一　<ruby><rb>前島林右衛門</rb><rt>まえじまりんえもん</rt></ruby>

<ruby><rb>板倉修理</rb><rt>いたくらしゅり</rt></ruby>は、病後の疲労が<ruby><rb>稍</rb><rt>やや</rt></ruby>恢復すると同時に、はげしい神経衰弱に襲われた。――　

肩がはる。頭痛がする。日頃好んでする書見にさえ、身がはいらない。<ruby><rb>廊下</rb><rt>ろうか</rt></ruby>を通る人の足音とか、<ruby><rb>家中</rb><rt>かちゅう</rt></ruby>の者の話声とかが聞えただけで、すぐ注意が<ruby><rb>擾</rb><rt>みだ</rt></ruby>されてしまう。それがだんだん<ruby><rb>嵩</rb><rt>こう</rt></ruby>じて来ると、今度は<ruby><rb>極</rb><rt>ごく</rt></ruby><ruby><rb>些細</rb><rt>ささい</rt></ruby>な刺戟からも、絶えず神経を<ruby><rb>虐</rb><rt>さいな</rt></ruby>まれるような姿になった。

第一、<ruby><rb>莨盆</rb><rt>たばこぼん</rt></ruby>の<ruby><rb>蒔絵</rb><rt>まきえ</rt></ruby>などが、黒地に<ruby><rb>金</rb><rt>きん</rt></ruby>の<ruby><rb>唐草</rb><rt>からくさ</rt></ruby>を<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>わせていると、その細い<ruby><rb>蔓</rb><rt>つる</rt></ruby>や葉がどうも気になって仕方がない。そのほか<ruby><rb>象牙</rb><rt>ぞうげ</rt></ruby>の<ruby><rb>箸</rb><rt>はし</rt></ruby>とか、青銅の火箸とか云う先の<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>った物を見ても、やはり不安になって来る。しまいには、畳の<ruby><rb>縁</rb><rt>へり</rt></ruby>の交叉した<ruby><rb>角</rb><rt>かど</rt></ruby>や、天井の<ruby><rb>四隅</rb><rt>よすみ</rt></ruby>までが、丁度<ruby><rb>刃物</rb><rt>はもの</rt></ruby>を見つめている時のような切ない神経の緊張を、感じさせるようになった。

<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>は、止むを得ず、毎日陰気な顔をして、じっと居間にいすくまっていた。何をどうするのも苦しい。出来る事なら、このまま存在の意識もなくなしてしまいたいと思う事が、度々ある。が、それは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ささくれた</span>神経の方で、許さない。彼は、<ruby><rb>蟻地獄</rb><rt>ありじごく</rt></ruby>に落ちた蟻のような、いら立たしい心で、彼の周囲を見まわした。しかも、そこにあるのは、彼の心もちに何の理解もない、<ruby><rb>徒</rb><rt>いたずら</rt></ruby>に万一を<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れている「<ruby><rb>譜代</rb><rt>ふだい</rt></ruby>の臣」ばかりである。「<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>は苦しんでいる。が、誰も己の苦しみを察してくれるものがない。」――そう思う事が、既に彼には一倍の苦痛であった。

修理の神経衰弱は、この周囲の無理解のために、一層昂進の度を早めたらしい。彼は、<ruby><rb>事毎</rb><rt>ことごと</rt></ruby>に興奮した。隣屋敷まで聞えそうな声で、わめき立てた事も一再ではない。<ruby><rb>刀架</rb><rt>かたなかけ</rt></ruby>の刀に手のかかった事も、度々ある。そう云う時の彼はほとんど誰の眼にも、別人のようになってしまう。ふだん黄いろく肉の落ちた顔が、どこと云う事なく<ruby><rb>痙攣</rb><rt>けいれん</rt></ruby>して眼の色まで妙に殺気立って来る。そうして、<ruby><rb>発作</rb><rt>ほっさ</rt></ruby>が甚しくなると、必ず左右の<ruby><rb>鬢</rb><rt>びん</rt></ruby>の毛を、ふるえる両手で、かきむしり始める。――<ruby><rb>近習</rb><rt>きんじゅ</rt></ruby>の者は、皆この鬢をむしるのを、彼の逆上した<ruby><rb>索引</rb><rt>さくいん</rt></ruby>にした。そう云う時には、互に<ruby><rb>警</rb><rt>いまし</rt></ruby>め合って、誰も彼の側へ近づくものがない。

発狂――こう云う怖れは、修理自身にもあった。周囲が、それを感じていたのは云うまでもない。修理は勿論、この周囲の持っている怖れには反感を抱いている。しかし彼自身の感ずる怖れには、始めから反抗のしようがない。彼は、発作が止んで、前よりも一層幽鬱な心が重く頭を圧して来ると、時としてこの怖れが、稲妻のように、<ruby><rb>己</rb><rt>おのれ</rt></ruby>を<ruby><rb>脅</rb><rt>おびや</rt></ruby>かすのを意識した。そうして、同時にまた、そう云う怖れを抱くことが、既に発狂の予告のような、<ruby><rb>不吉</rb><rt>ふきつ</rt></ruby>な不安にさえ、襲われた。「発狂したらどうする。」

――そう思うと、彼は、<ruby><rb>俄</rb><rt>にわか</rt></ruby>に眼の前が、暗くなるような心もちがした。

勿論この怖れは、一方絶えず、外界の刺戟から来るいら立たしさに、かき消された。が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。

―――――――――――――――――――――――――

<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>のこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島<ruby><rb>林右衛門</rb><rt>りんえもん</rt></ruby>である。

林右衛門は、家老と云っても、実は本家の<ruby><rb>板倉式部</rb><rt>いたくらしきぶ</rt></ruby>から、<ruby><rb>附人</rb><rt>つけびと</rt></ruby>として来ているので、修理も彼には、日頃から<ruby><rb>一目</rb><rt>いちもく</rt></ruby>置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、<ruby><rb>赭</rb><rt>あか</rt></ruby>ら顔の大男で、文武の両道に<ruby><rb>秀</rb><rt>ひい</rt></ruby>でている点では、<ruby><rb>家中</rb><rt>かちゅう</rt></ruby>の侍で、彼の右に出るものは、幾人もない。そう云う関係上、彼はこれまで、始終修理に対して、意見番の役を勤めていた。彼が「板倉家の<ruby><rb>大久保彦左</rb><rt>おおくぼひこざ</rt></ruby>」などと呼ばれていたのも、<ruby><rb>完</rb><rt>まった</rt></ruby>くこの<ruby><rb>忠諫</rb><rt>ちゅうかん</rt></ruby>を進める所から来た<ruby><rb>渾名</rb><rt>あだな</rt></ruby>である。

林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を<ruby><rb>煩</rb><rt>わずら</rt></ruby>わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に<ruby><rb>病緩</rb><rt>びょうかん</rt></ruby>の御礼として、<ruby><rb>登城</rb><rt>とじょう</rt></ruby>しなければならない筈である。所が、この逆上では、登城の際、<ruby><rb>附合</rb><rt>つきあい</rt></ruby>の諸大名、座席同列の旗本仲間へ、どんな無礼を働くか知れたものではない。万一それから<ruby><rb>刃傷沙汰</rb><rt>にんじょうざた</rt></ruby>にでもなった日には、板倉家七千石は、そのまま「お取りつぶし」になってしまう。<ruby><rb>殷鑑</rb><rt>いんかん</rt></ruby>は遠からず、<ruby><rb>堀田稲葉</rb><rt>ほったいなば</rt></ruby>の<ruby><rb>喧嘩</rb><rt>けんか</rt></ruby>にあるではないか。

林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、<ruby><rb>放肆</rb><rt>ほうし</rt></ruby>を<ruby><rb>諫</rb><rt>いさ</rt></ruby>めたり、<ruby><rb>奢侈</rb><rt>しゃし</rt></ruby>を諫めたりするのと同じように、敢然として、修理の神経衰弱を諫めようとした。

だから、林右衛門は、<ruby><rb>爾来</rb><rt>じらい</rt></ruby>、機会さえあれば修理に<ruby><rb>苦諫</rb><rt>くかん</rt></ruby>を進めた。が、修理の逆上は、少しも鎮まるけはいがない。<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ、<ruby><rb>諫</rb><rt>いさ</rt></ruby>めれば諫めるほど、<ruby><rb>焦</rb><rt>じ</rt></ruby>れれば焦れるほど、眼に見えて、進んで来る。現に一度などは、危く林右衛門を手討ちにさえ、しようとした。「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>を<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>とも思わぬ奴じゃ。本家の手前さえなくば、切ってすてようものを。」――そう云う修理の眼の中にあったものは、既に怒りばかりではない。林右衛門は、そこに、また消し難い憎しみの色をも、読んだのである。

その<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>に、主従の間に<ruby><rb>纏綿</rb><rt>てんめん</rt></ruby>する感情は、林右衛門の重ねる苦諫に従って、いつとなく<ruby><rb>荒</rb><rt>すさ</rt></ruby>んで来た。と云うのは、独り修理が林右衛門を憎むようになったと云うばかりではない。林右衛門の心にもまた、知らず知らず、修理に対する憎しみが、芽をふいて来た事を云うのである。勿論、彼は、この憎しみを意識してはいなかった。少くとも、最後の一刻を除いて、修理に対する彼の忠心は、終始変らないものと信じていた。「<ruby><rb>君</rb><rt>きみ</rt></ruby><ruby><rb>君為</rb><rt>きみた</rt></ruby>らざれば、臣臣為らず」――これは<ruby><rb>孟子</rb><rt>もうし</rt></ruby>の「道」だったばかりではない。その<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>には、人間の自然の「道」がある。しかし、林右衛門は、それを認めようとしなかった。……

彼は、<ruby><rb>飽</rb><rt>あ</rt></ruby>くまでも、臣節を尽そうとした。が、苦諫の効がない事は、既に苦い経験を<ruby><rb>嘗</rb><rt>な</rt></ruby>めている。そこで、彼は、今まで胸中に秘していた、最後の手段に訴える覚悟をした。最後の手段と云うのは、ほかでもない。修理を押込め隠居にして、板倉一族の中から養子をむかえようと云うのである。――

何よりもまず、「家」である。（林右衛門はこう思った。）当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、<ruby><rb>乃祖</rb><rt>だいそ</rt></ruby>板倉四郎左衛門<ruby><rb>勝重</rb><rt>かつしげ</rt></ruby>以来、<ruby><rb>未嘗</rb><rt>いまだかつて</rt></ruby>、<ruby><rb>瑕瑾</rb><rt>かきん</rt></ruby>を受けた事のない名家である。二代又左衛門<ruby><rb>重宗</rb><rt>しげむね</rt></ruby>が、父の跡をうけて、<ruby><rb>所司代</rb><rt>しょしだい</rt></ruby>として<ruby><rb>令聞</rb><rt>れいぶん</rt></ruby>があったのは、数えるまでもない。その弟の<ruby><rb>主水重昌</rb><rt>もんどしげまさ</rt></ruby>は、慶長十九年大阪冬の陣の和が<ruby><rb>媾</rb><rt>こう</rt></ruby>ぜられた時に、<ruby><rb>判元見届</rb><rt>はんもとみとどけ</rt></ruby>の重任を<ruby><rb>辱</rb><rt>かたじけな</rt></ruby>くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては<ruby><rb>西国</rb><rt>さいごく</rt></ruby>の軍に将として、将軍家<ruby><rb>御名代</rb><rt>ごみょうだい</rt></ruby>の旗を、<ruby><rb>天草</rb><rt>あまくさ</rt></ruby>征伐の陣中に<ruby><rb>飜</rb><rt>ひるがえ</rt></ruby>した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があったならば、どうしよう。臣子の分として、<ruby><rb>九原</rb><rt>きゅうげん</rt></ruby>の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>、板倉家<ruby><rb>累代</rb><rt>るいだい</rt></ruby>の父祖に<ruby><rb>見</rb><rt>まみ</rt></ruby>ゆべき<ruby><rb>顔</rb><rt>かんばせ</rt></ruby>は、どこにもない。

こう思った林右衛門は、<ruby><rb>私</rb><rt>ひそか</rt></ruby>に一族の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>を物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉<ruby><rb>佐渡守</rb><rt>さどのかみ</rt></ruby>には、<ruby><rb>部屋住</rb><rt>へやずみ</rt></ruby>の子息が三人ある。その子息の一人を<ruby><rb>跡目</rb><rt>あとめ</rt></ruby>にして、養子願さえすれば、<ruby><rb>公辺</rb><rt>こうへん</rt></ruby>の首尾は、どうにでもなろう。もっともこれは、事件の性質上修理や修理の内室には、密々で行わなければならない。彼は、ここまで思案をめぐらした時に、始めて、明るみへ出たような心もちがした。そうして、それと同時に今までに覚えなかったある悲しみが、おのずからその心もちを曇らせようとするのが、感じられた。「皆御家のためじゃ。」――そう云う彼の決心の中には、彼自身<ruby><rb>朧</rb><rt>おぼろ</rt></ruby>げにしか意識しない、何ものかを弁護しようとするある努力が、月の<ruby><rb>暈</rb><rt>かさ</rt></ruby>のようにそれとなく、つきまとっていたからである。

―――――――――――――――――――――――――

病弱な修理は、第一に、林右衛門の頑健な体を憎んだ。それから、<ruby><rb>本家</rb><rt>ほんけ</rt></ruby>の<ruby><rb>附人</rb><rt>つけびと</rt></ruby>として、彼が<ruby><rb>陰</rb><rt>いん</rt></ruby>に持っている<ruby><rb>権柄</rb><rt>けんぺい</rt></ruby>を憎んだ。最後に、彼の「家」を中心とする忠義を憎んだ。「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>を<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>とも思わぬ奴じゃ。」――こう云う修理の語の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>には、これらの憎しみが、<ruby><rb>燻</rb><rt>くすぶ</rt></ruby>りながら燃える火のように、暗い焔を蔵していたのである。

そこへ、突然、思いがけない<ruby><rb>非謀</rb><rt>ひぼう</rt></ruby>が、<ruby><rb>内室</rb><rt>ないしつ</rt></ruby>の口によって伝えられた。林右衛門は修理を押込め隠居にして、板倉佐渡守の子息を養子に迎えようとする。それが、偶然、内室の耳へ<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>れた。――これを聞いた修理が、<ruby><rb>眦</rb><rt>まなじり</rt></ruby>を裂いて憤ったのは無理もない。

成程、林右衛門は、板倉家を大事に思うかも知れない。が、忠義と云うものは現在<ruby><rb>仕</rb><rt>つか</rt></ruby>えている主人を<ruby><rb>蔑</rb><rt>ないがしろ</rt></ruby>にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を<ruby><rb>憂</rb><rt>うれ</rt></ruby>えるのは、<ruby><rb>杞憂</rb><rt>きゆう</rt></ruby>と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義<ruby><rb>呼</rb><rt>よば</rt></ruby>わりの後に、あわよくば、家を横領しようとする野心でもあるのかも知れない。――そう思うと修理は、どんな<ruby><rb>酷刑</rb><rt>こっけい</rt></ruby>でも、この不臣の<ruby><rb>行</rb><rt>おこない</rt></ruby>を罰するには、軽すぎるように思われた。

彼は、内室からこの話を聞くと、すぐに、以前彼の<ruby><rb>乳人</rb><rt>めのと</rt></ruby>を勤めていた、田中宇左衛門という老人を呼んで、こう言った。

「林右衛門めを<ruby><rb>縛</rb><rt>しば</rt></ruby>り首にせい。」

宇左衛門は、半白の頭を傾けた。年よりもふけた、彼の顔は、この頃の心労で一層<ruby><rb>皺</rb><rt>しわ</rt></ruby>を増している。――林右衛門の<ruby><rb>企</rb><rt>くわだ</rt></ruby>ては、彼も快くは思っていない。が、何と云っても相手は本家からの<ruby><rb>附人</rb><rt>つけびと</rt></ruby>である。

「縛り首は<ruby><rb>穏便</rb><rt>おんびん</rt></ruby>でございますまい。武士らしく切腹でも申しつけまするならば、格別でございますが。」

修理はこれを聞くと、<ruby><rb>嘲笑</rb><rt>あざわら</rt></ruby>うような眼で、宇左衛門を見た。そうして、二三度強く頭を振った。

「いや人でなし<ruby><rb>奴</rb><rt>め</rt></ruby>に、切腹を申しつける<ruby><rb>廉</rb><rt>かど</rt></ruby>はない。縛り首にせい。縛り首にじゃ。」

が、そう云いながら、どうしたのか、彼は、血の色のない<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>へ、はらはらと涙を落した。そうして、それから――いつものように両手で、<ruby><rb>鬢</rb><rt>びん</rt></ruby>の毛をかきむしり始めた。

―――――――――――――――――――――――――

縛り首にしろと云う命が出た事は、<ruby><rb>直</rb><rt>ただち</rt></ruby>に腹心の<ruby><rb>近習</rb><rt>きんじゅ</rt></ruby>から、林右衛門に伝えられた。

「よいわ。この上は、林右衛門も意地ずくじゃ。手を<ruby><rb>拱</rb><rt>こまぬ</rt></ruby>いて縛り首もうたれまい。」

彼は昂然として、こう云った。そうして、今まで彼につきまとっていた<ruby><rb>得体</rb><rt>えたい</rt></ruby>の知れない不安が、この沙汰を聞くと同時に、跡方なく消えてしまうのを意識した。今の彼の心にあるものは、修理に対するあからさまな憎しみである。もう修理は、彼にとって、主人ではない。その修理を憎むのに、何の<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>る所があろう。――彼の心の明るくなったのは、無意識ながら、全く彼がこう云う論理を、<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>の間に認めたからである。

そこで、彼は、妻子家来を引き具して、白昼、修理の屋敷を立ち<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>いた。<ruby><rb>作法</rb><rt>さほう</rt></ruby>通り、立ち退き先の所書きは、座敷の壁に<ruby><rb>貼</rb><rt>は</rt></ruby>ってある。<ruby><rb>槍</rb><rt>やり</rt></ruby>も、林右衛門自ら、<ruby><rb>小腋</rb><rt>こわき</rt></ruby>にして、先に立った。武具を<ruby><rb>担</rb><rt>にな</rt></ruby>ったり、足弱を<ruby><rb>扶</rb><rt>たす</rt></ruby>けたりしている若党<ruby><rb>草履</rb><rt>ぞうり</rt></ruby>取を加えても、一行の<ruby><rb>人数</rb><rt>にんず</rt></ruby>は、漸く十人にすぎない。それが、とり乱した気色もなく、つれ立って、門を出た。

<ruby><rb>延享</rb><rt>えんきょう</rt></ruby>四年三月の末である。門の外では、<ruby><rb>生暖</rb><rt>なまあたたか</rt></ruby>い風が、桜の花と<ruby><rb>砂埃</rb><rt>すなほこり</rt></ruby>とを、一つに武者窓へふきつけている。林右衛門は、その風の中に立って、もう一応、往来の右左を見廻した。そうして、それから槍で、一同に左へ行けと相図をした。

二　田中宇左衛門

<ruby><rb>林右衛門</rb><rt>りんえもん</rt></ruby>の立ち<ruby><rb>退</rb><rt>の</rt></ruby>いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は<ruby><rb>乳人</rb><rt>めのと</rt></ruby>をしていた関係上、<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>を見る眼が、<ruby><rb>自</rb><rt>おのずか</rt></ruby>らほかの家来とはちがっている。彼は親のような心もちで、修理の<ruby><rb>逆上</rb><rt>ぎゃくじょう</rt></ruby>をいたわった。修理もまた、彼にだけは、比較的従順に振舞ったらしい。そこで、主従の関係は、林右衛門のいた時から見ると、遥に<ruby><rb>滑</rb><rt>なめらか</rt></ruby>になって来た。

宇左衛門は、修理の<ruby><rb>発作</rb><rt>ほっさ</rt></ruby>が、夏が来ると共に、漸く<ruby><rb>怠</rb><rt>おこた</rt></ruby>り出したのを喜んだ。彼も万一修理が殿中で無礼を働きはしないかと云う事を、<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れない訳ではない。が、林右衛門は、それを「家」に<ruby><rb>関</rb><rt>かかわ</rt></ruby>る大事として、惧れた。併し、彼は、それを「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」に関る大事として惧れたのである。

勿論、「家」と云う事も、彼の念頭には<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>っていた。が、変があるにしてもそれは単に、「家」を亡すが故に、大事なのではない。「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」をして、「家」を亡さしむるが故に――「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」をして、不孝の名を負わしむるが故に、大事なのである。では、その大事を<ruby><rb>未然</rb><rt>みぜん</rt></ruby>に防ぐには、どうしたら、いいであろうか。この点になると、宇左衛門は林右衛門ほど明瞭な、意見を持っていないようであった。恐らく彼は、神明の加護と自分の赤誠とで、修理の逆上の鎮まるように祈るよりほかは、なかったのであろう。

その年の八月一日、徳川幕府では、<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby><ruby><rb>八朔</rb><rt>はっさく</rt></ruby>の儀式を行う日に、修理は病後初めての<ruby><rb>出仕</rb><rt>しゅっし</rt></ruby>をした。そうして、その<ruby><rb>序</rb><rt>ついで</rt></ruby>に、当時<ruby><rb>西丸</rb><rt>にしまる</rt></ruby>にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。が、別に殿中では、何も<ruby><rb>粗匇</rb><rt>そそう</rt></ruby>をしなかったらしい。宇左衛門は、始めて、<ruby><rb>愁眉</rb><rt>しゅうび</rt></ruby>を開く事が出来るような心もちがした。

しかし、彼の悦びは、その日一日だけも、続かなかった。<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>になると間もなく、板倉佐渡守から急な使があって、早速来るようにと云う沙汰が、<ruby><rb>凶兆</rb><rt>きょうちょう</rt></ruby>のように彼を<ruby><rb>脅</rb><rt>おびやか</rt></ruby>したからである。夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、<ruby><rb>不吉</rb><rt>ふきつ</rt></ruby>な予感に襲われながら、<ruby><rb>慌</rb><rt>あわただ</rt></ruby>しく佐渡守の屋敷へ参候した。

すると、果して、修理が佐渡守に無礼の振舞があったと云う話である。――今日出仕を終ってから、修理は、<ruby><rb>白帷子</rb><rt>しろかたびら</rt></ruby>に<ruby><rb>長上下</rb><rt>ながかみしも</rt></ruby>のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、<ruby><rb>顔色</rb><rt>かおいろ</rt></ruby>もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>もない。そこで安心して、暫く世間話をしている中に、偶然、佐渡守が、いつものように前島林右衛門の安否を訊ねた。すると、修理は急に額を暗くして、「林右衛門めは、<ruby><rb>先頃</rb><rt>さきごろ</rt></ruby>、手前屋敷を<ruby><rb>駈落</rb><rt>かけお</rt></ruby>ち致してござる。」と云う。林右衛門が、どう云う人間かと云う事は、佐渡守もよく知っている。何か<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>がなくては、<ruby><rb>妄</rb><rt>みだり</rt></ruby>に<ruby><rb>主家</rb><rt>しゅか</rt></ruby>を駈落ちなどする男ではない。こう思ったから、佐渡守は、その仔細を尋ねると同時に、本家からの<ruby><rb>附人</rb><rt>つけびと</rt></ruby>にどう云う間違いが起っても、親類中へ相談なり、知らせなりしないのは、<ruby><rb>穏</rb><rt>おだやか</rt></ruby>でない旨を忠告した。ところが、修理は、これを聞くと、眼の色を変えながら、刀の<ruby><rb>柄</rb><rt>つか</rt></ruby>へ手をかけて、「佐渡守殿は、別して、林右衛門めを<ruby><rb>贔屓</rb><rt>ひいき</rt></ruby>にせられるようでござるが、手前家来の仕置は、不肖ながら手前一存で取計らい申す。如何に当時<ruby><rb>出頭</rb><rt>しゅっとう</rt></ruby>の若年寄でも、いらぬ世話はお置きなされい。」と云う口上である。そこでさすがの佐渡守も、あまりの事に<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れ返って、御用繁多を幸に、早速その場を<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>してしまった。――

「よいか。」ここまで話して来て、佐渡守は、今更のように、苦い顔をした。

――第一に、林右衛門の立ち退いた趣を、一門衆へ通達しないのは、宇左衛門の罪である。第二に、まだ逆上の気味のある修理を、登城させたのも、やはり彼の責を免れない。佐渡守だったから、いいが、もし今日のような<ruby><rb>雑言</rb><rt>ぞうごん</rt></ruby>を、列座の大名衆にでも云ったとしたら、板倉家七千石は、<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち、<ruby><rb>改易</rb><rt>かいえき</rt></ruby>になってしまう。――

「そこでじゃ。今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」

佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。

「<ruby><rb>唯</rb><rt>た</rt></ruby>だ<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」

宇左衛門は眉をひそめながら、思切った声で答えた。

「よろしゅうござりまする、しかと<ruby><rb>向後</rb><rt>こうご</rt></ruby>は慎むでございましょう。」

「おお、二度と<ruby><rb>過</rb><rt>あやまち</rt></ruby>をせぬのが、何よりじゃ。」

佐渡守は、吐き出すように、こう云った。

「その儀は、宇左衛門、一命にかけて、承知仕りました。」

彼は、眼に涙をためながら懇願するように、佐渡守を見た。が、その眼の中には、<ruby><rb>哀憐</rb><rt>あいれん</rt></ruby>を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。

佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒臭そうに、横を向いた。

―――――――――――――――――――――――――

「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」の意に従えば、「家」が<ruby><rb>危</rb><rt>あやう</rt></ruby>い。「家」を立てようとすれば、「主」の意に<ruby><rb>悖</rb><rt>もと</rt></ruby>る事になる。<ruby><rb>嘗</rb><rt>かつて</rt></ruby>は、林右衛門も、この苦境に陥っていた。が、彼には「家」のために「主」を捨てる勇気がある。と云うよりは、むしろ、始からそれほど「主」を大事に思っていない。だから、彼は、<ruby><rb>容易</rb><rt>たやす</rt></ruby>く、「家」のために「主」を<ruby><rb>犠牲</rb><rt>ぎせい</rt></ruby>にした。

しかし、自分には、それが出来ない。自分は、「家」の利害だけを計るには、余りに「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」に親しみすぎている。「家」のために、ただ、「家」と云う名のために、どうして、現在の「主」を無理に隠居などさせられよう。自分の眼から見れば、今の修理も、<ruby><rb>破魔弓</rb><rt>はまゆみ</rt></ruby>こそ持たないものの、幼少の修理と変りがない。自分が<ruby><rb>絵解</rb><rt>えど</rt></ruby>きをした絵本、自分が手をとって習わせた<ruby><rb>難波津</rb><rt>なにわづ</rt></ruby>の歌、それから、自分が尾をつけた<ruby><rb>紙鳶</rb><rt>いかのぼり</rt></ruby>――そう云う物も、まざまざと、自分の記憶に残っている。……

そうかと云って、「<ruby><rb>主</rb><rt>しゅう</rt></ruby>」をそのままにして置けば、独り「家」が亡びるだけではない。「主」自身にも<ruby><rb>凶事</rb><rt>きょうじ</rt></ruby>が起りそうである。利害の打算から云えば、林右衛門のとった策は、<ruby><rb>唯一</rb><rt>ゆいいつ</rt></ruby>の、そうしてまた、最も賢明なものに相違ない。自分も、それは認めている。その癖、それが、自分には、どうしても実行する事が出来ないのである。

遠くで<ruby><rb>稲妻</rb><rt>いなずま</rt></ruby>のする空の下を、修理の屋敷へ帰りながら、宇左衛門は<ruby><rb>悄然</rb><rt>しょうぜん</rt></ruby>と腕を組んで、こんな事を何度となく胸の中で繰り返えした。

―――――――――――――――――――――――――

<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>は、翌日、宇左衛門から、佐渡守の云い渡した一部始終を聞くと、忽ち顔を曇らせた。が、それぎりで、格別いつものように、とり<ruby><rb>上</rb><rt>のぼ</rt></ruby>せる<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>もない。宇左衛門は、気づかいながら、幾分か<ruby><rb>安堵</rb><rt>あんど</rt></ruby>して、その日はそのまま、下って来た。

それから、かれこれ十日ばかりの間、修理は、居間にとじこもって、毎日ぼんやり考え事に耽っていた。宇左衛門の顔を見ても、口を<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>かない。いや、ただ一度、<ruby><rb>小雨</rb><rt>こさめ</rt></ruby>のふる日に、<ruby><rb>時鳥</rb><rt>ほととぎす</rt></ruby>の啼く声を聞いて、「あれは鶯の巣をぬすむそうじゃな。」とつぶやいた事がある。その時でさえ、宇左衛門が、それを<ruby><rb>潮</rb><rt>しお</rt></ruby>に、話しかけたが、彼は、また黙って、うす暗い空へ眼をやってしまった。そのほかは、勿論、<ruby><rb>唖</rb><rt>おし</rt></ruby>のように口をつぐんで、じっと<ruby><rb>襖障子</rb><rt>ふすましょうじ</rt></ruby>を見つめている。顔には、何の感情も浮んでいない。

所が、ある夜、十五日の総出仕が二三日の中に迫った時の事である。修理は突然宇左衛門をよびよせて、人払いの上、陰気な顔をしながら、こんな事を云った。

「<ruby><rb>先達</rb><rt>せんだって</rt></ruby>、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」

宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲る気になれたのであろう。――

「<ruby><rb>御尤</rb><rt>ごもっと</rt></ruby>もでございます。佐渡守様もあのように、仰せられますからは、残念ながら、そうなさるよりほかはございますまい。が、まず一応は、御一門衆へも……」

「いや、いや、隠居の儀なら、林右衛門の成敗とは変って、相談せずとも、一門衆は同意の筈じゃ。」

修理、こう云って、<ruby><rb>苦々</rb><rt>にがにが</rt></ruby>しげに、微笑した。

「さようでもございますまい。」

宇左衛門は、<ruby><rb>傷</rb><rt>いたま</rt></ruby>しそうな顔をして、修理を見た。が、相手は、さらに耳へ入れる<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>もない。

「さて、隠居すれば、出仕しようと思うても出仕する事は出来ぬ。されば、」修理はじっと宇左衛門の顔を見ながら、一句一句、重みを<ruby><rb>量</rb><rt>はか</rt></ruby>るように、「その前に、今一度出仕して、西丸の大御所様（吉宗）へ、御目通りがしたい。どうじゃ。十五日に、<ruby><rb>登城</rb><rt>とじょう</rt></ruby>させてはくれまいか。」

宇左衛門は、黙って、眉をひそめた。

「それも、たった一度じゃ。」

「恐れながら、その儀ばかりは。」

「いかぬか。」

二人は、顔を見合せながら、黙った。しんとした部屋の中には、油を吸う燈心の音よりほかに、聞えるものはない。――宇左衛門は、この暫くの間を、一年のように長く感じた。佐渡守へ云い切った手前、それを修理に許しては自分の武士がたたないからである。

「佐渡殿の云われた事は、承知の上での頼みじゃ。」

ほどを経て、修理が云った。

「登城を許せば、その方が、一門衆の<ruby><rb>不興</rb><rt>ふきょう</rt></ruby>をうける事も、修理は、よう存じているが、思うて見い。修理は一門衆はもとより、<ruby><rb>家来</rb><rt>けらい</rt></ruby>にも見離された乱心者じゃ。」

そう云いながら、彼の声は、次第に感動のふるえを帯びて来た。見れば、眼も涙ぐんでいる。

「世の<ruby><rb>嘲</rb><rt>あざけ</rt></ruby>りはうける。家督は人の手に渡す。天道の光さえ、修理にはささぬかと思うような身の上じゃ。その修理が、今生の望にただ一度、出仕したいと云う、それをこばむような宇左衛門ではあるまい。宇左衛門なら、この修理を、あわれとこそ思え、憎いとは思わぬ筈じゃ。修理は、宇左衛門を親とも思う。兄弟とも思う。親兄弟よりも、<ruby><rb>猶更</rb><rt>なおさら</rt></ruby>なつかしいものと思う。広い世界に、修理がたのみに思うのは、ただその方一人きりじゃ。さればこそ、無理な頼みもする。が、これも決して、一生に二度とは云わぬ。ただ、<ruby><rb>今度</rb><rt>こんど</rt></ruby>一度だけじゃ。宇左衛門、どうかこの心を察してくれい。どうかこの無理を許してくれい。これ、この通りじゃ。」

彼は、家老の前へ両手をついて、涙を落しながら、<ruby><rb>額</rb><rt>ひたい</rt></ruby>を畳へつけようとした。宇左衛門は、感動した。

「御手をおあげ下さいまし。御手をおあげ下さいまし。<ruby><rb>勿体</rb><rt>もったい</rt></ruby>のうございます。」

彼は、<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>の手をとって、無理に畳から離させた。そうして泣いた。すると、泣くに従って、彼の心には次第にある安心が、<ruby><rb>溢</rb><rt>あふ</rt></ruby>れるともなく、溢れて来る。――彼は涙の<ruby><rb>中</rb><rt>なか</rt></ruby>に、佐渡守の前で云い切った<ruby><rb>語</rb><rt>ことば</rt></ruby>を、再びありありと思い浮べた。

「よろしゅうございまする。佐渡守様が何とおっしゃりましょうとも、万一の場合には、宇左衛門<ruby><rb>皺腹</rb><rt>しわばら</rt></ruby>を<ruby><rb>仕</rb><rt>つかまつ</rt></ruby>れば、すむ事でございまする。<ruby><rb>私</rb><rt>わたくし</rt></ruby><ruby><rb>一人</rb><rt>ひとり</rt></ruby>の<ruby><rb>粗忽</rb><rt>そこつ</rt></ruby>にして、きっと御登城おさせ申しましょう。」

これを聞くと、修理の顔は、急に別人の如く喜びにかがやいた。その変り方には、役者のような巧みさがある。がまた、役者にないような自然さもある。――彼は、突然調子の<ruby><rb>外</rb><rt>はず</rt></ruby>れた笑い声を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らした。

「おお、許してくれるか。<ruby><rb>忝</rb><rt>かたじけな</rt></ruby>い。忝いぞよ。」

そう云って、彼は嬉しそうに、左右を顧みた。

「皆のもの、よう聞け。宇左衛門は、登城を許してくれたぞ。」

人払いをした居間には、彼と宇左衛門のほかに誰もいない。皆のもの――宇左衛門は、気づかわしそうに<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>を進めて、<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどう</rt></ruby>の<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>に恐る恐る、修理の眼の中を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>った。

三　<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>

<ruby><rb>延享</rb><rt>えんきょう</rt></ruby>四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>は、殿中で、何の<ruby><rb>恩怨</rb><rt>おんえん</rt></ruby>もない。肥後国熊本の城主、<ruby><rb>細川越中守宗教</rb><rt>ほそかわえっちゅうのかみむねのり</rt></ruby>を<ruby><rb>殺害</rb><rt>せつがい</rt></ruby>した。その<ruby><rb>顛末</rb><rt>てんまつ</rt></ruby>は、こうである。

―――――――――――――――――――――――――

細川家は、諸侯の中でも、すぐれて、武備に富んだ大名である。<ruby><rb>元姫君</rb><rt>もとひめぎみ</rt></ruby>と云われた<ruby><rb>宗教</rb><rt>むねのり</rt></ruby>の内室さえ、武芸の道には<ruby><rb>明</rb><rt>あかる</rt></ruby>かった。まして宗教の<ruby><rb>嗜</rb><rt>たしな</rt></ruby>みに、<ruby><rb>疎</rb><rt>おろそか</rt></ruby>な所などのあるべき筈はない。それが、「<ruby><rb>三斎</rb><rt>さんさい</rt></ruby>の末なればこそ細川は、<ruby><rb>二歳</rb><rt>にさい</rt></ruby>に<ruby><rb>斬</rb><rt>き</rt></ruby>られ、<ruby><rb>五歳</rb><rt>ごさい</rt></ruby>ごとなる。」と<ruby><rb>諷</rb><rt>うた</rt></ruby>われるような死を遂げたのは、<ruby><rb>完</rb><rt>まった</rt></ruby>く時の運であろう。

そう云えば、細川家には、この<ruby><rb>凶変</rb><rt>きょうへん</rt></ruby>の起る前兆が、<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>になって考えれば、幾つもあった。――第一に、その年三月中旬、品川<ruby><rb>伊佐羅子</rb><rt>いさらご</rt></ruby>の<ruby><rb>上屋敷</rb><rt>かみやしき</rt></ruby>が、火事で焼けた。これは、邸内に<ruby><rb>妙見</rb><rt>みょうけん</rt></ruby>大菩薩があって、その神前の<ruby><rb>水吹石</rb><rt>みずふきいし</rt></ruby>と云う石が、火災のある<ruby><rb>毎</rb><rt>ごと</rt></ruby>に水を吹くので、<ruby><rb>未嘗</rb><rt>いまだかつて</rt></ruby>、焼けたと云う事のない屋敷である。第二に、五月上旬、門へ打つ守り札を、<ruby><rb>魚籃</rb><rt>ぎょらん</rt></ruby>の<ruby><rb>愛染院</rb><rt>あいぜんいん</rt></ruby>から奉ったのを見ると、御武運長久<ruby><rb>御息災</rb><rt>ごそくさい</rt></ruby>とある可き所に災の字が書いてない。これは、上野<ruby><rb>宿坊</rb><rt>しゅくぼう</rt></ruby>の<ruby><rb>院代</rb><rt>いんだい</rt></ruby>へ問い合せた上、早速愛染院に書き直させた。第三に、八月上旬、屋敷の広間あたりから、夜な夜な大きな怪火が出て、芝の方へ飛んで行ったと云う。

そのほか、八月十四日の昼には、天文に通じている家来の<ruby><rb>才木茂右衛門</rb><rt>さいきもえもん</rt></ruby>と云う男が<ruby><rb>目付</rb><rt>めつけ</rt></ruby>へ来て、「明十五日は、殿の<ruby><rb>御身</rb><rt>おんみ</rt></ruby>に大変があるかも知れませぬ。<ruby><rb>昨夜</rb><rt>さくや</rt></ruby>天文を見ますと、将星が落ちそうになって居ります。どうか御慎み第一に、御他出なぞなさいませんよう。」と、こう云った。目付は、元来余り天文なぞに信を<ruby><rb>措</rb><rt>お</rt></ruby>いていない。が、日頃この男の予言は、主人が尊敬しているので、取あえず<ruby><rb>近習</rb><rt>きんじゅ</rt></ruby>の者に話して、その旨を越中守の耳へ入れた。そこで、十五日に催す<ruby><rb>能狂言</rb><rt>のうきょうげん</rt></ruby>とか、登城の帰りに客に行くとか云う事は、見合せる事になったが、御奉公の一つと云う<ruby><rb>廉</rb><rt>かど</rt></ruby>で、出仕だけは<ruby><rb>止</rb><rt>や</rt></ruby>めにならなかったらしい。

それが、翌日になると、また<ruby><rb>不吉</rb><rt>ふきつ</rt></ruby>な前兆が、加わった。――十五日には、いつも越中守自身、<ruby><rb>麻上下</rb><rt>あさがみしも</rt></ruby>に着換えてから、八幡大菩薩に、<ruby><rb>神酒</rb><rt>みき</rt></ruby>を備えるのが慣例になっている。ところが、その日は、<ruby><rb>小姓</rb><rt>こしょう</rt></ruby>の手から<ruby><rb>神酒</rb><rt>みき</rt></ruby>を入れた<ruby><rb>瓶子</rb><rt>へいし</rt></ruby>を二つ、<ruby><rb>三宝</rb><rt>さんぼう</rt></ruby>へのせたまま受取って、それを神前へ備えようとすると、どうした拍子か瓶子は二つとも倒れて、神酒が外へこぼれてしまった。その時は、さすがに一同、思わず顔色を変えたと云う事である。

―――――――――――――――――――――――――

翌日、越中守は登城すると、<ruby><rb>御坊主</rb><rt>おぼうず</rt></ruby><ruby><rb>田代祐悦</rb><rt>たしろゆうえつ</rt></ruby>が供をして、まず、大広間へ通った。が、やがて、大便を催したので、今度は御坊主黒木<ruby><rb>閑斎</rb><rt>かんさい</rt></ruby>をつれて、湯呑み<ruby><rb>所際</rb><rt>じょぎわ</rt></ruby>の<ruby><rb>厠</rb><rt>かわや</rt></ruby>へはいって、用を<ruby><rb>足</rb><rt>た</rt></ruby>した。さて、厠を出て、うすぐらい<ruby><rb>手水所</rb><rt>ちょうずどころ</rt></ruby>で手を洗っていると突然<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から、誰とも知れず、声をかけて、斬りつけたものがある。驚いて、振り返ると、その拍子にまた二の太刀が、すかさず<ruby><rb>眉間</rb><rt>みけん</rt></ruby>へ<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>いた。そのために血が眼へはいって、越中守は、相手の顔も見定める事が出来ない。相手は、そこへつけこんで、たたみかけ、たたみかけ、<ruby><rb>幾太刀</rb><rt>いくたち</rt></ruby>となく浴せかけた。そうして、越中守がよろめきながら、とうとう、<ruby><rb>四</rb><rt>し</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>の縁に<ruby><rb>仆</rb><rt>たお</rt></ruby>れてしまうと、<ruby><rb>脇差</rb><rt>わきざし</rt></ruby>をそこへ捨てたなり、慌ててどこか見えなくなってしまった。

ところが、伴をしていた黒木閑斎が、不意の大変に<ruby><rb>狼狽</rb><rt>ろうばい</rt></ruby>して、大広間の方へ逃げて行ったなり、これもどこかへ隠れてしまったので、誰もこの<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>を知るものがない。それを、暫くしてから、<ruby><rb>漸</rb><rt>ようや</rt></ruby>く本間<ruby><rb>定五郎</rb><rt>さだごろう</rt></ruby>と云う<ruby><rb>小拾人</rb><rt>こじゅうにん</rt></ruby>が、<ruby><rb>御番所</rb><rt>ごばんしょ</rt></ruby>から<ruby><rb>下部屋</rb><rt>しもべや</rt></ruby>へ来る途中で発見した。そこで、すぐに<ruby><rb>御徒目付</rb><rt>おかちめつけ</rt></ruby>へ知らせる。御徒目付からは、御徒組頭<ruby><rb>久下善兵衛</rb><rt>くげぜんべえ</rt></ruby>、御徒目付土田<ruby><rb>半右衛門</rb><rt>はんえもん</rt></ruby>、<ruby><rb>菰田仁右衛門</rb><rt>こもだにえもん</rt></ruby>、などが駈けつける。――殿中では忽ち、<ruby><rb>蜂</rb><rt>はち</rt></ruby>の巣を破ったような騒動が<ruby><rb>出来</rb><rt>しゅったい</rt></ruby>した。

それから、一同集って、<ruby><rb>手負</rb><rt>てお</rt></ruby>いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く<ruby><rb>微</rb><rt>かすか</rt></ruby>な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどなたでござる」と尋ねたが、「<ruby><rb>上下</rb><rt>かみしも</rt></ruby>を着た男」と云う答えがあっただけで、その後は、もうこちらの声も通じないらしい。<ruby><rb>創</rb><rt>きず</rt></ruby>は「<ruby><rb>首構</rb><rt>くびがまえ</rt></ruby>七寸程、<ruby><rb>左肩</rb><rt>ひだりかた</rt></ruby>六七寸ばかり、右肩五寸ばかり、左右手四五ヶ所、鼻上耳脇また<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>に<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>二三ヶ所、背中右の脇腹まで<ruby><rb>筋違</rb><rt>すじかい</rt></ruby>に一尺五寸ばかり」である。そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本<ruby><rb>阿波守</rb><rt>あわのかみ</rt></ruby>は勿論、大目付<ruby><rb>河野豊前守</rb><rt>こうのぶぜんのかみ</rt></ruby>も立ち合って、一まず手負いを、<ruby><rb>焚火</rb><rt>たきび</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>へ<ruby><rb>舁</rb><rt>かつ</rt></ruby>ぎこんだ。そうしてそのまわりを<ruby><rb>小屏風</rb><rt>こびょうぶ</rt></ruby>で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て<ruby><rb>介抱</rb><rt>かいほう</rt></ruby>した。中でも松平<ruby><rb>兵部少輔</rb><rt>ひょうぶしょうゆう</rt></ruby>は、ここへ<ruby><rb>舁</rb><rt>かつ</rt></ruby>ぎこむ途中から、最も親切に<ruby><rb>劬</rb><rt>いたわ</rt></ruby>ったので、わき眼にも、情誼の<ruby><rb>篤</rb><rt>あつ</rt></ruby>さが忍ばれたそうである。

その間に、一方では<ruby><rb>老中</rb><rt>ろうじゅう</rt></ruby>若年寄衆へこの急変を届けた上で、万一のために、玄関先から大手まで、厳しく門々を打たせてしまった。これを見た<ruby><rb>大手先</rb><rt>おおてさき</rt></ruby>の大小名の<ruby><rb>家来</rb><rt>けらい</rt></ruby>は、<ruby><rb>驚破</rb><rt>すわ</rt></ruby>、殿中に<ruby><rb>椿事</rb><rt>ちんじ</rt></ruby>があったと云うので、立ち騒ぐ事が一通りでない。何度目付衆が出て、制しても、すぐまた、<ruby><rb>海嘯</rb><rt>つなみ</rt></ruby>のように、押し返して来る。そこへ、殿中の混雑もまた、益々甚しくなり出した。これは御目付土屋長太郎が、<ruby><rb>御徒目付</rb><rt>おかちめつけ</rt></ruby>、火の番などを召し連れて、番所番所から勝手まで、根気よく<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>の相手を探して歩いたが、どうしても、その「<ruby><rb>上下</rb><rt>かみしも</rt></ruby>を着た男」を見つける事が出来なかったからである。

すると、意外にも、相手は、これらの人々の眼にはかからないで、かえって<ruby><rb>宝井宗賀</rb><rt>たからいそうが</rt></ruby>と云う<ruby><rb>御坊主</rb><rt>ごぼうず</rt></ruby>のために、発見された。――宗賀は大胆な男で、これより先、一同のさがさないような場所場所を、独りでしらべて歩いていた。それがふと<ruby><rb>焚火</rb><rt>たきび</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>の近くの<ruby><rb>厠</rb><rt>かわや</rt></ruby>の中を見ると、<ruby><rb>鬢</rb><rt>びん</rt></ruby>の毛をかき乱した男が一人、影のように<ruby><rb>蹲</rb><rt>うずくま</rt></ruby>っている。うす暗いので、はっきりわからないが、どうやら鼻紙<ruby><rb>嚢</rb><rt>ぶくろ</rt></ruby>から<ruby><rb>鋏</rb><rt>はさみ</rt></ruby>を出して、そのかき乱した<ruby><rb>鬢</rb><rt>びん</rt></ruby>の毛を鋏んででもいるらしい。そこで<ruby><rb>宗賀</rb><rt>そうが</rt></ruby>は、側へよって声をかけた。

「どなたでござる。」

「これは、人を殺したで、髪を切っているものでござる。」

男は、しわがれた声で、こう答えた。

もう疑う所はない。宗賀は、すぐに人を呼んで、この男を<ruby><rb>厠</rb><rt>かわや</rt></ruby>の中から、ひきずり出した。そうして、とりあえず、それを御徒目付の手に渡した。

御徒目付はまた、それを<ruby><rb>蘇鉄</rb><rt>そてつ</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>へつれて行って、大目付始め御目付衆立ち合いの上で、<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>の<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>を問い<ruby><rb>質</rb><rt>ただ</rt></ruby>した。が、男は、物々しい殿中の騒ぎを、茫然と眺めるばかりで、更に答えらしい答えをしない。<ruby><rb>偶々</rb><rt>たまたま</rt></ruby>口を開けば、ただ<ruby><rb>時鳥</rb><rt>ほととぎす</rt></ruby>の事を云う。そうして、そのあい間には、血に染まった手で、何度となく、鬢の毛をかきむしった。――修理は既に、<ruby><rb>発狂</rb><rt>はっきょう</rt></ruby>していたのである。

―――――――――――――――――――――――――

細川越中守は、焚火の間で、息をひきとった。が、<ruby><rb>大御所</rb><rt>おおごしょ</rt></ruby><ruby><rb>吉宗</rb><rt>よしむね</rt></ruby>の内意を受けて、<ruby><rb>手負</rb><rt>てお</rt></ruby>いと<ruby><rb>披露</rb><rt>ひろう</rt></ruby>したまま<ruby><rb>駕籠</rb><rt>かご</rt></ruby>で中の口から、平川口へ出て引きとらせた。<ruby><rb>公</rb><rt>おおやけ</rt></ruby>に死去の届が出たのは、二十一日の事である。

<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>は、越中守が引きとった<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>で、すぐに水野<ruby><rb>監物</rb><rt>けんもつ</rt></ruby>に預けられた。これも中の口から、平川口へ、<ruby><rb>青網</rb><rt>あおあみ</rt></ruby>をかけた<ruby><rb>駕籠</rb><rt>かご</rt></ruby>で出たのである。駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の<ruby><rb>帷子</rb><rt>かたびら</rt></ruby>を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、<ruby><rb>警固</rb><rt>けいご</rt></ruby>した。――この行列は、<ruby><rb>監物</rb><rt>けんもつ</rt></ruby>の日頃不意に備える<ruby><rb>手配</rb><rt>てくばり</rt></ruby>が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。

それから七日目の二十二日に、大目付石河土佐守が、<ruby><rb>上使</rb><rt>じょうし</rt></ruby>に立った。上使の趣は、「其方儀乱心したとは申しながら、細川越中守<ruby><rb>手疵養生</rb><rt>てきずようじょう</rt></ruby><ruby><rb>不相叶</rb><rt>あいかなわず</rt></ruby><ruby><rb>致死去</rb><rt>しきょいたし</rt></ruby>候に付、水野監物宅にて切腹<ruby><rb>被申付</rb><rt>もうしつけらるる</rt></ruby>者也」と云うのである。

修理は、上使の前で、短刀を法の如くさし出されたが、茫然と手を膝の上に重ねたまま、とろうとする<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>もない。そこで、<ruby><rb>介錯</rb><rt>かいしゃく</rt></ruby>に立った水野の家来吉田<ruby><rb>弥三左衛門</rb><rt>やそうざえもん</rt></ruby>が、止むを得ず<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>からその首をうち落した。うち落したと云っても、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>の皮<ruby><rb>一重</rb><rt>ひとえ</rt></ruby>はのこっている。弥三左衛門は、その首を手にとって、下から検使の役人に見せた。<ruby><rb>頬骨</rb><rt>ほおぼね</rt></ruby>の高い、皮膚の黄ばんだ、いたいたしい首である。眼は勿論つぶっていない。

検使は、これを見ると、血のにおいを<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎながら、満足そうに、「見事」と声をかけた。

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同日、田中宇左衛門は、板倉式部の屋敷で、縛り首に処せられた。これは「修理病気に付、禁足申付候様にと<ruby><rb>屹度</rb><rt>きっと</rt></ruby>、板倉佐渡守兼ねて申渡置候処、自身の計らいにて登城させ候故、かかる<ruby><rb>凶事出来</rb><rt>きょうじしゅったい</rt></ruby>、七千石断絶に及び候段、言語道断の<ruby><rb>不届者</rb><rt>ふとどきもの</rt></ruby>」という罪状である。

板倉<ruby><rb>周防守</rb><rt>すおうのかみ</rt></ruby>、同式部、同佐渡守、酒井<ruby><rb>左衛門尉</rb><rt>さえもんのじょう</rt></ruby>、松平<ruby><rb>右近将監</rb><rt>うこんしょうげん</rt></ruby>等の一族縁者が、遠慮を仰せつかったのは云うまでもない。そのほか、越中守を見捨てて逃げた黒木<ruby><rb>閑斎</rb><rt>かんさい</rt></ruby>は、<ruby><rb>扶持</rb><rt>ふち</rt></ruby>を召上げられた上、追放になった。

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<ruby><rb>修理</rb><rt>しゅり</rt></ruby>の<ruby><rb>刃傷</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>は、恐らく過失であろう。細川家の<ruby><rb>九曜</rb><rt>くよう</rt></ruby>の星と、板倉家の九曜の巴と衣類の<ruby><rb>紋所</rb><rt>もんどころ</rt></ruby>が似ているために、修理は、佐渡守を<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>そうとして、誤って越中守を害したのである。以前、<ruby><rb>毛利主水正</rb><rt>もうりもんどのしょう</rt></ruby>を、水野<ruby><rb>隼人正</rb><rt>はやとのしょう</rt></ruby>が斬ったのも、やはりこの人違いであった。殊に、<ruby><rb>手水所</rb><rt>ちょうずどころ</rt></ruby>のような、うす暗い所では、こう云う間違いも、起りやすい。――これが当時の定評であった。

が、板倉佐渡守だけは、この定評をよろこばない。彼は、この話が出ると、いつも苦々しげに、こう云った。

「佐渡は、修理に刃傷されるような覚えは、<ruby><rb>毛頭</rb><rt>もうとう</rt></ruby>ない。まして、あの乱心者のした事じゃ。<ruby><rb>大方</rb><rt>おおかた</rt></ruby>、何と云う事もなく、肥後侯を斬ったのであろう。人違などとは、迷惑至極な臆測じゃ。その証拠には、大目付の前へ出ても、修理は、<ruby><rb>時鳥</rb><rt>ほととぎす</rt></ruby>がどうやら云うていたそうではないか。されば、時鳥じゃと思って、斬ったのかも知れぬ。」

（大正六年二月）