第一

一回十五枚ずつで、六回だけ、私がやってみることにします。こんなのは、どうだろうかと思っている。たとえば、ここに、<ruby><rb>鴎外</rb><rt>おうがい</rt></ruby>の全集があります。<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、よそから借りて来たものである。私には、蔵書なんて、ありやしない。私は、世の学問というものを軽蔑して居ります。たいてい、たかが知れている。ことに<ruby><rb>可笑</rb><rt>おか</rt></ruby>しいのは、全く無学文盲の徒に限って、この世の学問にあこがれ、「あの、鴎外先生のおっしゃいますることには、」などと、おちょぼ口して、いつ鴎外から<ruby><rb>弟子</rb><rt>でし</rt></ruby>のゆるしを得たのか、先生、先生を連発し、「勉強いたして居ります。」と<ruby><rb>殊勝</rb><rt>しゅしょう</rt></ruby>らしく、眼を伏せて、おそろしく自己を高尚に<ruby><rb>装</rb><rt>よそお</rt></ruby>い切ったと信じ込んで、澄ましている風景のなかなかに多く見受けられることである。あさましく、かえって鴎外のほうでまごついて、赤面するにちがいない。勉強いたして居ります。というのは商人の使う言葉である。安く売る、という意味で、商人がもっぱらこの言葉を使用しているようである。なお、いまでは、役者も使うようになっている。<ruby><rb>曾我廼家</rb><rt>そがのや</rt></ruby>五郎とか、また何とかいう映画女優などが、よくそんな言葉を使っている。どんなことをするのか見当もつかないけれども、とにかく、「勉強いたして居ります。」とさかんに神妙がっている様子である。彼等には、それでよいのかも知れない。すべて、生活の便法である。非難すべきではない。けれども、いやしくも作家たるものが、鴎外を読んだからと言って、急に、なんだか真面目くさくなって、「勉強いたして居ります。」などと、澄まし込まなくてもよさそうに思われる。それでは一体、いままで何を読んでいたのだろう。<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ心細い話である。ここに鴎外の全集があります。私が、よそから借りて来たものであります。これを、これから一緒に読んでみます。きっと諸君は、「面白い、面白い、」とおっしゃるにちがいない。鴎外は、ちっとも、むずかしいことは無い。いつでも、やさしく書いて在る。かえって、漱石のほうが退屈である。鴎外を難解な、深遠のものとして、衆俗のむやみに触れるべからずと、いかめしい禁札を張り出したのは、れいの「勉強いたして居ります。」女史たち、あるいは、大学の時の何々教授の講義ノオトを、学校を卒業して十年のちまで後生大事に隠し持って、機会在る毎にそれをひっぱり出し、ええと、美は醜ならず、醜は美ならず、などと他愛ない事を<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>き、やたらに外国人の名前ばかり多く出て、はてしなく長々しい論文をしたため、なむ学問なくては、かなうまい、としたり顔して落ちついている<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、あの、研究科の生徒たち。そんな人たちは、窮極に於いて、あさましい無学者にきまっているのであるが、世の中は彼等を、「智慧ある人」として、畏敬するのであるから、奇妙である。

鴎外だって、<ruby><rb>嘲</rb><rt>あざけ</rt></ruby>っている。鴎外が<ruby><rb>芝居</rb><rt>しばい</rt></ruby>を見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白い<ruby><rb>侍</rb><rt>さむらい</rt></ruby>が、部屋の中央に<ruby><rb>端坐</rb><rt>たんざ</rt></ruby>し、「どれ、<ruby><rb>書見</rb><rt>しょけん</rt></ruby>なと、いたそうか。」と言ったので、鴎外も、これには驚き閉口したと笑って書いて在った。

諸君は、いま私と一緒に、鴎外全集を読むのであるが、ちっとも固くなる必要は無い。だいいち私が、諸君よりもなお数段劣る無学者である。書見など、いたしたことの無い男である。いつも寝ころんで読み散らしている、<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ態度が悪い。だから、諸君もそのまま、寝ころんだままで、私と一緒に読むがよい。端坐されては困るのである。

ここに、鴎外の全集があります。これが、よそから借りて来たものであるということは、まえに言いました。<ruby><rb>鄭重</rb><rt>ていちょう</rt></ruby>に取り扱いましょう。感激したからと言って、文章の傍に赤線ひっぱったりなんかは、しないことにしましょう。借りて来た本ですから、大事にしなければなりません。飜訳篇、第十六巻を、ひらいてみましょう。いい短篇小説が、たくさん在ります。目次を見ましょう。

「玉を懐いて罪あり」HOFFMANN

「悪因縁」　　　　　KLEIST

「地震」　　　　　　KLEIST

それにつづいて、四十篇くらい、みんな面白そうな題の短篇小説ばかり、ずらりと並んでいます。巻末の解説を読むと、これは、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの巻であることがわかります。いちども名前を聞いたことの無いような原作者が、ずいぶん多いですね。けれども、そんなことに<ruby><rb>頓着</rb><rt>とんじゃく</rt></ruby>せず、めくらめっぽう読んで行っても、みんなそれぞれ面白いのです。みんな、書き出しが、うまい。書き出しの巧いというのは、その作者の「親切」であります。また、そんな親切な作者の作品ばかり選んで飜訳したのは、訳者、鴎外の親切であります。鴎外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。すらすら読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。二つ、三つ、この第十六巻から、巧い書き出しを拾ってみましょう。みんな巧いので、選出するのに困難です。四十余篇、全部の書き出しを、いま、ここに並べてみたいほどです。けれども、それよりは、諸君が鴎外全集を買うなり、または私のように、よそから借りるなりして親しくお読みになれば、それは、ちゃんとお判りになることなのですから、わざと<ruby><rb>堪</rb><rt>こら</rt></ruby>えて、七つ、いや、八つだけ、おめにかけます。

「埋木」OSSIP SCHUBIN

「アルフォンス・ド・ステルニイ氏は十一月にブルクセルに来て、自ら新曲悪魔の合奏を指揮すべし」と<ruby><rb>白耳義</rb><rt>ベルギー</rt></ruby>独立新聞の紙上に出でしとき、府民は目を<ruby><rb>側</rb><rt>そば</rt></ruby>だてたり。

「父」WILHELM SCHAEFER

私の<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>には<ruby><rb>此</rb><rt>この</rt></ruby>話は誰も知らぬ。それを知って居た男は関係者自身で去年の秋死んでしまった。

「黄金杯」JACOB WASSERMANN

千七百三十二年の暮に近い頃であった。英国はジョージ第二世の政府を戴いて居た。或晩夜廻りが<ruby><rb>倫敦</rb><rt>ロンドン</rt></ruby>の町を廻って居ると、テンプルバアに近い所で、若い娘が<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>に倒れているのを見付けた。

「一人者の死」SCHNITZLER

戸を<ruby><rb>敲</rb><rt>たた</rt></ruby>いた。そっとである。

「いつの日か君帰ります」ANNA CROISSANT\-RUST

一群の鴎が<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>足許から立って、鋭い、<ruby><rb>貪</rb><rt>むさぼ</rt></ruby>るような声で鳴きながら、忙しく湖水を超えて、よろめくように飛んで行った。

「玉を懐いて罪あり」AMADEUS HOFFMANN

<ruby><rb>路易</rb><rt>ルイ</rt></ruby>第十四世の寵愛が、メントノン公爵夫人の一身に<ruby><rb>萃</rb><rt>あつ</rt></ruby>まって世人の目を驚かした頃、宮中に出入をする年寄った女学士にマドレエヌ・ド・スキュデリイと云う人があった。

「労働」KARL SCHOENHERR

二人共若くて丈夫である。男はカスパル、女はレジイと云う。愛し合っている。

以上、でたらめに本をひらいて、行きあたりばったり、その書き出しの一行だけを、順序不同に並べてみましたが、どうです。うまいものでしょう。あとが読みたくなるでしょう。物語を創るなら、せめて、これくらいの書き出しから説き起してみたいものですね。最後に、ひとつ、これは中でも傑出しています。

「地震」KLEIST

チリー王国の首府サンチャゴに、千六百四十七年の大地震<ruby><rb>将</rb><rt>まさ</rt></ruby>に起らんとするおり、<ruby><rb>囹圄</rb><rt>れいぎょ</rt></ruby>の柱に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>りて立てる一少年あり。名をゼロニモ・ルジエラと云いて、<ruby><rb>西班牙</rb><rt>スペイン</rt></ruby>の産なるが、今や此世に<ruby><rb>望</rb><rt>のぞみ</rt></ruby>を絶ちて自ら<ruby><rb>縊</rb><rt>くび</rt></ruby>れなんとす。

いかがです。この<ruby><rb>裂帛</rb><rt>れっぱく</rt></ruby>の<ruby><rb>気魄</rb><rt>きはく</rt></ruby>は<ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>。いかさまクライストは大天才ですね。その第一行から、すでに天にもとどく作者の太い火柱の情熱が、私たち凡俗のものにも、あきらかに感取できるように思われます。訳者、鴎外も、ここでは<ruby><rb>大童</rb><rt>おおわらわ</rt></ruby>で、その訳文、弓のつるのように、ピンと張って見事であります。そうして、訳文の末に訳者としての解説を附して在りますが、<ruby><rb>曰</rb><rt>いわ</rt></ruby>く、「地震の一篇は<ruby><rb>尺幅</rb><rt>せきふく</rt></ruby>の間に無限の煙波を収めたる千古の傑作なり。」

けれども、私は、いま、他に語りたいものを持っているのです。この第十六巻一冊でも、以上のような、さまざまの傑作あり、宝石箱のようなものであって、まだ読まぬ人は、大急ぎで本屋に駈けつけ買うがよい、一度読んだ人は、二度読むがよい、二度読んだ人は、三度読むがよい、買うのがいやなら、借りるがよい、その第十六巻の中の、「女の決闘」という、わずか十三ページの小品について、私は、これから語ろうと思っているのです。

これは、いかにも不思議な作品であります。作者は、HERBERT EULENBERG\. もちろん無学の私は、その作者を存じて居りません。巻末の解説にも、その作者に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いては、何も記されて在りません。もっとも解説者は小島政二郎氏であって、小島氏は、小説家としては私たちの先輩であり、その人の「新居」という短篇集を、私が中学時代に愛読いたしました。誠実にこの鴎外全集を<ruby><rb>編纂</rb><rt>へんさん</rt></ruby>なされて居られるようですが、如何にせんドイツ語ばかりは苦手の御様子で、その点では、失礼ながら私と五十歩百歩の無学者のようであります。なんにも解説して居りません。これがまた小島氏の謙遜の御態度であることは明らかで、へんに「書見いたそうか」式の学者の態度をおとりにならないところに、この編纂者のよさもあるのですが、やはり、ちょっと字典でも調べて原作者の人となりを伝えて下さったほうが、私のような不勉強家には、何かと便利なように思われます。とにかく、そんなに名高くない作者にちがいない。十九世紀、ドイツの作家。それだけ、覚えて置けばいいのでしょう。友人で、ドイツ文学の教授がありますけれど、この人に尋ねたら、知らんという。ALBERT EULENBERG ではないか、あるいは、ALBRECHT EULENBERG の間違いではないかという。いや、たしかに HERBERT だ、そんなに有名な作家でもないようだから、ちょっと人名字典か何かで調べてみて<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れ、と重ねてたのみました。手紙で返事を寄こして、僕、<ruby><rb>寡聞</rb><rt>かぶん</rt></ruby>にして、ヘルベルト・オイレンベルグを知りませず、恥じている。マイヤーの大字典にも出て居りませぬし、有名な作家ではないようだ。文学字典から次の事を知りました、と親切に、その人の著作年表をくわしく書いて送って下さったが、どうも、たいしたことは無い。いっこうに聞いたことも無いような作品ばかり書いている。つまり、こういうことになります。「女の決闘」の作者、HERBERT EULENBERG は、十九世紀後半のドイツの作家、あまり有名でない。日本のドイツ文学の教授も、字典を引かなければ、その名を知る<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>わず、むかし森鴎外が、かれの不思議の才能を愛して、その短篇、「塔の上の鶏」および「女の決闘」を訳述せり。

作者に就いては、それくらいの知識でたくさんでしょう。もっとくわしく書いたって、すぐ忘れてしまうのでは、なんにもなりませんから。この作品は、鴎外に<ruby><rb>依</rb><rt>よ</rt></ruby>って訳され、それから、なんという雑誌に発表されたかは、一切不明であるという。のち「<ruby><rb>蛙</rb><rt>かえる</rt></ruby>」という単行本に、ひょいと顔を出して来たのである。鴎外全集の編纂者も、ずいぶん尋ねまわられた様子であるが、「どうしても分らない。御垂教を得れば<ruby><rb>幸甚</rb><rt>こうじん</rt></ruby>である。」と巻末に附記して在る。私が、それを知っていると面白いのであるが、知る筈がない。君だって知るまい。笑っちゃいけない。

不思議なのは、そんなことに在るのでは無い。不思議は、作品の中に在るのである。私は、これから六回、このわずか十三ページの小品をめぐって、さまざまの試みをしてみるつもりなのであるが、これが<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>し HOFFMANN や KLEIST ほどの大家なら、その作品に対して、どんな註釈もゆるされまい。日本にも、それら大家への熱愛者が五万といるのであるから、私が、その作品を下手にいじくりまわしたならば、たちまち殴り倒されてしまうであろう。めったなことは言われぬ。それが HERBERT さんだったら、かえって私が、埋もれた天才を掘り出したなどと、ほめられるかも知れないのだから、ヘルベルトさんも気の毒である。この作家だって、当時本国に於いては、大いに流行した人にちがいない。こちらが無学で、それを知らないだけの話である。

事実、作品に依れば、その描写の的確、心理の微妙、神への強烈な凝視、すべて、まさしく一流中の一流である。ただ少し、構成の投げやりな点が、かれを第二のシェクスピアにさせなかった。とにかく、これから、諸君と一緒に読んでみましょう。

女の決闘

古来例の無い、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。

ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。<ruby><rb>宛名</rb><rt>あてな</rt></ruby>も何も書いて無い。「あなたの御関係なすってお出でになる男の事を、或る偶然の機会で承知しました。その手続はどうでも好いことだから、申しません。わたくしはその男の妻だと、只今まで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄を推察して、こう思います。あなたは決して自分のなすった事の<ruby><rb>成行</rb><rt>なりゆき</rt></ruby>がどうなろうと、その成行のために、前になすった事の<ruby><rb>責</rb><rt>せめ</rt></ruby>を負わない方ではありますまい。又あなたは御自分に対して侮辱を加えた事の無い第三者を侮辱して置きながら、その責を逃れようとなさる方でも決してありますまい。わたくしはあなたが、たびたび拳銃で射撃をなさる事を承っています。わたくしはこれまで武器と云うものを手にした事がありませんから、あなたのお腕前がどれだけあろうとも、拳銃射撃は、わたくしよりあなたの方がお上手だと信じます。

だから、わたくしはあなたに要求します。それは明日午前十時に、下に書き記してある停車場へ拳銃御持参で、お出で下されたいと申す事です。この要求を致しますのに、わたくしの方で対等以上の利益を有しているとは申されません。わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連れにならないように希望いたします。<ruby><rb>序</rb><rt>つい</rt></ruby>でながら申しますが、この事件に就いて、前<ruby><rb>以</rb><rt>もっ</rt></ruby>て問題の男に打明ける必要は無いと信じます。その男にはわたくしが好い加減な事を申して、今明日の間、遠方に参っていさせるように致しました。」

この文句の次に、出会う筈の場所が明細に書いてある。名前はコンスタンチェとして、その下に書いた<ruby><rb>苗字</rb><rt>みょうじ</rt></ruby>を読める位に消してある。

第二

前回は、「その下に書いた苗字を読める位に消してある。」というところ迄でした。その一句に、<ruby><rb>匂</rb><rt>にお</rt></ruby>わせて在る心理の微妙を、私は、くどくどと説明したくないのですが、読者は各々勝手に味わい楽しむがよかろう。なかなか、ここは、いいところなのであります。また、<ruby><rb>劈頭</rb><rt>へきとう</rt></ruby>の手紙の全文から立ちのぼる女の「なま」な憎悪感に就いては、原作者の芸術的手腕に感服させるよりは、直接に現実の<ruby><rb>生</rb><rt>なま</rt></ruby>ぐさい迫力を感じさせるように出来ています。このような趣向が、果して芸術の正道であるか邪道であるか、それについてはおのずから種々の論議の発生すべきところでありますが、いまはそれに触れず、この不思議な作品の、もう少しさきまで読んでみることに致しましょう。どうしても、この原作者が、目前に遂行されつつある怪事実を、新聞記者みたいな冷い心でそのまま書き写しているとしか思われなくなって来るのであります。すぐつづけて、

『この手紙を書いた女は、手紙を出してしまうと、直ぐに町へ行って、銃を売る店を尋ねた。そして<ruby><rb>笑談</rb><rt>じょうだん</rt></ruby>のように、軽い、好い拳銃を買いたいと云った。それから段々話し込んで、<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>に<ruby><rb>尾鰭</rb><rt>おひれ</rt></ruby>を付けて、<ruby><rb>賭</rb><rt>かけ</rt></ruby>をしているのだから、拳銃の打方を教えてくれと頼んだ。そして店の主人と一しょに、裏の陰気な中庭へ出た。そのとき女は、背後から拳銃を持って付いて来る主人と同じように、笑談らしく笑っているように努力した。

中庭の側には活版所がある。それで中庭に<ruby><rb>籠</rb><rt>こも</rt></ruby>っている空気は鉛の匂いがする。この辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの<ruby><rb>硝子</rb><rt>ガラス</rt></ruby>の背後にも、物珍らしげに、好い気味だと云うような顔をして、<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園に続いていて、そこに大きく開いた黒目のような、<ruby><rb>的</rb><rt>まと</rt></ruby>が立ててある。それを見たとき女の顔は火のように赤くなったり、灰のように白くなったりした。店の主人は子供に物を言って聞かせるように、引金や、弾丸を込める所や、筒や、照尺をいちいち見せて、射撃の<ruby><rb>為方</rb><rt>しかた</rt></ruby>を教えた。弾丸を込める所は、一度射撃するたびに、おもちゃのように、くるりと廻るのである。それから女に拳銃を渡して、始めての射撃をさせた。

女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたのに、内内二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。そのとき耳が、がんと云った。弾丸は三歩ほど前の地面に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>って、<ruby><rb>弾</rb><rt>はじ</rt></ruby>かれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>の間、一層暗くした。

<ruby><rb>聾</rb><rt>つんぼ</rt></ruby>になったように平気で、女はそれから一時間程の間、矢張り二本の指を引金に掛けて引きながら射撃の<ruby><rb>稽古</rb><rt>けいこ</rt></ruby>をした。一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、その癖その匂いを好きな匂いででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐ跡の六発の弾丸を込めて渡した。

夕方であったが、夜になって、的の黒白の輪が一つの灰色に見えるようになった時、女はようよう稽古を<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>めた。今まで逢った事も無いこの男が、女のためには古い親友のように思われた。

「この位稽古しましたら、そろそろ人間の猟をしに出掛けられますでしょうね。」と笑談のようにこの男に言ったらこの場合に適当ではないかしら、と女は考えたが、手よりは声の方が余計に<ruby><rb>顫</rb><rt>ふる</rt></ruby>えそうなのでそんな事を言うのは止しにした。そこで金を払って、礼を云って店を出た。

例の出来事を発明してからは、まだ少しも眠らなかったので、女はこれで安心して寝ようと思って、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>った。』

ここらで私たちも一休みしましょう。どうです。少しでも小説を読み馴れている人ならば、すでに、ここまで読んだだけでこの小説の描写の、どこかしら異様なものに、気づいたことと思います。一口で言えば、「冷淡さ」であります。失敬なくらいの、「そっけなさ」であります。何に対して失敬なのであるか、と言えば、それは、「目前の事実」に対してであります。目前の事実に対して、あまりにも的確の描写は、読むものにとっては、かえって、いやなものであります。殺人、あるいはもっとけがらわしい犯罪が起り、其の現場の見取図が新聞に出ることがありますけれど、奥の六畳間のまんなかに、その殺された婦人の形が、てるてる坊主の姿で小さく描かれて在ることがあります。ご存じでしょう？　あれは、実にいやなものであります。やめてもらいたい、と言いたくなるほどであります。あのような赤裸々が、この小説の描写の、どこかに感じられませんか。この小説の描写は、はッと思うくらいに的確であります。もう、いちど読みかえして下さい。中庭の側には活版所があるのです。私の貧しい作家の勘で以てすれば、この活版所は、たしかに、そこに在ったのです。この原作者の空想でもなんでもないのです。そうして、たしかに、その辺の家の窓は、ごみで茶色に染まっているのであります。抜きさしならぬ現実であります。そうして一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くしたというのも、まさに、そのとおりで、原作者は、女のうしろに立ってちゃんと見ていたのであります。なんだか、薄気味悪いことになりました。その小説の描写が、<ruby><rb>怪</rb><rt>け</rt></ruby>しからぬくらいに<ruby><rb>直截</rb><rt>ちょくせつ</rt></ruby>である場合、人は<ruby><rb>感服</rb><rt>かんぷく</rt></ruby>と共に、一種不快な疑惑を抱くものであります。うま過ぎる。淫する。神を冒す。いろいろの言葉があります。描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写を為した作者の<ruby><rb>人柄</rb><rt>ひとがら</rt></ruby>に対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私（DAZAI）の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。

私は、この「女の決闘」という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢できぬ不愉快さを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となった。この小品の原作者は、この作品を書く時、特別に悪い心境に在ったのでは無いかと、<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る失礼な疑惑をさえ感じたのであります。悪い心境ということについては二つの仮説を設けることが出来ます。一つは原作者がこの小説を書くとき、たいへん疲れて居られたのではないかという<ruby><rb>臆測</rb><rt>おくそく</rt></ruby>であります。人間は肉体の疲れたときには、人生に対して、また現実生活に対して、非常に不機嫌に、ぶあいそになるものであります。この「女の決闘」という小説の書き出しはどんなであったでしょうか。私はここでそれを繰返すことは致しませんが、前回の分をお読みになった読者はすぐに思い出すことが出来るだろうと思います。いわば、ぶんなぐる口調で書いてあります。ふところ手をして、おめえに知らせてあげようか、とでもいうようなたいへん思いあがった書き出しでありました。だいいち、この事件の起ったとき、すなわち年号、（外国の作家はどんなささやかな事件を叙述するにあたっても必ず年号をいれる傾向があるように思われます。）それから、場所、それについても何も語っていなかったではありませんか。「ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、」というような頗る不親切な記述があったばかりで、他はどの頁をひっくり返してみても、地理的なことはなんにも書かれてありません。実にぶっきらぼうな態度であります。作者が肉体的に疲労しているときの描写は必ず人を叱りつけるような、場合によっては、怒鳴りつけるような趣きを呈するものでありますが、それと同時に実に<ruby><rb>辛辣</rb><rt>しんらつ</rt></ruby>無残の形相をも、ふいと表白してしまうものであります。人間の本性というものは或いはもともと冷酷無残のものなのかも知れません。肉体が疲れて意志を失ってしまったときには、<ruby><rb>鎧袖一触</rb><rt>がいしゅういっしょく</rt></ruby>、修辞も何もぬきにして、<ruby><rb>袈裟</rb><rt>けさ</rt></ruby>がけに人を抜打ちにしてしまう場合が多いように思われます。悲しいことですね。この「女の決闘」という小品の描写に、時々はッと思うほどの、憎々しいくらいの容赦なき箇所の在ることは、<ruby><rb>慧眼</rb><rt>けいがん</rt></ruby>の読者は、既にお気づきのことと思います。作者は疲れて、人生に対して、また現実のつつましい営みに対して、たしかに乱暴の感情表示をなして居るという事は、あながち私の過言でもないと思います。

もう一つ、これは甚だロマンチックの仮説でありますけれども、この小説の描写に於いて見受けられる作者の異常な憎悪感は、（的確とは、憎悪の一変形でありますから、）直接に、この作中の女主人公に対する抜きさしならぬ感情から出発しているのではないか。すなわち、この小説は、徹底的に事実そのままの資料に<ruby><rb>拠</rb><rt>よ</rt></ruby>ったもので、しかも原作者はその事実発生したスキャンダルに決して他人ではなかった、という興味ある仮説を引き出すことが出来るのであります。更に明確にぶちまけるならば、この小品の原作者 HERBERT EULENBERG さん御自身こそ、作中の女房コンスタンチェさんの御亭主であったという恐るべき秘密の匂いを<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎ出すことが出来るのであります。すれば、この作品の描写に於ける、（<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>にもその女主人公のわななきの有様を描写するに当っての、）冷酷きわまる、それゆえにまざまざ的確の、作者の厭な眼の説明が残りなく出来ると私は思います。

もとよりこれは嘘であります。ヘルベルト・オイレンベルグさんは、そんな愚かしい家庭のトラブルなど惹き起したお方では無いのであります。この小品の不思議なほどに的確な描写の拠って来るところは、恐らくは第一の仮説に尽くされてあるのではないかと思います。それは間違いないのでありますが、けれども、ことさらに第二の嘘の仮説を設けたわけは、私は今のこの場合、しかつめらしい名作鑑賞を行おうとしているのではなく、ヘルベルトさんには失礼ながら眼をつぶって貰って、この「女の決闘」という小品を土台にして私が、全く別な物語を試みようとしているからであります。ヘルベルトさんには全く失礼な態度であるということは判っていながら、つまり「尊敬しているからこそ甘えて失礼もするのだ。」という昔から世に行われているあのくすぐったい作法のゆえに、許していただきたいと思うのであります。

さて、それでは今回は原作をもう少し先まで読んでみて、それから原作に足りないところを私が、<ruby><rb>傲慢</rb><rt>ごうまん</rt></ruby>のようでありますが、たしかに傲慢のわざなのでありますが、少し補筆してゆき、いささか興味あるロマンスに組立ててみたいと思っています。この原作に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>てはこれからさき少しお読みになれば判ることでありますが、女房コンスタンチェひとり、その人についての描写に終始して居り、その亭主ならびに、その亭主の浮気の相手のロシヤ医科大学の女学生については、殆んど言及して在りません。私は、その亭主を、（乱暴な企てでありますが、）仮にこの小品の作者御自身と無理矢理きめてしまって、いわば女房コンスタンチェの私は唯一の味方になり、原作者が女房コンスタンチェを、このように無残に冷たく描写している、その復讐として、若輩ちから及ばぬながら、次回より<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>う限り意地わるい描写を、やってみるつもりなのであります。それでは今回は次に一頁ほど原作者の記述をコピイして、それからまた私の、亭主と女学生についての描写をもせいぜい細かくお目に懸けることに致しましょう。女房コンスタンチェが決闘の前夜、冷たいピストルを抱いて寝て、さてその翌朝、いよいよ前代未聞の女の決闘が開始されるのでありますが、それについて原作者 EULENBERG が、れいの心憎いまでの<ruby><rb>怜悧</rb><rt>れいり</rt></ruby>無情の心で次のように述べてあります。これを少し読者に読んでいただき、次回から私（DAZAI）のばかな空想も聞いていただきたく思います。女房は、六連発の拳銃を抱いて、床の中へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>りました。さて、その翌朝、原作は次のようになって居ります。

『翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場は寂しく、平地に立てられている。定木で引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先の地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の、黄いろみ掛かった畑を隔てて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の方には沙地に草の生えた原が、眠そうに広がっている。

二人の百姓は、町へ出て物を売った帰りと見えて、停車場に附属している料理店に坐り込んで祝杯を挙げている。

そこで女二人だけ黙って並んで歩き出した。女房の方が道案内をする。その道筋は軌道を越して野原の方へ這入り込む。この道は暗緑色の草が殆ど土を隠す程茂っていて、その上に荷車の通った輪の跡が二本走っている。

薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気な平地に<ruby><rb>聳</rb><rt>そび</rt></ruby>えている。丁度森が<ruby><rb>歩哨</rb><rt>ほしょう</rt></ruby>を出して、それを引っ込めるのを忘れたように見える。そこここに、低い、片羽のような、病気らしい<ruby><rb>灌木</rb><rt>かんぼく</rt></ruby>が、伸びようとして伸びずにいる。

二人の女は黙って並んで歩いている。まるきり言語の通ぜぬ外国人同士のようである。いつも女房の方が一足先に立って行く。多分そのせいで、女学生の方が、何か言ったり、問うて見たりしたいのを<ruby><rb>堪</rb><rt>こら</rt></ruby>えているかと思われる。

遠くに見えている<ruby><rb>白樺</rb><rt>しらかば</rt></ruby>の白けた森が、次第にゆるゆると近づいて来る。手入をせられた事の無い、<ruby><rb>銀鼠色</rb><rt>ぎんねずいろ</rt></ruby>の小さい木の幹が、勝手に曲りくねって、髪の乱れた頭のような枝葉を戴いて、一塊になっている。そして小さい葉に風を受けて、互に<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>き合っている。』

第三

女学生は一こと言ってみたかった。「私はあの人を愛していない。あなたはほんとに愛しているの。」それだけ言ってみたかった。腹がたってたまらなかった。ゆうべ学校から疲れて帰り、さあ、けさ冷しておいたミルクでも飲みましょう、と汗ばんだ<ruby><rb>上衣</rb><rt>うわぎ</rt></ruby>を脱いで卓のうえに置いた、そのとき、あの無智な馬鹿らしい手紙が、その卓のうえに白くひっそり載っているのを見つけたのだ。私の室に無断で入って来たのに違いない。ああ、この奥さんは狂っている。手紙を読み終えて、私はあまりの馬鹿らしさに笑い出した。まったく黙殺ときめてしまって、手紙を二つに裂き、四つに裂き、八つに裂いて紙屑入れに、ひらひら落した。そのとき、あの人が異様に<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>ざめて、いきなり部屋に入って来たのだ。

「どうしたの。」

「見つかった、感づかれた。」あの人は無理に笑ってみせようと努めたようだが、ひくひく右の頬がひきつって、あの人の特徴ある犬歯がにゅっと出ただけのことである。

私はあさましく思い、「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘を申込んで来ました。」あの人は、「そうか、やっぱりそうか。」と落ちつきなく部屋をうろつき、「あいつはそんな無茶なことをやらかして、おれの声名に傷つけ、心からの復讐をしようとしている。変だと思っていたのだ。ゆうべ、おれに、いつにないやさしい口調で、あなたも今月はずいぶん、お仕事をなさいましたし、気休めにどこか<ruby><rb>田舎</rb><rt>いなか</rt></ruby>へ遊びにいらっしゃい。お金も今月はどっさり余分にございます。あなたのお疲れのお顔を見ると、私までなんだか苦しくなります。この頃、私にも少しずつ、芸術家の<ruby><rb>辛苦</rb><rt>しんく</rt></ruby>というものが、わかりかけてまいりました。と、そんなことをぬかすので、おれも、ははあ、これは何かあるな、と感づき、何食わぬ顔して、それに同意し、今朝、旅行に出たふりしてまた引返し、家の中庭の隅にしゃがんで看視していたのだ。夕方あいつは家を出て、<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby><ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>で、誰から聞いて知っていたのか、お前のこの下宿へ真直にやって来て、おかみと何やら話していたが、やがて出て来て、こんどは下町へ出かけ、ある店の飾り窓の前に、ひたと吸いついて動かなんだ。その飾り窓には、<ruby><rb>野鴨</rb><rt>のがも</rt></ruby>の<ruby><rb>剥製</rb><rt>はくせい</rt></ruby>やら、鹿の角やら、いたちの毛皮などあり、私は遠くから見ていたのであるが、はじめは何の店やら判断がつかなかった。そのうちに、あいつはすっと店の中へ入ってしまったので、私も安心して、その店に近づいて見ることが出来たのだが、なんと驚いた、いや驚いたというのは嘘で、ああそうか、というような合点の気持だったのかな？　野鴨の剥製やら、鹿の角やら、いたちの毛皮に飾られて、十数挺の猟銃が黒い銃身を鈍く光らせて、飾り窓の下に沈んで横になっていた。拳銃もある。私には皆わかるのだ。人生が、このような黒い銃身の光と、じかに結びつくなどは、ふだんはとても考えられぬことであるが、その時の私のうつろな絶望の胸には、とてもリリカルにしみて来たのだ。銃身の黒い光は、これは、いのちの最後の詩だと思った。パアンと店の裏で拳銃の音がする。つづいて、又一発。私は危く涙を落しそうになった。そっと店の扉を開け、内を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>っても、店はがらんとして誰もいない。私は入った。相続く銃声をたよりに、ずんずん奥へすすんだ。みると薄暮の中庭で、女房と店の主人が並んで立って、今しも女房が主人に教えられ、最初の一発を的に向ってぶっ放すところであった。女房の拳銃は火を放った。けれども弾丸は、三歩程前の地面に当り、はじかれて、窓に当った。窓ガラスはがらがらと鳴ってこわれ、どこか屋根の上に隠れて止っていた一群の鳩が驚いて飛立って、たださえ暗い中庭を、さっと一層暗くした。私は再び涙ぐむのを覚えた。あの涙は何だろう。憎悪の涙か、恐怖の涙か。いやいや、ひょっとしたら女房への<ruby><rb>不憫</rb><rt>ふびん</rt></ruby>さの涙であったかも知れないね。とにかくこれでわかった。あれはそんな女だ。いつでも冷たく忍従して、そのくせ、やるとなったら、世間を顧慮せずやりのける。ああ、おれはそれを頼もしい性格と思ったことさえある！　<ruby><rb>芋</rb><rt>いも</rt></ruby>の<ruby><rb>煮付</rb><rt>につけ</rt></ruby>が上手でね。今は危い。お前さんが殺される。おれの生れてはじめての恋人が殺される。もうこれが、私の生涯で唯一の女になるだろう、その大事な人を、その人をあれがいま殺そうとしている。おれは、そこまで見届けて、いま、お前さんのとこへ駈込んで来た。お前は――」「それは御苦労さまでした。生れてはじめての恋人だの、唯一の宝だの、それは一体なんのことです。所詮は、あなた芸術家としてのひとり合点、ひとりでほくほく享楽しているだけのことではないの。<ruby><rb>気障</rb><rt>きざ</rt></ruby>だねえ。お止しなさい。私はあなたを愛していない。あなたはどだい美しくないもの。私が少しでも、あなたに関心を持っているとしたら、それはあなたの特異な職業に対してであります。市民を<ruby><rb>嘲</rb><rt>あざけ</rt></ruby>って芸術を売って、そうして、市民と同じ生活をしているというのは、なんだか私には、不思議な生物のように思われ、私はそれを探求してみたかったという、まあ、<ruby><rb>理窟</rb><rt>りくつ</rt></ruby>を言えばそうなるのですが、でも結局なんにもならなかった。なんにも無いのね。めちゃめちゃだけが在るのね。私は科学者ですから、不可解なもの、わからないものには<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれるの。それを知り極めないと死んでしまうような心細さを覚えます。だから私はあなたに惹かれた。私には芸術がわからない。私には芸術家がわからない。何かあると思っていたの。あなたを愛していたんじゃないわ。私は今こそ芸術家というものを知りました。芸術家というものは弱い、てんでなっちゃいない大きな低能児ね。それだけのもの、つまり智能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの？　<ruby><rb>無垢</rb><rt>むく</rt></ruby>とは泣虫のことなの？　あああ、何をまた、そんな<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>い顔をして、私を見つめるの。いやだ。帰って下さい。あなたは頼りにならないお人だ。いまそれがわかった。驚いて度を失い、ただうろうろして見せるだけで、それが芸術家の純粋な、<ruby><rb>所以</rb><rt>ゆえん</rt></ruby>なのですか。おそれいりました。」と、私は自分ながら、あまり、筋の通ったこととも思えないような<ruby><rb>罵言</rb><rt>ばげん</rt></ruby>をわめき散らして、あの人をむりやり、扉の外へ押し出し、ばたんと扉をしめて錠をおろした。

粗末な夕食の支度にとりかかりながら、私はしきりに味気なかった。男というものの、のほほん顔が、腹の底から<ruby><rb>癪</rb><rt>しゃく</rt></ruby>にさわった。一体なんだというのだろう。私は、たまには、あの人からお金を貰った。冬の手袋も買ってもらった。もっと恥ずかしい内輪のものをさえ買ってもらった。けれどもそれが一体どうしたというのだ。私は貧しい医学生だ。私の研究を助けてもらうために、ひとりのパトロンを見つけたというのは、これはどうしていけないことなのか。私には父も無い、母も無い。けれども、血筋は貴族の血だ。いまに叔母が死ねば遺産も貰える。私には私の<ruby><rb>誇</rb><rt>ほこり</rt></ruby>があるのだ。私はあの人を愛していない。愛するとは、もっと別な、母の気持も含まれた、血のつながりを感じさせるような、特殊の感情なのではなかろうか。私は、あの人を愛していない。科学者としての私の道を、はじめからひとりで歩いていたつもりなのに、どうしてこう突然に、失敬な、いまわしい決闘の申込状やら、また四十を越した立派な男子が、泣きべそをかいて私の部屋にとびこんで来たり、まるで、私ひとりがひどい罪人であるかのように扱われている。私にはわからない。

ひとりで貧しい食事をしたため、葡萄酒を二杯飲んだ。食後の<ruby><rb>倦怠</rb><rt>けんたい</rt></ruby>は、人を、「どうとも勝手に」という、ふてぶてしい思いに落ちこませるものである。決闘ということが、何だか、食後の運動くらいの軽い動作のように思われて来た。やってみようかなあ。私は殺される<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>がない。あの男の話によれば、先方の女は、今日はじめて、拳銃の稽古をしていたというではないか。私は学生<ruby><rb>倶楽部</rb><rt>クラブ</rt></ruby>で、何時でも射撃の最優勝者ではなかったか。馬に乗りながらでも十発九中。殺してやろう、私は侮辱を受けたのだ。この町では決闘は、<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>し、それが正当のものであったなら、役人から受ける刑罰もごく軽く、別に名誉を損ずるほどのことにならぬと聞いていた。私の歩いている道に、少しでも、うるさい毛虫が這い寄ったら、私はそれを杖でちょいと除去するのが当然の事だ。私は若くて美しい。いや美しくはないけれど、でも、ひとりで生き抜こうとしている若い女性は、あんな下らない芸術家に恋々とぶら下り、私に半狂乱の決闘状など突きつける女よりは、きっと美しいに相違ない。そうだ、それは瞳の問題だ。いやもう、これはなかなか大変な<ruby><rb>奢</rb><rt>おご</rt></ruby>りの気持になったものだ。どれ、公園を散歩して来ましょう。私の下宿のすぐ裏が、小さい公園で、亀の子に似た怪獣が、天に向って一筋高く水を吹上げ、その噴水のまわりは池で、東洋の金魚も泳いでいる。ペエトル一世が、王女アンの結婚を祝う意味で、全国の町々に、このような小さい公園を<ruby><rb>下賜</rb><rt>かし</rt></ruby>せられた。この東洋の金魚も、王女アンの貴い玩具であったそうな。私はこの小さい公園が好きだ。<ruby><rb>瓦斯燈</rb><rt>ガスとう</rt></ruby>に大きい<ruby><rb>蛾</rb><rt>が</rt></ruby>がひとつ、ピンで留められたようについている。ふと見ると、ベンチにあの人がいる。私の散歩の癖を知っているから、ここで待ち伏せていたのであろう。私は、いまは気楽に近寄り、「さきほどは御免なさい。大きな白痴。」お馬鹿さんなどという愛称は、私には使えない。「あした決闘を見においで。私が奥さんを殺してあげる。いやなら、あなたのお家にじっとひそんで、奥さんのお帰りを待っていなさい。見に来なければ、奥さんを無事に帰してあげるわよ。」そう言ったとき、あの人はなんと答えたか。世にもいやしい笑いを満面に<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>え、ふいとその笑いをひっこめ、しらじらしい顔して、「え、なんだって？　わけの分らんことをお前さんは言ったね。」そう言い捨てて、立ち去ったのである。私にはわかっている。あの人は、私に、自分の女房を殺して貰いたいのだ。けれども、それを、すこしも口に出して言いたくなし、また私の口からも聞いたことがないというようにして置きたかった。それは、あとあと迄、あの人の名誉を守るよすがともなろう。女二人に争われて、自分は全く知らぬ間に、女房は殺され、情婦は生きた。ああ、そのことは、どんなに芸術家の白痴の虚栄を満足させる事件であろう。あの人は、生き残った私に、そうして罪人の私に、こんどは<ruby><rb>憐憫</rb><rt>れんびん</rt></ruby>をもって、いたわりの手をさしのべるという形にしたいのだ。見え透いている。あんな意気地無しの卑屈な怠けものには、そのような醜聞が何よりの御自慢なのだ。そうして顔をしかめ、髪をかきむしって、友人の前に告白のポオズ。ああ、おれは苦しい、と。あの人の夜霧に没する痩せたうしろ姿を見送り、私は両肩をしゃくって、くるりと廻れ右して、下宿に帰って来た。なにがなしに悲しい。女性とは、所詮、ある窮極点に立てば、女性同士で抱きあって泣きたくなるものなのか。私は自身を不憫なものとは思わない。けれども、あの人の女房が急に不憫になって来た。いたわり合わなければならぬ間柄ではなかろうか。まだ見ぬ相手の女房への共感やら、憐憫やら、同情やら、何やらが、ばたばた、大きい鳥の翼のように、私の胸を叩くのだ。私は窓を開け放ち、星空を眺めながら、五杯も六杯も葡萄酒を飲んだ。ぐるぐる眼が廻って、ああ、星が降るようだ。そうだ。あの人はきっと決闘を見に来る。私達のうしろについて来る。見に来たらば、女房を殺してあげると私は先刻言ったのだから。あの人は樹の幹に隠れて見ているに違いない。そうして私に、ここで見ているという知らせのつもりで軽く<ruby><rb>咳</rb><rt>せき</rt></ruby>ばらいなどするかも知れない。いきなり、その幹のかげの男に向って発砲しよう。愚劣な男は死ぬがよい。それにきまった。私はどさんと、ぶっ倒れるようにベッドに寝ころがった。おやすみなさい、コンスタンチェ。（コンスタンチェとは女房の名である。）

あくる日、二人の女は、陰鬱な灰色の空の下に小さく寄り添って歩いている。黙って並んで歩いている。女学生はさっきから、一言聞いてみたかった。あなたはあの人を愛しているの？　ほんとうに愛しているの？　けれども、相手の女は、まるで一匹のたくましい雌馬のように、鼻孔をひろげて、荒い息を吐き吐き、せっせと歩いて、それに追いすがる女学生を振払うように、ただ急ぎに急ぐのである。女学生は、女房のスカアトの<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>から露出する骨張った脚を見ながら、次第にむかむか嫌悪が生じる。「あさましい。理性を失った女性の姿は、どうしてこんなに動物の臭いがするのだろう。汚い。下等だ。毛虫だ。助けまい。あの男を撃つより先に、やはりこの女と、私は憎しみをもって勝敗を決しよう。あの男が<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>へ来ているか、どうか、私は知らない。見えないようだ。どうでもよい。いまは目前の、このあさはかな、取乱した下等な雌馬だけが問題だ。」二人の女は黙ってせっせと歩いている。女学生がどんなに急いで歩いても、いつも女房の方が一足先に立って行く。遠くに見えている白樺の森が次第にゆるゆると近づいて来る。あの森が、約束の地点だ。（以上 DAZAI）

すぐつづけて原作は、

『この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。その様子が今まで人に追い掛けられていて、この時決心して自分を追い掛けて来た人に向き合うように見えた。

「お互に六発ずつ打つ事にしましょうね。あなたがお先へお打ちなさい。」

「ようございます。」

二人の交えた会話はこれだけであった。

女学生ははっきりした声で数を読みながら、十二歩歩いた。そして女房のするように、一番はずれの白樺の幹に並んで、相手と向き合って立った。

周囲の草原はひっそりと眠っている。停車場から<ruby><rb>鐸</rb><rt>すず</rt></ruby>の音が、ぴんぱんぴんぱんと云うように聞える。丁度時計のセコンドのようである。セコンドや時間がどうなろうと、そんな事は、もうこの二人には用が無いのである。女学生の立っている右手の方に浅い<ruby><rb>水溜</rb><rt>みずたまり</rt></ruby>があって、それに空が白く映っている。それが草原の中に牛乳をこぼしたように見える。白樺の木どもは、これから起って来る、珍らしい出来事を見ようと思うらしく、互に<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り寄って、<ruby><rb>頸</rb><rt>くび</rt></ruby>を長くして、声を立てずに見ている。』見ているのは、白樺の木だけではなかった。二人の女の影のように、いつのまにか、白樺の幹の<ruby><rb>蔭</rb><rt>かげ</rt></ruby>にうずくまっている、れいの下等の芸術家。

ここで一休みしましょう。最後の一行は、私が附け加えました。

おそろしく不器用で、赤面しながら、とにかく私が、女学生と亭主の側からも、少し書いてみました。甚だ概念的で、また甘ったるく、原作者オイレンベルグ氏の緊密なる写実を汚すこと、おびただしいものであることは私も承知して居ります。けれども、原作は前回の結尾からすぐに、『この森の直ぐ背後で、女房は突然立ち留まった。云々。』となっているのでありますが、その間に私の<ruby><rb>下手</rb><rt>へた</rt></ruby>な<ruby><rb>蛇足</rb><rt>だそく</rt></ruby>を挿入すると、またこの「女の決闘」という小説も、全く別な廿世紀の生々しさが出るのではないかと思い、実に大まかな通俗の言葉ばかり大胆に採用して、書いてみたわけであります。廿世紀の写実とは、あるいは概念の肉化にあるのかも知れませんし、一概に、甘い大げさな形容詞を<ruby><rb>排斥</rb><rt>はいせき</rt></ruby>するのも当るまいと思います。人は世俗の借金で自殺することもあれば、また概念の無形の恐怖から自殺することだってあるのです。決闘の次第は次回で述べます。

第四

決闘の勝敗の次第をお知らせする前に、この女ふたりが拳銃を構えて<ruby><rb>対峙</rb><rt>たいじ</rt></ruby>した可憐陰惨、また奇妙でもある光景を、<ruby><rb>白樺</rb><rt>しらかば</rt></ruby>の幹の蔭にうずくまって見ている、れいの下等の芸術家の心懐に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いて考えてみたいと思います。私はいま仮にこの男の事を下等の芸術家と呼んでいるのでありますが、それは何も、この男ひとりを限って、下等と呼んでいるのでは無くして、芸術家全般がもとより下等のものであるから、この男も何やら著述をしているらしいその罰で、下等の仲間に無理矢理、参加させられてしまったというわけなのであります。この男は、芸術家のうちではむしろ高貴なほうかも知れません。第一に、このひとは紳士であります。服装正しく、<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>も尋常で、気弱い笑顔は魅力的であります。散髪を怠らず、学問ありげな、れいの虚無的なるぶらりぶらりの歩き方をも体得して居た筈でありますし、それに何よりも<ruby><rb>泥酔</rb><rt>でいすい</rt></ruby>する程に酒を飲まぬのが、決定的にこの男を上品な紳士の部類に編入させているのであります。けれども、悲しいかな、この男もまた著述をなして居るとすれば、その外面の上品さのみを見て、油断することは出来ません。何となれば、芸術家には、殆ど例外なく、二つの哀れな悪徳が具わって在るものだからであります。その一つは、好色の念であります。この男は、よわい既に<ruby><rb>不惑</rb><rt>ふわく</rt></ruby>を越え、文名やや高く、可憐無邪気の恋物語をも創り、<ruby><rb>市井</rb><rt>しせい</rt></ruby>婦女子をうっとりさせて、汚れない清潔の性格のように思われている様子でありますが、内心はなかなか、そんなものではなかったのです。初老に近い男の、好色の念の<ruby><rb>熾烈</rb><rt>しれつ</rt></ruby>さに就いて諸君は考えてみたことがおありでしょうか。或る程度の地位も得た、名声さえも得たようだ、得てみたら、つまらない、なんでもないものだ、日々の暮しに困らぬ程の財産もできた、自分のちからの限度もわかって来た、まあ、こんなところかな？　この上むりして努めてみたって、たいしたことにもなるまい、こうして段々老いてゆくのだ、と気がついたときは、人は、せめて今いちどの冒険に、あこがれるようにならぬものであろうか。ファウストは、この人情の機微に就いて、わななきつつ書斎で独語しているようであります。ことにも、それが芸術家の場合、黒煙<ruby><rb>濛々</rb><rt>もうもう</rt></ruby>の<ruby><rb>地団駄</rb><rt>じだんだ</rt></ruby>踏むばかりの焦躁でなければなりません。芸術家というものは、例外なしに生れつきの好色人であるのでありますから、その渇望も極度のものがあるのではないかと、笑いごとでは無しに考えられるのであります。殊にも、この男は紅毛人であります。紅毛人の I love you には、日本人の想像にも及ばぬ或る種の直接的な感情が含まれている様子で、「愛します」という言葉は、日本に於いてこそ<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>な精神的なものと思われているようですが、紅毛人に於いては、もっと、せっぱつまった意味で用いられているようであります。よろずに奔放で<ruby><rb>熾烈</rb><rt>しれつ</rt></ruby>であります。いいとしをして思慮分別も在りげな男が、内実は、中学生みたいな甘い<ruby><rb>咏歎</rb><rt>えいたん</rt></ruby>にひたっていることもあるのだし、たかが女学生の生意気なのに惹かれて、家も地位も投げ出し、狂乱の姿態を示すことだってあるのです。それは、日本でも、西欧でも同じことであるのですが、ことにも紅毛人に於いては、それが甚だしいように思われます。この哀れな、なんだか共感を誘う弱点に<ruby><rb>依</rb><rt>よ</rt></ruby>って、いまこの男は、二人の女の<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>についてやって来て、そうして、白樺の幹の蔭に身をかくし、息を殺して、二人の女の決闘のなりゆきを見つめていなければならなくなった。もう一つ、この男の、芸術家の通弊として避けられぬ弱点、すなわち好奇心、言葉を換えて言えば、誰も知らぬものを知ろうという虚栄、その珍らしいものを見事に表現してやろうという功名心、そんなものが、この男を、ふらふら此の決闘の現場まで引きずり込んで来たものと思われます。どうしても一匹、死なない虫がある。自身、愛慾に狂乱していながら、その狂乱の様をさえ描写しようと努めているのが、これら芸術家の宿命であります。本能であります。諸君は、藤十郎の恋、というお話をご存じでしょうか。あれは、坂田藤十郎が、芸の工夫のため、いつわって人妻に恋を仕掛けた、ということになっていますが、果して全部が偽りの<ruby><rb>口説</rb><rt>くぜつ</rt></ruby>であったかどうか、それは、わかったものじゃ無いと私は思って居ります。本当の恋を<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いている間に自身の芸術家の虫が、そろそろ頭をもたげて来て、次第にその虫の喜びのほうが増大して、満場の<ruby><rb>喝采</rb><rt>かっさい</rt></ruby>が眼のまえにちらつき、はては、愛慾も興覚めた、という解釈も成立し得ると思います。まことに芸術家の、表現に対する<ruby><rb>貪婪</rb><rt>どんらん</rt></ruby>、虚栄、喝采への渇望は、始末に困って、あわれなものであります。今、この白樺の幹の蔭に、<ruby><rb>雀</rb><rt>すずめ</rt></ruby>を狙う黒い猫みたいに全身緊張させて構えている男の心境も、所詮は、初老の甘ったるい割り切れない「恋情」と、身中の虫、芸術家としての「虚栄」との葛藤である、と私には考えられるのであります。

ああ、決闘やめろ。拳銃からりと投げ出して二人で笑え。<ruby><rb>止</rb><rt>よ</rt></ruby>したら、なんでも無いことだ。ささやかなトラブルの思い出として残るだけのことだ。誰にも知られずにすむのだ。私は二人を愛している。おんなじように愛している。可愛い。<ruby><rb>怪我</rb><rt>けが</rt></ruby>しては、いけない。やめて欲しい、とも思うのだが、さて、この男には幹の蔭から身を躍らせて二人の間に飛び込むほどの決断もつかぬのです。もう少し、なりゆきを見たいのです。男は更に考える。

発砲したからといっても、必ず、どちらかが死ぬるとはきまっていない。死ぬるどころか、双方かすり<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>一つ受けないことだって在り得る。たいてい、そんなところだろう。死ぬるなんて、並たいていの事ではない。どうして私は、事態の最悪の場合ばかり考えたがるのだろう。ああ、けさは女房も美しい。ふびんな奴だ。あいつは、私を信じすぎていたのだ。私も悪い。女房を、だましすぎていた。だますより他はなかったのだ。家庭の幸福なんて、お互い嘘の上ででも無けれあ成り立たない。いままで私は、それを信じていた。女房なんて、<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、家の道具だと信じていた。いちいち真実を<ruby><rb>吐露</rb><rt>とろ</rt></ruby>し合っていたんじゃ、やり切れない。私は、いつもだましていた。それだから女房は、いつも私を好いてくれた。真実は、家庭の敵。嘘こそ家庭の幸福の花だ、と私は信じていた。この確信に間違い無いか。私は、なんだか、ひどい思いちがいしていたのでは無いか。このとしになるまで、知らずにいた厳粛な事実が在ったのでは無いか。女房は、あれは、道具にちがいないけれど、でも、女房にとって、私は道具でなかったのかも知れぬ。もっと、いじらしい、懸命な思いで私の傍にいてくれたのかも知れない。女房は私を、だましていなかった。私は悪い。けれども、それだけの話だ。私は女房に、どんな応答をしたらいいのか。私はおまえを愛していない。けれども、それは素知らぬ振りして、一生おまえとは離れまい決心だった。平和に一緒に暮して行ける確信が私に在ったのだが、もう、今は、だめかも知れない。決闘なんて、なんという無智なことを考えたものだ！　やめろ！　と男は、白樺の蔭から一歩踏み出し、あやうく声を出しかけて、見ると、今しも二人の女が、拳銃持つ手を徐々に挙げて、発砲一瞬まえの姿勢に移りつつあったので、はっと声を呑んでしまいました。もとより、この男もただものでない。当時流行の作家であります。謂わば、眼から鼻に抜けるほどの才智を持った男であります。普通、好人物の如く醜く動転、とり乱すようなことは致しません。やるなら、やれ、と<ruby><rb>糞度胸</rb><rt>くそどきょう</rt></ruby>を据え、また白樺の蔭にひたと身を隠して、事のなりゆきを凝視しました。

やるならやれ。私の知った事でない。もうこうなれば、どっちが死んだって同じ事だ。二人死んだら<ruby><rb>尚更</rb><rt>なおさら</rt></ruby>いい。ああ、あの子は殺される。私の、可愛い不思議な生きもの。私はおまえを、女房の千倍も愛している。たのむ、女房を殺せ！　あいつは邪魔だ！　賢夫人だ。賢夫人のままで死なせてやれ。ああ、もうどうでもいい。私の知ったことか。せいぜい華やかにやるがいい、と今は全く道義を越えて、目前の異様な<ruby><rb>戦慄</rb><rt>せんりつ</rt></ruby>の光景をむさぼるように見つめていました。誰も見た事の無いものを私はいま見ている、このプライド。やがてこれを如実に描写できる、この仕合せ。ああ、この男は、恐怖よりも歓喜を、五体しびれる程の強烈な歓喜を感じている様子であります。神を恐れぬこの傲慢、痴夢、我執、人間侮辱。芸術とは、そんなに狂気じみた冷酷を必要とするものであったでしょうか。男は、冷静な写真師になりました。芸術家は、やっぱり人ではありません。その胸に、奇妙な、臭い一匹の虫がいます。その虫を、サタン、と人は呼んでいます。

発砲せられた。いまは、あさましい芸術家の下等な眼だけが動く。男の眼は、その決闘のすえ始終を見とどけました。そうして後日、高い誇りを以て、わが見たところを誤またず描写しました。以下は、その原文であります。<ruby><rb>流石</rb><rt>さすが</rt></ruby>に、古今の名描写であります。背後の男の、貪婪な観察の眼をお忘れなさらぬようにして、ゆっくり読んでみて下さい。

女学生が最初に打った。自分の技倆に信用を置いて相談に乗ったのだと云う風で、落ち着いてゆっくり発射した。<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>は女房の立っている側の白樺の幹をかすって力が無くなって地に落ちて、どこか草の間に隠れた。

その次に女房が打ったが、矢張り<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>らなかった。

それから二人で交る代る、熱心に打ち合った。銃の音は<ruby><rb>木精</rb><rt>こだま</rt></ruby>のように続いて鳴り渡った。そのうち女学生の方が先に<ruby><rb>逆</rb><rt>のぼ</rt></ruby>せて来た。そして弾丸が始終高い所ばかりを飛ぶようになった。

女房も矢張り気がぼうっとして来て、なんでももう百発も打ったような気がしている。その目には遠方に女学生の白いカラが見える。それをきのう的を狙ったように狙って打っている。その白いカラの<ruby><rb>外</rb><rt>ほか</rt></ruby>には、なんにも目に見えない。消えてしまったようである。自分の踏んでいる足下の土地さえ、あるか無いか覚えない。

突然、今自分は打ったか打たぬか知らぬのに、前に目に見えた白いカラが地に落ちた。そして外国語で何か一言云うのが聞えた。

その<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>に周囲のものが皆一塊になって見えて来た。灰色の、じっとして動かぬ大空の下の暗い草原、それから白い<ruby><rb>水潦</rb><rt>みずたまり</rt></ruby>、それから側のひょろひょろした白樺の木などである。白樺の木の葉は、この出来事をこわがっているように、風を受けて囁き始めた。

女房は夢の<ruby><rb>醒</rb><rt>さ</rt></ruby>めたように、堅い拳銃を地に投げて、着物の<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>をまくって、その場を逃げ出した。

女房は人げの無い草原を、夢中になって駆けている。唯自分の殺した女学生のいる場所から<ruby><rb>成</rb><rt>なる</rt></ruby>たけ遠く逃げようとしているのである。跡には草原の中には赤い泉が湧き出したように、血を流して、女学生の体が<ruby><rb>横</rb><rt>よこた</rt></ruby>わっている。

女房は走れるだけ走って、<ruby><rb>草臥</rb><rt>くたび</rt></ruby>れ切って草原のはずれの草の上に倒れた。余り駆けたので、体中の脈がぴんぴん打っている。そして耳には異様な囁きが聞える。「今血が出てしまって死ぬるのだ」と云うようである。

こんな事を考えている内に、女房は段段に、しかも余程手間取って、落ち着いて来た。それと同時に草原を物狂わしく走っていた間感じていた、<ruby><rb>旨</rb><rt>うま</rt></ruby>く復讐を<ruby><rb>為遂</rb><rt>しと</rt></ruby>げたと云う喜も、次第につまらぬものになって来た。<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>向うで女学生の頸の<ruby><rb>創</rb><rt>きず</rt></ruby>から血が流れて出るように、胸に満ちていた喜が逃げてしまうのである。「これで<ruby><rb>敵</rb><rt>かたき</rt></ruby>を討った」と思って、物に追われて途方に暮れた獣のように、夢中で草原を駆けた時の喜は、いつか消えてしまって、自分の上を吹いて通る、これまで覚えた事のない、冷たい風がそれに代ったのである。なんだか女学生が、今死んでいるあたりから、冷たい息が通って来て、自分を凍えさせるようである。たった今まで、草原の中をよろめきながら飛んでいる野の<ruby><rb>蜜蜂</rb><rt>みつばち</rt></ruby>が止まったら、羽を<ruby><rb>焦</rb><rt>こが</rt></ruby>してしまっただろうと思われる程、赤く燃えていた女房の<ruby><rb>顳顬</rb><rt>こめかみ</rt></ruby>が、大理石のように冷たくなった。大きい<ruby><rb>為事</rb><rt>しごと</rt></ruby>をして、ほてっていた小さい手からも、血が皆どこかへ逃げて行ってしまった。

「復讐と云うものはこんなに<ruby><rb>苦</rb><rt>にが</rt></ruby>い味のものか知ら」と、女房は土の上に倒れていながら考えた。そして無意識に唇を動かして、何か渋いものを味わったように頬をすぼめた。<ruby><rb>併</rb><rt>しか</rt></ruby>し<ruby><rb>此</rb><rt>この</rt></ruby>場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを<ruby><rb>介抱</rb><rt>かいほう</rt></ruby>して<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>るとか云う事は、どうしても遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして時の立つのを待っていた。そして此間に相手の女学生の体からは血が流れて出てしまう筈だと思っていた。

夕方になって女房は草原で起き上がった。体の節節が狂っていて、骨と骨とが旨く食い合わないような気がする。草臥れ切った頭の中では、まだ絶えず拳銃を打つ音がする。頭の狭い中で、決闘が又しても繰返されているようである。此辺の景物が低い草から高い木まで皆黒く染まっているように見える。そう思って見ている内に、突然自分の影が自分の体を離れて、飛んで出たように、目の前を歩いて行く女が見えて来た。黒い着物を着て、茶色な髪をして白く光る顔をして歩いている。女房はその自分の姿を見て、<ruby><rb>丁度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>他人を気の毒に思うように、その自分の影を気の毒に思って、声を立てて泣き出した。

きょうまで暮して来た自分の生涯は、ばったり断ち切られてしまって、もう自分となんの関係も無い、白木の板のようになって自分の背後から浮いて流れて来る。そしてその上に乗る事も、それを拾い上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きているなら、どんなにして生きていられるだろうかと想像して見ると、その生活状態の目の前に建設せられて来たのが、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にもこれまでとは違った形をしているので、女房はそれを見ておののき恐れた。<ruby><rb>譬</rb><rt>たと</rt></ruby>えば移住民が船に乗って故郷の港を出る時、急に他郷がこわくなって、これから知らぬ新しい境へ引き<ruby><rb>摩</rb><rt>ず</rt></ruby>られて行くよりは、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ此海の沈黙の中へ身を投げようかと思うようなものである。

そこで女房は死のうと決心して、起ち上がって元気好く、<ruby><rb>項</rb><rt>うなじ</rt></ruby>を<ruby><rb>反</rb><rt>そら</rt></ruby>せて一番近い村をさして歩き出した。

女房は真っ直に村役場に<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>って行ってこう云った。「あの、どうぞわたくしを縛って下さいまし、わたくしは決闘を致しまして、人を一人殺しました。」

第五

決闘の次第は、前回に於いて述べ尽しました。けれども物語は、それで終っているのではありません。火事は一夜で燃え尽しても、火事場の騒ぎは、一夜で終るどころか、人と人との間の疑心、<ruby><rb>悪罵</rb><rt>あくば</rt></ruby>、<ruby><rb>奔走</rb><rt>ほんそう</rt></ruby>、<ruby><rb>駈引</rb><rt>かけひ</rt></ruby>きは、そののち永く、ごたついて尾を引き、人の心を、生涯とりかえしつかぬ程に<ruby><rb>歪曲</rb><rt>わいきょく</rt></ruby>させてしまうものであります。この、前代未聞の女同士の決闘も、とにかく済んだ。意外にも、女房が勝って、女学生が殺された。その有様を、ずるい、悪徳の芸術家が、一つあまさず見とどけて、的確の描写を為し、成功して写実の妙手と<ruby><rb>称</rb><rt>たた</rt></ruby>えられた。さて、それから事件は、どうなったのでしょう。まず、原文を読んでみましょう。原文も、この辺から、調子が落ちて、決闘の場面の描写ほど、張りが無いようであります。それは、その訳です。今迄は、かの流行作家も、女房の行く跡を、飢餓の<ruby><rb>狼</rb><rt>おおかみ</rt></ruby>のようについて歩いて、女房が走ると自分も走り、女房が立ちどまると、自分も<ruby><rb>踞</rb><rt>かが</rt></ruby>み、女房の姿態と顔色と、心の動きを、見つめ切りに見つめていたので、従ってその描写も、どきりとするほどの迫真の力を持つことが出来たのでありますが、いま決闘も終結し、女房は真っ直に村役場に這入って行ってしまったので、もはや観察の手段が無くなりました。<ruby><rb>下手</rb><rt>へた</rt></ruby>に村役場のまわりに、うろついていたら、人に見られて、まずい事になります。この芸術家は、神の審判よりも、人の審判を恐れているたちの男でありますから、女房につづいて村役場に飛び込み、自分の心の一切を告白する勇気など持ち合せが無かったのであります。正義よりも、名声を愛して居ります。致しかたの無い事かも知れません。<ruby><rb>敢</rb><rt>あ</rt></ruby>えて責めるべき事で無いかも知れない。人間は、もともとそんな、くだらないものであります。この利巧な芸術家も、村役場に這入って行く女房の姿を見て、ちょっと立ちどまり、それから、ばかな事はしたくない、という<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る当り前の考えから、くるりと廻れ右して、もと来た道をさっさと引き返し、汽車に乗り、何食わぬ顔してわが家に帰り、ごろりとソファに寝ころがった。それから、いろいろ人から聞いて、女房のその後の様子を、次の如く知ることが出来たのであります。以下は、勿論、芸術家が直接に見て知ったことでは無く、さまざまの人達から少しずつ聞いたところのものを綜合して、それに自分の空想をもたくみに<ruby><rb>案配</rb><rt>あんばい</rt></ruby>して綴った、<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば説明の文章であります。描写の文章では無いようであります。すなわち、女房が村役場に這入って行って、人を一人殺しました、と自首する。

「それを聞いて役場の書記二人はこれまで話に聞いた事も無い出来事なので、女房の顔を見て<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえ</rt></ruby>んだ。少し取り乱しているが、上流の奥さんらしく見える人が変な事を言うと思ったのである。書記等は多分これはどこかから逃げて来た女気違だろうと思った。

女房は是非縛って貰いたいと云って、相手を殺したと云う場所を<ruby><rb>精</rb><rt>くわ</rt></ruby>しく話した。

それから人を遣って調べさせて見ると、相手の女学生はおおよそ一時間前に、頸の銃創から出血して死んだものらしかった。それから二本の白樺の木の下の、寂しい所に、物を言わぬ証拠人として拳銃が二つ棄ててあるのを見出した。拳銃は二つ共、込めただけの弾丸を皆打ってしまってあった。そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>ろうと思って、とうとうその強情を張り通したものと見える。

女房は是非この<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>抑留して置いて貰いたいと請求した。役場では、その決闘と云うものが正当な決闘であったなら、女房の受ける処分は禁獄に過ぎぬから、別に名誉を損ずるものではないと、説明して聞かせたけれど、女房は<ruby><rb>飽</rb><rt>あ</rt></ruby>くまで留めて置いて貰おうとした。

女房は自分の名誉を保存しようとは思っておらぬらしい。たったさっきまで、その名誉のために一命を<ruby><rb>賭</rb><rt>と</rt></ruby>したのでありながら、今はその名誉を有している生活と云うものが、そこに<ruby><rb>住</rb><rt>すま</rt></ruby>う事も、そこで呼吸をする事も出来ぬ、雰囲気の無い空間になったように、どこへか押し<ruby><rb>除</rb><rt>の</rt></ruby>けられてしまったように思われるらしい。丁度死んでしまったものが、もう用が無くなったので、これまで骨を折って覚えた言語その外の一切の物を忘れてしまうように、女房は過去の生活を忘れてしまったものらしい。

女房は市へ護送せられて予審に掛かった。そこで<ruby><rb>未決檻</rb><rt>みけつかん</rt></ruby>に入れられてから、女房は監獄長や、判事や、警察医や僧侶に、繰り返して、切に頼み込んで、これまで夫としていた男に<ruby><rb>衝</rb><rt>つ</rt></ruby>き合せずに置いて貰う事にした。そればかりでは無い。その男の面会に来ぬようにして貰った。それから色色な秘密らしい<ruby><rb>口供</rb><rt>こうきょう</rt></ruby>をしたり、又わざと矛盾する口供をしたりして、予審を二三週間長引かせた。その口供が故意にしたのであったと云う事は、後になって分かった。

或る夕方、女房は<ruby><rb>檻房</rb><rt>かんぼう</rt></ruby>の床の上に倒れて死んでいた。それを見附けて、女の<ruby><rb>押丁</rb><rt>おうてい</rt></ruby>が抱いて寝台の上に寝かした。その時女房の体が、着物だけの目方しかないのに驚いた。女房は小鳥が羽の生えた<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>で死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。跡から取調べたり、周囲の人を訊問して見たりすると、女房は檻房に入れられてから、絶食して死んだのであった。渡された食物を食わぬと思われたり、又無理に食わせられたりすまいと思って、人の見る前では呑み込んで、直ぐそれを吐き出したこともあったらしい。丁度相手の女学生が、頸の<ruby><rb>創</rb><rt>きず</rt></ruby>から血を出して<ruby><rb>萎</rb><rt>しな</rt></ruby>びて死んだように絶食して、次第に体を萎びさせて死んだのである。」

女房も死んでしまいました。はじめから死ぬるつもりで、女学生に決闘を申込んだ様子で、その辺の女房のいじらしい、また一筋の心理に就いては、次回に於いて精細に述べることにして、今は<ruby><rb>専</rb><rt>もっぱ</rt></ruby>ら、女房の亭主すなわち此の短いが的確の「女の決闘」の筆者、<ruby><rb>卑怯</rb><rt>ひきょう</rt></ruby>千万の芸術家の、その後の身の上に就いて申し上げる事に致します。女学生は、何やら外国語を一言叫んで、死んでいった。女房も、ほとんど自殺に等しい死にかたをして、この世から去っていった。けれども、三人の中で最も罪の深い、この芸術家だけは、死にもせずペンを握って、「小鳥が羽の生えた儘で死ぬように、その着物を着た儘で死んだのである。」などと、自分の女房のみじめな死を、よそごとのように美しく形容し、その棺に花束一つ投入してやったくらいの慈善を感じてすましている。これは、いかにも不思議であります。果して、芸術家というものは、そのように冷淡、心の奥底まで一個の写真機に化しているものでしょうか。私は、否、と答えたいのでありますが、とにかく今、諸君と共に、この難問に就いて、<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>しばらく考えてみることに致しましょう。この悪徳の芸術家は、女房の取調べと同時に、勿論、市の裁判所に召喚され、予審検事の皮肉極まる訊問を受けた筈であります。

――どうも、とんだ災難でございましたね。（と検事は芸術家に椅子を<ruby><rb>薦</rb><rt>すす</rt></ruby>めて言いました。）奥さんのおっしゃる事は、ちっとも筋道がとおりませんので、私ども困って居ります。一体、どういう原因に拠る決闘だか、あなたは、ご存じなんですね。

――存じません。

――私の言いかたが<ruby><rb>下手</rb><rt>へた</rt></ruby>だったのかしら。失礼いたしました。何か、お心当りは在る筈なんですね。

――心当り？

――相手の女学生を、ご存じなんですね。

――相手の？

――いいえ、奥さんの相手です。失礼いたしました。奥さんの決闘の相手です。お互い紳士ですものね。

――存じて居ります。

――え？　何をご存じなんです。<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>はいかがです。ずいぶん煙草を、おやりのようですね。煙草は、思索の翼と言われていますからね。あなたの作品を、うちの女房と娘が奪い合いで読んでいますよ。「法師の結婚」という小説です。私も、そのうち読ませていただくつもりですけれど、天才の在るおかたは羨やましいですね。この部屋は、少し暑過ぎますね。私はこの部屋がきらいなんですよ。窓を開けましょう。さぞ、おいやでしょうね。

――何を申し上げればいいのでしょう。

――いいえ、そういうわけじゃ無いんです。私は、そんな、失礼な事は考えて居りません。お互い、このとしになると、世の中が馬鹿げて見えて来ますね。どうだっていいんです。お互い、弱い者同士ですものね。馬鹿げていますよ。私は、この裁判所と自宅との間を往復して、ただ並木路を往復して歩いて、ふと気がついたら二十年経っていました。いちどは冒険を。いいえ、あなたのことじゃ無いんです。いろいろの事がありましたものね。おや、聞えますね。囚人たちの唱歌ですよ。シオンのむすめ、……

――語れかし！

――わが愛の君に。私は讃美歌をさえ忘れてしまいました。いいえ、そういう<ruby><rb>謎</rb><rt>なぞ</rt></ruby>のつもりでは無かったのです。あなたから、何もお<ruby><rb>伺</rb><rt>うかが</rt></ruby>いしようと思いません。そんなに気を廻さないで下さい。どうも、私も、きょうはなんだか、いやになりました。もう、止しにしましょうか。

――そうお願いできれば、……

――ふん。あなたを罰する法律が無いので、いやになったのですよ。お帰りなさい。

――ありがとう存じます。

――あ、ちょっと。一つだけ、お伺いします。奥さんが殺されて、女学生が勝った場合は、どうなりますか？

――どうもこうもなりません。そいつは残った弾丸で、私をも撃ち殺したでしょう。

――ご存じですね。奥さんは、すると、あなたの命の恩人ということになりますね。

――女房は、可愛げの無い女です。好んで犠牲になったのです。エゴイストです。

――もう一つお伺いします。あなたは、どちらの死を望みましたか？　あなたは、隠れて見ていましたね。旅行していたというのは嘘ですね。あの前夜も、女学生の下宿に訪ねて行きましたね。あなたは、どちらの死を望んでいたのですか？　奥さんでしょうね。

――いいえ、私は、（と芸術家は威厳のある声で言いました。）どちらも生きてくれ、と念じていました。

――そうです。それでいいのです。私はあなたの、今の言葉だけを信頼します。（と検事は、はじめて白い歯を出して<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえ</rt></ruby>み、芸術家の肩をそっと叩いて、）そうで無ければ、私は今すぐあなたを、未決檻に送るつもりでいたのですよ。殺人<ruby><rb>幇助</rb><rt>ほうじょ</rt></ruby>という立派な罪名があります。

以上は、かの芸術家と、いやらしく<ruby><rb>老獪</rb><rt>ろうかい</rt></ruby>な検事との一問一答の内容でありますが、ただ、これだけでは私も諸君も不満であります。「いいえ、私は、どちらも生きてくれ、と念じていました。」という一言を信じて、検事は、この男を無罪放免という事にした様子でありますが、私たちの心の中に住んでいる小さい検事は、なかなか疑い深くて、とてもこの男を易々と放免することが出来ないのであります。この男は、予審の検事を、だましたのではないでしょうか。「どちらも生きてくれ、と念じていました。」というのは、嘘ではないか。この男は、あの決闘のとき、白樺の木の蔭に隠れて、ああ、どっちも死ね！　両方死ね、いやいや、女房だけ死ね！　女房を殺してくれ、と全身に油汗を流して念じていた瞬間が、在ったじゃないか。確かに在った。この男は、あれを忘れているのであろうか。或いはちゃんと覚えている<ruby><rb>癖</rb><rt>くせ</rt></ruby>に、成長した社会人特有の厚顔無恥の、謂わば世馴れた心から、けろりと忘れた振りして、平気で嘘を言い、それを取調べる検事も<ruby><rb>亦</rb><rt>また</rt></ruby>、そこのところを見抜いていながら、その追究を<ruby><rb>大人気</rb><rt>おとなげ</rt></ruby>ないものとして放棄し、とにかく話の筋が通って居れば、それで役所の書類作成に支障は無し、自分の勤めも大過無し、正義よりも真実よりも自分の職業の無事安泰が第一だと、そこは芸術家も検事も、世馴れた大人同士の暗黙の裏の了解ができて、そこで、「どちらも生きてくれと念じていました。」「よろしい、信頼しましょう。」ということになったのでは無いでしょうか。けれども、その疑惑は、間違っています。私は、それに就いて、いま諸君に、<ruby><rb>僭越</rb><rt>せんえつ</rt></ruby>ながら教えなければなりません。その時の、男の答弁は正しいのです。また、その一言を信頼し、無罪放免した検事の態度も正しいのです。決してお互い妥協しているのではありません。男は、あの決闘の時、女房を殺せ！　と願いました。と同時に、決闘やめろ！　拳銃からりと投げ出して二人で笑え、と危く叫ぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と<ruby><rb>見做</rb><rt>みな</rt></ruby>してはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて「事実」として存在はしても、けれども、それを「真実」として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。多くの浮遊の事実の中から、たった一つの真実を拾い出して、あの芸術家は、権威を<ruby><rb>以</rb><rt>もっ</rt></ruby>て答えたのです。検事も、それを信じました。二人共に、真実を愛し、真実を触知し得る程の立派な人物であったのでしょう。

あの、あわれな、卑屈な男も、こうして段々考えて行くに連れて、少しずつ人間の位置を持ち直して来た様子であります。悪いと思っていた人が、だんだん善くなって来るのを見る事ほど楽しいことはありません。弁護のしついでに、この男の、身中の虫、「芸術家」としての非情に就いても、ちょっと考えてみることに致しましょう。この男ひとりに限らず、芸術家というものは、その腹中に、どうしても死なぬ虫を一匹持っていて、最大の悲劇をも冷酷の眼で平気で観察しているものだ、と前回に於いても、前々回に於いても非難して来た筈でありますが、その非難をも、ちょっとついでに取り消してお目に掛けたくなりました。何も、人助けの為であります。慈善は、私の本性かも知れません。「醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るということを忘れているのは、間違いであります。」とＤ先生が教えて居ります。何事も、自分を、善いほうに解釈して置くのがいいようだ。さて、芸術家には、人で無い部分が在る、芸術家の本性は、サタンである、という私の以前の仮説に対して、私は、もう一つの反立法を持ち合せているのであります。それを、いま、お知らせ致します。

――リュシエンヌよ、私は或る声楽家を知っていた。彼が<ruby><rb>許嫁</rb><rt>いいなずけ</rt></ruby>の死の床に侍して、その臨終に立会った時、傍らに、彼の許嫁の妹が身を<ruby><rb>慄</rb><rt>ふる</rt></ruby>わせ、声をあげて泣きむせぶのを聴きつつ、彼は心から許嫁の死を悲しみながらも、許嫁の妹の<ruby><rb>涕泣</rb><rt>ていきゅう</rt></ruby>に発声法上の欠陥のある事に気づいて、その涕泣に迫力を添えるには適度の訓練を必要とするのではなかろうか。と<ruby><rb>不図</rb><rt>ふと</rt></ruby>考えたのであった。<ruby><rb>而</rb><rt>しか</rt></ruby>もこの声楽家は、許嫁との死別の悲しみに堪えずしてその後間もなく死んでしまったが、許嫁の妹は、世間の掟に従って、忌の果てには、心置きなく喪服を脱いだのであった。

これは、私の文章ではありません。辰野隆先生訳、仏人リイル・アダン氏の小話であります。この短い実話を、もう一度繰りかえして読んでみて下さい。ゆっくり読んでみて下さい。薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣な亭主も、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。次回に於いて、すべてを述べます。

第六

いよいよ、今回で終りであります。一回、十五、六枚ずつにて半箇年間、つまらぬ事ばかり書いて来たような気が致します。私にとっては、その間に様々の思い出もあり、また自身の体験としての感懐も、あらわにそれと読者に気づかれ無いように、こっそり物語の奥底に流し込んで置いた事でもありますから、私一個人にとっては、<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>は、のちのちも愛着深い作品になるのではないかと思って居ります。読者には、あまり面白くなかったかも知れませんが、私としては、少し新しい試みをしてみたような気もしているので、もう、この回、一回で読者とおわかれするのは、お名残り惜しい思いであります。<ruby><rb>所詮</rb><rt>しょせん</rt></ruby>、作者の、愚かな感傷ではありますが、殺された女学生の亡霊、絶食して次第に体を<ruby><rb>萎</rb><rt>しな</rt></ruby>びさせて死んだ女房の死顔、ひとり生き残った悪徳の夫の<ruby><rb>懊悩</rb><rt>おうのう</rt></ruby>の姿などが、この二、三日、私の背後に影法師のように無言で<ruby><rb>執拗</rb><rt>しつよう</rt></ruby>に、つき従っていたことも事実であります。

さて、今回は、原文を、おしまいまで全部、読んでしまいましょう。説明は、その後でする事に致します。

――遺物を取り調べて見たが、別に書物も無かった。夫としていた男に<ruby><rb>別</rb><rt>わかれ</rt></ruby>を告げる手紙も無く、子供等に<ruby><rb>暇乞</rb><rt>いとまごい</rt></ruby>をする手紙も無かった。唯一度檻房へ来た事のある牧師に当てて、書き掛けた短い手紙が一通あった。牧師は誠実に女房の霊を救おうと思って来たのか、物珍らしく思って来て見たのか、それは分からぬが、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>一度来たのである。この手紙は牧師の二度と来ぬように、<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば牧師を避けるために書く積りで書き始めたものらしい。<ruby><rb>煩悶</rb><rt>はんもん</rt></ruby>して、こんな手紙を書き掛けた女の心を、その文句が<ruby><rb>幽</rb><rt>かす</rt></ruby>かに照しているのである。

「先日お出でになった時、大層御尊信なすってお出での様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願致します。どうぞ二度とお尋下さいますな。わたくしの申す事を御信用下さい。わたくしの考では若しイエスがまだ生きてお<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でなされたなら、あなたがわたくしの所へお出でなさるのを、お<ruby><rb>遮</rb><rt>さえぎ</rt></ruby>りなさる事でしょう。昔天国の門に立たせて置かれた、あの天使のように、イエスは燃える抜身を手にお持になって、わたくしのいる檻房へ<ruby><rb>這入</rb><rt>はい</rt></ruby>ろうとする人をお<ruby><rb>留</rb><rt>とめ</rt></ruby>なさると存じます。わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が<ruby><rb>薔薇</rb><rt>ばら</rt></ruby>の綱をわたくしの体に巻いて引入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘でわたくしの殺した、あの女学生の<ruby><rb>創</rb><rt>きず</rt></ruby>から流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でも無ければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠と云う、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬して下されば<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>いと存じます。」

「わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃と云うものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の<ruby><rb>狙</rb><rt>ねら</rt></ruby>っている<ruby><rb>的</rb><rt>まと</rt></ruby>は、即ち自分の<ruby><rb>心</rb><rt>しん</rt></ruby>の<ruby><rb>臓</rb><rt>ぞう</rt></ruby>だと云う事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引き裂くような愉快を味いました。この心の臓は、もとは夫や子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ<ruby><rb>弾丸</rb><rt>たま</rt></ruby>に打ち抜かれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは<ruby><rb>仰</rb><rt>おっし</rt></ruby>ゃる事が出来ますまい。先にその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰ゃる事は出来ますまい。わたくしを生きながら元の道へお帰らせなさることのお出来にならないのも、同じ道理でございます。幾らあなたでも人間のお<ruby><rb>詞</rb><rt>ことば</rt></ruby>で、そんな事を<ruby><rb>出来</rb><rt>でか</rt></ruby>そうとは<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>しますまい。」

「わたくしは、あなたの教で禁じてある程、自分の意志の儘に進んで参って、跡を振り返っても見ませんでした。それはわたくし好く存じています。<ruby><rb>併</rb><rt>しか</rt></ruby>しどなただって、わたくしに、お前の愛しようは違うから、別な愛しようをしろと仰ゃる事は出来ますまい。あなたの心の臓はわたくしの胸には<ruby><rb>嵌</rb><rt>は</rt></ruby>まりますまい。又わたくしのはあなたのお胸には嵌まりますまい。あなたはわたくしを、謙遜を知らぬ、我慾の強いものだと仰ゃるかも知れませんが、それと同じ権利で、わたくしはあなたを、気の狭い卑屈な方だと申す事も出来ましょう。あなたの尺度でわたくしをお測りになって、その尺度が足らぬからと言って、わたくしを度はずれだと仰ゃる訳には行きますまい。あなたとわたくしとの間には、対等の決闘は成り立ちません。お互に手に持っている武器が違います。どうぞもうわたくしの所へ御出で下さいますな。切にお断申します。」

「わたくしの為には自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>しその皮の上に<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>した<ruby><rb>染</rb><rt>しみ</rt></ruby>が出来るとか、一寸した<ruby><rb>創</rb><rt>きず</rt></ruby>が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを<ruby><rb>癒</rb><rt>い</rt></ruby>やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷けられたと存じました時、その為に、長煩いで腐って行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立った儘で死のうと思いました。わたくしは相手の女学生の手で殺して貰おうと思いました。そうしてわたくしの恋愛を潔く、公然と相手に奪われてしまおうと存じました。」

「それが反対になって、わたくしが勝ってしまいました時、わたくしは唯名誉を救っただけで、恋愛を救う事が出来なかったのに気が付きました。<ruby><rb>総</rb><rt>すべ</rt></ruby>ての不治の創の通りに、恋愛の創も死ななくては癒えません。それはどの恋愛でも傷けられると、恋愛の神が侮辱せられて、その報いに犠牲を求めるからでございます。決闘の結果は予期とは相違していましたが、<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>わたくしは自分の恋愛を相手に渡すのに、身を屈めて、余儀なくせられて渡すのでは無く、名誉を以て渡そうとしたのだと云うだけの誇を持っています。」

「どうぞ聖者の<ruby><rb>毫光</rb><rt>ごうこう</rt></ruby>を御尊敬なさると同じお心持で、勝利を得たものの額の月桂冠を御尊敬なすって下さいまし。」

「どうぞわたくしの心の臓をお<ruby><rb>労</rb><rt>いた</rt></ruby>わりなすって下さいまし。あなたの御尊信なさる神様と同じように、わたくしを大胆に、偉大に死なせて下さいまし。わたくしは自分の致した事を、一人で神様の前へ持って参ろうと存じます。名誉ある人妻として持って参ろうと存じます。わたくしは十字架に釘付けにせられたように、自分の恋愛に釘付けにせられて、数多の創から血を流しています。こんな恋愛がこの世界で、この世界にいる人妻のために、正当な恋愛でありましたか、どうでしたか、それはこれから先の第三期の生活に入ったなら、分かるだろうと存じます。わたくしが、この世に生れる前と、生れてからとで経験しました、第一期、第二期の生活では、それが教えられずにしまいました。」

ここまで書いて来て、かの罪深き芸術家は、筆を投じてしまいました。女房の遺書の、強烈な言葉を、ひとつひとつ書き写している間に、異様な恐怖に襲われた。背骨を雷に撃たれたような気が致しました。実人生の、暴力的な真剣さを、興覚めする程に明確に見せつけられたのであります。たかが女、と多少は軽蔑を以て接して来た、あの女房が、こんなにも恐ろしい、無茶なくらいの燃える祈念で生きていたとは、思いも及ばぬ事でした。女性にとって、現世の恋情が、こんなにも焼き焦げる程ひとすじなものとは、とても考えられぬ事でした。命も要らぬ、神も要らぬ、ただ、ひとりの男に対する恋情の完成だけを祈って、半狂乱で生きている女の姿を、彼は、いまはじめて明瞭に知る事が出来たのでした。彼は、もともと女性軽蔑者でありました。女性の<ruby><rb>浅間</rb><rt>あさま</rt></ruby>しさを<ruby><rb>知悉</rb><rt>ちしつ</rt></ruby>しているつもりでありました。女性は男に愛撫されたくて生きている。称讃されたくて生きている。我利我利。<ruby><rb>淫蕩</rb><rt>いんとう</rt></ruby>。無智。虚栄。死ぬまで怪しい空想に<ruby><rb>身悶</rb><rt>みもだ</rt></ruby>えしている。<ruby><rb>貪慾</rb><rt>どんよく</rt></ruby>。無思慮。ひとり合点。意識せぬ冷酷。無恥厚顔。<ruby><rb>吝嗇</rb><rt>りんしょく</rt></ruby>。打算。相手かまわぬ<ruby><rb>媚態</rb><rt>びたい</rt></ruby>。ばかな<ruby><rb>自惚</rb><rt>うぬぼ</rt></ruby>れ。その他、女性のあらゆる悪徳を心得ているつもりでいたのであります。女で無ければわからぬ気持、そんなものは在り得ない。ばかばかしい。女は、決して神秘でない。ちゃんとわかっている。あれだ。猫だ。と<ruby><rb>此</rb><rt>こ</rt></ruby>の芸術家は、心の奥底に、そのゆるがぬ断定を蔵していて、表面は素知らぬ振りしてわが女房にも、また他の女にも、当らず触らずの愛想のいい態度で接していました。また、この不幸の芸術家は、女の芸術家というものをさえ、てんで認めていませんでした。当時の甘い批評家たちが、女の作家の二、三の著書に就いて、女性特有の感覚、女で無ければ出来ぬ表現、男にはとてもわからぬ此の心理、などと驚歎の言辞を献上するのを見て、彼はいつでも内心、せせら笑って居りました。みんな男の真似ではないか。男の作家たちが空想に<ruby><rb>拠</rb><rt>よ</rt></ruby>って創造した女性を見て、女は、これこそ真の私たちの姿だ、と愚かしく夢中になって、その嘘の女性の型に、むりやり自分を押し込めようとするのだが、悲しい<ruby><rb>哉</rb><rt>かな</rt></ruby>、自分は胴が長すぎて、脚が短い。要らない脂肪が多過ぎる。それでも、自分は、ご存じ無い。実に滑稽奇怪の形で、しゃなりしゃなりと歩いている。男の作家の創造した女性は、所詮、その作家の不思議な女装の姿である。女では無いのだ。どこかに男の「精神」が在る。ところが女は、かえってその不自然な女装の姿に<ruby><rb>憧</rb><rt>あこが</rt></ruby>れて、その<ruby><rb>毛臑</rb><rt>けずね</rt></ruby>の女性の真似をしている。滑稽の極である。もともと女であるのに、その姿態と声を捨て、わざわざ男の粗暴の動作を学び、その太い音声、文章を「勉強」いたし、さてそれから、男の「女音」の真似をして、「わたくしは女でございます。」とわざと<ruby><rb>嗄</rb><rt>しわが</rt></ruby>れた声を作って言い出すのだから、実に、どうにも浅間しく複雑で、何が何だか、わからなくなるのである。女の癖に<ruby><rb>口鬚</rb><rt>くちひげ</rt></ruby>を生やし、それをひねりながら、「そもそも女というものは、」と言い出すのだから、ややこしく、不潔に濁って、聞く方にとっては、やり切れぬ。<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>、女特有の感覚は、そこには何も無い。女で無ければ出来ぬ表現も、何も無い。男にはとてもわからぬ心理なぞは勿論、在るわけは無い。もともと男の真似なのだ。女は、やっぱり駄目なものだ、というのが此の中年の芸術家の動かぬ想念であったのであります。けれども、いま、自身の女房の愚かではあるが、強烈のそれこそ火を吐くほどの恋の主張を、一字一字書き写しているうちに、彼は、これまで全く知らずにいた女の心理を、いや、女の生理、と言い直したほうがいいかも知れぬくらいに、なまぐさく、また可憐な一筋の思いを、一糸<ruby><rb>纏</rb><rt>まと</rt></ruby>わぬ素はだかの姿で見てしまったような気がして来たのであります。知らなかった。女というものは、こんなにも、せっぱつまった祈念を以て生きているものなのか。愚かには違い無いが、けれども、此の熱狂的に一直線の希求には、何か笑えないものが在る。恐ろしいものが在る。女は玩具、アスパラガス、花園、そんな安易なものでは無かった。この愚直の強さは、かえって神と同列だ。人間でない部分が在る、と彼は、真実、驚倒した。筆を投じて、ソファに寝ころび、彼は、女房とのこれ迄の生活を、また、決闘のいきさつを、順序も無くちらちら思い返してみたのでした。あ、あ、といちいち合点がゆくのです。私は女房を道具と思っていたが、女房にとっては、私は道具で無かった。生きる目あての全部であった、という事が、その時、その時の女房の姿態、無言の行動ではっきりわかるような気がして来たのであります。女は愚かだ。けれども、なんだか懸命だ。とてもロマンスにならない程、むき出しに懸命だ。女の真実というものは、とても、これは小説にならぬ。書いてはならぬ。神への侮辱だ。なるほど、女の芸術家たちが、いちど男に変装して、それからまた女に変装して、女の振りをする、というややこしい手段を採用するのも、無理もない話だ。女の、そのままの実体を、いつわらずぶちまけたら、芸術も何も無い、愚かな懸命の虫一匹だ。人は、息を<ruby><rb>呑</rb><rt>の</rt></ruby>んでそれを凝視するばかりだ。愛も無い、歓びも無い、ただしらじらしく、興覚めるばかりだ。私はこの短篇小説に於いて、女の実体を、あやまち無く活写しようと努めたが、もう止そう。まんまと私は、失敗した。女の実体は、小説にならぬ。書いては、いけないものなのだ。いや、書くに忍びぬものが在る。止そう。この小説は、失敗だ。女というものが、こんなにも愚かな、盲目の、それゆえに半狂乱の、あわれな生き物だとは知らなかった。まるっきり違うものだ。女は、みんな、――いや、言うまい。ああ、真実とは、なんて興覚めなものだろう。男は、ふいと死にたく思いました。なんの感激も無しに立って、「卓に向い、その時たまたま記憶に甦って来た<ruby><rb>曾遊</rb><rt>そうゆう</rt></ruby>のスコットランドの風景を<ruby><rb>偲</rb><rt>しの</rt></ruby>ぶ詩を二三行書くともなく書きとどめ、新刊の書物の数頁を読むともなく読み終ると、『いやに胸騒ぎがするな』と<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>きながら、小机の<ruby><rb>抽斗</rb><rt>ひきだし</rt></ruby>から拳銃を取り出したが、傍のソファに悠然と腰を<ruby><rb>卸</rb><rt>おろ</rt></ruby>してから、胸に銃口を当てて引金を引いた。」<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>が、かの悪徳の夫の最後でありました、と言えば、かのリイル・アダン氏の有名なる短篇小説の結末にそっくりで、多少はロマンチックな匂いも発して来るのでありますが、現実は、決して、そんなに都合よく割り切れず、此の興覚めの強力な実体を見た芸術家は立って、ふらふら外へ出て、そこらを<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>く散歩し、やがてまた家へ帰り、部屋を閉め切って、さてソファにごろりと寝ころび、部屋の隅の<ruby><rb>菖蒲</rb><rt>しょうぶ</rt></ruby>の花を、ぼんやり眺め、また<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむ</rt></ruby>ろに立ち上り菖蒲の鉢に水差しの水をかけてやり、それから、いや、別に変った事も無く、<ruby><rb>翌</rb><rt>あく</rt></ruby>る日も、その翌る日も、少くとも表面は静かな作家の生活をつづけていっただけの事でありました。失敗の短篇「女の決闘」をも、平気を装って、その後間も無く新聞に発表しました。批評家たちは、その作品の構成の不備を指摘しながらも、その描写の生々しさを、賞讃することを忘れませんでした。どうやら、佳作、という事に落ちついた様子であります。けれども芸術家は、その批評にも、まるで無関心のように、ぼんやりしていました。それから、驚くべきことには、実にくだらぬ通俗小説ばかりを書くようになりました。いちど、いやな恐るべき実体を見てしまった芸術家は、それに拠っていよいよ人生観察も深くなり、その作品も、<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>、底光りして来るようにも思われますが、現実は、必ずしもそうでは無いらしく、かえって、怒りも、<ruby><rb>憧</rb><rt>あこが</rt></ruby>れも、歓びも失い、どうでもいいという白痴の生きかたを選ぶものらしく、この芸術家も、あれ以来というものは、全く、ふやけた<ruby><rb>浅墓</rb><rt>あさはか</rt></ruby>な通俗小説ばかりを書くようになりました。かつて世の批評家たちに最上級の言葉で賞讃せられた、あの精密の描写は、それ以後の小説の片隅にさえ、見つからぬようになりました。次第に財産も<ruby><rb>殖</rb><rt>ふ</rt></ruby>え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであります。

というのが、私（DAZAI）の小説の全貌なのでありますが、もとより之は、HERBERT EULENBERG 氏の原作の、許しがたい<ruby><rb>冒涜</rb><rt>ぼうとく</rt></ruby>であります。原作者オイレンベルグ氏は、決して私のこれまで述べて来たような、悪徳の芸術家では、ありません。それは、前にも、くどく断って置いた筈であります。必ず、よい御家庭の、<ruby><rb>佳</rb><rt>よ</rt></ruby>き夫であり、佳き父であり、つつましい市民としての生活を忍んで、一生涯をきびしい芸術精進にささげたお方であると、私は信じて居ります。前にも、それは申しましたが、「尊敬して居ればこそ、安心して甘えるのだ。」という日本の無名の貧しい作家の、<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る<ruby><rb>我儘</rb><rt>わがまま</rt></ruby>な言い訳に拠って、いまは、ゆるしていただきます。冗談にもせよ、人の作品を踏台にして、そうして何やら作者の人柄に傷つけるようなスキャンダルまで<ruby><rb>捏造</rb><rt>ねつぞう</rt></ruby>した罪は、決して軽くはありません。けれども、相手が、一八七六年生れ、一昔まえの、しかも外国の大作家であるからこそ、私も甘えて、こんな試みを為したので、日本の現代の作家には、いくら何でも、決してゆるされる事ではありません。それに、この原作は、第二回に於いて、くわしく申して置きましたように、原作者の肉体疲労のせいか、たいへん投げやりの点が多く、単に素材をほうり出したという感じで、私の考えている「小説」というものとは、甚だ遠いのであります。もっとも、このごろ日本でも、素材そのままの作品が、「小説」として大いに流行している様子でありますが、私は時たま、そんな作品を読み、いつも、ああ惜しい、と思うのであります。口はばったい言い方でありますが、私に、こんな素材を与えたら、いい小説が書けるのに、と思う事があります。素材は、小説でありません。素材は、空想を支えてくれるだけであります。私は、今まで六回、たいへん下手で赤面しながらも努めて来たのは、私のその愚かな思念の実証を、読者にお目にかけたかったが為でもあります。私は、間違っているでしょうか。

これは非常に、こんぐらかった小説であります。私が、わざとそのように努めたのであります。その為にいろいろ、仕掛もして置いたつもりでありますから、ひまな読者は、ゆっくりお調べを願います。ほんとうの作者が一体どこにいるのか、わからなくしてしまおうとさえ思いましたが、調子に乗って浮薄な才能を振り廻していると、とんでも無い目に遭います。神に罰せられます。私は、それに就いては、節度を保ったつもりであります。とにかく、この私の「女の決闘」をお読みになって、原作の、女房、女学生、亭主の三人の思いが、原作に在るよりも、もっと身近かに生臭く共感せられたら、成功であります。果して成功しているかどうか、それは読者諸君が、各々おきめになって下さい。

私の知合いの中に、四十歳の牧師さんがひとり居ります。生れつき優しい人で、聖書に就いての研究も、かなり深いようであります。みだりに神の名を口にせず、私のような悪徳者のところへも度々たずねて来てくれて、私が、その人の前で酒を呑み、大いに酔っても、べつに叱りも致しません。私は教会は、きらいでありますが、でも、この人のお説教は、度々聞きにまいります。先日、その牧師さんが、<ruby><rb>苺</rb><rt>いちご</rt></ruby>の苗をどっさり持って来てくれて、私の家の狭い庭に、ご自身でさっさと植えてしまいました。その後で、私は、この牧師さんに、れいの女房の遺書を読ませて、その感想を問いただしました。

「あなたなら、この女房に、なんと答えますか。この牧師さんは、たいへん軽蔑されてやっつけられているようですが、これは、これでいいのでしょうか。あなたは、この遺書をどう思います。」

牧師さんは顔を赤くして笑い、やがて笑いを収め、澄んだ眼で私をまっすぐに見ながら、

「女は、恋をすれば、それっきりです。ただ、見ているより他はありません。」

私たちは、きまり悪げに<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえ</rt></ruby>みました。