一

近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある<ruby><rb>燕</rb><rt>つばめ</rt></ruby>の巣さへ、この<ruby><rb>塩梅</rb><rt>あんばい</rt></ruby>では中にゐる雛や卵を、そのまゝ<ruby><rb>蒸殺</rb><rt>むしころ</rt></ruby>してしまふかと思はれる。まして、畑と云ふ畑は、麻でも黍でも、皆、土いきれにぐつたりと頭をさげて、何一つ、青いなりに、<ruby><rb>萎</rb><rt>しほ</rt></ruby>れてゐないものはない。その畑の上に見える空も、この頃の<ruby><rb>温気</rb><rt>うんき</rt></ruby>に<ruby><rb>中</rb><rt>あ</rt></ruby>てられたせいか、地上に近い大気は、晴れながら、どんよりと濁つて、その所々に、<ruby><rb>霰</rb><rt>あられ</rt></ruby>を<ruby><rb>炮烙</rb><rt>ほうろく</rt></ruby>で煎つたやうな、形ばかりの雲の峰が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つぶつぶ</span>と浮かんでゐる。――「<ruby><rb>酒虫</rb><rt>しゆちう</rt></ruby>」の話は、この陽気に、わざ〱炎天の<ruby><rb>打麦場</rb><rt>だばくぢやう</rt></ruby>へ出てゐる、三人の男で始まるのである。

不思議な事に、その中の一人は、素裸で、仰向けに<ruby><rb>地面</rb><rt>ぢびた</rt></ruby>へ寝ころんでゐる。おまけに、どう云ふ訳だか、<ruby><rb>細引</rb><rt>ほそびき</rt></ruby>で、手も足もぐる〱巻にされてゐる。が格別当人は、それを苦に病んでゐる容子もない。<ruby><rb>背</rb><rt>せい</rt></ruby>の低い、血色の好い、どことなく鈍重と云ふ感じを起させる、豚のやうに肥つた男である。それから手ごろな<ruby><rb>素焼</rb><rt>すやき</rt></ruby>の瓶が一つ、この男の枕もとに置いてあるが、これも中に何がはいつてゐるのだか、わからない。

もう一人は、黄色い<ruby><rb>法衣</rb><rt>ころも</rt></ruby>を着て、耳に小さな<ruby><rb>青銅</rb><rt>からかね</rt></ruby>の環をさげた、一見、<ruby><rb>象貌</rb><rt>しやうばう</rt></ruby>の<ruby><rb>奇古</rb><rt>きこ</rt></ruby>な<ruby><rb>沙門</rb><rt>しやもん</rt></ruby>である。皮膚の色が並はづれて黒い上に、髪や<ruby><rb>鬚</rb><rt>ひげ</rt></ruby>の縮れてゐる所を見ると、どうも<ruby><rb>葱嶺</rb><rt>さうれい</rt></ruby>の西からでも来た人間らしい。これはさつきから根気よく、<ruby><rb>朱柄</rb><rt>しゆえ</rt></ruby>の<ruby><rb>麈尾</rb><rt>しゆび</rt></ruby>をふりふり、裸の男にたからうとする<ruby><rb>虻</rb><rt>あぶ</rt></ruby>や蠅を追つてゐたが、<ruby><rb>流石</rb><rt>さすが</rt></ruby>に少しくたびれたと見えて、今では、例の<ruby><rb>素焼</rb><rt>すやき</rt></ruby>の瓶の側へ来て、七面鳥のやうな恰好をしながら、<ruby><rb>勿体</rb><rt>もつたい</rt></ruby>らしくしやがんでゐる。

あとの一人は、この二人からずつと離れて、打麦場の隅にある草房の軒下に立つてゐる。この男は、<ruby><rb>頤</rb><rt>あご</rt></ruby>の先に、鼠の尻尾のやうな<ruby><rb>髯</rb><rt>ひげ</rt></ruby>を、申訳だけに生やして、踵が隠れる程長い<ruby><rb>皁布衫</rb><rt>さうふさん</rt></ruby>に、結目をだらしなく垂らした<ruby><rb>茶褐帯</rb><rt>さかつたい</rt></ruby>と云ふ拵へである。白い鳥の羽で<ruby><rb>製</rb><rt>つく</rt></ruby>つた団扇を、時々大事さうに使つてゐる容子では、多分、儒者か何かにちがひない。

この三人が三人とも、云ひ合せたやうに、口を<ruby><rb>噤</rb><rt>つぐ</rt></ruby>んでゐる。その上、碌に身動きさへもしない、何か、これから起らうとする事に、非常な興味でも持つてゐて、その為に、皆、息をひそめてゐるのではないかと思はれる。

日は正に、亭午であらう。犬も<ruby><rb>午睡</rb><rt>ごすゐ</rt></ruby>をしてゐるせいか、吠える声一つ聞えない。打麦場を囲んでゐる麻や黍も、青い葉を日に光らせて、ひつそりかんと静まつてゐる。それから、その末に見える空も、一面に、熱くるしく、炎靄をたゞよはせて、雲の峰さへもこの<ruby><rb>旱</rb><rt>ひでり</rt></ruby>に、肩息をついてゐるのかと、疑はれる。見渡した所、息が通つてゐるらしいのは、この三人の男の外にない。さうして、その三人が又、関帝廟に安置してある、泥塑の像のやうに沈黙を守つてゐる。……

勿論、日本の話ではない。――支那の<ruby><rb>長山</rb><rt>ちやうざん</rt></ruby>と云ふ所にある<ruby><rb>劉</rb><rt>りう</rt></ruby>氏の打麦場で、或年の夏、起つた出来事である。

二

裸で、炎天に寝ころんでゐるのは、この打麦場の主人で、姓は劉、名は大成と云ふ、長山では、屈指の<ruby><rb>素封家</rb><rt>そほうか</rt></ruby>の一人である。この男の道楽は、酒を飲む一方で、朝から、殆、<ruby><rb>盃</rb><rt>さかづき</rt></ruby>を離したと云ふ事がない。それも、「独酌する毎に<ruby><rb>輒</rb><rt>すなはち</rt></ruby>、<ruby><rb>一甕</rb><rt>いちをう</rt></ruby>を尽す」と云ふのだから、人並をはづれた酒量である。尤も前にも云つたやうに、「<ruby><rb>負郭</rb><rt>ふくわく</rt></ruby>の田三百畝、半は<ruby><rb>黍</rb><rt>きび</rt></ruby>を<ruby><rb>種</rb><rt>う</rt></ruby>う」と云ふので、<ruby><rb>飲</rb><rt>いん</rt></ruby>の為に家産が<ruby><rb>累</rb><rt>わづら</rt></ruby>はされるやうな<ruby><rb>惧</rb><rt>おそれ</rt></ruby>は、万々ない。

それが、何故、裸で、炎天に寝ころんでゐるかと云ふと、それには、かう云ふ因縁がある。――その日、劉が、同じ飲仲間の<ruby><rb>孫先生</rb><rt>そんせんせい</rt></ruby>と一しよに（これが、<ruby><rb>白羽扇</rb><rt>はくうせん</rt></ruby>を持つてゐた儒者である。）風通しのいゝ<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>で、<ruby><rb>竹婦人</rb><rt>ちくふじん</rt></ruby>に<ruby><rb>靠</rb><rt>もた</rt></ruby>れながら、棋局を<ruby><rb>闘</rb><rt>たゝか</rt></ruby>はせてゐると、召使ひの<ruby><rb>丫鬟</rb><rt>あくわん</rt></ruby>が来て、「唯今、<ruby><rb>宝幢寺</rb><rt>はうどうじ</rt></ruby>とかにゐると云ふ、坊さんが御見えになりまして、是非、御主人に御目にかゝりたいと申しますが、いかゞ致しませう。」と云ふ。

「なに、宝幢寺？」かう云つて、劉は小さな<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>を、まぶしさうに、しばたたいたが、やがて、暑さうに肥つた体を起しながら、「では、こゝへ御通し申せ。」と云ひつけた。それから、孫先生の顔をちよいと見て「大方あの坊主でせう。」とつけ加へた。

宝幢寺にゐる坊主と云ふのは、<ruby><rb>西域</rb><rt>せいいき</rt></ruby>から来た蛮僧である。これが、医療も加へれば、房術も施すと云ふので、この界隈では、評判が高い。たとへば、張三の黒内障が、忽、快方に向つたとか、李四の<ruby><rb>病閹</rb><rt>べうえん</rt></ruby>が、即座に平癒したとか、殆、奇蹟に近い噂が盛に行はれてゐるのである。――この噂は、二人とも聞いてゐた。その蛮僧が、今、何の用で、わざわざ、劉の所へ出むいて来たのであらう。勿論、劉の方から、迎へにやつた覚えなどは、全然ない。

序に云つて置くが、劉は、一体、来客を悦ぶやうな男ではない。が、<ruby><rb>他</rb><rt>た</rt></ruby>に一人、来客がある場合に、新来の客が来たとなると、大抵ならば、快く会つてやる。客の手前、客のあるのを自慢するとでも云つたらよささうな、小供らしい虚栄心を持つてゐるからである。それに、今日の蛮僧は、この頃、どこででも評判になつてゐる。決して、会つて恥しいやうな客ではない。――劉が会はうと云ひ出した動機は、大体こんな所にあつたのである。

「何の用でせう。」

「まづ、物貰ひですな。<ruby><rb>信施</rb><rt>しんぜ</rt></ruby>でもしてくれと云ふのでせう。」

こんな事を、二人で話してゐる内に、やがて、<ruby><rb>丫鬟</rb><rt>あくわん</rt></ruby>の案内で、はいつて来たのを見ると、<ruby><rb>背</rb><rt>せい</rt></ruby>の高い、<ruby><rb>紫石稜</rb><rt>しせきれう</rt></ruby>のやうな眼をした、<ruby><rb>異形</rb><rt>いぎやう</rt></ruby>な沙門である。黄色い<ruby><rb>法衣</rb><rt>ころも</rt></ruby>を着て、その肩に、縮れた髪の伸びたのを、うるささうに垂らしてゐる。それが、朱柄の<ruby><rb>麈尾</rb><rt>しゆび</rt></ruby>を持つたまゝ、のつそり<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>のまん中に立つた。挨拶もしなければ、口もきかない。

劉は、しばらく、ためらつてゐたが、その内に、それが何となく、不安になつて来たので「何か御用かな。」と訊いて見た。

すると、蛮僧が云つた。「あなたでせうな、酒が好きなのは。」

「さやう。」劉は、あまり問が<ruby><rb>唐突</rb><rt>だしぬけ</rt></ruby>なので、曖昧な返事をしながら、救を求めるやうに、孫先生の方を見た。孫先生は、すまして、独りで、盤面に石を下してゐる。まるで、取り合ふ容子はない。

「あなたは、珍しい病に罹つて御出になる。それを御存知ですかな。」蛮僧は念を押すやうに、かう云つた。劉は、病と聞いたので、けげんな顔をして、竹婦人を<ruby><rb>撫</rb><rt>な</rt></ruby>でながら、

「病――ですかな。」

「さうです。」

「いや、幼少の時から……」劉が何か云はうとすると、蛮僧はそれを<ruby><rb>遮</rb><rt>さへぎ</rt></ruby>つて、

「酒を飲まれても、酔ひますまいな。」

「……」劉は、ぢろぢろ、相手の顔を見ながら、口を<ruby><rb>噤</rb><rt>つぐ</rt></ruby>んでしまつた。実際この男は、いくら酒を飲んでも、酔つた事がないのである。

「それが、病の証拠ですよ。」蛮僧は、うす<ruby><rb>笑</rb><rt>わらひ</rt></ruby>をしながら、語をついで、「腹中に酒虫がゐる。それを除かないと、この病は<ruby><rb>癒</rb><rt>なほ</rt></ruby>りません。貧道は、あなたの病を癒しに来たのです。」

「癒りますかな。」劉は思はず<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>なさうな声を出した。さうして、自分でそれを恥ぢた。

「癒ればこそ、来ましたが。」

すると、今まで、黙つて、問答を聞いてゐた孫先生が、急に語を挟んだ。

「何か、薬でも御用ひか。」

「いや、薬なぞは用ひるまでもありません。」蛮僧は<ruby><rb>不愛想</rb><rt>ぶあいさう</rt></ruby>に、かう答へた。

孫先生は、元来、道仏の二教を殆、無理由に軽蔑してゐる。だから、道士とか僧侶とかと一しよになつても、口をきいた事は<ruby><rb>滅多</rb><rt>めつた</rt></ruby>にない。それが、今ふと口を出す気になつたのは、全く酒虫と云ふ語の興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、自分の腹の中にも、酒虫がゐはしないかと、<ruby><rb>聊</rb><rt>いささか</rt></ruby>、不安になつて来たのである。所が、蛮僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分が<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>にされたやうな気がしたので、先生はちよいと顔をしかめながら、又元の通り、黙々として棋子を下しはじめた。さうして、それと同時に、内心、こんな横柄な坊主に会つたり何ぞする主人の劉を、莫迦げてゐると思ひ出した。

劉の方では、勿論そんな事には<ruby><rb>頓着</rb><rt>とんちやく</rt></ruby>しない。

「では、針でも使ひますかな。」

「なに、もつと造作のない事です。」

「では<ruby><rb>呪</rb><rt>まじなひ</rt></ruby>ですかな。」

「いや、呪でもありません。」

かう云ふ会話を繰返した末に、蛮僧は、簡単に、その療法を説明して聞かせた。――それによるに、唯、裸になつて、<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby>にぢつとしてゐさへすればよいと云ふのである。劉には、それが、甚、容易な事のやうに思はれた。その位の事で癒るなら、癒して貰ふのに越した事はない。その上、意識してはゐなかつたが、蛮僧の治療を受けると云ふ点で、好奇心も少しは動いてゐた。

そこでとうとう、劉も、こつちから頭を下げて、「では、どうか一つ、癒して頂きませう。」と云ふ事になつた。――劉が、裸で、炎天の打麦場にねころんでゐるのには、かう云ふ<ruby><rb>謂</rb><rt>いは</rt></ruby>れが、あるのである。

すると蛮僧は、身動きをしてはいけないと云ふので、劉の体を細引で、ぐるぐる巻にした。それから、<ruby><rb>僮僕</rb><rt>どうぼく</rt></ruby>の一人に云ひつけて、酒を入れた素焼の瓶を一つ、劉の枕もとへ持つて来させた。当座の行きがかりで、<ruby><rb>糟邱</rb><rt>そうきう</rt></ruby>の良友たる孫先生が、この不思議な療治に立合ふ事になつたのは云ふまでもない。

酒虫と云ふ物が、どんな物だか、それが腹の中にゐなくなると、どうなるのだか、枕もとにある酒の瓶は、何にするつもりなのだか、それを知つてゐるのは、蛮僧の外に一人もない。かう云ふと、何も知らずに、炎天へ裸で出てゐる劉は、甚、<ruby><rb>迂濶</rb><rt>うくわつ</rt></ruby>なやうに思はれるが、普通の人間が、学校の教育などをうけるのも、実は大抵、これと同じやうな事をしてゐるのである。

三

暑い。額へ汗がぢりぢりと湧いて来て、それが玉になつたかと思ふと、つうつと<ruby><rb>生暖</rb><rt>なまあつたか</rt></ruby>く、眼の方へ流れて来る。生憎、細引でしばられてゐるから、手を出して拭ふ訳には、勿論行かない。そこで、首を動かして、汗の進路を変へやうとすると、その途端に、はげしく<ruby><rb>眩暈</rb><rt>めまひ</rt></ruby>がしさうな気がしたので、残念ながら、この計画も亦、見合せる事にした。その中に、汗は遠慮なく、<ruby><rb>眶</rb><rt>まぶた</rt></ruby>をぬらして、鼻の側から<ruby><rb>口許</rb><rt>くちもと</rt></ruby>をまはりながら、頤の下まで流れて行く。気味が悪い事<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しい。

それまでは、眼を<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>いて、白く焦された空や、葉をたらした麻畑を、まじ〱と眺めてゐたが、汗が<ruby><rb>無暗</rb><rt>むやみ</rt></ruby>に流れるやうになつてからは、それさへ断念しなければならなくなつた。劉は、この時、始めて、汗が眼にはいると、しみるものだと云ふ事を、知つたのである。そこで、<ruby><rb>屠所</rb><rt>としよ</rt></ruby>の羊の様な顔をして、神妙に眼をつぶりながら、ぢつと日に照りつけられてゐると、今度は、顔と云はず体と云はず、上になつてゐる部分の皮膚が、次第に或痛みを感じるやうになつて来た。皮膚の全面に、あらゆる方向へ動かうとする力が働いてゐるが、皮膚自身は、それに対して、<ruby><rb>毫</rb><rt>がう</rt></ruby>も弾力を持つてゐない。それでどこもかしこも、ぴり〱する――とでも説明したら、よからうと思ふ痛みである。これは、<ruby><rb>汗所</rb><rt>あせどころ</rt></ruby>の苦しさではない。劉は、少し蛮僧の治療をうけたのが、<ruby><rb>忌々</rb><rt>いまいま</rt></ruby>しくなつて来た。

しかし、これは、後になつて考へて見ると、まだ苦しくない方の部だつたのである。――そのうちに、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>が渇いて来た。劉も、曹孟徳か誰かが、前路に梅林ありと云つて、軍士の渇を<ruby><rb>医</rb><rt>い</rt></ruby>したと云ふ事は知つてゐる。が、今の場合、いくら、梅子の甘酸を念頭に浮べて見ても、喉の渇く事は、少しも前と変りがない。頤を動かして見たり、舌を噛んで見たりしたが、口の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>は依然として熱を持つてゐる。それも、枕もとの素焼の瓶がなかつたら、まだ幾分でも、我慢がし易かつたのに違ひない。所が、瓶の口からは、<ruby><rb>芬々</rb><rt>ふんぷん</rt></ruby>たる酒香が、間断なく、劉の鼻を襲つて来る。しかも、気のせいか、その酒香が、一分毎に、益々高くなつて来るやうな心もちさへする。劉は、せめて、瓶だけでも見ようと思つて、眼をあけた。上眼を使つて見ると、瓶の口と、<ruby><rb>応揚</rb><rt>おうやう</rt></ruby>にふくれた胴の半分ばかりが、眼にはいる。眼にはいるのは、それだけであるが、同時に、劉の想像には、その瓶のうす暗い内部に、<ruby><rb>黄金</rb><rt>きん</rt></ruby>のやうな色をした酒のなみ〱と<ruby><rb>湛</rb><rt>たた</rt></ruby>へてゐる<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>が、浮んで来た。思はず、ひびの出来た唇を、乾いた舌で舐めまはして見たが、唾の湧く<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>は、更にない。汗さへ今では、日に干されて、前のやうには、流れなくなつてしまつた。

すると、はげしい<ruby><rb>眩暈</rb><rt>めまひ</rt></ruby>が、つづいて、二三度起つた。頭痛はさつきから、しつきりなしにしてゐる。劉は、心の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>で愈、蛮僧を怨めしく思つた。それから又何故、自分ともあるものが、あんな人間の口車に乗つて、こんな莫迦げた苦しみをするのだらうとも思つた。そのうちに、喉は、益々、渇いて来る。胸は妙にむかついて来る。もう我慢にも、ぢつとしてはゐられない。そこで劉はとう〱思切つて、枕もとの蛮僧に、療治の中止を申込むつもりで、喘ぎながら、口を開いた。――

すると、その途端である。劉は、何とも知れない<ruby><rb>塊</rb><rt>かたまり</rt></ruby>が、少しづゝ胸から喉へ這ひ上つて来るのを感じ出した。それが或は<ruby><rb>蚯蚓</rb><rt>みゝず</rt></ruby>のやうに、<ruby><rb>蠕動</rb><rt>ぜんどう</rt></ruby>してゐるかと思ふと、或は<ruby><rb>守宮</rb><rt>やもり</rt></ruby>のやうに、少しづゝ居ざつてゐるやうでもある。<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>或柔い物が、柔いなりに、むづりむづりと、食道を上へせり上つて来るのである。さうしてとうとうしまひに、それが、<ruby><rb>喉仏</rb><rt>のどぼとけ</rt></ruby>の下を、無理にすりぬけたと思ふと、今度はいきなり、<ruby><rb>鰌</rb><rt>どぜう</rt></ruby>か何かのやうにぬるりと暗い所をぬけ出して、勢よく外へとんで出た。

と、その拍子に、例の素焼の瓶の方で、ぽちやりと、何か酒の中へ落ちるやうな音がした。

すると、蛮僧が、急に落ちつけてゐた尻を持ち上げて、劉の体にかゝつてゐる、細引を解きはじめた。もう、酒虫が出たから、安心しろと云ふのである。

「出ましたかな。」劉は、<ruby><rb>呻</rb><rt>うめ</rt></ruby>くやうにかう云つて、ふらふらする頭を起しながら、物珍しさの余り、喉の渇いたのも忘れて、裸のまま、瓶の側へ這ひよつた。それと見ると、孫先生も、白羽扇で日をよけながら、急いで、二人の方へやつて来る。さて、三人揃つて瓶の中を覗きこむと、肉の色が<ruby><rb>朱泥</rb><rt>しゆでい</rt></ruby>に似た、小さな<ruby><rb>山椒魚</rb><rt>さんしやううを</rt></ruby>のやうなものが、酒の中を泳いでゐる。長さは、三寸ばかりであらう。口もあれば、眼もある。どうやら、泳ぎながら、酒を飲んでゐるらしい。劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつた。……

四

蛮僧の治療の効は、<ruby><rb>覿面</rb><rt>てきめん</rt></ruby>に現れた。劉大成は、その日から、ぱつたり酒が飲めなくなつたのである。今は、匂を嗅ぐのも、嫌だと云ふ。所が、不思議な事に、劉の健康が、それから、少しづつ、衰へて来た。今年で、酒虫を吐いてから、三年になるが、往年の丸丸と肥つてゐた<ruby><rb>俤</rb><rt>おもかげ</rt></ruby>は、何処にもない。<ruby><rb>色光沢</rb><rt>いろつや</rt></ruby>の悪い皮膚が、脂じみたまま、険しい顔の骨を包んで、霜に侵された<ruby><rb>双髩</rb><rt>さうびん</rt></ruby>が、<ruby><rb>纔</rb><rt>わづか</rt></ruby>に、<ruby><rb>顳顬</rb><rt>こめかみ</rt></ruby>の上に、残つてゐるばかり、一年の中に、何度、床につくか、わからない位ださうである。

しかし、それ以来、衰へたのは、劉の健康ばかりではない。劉の家産も亦とんとん拍子に傾いて、今では、三百畝を以て数へた<ruby><rb>負郭</rb><rt>ふくわく</rt></ruby>の田も、多くは人の手に渡つた。劉自身も、余儀なく、馴れない手に<ruby><rb>鋤</rb><rt>すき</rt></ruby>を執つて、佗しいその日その日を送つてゐるのである。

酒虫を吐いて以来、何故、劉の健康が衰へたか。何故、家産が傾いたか――酒虫を吐いたと云ふ事と、劉のその後の零落とを、因果の関係に並べて見る以上、これは、誰にでも起りやすい疑問である。現にこの疑問は、長山に住んでゐる、あらゆる職業の人人によつて繰返され、且、それらの人人の口から、あらゆる種類の答を与へられた。今、ここに挙げる三つの答も、実はその中から、最、代表的なものを選んだのに過ぎない。

第一の答。酒虫は、劉の福であつて、劉の病ではない。<ruby><rb>偶</rb><rt>たま〱</rt></ruby>、<ruby><rb>暗愚</rb><rt>あんぐ</rt></ruby>の蛮僧に遇つた為に、好んで、この天与の福を失ふやうな事になつたのである。

第二の答。酒虫は、劉の病であつて、劉の福ではない。何故と云へば、一飲一甕を尽すなどと云ふ事は、到底、常人の考へられない所だからである。そこで、もし酒虫を除かなかつたなら、劉は必久しからずして、死んだのに相違ない。して見ると、貧病、<ruby><rb>迭</rb><rt>かたみ</rt></ruby>に至るのも、<ruby><rb>寧</rb><rt>むしろ</rt></ruby>劉にとつては、幸福と云ふべきである。

第三の答。酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。劉は、昔から酒ばかり飲んでゐた。劉の一生から酒を除けば、後には、何も残らない。して見ると、劉は<ruby><rb>即</rb><rt>そく</rt></ruby>酒虫、酒虫は即劉である。だから、劉が酒虫を去つたのは自ら己を殺したのも同前である。つまり、酒が飲めなくなつた日から、劉は劉にして、劉ではない。劉自身が既になくなつてゐたとしたら、<ruby><rb>昔日</rb><rt>せきじつ</rt></ruby>の劉の健康なり家産なりが、失はれたのも、至極、当然な話であらう。

これらの答の中で、どれが、最よく、当を得てゐるか、それは自分にもわからない。自分は、唯、支那の小説家の Didacticism に<ruby><rb>倣</rb><rt>なら</rt></ruby>つて、かう云ふ道徳的な判断を、この話の最後に、列挙して見たまでゝある。

――五年四月――