目のあらい<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>が、入口にぶらさげてあるので、往来の<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>は仕事場にいても、よく見えた。<ruby><rb>清水</rb><rt>きよみず</rt></ruby>へ通う往来は、さっきから、人通りが絶えない。<ruby><rb>金鼓</rb><rt>こんく</rt></ruby>をかけた<ruby><rb>法師</rb><rt>ほうし</rt></ruby>が通る。<ruby><rb>壺装束</rb><rt>つぼしょうぞく</rt></ruby>をした女が通る。その<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>からは、めずらしく、<ruby><rb>黄牛</rb><rt>あめうし</rt></ruby>に<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>かせた<ruby><rb>網代車</rb><rt>あじろぐるま</rt></ruby>が通った。それが皆、<ruby><rb>疎</rb><rt>まばら</rt></ruby>な<ruby><rb>蒲</rb><rt>がま</rt></ruby>の<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>の目を、右からも左からも、来たかと思うと、通りぬけてしまう。その中で変らないのは、午後の日が暖かに春を<ruby><rb>炙</rb><rt>あぶ</rt></ruby>っている、狭い往来の土の色ばかりである。

その人の往来を、仕事場の中から、何と云う事もなく眺めていた、一人の<ruby><rb>青侍</rb><rt>あおざむらい</rt></ruby>が、この時、ふと思いついたように、<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>の<ruby><rb>陶器師</rb><rt>すえものつくり</rt></ruby>へ声をかけた。

「<ruby><rb>不相変</rb><rt>あいかわらず</rt></ruby>、<ruby><rb>観音様</rb><rt>かんのんさま</rt></ruby>へ参詣する人が多いようだね。」

「左様でございます。」

<ruby><rb>陶器師</rb><rt>すえものつくり</rt></ruby>は、仕事に気をとられていたせいか、少し迷惑そうに、こう答えた。が、これは眼の小さい、鼻の上を向いた、どこかひょうきんな所のある老人で、顔つきにも<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>にも、悪気らしいものは、<ruby><rb>微塵</rb><rt>みじん</rt></ruby>もない。着ているのは、<ruby><rb>麻</rb><rt>あさ</rt></ruby>の<ruby><rb>帷子</rb><rt>かたびら</rt></ruby>であろう。それに<ruby><rb>萎</rb><rt>な</rt></ruby>えた<ruby><rb>揉烏帽子</rb><rt>もみえぼし</rt></ruby>をかけたのが、この頃評判の高い<ruby><rb>鳥羽僧正</rb><rt>とばそうじょう</rt></ruby>の絵巻の中の人物を見るようである。

「私も一つ、<ruby><rb>日参</rb><rt>にっさん</rt></ruby>でもして見ようか。こう、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うだつ</span>が上らなくちゃ、やりきれない。」

「<ruby><rb>御冗談</rb><rt>ごじようだん</rt></ruby>で。」

「なに、これで善い運が<ruby><rb>授</rb><rt>さず</rt></ruby>かるとなれば、私だって、信心をするよ。日参をしたって、<ruby><rb>参籠</rb><rt>さんろう</rt></ruby>をしたって、そうとすれば、安いものだからね。つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」

青侍は、年相応な<ruby><rb>上調子</rb><rt>うわちょうし</rt></ruby>なもの言いをして、下唇を<ruby><rb>舐</rb><rt>な</rt></ruby>めながら、きょろきょろ、仕事場の中を見廻した。――<ruby><rb>竹藪</rb><rt>たけやぶ</rt></ruby>を<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>にして建てた、<ruby><rb>藁葺</rb><rt>わらぶ</rt></ruby>きのあばら<ruby><rb>家</rb><rt>や</rt></ruby>だから、中は鼻がつかえるほど狭い。が、簾の外の往来が、目まぐるしく動くのに引換えて、ここでは、<ruby><rb>甕</rb><rt>かめ</rt></ruby>でも<ruby><rb>瓶子</rb><rt>へいし</rt></ruby>でも、皆<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>ちゃけた<ruby><rb>土器</rb><rt>かわらけ</rt></ruby>の<ruby><rb>肌</rb><rt>はだ</rt></ruby>をのどかな春風に吹かせながら、百年も昔からそうしていたように、ひっそりかんと静まっている。どうやらこの家の<ruby><rb>棟</rb><rt>むね</rt></ruby>ばかりは、<ruby><rb>燕</rb><rt>つばめ</rt></ruby>さえも巣を食わないらしい。……

<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>が返事をしないので、青侍はまた語を<ruby><rb>継</rb><rt>つ</rt></ruby>いだ。

「お<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さんなんぞも、この年までには、随分いろんな事を見たり聞いたりしたろうね。どうだい。観音様は、ほんとうに運を授けて下さるものかね。」

「左様でございます。昔は折々、そんな事もあったように聞いて居りますが。」

「どんな事があったね。」

「どんな事と云って、そう一口には申せませんがな。――しかし、<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>がたは、そんな話をお聞きなすっても、格別面白くもございますまい。」

「可哀そうに、これでも少しは<ruby><rb>信心気</rb><rt>しんじんぎ</rt></ruby>のある男なんだぜ。いよいよ運が授かるとなれば、<ruby><rb>明日</rb><rt>あす</rt></ruby>にも――」

「信心気でございますかな。商売気でございますかな。」

<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>は、<ruby><rb>眦</rb><rt>めじり</rt></ruby>に<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>をよせて笑った。<ruby><rb>捏</rb><rt>こ</rt></ruby>ねていた土が、<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>の形になったので、やっと気が楽になったと云う調子である。

「神仏の御考えなどと申すものは、<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>がたくらいのお年では、中々わからないものでございますよ。」

「それはわからなかろうさ。わからないから、お爺さんに聞くんだあね。」

「いやさ、神仏が運をお授けになる、ならないと云う事じゃございません。そのお授けになる運の善し悪しと云う事が。」

「だって、授けて貰えばわかるじゃないか。善い運だとか、悪い運だとか。」

「それが、どうも貴方がたには、ちとおわかりになり兼ねましょうて。」

「私には運の善し悪しより、そう云う理窟の方がわからなそうだね。」

日が傾き出したのであろう。さっきから見ると、往来へ落ちる物の影が、心もち長くなった。その長い影をひきながら、<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>に<ruby><rb>桶</rb><rt>おけ</rt></ruby>をのせた物売りの女が二人、簾の目を横に、通りすぎる。一人は手に宿への<ruby><rb>土産</rb><rt>みやげ</rt></ruby>らしい桜の枝を持っていた。

「今、西の<ruby><rb>市</rb><rt>いち</rt></ruby>で、<ruby><rb>績麻</rb><rt>うみそ</rt></ruby>の<ruby><rb>鄽</rb><rt>みせ</rt></ruby>を出している女なぞもそうでございますが。」

「だから、私はさっきから、お爺さんの話を聞きたがっているじゃないか。」

二人は、暫くの間、黙った。青侍は、爪で<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>のひげを抜きながら、ぼんやり往来を眺めている。貝殻のように白く光るのは、<ruby><rb>大方</rb><rt>おおかた</rt></ruby>さっきの桜の花がこぼれたのであろう。

「話さないかね。お爺さん。」

やがて、眠そうな声で、青侍が云った。

「では、御免を蒙って、一つ御話し申しましょうか。また、いつもの昔話でございますが。」

こう前置きをして、<ruby><rb>陶器師</rb><rt>すえものつくり</rt></ruby>の翁は、<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむろ</rt></ruby>に話し出した。日の長い短いも知らない人でなくては、話せないような、悠長な口ぶりで話し出したのである。

「もうかれこれ三四十年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分に、この<ruby><rb>清水</rb><rt>きよみず</rt></ruby>の観音様へ、<ruby><rb>願</rb><rt>がん</rt></ruby>をかけた事がございました。どうぞ一生安楽に暮せますようにと申しましてな。何しろ、その時分は、あの女もたった一人のおふくろに<ruby><rb>死別</rb><rt>しにわか</rt></ruby>れた後で、それこそ<ruby><rb>日々</rb><rt>にちにち</rt></ruby>の暮しにも差支えるような身の上でございましたから、そう云う<ruby><rb>願</rb><rt>がん</rt></ruby>をかけたのも、<ruby><rb>満更</rb><rt>まんざら</rt></ruby>無理はございません。

「死んだおふくろと申すのは、もと<ruby><rb>白朱社</rb><rt>はくしゅしゃ</rt></ruby>の<ruby><rb>巫子</rb><rt>みこ</rt></ruby>で、一しきりは大そう<ruby><rb>流行</rb><rt>はや</rt></ruby>ったものでございますが、<ruby><rb>狐</rb><rt>きつね</rt></ruby>を使うと云う<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>を立てられてからは、めっきり人も来なくなってしまったようでございます。これがまた、白あばたの、年に似合わず水々しい、大がらな婆さんでございましてな、何さま、あの<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>じゃ、狐どころか男でも……」

「おふくろの話よりは、その娘の話の方を伺いたいね。」

「いや、これは御挨拶で。――そのおふくろが死んだので、後は娘一人の<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せ腕でございますから、いくらかせいでも、<ruby><rb>暮</rb><rt>くらし</rt></ruby>の立てられようがございませぬ。そこで、あの<ruby><rb>容貌</rb><rt>きりょう</rt></ruby>のよい、<ruby><rb>利発者</rb><rt>りはつもの</rt></ruby>の娘が、お<ruby><rb>籠</rb><rt>こも</rt></ruby>りをするにも、<ruby><rb>襤褸</rb><rt>つづれ</rt></ruby>故に、あたりへ気がひけると云う始末でございました。」

「へえ。そんなに<ruby><rb>好</rb><rt>い</rt></ruby>い女だったかい。」

「左様でございます。気だてと云い、顔と云い、手前の欲目では、まずどこへ出しても、恥しくないと思いましたがな。」

「惜しい事に、昔さね。」

青侍は、色のさめた藍の<ruby><rb>水干</rb><rt>すいかん</rt></ruby>の袖口を、ちょいとひっぱりながら、こんな事を云う。翁は、笑声を鼻から抜いて、またゆっくり話しつづけた。<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>の竹籔では、<ruby><rb>頻</rb><rt>しきり</rt></ruby>に<ruby><rb>鶯</rb><rt>うぐいす</rt></ruby>が啼いている。

「それが、<ruby><rb>三七日</rb><rt>さんしちにち</rt></ruby>の間、お籠りをして、今日が満願と云う<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>に、ふと夢を見ました。何でも、同じ<ruby><rb>御堂</rb><rt>おどう</rt></ruby>に<ruby><rb>詣</rb><rt>まい</rt></ruby>っていた連中の中に、背むしの<ruby><rb>坊主</rb><rt>ぼうず</rt></ruby>が一人いて、そいつが何か<ruby><rb>陀羅尼</rb><rt>だらに</rt></ruby>のようなものを、くどくど<ruby><rb>誦</rb><rt>ず</rt></ruby>していたそうでございます。大方それが、気になったせいでございましょう。うとうと眠気がさして来ても、その声ばかりは、どうしても耳をはなれませぬ。とんと、縁の下で<ruby><rb>蚯蚓</rb><rt>みみず</rt></ruby>でも鳴いているような心もちで――すると、その声が、いつの間にやら人間の<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>になって、『ここから帰る路で、そなたに云いよる男がある。その男の云う事を聞くがよい。』と、こう聞えると申すのでございますな。

「はっと思って、眼がさめると、坊主はやっぱり<ruby><rb>陀羅尼三昧</rb><rt>だらにざんまい</rt></ruby>でございます。が、何と云っているのだか、いくら耳を澄ましても、わかりませぬ。その時、何気なく、ひょいと向うを見ると、<ruby><rb>常夜燈</rb><rt>じょうやとう</rt></ruby>のぼんやりした明りで、観音様の御顔が見えました。日頃<ruby><rb>拝</rb><rt>おが</rt></ruby>みなれた、<ruby><rb>端厳微妙</rb><rt>たんごんみみょう</rt></ruby>の御顔でございますが、それを見ると、不思議にもまた耳もとで、『その男の云う事を聞くがよい。』と、誰だか云うような気がしたそうでございます。そこで、娘はそれを観音様の<ruby><rb>御告</rb><rt>おつげ</rt></ruby>だと、<ruby><rb>一図</rb><rt>いちず</rt></ruby>に思いこんでしまいましたげな。」

「はてね。」

「さて、夜がふけてから、御寺を出て、だらだら下りの坂路を、五条へくだろうとしますと、案の<ruby><rb>定</rb><rt>じょう</rt></ruby><ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から、男が一人抱きつきました。丁度、春さきの暖い晩でございましたが、<ruby><rb>生憎</rb><rt>あいにく</rt></ruby>の暗で、相手の男の顔も見えなければ、着ている物などは、<ruby><rb>猶</rb><rt>なお</rt></ruby>の事わかりませぬ。ただ、ふり離そうとする拍子に、手が向うの<ruby><rb>口髭</rb><rt>くちひげ</rt></ruby>にさわりました。いやはや、とんだ時が、<ruby><rb>満願</rb><rt>まんがん</rt></ruby>の夜に当ったものでございます。

「その上、相手は、名を<ruby><rb>訊</rb><rt>き</rt></ruby>かれても、名を申しませぬ。所を訊かれても、所を申しませぬ。ただ、云う事を聞けと云うばかりで、坂下の路を北へ北へ、抱きすくめたまま、引きずるようにして、つれて行きます。泣こうにも、<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>こうにも、まるで人通りのない時分なのだから、仕方がございませぬ。」

「ははあ、それから。」

「それから、とうとう<ruby><rb>八坂寺</rb><rt>やさかでら</rt></ruby>の塔の中へ、つれこまれて、その晩はそこですごしたそうでございます。――いや、その<ruby><rb>辺</rb><rt>へん</rt></ruby>の事なら、何も年よりの手前などが、わざわざ申し上げるまでもございますまい。」

<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>は、また<ruby><rb>眦</rb><rt>めじり</rt></ruby>に<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>をよせて、笑った。往来の影は、いよいよ長くなったらしい。吹くともなく渡る風のせいであろう、そこここに散っている桜の花も、いつの間にかこっちへ吹きよせられて、今では、雨落ちの石の間に、点々と白い色をこぼしている。

「冗談云っちゃいけない。」

青侍は、思い出したように、<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>のひげを抜き抜き、こう云った。

「それで、もうおしまいかい。」

「それだけなら、何もわざわざお話し申すがものはございませぬ。」<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>は、やはり<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>をいじりながら、「夜があけると、その男が、こうなるのも大方<ruby><rb>宿世</rb><rt>すくせ</rt></ruby>の縁だろうから、とてもの事に<ruby><rb>夫婦</rb><rt>みょうと</rt></ruby>になってくれと申したそうでございます。」

「成程。」

「夢の御告げでもないならともかく、娘は、観音様のお<ruby><rb>思召</rb><rt>おぼしめ</rt></ruby>し通りになるのだと思ったものでございますから、とうとう<ruby><rb>首</rb><rt>かぶり</rt></ruby>を<ruby><rb>竪</rb><rt>たて</rt></ruby>にふりました。さて<ruby><rb>形</rb><rt>かた</rt></ruby>ばかりの<ruby><rb>盃事</rb><rt>さかずきごと</rt></ruby>をすませると、まず、当座の用にと云って、塔の奥から出して来てくれたのが<ruby><rb>綾</rb><rt>あや</rt></ruby>を十<ruby><rb>疋</rb><rt>ぴき</rt></ruby>に絹を十疋でございます。――この<ruby><rb>真似</rb><rt>まね</rt></ruby>ばかりは、いくら<ruby><rb>貴方</rb><rt>あなた</rt></ruby>にもちとむずかしいかも存じませんな。」

青侍は、にやにや笑うばかりで、返事をしない。鶯も、もう啼かなくなった。

「やがて、男は、日の<ruby><rb>暮</rb><rt>くれ</rt></ruby>に帰ると云って、娘一人を<ruby><rb>留守居</rb><rt>るすい</rt></ruby>に、<ruby><rb>慌</rb><rt>あわただ</rt></ruby>しくどこかへ出て参りました。その<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>の淋しさは、また一倍でございます。いくら利発者でも、こうなると、さすがに心細くなるのでございましょう。そこで、心晴らしに、<ruby><rb>何気</rb><rt>なにげ</rt></ruby>なく塔の奥へ行って見ると、どうでございましょう。綾や絹は<ruby><rb>愚</rb><rt>おろか</rt></ruby>な事、珠玉とか<ruby><rb>砂金</rb><rt>さきん</rt></ruby>とか云う<ruby><rb>金目</rb><rt>かねめ</rt></ruby>の物が、<ruby><rb>皮匣</rb><rt>かわご</rt></ruby>に幾つともなく、並べてあると云うじゃございませぬか。これにはああ云う気丈な娘でも、思わず<ruby><rb>肚胸</rb><rt>とむね</rt></ruby>をついたそうでございます。

「物にもよりますが、こんな<ruby><rb>財物</rb><rt>たから</rt></ruby>を持っているからは、もう<ruby><rb>疑</rb><rt>うたがい</rt></ruby>はございませぬ。<ruby><rb>引剥</rb><rt>ひはぎ</rt></ruby>でなければ、<ruby><rb>物盗</rb><rt>ものと</rt></ruby>りでございます。――そう思うと、今まではただ、さびしいだけだったのが、急に、怖いのも手伝って、何だか<ruby><rb>片時</rb><rt>かたとき</rt></ruby>もこうしては、いられないような気になりました。何さま、悪く<ruby><rb>放免</rb><rt>ほうめん</rt></ruby>の手にでもかかろうものなら、どんな目に<ruby><rb>遭</rb><rt>あ</rt></ruby>うかも知れませぬ。

「そこで、逃げ場をさがす気で、急いで戸口の方へ引返そうと致しますと、誰だか、<ruby><rb>皮匣</rb><rt>かわご</rt></ruby>の<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から、しわがれた声で呼びとめました。何しろ、人はいないとばかり思っていた所でございますから、驚いたの驚かないのじゃございませぬ。見ると、人間とも<ruby><rb>海鼠</rb><rt>なまこ</rt></ruby>ともつかないようなものが、砂金の袋を積んだ中に、<ruby><rb>円</rb><rt>まる</rt></ruby>くなって、坐って居ります。――これが目くされの、<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>だらけの、腰のまがった、背の低い、六十ばかりの<ruby><rb>尼法師</rb><rt>あまほうし</rt></ruby>でございました。しかも娘の<ruby><rb>思惑</rb><rt>おもわく</rt></ruby>を知ってか知らないでか、<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>で前へのり出しながら、見かけによらない<ruby><rb>猫撫声</rb><rt>ねこなでごえ</rt></ruby>で、初対面の<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>をするのでございます。

「こっちは、それ所の<ruby><rb>騒</rb><rt>さわ</rt></ruby>ぎではないのでございますが、何しろ逃げようと云う<ruby><rb>巧</rb><rt>たく</rt></ruby>みをけどられなどしては大変だと思ったので、しぶしぶ<ruby><rb>皮匣</rb><rt>かわご</rt></ruby>の上に<ruby><rb>肘</rb><rt>ひじ</rt></ruby>をつきながら心にもない世間話をはじめました。どうも話の<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>では、この婆さんが、今まであの男の<ruby><rb>炊女</rb><rt>みずし</rt></ruby>か何かつとめていたらしいのでございます。が、男の商売の事になると、妙に一口も話しませぬ。それさえ、娘の方では、気になるのに、その<ruby><rb>尼</rb><rt>あま</rt></ruby>がまた、少し耳が遠いと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直したり聞き直したりするので、こっちはもう泣き出したいほど、気がじれます。――

「そんな事が、かれこれ<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>までつづいたでございましょう。すると、やれ清水の桜が咲いたの、やれ五条の<ruby><rb>橋普請</rb><rt>はしぶしん</rt></ruby>が出来たのと云っている<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>に、幸い、年の<ruby><rb>加減</rb><rt>かげん</rt></ruby>か、この婆さんが、そろそろ<ruby><rb>居睡</rb><rt>いねむ</rt></ruby>りをはじめました。一つは娘の返答が、はかばかしくなかったせいもあるのでございましょう。そこで、娘は、折を計って、相手の寝息を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>いながら、そっと入口まで<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>って行って、戸を細目にあけて見ました。外にも、いい案配に、人のけはいはございませぬ。――

「ここでそのまま、逃げ出してしまえば、何事もなかったのでございますが、ふと<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>貰った綾と絹との事を思い出したので、それを取りに、またそっと<ruby><rb>皮匣</rb><rt>かわご</rt></ruby>の所まで帰って参りました。すると、どうした拍子か、砂金の袋にけつまずいて、思わず手が婆さんの<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>にさわったから、たまりませぬ。尼の奴め驚いて眼をさますと、暫くはただ、あっけにとられて、いたようでございますが、急に気ちがいのようになって、娘の足にかじりつきました。そうして、半分泣き声で、早口に何かしゃべり立てます。切れ切れに、<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>が耳へはいる所では、万一娘に逃げられたら、自分がどんなひどい目に遇うかも知れないと、こう云っているらしいのでございますな。が、こっちもここにいては命にかかわると云う時でございますから、元よりそんな事に耳をかす訳がございませぬ。そこで、とうとう、女同志のつかみ合がはじまりました。

「打つ。<ruby><rb>蹴</rb><rt>け</rt></ruby>る。砂金の袋をなげつける。――<ruby><rb>梁</rb><rt>はり</rt></ruby>に巣を食った<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>も、落ちそうな騒ぎでございます。それに、こうなると、死物狂いだけに、婆さんの力も、<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>には出来ませぬ。が、そこは年のちがいでございましょう。間もなく、娘が、綾と絹とを<ruby><rb>小脇</rb><rt>こわき</rt></ruby>にかかえて、息を切らしながら、塔の戸口をこっそり、忍び出た時には、<ruby><rb>尼</rb><rt>あま</rt></ruby>はもう、口もきかないようになって居りました。これは、<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>で聞いたのでございますが、<ruby><rb>死骸</rb><rt>しがい</rt></ruby>は、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄暗い隅の方に、<ruby><rb>仰向</rb><rt>あおむ</rt></ruby>けになって、<ruby><rb>臥</rb><rt>ね</rt></ruby>ていたそうでございます。

「こっちは<ruby><rb>八坂寺</rb><rt>やさかでら</rt></ruby>を出ると、<ruby><rb>町家</rb><rt>ちょうか</rt></ruby>の多い所は、さすがに気がさしたと見えて、五条<ruby><rb>京極</rb><rt>きょうごく</rt></ruby>辺の<ruby><rb>知人</rb><rt>しりびと</rt></ruby>の家をたずねました。この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、<ruby><rb>粥</rb><rt>かゆ</rt></ruby>を煮るやら、いろいろ<ruby><rb>経営</rb><rt>けいえい</rt></ruby>してくれたそうでございます。そこで、娘も<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く、ほっと一息つく事が出来ました。」

「私も、やっと安心したよ。」

<ruby><rb>青侍</rb><rt>あおざむらい</rt></ruby>は、帯にはさんでいた<ruby><rb>扇</rb><rt>おおぎ</rt></ruby>をぬいて、<ruby><rb>簾</rb><rt>すだれ</rt></ruby>の外の夕日を眺めながら、それを器用に、ぱちつかせた。その夕日の中を、今しがた<ruby><rb>白丁</rb><rt>はくちょう</rt></ruby>が五六人、騒々しく笑い興じながら、通りすぎたが、影はまだ往来に残っている。……

「じゃそれでいよいよ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けり</span>がついたと云う訳だね。」

「所が」<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>は<ruby><rb>大仰</rb><rt>おおぎょう</rt></ruby>に首を振って、「その<ruby><rb>知人</rb><rt>しりびと</rt></ruby>の家に居りますと、急に往来の人通りがはげしくなって、あれを見い、あれを見いと、<ruby><rb>罵</rb><rt>ののし</rt></ruby>り合う声が聞えます。何しろ、<ruby><rb>後暗</rb><rt>うしろぐら</rt></ruby>い体ですから、娘はまた、胸を痛めました。あの<ruby><rb>物盗</rb><rt>ものと</rt></ruby>りが仕返ししにでも来たものか、さもなければ、<ruby><rb>検非違使</rb><rt>けびいし</rt></ruby>の<ruby><rb>追手</rb><rt>おって</rt></ruby>がかかりでもしたものか、――そう思うともう、おちおち、<ruby><rb>粥</rb><rt>かゆ</rt></ruby>を<ruby><rb>啜</rb><rt>すす</rt></ruby>っても居られませぬ。」

「成程。」

「そこで、戸の<ruby><rb>隙間</rb><rt>すきま</rt></ruby>から、そっと外を覗いて見ると、見物の<ruby><rb>男女</rb><rt>なんにょ</rt></ruby>の中を、<ruby><rb>放免</rb><rt>ほうめん</rt></ruby>が五六人、それに<ruby><rb>看督長</rb><rt>かどのおさ</rt></ruby>が一人ついて、物々しげに通りました。それからその連中にかこまれて、縄にかかった男が一人、所々<ruby><rb>裂</rb><rt>さ</rt></ruby>けた水干を着て<ruby><rb>烏帽子</rb><rt>えぼし</rt></ruby>もかぶらず、曳かれて参ります。どうも物盗りを捕えて、これからその<ruby><rb>住家</rb><rt>すみか</rt></ruby>へ、<ruby><rb>実録</rb><rt>じつろく</rt></ruby>をしに行く所らしいのでございますな。

「しかも、その物盗りと云うのが、<ruby><rb>昨夜</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>、五条の坂で云いよった、あの男だそうじゃございませぬか。娘はそれを見ると、何故か、涙がこみ上げて来たそうでございます。これは、当人が、手前に話しました――何も、その男に<ruby><rb>惚</rb><rt>ほ</rt></ruby>れていたの、どうしたのと云う訳じゃない。が、その<ruby><rb>縄目</rb><rt>なわめ</rt></ruby>をうけた姿を見たら、急に自分で、自分がいじらしくなって、思わず泣いてしまったと、まあこう云うのでございますがな。まことにその話を聞いた時には、手前もつくづくそう思いましたよ――」

「何とね。」

「観音様へ<ruby><rb>願</rb><rt>がん</rt></ruby>をかけるのも考え物だとな。」

「だが、お<ruby><rb>爺</rb><rt>じい</rt></ruby>さん。その女は、それから、どうにかやって行けるようになったのだろう。」

「どうにか所か、今では何不自由ない身の上になって居ります。その綾や絹を売ったのを<ruby><rb>本</rb><rt>もと</rt></ruby>に致しましてな。観音様も、これだけは、御約束をおちがえになりません。」

「それなら、そのくらいな目に遇っても、結構じゃないか。」

外の日の光は、いつの間にか、黄いろく夕づいた。その中を、風だった竹籔の音が、かすかながらそこここから聞えて来る。往来の人通りも、暫くはとだえたらしい。

「人を殺したって、物盗りの女房になったって、する気でしたんでなければ仕方がないやね。」

青侍は、扇を帯へさしながら、立上った。<ruby><rb>翁</rb><rt>おきな</rt></ruby>も、もう<ruby><rb>提</rb><rt>ひさげ</rt></ruby>の水で、泥にまみれた手を洗っている――二人とも、どうやら、暮れてゆく春の日と、相手の心もちとに、物足りない何ものかを、感じてでもいるような<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>である。

「とにかく、その女は仕合せ者だよ。」

「御冗談で。」

「まったくさ。お爺さんも、そう思うだろう。」

「手前でございますか。手前なら、そう云う運はまっぴらでございますな。」

「へええ、そうかね。私なら、二つ返事で、<ruby><rb>授</rb><rt>さず</rt></ruby>けて頂くがね。」

「じゃ観音様を、御信心なさいまし。」

「そうそう、<ruby><rb>明日</rb><rt>あす</rt></ruby>から私も、お<ruby><rb>籠</rb><rt>こもり</rt></ruby>でもしようよ。」

（大正五年十二月）