなってしまったからで、それが証拠には今度はだんだん呼吸困難の度を増して浅薄な呼吸を数多くしなければならなくなって来た。

病勢がこんなになるまでの間、吉田はこれを人並みの流行性感冒のように思って、またしても「明朝はもう少しよくなっているかもしれない」と思ってはその期待に裏切られたり、今日こそは医者を頼もうかと思ってはむだに辛抱をしたり、いつまでもひどい息切れを冒しては便所へ通ったり、そんな本能的な受身なことばかりやっていた。そしてやっと医者を迎えた頃には、もうげっそり頬もこけてしまって、身動きもできなくなり、二三日のうちにははや<ruby><rb>褥瘡</rb><rt>とこずれ</rt></ruby>のようなものまでができかかって来るという弱り方であった。ある日はしきりに「こうっと」「こうっと」というようなことをほとんど一日言っている。かと思うと「不安や」「不安や」と弱々しい声を出して訴えることもある。そういうときはきまって夜で、どこから来るともしれない不安が吉田の弱り切った神経を<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>らなくするのであった。

吉田はこれまで一度もそんな経験をしたことがなかったので、そんなときは第一にその不安の原因に思い悩むのだった。いったいひどく心臓でも弱って来たんだろうか、それともこんな病気にはあり勝ちな、不安ほどにはないなにかの現象なんだろうか、それとも自分の過敏になった神経がなにかの苦痛をそういうふうに感じさせるんだろうか。――吉田はほとんど身動きもできない姿勢で身体を<ruby><rb>鯱硬張</rb><rt>しゃちこば</rt></ruby>らせたままかろうじて胸へ呼吸を送っていた。そして今もし突如この平衡を破るものが現われたら自分はどうなるかしれないということを思っていた。だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度<ruby><rb>遭</rb><rt>あ</rt></ruby>うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたちどころに吉田は深い苦痛に陥らざるを得ないのだった。――しかしそんなことはいくら考えても決定的な知識のない吉田にはその解決がつくはずはなかった。その原因を臆測するにもまたその正否を判断するにも結局当の自分の不安の感じに<ruby><rb>由</rb><rt>よ</rt></ruby>るほかはないのだとすると、結局それは何をやっているのかわけのわからないことになるのは当然のことなのだったが、しかしそんな状態にいる吉田にはそんな諦めがつくはずはなく、いくらでもそれは苦痛を増していくことになるのだった。

第二に吉田を苦しめるのはこの不安には手段があると思うことだった。それは人に医者へ行ってもらうことと誰かに寝ずの番についていてもらうことだった。しかし吉田は誰もみな一日の仕事をすましてそろそろ寝ようとする今頃になって、<ruby><rb>半里</rb><rt>はんみち</rt></ruby>もある田舎道を医者へ行って来てくれとか、六十も越してしまった母親に寝ずについていてくれとか言うことは言い出しにくかった。またそれを思い切って頼む段になると、吉田は今のこの自分の状態をどうしてわかりの悪い母親にわからしていいか、――それよりも自分がかろうじてそれを言うことができても、じっくりとした母親の平常の態度でそれを考えられたり、またその使いを頼まれた人間がその使いを行き<ruby><rb>渋</rb><rt>しぶ</rt></ruby>ったりするときのことを考えると、実際それは吉田にとって泰山を動かすような空想になってしまうのだった。しかし何故不安になって来るか――もう一つ精密に言うと――何故不安が不安になって来るかというと、これからだんだん人が寝てしまって医者へ行ってもらうということもほんとうにできなくなるということや、そして母親も寝てしまってあとはただ自分一人が荒涼とした夜の時間のなかへ取り残されるということや、そしてもしその時間の真中でこのえたいの知れない不安の内容が実現するようなことがあればもはや自分はどうすることもできないではないかというようなことを考えるからで――だからこれは目をつぶって「辛抱するか、頼むか」ということを決める以外それ自身のなかにはなんら解決の手段も含んでいない事柄なのであるが、たとえ吉田は漠然とそれを感じることができても、身体も心も抜き差しのならない自分の状態であってみればなおのことその迷妄を捨て切ってしまうこともできず、その結果はあがきのとれない苦痛がますます増大してゆく一方となり、そのはてにはもうその苦しさだけにも堪え切れなくなって、「こんなに苦しむくらいならいっそのこと言ってしまおう」と最後の決心をするようになるのだが、そのときはもう何故か手も足も出なくなったような感じで、その傍に坐っている自分の母親がいかにも<ruby><rb>歯痒</rb><rt>はがゆ</rt></ruby>いのんきな存在に見え、「こことそこだのに何故これを相手にわからすことができないのだろう」と胸のなかの苦痛をそのまま<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>み出して相手に叩きつけたいような<ruby><rb>癇癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>が吉田には起こって来るのだった。

しかし結局はそれも「不安や」「不安や」という弱々しい未練いっぱいの訴えとなって終わってしまうほかないので、それも考えてみれば未練とは言ってもやはり夜中なにか起こったときには相手を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はっ</span>と気づかせることの役には立つという<ruby><rb>切羽</rb><rt>せっぱ</rt></ruby>つまった<ruby><rb>下心</rb><rt>したごころ</rt></ruby>もは入っているにはちがいなく、そうすることによってやっと自分一人が寝られないで取り残される夜の<ruby><rb>退引</rb><rt>のっぴ</rt></ruby>きならない辛抱をすることになるのだった。

吉田は何度「<ruby><rb>己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>が気持よく寝られさえすれば」と思ったことかしれなかった。こんな不安も吉田がその夜を<ruby><rb>睡</rb><rt>ね</rt></ruby>むる当てさえあればなんの苦痛でもないので、苦しいのはただ自分が昼にも夜にも睡眠ということを勘定に入れることができないということだった。吉田は胸のなかがどうにかして<ruby><rb>和</rb><rt>やわ</rt></ruby>らんで来るまでは<ruby><rb>否</rb><rt>いや</rt></ruby>でも応でもいつも身体を<ruby><rb>鯱硬張</rb><rt>しゃちこば</rt></ruby>らして夜昼を押し通していなければならなかった。そして睡眠は<ruby><rb>時雨空</rb><rt>しぐれぞら</rt></ruby>の薄日のように、その上を時どきやって来ては消えてゆくほとんど自分とは没交渉なものだった。吉田はいくら一日の看護に疲れても寝るときが来ればいつでもすやすやと寝ていく母親がいかにも楽しそうにもまた薄情にも見え、しかし結局これが<ruby><rb>己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>の今やらなければならないことなんだと思い諦めてまたその努力を続けてゆくほかなかった。

そんなある晩のことだった。吉田の病室へ突然猫が<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来た。その猫は平常吉田の寝床へ這入って寝るという習慣があるので吉田がこんなになってからは<ruby><rb>喧</rb><rt>やか</rt></ruby>ましく言って病室へは入れない工夫をしていたのであるが、その猫がどこから這入って来たのかふいにニャアといういつもの鳴声とともに部屋へ這入って来たときには吉田は一時に不安と<ruby><rb>憤懣</rb><rt>ふんまん</rt></ruby>の念に襲われざるを得なかった。吉田は隣室に寝ている母親を呼ぶことを考えたが、母親はやはり流行性感冒のようなものにかかって二三日前から寝ているのだった。そのことについては吉田は自分のことも考え、また母親のことも考えて看護婦を呼ぶことを提議したのだったが、母親は「自分さえ辛抱すればやっていける」という吉田にとっては非常に苦痛な考えを固執していてそれを取り上げなかった。そしてこんな場合になっては吉田はやはり一匹の猫ぐらいでその母親を起こすということはできがたい気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思ってあんなにも神経質に言ってあるのに」と思って自分が神経質になることによって払った苦痛の犠牲が手応えもなくすっぽかされてしまったことに憤懣を感じないではいられなかった。しかし今自分は<ruby><rb>癇癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>を立てることによって少しの得もすることはないと思うと、そのわけのわからない猫をあまり身動きもできない状態で立ち去らせることのいかにまた根気のいる仕事であるかを思わざるを得なかった。

猫は吉田の枕のところへやって来るといつものように夜着の襟元から寝床のなかへもぐり込もうとした。吉田は猫の鼻が冷たくてその毛皮が戸外の霜で濡れているのをその頬で感じた。すなわち吉田は首を動かしてその夜着の隙間を<ruby><rb>塞</rb><rt>ふさ</rt></ruby>いだ。すると猫は大胆にも枕の上へあがって来てまた別の隙間へ<ruby><rb>遮二無二</rb><rt>しゃにむに</rt></ruby>首を突っ込もうとした。吉田はそろそろあげて来てあった片手でその鼻先を押しかえした。このようにして<ruby><rb>懲罰</rb><rt>ちょうばつ</rt></ruby>ということ以外に何もしらない動物を、極度に感情を押し殺したわずかの身体の運動で立ち去らせるということは、わけのわからないその相手をほとんど懐疑に陥れることによって諦めさすというような<ruby><rb>切羽</rb><rt>せっぱ</rt></ruby>つまった方法を意味していた。しかしそれがやっとのことで成功したと思うと、方向を変えた猫は今度はのそのそと吉田の寝床の上へあがってそこで丸くなって毛を<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>めはじめた。そこへ行けばもう吉田にはどうすることもできない場所である。薄氷を踏むような吉田の呼吸がにわかに<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ずしり</span>と重くなった。吉田はいよいよ母親を起こそうかどうしようかということで抑えていた<ruby><rb>癇癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>を<ruby><rb>昂</rb><rt>たか</rt></ruby>ぶらせはじめた。吉田にとってはそれを辛抱することはできなくないことかもしれなかった。しかしその辛抱をしている間はたとえ寝たか寝ないかわからないような睡眠ではあったが、その可能性が全然なくなってしまうことを考えなければならなかった。そしてそれをいつまで持ち耐えなければならないかということはまったく猫次第であり、いつ起きるかしれない母親次第だと思うと、どうしてもそんな馬鹿馬鹿しい辛抱はしきれない気がするのだった。しかし母親を起こすことを考えると、こんな感情を抑えておそらく何度も呼ばなければならないだろうという気持だけでも吉田はまったく大儀な気になってしまうのだった。――しばらくして吉田はこの間から自分で起こしたことのなかった身体をじりじり起こしはじめた。そして床の上へやっと起きかえったかと思うと、寝床の上に丸くなって寝ている猫をむんずと<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>まえた。吉田の身体はそれだけの運動でもう浪のように不安が揺れはじめた。しかし吉田はもうどうすることもできないので、いきなりそれをそれの<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って来た部屋の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>へ「二度と手間のかからないように」叩きつけた。そして自分は寝床の上であぐらをかいてそのあとの恐ろしい呼吸困難に身を<ruby><rb>委</rb><rt>まか</rt></ruby>せたのだった。

## 二

しかし吉田のそんな苦しみもだんだん耐えがたいようなものではなくなって来た。吉田は自分にやっと睡眠らしい睡眠ができるようになり、「今度はだいぶんひどい目に会った」ということを思うことができるようになると、やっと苦しかった二週間ほどのことが頭へのぼって来た。それは思想もなにもないただ荒々しい岩石の重畳する風景だった。しかしそのなかでも最もひどかった咳の苦しみの最中に、いつも自分の頭へ浮かんで来るわけのわからない言葉があったことを吉田は思い出した。それは「ヒルカニヤの虎」という言葉だった。それは咳の喉を鳴らす音とも<ruby><rb>連関</rb><rt>れんかん</rt></ruby>があり、それを吉田が観念するのは「俺はヒルカニヤの虎だぞ」というようなことを念じるからなのだったが、いったいその「ヒルカニヤの虎」というものがどんなものであったか吉田はいつも咳のすんだあと妙な気持がするのだった。吉田は何かきっとそれは自分の<ruby><rb>寐</rb><rt>ね</rt></ruby>つく前に読んだ小説かなにかのなかにあったことにちがいないと思うのだったがそれが思い出せなかった。また吉田は「自己の残像」というようなものがあるものなんだなというようなことを思ったりした。それは吉田がもうすっかり咳をするのに疲れてしまって頭を枕へ<ruby><rb>凭</rb><rt>もた</rt></ruby>らせていると、それでもやはり小さい咳が出て来る、しかし吉田はもうそんなものにいちいち<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>を固くして応じてはいられないと思ってそれを出るままにさせておくと、どうしてもやはり頭はそのたびに動かざるを得ない。するとその「自己の残像」というものがいくつもできるのである。

しかしそんなこともみな苦しかった二週間ほどの間の思い出であった。同じ寐られない晩にしても吉田の心にはもうなにかの快楽を求めるような気持の感じられるような晩もあった。

ある晩は吉田は煙草を眺めていた。床の脇にある火鉢の裾に<ruby><rb>刻煙草</rb><rt>きざみたばこ</rt></ruby>の袋と<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>とが見えている。それは見えているというよりも、吉田が無理をして見ているので、それを見ているということがなんとも言えない楽しい気持を自分に起こさせていることを吉田は感じていた。そして吉田の寐られないのはその気持のためで、言わばそれはやや楽しすぎる気持なのだった。そして吉田は自分の頬がそのために少しずつ<ruby><rb>火照</rb><rt>ほて</rt></ruby>ったようになって来ているということさえ知っていた。しかし吉田は決してほかを向いて寐ようという気はしなかった。そうするとせっかく自分の感じている春の夜のような気持が一時に病気病気した冬のような気持になってしまうのだった。しかし寐られないということも吉田にとっては苦痛であった。吉田はいつか不眠症ということについて、それの原因は結局患者が眠ることを欲しないのだという学説があることを人に聞かされていた。吉田はその話を聞いてから自分の<ruby><rb>睡</rb><rt>ね</rt></ruby>むれないときには何か自分に睡むるのを欲しない気持がありはしないかと思って一夜それを検査してみるのだったが、今自分が寐られないということについては検査してみるまでもなく吉田にはそれがわかっていた。しかし自分がその隠れた欲望を実行に移すかどうかという段になると吉田は一も二もなく否定せざるを得ないのだった。煙草を喫うも喫わないも、その道具の手の届くところへ行きつくだけでも、自分の今のこの春の夜のような気持は一時に吹き消されてしまわなければならないということは吉田も知っていた。そしてもしそれを一服喫ったとする場合、この何日間か知らなかったどんな恐ろしい咳の苦しみが襲って来るかということも吉田はたいがい察していた。そして何よりもまず、少し自分がその人のせいで苦しい目をしたというような場合すぐに<ruby><rb>癇癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>を立てておこりつける母親の寐ている隙に、それもその人の忘れて行った煙草を――と思うとやはり吉田は一も二もなくその欲望を否定せざるを得なかった。だから吉田は決してその欲望をあらわには意識しようとは思わない。そしていつまでもその方を眺めては寝られない春の夜のような心のときめきを感じているのだった。

ある日は吉田はまた鏡を持って来させてそれに枯れ枯れとした真冬の庭の風景を反射させては眺めたりした。そんな吉田にはいつも南天の赤い実が眼の覚めるような刺戟で眼についた。また鏡で反射させた風景へ望遠鏡を持って行って、望遠鏡の効果があるものかどうかということを、吉田はだいぶんながい間寝床のなかで考えたりした。大丈夫だと吉田は思ったので、望遠鏡を持って来させて鏡を重ねて覗いて見るとやはり大丈夫だった。

ある日は庭の隅に接した村の大きな<ruby><rb>櫟</rb><rt>くぬぎ</rt></ruby>の木へたくさん渡り鳥がやって来ている声がした。

「あれはいったい何やろ」

吉田の母親はそれを見つけて<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>障子のところへ出て行きながら、そんな<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り言のような吉田に聞かすようなことを言うのだったが、癇癪を起こすのに慣れ続けた吉田は、「勝手にしろ」というような気持でわざと黙り続けているのだった。しかし吉田がそう思って黙っているというのは吉田にしてみればいい方で、もしこれが気持のよくないときだったら自分のその沈黙が苦しくなって、（いったいそんなことを聞くような聞かないようなことを言って自分がそれを眺めることができると思っているのか）というようなことから始まって、母親が自分のそんな意志を否定すれば、（いくらそんなことを言ってもぼんやり自分がそう思って言ったということに自分が気がつかないだけの話で、いつもそんなぼんやりしたことを言ったりしたりするから無理にでも自分が鏡と望遠鏡とを持ってそれを眺めなければならないような義務を感じたりして苦しくなるのじゃないか）というふうに母親を攻めたてていくのだったが、吉田は自分の気持がそういう朝でさっぱりしているので、黙ってその声をきいていることができるのだった。すると母親は吉田がそんなことを考えているということには気がつかずにまたこんなことを言うのだった。

「なんやらヒヨヒヨした鳥やわ」

「そんなら<ruby><rb>鵯</rb><rt>ひよ</rt></ruby>ですやろうかい」

吉田は母親がそれを鵯に<ruby><rb>極</rb><rt>き</rt></ruby>めたがってそんな形容詞を使うのだということがたいていわかるような気がするのでそんな返事をしたのだったが、しばらくすると母親はまた吉田がそんなことを思っているとは気がつかずに、

「なんやら毛がムクムクしているわ」

吉田はもう<ruby><rb>癇癪</rb><rt>かんしゃく</rt></ruby>を起こすよりも母親の思っていることがいかにも滑稽になって来たので、

「そんなら<ruby><rb>椋鳥</rb><rt>むく</rt></ruby>ですやろうかい」

と言って<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>りで笑いたくなって来るのだった。

そんなある日吉田は大阪でラジオ屋の店を開いている末の弟の見舞いをうけた。

その弟のいる家というのはその何か月か前まで吉田や吉田の母や弟やの一緒に住んでいた家であった。そしてそれはその五六年も前吉田の父がその学校へ行かない吉田の末の弟に何か手に合った商売をさせるために、そして自分達もその息子を仕上げながら老後の生活をしていくために買った小間物店で、吉田の弟はその店の半分を自分の商売にするつもりのラジオ屋に造り変え、小間物屋の方は吉田の母親が見ながらずっと暮らして来たのであった。それは大阪の市が南へ南へ伸びて行こうとして十何年か前までは草深い田舎であった土地をどんどん住宅や学校、病院などの地帯にしてしまい、その間へはまた多くはそこの地元の百姓であった地主たちの建てた小さな長屋がたくさんできて、野原の<ruby><rb>名残</rb><rt>なご</rt></ruby>りが年ごとにその影を消していきつつあるというふうの町なのであった。吉田の弟の店のあるところはその間でも比較的早くからできていた通り筋で両側はそんな町らしい、いろんなものを<ruby><rb>商</rb><rt>あきな</rt></ruby>う店が立ち並んでいた。

吉田は東京から病気が悪くなってその家へ帰って来たのが二年あまり前であった。吉田の帰って来た翌年吉田の父はその家で死んで、しばらくして吉田の弟も兵隊に行っていたのから帰って来ていよいよ落ち着いて商売をやっていくことになり嫁をもらった。そしてそれを機会にひとまず吉田も吉田の母も弟も、それまで外で家を持っていた吉田の兄の家の世話になることになり、その兄がそれまで住んでいた町から少し離れた田舎に、病人を住ますに都合のいい離れ家のあるいい家が見つかったのでそこへ引っ越したのがまだ三ヶ月ほど前であった。

吉田の弟は病室で母親を相手にしばらく当り<ruby><rb>触</rb><rt>さわ</rt></ruby>りのない自分の家の話などをしていたがやがて帰って行った。しばらくしてそれを送って行った母が部屋へ帰って来て、またしばらくしてのあとで、母は突然、

「あの荒物屋の娘が死んだと」

と言って吉田に話しかけた。

「ふうむ」

吉田はそう言ったなり弟がその話をこの部屋ではしないで送って行った母と<ruby><rb>母屋</rb><rt>おもや</rt></ruby>の方でしたということを考えていたが、やはり弟の眼にはこの自分がそんな話もできない病人に見えたかと思うと、「そうかなあ」というふうにも考えて、

「なんであれもそんな話をあっちの部屋でしたりするんですやろなあ」

というふうなことを言っていたが、

「そりゃおまえがびっくりすると思うてさ」

そう言いながら母は自分がそれを言ったことは別に意に介してないらしいので吉田はすぐにも「それじゃあんたは？」と聞きかえしたくなるのだったが、今はそんなことを言う気にもならず吉田はじっとその娘の死んだということを考えていた。

吉田は以前からその娘が肺が悪くて寝ているということは聞いて知っていた。その荒物屋というのは吉田の弟の家から辻を一つ越した二三軒先のくすんだ感じの店だった。吉田はその店にそんな娘が坐っていたことはいくら言われても思い出せなかったが、その家のお婆さんというのはいつも近所へ出歩いているのでよく見て知っていた。吉田はそのお婆さんからはいつも少し人の<ruby><rb>好過</rb><rt>よす</rt></ruby>ぎるやや腹立たしい印象をうけていたのであるが、それはそのお婆さんがまたしても変な笑い顔をしながら近所のおかみさんたちとお<ruby><rb>喋</rb><rt>しゃべ</rt></ruby>りをしに出て行っては、<ruby><rb>弄</rb><rt>なぶ</rt></ruby>りものにされている――そんな場面をたびたび見たからだった。しかしそれは吉田の思い過ぎで、それはそのお婆さんが<ruby><rb>聾</rb><rt>つんぼ</rt></ruby>で人に手真似をしてもらわないと話が通じず、しかも自分は鼻のつぶれた声で物を言うのでいっそう人に軽蔑的な印象を与えるからで、それは多少人びとには軽蔑されてはいても、おもしろ半分にでも手真似で話してくれる人があり、鼻のつぶれた声でもその話を聞いてくれる人があってこそ、そのお婆さんも何の<ruby><rb>気兼</rb><rt>きがね</rt></ruby>もなしに近所仲間の仲間入りができるので、それが飾りもなにもないこうした町の生活の真実なんだということはいろいろなことを知ってみてはじめて吉田にも<ruby><rb>会得</rb><rt>えとく</rt></ruby>のゆくことなのだった。

そんなふうではじめ吉田にはその娘のことよりもお婆さんのことがその荒物屋についての知識を占めていたのであるが、だんだんその娘のことが自分のことにも関聯して注意されて来たのはだいぶんその娘の容態も悪くなって来てからであった。近所の人の話ではその荒物屋の親爺さんというのが非常に<ruby><rb>吝嗇</rb><rt>けち</rt></ruby>で、その娘を医者にもかけてやらなければ薬も買ってやらないということであった。そしてただその娘の母親であるさっきのお婆さんだけがその娘の世話をしていて、娘は二階の<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>と間に寝たきり、その親爺さんも息子もそしてまだ来て間のないその息子の嫁も誰もその病人には寄りつかないようにしているということを言っていた。そして吉田はあるときその娘が毎日食後に<ruby><rb>目高</rb><rt>めだか</rt></ruby>を五匹宛<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>んでいるという話をきいたときは「どうしてまたそんなものを」という気持がしてにわかにその娘を心にとめるようになったのだが、しかしそれは吉田にとってまだまだ遠い<ruby><rb>他人事</rb><rt>ひとごと</rt></ruby>の気持なのであった。

ところがその後しばらくしてそこの嫁が吉田の家へ<ruby><rb>掛取</rb><rt>かけと</rt></ruby>りに来たとき、家の者と話をしているのを吉田がこちらの部屋のなかで聞いていると、その<ruby><rb>目高</rb><rt>めだか</rt></ruby>を<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>むようになってから病人が工合がいいと言っているということや、親爺さんが十日に一度ぐらいそれを野原の方へ取りに行くという話などをしてから最後に、

「うちの網はいつでも<ruby><rb>空</rb><rt>あ</rt></ruby>いてますよって、お家の病人さんにもちっと取って来て飲ましてあげはったらどうです」

というような話になって来たので吉田は一時に<ruby><rb>狼狽</rb><rt>ろうばい</rt></ruby>してしまった。吉田は何よりも自分の病気がそんなにも大っぴらに話されるほど人々に知られているのかと思うと今<ruby><rb>更</rb><rt>さら</rt></ruby>のように驚かないではいられないのだったが、しかし考えてみれば勿論それは無理のない話で、今更それに驚くというのはやはり自分が平常自分について虫のいい想像をしているんだということを吉田は思い知らなければならなかったのだった。だが吉田にとってまだ<ruby><rb>生</rb><rt>なま</rt></ruby>々しかったのはその目高を自分にも飲ましたらと言われたことだった。あとでそれを家の者が笑って話したとき、吉田は家の者にもやはりそんな気があるのじゃないかと思って、もうちょっとその魚を大きくしてやる必要があると言って<ruby><rb>悪</rb><rt>にく</rt></ruby>まれ口を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いたのだが、吉田はそんなものを飲みながらだんだん死期に近づいてゆく娘のことを想像すると<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>らないような憂鬱な気持になるのだった。そしてその娘のことについてはそれきりで吉田はこちらの田舎の住居の方へ来てしまったのだったが、それからしばらくして吉田の母が弟の家へ行って来たときの話に、吉田は突然その娘の母親が死んでしまったことを聞いた。それはそのお婆さんがある日上がり<ruby><rb>框</rb><rt>かまち</rt></ruby>から座敷の長火鉢の方へあがって行きかけたまま<ruby><rb>脳溢血</rb><rt>のういっけつ</rt></ruby>かなにかで死んでしまったというので非常にあっけない話であったが、吉田の母親はあのお婆さんに死なれてはあの娘も一遍に気を落としてしまっただろうとそのことばかりを心配した。そしてそのお婆さんが平常あんなに見えていても、その娘を親爺さんには内証で市民病院へ連れて行ったり、また娘が寝たきりになってからは<ruby><rb>単</rb><rt>ひそか</rt></ruby>に薬をもらいに行ってやったりしたことがあるということを、あるときそのお婆さんが愚痴話に吉田の母親をつかまえて話したことがあると言って、やはり母親は母親だということを言うのだった。吉田はその話には非常にしみじみとしたものを感じて平常のお婆さんに対する考えもすっかり変わってしまったのであるが、吉田の母親はまた近所の人の話だと言って、そのお婆さんの死んだあとは例の親爺さんがお婆さんに代わって娘の面倒をみてやっていること、それがどんな工合にいっているのか知らないが、その親爺さんが近所へ来ての話に「死んだ婆さんは何一つ役に立たん婆さんやったが、ようまああの二階のあがり<ruby><rb>下</rb><rt>お</rt></ruby>りを一日に三十何遍もやったもんやと思うてそれだけは感心する」と言っていたということを吉田に話して聞かせたのだった。

そしてそこまでが吉田が最近までに聞いていた娘の消息だったのだが、吉田はそんなことをみな思い出しながら、その娘の死んでいった<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しい気持などを思い<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>っているうちに、<ruby><rb>不知不識</rb><rt>しらずしらず</rt></ruby>の間にすっかり自分の気持が<ruby><rb>便</rb><rt>たよ</rt></ruby>りない変な気持になってしまっているのを感じた。吉田は自分が明るい病室のなかにい、そこには自分の母親もいながら、何故か自分だけが深いところへ落ち込んでしまって、そこへは出て行かれないような気持になってしまった。

「やはりびっくりしました」

それからしばらく経って吉田はやっと母親にそう言ったのであるが母親は、

「そうやろがな」

かえって吉田にそれを納得さすような口調でそう言ったなり、別に自分がそれを、言ったことについては何も感じないらしく、またいろいろその娘の話をしながら最後に、

「あの娘はやっぱりあのお婆さんが生きていてやらんことには、――あのお婆さんが死んでからまだ二た月にもならんでなあ」と嘆じて見せるのだった。

## 三

吉田はその娘の話からいろいろなことを思い出していた。第一に吉田が気付くのは吉田がその町からこちらの田舎へ来てまだ何ヶ月にもならないのに、その間に受けとったその町の人の誰かの死んだという便りの多いことだった。吉田の母は月に一度か二度そこへ行って来るたびに必ずそんな話を持って帰った。そしてそれはたいてい肺病で死んだ人の話なのだった。そしてその話をきいているとそれらの人達の病気にかかって死んでいったまでの期間は非常に短かった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通り筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据えた毛糸の織機で一日中毛糸を織っていたが、急に死んでしまって、家族がすぐ店を畳んで国へ帰ってしまったそのあとはじきカフエーになってしまった。――

そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起こっては消えていたんだということを思わざるを得ないのだった。

吉田は二年ほど前病気が悪くなって東京の学生生活の延長からその町へ帰って来たのであるが、吉田にとってはそれはほとんどはじめての意識して世間というものを見る生活だった。しかしそうはいっても吉田は、いつも家の中に引っ込んでいて、そんな知識というものはたいてい家の者の口を通じて吉田にはいって来るのだったが、吉田はさっきの荒物屋の娘の<ruby><rb>目高</rb><rt>めだか</rt></ruby>のように自分にすすめられた肺病の薬というものを通じて見ても、そういう世間がこの病気と戦っている戦の暗黒さを知ることができるのだった。

最初それはまだ吉田が学生だった頃、この家へ休暇に帰って来たときのことだった。帰って来て<ruby><rb>匇々</rb><rt>そうそう</rt></ruby>吉田は自分の母親から人間の<ruby><rb>脳味噌</rb><rt>のうみそ</rt></ruby>の黒焼きを飲んでみないかと言われて非常に嫌な気持になったことがあった。吉田は母親がそれをおずおずでもない一種変な口調で言い出したとき、いったいそれが本気なのかどうなのか、何度も母親の顔を見返すほど妙な気持になった。それは吉田が自分の母親がこれまでめったにそんなことを言う人間ではなかったことを信じていたからで、その母親が今そんなことを言い出しているかと思うとなんとなく妙な頼りないような気持になって来るのだった。そして母親がそれをすすめた人間からすでに少しばかりそれをもらって持っているのだということを聞かされたとき吉田はまったく嫌な気持になってしまった。

母親の話によるとそれは青物を売りに来る女があって、その女といろいろ話をしているうちにその肺病の特効薬の話をその女がはじめたというのだった。その女には肺病の弟があってそれが死んでしまった。そしてそれを村の焼場で焼いたとき、寺の<ruby><rb>和尚</rb><rt>おしょう</rt></ruby>さんがついていて、

「人間の脳味噌の黒焼きはこの病気の薬だから、あなたも人助けだからこの黒焼きを持っていて、もしこの病気で悪い人に会ったら<ruby><rb>頒</rb><rt>わ</rt></ruby>けてあげなさい」

そう言って自分でそれを取り出してくれたというのであった。吉田はその話のなかから、もうなんの手当もできずに死んでしまったその女の弟、それを葬ろうとして焼場に立っている姉、そして和尚と言ってもなんだか頼りない男がそんなことを言って焼け残った骨をつついている焼場の情景を思い浮かべることができるのだったが、その女がその言葉を信じてほかのものではない自分の弟の脳味噌の黒焼きをいつまでも身近に持っていて、そしてそれをこの病気で悪い人に会えばくれてやろうという気持には、何かしら<ruby><rb>堪</rb><rt>た</rt></ruby>えがたいものを吉田は感じないではいられないのだった。そしてそんなものをもらってしまって、たいてい自分が<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>まないのはわかっているのに、そのあとをいったいどうするつもりなんだと、吉田は母親のしたことが取り返しのつかないいやなことに思われるのだったが、傍にきいていた吉田の末の弟も

「お母さん、もう今度からそんなこと言うのん<ruby><rb>嫌</rb><rt>いや</rt></ruby>でっせ」

と言ったのでなんだか事件が滑稽になって来て、それはそのままに<ruby><rb>鳧</rb><rt>けり</rt></ruby>がついてしまったのだった。

この町へ帰って来てしばらくしてから吉田はまた首<ruby><rb>縊</rb><rt>くく</rt></ruby>りの縄を「まあ馬鹿なことやと思うて」<ruby><rb>嚥</rb><rt>の</rt></ruby>んでみないかと言われた。それをすすめた人間は<ruby><rb>大和</rb><rt>やまと</rt></ruby>で<ruby><rb>塗師</rb><rt>ぬしや</rt></ruby>をしている男でその縄をどうして手に入れたかという話を吉田にして聞かせた。

それはその町に一人の<ruby><rb>鰥夫</rb><rt>やもめ</rt></ruby>の肺病患者があって、その男は病気が重ったままほとんど手当をする人もなく、一軒の<ruby><rb>荒</rb><rt>あば</rt></ruby>ら家に捨て置かれてあったのであるが、とうとう最近になって首を<ruby><rb>縊</rb><rt>くく</rt></ruby>って死んでしまった。するとそんな男にでもいろんな借金があって、死んだとなるといろんな債権者がやって来たのであるが、その男に家を貸していた大家がそんな人間を集めてその場でその男の持っていたものを競売にして後仕末をつけることになった。ところがその品物のなかで最も高い値が出たのはその男が首を縊った縄で、それが一寸二寸というふうにして買い手がついて、大家はその金でその男の簡単な葬式をしてやったばかりでなく自分のところの<ruby><rb>滞</rb><rt>とどこお</rt></ruby>っていた家賃もみな取ってしまったという話であった。

吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じないわけにいかなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思って馬鹿馬鹿しさの感じを取り除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達のなんとしてでも自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。

また吉田はその前の年母親が重い病気にかかって入院したとき一緒にその病院へついて行っていたことがあった。そのとき吉田がその病舎の食堂で、何心なく食事した後ぼんやりと窓に映る風景を眺めていると、いきなりその眼の前へ顔を近付けて、非常に押し殺した力強い声で、

「心臓へ来ましたか？」

と耳打ちをした女があった。はっとして吉田がその女の顔を見ると、それはその病舎の患者の付添いに雇われている付添婦の一人で、勿論そんな付添婦の顔触れにも毎日のように変化はあったが、その女はその頃露悪的な冗談を言っては食堂へ集まって来る他の付添婦たちを<ruby><rb>牛耳</rb><rt>ぎゅうじ</rt></ruby>っていた中婆さんなのだった。

吉田はそう言われて何のことかわからずにしばらく相手の顔を見ていたが、すぐに「ああなるほど」と気のついたことがあった。それは自分がその庭の方を眺めはじめた前に、自分が咳をしたということなのだった。そしてその女は自分が咳をしてから庭の方を向いたのを勘違いして、てっきりこれは「心臓へ来た」と思ってしまったのだと吉田は<ruby><rb>悟</rb><rt>さと</rt></ruby>ることができた。そして咳がふいに心臓の動悸を高めることがあるのは吉田も自分の経験で知っていた。それで納得のいった吉田ははじめてそうではない旨を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、

「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」

と、また<ruby><rb>脅</rb><rt>おびや</rt></ruby>かすように力強い声でじっと吉田の顔を覗き込んだのだった。吉田は一にも二にも自分が「その病気」に見込まれているのが不愉快ではあったが、

「いったいどんな薬です？」

と素直に聞き返してみることにした。するとその女はまたこんなことを言って吉田を閉口させてしまうのだった。

「それは今ここで教えてもこの病院ではできまへんで」

そしてそんな<ruby><rb>物々</rb><rt>ものもの</rt></ruby>しい<ruby><rb>駄目</rb><rt>だめ</rt></ruby>をおしながらその女の話した薬というのは、<ruby><rb>素焼</rb><rt>すやき</rt></ruby>の<ruby><rb>土瓶</rb><rt>どびん</rt></ruby>へ鼠の仔を捕って来て入れてそれを黒焼きにしたもので、それをいくらか<ruby><rb>宛</rb><rt>ずつ</rt></ruby>かごく少ない分量を飲んでいると、「一匹食わんうちに」<ruby><rb>癒</rb><rt>なお</rt></ruby>るというのであった。そしてその「一匹食わんうちに」という表現でまたその婆さんは<ruby><rb>可怕</rb><rt>こわ</rt></ruby>い顔をして吉田を<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んで見せるのだった。吉田はそれですっかりその婆さんに牛耳られてしまったのであるが、その女の自分の咳に敏感であったことや、そんな薬のことなどを思い合わせてみると、吉田はその女は付添婦という商売がらではあるが、きっとその女の近い肉親にその病気のものを持っていたのにちがいないということを想像することができるのであった。そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの付添婦という寂しい女達の<ruby><rb>群</rb><rt>む</rt></ruby>れのことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を<ruby><rb>烙印</rb><rt>らくいん</rt></ruby>されている人達であることを吉田は観察していたのであるが、あるいはこの女もそうした肉親をその病気で、なくすることによって、今こんなにして付添婦などをやっているのではあるまいかということを、吉田はそのときふと感じたのだった。

吉田は病気のためにたまにこうした機会にしか直接世間に触れることがなかったのであるが、そしてその触れた世間というのはみな吉田が肺病患者だということを見破って近付いて来た世間なのであるが、病院にいる<ruby><rb>一</rb><rt>ひ</rt></ruby>と月ほどの間にまた別なことに<ruby><rb>打</rb><rt>ぶ</rt></ruby>つかった。

それはある日吉田が病院の近くの市場へ病人の買物に出かけたときのことだった。吉田がその市場で用事を足して帰って来ると往来に一人の女が立っていて、その女がまじまじと吉田の顔を見ながら近付いて来て、

「もしもし、あなた失礼ですが……」

と吉田に呼びかけたのだった。吉田は何事かと思って、

「？」

とその女を見返したのであるが、そのとき吉田の感じていたことはたぶんこの女は人違いでもしているのだろうということで、そういう往来のよくある出来事がたいてい好意的な印象で物分かれになるように、このときも吉田はどちらかと言えば好意的な気持を用意しながらその女の言うことを待ったのだった。

「ひょっとしてあなたは肺がお悪いのじゃありませんか」

いきなりそう言われたときには吉田は少なからず驚いた。しかし吉田にとって別にそれは珍しいことではなかったし、<ruby><rb>無躾</rb><rt>ぶしつ</rt></ruby>けなことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の顔を見つめるなんとなく知性を欠いた顔付きから、その言葉の次にまだ何か人生の大事件でも飛び出すのではないかという気持もあって、

「ええ、悪いことは悪いですが、何か……」

と言うと、その女はいきなりとめどもなく次のようなことを言い出すのだった。それはその病気は医者や薬ではだめなこと、やはり信心をしなければとうてい助かるものではないこと、そして自分も<ruby><rb>配偶</rb><rt>つれあい</rt></ruby>があったがとうとうその病気で死んでしまって、その後自分も同じように悪かったのであるが信心をはじめてそれでとうとう助かることができたこと、だからあなたもぜひ信心をして、その病気を<ruby><rb>癒</rb><rt>なお</rt></ruby>せ――ということを<ruby><rb>縷々</rb><rt>るる</rt></ruby>として述べたてるのであった。その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次のように変わっていったときなるほどこれだなと思ったのであるが、その女は自分が天理教の教会を持っているということと、そこでいろんな話をしたり祈祷をしたりするからぜひやって来てくれということを、帯の間から名刺とも言えない所番地をゴム版で刷ったみすぼらしい紙片を取り出しながら、吉田にすすめはじめるのだった。ちょうどそのとき一台の自動車が来かかってブーブーと警笛を鳴らした。吉田は早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、かえって自分に注意の薄らいで来た吉田の顔色に<ruby><rb>躍起</rb><rt>やっき</rt></ruby>になりながらその話を続けるので、自動車はとうとう往来で立往生をしなければならなくなってしまった。吉田はその話相手に<ruby><rb>捕</rb><rt>つか</rt></ruby>まっているのが自分なので体裁の悪さに途方に暮れながら、その女を促して道の片脇へ寄せたのであったが、女はその間も他へ注意をそらさず、さっきの「教会へぜひ来てくれ」という話を急にまた、「自分は今からそこへ帰るのだからぜひ一緒に来てくれ」という話に進めかかっていた。そして吉田が自分に用事のあることを言ってそれを断わると、では吉田の住んでいる町をどこだと訊いて来るのだった。吉田はそれに対して「だいぶ南の方だ」と<ruby><rb>曖昧</rb><rt>あいまい</rt></ruby>に言って、それを相手に教える意志のないことをその女にわからそうとしたのであるが、するとその女はすかさず「南の方のどこ、××町の方かそれとも○○町の方か」というふうに<ruby><rb>退引</rb><rt>のっぴ</rt></ruby>きのならぬように聞いて来るので、吉田は自分のところの町名、それからその何丁目というようなことまで、だんだんに言っていかなければならなくなった。吉田はそんな女にちっとも嘘を言う気持はなかったので、そこまで自分の住所を打ち明かして来たのだったが、

「ほ、その二丁目の？　何番地？」

といよいよその最後まで同じ調子で追求して来たのを聞くと、吉田はにわかにぐっと<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>にさわってしまった。それは吉田が「そこまで言ってしまってはまたどんな<ruby><rb>五月蠅</rb><rt>うるさ</rt></ruby>いことになるかもしれない」ということを急に自覚したのにもよるが、それと同時にそこまで<ruby><rb>退引</rb><rt>のっぴ</rt></ruby>きのならぬように追求して来る執拗な女の態度が急に重苦しい圧迫を吉田に感じさせたからだった。そして吉田はうっかりカッとなってしまって、

「もうそれ以上は言わん」

と<ruby><rb>屹</rb><rt>きっ</rt></ruby>と相手を<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだのだった。女は急にあっけにとられた顔をしていたが、吉田が<ruby><rb>慌</rb><rt>あわ</rt></ruby>ててまた色を収めるのを見ると、それではぜひ近々教会へ来てくれと言って、さっき吉田がやってきた市場の方へ歩いて行った。吉田は、とにかく女の言うことはみな聞いたあとで<ruby><rb>温和</rb><rt>おとな</rt></ruby>しく断わってやろうと思っていた自分が、思わず知らず最後まで追いつめられて、急に慌ててカッとなったのに自分ながら半分は<ruby><rb>可笑</rb><rt>おか</rt></ruby>しさを感じないではいられなかったが、まだ日の光の新しい午前の往来で、自分がいかにも病人らしい悪い<ruby><rb>顔貌</rb><rt>がんぼう</rt></ruby>をして歩いているということを思い知らされたあげく、あんな重苦しい目をしたかと思うと半分は腹立たしくなりながら、病室へ帰ると<ruby><rb>匇々</rb><rt>そうそう</rt></ruby>、

「そんなに悪い顔色かなあ」

と、いきなり鏡を取り出して顔を見ながら寝台の上の母にその<ruby><rb>顛末</rb><rt>てんまつ</rt></ruby>を訴えたのだった。すると吉田の母親は、

「なんのおまえばっかりかいな」

と言って自分も市営の公設市場へ行く道で何度もそんな目に会ったことを話したので、吉田はやっとそのわけがわかって来はじめた。それはそんな教会が信者を作るのに<ruby><rb>躍起</rb><rt>やっき</rt></ruby>になっていて、毎朝そんな女が市場とか病院とか人のたくさん寄って行く場所の近くの道で網を張っていて、顔色の悪いような人物を物色しては吉田にやったのと同じような手段でなんとかして教会へ引っ張って行こうとしているのだということだった。吉田はなあんだという気がしたと同時に自分らの思っているよりは<ruby><rb>遙</rb><rt>はる</rt></ruby>かに現実的なそして一生懸命な世の中というものを感じたのだった。

吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者と言ったり上流階級と言ったりしているのも、それがどのくらいの程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。

つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当をうけている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。

吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間うけた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば<ruby><rb>年寄</rb><rt>としより</rt></ruby>もいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして<ruby><rb>嫌応</rb><rt>いやおう</rt></ruby>なしに引き<ruby><rb>摺</rb><rt>ず</rt></ruby>ってゆく――ということであった。