海

海を越えて、人人は向うに「ある」ことを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。しかしながら海は、一の<ruby><rb>広茫</rb><rt>こうぼう</rt></ruby>とした<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めにすぎない。無限に、つかみどころがなく、単調で飽きつぽい景色を見る。

海の印象から、人人は早い疲労を感じてしまふ。<ruby><rb>浪</rb><rt>なみ</rt></ruby>が引き、また寄せてくる反復から、人生の退屈な日課を思ひ出す。そして<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby>の砂丘に寝ころびながら、海を見てゐる心の隅に、ある空漠たる、不満の<ruby><rb>苛</rb><rt>いら</rt></ruby>だたしさを感じてくる。

海は、人生の疲労を反映する。希望や、空想や、旅情やが、浪を越えて行くのではなく、空間の無限における地平線の切断から、限りなく単調になり、想像の<ruby><rb>棲</rb><rt>す</rt></ruby>むべき山影を消してしまふ。海には空想のひだがなく、見渡す限り、平板で、<ruby><rb>白昼</rb><rt>まひる</rt></ruby>の太陽が及ぶ限り、その「現実」を照らしてゐる。海を見る心は空漠として味気がない。しかしながら<ruby><rb>物憂</rb><rt>ものう</rt></ruby>き悲哀が、ふだんの浪音のやうに迫つてくる。

海を越えて、人人は向うにあることを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。けれども、ああ！　もし海に来て見れば、海は我我の疲労を反映する。過去の長き、<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>はしき、無意味な生活の旅の疲れが、一時に漠然と現はれてくる。人人は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">げつそり</span>とし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、<ruby><rb>磯草</rb><rt>いそくさ</rt></ruby>の枯れる砂山の上にくづれてしまふ。

人人は熱情から――恋や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人人の眼をひろくすることぞ！　しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲労から、にはかに老衰してかへつて行く。

海の巨大な平面が、かく人の観念を正誤する。（『日本詩人』1926年６月号）

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田舎の時計

田舎に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>ては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ<ruby><rb>藁屋根</rb><rt>わらやね</rt></ruby>の下に居て、祖先の<ruby><rb>煤黒</rb><rt>すすぐろ</rt></ruby>い<ruby><rb>位牌</rb><rt>いはい</rt></ruby>を飾つた、古びた仏壇の前で<ruby><rb>臥起</rb><rt>ねおき</rt></ruby>してゐる。

さうした農家の裏山には、小高い冬枯れの墓丘があつて、彼等の家族の長い歴史が、あまたの白骨と共に眠つてゐる。やがて生きてゐる家族たちも、またその同じ墓地に葬られ、昔の曾祖母や祖父と共に、しづかな単調な夢を見るであらう。

田舎に於ては、郷党のすべてが縁者であり、系図の<ruby><rb>由緒</rb><rt>ゆいしよ</rt></ruby>ある血をひいてゐる。道に<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>ふ人も、田畑に見る人も、隣家に住む老人夫妻も、遠きまたは近き血統で、互にすべての村人が縁辺する親戚であり、昔からつながる<ruby><rb>叔父</rb><rt>おじ</rt></ruby>や<ruby><rb>伯母</rb><rt>おば</rt></ruby>の一族である。そこではだれもが家族であつて、歴史の古き、伝統する、因襲のつながる「家」の中で、郷党のあらゆる男女が、祖先の幽霊と共に生活してゐる。

田舎に於ては、すべての家家の時計が動いてゐない。そこでは古びた柱時計が、遠い過去の暦の中で、先祖の幽霊が生きてゐた時の、同じ昔の指盤を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>してゐる。見よ！　そこには昔のままの村社があり、昔のままの白壁があり、昔のままの自然がある。そして遠い曾祖母の過去に於て、かれらの先祖が縁組をした如く、今も同じやうな縁組があり、のどかな村落の<ruby><rb>籬</rb><rt>まがき</rt></ruby>の中では、昔のやうに、牛や鶏の声がしてゐる。

げに田舎に於ては、自然と共に悠悠として実在してゐる、ただ一の永遠な「時間」がある。そこには過去もなく、現在もなく、未来もない。あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すぢであつて、冬のさびしい墓地の丘で、かれらの不滅の<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">先祖と共に</span>、一つの<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">霊魂と共に</span>生活してゐる。昼も、夜も、昔も、今も、その同じ農夫の生活が、無限に単調につづいてゐる。そこの環境には変化がない。すべての先祖のあつたやうに、先祖の持つた農具をもち、先祖の耕した仕方でもつて、不変に同じく、同じ時間を続けて行く。変化することは破滅であり、田舎の生活の没落である。なぜならば時間が断絶して、永遠に生きる実在から、それの鎖が切れてしまふ。彼等は先祖のそばに居り、必死に土地を離れることを欲しない。なぜならば土地を離れて、家郷とすべき<ruby><rb>住家</rb><rt>すみか</rt></ruby>はないから。そこには拡がりもなく、<ruby><rb>触</rb><rt>さわ</rt></ruby>りもなく、無限に実在してゐる空間がある。

<ruby><rb>荒寥</rb><rt>こうりよう</rt></ruby>とした自然の中で、田舎の人生は孤立してゐる。婚姻も、出産も、葬式も、すべてが部落の壁の中で、仕切られた時空の中で行はれてゐる。村落は悲しげに寄り合ひ、<ruby><rb>蕭条</rb><rt>しようじよう</rt></ruby>たる山の<ruby><rb>麓</rb><rt>ふもと</rt></ruby>で、人間の孤独にふるへてゐる。そして真暗な夜の空で、もろこしの葉がざわざわと風に鳴る時、農家の薄暗い<ruby><rb>背戸</rb><rt>せど</rt></ruby>の<ruby><rb>厩</rb><rt>うまや</rt></ruby>に、かすかに<ruby><rb>蝋燭</rb><rt>ろうそく</rt></ruby>の光がもれてゐる。馬もまた、そこの<ruby><rb>暗闇</rb><rt>くらやみ</rt></ruby>にうづくまつて、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">先祖と共に</span>眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。（『大調和』1927年９月号）

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坂

坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のすたるぢや</span>の感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の<ruby><rb>遥</rb><rt>はる</rt></ruby>かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。

坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。<ruby><rb>理由</rb><rt>わけ</rt></ruby>は何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的な<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あこがれ</span>を呼び起す。

或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠くの夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、<ruby><rb>切岸</rb><rt>きりぎし</rt></ruby>の上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。

何が坂の向うにあるのだらう？　<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>にやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>にしたがつて、<ruby><rb>瞑想者</rb><rt>めいそうしや</rt></ruby>のやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。

無限に長く、空想にみちた坂道を登つて行つた。遂に登りつめた時に、眼界に一度に明るく、海のやうにひらけて見えた。いちめんの大平野で、<ruby><rb>芒</rb><rt>すすき</rt></ruby>や<ruby><rb>尾花</rb><rt>おばな</rt></ruby>の秋草が、白く草むらの中に光つてゐた。そして平野の所所に、風雅な木造の西洋館が、何かの番小屋のやうに建つてゐた。

それは全く思ひがけない、異常な鮮新な風景だつた。私のどんな想像も、かつてこの坂の向うに、こんな海のやうな平野があるとは思はなかつた。<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>の間、私はこの眺めの実在を疑つた。ふいに思ひがけなく、海上に浮んだ<ruby><rb>蜃気楼</rb><rt>しんきろう</rt></ruby>のやうな気がしたからだ。

『おーい！』

理由もなく、私は大声をあげて呼んでみた。広茫とした平野の中で、反響がどこまで行くかを<ruby><rb>試</rb><rt>ため</rt></ruby>さうとして。すると不意に、前の草むらが風に動いた。何物かの白い姿がそこにかくれてゐたのである。

すぐに私は、草の中で動くパラソルを見た。二人の若い娘が、秋の侘しい日ざしをあびて、石の上にむつまじく坐つてゐたのだ。

『娘たちは詩を思つてる。彼等の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">生活</span>をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては！　僕は肯定さるべき所の、何物の観念でもない！』

さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顔が、<ruby><rb>一瞥</rb><rt>いちべつ</rt></ruby>の瞬間にまで、ふしぎな電光写真のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の恋人――物言はぬお嬢さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、<ruby><rb>或</rb><rt>あるい</rt></ruby>は猫柳の枯れてる沼沢地方で、はかない、しづかな、物言はぬ<ruby><rb>媾曳</rb><rt>あいびき</rt></ruby>をしてゐるのだ。

『お嬢さん！』

いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに<ruby><rb>白日</rb><rt>はくじつ</rt></ruby>の中に現はれたところの、現実の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現実にやつて来たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない予感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。実はその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた。

しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覚を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>り――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。（『令女界』1927年９月号）

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大井町

人生はふしぎなもので、無限の悲しい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はさうした心境から、自分の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すがた</span>を自然に<ruby><rb>映</rb><rt>うつ</rt></ruby>して、或は現実の環境に、或は幻想する思ひの中に、それぞれの望ましい地方を求めて、自分の居る景色の中に住んでるものだ。たとへてみれば、或る人は平和な田園に<ruby><rb>住家</rb><rt>すみか</rt></ruby>を求めて、牧場や農場のある景色の中を歩いてゐる。そして或る人は<ruby><rb>荒寥</rb><rt>こうりよう</rt></ruby>とした極光地方で、孤独のぺんぎん鳥のやうにして暮してゐるし、或る人は都会の家並の<ruby><rb>混</rb><rt>こ</rt></ruby>んでる中で、賭博場や、洗濯屋や、きたない酒場や理髪店のごちやごちやしてゐる<ruby><rb>路地</rb><rt>ろじ</rt></ruby>を求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木の<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>ひを<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>いでゐるのに、或る人は閑静の古雅を愛して、<ruby><rb>物寂</rb><rt>ものさ</rt></ruby>びた古池に魚の死体が浮いてるやうな、<ruby><rb>芭蕉庵</rb><rt>ばしようあん</rt></ruby>の<ruby><rb>苔</rb><rt>こけ</rt></ruby>むした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。

げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現実にも夢の中にも、はてなき自然の地方を<ruby><rb>徘徊</rb><rt>はいかい</rt></ruby>する。さうして港の<ruby><rb>波止場</rb><rt>はとば</rt></ruby>に訪ねくるとき、汽船の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おーぼー</span>といふ叫びを聞き、<ruby><rb>檣</rb><rt>ほばしら</rt></ruby>のにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。

私が大井町へ越して来たのは、冬の寒い真中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、<ruby><rb>箒</rb><rt>ほうき</rt></ruby>、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き廻つた。空は煤煙でくろずみ、街の両側には、無限の<ruby><rb>煉瓦</rb><rt>れんが</rt></ruby>の工場が並んでゐた。冬の日は鈍くかすんで、煙突から熊のやうな煙を吹き出してゐた。

貧しいすがたをした<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おかみさん</span>が、子供を半てんおんぶで背負ひこみながら、天日のさす道を歩いてゐる。それが私のかみさんであり、その後からやくざな男が、バケツや荷をいつぱい抱へて、<ruby><rb>痩犬</rb><rt>やせいぬ</rt></ruby>のやうについて行つた。

大井町！

かうして冬の寒い盛りに、私共の家族が引つ越しをした。裏町のきたない長屋に、貧乏と病気でふるへてゐた。ごみためのやうな庭の隅に、まいにち腰巻や<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おしめ</span>を干してゐた。それに少しばかりの日があたり、小旗のやうにひらひらしてゐた。

大井町！

無限にさびしい工場がならんでゐる、煤煙で黒ずんだ煉瓦の街を、大ぜいの労働者がぞろぞろと群がつてゐる。夕方は皆が食ひ物のことを考へて、きたない料理屋のごてごてしてゐる、工場裏の町通りを歩いてゐる。家家の窓は<ruby><rb>煤</rb><rt>すす</rt></ruby>でくもり、硝子が小さくはめられてゐる。それに日ざしが反射して、黒くかなしげに光つてゐる。

大井町！

まづしい人人の群で混雑する、あの<ruby><rb>三叉</rb><rt>みつまた</rt></ruby>の狭い通りは、ふしぎに私の空想を呼び起す。みじめな郵便局の前には、大ぜいの女工が群がつてゐる。どこへ手紙を出すのだらう。さうして黄色い貯金帳から、むやみに小銭をひき出してる。

空にはいつも煤煙がある。屋台は屋台の上に重なり、泥濘のひどい道を、<ruby><rb>幌馬車</rb><rt>ほろばしや</rt></ruby>の列がつながつてゆく。

大井町！

鉄道<ruby><rb>工廠</rb><rt>こうしよう</rt></ruby>の住宅地域！　二階建ての長屋の窓から、<ruby><rb>工夫</rb><rt>こうふ</rt></ruby>のおかみさんが怒鳴つてゐる。<ruby><rb>亭主</rb><rt>ていしゆ</rt></ruby>は駅の構内で働らいてゐて、真黒の石炭がらを積みあげてゐる。日ぐれになると、そのシヤベルが遠くで悲しく光つてみえる。

長屋の硝子窓に<ruby><rb>蠅</rb><rt>はえ</rt></ruby>がとまつて、いつまでもぶむぶむとうなつてゐる。どこかの長屋で餓鬼が泣いてゐる。嬶が破れるやうに怒鳴つてるので、亭主もかなしい思ひを感じてゐる。その<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しやつぽ</span>を被つた労働者は、やけに石炭を運びながら、生活の没落を感じてゐる。どうせ嬶を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>き出して、<ruby><rb>宿場</rb><rt>しゆくば</rt></ruby>の女郎でも引きずり込みたいと思つてゐる。

労働者のかなしいシヤベルが、遠くの構内で光つてゐる。

人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

大井町！

煙突と工場と、さうして労働者の群がつてゐる、あの<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎ</rt></ruby>やかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の<ruby><rb>泥長靴</rb><rt>どろながぐつ</rt></ruby>をひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>の<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>を投げつけられた。意地の悪い土方の嬶等が、いつせいに窓から顔を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出来事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲学でも考へうるのだ。

どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙！　さうして電車を<ruby><rb>降</rb><rt>お</rt></ruby>りた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら<ruby><rb>凸凹</rb><rt>でこぼこ</rt></ruby>した、狭くきたない混雑の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。（年刊『詩と随筆集』第一輯1928年５月発行）

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郵便局

郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のすたるぢや</span>の存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は<ruby><rb>為替</rb><rt>かわせ</rt></ruby>を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の<ruby><rb>許</rb><rt>もと</rt></ruby>へ、秋の<ruby><rb>袷</rb><rt>あわせ</rt></ruby>や<ruby><rb>襦袢</rb><rt>じゆばん</rt></ruby>やを、小包で送つたといふ通知である。

郵便局！　私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ！　鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、<ruby><rb>生活</rb><rt>ライフ</rt></ruby>の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠の<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のすたるぢや</span>だ。（『若草』1929年３月号）

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墓

これは墓である。蕭条たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の<ruby><rb>土塊</rb><rt>つちくれ</rt></ruby>が存在してゐる。

何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうして<ruby><rb>僅</rb><rt>わず</rt></ruby>かばかりの物質――人骨や、歯や、<ruby><rb>瓦</rb><rt>かわら</rt></ruby>や――が、<ruby><rb>蟾蜍</rb><rt>ひきがえる</rt></ruby>と一緒に<ruby><rb>同棲</rb><rt>どうせい</rt></ruby>して居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであらう存在もない。

<ruby><rb>尚</rb><rt>な</rt></ruby>ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつでも、死後の「無」について信じてゐる。何物も残りはしない。我我の肉体は解体して、他の物質に変つて行く。思想も、神経も、感情も、そしてこの自我の意識する本体すらも、空無の中に消えてしまふ。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我我は死後を考へ、いつも風にやうに<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしよう</rt></ruby>するのみ！

しかしながら尚ほ、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我は不運な芸術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我我は孤独に耐へて、ただ後世にまで残さるべき、死後の名誉を考へてゐる。ただそれのみを考へてゐる。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我我の一切は終つてしまふ。後世になつてみれば、墓場の上に花環を<ruby><rb>捧</rb><rt>ささ</rt></ruby>げ、数万の人が自分の名作を<ruby><rb>讃</rb><rt>たた</rt></ruby>へるだらう。ああしかし！　だれがその時墓場の中で、自分の名誉を意識し得るか？　我我は生きねばならない。死後にも尚ほ<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ、永遠に墓場の中で、<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">生きて居なければならない</span>のだ。

蕭条たる風雨の中で、さびしく永遠に黙しながら、無意味の土塊が実在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだらう。我我はそれを知らない。これは墓である！　墓である！（『新文学準備倶楽部』1929年６月号）

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自殺の恐ろしさ

自殺そのものは恐ろしくない。自殺に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いて考へるのは、死の<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ！　目を閉ぢて、飛べ！　そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>が空中に投げ出された。

だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうに<ruby><rb>閃</rb><rt>ひら</rt></ruby>めいた。その時始めて、自分は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はつきり</span>と生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。断じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身体は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血に<ruby><rb>塗</rb><rt>まみ</rt></ruby>れた<ruby><rb>頭蓋骨</rb><rt>ずがいこつ</rt></ruby>！　避けられない決定！

この幻想のおそろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事実が、実際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口を<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>いたら、おそらくこの実験を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽霊である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戦慄する。（『セルパン』1931年５月号）

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詩人の死ぬや悲し

ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。

「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」

ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に<ruby><rb>刺戟</rb><rt>しげき</rt></ruby>し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、<ruby><rb>羞</rb><rt>はに</rt></ruby>かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて<ruby><rb>烈</rb><rt>はげ</rt></ruby>しく言つた。

「著作？　名声？　そんなものが何になる！」

<ruby><rb>独逸</rb><rt>ドイツ</rt></ruby>のある<ruby><rb>瘋癲</rb><rt>ふうてん</rt></ruby>病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた！　と。

あの<ruby><rb>傲岸</rb><rt>ごうがん</rt></ruby><ruby><rb>不遜</rb><rt>ふそん</rt></ruby>のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に<ruby><rb>沁</rb><rt>し</rt></ruby>みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める<ruby><rb>為</rb><rt>ため</rt></ruby>に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、<ruby><rb>空洞</rb><rt>うつろ</rt></ruby>な悲しいものであつたらう。

「そんなものが何になる！　そんなものが何になる！」

ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の<ruby><rb>幕僚</rb><rt>ばくりよう</rt></ruby>たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、<ruby><rb>東郷</rb><rt>とうごう</rt></ruby>大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。

「余は、余の<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。

それ<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>に<ruby><rb>諺</rb><rt>ことわざ</rt></ruby>は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや<ruby><rb>善</rb><rt>よ</rt></ruby>しと。だが我我の側の地球に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。

――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し！（『行動』1934年11月号）

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群集の中に居て

群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

都会生活の自由さは、人と人との間に、何の<ruby><rb>煩瑣</rb><rt>はんさ</rt></ruby>な交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。

昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎ</rt></ruby>やかに混雑して、どの卓にも客が<ruby><rb>溢</rb><rt>あふ</rt></ruby>れて居た。若い夫婦づれや、学生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と関係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた会話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の会話とは関係なく、<ruby><rb>夫夫</rb><rt>それぞれ</rt></ruby>また自分等だけの世界に属する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。

この都会の風景は、いつも無限に私の心を楽しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全体としての<ruby><rb>雰囲気</rb><rt>ふんいき</rt></ruby>（群集の雰囲気）を構成して居る。何といふ無関心な、<ruby><rb>伸伸</rb><rt>のびのび</rt></ruby>とした、楽しい忘却をもつた雰囲気だらう。

<ruby><rb>黄昏</rb><rt>たそがれ</rt></ruby>になつて、私は公園の椅子に坐つて居た。幾組もの若い男女が、互に腕を組み合せながら、私の坐つてる前を通つて行つた。どの組の恋人たちも、<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しく楽しさうに話をして居た。そして互にまた、他の組の恋人たちを眺め合ひ、批判し合ひ、それの美しい伴奏から、自分等の空にひろがるところの、恋の楽しい音楽を二重にした。

一組の恋人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、<ruby><rb>羞</rb><rt>はに</rt></ruby>かみながら嬉しさうに<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。

都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、<ruby><rb>灯</rb><rt>ひ</rt></ruby>ともし頃の都会の情趣を、無限に<ruby><rb>侘</rb><rt>わび</rt></ruby>しげに見せるのである。

げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての<ruby><rb>綜合</rb><rt>そうごう</rt></ruby>した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、<ruby><rb>為</rb><rt>な</rt></ruby>し、<ruby><rb>味</rb><rt>あじわ</rt></ruby>ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を<ruby><rb>徘徊</rb><rt>はいかい</rt></ruby>しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の<ruby><rb>彼方</rb><rt>かなた</rt></ruby>は地平に消える、群集の中を流れて行かう。（『四季』1935年２月号）

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虚無の歌

我れは何物をも喪失せず

また一切を失ひ尽せり。「氷島」

午後の三時。広漠とした<ruby><rb>広間</rb><rt>ホール</rt></ruby>の中で、私はひとり<ruby><rb>麦酒</rb><rt>ビール</rt></ruby>を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。<ruby><rb>煖炉</rb><rt>ストーブ</rt></ruby>は明るく燃え、<ruby><rb>扉</rb><rt>ドア</rt></ruby>の厚い<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>を通して、晩秋の光が<ruby><rb>侘</rb><rt>わび</rt></ruby>しく<ruby><rb>射</rb><rt>さ</rt></ruby>してた。白いコンクリートの床、所在のない<ruby><rb>食卓</rb><rt>テーブル</rt></ruby>、脚の細い椅子の数数。

ヱビス橋の<ruby><rb>側</rb><rt>そば</rt></ruby>に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう？　恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の<ruby><rb>街街</rb><rt>まちまち</rt></ruby>を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい<ruby><rb>麦酒</rb><rt>ビール</rt></ruby>と、雲を見てゐる自由の時間！　昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。

かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる<ruby><rb>葦</rb><rt>あし</rt></ruby>のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない<ruby><rb>祈祷</rb><rt>いのり</rt></ruby>。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の<span data-tei-rend="bouten 二重丸傍点 right" style="text-emphasis-style: '◎'; text-emphasis-position: over right">失はれた追憶</span>だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体！ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、<ruby><rb>蟾蜍</rb><rt>ひきがえる</rt></ruby>とが、地下で私を待つてるのだ。

ホールの庭には<ruby><rb>桐</rb><rt>きり</rt></ruby>の木が<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>え、落葉が地面に散らばつて居た。その<ruby><rb>板塀</rb><rt>いたべい</rt></ruby>で囲まれた庭の<ruby><rb>彼方</rb><rt>かなた</rt></ruby>、倉庫の並ぶ<ruby><rb>空地</rb><rt>あきち</rt></ruby>の前を、黒い人影が通つて行く。空には<ruby><rb>煤煙</rb><rt>ばいえん</rt></ruby>が<ruby><rb>微</rb><rt>かす</rt></ruby>かに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広い<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">がらん</span>とした<ruby><rb>広間</rb><rt>ホール</rt></ruby>の隅で、小鳥が時時<ruby><rb>囀</rb><rt>さえず</rt></ruby>つて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない<ruby><rb>食卓</rb><rt>テーブル</rt></ruby>、脚の細い椅子の数数。

ああ神よ！　もう取返す<ruby><rb>術</rb><rt>すべ</rt></ruby>もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ！　それを信じせしめよ。私の<ruby><rb>空洞</rb><rt>うつろ</rt></ruby>な最後の日に。

今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な<ruby><rb>麦酒</rb><rt>ビール</rt></ruby>を飲んでる。虚無よ！　雲よ！　人生よ。（『四季』1936年５月号）

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虫

或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の<ruby><rb>謎</rb><rt>なぞ</rt></ruby>が、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、<ruby><rb>縹渺</rb><rt>ひようびよう</rt></ruby>として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも経験するところの、あの<ruby><rb>苛苛</rb><rt>いらいら</rt></ruby>した執念の焦燥が、その時以来<ruby><rb>憑</rb><rt>つ</rt></ruby>きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ－ヂの謎を<ruby><rb>摸索</rb><rt>もさく</rt></ruby>して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いて居た。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの<ruby><rb>押韻</rb><rt>おういん</rt></ruby>をし、最後に長く「クリート」と<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>くのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。

或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。

「そりや君。<ruby><rb>駄目</rb><rt>だめ</rt></ruby>だよ。木造ではね。」

「やつぱり鉄筋コンクリートかな。」

二人づれの洋服紳士は、たしかに<ruby><rb>何所</rb><rt>どこ</rt></ruby>かの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の会話は聞えなかつた。ただその単語だけが耳に入つた。「鉄筋コンクリート！」

私は<ruby><rb>跳</rb><rt>と</rt></ruby>びあがるやうなショツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら

「その……ちよいと……失礼ですが……。」

と私は思ひ切つて話しかけた。

「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり<ruby><rb>形而上</rb><rt>けいじじよう</rt></ruby>の意味……僕はその、哲学のことを言つてるのですが……。」

私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、<ruby><rb>吃驚</rb><rt>びつくり</rt></ruby>したやうな表情をして、私の顔を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味が<ruby><rb>全</rb><rt>まる</rt></ruby>で解らなかつたのである。それから隣の<ruby><rb>連</rb><rt>つれ</rt></ruby>を顧み、気味悪さうに目を見合せ、急にすつかり黙つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。

到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。

「鉄筋コンクリートつて、君、何のことだ。」

友は<ruby><rb>呆気</rb><rt>あつけ</rt></ruby>にとられながら、私の顔をぼんやり見詰めた。私の顔は<ruby><rb>岩礁</rb><rt>がんしよう</rt></ruby>のやうに緊張して居た。

「何だい君。」

と、半ば笑ひながら友が答へた。

「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」

「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」

と、不平を色に現はして私が言つた。

「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。<ruby><rb>寓意</rb><rt>ぐうい</rt></ruby>。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」

この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。

友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかり<ruby><rb>視</rb><rt>み</rt></ruby>つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど<ruby><rb>真面目</rb><rt>まじめ</rt></ruby>になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>つた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。

「ざまあ見やがれ。此奴等！」

私は心の中で友を<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>り、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して<ruby><rb>敵愾</rb><rt>てきがい</rt></ruby>した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。

だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうに<ruby><rb>閃</rb><rt>ひら</rt></ruby>めいた。

「虫だ！」

私は思はず声に叫んだ。虫！　鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に説明する必要はない。或る人人にとつて、<ruby><rb>牡蠣</rb><rt>かき</rt></ruby>の表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。（『文藝』1937年１月号）

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貸家札

熱帯地方の<ruby><rb>砂漠</rb><rt>さばく</rt></ruby>の中で、一疋の<ruby><rb>獅子</rb><rt>しし</rt></ruby>が昼寝をして居た。<ruby><rb>肢体</rb><rt>したい</rt></ruby>をできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の<ruby><rb>餌物</rb><rt>えもの</rt></ruby>が完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の<ruby><rb>白昼</rb><rt>まひる</rt></ruby>。風もなく音もない。<ruby><rb>万象</rb><rt>ばんしよう</rt></ruby>の死に絶えた<ruby><rb>沈黙</rb><rt>しじま</rt></ruby>の時。

その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の<ruby><rb>沈黙</rb><rt>しじま</rt></ruby>が破れた。

一人の旅行者――ヘルメツト帽を<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>り、白い洋服をきた人間が、この光景を<ruby><rb>何所</rb><rt>どこ</rt></ruby>かで見て居た。彼は一言の口も<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>かず、黙つて砂丘の上に生えてる、<ruby><rb>椰子</rb><rt>やし</rt></ruby>の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>され、一枚の古い木札が<ruby><rb>釘</rb><rt>くぎ</rt></ruby>づけてあつた。

（貸家アリ。<ruby><rb>瓦斯</rb><rt>ガス</rt></ruby>、水道付。日当リヨシ。）

ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。（『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号）

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この手に限るよ

目が<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>めてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では<ruby><rb>勿体</rb><rt>もつたい</rt></ruby>らしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る<ruby><rb>小綺麗</rb><rt>こぎれい</rt></ruby>な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の<ruby><rb>悧発</rb><rt>りはつ</rt></ruby>さうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>から出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。

熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい<ruby><rb>気泡</rb><rt>きほう</rt></ruby>が、<ruby><rb>茶碗</rb><rt>ちやわん</rt></ruby>の表面に浮びあがり、やがて周囲の<ruby><rb>辺</rb><rt>へり</rt></ruby>に寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、気取つた勿体らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。（その時私は、いかに自分の<ruby><rb>手際</rb><rt>てぎわ</rt></ruby>が鮮やかで、<ruby><rb>巴里</rb><rt>パリ</rt></ruby>の<ruby><rb>伊達者</rb><rt>だてしゃ</rt></ruby>がやる以上に、スマートで上品な挙動に<ruby><rb>適</rb><rt>かな</rt></ruby>つたかを、自分で意識して得意でゐた。）茶碗の底から、再度また気泡が浮び上つた。そして<ruby><rb>暫</rb><rt>しば</rt></ruby>らく、真中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗の<ruby><rb>辺</rb><rt>へり</rt></ruby>に吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された<ruby><rb>団体遊戯</rb><rt>マスゲーム</rt></ruby>が、号令によつて、行動するやうに見えた。

「どうだ。すばらしいだろう！」

と私が言つた。

「まあ。素敵ね！」

とじつと見て居たその少女が、感嘆おく<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はざる調子で言つた。

「これ、本当の芸術だわ。まあ素敵ね。<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>。何て名前の方なの？」

そして私の顔を見詰め、絶対無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い<ruby><rb>睫毛</rb><rt>まつげ</rt></ruby>をしばだたいた。是非また来てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。

私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、<ruby><rb>何故</rb><rt>なぜ</rt></ruby>にもつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これ<ruby><rb>程</rb><rt>ほど</rt></ruby>の大発明を、自分が独創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、<ruby><rb>茫然</rb><rt>ぼうぜん</rt></ruby>としてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。

「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」

そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの<ruby><rb>可笑</rb><rt>おか</rt></ruby>しさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に残つて忘られなかつた。

「この手に限るよ。」

その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさに<ruby><rb>転</rb><rt>ころ</rt></ruby>がりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「<ruby><rb>馬鹿者</rb><rt>フール</rt></ruby>」の正体を考へるのである。（『いのち』1937年10月号）

==================================================================底本：岩波文庫版猫町他十七篇（岩波書店、1997年12月５日発行第４刷）

底本の親本：萩原朔太郎全集（筑摩書房、1976年発行）

テキスト入力：ryoko masuda

テキスト校正：浜野　智

青空文庫公開：1999年１月