Soranoha

業平文治漂流奇談

なりひらぶんじひょうりゅうきだん

三遊亭 円朝

序

むかしおとこありけるという好男子に由縁ゆかりありはらの業平文治なりひらぶんじがお話はいざ言問わんまでもなく鄙ひなにも知られ都鳥の其の名に高く隅田川すみだがわ月雪花つきゆきはなの三みつに遊ぶ圓朝えんちょうぬしが人情かし[#「し」に「本ノマヽ」と注記]ら有為転変ういてんぺんの世の態さまを穿うがち作れる妙案にて喜怒哀楽の其の内に自ずと含む勧懲の深き趣向を寄席よせせきへ通いつゞけて始めから終りを全く聞きはつることのいと〱稀まれなるべければ其の顛末もとすえを洩さずに能よく知る人はありやなしやと思うがまゝ我儕おのれが日ごろおぼえたるかの八橋やつはしの蜘手くもでなす速記法ちょう業わざをもて圓朝ぬしが口ずから最いと滑らかに話しいだせる言の葉をかき集めつゝ幾巻いくまきの書ふみにものしてつぎ〱に発兌うりだすこととはなしぬ

明治十八年十一月   若林※[#「※」は「おうへん+甘」、序-6-9]藏識

一

此の度たびお聞きに入れまするは、業平文治漂流奇談と名題なだいを置きました古いお馴染なじみのお話でございますが、何卒なにとぞ相変らず御贔屓ごひいきを願い上げます。頃は安永年中の事で、本所ほんじょ業平村なりひらむらに浪島文治郎なみしまぶんじろうと云う侠客きょうかくがありました。此の人は以前下谷したや御成街道おなりかいどうの堀丹波守ほりたんばのかみ様の御家来で、三百八十石頂戴した浪島文吾なみしまぶんごと云う人の子で、仔細あって親諸共もろともに浪人して本所業平村に田地でんじを買い、何不足なく有福に暮して居おりましたが、父文吾相果てました後のち、六十に近い母に孝行を尽し、剣術は真影流しんかげりゅうの極意を究め、力は七人力にんりきあったと申します。悪人と見れば忽たちまち拳こぶしを上げて打って懲らすような事もあり、又貧乏人で生活くらしに困ると云えば、どこまでも恵んでやり、弱きを助け強きを挫くじくという気性なれども、至極情なさけ深い人で無闇に人を打ぶつような殺伐の人ではございません。只今の世界にはございませんが、その頃は巡査と云う人民の安寧あんねいを護まもってくださる職務のものがございませんゆえに、強いもの勝ちで、無理が通れば道理引込ひっこむの譬たとえの通り、乱暴を云い掛けられても、弱い者は黙って居りますから文治のような者が出て、お前の方が悪いと意見を云っても、分らん者は仕方がありませんゆえ、七人力の拳骨げんこつで打って、向うの胆きもを挫ひしいでおいて、それから意見を加えて悪事を止やめさせ善人に仕立るのが極く好すきで、一寸ちょっと聞くと怖いようでございますが、能よく〱見ると赤子も馴染むような美男びなんですから、綽名あざなを業平文治と申しましたのか、但たゞしは業平村に居りましたゆえ業平文治と付けたのか、又は浪島を業平と訛なまって呼びましたのか、安永年間の事でございますから私わたくしにもとんと調べが付きませんが、文治は年廿四歳で男の好よろしいことは役者で申さば左團次さだんじと宗十郎そうじゅうろうを一緒にして、訥升とつしょうの品があって、可愛らしい処が家橘かきつと小團治こだんじで、我童がどう兄弟と福助ふくすけの愛敬を衣に振り掛けて、気の利いた所が菊五郎きくごろうで、確しっかりした処が團十郎だんじゅうろうで、その上芝翫しかんの物覚えのよいときているから実に申分もうしぶんはございません。文治が通りますと近所の娘さんたちがぞろ〱付いて参りまして、

娘「きいちゃん、一寸今業平文治さんと云う旦那が入らしったから御覧なはいよ、好いい男ですわ、アラ今横町へ曲って行ゆきましたわ、此方こっちのお芋屋の前を抜けて瀬戸物屋の前へ出れば逢えますよ」

と云って娘子供が大騒ぎをするから、お婆ばあさんも煙けむに巻かれて、

婆「此方こっちへ参れば拝めますかえ」

と遊行様ゆぎょうさまと間違えるくらいな訳であります。これはその筈はずで、文治は品行正しく、どんな美人が岡惚おかぼれをしようとも女の方は見向きもしないで、常に悪人を懲こらし貧窮ものを助ける事ばかりに心を用いて居ります。その昔は場末の湯屋ゆうやは皆入込いれごみでございまして、男女なんにょ一つに湯に入るのは何処どこかに愛敬のあるもので、これは自然陰陽の道理で、男の方では女の肌へくっついて入湯を致すのが、色気ではござりませんが只何なんとなくいゝ様な心持で、只今では風俗正しく、湯に仕切りが出来まして男女の別が厳しくなりましたが、近頃までは間が竹の打付格子ぶっつけごうしに成って居りまして、向うが見えるようになって居りますから、左の方を見たいと思うと右の頬ほゝばかり洗って居りますゆえ、片面かたッつらが垢あかで斑ぶちになっているお人があります。其の頃本所中なかの郷ごうに杉の湯と云うのがありました。家うちの前に大きな杉の木がありますから綽名して杉の湯〱と云いますので、此の湯へ日暮方になって毎日入湯に参りますのは、年のころ廿四五で、髪は達摩返だるまがえしに結いまして、藍あいの小弁慶の衣服きものに八反はったんと黒繻子くろじゅすの腹合はらあわせの帯を引掛ひっかけに締め、吾妻下駄あづまげたを穿はいて参りますのを、男が目を付けますが、此の女はたぎって美人と云う程ではありませんが、どこか人好きのする顔で、鼻は摘みッ鼻で、髪の毛の艶つやが好よくて、小股こまたが切上きれあがって居る上等物です。此の婦人に惚れて入湯の跡を追掛おいかけて来て入込みの湯の中で脊中せなかなどを押付おっつける人があります。その人は中の郷の堺屋重兵衞さかいやじゅうべえと云う薬種屋きぐすりやの番頭で、四十二になる九兵衞くへえと云う男で、湯に入る度たびに変な事をするが、女が一通りの奴でないから、此奴こいつは己おれに岡惚れをしているなと思い、態わざと男の方へくっついて乙な処置振りをしますから、男の方は尚更増長致します。丁度九月二日の事で、常の如く番頭さんが女の方へ摺寄すりよって来るとき、女の方で番頭の手へ小指を引掛ひっかけたから、手を握ろうとすると無くなって仕舞うから、恰まるで金魚を探すようで、女の脊中を撫でたりお尻しりを抓つねったりします。彼かの女は悪党でございますから、突然いきなりに番頭の手拭を引奪ひったくって先へ上って仕舞いましたゆえ、番頭は彼あの手拭を八つに切って一ツはお守へ入れてくれるだろうと思っていると大違いで、女は衣類きものを着て仕舞い、番台の前へ立ちましたが、女の癖に黥いれずみがあります。元来此の女は山やまの浮草うきくさと云う茶見世へ出て居りました浮草うきくさのお浪なみという者で、黥再刺いれなおしで市中お構いになって、島数しまかずの五六度たびもあり、小強請こゆすりや騙かたり筒持つゝもたせをする、まかなの國藏くにぞうという奴の女房でございますからたまりません、

浪「一寸ちょっと番頭さん」

番「へい、なんでございます」

浪「あの少し其処そこではお話が出来ないから此処こゝへ下りておくれよ、毎晩私に悪戯いたずらをする奴があるよ、私の臀しりを抓ったり脊中を撫でたりするのはいゝが、今日は実に腹が立ってたまらないから、其奴そいつを此処へ引摺り出しておくれ、私も独身ひとりみじゃアなし、亭主ていしゅもあるからそんな事をされては亭主に対して済みません、引出しておくれよ」

番「誠にお気の毒様でございますが、込合う湯の中でございますから、あなたがその人の顔を覚えて入らっしゃらないでは、此処へ出ておくんなさいと云っても、誰たれも出る者はありませんから分りません、へい」

浪「さア証拠のない事は云わないよ、其奴の手拭を引奪って来たから手拭のない奴を出しておくれ」

番「へい、誰方どなたですか、そんな悪戯をして困りますなア、どうか皆さんの中うちで手拭のない方はお出なすって下さい」

男「おい番頭さん己おれは手拭を持ってるよ」

番「宜よろしゅうございます」

男「己のもあるよ〱」

番「宜しゅうございます」

と云って皆みんな出て仕舞ったが、中に一人九兵衞さんと云う人ばかりは出られませんから、窃そっと柘榴口ざくろぐちを潜くゞって逃げようと思うと、水船の脇で辷すべって倒れました。

男「おい〱番頭さん見てやれ〱、長く湯に入へえっていたものだから眼が眩まわって顛倒ひっくりかえったのだろう」

番「誰方どなた様ですな」

と云いながら頭からザブリッと水を打掛ぶっかけましたから、

九「あゝ〱有難うございます、余り長く入って居りましたものですから湯気に上あがりました」

番「何どう云う御様子でございます、大丈夫ですか」

九「お前さんは湯屋ゆうやの番頭さんなら内証ないしょで手拭を持って来ておくんなさい、お願いです」

番「へー、それではお前さんは手拭がありませんか」

と番頭はおかしさを堪こらえながら、

番「それでは今窃そっと持って来て上げますからお待ちなさいまし」

と云うのをお浪が見てツカ〱ッと側へ来て、

浪「おゝ此奴こいつだ、さア此方こっちへ来ねえ」

と云いながらズル〱ッと引摺って来て箱の前へ叩きつけました。

九「あゝ申し誠に相済みません、どうぞ御勘弁を願います」

浪「御勘弁じゃアないよ、呆れかえって物が云えないよ、斯様こんなお多福でも亭主のあるものに彼あんな馬鹿な事をされちゃア亭主に済まねえ、お前めえの家うちへ行くから一緒に行きねえ」

九「実はあんたによう似たお方があるので、そのお方だと思うて、実に申そうようない事をいたし、申し訳がありまへん、どうぞ御勘弁を」

浪「なんだえ、人違いだえ、巫山戯ふざけた事を云っちゃアいけねえぜ、毎日めえにち人違ひとちげえをする奴があるかえ、さア主人のある奴なら主人に掛合うし、主人がなけりゃアお前めえだって親か兄弟があるだろう、一緒に行きなよ」

と云いながら平ッ手でピシャーリ〱と打ぶちます。寒い時に板の間へ長く坐って慄ふるえて居る処を打たれますから、身体へ手の跡が真赤につきます。表へは黒山のように人が立ちまして、

男「なんです〱」

乙「なんだか知りませんが苛ひどい女ですなア」

丙「なんでも盗賊どろぼうでございましょう、残らず取られて裸体はだかになったようですなア」

甲「何を取られました」

丙「何なんでも初めは手拭を取られたんだそうですが、仕舞には残らず取られたと見えて素裸すっぱだかになって、男の方で恐入おそれいってヒイ〱云って居ますなア」

甲「へーそれでは取った女が取られた人を打ぶって居るのですか」

丙「そうですなア、成程それにしちゃア妙ですなア、何なんでも評判の悪人でございましょう、女でこそあれズウ〱しい奴でしょう」

丁「なアに、そうじゃアありません、全くはお湯の中へ灰墨へいずみを流したのだそうですが、大方恋の遺恨でございましょう、灰墨を手拭へくるんで湯の中へ流して、手拭がないから彼奴あいつに違いないと云っているんでしょう」

戊「なアに、そうじゃありません、小児あかんぼの屎うんこを流したんだって」

乙「へーそうですか」

癸「なに、そうじゃありません、湯の中でお産をしたんだそうです」

などといろ〱評議をしているが、何なんだか訳が分りません。処へ参ったのは業平文治で、姿なりは黒出くろでの黄八丈きはちじょうにお納戸献上なんどけんじょうの帯をしめ蝋色鞘ろいろざやの脇差わきざしをさし、晒さらしの手拭を持って、ガラリッと障子を開けますと、

番「へー旦那だんないらっしゃいまし」

文「はい、何か表へ人立ひとだちがして居るが間違いでもあったのか」

番「どうかお構いなく、文庫へお脱ぎなさいまし」

文「いや〱、人立がすれば往来の者も困りますし、お前も困るだろうが、一体どうした間違いだえ」

番「旦那様、山の浮草に出て居たお浪と云う悪党女と知らない者ですから、堺屋の番頭さんが湯の中で度々たび〱冗談を致し、今日も怪けしからん事を致したものですから、番頭さんの手拭を引奪って置いて、番頭さんが湯から上るのを待っていて、彼あの通り詫わびるのを聴かないで主人へ掛合うと云うから、主人が五六十両も強借ゆすられて、番頭さんも追出されますのでしょう」

文「それは気の毒な事だ、私わしが中へ入って詫をしてやりましょう」

番「旦那様が中へ入って下されば宜しゅうございますが、若もし貴方あなたの御迷惑になるといけませんから、お止よしなすった方が宜しゅうございます」

文「いや〱入って見ましょう」

と云いながらツカ〱とお浪の側へ参り、

文「おい〱姉さん何だか悉くわしい訳は知りませんが、聞いていれば此の人は人違いでお前さんに悪戯じょうだんをしたのだそうだから、腹も立とうが成り替って私わしが詫びましょうから、勘弁して此の人を帰して下さい、そうお前さんのように無闇に人を打ぶつものではありません」

浪「どなたか知りませんが手を引いて下さい、私も亭主のある身で、姦通まおとこでもしていると思われては困ります、私の亭主も男を売る商売ですから、どんなに怒おこって私を女郎に売るか何だか知れません、亭主に対して打捨うっちゃって置けませんから手を引いておくんなさい」

文「そういうことをすりゃア御亭主が無理というもの、湯の中で何程の事が出来るものではない、それを怒って女郎にするのなんのと云えば、それ程大切な女房なら、入込みの湯へ遣よこさなければいゝというようなものだから、まア〱そんな事を云わないで堪忍してやっておくんなさい」

浪「おい、何をいやアがるのだ、湯に遣そうが遣されめえがお前めえの構った事じゃアねえ、生意気な事を云わねえで引込ひっこんでろい」

文「ホイ〱堪忍しておくれ、私わしが粗忽を云いました」

浪「これさ、お前めえなんだ生若なまわけえ身で耳抉みゝっくじりを一本差しゃアがって、太神楽だいかぐら見たような態ざまをして生意気な事を云うねえお前めッちゃア青二才せいだ、鳥なら未まだ雛児ひよっこだ、手前達てめえたちに指図を受けるものか、青い口喙くちばしでヒイ〱云うな、引込んでろい」

文「はい〱悪い処は重々詫をしますが、大の男が板の間へ手をついて只管ひたすら詫をすれば御亭主の御立腹も解けましょうから幾重にも当人に成替なりかわって」

浪「いけねえよ、愚図々々口をきかねえで引込みなせい」

と云いながらズッと番頭を引立ひきたてに掛るから、

文「あゝ待ちなさい〱、それでは是程云っても聞き入れませんかえ」

浪「聴かれませんよ」

文「愈いよ〱聴かれなければ此方こっちにも了簡りょうけんがある」

浪「聴かなければどうする」

文「聴入きゝいれなければ斯様かよう致す」

と云いながら突然いきなりお浪の髻たぶさを取って引倒ひきたおし、拳骨げんこつを固めて二ツ打ぶちましたが、七人力ある拳骨ですから二七十四人に打たれるようなもので、痛いの何なんのと申して、悪婆あくばのお浪も驚きました。なれども急所を除よけて打ちます。

文「これ、汝われは不届ふとゞきものだ、手前の亭主はお構い者で、聞けば商人あきんどや豪家へ入り、強請ゆすり騙かたりをして衆人を苦しめると云う事は予かねて聞いて居おったが、此の文治郎が本所に居おる中うちは捨置すておく訳にはいかん、それに此の文治の事を青二才などと云おうようなき悪口あっこうを申したな、手前のような奴を活いかして置いては大勢の人の難儀になるから打殺ぶちころすのであるが、女の事ゆえ助けてやる、早く家うちへ帰って亭主の國藏という奴に、己おれは業平橋に居る浪島文治郎と云うものだから、打ぶたれたのを残念と思うならいつでも仕返しに来いと屹きっと申せよ」

と云いながらトーンと障子を明けて、表へ突き出したから、お浪は倒れて眼が眩くらみましたが、漸ようやくの事で這はうようにして家うちへ帰って、國藏に此の事を話そうと思うと、其の晩は帰りませんで、翌日の昼時分に帰って来まして、

國「お浪今帰けえったよ、寝てえちゃアいけねえ、火も何も消えて居るじゃアねえか」

浪「起きられやしねえよ、頭が割れそうだア」

國「なんだ頭が割れそうだ、頭が痛けりゃア按摩あんまでも呼んで揉もんで貰いねえナ」

浪「拳骨げんこつで廿ばかり打ぶたれたよ」

國「なに打たれて黙って帰けえって来るような手前てめえじゃアねえじゃねえか、何奴どいつが打ったのだ」

浪「夕べお前が帰けえって来たらば直すぐに仕返しけえしに行こうと思っていたが、いつでも杉の湯に来る奴が来たから、お前めえに教わった通りにして、向うへ強請に往いこうと思うと、業平橋にいる文治と云う奴が来て、突然いきなりに私を打って、打殺して仕舞しまうんだが助けてやるから家うちへ帰けえって亭主の國藏と云う奴に云って、いつでも仕返しけえしに来いと云って、人を蚰蜒げじ〱見たように摘つまみ出しゃアがったよ、悔しくって〱仕様がねえから、仕返しに往っておくれよ」

國「静かにしろい、業平文治と云う奴は黒い羽織を着ている奴だな、結構だ」

浪「何が結構だ」

國「寒さの取付とっつきに立派な人に打ぶたれて仕合せよ、悪い跡はいゝやい」

と云いながら落着き払って出て行ゆきましたが、何処どこで買ったか膏薬こうやくを買って来まして、お浪の身体へベタ〱と打ぶたれもしない手や何かへも貼付け、四つ手で駕籠かごを一挺いっちょう頼んで来て、襤褸ぼろの〔「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」〕袍どてらを着たなりで、これにお浪を乗せ業平文治の玄関へ参りまして、

國「お頼み申します〱」

男「オヽイ」

と返事をして台所の方から来たのは、本所の番場で森松もりまつと云う賭博兇状持ばくちきょうじょうもちで、畳の上では生きていられないのが、文治の意見を聞いて改心して、今では文治の所にいる者です。

森「だれだえ」

國「えゝ浪島文治郎様のお宅はこちらですか」

森「此方こちらだがお前めえはなんだえ、〱」

國「少し旦那にお目に懸ってお話し申したいことがあって来ました」

森「生憎あいにく今日は旦那はいねえや、何なんの用だか知らねえが日暮方にでも来ねえ」

國「旦那がお留守なら御新造ごしんぞさんにでもお目に懸りたいもんです」

森「御新造さんはねえや、お母っかさんばかりだ」

國「お母ふくろさんでも宜しゅうございます、へい、これは病人でございますから、おい〱ソーッと出ねえといけねえよ、骨が逆に捻ねじれると不具かたわになって仕舞うよ」

森「おい〱己おらの処は医者様じゃアねえよ、これは浪島文治郎さんと云う人の宅だよ」

國「そりゃア存じて居ります、おい若衆わけいしゅさん帰けえってもいゝよ」

と駕籠屋を帰し、お浪の手をとりまして、

國「少し此処こゝへお置おきなすっておくんなせえ」

森「おい、少し待っていねえ、お母ふくろさんに話すから」

と奥へ参り、

森「申しお母ふくろさんえ、何なんだか知れませんが膏薬だらけの女を連れて旦那にお目に懸りてえと云って来ましたから、旦那が留守だと云ったら、お母ふくろさんにお目に懸りたいと申しますが、何どうしましょう」

母「此方こちらへお通し申せ〱」

森「さア兄イ此方こっちへ来ねえ」

國「えゝお初はつうにお目に懸りました、私わっちは下駄職國藏と申すものでごぜえやすが、お見知り置かれまして此の後とも御別懇に願います」

母「はい、私わたくしは文治郎の母でございますが、生憎今日は他出致しましたが、誠に年を取って居りますから悴せがれが余所よそ様でお交際つきあいを致しましたお方は一向存じませんから、仰おっしゃりおいて宜しい事ならどうか仰しゃりおきを願います」

國「些ちっとあなたのお耳へ入れては御心配でございましょうが、彼処あすこに寝て居りますのは私わっちの嚊かゝあで、昨晩間違いが出来ましたと云うのは、湯の中で臀けつを撫でたとかお情所なさけどころを何どうとかしたと云うので、亭主のある身でそんな真似をされちゃア亭主の前めえへ済まねえと云って、其の男に掛合って居る処へ、此方こちらの旦那が来て私わっちの嚊を拳骨げんこつで廿とか三十とか打ぶって、筋が抜けたとか骨が折れたとか、なアにサ、何なんだかこんな事を申しやすと強請騙りにでも参った様に思召おぼしめすだろうが、そう云う訳ではありませんが、お恥しい話ですが、其の日〱に下駄を削って居ります身分ですから、私わっちが看病をすれば仕事をする事が出来ねえ、仕事をする事が出来なけりゃア食う事が出来ねえが、此方こちらは御身分もありお宅も広うございやすから、どうかお台所の隅へでも女房を置いて重湯でも飲ましておいてくれゝば、私わっちも膏薬の一貼ひとはり位ぐれえは買って来ますから、どうかお預りを願います」

母「はい〱、それは誠にお気の毒様な訳で、嘸さぞ御立腹な訳でございましょう、仮令たとえどのような事がありましても人様ひとさまの御家内を打擲ちょうちゃくするとは怪けしからん訳でございます、若年の折柄おりから人様に手を掛ける事が度々たび〱ありまして意見もしましたが、どうも性分で未まだ直りません、どのようにも御看病もしとうございますが、私わたくしも寄る年で思うようにも御看病が届きませんと、御病人の癇かんが起りますものでございますから、お医者も此方こちらからお附け申しましょうし、看病人も附けましょう、又あなたがお仕事をお休みになれば日々どれだけのお手間料が取れますか知りませんが、お手間料だけは私わたくしの方から」

國「いえ〱飛んでもねえ事を仰しゃる、此方からお手当を戴き嚊を宅うちへ置いて看病をすると、私わっちも堅気の職人ですから、そんな事が親方の耳へでも入へえれば、手前てめえは遊あすんでいて他から銭を貰う、飛んでもねえ奴だ、向後きょうこう稼業かぎょうを構うと云われては困ります、何も銭金をお貰い申しに参った訳ではありませんから、当期此方の台所だいどこの隅へ置いて下さい、五年掛るか十年掛るか知れませんが、どうか癒なおるまでおいておくんなせえ」

母「御立腹でもございましょうが、そんな事を仰しゃらないでお手当は十分に致しますからお連れ帰りを願います」

國「いえなに、銭金は入りません、医者も私わっちが頼んで来ます」

母「どうかそう仰しゃらないで」

と只管ひたすら頼めど悪党の強請騙りをすることをもくさんと申して、安い金では中々云う事を聞きませんから、

森「兄イ兄イ…お母っかさん黙っておいでなさい…兄イ此処ここじゃア話が出来ねえから台所へ往って話をしよう、己おれは番場の森松と云う者で、悪い事は腹一杯いっぺえやって、今は此方の旦那の家うちに食客いそうろうだ、旦那は無闇に弱い女や人を打ぶつような方じゃアねえ、お前めえの処とこの姐御あねごが何か悪い事をしたのだろうが、銭を貰っちゃア親方に済まねえと云うが、そんな事を幾ら云っても果てしはつかねえ、サックリ話をするから台所へ来ねえ」

國「何もお前めえさんに云うのじゃアありませんから手を引いておくんなせえ」

森「手を引くも引かねえもねえや、己も番場の森松だ、お前めえの帰りはのいゝようにして遣やるから云う事を聞きねえな、己も是れ迄そんな事は度々たび〱やった事があるんだナ」

國「おい、訝おかしな事を云いなさるぜ、お前めえさんはこんな事が度々ありましたか、私わっちア骨の折れる程嚊を打ぶたれたのは初めだ、お前めえさんは森松さんか何か知らねえが、お母様ふくろさんに願っているのにお前めえさんのような事を云われると、私わっちア了簡が小ちいせえから屈すくんで仕舞って、ピクーリ〱として何なんにも云えないよ」

森「おい、大概たいげいにしねえな、そんな事をいつまで云っても果はてしが付かねえから、おいこう、まア台所へ来ねえって事よ」

母「森松黙っていな」

森「まアお待ちなさい、お前まえさんは知らないのだから、おい兄イそんな事を云っても仕方がねえ、人間を打殺して下手人になっても人が入へえれば内済ねえせいにしねえものでもねえから、お前めえの方へ連れて往いけば話の付くようにするから台所へ来な」

國「おい兄さん、人を擲殺たゝッころして内済ねえせいで済みますかえ、そりゃア済ます人もあるか知れませんが、私わっちアいやだ、怖おっかねえ事を仰しゃるねえ、お母ふくろさん、こんな事を云われると私わっちア臆病おくびょうものですからピクーリ〱としますよ」

森「台所へ来いよ〱」

と森松は懊じれこんでいくらいっても動きません。其の筈で森松などから見ると三十段も上手うわての悪党でござりますから、長手の火鉢ひばちの角すみの所へ坐ったら挺てこでも動きません。処ところへ業平文治が帰って来まして、

文「森松此処ここを片付けろ」

と云うから、森松は次の間の所へ駆出かけだして、

森「あなたは大変な事をやりましたねえ」

文「何を」

森「杉の湯で國藏の嚊を打擲ぶんなぐりましたろう」

文「来たか、昨夜ゆうべ打擲った」

森「打擲ったもねえものだ、笑い事じゃごぜえやせん、彼奴あいつは一ひト通りの奴じゃアありませんから、襤褸褞袍ぼろどてらを女に着せて、膏薬を身体中へ貼り付けて来て、動いごけねえから此方こっちの家うちへおいて重湯でも啜すゝらせてくれろと云って、中々手強てごわいことを云ってるから、四五両では帰けえりませんぜ、四五十の金は取られますぜ」

文「宜しい、心配するな」

森「宜しいじゃありませんやね」

文「お母っかさんが御心配だろうな」

森「お母さんは無闇に謝まってばかりいますから、猶なお付込みやアがるのさ」

文「お母さんを此方こっちへお呼び申しな」

と云うから小声で、

森「森」は底本では「母」と誤記「お母さん〱、此方へ〱」

と云って親指を出して知らせると、母も承知して次の間へ参りまして、

母「お前飛んだ事をおしだねえ」

文「あなたのお耳へ入れて誠に相済みません」

母「済まないと云って無闇に人を打ぶつと云う法がありますか、先方様さきさまは素直に当家へ病人を引取って看病さえしてくれゝば宜しいと云うから、どうも仕方がないわな」

文「彼奴あいつは悪い奴ですから只今私わたくしが話をして直すぐに帰します、誠に相済みません、あなたは暫しばらくお居間の方へいらっしゃいまし」

母「おや〱あれは悪党かえ」

森「申し、お母さんは知らないのだがね、彼奴は悪党で、私わっちが何か云うといやにせゝら笑やアがるから、小癪こしゃくにさわるから擲なぐり付けようと思いましたがね、今こゝで彼奴を打ぶつとウーンと云って顛倒ひっくりけえって仕舞うから、私わっちも堪こらえていたのです。お母さん心配しないで此方こっちへおいでなさい」

と隠居所の方へ連れて往ゆきまして、

森「もし旦那え彼奴あいつを打擲ぶんなぐると顛倒ひっくりかえるから、そうすると金高きんだかが上のぼりますよ」

文「宜しい〱」

と云って脇差わきざしを左の手へ提げて座敷へ入って参りまして、

文「初めてお目に懸ります、私わしは浪島文治郎と云う者です、只今母から聞きましたが、昨夜お前の御家内を打擲した処、今日其の御家内を連れて来て、此方こっちで看病をしてくれろとのお頼み、又母が連れ帰ってくだされば金子きんすは何程なにほどでも差上げると云うと、お前は親分や友達に済まんと云えば、いつまでもお話は押付おっつかんが、打ぶった処は文治郎が重々悪いから、飽くまで詫びたならばお前も男の事だから勘弁するだろうね、勘弁してくれたら互に懇意になり、懇意ずくなら金を貸してもお前の恥にも私わしの恥にもならないから、心が解けたら懇意になって懇意ずくでお内儀かみさんの手当となしに金を五十両やるからそれで帰って下さいな」

國「へゝ、こりゃアどうも、もし旦那え、お前めえさんのようにサックリと話をされちゃア何も云えない、と申すのは、貴方あなたのような立派な方が私わっちのようなものに謝まると仰しゃれば、宜しいと云わなければなりません、そうなれば懇意ずくで金を貸せば恥になるめえから五十両やると云う、実に何とも申そうようはござえません、実はお母さんのお耳へ入れまいと思ったが、つい貧乏に暮していますから苦しまぎれに申上げたのでございます、それではどうか五十両拝借したいものでございます」

文「五十両でいゝかえ」

國「宜しゅうございます〱」

と云うと文治は座を正して大声たいせいに、

文「黙れ悪人、其の方ほうは此の文治を欺き五十両強請ろうとして参ったか、其の方は市中お構かまいの身の上で肩書のある悪人でありながら、夫婦連づれにて此の近傍かいわいの堅気の商家あきんどへ立入り、強請騙りをして人を悩ます奴、何処どこぞで逢ったら懲こらしてくれんと思っていた処、幸い昨夜其の方の女房に出会いしにより打殺そうと思ったが、お浪を助けて帰したは手前を此の家うちに引出さん為であるぞ、其の罠わなへ入って能くノメ〱と文治郎の宅へ来たな、さア五十両の金を騙り取ろうなどとは申そうようなき大悪人、兎とや角かく申さば立処たちどころに拈ひねり潰して仕舞うぞ」

と打うって変った文治郎の権幕けんまくは、肝に響いて、流石さすがの國藏も恟びっくり致しましたが、

國「もし旦那え、それじゃア、からどうも弱い者いじめじゃアありませんか、私わっちの方で金をくれろと云ったわけじゃアありません、お前めえさんの方で懇意ずくになって金を貸すと云うから借りようと云うのだが、又亭主に無沙汰ぶさたで人の女房を打ぶって済みますかえ、其の上私わっちを打殺すと云やア面白い、さアお打ちなせえ、私わっちも國藏だア、打殺すと云うならお殺しなせえ」

文「不届き至極な奴だ」

と云いながら、突然いきなり國藏の胸むなぐらを取って、奥座敷の小間へ引摺り込みましたが、此の跡はどう相成りましょうか、明晩申し上げます。

二

男達おとこだてと云うものは寛永かんえい年間の頃から貞享ていきょう元禄げんろくあたりまではチラ〱ありました。それに町奴まちやっことか云いまして幡隨院長兵衞ばんずいいんちょうべえ、又は花川戸はなかわどの戸澤助六とざわすけろく、夢ゆめの市郎兵衞いちろべえ、唐犬權兵衞とうけんごんべえなどと云う者がありまして、其の町内々々を持って居て、喧嘩けんかがあれば直すぐに出て裁判を致し、非常の時には出て人を助けるようなものがございましたが、安永年間には左様なものはございません。引続きお話申します業平文治は町奴親分と云うのではありません、浪人で田地でんじも多く持って居りますから活計くらしに困りませんで、人を助けるのが極く好きです。尤もっとも仁を為せば富まず、富を為せば仁ならずと云って、慈悲も施し身代しんだいも善くするというは中々むずかしいことでありますが、文治は身代もよく、人も助け、其の上老母へ孝行を尽します。兎角とかく男達に孝子と云うは稀まれなもので、成程男達では親孝行は出来ないだろう、自分の身を捨すてても人を助けるというのであるから、親に対しては不孝になるだろうと仰しゃった方がありましたが、文治は人に頼まれる時は白刃しらはの中へも飛び込んで双方を和なだめ、黒白こくびゃくを付けて穏便おんびんの計はからいを致しまする勇気のある者ですが、母に心配をさせぬため喧嘩のけの字も申しませず、孝行を尽して優しくする処は娘子むすめっこの岡惚れをするような美男でございますが、怒いかると鬼をも挫ひしぐという剛勇で、突然いきなりまかなの國藏の胸ぐらをとりまして奥の小間に引摺り込み、襖ふすまをピッタリと建たって國藏の胸ぐらを逆に捻ねじって動かさず、

文「やい國藏、汝われは不届な奴である、これ能よく承われ、手前てめえも見た処は立派な男で、今盛りの年頃でありながら、心得違いをいたし、人の物を貪むさぼり取り、強請騙りをして道に背き、それで良いものと思うか、官かみの御法を破り兇状を持つ身の上なれば此の土地へ立廻る事はなるまい、然しかるに此の界隈で悪い事を働き、官の目に留れば重き処刑になる奴だに依よって、官の手を待たずして此の文治郎が立所たちどころに打殺うちころすが、汝われは親兄弟もあるだろうが、これ手前てまえの親達おやたちは左様な悪人に産み付けはせまい、どうか良い心掛けにしたい、善人にしたいと丹誠たんせいして育てたろうが、汝わりゃア何か親はないかえ、汝われは天下の御法を破り、強請騙りを致すのをよも善い事とは心得まいがな、手前のような奴は、何を申し聞かせても馬の耳に念仏同様で益やくに立たんから、死んで生れ替って今度は善人に成れ、汝われは下駄屋職人だそうだが、下駄を削って生計くらしを立てゝも其の日〱に困り、どうか旦那食えないから助けて下さいと云って己おれの処へ来れば米の一俵位は恵んでやる、然しかるを五十両強請ゆすろうなどとは虫よりも悪い奴である、汝われの親に成代なりかわって意見をするから左様心得ろ、人間の形をしている手前だから親が腹を立てゝ打ぶつ事があろう、其の代りに折檻せっかんしてやる」

と云いながら拳骨を固め急所を除よけてコーンと打ぶちました。

國「あゝ痛いたた」

文「さア改心しなければ立所に打殺ぶちころすぞ、どうだ」

國「どうか助けて下さいまし」

文「イヽヤ元より殺そうと思うのだから助けはせん、手前も命を賭けて悪事をするのじゃアないか、畳の上で殺すのは慈悲を以てするのだ」

と云いながら又胸ぐらを締上げたから、

國「ア痛た〱、改心致しやすから助けて下せえ、改心します〱」

文「弱い奴だなア、改心するなどと申して此の場を逃延にげのびて、又候またぞろ性懲しょうこりもなく悪事をした事が文治郎の耳に入れば助ける奴でない、天命と思って死ね」

國「ア痛た〱、そう締めると死んで仕舞います、屹度きっと改心しますから何卒どうぞ放して下せえ〱」

文「屹度改心致すか、改心致せ」

と云って突放つきはなされた時は身体が痺れて文治の顔を呆気に取られ暫く見て居りましたが、

國「旦那え〱お前めえさんは噂にゃア聞いて居りやしたが、きついお方ですねえ、滅法な力だ、私わっちも旧悪のある國藏で、お奉行ぶぎょうがどんな御理解を仰しゃろうと、箒ほうきじりで破綻ひゞだけのいるほど打ぶたれても恐れる人間じゃアねえが、お前めえさんの拳骨で親に代って打うつと云う真実な意見の中うちに、手前てめえは虫よりも悪い奴だ、又堅気の下駄屋で稼いでいて足りねえと云えば米の一俵ぐれえは恵んでやると云う言葉が嘘で云えねえ言葉だ、成程そう云われて見れば虫より悪い事をしやした、旦那え、実ア私わっちア寒さの取付とっつきで困るから嚊をだしに二三両強請ろうと思って来たんだが、お前めえさんの拳骨で打たれた時は身体が痺れて口も何も利けなくなったが、妙な所を打つんだねえ、どうも変に痛いねえ、旦那え、屹度これから改心して國藏が畳の上で死なれるようになった時にゃア旦那へ意趣返しのしようはねえが、私わっちが改心した上で鼻の曲った鮭しゃけでも持って来たらば、お前めえさんも些ちっとア胆魂きもったまが痛かろうと思うが、其の時は何なんと仰しゃいますえ」

文「これは面白い事を云う、其の時は無闇に人を打擲して済むものでないから、文治が土間へ手を付いて重々悪かったと云って屹度謝ろうが、善人になってくれるか」

國「そりゃア屹度善人になりやす」

文「大悪だいあくのものが改心すれば反かえって善人になると云うから屹度善人になってくれ、併しかし手前てまえが善人になると云っても借金があって法が付くまい、爰こゝに廿両あるからこれで借金の目鼻を付けた上で、稼いでも足りぬ時は手前を打ぶった印に生涯しょうがいでも恵んでやるから、これを持って往って稼げ」

國「旦那それじゃア此の金を私わっちにくれますかえ、豪えらいなア、どうも驚いた、私わっちを悪にくんで打ぶったのだから、大抵の者ならくれた処が五両か七両、それを廿両遣やるから善人になれと云うお前めえさんの気象に惚れた、これから屹度改心して仕事を致します」

文「能く云ってくれた、就ついては手前に能く申し聞けて置く事があるが、悪人と云うものは、善人になると口で云って、其の金を持って往って、博奕場ばくちばへでも引掛ひっかゝり、遣果つかいはたして元の國藏のように悪事をすれば文治は許さぬぞ、うっかり持って往ゆくな、香奠こうでんにやるのだ、手前の命の手付にやるのだからそう心得ろ」

國「怖おっかねえ、死んでも忘れません、向後きょうこう悪事はふッつりと」

と横に首をふり、「あゝ痛い〱首を振りゃア頭へ響けて痛いねえ、お浪や〱こけへ来て旦那様へお礼を申せ」と云ったが、どうしてお浪は國藏の打ぶたれるのを見て、疾とっくに跣足はだしで逃出にげだして仕舞って居りませんから、國藏は文治に厚く礼を述べて立帰たちかえりましたが、此の國藏が文治の云う事を真に感じ、改心致して、後に文治の為に命を惜まず身代りに立つのでございます。これは九月の三日の事で、これから十二月の三日の夜よの事でございます。文治が助けた田舎の人が、江戸へ来て文治に馳走をすると云うので浅草辺で馳走になって帰る途中、チラリ〱と雪が降出ふりだしましたから、傘かさを借り、番場の森松と云う者が番傘を引担ひっかついで供をして来ますと、雪は追々積って来ました。

文「大層降って来たなア」

森「大層降り出して来ましたねえ」

文「一面の銀世界だなア」

森「へい、銀が降って来ましたか」

文「なアに好いい景色けしきだと云う事よ」

森「雪が降りますと貧乏人は難渋しますなア」

文「だがのう、雪は豊年の貢みつぎと云って、雪の沢山降る年は必ず豊年だそうだ」

森「へー法印様がどうしますとえ」

文「なアに雪が降ると麦作が当るとよ」

森「八朔はっさくに荒れがないと米がとれやすとねー、どう云う訳でしょうなア、雨が氷っているのを天でちっとずつ削り落すのかね」

文「馬鹿云え、下くだり飴あめじゃアあるまいし、これは天地積陰せきいん温かなる時は雨ふり寒なる時は雪と成る、陰陽凝こって雪となるものだわ、それに草木の花は五片ごひら雪の花は六片むひらだから六むつの花というわさ」

森「なんだかむずかしくって分らねえが、今日の客は気の利かねえ奴だ、帰けえる時に大きい物でグーッと飲ませればいゝに、小さいもので飲ませたから直ぐ醒めて仕舞って仕様がありゃアしねえ、あれだから田舎者は嫌いだ」

文「これ、人の御馳走になっていながら悪口あっこうを云ってはいかんよ」

森「成程こいつアわるかった、時々失策しくじりますなア」

と話をしながら天神の所まで来ますと、手拭を被かぶって女が往ったり来たりしているから、

文「森松や、彼処あすこに女が居るようだなア」

森「へー雪女郎ゆきじょうろじゃアありませんかえ」

文「なアに雪女郎は深山しんざんの雪中せっちゅうで、稀まれに女の貌かおをあらわすは雪の精なるよしだが、あれは天神様へお百度でも上げているのだろう」

森「それじゃア大方縁遠いのでしょう」

文「何故え」

森「寝小便か何かして縁付く事が出来ないから、それでお百度を上げているんでしょう」

と云う中うちにプーッと垣際へ一ひと吹雪吹き付けますると、彼かの娘は凍えたと見えまして、差込んで来る癪しゃくに、ウーンと云って胸を押えて、天神様の塀へいの所へ倒れましたから、

文「あれ〱女が倒れたな」

森「うっかり側へ往って尻尾しっぽでも出すといけませんぜ」

文「おゝ是は冷えたと見えて、可愛そうに、何所どこぞへ往って温ためてやればいゝだろう、手前の傘をつぼめて己おれの傘を差掛けろ、彼あの女を抱いて往ってやろう」

森「お止しなさい、掛合かゝりあいにでもなるといけませんぜ」

文「なアに捨置く訳にはいかん」

と云って力は七人力あるから軽々と其の娘を抱いて立花屋たちばなやと云う小料理屋へ来ました。

文「森松や、起して呉れ」

と云うからトン〱トン〱と戸を叩き、

森「おい立花屋さん起きねえか〱オイ〱」

文「これ〱そんなに粗末に云うなよ」

森「粗末たって起すんでさア、オイ〱火事だ〱」

料「はい〱〱」

と計ばかり云って居ります。

森「恰ちょうど馬を追っているようだ」

料「何方どなたか知りませんがねえ、此の雪でお肴がありませんから、どうか明日みょうにちになすって下さい」

文「私だよ、業平橋の文治郎だア」

亭「はい〱明けますよ、これ婆さん、旦那様だよ、これサ寝惚けちゃアいけねえぜ、行燈あんどんを提げてぐる〱廻っちゃアいけねえって事よ」

と云いながら戸を開けて、

亭「おー大層降りましたなア」

文「余程よっぽど積った」

と云うのを見ると女を抱いて来ましたが、平常ふだん堅い文治の事だから変だと思ったが、

亭「へゝゝゝゝ御心配はありませんから、奥の六畳は伊勢屋いせやの蔵の側で彼処あすこは誰にも知れませんから彼処にしましょう」

森「フム何を云うのだ、いま女が雪の中へ顛倒ひっくりけえっていたのを、旦那が可愛そうだと云って連れて来たのだ、出合いじゃアねえぜ」

亭「左様ですか、それじゃアさア〱此方こっちへ〱」

と間の悪そうな顔をして座敷へ案内を致しまして、これから娘の介抱致すと、元より凍えたのですから我に返って目を開き、側を見ると燈火あかりが点ついて、見馴れぬ人計りいるから、恟びっくりしてキョト〱して居りますのを文治が見ると、年齢としごろ十六七で、目元に愛敬のある色の白い別嬪べっぴんですが、髪などは先々月の六日に結ゆった儘まゝで、それも髪結かみゆいさんが結ったのではない、自分で保もちのよいように結ったのへ埃ごみが付いた上をコテ〱と油を付け、撫付なでつけたのが又毀こわれましたから鬢びんの毛が顔にかゝり、湯にも入らぬと見えて襟垢えりあかだらけで、素袷すあわせ一つに結むすびっ玉の幾つもある細帯に、焼穴やけあなだらけの前掛を締めて、穢きたないとも何なんとも云いようのない姿なりだが、生れ付の品と愛敬があって見惚みとれるような女です。

文「美いい女だのう」

森「なぜ此の位くれえな顔を持っていて、穢ない姿なりをしているでしょう、二月つきしばり位ぐれえで妾めかけにでも出たらば好よさそうなものですなア」

文「姉さん心配しちゃアいけません、此処ここは立花屋と云う料理屋で、私わしはつい此の近辺の者で浪島文治郎と云う者だが、お前が天神様の前に雪に悩んで倒れている所へ通り掛って、お助け申して来て、介抱した効しるしがあって漸々よう〱気がついて私わしも悦ばしゅうございますが、決して心配をなさいますなよ」

森「おい姉さん、本当に旦那が介抱してやったのだから、有難いと云って礼を云いな」

文「なぜそんな事を云うのだ、恩にかけるものじゃないわサ、もしお前さんは何処どこのお方だえ」

と問われて娘は「はい」と羞はずかしそうに顔を上げて、

娘「私わたくしは本所松倉町まつくらちょう二丁目に居ります者でございます」

文「お前さんは此の雪の中を何の願掛がんがけに行ゆくのだえ、よく〱の事だろうね」

森「姉さんなんで願掛をするんだえ、縁遠いのかえ」

文「黙っていろよ……してどう云う訳か知らないが夜中に娘一人で斯こう云う所へ来るのは宜しくないよ」

娘「はい、親父おやじが長々の眼病で居りまして、お医者様にも診みて貰いましたが、迚とても療治は届かないと申されましたから、切せめて片方かた〱だけでも見えるように致したいと思って御無理な願いを天神様へ致しました、それ故に寒三十日の間、毎晩お百度に参りますのでございます」

文「へー感心な事だねえ、嘸さぞ御心配だろうね……それ見ろ森松、お父とっさんがお眼が悪いのだって、感心じゃアないか」

森「眼の悪いのなら多田たゞの薬師が宜よかろうに、天神様が眼に利きますかえ」

文「姉さん、お前さんが斯うしてお百度に出なさる間お父さんの看病は誰がしますか、お母っかさんでもありますかえ」

娘「いゝえ親一人子一人でございます、長い間の病気で薬代や何かの為に何もかも売り尽しまして、只今では雇人も置かれません故、親父を寝ねかしつけておいて一人で参ります」

文「それじゃ一人のお父さんを寝かしてお前一人で此処こゝへ来るのかえ、そりゃア孝行が却かえって不孝になる、お前の留守にどんな非常の事があるまいものでもない、若もし其の裏から火事でも出たらどうするえ、中々お前が余所よそから駈付けても間にあうまい、其の時お長屋の方かたが我わが荷物は捨置き、お前のお父さんを助け出す人はなかろう、混雑の中だからどんな怪我がないものでもない、さすれば却って不孝になりますよ、神仏かみほとけと云うものは家うちにいて拝んでも利益りやくのあるものだから、夜中に来てお百度を踏むのは止したほうがよろしい、未まだそればかりじゃアない、お前さんのような容貌みめよい女中が、深夜にあんな所に居て、悪者に辱はずかしめられたらどうするえ、又先刻さっきのように雪に悩んで倒れていて誰も人が来なかったらどうするえ、それ故どうかお百度に出るだけは止して下さい、信心ばかりで親父おとっさんの眼は治らん、名医にかけて薬を服のませなければならんから、薬を服まして信心をするが宜しい、何処どこのお医者に診て貰ったえ」

娘「はい、荒井町あらいまちの秋田穗庵あきたすいあんさんと云うお医者様に診て戴きましたが、真珠の入る薬を付ければ治るけれども、それは高いお薬で貧乏人には前金ぜんきんでなければ遣やられないと仰しゃいましたけれど、四十金もなければなりませんそうでございます」

文「フム、それでは四十金で必ず治ると医者が受合いましたかえ、それじゃア爰こゝに四十金持合せがありますから、これをお前さんに上げましょう」

森「旦那、何をするのです、およしなせえ、おまえさんは知らないが斯う云うものには贋物にせものが多い、貧乏人の子供が表に泣いていて、親父ちゃんもお母かあもいない、腹がへっていけねえと云ってワーッと泣くから、可愛そうだと思って百もやると材木の間に親爺おやじが隠れていて、此方こっちへ来い〱と云って、又人が来ればワーッと泣き出す奴があります、又躄びっこだと思った乞食こじきが雨が降って来ると下駄を持って駈出かけだしやす、世間にはいくらもある手だから、これも矢張やっぱり其の伝でしょう、お止しなせえ〱」

文「まア宜しい、黙っていろ、姉さん爰に四十金あるからこれをお前に上げましょう、其の代りお百度に出る事はお止め申すよ」

娘「はい、どう致しまして、見ず知らずの方に四十金と云う大金を戴く事は出来ません」

亭「折角せっかくだから戴いて行ゆきな、これは業平橋にお住居すまいなさる文治様と云う旦那だよ」

娘「有り難うございますが、親父が物堅うございますから、仮令たとえ手拭一筋でも人様から謂いわれなく物を戴いて参ると直すぐに持って往って返えせと申しますくらいでございますから、金子などを持って往ゆけば立腹致して私わたくしを手打にすると申すかも知れません、戴きたい事は山々でございますが、私わたくしが持って帰っては迚とても受けませんから、お慈悲序ついでに恐れ入りますが、貴方が持って往って直じかに親父にお渡し下されば親子の者が助かります、眼さえ治れば直すぐにお返し申しますから何卒どうぞそう為すって下さいまし」

文「はい〱これはお前さんに遣るのは悪るかった」

森「これは真物ほんものですなア、贋物なら直すぐに持って往ゆくのだが、こりゃア真物だ」

文「姉さんお前は何処どこだえ」

娘「はい、松倉町二丁目でございます」

文「それは聞いたがお前の家うちは松倉町の何どの辺だえ」

娘「はい、葛西屋かさいやと云う蝋燭屋ろうそくやの裏でございます」

森「フム、けちな蝋燭屋だ」

文「お父さんは何をしておいでだえ」

娘「筆耕書ひっこうかきでございます」

森「なんだとシッポコかきだとえ」

文「なアに版下はんしたを書くんだ、お父さんの御尊名は何と仰しゃいますえ」

娘「はい小野庄左衞門おのしょうざえもんと申します」

文「何処どちらの御藩中ですか」

娘「中川山城守なかがわやましろのかみの藩中でございます」

文「士気質さむらいかたぎではうっかりお受取うけとりなさいますまいから、明日みょうにち私が持って往って上げましょう、気を付けてお帰んなさいよ」

娘「有難うございます、左様なら」

文「此処にお茶受に出たお菓子があるから持っておいで、あれさ、食物たべものは宜しい」

と紙へ沢山包んで、

文「さアお持ちなさい」

と出された時は孝行な娘だから親に旨い物を食べさせたいが、窮して居りますから何一つ買って食べさせられないから、

娘「有難うございます」

と云って手に取って貰う時に、始めて文治の顔を見ますと、美男の聞えある業平文治でござります、殊ことに見ず知らずの者に四十金恵んで下さるとは何たる慈悲深い人だろうと、我を忘れて惚れ〲と見惚みとれて居りまして、思わず知らず菓子の包みをバタリッと下に落しました。

森「姐ねえさん落しちゃアいけねえぜ、折角お呉れなすッたのだから」

娘「はい」

と云って羞かしいから真赤になって立上るを、

文「姉さん、帰るんならどうせ通道とおりみちだから送って上げよう、大きに御厄介ごやっかいになりました、明日あした来て奉公人や何かへ詫わびをしましょう」

亭「どう致しまして、明日みょうにちまたお母様っかさまへお肴を上げますから」

文、森「左様なら」

と娘と連れ立って松倉町の角かどまで来ました。

娘「有難うございます」

文「それでは明日あした往ゆきますよ」

娘「有り難うございます〱」

と云って幾度も跡を振り返って見ますのは、礼が云いたいばかりではない、文治の顔が見たいからでございます。

娘「有り難うございます〱」

と云いながら曲り角などはグル〱廻りながら礼を云いますから、

森「旦那美いい女ですなア」

文「貴様は女の美いのばかり賞ほめているが、顔色容貌かおかたちばかりではない、親に孝行をすると云う心掛が善いいなア」

森「そうですなア、心がけがいゝねえ」

文「どうも屋敷育ちは違うなア」

森「屋敷育ちは違いますなア」

文「金も受けない所がえらい」

森「金を受けないところがえらい」

文「感心だ」

森「感心だ」

文「同じ事ばかり云うな」

と話をしながら橋を渡って来ると、向うから前橋まえばし竪町たつまちの商人あきんどが江戸へ商用で出て来て、其の晩亀戸かめいどの巴屋ともえやで友達と一緒に一杯飲んで、折おりを下げていたが酔っているから振り落して仕舞って、九五縄くごなわばかり提げ、相合傘あい〱がさで踉よろけながら雪道の踏堅めた所ばかり歩いて来ますが、ヒョロリ〱として彼方あっちへ寄ったり此方こっちへ寄ったり、ちょうど橋詰まで来ると、此方から参ったのは剣術遣つかいのお弟子と見えて奴やっこ蛇じゃの目めの傘をさして来ましたが、其の頃町人と見ると苛ひどい目に合わせます者で、

士「さア除どけ〱素町人すちょうにん除け」

と云うから見ると士さむらいだから慌てゝ除よけようと思うと、除ける機はずみにヒョロ〱と顛ころがります途端に、下駄の歯で雪と泥を蹴上はねあげますと、前の剣術遣いの襟えりの中へ雪の塊が飛込みましたから、

士「あゝ冷たい、なんたる奴だ、あゝ冷たい〱、これ町人倒れたぎりで詫を致さんな、無礼至極な奴だ、何なんと心得る、返答致せ」

と云われ漸ようやく頭を挙げて向うを見てもドロンケンだから分りません。

商「誠に大変酔いまして、エー何なんとも重々恐れ入りやした、田舎者で始めて江戸へ参めえりやして、亀井戸へ参詣して巴屋で一杯ぺい傾けやした処が、料理が佳いいので飲過ぎて大酩酊おおめいていを致し、足元の定さだまらぬ処から無礼を致しやして申し訳がありやせん、どうか御勘弁を願いやす」

士「なんだ言訳に事を欠いて巴屋でやり過ぎたとはなんだ」

商「些ちとやり過ぎやした、どうも巴屋はなか〱旨く食わせやすなア」

士「言訳をするのに巴屋はなか〱旨く食わせるなどとは不埓ふらちな申分もうしぶん、やい其処そこに転がっているのは供か連れかなんだ」

商「ヒエイ」

と頭は上げましたが舌が少しも廻りません。

商「エーイ主人がね此方こっひへ除よえようとすう、て前もえも此方ほっひへ除おけようとする時に転ほろがりまして、主人の頭と私うわしの頭と打ぼつかりました処が、石頭ゆいあさまで痛いさかった事、アハア冷しべてえや」

士「こんな奴は性しょうのつくように打切ぶったぎった方が宜しい、雪へ紅葉もみじを散してやりましょう」

士「それが宜しい、遣って仕舞いましょう」

と云う声を聞いて両人ふたりとも真青になって、雪の中へ頭を摺り付け、

商「何卒どうぞ御勘弁なすって下さいまし〱」

士「勘弁はならん、切って仕舞う」

と云うのを文治が塀のところで見て居りましたが、

文「森松悪い奴だのう」

森「何なんです、雪の中へ紅葉とは何の事です」

文「彼かの二人を切ると云うから己おれが鳥渡ちょっと詫びてやろう」

森「お止しなさい〱」

文「どうも見れば捨置く訳にはいかんから」

と織色おりいろの頭巾ずきんを猶なお深く被かぶって目ばかり出して士さむらいの中へ入り、

文「えー御両所、此の者どもは二人共酔って居りますから、どうか免ゆるしてやって下さい、そんなに人を無闇に切るものでは有りません」

士「貴公はなんだ、捨ておけ、武士に向って不礼ぶれい至極、手打に致すは当然あたりまえだわ、それとも貴公は此の町人の連つれか」

文「いゝえ通り掛りの者ですが、此の者どもを切るのは人参にんじんや大根を切るより易やすいではござらぬか、夜中やちゅう帯刀して此の市中を歩いて、無闇に刀を抜いて人を切るなどと云う事を仰しゃれば、先生のお名前にも係かゝわりましょうから、サッサとお宅へお帰んなさい」

士「無礼至極、不届至極な事を云う奴だ」

文「何が不届です、斯様かような弱い奴を切るのは犬を切るのも同じ事でござる、士さむらいと云う者は弱い者を助けるのが真の武士、お前さん方は犬でも切って歩きそうな顔付だ」

士「最前から聞いて居れば手前は余程よっぽど付け上って居おるな、此の町人は謂いわれなく切るのではない、余り無礼だに依よって向後きょうこうの戒いましめの為切捨きりすてるのだ、然しかるに手前は仲人ちゅうにんのくせに頭巾を被って居おるとは失礼な奴だ、頭巾を取れ」

文「お前さんが頭巾を取って宜しかろう、仲人が来きたらば先まず其方そっちから頭巾を取って斯様々々な訳で有るからと話をすれば、仲人も頭巾を取るが、喧嘩の当人の方で被っているから仲人の方でも被っているのは当然あたりまえだ」

士「不届至極な奴だ、素町人を切るより此奴こやつを切ろう」

士「それが宜しい」

文「これは面白い、私わしを代りに切って此の両人を助けて呉れゝば切られましょう、さア〱田舎のお方、早く行ゆきなさい〱」

と云うと生酔なまよいも酔が覚め、腰が抜けて迯にげる事が出来ませんで、這はいながら板塀の側に慄ふるえておりますと、剣術遣いはジリ〱ッと詰寄って参ったから、文治は油断をしませんでプツリッと長脇差の鯉口こいぐちを切って、

文「さア代りに切られますが、今の両人と違って切るのは些ちっとお骨が折れましょう、手が二本足が二本あって動きますから気を付けて切らんと貴方あなたの方の首が落ちましょう」

士「やア此奴こいつ悪々にく〱しい奴だ、此方こっちで切ろうとも云わないに切られようとする馬鹿な奴だなア」

文「さア切れる腕があるなら切って見ろ」

士「さア切るぞ」

と彼かの士が大刀の〔「※」は「てへん+丙」〕つかへ手を掛けて詰め寄りますから、文治は半身はんしん下さがって身構えを致しましたが、一寸ちょっと一ひと息吐つきまして直すぐに後あとを申し上げます。

三

浪島文治が本所ほんじょう業平橋に居りましたゆえに人綽名あだなして業平文治と申しましたとも云い、又男が好よいから業平文治と申したとも仰しゃる方があります。尤もっとも業平朝臣あそんと云うお方は美男と見えまして、男の好いのは業平のようだといい女で器量の好いのを小町こまちのようだと申しますが、業平朝臣は東国あずまへお下りあって、暫しばらく本所業平村に居りまして、業平橋の名もそれゆえに起りましたそうでございますが、都へお帰りの時船が覆くつがえって溺死できしされましたにより、里人さとびと愍あわれと思って業平村に塚つかを建てゝ祭りました、それゆえに前には船の形を致しました石塚でありましたそうで、其の頃は毎月まいげつ廿五日は御縁日で大分だいぶ賑にぎわいました由にございます。其の天神前で文治は計らずも助けました娘は、親父おやじが眼病ゆえ毎夜親の寝付くを待って家うちを抜け出して来て、天神様へ心願を掛けましたと云う事を聞いて、文治が不憫ふびんと思って四十両の金を遣やりましたけれども、娘は堅いからとんと受けませんで、親父に手渡しにしてくれと云うから、文治も感心し、介抱して松倉町の角まで送って来ると、前ぜん申しました剣術遣いの内弟子でございましょう、荒々しい士さむらいが無法にも商人あきんどを斬ろうとする所ですから、文治が中へ入って和やわらかに詫をすると、付けあがり、容赦はしない、打ぶち斬って仕舞うと云いながら長柄ながつかへ手を掛けたから、文治もプツリッと親指で鯉口を切り、一方かた〱の手には蛇の目の傘を持ち、高足駄たかあしだを穿はいた儘両人の中へ割込むと、

士「此奴こやつ中々出来そうな奴だ」

と云いながら刀を抜うとする処を、文治が蛇の目の傘を以て一人の膝ひざを打ちますと、前へドーンと倒れるのを見て、一人の士は真向まっこう上段に一刀を振りかざして、今打ちおろそうとする奴を突然いきなり傘の轆轤ろくろで眼と鼻の間へ突きをいれまして、倒れる処を其の者の抜きました長物ながもので刀背打むねうちに二ツ三ツ打ぶちましたが、七人力ある人に打ぶたれたのですから堪たまりません、

士「まえった、御免を蒙こうむる、酩酊たべよって怪けしからん訳でござる、お詫を致す、お免ゆるし下さい」

文「お前さん方は長い物をさして、人を劫おびやかすのは宜しくありません、お師匠様の御名儀にも係かゝわります、以後たしなまっしゃい」

士「恐れ入ります」

と云いながら刀を拾って逃出にげだしましたから、

文「そんな鈍刀なまくらでは人は斬れません」

と笑いながら文治は跡を見送って、

文「只今のお方は何処どちらにおいでなさるな」

商「へーこれに居ります、貴方あんたの御尊名は何なんと仰しゃいますか、手前は上州じょうしゅう前橋竪町たつまち松屋新兵衞まつやしんべえと申しますが、貴方の今の働きは鎮守様かと思いやした」

文「いや〱名なんどを名告なのるような者ではありません、無禄むろく無官の浪人で業平橋に居おる波島文治郎と申すものでございます」

商「明日みょうにち早速お礼に参りますから」

文「いゝえ宅たくへ来てはいけません、私が喧嘩の中へ入ったなどと云う事を母が聞きますと心配致しますから、お出いでは御無用です、貴方あなたの御旅宿ごりょしゅくは何処どちらでございますえ」

商「はい、山の宿しゅくの山形屋やまがたやに泊って居ります」

文「左様なら明日序ついでがあれば私の方からお尋ね申します」

と云い棄てゝ文治は森松を連れて帰りましたが、母には喧嘩のけの字も申しません。翌日は雪の明日あしたで暖かな日ですから、昨夜の女に四十金恵もうと、本所松倉町の裏家住居うらやずまい小野庄左衞門の宅へ尋ねて参りました。此の庄左衞門は元もと中川山城守の家来で、二百石取りましたものでございますが、仔細あって浪人致し、眼病を煩わずらい、一人の娘が看病をして居りますが、娘は孝行で、寒いのに素袷すあわせ一枚で、寒さも厭いとわず拭ふき掃除をして居りますと、杖つえを曳ついて小野庄左衞門が門口から、

庄「今帰って来たよ」

町「おやお父様とっさま、お帰り遊ばせ」

庄「雪の翌日あしたで大きに凌しのぎ宜よいのう」

町「はい、今日こんにちはお外でもお暖かでございましょう」

庄「あゝ医者が外へ出るのは能よくないと云うから家うちにいてお茶でも入れようかな」

町「あの、生憎あいにくお茶が切れました」

庄「茶を買ったら宜かろう」

町「はい、生憎お鳥目ちょうもくが切れました」

庄「いやそれは困りました、屑屋くずやでも来たら何か払っておいたら宜かろう」

町「さア払う物もございません、それにお天気都合が悪いので二三日参りませんから、先せんのお鳥目が切れましたから、お茶を買いますお鳥目がございません」

庄「紙屑買などが来ないと貧乏人は困るなア、己おれも細字さいじは書けないが大字だいじなら書けるから少しでも見えるようになればよいのう」

町「お父さまは少しお見え遊ばすと直じきお外出そとでをなすっていけませんから、寧いっそお見え遊ばさない方が宜しゅうございます」

庄「何故なぜえ」

町「先達せんだっても少しお見え遊ばすと云って、つい其処そこまでおいでなさると仰しゃいますから、私わたくしが窃そっとお跡を尾つけて参りますと、知れない横町からお頭巾をお被り遊ばし、袂たもとから笛をお出し遊ばして、導引揉療治どういんもみりょうじと仰しゃってお歩き遊ばしましたから、私わたくしは恟びっくりして宅うちへ帰り、お父さまが人の足腰を揉んでも私わたくしに苦労をさせないように遊ばして下さる其の御膳ごぜんを戴いて食べるのは実に勿体ない事だと思って、あの時は御膳が刺とげのように咽のどへたって戴けませんでした、私わたくしが男ならお父様にあんな真似はさせませんが、悔しい事には女でございますから、お父様のお手助けも出来ず、誠に不孝でございますと思って泣いてばっかり居りました」

庄「あゝもう〱そんなことを云うな、中々私わしの方がお前に気の毒だ、用がないからそんな真似をするのだから悪く思って呉れるな、私わしも屋敷に居れば手前にも不自由はさせず、好きな簪かんざしを買ってやられるが、私わしが重役と中の悪い処から此の様に浪人致し、お前は何も知らない身分で、住み馴れぬ裏家住居、私わしに内証ないしょうで肌着はだぎまでも売ったようだが、腹の空へった顔も見せず、孝行を尽して呉れるに、なんたる因果のことか、此の貧乏の中へ眼病とは実に神仏かみほとけにも見放されたことかと、唯たゞ私わしの困る事よりお前に気の毒でならない」

町「あゝお父様勿体ないことを仰しゃって下さいますな」

庄「まア〱そんなことを云うな、清貧と云って清らかな貧乏は宜しいが、汚けがれた金を以もって金持と云われても詰らん、あゝ清貧と云えば昨夜天神の前でお前が癪の起った時、御介抱なすって下すった御仁は御親切な方だなア」

町「お父様、其のお方は実に御親切な方でございます、業平橋に在いらっしゃる文治郎様と仰しゃいます方だそうですが、私わたくしがお父様の御眼病の事をお話し申しました処が、そういう訳ならこれを持って行ゆけと仰しゃってお金をお出し遊ばしまして」

庄「そうだってのう、見ず知らずの者に四十金を恵むと云うのは感心な方だのう」

町「其の方は屹度きっと今日家うちへ入いらっしゃいますよ」

庄「来られちゃア困るなア、そんな方が入らしっては実に赤面だ」

町「それでも屹度来ますよ」

庄「困るなアお茶でも入れて上げな」

町「お茶はございませんよ」

庄「それではお菓子でも」

町「お菓子は昨夜ゆうべ戴いたのを貴方あなたが三つあがって、あとは仏様に上げてありますから、あれを上げましょうか」

庄「それでも戴いたものを又上げるのは変だのう」

町「あれ入っしゃいましたよ」

庄「文治郎様が入っしゃいましたと」

町「なアにそうじゃアございませんでした、秋田穗庵さまが入しったのでした」

庄「まア此方こっちへお上りなさい」

秋「はい今日こんちは番町ばんちょう辺へんに病人があって参り、帰りがけですが貴方のお眼は何どうでございますな」

庄「些ちっとも癒なおりません、少しも顕げんが見えません、どうもいけませんから、これじゃア薬も止やめようかと思って居ります」

秋「それがナ貴君あなたのお眼は外障眼がいしょうがんと違い内障眼ないしょうがんと云って治じし難がたい症ですから真珠しんじゅ、麝香じゃこう、竜脳りゅうのう、真砂しんしゃ右四味しみを細末にして、これを蜂蜜はちみつで練って付ける、これが宜しいが、真珠は高金こうきんだから僕のような貧乏医者は買って上げる訳にいかん、それに就いて兼かねて申上げました此方こちらのお娘子むすめごがお美しいと云うことを、北割下水きたわりげすいの大伴おおともと云う剣客けんかくへ話した処が、是非世話をしたいから話しをして呉れと云うから、先日貴方へ申上げた事がありますが、お堅いからお聞済きゝずみがないが、時世で仕方がないから、諦めて貴方が諾うんと云えば僕が先方へ参って話をすれば、お目薬料ぐらいは直じきに出ますからそうなさいな」

庄「いゝえ、そんな話は止やめて呉れ、お前が来るとそんな事ばかり云うが、私わしには一人の娘を妾めかけ手掛てかけに遣るくらいなら裏家住居はしません、そんな話をされると耳が汚けがれるから止して呉れ」

秋「貴君あなたはお堅いがね小野氏うじ、僕もいろ〱丹誠して癒らんければ名にも係かゝわるから、お厭いやでもお娘子をお遣つかわしになれば、目薬料が出て御全快になって、而しこうして後のちのことでございます」

庄「いや眼は盲つぶれても宜しい、お前さんの薬はもう呑まないよ」

秋「それじゃア無理には申さんから宜しいが、お嬢さま、お父様とっさまはあの通りお聞入れはないが、私わたくしの帰った後あとで能くお父様と御相談なさいよ、お父様がいやと仰しゃっても貴女あなたがおいでなさると云えば、お父様のお眼も癒るから、いやでも承知しなければなりません、何いずれ又出ますよ、左様なら」

庄「いやな奴だ、来ると彼奴あいつあんなことばかり云っている、医者が下手だから桂庵けいあんをしているのだろう」

と云っている処へ参りましたのは、藍あいの衣服きものに茶献上の帯をしめ、年齢は廿五歳で、実に美しい男で、門かどへ立ちまして、

文「御免なさい」

町「お父様とっさま入っしゃいましたよ」

庄「誰方どなたかえ」

町「文治郎様が」

庄「さア何卒どうぞこれへお上り遊ばしませ」

文「昨夜はどうも、これはお礼で恐れ入ります、貴女あなたが御無事でお帰りかと後あとで大きにお案じ申しました、あれから直ぐにお帰りでしたか、へー此方こなたがお父様とっさまでございますか、初めてお目に懸りました、手前は業平橋に居ります浪島文治郎と申す武骨ものでございます、お見知りおかれて以後御別懇に願います」

庄「へー、手前は小野庄左衞門と申す武骨の浪人御別懇に懸ねがいます、扨さて昨夜は娘町まちが計らず御介抱を戴き、殊ことにお菓子まで頂戴致し、帰って参ってこれ〱と申しますから、有難く存じ、只今も貴方あなたのお噂をして居りました……これ町やお茶を、あイヤお茶は無かったッけ、お湯をあげな、まアこれへお進み下さい」

文「始めてお目に懸って誠に御無礼なことを申して、お気に障るか知れませんが、昨夜お嬢様に段々御様子を伺った処が、御運悪くお屋敷をお出になって御浪人遊ばした処が、御眼病をお煩いのよし、それを嬢様が御心配遊ばして、お感心に寒かん三十日の間跣足はだし参りをなさる、手前も五十八歳になる母が一人ございますが、少し風を引いて頭痛がすると云われても、若もしものことがありはしないかと思って心配するのは、子の親を思う情合じょうあいですから、嬢様のお心もお察し申して段々お尋ね申した処、秋田穗庵とか云う医者が真珠の入った薬なれば癒るが、それをあげるには四十金前金まえきんによこせと申したそうで、就ついては誠に失礼でございますが、持合もちあわせている四十金を差上げますから、これでその真珠とやらを購かい整え、御全快になれば手前に於おいても悦ばしく存じ、又お嬢様に於ても御孝行が届きますから、誠に失礼でございますが、此の金は明いて居おる金でございます、お遣い遊ばして下さいまし」

庄「へい〱忝かたじけのうございます」

と片手を突いて見えない眼で文治を見まわして、

庄「あゝ貴方様は判然はっきりは見えませんから分りませんが、お若いお立派な方で、殊に御発明で御孝心の深いことはお辞ことばの上に見えすくようで、私わしも五十八になる母があるが、少し加減が悪いと恟びっくりすると仰しゃるのは御孝心な事で感心でござる、それに見ず知らずのものに四十金恵んで下さるのは誠に有難うございます、お志ばかり頂戴いたしますが、金はお返し申しますから、どうかお持ち帰りを願います」

文「それでは困ります、折角持って参った金ですからどうかお受け下さいまし」

庄「いや〱受けません、見ず知らずのお方に四十金戴く訳がございません」

文「見ず知らずでございますが、昨夜お嬢様にお目に懸ったのが御縁でございます、躓つまずく石も縁の端はしとやら、貴方の御難儀を承っては其の儘にはおけません、どうかお受け下さいまし」

庄「どう致して、とても受けられません」

文「左様なら此の金を上げると云っては失礼でございますが、兎とに角かく明いて居おる金でございますからお遣い下さい」

庄「いや〱借かりても今の身の上では返えせる目途もくとがありませんからお借り申すことは出来ません」

文「それではお嬢様に」

庄「いや〱娘も戴く縁がありません」

文「さア貴方はお堅いが、能くお考えなすって御覧なさい、貴方がいつまでもお眼が悪いと唯たった一人のお嬢様が夜中やちゅうに出て神詣かみまいりをなさるのは宜しいが、深夜に間違いでもあれば、これ程お堅い結構な方に瑾きずを付けたら何どうなさる、私わたくしが金を上げると申したら御立腹でござろうが、子の心を休めるのも親の役でございます、文治郎が失礼の段は板の間へ手を突いてお詫をします、他人と思召おぼしめさずにお受うけを願います」

庄「あゝこれ〱お手をお上げ下さい、貴方は何なんたるお方かなア、大金を人に恵むに板の間へ手を突いて、失礼の段は詫ると云う、誠に千万忝かたじけのうござる、只今の身の上では一両の金でも貸人かしてのない尾羽おは打枯うちからした庄左衞門に、四十金恵んで下さるは、屋敷に居りました時千石加増したより忝けのうござるがナ、手前強情我慢で、これまでは涙一滴溢こぼさんが、今日こんにち只今嬉し涙と云うことを始めて覚えました、なれども此の金は受けられませんから、どうかお持帰りを願います、それを貴方がいつまでも手を突いて仰おっしゃれば致し方がないから切腹致します」

文「あゝそれは困ります、成程お堅いから仕方がないが、然しからば金で持って参ったから受けて下さるまいが、薬なら受けて下さるだろうな」

庄「薬も廿四銅か三十銅の品なら受けますが高金こうきんの品では受取れません」

文「左様なら致し方がないが、どうかお気に障さえられて下さるな」

庄「どう致しまして、これお茶を、お茶も上げられません、貴方に戴いたお菓子が二ツ残って居ります、彼あれをお上げ申せ」

文「どう致しまして、左様ならお暇いとま申します」

町「親父は頑固いっこくものですから、お気に障りましたろうが、どうか悪く思召さないで下さいまし、御機嫌ごきげん宜しゅう」

と板の間まで出て見送ります。文治もどうかして金を遣りたいが、所詮金では受けないから薬にして持って往って遣ろうかと、いろ〱に工夫をしながらうか〱と路地を出に掛りますと、入って来たのはまかなの國藏と云う奴で、九月の四日に文治に拳骨で擲はり倒されまして、目が覚めたようになって頻しきりに稼かせいで、此の長家ながやへ越して来たと見えて、夜具縞やぐじまの褞袍どてらを着て、刷毛はけを下げまして帰って来まして、文治と顔を見合せて恟びっくりしました。

國「おや旦那」

文「おう國藏か、どうした」

國「こりゃア不思議だ、貴方あんたは何どうして此処こゝへ」

文「少し知己しるべがあって来たが、此の節は辛抱するか」

國「えい漸ようやく辛抱するようになって、私わっちが仕事をするようになって、先せんの家うちでは狭いから此処へ越して来たが、家うちのお浪はお前さんを有難がって、お目に懸りたいと云っても、貴方の処へは最もう上れねえが、幸い今日は店振舞たなぶるまいで障子が破れていて仕様がねえから刷毛を借りて来て張る処だ、鳥渡ちょっと宅うちへ往って蕎麦そばのお初はつうを食ってやっておくんなせえ、お浪〱業平橋の旦那にお目に懸ったからお連れ申したよ」

浪「おやまア不思議じゃアないか、此方こっちの心が届いて旦那にお目に懸られるのだねえ、さア〱此方こちらへ〱」

國「さア此方こちらへ上って下せえ」

文「好いい家うちだの」

國「えゝ先せんの家うちより広いのは長家を二軒借りたから広くなりやした、なアに家なんざア何どうでもいゝが、私わっちも畳の上で死なれるようになったのは旦那のお蔭です、忘れもしねえ九月の四日、私わっちが嚊を連れて旦那の処へ強請ゆすりに往った処が私わっちの襟首えりっくびを掴つかめえての御意見が身に染しみて、お奉行様の御理解でも聾つんぼ程も聞かねえ國藏が改心して、これから真人間になって稼ごうと思ったけれども、借金があって真面目になることが出来ねえと思っていると、お前めえさんが金を下すったから、それで借金の目鼻を付け、四ツ目の親分の所へ往って、これから仕事をすると云った処が、親分も大層悦んで仕事をよこしてくれやしたが、先の家じゃア狭くって仕事が出来ねえから、今日此処へ移転ひっこして来て、蕎麦を配るからどうか旦那にお初うを上げたいと思っていたが、丁度いゝ処でのうお浪」

浪「本当ですよ、旦那様にお目に懸ってお礼を申し上げたいと思っても、着て行ゆくものがありませんから損料でも借りて着て行いこうと思って」

國「黙ってろ、おい〱お浪、何方どこの蕎麦屋へでも早く往って大蒸籠おおぜいろか何かそう云って来な、駈け出して往って来い、コヽ跣足はだしで往け、へい申し旦那、お浪の云う通り損料を借りて紗綾羽二重さやはぶたえを着て往ってもお悦びなさる旦那じゃねえ、損料を着て往けば立派だが、その時限りのことで、家うちへ帰けえって来れば直ぐなくなって仕舞うから、それよりゃアその金を借金方へ填うめて精出し、働らいて儲もうけた銭で買った着物を着て往かなけりゃアならねえと思って居りやす、旦那え不思議なことにゃアお浪が此の頃神信心かみしんじんを始めやした、彼奴あいつは男を七人殺しやした奴ですぜ、それが手で殺すのじゃアねえのさ、皆みんな口で欺だまして殺すというのは、欺された男が身を投げたり首を縊くゝったりしやしたのさ、そう云う奴が観音様を拝むようになったから、観音様を拝んでも御利益ごりやくがあるものか、それよりも首を継いでもらった旦那を拝めってなアお浪、あ、今彼奴は蕎麦屋へ行ったっけ」

文「そりゃア悦ばしいのう、己おれの云うことを聞いて手前が改心すれば、彼あの時打擲したことは文治郎が詫るぞ」

國「勿体もってえねえことをお云いなさる、此間こないだ親父の墓場へ往って石塔へ向って、業平橋の旦那のお蔭でお前めえの下へ入へいれるようになったよと云ったが、親父も草葉の蔭で安心しましたろうと思いますのさ」

文「これは誠に少しばかりだが、家見舞だから取って置いてくれ」

國「旦那こんなことをなすッちゃアいけねえやね」

文「手前の身祝いだから取って置いてくれ」

國「あれサ、これを戴くと身を苦しめねえで貰った銭だから、折角戴いても軍鶏鍋しゃもなべでも食って寝て仕舞ったり何かして為にならねえから止よしておくんなせえ」

文「それはそうだろうが、これは己おれの志だから受けてくれ、また炭薪まきや何か入用いりようならいつでも取りに来るがいゝよ」

國「有難うございます」

と云われ文治も嬉しく思って居りますと、その内蕎麦が参りましたから馳走ちそうになって、四方山よもやまの話をして居りますと、一軒置いて隣りの小野庄左衞門の所へ秋田穗庵が剣術遣いを連れて来て、

秋「さアこれへ〱」

町「お父様とっさま又穗庵様が入っしゃいましたよ」

庄「よく来るな、蒼蠅うるさいなア」

秋「先刻は誠に失敬を申して相済みません、あれから帰りがけに割下水の先生の所へ寄りますと、大呵おおしかられ、貴様の云いようが悪いから出来る縁談も破談になる、只たった一人の御息女を妾手掛に欲ほしいと云うから御立腹なすったのだ、此方こちらでは御新造ごしんぞに貰い受けたいのだ、御縁組を願いたいのだ、手前では分らんから此の方を御同道いたすようにと云って、これにお代稽古だいげいこをなさる和田原八十兵衞わだはらやそべえ先生をお連れ申しました、さア先生これへ〱」

八十「手前は和田原八十兵衞と申すもので、先程穗庵が参って御様子を伺うと、先生が殊の外ほか御立腹で、早速手前に参って申し開きをして参れと云い付けられて参ったが、先程穗庵が妾に貰い受けたいと申したのは全くの間違で、実は御新造にお貰い申したいと云うので、媒妁なこうどもお気に入らんければどのようにも致しますが、先生は最もう御息女をお貰い申したように心得て居って、貴方を御舅公ごしゅうとごのように心得て、御眼病がお癒なおりにならんければ困るからと云って、これへお目薬料として五十金持って参ったが、これではお少ないと思し召すかも知れませんが、暮のことでござれば春の百両とも思し召されて」

庄「お黙んなさい、なんだ五十両では少いが春の百両とも思ってとはなんの事だ、穗庵私わしの娘をいつ此の先生の所へ遣りたいと申しました、遣るとも遣らんとも定きまらん内に金を持って来るとはなんだ、お前は媒妁口を利きいて宜いい加減のことを云ったのか、小野庄左衞門が貧乏して居おるから金にふるえ付くかと思って金を持って来たか」

秋「これサ御立腹では恐入ります、実は」

庄「黙んなさい、嫁に貰いようを知らんものがあるかえ、仮令たとえ浪人者でも、一人の娘を妾にはせん、婚礼の式は正しゅうしなければならん、お前の先生は嫁の貰いようを御存じないか、見合いも致さず、結納ゆいのうも取交とりかわさず、媒妁も入れなければ婚姻にはならん、汚らわしい金なんぞは持って帰らっしゃれ」

と膝の所へ金を打付うちつけました。

八十「これはしたり、何も金を持って来る訳ではござらんが、師匠が申したから持って参ったので」

庄「師匠が金を持って往ゆけと云ったら何故止めん、金を持って往けば先方で立腹するだろうとか何なんとか云って、止めなければならんのが弟子の道であるに、師匠が申付もうしつけだと云って、それをいゝ事と心得、何故持って参った、師匠が馬鹿なら弟子まで馬鹿だ、馬鹿士ざむらいとは汝なんじのことだわい」

八十「此奴こいつなんだ、怪けしからん、無礼至極」

と云いながら長柄ながつかへ手をかけて抜こうとすると、小野は丸で見えんのではないから持って居った煙管きせるで臂ひじを突きますと、八十兵衞は立上ろうとする途端にひょろ〱として尻餅を突くと、家うちが狭いから上流うわながしへ落ちに掛りますと、上流しが腐って居りますから、ドーンと下流しへ落ちました、丸で馬陸やすでを見たようです。八十兵衞は愈々いよ〱立腹致し、刀を振上げて斬ろうとするから、穗庵もぴかりっと抜きましたがこれはぴかりっとは参りません、錆さびて居りますから赤い粉がバラ〱と出て、ガチ〱〱と鉈なたのようなものを抜いて今斬ろうとする。庄左衞門は破やれた戸棚とだなからたしなみの刀を出してさア来いと云う。娘は慄ふるえながら両手をついて、

町「何卒どうぞお願いでございます、親父は眼病でございますから御勘弁なすって下さいまし」

と云って泣いている騒ぎを、長屋の者が聞付け、一同心配していると、國藏も引越した計ばかり故驚きましたが、此の騒ぎを見て帰って来て、

國「お浪、旦那をお帰けえし申して、怪我をなすっちゃアいけねえからお帰けえし申しな」

文「何なんだ」

國「今隣りの婆ばあさんに聞くと、隣の娘を剣術遣いが妾にしてえ、銭も遣るから云う事を聞いてくれと云うと、その浪人者が飛んでもねえことを云うな、金に目をくれて娘を遣る奴があるものか、見損なやアがったか間抜野郎と云うと、剣術遣いが、おや此こん畜生ちくしょうなんだ此の唐偏木とうへんぼくめ、貧乏をしているから助けて遣ろうというのだ、生意気な事をぬかしゃアがるなと云うので打合たゝきあいが始まる、剣術遣いがその親父を斬ろうとする、娘が泣き出す、親父は眼こそ見えねえが中々聞かねえで、斬るなら斬れと云う喧嘩の最中だから旦那出ちゃアいけませんぜ」

文「なに、一軒隔おいて隣は小野氏うじの家に相違ないが、小野に怪我があっては相成らんゆえ、私わしが往って取鎮とりしずめて遣ろう」

國「旦那が怪我をしちゃアなりませんからお止しなせえ」

文「捨置く訳にはいかん、そこを放せ」

と云いながら日和ひより下駄を穿はいたなりで駈出かけだし、突然いきなり喧嘩の中へ飛込みますると云うお話に相成りますのでございますが、一寸ちょっと一服致します。

四

偖さて本所松倉町なる小野庄左衞門の浪宅へ、大伴蟠龍軒おおともばんりゅうけんと申しまする一刀流の剣術遣いの門弟和田原八十兵衞と、秋田穗庵という医者が参り、娘お町をくれろとの掛合かけあいになりましたが、庄左衞門は堅いから向うで金を出したのを立腹して、一言二言ひとことふたことの争あらそいより遂にぴかつくものを引抜き、狭い路地の中で白昼に白刃はくじんを閃ひらめかし、斬合うという騒ぎに相成りましたから、裏長屋の者は恟びっくり致し、跣足はだしで逃げ出す者もあり、洗濯婆ばあさんは腰を抜かし、文字焼もんじやきの爺じいさんは溝どぶへ転げ落るなどという騒ぎでございます。文治郎は短かいのを一本差し日和下駄を穿き、樺茶色かばちゃいろの無地の頭巾を眉深まぶかに被かぶって面部を隠し、和田原八十兵衞の利腕きゝうでを後うしろからむずと押え、片手に秋田穗庵が鉈のような恰好かっこうで真赤に錆びたる刀を振り上げた右の手を押えながら、

文「暫く〱何卒どうぞ暫くお待ちください、何事かは存じませんが、まア〱お話は後あとで分りまする事ですから、手前へお免じください、暫くお待ちください、まア〱」

と後うしろから押しまする。和田原八十兵衞は長いのを振上げたなり、

八十「邪魔致すな其処そこ放せ」

と云いながらこちらを振り向うとすると、ギュッと手を逆に捻ねじる、七人力も有ります人に苛ひどく利き処を押えられ、痛くて向く事が出来ませんから、又左方こちらへ向うとすると、右へ捻りまするから八十兵衞は右と左へぐる〱して居ります。文治郎は、

文「暫く〱」

といいながら狭い路地を押し出して、表へ連れて参りました。後あとには娘お町が有難いお人だと悦んで居りました。國藏は又頻しきりに心配して、ぐる〱駈廻かけまわって居りまする処へ文治郎が立帰たちかえって参り、

文「先まずお怪我がなくてお目出とうございました」

町「おや、あなたは先程の文治郎さま、未まだお帰りにはなりませんでしたか」

文「御同長家ごどうながやの内に懇意な者が居りますので、おゝこれ此処こゝに居ります此の國藏の宅に今まで居りました処、此の騒ぎ、怪けしからん奴でございましたなア」

町「お父様とっさま、先程の文治郎様が今の人達を連れ出してくださいましたとの事、お礼を仰しゃいまし」

庄「誠に種々いろ〱御厄介に相成りました、余り不法を申しますから残念に心得、一言二言云うと貴方あなた、白刃はくじんを振廻ふりまわし、此の狭い路地を荒す無法の奴でございます」

國「もし旦那、彼奴等あいつらを何処どこへ連れてお往いでなさいやしたえ」

文「ウン、表の割下水わりげすいの溝どぶの中へ投ほうり込んで来た」

國「えゝ溝の中へ投り込んで来たとえ、苛ひどい事をお行やりなすったねえ、今に上ってきやアしませんか」

文「上っても腕は利かん、逆に捻って胴を下駄で強ひどく蹴けて、手足を挫くじいて置いたから這い上って帰るだろう」

國「へえ苛い事をなさるねえ、私わっちは又何処どっかの待合茶屋まちあいぢゃやへでも連れてって、扨さて如何いかゞの次第でございますか、兎に角任せて下さいと云って、お前めえさんが仲人ちゅうにんに入って、茶か何か呑ませているんだろうと思って居りました」

文「茶などを呑ませてたまるものか、彼奴等あいつらは溝どぶの水で沢山だ」

國「だがねえ旦那え、それは好いいが、お前めえさん藪やぶを突つッついて蛇を出してはいけませんぜ、是りゃアとんでもない喧嘩になりますぜ」

文「なぜ」

國「何故ったってお前めえさん、溝どぶの中へ投ほうり込まれて黙っている奴はねえ、殊に相手は剣術遣い、兄弟弟子も沢山有りましょう、構ア事はねえ押込んで往いけと二十人も遣やって来られた日にゃ大騒ぎですぜ」

文「それは来る気遣きづかいはない、心あるものなら師匠が止める、私わしは顔を隠して置いたから相手は知れない、そこで溝へ投り込んだのは私わしだか何なんだか訳が分らないから、心ある師匠なら一時いちじ止まれと言って止めるなア」

國「師匠に心が有るか無いか知りませんけれども、お前めえさん喧嘩に往くのに断って出るものが有りますか、私達わっちたちが湯屋で間違まちげえをして拳骨の一ツも喰くらって来て、友達が之これを聞いて外聞が悪いから押して往けと言う時に、親方へ一寸ちょっと喧嘩に往って来ますと断って出る者は有りますめえ、密々こそ〱と抜け出して出し抜ぬけにわッと云って、大勢が長いのを振舞わして此処こゝへ遣って来られた日にゃ大変じゃありませんか」

文「もしや来たらお浪を遣よこして私わしに知らせろ、そうして私わしの来る間手前てめえは路地口の処へ出て掛合っていろ、手前てまえは此の長屋の行事でございますが、何どういう訳で左様に長い物を振ふるって町家ちょうかをお荒しなさいまする、その次第を一応手前にお告げ下さいと云って出ろ」

國「そりゃ否いやだね、行事だ詰らねえ事を云う、面倒臭いと斬られてしまいましょう、否いやだアねえ」

文「若もし来たら知らせれば宜よい、左様なら」

と足を早めて往ゆきますから、

國「もし旦那、もし、あれだもの仕様がない、あれ旦那」

と云うを耳にも止めず文治郎は平気すまして帰って往ゆきます。國藏は頻しきりに心配して大家さんへ届けたり、自身番を頼んだりぐる〱騒いで居りますると、文治郎の鑑識めがねに違たがわず、それっ切り仕返しにも来ませんでしたが、後のちに小野庄左衞門は蟠龍軒から怨うらみを受け、遂に復讎ふくしゅうの根と相成りまするが、お話変ってこれは十二月二十三日の事で、両国りょうごく吉川町よしかわちょうにお村と云う芸者がございましたが、その頃柳橋やなぎばしに芸者が七人ありまする中で、重立おもだった者が四人、葮町よしちょうの方では二人、後あとの八人は皆みな能よい芸者では無かったと申します。丁度深川の盛んな折でございます、その頃佐野川市松さのがわいちまつという役者が一と小間置こまおきに染め分けた衣裳へ工夫致しましてその縞しまを市松と名なづけて女方おんながたの狂言を致しました時に、帯を紫と白の市松縞にして、着物を藍あいの市松にしたのが派手で、とんだ配合うつりが好よいと柳橋の芸者が七人とも之を着ましたが中にも一際ひときわ目立って此のお村には似合いました処から、人之を綽名あだなして市松のお村と申しました。年は十九歳で親孝行で、器量はたぎって好よいと云うのではありませんが、何処どこか男惚おとこぼれのする顔で、愛敬靨あいきょうえくぼが深く二ツいりますが、尺ものさしを突込つッこんで見たら二分五厘あるといいますが、誰たれか尺を入れたと見えます。其の上しとやかで物数ものかずを云わず、偶々たま〱口をきくと愛敬があってお客の心を損ねず、芸は固もとより宜よし、何一つ点を打つ処はありませんが、朝は早く起きて御膳焚ごぜんたき同様にお飯まんまを炊き、拭掃除ふきそうじを致しますから、手足は皹ひゞが絶えません、朝働いて仕まってからお座敷へ出るような事ですから、世間の評が高うございます、此の母親おふくろはお崎さき婆ばゞあと申しまして慾張よくばりの骨頂でございます、慾の国から慾を弘めに参り、慾の新発明をしたと云う、慾で塊かたまって肥ふとって居りまする。慾肥よくぶとりと云うのはこれから始まりました。娘お村に稼がせて自分は朝から酒ばかりぐび〱飲んで居りますると、矢張り此の頃の老妓あねえで、年は二十七歳に相成りまする、お月と申します脊せいはすっきりとして芸が好よく、お座敷でお客と話などをして居ります間に取持とりもちが上手と評判の芸者でありました。此の頃の老妓は中々見識のあったもので、只今湯に出かけまする姿ゆえ、平常着ふだんぎの上へ黒縮緬くろちりめんの羽織を引ッかけ、糠袋に手拭を持ってお村の宅うちの門口へ立ちまして、

つき「お村はん在宅うちかえ」

さき「おやおつき姉さん、まアお入りよ、あれさお入りよ、湯かえ、いゝじゃないか、種々いろ〱お前さんにお礼の云いたい事もあるから一寸ちょっとお入りよ」

月「寒いじゃないか、お母っかさん、御無沙汰をしました」

さ「お寒くなりました、段々押詰おしつまって来るから何なんだか寒さがめっきり身に染しみますよ、今一杯始めた処サ」

月「朝からお酒で大層景気が好いい事ねえ」

さ「一つお上りなはいな」

月「昨宵ゆうべね少し飲過ぎてお客のお帰んなすったのも知らないくらいに酔い潰つぶれたが、例いつものきまりだから仕方がない」

さ「失礼だが一杯お上りよ、私がお酌をするよ、本当に姉さんはお村を彼此かれこれ云ってくださるから有難い事だって、平常ふだんそう云っているのだよ、何なんでも姉さんの云う事を肯きかなけりゃいけねえって、そう云っているのだから、何事も差図をしてお貰い申す積りさ、何なんてっても未まだ年がいかねえから、時々跣足はだしでお座敷から駈け出して帰って来たりするから、何なんとかお思いかと心配してるのサ」

月「お母っかさんは何時いつも壮健たっしゃだねえ」

さ「えゝ私あたしア是まで寸白すばくを知りませんよ、それに此間こないだは又結構なお香物こう〱をくだすって有難うございました、あれさ、お重ねよう」

月「お母さん、あのお村はんは居いるかえ」

さ「あゝ今二階で化粧みじめえして居おりますの、どうせ閑暇ひまだが又何時いつ口が掛るかも知れないから、湯に遣やって化粧けしょうをさせて置くのサ……二階に居りますが何か用が有るのかえ」

月「そうかえ、少しお村はんの事に就ついて話があるんだが、あの三浦屋から十二三度呼びによこした本所割下水の剣術の先生の御舎弟ごしゃていさんだというから、御舎さん〱という人は、取巻とりまきが能よくって金が有るので、一寸様子が好いいから、浮気な芸者は岡惚れをするくらいだが、彼あの人がお村はんに大変惚れてゝ、私にお月取持ってくれ〱と種々いろ〱云うから、私があの妓こは堅くて無駄だからお止し、いけないと云っても中々肯きかないで逆上のぼせ切ってるのサ、芸者を引きたければ華はなやかにして箱屋には総羽織そうばおりを出し、赤飯を蒸ふかしてやる、又芸者をしていたいのならば出の着物から着替から帯から頭物あたまのものまで悉皆そっくり拵こしらえて、お金は沢山たんとは出来ねえが、三百両や四百両ぐらいは纒まとめて遣やると斯こういう旨い口だ、私などは願っても出来やしない、余あんまり宜よい口だから、否いやでもあろうが諾うんとさえ云えば大たいした事に成るのだから話をして見るんです」

さ「おや〱それは誠に有難い事ねえ、本当に私は夢のような心持がします、今時そんな方が出て来るものではないのだが、全く姉さんのお取做とりなしが宜いからで、乙なもので何なんでも太鼓の叩き次第だからねえ、早速お村に申しましょう、お村や〱一寸降りて来きなよ」

村「あい」

と優しい声で返辞をして、しとやかに二階から降りて参り、長手の火鉢の角の処へ坐り、首ばかり極彩色ごくざいしきが出来上り、これから十二一重ひとえを着るばかりで、お月の顔を見てにこりと笑いながら、ジロリと見る顔色かおいろは遠山えんざんの眉まゆ翠みどりを増し、桃李とうりの唇くちびる匂におやかなる、実に嬋妍せんけんと艶たおやかにして沈魚落雁ちんぎょらくがん羞月閉花しゅうげつへいかという姿に、女ながらもお月は手を突いてお村の顔に見惚みとれる程でございます。

村「姉さんお出いでなはい」

月「お村はん、今お母っかはんに三浦屋の御舎さんの事を話したのだが、諾うんとさえ云えば大した事になるのだよ、嘸さぞ此間こないだからお前に種々いろ〱な事を云うだろうね」

村「あゝ、来るたんびに変な事を云って困るよ」

月「私にも種々云ってしょうがないから、騙だまかして云い延べて置いたが、責せめられてしょうがないよ」

さ「お村や、諾うんとお云いよ、有難い事だ、姉さんが何とか、日光にっこう御社参ごしゃさんとかいうお方が妾になれと仰しゃるのは有り難い事だから、諾とお云いよ」

村「姉はん、それは男も醜くはなし綺麗なような人だが、何だか私は虫が好かない、彼あの人の傍そばに坐ると厭な心持になりますよ、そうして反身そっくりかえって煙管きせるを手の先で振廻し、落してお皿を欠いたり、鼻屎はなくそをほじくっては丸薬にしたりして何なんだか厭だよ」

月「そうサ、変な処があるよ、気には入るまいが持物になって仕舞えば又好きな事も出来るわねえ」

さ「有難いことだから諾うんとお云いよ、おい諾と云わないかよ」

村「厭な事、私は死んでも厭だよ」

さ「馬鹿な事をお云いでない、お前が諾と云えば私までが楽になるのだから親孝行だよ、それにお前は春の出の姿なりに気を揉んで居て一から十まで新しい物にしたがり、彼あの縮緬ちりめんのお前さんが知ってる紋付さ、あれを色揚げをして置けば結構だと言えば、紋が黒くなると言うから、そうしたら薄い昇平しょうへいを掛ければ知れやしないと云うのに、何なんでも新しい姿なりばかりしたがる癖にさ、私などの若い時分と違って好いい姿なり計りしたがったり、芝居へも往ゆき、したいこともしたければ、諾と云って其の人を取らないと肯きかないよ」

村「でも柳橋の芸者が旦那取りをしたと云っては第一姉さん達の恥になり、私も外聞が悪いから、能よくは出来ないが私だけは芸一方で売る心持でいますから、どうかそんな色めえた事を云うお客はぴったり断って下さいまし」

月「お村はんが否いやだと云うならどうもしようがない」

さ「おい本当にいけない餓鬼だよ、サ諾と云いな、否か、どうあっても否か、下を向いて返辞をしないのは否なのか、否だなどと云えば唯たゞは置かねえよ」

と云いながら手に持った長羅宇ながらおを振上げさま結ゆいたての嶋田髷しまだまげを打擲ちょうちゃく致しましたから櫛くしは折れて飛びまする。

月「あゝ危いよ、あれさ怪我でもさしたらどうする積りだよ」

さ「お止めなさるな、止めると癖になります、太い阿魔でございます、これ何なんだと、芸一方で売りたいと、それはお月姉さんのような立派なお方の云う事だ、お前なんぞは今日此の頃芸者になり、一人前いちにんめえになったのは誰のお蔭だ、お前が七歳なゝつの時、親兄弟もない餓鬼を他人の私が七両の金を出して貰い切り世話をしたのだが、其の時は青膨あおぶくれだったが、私の丹誠で段々とお前さん胎毒降くだしばかりも何どの位飲ましたか知れやしません、芸を仕込めば物覚えが悪く、其の上感所かんどころが悪いもんだから、撥ばちのせい尻じりで私は幾つ打ぶったか知れません、踊おどりを習わせれば棒を呑んだ化物ばけものを見たように突立つッたッてゝしょうが無かったのを、漸々よう〱此の位に仕上げたから、これから私が楽をしようと思ってるに、否いやも応おうもあるものか、親の言葉を背く餓鬼ならば女郎じょうろにでも叩き売って仕舞います、利きいた風ふうな、芸一方で売るって私は知らねえ振りをしていれば、手前てめえの好いた男なら上流うわてくんだりまで往って寝泊りをして来やアがるだろう、私は知るめえと思ってようが、芝口しばぐちの袋物屋の番頭に血道を揚げて騒いでいやアがる癖に」

月「まア静しずかにおしよ、世間へ聞えると見みっともない、お村はんは私が篤とっくり意見をして得心させるから私にお任せよ」

と泣いて居りまするお村の手を取って二階へ連れて上り、

月「お村はん勘忍しておくれよ、本当に邪慳じゃけんなお母っかさんだ、太い煙管でお前の顔を無茶苦茶に打ぶって怪我でもしたら何どうする積りなんだろう、怖いお母さんだねえ、今までお前はまア能くあのお母さんの機嫌を取ってお出いでたねえ」

村「姉さん、誠にお前さんの云う事を肯きかないで済みませんが、私も七歳なゝつから育てられ、お母さんの気性も知っていますが、彼様あんな邪慳な人は世に余あんまり有りません、此の頃のように寒い時分に夜遅く帰って来れば、寝衣ねまきを炬燵こたつに掛けて置いて寒かろうからまア一ト口飲めと、義理にも云うのが当然あたりまえだのに、私が更けて帰ると、お母さんは寝酒に旨い物を喰たべてグウ〱大鼾おおいびきで寝て仕舞い、火が一つ熾おこってないから、冷たい寝衣を着て寝てしまい、夜が更けるからつい朝寝をすると、起ろ〱と足で蹴起けおこして、お飯まんまを炊けと云って御膳を炊くやらお菜拵かずごしらえをして仕舞うと、起きて来て朝から晩まで小言三昧ざんまい、ヤレ彼あの旦那を取れ、此の旦那の妾になれと今まで云われた事は何度あるか知れやしないが、漸々よう〱云抜けては置いたが、辛くって〱今日は駈出そうか、明日は迯にげようかと思った事もあったけれど、外ほかに身寄親類もないから駈出しても往ゆき処どこがない私ゆえ堪こらえてはいましたが、今日という今日は真に辛いから私は駈出して、身を投げて死にますよ」

月「馬鹿な事をお云いでないよ、私が悪かった、お母さんの前で直すぐに彼あの事を云わなければ宜よかった、私は蔭でチラリと聞いたのだが、お前は友之助とものすけさんとは深い中で、それがため義理の悪い借金も出来ているから、結局つまり二人で駈落かけおちなどいう軽卒かるはずみな事でもしやしないか、困ったものだと云う事が私の耳に入っているが、私も兄弟は無し、心細いから平常ふだん親切にしておくれのお前と、末々まで姉妹分きょうだいぶんになりたいと思う心から案じているのだが、それは厭に違いはないが、友さんの為なら厭な旦那もお取りかと私は考えてるが、友之助さんの為だと諦めて舎弟の云う事を聞けば、纒まとまったお金を幾らか私が貰って上げるから、それで内証ないしょの借金を払い、二百両か三百両の金を友さんにも遣り、借金の方かたを附け、可なり身形みなりを拵こしらえ、時々は私が騙だまかして拠よんどころないお座敷で帰りが遅くなると云って上げるから、厭でもあろうが只たった一度、舎弟と枕まくらを並べて寝て遣れば、どんなに悦ぶか知れない、それは厭だろうが、其の時は私が密そっと友さんを他ほかに呼んで置いてお前に逢わせ、口直しを拵えて置くからねえ、私も責められて困るからよ」

村「はい〱姉さん私も友之助さんに対して旦那を取っては済まず、又私が身を斬られるほど辛いけれども、姉さんの折角のお頼みと云い、お母さんの様子では女郎じょうろにも売り兼ねやアしまいから、死んだ心になって旦那を取りましょうよ」

月「おや本当に、どうもまア好よく諦らめておくれだ、本当に可愛そうだけれども、じゃア其の積りだよ」

と云いながら慌てゝ音のするように梯子はしごを降りて参り、おさきに向い、

月「私が段々話をした処が、済まなかった、随分宜よい人だと思っていたが、まさかにお母さんの前で旦那が取りたい惚れているとも云いにくいから、しぶ〱していて、打ぶたれるだけが損だったと云っているから、お前も機嫌を直して可愛相だから優しく云ってお遣やりよ」

さ「おや〱そうかえ、まア誠に有難いこと、姉さんの云う事は肯きき、私の云う事は肯かないのだもの、それも姉さんのお蔭さ、お前はいつも若いよ、お月さん幾つ」

月「十三七ツが聞いて呆れる」

さ「お湯に往いくなら私も一緒に往こう」

と嬉し紛れにおさきはお月と諸共もろともに出て往ゆく。後あとにお村は硯箱すゞりばこを引寄せまして、筆を取り上げ、細々こま〲と文を認したゝめ、旦那を取らなければ母が私を女郎じょろうにしてしまうと云うから、仕方なしに私は吾妻橋から身を投げて死にますから、其の前に一目逢いたいから、お店たなを首尾して廿五日の昼過に、知らない船宿から船に乗り、代地だいちの川長かわちょうさんの先の桐屋河岸きりやがしへ来て待っていてくれろという手紙を認したゝめて出しましたから、友之助は大きに驚き、主人の家を首尾して抜け出し、廿五日の昼頃船を仕立てゝ桐屋河岸に待って居りました。

五

引続きまする業平文治のお話は些ちと流行遅れでございまして、只今とは何かと模様が違います。当今は鉄道汽車が出来、人力車があり、馬車があり、又近頃は大川筋へ川蒸気が出来て何もかも至極便利でありますが、前には左様なものがありませんから、急ぐ時は陸おかでは駕籠かごに乗り川では船に乗ることでありましたが、お安くないから大抵の者は皆歩きました。只意気な人は多く船で往来致しましたから、舟が盛んに行われました。扨さて友之助は乗りつけの船宿から乗っては人に知られると思うから、知らない船宿から船に乗って来て桐屋河岸に着けて船首みよしの方を明けて、今に来るかと思って煙草を呑みながら時々亀の子のように首を出して待ちあぐんでいると、お村は固もとより死ぬ覚悟でございますから、鳥渡ちょっとお参りの姿なりで桐屋河岸へ来て、船があるかと覗のぞいて見ると、一艘いっそう繋つないであって、船首の方が明いていて、友之助が手招ぎをするから、お村はヤレ嬉しと桟橋さんばしから船首の方へズーッと這入はいると、直すぐに船頭さん上流うわてへ遣っておくれと云うので河岸を突いて船がズーッと右舷おもかじを取って中流へ出ます。そうするとお村は何なんにも言わずに友之助の膝ひざに取付き、声を揚げて泣きますから、友之助は一向何事とも分らぬから、兎も角も早く様子が聞きたいと云うので、向島むこうじまの牛屋うしやの雁木がんぎから上り、船を帰して、是から二人で其の頃流行はやりました武藏屋むさしやと云う家うちがありました、其の家は麦斗ばくとと云って麦飯に蜆汁しゞみじるで一猪口ちょく出来ます。其の頃馴染なじみでございますから人に知れないように一番奥の六畳の小間を借りまして、様子を聞こうと思うと、お村は云う事もあとやさきで只泣く計りでございますから、

友「どうも何なんだか唯泣いてばかりいては訳が分らないじゃアないか、冗談じゃない、又お母っかあと喧嘩でもしたのだろう、お前のお母のあの通りの気性は幼ちいさい時分から知ってるじゃアないか、能く考えて御覧、都合の好いい時分に何か買って行って、これをおたべ、これをお着と云って菓子の折おりか反物たんものの一反も持って行ゆけばニコ〱笑顔わらいがおをするけれども、少し鼻薬が廻らなければ、脹面ふくれッつらをして寄せ付けねえと云う不人情なお母だから、どうせお前は喰物くいものになるので可愛そうな身の上だが、これも仕様がないが、まアどう云う喧嘩をしたのだか、手紙に死ぬと書いてあったが、死ぬなどゝ云うのは容易な事じゃアないが、一体どう云う訳だえ」

村「此の間話したが、アノーお客の御舎ごしゃさんと云う人が手を廻して、お月姉さんから色々私の方へ云ってくれたが、お月姉さんが其の事を直じきにお母に云って仕舞ったから、お母は何なんでもお客に取れと云うけれども、私は厭だから厭だと云ったら怖ろしく腹を立って、私の結いたての頭髪あたまを無茶苦茶に打ぶって、其の上こんな傷をつけて、お客を取らなければ女郎に売って仕舞うと云うのだが、随分売り兼かねない気性だから、若もし勤めに入れば、もう逢える気遣きづかいはなし、義理のわるい借金もあり、私もお前さんと一緒にならなければ外ほかの芸者衆しゅにも外聞がわるいから、寧いっそ死んで仕舞おうと覚悟をしたが、一目逢って死にたいと思うばッかりに忙がしいお前さんにお気の毒をかけましたが、今日は能く来ておくんなさいました、私の死ぬのは私の心がらで仕方がないのだが、私の亡ない後のちにはお前さんは情婦いろも出来ようし、良いいお内儀かみさんも持ちましょうけれども、私はどんな事をしたって思いを残す訳じゃアないが、余所よそは仕方がないが、どうか柳橋では浮気をしておくれでない、若し柳橋で浮気をなさると、友さん私は死んでも浮ばれませんよ」

友「詰らない事を云うぜ、お前ほんとうに死なゝけりゃア行立ゆきたたないかえ」

村「あゝ私ゃ本当に死のうと思い詰めたから云いますが、こんな事が嘘に云われますか」

友「そうか、そんなら話すが実は己おれも死のうと思っている、という訳は、旦那の金を二百六十両を遣つかい込んで、払い月だがまだ下さがりませぬ〱と云って、今まで主人を云い瞞くろめたが、もう十二月の末で、大晦日おおみそか迄には是非とも二百六十両の金を並べなければ済まねえから、種々いろ〱考えたが、此の晦日前では好いい工夫もつかず、主人に対して面目ないし、自分の楽たのしみをして主人の金を遣い果たして、高恩を無にするような事をして実に済まねえ、どうも仕方がないから死のうと覚悟はしても、死にきれねえと云うのは、お前めえを残して行ゆくのはいやだ、と思って七所借なゝとこがりをしても、鉄の草鞋わらじを穿はいて歩いても、押詰おしつまった晦日前、出来ないのは暮の金だ、おめえ本当に覚悟を極めたら己と一緒に死んでくれないか」

村「えー本当、どうも嬉しいじゃアないか、私も実は一緒に死にたいと思っても、お前さんに云うのが気の毒で遠慮していたが、お前さんと一緒なら私ゃ本当に死花しにばなが咲きます、友さん本当に死んで下さるか」

友「静かにしねえ、死ぬ〱と云って人に知れるといけないから、斯こう云う事なら金でも借りて来て総花そうばなでもして華々しくして死ぬものを、たんとは無いが有りッたけ遣やって仕舞おうじゃないか、お前も遣ってお仕舞い」

村「死ぬには何なんにも入らないから笄かんざしも半纒はんてんも皆みんな遣って仕舞います」

友「それでは其の積りで」

村「本当かえ、嬉しいねえ」

と迷まよいの道は妙なもので、死ぬのが嬉しくなって、お村は友之助の膝に片手を突いて友之助の顔を見詰めて居りましては又ホロリ〱と泣きます。其の時に廊下でパタ〱と音がするから、人が来たなと思い、それと気を付ける時、襖ふすまを明けて女中が見えました。

女「お銚子がお熱くなりました、誠に大層お静かでございます…お酌を致しましょう」

友「はい願いましょう、毎度御厄介を掛け、世話をやかしてお気の毒さま、もう私もこれぎり来られまい、遠方へ行ゆきますから、姉さんの顔も是が見納めでしょう」

女「まア厭でございますねえ、そんな事を仰しゃると心細うございますよ、此の間も久しいお馴染になったお客様がお役で御遠方へお出いでになるゆえ、お送り申して胸が一ぱいになりました、いけませんねえ、お村姉さんは度々たび〱お客様をお連れ下すって、柳橋にはお村さんより外ほかに好よい芸者衆しゅは無いと宅うちのお内儀かみさんも云って居りました、お村さんいけませんねえ」

村「私も一緒に行ゆくような事になりました」

女「羨うらやましい事ねえ、結句どんな所でも思う人と行っていれば辛いと思うものでございませんよ」

友「これはほんの心ばかりだが、どうぞ親方とお内儀に上げて下さい、これは女中衆しゅ八人へ、これは男衆しゅへ、たしか出前持とも六人でしたねえ」

女「毎度どうも、御心配なすってはいけません、誠に恐入おそれいりますねえ、只今親方もお内儀もお礼に出ますからお村さん宜しく」

友「此の羽織はいらない羽織で、だいなしになって居りますが、毎度板前さんにねえ我儘わがまゝを云いますから、何卒どうか上げて下さい」

女「誠にどうも有難うございます」

友「此の烟草入たばこいれはくだらないが毎いつも頼む使つかいの方に」

村「此の羽織はいけないのですがあのお金どんに、此の笄は詰らないのですがお前さんに上げるから私の形見と思って指さして下さい」

女「形見だなんぞと仰しゃると心細うございますねえ、本当に嘘でしょう、本当、まアどうも恟びっくりしますねえ、珊瑚樹さんごじゅの薄色うすいろで結構でございますねえ、私などはとても指す事は出来ませんねえ、これを頭へ指そうと思うと頭を見て笄が駈出してしまいますよ、笄には足がありますから、おやこれも、恐れ入りますねえ、少し横におなりなさいまし」

と屏風びょうぶを立廻たてまわし、枕元に烟草盆を置いて、床を取って、

女「お休みなさいまし」

と云って襖を締めて行ゆきましたが、二人は今夜死のうというのですから寝ても寝られません。種々いろ〱に思返おもいかえして見たが、死神に取付かれたと見えまして、思い止ることが出来ません。其の内に夜よも段々更けて世間が寂しんとして来ましたから、時刻はよしと二人はそっと出まして、牛屋の雁木へ参りますと、暮の事でございますから吾妻橋の橋の上には提灯ちょうちんがチラリ〱見えます。

村「友さん」

友「えゝ」

村「まだ吾妻橋を提灯が通るよ」

友「余程よっぽど更けた積りだが、そうでもなかったか」

村「これから二人で行ゆくのだが、私も今日昼過から家うちを出たから屹度きっとお母っかあが捜しているに違いない、若もし人目に懸って引戻されるともう逢う事は出来ないから、迂濶うっかりとは行かれないから、此の牛屋の雁木からでいゝから飛込んでおくれな」

友「此処こゝはねえ浪除杭なみよけぐいが打ってあって、杭の内は浅いから外へ飛込まなければならんが飛べるかえ」

村「飛べますよ、一生懸命に飛込みますから」

友「浪除杭の外は極ごく深い所だ」

村「じゃア、さア此処から飛込みましょう、お前さん一生懸命に私の腰をトーンと突いて下さいよ」

友「さア」

村「さア是で別れ〱にならないように帯の所へ縛り付けて下さい」

と緋ひの絹縮きぬちゞみの扱帯しごきを渡すから帯に巻付けまして、互に顔と顔を見合せると胸が一杯になり、

友「あゝ去年の二月参会の崩れから始めて逢ってお前と斯こう云う訳になろうとは思わなかったなア」

村「私のようなものと死ぬのは外聞がわるかろうけれども、友さん定さだまる約束と諦めて、どうぞ死んで彼世あのよとかへ行っても、どうぞ見捨てないで女房にょうぼと思っておくんなさいよ」

友「あいよ〱主人の金を遣つかい果たして死ぬのは、十一の時から育てられた旦那様に済まねえけれど、どうか御勘弁なすって下さい、己もお前も親はなし、親族みよりも少い体で斯うなるのは全く宿世すぐせの約束だなア」

村「あい、さア、友さん早く私を突飛つきとばしておくんなさい」

と二人共に掌てを合せて南無阿弥陀仏なむあみだぶつ〱と唱えながら、友之助がトーンと力に任せてお村の腰を突飛すと、お村はもんどりを打って浪除杭の外へドボーンと飛込んだから、続いて友之助も飛びましたが、お村を突飛ばして力が抜けましたか、浪除杭の内へ飛込んだから死ねません、丁度深さは腰切こしっきりしかありませんから、横になって水をがば〱飲みましたが、苦しいから杭に縋すがって這上はいあがりますと、扱帯は解けて杭に纒からみ、どう云う機はずみかお村の死骸が見えませんで、扱帯のみ残ったから、

友「おいお村〱、おいお村もう死骸が見えなくなったか、勘忍してくんな、己だけ死におくれたが、迚とても此処じゃア死しねねえから吾妻橋から飛込むから、今は退潮ひきしおか上汐あげしおか知らないが、潮に逆らっても吾妻橋まで来て待ってくんな、勘忍してくんな、死におくれたから」

と愚痴を云いながら漸ようやく堤どてを上のぼりましたが、頭髪あたまは素もとより散さんばらになって居り、月代さかやきを摺すりこわしたなりでひょろ〱しながら吾妻橋まで来たが、昼ならどのくらい人が驚くか知れません。其の時まだチラ〱提灯が見えて人通りがあるから、人目に懸ってはならんと云うので吾妻橋を渡り切ると、海老屋えびやという船宿があります。其処そこへ来てトン〱〱〱、

友「友」は底本では「村」と誤記「親方々々私だ明けておくんなさい〱、親方私だよ」

親方「何方どなたです」

友「私だよ」

親「何方です」

友「芝口しばぐちの紀伊國屋きのくにやの友之助ですよ」

親「友さんお上りなさい、誠にお珍しゅうございます、おやどうなすった」

友「もうねえ、余所よそのねえ、知らない船宿から乗って上ろうとして船を退ずらかしたものだから川の中へ陥おっこって、ビショ濡れで漸ようやく此の桟橋から上りました」

親「まア怪けしからねえ奴だねえ、無闇とお客を落すなどゝは苛ひどい奴です、嘸さぞお腹が立ちましたろう、何しろ着物を貸して上げましょう、風を引くといけません、何なんです紅あかい扱帯が垂下ぶらさがっていますねえ」

友「船頭がこんな物を垂下げやがって、仕様のねえ奴です…親方、何なんでも宜しゅうございますが気の付くように飲まない口だが一杯出してお呉くんなさい」

親「宜しゅうございます、おい己の〔「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」〕袍どてらを持って来な」

と着物を着替きかえ、友之助は二階の小間こまに入って、今に死のう、人が途断とぎれたら出ようと思って考えているから酒も喉のどへ通らず、只お村は流れたかと考えて居りますと、広間の方で今上って来たか、前からいたのかそれは知りませんが、がや〱と人声がするから、能く聞いてみると、どうもお村の声のようだから、はてなと抜足ぬきあしをして廊下伝いに来て襖に耳を寄せると、中にはかん〱燈火あかりが点つきまして大勢人が居ります。

文治「姉さん、お前能く考えて御覧なさい、お前さんは義理を立って又飛込とびこもうと云うのは誠に心得違いと云うものだ、と云うはお前さんの寿命が尽きないので、私共の船の船首みよしはなへ突当つきあたって引揚げたのは全く命数の尽きざる所、其の友さんとかは寿命が尽きたから流れて仕舞ったのだに、それをお前さんが義理を立って又飛込とびこもうと云うのは誠に心得違いだ、それよりは友さんも親族みよりのない人なら其の人の為には香花こうはなでも手向たむけた方が宜しい、またお母っかさんもお前さんを女郎に売るとか旦那を取れとか、お前さんの厭な事をしろと云う訳はないから、それは私がどうか話を付けて上げよう、左様ではございませんか」

田舎客「左様でがんすとも死のうと云うは甚はなはだ心得違い、若い身そらと云うは差迫りますと川などへ飛込んでおっ死ちんで仕舞うが、そんな駄目な事はがんせん、能く心を落付けてお頼み申すが宜えい」

森松「本当です、お前は芸者じゃアないか、お前は芸者だから先が惚れたんだ、いゝかえ、己うぬが勝手に主人の金を遣つかやアがって言い訳がないから死ぬのだが、それに附合つきあって死ぬやつがあるものか、死んだ奴は自業自得じごうじとくだ、お前は身の上を旦那に頼んで極きまりを付けて仕舞って、跡へ残って死んだ人の為に線香の一本も上げねえ、ウンと云って仕舞いねえ、旦那に任せねえ」

村「はい、有難う存じます、どうぞお母ふくろの方さえ宜よい様にして下されば、折角の御親切でございますから、私の身の上は貴所方あなたがたにお任せ申します」

と云うのが耳に入ると、友之助は怒おこったの怒らないのじゃアない、借着の〔「※」は「「褞」で「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」〕袍どてらの姿なりで突然いきなり唐紙からかみを明けて座敷へ飛込みまして物をも云わせずお村の髷たぶさを取って二つ三つ打擲致しましたから、一座の者は驚いて、

森「何なんだ〱〱何だ〱何処どこの人だか此処こゝへ入ってはいけません」

友「はい〱此のお村に誑ばかされまして、今晩牛屋の雁木で心中致しました自業自得の斃くたばり損ぞこないでございます」

文「それじゃアお前さんがお村さんと約束をして飛込んだ友之助さんと云う人かえ」

友「へいそうです…これお村、能く聞け、手前のような不実な奴が世の中にあるか、手前の方で一人で死ぬと云って愚痴を云い、己おれも死のうと云うと一緒なら死花しにばなが咲くと云ったじゃないか、己は死後しにおくれて死切しにきれないから漸ようやく堤どてへ上って、吾妻橋から飛込もうと思って来た処が、まだ人通りがあって飛こむ事もならねえから、此の海老屋へ来て僣ひそんでいたから手前が助かって来た事を知ったのだ、若もし知らずに己が吾妻橋から飛こんで仕舞ったら手前は跡で此の方に身を任せて、線香一本で義理を立たてる了簡りょうけんだろう、そんな不人情と知らずに多くの金を遣つかい果たして実に面目ない」

文「まア〱待ちなさい、暫しばらく待っておくんなさい、どうか待って下さい、腹を立ってはいかない、お村さんはお前さんが死んで仕舞ったと思って義理がわるいから是非死のうと云うのを、私わしが種々いろ〱と云って止めたからで、決して心が変ったと云う訳ではないから落付いて話が出来ます」

友「宜しゅうございます、そう云う腹の腐った女でございますなら思いきりますから、女房にょうぼにでも情婦いろにでも貴方あなたの御勝手になさい、左程さほど執心しゅうしんのあるお村なら長熨斗ながのしをつけて上げましょう」

文「私わしはお村さんとやらに初めてお目に懸ったので、此の上州前橋の松屋新兵衞さんと云うお方と一緒に、今日上流うわてで一杯飲んで帰る時、船首みよしにぶつかった死骸を引揚げて見ると、直すぐに気が付いたから、好よい塩梅あんばいだと思って段々様子を聞くと、これ〱だと云って又飛込もうとするから、一旦助けたものを、そんなら死になさいとは云われないから、種々いろ〱異見をして死ぬ事を止めたのだが、お前さんが助かって来ればこんな目出たいことはない、元々二人とも夫婦になれば宜いいのでしょう、私わしが惚れてゞもいると思われちゃア困りますが、家うちの一軒も持たせる工夫をして上げましょう、そうしたらお前さんの疑うたぐりも晴れましょう」

友「へー、それはどうも有がとうございます、此の方かたは本所の剣術の先生かえ」

村「いゝえ何処どこの方か初めての方が、実に親切に介抱をして下すったから、お礼を云うのを彼様あんな悪たいをついて済まないじゃないか、謝まっておくんなさい」

友「誠に私わたくしがあやまった、誠にどうも相済みません、私わたくしは取上とりのぼせていて貴所方あなたがたはお村の身請みうけをするお客と存じまして、とんでもない事を申しましたが、どうか御勘弁を願います、貴方は何方どちらの方でございます」

文「私も取紛とりまぎれてお近付きになりませんが、私は浪島文治と云う浪人でございます、不思議な御縁で今晩お目に懸りました、どうか幾久しゅう」

友「お村と私わたくしを本当に媒人なこうどになって夫婦にして下さいますか、どうぞ願います、拝みますから」

文「無闇に拝んでも行けませんが、どうすれば夫婦になれるか、其の様子を伺いたい」

友「別にむずかしい事はございません、私わたくしは主人の金を二百六十両余遣い果たして居りますから、これはどうしても大晦日までに返さんければ主人の前が立ちません、其の外ほかにもありますが、先まず二百六十両なければどうしても生きてはいられない義理になって居りますから此の世で添えないくらいなら死ぬ方がましと覚悟を致しました、お村も義理のわるい借財があって、旦那を取らんければどうしても女郎じょうろに売られるから死んで仕舞うと覚悟を致した処から、終ついに心中する事になりました、どうか大晦日までに二百六十両を貴方御才覚下すって、返して下さいまして、其の外に百両程ありますから其の借を返して下さいまして、お村のお母ふくろは慾張った奴でございますから、貰い切きりにするには三百両とも申しましょう、それをお母に遣って下さいまして、店の一軒も持たせて下さるように願います」

文「莫大ばくだいに金が入いる、それは困ります、中々私わしは無禄むろくの浪人で金の生なる木を持たんから六七百両の金はない。殊ことに押詰おしつまった年の暮でしようがないが、金をよしにしてどうか助ける工夫はありませんか」

友「それがいけない故に死ぬ了簡にもなったのでございますから、若し金が出来なければどうでもこうでも死にまする覚悟でございます」

文「そんな事とは知りませんから、うっかりお助け申そう夫婦にして上げようと云ったのは過あやまりだ、飛んだ事をしましたねえ、併しかし一旦助けようと云って、そんなら金が出来ん手を引くから死になさいと云うのも男が立たず、新兵衞さん当惑致しましたねえ」

新「文治郎様それは御心配なさいますな、松屋新兵衞が附いて居ります、二人には何も縁はねいが、貴方あんたには何なんでアノ業平橋で侍に切られる処を助かった大恩があるから、お礼をしていと思っても受けないから、何なんぞと思っていた処、好いい幸さいわいだから金ずくで貴方の男が立つなら金を千両出しましょう、えー出しやす」

文「いゝや」

新「いや出します」

文「でも」

新「金は千両位ぐらい出します、足りなければ三千両出しやす」

文「お前さん方は仕合しやわせだ、此の方がねえ金を出して下さると云うから命の親と思うが宜しい、こんな目出たい事はない」

友「有難うございます、松屋さまどうぞ決して御損はかけません、稼ぎますればどうかしてお返し申しますから、只今の処一時お助けを願います」

村「有がたい事、斯こう遣やって二人で助かる訳なら笄なども遣って仕舞わなければよかった」

とこれから松屋新兵衞は山の宿しゅくの宿屋へ帰り、お村と友之助は海老屋へ預けまして、翌日紀伊國屋の主人からお村のお母ふくろへ掛合に参りますのが一つの間違いになると云うお話になります。

六

文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合かけあいに参りまして、帰り掛がけに大喧嘩の出来る、一人の相手は神田かんだ豊島町としまちょうの左官の亥太郎いたろうと申す者でございます。其の頃婀娜あだは深川、勇みは神田と端歌はうたの文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓げいぎが沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿なりは絽ろでも縮緬ちりめんでも繻袢じゅばんなしの素肌すはだへ着まして、汗でビショ濡ぬれになりますと、直ぐに脱ぎ、一度切ぎりで後あとは着ないのが見えでございましたと申しますが、婀娜な姿なりをして白粉気おしろけなしで、潰つぶしの島田に新藁しんわらか丈長たけながを掛けて、笄こうがいなどは昔風の巾八分長さ一尺もあり、狭い路地は頭を横にしなければ通れないくらいで、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力かと存じますとそうではない、腕に力のあるものだそうでございます。腕を突張つッぱり己おれは強いと云う者が、開けない野蛮の世の中には流行はやりましたもので、神田の十二人の勇いさみは皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青ほりものをいたしました。大工の卯太郎うたろうが兎うさぎの刺青を刺ほれば牛右衞門うしえもんは牛を刺り、寅右衞門とらえもんは虎を刺り、皆紅差べにざしの錦絵にしきえのような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人の中うちでも一番強く、今考えて見れば馬鹿々々しい訳ですが、実に強い男で「これは亥太郎には出来まい」と云うと腹を立たって、「何でも出来なくって」と云い、人が蛇や虫を出して、「これが食えるか」と云うと「食えなくって」と云って直ぐに食い、「亥太郎幾ら強くってもこれは食えめえ」と云うと「食えなくって」と云いながら小室焼こむろやきの茶碗や皿などをぱり〱〱と食って仕舞い、気違いのようです。或ある時亥太郎が門跡様もんぜきさまの家根やねを修復しゅふくしていると、仲間の者が「亥太郎何程なにほど強くっても此の門跡の家根から転がり堕おちることは出来めえ」と云うと「出来なくって」と云って彼あの家根からコロ〱〱と堕ちたから、友達は減ず口を利いて飛んだ事をしたと思って冷々して見ていると、ひらりっと体たいをかわして堕際おちぎわで止ったから助かりましたが危い事でした。門跡様では驚いて、これから屋根へ金網を張りました。あれは鴻こうの鳥が巣をくう為かと思いました処が、そうではない亥太郎から初まった事だそうでございます。此の亥太郎が大喧嘩をいたしますのは後のお話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋善右衞門ぜんえもんの所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣つかい込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私わしが通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧やかましく云えば、水の出花の若い両人ふたり、復また駈出して身を投げるかも計られないから、何どうか私わしに面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私わしが入り、媒妁なこうどとなって夫婦にして末永く添遂そいとげさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様仰おっしゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々宛ずつ追々に入金すれば宜しい、併しかし暖簾のれんはやる事は出来ないが、貴方あなたが仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物しろものも貸してやりますが、当人の出入でいりは外ほかの奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大おおいに悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町どうぼうちょうに居るお村の母親お崎婆ばゞあの所へ参りました。

文「森松、己おれは斯こう云う所へ来たことはないから手前が先へ往ゆけ、此処こゝじゃアないか」

森「此処です……御免ない、お村さんの宅うちは此方こっちかえ」

文「なんだ愚図々々分らんことを云って、丁寧に云えよ」

森「丁寧に云い付けねえから出来ねえ……お村さんの処は此方こちらかね」

さき「はい、誰だえ、お入りよ、栄えいどんかえ」

森「箱屋と間違えていやアがらア」

と云いながら、栂つがの面取格子めんとりごうしを開けると、一間けんの叩きに小さい靴脱くつぬぎがありまして、二枚の障子が立っているから、それを開けて文治が入りました。其の姿なりは藍微塵あいみじんの糸織の着物に黒の羽織、絽色鞘ろいろざやに茶柄ちゃつかの長脇差を差して、年廿四歳、眼元のクッキリした、眉毛まゆげの濃い、人品骨柄こつがら賤いやしからざる人物がズーッと入りましたから、婆ばゞあはお客様でも来たのかと思って驚き、

婆「さア此方こちらへ、何どうも穢きたない処へ能く入っしゃいました」

文「御免なさい、始めてお目に懸りました、お前さんがお村さんのお母っかさんですか」

さ「はい、お村の母でございますよ、毎度御贔屓ごひいきさまになりまして有難うございます、宅にばかり居りますから、お座敷先は分りませんで、お母っかさん斯う云う袂落たもとおとしを戴いたの、ヤレ斯う云う指環ゆびわを戴いたのと云いましても、私わたくしにはお顔を存じませんから一向お客様の事は存じませんが、彼あの通りの奴で何時いつまでも子供のようですから、冗談でもおっしゃる方がありますと駈け出して仕舞う位で、お客様に戴いた物でも持栄もちばえがございません、指環を嵌はめてお湯などへ往ってはげるといけないと云うと、はげやアしない真から金きんだものなどと申して誠に私わたくしも心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様あなたさまは番町の殿様で」

文「いや手前は本所業平橋に居おる浪島文治郎と申す至って武骨者、以後幾久しくお心安く」

さ「はい、業平橋と云う所は妙見様みょうけんさまへ往ゆく時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生ながいきをいたしますよ、彼処あすこがお下屋敷しもやしきで」

文「いえ〱、私わしは屋敷などを持つ身の上ではありません、無禄の浪人です、お母っかさん実はお村さんのことに就ついて話があって来ましたが、お村さんは私わしの処へ泊めて置きましたが、お知らせ申すのが遅くなりましたから、嘸さぞお案じでございましょうと存じまして」

さ「おや、お村があなたの所に、そんなら案じやしませんが、朝参りに平常ふだんの姿なりで出ました切ぎり帰りませんから、方々探しても知れませんでしたが、貴方様の所へ往いっていると知れゝば着替えでも届けるものを、何時いつまでもお置きなすって下さいまし、安心して居りますから」

文「いやそう云う訳ではない、お母さんが聞いたら嘸お腹立でしょうが、実は芝口の紀の善の番頭友之助がお村さんと昨年来深くなり、其の友之助もお村さんゆえ多くの金を遣い果し、お村さんも借財が出来、互いに若い同士で心得違いをやって、実は昨夜牛屋の雁木で心中する所を、計らず私わしが助けたから、直ぐにお村さんばかり連れて来ようとも存じましたが、若い者が何か両人ふたりでこそ〱話をしているのを、無理に生木なまきを裂くのも気の毒だから、昨夜は私わしの家うちへ両人を泊めて置いて、相談に参った訳です」

さ「あらまア呆れますよ、心中するなんて親不孝な餓鬼ですねえ、まアなんてえ奴でしょう、そうとも存じませんで方々探して居りました、何卒どうぞ直ぐにお村を帰して下さい」

文「それは帰すことは帰すが、そこが相談です、それ程までに思い合った二人だから、夫婦にしないと又二人とも駈出して身を投げるかも知れないから、私わしが中へ入って二人共末長く夫婦にしてやりたい心得だから、何どうか唯たった一人のお娘子だが、友之助にやっては下さらんか、私わしが媒妁なこうどになります、紀の善でも得心して私わしが様ような者でもお前さんに任せると云って、見世を出し、代物しろものまで紀の善から送ってくれるから、商売を始めれば当人も出世が出来、お前さんがお村さんをやってくれゝば、事穏おだやかに治おさまりますから何どうか遣やって下さいな」

さ「いえ〱、飛んでもない事を云う、お気の毒だが遣れません、唯たった一人の娘です、それを遣っては食うことに困ります」

文「それは遣り切りではない、嫁にやるのだからお前さんは何処までも姑しゅうとだによって引取っても宜しいのだが、お前さんも斯う云う処に粋すいな商売をしている人だから、矢張り隠居役に芸者屋をして抱えでもして楽にお暮しなさい、其の手当として友之助の方からは一銭も出来ませんが、私の懐から金子五十両出して上げますから、それで抱えでもして気楽にお在いでなさる方が宜しかろうと考える、又毎月まいげつの小遣こづかいも多分は上げられないが、友之助に話して月々五両宛ずつ送らせるようにするから何どうか得心して下さい」

さ「お気の毒だが出来ません、能く考えて下さい、何なんだとえお前さんなんぞは斯う云う掛合を御存じないのだねえ、お前さんは生若いお方だから、斯う云う中へ入ったことがないから知らないのだろうが、お村はこれから私が楽をする大事の金箱娘かねばこむすめです、それを他所よそへ遣って代りを置けなんて、流行はやるか流行らないか知れもしない者に芸を仕込んだり、いゝ着物を着せておかれるものか、それで僅わずか五両ばかりの小遣を貰って私が暮されると思いますかえ、お前さんは柳橋の相場を御存じがありませんからサ、朝戸を開ければ会の手拭の五六本も投げ込こまれて交際つきあいの張る事は知らないのだろう、お前さんじゃア分らないから、分る者をおよこしなさい、お村は直ぐに帰しておくれ」

文「だがお母っかさん、五両と極めても当人が店を出して繁昌すれば、十両でも廿両でも多く上げられるようになるのが友之助の仕合せと申すもの、無理に二人の中を裂いて、又駈出して身でも投げると、却かえってお前さんの心配にもなるから、昨夜ゆうべ牛屋の雁木で心中したと思って諦めて下さい」

さ「死んで見れば諦めるかもしれねえが、あのおむらが生きている中うちは上げられません、七歳なゝつのときに金を出して貰い、芸を仕込んで今になってポーンと取られて堪たまるものかね、出来ません、お帰けえしなすって下さい、いけ太ぶてい餓鬼だ、私を棄てゝ心中するなんて、そんな奴なら了簡があります、愚図々々すれば女郎じょうろにでも打たゝき売って金にして埋合うめあわせをするのだ」

文「それじゃア私わしの顔に障るからどうか私わしに面じて」

さ「出来ませんよ、お前さんなんざア掛合をしらねえ小僧子こぞっこだア、青二才あおにせいだ、もっと年を取った者をお遣よこし、何なんだ青二才の癖に、何だ私の目から見りゃアお前めえなんざア雛鳥ひよっこだア、卵の殻が尻けつに付いてらア、直ぐに帰けえしてくんな、帰けえしようが遅いと了簡があるよ、親に無沙汰で何故娘を一晩でも泊めた、その廉かどで勾引かどわかしにするからそう思え」

森「旦那黙っておいでなせえ、此の婆ばゞあこん畜生、今聞いていりゃア勾引だ、誰の事を勾引と云やアがるんだ、娘の命を助けて話を付けてやるに勾引たア何なんだ」

さ「ぐず〱云わずに黙って引込ひっこんでいろ、兵六玉屁子助ひょうろくだまへごすけめ」

森「おや此の畜生屁子助たアなんだ」

文「これさ黙っていろ、それでは何どうあっても聞入れんか」

さ「肯きかれなけりゃアどうするのだ」

文「肯かれんければ斯こうする」

と云いながら、婆ばゞあの胸ぐらを取ってギューッと締めましたから、

婆「あ痛いた〱どうするのだ」

文「何うもしない、手前のような強慾ごうよく非道な者を生かして置くと、生先おいさき長き両人の為にならん、手前一人を縊くびり殺して両人を助ける方が利方りかただからナ、此の文治郎が縊り殺すから左様心得ろ」

さ「あ痛いたた〱恐れ入りました、上げますよ〱、上げますから堪忍して下さい、娘の貰引もらいひきに咽のどを締る奴がありますか、軍鶏しゃもじゃアあるまいし、上げますよ」

文「屹度きっとくれるか、これ〱森松、此の婆の云う事はグル〱変るから店受たなうけか大屋を呼んで来い」

と云うから森松は急いで大屋を呼んで来ました。

大「道々御家来様から承りますれば、お村を助けて下すった其の御恩人の貴方様へ此の婆が何か分らんことを申すそうで、此奴こいつは苛ひどい婆です、貴方様の御立腹は御尤ごもっともの次第です」

と此の家主いえぬしが中へ入りまして五十両の金子を渡しまして、娘を確かに友之助に嫁に遣ったと云う証文を取り、懐中へ入れて文治はお村の宅を出まして、

文「森松何どうだ、苛ひどい婆だなア」

森「苛い奴です、咽を締めたから死ぬかと思って婆が驚きやアがった」

文「なアにあれは威おどしたのサ、あゝ云う奴は懲こらさなければいかん、併しかし大分だいぶ空腹になった」

森「くうふくてえなア何なんで」

文「腹が減ったから飯を喰おうと云う事よ、何処どこか近い処にないか」

森「馬喰町ばくろちょう三丁目の田川たがわへ往いきましょう」

と二人連れで馬喰町四丁目へ掛ると、其の頃吉川よしかわと申す居酒屋がありました。其の前へ来ると黒山のように人立ひとだちがしているのは、彼かの左官の亥太郎ですが、此の亥太郎は変った男で冬は柿色の〔「※」は「「褞」で、「ころもへん」のかわりに「いとへん」をあてる」〕袍どてらを着、夏は柿素かきその単物ひとえものを着ていると云う妙な姿なりで、何処で飲んでも「おい左官の亥太郎だよ、銭は今度持って来るよ」と云うと、棟梁とうりょうさん宜しゅうございますと云って何処でも一文なしで酒を飲ませる。其の代りには堅いから十四日晦日に作料を取れば直ぐにチャンと払いまして、今度又借りて飲むよと云うから、何時いつでも棟梁さん宜しいと云われ、随分売れた人でした。それが吉川では番頭が代って亥太郎の顔を知らなかったのが間違いの出来る原もとで、

亥「番頭さん相変らず銭がないから今度払いを取った時だぜ」

番「誠に困りやす、代を戴かなくちゃア困りますなア」

亥「困るって左官の亥太郎だからいゝじゃアねえか」

番「亥太郎さんと仰おっしゃるか知れませんが銭がなくっては困ります」

亥「左官の亥太郎だよ」

番「誰様どなたさまかは存じませんが、飲んで仕舞ってから払いをしなければ食逃げだ」

亥「ナニ食逃げとは何をぬかす」

と云いながら職人で癇癖かんぺきに障ったから握り拳こぶしを以もって番頭を撲なぐりましたが、右の腕に十人力、左の手に十二人力あります、何どうして左の手に余計力があるかと云うに、これは左官のせいで、左官と云う者は刺取棒さいとりぼうで土を出すのを左の手の小手板で受けるのは何貫目なんがんめあるか知れません、それゆえに亥太郎の左手が力が多いので、その大力無双だいりきぶそうの腕で撲られたから息の根が止るばかりです。

亥「これ、能く己おれの顔を見て覚えて置け、豊島町の亥太郎だぞ」

と云う騒ぎに亭主が奥から駈出して来て、

主人「申し棟梁さん、腹を立たないでおくんなさい、これは一昨日おとゝい来た番頭でお前さんの顔を知らないのですから」

亥「己は弱い者いじめは嫌きれえだが食逃げとはなんでえ」

主「棟梁さん勘忍しておくんなさい」

と頻しきりに詫をしている。只今なれば直じきに棒を持って来てこれ〱と人を払って、詰らぬものを見ていて時間を費ついやすより早く往ったが好かろうと保護して下さるが、其の頃は巡査がありませんから追々人立がして往来が止るようになりました。文治は斯う云う事を見ると捨てゝ置かれん気性でございますから心配して、

文「大分だいぶ人立がしているが何なんだえ」

森「生酔なまよいが銭がねえと云うのを、番頭が困るって云ったら番頭を撲りやアがって」

文「可愛そうに、商売の障りになるから其の者が銭がなければ払ってやって早く表へ引出してやれ」

森「え、御免ねえ〱、おい兄い々々爰こゝでそんな事を云っちゃア商売の障りにならア表へ人が黒山のように立つから此方こっちへ来ねえ〱」

と引出して、今ではありませんが浅草見附あさくさみつけの石垣いしがきの処へ連れて来て、

森「兄い々々腹ア立っちゃアいけねえ、彼処あすこでごた〱しちゃア外聞げいぶんが悪いやア」

亥「おいよ、有難ありがてえ、己は弱い者いじめは嫌いだが食逃と云ったから撲ったのだ、商売の妨げをして済まねえが後あとで訳を付ける積りだ、お前めえ誰だっけ」

森「己は本所の番場の森松よ」

亥「そうか、本所の人か、己おらア又豊島町の若わけい衆しゅかと思った、見ず知らずの人に厄介やっかいになっちゃア済まねえ」

森「これサ、銭があるのねえのと外聞げいぶんが悪いじゃアねえか、銭がなけりゃア己が払ってやるから後あとに構わず往って仕舞いねえ」

亥「なに、銭がなけりゃア払って置くと、何なんだこれ、知りもしねえ奴に銭を払って貰うような亥太郎と思ってやアがるか」

森「おや生意気な事を云うな、銭がねえってから己が払ってやろうってんだ、何なんでえ」

亥「なに此の野郎め」

と力に任せてポーンと森松の横面よこっつらを打ぶちましたから、森松はひょろ〱石垣の所へ転がりました。文治は見兼てツカ〱とそれへ参り、

文「これ〱何なんだ、何も此の者を打擲する事はない、これは己の子分だ、少しの云い損いがあったればとて、手前が喧嘩をしている処へ仲人に入った者を無闇に打擲すると云うのは無法ではないか、今日こんにちの処は許すが以後は気を注つけろ、さっさと行ゆけ」

亥「なに手前てめえなんだ、これ己の名前目なめえもくを聞いて肝っ玉を天上へ飛ばせるな、神田豊島町の左官の亥太郎だ、己を知らねえかい」

亥「そんな奴は知らん、己は業平橋の文治郎を知らんか」

亥「なにそんな奴は知らねえ、此の野郎」

と文治郎の胸ぐらを取って浅草見附の処へとつゝゝゝゝと押して行ゆきました。廿人力ある奴が力を入れて押したから流石さすがの文治も踉よろめきながら石垣の処へ押付けられましたが、そこは文治郎柔術やわらを心得て居りますから少しも騒がず、懐中から取出した銀の延煙管のべぎせるを以て胸ぐらを取っている亥太郎の手の上へ当てゝ、ヤッと声を掛けて逆に捻ねじると、力を入れる程腕の折れるようになるのが柔術じゅうじゅつの妙でありますから、亥太郎は脆もろくもばらりっと手を放すや否や、何どういう機はずみか其処そこへドーンと投げられました。力があるだけに尚なお強く投げられましたが、柔術で投げられたから起ることが出来ません。流石の亥太郎も息が止ったと見えましたが、暫しばらくすると、

亥「此の野郎、己を投げやアがったな、覚えていろ」

と云いながら立上ってばら〱〱と駈出しましたから、彼奴あいつ逃げるかと思って見て居りますと、亥太郎は浅草見附へ駈込みました。只今見附はございませんが、其の頃は立派なもので、見張所には幕を張り、鉄砲が十挺ちょう、鎗やりが十本ぐらい立て並べてありまして、此処こゝは市ヶ谷長円寺谷ちょうえんじだにの中根大隅守様なかねおおすみのかみさま御出役ごしゅつやくになり、袴はかまを付けた役人がずーっと並んでいる所へ駈込んで、

亥「御免なせえ、今喧嘩をしたが、空手からってで打ぶつ物がねえから此処にある鉄砲を貸しておくんねえ」

役人「何なんだ、手前狂人きちがいか」

亥「狂人きちげえも何もねえ、貸しておくんねえ」

と云いながら突然いきなり鉄砲を提ひっさげ飛ぶが如くに駈出しましたが、無鉄砲と云うのはこれから始まったのだそうでございます。文治郎はこれを見て驚きました。今迄随分乱暴人も見たが、見付の鉄砲を持出すとは怪けしからぬ奴だが、鉄砲に恐れて逃げる訳には往ゆかず、拠よんどころないから刀の柄前つかまえへ手を掛け、亥太郎の下りて来るのを待って居りました。これが其の頃評判の見附前の大喧嘩でございますが、これより如何いかゞ相成りましょうか、次回つぎに申し上げます。

七

偖さて前回に演のべました文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川かんだがわの近江屋おうみやと云う道具屋の家うちに見附前の喧嘩の詫証文あやまりじょうもんと、鉄拵ごしらえの脇差と、柿色の単物が預けてあります。これは現に私わたくしが見たことがございますので、左官の棟梁亥太郎の書いたものであります。幾ら乱暴でも公儀のお道具を持出すと云うのはひどい奴で、此の乱暴には文治郎も驚きましたが、鉄砲を持って来られては何分なにぶん逃げる訳にもゆかんから、關兼元せきかねもとの無名擦むめいすりあげの銘剣の柄つかへ手を掛け、居合腰いあいごしになって待って居りましたが、これは何どうしても喧嘩にはなりません。見付の役人が捨すてておきません。馬鹿だか気違いだか盗賊だか分りませんが、飾ってある徳川政府のお道具を持出しては容易ならんから、見附に詰め合せたる役人が、突棒つくぼう刺股さすまた〔「※」は「かねへん+「戻」で中に「大」のかわりに「犬」をあてる」〕もじりなどを持って追掛おっかけて来て、折り重り、亥太郎を俯伏うつぶせに倒して縄を掛け、直すぐに見附へ連れて来て調べると、亥太郎の云うには、

亥「私わっちが黙って持って往ったら泥坊でしょうが、喧嘩をするのに棒がねえから貸しておくんねえって断って持って往ったから縛られるこたアねえ、天下てんがの道具だから貸しても宜いいだろう、私わっちも天下てんかの町人だ」

と云って訳が分らないが、天下の町人と云う廉かどで見附から町奉行まちぶぎょうへ引渡しになって、別に科とがはないが、天下の飾り道具を持出した廉で吟味中入牢じゅろうを申し付けると云うので、暮の廿六日に牢行ゆきになりました。此の事を聞いて文治郎は気の毒に思い、段々様子を聞くに、亥太郎には七十に近い親父おやじがあると云う事が分り、義のある男ですから何どうか親父を助けてやりたい、稼人かせぎにんが牢へ往ゆき老体の身で殊に病気だと云うから嘸さぞ困るだろう、見舞に往ってやろうと懐中へ十両入れて出掛けました。其の頃の十両は大たいした金です。森松を供に連れて神田豊島町二丁目へ参り、大坂屋おおさかやと云う粉屋こなやの裏へ入り、

文「森松こゝらかな」

森「へえこゝでしょう、腰障子に菱左ひしさに「い」の字が小さく角すみの方に書いてあるから」

文「こゝに違いない、手前先へ入れ」

森「御免なさい」

と腰障子を開けると漸やっと畳は五畳ばかり敷いてあって、一間いっけんの戸棚とだながあって、壁と竈へッついは余り漆喰じっくいで繕って、商売手だけに綺麗に磨いてあります。此処こゝに寝ているのが亥太郎の親父おやじ長藏ちょうぞうと申して年六十七になり、頭は悉皆すっかり禿げて、白髪の丁髷ちょんまげで、頭痛がすると見え手拭で鉢巻はちまきをしているが、時々脱ぬけ出すのを手ではめるから桶おけのたがを見たようです。

森「御免なせえ」

長「へえお出いでなせえ、何なんです長屋なら一番奥の方が一軒明いている、彼所あすこは借手かりてがねえようだが、それから四軒目の家うちが明いているが、些ちっとばかり造作があるよ」

森「なんだ、長屋を借りに来たのだと思ってらア、旦那お上あがんねえ」

文「初めてお目に懸りました、貴方あなたが亥太郎さんの御尊父さまですか」

長「へえお出いでなさい、誠に有難う、御苦労様です、なに大たいしたことはありませんが、何どうもお寒くなると腰が突張つっぱっていけません、奥の金きんさんが私わっちの懇意のお医者様があるから診て貰ったら宜かろうと云ったから、なアにお医者を頼む程じゃアねえと云っておいたが、それで来ておくんなすったのだろう、早速ながら脈を診ておくんなさい」

森「何を云ってるんでえ」

文「医者ではない、お前さんは亥太郎さんの親父おとっさんかえ」

長「へえ、私わしは亥太郎の親父おやじです」

文「私わしは本所の業平橋にいる浪島文治郎と云う至って粗忽者そこつもの、此の後ごとも御別懇に願います」

長「なに、そう云う訳ですか、生憎あいにく亥太郎が居りませんが、もう蔵は冬塗る方が保もちがいゝが、今からじゃア遅い、土が凍りましょう」

森「何を云うのだ、聾つんぼだな…そうじゃアねえ、お前めえさんは左官の亥太郎さんの親父おとっさんかと聞くのだ、此方こなたは本所の旦那で浪島文治郎と云うお方だ」

長「なに、江島えじまの天神さまがどうしたと」

森「分らねえ爺とっさんだ、旦那が声が小せいから尚お分らねえのだ、最もっと大きな声でお話なせえ」

文「私わしは本所業平橋の浪島文治郎と申すものです」

長「はア、本所業平橋の浪島文治郎と仰おっしゃるのか、亥太郎の親父おやじ長藏と申します、お心易やすく」

文「此の度たびは誠にお前さんにお気の毒で」

長「なアに此の度ばかりじゃアない、これは時々起るので、腰が差込んでいけません」

森「そうじゃアねえ、旦那がお前に近付ちかづきに来たのだよ」

文「亥太郎さんと私わしと見附前で喧嘩を致しましてねえ」

長「へえ五時いつゝ前に癲癇てんかんが起りましたえ」

森「そうじゃアねえ、亥太郎兄あにいと此の旦那と見附前で喧嘩をして、牢行ゆきになったから気の毒だって、爺とっさんお前の所へ此の旦那が見舞みめえに来たのだ」

長「はあお前さん、何どうも貴方の様に人柄の優しい人と喧嘩をするとは馬鹿な野郎で、大方食くれえ酔よって居たのでございましょう、子供の時分から喧嘩早けんかッぱようございまして、番毎ばんごと人に疵きずを付け、自分も疵だらけになって苦労ばかりさせるが、貴方は能くまア腹立もなく見舞みめえに来て下すって、誠に有難うございます、亥太郎が牢から出れば是非お詫事に連れて出ますから、何うか私わしに免じて勘弁しておくんなさい」

文「何う致しまして、これは心計りですが、亥太郎さんも御気性だから健すこやかで速すみやかに御出牢になりましょうが、それまでの助けにもなるまいが、真ほんの土産のしるしに上げますから、何か温あったかい物でも買って喫あがって下さい」

長「これはなんです」

森「これは亥太郎さんが牢へ行っているから、旦那が見舞に下すったのだ、金が十両あるのだ」

文「そんなことは云わんでも宜しい」

森「聾的つんてきで分らねえな、お前めえに土産にやるんだよ」

長「なに十両私に下さるとは何たる慈悲深なさけぶけいお方ですかねえ、亥太郎は交際つきあいが広いから牢へ差入れ物をしてくれる人は幾らもありますが、老耄ろうもうしている親爺おやじの所へ見舞に来て下さる方はありません、本当に貴方はお若いに似合にあわない親切な方です、暮に差掛さしかゝって忰せがれはいず、何どう為しようかと思っている処へ、十両と纒まとまった金を下さるとは有難いことで、御恩の程は忘れません、旦那様何卒どうぞ御勘弁なすって下さい」

文「なに誠に聊いさゝかですよ」

長「赤坂へお出いでなさるとえ」

森「聾つんぼだからしょうがねえ、行ゆきましょう〱」

文「さア帰ろう」

と森松を連れて宅へ帰りまして、其の年の内にお村と友之助に世帯を持たせなければならんから、諸方を探すと、浅草駒形こまかたに小さい家うちだが明家あきやがありましたから之これを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。袋物屋と云うものは店が小さくても金目の物が置けますから好いい商売でございます。友之助は荷を脊負出しょいだして出入先を歩く、宅うちにはお村が留守居ながら商売が出来ます。お村が十九で友之助が二十六ですから飯事まゝごと暮しをするようでございます。其の年も暮れ、翌年になり、安永九年二月の中旬なかばに、文治郎の母が成田山なりたさんへ参詣に参りますに就つき、おかやと云う実の姪めいと清助せいすけと云う近所の使早間つかいはやまをする者を供に連れて出立しゅったつしました。跡には文治郎と森松の両人切ふたりぎりで、男世帯に蛆うじがわくという譬たとえの通り台所なども手廻りませんで、お飯まんまを炊くと柔かくってお粥かゆのようなのが出来たり、硬こわくって焦げたのなどが出来たりします。友之助はお村に云い付けて、斯う云う時に御恩を返さなければならん、お前お菜かずを拵こしらえるのが面倒なら、料理屋から買かってゞもいゝから毎日何か旦那の所へ持っていってお上げ。と云うので毎日昼頃になると、お村が三組みつぐみの葢物ふたものに色々な物を入れて持って参ります。文治は「お前がそうやって毎日長い橋を渡って持って来るのは気の毒だから来てくれないように」と断っても此方こちらは友之助に云い付けられたから、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使つかいに出して独りで居りますと、空はどんよりとして、梅も最もう散り掛って暖あったかい陽気になって来ました。お村の姿なりは南部の藍の乱竪縞らんたつじまの座敷着「着」は底本では「看」と誤記《ざしきぎ》を平常着ふだんぎに下おろした小袖こそでに、翁格子おきなごうしと紺繻子こんじゅすの腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑「斑」は底本では「班」と誤記《ばらふ》の櫛くしに珊瑚珠さんごじゅ五分玉ごぶだまのついた銀笄ぎんかんを挿さし、前垂まえだれがけで、

村「旦那、今日こんにちは遅くなりまして」

文「また来たか、誠に心にかけて毎度旨い物を持って来てくれて気の毒だ、商売をしていれば嘸さぞ忙せわしかろうから態々わざ〱持って来てくれなくもいゝのに」

村「おいしくなくっても私わたくしが手拵てごしらえにして持って参りますが、其の代りには甘ったるい物が出来たり塩っ辛い物が出来たりしますが、旦那に上げたい一心で持って参りますのですから召上って下さいまし」

文「お前の手拵えとは辱かたじけない、日々にち〱の事で誠に気の毒だ、今日は丁度森松を使つかいにやったから、今自分で膳立ぜんだてをして酒をつけようと思っていた処で、丁度いゝから膳を拵えて燗かんをつけておくれ、手前と一杯やろう」

と云うので、お村は立って戸棚から徳利とくりを出して、利休形の鉄瓶てつびんへ入れて燗をつけ、膳立をして文治が一杯飲んではお村に献さし、お村が一杯飲んで又文治に酬さし、さしつ押えつ遣取やりとりをする内、互いにほんのり桜色になりました。色の白い者がほんのりするのは誠にいゝ色で、色の黒い人が赤くなると栗皮茶のようになります。

文「お村や、手前は柳橋でも評判の芸者であったが、私わしは無意気ぶいきもので芸者を買ったことはないが、手前に恩にかける訳ではないが、牛屋の雁木で心中する処を助けて、海老屋へ連れて来て顔を見たのが初めてゞ、あゝ美しい芸者だと思った其の時の姿は今に忘れねえが、彼あの時の乱れた姿は好よかったなア」

村「おや様子のいゝ事を仰しゃること、家うちにいると私のような無意気者はないと姉さんに云われましたのを、美くしいなどと仰っては間がわるくって気がつまりますよ」

文「いや真に美くしい女だ、手前が毎日路地を入って来ると、文治郎の家うちには母が留守だから隠し女でも引入れるのではないかと、長屋で噂をするものがあるから、それで手前に来てくれるなと云うのだ、友之助も母の留守へ度々来るのは快くあるまいから、もう今日切ぎり来てくれるなよ」

村「あら、参りませんと叱られますから来ない訳には参りません、旦那様は大恩人ですから斯う云う時に御恩返しをして上げろと申し、私わたくしも来たいから甘おいしくなくっても何か拵えてお邪魔に上ります」

文「手前が来てくれゝば己は有難いが、心中する程思い込んだ同士が夫婦になり、女房が無闇に一人で出歩けば亭主の心持は余りよくあるまい、己は独り者でいる所へ手前が毎日来て、ひょっと悋気りんきでも起しはしないかと思って、それが心配だ」

村「彼様あんなことを仰おっしゃる、悋気などはございません、何時いつでも往って来い、彼様あゝやって心中する処を旦那のお蔭で助かったのだから、浪島の旦那がお前を妾てかけに遣よこせと仰ゃれば直ぐに上げると云って居ります」

と一寸ちょっと云う口も商売柄だけに愛敬に色気を含んで居ります。まさか友之助がお村を妾めかけにやるとも申しますまいが、自然と云いように色気があるので、何どんなものでも酒を飲むと少しは気が狂って来るものと見え、文治もお村を美いい女だと思った心が失せないか、

文「手前と斯うやって酒を飲むのが一番いゝ心持だが、若もし己が冗談を云いかけた時は手前は何どうする」

村「おや旦那旨いことばかり仰おっしゃって私などに冗談を仰ゃる気遣きづかいはありませんが、本当に旦那様の仰ゃることなら私は死んでも宜しい、有難いことだと思って居ります」

文「それだから手前は世辞を云ってはいかんと云うことよ」

村「お世辞でも何なんでもありません、有難いことゝ思っても仕方がないが、旦那様のような凛々りゝしくって優しいお方はありませんよ」

文「それそう云うことを云うから男が迷うのだ、罪作りな女だのう」

と常にない文治郎は微酔ほろよい機嫌きげんで、お村の膝へ手をつきますから、お村は胸がどき〱して、平常ふだんからお村は文治郎に惚れて居りましたが、何時いつでも文治はきりりっとしているから云い寄る術すべもなくっていたのが、常に変って色めきました文治郎の様子に、

村「旦那、本当に左様そうなら私は死んでも宜ようございますよ」

と云いながら窃そっと文治郎の手を下へ置いて立上り、外を覘のぞいて見てぴったり入いり□□□□□□□、□□□□□□□□、□□□□□□閉たて、薄暗くなった時、文治の側へぴったり坐って、

村「旦那、貴方は本当に私の様なものをそう云って下されば、私は友之助に棄てられても本望ほんもうでございますが、其の時は貴方私のような者でも置いて下さいますか」

と文治郎の□□□□□□□□□□□が、こんな美しい女に手を取られて凭もたれ掛かゝられては何どんな者でもでれすけになりますが、文治郎はにやりと笑い、お村の手を払って立上り、九尺四枚の襖を開け、小窓の障子を開け、表の障子も残らず開け払って元の席へ坐り、

文「お村もう己の所へ来てくれるな、能く考えて見ろ、去年の暮友之助と牛屋の雁木から心中する所を計らずも助けて、両人ふたりの主人と親に掛合い、世帯しょたいを持たせ、己が媒妁なこうどになって夫婦にした処、友之助も手前も働き、店が繁昌すると云うから目出たいと思い、蔭ながら悦んでいた処、母が留守になり、毎日旨い物を持って来てくれるから、友之助の云い付けもあろうが斯うやって一人でいる文治郎の所へ若い女が毎日来ては、世間に悪評を立てられるかも知れんし、友之助にも済まんと云うのを肯きかずに毎日来るが、今手前の云った言葉は何どうしたのだ、命を助けられた文治郎の云うことだから否いやと云うことが出来ず、世辞に云ったか知らんが、仮令たとえ世辞にもそれは宜しくない、手前がそう云う心得違いでは友之助に言訳が立つまい、今日のは手前が世辞で云ったのであろうけれども宜しくないことだ、此の程も噂に聞けば、友之助の留守には芸者や幇間たいこもちが遊びに来るのをよいことゝし、酒を飲んで三味線さみせんなどを弾いて遊んでいると云うことだが、それは廃よせよ、商人あきんどの女房になって其様そんなことをしては宜しくない、今までの芸者屋とは違うぞ、世間の評も宜よろしくないから、友之助の留守には何どんな男が来ても留守だから上げることは出来んと云って速すみやかに帰せよ、必ず浮いた心を出すな、手前は今のような世辞を云うのが持前であるが、若し誰か手前に惚れて今のように凭もたれ掛り、手前のような挨拶あいさつをすれば、それは男だから何どんな間違いが出来るか知れん、其の時は友之助に対して操みさおを破らなければなるまい、己が冗談を云ったら己の手を払い除のけ、旦那貴方は宜よくないお方だ、私共わたくしども両人ふたりを助けて夫婦にして下すった恩人でありながら、苟かりそめにも宜くない、此の後のちは貴方の所へは参りませんときっぱり云ってくれるくらいな心があれば、己も嬉しく思う、今日の処は冗談にするが以後はならんぞ、さ一杯飲んで帰えれ〱」

と云われてお村は間まが悪いから真赤になって、猫が紙袋かんぶくろを被かぶったように逡巡あとびさりにして、こそ〱と台所から抜出して仕舞いましたが、さアもう文治郎の所へ行ゆくことは出来ません。友之助はそんなことは少しも知りませんから、

友「お村、此の頃は旦那の所へ往ゆかないが何どうしたのだえ」

村「旦那は機嫌かいで、機嫌のいゝ時と悪い時とは大変違いますよ、そうして幾ら堅いと云っても若いから、時々厭なことを云うから余あんまり近く往ゆかない方がいゝよ、何処どこか離れた所へ越そうじゃないか」

と云われ、友之助は素もとより気のいゝ人だから、

友「そうか、そんなことがあるのか、それなら他へ越そう」

と女房の云いなり次第になり、遂に文治郎に無沙汰むさたで銀座三丁目へ引越しましたが、後に文治郎が無名国へ漂流するのもお村の悪い為でありますから、女と云う者は恐るべきものでございます。さてお話二つに岐わかれまして、彼かの喧嘩の裁判は亥太郎が入牢じゅろうを仰せ付けられ、翌年の二月二十六日に出牢致しましたが、別に科とがはないから牢舎ろうやの表門で一百の重打おもたゝきと云うので、莚むしろを敷き、腹這はらんばいに寝かして箒尻ほうきじりで脊中を打ぶつのです。其の打人うちては打たゝき役小市こいちと云う人が上手です。此の人の打うつのは痛くって身体に障らんように打ちますが、刺青ほりもののある者は何どうしても強そうに見えるから苛ひどく打ちまして、弱そうな者は柔かに打ぶちます。亥太郎は少しも恐れないで「早く打ぶってお呉くんねえ」などと云い、脊中に猪の刺青が刺ほってあり、悪々にく〱しいからぴしーり〱と打うちます。大概たいがいの者なら一百打つとうーんと云って死んで仕舞うから五十打つと気付けを飲まして、又後あとを五十打つが、亥太郎は少しも痛がらんから、

獄吏「気付けを戴くか」

亥「気付なんざア入らねえ、さっさとやって仕舞ってくんねえ」

と云うから尚お強く打つが、少しも疲よわりませんで、打って仕舞うとずーっと立って衣服きものをぽん〱とはたいて、

亥「小市さん誠にお蔭様で肩の凝こりが癒なおりました」

と云ったが、脊中の刺青が腫はれまして猪しゝが滅茶めっちゃになりましたから、直ぐ帰りに刺青師ほりものしへ寄って熊に刺ほりかえて貰い、これから猪いの熊くまの亥太郎と云われました。其の後のち小市さんの所へ酒を二升持って礼に参り「あなたのお蔭で脊中の刺青が熊になった」と云われた時は流石さすがの小市も驚いたと云う程強い男ですから、牢から出ると、喧嘩の相手の文治郎のどてっ腹を抉えぐらなければならんと云うので胴金どうがね造りの脇差を差して直ぐに往ゆこうと思ったが、そんな乱暴の男でも親の事が気に掛ると見えまして、家うちへ帰って見ると、親父はすや〱と能く寝て居りますから、

亥「爺ちゃん能く寝ているな、勘忍してくんねえ、己おらア復また牢へ往ゆくかも知れねえ、業平橋の文治を殺して亥太郎の面つらを磨くから、己おれが牢へ往って不自由だろうが勘忍して呉んねえ」

と云われ長藏は目を覚し、

長「手前てめえは牢から出て来ても家うちに一日も落付いていず、やれ相談だの、やれ何なんだのと云ってひょこ〱出歩きやアがって、何なんだ権幕けんまくを変えて脇差なんどを提さげて、また喧嘩に往ゆくのだろうが、喧嘩に往くと今度は助かりゃアしねえぞ、喧嘩に往くのなら己おらア見るのが辛つれえから、手前てめえ今度出たら再び生きて帰けえるな」

亥「爺ちゃん、己おらア了簡があって業平橋の文治郎のどてっ腹を抉って腹癒はらいせをして来るのだ」

長「何だ、腹が痛いてえと」

亥「そうじゃアねえ、業平橋の文治郎を打たゝっ斬って仕舞うのだ」

長「此の野郎とんでもねえ奴だ、業平橋の文治郎様の所へは己おれがやらねえ、死んでもやらねえ、業平文治郎さまと云うのは見附前めえの喧嘩の相手だろう、其の方かたを斬りに往ゆくんなら己を殺して往け」

亥「なんだって文治郎を殺すのにお前めえを殺して往くのだ」

長「何もあるものか、手前てめえは知るめえが、去年の暮の廿六日に手前てめえが牢へ往って其の留守に、忘れもしねえ廿八日、業平橋の文治郎様が来て金を十両見舞に持って来てくれた、手前てめえが牢へ往って己が煩っていて気の毒だ、勘忍してくれと云って十両の金をくれた、其の金があったればこそ己が今まで斯うやって露命を繋つないで来た、其の大恩ある文治郎様に刃物を向けて済もうと思うか、さア往ゆくなら己の首を斬って往け、殺して往け、恩を仇あだで返けえすのは済まねえから殺して往け、さア殺せ」

亥「待ちねえ爺ちゃん、何か全く文治郎さんがお前めえの所へ金を持って来てくれたに違ちげえねえか、爺」

長「暮になって何どうも仕様のねえ所へ十両の金をくれて、それで己が今まで食っていたのだよ」

亥「そうとは知らずにどてっ腹をえぐろうと思っていた」

長「なに小塚原こづかっぱらへ往くと、己やらねえ」

亥「そうじゃアねえ、己が知らねえからよ」

長「なに不知火関しらぬいぜきを頼むと」

亥「全く金を十両くれたかよ」

長「そうよ」

亥「あゝ後悔した」

長「なにそんな事を云っても己おれアやらねえ」

亥「本所から度々名の知れねえ差入物が来ると云ったが、それじゃア文治郎が送ってくれたか、又己の留守に金を十両持って見舞みめえに来てくれたとは己は済まねえ」

長「何をぐず〱云っている、己出さねえ、やらねえ」

亥「爺ちゃん、知らねえと云って済まねえなア」

長「うん済まねえ」

亥「知らねえからよ」

長「牢から出たら手前てめえを連れて詫に往ゆこうと思っていた」

亥「直ぐに詫に往くよ」

長「嘘をつけ、そんなことを云ってまた喧嘩に往くんだろう、己やらねえ」

亥「大丈夫だよ、案じねえように脇差をお前めえに預けるから」

長「何処どこでこんな物を買って来きやがった、詫に往かなければ己を殺せ」

亥「何か土産を持って往きてえが何がいゝだろう、本所は酒がよくねえから鎌倉河岸かまくらがしの豐島屋としまやで酒を半駄かたうま買って往こう」

長「なんだ、年増と酒を飲みに往く、そんなことはしねえでもいゝ」

亥「そうじゃアねえ、済まねえから詫に行ゆくのだ、安心して寝ていねえ」

長「己も往きてえが腰が立たねえからとそう云ってくれ」

亥「それじゃア往って来るよ」

と正直の男だから鎌倉川岸がしの豐島屋へ往って銘酒を一樽たる買って、力があるから人に持たせずに自分で担かついで本所業平橋の文治の宅へ参り、玄関口から、

亥「御免なせえ〱」

森「おゝ、こりゃアお出いでなせえ」

亥「いやなんとか云ったっけ、森松さんか、誠に面目ねえ」

森「己の所の旦那が阿兄あにきのことを彼あア云う気性だから大丈夫だと安心していたがねえ、まア出牢で目出度めでてえや」

亥「去年の暮お前めえを手込てごめにして済まなかった、面目次第もねえ、勘忍してくんねえ、己おらア知らねえで旦那のどてっ腹をえぐりに来きようと思ったら、己の所とこの爺とっさんの所ところへ旦那が見舞みめえをくれたと云うことを聞いて面目次第もねえ、旦那にそう云ってくんねえ、土産を持って来るのだが、本所には碌ろくな酒はあるめえと思って」

森「酷ひどい事を云うぜ」

亥「豐島屋の酒を持って来た、旦那に一杯ぺい上げて盃を貰もれえてえってそう云ってくんねえ」

森「少し待っていねえ、お母様ふくろさんに喧嘩の事なんぞを云うと善よくねえから、旦那に内証ないしょで話して来るから」

と森松は奥へ往きますと、文治は母親に孝行を尽して居りますから、森松はそっと、

森「旦那え〱」

文「何なんだ」

森「見附前めえの鉄砲が来ましたよ」

文「亥太郎が来たか」

森「来ました、驚きましたねえ、酒を一樽荷かついで来て旦那に上げてくれって来ました」

文「逢いたいが、お母様っかさんの前で彼あんな荒々しい奴が話をしては、お驚きなさるといけないから、角かどの立花屋たちばなやへ連つれって往って、酒肴さけさかなを出して待遇もてなしてくれ、己が後あとからお暇を戴いて往ゆくから」

森「へー」

と云って森松は亥太郎を連れて立花屋へ参り、酒肴を誂あつらえ待っている所へ文治郎が参りまして、

文「さア此方こちらへ〱」

亥「誠にどうも旦那面目次第しでえもございません、去年の暮は喰くれえ酔って夢中になったものだから、お前めえさんに理不尽なことを云いかけて嘸さぞお腹立でござえやしょう、御勘弁なすって下せえ」

文「どう致して、先まず目出度めでたく御出牢で御祝ごしゅくし申す、どうしても気性だけあって達者でお目出たい」

亥「へーどうも」

文「先刻は又お土産を有難うございます」

亥「いや最もう何どうも、誠につまらねえ品でござえやすが、本所にはいゝ酒がねえと思って豐島屋のを一本持って来て、旦那に詫をして盃を貰もれえてえと思って来ました」

文「私わしも衆人しゅうじんと附合うが、お前のような強い人に出会ったことはない、どうも強いねえ」

亥「私わっちも旦那のような強い人に出会ったことはねえ、初めてだ」

文「見張所の鉄砲を持ち出したのはえらい」

亥「どうも面目もございません、旦那は喧嘩の相手を憎いとも思わず、私わっちの爺ちゃんの所へ金を十両持って来てくれたそうで、随分牢へは差入物をよこす人もあるが、爺の所へ見舞みめえに来て下すったはお前めえさんばかりで、私わっちのような乱暴な人間でも恩を忘れたことはねえから、旦那え、これから出入でいりの左官と思って末長く目をかけておくんなせえ、お前めえさんに金を貰ったから有難いのじゃアねえ、お前めえさんの志に感じたからどうか末長く願います」

と云うので、文治郎が盃を取って亥太郎に献さして、主しゅう家来同様の固めの盃を致しましたが、人は助けておきたいもので、後に此の亥太郎が文治の見替りに立ってお奉行と論をすると云うお話でありますが、次回つぎにたっぷり演のべましょう。

八

業平文治が安永の頃小笠原島おがさわらじまへ漂流致します其の訳は、文治が人殺しの科とがで斬罪ざんざいになりまする処を、松平右京まつだいらうきょう様が御老中ごろうじゅうの時分、其の御家来藤原喜代之助ふじわらきよのすけと云う者を文治が助けました処から、其の藤原に助けられまするので、実に情なさけは人の為ならでと云う通り、人に情はかけたいものでございます。男達おとこだてなどは智慧もあり又身代しんだいも少しは好よくなければなりませんし無論弱くては出来ませぬが、文治の住居すまいは本所業平村の只今植木屋の居ります所であったと云うことでございます。文治の居ります裏に四五軒の長屋があります、此処こゝへ越こして来ましたのは前ぜん申上げました右京様の御家来藤原喜代之助で、若気わかげの至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺はまり、御主人のお手許金てもときんを遣つかい込み、屋敷を放逐ほうちく致され、浪人して暫しばらく六間堀ろっけんぼり辺に居りました其の中うちは、蓄えもあったから何どうやら其の日を送って居りましたが、行ゆき詰って文治の裏長屋へ引越ひきこし、毎日弁当をさげては浅草の田原町たわらまちへ内職に参ります。留守は七十六歳になる喜代之助の老母とおあさと云う別嬪べっぴん、年は廿六ですが一寸ちょっと見ると廿二三としか見えない、うすでの質たちで色が白く、笑うと靨えくぼがいります。此の靨と云うものは愛敬のあるもので私わたくしなどもやって見たいと思って時々やって見ましたが、顔が皺しわくちゃだらけになります。おあさは小股こまたの切り上った、お尻しりの小さい、横骨の引込ひっこんだ上等物で愛くるしいことは、赤児あかごも馴染むようですが、腹の中は良くない女でございますけれど、器量のよいのに人が迷います。所で森松が岡惚おかぼれをしましてちょく〱家うちの前を通りまして、

森「えー今日こんちは」

などと辞ことばをかけたり水を汲んでやったり致しますが、妙なもので若い女が手桶ておけを持って行ゆくと「姉さん汲んで上げましょう」と云いますが、これがお婆ばあさんが行って「一つ汲んでおくんなさい」と云うと、井戸を覗いて見て「好いい塩梅あんばいに水があればいゝが」と云うくらいなことで。森松がちょく〱水を汲んでくれたり、買物や何かして遣やりますから、おあさは手拭の一筋もやったりなどして居りますと、或日のことおあさが云うに、

あさ「お母っかさんが煩っていてじゞ穢むさくって仕様がないよ、何かする側で御膳を喫たべるのは厭いやだから、森さんお前さんの知っている所でお飯まんまを喫べよう」

と云われた時は森松は嬉しくって、

森「参りやすとも、角の立花屋へ往って待っておいでなせえ」

と約束して、これから森松は借物の羽織で小瀟洒こざっぱりした姿なりをして出掛けて往ゆき、立花屋の門口から、

森「親方今日こんちやあ」

立「立」は底本では「五」と誤記「いや森さんかえ」

森「二階に(こゆびを見せる)こりゃアいやアしませんか」

立「なんだい小指を出して、お前さんのお連つれかえ、先刻さっきから来ているよ」

と云われ、森松はニコ〱しながらとん〱〱と二階へ上あがると、種々いろ〱な酒肴さけさかなを取っておあさが待って居りまして、

あ「ちょいと遅いことねえ、お前まはんが来ないから私は極りが悪くって仕様がないよ」

森「宅うちを胡麻化して来ようと思ってつい遅くなりやした」

あ「あら髪なんぞを結って来るんだものを」

森「なアに家うちを出る時髪を結って来ると云って出ねえと極りが悪いから」

あ「気にも入るまいが色か何かの積りで緩ゆっくり飲んでおくれな」

森「大層お肴がありやすねえ」

あ「さアお喫あがりよ」

森「戴きやす、御新造ごしんぞのお酌で酒を飲むなんて勿体もってえねえことです、えーどうも旨いねえ」

あ「ちょいと種々いろ〱森さんのお世話になり、買物をするにも勝手が知れないから聞くと、私が買って上げようと云ってお世話になるから、何か買って上げようと思ったが、宅うちへ知れると年寄に訝おかしく思われるから思うようにいけないが、これは少しだがお前さんに上げるから」

森「こんな事をなすっちゃアいけませんよ」

あ「ちょいと私が、お前さんに袷あわせの表を上げたいと思って持って来たよ、じゃがらっぽいがねえ銘仙めいせんだよ、ぼつ〱して穢きたならしいけれども着ておくれでないか」

森「戴く物は夏もお小袖と云うから結構でござえやす」

あ「斯うしよう、お前の着物の寸法を書いておよこし、良人うちの留守の時縫って上げよう」

森「こりゃア有難い、これはどうもお前さんのような御気性な人はねえや、ちょくで人を逸そらさないようにして…あなたの所とこの旦那はお堅うござえやすねえ」

あ「屋敷者だもの、だから不意気ぶいきだよ」

森「朝ね、黒い羽織を着て出る時、何時いつも路地で逢うから、旦那お早うと云うと、好いい天気でござるなんかんて云うが、あんな堅い方はありません、一杯戴きやしょう、好い酒だ、私わっちアね何時でも宅うちを出る時、極りが悪いからちょっと往って来きやすよと云うと、旦那ア知ってるから森やア酔わねえように飲めよと云われるが、宅じゃア気が詰って飲めねえし、どうも酔えねえようには出来ねえが、宅の旦那は妙ですねえ…どうも有難うござえやす」

あ「私わたしアあねえ気が合わないから宅うちの藤原と別れ話にして、独り暮しになるからちょく〱遊びに来ておくれよ」

森「へー往ゆくくらいじゃア有りやせん、へえ別れるねえ」

あ「別れると宅うちのも屋敷へ帰るし、私もいゝから別れようと思うのさ」

森「成程気が合わねえ、へえ成程、へえお前さんが独りになればポカ〱遊びに往ゆきますよ」

あ「こんな事を云って、私が一生懸命の事を云うが、お前叶かなえておくれか」

森「何なんの事ですか、あなたの云う事なら聴きますともさ」

あ「女の口からこんな事を云って聴かないと恥をかくからさ」

森「聴きますよ、えゝ聴きますとも」

あ「蔑さげすんじゃアいけないよ」

森「蔑すむ処どころか上げ濁にごしますよ」

あ「本当に無理な事を云って蔑んではいけないよ」

森「それとも…私わっちのような者に惚れる訳はないもの」

あ「あれさお前じゃアないよ」

森「私わっちじゃアねえ、然そうだろうと思った」

あ「お前の処とこの文治さんにさ」

森「こりゃア呆あきれたねえ、こりゃア惚れらア、男でも惚れやすねえ」

あ「男振おとこぶりばかりじゃアないよ、世間の様子を聞くと、お前の所の旦那は下しもの者へ目をかけ、親に孝行を尽すと云うことだから私アつく〲惚れたよ、何どうせ届かないが森さん、私が一人で暮すようになれば旦那を連れて来ておくれ、お酒の一杯も上げたいから」

森「こりゃア惚れますねえ、宅うちの旦那には女ばかりじゃアねえ男が惚れやすが、堅いからねえ、何どうとかして連れて往ゆきましょう、私わっちが旦那を連れて新道しんみちを通る時、お前さんが森さんお寄んないと云うと、私わっちが旦那こゝは先せんに宅うちの裏にいた藤原の御新造ごしんぞの家うちだから鳥渡ちょっと寄りましょうと云うので連れ込むから」

あ「私ア素人っぽい事をするようだが、手紙を一本書いておいたから、旦那の機嫌の好いい時届けておくれ」

森「大形おおぎょうになりやしたなア、こりゃアお前さんが書いたのかね」

あ「艶書いろぶみが人に頼まれるものかね」

森「それじゃア機嫌の好い時に届けやしょう」

と云って互いに別れて宅うちへ帰って、森松は文治に云おうかと思ったが、正しい人ゆえ、家うちにいても品格を正しくしているから口をきく事が出来ません。或日の事母が留守で、文治が縁側へ出て庭を眺ながめて居りますから、

森「旦那え」

文「何なんだの」

森「今日こんちは誠に結構なお天気で」

文「何だ家うちの内で常にない更あらたまってそんな事を云うものがあるものか」

森「何時いつでも御隠居さんが、文治に好いい女房にょうぼを持たせて初孫ういまごの顔を見てえなんて云うが、あんたは御新造をお持ちなせえな」

文「御新造を持てと云っても己おれのような者には女房にょうぼになってくれ人てがないや」

森「えゝ、旦那が道楽の店でも出せば娘っ子がぶつかって来ますが、旦那は未いまだに女の味を知らねえのだから仕方がねえや、何どんなのが宜ようごぜえやすえ、長いのが宜うがすかえ、丸いのが宜うがすかえ」

文「それは長いのが宜いいと思っても丸いのを女房にょうぼにするか皆縁ずくだなア」

森「裏へ越して来た藤原の御新造は何どうです」

文「左様々々、彼あれは美人だの」

森「なアに、そうじゃアありやせん、彼は何どうです」

文「大層世辞がいゝの」

森「彼は何うです、彼になせえな」

文「彼になさいと云っても彼は藤原の女房にょうぼうだ」

森「女房じゃアありません、来月別れ話になって、これから孀婦やもめ暮しにでもなったら、旦那を連れて来てくれってんです」

文「嘘をいうな」

森「嘘じゃアねえ私わっちを立花屋へ連れて往って御馳走をして、金を二分ぶくれて、旦那を斯こうと云うのです」

文「嘘を吐つけ」

森「嘘じゃアありやせん、この文ふみを出して、何どうか返事を下さいってんでさア、返事が面倒なら発句ほっくとか何なんとか云うものでもおやんなせえ」

文「これは彼あの女の自筆か」

森「痔疾じしつなんざアありやせんや、瘡毒とやに就ついて仕舞っているから」

文「そうじゃアない彼の女の書いたのか」

森「先せんにゃア人に頼んだろうが、今じゃア人には頼めやせんや」

文「何なんだってこれを持って来た」

森「何なんだってって旦那に返事を書いて貰ってくれと云うから」

文「痴漢たわけめ」

森「あゝ痛いてい、何をするんで」

文「苟かりそめにも主ぬしある人の妻ものから艶書を持って来て返事をやるような文治と心得て居おるか、何なんの為に文治の所へ来て居る、汝わりゃア畳の上じゃア死しねねえから、これから真人間になって曲った心を直すからと云うので、己の所へ来ているのじゃアないか、人の女房から艶書を貰うような不義の文治郎の所に居ては貴様の為にもならん、さア大事は小事より起るの譬たとえで、片時かたときも置くことは出来ん、出て往ゆけ」

森「何どうか御勘弁を」

文「ならん、二言ごんは返さん、只今出て往け」

森「大失策おおしっさくをやった、大違おおちげえをやったなア、考えて見りゃア成程何どうも主ぬしある女の処から艶書ふみなんぞを持って来きちゃア済まねえ、旦那には御恩になっても居りますし、人中ひとなかへ出て森兄あにいと云われるのも旦那のお蔭でござえやすから何どうか人間になりてえと思って、旦那の側に居りやすが、御恩送りは出来ねえから身体のきくだけは稼かせいで御恩返ごおんげえしをしようと思って、親爺おやじの葬式とむらいまで出してくだすった旦那の側を離れたくねえから、若もし知らねえ御新造が来て、森松なんぞのような働きのねえものを置いちゃアいけねえと云われて、逐出おいだされでもするかと思うから、何どうかいゝ御新造をお持たせ申してえと思っている処へ、話があったからうっかりやったんで、今逐出されると往ゆき処がねえから、仕方なく又悪い事を始めて元の森松になるとしょうがねえから、堪忍して置いておくんなせえ、これから気を注つけやすから」

文「往き処のない者を無理に出て往けとは云わんが、能よく考えて見ろ、藤原の女房を私わしが家内にして為になると心得て居おるか、それが分らんと云うのだ、藤原が右京の屋敷を出たのも彼あの女の為に多くの金を遣つかい果し今は困窮して旦あしたに出て夕ゆうべに帰る稼ぎも、女房にょうぼや母を糊すごしたいからだ、其の夫の稼いだ金銭を窃くすねて置けばこそ、手前に酒を飲ませたりすると云う事が分らんかえ、痴漢たわけめ」

森「分らねえから泡あわアくって仕舞ったので、その文ふみを返けえしましょうか」

文「これは己が心あるから取り置く」

と文治の用箪笥ようだんすの引出へ仕舞い置きましたのは親切なのでございます。左様なことは知らんから、おあさの方では返事が来るかと思って何をするにも手に付かず、母に薬もやらず、お飯まんまも碌々食べさせないから饑ひもじくなって、私にお飯まんまを食べさせておくれと云うと皿小鉢さらこばちを叩き付ける。藤原が帰って来て其の事を母が話すと、

あ「いゝえお母っかさんは今日は五度いつたび御膳を食あがって、終しまいにはお鉢の中へ手を突込つッこんで食あがって、仕損しそこないを三度してお襁褓しめを洗った」

などと云うと、元より誑たぶらかされているから、

藤「お母っかさん、そんな事をなすっては宜しくありません、えゝ」

と云って少しも構いませんから、隣近所から恵んでくれる食物たべもので漸ようやく命を繋つないで居ります。或日の事、おあさが留守だから隣にいる納豆売の彦六ひころくが握飯むすびを拵こしらえて老母の枕許まくらもとへ持って来て、

彦「御隠居さま、長らく御不快で嘸さぞお困りでしょう、今お飯まんまを炊いた処が、焦こげが出来たから塩握飯しおむすびにして来ましたからお食あがんなさい」

母「有難うございます、あなた様、彼あれが私を〔「※」は「しょくへん+曷」〕ほし殺そうと思って邪慳じゃけんな奴でございます、藤原も彼あんな奴ではございませんでしたが、此の頃は馴合なれあいまして私を責め折檻せっかん致します、余あんまり残念でございますから駈け出して身でも投げたいと思っても足腰が利かず、匕首あいくちを取出して自害をしようと思いましても、私の匕首までも質に入れてございません、舌を食い切って死のうと思っても歯はございませんし、こんな地獄の責せめはございませんから私は喫たべずに死にます」

彦「そんなことを云ってはいけません、さアお食あがんなさい」

と云われ元は二百六十石も取りました藤原の母ががつ〱して塩握飯を食べて居ります処へ、帰って来たのはおあさで、

あ「お出いでなさい」

彦「いやこれは」

あ「お母っかさん又お鉢の中へ手を突込んで仕損しそこないをすると私が困りますから」

彦「あゝ御新造さんこれは私わしが持って来たので、お母っかさんがお鉢から食べたのではありません」

あ「へえお前さんは能く持って来て下さるが、仕損いをするとしょうがないから上げないのに、何故なぜ持って来て食わせるんだえ、私共は浪人しても武士だよ、納豆売風情ふぜいで握飯にぎりめしを母へくれるとは失礼な人だ」

彦「これは失礼しました、斯こうやって同じ長屋にいれば、節句銭せっくせんでも何なんでも同じにして居ります、お前さんの所が浪人様でも、引越ひっこして来た時は蕎麦そばは七つは配りゃアしない、矢張やっぱり二つしか配りはしないじゃないか、お母さんは仕損いも何もなさりはしないのに、旦那が知らないと思って、種々いろ〱な事を云って旦那を困らして、お前さんはお顔に似合わない方です」

あ「顔に似合うが似合うまいが大きにお世話だ、さっさと持ってお帰り」

と云いながら、握飯むすびをポカーリッと投ほうり付けました。

彦「何をするんです、勿体もってえねえや、ムニャ〱〱持って来たってなんでえ」

あ「お母様っかさま、あなたは納豆売風情に握飯を貰って食あがりとうございますか、それ程食りたければ皿ごと食れ」

と云いながら入物いれものごと投ほうり付けましたが、此の皿は度々たび〱焼継屋やきつぎやの御厄介になったのですから、お母ふくろの禿頭はげあたまに打付ぶッつかって毀こわれて血がだら〱出ます。口惜くやしくって堪たまらないからおあさの足へかじり付きますと、ポーンと蹴けられたから仰向あおむけに顛倒ひっくりかえると、頬片ほっぺたを二つ三みつ打ぶちました。

彦「あゝ驚いた、こんな奴を見たことはない、鬼だ〱」

と云いながら彦六は迯にげ帰って此の事を長屋中へ話して歩きまして、長屋中で騒いでいるのが文治の耳へ入ると、聞捨てになりませんから、日の暮々くれ〲に藤原の所へ来て、

文「はい御免なさい」

と云われおあさは惚れている人が来たから、母を折檻した事を取隠とりかくそうと思って、急に優しくなって、

あ「お母っかさん浪島の旦那様が入っしゃいましたよ、能く入っしゃいました、能くどうも、さア此方こちらへ」

と云うおあさの方を見返りも致さんで、老母の枕許まくらもとへ来て、

文「御老母様、手前は浪島文治でございます、あなたは鬼のような女に苛ひどい目に遇あって、嘸さぞ御残念でございましょう、只今私が敵かたきを討って上げます」

と云っておあさの方を向き、

文「姦婦かんぷこれへ出ろ」

と云う文治の権幕けんまくを見ると、平常へいぜい極ごく柔和の顔が、怒いかり満面にあらわれて身の毛のよだつ程怖い顔になりました。

文「姦婦助けは置かん」

と云いながらツカ〱と立って表の戸を締めたから、

あ「アレー」

と云って逃げようとするおあさの髻たぶさを取って、二畳の座敷へ引摺ひきずり込み、隔へだての襖ふすまを閉たてましたが、これから如何いかゞなりましょうか、次回つぎに述べます。

九

文治は突然いきなりおあさの髻たぶさを取って二畳の座敷へ引摺り込み、此の口で不孝を哮ほざいたか、と云いながら口を引裂ひっさき肋骨あばらぼねを打折ぶちおり酷ひどい事をしました。暫しばらくすると障子を開け、顔色を変えて出て参り、老母の前に手をついて、

文「お母っかさま、あなたの禍わざわいは文治郎が只今断ちました、喜代之助殿お帰りがあったら、文治郎が参って御家内を手込みに殺しましたと左様お仰っしゃって下さい、嘸さぞ貴方あなたは御残念でございましたろう、早く御全快になって些ちとお遊びに入っしゃい、左様なら」

と云って帰ったから、母親は驚いている処へ藤原喜代之助が帰って参り、右の次第を聞き、怒おこったの怒らないのと云うのではありません。予かねて文治と云う奴は、腕を突張つッぱって喧嘩の中や白刃はくじんの中へ飛込むと云う事は聞いて居おったが、仮令たとえ何どのような儀があっても人の女房を手ごめに殺すとは捨置きにならん、拙者も元は右京の家来、二百六十石を取った藤原喜代之助、此の儘捨置きにはならん、と云って大小を取出し、黒ペラの怪しい羽織を着、顔色変えて文治郎方の玄関へ係り、

喜「頼む〱」

森「お出でなせい、何なんでげす」

と藤原の顔を見ると様子が違っているから、少し薄気味が悪くなり、後あとに下って、

森「あの〱生憎あいにく旦那はお留守でござえやすが、何なんの御用ですか」

喜「御不在とあらば止やむを得ん、御老母様にお目に懸りたい、藤原喜代之助でござる、御免を蒙こうむる」

と云いながら提ひっさげ刀がたなでズーッと通りましたから、森松は文ふみの取次をした事が露顕したか、立花屋で御馳走になって二分貰った事が顕あらわれやしないかと思って気を揉もんでいると、喜代之助は老母の前へピタリッと坐ったが、老母には様子が分りませんから、

母「おや〱これは好よくいらっしゃいました、生憎文治郎は不在でございますが、何御用でございますか、私わたくし迄御用向を仰しゃり聞けを願います、お母様かゝさまも御不快の御様子でございまして、一寸ちょっと伺いたく思いましたが、私わたくしも寄る年で出無性でぶしょうになりまして、つい〱伺いませんがお加減は如何いかゞでございます」

喜「はい、御老母様のお耳に入れるのも些ちとお気の毒だが、今日こんにち手前家内あさが母に対して不孝を致したでござる、然しかるところ文治郎殿がおいでになって、不孝な奴だと云って口を引裂ひっさき、肋骨を打折ぶちおり、打殺うちころしてお帰りになったが怪けしからぬ訳じゃアございませんか」

母「はい、それはまア飛んだ訳で、何なんとも申そう様ようがございません」

喜「手前も驚きました、なにそれは殺しても宜しい、はい殺しても宜しい訳があればこそ殺したろう、文治郎殿も気狂きちがいでないから主意があって殺したろうから、主意が立てば宜しいが、主意が立たんければ手前も武士でござる、文治郎殿の首を申受ける心得で参った、はい」

母「誠に何なんとも申そう様もございません、嘸さぞ御立腹でございましょう、彼あの通りの者で、やゝも致しますると人様に手出しを致す事がございまして、若年じゃくねんの折柄おりから確しかと意見を致したことはございましたが、此の度たびの事には実に呆あきれ果てまして何なんともお詫のしようがございません、彼あの様な乱暴な子を持った母は嘸心配であろうと私わたくしの心を御不愍ごふびんに思召おぼしめして、御内聞のお話にして下されば多分の貯たくわえもございませんが、所持して居ります金子は何程でもあなた様へ」

喜「いえ〱お黙りなさい、お前さんも武士の家にお生れなすった方ではないか、金を貰って内済に出来ますか、只主意が立てば宜しい、はい主意が立たんければ家内あさの命と文治郎殿の命と取換とりかえるばかりで、はい」

などと顔色を変えている処へ文治郎が帰って参りました。

森「旦那、うっかり入へいっちゃアいけませんよ」

文「何を」

森「お前さんは大変な事をやって、驚きましたねえ、私わっちゃアまご〱しているんだ、お前さんは藤原のお内儀かみさんの口を引裂ひッつァいて殺しましたかえ」

文「うん、先程さきほど殺した」

森「そんな手軽く云っちゃア困りやすねえ、藤原さんが顔色を変えて来て、どう云う訳で殺した、お前も武士、己おれも武士だ、己の女房を殺されて此の儘じゃア帰けえられねえ、男が立たねえから文治郎の命と取換とりけえるぶんだ、仕事は早いのがいゝって奥へ坐り込んで動かねえから、お母っかさんが金を出して内済ねいせいにしようというと、士さむらいに内済はねえって、取っても付けねえ処だから、今お前さんが顔を出すと直すぐに斬り掛けるに違ちげえねえ、斬り掛られ黙って引込ひっこんでる人じゃアねえからちゃん〱斬合きりあいを初めるでしょう、そうしてお母っかさんの身体へ疵きずでも付けると大変だから、お前さんは二三日ち身を隠して下せえ」

文「身を隠す訳にはいかん」

森「そうして気の落著おちついた時分、どうせ仕舞しめえは内済ないせいだから人を頼んで訳を付けやしょう」

文「そんな事は出来ん、お母っかさんをこれへお呼び申せ」

森「お母さん〱」

文「もっと大きな声をして」

森「お母さん〱これが帰りました」

と親指を出して招くから、母は文治郎が帰ったなと思ってそれへまいり、

母「能くのめ〱と私の前へ来た、只今帰ったと云います」

文「飛んだ事がお耳に入って文治郎も申し訳がございません、藤原親子の為を思いまして、お母っかさまには不孝でございますが、文治郎命を捨てゝ悪婦の命を断ちました、決して逃げ隠れは致しません、一言いちごん藤原に申し聞けたい事があります、あなたがこれにお在いでになると御心配になりますから、おかやを連れて婆ばあやの所へでもおいでなすって」

母「いや参りません、人を殺して云訳いいわけが立ちますか、なぜ悪い事があれば喜代之助殿に届けて事をせん、それでは云訳は立ちません、はい先方むこう様が捨て置かんで、私も武士だと云って抜いて斬り付ければお前も引抜いて立合うだろう、お前が斬り殺されるのは自業自得だが、又先方様を殺せば二人の人殺しだから手前の命はあるまい、手前は匹夫ひっぷの勇を奮ふるって命を亡なくしても仕方がないが、跡はどうする」

文「重々相済みません、一応申聞もうしきけた上で存分になる心得でございます、御立腹ではございましょうが少々の間彼方あちらへ、森松やお母様っかさまをお連れ申せ」

森「お母さん、旦那だって馬鹿でも気狂いでもねえから無闇に人を殺す気遣いはねえ、何か云訳があるんでしょうから鳥渡ちょっと此方こっちへおいでなせえ」

と無理無体に森松とおかやが手を把とって次の間へ連れて参ります。文治は左の手にあった小脇差を右の手に持替えて奥座敷へ入りますから、

森「旦那え〱」

文「なんだ、騒々しい」

森「癇癪かんしゃくを起しちゃアいけませんよ、彼奴あいつが抜いたらホカと逃げてお仕舞いなせえ、何なんでも逃げるが勝だ、然そうして向むこうの気が落著おちついた処で人を以もって話をすりゃア、とゞの詰りは金だ〱」

文「宜しい、黙っていろ」

と少しも騒がず藤原の前へ出まして、

文「嘸さぞお待兼ね、只今逐一母から承りました処、重々の御立腹、なれども人様の御家内を手込みに殺すには段々の訳があっての事、貴方に於おいても左様思召すでござろうが、たった一人の御老母とあなたの為に文治郎命を捨てゝ致しました、あなたは毎日田原町へお内職においでになって御存じあるまいが、あなたのお留守中に御家内が御老母を打ち打擲するのみならず、此の程は食しょくを上げないことを御承知はあるまいがな」

喜「黙れ、仮令たとえ何様なにようなる事があろうとお前方の指図は受けん、悪い事があれば私わしの家内だから私わしが手打に致そうと捻ねじり首にしようと私わしがする、何なんで私わしに断らんでなすった」

文「まア〱、それは至極御尤ごもっともの話で、文治郎も気狂いでないから貴方に断らんでする訳はないが、此の程は御老母にとんと食しょくを与えぬので、御老母は餓死なさるより外ほかに仕方がない、貴方がお宅へ帰って見れば御老母が食べ過ぎて困ると云って親子の間中あいなかを裂くようにするから、御老母は堪えかねて、喜代之助はそれ程ではないが、倶ともに私わしを酷ひどく扱い折檻するゆえ、此の上は死ぬより外はないと仰しゃるのを聞いて、長家中の者がお気の毒に思い、折々おり〱食物たべものを進ぜました、今日こんにちも納豆売の彦六爺おやじが握飯むすびを御老母に上げて居おる処へ、おあさ殿が帰って来て、其の握飯を御老母に投付け、彦六爺に悪口あっこうを云い、遂に御老母に皿を投付け、おつむりに疵が出来ました、未まだそれにても飽き足らず御老母を足蹴あしげに致すのを文治郎見ました故に、あゝ怪けしからん不孝非道な女と赫かっと致して飛込み、殺す気はなかったが、怒りに乗じ思わず殺す気になったのは私わしが殺したのではなく全く天が彼かの悪婦の行いを赦ゆるさず、文治郎の手を借りて殺させたので、天の然しからしむる事かと存じます」

喜「黙れ、天が殺したとは何なんだ、左様な云いわけで済むか、若もし左様な事があったら何ゆえ私わしに其の事を忠告致さん、私わしも浪人しても大小は挟たばさんで居おる、お前の手は借らん」

文「いや〱あなたには殺せない、何故殺せんと云うに、あなたが殺すなれば三年連添つれそって居おるから疾とっくに殺さなければならんに、貴方は欺だまされて居おるから、私わしが其の事を忠告して家うちへ帰れば、おあさどのが又毎いつもの口前くちまえで、それは斯こう云う訳で彼あれは斯う云う訳で文治郎が聞違えたのだ、私はお母っかさまに孝行を尽していると旨く云いくるめると、あなたは毎もの如くあゝ左様かと又欺されて殺すことは出来ない、そうすると御老母は餓死致され、仮令たとえ手を下さなくも貴方が御老母を殺したと同じことになるから、右京様のお屋敷に聞えても能くない、浪人者の文治郎が身を捨てゝも藤原母子おやこを助けたいと思って斯様かように致しました、元より人を殺せば命のないのは承知して居ります、就ついては老体の母を遺のこして死にますから何卒どうぞ不愍ふびんと思召して目を掛けて下さい、おあさどのゝ悪い事は未だそればかりではない、私に附け文ぶみをした事は貴方は知りますまい、いやさ艶書えんしょを送った事は知りますまいがな」

喜「何なんと仰しゃる」

文「森松、此の間の文ふみを持って来い」

森「はい、お前さんの所の御新造を悪く云うのじゃアねえが、私わっちに手拭や何かくれて此の間立花屋へ連れて行って、お前さんと別れて寡婦やもめ暮しになったら文治郎さんを連れて来てくれと云って文ふみを頼まれたから、旦那の所へ持って来るとポカ〱と二つ殴られました」

文「喋しゃべるな…此の文ふみは開封致さずに置きましたから御覧下さい」

と云われ藤原は手に取って見ると、文治郎さま参るあさより、とずう〱しく名宛なあてが書いてあり、以前は勤めをしたあけびしのおあさですから手は能よくはありませんが、書馴れて居りますから色気があって綺麗に書いてあります。其の文ふみに此方こちらへ越して来た時からお前さんを見染めて忘れる暇はないゆえ、藤原と別れて独りものになりましたらば、切せめてお盃の一つも戴きたい、亭主のある身の上で斯様かような事を申すのは浮気な女と思召しもありましょうが、喜代之助は真実ほんとうの亭主ではない、只今まで藤原母子おやこの者は私わたくしから貢いで居りました、藤原の不実はこれ〱お母ふくろの心の悪い事はこれ〱で、一体喜代之助が屋敷を逐出おいだされたのは私わたくし故ではなく、全体了簡がけちんぼで、意地が悪くって、野呂間のろまだからとか何なんとか悉こと〲く書いてあるから、藤原は文ふみを読下よみくだして膝へついた手がぶる〱と慄ふるえて居りました。

十

藤原喜代之助は女房おあさより文治に送った文ふみを見詰めて居りましたが、真に口惜くやしかったと見えます。

文「何なんと書いてありますかな」

喜「何なんともかとも重々面目次第もない、斯様かようなる不埓ふらちな奴とも心得ず、三年以来このかた連れ添って居おる手前へ対し、斯様などうも何なんとも申そうようござらぬ不人情な奴でござる、母へ食しょくを与えず、打ち打擲致したに相違ござらぬ、手前は兎角貧乏にかまけ留守がちゆえ、其の不孝も存じませんでした、手前の殺せん処を見抜いて天が殺したとは能く仰おっしゃって下すった、成程これは天が捨て置きません、私わたくしに殺せませんから貴方様が天になり代り、一命を捨てゝも喜代之助を助けて下さると云う其の御親切は驚き入りました、あなたは天下の英雄だ、人の女房を手込めに殺すなどと云うことは他人には出来る訳のものでない、善よく殺して下すった、忝かたじけない、宜しい手前是れから女房おあさが母に食を与えず、面部へ傷を付けたる廉かどを以もって捨置き難がたく手打に致したと、手前引受けて訴え出いで、あなたのお名前はこればかりも出しません、誠に善く殺して下さいました、忝けない」

と女房を殺した人に礼を云って居りますから、母は気の毒に思い、五十両の金を内済として贈ると、喜代之助はどうしても受けませんで、

喜「どうして私わたくしの為に命を掛けて助けて下すったに、金子を戴く訳はありません、実に文治郎殿の気性には手前感服致した、此の様ようなる方と御懇意にしたら此方こっちの曲った心も直ろうと思いますから、以後御別懇に願いたい、就ついては母も老体で私わたくしが内職に行ゆくことが出来ませんから、文治郎殿の鑑識めがねに適かなった女房を世話をして下さい、成るべくお親戚みよりなれば尚更忝けない」

との頼みに文治郎も捨置かれませんから、母の姪めいのおかやと云う年二十六になる、器量は余り宜しくないが屋敷育ちで人柄な心掛のよい女を嫁にやろうと云うと、喜代之助は大きに喜びまして、何しろおあさを殺したことを届けようと云うので届出ますと、岡ッ引ぴき御用聞などが段々探索になりましたなれども、彼あの女は元より母親に食物を与えず、不孝邪慳の女で悪い者だということが明白になったから、何事もなく相済み、おあさの死骸しがいは野辺の送りを済ませた上で、文治郎の母は内済金五十両をおかやの持参金として贈りましたから、以前と違っておかやは母親を大切に致しますから、喜代之助は喜び、夫婦中睦なかむつましく、倶ともに文治郎の宅へ出入りをするようになりました。すると何どう云う訳か文治郎の母がお飯まんまを食べなくなりましたから、文治もこれには驚きまして、

文「これ森松」

森「へい」

文「お母様っかさまは御膳を食あがらんではないか」

森「へー喰いませんよ」

文「喰いませんよではない、昨日きのうも食べないではないか」

森「一昨日おとゝいも喰いません」

文「何故三日も食あがらんのに私わしに知らせん」

森「それでも喰いたくねえって」

文「馬鹿を云え、三日も食あがらずに居おられるものか、お加減が悪いのだから医者を呼ばなければならん、医者を呼んで来い」

森「何なんだか腹が充くちいって」

文「三日も召上らんでは困ります…御免下さい」

と障子を開あけると母親は座蒲団の上に行儀正しく坐っているのを見て、

文「此の程はお食しょくが頓とんとおすゝみにならぬそうで、文治郎も驚き入りました、三日も食あがらんと云うことはさっぱり存じませんでした、お加減が悪ければそれ〲医者を呼びますものを、大層お窶やつれの御様子、何か御意ぎょいに入らんことがござれば、これ〱と仰おっしゃり聞けまするように願います」

母「はい、私は喰たべません、餓死致します、お前の様な匹夫の勇を奮って浪島の家名を汚けがす者の顔を見るのが厭だから私は餓死致します、親父おとっさまは早く此の世をお逝なくなり遊ばし、母親が甘う育てたからお前が左様なる身持になり、親分とか勇肌いさみはだの人と交際つきあいをして喧嘩の中へ入り、男達おとこだてとか何なんとか実にどうも怪けしからん致方いたしかた、不埓者め、手前も天下の禄を食はんだ浪島の子ではないか、左様なる不孝不義の子の顔を見るのは厭でございますから喫たべずに死にますが、私が死ぬのは私が勝手に餓死致すのではなく、手前が乱暴を働くのを見て居おるのが辛いから食しょくを止とゞめて死ぬのじゃによって、仮令たとえ手を下さずとも其方そなたが親を乾ほし殺すも同じじゃによって左様心得ろ」

文「へえ、それは重々恐れ入りました、お母様っかさま真平まっぴら御免遊ばして下さいまし、是れまで余儀ない人に頼まれ、喧嘩の中へ入りましたのは宜しくないとは心得ながら、止やむを得ず人の為に身を擲なげうって事を致しましたことが再度ございましたが、お母様の只今の御一言で文治郎実に何なんともかともお詫の致し様がございません、只今のお小言に懲りまして決して他たへ出ません、お母様のお側を離れません、喧嘩のけの字も申しませんゆえ何卒どうぞお許し遊ばして、御飯ごぜんを喰あがって下さいまし、手を下さずとも親を乾し殺すも同様であるとの御一言は、文治郎身を斬られるより辛つろうございます」

母「喰たべんと云ったら喰べん、文五右衞門ぶんごえもん殿の亡い後のちは私わしが親父様おとっさまの代りでございます、武士に二言はない、決して勧めるときかんぞ」

文「へえ〱〱〱」

森「お母っかさん食べておくんなせい、お願いだ、旦那も心配していらア、旦那だって喧嘩はしたくはねえが拠よんどころなく頼まれて人を助けるのだから、まア堪忍して食くっておくんねえ」

母「なんの、手前まで喧嘩があると悦んで飛出す癖に、其方そっちへ行ゆけ」

森「お母さん、じれちゃアいけませんよ」

母「手前の知ったことではない」

と叱られて、文治郎と一緒に次の間へ来まして、

森「どうしたのでござえますね」

文「はて私わしを仕置しおきのため御膳をあがらんのだわ」

森「へえ変ですねえ、仕置にお飯まんまを喰わせねえというのは聞きやしたが、自分の方で喰わねえのは妙だねえ」

文「お母さまは茶椀蒸がお好すきだが、いつでも、料理屋で拵こしらえたのよりは、文治郎の拵えたのが宜しいと仰ゃって喰あがるから、蒸むしを拵えましょう…蒲焼かばやきの小串こぐしの柔かいのと蒲鉾かまぼこの宜しいのを取ってこい、御膳は私わしがといで炊くから」

とこれから文治郎自分で料理をして膳を持って障子を開け、

文「お母様、先程の御一言は文治郎の心魂に銘じました、御一命を捨てゝの御意見何なんとも申そう様ござらぬ、此の後ごは慎みますから何卒どうぞ御勘弁遊ばして召上って下さいまし、三日も召上らんから大分だいぶお窶やつれも見えまして誠に心配致します、文治郎手づから茶椀蒸を拵え、御飯も自分で炊きましたから、何卒召上って下さいまし、お母さま、これからは決してお側を離れません、何卒御勘弁を」

と文治郎涙を浮べ茶椀蒸の蓋ふたを取って恐る〱母の前へ窃そっと差出しました。

母「喰たべんと云うのに何故面前へ膳を突附つきつけたのじゃ、手前は母へ逆らうか、喰べんと云ったら喰べやアしません、其方そっちへ持って行ゆけ」

と云いながらポーンと膳を片手で突きましたから、膳は転覆ひっくりかえる、茶椀蒸は溢こぼれる。

文「これ〱森松や雑巾ぞうきんを持ってこい」

森「へえこれは大変々々、お母さん堪忍して食っておくんなせい、旦那がお前さんに喰たべさせていと云って拵えたのだ、食わなければ食わないで宜しいじゃアねえか、私わっちが食いやす、斯こうやって旦那が詫るのだから好加減いゝかげんに勘忍しておくんねえ、親孝行だって相手が悪くっちゃア仕様がねえなア」

文「これ何を云う、其方そっちへ行ゆけ、なぜお母さまの前でそんな事を云うのだ」

森「それだってあんまりだア、旦那自暴やけを起しちゃアいけねえ、お前さんの様な親孝行な人はねえ、旦那が自分でお飯まんまを炊いてお菜かずまでこせえて食わせようと云うに…そんな人がある訳のものじゃアねえ、私わっちなんぞが道楽をする時分にゃア、お母ふくろが飯を炊いてお菜をこせえて、さア森やお飯が出来たから起ろよ、と云われて膳に向い、お菜が気に入らねえと膳を足で蹴ったものだ、それを一軒の立派な旦那がお飯を炊いて食わせるのは一と通りの訳じゃアねえ、怒おこらねえでも宜いいじゃアねえか」

文「これ〱手前の知ったことではない、此のお詫ごとは藤原喜代之助に限るな」

森「へえ〱」

文「藤原の女房を殺したことが今出て来たのだな」

森「へえ〱成程、藤原の先せんの女房は彼あの婆さんに飯を食わせずにいて殺されたから、それでお母さんが食わなくなったのだ」

文「そうじゃアないわ、喜代之助でなければ」

と文治郎は直すぐに藤原の宅へ参り。

文「はい御免」

喜「おや〱さア此方こっちへお上り、おかやや文治郎殿がお出いでなすった、鳥渡ちょっとお茶を入れて」

か「はい」

喜「鳥渡上あがろうと存じて居りましたが、今日は内職を休んで家うちにいた処で、丁度宜しい、まア此方へ」

文「少々お願ねがいがあって参りました、母が立腹を致して三日程食事をしません、種々いろ〱詫を致しても肯ききません、手前が喧嘩の中へ入り、匹夫の勇を奮い、不孝の子を見るのが厭だから餓死して意見をすると申して肯きません、此の詫ことは貴方あなたより外ほかにない、どうか貴方お詫ことを願います」

喜「いやそれは、お母様っかさまが御膳が進まんと云う事はきゝましたが全くですか、昨日きのうお見舞に出た時、お食は如何いかゞですと申した処が、なに御飯ごはんは三椀ばいも喫たべられて旨いと仰ゃったが、それでは嘘ですか、命を捨てゝも浪島の苗字みょうじが大切と思召おぼしめし、御老体の身の上で我子わがこを思う処から、餓死しても貴方の身を立てさせたいと思召す、それに貴方が御孝心ゆえ左様に御心配なさるのでしょう、宜しい、お詫に出ましょう、かやがお母様の御意ぎょいに叶かなって居りますから、かやも同道致してお詫に上りましょう」

と直ぐに羽織を引掛ひきかけ、一刀帯さして女房おかやを連れ、文治郎の台所口から、

喜「はい御免なさい」

森「藤原さんですか、お母さんが膳を転覆ひっくりけえして旦那もお困りですが、お母さんは〔「※」は「箍」で「てへん」のかわりに「きへん」をあてる〕たががゆるんだのだ」

喜「これ大きな声をしてはいけません」

と母親の居間へ通り、

喜「お母様御機嫌宜しゅう」

母「おやお揃そろいで」

喜「只今承わりましたが、文治郎殿がお失策しくじりで中々お聞入れがないから、手前に代ってお詫をしてくれと、何事にも恐れぬ文治郎殿が驚かれ、顔色かおいろ変えて涙を浮べ頼みに参ったから直様すぐさま出ましたが、どうか御了簡遊ばして、御飯を召上るように願います」

母「決して詫などをして下さるな」

か「お母様、そんなことを御意遊さずに御免下さい、彼あの文治郎さまの御気性でお驚き遊ばしたのはよく〱のことでございますから、何卒どうぞお許し遊ばして、御飯を召上って下さいまし」

母「いや喫たべんと云ったら二言ごんとは申しません」

喜「宜しい、あなたの御気性で、食を止とゞめ餓死しても文治郎殿の為に遊ばすと云うのは、子が可愛いからでしょうが、何どうか文治郎殿に代ってお詫を申上げます、お赦ゆるし下さい」

母「いゝえ、お置き下さい」

か「どうか私わたくしに免じて御飯を食あがって下さいまし」

母「なりません、侑すゝめると肯ききません」

喜「それではどうも致し方がない、死を極めておいでなすって見れば仕方がないによって、手前此の場で割腹致しお先供さきともを致す」

か「私わたくしも供ともにお先供致します」

と云いながら鞘さやを払って已すでに斯こうと覚悟致しますから、

母「まアお待ちなさい」

喜「いゝえ待ちません」

母「これかや、まア待ちな……命を捨てゝ詫ことをして下さる、赦し難い奴なれども、お前方両人に免じて一とたびは赦しますから、文治郎をこれへお呼び下さい」

喜「なに、御勘弁下さると、それは有難い、文治郎殿、お詫ごとが叶かないましたから此方こっちへ入っしゃい」

文「はい、能よう御勘弁下され文治郎誠に有難く心得ます」

母「赦し難いやつなれども御両人に免じて赦すから此方へ来なさい、仕置を申付けるから」

文「どの様なるお仕置でも遊ばして下さいまし、文治郎聊いさゝかもお怨うらみとは心得ません」

母「手を出しなさい、二の腕を出しな」

文「へい」

と腕をまくって出すと母は文治郎の腕を確しっかり押え、

母「かやや、其処そこに硯すゞりがあるから朱墨しゅずみを濃く磨すって下さい、そうして木綿針もめんばりの太いのを三十本ばかり持って来きな」

喜「お母様何をなさる」

母「仕置を致す」

と云いながら文治郎の二の腕へ筆太ふでぶとに「母」と云う字を書きまして、針でズブ〱突き、刺青ほりものを初めましたが、素人彫りで無闇に突きますから痛いの痛くないのって、

母「さア、これで宜しい、私が父親てゝおやなれば疾とくに手打にして命はないのだから、手前の命は亡いものと心得ろ。これからは母の身体からだだによって、若もし私の意見に背き、喧嘩をして身体へ傷を付ければ母の身体へ傷を付けたも同じだから、左様心得て以後はたしなめ」

文「はゝ畏かしこまりました」

喜「成程、お母様の御意見感服致した、文治郎殿、以後は気をお付けなさい、万一湯に行って転んで傷を付けても、お母様の身体へ傷を拵えたのも同じになるから気を付けないといけません、さア、それではお母様御飯を上るように願います」

と云われ、そこは親子の情じょうでございますから、喜代之助夫婦と四人で一と口飲んで食事も済ませ、藤原夫婦も嬉しく思って帰りましたが、これより後のちは文治郎は親の慈悲を反故ほごにしてはならんと云うので、頓とんと他たへ出ません。母の側に附き限きりで居りまして、母の機嫌を取るばかりでなく、足腰を撫擦なでさすり、又は枕元に本を持って参りまして、読んで聞かせたりして、外出そとでを致しませんから、また母も心配して、

母「文治郎、此の頃は久しく外出そとでをしないのう」

文「左様でございます、お母様も私わたくしをお案じなすってお外出をなさいませんが、偶たまには御遊歩ごゆうほ遊ばした方がお身体の為にも宜しゅうございます」

母「左様さ、今日は幸い天気も好よいからお父様とっさまのお墓詣まいりに行ゆきましょう」

文「へえお供いたしましょう」

と其の日は墓詣りに行き、今日は観音かんおん、明日あすは何処どこと遊歩にまいり、帰りにお汁粉でも食べて帰る位でございます。廿五六の壮年さかりどしのものがお母っかさんの手を曳いて歩き、帰りに達摩汁粉を食って帰って来る者は世間にはありませんが、文治郎は母の云うなり次第になって、五月までは決して一人いちにんで外出そとでを致しませんでしたが、安永九年に本所五目いつゝめの羅漢堂らかんどう建立こんりゅうで栄螺堂さざえどうが出来ました。只今では本所の割下水へ引けましたが、其の頃は大たいした立派な堂でございました。文治郎母子おやこも五百羅漢寺へ参詣して帰って参りました。丁度日の暮方くれがた、北割下水へ通り掛りますと、向うの岸が黒山のような人立で、剣客者けんかくしゃの内弟子らしい、袴はかまをたくしあげ稽古着けいこぎを着て、泡雪あわゆきの杓子しゃくしを見た様な頭をした者が、大勢で弱い町人を捕つかまえて打ち打擲致し、割下水の中へ打込ぶちこんで、踏んだり蹴たりします。彼かの町人は口惜くやしいから、

町「殺せ、さア殺して仕舞えあゝ口惜しい」

と泣声も絶え〲になりましたが、遠くに立って居ります者も、相手が侍で屋敷の前でございますから、逡巡あとずさりをして唯騒いでいるのみでございます。

「何なんでございます」

「何ですか分りませんが、向うは大伴おおとも蟠龍軒ばんりゅうけんと云う剣客者だそうでございます、其の内弟子が町人体ちょうにんていの者を捕まえて打ち打擲しますが、余程悪いことをしたのでしょう」

「もし彼あれは何なんでございます」

「泥坊で縁の下に隠れていたのだそうです」

「縁の下から刀と槍やりが出たそうです」

「へー剣術遣つかいの家うちへ泥坊が入ったのですか」

「そうじゃアない、火を放つけたのだそうです、火を放けて燃え上ろうとする処を揉消もみけしたんだそうです」

「火を放けたんですか、物にならなくってお互に好いい塩梅あんばいでした」

「なアに妾めかけを盗んだそうです、剣術遣いの妾を町人が盗んだのだと云うことです」

「なアに借のある奴がしらばっくれて表を通る処を捕えたのだそうです」

「なアに、そうじゃアない、出入の町人の女房を取られたのだとね、金を取られた上にあんな目に逢うのだとね」

「そうじゃアない巾着切きんちゃくきりだと」

などと少しも分りません。処へ文治郎が通り掛りますと、向うから知って居おる者が参りまして、

「旦那今日こんちは」

文「これは暫しばらく」

「今日こんちは何方どちらへ」

文「母と羅漢寺へ参詣に参りました…向うに人立ちのして居おるのは何なんです」

「彼あれはたしか旦那様御存じでございましょう、もと駒形にいて今は銀座に店を出している袋物屋だそうです、彼処あすこへ出入中に金の抵当かたに女房を取られ、金を返しに行ったところが、金を取られ、女房は返えさず打ち打擲したそうです、口惜しいから悪態を云うと門弟が引出して、彼あの通り打ぶったり溝どぶの中へ突込つきこんだりして、丸で豚を見たようです、太ふてい奴ですなア」

文「何なんですか、あの紀伊國屋の友之助ですか」

「私わたくしは知りませんが隣り屋敷の家来が塀へ上のぼって見たら彼あの男だと云う話ですが、非道ひどい奴ですなア」

文「女房を取られ、彼あの倒さかさまになっているのは友之助ですか、ふゝん」

と怒りに堪えず二歩ふたあし三歩みあし行ゆきに掛りますと、

母「あゝ文治郎お前はまア見相けんそうを変えて何処どこへ行ゆくのだえ」

文「へー〱……鳥渡ちょっと手水ちょうずを致そうと存じまして」

母「フーム、少し余熱ほとぼりが冷さめると直すぐに持った病が出ます、二の腕の刺青ほりものを忘れるな」

文「はい」

と母と一緒だからどうにも出来ません、仕方がないから其の儘見捨てゝ母と共に宅へ帰りました。これから母の教えが守り切れず、大伴の道場へ切込む達引たてひきのお話、一寸ちょっと一と息つきまして申し上げます。

十一

さて友之助が斯様かような酷ひどい目に逢うのは何どう云う訳かと云うと、友之助はおむらに勧められて文治郎の近所にいるのは気詰りだから、他たへ越せ〱と云うので、銀座三丁目へ引越ひきこしたのは二月の二十一日でございます。店開きを致して僅わずか十日ばかり経たつ中うちに、友之助は店に坐って商いをして居ります。袋物店ふくろものみせでございまして、間口は狭くも良い代物しろものがあります。おむらは台所廻り炊事かしぎの業わざなどをいたして居ります。ふと通り掛った武士、黒羅紗くろらしゃの山岡頭巾やまおかずきんを目深まぶかに冠かぶり、どっしりとしたお羽織を着、金造きんづくりの大小で、紺足袋に雪駄せったを穿はき、今一人いちにんは黒の羽織に小袖を着て、お納戸献上なんどけんじょうの帯をしめて、余り性しょうは宜しくないと見えて、何か懐中へ物を入れて居おると帯が皺くちゃになって、掛かけは頂垂うなだれて、雪駄穿せったばきと云うと体ていは良いが、日勤草履にっきんぞうりで金かねが取れ、鼠の小倉こくらの鼻緒が切れて、雪駄の間から経木きょうぎなどが出るのを、踵かゝとでしめながら歩くという剣呑けんのんな雪駄です。微酔ほろよい機嫌で赤い顔をして友之助の店先へ立ち、

士「こう阿部氏あべうじ、大分だいぶこの袋物屋には良い品がある様だ」

阿「左様でげすか、貴方は今迄のお出入がありながらお好すきだから良い店へ立寄ると買い度たくなりますと見えますね」

士「妙なもので丁度婦人が小間物屋の店へ立った様なものだ」

阿「良い物がありますかね」

士「これ〱亭主、其の袂持たもともちの莨入たばこいれを見せろ」

友「まアお掛け遊ばせ、好よいお天気様で、エー新店しんみせの事で、エー働きますが御贔屓ごひいきを願います」

士「あゝ、草臥くたびれたから少し腰を掛けさせてくれ…其の金襴きんらんの莨入を遣物つかいものにしたいと思うが見せろ」

友「へい〱〱御進物にはこれは飛んだお見附みつきも宜しく、出した処も宜しゅうございます、この方は二段口になって、これは更紗形さらさがたで、表は印伝になって居りますから」

士「大分良い物がある……阿部氏何んぞ買わぬか」

阿「どうもいけません……手前煙草がいけませんから欲しくございません……御亭主大層良い品があるね」

友「どうも品物が揃そろいませんで……これお茶を上げなよ」

むら「はい」

と奥から出ましたお村は袋物屋の女房には婀娜あだ過ぎるが、達摩返しに金の簪かんざし、南部の藍あいの子持縞こもちじまに唐繻子とうじゅすに翁格子おきなごうしを腹合せにした帯をしめ、小さな茶盆の上へ上方焼かみがたやきの茶碗を二つ載せ、真鍮しんちゅう象眼ぞうがんの茶托ちゃたくがありまして、鳥渡ちょっとしまった銀瓶ぎんびんと七兵衞しちべえの急須きゅうすを載せて、

むら「お茶を召し上れ」

士「はい」

と彼かの士さむらいは茶碗を取りながらお村の顔を見て、顔を少し横にそむける。阿部は酔っているから心付きません。

阿「いよ、これはどうも有り難いが、願わくは手前は大きいもので水を一杯戴きたいもので」

士「御亭主」

友「へい〱」

士「貴公は本所辺で出入の処がありはせんか」

友「へい二三軒様お出入があります」

士「本所の宅へ来て貰いたいのだが何どうだね、多分の物は買わぬが、序ついでに来て貰いたい」

友「へい〱、どういたしまして新店しんみせのことで、何方様どちらさまへでも参ります、何どう云う物が御入用様でげすか、えー宅にありませんでも取寄せて御覧に入れます」

士「提物さげものが欲しいと思うが胴乱どうらんの様な物はないか」

友「左様でげす、丁度良い塩梅あんばいのは仕上げになって居りませんが、これは高麗青皮こうらいせいひと申しまして余り沢山ないもので、高麗国の亀の皮だと申しますが、珍しいもので、蘂しべが立って此の様に性質の良いのは少ないもので、へえ、これはお提物には丁度好よいと思います」

士「成程、大きさも飛んだ良いが、何か金物かなものがあるか」

友「左様で、お金物はこれは目貫物めぬきもので飛んだ面白いもので、作さくは宗乘そうじょうと申しますが、銘はございませんが宗乘と云うことでございます、これは良い彫ほりでげす」

士「成程これは良く彫った、趙雲ちょううんの円金物図まるがなものずが好よいな、緒締おじめの良いのはありませんか」

友「へゝお珊瑚さんごにいたして、へえ〱却かえって大きいと斯こう云うお提物にはいけませんから、六分ぶ半ぐらいにいたして、へい只今宅にございませんが、お出入先へ参って居りますから持参致します、これは古渡こわたりの無疵むきずで斑紋けらのない上玉じょうだまで、これを差上げ様と存じます……お根付、へい左様で、鏡葢かゞみぶたで、へい矢張り青磁せいじか何か時代のがございます、琥珀こはくの様なもの、へえ畏かしこまりました、取寄せて持参致しますが何方様どちらさまで」

士「えー名札を失念したが硯箱すゞりばこを」

友「へえ〱畏りました」

…すら〱と書いて、

士「本所だよ」

友「成程、本所北割下水大伴様、へえ明後日ではお遅うございましょうか」

士「宜しい、朝来ては困るから願ねがわくは夕景から来れば他へ出ずに待っているよ」

友「へえ〱畏りました」

士「此の莨入を二つ買うが如何程いかほどだえ、左様か、釣つりは宜しい、宅へ来た時序ついでに持って来てくれ」

友「有難うございます、恐入おそれいります、お茶も碌々ろく〱差上げませんで、明後日は相違なく夕方までに持参いたします、へえ〱有難うございます、左様ならお帰り遊ばせ」

阿「御舎弟」

士「えー」

阿「あなたは本所にも浅草にもお出入があるに、態々わざ〱銀座に、お出入を拵こしらえるには及びますまい」

士「そこに少し訳ありさ」

阿「訳ありとは」

士「彼処あすこで茶を酌くんで出した婦人を見たかえ」

阿「いゝえ見ませんよ、婦人には少しも気が付きませんでしたが、あの袋物屋に種々いろ〱見て居りました中うちに、家内が茶を酌んで出した様でしたな」

士「予かねて貴公に話した柳橋の芸者のお村の為には、手前は兄にも叱られる程散財して、手に入れようと思ったが、袋物屋に色男があって其の者の方へ縁付いたと聞いたが、先刻さっき茶を酌んで出したのは柳橋のお村だよ」

阿「えーあれが、左様ですか、残念のことを致しました、手前見たいと思っていたが柳橋へお浮うかれの折には生憎あいにくお伴とも致しませんで、其の美人を拝見致しませんが、見たかった、残念なことをした、女房と思って気が付かんで居りました、あゝ見たかった」

士「往来で大きな声をしてはいかぬよ、まア道々話しながら」

と連つれの阿部と云う男と話しながら帰りました。友之助は左様なことゝは存じません、翌々日は整然ちゃんと結構な品物ばかり取揃とりそろえて風呂敷に包み、大伴蟠龍軒の名前を聞いて居おるから、本所割下水へ行ゆくと、結構な誂あつらえ物をした上に始めての交際つきあいだと云うので、多分の目録をくれ、馳走をして帰しました。大分だいぶ調子が好よいから友之助はちょい〱行ゆくと、帰りに夜よに入いった時は、大儀だろう駕籠かごに乗って帰るが宜よいと云って、駕籠へ乗せて帰す。友之助は結構な出入先が出来たと喜んで足を近く行って見ると、何時いつも能く来たと云って大伴蟠龍軒も蟠作ばんさくも兄弟揃って友之助をヤレコレと云う。友之助は一体善よい人でございますから、二なき出入が出来たと心得て、屡しば〱参ります。其の中うち四月十一日の丁度只今なれば午後二時少々廻った時分で、日長ひながの折から門弟衆は遊びに出て仕舞って、お中口なかぐちはひっそりと致して居ります。

友「お頼み申します〱〱何方様どなたさまも入っしゃいませんか、御免を蒙こうむります」

と次の間へ荷を置きまして、

友「御免下さい」

蟠龍軒「誰たれだ」

友「へー紀伊國屋で」

蟠「能く来た、お前が三日も来ぬと一月ひとつきも来ぬ様な心持で合縁奇縁あいえんきえんで妙なものだ、どうも懐かしいな」

友「恐入ります、先日は又多分の頂戴物ちょうだいものをいたして、殊ことに御馳走になり酩酊いたして有難いことで、何時いつも酔って帰りまして家内に叱られます」

蟠「どうも可愛い男だ、今阿部あべ忠五郎ちゅうごろうと舎弟と碁を遣やり初めたが、私わしは一杯遣ってるが誠に陰気でいかぬ、どうも好すきだから彼あの通りだ」

友「へー大層夢中になって入っしゃいます……御舎弟様、御機嫌宜しゅう…阿部様御機嫌宜しゅう…少しもお耳に這入はいりませんな」

蟠「これ蟠作、紀伊國屋が来た」

蟠作「いや、これはどうも久しく逢わぬが、余り来ないと云って兄と案じていた、今阿部と初めた処だが碁に掛ると他に念なしで夢中になるから」

阿「さア六むずケしくなって来ました、此処こゝの隅すみだけは取られた塩梅あんばいだ」

友「阿部様、少しお悪い様で」

阿「これはどうも、誠に先日はお互いに酔って御無礼を致しました、御舎弟には中々敵かなわぬ、今一生懸命の処で御挨拶ごあいさつは出来ません……置いては悪いと云う、紀伊國屋が来ればと行ゆく……成程これは悪い、あッと切れて居おることを知りませんでした、これはどうも大ごと二十五目もくと云う仕事、これは弱りましたな……斯こう遣やると向うへ登ると、えゝ紀伊國と斯うやる、紀伊國屋と突くと向うが紀伊國と跳上はねあげられる、弱るね、紀伊國屋と斯う突くと向うが紀伊國とやる」

友「はゝゝゝどうも紀伊國屋尽づくしの碁は初めて見ました」

蟠「紀伊國屋は碁は好すきだそうだな」

友「へえ私わたくしは碁で十六度たび失錯しくじりました」

蟠「大層失錯りましたね」

友「御膳より好で、目の先へ斯う始終碁が並んでいる様で、商あきないの邪魔になりますからピッタリ止やめました」

蟠「どうだ、阿部は下手の横好きで舎弟に七目もく負けたが、どうだ阿部と一石いっせきやりなさい」

蟠作「紀伊國屋遣りなさい、自分の身代しんだいになれば碁に勝っても宜いいじゃアないか、よう遣りなさい」

友「じゃアお相手致しましょうか」

と素もとより好きだから紀伊國屋は心嬉しく、

阿「あれさ黒はいかぬ、白を持ちな」

友「どう致しまして」

阿「手前てまいは白を持ったことはない、お前は上手らしいから私わしは黒が宜い」

友「じゃア参りましょう」

とパチリ〱と根が好だから夢中になって二番ばかり打ちますと、阿部はばた〱と負けた。

蟠「どうしたの」

阿「へえ何どうも紀伊國屋強うございます」

蟠「勝かったか」

友「阿部様はほんの飴あめでしょう」

阿「なか〱飴でない」

蟠「どうして阿部はとてもいかぬ、へぼだ、へぼで飴を食わせることは出来ぬ」

阿「じゃア斯こうしましょう、張合はりあいになりませんから負けたら大きいもので一杯グーッと飲んではどうでしょう」

蟠「狡ずるい事を考えるな、阿部は自分が酒が飲みたいものだから」

阿「そうでない、さア遣りましょう」

蟠「これ〱友之助、阿部はむかっ腹を立てゝ面白いから一両ばかり賭かけて遣りなさい、慾張って居おるから取られると額ひたえへ筋を出して面白いから、阿部、紀伊國屋と一両賭けて賭碁かけごは何どうだ」

阿「どうも勝って来たものだから直すぐに附込つけこんで来る、どうも敵に後うしろを見せる訳にもいかぬから遣りましょう」

とそれからパチリ〱と遣りますと紀伊國屋が勝ちます。

阿「此度こんどは倍賭けで二両で」

と出ると又紀伊國屋が勝つ。又四両八両と云うので段々大きくなり十両が二十両となり幾度いくたび遣っても阿部が負ける。

友「もういけませんよ」

阿「ウーン紀伊國屋、まア其処そこへ置きな、遣らぬではない、遣るが残念だから一時いちどきに思い切って五十両賭がけと為しよう」

蟠「阿部大層大形おおぎょうになったな、そう腹を立ってはいかぬ」

阿「いや余り残念だから、紀伊國屋逃げてはいかぬ」

友「逃げやアしませんが、お気の毒様です、阿部様の五十両を唯頂戴致しますと恐入おそれいりますからな」

阿「唯なんてそう云うことを云うから残念だと云うので」

と又遣ると今度はたった二目の違いで紀伊國屋が負けました。

友「さア遣られました」

蟠「どうした負けたか」

友「負ける碁ではないが二目の違いで負けました、残念です」

蟠「紀伊國屋は先に勝ったから宜しい、今度は負まけずにやれ」

友「残念です、今度は百両賭で遣りましょう」

阿「百両賭、面白い、遣りましょう」

友「旦那様恐入りますが百金拝借致したいもので」

蟠「百金私わしの手もとにはないが…どうだえ貸すかのう」

蟠作「左様です、紀伊國屋だから兄上が証人なれば貸しましょう」

蟠「じゃア貸して遣ろう」

友「負ける碁ではないのですから百金として先せんのを皆取返して、阿部さんの鼻から汗を出させます」

阿「怪けしからぬ、さア参りましょう」

蟠「紀伊國屋百両と纒まとまった金だ、貴様は堅い商人あきんどだから間違はあるまいが、鳥渡ちょっと証文を書かぬと私わしが証人になって困るから」

友「宜しい、印形いんぎょうを持参しましたから書きます」

蟠「なに荷にを書入れる、馬鹿な、そんなことをしなくっても宜よいのう蟠作」

蟠作「蟠作」は底本では「蟠」と誤記「なに兄上、紀伊國屋は土蔵よりなにより大事なものは女房のお村だと云って度々たび〱惚のろけを言いますが、若もし此の三十日みそかまでに金が出来んで返金の出来ぬときは女房お村を貴殿方きでんかたへ召使に差上げましょうと云う証文はどうです」

蟠「それは至極面白い、酒の座敷ではそう云う洒落しゃれた証文は面白い、それじゃア紀伊國屋、若し金が返せぬときは女房を貴殿方へ召使に差上さしあげるという証文はどうだ」

友「成程それはどうも」

蟠「面白かろう」

友「飛んだお面白い洒落で」

友之助は根が善人ですから、よもやと思って得心しますと、

阿「私わたくしが書きましょう」

と阿部忠五郎がすら〱と書きましたのを知らずにピタ〱印形を捺おして向うへ渡しました。阿部忠五郎と云う男は元より碁に負ける様な者ではない、碁は三段から打ちまして田舎廻りの賭碁で食っている。忠五郎企たくみも企んだ証文を書いて百両賭で遣ると、忽たちまちにパタリと紀伊國屋が取られました。

蟠「どうした」

友「取られました、残念でございます、これは負切まけきりにはしません」

蟠「まア〱そう焦あせるな、心配すると面白くない、互いに熱くなって筋を出しては面白くない、金はどうでも宜い、まア〱一杯飲んで機嫌好よく帰れ」

とこれからお酒になって紀伊國屋を機嫌能よく帰しましたが、友之助は正直な男だから気に掛りますが、四月三十日みそかに金子を返す訳に往ゆかぬから言訳に参りますと、

蟠「蟠」は底本では「友」と誤記「馬鹿ア言え、貴様に貸す金を取ろうとは思わぬ、又是れから買う品物で段々差引くから宜しい」

と云うからそうと心得て居りますと、五月十五日にお客があるから女房のお村を働きに貸してくれとの頼みです。以前芸妓だそうで定めて座の取廻わしも好かろう、当家には三味線さみせんがないから持参で夫婦揃って来て、客の待遇あしらいを頼むと云うから、友之助は余儀なく女房自慢でお村を立派に着飾らせ、自分も共々行ってお客の待遇を為し、其の晩は夜よも更けましたから今夜は一泊するが宜よいと云うので、夫婦諸共に一泊いたし、翌朝よくあさになりますと友之助は商いに行ゆき、お村は跡に片附かたづけものもあるから、もう一日貸せと云うので、友之助は商いを仕舞って迎いに来ようと思ったが、そこは外見みえで女房の跡を追掛おいかけるようでいかぬから、銀座へ泊って翌日行ゆくと種々いろ〱跡に取込とりこみがあり、親類の客があるし、お村の清元を聴かせたいから、もう少しと云うので、又お村を引上げられ、又二晩置いて行くと、もう向うの様子が違って、企たくみの罠わなに掛りました。此方こっちはそんなことは知りませんから、

友「御機嫌よう」

蟠「いや紀伊國屋か、能く来たね」

友「御無沙汰いたしました」

蟠「大分だいぶ暑くなった」

友「誠に長々お村を有がとうございます、もう御用済になりましたら、私わたくしも商いに参りますに、家うちは錠を下おろして出ますのも誠に不都合でございますから、今日はお村を連れて帰りとう存じます」

蟠「誰たれを」

友「お村を」

蟠「お村を連れて帰るとはどう云う訳で」

友「へいお村を連れてまいるので」

蟠「何を言うのだ、お村は舎弟の蟠作に貴様は妾に遣つかわしたではないか」

友「へい何なんで、何を仰しゃる」

蟠「手前忘れてはいかぬ、先月阿部と賭碁をして、金がないから私わしに百両貸せと云うから、手許てもとにないに依よって弟の手から貸して、私わしが請人うけにんになって、証文の表には返金の出来ぬ時は女房お村を貴殿方へ召使に差上げると云うことが書いてあって、首と釣換つりかえの印形を捺おしたではないか、えゝ、それ故蟠作がもう妾に致した心得で毎晩抱いて寝ますよ」

友「怪けしからぬ乱暴なことを云って、御冗談を仰しゃるが、手前跡月あとげつ三十日みそかに少々金子に差支さしつかえがあると申したら、何時いつでも宜よいと仰しゃるから宜いと心得て居りましたが、そう云うことなら返金致すので、人の女房をそんなどうもお愚弄からかいなすっちゃアいけません、驚きますよ」

蟠「何を云う、なんぼ兄弟の中でも金銭は他人と云う喩たとえ通りだ、なぜ金を返さぬ、貴様は正直な商人あきんどだからよもや倒しゃせまいと思い、催促しなければ好よい気になってこれまで返金に及ばぬから此方こっちで弟おとゝが抱いて寝るは当然ではないか」

友「先生それは貴方あなた本当に仰しゃるのですか」

蟠「武士たる者が嘘を云うか」

友「これは呆れた、呆れましたねえ、先生、貴方は立派な門弟衆しゅも沢山ある大先生のお身の上で、何なんと弱い町人を貴方瞞ごまかす様なことをなさらんでも宜しいじゃございませんか、彼あの時は真ほんの酒の場で洒落だと仰しゃるから印形を捺おしましたが、そうでなければ女房を書入かきいれの証文に印形を突きは致しません」

蟠「黙れ、手前洒落に首と釣換えの印形を捺すか、誰が洒落に金を貸す奴があるか、出入の町人に天下の通用金百両と云う大金を貸すは忝かたじけないと思え、洒落に貸す奴があるか、痴漢たわけめ、お村が欲しければ金を返せ、己おれが間へ介はさまって迷惑に及ぶぞ、痴漢め」

友「これは驚きましたな、どうも余りと云えば呆れ果てた仰しゃり分でげす、宜しい、私も紀伊國屋です何も金を返せなら返せで催促を遊ばして、女房を取上げんでも宜よい、お村を鳥渡ちょっと貸せと仰しゃるから上げたので何もそれを抱いて寝る事はありません、お村も亦また抱かれて寝ることはありません、金を持って参ります」

蟠「当然あたりまえで」

友「金を拵こしらえて持って参ります」

と真青まっさおな顔をして涙を浮べ唇の色も変えて友之助飛出したが、只今と違い其の頃百金と云うは容易に人が貸しません。正直な者でも明後日あさって来いとか明日あした来いとか云う人ばかりでございます。翌日になり漸ようやく七所借なゝとこがりをして百両纒まとめて、日の暮々くれ〲に大伴蟠龍軒の中の口から案内もなしで通りましたが、前と違い門弟衆しゅも待遇あしらいが違う。

門弟「これ〱紀伊國屋、無沙汰で中の口から通る奴があるか」

友「へえ先生にお目に懸りたい」

門弟「取次いで遣るから其処そこに居れ、何なんの用だ」

友「いゝえ、来いと仰おっしゃるから参ったので、金を持って来たのです」

蟠「誰か来たか……なに紀伊國屋が来た、余り小言を云わぬが宜よい、さア這入はいれ、宜しいから此処こゝへ来い」

友「先生、金子百両慥たしかにお返し申しますから証文とお村を引換ひきかえにどうぞお返しなすって下さい」

蟠「何なんと、そんなに顔色を変えて泣面なきつらをするな、これは百金だな」

友「左様で、百両借りたから百両持って参ったのです」

蟠「痴漢たわけ、手前は三百両借りたのではないか」

友「何を仰しゃる、私は百金しか借りた覚えはありません」

蟠「黙れ、手前は上のぼせて居おるな」

友「お前さんが上せている町人を欺だましてそんな」

蟠「これ〱何を大きな声をする……これ此の通り「金三百両但通用金也たゞしつうようきんなり」どうだ、これを見ろ」

友「へえ……おや〱」

と友之助は証文を見ると阿部忠五郎が金の字と百の字の間を少し離して書いて、其の間へ無理に三の字を平ひらったく篏込はめこんで入字いれじをした百両の証文が三百両だから、

友「これは〱三百両」

蟠「ソーレ見ろ、三百両どうだ、手前得心で印形を捺おしたではないか、痴漢たわけめ……蟠作これへ出ろよ、百金を持って来たからお村を返せと云うが返して遣るか」

蟠作「蟠作」は底本では「蟠」と誤記「怪けしからぬことでげす」

と云いながらスラリッと襖ふすまを開けると蟠作に続いて出ましたのがお村、只今で云う権妻ごんさいです。お妾姿で髪は三みつ髷わに結い、帯をお太鼓にしめてお妾然として坐りました。続いて柳橋のお村の母お崎婆ばゞあが隠居らしく小紋の衣物きもので前帯にしめて、前へのこ〱出て来た。

友「おやお村、お母っかあも」

お崎「誠に貴方方あなたがたには相済みませんが私わたくしも友之助には云うだけの事は申しますから、はい……己おれが云うことを能く聞け」

とお村の前へ進み出まして、友之助を捕まえ悪口あっこうを云う、これが大間違いになります初めでございます。

十二

慾深き人の心と降る雪は積るにつけて道を遺わするゝと云う、慾の世の中、慾の為には夫婦の間中あいなかも道を違えます人心ひとごゝろで、其の中にも亦また強慾ごうよくと云うのがございます。大慾は無慾に似たりと云って余り慾張り過ぎまして身を果はたす様なる事が間々まゝございます。お村のお母ふくろなどは強慾に輪をかけましたので、実に慾の国から慾を弘めに来たと云う、慾の学校でも出来ますれば教師にも成ろうと云う強慾張ごうよくばりで、筋と肉の間へ慾がからんで慾で肥ふとる慾肥りと云うのは間々あります。頭の真中まんなかが河童かっぱの臀しりのように禿はげて居ります、若い中うちちと泥水を飲んだと見えて、大伴蟠龍軒の襟えりに附きまして友之助の前へ憎々しく出て来まして、

崎「おい友之助、お前は本当に酷ひどい人だのう、私の只たった一人の娘を強たってくれと云うので、お前は業平橋の文治郎と云う奴を頼んで掛合いに来た其の時、私は遣やることは出来ねえと云ったら、文治郎と云う奴は友之助の所へお村を遣らなければ縊殺くびりころすと云って理不尽に咽喉のどを締めて、苦しくって仕方がねえから、はいと云ったが、其の時の掛合にのう、お母っかあには月々五両ずつ小遣こづかいを贈ろうと云ったが、毎月々々まいげつ〱送ったことがあるか、やれ家うちを越したの、やれ品物を仕入れるの、店を造作ぞうさくするのと云って丁度金を送ったことはありゃアしねえ、大事な一人娘を何故親に無沙汰で、此方様こちらさまへ来て博奕ばくち同様な賭碁に書入れた、三百両と云う大金でお前は碁を打って楽しんだろうが、親に無沙汰で書入れて仕舞って、此方様だから宜いい、お母ふくろぐるみ引取るから心配するなと仰しゃるが、若し悪い者の手に掛れば女郎に売られるか知れやしねえ、太ふてい奴だ、縁切えんきりで遣った娘ではねえ、嫁に遣れば姑しゅうとだよ、己おれに一応の話もしねえで、沙汰なしに金の抵当かたに書入れられて溜たまるものか、手前てめえのような奴に何なんと言ったって再び娘は遣りゃアしねえからそう思いなよ」

友「お母っかあそれはねお前が腹を立つのは尤もっともだけれども、是には種々いろ〱な深い訳のあることで、私も此方様へ二月からお出入して、初めはやれこれ云って有難い花主とくいと思って、此様こんなに人を欺だますようなことをなさろうとは思わなかったが、後月あとげつ来たら碁を打て〱と先生が勧めるから、お相手の積りで碁を打って、初めは私に飴を食わせ、勝たして置いて賭碁をしろと仰しゃり、向うの企たくみとは知らず、洒落と思ってうっかり証文を書いたのが私の過あやまりだ、過りだけれども金は百両しか借りはしない、だが三百両でなければお村は返さないと仰しゃるから、どんなにも才覚してお村を取返しに来ようし、後あとでお前に話をするからお村だけは何卒どうぞ私の方へ返して下さい」

母「誰が手前てめえに返す奴があるものか……これお村、手前てめえもこんな不人情な奴にくっついていたって仕様がねえ、諦めの着くように判然はっきりと云って仕舞いなよう、愚図々々するから此奴こいつがこけの未練で思い切れねえから、思い切って云って仕舞えったら云って仕舞いなよ、こんな意気地いくじなしの腰抜にくっついていたって仕様がねえ、食えなくならア、判然と云いなよ、縁を切って仕舞いなよ」

村「あの友さん、私はね今度と云う今度はお母っかあの云う通り呆れたよ、お前も新店のことだから是だけ代物しろものを仕入れなければならない、土蔵も建てなければならぬとか、店の造作ぞうさくするに金が入るとかの為に少しの間女郎になれとか、抵当かたに書入れるとか云うなれば、夫婦相談で出来まいものでもないけれども、私は本当に呆れたよ、私に話もしないで此方様こちらさまへ書入れにして金を借かりるとは余あんまりではないか、お前のような不人情な人に附いていても、どんな目に逢うか知れないから、何卒どうぞ夫婦の縁は是れ切ぎりにしておくんなさい、私ばかりが女じゃアない、世界には幾らも女があるから、賭博ばくちをする時書入れられても宜いいと云う様な、お前に惚れている人を女房にお持ち、私はお前に愛想あいそが尽きて嫌いやだから、これから夫婦の縁はお母っかあのいる前で切っておくれ」

母「能く云った〱、諦らめなよ、お村の腹が変っては役に立たねえ、さア〱帰れ、遣らぬと云ったら遣りませんよ」

と云う中うち友之助の眼は血走って、唇の色は紫色になり、

友「お村、余あんまり愛想尽あいそづかしを云うじゃアないか、決してお前を書入にしたのではない、書入は真ほんの洒落だと云うから、うっかり書いたは過あやまりだが、今になって金の有る大伴蟠作の襟に附いて己を振り付けては、去年の暮、牛屋の雁木で助けられた文治郎様へ済むめえ」

蟠「これ〱お村とはなんだ、今までは手前の女房だろうが、もう当家へ来ては妾だ、お村様と云え」

友「何を云うのだ、お村様も何もない、私の女房に違いございません、此方こっちへ出ろ、此の畜生め、どうも口惜くやしいたって、こんな証文などを拵こしらえて、お前さん立派な剣術の先生で、弟子子でしこもあり、大小を挿さす身の上で、入字いれじをして証文を拵えるとは、これじゃア騙かたりだ」

蟠「これ〱、騙りとはなんだ、苟かりそめにも一刀流の表札を出す蟠龍軒だ」

友「騙りだ〱」

と夢中になって友之助身を震わして騙り〱と金切声で言うと、ばら〱と内弟子が三四人来て、不埓至極な奴、先生を騙りなどと悪口雑言あっこうぞうごんをしては捨置かれぬ、出ろと襟髪えりがみを取って腕を捕つかまえて門前へ引摺り出し、打擲して、前に申し上げた通り割下水の溝みぞへ倒さかさまに突込つきこんで、踏んだり蹴たり、半死半生はんしはんしょう息も絶え〲になりましたが、口惜しいから、

友「さア殺せ、さア殺して仕舞え〱」

と云う声、実に悲鳴を放って苦しんでいるのでございます。処へ文治郎通り掛ったが、母が同道でございますから、何分なにぶんにも問うことも出来ません。宅へ帰って森松に耳こすりして、全く友之助が蟠龍軒の為に酷ひどい目に遇あっているなら、助けないで彼あのまゝにして置けば必ず死ぬから、早く見て来いと云うから、森松は飛出して割下水へ来て見ると、四辺あたりはひっそりとしていたけれども、其の者は溝どぶから這上はいあがって這うようにして彼方あっちへ行った此方こっちへ行ったと人の話を聞いて、だん〱跡を追って吾妻橋へ掛りますと、ポツリ〱大粒の雨が顔に当ります。ピュウ〱と筑波下つくばおろしが吹き、往来はすこし止りましたが、友之助はびしょ濡ぬれの泥だらけ、元結もとゆいははじけて散乱髪さんばらがみ、面部は耳の脇から血が流れ、ズル〱した姿なりで橋の欄干に取付き、

友「口惜しい、畜生め、町人と思って打ち打擲して、人を半死半生に殺しゃアがったな、あゝ己は口惜しい、己は此の橋から飛込んで三日経たゝぬ中うちに皆みんな取殺すからそう思え、エー口惜しい」

と狂気致したようになって欄干に手を掛けると、バタ〱跡から来たは森松、

森「友さん〱おい仕様がねえ、友さん確しっかりしねえ」

友「止めてはいけません、何卒どうぞ離しておくんなさい、生甲斐いきがいのない身体、殺しておくんなさい」

森「何を云うのだ、お前めえ能く考え違ちげえをしてはいかねえ、お前めえ狼狽うろたえちゃアいけねえ、旦那が心配しているんだ、旦那は此の節せつ外へ出られねえから己に行って見ろというから来たのだ」

友「三日経たゝぬ中うちに取殺します」

森「そんなことを云ったって仕様がねえ、能く訳を云いねえ、えゝおい、如何どう「如何《どう》」は底本では「如何《どう》う」と「う」が重複云う訳だ」

友「どう云う訳だってお村はスッパリ大伴の襟に附ついて、百両が三百両になった」

森「百両が三百両になれば殖ふえたのだから結構じゃアねえか」

友「いゝえ私は半分死んで居ります」

森「訳が分らねえ……人が立っていけねえよ、己に話して聞かせねえ、待ちねえよ、向むこうの都鳥と云う茶店ちゃみせへ行ゆきねえ……何を見やアがる、狂気きちげえでも何なんでもねえ」

と漸ようやく都鳥の店へ来て、

森「表は人が立つといけねえ、連れて来た人は少し怪我人の様な病人の様な変な者だが、薄縁うすべりか何か敷いてくんねえ……おい友さん腰を掛けねえ」

友「へえ〱」

森「確しっかりしねえ」

友「確りたって私は半分死んで居ります」

森「森」は底本では「友」と誤記「そんな事を云ったって分らねえ、どうしたのだ」

友「百両が三百両になりました」

森「それは結構じゃアねえか、殖えたのだ」

友「初めは私が勝ったので、二度目が負けたので、企たくんだのだ、お村様と云えと云います」

森「何を云うのか分らねえ、困るな、水を一杯いっぺい飲みねえ」

友「どうせ川へ這入れば水は沢山たんと飲めますから入りません」

森「しょうがねえな、どう云う訳だ、お前めえも本所の旦那の子分、己も子分だ、旦那が表へ出られなくっているのに子分が本所へ来て恥辱けじめを食って、身を投げるとはどういう訳だ、旦那は子分が喧嘩で負ひけを取っては見てはいられねえ、お前めえの敵かたきは己が取るから相手を云いねえ」

友「相手は剣術遣つかい」

森「なに、それじゃア己にはいけねえが、誰だ」

友「友」は底本では「文」と誤記「それはお村に惚れているので、前々ぜん〱から私を欺だまして百両を三百両にしてお村を取上げ、私は半分死んで居ります」

森「分らねえな、……爺じいさん、旦那を喚よんで来るから鳥渡ちょっと此の人を此処こゝへ置いてくんねえ」

爺「貴方がお出いでなすっては困ります、彼あの人が駈出すと困りますよ」

森「少しは駈出すかも知れねえが、直じきだから」

と云い捨てゝ、森松が業平橋へ来て文治郎に云うと、文治郎も心配しても外ほかに仕方がないから、お母様っかさまには上州前橋の松屋新兵衞が来て逢いたいから吾妻橋の海老屋で待っているとお母様に言ってくれと、こしらえ事ではありますが、人の為と思い、母に話しますると、外の者では遣やらぬが、松屋さんなら逢ってくるが宜よいと云うので、森松と同道で都鳥と云う茶店へ来て、

森「爺さんいるかえ」

爺「居おります、時々縁台から下りまして川を覗のぞいて居ります」

森「心配しんぺいはねえ、旦那が来たから」

爺「御苦労様、お医者様ですか」

森「お医者様じゃねえ……旦那此方こっちへ」

文「友さん、大分だいぶ面部へ疵きずを受けたねえ、どうした、確しっかりしなくてはいかぬ、身を投げて死ぬなどとそんな小さい根性を出してはいかぬ、どう云う訳か、心を落付けて話しなさい」

森「森」は底本では「友」と誤記「旦那が来たよ、話しねえ」

友「へゝ有難う、誰が来ても私は半分死んで居ります」

森「あんなことを先刻さっきから云うので分りません、確しっかりしねえ、旦那だよ」

文「私わしだが分るかえ」

友「へー、お村様と云いますから、お村のお母ふくろまで向うに附いているので、へー」

森「これは仕様がねえな、旦那が分らねえか」

文「友さん、私わしが分りませんか、業平橋の文治郎だが分りませんか」

友「へー〱旦那で、有難い〱能く来て下さいました、旦那様口惜くやしゅうございます、何どうか讎かたきを討って下さい、私は半分死んで居ります」

文「まア気を落付けなさい、嘸さぞ残念であろうが、何どう云う訳でお前は酷ひどい目に遇あったか仔細を云いなさい」

友「へい、私はね旦那様あなたより外ほかに讎かたきを取って戴く方はございません、貴方の処へ参りたいと思いましても、此の二月貴方に一言いちごんのお話もしませんで銀座三丁目へ越し、つい敷居が高くなり御無沙汰になりましたが、是れも皆お村の畜生が悪いからで、何卒どうぞ御勘弁なすって下さい」

文「まア無沙汰の詫事わびごとはどうでも宜よいが、お村はどうした」

友「へい、お村は向うへ取られ、金も百両取られました上で打ぶたれました」

文「女房と金を取られて打擲されるとはお前に何か悪い事があるだろう、自分の悪いことを隠してはいかぬ、讎かたきを取って貰いたければ私わしに話しなさい、又趣意に依よって話をつけてお前の顔の立つ様にもしよう、そうじゃないか」

友「へー有難い〱、森松さんお出でなさい」

森「今漸ようやく私わっちの顔が分ったのか、しょうがねえ、おい水を飲みなせえ」

文「どう云う訳かえ」

友「へー、この二月月末つきずえ、本所北割下水大伴蟠龍軒と云う剣術遣いの先生の舎弟の蟠作と云うものが店へ来て、誂あつらえ物があるから宅へ来いと云われるから、度々たび〱参りますと、結構な品々を買ってくれ、御馳走をして祝儀をくれ、有難い得意が出来たと思い、足を近く参りました、そうすると向うでも、度々参りますから私わたくしの好き嫌いも知るようになりました、後月あとげつ十一日に私わたしが参りますと、阿部忠五郎と云う人が舎弟の蟠作と碁を打って居りまして、私の碁の好きなのを知って、碁を打て〱と云いますから、私も相手になって一二番打つと、遂ついに賭碁にしろと云い、初めは私わたくしが勝ちましたが、段々仕舞に負けまして、大伴蟠龍軒から金を借りましたので、すると百両と纒まとまった金だから証文にしろ、若し金が滞とゞこおったらば抵当かたに女房お村を召使に上げるということを証文表おもてに書き、それもほんの洒落だからと申しますから、冗談の心持で阿部忠五郎と云う奴に証文を書いて貰って、うっかり印形を捺おしたのです」

文「それはまア飛んだ目に遇った、企たくんでいたのだな」

友「企んだって企まないってそれ程とは存じません、門弟衆にはお旗下はたもともあり、お歴々もあるから、よもやそんな真似はしようとは思いませんが、前々ぜん〱からお村に惚れていた故欺だましたのです」

文「それからどうした」

友「それで百両負けて仕舞って、晦日みそかに言訳に行ゆくと、宜しい、返さなくっても宜しいと申し、客があるから一両日お村を貸せと云うから働きに連れて行くと、昨日きのうまで返しません、余あんまり返しませんから、お村を迎いに行くと、金を返さぬからお村を蟠作の妾にして毎晩抱いて寝て、手前の方へは返さぬから金を持って来いと云うから、私はどうも恟びっくり致しました、余あんまりでございますから七所借なゝとこがりをして金を持って参り、突き付けまして、お村を返せと云うと、旦那様、お崎婆ばゞあも大伴へ参って居ります、其の上お村がお前のような意気地いくじなしの女房になるのは厭だと云い、婆ばゞあは手前には娘を遣らぬと申し、皆向うへ附いて口惜しゅうございますから、お村に文治郎様に義理が済むまいと申しますと、お村とはなんだ、お村様と云え、様を附けろと云うから、糞くそでも喰くらえ、それじゃア騙りだと云うと、私わたくしの頭を鉄扇で打ち、門弟が髻たぶさを取って引摺り出し、打ち打擲するのみならず、割下水へ倒さかさまに突込つきこまれて私わたくしは半分死んで居ります」

文「憎い奴だなア」

友「憎いって憎くねえって、森松さん可愛そうと思って下さい」

森「酷ひどい奴で、彼奴あいつは悪党でげすな、旦那」

文「ふーん、それで百両返しにいって其の百両はどうなった」

友「友」は底本では「文」と誤記「百両借りた証文が三百両となりました、百と云う字と金の字の間へ三の字を平ったく書いたのですから、騙りと云うのは当然あたりまえでげしょう」

文「其の金はどうした」

友「其の金は其処そこへ置いて掛合ったので」

文「持って帰ったか」

友「掛合中に突然いきなりに引摺り出されたから目の前にあっても取る事は出来ません」

文「成程、至極尤もだ、友さん如何いかにもお前は善人だ、金と女房を取られた上に打ぶたれて気の毒千万だ、私は母に誡いましめられて喧嘩の中へ這入はいることは出来ません、素もとより人の掛合に頼まれることはせぬ積りだが、どう云う訳か去年の暮から別懇になったからして如何にも気の毒だから、私が往いって百両の金だけは取返して上げまいものでもないが、女房お村の取返しは御免だ、其の位企みをして妾にしようとするお村を取返さんとすれば面倒になり、どのようなる理不尽なことをするか知れぬ、其の時は引くに退ひかれぬ場合になる故に、お村を取返すことは私わしは頼まれぬ、お村は諦めな、あれはいかぬ、お前の為にならぬ女だ、あれが了簡の不実なのは見抜いて知っている」

友「旦那様、そう仰しゃいますが、私わたくしはあれは諦らめられません、私わたしは彼奴あいつ故主人を失策しくじり、友達には笑われ、去年牛屋の雁木で心中する処を助けられ、漸ようやく夫婦になった者を、取られた上に打ち打擲されて、これもお村故でございます、仮令たとえ一晩でも取返して女房にした上、表へ逐出おいだそうとも、彼奴が鬢びんの毛を一本々々引抜いて鼻でも切って疵だらけにしなければ腹が癒いえませんから」

文「文」は底本では「森」と誤記「其様そんなことをしたって詰らぬから、私わしの言うことを聞いて、あれは諦めな、負けたのはお前の過あやまりだから、百両の金で不実な女房を売ったと思って、諦めた方が宜しい」

友「私わたくしは諦められません、私わたくしが取とりかえして半年でも女房にして逐出します」

文「出したり入れたりしては詰らぬから、それよりはお村よりも優まさった立派な女房を文治郎が世話をしようから、あれは諦めな、為にならぬから」

友「為にはならぬが、あの畜生、お村様と云えと云いました」

文「諦めなよ」

友「あきらめられません、三日でも宜しい、三日夫婦になって、彼奴あいつの顔を疵だらけにして逐出します」

文「そんな奴があるものか、お村に未練があるなればお断りだ」

森「しょうがねえ、友さん、旦那があきらめろと云うから諦めねえよ」

文「諦めるなれば百両は取返して遣やろう、だがそれ程企んで取った百両だから、返すかどうか知れぬ、元より取返そうとすれば喧嘩になり、退ひくに退かれなければ世間を騒がせなければならぬ、お前に気の毒だから、若し向うで百両を返さぬとなれば百金は私わしが償つぐなってお前に上げる心得だ、お前の為に百両は損をする気で中へ這入るのだから、其の志を無むにしないで、お村を諦めなさいよ」

友「へー〱私わたくしはあきらめましょうが口惜くやしゅうございます、私は実に残念でございます」

文「嘸さぞ残念であろうが、其の代り後あとは幸福しあわせになる」

友「彼奴あいつを諦めます代りには彼奴唯は置きません、走り大黒様へ針を打ちます」

文「そんな詰らぬことを云ってはいかぬ、何処どこか近所に医者があるだろう」

と茶店の亭主に医者を尋ねさせ、外科医者が来て頭の疵に膏薬こうやくを付け、駕籠に乗せて友之助を帰し、翌日夕景から、母の前は松新が迎いに来た体ていにして、文治郎は大伴蟠龍軒の玄関先へかゝり、

文「頼む〱」

大伴の表へは水を打って掃除も届き、奥には稽古を仕舞って大伴蟠龍軒兄弟が酒宴さかもりをしている。姑しばらくして「玄関に取次とりつぎがあるよ、安兵衞やすべえ」

安「へー」

つか〱と和田安兵衞が取次に出ました。と見ると文治郎水色に御定紋染ごじょうもんぞめの帷子かたびら、献上博多の帯をしめ、蝋色鞘ろいろざやの脇差、其の頃流行はやった柾まさの下駄、晒さらしの手拭を持って、腰には金革きんかわの胴乱を提さげ、玄関に立った姿は誰たれが見ても千石以上取る旗下はたもとの次男、品ひんと云い愛敬と云い、気高けだかいから取次の安兵衞は驚いて頭を下げ、

安「何方様どなたさまから」

文「手前は業平村に居ります浪島文治郎と申しますえー粗忽そこつの浪士でござるが、先生にお目通りを願いたく態々わざ〱出ました」

安「少々お控え下さい」

とつか〱奥へ行ゆくと、頻しきりに酒を飲んでいる。

安「先生、浪島文治郎という業平村に居ります者が先生にお目通り願いたいと申します」

蟠「どんな奴だ」

安「へー、誠に好いい男で、どうも色の白いことは役者にもありません、眼の黒い眉の濃い綺麗な男で、水色の帷子を着て旗下の次三男と云う品ひんでげす」

蟠「そんな事はどうでも宜い…蟠作、浪島とはなんだ」

蟠作「兄上、予かねて聞きましたが浪島文治郎と云うは浪人者で、何か侠客きょうかくとか云う、町人を威おどし、友之助のことに世話をする奴で、友之助の事に就ついて掛合に参ったのでございましょう」

蟠「あゝそうか」

崎「先生、それでございますよ、参ったら油断してはいけません、怖い奴です、見た処は虫も殺さぬような、しと〱ものを言うが、一つ反対返でんぐりかえると鬼を見たような奴です、お村を取還とりかえしに来たって貴方はいと云っては親子のものが困りますから、どうかして下さいよ、お村逃げな〱」

蟠「はアそれは面白い、酒の肴に嬲なぶってやろう、呼べ〱」

と悪い所へ参りました。文治郎は案内に連れられまして奥へ通りますと、道場の次の座敷の彼かれこれ十畳もあります所へ、大いなる盃盤はいばんを置きまして、皆みんな稽古着に袴を着けまして酒宴をして居ります。大伴蟠龍軒の次に蟠作が坐り、其の次にお村が坐りまして、其の次にお崎婆ばゞあが猫脊になって坐って居おる、外ほかに門弟が四五人居ります。襖を隔へだって文治郎が両手を突いて叮嚀ていねいに挨拶を致します。

蟠「さア、どうぞこれへ這入って下さい、其処そこじゃア御挨拶が出来ぬ故何卒どうぞ此方こっちへ這入って下さい、此の通り今稽古を仕舞って一杯初めた処で、甚だ鄙陋びろうな体裁ていさいで居おるが、どうぞ無礼の処はお許し下すって、これへお這入り下さい」

文「へー初めまして、えー業平村に居ります浪島文治郎と申す至って粗忽の浪士、お見知り置かれて此の後のちとも幾久しく御別懇に願います」

蟠「御叮嚀の御挨拶、手前は大伴蟠龍軒と申す武骨者、此の後ごとも御別懇に願う……これは手前の舎弟でござる、蟠作と申す者、どうぞお心安く願います」

蟠作「初めまして、手前は蟠作と申す者、予かねて雷名轟とどろく文治郎殿、どうか折おりがあらばお目に懸りたいと思っていたが、縁なくして御面会しなかったが、能ようこそ御尊来で、予てお噂に聞きましたが、大分だいぶどうも何なんだね、お噂よりは美くしいね」

怪けしからぬことを言う奴と思ったが文治郎は、

文「えー、今日こんにちお目通りを願いたい心得で罷まかり出ましたが、御不在であるかお逢いはあるまいかと実は心配致して参りましたが、お逢い下すって誠に此の上も無のう大悦たいえつに存じます、少々仔細あって申し上げたい儀がございまして罷り出ましたが、大分お客来きゃくらいの御様子、折角の御酒宴のお興を醒さましては恐入りますが、御別席を拝借致して先生に申し上げたいことがありまして」

蟠「いゝえ、なに別席には及ばぬ、これは門弟だから心配には及びません、直すぐにこれで逢う方が却かえって宜よい、何なんなりと遠慮のう直ぐにお話し下すって」

文「左様なれば申し上げますが、他ほかの儀ではございませんが、紀伊國屋友之助の儀に付いて罷まかり出ました」

蟠「成程、何しろ席が遠くて話が出来ぬ、遠慮してはいかぬ、此方こっちへ這入って下さい、剣術遣いでも野暮やぼに遠慮は入りません、丁度相手欲しやで居りました、どうかこれへ」

文「御免下さい」

と這入ろうとしたが、關兼元の脇差は次の間へ置いて這入らなければなりませんが、若もし向うが多勢たぜいで乱暴を仕掛けられた時は、止やむを得ず腰の物を取らんければならぬ、其の時離れていては都合が悪い、それゆえ襖の蔭へ置きまして、余程柄前つかまえが此方こっちへ見えるようにして、若し向うで愈々いよ〱斬掛きりかけるようなる事があると、坐ったなりでずうっと下さがり、一刀を取って抜こうと云う真影流の坐り試合、油断をしませんで襖の所へ置いて掛合うという危険けんのんな掛合でございます。

文「只今申上げました紀伊國屋友之助は図らずも御当家へお出入になりましたことは此度こんど始めて承わりましたが、不思議の縁で昨年来よりして手前店請たなうけになって駒形へ店を出させました廉かどもございましたが、久しく音信いんしんもございません、銀座へ越します時も頓とんと無沙汰で越しました、然しかる処、昨夜吾妻橋を通り掛りますると、友之助が吾妻橋の中央より身を投げようと致す様子、狂気の如く相成って居ります故、引留ひきとめて仔細を聞くと、御当家様へお出入になり、長らく御贔屓ごひいきを戴き先月御当家様で金子百両借用致して、其の証文表おもてに金子滞る時は女房お村を妾に差上げると云うことが書いてあり、金子の返金滞ったによって女房お村をお取上とりあげになってお返しがない、それ故に驚き、金子才覚して持って参りました所が、金子もお村もお取上で、お返しならぬ上御打擲になり、剰あまつさえ御門弟衆しゅが髻もとゞりを取って門外へ引出し、打ち打擲して割下水へ倒さかさまに投入なげいれられ、半死半生にされても此方こっちは町人、相手は剣術の先生で手向いは出来ず、如何いかにも残念だから入水じゅすいしてお村を取殺とりころすなどと狂気きちがいじみたことを申し……それはまア怪けしからぬこと、音に聞えたる大伴の先生故、町人を打ち打擲などをすることはない筈はず、又女房を金の抵当かたに取るなどと端はしたないことはなさる筈がない、そんなことは下々しも〲ですること、先生はよもや御得心のことではあるまい、何か頓と分りませんから、一応先生に承わって当人へ篤とくと意見を申し聞かせまする了簡で罷り出ました、えい友之助の悪い廉かどは私わたくし当人になり代りましてお詫を致しますが、どのような仔細あってでございますか一応仰しゃり聞けられますれば有難い事で」

蟠「成程、片聞かたきゝではお分りもございますまいが、これは斯こう云う訳で、これに蟠作も聞いて居おるが、此の二月から出入させます紀伊國屋友之助は至って正道しょうどうらしく、深く贔屓にして、蟠作も袋物が好すきで、私も好だから詰らぬ物を買い、遂に馴染になり、心安だてが過ぎ、手前方へ来る阿部忠五郎と申す者が碁を打つと友之助は飯より好と云うので、酒の場で碁を打ってな陰気だから止せ〱と云うのも肯きかず遂に勝負に時を移し、賭となり金を賭けた処友之助が負けたから、金を貸せ〱と云い、纒まとまった大金だからどうも貸し悪にくい、間違いもあるまいが証文を入れろと云ったら、別に書入れる物はござらぬから、手前命より大切なものは女房のお村でございますから、お村を書入れましょうと云い、馬鹿々々しい訳だけれども、まさか金を返さぬ気遣きづかいもあるまいが、蟠作に話しをし、証文は取るに足らぬが、人間は心と心を見ぬいた上金を遣やり取りすべきであるから、どうでも宜しいと云うと、当人が阿部忠五郎に証文を書いて貰い、印形を捺おして証文を置放おきぱなしにして帰ったが、金は返さず、当人も間まが悪いと心得たか、十五日に女房お村を連れて来て、置放しに帰った切り、頓とんと参りません、どうしたかと思って居おると、昨日きのう突然参ってお村を返せと云うから、お村は返さぬでもないが金を返せと云うと、いゝえ金は返されません、お村を返せと云うから、お村を返すには金を取らぬければ、なんぼ兄弟の中でも私わしが請人うけにんだから金を出せと云う争いから、狂気きちがい見たように猛たけり立って、私わしを騙かたりだ悪党だと大声たいせいを発して悪口あっこうを言うので、門弟どもが聞入れ、師匠を騙りだの悪党だのと云っては捨置れぬと、髻もとどりを取って引出し打擲したと聞いたから、後あとでまア弱い町人を其様そんなにせぬでも宜よいと小言を云い聞かせて置きました、何も仔細はない、怪けしからぬことで」

文「どうも御贔屓になりましたる先生のことを騙りなどと悪口あっこうするとは不埓至極な奴、大方おおかた友之助は食酔たべよって前後も打忘うちわすれ、左様なる悪口を申したに相違ございません、友之助の不埓は文治郎なり代りましてお詫申しますが、元々お出入のことでございますから、友之助の妻さいお村は友之助へお返し下さるようになりましょうか」

蟠「あゝ返しますとも、外ほかならぬ文治郎殿がお出いでになったことだから、あいと二つ返事で返さなければならぬ、速すみやかにお返し申します」

さき「誠にどうも貴方困りますね、貴方方あなたがたが左様そう仰しゃって下さると、私とお村が困ります、迷惑致します……えー文治郎さん、お前はなんぞと云うと友之助のことにひょこ〱出て来るが、どう云う縁か知りませんが、去年の暮お村を友之助に遣れというから、私は一人娘で困ると云ったら、私の胸倉むなぐらを取って咽喉のどをしめて、遣らぬと締め殺すと云ったが、何処どこの国に娘の貰い引ひきに咽喉を締める奴がありますか、私も命が欲しいからはいと云って遣ったら、五両ずつ月々小遣を送ると嘘ばかり吐ついて、何なんにも送りはしません、其の上友之助は大事の娘を何故此方様こちらさまへ金の抵当かたに置いた、今私が遣るの遣らぬのと云えばお前は咽喉を締めもするだろう、弱い婆ばゞばかりなれば締めるだろうが、此処こゝでは締められまい、さア締めるなれば締めて見ろ、遣らぬと云ったら遣らぬ、締めるとも殺すともどうでもしなせえ」

文「それはお母っかあ、遣る遣らぬは後あとの話、お前に相談するのではない、先生との話だからそれは後の話にして下さい」

蟠「控えて居おれ、遣る遣らぬは当人同士の話にするが宜よい、私わしは私わしで文治郎殿と話をする、のう文治郎殿、さアお返し申すと云ったら一時いっときも待たぬ、速すみやかに返す、其の代り友之助の借りた金は掛合人のお前が償って返すだろうね」

文「昨日友之助が百金返金になって居ります筈で」

蟠「百両ではありません三百両です、これ証文箱を出せ……これに書いてある此の証文を御覧ごろうじろ、此の通り書いたものが物を云う、三百両と書いてありましょう」

文「少々拝見致します」

と文治郎は手に取って見ると、成程友之助の云う通り金の字と百の字との間に無理に押込んだ三の字が平ったくなっている、不届至極の奴と文治郎ぐっと癇癪が高ぶりましたなれども顔を和やわらめて

文「成程、これは三百両、能くまア三百両という大金を友之助風情ふぜいへ御用立ごようだて下さいました、先生、これは三百両となりましては友之助にはとても返済にはなりませんが、万一返済の出来ぬ時はお村をお取上とりあげで、それで御勘弁に相成りますので」

蟠「左様さ、金を返さぬければお村を上げると当人が云ったから抵当かたに取上げます」

文「とても友之助には返済は出来ません、手前も償つぐのう力もありません、お村をお取上で御勘弁になりますか、御舎弟様に一応お聞きを願います」

蟠作「当然あたりまえのことだ、手前は掛合に来るに何故金を持って来ない、片々聞かた〲ぎきでは事柄は分らぬ、金を返さぬでお村を返せと云って誰が返す、お村を取返すなれば金を拵こしらえて持って来て云え、煙草一吹いっぷく喫のむ間後おくれゝばお村は返さぬから、左様心得ろ」

文「へい、それでは三百金の抵当かたにお村をお取上で何処どこまでも御勘弁に相成るので」

蟠「知れたことだ、どんなことがあっても返さぬぞ、何なぜ言葉を返す、武士に二言にごんはないわ」

文「へい、どうも恐入りましたことで、金が返せぬから女房お村を取上げて返さぬ、武士に二言はないと速かなお辞ことば、当人に篤とくと申し聞けます、併しかしながらお村をお取上げの上は三百両の証文は私わたくしがお預かり申します」

と文治郎証文を懐中へ入れました。其処そこは抜ぬかりのない男です。

文「然しからばそれで御承知の上からは友之助が昨日さくじつ持参致した百金は速かにお返しがありましょうな」

蟠「なに百金請取うけとった覚えはない」

文「いゝえ、昨日友之助が百金と心得て持参した処、三百金と云い、掛合中門弟衆しゅが引出して、眼前にあっても取る間まもございません、又門外で打擲になりました彼あの始末、お得心の上からはお隠しなく友之助が憫然びんぜんと思召おぼしめしてお返し下さるよう願います」

蟠「黙れ、それでは何か、大伴が弱い町人を欺いて百金取上げて返さぬと云うのか」

文「いゝえ、左様ではございません、貴方は御存じがないかは知りませんが、又お働きの女中か御家来の衆しゅがお座敷のお掃除の時、ひょっとして引出へでもお取仕舞とりしまいになって居おろうかと心得申すので、どうか彼あの様に弱い奴でございますから、不憫ふびんと思召して百両返して下さらぬでは友之助は立行たちゆきませんから」

蟠「黙れ、苟かりそめにも一刀流の表札を掛けたる大伴蟠龍軒、町人風情ふぜいの金を欺いて取ったと云うは無礼な奴、不埓至極」

と側にあった一合入りの盃さかずきを執とりました。前には能くお屋敷で陶器やきものの薄出うすでの盃が出ました。上が娘の姿、中は芸妓の姿、一番仕舞が娼妓しょうぎの姿などが画かいてあり、周囲まわりは桜の花などが細かに描かいてあります。其の一番下の一合入の盃をとってポーンと投付けると文治郎も身をかわして除よけたが、投げる者も大伴蟠龍軒、狙ねらい違たがわず文治郎の月代際さかやきぎわへ当ると、今とは違い毛がないから額ひたえの処へ斯こう三日月みかづきなりに瀬戸物の打疵うちきずが出来ました。するとポタ〱と血が流れ、水色染の帷子へぽたり〱と血が流れるを見て文治郎はっと額ひたえを押え、掌てのひらを見ると真赤に血のりが染そみましたから、此奴こやつ不埓至極な奴、文治郎の面部へ疵を付けるのみならず、重々じゅう〱の悪口雑言あっこうぞうごん、斯かゝる悪人を助けおかば旗下はたもとの次三男をして共に大伴の悪事に染しみて、非道の行いを見習わせれば実に天下の御為おんためにならぬ、捨置きがたき奴、此の兄弟は文治郎此処こゝに於おいてずた〱に斬り殺し、悪人の臓腑ぞうふを引出して遣やろうと、虎も引裂ひっさく気性の文治郎、耐こらえ兼て次の間にあります一刀に目を付けるという、これからが喧嘩になります。

十三

申続もうしつゞきましたる浪島文治郎は、大伴蟠龍軒と掛合になり、只管ひたすら柔かに下から縋すがって掛合ますると、向うは元より文治郎が来たらば嬲なぶって恥辱を与えて返そうと企たくんで居おる処でございますから、悪口あっこうのみならず盃を取って文治郎の額ひたえに投付けましたから、眉間みけんへ三日月形なりの傷が出来、ポタリ〱と染め帷子へ血の落ちるのを見ますると、真赤になり、常は虎も引裂ひっさく程の剛敵なる気性の文治郎ゆえ、捨置き難がたき奴、彼を助けて置かば、此の道場へ稽古に来る近所の旗下はたもとの次男三男も此の悪事に染り、何どの様なる悪事を仕出しいだすか知れぬ此の大伴蟠龍軒を助けて置く時は天下の為にならぬから、彼を討って天下の為衆人の為に後のちの害を除こうと、癇癖に障りましたから兼元の刀へ手を掛けようと身を動かすと、水色の帷子に映りましたのは前月あとげつ母が戒めました「母」という字の刺青ほりものを見て、あゝ悪い処へ掛合に来た、母が食を止めて餓死するというまでの強意見こわいけん、向後こうご喧嘩口論を致し、或あるいは抜身の中へ割って這入り、傷を受けることがあらば母の身体へ傷を付けたるも同じである、以後慎め、短慮功を為さずと此の二の腕へ母が刺青を為したは、私わしが為を思召しての訳、其の母の慈悲を忘れ、義によって斯様かようなる処へ掛合に来て、父母の遺体へ傷を付けるのは済まぬ事である、母へ対して済まぬから此処こゝは此の儘まゝ帰って、母を見送ったる後のちは彼等兄弟は助けては置かれぬと、癇癖をこう無理に押え付けて耐こらえまするは切せつないことでございます。尚更此方こっちは高ぶりまして、

蟠「やい〱此処こゝを何処どこと心得て居おる、大伴蟠龍軒の道場へ来て、手前達が腕を突張つっぱり、弱い町人や老人を威おどかして侠客の男達おとこだてのと云う訳にはいかぬ、苟かりそめにも旗下はたもとの次男三男の指南をする大伴蟠龍軒を何なんと心得る、帰れ〱」

門弟がつか〱と来て、「さア帰らっしゃい、強情を張ると却かえって先生の癇癖に障るから帰れ〱」

さき「誠に有難うございます、あなた方の前では此の通りでございます、小さくなって碌に口もきけませんが、私のような弱い婆ばゞあの前では、咽喉のどをしめるの何なんのと云って脅しました、先生の前では何なんとも云えまい、咽喉をしめるなら締めて見ろ」

和田原安兵衞というのが「帰れ〱」と云いながら文治郎の手を取って引こうとすると、七人力あるから中々動きません。

安「何なんだ、帰らぬかえ」

文「先生、文治郎が能く事柄も弁わきまえませずに斯かゝるお席へ参り、不行届ふゆきとゞきの儀を申上げて、却ってお腹立の増すことに相成あいなり重々恐入ってござる、此のお詫言わびごとには重ねて参りますから左様御承知下され」

とずっと後あとへ下さがって、兼元の脇差を左の手に提げたなりで玄関から下りようとすると、文治郎の柾の駒下駄が外に投ほうり出して、犬の糞くそなどが付けてあります。尚々なお〱癇癖に障りますが、跣足はだしで其処そこを出いで、近辺で履物はきものを借り、宅へ帰ったのは只今の七時頃でございます、母は心配して待って居ります。文治郎は中の口から上りますると、森松も案じて、

森「余あんまり帰けえりが遅いから様子を聞きに行ゆこうと思って居りました、お母っかさんの前めえは仕方がねえから、前橋めえばしの新兵衞さんが来て海老屋で一猪口いっちょく始まって居りやすと云って置きやした、蟠龍軒は驚いて直ぐに極きまりが付きやしたろう」

文「心配せんでも宜しい、お母っかさまに鳥渡ちょっとお目に懸ろう」

母「文治が帰ったようではないか」

森「お帰けえりでございます」

母「さア此方こっちへお這入り」

文「御免下さい、大きに遅なわりました、松屋新兵衞も御機嫌を伺います筈でございますが、繁多はんたでございまして、存じながら御無沙汰になりました、宜しく申上げてくれるようにと申し、大きに馳走になりました」

母「大分だいぶ遅いから案じて居ったが、あの人は堅いからお前に助けられた恩を忘れず、江戸へ出さえすれば再度訪ねてくれます、殊に毎度手紙を贈ってくれて、あゝ云う人と遊んで居おると心配はありません、直ぐにお帰りかえ」

文「直ぐに宿屋まで帰りました」

母「それは宜かった、お前の帰りが遅いと案じて居おる……文治郎お前の額ひたえは」

文「エ……」

母「余程の疵だ、又喧嘩をしたのう」

文「いえ喧嘩ではございません、つい曲り角でそげ竹を担かついで居おる者に出逢い、突掛つきかゝりました、無礼な奴と申し叱りました処が、詫を致しますから捨置きました」

母「いえ〱竹の疵ではない、お前の帰りが遅いから心配していた、つい先月お前の二の腕に刺青ほりものをしてお父様とっさまに代って私が意見をしたのを忘れておしまいか、お前は性来せいらいで人と喧嘩をするが、短慮功を為さずと云うお父様の御遺言ごゆいごんを忘れたか、母の誡いましめも忘れて、額ひたいへ疵を拵えて来るような乱暴の者では致し方がない」

文「いえ〱中々喧嘩口論などは彼あの後ごは懲りて他よそへも出ませんくらいでございますから決して致しません」

母「いゝえなりません、男親なら手討にする処私も武士の家に生れ、浪島の家へ嫁かたづきましたが、親父様おやじさまのない後のちは私がなり代って仕置をしなければならぬ、何なんのことだか血の流るゝ程面部へ傷を付けて来るとは怪けしからぬ、其の方の身体ではあるまい、母の身体であるぞ、其の母の身体へ傷を拵えて来るのは其の方が手を下おろさずとも母の身体へ其の方が傷を付けたのも同じこと、又先方の者を手前が斬って来た様子」

文「どう致しまして、なか〱人を害すようなことは先頃から致しません」

母「いゝえ成りません、顔の色が青ざめて唇の色まで変って居おる、先方の人を殺さなければ、これから斬込むという様子、若もし未まだ殺さなければ母の身体に傷を付けた者を何なぜ斬らぬ、母の敵かたきと云って直ぐ斬ったろう」

文「へー……」

文治郎は癇癖に障った処へ聞取きゝとりを違いまするのは、成程自分の身体は母の身体である、あゝ母の身体へ傷を付けた大伴兄弟を捨置いて其の儘帰ったのは自分の過あやま[#「ま」は、底本では欠如]りである、よし〱今晩大伴蟠龍軒の道場へ斬込んで、皆殺しにしてやろうと云う念が起りました。これは聞き様の悪いので、母親は其の心持ではない、文治郎を戒める為にうっかり云いましたことを、此方こちらは怒おこっているから聞違えたのでございます。母は立腹致しまして、

母「次の間へいって慎つゝしんで居れ」

文「へー」

と文治郎は次の間へ来て慎んで居りましたが、腹の中うちでは今晩大伴の道場へ踏込んで兄弟を殺し、あゝ云う悪人の臓腑はどういうものか臓腑を引摺り出してやろうと考えて居おる。母は文治郎が人を斬って来た様子もないが、今夜抜け出されては困ると思って、

母「文治、少し気分が悪いから枕もとにいて下さい」

文「へー、お脊中でも擦さすりましょうか」

母「はい、来て脊中を擦って下さい、そうして読掛けた本を枕もとで読んで下さい」

仕方がないから本を読んで居りますと、母はすや〱寝るようでございますから抜け出そうとすると、

母「文治、何処どこへ行ゆきます」

文「鳥渡ちょっとお湯を飲みとうございますから次の間へ参ります」

母「私もお湯を飲みたいから此処こゝへ持って来て下さい」

と云う。又少したって寝たようだから抜けようとすると文治々々と呼びます。夜徹よどおし起します。昼は文治郎を出さぬように付いて居りますから、仕方なく七日八日過すごします。母も其の中うちには文治郎の気が折れて来るだろうと思って居りました。お話し二つに分れまして、蟠龍軒はお村を欺き取って弟の妾にして、御新造ごしんぞとも云われず妾ともつかず母諸共もろともに此こゝに引取られて居ります。兄蟠龍軒は別間べつまに居りましたが、夕方になりましたから庭へ水を打って、涼んで居ります処へ来たのは阿部忠五郎という男でございます。七つ過ぎの黒の羽織にお納戸献上の帯を締め耳抉みゝくじりを差して居ります。

忠「誠に存外御無沙汰を致しました、どうも酷きびしいことでございます」

蟠「これは能く来た、誠に暑いことで、先頃は色々お世話になりました」

忠「先頃は度々たび〱お心遣いを頂戴致して相済まぬことで、あゝ首尾好よく行ゆこうとは心得ません、お村さんは御舎弟さまの御新造さまとお取極とりきまりになったのでございますか」

蟠「何処どこからも臀しりも宮みやも来ず、友之助は三百両持って取りに来ようという気遣いもない、先まず私わしも一と安心した」

忠「御舎弟様の奥様が極って、お兄あにい様の奥様は何か極きまったものはありませんか」

蟠「どうも小意気なものは剣術遣つかいの女房になる者はない」

忠「昨年の暮浪人者の娘を掛合に往いった処が、御門弟を辱はじしめて帰したことがございましたが、彼あの儘でございますか」

蟠「あれは彼あの儘だ」

忠「御門弟の方に聞きました処が、脇から妙な者が出て来て、先生のことを馬鹿士ばかざむらいとか申したと云って御門弟が残念がって居りました」

蟠「丁度好よい幸いだ、貴公が来たのは妙だ、貴公の姿なりの拵えなら至極妙だ、少し折入おりいって頼みたいことがある、今に秋田穗庵が来るから穗庵から細かいことを聞いて、彼あの浪人者の処へ往ってくれまいか」

忠「何処どこでございます」

蟠「松倉町二丁目の葛西屋かさいやという蝋燭屋ろうそくやの裏に小野庄左衞門という者がある、其の娘を貰おうとした処が、私わしのことを馬鹿士とか何なんとか云ったが其の儘になって居おる」

忠「能く御辛抱でございましたねえ」

蟠「そこで仕返しをすると他たの人がやっても私わしのせいになるから、そんな小さい処へ取合わんで、時たってからと思って居った処が、去年の五月から今まで経たったから丁度宜しい」

忠「へー、あの時お腹立になれば仮令たとえ他ほかでやっても貴方がしたと思いますが、それを今までお捨置すておきは恐入りますねえ、どう云う事になります」

蟠「貴公が医者の積つもりで往ってくれんではいかぬ」

忠「何処どこへ」

蟠「浪人者が眼が悪い、三年越しの眼病で居おるから、秋田穗庵が薬をやって居おる、そこへ貴公が往って向うが内職に筆耕を書くから、親から譲られた書物を版本にしたいから筆耕を書いてくれというと、向むこうは目が悪いから、折角の頼みだが目が悪いから書けないという、私わしは医者だ、眼病には家法で妙な薬を知って居おるが、何処の医者に掛って居おるかというと向うで秋田穗庵に掛ったという時蔑けなすのだ、彼あれは藪やぶ医者でいかぬ、私わしの家伝に妙な薬があるからやる、礼はいらぬたゞやると云う、たゞは貰えぬと云うから、そんなら癒なおったら書物を書いて貰いたいという、そこで目を治させるという情じょうの処でやるのだ」

忠「成程、恐入りましたねえ、仇あだのある者に仇を復かえさず、仇を恩で復えして置いて、娘を己おれの処へ嫁にくれぬかというと、向うで感心して、手付かず貰えますな」

蟠「そうではない、向うでも中々学問のある奴だから答が出来んではならぬ、それは穗庵に聞いて薬もあるが、早稲田わせだに鴨川壽仙かもがわじゅせんという針医がある、其の医者が一本の針を眼の側わきへ打つと、其処そこから膿のうが出て直ぐ治る、丁度今日行ゆけば施しにたゞ打ってくれる、目は一時いっときを争うから直ぐ行くが宜しい、私わしが手紙を書いても宜しいが、施しだからお出いでなさいというと、勧めによってひょこ〱出て行くだろう、処が鴨川壽仙は浅草山の宿しゅくへ越したから、それを知らずに早稲田まで行くと空しくなる、これから貴公が往って勧めて早稲田まで行くと夜遅くなり、お茶の水辺りへ来ると、九ツになる、其処そこへ私が待合まちあわせて真二まっぷたつにするという趣向はどうだ」

忠「是は御免を蒙こうむりましょう、先生は御遺恨があるか知れませんが、私わたくしは遺恨はございませんから、一刀の下もとに斬って捨るのを心得て呼出すのは難儀でございます」

蟠「貴公が殺すのではない、私わしが殺すのだ」

忠「殺すのではございませんが、蛇が出た時あゝ蛇が出たと云うと、殺した奴より教えた奴に取付くと云いますから止しましょう」

蟠「そんなら廃よせ、首尾好よく行ゆけば、先達せんだって貴公が欲しいと云った脊割羽織せわりばおりと金を廿両やる積りだ」

忠「誠に有難うございます、頂戴致したいは山々でございますが、これはなんですなア」

蟠「貴公だって真面目な人間ではない、先達て友之助を賭碁で欺いたときも同意して、貴公も礼を受けていようではないか、蟠作から礼を受ければ悪人の同類だ、悪事が露顕すれば素首すこうべのない人間だ、毒を喰わば皿までというから貴公も飽あくまでやりな」

忠「やりましょう、やりましょうが、医者のことを心得ませんから」

蟠「それは教われば宜しい」

と話をしている処へ穗庵がつか〱と這入って参りました。

穗「へー今日こんにちは」

蟠「さア此方こっちへ」

穗「先刻お人でございましたが、余儀ない用事で遅くなりました…いやこれは阿部氏うじ」

忠「これは久し振りでお目に懸りました、一昨日から飲過ぎて暑さに中あたり、寝ていて、今日こんにち漸ようやく出て参りました、今先生に聞いたが医者のことを聞かせてくれなくってはいかぬ」

穗「阿部氏は得心しましたか」

蟠「得心したから教えてくれぬではいかぬ」

穗「宜しい、眼病には内障眼と外障眼と二つあるが、小野庄左衞門のは外障眼でない、内障眼という治じし難がたい眼病だ、僕も再度薬を盛りましたが治りません、真珠しんじゅ麝香じゃこう辰砂しんしゃ竜脳りゅうのうを蜂蜜はちみつに練って付ければ宜しいが、それは金が掛るから、娘を先生の妾にくれゝば金を出してやると云うて掛合った処が、頑固な爺じゞいで、馬鹿呼よばわりをして先生もお腹立であったが、今まで耐こらえて居おった、貴公が行ゆけば阿部忠庵ちゅうあんとでも云えば宜しい、向うは学者で医学の書物を読んで居おるから答えが出来ぬでは困るからね」

忠「此方こっちは些ちっとも知らぬから書いて呉れぬといけない」

穗「宜しい、書きましょう」

硯箱を取って細かに書きまして、

穗「さアこれで宜しい、此の薬を服のめば必ず全快致す、服薬の法もあります」

忠「医者の字は読めぬね、何なんですえ、明あきらかの樓たかどのの英はなぶさの」

穗「そんな読みようはない、明みんの樓英ろうえいの著あらわした医学綱目いがくこうもくという書物がある、その中うちの蘆膾丸ろかいがんというのが宜しい」

忠「成程、蘆膾丸か、幾つも名がありますねえ」

穗「それは薬の名だ」

忠「成程、棒が二本書いてある」

穗「蘆膾丸だから棒が二本あるのだ」

忠「成程、それからウシのキモ」

穗「ウシのキモでは素人臭い、牛胆ぎゅうたん」

忠「それからカシワゴ」

穗「カシワゴではない柏子仁はくしじん」

忠「えー、アマクサ」

穗「アマクサではない、甘草かんぞう」

忠「成程甘草」

穗「羚羊角れいようかく、人参にんじん、細辛さいしんと此の七味みを丸薬にして、これを茶で服のませるのだ」

忠「成程」

穗「鴨川壽仙は針の名人だ、昼間傘からかさを差し掛けて其の下へ寝かして置いて、白目の処へ針を打つと、其の日に全快する」

忠「えらいものだね、真珠に麝香に真砂しんしゃに竜脳の四味みを細末さいまつにして、これを蜂蜜で練って付ける時は眼病全快する、成程、宜しい、これを持って行ゆきましょう」

穗「それを出して読むようではいかぬから暗誦して」

忠「宜しい、先生恐入りましたが羽織がこれではいけませんから、無地のお羽織を願います」

蟠「これをやろう」

とこれから無地の羽織を着て阿部忠五郎が小野庄左衞門の宅へ参りました。庄左衞門の宅では、神ならぬ身のそんな事とは知りませんから、娘が親父おやじの側に居りまして内職を致して居ります。

忠「御免下さい」

ま「何方どちらから入いらっしゃいました」

忠「小野庄左衞門殿のお宅は此方こちらかな」

ま「お父様とっさま、何方どなたか入っしゃいました」

庄「此方へお通り下さい……初めまして手前小野庄左衞門と申す武骨者、えー何方様どなたさまでございますか」

忠「手前は医者で阿部忠いえなに忠庵という者で、親父から譲られた書物がござるが、虫が付きますから版本にしたいと思いまして、就ついては貴方は筆耕の御名人と承わり筆耕をして戴きたいと思います」

庄「それは折角のお頼みではございますが、手前眼病でな、誠にお気の毒ではございますが」

忠「それはいけません、誰か医者に診て貰いましたか」

庄「はい、新井町あらいまちの秋田穗庵という医者に診て貰いました」

忠「彼あれはいけません、あんな医者に掛ると目をだいなしにして仕舞います」

庄「私わたくしの目は外障眼でありませんで内障眼でございます」

忠「治らぬと申しましたか」

庄「種々いろ〱やりましたが全快覚束おぼつかないということでございます」

忠「それでは私わたくしの家法の薬がありますから唯たゞ差上げましょう、其の代りに全快の上は筆耕を書いて戴きたい」

庄「有難いことで、唯薬を戴けば全快次第書いて上げるのは無論でございますが、どうか頂戴したいものでございます」

忠「これは家伝の薬で功能は立処たちどころにある」

庄「どういう薬法でございますか」

忠「薬法、なんでございますな…」

どうも教わりたてゞございますから能く分りません、向うは盲人めくらだから書いた物を出して見ても宜しいが、娘が居りますから、

忠「姐ねえさん、お気の毒でございますが水が飲みとうございますから、冷たいお冷水ひやを一杯戴きたいもので」

庄「これ水を上げるが宜しい」

娘が水を汲みに出て行ゆきましたから、扇へ書いたのをそっと出して見まして、

忠「家法の薬は蘆膾丸と申しまして」

庄「ハー蘆膾丸と申しますか、どういうお書物に在ありましたか」

忠「其の書物は明あきらかの樓たかどのいえなに明みんの樓英の著わした医学綱目という書物がある」

庄「医学綱目、成程一二度見たことがありました、はゝアどういうお薬でございますか」

忠「それはその七味みあります、これは蘆膾丸というのです」

庄「お薬品は」

忠「薬はウーン……ギュウ〱牛胆……それからカシワコではない柏子仁、それからあゝアマ甘草」

庄「へー甘草」

忠「それからえー羚羊角、人参、細辛、右七味丸がんじまして茶で服薬すれば一週ひとまわりも服のむと全快いたします」

庄「有難いことで、それを戴きたいもので」

忠「家伝でございますから上げましょう」

ま「誠に有難うございます、お父とっさまのお目の治る吉瑞きつずいでございましょう、秋田という医者も良くないようでございます」

忠「彼あれは良くございません、それに就いて鴨川壽仙という医学ではない医者がございますね」

庄「何処どこに居ります」

忠「京の鴨川かもがわから来た人で、只今早稲田に居ります、早稲田の高田の馬場の下辺りで施しに針を打ちます、鍼治しんじの名人で、一本の針で躄いざりの腰が立ったり内障そこひの目が開きます」

庄「成程、針医の壽仙というのは名高いえらい人で、なか〱頼みましても打ってくれますまい」

忠「施しにしてくれます、医者も目が悪いと其処そこへ行ゆきます…二七あゝ今日は丁度宜しい、今日行ゆくと施し日だからたゞやってくれます、昼間傘からかさを差掛け其の下へ寝かして、目の脇へ針を打つと膿のうが出て直ぐ治ります」

庄「左様ですか、併しかし今日これから行ゆくと遅くなりましょう」

忠「遅くも往って御覧なさい、目は一時いっときを争います、あなたが針を打った処へ蘆膾丸を上げる」

庄「どうか其のお薬を頂戴したいもので」

忠「直ぐに今日入っしゃい、後おくれてはいけません、手前お暇いとま申す、後れてはいけませんよ、一時を争うから」

庄「誠に有難うございます」

と上りはなまで送って参りました。阿部忠五郎はまんまと首尾よく往ったと思って振り返り〱行ゆく。此方こちらでは、

ま「お父様とっさま、おいでなすったら宜しゅうございましょう、私がお附き申しましょうか」

庄「いや〱仔細ない、微かすかに見えるから心配には及ばぬ」

と出掛けましたが、衣類は見苦しゅうございます、帯は真しんが出て居りますが、たしなみの一本を差しまして、深編笠ふかあみがさを冠かぶって早稲田へ尋ねて行ゆくと、鴨川壽仙は山の宿しゅくへ越したと云われてがっかり致しましたが、早稲田は遠路のことであるが、これから山の宿へ頼みに行ゆくのは造作もない、此の次は来月二日であるかと云いながら、神楽坂かぐらざかまで来ると、車軸を流すようにざア〱と降出ふりだして雨の止む気色けしきがございませんから、蕎麦屋そばやへ這入って蕎麦を一つ食べて凌しのいで居ります。夏の雨でございますから其の中うち晴れた様子、代を払って出て行ゆきます。先へ探偵いぬに廻ったのは篠崎竹次郎しのざきたけじろうという門弟でございます。此の竹次郎がお茶の水の二番河岸にばんがしへ参りますと、其の頃お茶の水はピッタリ人が通りません。

竹「先生々々」

「おー」と答えて二番河岸から上って来たのは大伴蟠龍軒、暑いのに頭巾を冠かぶり、紺足袋雪駄穿きでございます。

蟠「竹、どうした、目腐れ親父はどうした」

竹「只今これへ参ります、今牛込うしごめの蕎麦屋から出ましたのを見届けました、水戸殿みとどのの前を通って参ります」

蟠「もう程ほどのう参るか」

竹「参ります」

蟠「手前先へ帰れ」

竹「宜しゅうございますか」

蟠「却かえって大勢居おると目立って能くない」

竹「はい〱」

と竹次郎は帰って行ゆきました。蟠龍軒は高い処へ上って向うから来るかと見下みおろす、処が人の来る様子がございませんから、神田の方から人が来て認められては適かなわぬと思いまして、二番河岸の根笹ねざさの処へ蹲しゃがんで居りますと、左官の亥太郎が来ました。これは強い人で、力が廿人力あって、不死身ふじみで無鉄砲で。其の頃は腕力家の多い世の中でございます。亥太郎は牛込辺へ仕事に参りまして、今日は仕舞仕事で御馳走が出まして、どっちり酔って、風呂敷の中は鏝手こてを沢山入れて、首っ玉へ巻付けまして、此の人は年中柿色の衣服きものばかり着て居ります。今日も柿色の帷子を着てひょろり〱と歩いて参り、雨がポツリ〱顔に当るのが好よい心持と見える、二番河岸の処へ来ますと丁度河岸の処に昼間は茶店が出て居ります、其処そこへどしりと臀しりを掛けて、

亥「あゝいゝ心持だ、なんだ金太きんたの野郎が酒が強いから兄あにいもう一杯いっぺいやんねえと云った、いゝなア拳けんでは負けねえが酒では負けるな、もう一杯いっぺい大きいので、もう一杯いっぺえという、悔しいや彼あん畜生敵かなわねえ、滅法やった、いゝ心持だ」

とぐず〱独語ひとりごとを云う中うちに居眠りが長じて鼾いびきになりました。スヤリ〱と寝付いている。その前を小野庄左衞門笠を冠かぶり杖で拾い道をして来るが、感が悪いゆえに勝手が少々もわからぬ。二番河岸から蟠龍軒が上って、新刀あらみを抜放し、やり過すごした小野庄左衞門の後うしろからプツーリッと剣客先生が斬りますと、右の肩から胴の処まで斬り込み、臀餅しりもちをついたが、小野庄左衞門、残念と思いまして脇差に手を掛けたばかり、ウーンと云う処へ、プツーリッと復また一と刀かたなあびせ、胸元へ留とゞめを差して、庄左衞門の着物で血のりを拭ぬぐって鞘へ納め、小野庄左衞門の懐へ手を入れて見ましたが何もございません、夜陰やいんでございますが金目貫きんめぬきが光りますから抜いて見ると、彦四郎ひこしろう貞宗さだむね。

蟠「なか〱良さそうだ」

と云いながらそれを差しまして後あとへ下さがる時、鼻の先でプツーリッと云う音がして、面部を包んだ士さむらいが人を殺して物を取るのが見えるから、亥太郎は心の裡うちで此奴こいつ泥坊に相違ない、こういう奴が出るから茶飯ちゃめし餡あんかけ豆腐や夜鷹蕎麦よたかそばが閑ひまになる、一つ張り飛とばしてやろうと、廿人力の拳骨を固めて後うしろへ下ろうとする蟠龍軒の横面よこずっぽうをポカーリッと殴ると、痛いの痛くないの、ひょろ〱と蹌よろけました。これから蟠龍軒と亥太郎と暗仕合やみじあいに相成ります。

十四

亥太郎が拳骨を固めて大伴を打ちました時、流石さすがの大伴蟠龍軒もひょろ〱として蹌よろめきましたが、此方こちらも剣術の先生で、スーッと抜きました。亥太郎が逃げるかと思うと少しも逃げぬ、泥坊士どろぼうざむらいと云いながら、斬付けようとする大伴の腰へ組付こうとして胴乱へ左の手を掛け、ウーンと力を入れる時、えいと斬付けましたが、亥太郎は運の良い男で、首っ玉に鏝こてと鏝板を脊負しょって居りました。それへ帽子先が当りましたから疵きずを受けませんでコロ〱と下へ落ちました、其の儘上りそうもないものが、此の野郎斬りやアがったな、と又上って来ました。亥太郎が二度目に上った時は、蟠龍軒は風を喰くらって逃げた跡で、手に遺のこったのは胴乱。

亥「盗人ぬすっとが提さげていた恰好かっこうの悪い煙草入、これは打たゝき売って酒でも食くらえ」

と腹掛はらがけへ突込つっこんで帰りましたが、悪い事は出来ないもので、これが紀伊國屋へ誂あつらえた胴乱でございます、それが為に後のちに蟠龍軒が庄左衞門を殺害せつがいしたことが知れます。これは後のちのことで。さて庄左衞門の娘町は、何時いつまで待っても親父おやじが帰って来ません、これは大方お医者様に留められて療治をしているのではないかと心配して居ります。夜が明けると斯様かような者が殺害せつがいされている、心当りの者は引取りに来いという貼札はりふだが出る。家主いえぬしも驚きまして引取りに参り、御検視お立会たちあいになると、これは手の勝すぐれて居おる者が斬ったのであるゆえ、物取りではあるまい意趣斬りだろうという。なれども貞宗の刀が紛失ふんじつしている。八方へ手を廻して探しましたが分りません。娘は泣く〱野辺の送りをするも貧の中、家主や長家の者が親切に世話をしてくれます。お町は思い出しては泣いてばかり居ります。ふと考え付いたのは流石は武士の娘でございます、お父様とっさまを殺したのは意趣遺恨か知れないが、何しろ女の腕では讎かたきを討つことが出来ない、自分も二百四十石取った士さむらいの娘、切せめては怨みを晴したいが兄弟もなし、別に親類もない、実に情なさけない身の上であるが、業平橋の文治郎さまという方は情深いお方、去年の暮もお父様とっさまが眼病でお困りであろうと、見ず知らずの者に恵んで下さり、結構な薬まで恵んで下さる、真の侠客じゃとお父様がお賞ほめ遊ばした、彼あの家に奉公し、辛抱して親の仇あだが知れた時、お助太刀すけだちをねがうと云ったら、文治郎さまが助太刀をして下さるだろうと考えて居ります。その一軒置いて隣にまかなの國藏という者、今は堅気かたぎの下駄屋げたやをして居ります。一つ長家で親切でございますから、此の事を國藏に頼むと、國藏も根が悪党で、悪抜あくぬけたのでございますから親切がございますから、

國「感心なお心掛けでございます、旦那も未だ御新造ごしんぞがないから貴嬢あなたが往って下されば私も安心だ、何しろ森松をよんで話して見ましょう」

とこれから女房が往って森松を呼んで来ると、直ぐやって来ました。

森「御無沙汰しました、丁度来きようと思っていた処だが、旦那をお母ふくろさんが出さねえ、旦那が出なけりゃア此方こっちも出られねえ、お母さんは旦那が好きで喧嘩でもすると思っているから困らア」

國「私わっちも御無沙汰したよ」

森「馬鹿に暑いねえ、団扇うちわか何か貸してくんねえ……何なんだい今日呼びに来た用は」

國「少し相談がある、お前めえも番場の森松、己おれもまかなの國藏、お互いに悪事を重ねて畳の上で死ねねえと思ったのを、旦那のお蔭で世間なみの人間になったのは有難いわけじゃねえか」

森「実に有難ありがていよ、旦那のお蔭で森さんとか何なんとか云われていらア」

國「主人だね」

森「主人だ」

國「旦那に良いい御新造ごしんぞうの世話をしたい、お母っかさんも初孫ういまごの顔を見てえだろう」

森「違ちげえねえ、己もそう思っている、だがね旦那と揃う娘がねえ、器量は揃っても旦那と了簡の出会でっくわせる女がねえ」

國「処がこれならばというお嬢さんがあるのだ」

森「どこに〱どこだえ」

國「ボヤ〱でも尋ねるようだ、此処こゝにおいでなさるお嬢さんよ、此のお嬢さんを知ってるか」

森「知ってる、これは思掛おもがけねえ、知ってるとも、お前さんの処とこのお父とっさんが目が悪くって、お前めえさんが天神様でお百度をふみ、雪に悩んで倒れている処へ家うちの旦那が通り掛り、薬を服のませて立花屋で薬をやった時、旦那がお前めえさんは感心だ、裙捌すそさばきが違うと云って大変褒ほめた、そうして金をやった時、あなたは受けねえと云うと、旦那が満腹だと云った」

國「満腹は腹のくちくなった時のことだ」

森「何なんとか云ったねえ」

國「感服だろう」

森「感服だ、感服だと褒めた、旦那が女を褒めたことはねえが、この嬢ねえちゃんばかりは褒めた、お父とっさんはどうしましたえ」

國「お亡かくれになった」

森「お亡れになってどうしたね」

國「死んだのだ」

森「死んだえ、死んだ時は何なんとか云うのだね」

國「御愁傷さまか」

森「御愁傷さまだろう」

國「お父様とっさまが亡なくなって外ほかに親類はなし、行ゆき処のない心細い身の上、旦那様は情深い方だから不憫だと思って逐出おいだしもしめえから、旦那様の処へ御膳炊きに願いてえと云うのだが、御膳炊きには惜しいじゃねえか、旦那と並べれば好よい一対いっついの御夫婦が出来らア」

森「勿体もってえねえ〱、旦那の褒めたのはお前めえさんばかりだ、これはしようじゃアねえか」

國「しようったってお前めえと己おれとしようと云う訳にゃいけねえ、お母ふくろさんに話をしてくれ」

森「己はいけねえ、己がお母さんに話しても取上げねえ、森松の云うことは取留とりとまらねえと云って取上げねえからいけねえや」

國「誰も話のしてがねえから」

森「お前めえ行ゆきねえな」

國「己は去年の暮強請ゆすりに往ったからいけねえ」

森「そんなら藤原喜代之助さんという浪人者がある、此の人はお母さんの気に合っている、それにおかやさんという娘子むすめッこを嫁にやったから、旦那より藤原さんを可愛がらア、此の人に話して貰おう」

國「違ちげえねえ、それが良いいや」

森「お前めえ往ゆきねえな」

國「往いってきよう。それじゃア往って来ますから」

町「國藏さん、嫁の何なんのと仰しゃらないで御膳炊きの方を願います」

女房「貴方あなたそんなに御心配なさいますな、向うで嫁に欲しいと云ったら嫁においでなさいな、卑下ひげしておいでなさるからいけません、國藏にお任せなさいよ」

これから両人で参りますと、藤原喜代之助という右京の太夫たゆうの家来でございますが、了簡違いから浪人して居りますが、今ではおかやという女房を持って不足なく暮して居ります。

森「御免なせい〱」

藤「森松か、上あがれ」

森「旦那にお目に懸りたいと云う者が参ったのですが、兄い此方こっちへ上れ」

藤「此方へお上り」

森「旦那、これは國藏と云うまかなの國、今は下駄屋ですが元は悪党で」

國「何を云うのだ……私わたくしは國藏という者で、表の旦那のお世話で今は堅気の職人になりました、旦那様を神とも仏とも思って居ります、旦那の処と御縁組になりました此方へは未だ一度もまいりません、此の後のちとも幾久しく願います」

藤「成程、予かねて文治郎殿から聞きました、性善なるもので必ず心から悪人という者はない、却かえって大悪なる者が、改心致す処が早いと云って居りました、能くお尋ね下すって……かやや、お茶を上げな」

國「貴方から文治郎さまのお母っかさまへお話を願いたいので出ました、旦那の方では何なんとも思わないでも、私わっちの方では主人のように思って居りまして、良い御新造ごしんぞをと心掛けて居りましたがありません、処がこれならばお母っかさんの御意ぎょいにも入いり、恥はずかしくない者があるんでございますが、私わっちがお母さんに話悪はなしにくいから其の当人を御覧になっては如何いかゞでございます」

藤「成程、それは御親切な、千万辱かたじけない、私わしも心掛けて居おるが、大概たいがいの婦人が来ても気に入らぬ、能く心掛けてくれました、どういう女で」

國「私わっちの一つ長家にいる娘で、先達せんだって親が死んで、親類もなく、何処どこへ往っても置いてくれまい、旦那には御鴻恩ごこうおんになってお慈悲深いから、旦那の処へ御膳炊きに来たいと云います、処が惜しいのです、本所中一番という娘です、処で親孝行娘というものですが如何でございます」

藤「成程、そんなら文治郎殿から聞いた、孝心の娘があって雪中せっちゅうに凍えて居いるのを救って、金をやったが受けぬ、今の世の中には珍らしいと云って賞ほめた娘だろう、それは幸いだ」

國「親里おやざとを拵えれば大家おおやでも頼むのでございますが、旦那が親になって上げてはいかゞです」

藤「宜ようございます、叔母に話をしましょう」

と、これから文治郎の母に話すと、かねて文治郎から聞いているから、何しろ一ひと目見たいと云いますから、そんならばと云うので娘に話し、損料を借りて来る、湯に往って化粧おしまいをする、漸く出来上った。

浪「ちょいと〱お嬢さんの支度が出来たのを御覧よ、こんな美くしいお嬢さんを竈へッついの前に燻くすぶらして置いたと思うと勿体ない」

國「どう〱、これはどうも、こんな美くしい嬢さんを、どうもお屋敷様だア、紋付が能く似合う、頭の簪かんざしは山田屋か、損料は高たけえが良いい物を持っているなア、これじゃアお母様ふくろさまの気に入らア、これから直すぐに行ゆきましょう」

浪「あゝ貴嬢あなたそんな卑下したことを云わないで、嫁にすると云ったら嫁におなんなさいよ」

國「手前てめえ一緒に行いきない」

浪「わたしは衣服きものも何もないもの、嫌いやだよ」

國「手前てめえはめかすには及ばねえ、行いけ〱」

これから連れて参りますと、森松は路地の処に待って居ります。

森「兄あにい々々どうした、お嬢様はどうした」

國「お嬢さまは此こゝへ連れて来た」

森「これか、こりゃアお母様ふくろさまに気に入らア」

國「気に入るだろう」

森「気に入らなければ殴る……旦那、藤原さんえ、来ましたよ」

藤「何が」

森「どうもその頭が」

藤「頭が腫はれたか」

森「腫れたのではありません嫁ッ御ごが来ましたよ」

藤「これは〱」

國「漸く支度が出来ました」

藤「叔母も先程から楽たのしみにして待って居ります、さア此方こっちへ」

浪「お初うにお目に懸りました、どうか國藏同様御贔屓を願います」

藤「成程、これがお嫁さんで」

國「なアに、これは私わっちの嚊かゝあです、引込ひっこんでいな」

藤「このお嬢様、さア〱これへ〱」

しとやかに手を突いて、

町「お初うにお目に懸りました」

と漸やっと手を突いて挨拶をする物の云いよう裾捌すそさばき、この娘を飯炊きにと云っても自おのずから頭が下さがる。

藤「ハ……お初にお目に懸りました、不思議の御縁で、どうか此の事が届けば手前に於おいても満足致す、今文治の母が参られます、此の後ごとも御別懇に……國藏、これだけの御器量があって御膳炊きにしてくれと身を卑下した処に感服しますねえ」

國「実にこんなお嬢さまはない、親孝行で、お父とっさんのお達者の時分には八やツ九ツまで肩を擦さすったり足を揉んだりして、実に感心致します」

藤「おかやや叔母に早く来るように話しな」

か「叔母さんがお出いでになりました」

文治郎の母が参りまして娘に会いますと、

町「不束ふつゝかのもので何処どこへ参っても御意に入いらず逐出おいだされたとき宿やどがございません、どうかお見捨なく御膳炊きにお置き遊ばして下さい」

と只管ひたすら縋すがるのを見て母は気に入り、

母「心配おしでない、逐出しゃしない、文治郎が気に入らないでも私が貰う」

と云ったからこれは安心なもので。母は宅へ取って返し、

母「文治郎、此処こゝへ来な」

文「お帰り遊ばせ、何か藤原で御馳走でも出ましたか」

母「思掛おもいがけなくお前の嫁が見付かりましたから婚礼をなさい」

文「三十にして娶めとり、廿にして嫁かすということがございます、況まして他人が這入りますとお母っかさまに不孝なことでも致すと、浪島の名を汚けがしますから、お母様っかさまのお見送りを致しましてから嫁を貰うことに願います」

母「早く嫁を貰って安心させるのが孝行だよ、唯の嫁ではない、あんな嫁を持ちたいと云っても持てない」

文「何者でございます」

母「お前も知っている去年金子きんすをやった小野の娘」

文「へー庄左衞門の娘、彼あれは一人娘で他ほかへ縁付けることは出来ますまい」

母「いえ庄左衞門が亡くなられたそうだ」

文「へー亡くなられましたか、町は嘸さぞ嘆いて居りましょう」

母「可愛そうに、親類も身寄もない、他人へ奉公に往って逐出されても行ゆく処がない、家うちへ御膳炊きに置いてくれというが、御膳炊きどころでない、どこへ出しても立派なお嬢さまだから貰いなさい」

文「嫁はいけません、行ゆく処がなければお側へ置いてお使い遊ばせ、御膳炊きにでもお使い遊ばせ」

母「御膳炊きなどにはいけませんよ、お前がいやならお前を逐出しても貰いますよ」

文「大層御意に入りましたな、暫しばらくお待ち下さい」

と暫く考えて居りましたが、母が気をゆるさぬから大伴の道場へ斬込むことが出来ぬ、嫁を貰って母が安心して外へ出せば、彼等両人を殺害せつがいして仕舞う、婚礼の晩に大伴の道場へ斬込んで血の雨を降らせようという色気のない話で、嫁は親の仇を討ちたい一心で、此の家やに嫁に来るという似た者夫婦でございます。遂に六月廿八日の晩に婚礼を致しますというお話、鳥渡ちょっと一服息を吐つきまして申上げます。

十五

扨さて文治郎とお町の婚礼は別に媒妁なこうども親もない。藤原喜代之助が親里なり媒妁なり致して、ほんの内輪だけでございまして、國藏夫婦が連なり、森松も末席に坐り、目出度めでたく三三九度の盃も済み、藤原が「四海浪なみしずかに」と謡うたい、媒妁は霄よいの中うちと帰りました。母も悦び、大いに酒を過すごして寝ます。夏のことでございますから八畳の間へ一杯に蚊帳かやを釣りまして夫婦の寝る処がちゃんと極きまって居ります。娘お町は思掛おもいがけないことで、飯炊きの奉公に来ようと云ったのが嫁となり、世に類たぐいなき文治郎のような夫を持つのは冥加みょうがに余ったことと嬉しいが一杯で、側へも寄ることが出来ず、行燈あんどうの側に蚊に食われるのも知らず小さくなって居ります。文治郎は蚊帳の中に風呂敷包を持って来ました。

文「お町〱」

町「はい」

文「此処こゝへおいでなさい、其処そこにいると蚊がさしていかない、なか〱蚊の多い処だから蚊を能く逐おうて這入んなさい、少しお前に話す事がある」

お町は嬉しゅうございますから飛立つ程に思いましたが、しとやかに扇あおいで、ずっと横に這入らぬと蚊が這入ります。これが行儀の悪いものはそうは行きません。ばた〱と扇いで立ってひょいと蚊帳をまくって這入りますから蚊が飛込んでいけません。蚊帳の中に這入りましても蒲団の上に乗りませんで蚊帳の側にぴったり坐って居ります。

文「此方こっちへ来なさい、縁あってお前は私わしの処に嫁に来ようというは実におもいきや、今日こんにち三々九度の盃をすれば生涯しょうがい死水しにみずを取合う深い縁、お前は来たばかりであるが少し申し聞けることがある、浪島の家風がある、家風は背きはしまい」

町「恐入りますことを御意遊ばす、私わたくしは元より嫁に参りたいと願いました訳ではございません、御膳炊きに参りましたのでございます、親一人子一人の其の父が亡くなりまして、別に頼るべき親族もございませず、何処どこへか奉公に参りましょうと思いましても、不束ふつゝかもの逐出されても行ゆき処がございません、心細う思うて居りました、旦那様へ御奉公に参ればお情深い旦那さま、見捨みすてては下さるまい、御膳炊きにでもと思うて居りましたに、思い掛なくお盃を下さいまして冥加に余りましたことでございます、何ごともお辞ことばは背きませんが、一々斯こうしろ彼あア致せと御意遊ばせば、届かぬながらも心に掛けて何ごとでも致し、お母様っかさまにも御孝行を尽します、どうか身寄り頼りのない不憫の者と思召して、旦那さまお情を掛けて下さるようお見捨なさらぬように」

とポロリと溢こぼす一ひと雫しずく、文治郎はこれを見て、あゝ嫁に来た晩に荒々しい身なりをして出て行ゆくのを見れば驚くであろうと思いましたけれども、癇癖が高ぶって居りますから気を取直とりなおして、

文「夫婦は其の初見しょけんに在りと、初見参しょけんざんの折おりに確しかと申し聞ける事は、私わしより母の機嫌を取り能く勤めてくれんではならぬ、又人間は老少不定ろうしょうふじょうということがある、明日にも親に先立ち私わしが死ぬまい者でもない、其の折は私わしになり代って母に孝行を尽してくれられるだろう、亭主が死んで姑しゅうとの機嫌を取るのがいやだと云って此の家を出る志はあるまい、念のため夫婦の道じゃに依よって教え置きます」

町「それは御意遊ばすまでもございません、貴方はそんなことはございますまいが、お母っかさまの御機嫌を取り、御介抱を致しますのは私わたくしの役でございまするで、決して粗略には致しません」

文「はい、私わしは性質癇癖持ちで、詰らぬことに怒りを生じて打ち打擲することがある、弱い女や子供を打擲することは嫌いだが、意に逆らうと癇癖に障ります、決して逆らってくれまい」

町「どう致しまして、お辞ことばは背きません」

文「それは辱かたじけない、それでは申し聞けるが、文治郎今晩これから直ぐに出て行ゆきます、今晩はお前が嫁に来たばかりだから留とゞまりたいが、出て行ゆかなければならぬ、私わしが出て往った後あとで、お母様っかさまがお目が覚めて文治郎はとお問い遊ばした時、文治郎は能く眠り付いて居ります、御用なれば私わたくしへ仰せ聞けられて下さいと云って、お前が引受けてくれぬでは困る」

町「何処どこへお出いでになります、何時いつお帰りになります」

文「帰りは明方あけがたでございます、若し是非ない訳で帰れんければ四五十年は帰れぬ、たった一人の大切のお母様っかさま、私わしになり代って孝行を尽してくれぬでは困る」

町「はい四五十年お帰り遊ばされぬというのは其りゃどういう訳でございますか」

文「深く問われては困る、義に依って行ゆかなければならぬ処がある、辞返ことばがえしをすることはなりませんよ」

町「はい」

とおど〱して見て居りますと、風呂敷包のなかから南蛮鍜なんばんきたえの鎖帷子くさりかたびらに筋金すじがねの入りたる鉢巻をして、藤四郎とうしろう吉光よしみつの一刀に關せきの兼元かねもとの無銘摺むめいすり上げの差添さしぞえを差し、合口あいくちを一本呑んで、まるで讐討かたきうちか戦争にでも出るようだから恟びっくりいたしまして、

町「旦那さま、どういう御立腹のことがございますか存じませんが、お母っかさまも取る年、あなたのお身にひょんなようなことでもございますれば、お母様っかさまはどのくらいお嘆きなさるか知れません、どうか私わたくしに面じてお許し下さいまし」

文「あーれ、それだから困る、それだから辞ことばを返すことはならぬと申し聞けたではないか」

町「お辞は返しません」

文「そんなら宜しい」

と庭へ下りて、無地の手拭を取って面部を包み、跣足はだしで出て行ゆきますからお町はおど〱しながら袖たもとに縋すがり、

町「申し、旦那さま、御機嫌よう」

文「うん頼むぞ」

三尺の開きを開けて出て行ゆきました。跡を閉たてゝお町はあゝ情なさけないことだと耐こらえ兼て覚えず声が出ます。泣声がお母っかさまに知れてはならぬと袂を噛かみしめて蚊帳の外に泣なき倒れます。彼かれ此れ明あけ七つ頃に庭の開きをかち〱と静かに敲たゝきます。

文「お町〱」

町「はい、お帰り遊ばしたか」

と其の儘飛石とびいし伝いに下りて行ゆきます。其の晩は大伴を斬り損ないまして癇癖に障ってなりません。これから風呂敷を解いて衣服きものを着替え、元のように風呂敷包を仕舞って寝ようと思いましたが、これまで思い付いた宿志しゅくしを遂げないから、目は倒さかさまに釣つるし上り、手足は顫ふるえ、バターリッと仰向あおむけさまに寝て仕舞いました。仰向に寝たが寝られませんから、又此方こっちを向くと、それでも寝られませんから又起上おきあがって見たりいろ〱して居ります。お町はハラ〱して其の儘寝る事もなりませず居おる中うちに、カア〱と黎明しののめ告つぐる烏と共に文治郎は早く起きて来まして、

文「お母っかさまお早う、好よい天気になりました、お町やお母さまのお床を上げて手水盥ちょうずだらいへ水を汲むのだよ」

と云って少しも平生へいぜいと変りはありませんから、夕べは玉つばきの八千代やちよまでと深く契ったようだと思い、お母さんも安心して居ります。唯気遣きづかいなのは嫁でございます。婚礼の晩に早くお床にはいらぬと縁が薄いという其の夫が夜中に出て行って荒々しくして居ります。其の日も暮れ、お母様もお静まりになると、又風呂敷包を持って来まして、

文「町、昨夜ゆうべ云った通りお母さまのことは頼むぞ」

町「はい、何時いつ頃お帰りになりましょう」

文「多分明方までに帰る、若し明方までに帰らぬと頼むぞよ」

と間違えば斬死きりじにするつもりでございます。大伴の道場には弟子子でしこもあります、飛道具もあります、危いから若し夫婦の交りをすれば、此の女は生涯操みさおを立って後家ごけで通さなければならぬから、情なさけを掛けて一つ寝をしないのでございます。お町は夫にお怪我がなければ良いと案じて居りますと、今度は直ぐに帰って来ました。

文「明けろ」

前のように鎖帷子を取って風呂敷に包んで寝ました。其の晩も大伴の道場へ斬込むことが出来ぬと見えてバターリッと仰向になって、又起上り、又寝て見たり、癇癖に障って寝られません。斯かくすること五日ばかり続けました。其の中うちにお町の心配は一ひと通りでございません、五日目の朝でございます。

文「お母さま御機嫌宜しゅう、お町〱」

と云って居ります。藤原喜代之助も朝飯あさはんを食べて文治郎の家へ参り、お町の様子を文治郎に聞くと、心掛も良し、女も良し、結構だと云うから、昼飯ひるはんを食べて暑うございますから涼しい処へでも参ろうと云う処へ、森松が駈込んで参りまして、

森「旦那、大変でございます」

藤「どうした」

森「だって大騒ぎでございます」

藤「何なんだあわたゞしい」

森「表へ馬に乗った士さむらいが参りました」

藤「どんな姿をして来た」

森「抜身の槍で鎧よろいを着て藤原喜代之助の宅は此の裏かと云いました」

藤「どういう訳で…其の者はどうした」

森「今来ますよ」

藤「槍は鞘さやを払ってあるか」

森「抜身ではありません、鞘を取ると抜身になります」

藤「誰が来たのだ」

と覗のぞいて見ると、行儀霰ぎょうぎあられの麻上下あさがみしもを着て居ります、中原岡右衞門なかはらおかえもんと云う物頭役ものがしらやくを勤めた藤原と従弟いとこ同士でございます、別当も付きまして立派な士さむらいがつか〱と来ました。

中「藤原殿、思い掛けない訳でございます」

藤「どうして、これは」

中「存外御無沙汰今日こんにちは思いも掛けない吉事きちじで、早く知らせようと思って、重野しげのの叔父おじも殊ことの外ほか悦んで居りました」

藤「どう云う訳で……森、彼あれは親族の者だ……此の通り見苦しい訳でお許し下さい」

中「宜しい、番内ばんないは路地に待って居れ」

藤「それへお上げ下さい」

中「いや彼方あっちへやります、馬の手当を致せ」

藤「御家来を此方こちらへ」

余り狭くて親類の家というのは間まが悪いから遠ざけまして、

中「誠に暫く、御壮健のことは下屋敷しもやしきに於おいて聞いて居りましたが、お尋ね申すは上かみへ憚はゞかりがありますからお尋ね申しません、いやお懐かしゅうございました」

藤「いや面目次第もございません、一時の心得違いから屋敷を出まして、尾羽おは打ち枯らした身の上、斯かゝる処へ中原氏うじが参ろうとは存じません、面目次第もございません」

中「御先妻のあさという婦人がお母っかさまに不孝を致し、彼あの婦人の為に屋敷を出る位であったが、其の妻なる者が歿ぼっして二度目の妻さいは此の近辺に居おる浪島とか云う者の妹が参ったとか、それが叔母さまを大事にするという説が屋敷へも聞きこえ、それこれお悦び申す」

藤「面目次第もございません」

中「お母さまも御壮健でございますか」

藤「はい、お母さま〱……年を取りまして……中原岡右衞門が参られました」

母「おや〱誠に暫く、もうどうも年を取りまして身体もきかず、又目も悪くなり、お前の顔もはっきり分りません、お変りもなくまア〱立派なお身なりにお成りで、お前は若い時分から誠に気性が違い、正しい人だと云って褒めて居りましたが、相変らずお勤めで、お母さまも御機嫌善よいかね」

中「母も無事でございます、あなたも御不自由でございましょうが、好よいお嫁が参って大切にすると云うことで、中原悦んで居りましたよ」

母「誠に有難うございます、久し振りで遇あいましてこんな嬉しいことはありません、久し振りで上下かみしもを見ましたよ、此の近所には股引もゝひきや腹掛はらがけをかけた者計ばかり居おるから……かやや〱……これは嫁でございます」

中「左様でございますか、中原岡右衞門と申す者、以後御別懇にねがいます…時に藤原氏うじ、此の度たびは貴殿をお召し返しになります」

藤「へー手前がお召し返しになりますか」

中「はい、親族だけに手前へ此の役を仰せ付けられました、上かみから仰せ付けでございますから、仰せ付けられ書がきを一ひと通り読上げた上で緩ゆっくりお話し致しましょう」

藤「お召し返し〱お母さまお召し返しになります」

母「おや〱、それは有難いことでございます、もう一度お屋敷を見て死にたいと思って居りましたが、それは有難いことで」

中原は上座へ直りまして、

はじめの「一」のみ2字下げ

一其方儀そのほうぎ先達さきだって長ながの暇いとま差遣さしつかわし候処そうろうところ以後心掛も宜しく依よって此度このたび新地しんち二百石に召し返され馬廻り役被仰付候旨おおせつけられそうろうむね被仰出候事おおせいだされそうろうこと   重  役 判

藤「はア」

と藤原は恐入って、思わずポロリと男泣に泣きました。

藤「あゝ此の上もない有難いことでございます」

中「誠に御恐悦、これは役だから先まず役だけ済んだ、これから緩ゆっくり話しましょう……時にお差支さしつかえもあるまいが此の中には五十両あります、故郷へは錦を飾れという事でございますから、飾りは立派にして帰れば親族の手前も鼻が高い、茲こゝにあいて居おる金が五十金きんあるから使って下さい」

藤「はゝゝゝ誠に千万辱かたじけのうござる、親類なればこそ五十金という金を心掛けて御持参下さる、此の恩は忘却致しません」

中「直ぐお暇いとま致します」

藤「先ず〱宜しゅうございます」

中「役目でござるから、家老に此の事を申さなければならぬ」

と云って中原岡右衞門は屋敷へ帰ります。文治郎も悦びまして、母からはこれは先代浪島文吾左衞門なみしまぶんござえもんが差された大小でござる、これは中原岡右衞門という人の手前もあるから遣やったら宜かろうという。又文治郎の方でも持合もちあわせた金がこれだけあるからやる。衣服きものをお母っかさまの古いのをおかやにやるが宜よかろうと衣類を沢山に長持に詰めてやりまして、藤原喜代之助は廿八日に松岡右京太夫の屋敷へ帰りました。文治郎は藤原が屋敷へ帰れば、我われが斬死きりじにをして母一人になっても母の身の上は安心。大伴の家へ人を廻して様子を聞くに、今夜は兄弟酒を酌のんで楽しむ様子だから、今夜こそ斬入きりいって血の雨を降らせ、衆人の難儀を断とうという、文治郎斬込きりこみのお話に相成ります。

十六

大伴蟠龍軒の家に連なる者、或あるいは朋輩ほうばいなどは目の寄る処へ玉と云って悪い奴ばかり寄ります。其の中に阿部忠五郎という奴は、見掛けは弱々しい奴で、腹の中は良くない奴で、大伴に諛へつらいまして金でも貰おうという事ばかり考えて居ります。丁度七つ下さがりになりまして大伴の処へ参りますと、幸い蟠作も居りません、蟠龍軒独りで小野庄左衞門を殺して取った刀へ打粉うちこを振って楽しんで居ります。

蟠「誰たれだえ」

忠「阿部でございます、只今お玄関へ参った処が誰たれも居りません、中の口へ参っても御門弟も居りませんから通りました、何なんです、お磨きですか」

蟠「さア此方こっちへ来な、誰たれも居らぬが、これは先達さきだってお茶の水で小野を殺害せつがい致して計らず手に入いった脇差だが、彦四郎貞宗だ、極ごく性しょうが宜しい」

忠「はア、彼あの時の……又先達ては多分の頂戴物ちょうだいものをいたしまして有難うございます」

蟠「縁頭ふちかしらは赤銅七子しゃくどうなゝこに金で千鳥が三羽出ている、目貫めぬきにも千鳥が三羽出ている、後藤宗乘ごとうそうじょうの作だ」

忠「大した物ですなア」

蟠「柄糸つかいとも悪くもない、鍔つばは金家かねいえだ」

忠「あの伏見の金家、結構でございますな」

蟠「鞘は蝋色ろいろで別に見る処もないが、小柄こづかはない、貧乏して小柄を売ったと見える」

忠「思い掛けない物がお手に這入るもので」

蟠「久しく来ないからどうしたかと思った」

忠「時に先生、申し兼かねましたが、市ヶ谷の親類の者に子供が両人あって、亭主が暫らく煩わずろうて、別に便たよる者もない、義理ある親類で嘆いて参って、助けてくれぬかと、拠よんどころなく金子を貸してやらなければなりません、手前も貧乏でございますから貸すどころではございません、誠に申上げ兼ますが、先生五十金拝借を願います」

蟠「フーン、つい此の間廿金やった上に、又三十金というのでお前の云う通り五十両からやってある」

忠「それは存じて居ります、再度お手数てかずを掛けて、こんなことを申し上げるのではございません、拠よんどころない訳で一時いちじのことで、九月……遅くも十月までには御返金致します、これは別に御返済致します」

蟠「フン〱、今手許に金がない、お前にも穗庵にもやってある」

忠「お貸し下さらぬか」

蟠「はい」

忠「宜しゅうございます、無理に拝借致そうという訳ではございませんが、先生拝借を願います、足元を見て申上げるように思召おぼしめすか知りませんが、左様な訳ではありません、此の度たびは困るからでございますが、手前共のような者でお役には立ちますまいが、手前にこうしてくれぬかという時は先生に御懇命を蒙こうむって居りますから嫌いやとは申しません、はいと申します、事露顕致せば命にも係わることでもいやとは申しません、義理というものは仕方がございません、手前も義理だから先方に貸してやらなければならぬ、出来なければ仕方はございませんが、彼あの時命懸けの事をして、其の上ならず貞宗の刀がお手に入いれば二百金ぐらいのものがあります、お金が出来なければ其の刀を拝借して質に入れましょう」

蟠「無礼な事を云ってはならぬ、人の腰の物を借りて質に置くというのは無礼至極だろう」

忠「そうですか、貴方の刀ではございますまい、小野庄左衞門の」

蟠「これ〱大きな声をしてはならぬ」

忠「お貸し下さらんければ宜しゅうございます、一旦金などを貸して下さいと云って貸して下さらぬというと来悪きにくくなりますから、御無沙汰になります、手前も一杯飲みますから、うっかり飲んで、口が多うございますから、打敲ぶちたゝきをされゝばお茶の水の事や何か喋しゃべれば貴方の御迷惑になろうと思います」

蟠「フン、だが此の刀を持って質に入れられては困る、他から預って居おる金を融通しよう、いろ〱それに付いて貴公に頼む事がある、貴公も私の悪事に左袒さたんして、それを喋って意趣返しをしようということもあるまい、お互いに綺麗な身体にはならないから、もう一と稼ぎしようじゃないか」

忠「どういうことでございます」

蟠「家うちじゃア話が出来ないから、今に舎弟が帰るから亀井戸の巴屋ともえやで一杯やって吉原へ行ゆこう」

忠「取り急ぎますから金子を拝借します」

蟠「押上おしあげの金座の役人に元手前が剣術を教えたことがある、其処そこへ行ゆけばどうにかなるから一緒に行ゆこう」

忠「金さえ出来れば参りましょう」

とこれから巴屋へ往って酒を飲みます。元より好きだから忠五郎どっさり飲みました。

忠「もう酔いまして、帰りましょう、金子を拝借したい」

蟠「これは五十金、私わしが金座役人の所へ往って此の金は明日あしたまでに届けなければならぬ金だが、吉原へ行ゆけば才覚が出来る、池田金太夫いけだきんだゆうという人を知っているだろう」

忠「河内守かわちのかみの公用人の」

蟠「そうよ、内証ないしょうで遊びに往っている金太夫に遇うまで貴公は他たへ往って、赤い切れを掛けた女を抱いて寝て居おれば百金は才覚する」

忠「久しく遊びに参りませんよ、妻さいが歿して二年越し独身で居ります……参りたいな、金子を戴いて待っている間、赤い切れと寝ているなどは有難い」

蟠「金を早く持って帰らんでは市ヶ谷の親類の方はどうする」

忠「金を持って行ゆけば明日あしたでも宜しゅうございます」

蟠「現金な男だ、駕籠というのも何なんだからぶら〱歩こう」

と貸提灯かしぢょうちんを提げて雪駄穿きで、チャラリ〱と又兵衛橋またべえばしを渡って押上橋おしあげばしの処へ来ると、入樋いりひの処へ一杯水が這入って居ります。向うの所は請地うけじの田甫たんぼでチラリ〱と農家の燈火あかりが見えます、真の闇夜やみ。

蟠「阿部」

忠「へえ」

蟠「便をしたいが、少し向うから人が来るようだから」

忠「宜しゅうございます、私わたくしも出たいからお附合つきあいをしたい」

蟠「左様そうか、そんなら私わしが提灯を持ってやろう」

と元より貸提灯でございますから、

蟠「ア、燈火あかりが消えるようだ」

忠「消えましたか、困りましたな、一本道だから宜しいが燈火がなくては困りますな」

蟠「うっかりしていた、困ったなア、何処どこかへ往って借りよう、通り道に家うちがあるだろう、構わず便べんをしなよ」

忠「左様そうでございますか、宜しゅうございます」

とうっかり向うを向いて便を達たそうとする処をシュウと抜討ちに胴腹どうばらを掛けて斬り、又咽元のどもとを斬りましたから首が半分落るばかりになったのを、足下そっかに掛けてドブーンと溜り水の中に落して仕舞いました。懐中から小菊こきくを取出して鮮血のりを拭い、鞘に納め、折おりや提灯を投げて、エーイと鞍馬くらまの謡うたいをうたいながら悠々ゆう〱と割下水へ帰った。其の翌日文治郎が様子を見て大伴の道場へ斬込もうと致しますと、只今なれば丁度午後二時半頃、文治郎の宅の玄関の前を往ったり来たりして居おるのは左官の亥太郎。

森「どうしたえ」

亥「森松か大おお御無沙汰をした」

森「旦那がどうしたって心配しんぺいをしていらア、家うちを間違まちげえたのか、往ったり来たりしている、どうも豊島町の棟梁のようだが、どうしたのかと思っていた」

亥「家うちを間違まちげえるような訳で、大御無沙汰」

森「己おらの家うちに嫁が来た、良いい女だよ」

亥「冗談じゃアねえ知らしてくれゝば嗅くせえ鰹節かつぶしの一本か酢すっぺい酒の一杯いっぺいでも持って、旦那お芽出度めでとうござえやすと云って来たものを」

森「未まだ本当の祝儀をしねえから何処どこへも知らせねえのだ、大丈夫だ、心配しんぺいしなくもよろしい、祝いものは何処からも来やしねえ、表向おもてむきに婚礼をすりゃアお前めえの所へも知らせらア」

亥「旦那に云ってくんねえ、これは詰らねえ物だがって上げてくんねえ」

森「旦那、亥太郎が来ました」

文「そうか、此方こっちへお通し申せ……お母っかさま、亥太郎が参りました」

母「そうかえ、まア〱此方こちらへ」

亥「御無沙汰致しまして、お変りもございませんで」

母「お前さんも達者で、つい此の間も噂をして居りました、さア此方こっちへ」

文「亥太郎さん、文治郎は大きに御無沙汰をした、少し取込んだことがあって」

亥「今、森に聞けばお嫁さんが来たって、知らねえものだから、知らせておくんなされば詰らねえ祝物いわいものでも持って来なければならねえ身の上で、お祝いにも来ねえで、何なぜ知らせて下さらねえ」

文「いや〱未だ内輪だけのことで」

母「只今文治の云う通り内輪だけのことで、改まって婚礼をするときは貴君方あなたがたにも知らせる積りでございます」

亥「だって私わっちは内輪でございやす、なアにこれは詰らねえものでございやす、お嫁さんにお目に懸りてい」

母「町や……年が行ゆきませんから」

亥「へえ、こりゃアどうも〱そんなに長くお辞儀をなすっちゃアいけねえ、私わっちどもは二つずつお辞儀をしなければならねえ、こんな良いいお嫁さんはございませんねえ、お姫様のようだ、私わっちはぞんぜえ者でございやす、幾久しく願いやす」

文「御尊父様は御壮健でございますか」

亥「へえ何なんでごぜえやすか」

文「御尊父様は御壮健でございますか」

亥「私わっちの近所の医者でごぜえやすか」

文「いえ貴君あなたの親御おやごさまは」

亥「私わっちの親父おやじですか、些ちっとも知らねえ……お芽出たい処へ来て、こんな事を云っては何なんですが、親父は此の二月お芽出度めでたくなりました」

文「おや、さっぱり存ぜんで、お悔みにも参りません、何なぜ知らせて下さらぬ」

亥「私わっち共のような半纒着はんてんぎの処へお前めえさんが黒い羽織で来ちゃア気が詰って困るからお知らせ申さねえ」

文「やれ〱御愁傷さま」

母「お前さまのような薩張さっぱりした御気性だから口へはお出しなさらないが、腹の中うちでは嘸さぞ御愁傷でございましょう」

亥「此方こっちの旦那のように親孝行をして死んだのでございません、餓鬼の中うちから喧嘩早けんかっぱやくって私わっち故に心配して、あんな病身になって死にました、達者な中うちに好すきな物でも食わせて死んだのなれば、良いいがと思って、死んで仕舞ってから気がついても仕方がねえ、私わっちが今度泣くと友達が笑って亥太郎は鬼の目に涙だってねえ」

文「嘸々さぞ〱御愁傷のことで、お見送りもしなかったのは残念だ、頼母たのもしくない」

亥「今のお嫁入りとえんだりにしましょう、私わっち共は交際つきえゝが広ひれいものだから裏店うらだなの葬ともれえでありながら、強飯こわめしが八百人前めえというので」

文「成程、嘸御立派でございましたろう」

亥「それで豊島町の八右衞門はちえもんさんが一人の親だから立派にしろというので、組合くみえいの者が皆みんな供に立って、富士講ふじこうの先達さんだつだの木魚講もくぎょこうだのが出るという騒ぎで、寺を借りて坊主が十二人出るような訳で」

文「立派なことでございましたなア」

亥「それも宜よいが、蝋燭だの線香だの香奠こうでんだのと云って家うちの中うちへ一杯いっぺいに積んで山のようになりました、金でも持って来れば宜いいに、食えもしねえ蝋燭なんぞを持って来て、其の返けえしに茶の角袋かくぶくろでも附けなければならねえ、これが小こ千軒あるような訳で」

文「成程、併しかしながら亥太郎さん、一人のお父とっさんのことだから立派になさい」

亥「へえ…何なんだって豊島町の富士講の先達せんだつだの法印が法螺ほらの貝を吹くやら坊主が十二人」

文「成程」

亥「それも宜いいが、蝋燭だの線香だの食えもしねえ物を貰って返けえしをしなければならねえ」

文「成程、御孝行の仕納めだから立派になすった方が宜しい」

亥「身に余った葬ともれえで仮寺かりでらを五軒ばかりしなければ追付おっつかねえ、酒が三樽たる開いて仕舞う、河岸かしや何かから魚を貰って法印が法螺の貝を吹く騒ぎ」

文「成程」

亥「それも仕方がねえが山のように線香だの何なんだの、質にも置けねえ物を貰って、それも宜いいが返けえしに菓子と茶を附けなければならねえ」

文「成程、立派にしてお上げなさい」

亥「坊主を十二人頼むというので棺台などを二間けんにして、無垢むくも良いいのを懸けろというので、富士講に木魚講、法印が法螺の貝を吹く」

文「成程立派なことで」

亥「それも宜いいけれども食えもしねえ線香や蝋燭などを山のように積んで、菓子や茶の袋を配るのが千軒もある」

文「成程、亥太郎さん、貴方のことだからお差支さしつかえもあるまいが、余程のお物いりだね」

亥「へえ、仕様がねえ」

文「外ほかの事とも違うから、御不足はあるまいが御入用なれば文治郎これだけ入ると、打明けて云うて下さるのが友達の信義だから、多分のことは出来まいが、少々ぐらいのことなら御遠慮なくお云いなさい」

亥「へえ〱……からビッショリ汗をかいて仕舞った……実は金を借りに参ったので」

文「道理でおかしいと思った、一つ言ことばっかり仰おっしゃるから、お正直です」

亥「今まで身上みじょうが悪いから菓子屋も茶屋も貸さねえ、仕方がねえから旦那の所へ来たが、玄関の所へ来て這入り切れねえ……旦那済みませんが貸して下せい」

文「道理で……宜しい〱あなたが道楽に遣つかうのでない立派なことです、何程なにほど御入用……それで済みますか五十金……お母っかさまお貸し申しましょうか」

母「御用達ごようだて申しなともさ」

亥「有難うごぜえやす……私わっちは証文を書くにも書けませんが、こういう詰らねえ物を持って居りやすが、百両の抵当かたに編笠ということもございやすから、これを預って下せえ」

と出したのは高麗青皮こうらいせいひに趙雲ちょううんの円金物まるがなもの、後藤宗乘の作でございます。

文「立派な胴乱だ」

亥「胴乱でごぜいますか」

文「これは高麗国の亀の甲だというが、類たぐい稀なる物……これは名作だ、結構な物、どうしてこれを御所持でございます」

亥「それはなに、妙な、なに泥ぼっけになっていたのを拾ったのです」

文「これはお前さんの手に在あっても入いるまい」

亥「入りませんとも」

文「抵当かたも何も入らぬが、これは預って置きましょう」

文治郎の手にこれが這入るのは蟠龍軒の天運の尽きで、これが友之助の手に這入って、遂に小野庄左衞門の讎かたきが分るというお話、鳥渡ちょっと一吹いっぷく致しまして申し上げます。

十七

文治は予かねて大伴の道場に斬入きりいるは義によっての事でございまして、身を棄て、義を採ります。命を棄てゝも信を全くする其の志がどう云う所から起りましたか、文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識ものしりが仰しゃったことがございます、余り人の為の情なさけと云うものが深くなると、人を害することがあります[#欄外に「玉葉集巻十八、雑五、従三位爲子」の校注あり]「心ひく方かたばかりにてなべて世の人に情なさけのある人ぞなき」と云う歌の通り「情なさけを介さしはさんで害を為なす」と云う古語がございます。大伴を討って衆人を助け、殊には友之助を欺いて女房を奪い、百両の金も取上げて仕舞い、彼を割下水の溝どぶの中へ打込み、半殺しにしたは実に大逆非道な奴で、捨置かれぬと云う其の癇癖を耐こらえ〱て六月の晦日みそかまで待ちました。昼の程から様子を聞くと、今日は大伴兄弟も他たへ用達ようたしに行ゆくことなし、晦日のことで用もあるから払方はらいかたを済ませ、家うちで一杯飲むということを聞きましたから、今宵こよいこそ彼を討たんと、昼の中うちから徐々そろ〱身支度を致します。お町は其の様子を知って居りますから、暮方くれがたになると段々胸が塞ふさがりまして、はら〱致し、文治郎の側に附いて居りました。四よつを打つと只今の十時でございますから、何所どこでも退ひけます。母にもお酒を飲ませ、安心させるよう寝かし付け、彼是かれこれ九つと思う時刻になると、読みかけた本を投げ棄て、風呂敷包みを持出しましたから、お町はあゝ又風呂敷包みが出たかと思うと、包を解ほどいて前ぜん申し上げた通り南蛮鍛えの鎖帷子、筋金の入いったる鉢巻を致しまして、無地の眼立たぬ単衣ひとえものに献上の帯をしめて、其の上から上締うわじめを固く致して端折はしおりを高く取りまして、藤四郎吉光の一刀に兼元の差添さしぞえをさし、國俊くにとしの合口あいくちを懐に呑み、覗き手拭で面部を深く包みまして、ぴったりと床とこの上へ坐りまして、

文「お町やこれへお出で」

町「はい、お呼び遊ばしましたか」

文「毎夜云う通り今晩は愈々いよ〱行ゆかんければならぬことになりました、多分今宵は本意ほんいを遂とげて立帰る心得、明け方までには帰るから、どうか頼むぞよ、若し帰らぬことがあったらば文治郎亡き者と思い、私わしに成り代って一人のお母様っかさまへ孝行を頼みますぞよ」

町「はい、旦那様、私わたくしが此方こちらへ縁付いて参りましてから、毎夜々々荒々しいお身姿みなりでお出向でむきになりますが、どうしてのことか、余程深い御遺恨でもありますことか、果し合とやら云うようなお身姿でございますが、お出で遊ばすかと思えば又直ぐお早くお帰りのこともあり、誠に私わたくしには少しも理由わけが分りません、元より此方こちらへ嫁に参りたいと願いました訳でもございませず、どうか便り少い者ゆえ貴方様へ御飯炊奉公ごぜんたきぼうこうに参って居りますれば、不調法を致しましても、お情深い旦那様、行ゆき所もない者と無理に出て行ゆけとお暇いとまも出まいと思い、旦那様をお力に親の亡い後のちには唯ただ此方様こなたさまばかりを命の綱と取縋とりすがって、御無理を願いましたことで、思い掛けなくお母様が嫁にと御意遊ばして、冥加に余ったことなれど、実は旦那様は嘸さぞお嫌いやであろうと存じて居りました処が、御孝心深いあなた様、お母様の云うことをお背き遊ばさずに、親が云うからと不束ふつゝかな私わたくしを嫁にと仰しゃって下さりまして、私わたくしは実に心が切のうございます、何卒どうぞ女房と思し召さず御飯炊の奉公人と思召してお置き遊ばして下さるよう願いとう存じます」

文「それはお前分らぬことを云う、いやならいやと男だから云います、又気に入らぬ女房は持っている訳にはいかぬもの、一旦婚姻を致したからには決して飯炊奉公人とは思いません、文治郎何処どこまでも女房と心得ればこそ母の身の上を頼むではないか、何なぜ左様なことを云う」

町「ひょっと旦那様は他ほかにお母様に御内々ごない〱でお約束遊ばした御婦人でもございまして、お母様の前をお出で遊ばすにお間まが悪いから、私わたくしのようなものでも嫁と定きめれば、まさか打明けて斯こうだとお話も出来ないから、其の御婦人の方かたへお逢い遊ばしに夜分お出向でむきになる事ではないかと、私わたくしは悋気りんきではございませんけれども、貴方のお身をお案じ申しますから、思い違えを致すこともございます、何卒どうぞそう云う事でございますならばお母様に知れませぬように、どのようにも私わたくしが執とり繕いますから、其の女中をお部屋までお呼び遊ばすようになすって下されば、お母様に知れないよう計はからいます、実は斯うと打明けて御意ぎょい遊ばして下さる方が却かえって私わたくしは有難いと存じます」

文「つまらぬことを云うね、妾や手掛の所へ行ゆくに鎖帷子を着て行ゆく者はありません、併しかしお前が来てから盃をしたばかりで一度も添寝そいねをせぬから、それで嫌うのだと思いなさるだろうが、なか〱左様な女狂いなどをして家を明けるような人間ではございません、言うに云われぬ深い理由わけがあって、どうも棄て置かれぬ、お前が左様に疑うたぐるから話すが、私は義に依よって夜よな〱忍び込んで、若し其の悪人を討てば、幾千人の人助けになる、天下のお為になる事もあろう、それ故に母に心配を掛けないよう隠して斯うやって参る、文治郎元より一命を抛なげうっても人の為だ、私わしがお前と一度でも添臥そいぶしすればお前はもう他たへ縁付くことは出来ぬ、十七八の若い者、生先おいさき永き身の上で後家を立てるようなことがあっては如何いかにも気の毒、私わしが死んでお母様がお前に養子なさると云えば、一旦文治郎の女房になったと他人ひとは思おうとも、お前の身に私わしと添臥そえぶしをせぬと云う心に力があるから、どのような養子も出来る、添寝をせぬのは実は文治郎がお前を思う故に、情なさけの心からだ、又首尾能よく為終しおおした上では、縁あって来た者故添い遂げらるゝこともあろうかと考える、何事も右京太夫の家来の藤原と相談してお母様を頼む、何卒どうぞ情つれない男と思いなさるな、天下のため命を棄てるかも知れぬから」

町「はい能く打明けて仰しゃって下すった」

と袖そでを噛んだなりで泣き倒れましたが、暫くあって漸々よう〱顔を上げまして、

町「旦那様、そう云うことなら決してお止め申しませんが、何卒どうぞ私わたくしの申しますこともお聞き遊ばして下さいまし」

文「何なんでも聞きます、どう云うこと」

町「はい、私わたくしが此方こちらへ参りましてから、貴方はお癇癖が起って居おる御様子、寛々ゆる〱お話も出来ませんが、貴方にお恵みを受けました親父ちゝ庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺きりころされましたことは御存じございますまい」

文「えー……それは知らねど……どうも思い掛けない、何時いつのことで……フーン後月あとげつ二十七日の夜よに桜の馬場に於おいて何者に」

町「はい、何者とも知れません、お検死の仰しゃるには余程手者てしゃが斬ったのであろうと、それに親父ちゝがたしなみの脇差を佩さして出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから、それを盗取ぬすみとりました者を探たずねましたら讐かたきの様子も分ろうかと存じますが、仮令たとえ讐が知れましてもかぼそい私わたくしが親の讐を討つことは出来ませんから、旦那様へ御奉公に上って居りましたら、讐の知れた時はお助太刀も願われようかと存じ、御飯炊の御奉公に願いましたことでございます、貴方のお身の上に若しもの事がありますれば、親の讐を討ちます望のぞみも遂げられまいかと存じます……そればっかりが残念でございます」

文「フーン、能く親の讐を討ちたいと云った、流石さすがは武士の娘だ、あゝそれでこそ文治郎の女房だ、宜しい、私わしが附いていて、探さがし当て屹度きっと討たせます、仮令たとえ今晩為終しおおせて来ようとも、窃ひそかに立帰ってお前の親の讐を討ったる上で名告なのって出ても宜いい……併しかし直ぐと手掛りもなかろう、彦四郎の刀を取られたのを手掛りとしても、それさえ他たに類のあるものでもあり、脇差の拵こしらえや何かも女のことだから知るまい」

町「いゝえ、親父おやじが自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭ふちがしらは赤銅七子しゃくどうなゝこに金の三羽千鳥が附きまして、目貫めぬきも金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来の好よいのだそうで、鰐さめはチャンパン、柄糸つかいとは濃茶こいちゃでございます、鍔つばは伏見の金家かねいえの作で山水に釣つりをして居おる人物が出て居ります、鞘は蝋色ろいろでございまして、小柄こづかは浪人中困りまして払いましたが、中身は彦四郎貞宗でございます」

文「能く覚えて居おる、それが手掛りになりますから心配せぬが宜しい、屹度きっと敵かたきを討たせましょうが……今夜はどうしても私わしは行ゆかなければならぬ、お母様に何卒どうぞ知れぬようにして下さい、決して心配するな、直じき往って来るから」

町「はい、お止め申しませぬ……御機嫌宜しゅうお帰り遊ばして」

と縁側まで送り出し、御機嫌宜しゅうと袖に縋すがって文治郎の顔を見上げる。文治郎は情深い者でございますから、あゝ可愛そうに、己は帰れるやら帰れぬやら知れぬに、気の毒なことゝ思うが、仕方がないから袖を払って三尺の開きをあけて、庭から出まして、これから北割下水へ掛って来ますると、夜よは森々しん〱と致して鼻を抓つままれるのも知れません。大伴蟠龍軒の門前まで来ると、締りは厳重で中へ這入る事は出来ません、文治郎は細竹を以もってズーッと突きさえすれば、ヒラリと高い屋根へ飛上とびあがる妙術のある人でございますから、何なんぞ竹はないかと四辺あたりを見ると、蚊を取ります袋の付きました竹の棒がある「本所に蚊が無くなれば師走しわすかな」と云う川柳の通り、長柄ながえに袋を付けて蚊を取りますが、仲間衆ちゅうげんしゅうが忘れでもしたか、そこに置いてありましたから、其の袋を取ってぱっと投げますると、風が這入って袋の拈よりが戻ったから、中からブウンと蚊が飛び出しました。文治郎は情深い人で、蚊まで助けましたから、今でもブウン〱と云って忘れずに文治郎の名を呼んで飛んで居ります。竹を突いて身軽に門番の家根へ飛上り、又竹を突いてさっと身軽に庭へ下りて、音のせぬように潜み、勝手を知った庭続き、檜ひのきの植込うえごみの所から伝わって随竜垣ずいりゅうがきの脇に身を潜めて様子を窺うかゞうと、長なが四畳で、次は一寸ちょっと広間のようの所がありまして、此方こちらに道場が一杯に見えます。酒を飲んでグダ〱に酔って弟の蟠作が、和田原安兵衞と云う内弟子と二人で話をして居りますが、話をする了簡だけれども、食くらい酔って舌が廻りませんから些ちっとも分りません、酒の相手は仕倦しあきて妾のお村が浴衣ゆかたの姿なりで片手に団扇うちわを持って庭の飛石とびいしへ縁台を置き、お母ふくろと二人で涼んで居ります。

崎「さアお休みなさいよう、お村が早く寝たいと云いますよう……御舎弟様大概に遊ばせよう、お村が怒おこって居りますよ」

村「若旦那お休みなさいよう」

蟠「そんなことを云って、まア鬼のいない中うちの洗濯じゃアないか……なア安兵衞、兄貴は分らぬてえものだ、此の「此の」は底本では「此《この》の」と「の」が重複どうも脇差を弟に内証ないしょうで時々ズーッと鞘を払い、打粉を振って磨き、又納め、袋へ入れて楽しんでいるからひどい、今日は留守だから引摺り出したが、私わしに見せぬで隠して居おるのはひどい」

安「何時いつの間にお手に入れたか、これは大先生おおせんせいより貴方のお持ち遊ばした方が宜しい」

蟠「兄貴は分らぬ、隠して置くはどうも訝おかしい、それに何なぜ此の位の良い脇差に…小柄がないね」

安「これは何いずれ取りあわせて拵こしらえるのでしょう」

村「早くお休みなさいよ、お願いでございますよ、お母ふくろも眠がって居りますから旦那」

と云うのが庭へ響きます女の声、はア此処こゝにいるのはお村母子おやこだが、此奴こいつを逃してはならぬと藤四郎吉光の鞘を払って物をも云わずつか〱と来て、誰たれかと眼を着けるとお村ですから「友之助ならば斯かくの如く」とポーンと足を斬りました。

村「あゝ人殺し」

と言いながら前へ倒れる。其の刀でえいと斬るとバラリッとお母ふくろの首が落ちました。随竜垣に手を掛けて土庇どびさしの上へ飛上って、文治郎鍔元つばもとへ垂れる血のりを振ふるいながら下をこう見ると、腕が良いのに切物きれものが良いから、すぱり、きゃっと云うばかりで何なんの事か奥では酒を飲んでいて分りません。

蟠「何なんだ〱」

村「人殺し〱」

安「それは飛んだこと」

とひょろ〱よろけながら和田原安兵衞が来て、

安「どう遊ばした、お母様ふくろさまも怪けしからぬ……何者でござる、確しっかり遊ばして」

と言いながらお村を抱き起そうとする時、後うしろから飛下りながら文治郎がプツリッと拝み討ちに斬りますと、脳をかすり耳を斬落きりおとし、肩へ深く斬り込みましたから、あっと仰様のけざまに安兵衞が倒れました。蟠作は賊ありと知って討とうと思いましたが、慌あわてる時は往ゆかぬもので、剣術の代稽古をもする位だから、刀を持って出れば宜よいに、慌てゝ居りますから心得のない槍の鞘を払って「賊め」と突き掛る処を、はっと手元へ繰込くりこみ、一足踏込んでプツリと斬りましたが、殺しは致しませんで、蟠作の髻たぶさとお村の髻とを結び、庭の花崗岩みかげいしの飛石の上へ押据おしすえて、

文「やい蟠作、能くも汝われは大小を差す身の上でありながら、町人風情ふぜいの友之助を賭碁に事寄せ金を奪い、お村まで貪むさぼり取ったな、大悪非道な奴である…お村、汝われは友之助と心中致す処を此の文治郎が助け、駒形へ世帯を持たせて遣やったに、汝なんじ友之助に意地をつけ、文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越ひっこし、剰あまつさえ蟠龍軒の襟元に付き心中までしようと思った友之助を袖にして、斯様かような非道なことをしたな、汝なんじは文治郎が掛合に参った時悪口あっこうを吐つき、能くも面体めんていへ疵を付けたな、汝おのれ」

と七人力の力で庭の飛石へ摩こすり付け、友之助が居おればこうであろうと、和田原安兵衞の差していた脇差を取って蟠作の顔を十文字に斬り、汝われは此の口で友之助を騙だましたか、此の色目で男を悩なやましたかとお村をズタ〱に斬り、汝われは此の口で文治郎に悪口を吐ついたかと嬲殺なぶりごろしにして、其の儘脇差を投ほうり出し、藤四郎吉光の一刀を提さげて「蟠龍軒は何処どこに居おるか、隠れずに出ろ、友之助になり代って己が斬るから此処こゝへ出ろ」と云いながら何処を探してもいないから、台所へ来て男部屋を開けますると、紙帳しちょうの中へゴソ〱と潜もぐって、頭の上へ手を上げて一生懸命に拝んで、

男「何卒どうぞお助け下さい、何も心得ません、命計ばかりはお助けなすって、御入用なれば何なんでも差上げます」

文「己は賊ではない、汝てまえは奉公人か、当家の家来か」

男「へえ先月奉公に這入った何も心得ませんもので」

文「蟠龍軒は何処に隠れて居おるかそれを教えろ、蟠龍軒は何処に隠れて居るかそれを言え」

男「何処だか存じませんが、今朝程築地つきじのお屋敷へ往って浮田金太夫うきたきんだゆう様の処へ、竹次郎というお弟子と今一人を連れて参りました」

文「嘘を云え、何処に隠れているか云え」

男「嘘ではございません、主人の煙草盆に手紙が挿してあります、浮田金太夫様からのお手紙が参って居ります」

文「じゃア全く居おらぬか……残念な事を致したな、大伴兄弟が居おると思ったに蟠龍軒だけ築地の屋敷へ参ったか……あゝ残念な事をした」

と云いながらプツーリと癇癪紛れに下男の首を討落うちおとしました。奉公人はいゝ面の皮で、悪い所へ奉公をすると此様こんな目に遇います。文治郎は刀をさげ、隠れて居おるかと戸棚とだなを開けたり、押入を引開けて見たが、居りません。座敷の真中まんなかに投ほうり出してありますは結構な脇差で、只と見ると赤銅七子に金の三羽千鳥の縁頭、はてなと取上げて見ると、鍔は金家の作、目貫は三羽千鳥、是は彼かのお茶の水で失ったる彦四郎貞宗ではないか、中身はと抜いて見ると紛まごう方なき貞宗だから、あゝ残念な事をした庄左衞門を殺害せつがいしたのは彼等兄弟の所業しわざに相違ないが、是を己が持って帰れば盗賊に陥り、言訳が付かぬ、却かえって刀は此所こゝに置く方が調べの手懸りにもなろうと思い、此の事を早くお町にも話したいと血のりを拭ぬぐって鞘に納め、塀を乗越えて立帰りましたが、これから災難で此の罪が友之助に係りまして、忽たちまちにお役所へ引かれますのを見て、文治郎自みずから名告なのって出て、徒罪とざいを仰付おおせつけられ、遂に小笠原島へ漂着致し、七ヶ年の間、無人島むにんとうに居りまして、後のち帰国の上、お町を連れて大伴蟠龍軒を討ち、舅しゅうとの無念を晴すと云う、文治郎漂流奇談のお話も楽らくでございます。

(拠若林〔「※」は「おうへん+甘」〕藏、酒井昇造速記)

底本 / Source edition

底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
1927(昭和2)年6月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※誤記等の確認に、「三遊亭円朝全集 第三巻」(角川書店、1975(昭和50)年7月31日発行)を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年1月18日公開
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/000351_000989/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/000351_000989/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/000351_000989/

三遊亭 円朝「業平文治漂流奇談」(新字新仮名)、底本『圓朝全集 巻の四』近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫、1963年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000351_000989, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite