<ruby><rb>曠野</rb><rt>あれの</rt></ruby>と<ruby><rb>湿潤</rb><rt>うるおい</rt></ruby>なき地とは楽しみ、

<ruby><rb>沙漠</rb><rt>さばく</rt></ruby>は<ruby><rb>歓</rb><rt>よろこ</rt></ruby>びて<ruby><rb>番紅</rb><rt>さふらん</rt></ruby>のごとくに<ruby><rb>咲</rb><rt>はなさ</rt></ruby>かん、

<ruby><rb>盛</rb><rt>さかん</rt></ruby>に<ruby><rb>咲</rb><rt>はなさ</rt></ruby>きて歓ばん、

喜びかつ歌わん、

レバノンの<ruby><rb>栄</rb><rt>さか</rt></ruby>えはこれに与えられん、

カルメルとシャロンの<ruby><rb>美</rb><rt>うるわ</rt></ruby>しきとはこれに授けられん、

彼らはエホバの<ruby><rb>栄</rb><rt>さかえ</rt></ruby>を見ん、

我らの神の<ruby><rb>美</rb><rt>うる</rt></ruby>わしきを<ruby><rb>視</rb><rt>み</rt></ruby>ん。

（イザヤ書三五章一―二節）

今日は少しこの世のことについてお話しいたそうと<ruby><rb>欲</rb><rt>おも</rt></ruby>います。

デンマークは欧州北部の一小邦であります。その面積は朝鮮と台湾とを除いた日本帝国の十分の一でありまして、わが北海道の半分に当り、九州の一島に当らない国であります。その人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。実に取るに足りないような小国でありますが、しかしこの国について多くの面白い話があります。

今、単に経済上より観察を下しまして、この小国のけっして<ruby><rb>侮</rb><rt>あなど</rt></ruby>るべからざる国であることがわかります。この国の面積と人口とはとてもわが日本国に及びませんが、しかし富の程度にいたりましてははるかに日本以上であります。その一例を<ruby><rb>挙</rb><rt>あ</rt></ruby>げますれば日本国の二十分の一の人口を有するデンマーク国は日本の二分の一の外国貿易をもつのであります。すなわちデンマーク人一人の外国貿易の高は日本人一人の十倍に当るのであります。もってその富の程度がわかります。ある人のいいまするに、デンマーク人はたぶん世界のなかでもっとも富んだる民であるだろうとのことであります。すなわちデンマーク人一人の有する富はドイツ人または英国人または米国人一人の有する富よりも多いのであります。実に驚くべきことではありませんか。

しからばデンマーク人はどうしてこの富を得たかと問いまするに、それは彼らが国外に多くの領地をもっているからではありません、彼らはもちろん広きグリーンランドをもちます。しかし北氷洋の氷のなかにあるこの領土の経済上ほとんど何の価値もないことは<ruby><rb>何人</rb><rt>なんびと</rt></ruby>も知っております。彼らはまたその面積においてはデンマーク本土に二倍するアイスランドをもちます。しかしその名を聞いてその国の<ruby><rb>富饒</rb><rt>ふにょう</rt></ruby>の土地でないことはすぐにわかります。ほかにわずかに<ruby><rb>鳥毛</rb><rt>とりのけ</rt></ruby>を産するファロー島があります。またやや富饒なる西インド中のサンクロア、サントーマス、サンユーアンの三島があります。これ確かに富の<ruby><rb>源</rb><rt>みなもと</rt></ruby>でありますが、しかし経済上収支相償うこと<ruby><rb>尠</rb><rt>すくな</rt></ruby>きがゆえに、かつてはこれを米国に売却せんとの計画もあったくらいであります。ゆえにデンマークの富源といいまして、別に本国以外にあるのでありません。人口一人に対し世界第一の富を彼らに供せしその富源はわが九州大のデンマーク本国においてあるのであります。

しかるにこのデンマーク本国がけっして富饒の地と称すべきではないのであります。国に一鉱山あるでなく、大港湾の万国の船舶を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>くものがあるのではありません。デンマークの富は主としてその土地にあるのであります、その牧場とその家畜と、その<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>と<ruby><rb>白樺</rb><rt>しらかば</rt></ruby>との森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。ことにその誇りとするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります。デンマークは実に牛乳をもって立つ国であるということができます。トーヴァルセンを出して世界の彫刻術に一新紀元を<ruby><rb>劃</rb><rt>かく</rt></ruby>し、アンデルセンを出して近世お<ruby><rb>伽話</rb><rt>とぎばなし</rt></ruby>の元祖たらしめ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に<ruby><rb>唱</rb><rt>とな</rt></ruby>えしめしデンマークは、実に柔和なる<ruby><rb>牝牛</rb><rt>めうし</rt></ruby>の産をもって立つ小にして静かなる国であります。

しかるに今を去る四十年前のデンマークはもっとも憐れなる国でありました。一八六四年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、その要求を<ruby><rb>拒</rb><rt>こば</rt></ruby>みし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマーク人は善く戦いましたが、しかし弱はもって強に勝つ<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はず、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたび<ruby><rb>起</rb><rt>た</rt></ruby>つ能わざるにいたりました。デンマークは和を乞いました、しかして敗北の<ruby><rb>賠償</rb><rt>ばいしょう</rt></ruby>としてドイツ、オーストリアの二国に南部最良の二州シュレスウィヒとホルスタインを割譲しました。戦争はここに終りを告げました。しかしデンマークはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。いかにして国運を<ruby><rb>恢復</rb><rt>かいふく</rt></ruby>せんか、いかにして敗戦の大損害を<ruby><rb>償</rb><rt>つぐな</rt></ruby>わんか、これこの時にあたりデンマークの愛国者がその<ruby><rb>脳漿</rb><rt>のうしょう</rt></ruby>を<ruby><rb>絞</rb><rt>しぼ</rt></ruby>って考えし問題でありました。国は小さく、民は<ruby><rb>尠</rb><rt>すくな</rt></ruby>く、しかして残りし土地に荒漠多しという<ruby><rb>状態</rb><rt>ありさま</rt></ruby>でありました。国民の精力はかかるときに<ruby><rb>試</rb><rt>た</rt></ruby>めさるるのであります。戦いは敗れ、国は<ruby><rb>削</rb><rt>けず</rt></ruby>られ、国民の意気鎖沈しなにごとにも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の<ruby><rb>価値</rb><rt>ねうち</rt></ruby>は判明するのであります。戦勝国の戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣揚にともなう事業の発展はどんなつまらない実業家にもできます、難いのは戦敗国の戦後の経営であります、国運衰退のときにおける事業の発展であります。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">戦いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります</span>、宗教といい信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないものであります。しかしながら国に<ruby><rb>幽暗</rb><rt>くらき</rt></ruby>の<ruby><rb>臨</rb><rt>のぞ</rt></ruby>みしときに精神の光が必要になるのであります。国の<ruby><rb>興</rb><rt>おこ</rt></ruby>ると<ruby><rb>亡</rb><rt>ほろ</rt></ruby>ぶるとはこのときに定まるのであります。どんな国にもときには暗黒が臨みます。そのとき、これに打ち勝つことのできる民が、その民が永久に栄ゆるのであります。あたかも<ruby><rb>疾病</rb><rt>やまい</rt></ruby>の襲うところとなりて人の健康がわかると同然であります。<ruby><rb>平常</rb><rt>ふだん</rt></ruby>のときには弱い人も強い人と違いません。<ruby><rb>疾病</rb><rt>やまい</rt></ruby>に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>って弱い人は<ruby><rb>斃</rb><rt>たお</rt></ruby>れて強い人は<ruby><rb>存</rb><rt>のこ</rt></ruby>るのであります。そのごとく真に強い国は国難に遭遇して亡びないのであります。その兵は敗れ、その財は<ruby><rb>尽</rb><rt>つ</rt></ruby>きてそのときなお起るの精力を蓄うるものであります。これはまことに国民の試練の時であります。このときに亡びないで、彼らは運命のいかんにかかわらず、永久に亡びないのであります。

越王<ruby><rb>勾践</rb><rt>こうせん</rt></ruby>呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきました。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対していいました。この<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>に対して「<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。彼の名をダルガス（Enrico Mylius Dalgas）といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスを<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>われ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れ<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>りし者でありました。ユグノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。<ruby><rb>旧</rb><rt>ふる</rt></ruby>き宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。ダルガス、<ruby><rb>齢</rb><rt>とし</rt></ruby>は今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>を掘るの際、彼は<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>かに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国<ruby><rb>恢復</rb><rt>かいふく</rt></ruby>の策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸に<ruby><rb>連</rb><rt>つら</rt></ruby>なる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド（Jutland）の荒漠を化してこれを<ruby><rb>沃饒</rb><rt>よくにょう</rt></ruby>の地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰り<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>りしときに、ダルガス一人はその<ruby><rb>面</rb><rt>おも</rt></ruby>に<ruby><rb>微笑</rb><rt>えみ</rt></ruby>を<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>えその<ruby><rb>首</rb><rt>こうべ</rt></ruby>に希望の春を<ruby><rb>戴</rb><rt>いただ</rt></ruby>きました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。「まことにしかり」とダルガスは答えました。「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを<ruby><rb>得</rb><rt>う</rt></ruby>べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して<ruby><rb>薔薇</rb><rt>バラ</rt></ruby>の花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。この工兵士官に預言者イザヤの精神がありました。彼の血管に流るるユグノー党の血はこの時にあたって彼をして平和の天使たらしめました。他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものを<ruby><rb>鋤</rb><rt>すき</rt></ruby>をもって取り返さんとしました。今や敵国に対して<ruby><rb>復讐戦</rb><rt>ふくしゅうせん</rt></ruby>を計画するにあらず、<ruby><rb>鋤</rb><rt>すき</rt></ruby>と<ruby><rb>鍬</rb><rt>くわ</rt></ruby>とをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりません。

しかしダルガスはただに預言者ではありませんでした。彼は単に<ruby><rb>夢想家</rb><rt>ゆめみるもの</rt></ruby>ではありませんでした。工兵士官なる彼は、土木学者でありしと同時に、また地質学者であり植物学者でありました。彼はかのごとくにして詩人でありしと同時にまた実際家でありました。彼は理想を実現するの<ruby><rb>術</rb><rt>すべ</rt></ruby>を知っておりました。かかる軍人をわれわれはときどき欧米の軍人のなかに見るのであります。軍人といえば人を殺すの術にのみ長じている者であるとの思想は外国においては一般に行われておらないのであります。

ユトランドはデンマークの半分以上であります。しかしてその三分の一以上が不毛の地であったのであります。面積一万五千平方マイルのデンマークにとりましては三千平方マイルの曠野は過大の廃物であります。これを化して良田沃野となして、外に失いしところのものを内にありて<ruby><rb>償</rb><rt>つぐな</rt></ruby>わんとするのがそれがダルガスの夢であったのであります。しかしてこの夢を実現するにあたってダルガスの<ruby><rb>執</rb><rt>と</rt></ruby>るべき武器はただ二つでありました。その第一は水でありました。その第二は<ruby><rb>樹</rb><rt>き</rt></ruby>でありました。荒地に水を<ruby><rb>漑</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぐを得、これに樹を植えて植林の実を挙ぐるを得ば、それで<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>は成るのであります。<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>はいたって簡単でありました。しかし簡単ではあるが容易ではありませんでした。世に<ruby><rb>御</rb><rt>ぎょ</rt></ruby>し難いものとて人間の作った沙漠のごときはありません。もしユトランドの荒地がサハラの沙漠のごときものでありましたならば問題ははるかに容易であったのであります。天然の沙漠は水をさえこれに<ruby><rb>灑</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぐを得ばそれでじきに<ruby><rb>沃土</rb><rt>よきつち</rt></ruby>となるのであります。しかし人間の無謀と怠慢とになりし沙漠はこれを恢復するにもっとも難いものであります。しかしてユトランドの荒地はこの種の荒地であったのであります。今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかして<ruby><rb>降</rb><rt>くだ</rt></ruby>って今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることができました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るに<ruby><rb>急</rb><rt>きゅう</rt></ruby>にしてこれに<ruby><rb>酬</rb><rt>むく</rt></ruby>ゆるに<ruby><rb>緩</rb><rt>かん</rt></ruby>でありましたゆえに、地は時を追うてますます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき<ruby><rb>状態</rb><rt>ありさま</rt></ruby>に立ちいたったのであります。しかし人間の強欲をもってするも地は永久に殺すことのできるものではありません。神と天然とが示すある適当の方法をもってしますれば、この最悪の状態においてある土地をも<ruby><rb>元始</rb><rt>はじめ</rt></ruby>の沃饒に返すことができます。まことに詩人シラーのいいしがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。

まず溝を<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野の植物を駆逐し、これに代うるに<ruby><rb>馬鈴薯</rb><rt>じゃがたらいも</rt></ruby>ならびに<ruby><rb>牧草</rb><rt>ぼくそう</rt></ruby>をもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。しかし難中の難事は荒地に樹を植ゆることでありました、このことについてダルガスは非常の苦心をもって研究しました。植物界広しといえどもユトランドの荒地に適しそこに成育してレバノンの栄えを<ruby><rb>呈</rb><rt>あら</rt></ruby>わす樹はあるやなしやと彼は研究に研究を重ねました。しかして彼の心に思い当りましたのはノルウェー産の<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>でありました、これはユトランドの荒地に成育すべき樹であることはわかりました。しかしながら実際これを<ruby><rb>試験</rb><rt>ため</rt></ruby>してみますると、思うとおりには行きません。樅は<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>えは<ruby><rb>生</rb><rt>は</rt></ruby>えまするが数年ならずして枯れてしまいます。ユトランドの荒地は今やこの<ruby><rb>強梗</rb><rt>きょうこう</rt></ruby>なる樹木をさえ養うに足るの養分を<ruby><rb>存</rb><rt>のこ</rt></ruby>しませんでした。

しかしダルガスの熱心はこれがために<ruby><rb>挫</rb><rt>くじ</rt></ruby>けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。しかして彼の<ruby><rb>頭脳</rb><rt>あたま</rt></ruby>にフト浮び出ましたことはアルプス産の<ruby><rb>小樅</rb><rt>こもみ</rt></ruby>でありました。もしこれを移植したらばいかんと彼は思いました。しかしてこれを取り<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>りてノルウェー産の樅のあいだに植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相いならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。ここにおいて大問題は<ruby><rb>釈</rb><rt>と</rt></ruby>けました。ユトランドの荒野に始めて緑の野を見ることができました。緑は希望の色であります。ダルガスの希望、デンマークの希望、その民二百五十万の希望は実際に現われました。

しかし問題はいまだ<ruby><rb>全</rb><rt>まった</rt></ruby>く釈けませんでした。緑の<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">野</span>はできましたが、緑の<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">林</span>はできませんでした。ユトランドの荒地より建築用の木材をも伐り得んとのダルガスの野心的欲望は事実となりて現われませんでした。<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>はある程度まで成長して、それで成長を止めました、その<ruby><rb>枯死</rb><rt>かれること</rt></ruby>はアルプス産の<ruby><rb>小樅</rb><rt>こもみ</rt></ruby>の<ruby><rb>併植</rb><rt>へいしょく</rt></ruby>をもって<ruby><rb>防</rb><rt>ふせ</rt></ruby>ぎ得ましたけれども、その永久の成長はこれによって<ruby><rb>成就</rb><rt>とげ</rt></ruby>られませんでした。「ダルガスよ、汝の預言せし材木を与えよ」といいてデンマークの農夫らは彼に迫りました。あたかもエジプトより<ruby><rb>遁</rb><rt>のが</rt></ruby>れ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの<ruby><rb>祈願</rb><rt>ねがい</rt></ruby>を聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は今度は彼に<ruby><rb>臨</rb><rt>のぞ</rt></ruby>まずして彼の子に臨みました、彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父の<ruby><rb>質</rb><rt>たち</rt></ruby>を受けて善き植物学者でありました。彼は<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>の成長について大なる発見をなしました。

若きダルガスはいいました、大樅がある程度以上に成長しないのは小樅をいつまでも大樅のそばに<ruby><rb>生</rb><rt>はや</rt></ruby>しておくからである。もしある時期に達して小樅を<ruby><rb>斫</rb><rt>き</rt></ruby>り払ってしまうならば大樅は<ruby><rb>独</rb><rt>ひと</rt></ruby>り土地を占領してその成長を続けるであろうと。しかして若きダルガスのこの言を実際に<ruby><rb>試</rb><rt>ため</rt></ruby>してみましたところが実にそのとおりでありました。小樅はある程度まで大樅の成長を<ruby><rb>促</rb><rt>うなが</rt></ruby>すの<ruby><rb>能力</rb><rt>ちから</rt></ruby>を持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、との<ruby><rb>奇態</rb><rt>きたい</rt></ruby>なる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであります。しかもこの発見はデンマーク国の開発にとりては実に絶大なる発見でありました、これによってユトランドの荒地<ruby><rb>挽回</rb><rt>ばんかい</rt></ruby>の難問題は解釈されたのであります。これよりして各地に<ruby><rb>鬱蒼</rb><rt>うっそう</rt></ruby>たる樅の林を見るにいたりました。一八六〇年においてはユトランドの山林はわずかに十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積の七分二厘に過ぎません。さらにダルガスの方法に<ruby><rb>循</rb><rt>したが</rt></ruby>い植林を継続いたしますならば数十年の後にはかの地に数百万エーカーの緑林を見るにいたるのでありましょう。実に多望と<ruby><rb>謂</rb><rt>いい</rt></ruby>つべしであります。

しかし植林の効果は単に木材の収穫に<ruby><rb>止</rb><rt>とど</rt></ruby>まりません。第一にその善き感化を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>りたるものはユトランドの気候でありました。樹木のなき土地は熱しやすくして<ruby><rb>冷</rb><rt>さ</rt></ruby>めやすくあります。ゆえにダルガスの植林以前においてはユトランドの夏は昼は非常に暑くして、夜はときに霜を見ました。四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を見ることでありますれば、植生は<ruby><rb>堪</rb><rt>たま</rt></ruby>ったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもって<ruby><rb>種</rb><rt>う</rt></ruby>ゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、その他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは<ruby><rb>大樅</rb><rt>おおもみ</rt></ruby>の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。

しかし植林の善き感化はこれに<ruby><rb>止</rb><rt>とど</rt></ruby>まりませんでした。樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる<ruby><rb>砂塵</rb><rt>すなほこり</rt></ruby>の荒廃を<ruby><rb>止</rb><rt>と</rt></ruby>めました。北海沿岸特有の<ruby><rb>砂丘</rb><rt>すなやま</rt></ruby>は海岸近くに喰い止められました、<ruby><rb>樅</rb><rt>もみ</rt></ruby>は根を地に張りて襲いくる<ruby><rb>砂塵</rb><rt>すなほこり</rt></ruby>に対していいました、

ここまでは<ruby><rb>来</rb><rt>きた</rt></ruby>るを<ruby><rb>得</rb><rt>う</rt></ruby>べし

しかしここを越ゆべからず

と（ヨブ記三八章一一節）。北海に<ruby><rb>浜</rb><rt>ひん</rt></ruby>する国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき<ruby><rb>砂丘</rb><rt>すなやま</rt></ruby>は、戦闘艦ならずして緑の樅の林をもって、ここにみごとに撃退されたのであります。

霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現わるるものであります。もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが<ruby><rb>邦</rb><rt>くに</rt></ruby>のごとき<ruby><rb>山国</rb><rt>やまぐに</rt></ruby>におけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すらダルガスの事業によって除かれたのであります。

かくのごとくにしてユトランドの全州は一変しました。<ruby><rb>廃</rb><rt>すた</rt></ruby>りし<ruby><rb>市邑</rb><rt>しゆう</rt></ruby>はふたたび起りました。新たに町村は設けられました。地価は非常に<ruby><rb>騰貴</rb><rt>とうき</rt></ruby>しました、あるところにおいては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは<ruby><rb>縦横</rb><rt>たてよこ</rt></ruby>に築かれました。わが四国全島にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでに<ruby><rb>償</rb><rt>つぐな</rt></ruby>われてなお余りあるとのことであります。

しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマーク人の精神はダルガス植林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を恢復しました、彼らは国を<ruby><rb>削</rb><rt>けず</rt></ruby>られてさらに新たに良き国を得たのであります。しかも他人の国を奪ったのではありません。己れの国を改造したのであります。自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに<ruby><rb>大樅</rb><rt>おおもみ</rt></ruby>、<ruby><rb>小樅</rb><rt>こもみ</rt></ruby>の不思議なる<ruby><rb>能力</rb><rt>ちから</rt></ruby>とによりて、彼らの荒れたる国を<ruby><rb>挽回</rb><rt>ばんかい</rt></ruby>したのであります。

ダルガスの他の事業について私は今ここに語るの時をもちません。彼はいかにして<ruby><rb>砂地</rb><rt>すなじ</rt></ruby>を田園に化せしか、いかにして沼地の水を<ruby><rb>排</rb><rt>はら</rt></ruby>いしか、いかにして<ruby><rb>磽地</rb><rt>いしじ</rt></ruby>を<ruby><rb>拓</rb><rt>ひら</rt></ruby>いて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き<ruby><rb>物語</rb><rt>ものがたり</rt></ruby>であります。これらの問題に興味を有せらるる諸君はじかに私についてお尋ねを願います。

＊　　　　　　＊　　　　　　＊　　　　　　＊

今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。

第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして<ruby><rb>尠</rb><rt>すくな</rt></ruby>くないのであります。国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>、その正反対が事実であります。<ruby><rb>牢固</rb><rt>ろうこ</rt></ruby>たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。デンマークは実にその善き実例であります。

第二は天然の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、<ruby><rb>島嶼</rb><rt>とうしょ</rt></ruby>にもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の<ruby><rb>主</rb><rt>ぬし</rt></ruby>かならずしも富者ではありません。小島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に<ruby><rb>勝</rb><rt>ま</rt></ruby>さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして<ruby><rb>歎</rb><rt>なげ</rt></ruby>くに足りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー（力）であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります。海の<ruby><rb>波濤</rb><rt>なみ</rt></ruby>にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります。かならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>り、それよりも小なる国で足ります。<ruby><rb>外</rb><rt>そと</rt></ruby>に<ruby><rb>拡</rb><rt>ひろ</rt></ruby>がらんとするよりは<ruby><rb>内</rb><rt>うち</rt></ruby>を開発すべきであります。

第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません、軍艦ではありません。はたまた金ではありません、銀ではありません、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">信仰であります</span>。このことにかんしましてはマハン大佐もいまだ真理を語りません、アダム・スミス、Ｊ・Ｓ・ミルもいまだ真理を語りません。このことにかんして真理を語ったものはやはり<ruby><rb>旧</rb><rt>ふる</rt></ruby>い『聖書』であります。

もし<ruby><rb>芥種</rb><rt>からしだね</rt></ruby>のごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れと<ruby><rb>命</rb><rt>い</rt></ruby>うとも、かならず移らん、また汝らに<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>わざることなかるべし

とイエスはいいたまいました（マタイ伝一七章二〇節）。また

おおよそ神によりて生まるる者は世に勝つ、われらをして世に勝たしむるものはわれらの信なり

と聖ヨハネはいいました（ヨハネ第一書五章四節）。世に勝つの力、地を征服する力はやはり信仰であります。ユグノー党の信仰はその一人をもって<ruby><rb>鋤</rb><rt>すき</rt></ruby>と<ruby><rb>樅樹</rb><rt>もみのき</rt></ruby>とをもってデンマーク国を救いました。よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終ったのであります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業が成ったのであります。宗教、信仰、経済に関係なしと<ruby><rb>唱</rb><rt>とな</rt></ruby>うる者は誰でありますか。宗教は詩人と愚人とに<ruby><rb>佳</rb><rt>よ</rt></ruby>くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何にも知らない人であります。国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「<ruby><rb>智</rb><rt>さと</rt></ruby>き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">国家の大危険にして信仰を嘲り</span>、<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">これを無用視するがごときことはありません</span>。私が今日ここにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに<ruby><rb>軽佻浮薄</rb><rt>けいちょうふはく</rt></ruby>の経世家を<ruby><rb>警</rb><rt>いまし</rt></ruby>むべきであります。