Soranoha

佐渡

さど

太宰 治

おけさ丸。総噸トン数、四百八十八噸。旅客定員、一等、二十名。二等、七十七名。三等、三百二名。賃銀、一等、三円五十銭。二等、二円五十銭。三等、一円五十銭。粁程キロてい、六十三粁。新潟出帆、午後二時。佐渡夷さどえびす着、午後四時四十五分の予定。速力、十五節ノット。何しに佐渡へなど行く気になったのだろう。十一月十七日。ほそい雨が降っている。私は紺絣こんがすりの着物、それに袴はかまをつけ、貼柾はりまさの安下駄やすげたをはいて船尾の甲板かんぱんに立っていた。マントも着ていない。帽子も、かぶっていない。船は走っている。信濃しなの川を下っているのだ。するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、やがて遠のく。黒く濡れた防波堤が現われる。その尖端に、白い燈台が立っている。もはや、河口である。これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた。海に出たのである。エンジンの音が、ここぞと強く馬力をかけた。本気になったのである。速力は、十五節。寒い。私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイから借りた白い毛布にくるまって寝てしまった。船酔いせぬように神に念じた。船には、まるっきり自信が無かった。心細い限りである。ゆらゆら動く、死んだ振りをしていようと思った。眼をつぶって、じっとしていた。

何しに佐渡へなど行くのだろう。自分にも、わからなかった。十六日に、新潟の高等学校で下手な講演をした。その翌日、この船に乗った。佐渡は、淋さびしいところだと聞いている。死ぬほど淋しいところだと聞いている。前から、気がかりになっていたのである。私には天国よりも、地獄のほうが気にかかる。関西の豊麗、瀬戸内海の明媚めいびは、人から聞いて一応はあこがれてもみるのだが、なぜだか直ぐに行く気はしない。相模さがみ、駿河するがまでは行ったが、それから先は、私は未だ一度も行って見たことが無い。もっと、としとってから行ってみたいと思っている。心に遊びの余裕が出来てから、ゆっくり関西を廻ってみたいと思っている。いまはまだ、地獄の方角ばかりが、気にかかる。新潟まで行くのならば、佐渡へも立ち寄ろう。立ち寄らなければならぬ。謂いわば死に神の手招きに吸い寄せられるように、私は何の理由もなく、佐渡にひかれた。私は、たいへんおセンチなのかも知れない。死ぬほど淋しいところ。それが、よかった。お恥ずかしい事である。

けれども船室の隅に、死んだ振りして寝ころんで、私はつくづく後悔していた。何しに佐渡へ行くのだろう。何をすき好んで、こんな寒い季節に、もっともらしい顔をして、袴をはき、独ひとりで、そんな淋しいところへ、何も無いのが判っていながら。いまに船酔いするかも知れぬ。誰も褒ほめない。自分を、ばかだと思った。いくつになっても、どうしてこんな、ばかな事ばかりするのだろう。私は、まだ、こんなむだな旅行など出来る身分では無いのだ。家の経済を思えば、一銭のむだ使いも出来ぬ筈はずであるのに、つい、ふとした心のはずみから、こんな、つまらぬ旅行を企てる。少しも気がすすまないのに、ふいと言い出したら、必ずそれを意地になって実行する。そうしないと、誰かに嘘をついたような気がして、いやである。負けるような気がして、いやである。ばかな事と知りながら実行して、あとで劇烈な悔恨の腹痛に転輾てんてんする。なんにもならない。いくつになっても、同じ事を繰り返してばかりいるのである。こんどの旅行も、これは、ばかな旅行だ。なんだって、佐渡なんかへ、行って来なければいけないのだろう。意味が無いじゃないか。

私は毛布にくるまって船室の奥隅に寝ころびながら、実に、どうにも不愉快であった。自分に、腹が立って、たまらなかった。佐渡へ行ったって、悪い事ばかり起るに違いないと思った。しばらく眼をつぶって、自分を馬鹿、のろまと叱っていたが、やがて、むっくり起きてしまった。船酔いして吐きたくなったからでは無い。その反対である。一時間ほど凝じっと身動きせず、謂いわば死んだ振りをしていたのであるが、船酔いの気配は無かった。大丈夫だと思ったのである。そう思ったら、寝ているのが、ばかばかしくなって起きてしまった。立ち上ったら、よろめいた。船は、かなり動揺しているのである。壁に凭もたれ、柱に縋すがり、きざな千鳥足で船室から出て、船腹の甲板に立った。私は目を睜みはった。きょろきょろしたのである。佐渡は、もうすぐそこに見えている。全島紅葉して、岸の赤土の崖がけは、ざぶりざぶりと波に洗われている。もう、来てしまったのだ。それにしては少し早すぎる。まだ一時間しか経っていない。旅客もすべて落ちついて、まだ船室に寝そべっている。甲板にも、四十年配の男が、二、三人出ているが、一様にのんびり前方の島を眺め、煙草をふかしている。誰も興奮していない。興奮しているのは私だけである。島の岬に、燈台が立っている。もう、来てしまった。けれども、誰も騒がない。空は低く鼠色。雨は、もうやんでいる。島は、甲板から百メートルと離れていない。船は、島の岸に沿うて、平気で進む。私にも、少しわかって来た。つまり船は、この島の陰のほうに廻って、それから碇泊ていはくするのだろうと思った。そう思ったら、少し安心した。私は、よろめきながら船尾のほうへ廻ってみた。新潟は、いや日本の内地は、もう見えない。陰鬱な、寒い海だ。水が真黒の感じである。スクリュウに捲き上げられ沸騰ふっとうし飛散する騒騒そうそうの迸沫ほうまつは、海水の黒の中で、鷲のように鮮やかに感ぜられ、ひろい澪みおは、大きい螺旋ぜんまいがはじけたように、幾重にも細かい柔軟の波線をひろげている。日本海は墨絵すみえだ、と愚にもつかぬ断案を下して、私は、やや得意になっていた。水底を見て来た顔の小鴨こがもかな、つまりその顔であったわけだが、さらに、よろよろ船腹の甲板に帰って来て眼前の無言の島に対しては、その得意の小鴨も、首をひねらざるを得なかった。船も島も、互いに素知らぬ顔をしているのである。島は、船を迎える気色が無い。ただ黙って見送っている。船もまた、その島に何の挨拶もしようとしない。同じ歩調で、すまして行き過ぎようとしているのだ。島の岬の燈台は、みるみる遠く離れて行く。船は平気で進む。島の陰に廻るのかと思って少し安心していたのだが、そうでもないらしい。島は、置きざりにされようとしている。これは、佐渡ヶ島でないのかも知れぬ。小鴨は、大いに狼狽ろうばいした。きのう新潟の海岸から、望見したのも、この島だ。

「あれが、佐渡だね。」

「そうです。」高等学校の生徒は、答えた。

「灯が見えるかね。佐渡は寝たかよ灯が見えぬというのは、起きていたら灯が見えるという反語なのだから、灯が見える筈だね。」つまらぬ理窟を言った。

「見えません。」

「そうかね。それじゃ、あの唄は嘘だね。」

生徒たちは笑った。その島だ。間違い無い。たしかに、この島であったのだが、けれどもいま汽船は、ここを素知らぬ振りして通り過ぎようとしている。全く黙殺している。これは佐渡ヶ島でないのかも知れぬ。時間から言っても、これが佐渡だとすると、余りにも到着が早すぎる。佐渡では無いのだ。私は恥ずかしさに、てんてこ舞いした。きのう新潟の砂丘で、私がひどくもったい振り、あれが佐渡だね、と早合点の指さしをして、生徒たちは、それがとんでも無い間違いだと知っていながら私が余りにも荘重な口調で盲断しているので、それを嘲笑ちょうしょうして否定するのが気の毒になり、そうですと答えてその場を取りつくろってくれたのかも知れない。そうして後で、私を馬鹿先生ではないかと疑い、灯が見えるかねと言い居ったぞ等と、私の口真似くちまねして笑い合っているのに違いないと思ったら、私は矢庭やにわに袴を脱ぎ捨て海に投じたくなった。けれども、また、ふと、いやそんな事は無い。地図で見ても、新潟の近くには佐渡ヶ島一つしか無かった筈だ。きのうの生徒も、皆、誠実な人たちだった。これは、とにかく佐渡に違いないとも思い返してみるのだが、さて、確信は無い。汽船は、容赦ようしゃなく進む。旅客は、ひっそりしている。私ひとりは、甲板で、うろうろしている。気が気でない。誰かに聞いてみようかと幾度となく思うのだが、若もし之これが佐渡ヶ島だった場合、佐渡行の汽船に乗り込んでいながら、「あれは何という島ですか。」という質問くらい馬鹿げたものは無い。私は、狂人と思われるかも知れない。私はその質問だけは、どうしても敢行できなかった。銀座を歩きながら、ここは大阪ですかという質問と同じくらいに奇妙であろう。私は冗談でなく懊悩おうのうと、焦躁を感じた。知りたい。この汽船の大勢の人たちの中で、私ひとりだけが知らない変な事実があるのだ。たしかにあるのだ。海面は、次第に暗くなりかけて、問題の沈黙の島も黒一色になり、ずんずん船と離れて行く。とにかく之は佐渡だ。その他には新潟の海に、こんな島は絶対に無かった筈だ。佐渡にちがい無い。ぐるりと此の島を大迂回して、陰の港に到着するという仕組なのだろう。そう考えるより他は無いと、私は窮余の断案を下して落ち附こうとしたが、やはり、どうにも浮かぬ気持ちであった。ひょいと前方の薄暗い海面をすかし眺めて、私は愕然がくぜんとした。実に、意外な発見をしたのだ。誇張では無く、恐怖の感をさえ覚えた。ぞっとしたのである。汽船の真直ぐに進み行く方向、はるか前方に、幽かすかに蒼あおく、大陸の影が見える。私は、いやなものを見たような気がした。見ない振りをした。けれども大陸の影は、たしかに水平線上に薄蒼く見えるのだ。満洲ではないかと思った。まさか、と直ぐに打ち消した。私の混乱は、クライマックスに達した。日本の内地ではないかと思った。それでは方角があべこべだ。朝鮮。まさか、とあわてて打ち消した。滅茶滅茶になった。能登半島。それかも知れぬと思った時に、背後の船室は、ざわめきはじめた。

「さあ、もう見えて来ました。」という言葉が、私の耳にはいった。

私は、うんざりした。あの大陸が佐渡なのだ。大きすぎる。北海道とそんなに違わんじゃないかと思った。台湾とは、どうかしら等と真面目に考えた。あの大陸の影が佐渡だとすると、私の今迄の苦心の観察は全然まちがいだったというわけになる。高等学校の生徒は、私に嘘を教えたのだ。すると、この眼前の黒いつまらぬ島は、一体なんだろう。つまらぬ島だ。人を惑まどわすものである。こういう島も、新潟と佐渡の間に、昔から在ったのかも知れぬ。私は、中学時代から地理の学科を好まなかったのだ。私は、何も知らない。したたかに自信を失い、観察を中止して船室に引き上げた。あの雲煙模糊もこの大陸が佐渡だとすると、到着までには、まだ相当の間がある。早くから騒ぎまわって損をした。私は、再びうんざりして、毛布を引っぱり船室の隅に寝てしまった。

けれども他の船客たちは、私と反対に、むくりむくり起きはじめ、身仕度にとりかかるやら、若夫人は、旦那のオオヴァを羽織って甲板に勇んで出て見るやら、だんだん騒がしくなるばかりである。私は、また起きた。自分ながら間抜けていると思った。ボオイが、毛布の貸賃を取りにやって来た。

「もう、すぐですか。」私は、わざと寝呆ねぼけたような声で尋ねた。ボオイは、ちらりと腕時計を見て、

「もう、十分ぷんでございます。」と答えた。

私は、あわてた。何が何やら、わからなかった。鞄かばんから毛糸の頸巻くびまきを取り出し、それを頸にぐるぐる巻いて甲板に出て見た。もう船は、少しも動揺していない。エンジンの音も優しく、静かである。空も、海も、もうすっかり暗くなって、雨が少し降っている。前方の闇を覗のぞくと、なるほど港の灯が、ぱらぱら、二十も三十も見える。夷港にちがいない。甲板には大勢の旅客がちゃんと身仕度をして出て来ている。

「パパ、さっきの島は?」赤いオオヴァを着た十歳くらいの少女が、傍の紳士に尋ねている。私は、人知れず全身の注意を、その会話に集中させた。この家族は、都会の人たちらしい。私と同様に、はじめて佐渡へやって来た人たちに違いない。

「佐渡ですよ。」と父は答えた。

そうか、と私は少女と共に首肯うなずいた。なおよく父の説明を聞こうと思って、私は、そっとその家族のほうへすり寄った。

「パパも、よくわからないのですがね。」と紳士は不安げに言い足した。「つまり島の形が、こんなぐあいに、」と言って両手で島の形を作って見せて、「こんなぐあいになっていて、汽船がここを走っているので、島が二つあるように見えたのでしょう。」

私は少し背伸びして、その父の手の形を覗いて、ああ、と全く了解した。すべて少女のお陰である。つまり佐渡ヶ島は、「工」の字を倒さかさにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐ひもで細く結んでいるような状態なのである。大きいほうの山脈地帯は、れいの雲煙模糊の大陸なのである。さきの沈黙の島は、小さいほうの山脈地帯なのである。平野は、低いから全く望見できなかった。そうして、船は、平野の港に到着した。それだけの事なのである。よく出来ていると思った。

佐渡へ上陸した。格別、内地と変った事は無い。十年ほど前に、北海道へ渡った事があったけれど、上陸第一歩から興奮した。土の踏み心地が、まるっきり違うのである。土の根が、ばかに大きい感じがした。内地の、土と、その地下構造に於いて全然別種のものだと思った。必ずや大陸の続きであろうと断定した。あとで北海道生れの友人に、その事を言ったら、その友人は私の直観に敬服し、そのとおりだ、北海道は津軽海峡に依よって、内地と地質的に分離されているのであって、むしろアジア大陸と地質的に同種なのである、といろいろの例証をして、くわしく説明してくれた。私は、佐渡の上陸第一歩に於いても、その土の踏み心地を、こっそりためしてみたのであるが、何という事も無かった。内地のそれと、同じである。これは新潟の続きである、と私は素早く断案を下した。雨が降っている。私は傘かさもマントも持っていない。五尺六寸五分の地質学者は、当惑した。もうそろそろ佐渡への情熱も消えていた。このまま帰ってもいいと思った。どうしようかと迷っていた。私は、港の暗い広場を、鞄をかかえてうろうろしていたのである。

「だんな。」宿の客引きである。

「よし、行こう。」

「どこへですか?」老いた番頭のほうで、へどもどした。私の語調が強すぎたのかも知れない。

「そこへ行くのさ。」私は番頭の持っている提燈ちょうちんを指さした。福田旅館と書かれてある。

「はは。」老いた番頭は笑った。

自動車を呼んで貰って、私は番頭と一緒に乗り込んだ。暗い町である。房州あたりの漁師まちの感じである。

「お客が多いのかね。」

「いいえ、もう駄目です。九月すぎると、さっぱりいけません。」

「君は、東京のひとかね。」

「へへ。」白髪の四角な顔した番頭は、薄笑いした。

「福田旅館は、ここでは、いいほうなんだろう?」あてずっぽうでも無かった。実は、新潟で、生徒たちから、二つ三ついい旅館の名前を聞いて来ていたのだ。福田旅館は、たしかにその筆頭に挙げられていたように記憶していた。先刻、港の広場で、だんなと声をかけられ、ちらと提燈を見ると福田と書かれていたので、途端に私も決意したのだ。とにかく、この夷えびすに一泊しようと。「今夜これから直ぐに相川まで行ってしまおうかとも思っていたのだが、雨も降っているし心細くなっているところへ、君が声をかけたんだ。提燈を見たら、福田旅館と書かれていたので、ここへ一泊と、きめてしまったんだ。僕は、新潟の人から聞いて来たんだ。提燈を見て、はっと思い出したのだ。君のところが一等いい宿屋だと皆、言っていたよ。」

「おそれいります。」番頭は、当惑そうに頭へ手をやって、「ほんの、あばらやですよ。」しゃれた事を言った。

宿へ着いた。あばらやでは無かった。小さい宿屋ではあるが、古い落ちつきがあった。後で女中さんから聞いた事だが、宮様のお宿をした事もあるという。私の案内された部屋も悪くなかった。部屋に、小さい炉が切ってあった。風呂へはいって鬚ひげを剃そり、それから私は、部屋の炉の前に端然と正座した。新潟で一日、高等学校の生徒を相手にして来た余波で私は、ばかに行儀正しくなっていた。女中さんにも、棒を呑んだような姿勢で、ひどく切口上な応対をしていた。自分ながら可笑おかしかったが、急にぐにゃぐにゃになる事も出来なかった。食事の時も膝ひざを崩さなかった。ビイルを一本飲んだ。少しも酔わなかった。

「この島の名産は、何かね。」

「はい、海産物なら、たいていのものが、たくさんとれます。」

「そうかね。」

会話が、とぎれる。しばらくして、やおら御質問。

「君は、佐渡の生れかね。」

「はい。」

「内地へ、行って見たいと思うかね。」

「いいえ。」

「そうだろう。」何がそうだろうだか、自分にもわからなかった。ただ、ひどく気取っているのである。また、しばらく会話が、とぎれる。私は、ごはんを四杯たべた。こんなに、たくさんたべた事は無い。

「白米は、おいしいね。」白米なのである。私は少したべすぎたのに気がついて、そんなてれ隠しの感懐を述べた。

「そうでしょうか。」女中さんは、さっきから窮屈がっているようである。

「お茶をいただきましょう。」

「お粗末さまでした。」

「いや。」

私は、さむらいのようである。ごはんを食べてしまって部屋に一人で端座していると、さむらいは睡魔に襲われるところとなった。ひどく眠い。机の上の電話で、階下の帳場へ時間を聞いた。さむらいには時計が無いのである。六時四十分。いまから寝ては、宿の者に軽蔑されるような気がした。さむらいは立ち上り、どてらの上に紺絣こんがすりの羽織はおりをひっかけ、鞄から財布を取り出し、ちょっとその内容を調べてから、真面目くさって廊下へ出た。のっしのっしと階段を降り、玄関に立ちはだかり、さっきの番頭に下駄と傘を命じ、

「まちを見て来ます。」と断定的な口調で言って、旅館を出た。

旅館を数歩出ると私は、急に人が変ったように、きょろきょろしはじめた。裏町ばかりを選んで歩いた。雨は、ほとんどやんでいる。道が悪かった。おまけに、暗い。波の音が聞える。けれども、そんなに淋しくない。孤島の感じは無いのである。やはり房州あたりの漁村を歩いているような気持なのである。

やっと見つけた。軒燈には、「よしつね」と書かれてある。義経でも弁慶でもかまわない。私は、ただ、佐渡の人情を調べたいのである。そこへはいった。

「お酒を、飲みに来たのです。」私は少し優しい声になっていた。さむらいでは無かった。

この料亭の悪口は言うまい。はいった奴が、ばかなのである。佐渡の旅愁は、そこに無かった。料理だけがあった。私は、この料理の山には、うんざりした。蟹かに、鮑あわび、蠣かき、次々と持って来るのである。はじめは怺こらえて黙っていたが、たまりかねて女中さんに言った。

「料理は、要らないのです。宿で、ごはんを食べて来たばかりなんだ。蟹も鮑も、蠣もみんな宿でたべて来ました。お勘定の心配をして、そう言うわけではないのです。いやその心配もありますけれど、それよりも、料理がむだですよ。むだな事です。僕は、何も食べません。お酒を二、三本飲めばいいのです。」はっきり言ったのだが、眼鏡をかけた女中さんは、笑いながら、

「でも、せっかくこしらえてしまったのですから、どうぞ、めしあがって下さい。芸者衆でも呼びましょうか。」

「そうね。」と軟化した。

小さい女が、はいって来た。君は芸者ですか? と私は、まじめに問いただしたいような気持にもなったが、この女のひとの悪口も言うまい。呼んだ奴が、ばかなのだ。

「料理をたべませんか。僕は宿で、たべて来たばかりなのです。むだですよ。たべて下さい。」私は、たべものをむだにするのが、何よりもきらいな質たちである。食い残して捨てるという事ぐらい完全な浪費は無いと思っている。私は一つの皿の上の料理は、全部たべるか、そうでなければ全然、箸はしをつけないか、どちらかにきめている。金銭は、むだに使っても、それを受け取った人のほうで、有益に活用するであろう。料理の食べ残しは、はきだめに捨てるばかりである。完全に、むだである。私は目前に、むだな料理の山を眺めて、身を切られる程つらかった。この家の人、全部に忿懣ふんまんを感じた。無神経だと思った。

「たべなさいよ。」私は、しつこく、こだわった。「客の前でたべるのが恥ずかしいのでしたら、僕は帰ってもいいのです。あとで皆で、たべて下さい。もったいないよ。」

「いただきます。」女は、私の野暮やぼを憫笑びんしょうするように、くすと笑って馬鹿叮嚀ていねいにお辞儀をした。けれども箸は、とらなかった。

すべて、東京の場末の感じである。

「眠くなって来た。帰ります。」なんの情緒も無かった。

宿へ帰ったのは、八時すぎだった。私は再び、さむらいの姿勢にかえって、女中さんに蒲団ふとんをひかせ、すぐに寝た。明朝は、相川へ行ってみるつもりである。夜半、ふと眼がさめた。ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞える。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴さえてしまって、なかなか眠られなかった。謂いわば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈こくれつな孤独感をやっと捕えた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。うんと味わえ。もっと味わえ。床の中で、眼をはっきり開いて、さまざまの事を考えた。自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った。障子しょうじが薄蒼くなって来る頃まで、眠らずにいた。翌朝、ごはんを食べながら、私は女中さんに告白した。

「ゆうべ、よしつねという料理屋に行ったが、つまらなかった。たてものは大きいが、悪いところだね。」

「ええ、」女中さんは、くつろいで、「このごろ出来た家ですよ。古くからの寺田屋などは、格式もあって、いいそうです。」

「そうです。格式のある家でなければ、だめです。寺田屋へ行けばよかった。」

女中さんは、なぜだか、ひどく笑った。声をたてずに、うつむいて肩に波打たせて笑っているのである。私も、意味がわからなかったけれども、はは、と笑った。

「お客さんは、料理屋などおきらいかと思っていました。」

「きらいじゃないさ。」私も、もう気取らなくなっていた。宿屋の女中さんが一ばんいいのだと思った。

お勘定をすまして出発する時も、その女中さんは、「行っていらっしゃい。」と言った。佳い挨拶だと思った。

相川行のバスに乗った。バスの乗客は、ほとんど此の土地の者ばかりであった。皮膚病の人が多かった。漁村には、どうしてだか、皮膚病が多いようである。

きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡あわい。山が低い。樹木は小さく、ひねくれている。うすら寒い田舎道いなかみち。娘さんたちは長い吊鐘つりがねマントを着て歩いている。村々は、素知らぬ振りして、ちゃっかり生活を営んでいる。旅行者などを、てんで黙殺している。佐渡は、生活しています。一言にして語ればそれだ。なんの興も無い。

二時間ちかくバスにゆられて、相川に着いた。ここも、やはり房州あたりの漁村の感じである。道が白っぽく乾いている。そうして、素知らぬ振りして生活を営んでいる。少しも旅行者を迎えてくれない。鞄をかかえて、うろうろしているのが恥ずかしいくらいである。なぜ、佐渡へなど来たのだろう。その疑問が、再び胸に浮ぶ。何も無いのがわかっている。はじめから、わかっている事ではないか。それでも、とうとう相川までやって来た。いまは日本は、遊ぶ時では無い。それも、わかっている。見物けんぶつというのは、之は、どういう心理なのだろう。先日読んだワッサーマンの「四十の男」という小説の中に、「彼が旅に出かけようと思ったのは、もとより定きまった用事のためではなかったとしても、兎とも角かくそれは内心の衝動だったのだ。彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺あざむいたように思う。見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます。よし現存の幸福が如何いかに大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える。」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛かみたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。佐渡には何も無い。あるべき筈はないという事は、なんぼ愚かな私にでも、わかっていた。けれども、来て見ないうちは、気がかりなのだ。見物けんぶつの心理とは、そんなものではなかろうか。大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかも知れない。見てしまった空虚、見なかった焦躁不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。私は、もうそろそろ佐渡をあきらめた。明朝、出帆の船で帰ろうと思った。あれこれ考えながら、白く乾いた相川のまちを鞄かかえて歩いていたが、どうも我ながら形がつかぬ。白昼の相川のまちは、人ひとり通らぬ。まちは知らぬ振りをしている。何しに来た、という顔をしている。ひっそりという感じでもない。がらんとしている。ここは見物に来るところでない。まちは私に見むきもせず、自分だけの生活をさっさとしている。私は、のそのそ歩いている自分を、いよいよ恥ずかしく思った。

出来れば、きょうすぐ東京へ帰りたかった。けれども、汽船の都合が悪い。明朝、八時に夷港から、おけさ丸が出る。それまで待たなければ、いけない。佐渡には、もう一つ、小木おぎという町もある筈だ。けれども、小木までには、またバスで、三時間ちかくかかるらしい。もう、どこへも行きたくなかった。用事の無い旅行はするものでない。この相川で一泊する事にきめた。ここでは浜野屋という宿屋が、上等だと新潟の生徒から聞いて来た。せめて宿屋だけでも綺麗なところへ泊りたい。浜野屋は、すぐに見つかった。かなり大きい宿屋である。やはり、がらんとしていた。私は、三階の部屋に通された。障子をあけると、日本海が見える。少し水が濁っていた。

「お風呂へはいりたいのですが。」

「さあ、お風呂は、四時半からですけど。」

この女中さんは、リアリストのようである。ひどく、よそよそしい。

「どこか、名所は無いだろうか。」

「さあ、」女中さんは私の袴はかまを畳みながら、「こんなに寒くなりましたから。」

「金山があるでしょう。」

「ええ、ことしの九月から誰にも中を見せない事になりました。お昼のお食事は、どういたしましょう。」

「たべません。夕食を早めにして下さい。」

私は、どてらに着換え、宿を出て、それからただ歩いた。海岸へ行って見た。何の感慨も無い。山へ登った。金山の一部が見えた。ひどく小規模な感じがした。さらに山路を歩き、時々立ちどまって、日本海を望見した。ずんずん登った。寒くなって来た。いそいで下山した。また、まちを歩いた。やたらに土産物を買った。少しも気持が、はずまない。

これでよいのかも知れぬ。私は、とうとう佐渡を見てしまったのだ。私は翌朝、五時に起きて電燈の下で朝めしを食べた。六時のバスに乗らなければならぬ。お膳ぜんには、料理が四、五品も附いていた。私は味噌汁と、おしんこだけで、ごはんを食べた。他の料理には、一さい箸をつけなかった。

「それは茶わんむしですよ。食べて行きなさい。」現実主義の女中さんは、母のような口調で言った。

「そうか。」私は茶わんむしの蓋ふたをとった。

外は、まだ薄暗かった。私は宿屋の前に立ってバスを待った。ぞろぞろと黒い毛布を着た老若男女の列が通る。すべて無言で、せっせと私の眼前を歩いて行く。

「鉱山の人たちだね。」私は傍に立っている女中さんに小声で言った。

女中さんは黙って首肯うなずいた。

(作者後記。旅館、料亭の名前は、すべて変名を用いた。)

底本 / Source edition

底本:「太宰治全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:青木直子
2000年1月29日公開
2004年3月4日修正
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TEI
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書誌 / Bibliography
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太宰 治「佐渡」(新字新仮名)、底本『太宰治全集4』ちくま文庫、筑摩書房、1988年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 000317_000035, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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