一人の<ruby><rb>遊蕩</rb><rt>ゆうとう</rt></ruby>の子を描写して在るゆえを<ruby><rb>以</rb><rt>もっ</rt></ruby>て、その小説を、デカダン小説と呼ぶのは、当るまいと思う。私は何時でも、<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、理想小説を書いて来たつもりなのである。

大まじめである。私は一種の理想主義者かも知れない。理想主義者は、悲しい<ruby><rb>哉</rb><rt>かな</rt></ruby>、現世に<ruby><rb>於</rb><rt>お</rt></ruby>いてその言動、やや不審、滑稽の感をさえ隣人たちに与えている場合が、多いようである。謂わば、かのドン・キホオテである。あの人は、いまでは、全然、馬鹿の代名詞である。けれども彼が果して馬鹿であるか、どうかは、それに<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いては、理想主義者のみぞよく知るところである。<ruby><rb>高邁</rb><rt>こうまい</rt></ruby>の理想のために、おのれの財も、おのれの地位も、<ruby><rb>塵芥</rb><rt>ちりあくた</rt></ruby>の如く投げ打って、自ら駒を陣頭にすすめた経験の無い人には、ドン・キホオテの血を吐くほどの悲哀が絶対にわからない。耳の痛い<ruby><rb>仁</rb><rt>じん</rt></ruby>も、その辺にいるようである。

私の理想は、ドン・キホオテのそれに較べて、実に高邁で無い。私は破邪の剣を振って悪者と格闘するよりは、頬の赤い村娘を<ruby><rb>欺</rb><rt>あざむ</rt></ruby>いて一夜寝ることの方を好むのである。理想にも、たくさんの種類があるものである。私はこの好色の理想のために、財を投げ打ち、衣服を投げ打ち、靴を投げ打ち、全くの清貧になってしまった。そうして、私は、この好色の理想を、仮りに名付けて、「ロマンチシズム」と呼んでいる。

すでに幼時より、このロマンチシズムは、芽生えていたのである。私の故郷は、奥州の山の中である。家に何か祝いごとがあると、父は、十里はなれたＡという小都会から、四、五人の芸者を呼ぶ。芸者たちは、それぞれ馬の背に乗ってやって来る。他に、交通機関が無いからである。時々、芸者が落馬することもあった。物語は私が、十二歳の冬のことであった。たしか、父の勲章祝いのときであった。芸者が五人、やって来た。婆さんが一人、ねえさんが二人、半玉さんが二人である。半玉の一人は、藤娘を踊った。すこし酒を呑まされたか、眼もとが赤かった。私は、その人を美しいと思った。踊って、すらと形のきまる度毎に、観客たちの間から、ああ、という嘆声が起り、四、五人の<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>さえ聞えた。美しいと思ったのは私だけでは無かったのである。

私は、その女の子の名前を知りたいと思った。まさか、人に聞くわけにいかない。私は十二の子供であるから、そんな、芸者などには全然、関心の無いふりをしていなければ、ならぬのである。私は、こっそり帳場へ行って、このたびの祝宴の出費について、一切を記して在る<ruby><rb>筈</rb><rt>はず</rt></ruby>の帳簿をしらべた。帳場の叔父さんの真面目くさった文字で、歌舞の部、誰、誰、と五人の芸者の名前が書き並べられて、謝礼いくら、いくらと、にこりともせず計算されていた。私は五人の名前を見て、一ばんおしまいから数えて二人めの、浪、というのが、それだと思った。それにちがいないと思った。少年特有の、不思議な直感で、私は、その女の子の名前を、浪、と定めてしまって、落ちついた。

いまに大きくなったら、あの芸者を買ってやると、頑固な覚悟きめてしまった。二年、三年、私は、浪を忘れることが無かった。五年、六年、私は、もはや高等学校の生徒である。すでにもう大人になった気持である。芸者買いしたって、学校から罰せられることもなかったし、私は、今こそと思った。高等学校の所在するその城下まちから、浪のいる筈のＡという小都会までは、汽車で一時間くらいで行ける。私は出掛けることにした。

二日つづきの休みのときに出掛けた。私は、高等学校の制服、制帽のままだった。<ruby><rb>謂</rb><rt>い</rt></ruby>わば、<ruby><rb>弊衣破帽</rb><rt>へいいはぼう</rt></ruby>である。けれども私は、それを恥じなかった。自分で、ひそかに、「貫一さん」みたいだと思っていた。幾春秋、忘れず胸にひめていた典雅な少女と、いまこそ晴れて逢いに行くのに、最もふさわしいロマンチックな姿であると思っていた。私は上衣のボタンをわざと一つ<ruby><rb>毮</rb><rt>むし</rt></ruby>り取った。恋に<ruby><rb>窶</rb><rt>やつ</rt></ruby>れて、少し<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んだ陰影を、おのが姿に与えたかった。

Ａという、その海のある小都会に到着したのは、ひるすこしまえで、私はそのまま行き当りばったり、駅の近くの大きい<ruby><rb>割烹</rb><rt>かっぽう</rt></ruby>店へ、どんどんはいってしまった。私にも、その頃はまだ、自意識だのなんだの、そんなけがらわしいものは持ち合せ無く、思うことそのまま行い得る美しい勇気があったのである。後で知ったのだが、その割烹店は、県知事はじめ地方名士をのみ顧客としている土地一流の店の由。なるほど玄関も、ものものしく、庭園には大きい滝があった。玄関からまっすぐに長い廊下が通じていて、廊下の板は、お寺の床板みたいに黒く冷え冷えと光って、その廊下の尽きるところ、トンネルの向う側のように青いスポット・ライトを受けて、ぱっと庭園のその大滝が望見される。葉桜のころで、光り輝く青葉の陰で、どうどうと落ちている滝は、十八歳の私には夢のようであった。ふと、われに帰り、

「ごはんを食べに来たのだ。」

いままで拭き掃除していたものらしく、<ruby><rb>箒</rb><rt>ほうき</rt></ruby>持って、手拭いを、あねさん<ruby><rb>被</rb><rt>かぶ</rt></ruby>りにしたままで、

「どうぞ。」と、その女中は、なぜか笑いながら答え、私にスリッパをそろえてくれた。

<ruby><rb>金屏風</rb><rt>きんびょうぶ</rt></ruby>立てて在る奥の二階の部屋に案内された。割烹店は、お寺のように、シンとしていた。滝の音ばかり、いやに大きく響いていた。

「ごはんを食べるのだ。」私は<ruby><rb>座蒲団</rb><rt>ざぶとん</rt></ruby>に大きく、あぐらかいて坐り、怒ったようにして、また言った。ばかにされまいとして、懸命であったのである。「さしみと、オムレツと、牛鍋とおしんこを下さい。」知っている料理を皆言ったつもりであった。

女中は、四十ちかい叔母さんで、顔が黒く、痩せていて、それでも優しそうな感じのいい人であった。私は、その女中さんにお給仕されて、ひとりで、めしを大いに食べながら、

「浪、という芸者がいないかね。」少しも、恥じずに、そう言った。美しい勇気を持っていたのである。むしろ、得意でさえあった。「僕は、知っているんだ。」

女中は、いないと答えた。私は<ruby><rb>箸</rb><rt>はし</rt></ruby>を取り落すほど、がっかりした。

「そんなことは、ない。」ひどく不気嫌だった。

女中は、うしろへ両手を廻して、ちょっと帯を直してから、答えた。浪という芸者が、いましたけれど、いつも男の言うこと聞きすぎて、田舎まわりの旅役者にだまされ、この土地に居られなくなり、いまはＡＳという温泉場で、温泉芸者している筈です、という答えであった。

「そうか。浪は、昔から、そういう子だったんだ。」なぞと、知ったかぶりをして、けれども私は暗い気持であった。そのまま帰ったのであるが、なんのことはない、私はＡ市まで、滝を見に行って来たようなものであった。

けれども私は、浪を忘れなかった。忘れるどころか、いよいよ好きになった、旅役者にだまされるとは、なんというロマンチック。偉いと思った。凡俗でないと思った。必ず、必ず、ＡＳという、その温泉場へ行って、浪を、ほめてあげようと思った。

それから三年経って、私は東京の大学へはいり、喫茶店や、バアの女とも識る機会を持ったが、やはり浪を忘れ得なかった。そのとしの暑中休暇に、故郷へ帰る途中、汽車がそのＡＳという温泉場へも停車したので、私は、とっさの中に覚悟をきめ、飛鳥の如く身を<ruby><rb>躍</rb><rt>おど</rt></ruby>らせて下車してしまった。

その夜、私は浪と逢った。浪は、太って、ずんぐりして、ちっとも美しくなかった。私は、やたらに酒を呑んだ。酔って来たら、多少ロマンチックな気持も蘇って来て、

「あなたは十年まえに、馬に乗って、Ｋという村に来たこと、なかったかね？」

「あったわ。」女は、なんでも無さそうにして答えた。

私は膝を大いにすすめて、そのとき、あなたの踊った藤娘を、僕は見ていた。十二のときだった。それから、あなたを忘れられない。苦心して、あなたの居所さがし廻って、私は、いま十年ぶりで、やっと、あなたと逢うことができたのだ。と言っているうちに、やはり胸が一ぱいになって来て、私は泣きたくなって来た。

「あなたは、それじゃ、」温泉芸者は、更に興を覚えぬ様子で、「Ｔさんのお坊ちゃんなの？」と、ぶっきらぼうな尋ねかたをした。

私は、そうだと答えたかったのだけれど、そうすると、なんだかお金持の子供を鼻にかけるようで私のロマンチックな趣味に合わなかったから、いやちがう、僕はあの家の遠縁に当る苦学生であるが、そんなことは、どうでもいい、十年ぶりでやっと思いが<ruby><rb>叶</rb><rt>かな</rt></ruby>って逢えたのだ。今夜は、この宿へ泊って行きなさい、ゆっくり話しましょう、と私ひとりは、何かと興奮しているのだが、女は一向に、このロマンチシズムを解しない。あたしは、よごれているから、と女は、泊ることを断った。私は、勘ちがいした。強い感動を受けたのである。思わず、さらに大いに膝をすすめ、

「何を言うのだ。僕だって昔の僕じゃない。全身、傷だらけだ。あなたも、苦労したろうね。お互いだ。僕だって、よごれているのだ。君は、君の暗い過去のことで<ruby><rb>負</rb><rt>ひ</rt></ruby>けめを感ずることは、少しもないんだ。」涙声にさえなっていた。

女は、やはり、その夜、泊らずに帰った。つまらない女であった。私は女の帰った真意を、解することが、できなかった。おのれの<ruby><rb>淪落</rb><rt>りんらく</rt></ruby>の身の上を恥じて、帰ってしまったものとばかり思っていたのである。

いまは、すべてに思い当り、年少のその早合点が、いろいろ複雑に悲しく、けれども、私は、これを、けがらわしい思い出であるとは決して思わない。なんにも知らず、ただ一図に、僕もよごれていると、大声で叫んだその夜の私を、いつくしみたい気持さえあるのだ。私は、たしかにかの理想主義者にちがいない。嘲うことのできる者は、嘲うがよい。