Soranoha

闇夜の梅

やみよのうめ

三遊亭 円朝

一

エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の他た古書等とう、多少拠よりどころのあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物さくぶつが多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、彼かの浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳みッつであったというから、何どうしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺ほとりで遊ばせて居る中うちに、つい過あやまってお染を川の中へ落したから御主人へ申訳がない、何うかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込むと、游泳およぎを知らなかったからついそれ切りとなった。これを種にしてお染久松という質店しちみせの浄瑠璃が出来ましたものでござります。又大阪の今宮という処に心中があった時に、或ある狂言作者が巧たくみにこれを綴つゞり、標題を何なんとしたら宜よかろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛みよししょうらくの許もとへ行って、

「なんとこれ迄に拵こしらえたが、外題げだいを何とつけたらよかろう」

「いやお前のように、そんなに凝こっちゃアいけませぬ、寧いっそ手軽く『心中話たった今宮』と仕たらようござりましょう」

「成程」

と直すぐに右の通とおりの外題にして演やると大層に当ったという話がある。その真似をして林家正藏はやしやしょうぞうという怪談師が、今戸いまどに心中のあった時に『たった今戸心中噺』と標題を置き拵えた怪談はなしが大たいして評が好よかったという事でござります。この闇夜の梅と題するお話は、戯作物などとは事違い、全く私わたくしが聞きました事実談でござります。

えゝ、浅草に三筋町みすじまちと申す所がある。是も縁で、三筋町があるから、其の側に三味線堀というのがあるなどは誠におかしい、それゆえ生駒いこまというお邸やしきがあるんだなんぞは、後あとから拵えたものらしい。下谷したやがあるから上野があって、側に仲町なかちょうがありまして上中下じょうちゅうげと揃そろって居おる。縁というものは何う考えても不思議なもので、腕尽うでずくにも金尽かねずくにも及ばぬものだというが、これは左様かも知れませぬ、まア呉服屋などで、不図ふと地機じばたの好よい、お値段も恰好かっこうな反物たんものを見附けたから買おうと思って懐中ふところへ手を入れて見ると、金子かねが少々足りないから、一旦立ち帰り、金子きんすの用意をして再び来ると、誠にお気の毒様でござりますが、貴方あなたがお帰りになると、直に入らしったお方が見せて呉れと仰おっしゃいまして、到頭とうとう其の方の方へ縁附えんづきになりました。いやそれは残念な事をした、もうあゝいうのはありませぬか。へい、あれは二百反の中うち二反だけ別機べつばたであったのですから、もう外ほかにはござりませぬ。それでは仕方がない、縁がなかったのだろう。と諦めてしまうと、時経たってから不意と田舎などから、自分が買いたいと思った品とそっくりな反物を貰う事などがある。又お馴染なじみの芸者でも、生憎あいにく買おうと思った晩外にお約束でもあれば逢う事は出来ませぬ。又金子かねを沢山懐中ふところに入れて芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入おおいりで、這入はいり所どころがなければ観る事は出来ませぬ。だから縁の無い事は金尽にも力尽にもいかぬもので、ましてや夫婦の縁などと来ては尚更なおさら重い事で、人間の了簡で自由に出来るものではござりませぬ。

えゝ浅草の三筋町――俗に桟町さんまちという所に、御維新ごいっしん前まで甲州屋と申す紙店かみやがござりました。主人あるじは先年みまかりまして、お杉という後家が家督あとを踏まえて居おる。お嬢さんは今年十七になって、名をお梅と云って、近所では評判の別嬪べっぴんでござります。番頭、手代、小僧、下女、下男等数多あまた召使い、何暗からず立派に暮して居りました。すると子飼こがいから居おる粂之助くめのすけというもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質うまれつきで、其の上美男びなんでござります。嬢さんも最早妙齢としごろゆえ、良いい聟むこがあったらば取りたいものと、お母っかさんは大事がって少しも側を離さないようにして置きましたが、どうも仕方がないもので、ある晩のことお母さんが不図目を覚まして見ると娘が居ない。

「はてな、何処どこへ行ったか知らん、手水ちょうずに行ったならもう帰りそうなものだが」

と思ったが何時いつまで経っても戻って来ない。

母「はてな嬢ももう年頃、外に何も苦労になる事はないが、店の手代の粂之助は子飼からの馴染ゆえ大層仲が好いいようだが、事によったら深い贔屓ひいきにでもしていはせぬか知ら」

とお母さんが始めて気が付いたけれども、気の付きようが遅かったから、もう間に合いませぬ。これが馬鹿のお母さんなら直すぐに起き上って紙燭ししょくでも点ともし、から〱方々を開け散かして、「此の娘こは何うしたんだよ」なんて呶鳴って騒ぐんだが、沈着おちついた方だから其様そんな蓮葉はすはな真似はしない、いきなり長羅宇ながらうの煙管きせるで灰吹はいふきをポン〱と叩いた。深夜のことゆえピーンと響いたから、お嬢さんは恟びっくりいたし、そっと抜足ぬきあしをして便所へ参り、ギーイ、バタンと便所から出たような音ばかりさせて、ポチャ〱〱と水をかけて手を洗い、何喰わぬ顔をして其の晩は寝てしまった。翌朝よくあさになると、お母さんが直に鳶頭かしらを呼びにやって、右の話をいたし、一時いちじ粂之助の暇ひまを取って貰いたいと云う。鳶頭も承知をして立帰った後で、

主婦「粂や、粂」

粂「へい」

主婦「あのお前のう、ちょいと鳥越とりこえの鳶頭の処まで行ってくんな、用は行ゆきさえすれば解る………私がそういったから来ましたといえば解るんだよ」

粂「へい畏かしこまりました」

何だか理由わけは解らぬが、粂之助は直に抱かゝえの鳶頭の処へやって来まして、

粂「へい今日こんちは」

鳶「いや、お上あがんなさい、宜いいからまアお上んなさい、ずうっと二階へ、梯子はしごが危のうがすよ、おいお民たみ、粂どんに上げるんだから好いい茶を入れなよ、なに、何か茶うけがあるだろう、羊羹ようかんがあった筈だ、あれを切んなよ、チョッ不精な奴だな、折おりの葢ふたの上で切れるもんか、爼板まないたを持って来なくっちゃアいかねえ、厚く切んなよ、薄っぺらに切ると旨くねえから、己おれが持って来いてったら直に持って来な、宜いいか、話の真最中まっさいちゅうはんまな時分に持って来ちゃアいけねえぜ」

トン〱〱と梯子を上あがって、

鳶「へ、今日こんちは」

粂「何なんだかね鳶頭、お内儀かみさんが、鳶頭の処へ行ゆきさえすれば解るから、行って来いと仰しゃいましたから参りました」

鳶「それは何どうもお忙がしい処をお呼び立て申して済みませんね、粂どん実は斯こういう話だ、今朝ねお内儀さんから私へお人だ、何だろうと思って直すぐに出掛けてってお目にかゝると、奥の六畳へ通して長々と昔噺が始まったんだ、鳶頭お前がまだ年の行ゆかねえ時分から当家うちへ出入でいりをするねと仰しゃるから、左様でござえます、長なげえ間色々お世話になりますんで、なに其様そんな事は何うでも宜いいが、旦那が死んで今年で四年になるし、私も段々年を取るし、お梅ももう十七になる、来年は歳廻りが良いいから何様どんな者でも聟を取ったらよかろうと話をすると、いつでも娘が厭いやがる、他人様ひとさまから、斯ういう良よい聟がありますと申込んでも厭がるもんだから、他人ひとが色々な事を云って困る、妙齢としごろの娘が聟を取るのを厭がるには、何か理由わけがあるんだろう、なにそれは店の手代に粂之助という好いい男があるから事に依よったらあの好い男と仔細わけでもありはしないか、と云いもしまいが、ひょっとして其様なことを云われた日には、世間の口にゃア戸が閉たてられねえ、ねえ鳶頭、と斯うお内儀さんがいうのだ、してみると何かお前さんとお嬢さまとあやしい情交なかにでもなっているように私わしの耳には聞えるんだ、宜ようがすかい、それから、誠に何うもそれは御心配なことでというと、お内儀さんの仰しゃるには、粂之助も小さい時分から長く勤めて居たから、能よく気心も知れて居るが、何分今直すぐに何どう斯こうという訳にも往ゆかず、捨すてて置いて失策しくじりでも出来るといけねえから、一と先まず谷中やなかの兄あにさんの方へ連れて行って、時節を待ったら宜かろう、其の中うちにはまた出入をさせる事もあるじゃアねえか、と斯う仰しゃるのだ、うむ、それから、なんだ斯ういう事も云った、何分宅うちの奉公人や何かの口がうるせえから、一時いちじそういう事にするんだが、仮令たとえ他人ひとが何なんといおうと、私の為にはたった一人の娘だから、同じ取るなら娘の気に入った聟を取って、初孫ういまごの顔を見たいと云うのが親の情合じょうあいじゃアねえか、娘が強たって彼あれでなければならないといえば、私には気に入らんでも、娘の好いた聟を取って其の若夫婦に私は死水しにみずを取って貰う気だが、鳶頭何うだろう、と仰しゃるのだ、お内儀さんの思召おぼしめしでは、一時お前めえさんに暇を出して、世間でぐず〱いわねえようにしちまって、それから良い里を拵えて、ずうっと表向きお前まえさんを聟にして、死水を取って貰おうてえお心持があるんだから、粂どん早まっちゃアいけねえよ、宜うがすか、お内儀さんには、色々深ふけえ思召があるんだから、私わっしも大旦那のお若わけえ時分、まだ糸鬢奴いとびんやっこの時分から、甲州屋のお店へ出入りをしてえて、お前めえさんとも古い馴染だが、今度来やアがった番頭ね、彼奴あいつが悪い奴なんだ、いろ〱胡麻を摺すりやアがって仕様がねえからお内儀さんも心配をしていらっしゃるんだが、ねえ粂どん」

粂「ヘエ、承知いたしました」

鳶「でね、何なんにもいわず、少し兄の方に用事が出来ましたからお暇いとまを願います、長々御厄介ごやっけえになりました、と斯こういって廉かどをいわずにお暇ひまを取っちまう方が好いい、いろ〱くど〱しく詫わびなんぞを仕ちゃア可いけねえよ」

粂「ヘエ、畏かしこまりました、何うも誠に面目次第もござりませぬ」

とおろ〱泣きながら、粂之助が帰りまして、

粂「ヘエ、只今」

内儀「あい粂か、此方こっちへお這入り、好いよ遠慮をしないでも………先刻さっき、鳶頭が来たから四方山よもやまの話をして置いたが、何うだい能よくお前の胸に落ち入ったかい、何も是これという越度おちどの無いお前に暇を出すといったら、如何いかにも酷ひどい主人のようにお思いかも知らないが、これはお前の為だよ、お前も小さい時分にいたから、何だか私も子のような心持がして誠に可愛かわゆく思うが、何分世間の口が面倒だから暇を出すのだけれども、又縁があれば一旦主従しゅうじゅうとなったのだもの、出入の出来ないことは無いから、まあ〱気を長く、兄あにさんの処におとなしくしているが好い、軽はずみな心を出して、こんな淋しいお寺なんぞにいられるものかって、ふいと何処どこかへ姿を隠すような事でもあられると、どんなに案じられるか知れないから、ようく心を落着けて時節を待ってゝ呉れなくちゃア私が困るよ」

粂「ヘエ、有難うございます、誠に何うも面目次第もございませぬ」

内儀「さ、早く行くが好い、何時までも此処こゝにいると面倒だから、谷中のお寺へ行ったら能く兄さんのいう事を聴いて、身体を大事にして時節の来るのを待っていなよ」

粂「ヘエ有難う存じます」

と袂たもとから手拭てぬぐいを取出し、涙を拭いながら店へ出て来ると、番頭は粂之助が暇いとまになって好い気味だと喜んで居る。

粂「えゝ、番頭さん、私は唯今お暇いとまになりまして谷中の兄の方へ参りますから、何分お店の事をよろしく願います」

番頭「左様じゃげな、根ねっから些ちっとも知らんかったが、何う云う理由わけで粂之助がお暇になりますかと云うて、私わしも色々言葉を尽してお詫をしたが、なか〱お聴き容いれがない、お前方が知った事こっちゃない、此様こないに云われるで何うにも仕ようがないじゃて、併しかし何うも気の毒な事こっちゃな、根ねっから、全体商人あきんどはお前の性分に合わぬのじゃから、却かえって谷中のお寺へ行ゆきなはった方が心が沈着おちついて宜いいやろう」

粂「ヘエ有難う、何うも長々お世話さまでございました、お店の方も段々忙しくなりますから、人が殖ふえなければならぬ処を少なくなるんですから、何分宜よろしくお頼み申します、あの定吉さだきちどんは何処どっかへ行ゆきましたか」

番頭「いや今其処そこに居ったッけ、定吉イ定吉」

定「おや粂どん、今お前さんを探しに表へ出ましたが、貴方あなたはお暇ひまになりましたてえから、何ういう理由わけだろうと聞いても解らないんですが、本当に何うもお気の毒さまで」

粂「お前と私とは別段仲が好よかったから、お前に別れるのは誠に辛いけれども、拠よんどころない事があってお暇になったのだが、私が居なくなると番頭さんに無理な小言をいわれても、誰も詫びてくれるものがないから、お前も能く気を附けて叱られないように御奉公を大事にするんだよ」

定「ヘエ有難う、お前さんが下さがるくらいなら私も下った方がようございます、幾ら私がいる気でも、外ほかの者は、みんな意地が悪くって居られませぬもの、其そん中でも、新次郎しんじろうどんなどは、しんねりむっつりの嫌な人で、私が寝てえると焼芋の皮なんぞを態わざと置いて、そうしてお内儀さんが朝暖簾のれんの処とこから顔を出して、さ、皆みんな起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が、あの昨晩定吉が寝ながら焼芋を食べましたなんて嘘ばかり吐ついて人を叱らせるんですもの、そうすると番頭さんが私の尻を捲まくって、定規板でピシャ〱撲なぐるんですもの、痛くて堪たまりゃアしませんや、此間こないだも宿下やどおりの時お母っかさんにそういったんです、お内儀さんもお嬢さんも粂どんも皆みんな善いい方だけれども、ほかの者は残らず意地が悪くって辛抱が出来ないてえと、そんな事をいうものじゃアない、それが身の修行しゅうぎょうだから、我慢をしなくっちゃアいけないと云われますから、粂どんがおいでなさる間は辛抱が出来る、粂どんは大層私を可愛がっておくんなすって、何かおいしい物があると、お蔵の棚へ内証ないしょうで取っといておくんなすって、ちょいと出し物があるから蔵まで一緒に行っておくれって連れてって、さ、お食べってカステラ巻だの何なんだのを食べさせて下すったり、お小遣をおくんなすったりして、本当に優しくして下さるよと然そういったら、母親おふくろが涙ぐんで、あゝ有難いことだ、そういうお方が在いらっしゃるのはお前が奉公の出来る瑞相ずいそうだから、何でもその方をしくじらないように為しなくっちゃア可いけない、その方の御機嫌を損ねるとお店にはいられないから、どんな無理なことを仰しゃってもいう事を聴くんだよといいました」

粂「早く彼方あっちへお出で、何時までも此処こゝにいると又叱られるから」

定「ヘエ、今行きます」

粂「清助せいすけどんは何うしたえ」

定「今物置に薪まきを積直して居ましたっけ」

粂「ちょいと清助どんにも暇乞いとまごいをして行こう」

定「じゃア私も一緒に行きましょう」

粂「清助どん、何うも長々お世話になりました」

清「おゝ粂どんか、今ね己おれが聞いたんだ、おさきどんがの話に、今日急に粂どんがお暇いとまになったてえから、己ハアほんとうに魂消たまげただ、何でもこれは番頭野郎の策略に違ちげえねえ、彼奴あいつは厭に意地が悪くって、何かお前様めえさまを追出させるように巧たくんだに違え無ねえだ、本当にあのくれえ憎らしい野郎も無えもんだ、ちょいと何一つくれるんでもお前めえさんと番頭とではこう違うだ、こんな物は己おらア嫌きれえだ、お前めえも嫌えかも知れねえが喰うなら喰ってくんろ、勿体ねえからってお前めえさんは旨うめえ物をくれるだが、番頭野郎は自分がそれ程に好かねえもんでも惜しがってくれやアがるだ、此間こねえだも他処よそから法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だから甘あめえ物は嫌えだろう、それだのにさ、清助汝われがに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様こんな結構な物は食ったことは有るめえ、汝がのような奴に惜しいもんだけんど、汝がに食わすと、斯こう吐ぬかしやがるだ、己も余あんまり腹が立ったから、何うかして意趣返いしゅげえしをしてやろうと思って、此間こねえだ鹿角菜ひじきと油揚あぶらげのお菜さいの時に、お椀の中へそっと草鞋虫わらじむしを入れて食わせてやっただ、そんな事は何うでも好いいが、お前めえさんがお暇いとまになるなら何なんにも楽たのしみが無ねえから己おらも下さがろうか知ら、下らば直すぐに故郷くにへ帰けえるだよ、己おれは信州飯山いいやまの在ぜえでごぜえますから、めったに来る事もあるめえが、善光寺へ参詣にでも来ることが有ったら是非寄って下せえまし、田舎の事こッたから、何も外に御馳走の仕ようが無ねえから、鹿でも打ぶって御馳走しべいから、何だか馴染の人に別れるのは辛つれえもんだね、何どうかまア成るたけ煩らわねえように気い付けて、好よいかね」

粂「有難う」

娘のお梅に逢いたいは山々だが、お内儀さんのお言葉添えもあるから、その儘暇いとまを取って、これから谷中の長安寺へ参り、いまに好いい便りがあるだろうと待って居りました。此方こちらはお梅、あれきり何の便りもないが、もしや粂之助の了簡が変りはしないかと、娘心にいろ〱と思い計り、耐こらえ兼ねたものか、ある夜よ二歩金にぶきんで五十両ほどを窃ぬすみ出して懐中いたし、お高祖頭巾こそずきんを被かむり、庭下駄を履いたなりで家を抜け出し、上野の三橋さんはしの側まで来ると、夜明よあかしの茶飯屋が出ていたから、お梅はそれへ来て、

梅「御免なさいまし」

爺「ヘエおいでなさいまし、此方こちらへお掛けなさいまして」

梅「はい、あの谷中の方へは何う参ったら宜よろしゅうございましょう」

爺「えゝ谷中は何方どちらまでお出でなさるんですい」

梅「あの長安寺と申す寺でございますがね」

爺「えゝ*仰願寺こうがんじをくれろと仰しゃるんですか、えへゝ仰願寺なら蝋燭屋ろうそくやへお出いでなさらないじゃアございませぬよ」

*「小さき一種のろうそく江戸山谷の仰願寺にて用いはじめしより云う」

梅「いえあのお寺でございますがね」

爺「何なんですいお螻けらの虫ですと」

梅「いゝえ長安寺というお寺へ参るのでございますが」

すると小暗い所にいた一人の男が口を出して、

男「えゝ、もし〱お嬢さん、その長安寺というのは私わっちが能く知ってますよ」

と云いながらずっと出た男の姿なりを見ると、紋羽もんぱの綿頭巾を被かむり、裾短すそみじかな筒袖つゝそでを着ちゃくし、白木しろきの二重廻ふたえまわりの三尺さんじゃくを締め、盲縞めくらじまの股引腹掛と云う風体ふうてい。

男「まア御免なさい、私わっちアこんな形姿なりをしてえますが、その長安寺の門番でげす」

梅「おや〱、それじゃア貴方あなたにお聞きをしたら分りましょうが、あの粂之助はやっぱり和尚様のお側に居りますか」

男「えゝ、粂之助さんは、おいででござえます、あなたは何なんぞ御用でもあるんでげすか」

梅「はい、あの、粂之助は私わたくしどもに長らく勤めて居ったものですが、少し理由わけがありまして先達せんだって暇いとまを出しましたが、それきり何の沙汰もございませんで、余あんまり案じられますから出て参りましたのでございます」

男「ヘエー左様でございますか、じゃアまア私わっしと一緒においでなさい、どうせ彼方あっちへ帰るんですからお連れ申しましょう、其の代りお嬢様に少しお願ねげえがあるんでげす、毎度私は和尚様から殺生をしてはならねえぞとやかましく云われるんでげすが、嗜すきな道は止やめられず、毎晩斯こうやって、*どんどんへ来ては鰻の穴釣あなづりをやってるんでげすが、どうぞお嬢さま私が此処こゝで釣をした事は和尚様に黙ってゝおくんなさい」

*「三橋の側にあった不忍池の水の落口」

梅「御不都合の事なら決して申しは致しませぬ」

男「おい老爺じいさん」

爺「へい」

男「あのね、此のお嬢様は己の方へ来るお方だから、己が御案内をして行ゆくんだ、さ、喰った代でえを此処こゝへ置くぜ」

爺「あなた、これは一分銀で、お釣はござりませぬが」

男「なに釣は要らねえ、お前めえにやっちまわア」

爺「それは何うも有難う存じます、左様なら夜よが更けて居りますから、お気を附けあそばして」

男「なに大丈夫でえじょうぶだ、己が附いてるから」

と怪しの男がお梅を連れて、不忍弁天しのばずべんてんの池の辺ほとりまでかゝって参りました。

二

えゝ引続ひきつゞきのお梅粂之助のお話。何ういう理由わけか女子おんなの名を先に云って男子おとこの名を後あとで呼ぶ。お花半七とか、お染久松とか、夕霧伊左衞門とかいうような訳で、実に可笑おかしいものでござります。さて日本も嘉永かえいの五年あたりは、まだ世の中が開ひらけませぬから、神信心かみしんじんに凝こるとか、易占うらないに見て貰うとかいうような人が多かったものでござります。丁度嘉永の六年に亜米利加船あめりかぶねが日本へ渡来をいたしてから、諸藩共に鎖国攘夷などという事を称え出し、そろ〱ごたつきはじめましたが、町家ちょうかでは些ちっとも気が附かずに居ったことでござります。

彼かの浅草三筋町の甲州屋の娘お梅が、粂之助の後あとを慕って家出をいたす。何程なんぼ年が行かぬとは申しながら、実に無分別極まった訳でござります。左様な事とは毫すこしも知らぬ粂之助が、丁度お梅が家出をした其の翌朝よくあさのこと、兄の玄道げんどうが谷中の青雲寺まで法要があって出かけた留守、竹箒を持って頻しきりに庭を掃いていると、表からずっと這入って来た男は年頃三十二三ぐらいで、色の浅黒い鼻筋の通ったちょっと青髯あおひげの生えた、口許くちもとの締った、利口そうな顔附をして居ますけれども、形姿なりを見ると極ごく不粋ぶすいな拵こしらえで、艾草縞もぐさじまの単衣ひとえに紺の一本独鈷いっぽんどっこの帯を締め、にこ〱笑いながら、

男「え、御免なさいまし」

粂「はい、お出でなさい」

男「えゝ、長安寺というのは此方こちらですか」

粂「ヘエ、左様でございます」

男「あの此方に粂之助さんというお方がおいででござりますか」

粂「ヘエ、粂之助は私わたくしでございますが…」

男「ア左様でげすか、是は何うも…左様ならちょいと表まで顔を貸してお貰い申したいもので」

粂「ヘエ………あの生憎あいにく兄が居ませぬで、何うも家うちを空からにして出る訳には参りませぬから、若もし何なんぞ御用がおあんなさるなら庫裏くりの方へお上あがんなすって」

男「左様でげすか、じゃア御免なせえまし」

粂「さ、何卒どうぞ此方こちらへ」

男「へい」

紺足袋の塵埃ほこりを払って上へ昇あがる。粂之助は渋茶と共に有合ありあいの乾菓子ひがしか何かをそれへ出す。

男「いえ、もうお構いなせえますな、へい有難う、え、貴方あなたにはお初にお目にかゝりますが、私わっちは千駄木せんだぎの植木屋九兵衞くへえという者でございまして」

粂「へえへえ」

九「実ア其の、昨夜ゆうべ、お嬢様さんが突然だしぬけに私わっちん処へおいでなすったんで」

粂「え、嬢さんと仰しゃるのは……………」

九「へえ鳥越桟町とりこえさんまちの甲州屋のお嬢さんで」

粂「へえー、何ういう理由わけで貴方の処へお嬢様さんが……」

九「いや、これは解りますめえ、斯こういう理由なんでげす、あのお嬢さんが二歳ふたつの時に、私わっしの母親おふくろがお乳を上げたんで、まア外ほかに誰も相談相手が無いからって、訪ねておいでなすったから、母親もびっくりして、まアお嬢さん、今時分何ういう理由わけで入らしったてえと、犬に吠えられたり何かして、命からがら漸ようようの事でお前の処とこへ来た理由は、誠に乳母ばあや面目ないが、長らく宅うちに勤めて居た手代の粂之助というものと、人知れず懇ねんごろを通じて夫婦約束をした、処がお母っかさんが世間の口がうるさいから一時いちじ斯こうはするものゝ、後のちには必ず添わせてやると仰しゃって、粂之助に暇いとまを出して了しまった後あとで、外ほかから聟を取れと仰しゃる、それじゃアどうも粂之助に義理が済まないから、私は斯うやって駈出したんだと仰しゃるんです、そうすると私わっしの母親は胆きもをつぶしてね、素すッ堅気かたぎだから、なか〱合点がってんしねえ、それはお嬢様さん飛んでもない事で、お店の奉公人や何かと私通いたずらをするようなお嬢様なら、私の処へは置きませぬ、只たった今出てお出いでなせえというから、私わっしが仲裁をして、まアお母っかア待ちねえ、そうお前めえのように頑固かたくななことばかりいっちゃアしょうがねえ、折角頼りに思っておいでなすったお前まで、そんな邪険な事を云ったら娘心の一筋に思い詰め、此家こゝから又駈出して途中散途さんとで、何様どんな軽はずみな心を出して、間違まちげえがねえとも限らねえ、まア〱己のいう通りにして居ねえといって、それからお嬢様を此方こっちへ呼んでお母ふくろはあんな事を云いますが、お前まえさんは何処どこまでも粂之助様さんと添いたいという了簡があるなれば、私わっしがまア何うにでもしてお世話を致しましょう、貴方はお宅うちを勘当されても、粂之助様と添遂げるという程の御決心がありますかてえと、屹度きっと遂げます、一旦粂之助も私と夫婦約束をしたのですもの、確たしかに私を見捨てないという事もいいましたし、又そんな不実な人ではありませぬ、じゃア宜ようがすが、何処か行ゆく所がありますかと云うと、何処も目的あてがねえ、こう云うから私わっちも困って、兎も角粂さんに逢ってからの事に仕ましょうといって、今日けさわざ〱お前めえさんの所とこへ訪ねて来たんですが、お前さんも矢っ張お嬢様と何処までも添い遂げるという御了簡があるんですか、ないんですか、一応貴方の胸を聴きに来たんでげす」

粂「それは何うも怪けしからぬ事です、あの時お内儀様かみさんが色々と御真実に仰しゃって下すったから、私わたくしは斯こうやって何処へも行ゆかずに辛抱をして居ますのに、お嬢様さんに聟を取れと仰しゃるような、そんな御了簡違いのお方なら、私は何処までもお嬢様を連れて逃げまして、何様どんな真似をしたって屹度添い遂げます」

九「それで私わっちも安心をしたが、お前さん何処どっか知ってる所がありますか」

粂「私わたくしは別に懇意な家うちもありませぬ」

九「そりゃア困るね、何所どこかありませぬか」

粂「ヘエ、何も」

九「何も無いたって困るねえ、じゃまア斯こうしよう、下総しもふさの都賀崎つがざきと云う所に金藏きんぞうという者がある、私わっちとは少し親類合あいの者だから、これへ手紙を附けて上げるから、当人に逢って、能よく相談をして世帯しょたいを持たせて貰いなさるが宜いい、併しかし彼方あっちへ行ゆくだけの路銀と世帯を持つだけの用意はありやすか」

粂「金と云っては別にございませぬが、兄が此間こないだ私わたくしにしまって置けと預けた金がございます、それは本堂再建さいこんのため、世話人衆しゅのお骨折で、八十両程集りましたのでございます」

九「イヤ八十両ありゃア結構だ、三十両一ト資本もとでと云うが、何様どんな事をしても五十両なければ十分てえ訳には往ゆかねえが、其の上に尚なお三十両も余計な資金ものがあれば、立派にそれで取附けますが、其の金をお前様さん取れますか」

粂「へえ、用箪笥ようだんすの抽斗ひきだしに這入っていますから直すぐに取れます、そうして後のちにお宅へ出ますが何方どちらです」

九「あの千駄木へお出でなさると右側に下駄屋があります、それへ附いて広い横町を右へ曲ると棚村たなむらというお坊主の別荘がある、其のうしろへ往って植木屋の九兵衞といえば直じきに知れます」

粂「じゃア、今晩兄が帰ったら直すぐに出ます」

九「今晩といってもなるたけ早い方が宜ようがすよ」

粂「ヘエ日暮までにはどんな事をしても屹度きっと参ります」

九「じゃア其の積つもりで何分お頼み申します」

粂「ヘイ宜しゅうございます」

九「左様なら」

プイと表へ出て了しまう。其の跡で粂之助が、無分別にも不図ふと悪心を起し、己おのれが預りの金子八十両を窃ぬすみ出し、此方こなたへ出て見ると今の男が証拠に置いて行ったものか、予かねて見覚えあるお梅の金巾着かねぎんちゃくが其処そこに抛ほうり出してあった、取上げて見ると中に金子が三両ばかり這入っている。

粂「はてな、是はあの人が置いて行ったのか知ら、ア、そう〱、これを置いて行ゆくからは此こん中へ八十両の金子かねを入れて来いという謎かも知れない」

と右の*女夫巾着めおとぎんちゃくの中へ金子かねを入れ、確しっかり懐に仕舞って、そろ〱出かけようかと思っている処へ兄の玄道が帰って参り、それより入替り立代り客が来るので、何分出る事が出来ませぬ。

*「せなかあわせにくッついている巾著」

お話は二つに分れまして鳥越桟町の甲州屋方では大騒ぎ、昨夜ゆうべ娘のお梅が家出をいたした切りかいくれ行方が解りませぬから、家内中うちじゅうの心配大方ならず、お鬮みくじを取るやら、卜筮うらないに占みてもらうやら、大変な騒ぎをして居る処へ、不忍弁天の池に、十六七の娘の死体が打込んであるという噂を聞込んで来て、知らせた者があるから、母親おふくろは仰天して取るものも取とりあえず来て見ると、お梅に相違ないから早々人を以もって御検視を願い、段々死体を調べて見ると、縊くびり殺して池の中へ投込んだものらしく、殊ことには持出した五十両の金子きんすが懐にないから、おおかた物取ものどりであろうと、事が極って検視済の上死骸を引取り、漸ようやく日暮方に死骸を棺桶へ収めることになった。処へ鳶頭かしらが来まして、

鳶「ヘエ唯今、あの何なんでげす、八丁堀さんと、それから一番遠いのが麻布あざぶの御親類でげすが、それ〲皆みんな子分を出してお知らせ申しました」

番頭「あ、それはどうも大きに御苦労〱」

鳶「何だなア、定さん、男の癖におい〱泣くのは止しねえ、お内儀様かみさんは女でこそあれ、あゝいう御気象だから、涙一滴澪こぼさぬで我慢をしていらっしゃるのだ、それだのにお前が早桶の側へ行って、おい〱泣くもんだから不可いけねえよ」

定「泣くなってそれは無理でございます、何だか此の早桶の側へ来ると哀しくなるんですもの、お嬢様さんは別段に可愛がって呉れましたから、私は哀しくなるのです」

鳶「まア泣いちゃア不可ねえ、えゝお内儀様唯今」

内儀「あい、鳶頭大きに色々お骨折ほねおりで、何も彼かもお前のお蔭で行届ゆきとゞきました」

鳶「どう致しまして、就つきまして麻布様さんの方へお嬢様さんが家出をなすった事を知らせにやりまして、金太きんたがようやく先方むこうへ着いたくらいの時に、又斯こういう変事が出来ましたから、追おっかけて人を出し、これ〱でおなくなりになったてえ事をお知らせ申しましたら、大層にお驚きなすったそうでげす」

内儀「そうであったろう、もう麻布のが一番彼あれを可愛がってくれたから、誠に有難う、万事お前のお蔭で行届きました、が斯うなるのも皆みんな因縁事と諦めて居ますから、私は哀しくも何ともありませぬよ」

鳶「いえ、何どうも御気象な事で、まアどうもお嬢様さまがお小さい時分、確か七歳なゝつのお祝の時、私わっしがお供を致しまして、鎮守様から浅草の観音様へ参めえりましたが、いまだに能く覚えております、往来の者が皆みんな振返って見て、まアどうも玉子を剥むいたような綺麗なお嬢様さんだ、可愛らしいお児こだって誰でも誉めねえものは無ねえくれえでげしたが、幼少ちいせい時分からのお馴染ゆえ、此の頃になってお嬢様さんが高慢なことを仰しゃいましても、あなた其様そんな事をいったッていけませぬ、わたしの膝の上で小便をした事がありますぜてえと、あら鳶頭幼少せい時分の事をいっちゃア厭だよなんて、真紅まっかにおなりでしたが、何とも申そうようはござえませぬ」

内儀「はい、お前も久しい馴染ゆえお線香でも上げてやっておくれ」

鳶「へえ、有難う………えゝ番頭さん、誠に何うも飛んでもねえ事で」

番頭「いや鳶頭大きに御苦労であった、まア此方こっちへ来なさい、何うもお内儀さんの思召おぼしめしを考えて見るとお気の毒で何うもならぬ、ならぬが当家うちのお嬢様さんを殺したのは誰じゃという事は大概お前も感付いておるじゃろうな」

鳶「いゝえ、些ちっとも知りやせぬよ、何だか物取だろうってえ評判なんで」

番「いゝや物取ではない、何でも是は粂之助の仕業しわざに相違ないという私わたいの考かんがえだ」

鳶「ハ、飛んでもねえ事をいいますね、其様そんなお前めえさん……ナなんぼ粂どんが憎いたって、無暗むやみに人殺ひとごろしに落したりなんかして、どうしてお前まえさん粂どんは其様な悪い事をするような人じゃアねえ」

番「いやそれはいかぬ、お内儀いえはん斯こういう最中で争論いさかいをしては済みまへんが、一寸ちょっとこれに就ついておはなしがあるんでおす、一昨夜おとつい私わたいが一寸用場へ参りまして用を達たしてから、手を洗うていると、ほんのりと星光ほしあかりで人影が見えるで、はてナと思うて斯う透すかして見ておると、垣根の外へ廻って来たのが粂之助でおす、するとお嬢様さまがこっちゃから声を掛けて粂之助やないかというと、はい私わたくしでございますと低声こゞえでいいましたわい、まア粂之助よう来ておくれた、はい漸ようようの事で忍んで参りました、お前に逢いとうて逢いとうてどうもならぬであった、私わたいも逢いとうてならぬから、漸うの思いで参りました、私わたいもそう長う寺に辛抱しては居られまへぬ、あんたはんも私わたいのような者でも本当に思うて下くだはるなら、寧いっそ手に手を取って此所こゝを逃げまひょう、そうしてあんたと二人で夫婦になって、深山みやまの奥なりと行いんで暮したいが、それに就いても切せめて金子かねの五六十両も持ってお出でやというと、おゝ左様さよか、そんなら屹度きっと明日あすの晩持って行いぬという事を確かに聞いた」

鳶「へえ、それから」

番「どうも変やと思うていると、あんたお嬢様さんが莫大のお金を持とって逃げやはった、それ故何うも私わたいの思うには粂之助がお嬢様さまを殺して金子かねを取って、其の死骸を池ン中へ投ほうり込んだに違いないと斯こう考えるのでおす」

鳶「おう、おう番頭さん、詰らねえ事を云っちゃアいけねえぜ、お前めえは全体ぜんてえ粂どんを憎むから然そう思うんだが、まアよく考えて見ねえ、粂どんが人殺をするような人だか何だか、ソヽ其様そんな解らねえ事をいったって仕様がねえじゃアねえか」

番「イヤ真実まったくの事だ、証拠があるぜ」

鳶「証しょう、な何が証拠だ」

番「定吉い、ちょっと此処こゝへ来い、えゝめろ〱泣くな」

定「何です番頭ばんつさん、泣くなたってお嬢様が死んで哀しくって堪たまらないから、泣くんです」

番「えゝい、汝おのれがお嬢様を殺したもおんなじ事こった」

定「あゝいう無理な事ばかりいうんだもの、どういう理由わけで」

番「汝おのれは一昨日おとといの夜よこの店で帯を締め直す時に落した手紙は、お嬢様さんに頼まれて粂之助の処へ届けようとしたのじゃないか」

定「あら………仕様がないな、彼所あすこに持っているのだもの、道理で無いと思った」

番「此様こんなものをお嬢様から頼まれるのが悪いのだ」

定「頼まれるのが悪いたって………仕様がないナ………その頼まれたのはなんでございます………仕様がないな………あの……それはお嬢様さんが、定や、ちょいとお出でてえから、はいてってお居間へ行ったんです、然そうするとお前何所どこへ行ゆくんだと仰しゃるから、私わたくしは谷中の方へ参るんですといったら、そんならお前これを粂どんに届けてお呉れって、お手紙を私の懐へ入れたから持って行ったんです」

番「ウム、持って行って何うした」

定「何うしたって……しようがないな」

番「汝おのれは度々たび〱粂之助の処とこへ寄るから悪いのじゃ」

定「ナニ寄る気でもないんですが、近いから、あのお寺の前を通ると曲角まがりかどのお寺だもんですから、よく門の所とこなんぞを箒はいてゝ、久振ひさしぶりだ、お寄りなてえから、ヘイてんで旧もとは朋輩ほうばいだから寄りますね」

番「道理で毎いつも使つかいが長いのや」

定「ナニ別に長い訳もないんですが、今お葬式とむらいが来てお饅頭を貰った、それをお前に上げるから、お待ちてえから待ってたんです」

番「えゝい、喰くらい物の事ばかり云うて居おる。汝おのれが取次をするから此の様な間違が出来でけたのや、サ是を御覧、此の手紙が何よりの証拠や、私わたいはお前に逢いとうて逢いとうてならぬから、家出をしてお前の処とこへ行ゆく、何卒どうぞ末長く見捨てずに置いておくれと書いてあるやないか、是が何よりの証拠や」

鳶「証拠だッて、そんな事は私わっしア知りやアしねえ」

番「知りやせぬと云うてまアよく考えて見なはれ、当家うちのお内儀様いえはんはこないに諦めの宜ええお方やから、涙一滴澪こぼさぬが、鳶頭が仲へ這入って口を利き、もう甲州屋の家うちへは足踏をさせぬと云い切って引取ったのやないか、それじゃのに、又此処こゝへ粂之助が忍んで来て、お嬢様さんを誘い出すような事になったのは、大方鳶頭も内々ない〱知って居おるのではないか、粂之助と共謀ぐるになってお嬢様を誘い出し、金額かねを半分ぐらい取ったのではないかアと思われても是非がないやないか」

云うと怒おこったの怒らないの、もと正直な人だから、額へ青筋を出して、

鳶「何を吐ぬかしやアがるんでえ、撲なぐり付けるぞ、コレ頭を禿はげらかしやアがって馬鹿も休み休み云え、粂どんが人を殺して金を取る様な人か人でねえか大概てえげえ解りそうなもんだ、手前てめえの心に識別ウするから其様そんな事を吐ぬかすんだ、己が半分取ったたア何だ、撲り付けるぞ」

番「打ぶたいでも宜ええ、私あたいは理の当然をいうのや、お嬢様さまを殺して金子かねを取ったという訳じゃないが、然そう思われても是非がないと云うのや」

鳶「何が是非がないんだ、撲倒はりたおすぞ」

清「まア〱少し待っておくれ」

と云いながら台所より出て来たは清助というお飯炊まんまたき。

清「鳶頭まア〱貴方あんたは正直な方だから、こんな事を云われたら、嘸さぞはア胆きもが焦いれて堪たまるめえが、己が一と通りいわねばなんねえ事があるだアから、少し待ったが宜ええ――コレ番頭さん、此処こゝへ出ろ」

番「何じゃ、汝おのれが出る幕じゃアない、汝は飯炊めしたきだから台所に引込ひっこんで、飯の焦こげぬように気を附けて居おれ、此様こないな事に口出しをせぬでも宜えいわ」

清「成程己は僅わずかなお給金を戴いて飯炊をしてえるからッて、飯せえ焦がさねえようにしていれば宜ええというもんじゃアあんめえ、当家うちへ泥坊が這入へいってお内儀様かみさんを斬殺きりころしても、己が飯炊だからって、何なんにも構わずに竈へっついの前めえにぶっ坐つわってゝ宜えと思わしゃるか、汝われが曲った心に識別するから然そういう間違った事をいうだ、コレよく考かんげえて見ろよ、汝は粂どんを憎むから、少しのことを廉かどに取って粂どんが嬢様じょうさまを殺したなんてえが、何処どこまでも汝がそんな事を頑張って殺したといわば、己おらア合点がってんしねえだ、粂どんが庭へ来てお嬢様と相談して、明日あしたの晩連れて逃げようてえ約束をしたのを見たと云わば、何故早く其の事をお内儀様へ知らせねえだ、粂どんがコソ〱でお嬢様を誘い出しに来やしたから、油断をしねえが宜ようがすとちょっと知らせればそれで宜ええだ、然うすれば直すぐにお嬢様を他家わきへ預けるとか、左さもなければお内儀様が気イ附けて奉公人も皆起きて居おらば、何うしたって嬢様が逃げ出す気遣きづけえはねえだ、逃げなけりゃア殺されることもねえだ、それを知って居ながら黙ってゝ、嬢様が逃出してから殺されゝば、汝が殺したも同じ事こんだぞ、まだぐず〱何か云やアがると打ぶっ殺して己おれも死んじまうだ」

内儀「コレ〱清助静かにしないか、番頭様さんに向ってそんな事をいっては済まないじゃないか、鳶頭、お前も嘸さぞ腹が立つだろうが、何卒どうぞ我慢をしておくれ、悉皆みんな私が呑込んでいるから、私は決して粂之助の仕業しわざとは思わないけれども、大方粂之助も此の事を知らずに谷中に居るに違いない、お前が行って斯こう〱と知らせたら、粂之助も定めて恟びっくりするだろうと思うから、お願いだが、お前ちょいと此の事を粂之助へ知らせてお呉れでないか」

鳶「え、往いきますとも、半分取ったろうなんて、飛んでもねえ濡衣ぬれぎぬを着せられたんですもの、直すぐに行って来ます、少し提灯ちょうちんをお貸しなすって」

ずうっと腹立紛はらたちまぎれに飛びだして谷中の長安寺へやって来ました。

鳶「え、御免なせえ、御免なせえ」

粂「はい……おや〱鳶頭」

鳶「や、粂どん……まア宜よかった、はあ…お前めえに怪しい事があれば何所どっかへ逃げちまうんだが、ちゃんと此処こゝに居てくれたんでまア宜かった、あゝ有難ありがてえ」

粂「あの兄あにさん、何だか鳥越の鳶頭がおいでなさいましたよ」

玄「いやア、鳶頭、まあ何卒どうぞ此方こちらへ誠に何どうも御無沙汰をして済まぬ、ちょっとお礼かた〲お訪ね申さんければならぬのじゃが、何分にも寺用じように取紛れて存じながら大きに御無沙汰を……」

鳶「そう長ったらしく云ってられちゃア困る、大騒動が出来たんだ、まア御挨拶は後あとにしておくんなせえ、おゝ粂どん、お嬢様が昨夜ゆうべ家出をした事を知ってるかい」

粂「いゝえ…………」

鳶「いゝえって震えたぜ、え、おい、お嬢様が殺されちまったんだよ」

粂「えっ、お嬢様が……」

鳶「死骸が弁天の池から今朝上がって、御検視を願うの何なんのって大騒ぎをしたんだ」

粂「へえー……じゃア千駄木の植木屋の九兵衞さんというのは何です、全体まア何ういう理由わけなんです」

鳶「何ういう理由の何のって、大変な騒ぎなんで、まア和尚様さんお聴きゝになって下せえまし、お嬢様は粂どんに逢いてえ一心から、莫大ばくでえの金子かねを持もって家出をしたから、大方泥坊に躡つけられて途中で遣やるの遣らねえのといったもんだから、殺されたに違ちげえねえんで、それを店の番頭野郎がこう吐ぬかすんだ、何なんでも粂どんがお嬢様を誘い出して、途中で殺して金子を取ったに違えねえ、鳶頭も粂どんと共謀ぐるになって、其の金を二十五両ぐらい取ったろう、こう吐すんだ、私わっしは腹が立って堪らねえから、余程よっぽど殴りつけてやろうとは思ったけれども、お前めえさん何うもね、お内儀様かみさんが御愁傷の中だから、そんな乱暴狼籍の「狼籍の」はママ真似をしちゃア済まねえと思って、耐こらえていたが、粂どんが何なんにも知らずに斯こうやっているから本当に宜かった、何卒どうぞ直すぐに行っておくんなせえ」

玄「いや、それは重々御道理ごもっともな訳じゃ、此方こちらにも不行跡ふしだらがある事こっちゃから然そう云う御疑念が懸っても仕方がない、仕方がないが、然う云う場合になると、粂之助は頓とんと口の利けぬ奴じゃで、私わしも一緒に参りましょう」

鳶「そりゃア有難ありがてえ、なるたけ大勢の方がようがす、じゃア直すぐに行っておくんなせえ」

これから提灯を点つけて寺を出かけ、三人揃って甲州屋の裏口から這入って来ました。

内儀「さア、何卒どうぞ此方こちらへ、〱」

鳶「え、お内儀様かみさん、谷中の長安寺の和尚様も入らっしゃいましたよ」

内儀「おや〱それは何うもまア何うぞ此方へ」

玄「はい、御免を……唯今鳶頭から不慮の事を承りまして、何とも御愁傷の段察し入ります」

鳶「まア、其様そんな長ったらしい悔くやみは後あとにしておくんなせえ、さ、粂どん此方こっちへ這入んなよ」

粂「ヘエ……えゝ、お内儀様かみさんお嬢様が飛んだ事にお成りあそばしまして、嘸さぞ御愁傷でござりましょう」

是迄は涙一滴澪こぼさぬでいたが、今しも粂之助の顔を見ると、堪こらえかねて袖を顔へ押宛おしあてて、わっとばかりにそれへ泣倒れました。

内儀「粂や、何うも飛んだ事になりましたよ、私はね、くれ〲もそう云っていたのだよ、決して出ちゃアならない、今に私が宜よいようにするから、お前心配おしでないよといって置くのに、親の言葉に背いて家出をしたものだから、忽たちまち親の罰ばちがあたって、あゝいう訳になったんだから、私はもう皆みんなこれまでの約束ごとと諦めていたが、お前の顔を見たら何うにも我慢が出来なくなって声を出しましたが、もと〱お前の為に家出をしてこんな死様しにようをしたのだからお前何卒どうぞお線香の一本も上げて回向をしてやっておくれ」

粂「ヘエ、何とも申そう様はございませぬ、誠に何うも重々私わたくしが悪いのでございます」

内儀「いゝえ、お前ばかりが悪い訳じゃアないよ」

鳶「おゝ番頭様さんちょいと此処こゝへ来ねえ」

番「あい、何じゃ」

鳶「おゝ粂どんはちゃんと此処にいるよ、え、おう、人を殺して金を取ったような訳なら、プイと何処どこかへ逃げちまわア、己が寺へ知らせに行ゆくまであっけらけんと居られるか、さ、何うだ、これでもまだ手前てめえは己を疑うたぐってやアがるか」

番「まアあんたは、粂之助を贔屓にしておるで、そう思いなはるのじゃ、これ粂之助ちょっと此処これへ来い、汝おのれはまだ年は十九で、虫も殺さぬような顔附をして居るが太い奴やッちゃ、体ていよくお嬢様を誘い出して、不忍弁天の池の縁ふちの淋しい処でお嬢様を殺して、金を取って、死骸を池の中へ投ほうり込んだに違いあるまい、さ、どうだ、真直まっすぐに云うてしまえ」

斯こう云われるともと人が善よいから、余あんまり腹が立って口が利かれない、いきなり立って番頭の胸倉へ武者振りつこうとする途端に、ポンと堕おちたのは九兵衞が置忘れて帰った女夫巾著みょうとぎんちゃく、番頭は早くも之これを拾い取って高く差上げ、

番「こ、是じゃ、お内儀いえはん、是はお嬢様さんが不断持って居やはりました巾着でがしょう」

云いながら振ると、中からドサリと落ちた塊かたまりは五十両ではなくて八十両。

三

えゝ引続いてお聴きに入れまする、お梅粂之助は互に若い身そらで心得違をいたしたるより、其の身の大難を醸かもしました。扨さて彼かの梅には四徳を具すというが然そうかも知れませぬ、若木を好まんで老木おいきの方を好む、又梅の成熟するを貞ていたり、とか申して女子おなごの節操みさおあるを貞女というも同じ意味で、春は花咲き、夏は実を結び、秋は木この葉が落ちて枯木のようになったかと思うと、又自然に芽が出て来るは、誠に妙なものでございまして、人も天然自然に此の物を見る、あゝ好よい景色だとか、綺麗な色だとか、五色ごしきばかりではなく木きの葉の黄ばんだのも面白く、又染しみだらけになったのも面白い、これは唯其の人の好みによって色々になるのでございます。「心をぞわりなきものと思いぬる見る物からや恋しかるべき」で見る物も恋しく、心と云うものは別に形は無いが、善を見れば善に感じ、悪に出逢えば悪に染まる、されば己おのれの好む所の境界きょうがいが悪いと其の身を果はたすような事もあるのでございます。

粂之助は奉公中主人の娘お梅に想われたのが、因果の始はじまりでござりまして、自分も済まない事と観念を致したから、兄玄道の側へ参り、小さくなって、温順おとなしく時節到来を待って居ました、所へ千駄木の植木屋九兵衞というものが参り、

九「昨晩お嬢様さんがお出いでになりましたから、私わたくしが何処どこへでもお逃し申すようにするゆえ、金子かねの才覚をして来い」

と云うので、態わざとお梅の巾着の中に三両ばかり入れた儘置いて帰った。是が九兵衞の企たくみのある処でござります。此方こちらはまだ年が若いから、何の気も附かず、是は全くお梅から届けたものと心得て、前後あとさきの思慮も浅く、其の巾着の内へ、本堂再建さいこんの普請金八十両というものを盗み出して押込み、これを懐へ入れて置いたのが、立上る機勢はずみにドサリと落ちたから番頭はこゝぞと思って右の巾着を主婦あるじの前へ突付けたり、鳶頭かしらにも見せたりして居丈高いたけだかになり、

番「さ、粂之助、此の巾着が出る上は貴様がお嬢様さんを殺したに相違あるまい」

と責めつけたから、座中の人々互に顔と顔を見合せ、鳶頭も甲州屋の家内も実に驚いて、「よもや粂之助がお梅を殺して五十両という金子きんすを取りはすまい」とは思うが、金子かねが出た。見ると五十両ではなくして八十両の包み金がね、表書うえには「本堂再建さいこん普請金、世話人萬屋源兵衞よろずやげんべえ預あずかる」と書いてあったから、誰より驚いたのは玄道和尚で、ぶる〱震えながら、

玄「ま、これ粂之助、ま、此の金子かねは何うした」

粂「はい〱申し訳がございませぬ」

玄「これはまア……番頭さん、鳶頭、又御当家の御家内様まで、粂之助がお嬢様を殺して金子きんすを取ったろうという御疑念をお掛けなさるは御道理ごもっともの次第でござる、なれども、此の儀に就ついては私わたくしより少々粂之助へ申聞もうしきけたい事がござれど、少しく他聞を憚はゞかりまする故、何所どこか離れたお居間はござりますまいか、余り人様のお出いでのない所を拝借いたしたいもので」

内儀「はい〱、あの鳶頭、奥の六畳へ連れて行ったらよかろう、離れてゝ彼所あすこが一番静しずかでもあり人が行かないから」

鳶「宜いいかね、大丈夫かえ和尚様さん」

玄「いえ、決して逃しは致しませぬから、御安心なすって……さア来い」

と粂之助の手を執とって引立てる。粂之助は和尚の従者ともで来たのだから今日は*耳こじりを差して居る、兄玄道に引立てられ、拠よんどころなく奥の離座敷へ来るといきなり肩を突かれたからパッタリ畳の処へ伏しました。玄道和尚は開き直って、

*「みじかいわきざし」

玄「これ粂、手前はまア呆れ返った奴じゃ、これ手前はな、御両親が相果あいはててからと云うものは、私わしの手許に置いて丹精をしてやったのじゃないか……女子おなごの手もない寺へ引取り、十一の歳としから私が丹精をして、読書よみかきから行儀作法に至るまで一通りは仕込んでやったが、何をいうにも借財だらけの寺へ住職をしたのが過あやまりで、なか〱然そう何時いつまでも手前一人に貢いでやる訳にも往ゆかぬから、不自由を堪こらえて御当家へ願い、住みこませると、長の歳月としつき御丹精を戴いた御主人様の大恩を忘れ、奉公人の身の上でありながら、御主人様の令嬢と不義いたずらをするとは、何と云う心得違の事じゃ、それで手前は武士の胤たねと云われるか、私も手前も、土井大炊頭どいおおいのかみの家来早川三左衞門はやかわさんざえもんの胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進せいのしんと云うたが、どの人相見に観みせても、剣難の相があると云うたに依よって九歳の折おりに出家を遂とげ、谷中南泉寺なんせんじの弟子になって玄道、剃髪ていはつをしてから、もう長い間の事じゃ、其の後ご嘉永の始はじめに各藩かくばんにて種々さま〲の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、然そういう道理は無いと云うて殿へ御諫言ごかんげんを申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜くやしゅう思召おぼしめしてか、邸やしきを出てから切腹をして相果あいはてられた、続いて母様もお逝去かくれになる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是がんぜもない小児しょうに、外ほかに頼る者もないに依って何卒どうかお前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分不如意ふにょいじゃに依って御当家へ願うたのも、然ういう柔弱な身体じゃから、商人あきんどに仕ようと思うた私の心尽こゝろづくしも水の泡となり、それのみならず誠に愧入はじいったのは此の八十両の金子かねじゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家だんけの者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建さいこんをせにゃなるまい、私わしが世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本もとでに追々おい〱と再建に取掛るつもりでわざ〱源兵衞さんが一昨日おとつい持って来たに依って、直すぐ手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出ぬすみだして此所こゝへ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金これがなければ片時も己はあの寺に居おられぬという事も、手前能よう知って居おるじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄三次郎さんじろうと云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心とうしんがあって、一寸ちょっと重役の家うちへ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んで袂たもとへ入れて来るじゃ、そこでお父様とうさまも呆れてしまい、此奴こやつが跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞きょうだいでありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又主家しゅうかの娘と不義をして暇いとまを出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子かねまで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事を悉くわしく知って居ながら、斯こういう不都合をするとは云おう様ない人非人にんぴにんめ」

と腹立紛れに粂之助の領上えりがみを取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見こわいけん、涙道るいどうに泪なみだを浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分いいわけが立ちませぬから、

粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒どうぞお放しなすって下さいまし」

玄「さ、何う言分をする」

粂「へい申訳は此の通りでござります」

と自分の差して来た小短い脇差を取って抜くより早く喉のどへ突立てにかゝった。玄道は胆きもを潰して其の手を抑おさえ、

玄「こ、これ待てッ」

粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、私わたくしは自害をいたして申訳をいたします」

玄「自害をしたってそれで済むと思うか」

頻しきりに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽もんぱの綿頭巾を鼻被はなっかむりにして、結城ゆうきの藍微塵あいみじんに単衣ひとえものを重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装こしらえ、小意気な装なりでずっと這入って、

男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前てめえは死なねえでも宜いいや」

粂「ヘエー」

と顔を見ると今日朝の中うちに来た、千駄木の植木屋の九兵衞だから恟びっくりして、

粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」

九「ウム、植木屋の九兵衞だ、お前めえはまア死なねえでも宜いい……え、和尚さん私わっちは、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助を騙だまかしに行った悪党でごぜえます」

玄「何じゃ……悪党とは」

九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、お前めえさんの為には現在の弟でありながら、十九の時に邸やしきを出て了しまいやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだから騙だまかしに行ったんです、兄あにさん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」

玄「なに誰じゃ」

九「誰でもねえ、お前まえさんの弟の三次郎です」

玄「おゝ、弟の三次郎、成程然そう云えば、何所どこか見覚えのある顔だ、それが何うして此所こゝへ出て来た」

九「まア聞いてくだせえ、私わっちが上野の三橋側の夜明よあかしの茶飯屋のところで、立派な身形みなりの新造しんぞが谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものと睨にらんで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓かねづるに有附いたと実ア其の娘を駆だまかして「駆だまかして」はママ引張出ひっぱりだし、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚ひっさらい、死骸は弁天の池ン中へ投ほうり込んだのは私の仕業だ、そればかりでなく、娘を殺す前めえに、段々様子を聞くと、宅うちに奉公をして居た粂之助と云う者は、暇いとまが出て当時では谷中仲門前の長安寺と云う寺に居るんだと聞いたから、もう一仕事しようと思って粂の処とこへ出かけ、旨く騙だまかして金子かねを持って逃げておいでなさいと云ったのは、私の入智慧いれぢえ、本堂再建の普請金八十両を盗ませたのも皆この三次郎の作略でごぜえます」

玄「ふむー、此奴こやつ……えらい奴じゃな」

三「でね、まア然そういう理由わけなんだから、鳶頭と番頭や何か残らず此所こゝへ呼んでおくんなせえ」

玄「粂、早う呼んで来い」

粂「誰方どなたも早く来て下さいましよ」

と呶鳴ったから、何事かと思って鳶頭も番頭も皆揃って来ました、ずらりと大勢ならべて置いて、右の一伍一什いちぶしじゅうを三次郎が話した時には、鳶頭も番頭も驚いて暫しばらくは口も利けぬくらいでありました。

三「さ、何うぞ私わっしに縄を掛けて引く処へ引いてお呉んなせえ、決して粂之助の科とがじゃアねえ、私わっちが人殺ひとごろしをしたんですから……其の代りどうか兄あにさん粂を可愛がってやってお呉んなさい、又粂も宜いいか、もう四十を越してる兄さんだ、能よく大事にして上げてくれ、よ、お前幾歳いくつになる、なに十九歳だ、うむ然そうか、いや鳶頭、誠に何とも云いようがごぜえませぬ、お前めえさんは粂を贔屓にしてお呉んなすって、やれこれ云って下すったのは、私わっちからも厚くお礼を申します、実ア今日此処こゝへ忍び込んで間まが好よかったら、此のどさくさ紛れに、もう一仕事する積つもりで来た処が、まア斯こういう訳になりましたから何卒どうぞ私へ縄を掛けて突出してお呉んなせえ……やい番頭、さ、己を縛れ」

番「なに此奴こいつ……汝おのれが泥坊か、此のお庭へ何所どこから這入った」

三「何所からだって這入へいるが、さ縛れ、其の代り己が喰くらい込めば、もう娑婆ア見る事ア出来ねえから、此の番頭手前てめえも一緒に抱いて行ゆくから然そう思え」

番「そりゃアえらい事こっちゃな」

是これから捨て置けませぬから、甲州屋の家内は家うちから縄付なわつきを出すのも厭だと心配をして果はてしがない。そこで三次郎が到頭自訴いたして、何うしても斬首ざんしゅの刑に行わるべきであったのが、何ういう事か三宅へ遠島を仰付おおせつけられましたが、大層改悛かいしゅんの効が顕あらわれ、後のちお赦しゃになって、此の三次郎は兄玄道の徒弟となり、修行しゅうぎょうの功を積んで長安寺の後住ごじゅうを勤めました。此の者は穴釣三次あなづりさんじと云って、其の頃下谷では名高い泥坊でござりました。又粂之助は遂に甲州屋へ貰われまして、甲州屋の跡目を相続いたし、其の後のち浅草仲町の富田屋という古着商ふるぎやから嫁を貰いましたが、此の嫁も誠に心懸けの良い婦人でござりまして、母に孝行を尽したという末お目出度いお話でござります。

底本 / Source edition

底本:「定本 圓朝全集 巻の一」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集卷の一」春陽堂
1926(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「巾著」と「巾着」の混在は、底本通りです。
※「*」は注釈記号です。その内容は底本では上部欄外に書かれています。
※表題は底本では、「闇夜《やみよ》の梅《うめ》」となっています。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年5月10日公開
2016年4月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
/works/000354_000989/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/000354_000989/

三遊亭 円朝「闇夜の梅」(新字新仮名)、底本『定本 圓朝全集 巻の一』近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫、1963年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000354_000989, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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