一

<ruby><rb>加州</rb><rt>かしゅう</rt></ruby>石川<ruby><rb>郡</rb><rt>ごおり</rt></ruby>金沢城の城主、前田<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>は、<ruby><rb>参覲中</rb><rt>さんきんちゅう</rt></ruby>、江戸城の<ruby><rb>本丸</rb><rt>ほんまる</rt></ruby>へ<ruby><rb>登城</rb><rt>とじょう</rt></ruby>する毎に、必ず愛用の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>を持って行った。当時有名な煙管商、<ruby><rb>住吉屋七兵衛</rb><rt>すみよしやしちべえ</rt></ruby>の手に成った、<ruby><rb>金無垢地</rb><rt>きんむくじ</rt></ruby>に、<ruby><rb>剣梅鉢</rb><rt>けんうめばち</rt></ruby>の<ruby><rb>紋</rb><rt>もん</rt></ruby>ぢらしと云う、<ruby><rb>数寄</rb><rt>すき</rt></ruby>を<ruby><rb>凝</rb><rt>こ</rt></ruby>らした<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>である。

前田家は、幕府の制度によると、<ruby><rb>五世</rb><rt>ごせ</rt></ruby>、<ruby><rb>加賀守綱紀</rb><rt>かがのかみつなのり</rt></ruby>以来、<ruby><rb>大廊下詰</rb><rt>おおろうかづめ</rt></ruby>で、席次は、世々<ruby><rb>尾紀水三家</rb><rt>びきすいさんけ</rt></ruby>の次を占めている。勿論、裕福な事も、当時の大小名の中で、肩を比べる者は、ほとんど、一人もない。だから、その当主たる斉広が、<ruby><rb>金無垢</rb><rt>きんむく</rt></ruby>の煙管を持つと云う事は、<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ身分相当の装飾品を持つのに過ぎないのである。

しかし斉広は、その煙管を持っている事を<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ、得意に感じていた。もっとも断って置くが、彼の得意は決して、煙管そのものを、どんな意味ででも、<ruby><rb>愛翫</rb><rt>あいがん</rt></ruby>したからではない。彼はそう云う煙管を日常口にし得る彼自身の勢力が、他の諸侯に比して、優越な<ruby><rb>所以</rb><rt>ゆえん</rt></ruby>を悦んだのである。つまり、彼は、加州百万石が金無垢の煙管になって、どこへでも、持って行けるのが、得意だった――と云っても<ruby><rb>差支</rb><rt>さしつか</rt></ruby>えない。

そう云う次第だから、斉広は、登城している間中、殆どその煙管を離した事がない。人と話しをしている時は勿論、独りでいる時でも、彼はそれを懐中から出して、<ruby><rb>鷹揚</rb><rt>おうよう</rt></ruby>に口に<ruby><rb>啣</rb><rt>くわ</rt></ruby>えながら、<ruby><rb>長崎煙草</rb><rt>ながさきたばこ</rt></ruby>か何かの匂いの高い煙りを、必ず悠々とくゆらせている。

勿論この得意な心もちは、煙管なり、それによって代表される百万石なりを、人に見せびらかすほど、<ruby><rb>増長慢</rb><rt>ぞうちょうまん</rt></ruby>な性質のものではなかったかも知れない。が、彼自身が見せびらかさないまでも、<ruby><rb>殿中</rb><rt>でんちゅう</rt></ruby>の注意は、明かに、その煙管に集注されている観があった。そうして、その集注されていると云う事を意識するのが斉広にとっては、かなり愉快な感じを与えた。――現に彼には、同席の大名に、あまりお煙管が見事だからちょいと拝見させて頂きたいと、云われた<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>では、のみなれた煙草の煙までがいつもより、一層快く、舌を<ruby><rb>刺戟</rb><rt>しげき</rt></ruby>するような気さえ、したのである。

二

<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>の持っている、<ruby><rb>金無垢</rb><rt>きんむく</rt></ruby>の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>に、眼を<ruby><rb>駭</rb><rt>おどろ</rt></ruby>かした連中の中で、最もそれを話題にする事を好んだのは<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>、お<ruby><rb>坊主</rb><rt>ぼうず</rt></ruby>の階級である。彼等はよるとさわると、鼻をつき合せて、この「加賀の煙管」を材料に得意の<ruby><rb>饒舌</rb><rt>じょうぜつ</rt></ruby>を闘わせた。

「さすがは、大名道具だて。」

「同じ道具でも、ああ云う物は、つぶしが<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>きやす。」

「<ruby><rb>質</rb><rt>しち</rt></ruby>に置いたら、何両貸す事かの。」

「貴公じゃあるまいし、誰が質になんぞ、置くものか。」

ざっと、こんな調子である。

するとある日、彼等の五六人が、<ruby><rb>円</rb><rt>まる</rt></ruby>い頭をならべて、一服やりながら、例の如く煙管の<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>をしていると、そこへ、偶然、<ruby><rb>御数寄屋坊主</rb><rt>おすきやぼうず</rt></ruby>の<ruby><rb>河内山宗俊</rb><rt>こうちやまそうしゅん</rt></ruby>が、やって来た。――<ruby><rb>後年</rb><rt>こうねん</rt></ruby>「<ruby><rb>天保六歌仙</rb><rt>てんぽうろっかせん</rt></ruby>」の中の、主な rolê をつとめる事になった男である。

「ふんまた煙管か。」

河内山は、一座の坊主を、尻眼にかけて、<ruby><rb>空嘯</rb><rt>そらうそぶ</rt></ruby>いた。

「<ruby><rb>彫</rb><rt>ほり</rt></ruby>と云い、<ruby><rb>地金</rb><rt>じがね</rt></ruby>と云い、見事な物さ。銀の煙管さえ持たぬこちとらには見るも眼の毒……」

調子にのって弁じていた<ruby><rb>了哲</rb><rt>りょうてつ</rt></ruby>と云う坊主が、ふと気がついて見ると、宗俊は、いつの間にか彼の煙管入れをひきよせて、その中から煙草をつめては、悠然と煙を輪にふいている。

「おい、おい、それは貴公の煙草入れじゃないぜ。」

「いいって事よ。」

宗俊は、了哲の方を見むきもせずに、また煙草をつめた。そうして、それを吸ってしまうと、<ruby><rb>生</rb><rt>なま</rt></ruby>あくびを一つしながら、煙草入れをそこへ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>り出して、

「ええ、悪い煙草だ。煙管ごのみが、聞いてあきれるぜ。」

了哲は慌てて、煙草入れをしまった。

「なに、<ruby><rb>金無垢</rb><rt>きんむく</rt></ruby>の煙管なら、それでも、ちょいとのめようと云うものさ。」

「ふんまた煙管か。」と繰返して、「そんなに金無垢が有難けりゃ何故お煙管拝領と出かけねえんだ。」

「お煙管拝領？」

「そうよ。」

さすがに、了哲も相手の<ruby><rb>傍若無人</rb><rt>ぼうじゃくぶじん</rt></ruby>なのにあきれたらしい。

「いくらお前、わしが欲ばりでも、……せめて、銀ででもあれば、格別さ。……とにかく、金無垢だぜ。あの煙管は。」

「知れた事よ。金無垢ならばこそ、貰うんだ。<ruby><rb>真鍮</rb><rt>しんちゅう</rt></ruby>の<ruby><rb>駄六</rb><rt>だろく</rt></ruby>を拝領に出る奴がどこにある。」

「だが、そいつは少し恐れだて。」

了哲はきれいに<ruby><rb>剃</rb><rt>そ</rt></ruby>った頭を一つたたいて恐縮したような身ぶりをした。

「手前が貰わざ、<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>が貰う。いいか、あとで<ruby><rb>羨</rb><rt>うらやま</rt></ruby>しがるなよ。」

河内山はこう云って、煙管をはたきながら肩をゆすって、せせら笑った。

三

それから間もなくの事である。

<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>がいつものように、<ruby><rb>殿中</rb><rt>でんちゅう</rt></ruby>の一間で煙草をくゆらせていると、<ruby><rb>西王母</rb><rt>せいおうぼ</rt></ruby>を描いた<ruby><rb>金襖</rb><rt>きんぶすま</rt></ruby>が、静に<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>いて、<ruby><rb>黒手</rb><rt>くろで</rt></ruby>の<ruby><rb>黄八丈</rb><rt>きはちじょう</rt></ruby>に、黒の<ruby><rb>紋附</rb><rt>もんつき</rt></ruby>の羽織を着た坊主が一人、<ruby><rb>恭</rb><rt>うやうや</rt></ruby>しく、彼の前へ這って出た。顔を上げずにいるので、誰だかまだわからない。――斉広は、何か用が出来たのかと思ったので、<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>をはたきながら、<ruby><rb>寛濶</rb><rt>かんかつ</rt></ruby>に声をかけた。

「何用じゃ。」

「ええ、<ruby><rb>宗俊</rb><rt>そうしゅん</rt></ruby>御願がございまする。」

<ruby><rb>河内山</rb><rt>こうちやま</rt></ruby>はこう云って、ちょいと言葉を切った。それから、次の語を云っている中に、だんだん<ruby><rb>頭</rb><rt>かしら</rt></ruby>を上げて、しまいには、じっと斉広の顔を見つめ出した。こう云う種類の人間のみが持って居る、一種の<ruby><rb>愛嬌</rb><rt>あいきょう</rt></ruby>をたたえながら、蛇が物を狙うような眼で見つめたのである。

「別儀でもございませんが、その御手許にございまする御煙管を、手前、拝領致しとうございまする。」

斉広は思わず手にしていた煙管を見た。その視線が、煙管へ落ちたのと、河内山が追いかけるように、語を次いだのとが、ほとんど同時である。

「<ruby><rb>如何</rb><rt>いかが</rt></ruby>でございましょう。拝領仰せつけられましょうか。」

宗俊の語の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>にあるものは懇請の情ばかりではない、お<ruby><rb>坊主</rb><rt>ぼうず</rt></ruby>と云う階級があらゆる大名に対して持っている、<ruby><rb>威嚇</rb><rt>いかく</rt></ruby>の意も<ruby><rb>籠</rb><rt>こも</rt></ruby>っている。煩雑な<ruby><rb>典故</rb><rt>てんこ</rt></ruby>を<ruby><rb>尚</rb><rt>とうと</rt></ruby>んだ、殿中では、天下の侯伯も、お坊主の指導に従わなければならない。斉広には一方にそう云う弱みがあった。それからまた一方には体面上<ruby><rb>卑吝</rb><rt>ひりん</rt></ruby>の名を取りたくないと云う心もちがある。しかも、彼にとって金無垢の煙管そのものは、決して得難い品ではない。――この二つの動機が一つになった時、彼の手は<ruby><rb>自</rb><rt>おのずか</rt></ruby>ら、その煙管を、河内山の前へさし出した。

「おお、とらす。持ってまいれ。」

「有難うございまする。」

宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく<ruby><rb>押頂</rb><rt>おしいただ</rt></ruby>いて、そこそこ、また西王母の<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>の向うへ、ひき下った。すると、ひき下る拍子に、<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から袖を引いたものがある。ふりかえると、そこには、<ruby><rb>了哲</rb><rt>りょうてつ</rt></ruby>が、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うすいも</span>のある顔をにやつかせながら、彼の<ruby><rb>掌</rb><rt>てのひら</rt></ruby>の上にある金無垢の煙管をもの欲しそうに、指さしていた。

「こう、見や。」

河内山は、小声でこう云って、煙管の<ruby><rb>雁首</rb><rt>がんくび</rt></ruby>を、了哲の鼻の先へ、持って行った。

「とうとう、せしめたな。」

「だから、云わねえ事じゃねえ。今になって、<ruby><rb>羨</rb><rt>うらや</rt></ruby>ましがったって、<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>の祭だ。」

「今度は、<ruby><rb>私</rb><rt>わし</rt></ruby>も拝領と出かけよう。」

「へん、<ruby><rb>御勝手</rb><rt>ごかって</rt></ruby>になせえましだ。」

河内山は、ちょいと煙管の目方をひいて見て、それから、襖ごしに斉広の方を<ruby><rb>一瞥</rb><rt>いちべつ</rt></ruby>しながら、また、肩をゆすってせせら笑った。

四

では、<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>をまき上げられた<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>の方は、不快に感じたかと云うと、必しもそうではない。それは、彼が、<ruby><rb>下城</rb><rt>げじょう</rt></ruby>をする際に、いつになく<ruby><rb>機嫌</rb><rt>きげん</rt></ruby>のよさそうな顔をしているので、<ruby><rb>供</rb><rt>とも</rt></ruby>の侍たちが、不思議に思ったと云うのでも、知れるのである。

彼は、むしろ、宗俊に煙管をやった事に、一種の満足を感じていた。あるいは、煙管を持っている時よりも、その満足の度は、大きかったかも知れない。しかしこれは至極当然な話である。何故と云えば、彼が煙管を得意にするのは、前にも<ruby><rb>断</rb><rt>ことわ</rt></ruby>ったように、煙管そのものを、<ruby><rb>愛翫</rb><rt>あいがん</rt></ruby>するからではない。実は、煙管の形をしている、百万石が自慢なのである。だから、彼のこの虚栄心は、金無垢の煙管を愛用する事によって、満足させられると同じように、その煙管を惜しげもなく、他人にくれてやる事によって、更によく満足させられる訳ではあるまいか。たまたまそれを河内山にやる際に、幾分外部の事情に、<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>いられたような所があったにしても、彼の満足が、そのために、少しでも損ぜられる事なぞはないのである。

そこで、斉広は、<ruby><rb>本郷</rb><rt>ほんごう</rt></ruby>の屋敷へ帰ると、<ruby><rb>近習</rb><rt>きんじゅ</rt></ruby>の侍に向って、愉快そうにこう云った。

「煙管は宗俊の坊主にとらせたぞよ。」

五

これを聞いた<ruby><rb>家中</rb><rt>かちゅう</rt></ruby>の者は、<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>の<ruby><rb>宏量</rb><rt>こうりょう</rt></ruby>なのに驚いた。しかし<ruby><rb>御用部屋</rb><rt>ごようべや</rt></ruby>の山崎<ruby><rb>勘左衛門</rb><rt>かんざえもん</rt></ruby>、<ruby><rb>御納戸掛</rb><rt>おなんどがかり</rt></ruby>の岩田<ruby><rb>内蔵之助</rb><rt>くらのすけ</rt></ruby>、<ruby><rb>御勝手方</rb><rt>おかってがた</rt></ruby>の<ruby><rb>上木</rb><rt>かみき</rt></ruby>九郎右衛門――この三人の役人だけは思わず、<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>をひそめたのである。

加州一藩の経済にとっては、勿論、金無垢の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>一本の費用くらいは、何でもない。が、<ruby><rb>賀節</rb><rt>がせつ</rt></ruby><ruby><rb>朔望</rb><rt>さくぼう</rt></ruby>二十八日の<ruby><rb>登城</rb><rt>とじょう</rt></ruby>の度に、必ず、それを一本ずつ、坊主たちにとられるとなると、容易ならない支出である。あるいは、そのために<ruby><rb>運上</rb><rt>うんじょう</rt></ruby>を増して煙管の<ruby><rb>入目</rb><rt>いりめ</rt></ruby>を<ruby><rb>償</rb><rt>つぐな</rt></ruby>うような事が、起らないとも限らない。そうなっては、大変である――三人の忠義の侍は、皆云い合せたように、それを未然に<ruby><rb>惧</rb><rt>おそ</rt></ruby>れた。

そこで、彼等は、早速評議を開いて、善後策を講じる事になった。善後策と云っても、勿論一つしかない。――それは、煙管の<ruby><rb>地金</rb><rt>じがね</rt></ruby>を全然変更して、坊主共の欲しがらないようなものにする事である。が、その地金を何にするかと云う問題になると、岩田と上木とで、互に意見を異にした。

岩田は君公の体面上銀より<ruby><rb>卑</rb><rt>いや</rt></ruby>しい金属を用いるのは、<ruby><rb>異</rb><rt>い</rt></ruby>なものであると云う。上木はまた、すでに坊主共の欲心を防ごうと云うのなら、<ruby><rb>真鍮</rb><rt>しんちゅう</rt></ruby>を用いるのに越した事はない。今更体面を、顧慮する如きは、<ruby><rb>姑息</rb><rt>こそく</rt></ruby>の<ruby><rb>見</rb><rt>けん</rt></ruby>であると云う。――二人は、各々、自説を固守して、極力<ruby><rb>論駁</rb><rt>ろんばく</rt></ruby>を試みた。

すると、老功な山崎が、両説とも、至極道理がある。が、まず、一応、銀を用いて見て、それでも坊主共が欲しがるようだったら、その後に、真鍮を用いても、遅くはあるまい。と云う<ruby><rb>折衷説</rb><rt>せっちゅうせつ</rt></ruby>を持出した。これには二人とも、勿論、異議のあるべき筈がない。そこで評議は、とうとう、また、<ruby><rb>住吉屋</rb><rt>すみよしや</rt></ruby>七兵衛に命じて銀の煙管を造らせる事に、一決した。

六

<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>は、<ruby><rb>爾来</rb><rt>じらい</rt></ruby>登城する毎に、銀の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>を持って行った。やはり、<ruby><rb>剣梅鉢</rb><rt>けんうめばち</rt></ruby>の紋ぢらしの、精巧を極めた煙管である。

彼が新調の煙管を、以前ほど、得意にしていない事は勿論である。第一人と話しをしている時でさえ滅多に手にとらない。手にとっても<ruby><rb>直</rb><rt>すぐ</rt></ruby>にまたしまってしまう。同じ長崎煙草が、金無垢の煙管でのんだ時ほど、うまくないからである。が、煙管の<ruby><rb>地金</rb><rt>じがね</rt></ruby>の変った事は独り斉広の上に影響したばかりではない。三人の忠臣が予想した通り、<ruby><rb>坊主共</rb><rt>ぼうずども</rt></ruby>の上にも、影響した。しかし、この影響は結果において彼等の予想を、全然裏切ってしまう事に、なったのである。何故と云えば坊主共は、金が銀に変ったのを見ると、今まで金無垢なるが故に、遠慮をしていた連中さえ、先を争って御煙管拝領に出かけて来た。しかも、金無垢の煙管にさえ、<ruby><rb>愛着</rb><rt>あいじゃく</rt></ruby>のなかった斉広が、銀の煙管をくれてやるのに、<ruby><rb>未練</rb><rt>みれん</rt></ruby>のあるべき筈はない。彼は、請われるままに、惜し気もなく煙管を投げてやった。しまいには、登城した時に、煙管をやるのか、煙管をやるために登城するのか、彼自身にも判別が出来なくなった――少くともなったくらいである。

これを聞いた、山崎、岩田、上木の三人は、また、<ruby><rb>愁眉</rb><rt>しゅうび</rt></ruby>をあつめて評議した。こうなっては、いよいよ上木の献策通り、真鍮の煙管を造らせるよりほかに、仕方がない。そこで、また、例の如く、命が住吉屋七兵衛へ<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>ろうとした――丁度、その時である。一人の<ruby><rb>近習</rb><rt>きんじゅ</rt></ruby>が斉広の旨を伝えに、彼等の所へやって来た。

「<ruby><rb>御前</rb><rt>ごぜん</rt></ruby>は銀の煙管を持つと坊主共の所望がうるさい。以来従前通り、金の煙管に致せと仰せられまする。」

三人は、<ruby><rb>唖然</rb><rt>あぜん</rt></ruby>として、為す所を知らなかった。

七

<ruby><rb>河内山宗俊</rb><rt>こうちやまそうしゅん</rt></ruby>は、ほかの坊主共が先を争って、<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>の銀の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>を貰いにゆくのを、<ruby><rb>傍痛</rb><rt>かたわらいた</rt></ruby>く眺めていた。ことに、<ruby><rb>了哲</rb><rt>りょうてつ</rt></ruby>が、<ruby><rb>八朔</rb><rt>はっさく</rt></ruby>の登城の節か何かに、一本貰って、嬉しがっていた時なぞは、持前の<ruby><rb>癇高</rb><rt>かんだか</rt></ruby>い声で、頭から「<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>め」をあびせかけたほどである。彼は決して銀の煙管が欲しくない訳ではない。が、ほかの坊主共と一しょになって、同じ煙管の跡を、追いかけて歩くには、余りに、「<ruby><rb>金箔</rb><rt>きんぱく</rt></ruby>」がつきすぎている。その高慢と欲との<ruby><rb>鬩</rb><rt>せめ</rt></ruby>ぎあうのに苦しめられた彼は、今に見ろ、<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>が鼻を明かしてやるから――と云う気で、何気ない<ruby><rb>体</rb><rt>てい</rt></ruby>を装いながら、油断なく、斉広の煙管へ眼をつけていた。

すると、ある日、彼は、斉広が、以前のような金無垢の煙管で悠々と煙草をくゆらしているのに、気がついた。が、坊主仲間では誰も貰いに行くものがないらしい。そこで彼は折から通りかかった了哲をよびとめて、そっと<ruby><rb>顋</rb><rt>あご</rt></ruby>で斉広の方を教えながら<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>いた。

「また金無垢になったじゃねえか。」

了哲はそれを聞くと、<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れたような顔をして、宗俊を見た。

「いい加減に欲ばるがいい。銀の煙管でさえ、あの通りねだられるのに、何で金無垢の煙管なんぞ持って来るものか。」

「じゃあれは何だ。」

「真鍮だろうさ。」

宗俊は肩をゆすった。<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>を<ruby><rb>憚</rb><rt>はばか</rt></ruby>って笑い声を立てなかったのである。

「よし、真鍮なら、真鍮にして置け。<ruby><rb>己</rb><rt>おれ</rt></ruby>が拝領と出てやるから。」

「どうして、また、金だと云うのだい。」了哲の自信は、怪しくなったらしい。

「手前たちの<ruby><rb>思惑</rb><rt>おもわく</rt></ruby>は<ruby><rb>先様</rb><rt>さきさま</rt></ruby>御承知でよ。真鍮と見せて、実は金無垢を持って来たんだ。第一、百万石の殿様が、真鍮の煙管を黙って持っている筈がねえ。」

宗俊は、口早にこう云って、独り、斉広の方へやって行った。あっけにとられた了哲を、例の<ruby><rb>西王母</rb><rt>せいおうぼ</rt></ruby>の金襖の前に残しながら。

それから、<ruby><rb>半時</rb><rt>はんとき</rt></ruby>ばかり<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>である。了哲は、また<ruby><rb>畳廊下</rb><rt>たたみろうか</rt></ruby>で、河内山に出っくわした。

「どうしたい、宗俊、一件は。」

「一件た何だ。」

了哲は、下唇をつき出しながら、じろじろ宗俊の顔を見て、

「とぼけなさんな。煙管の事さ。」

「うん、煙管か。煙管なら、手前にくれてやらあ。」

河内山は懐から、黄いろく光る煙管を出したかと思うと、了哲の顔へ<ruby><rb>抛</rb><rt>ほう</rt></ruby>りつけて、足早に行ってしまった。

了哲は、ぶつけられた所をさすりながら、こぼしこぼし、下に落ちた煙管を手にとった。見ると<ruby><rb>剣梅鉢</rb><rt>けんうめばち</rt></ruby>の紋ぢらしの<ruby><rb>数寄</rb><rt>すき</rt></ruby>を<ruby><rb>凝</rb><rt>こ</rt></ruby>らした、――真鍮の煙管である。彼は<ruby><rb>忌々</rb><rt>いまいま</rt></ruby>しそうに、それを、また、畳の上へ抛り出すと、<ruby><rb>白足袋</rb><rt>しろたび</rt></ruby>の足を上げて、この上を<ruby><rb>大仰</rb><rt>おおぎょう</rt></ruby>に踏みつける真似をした。……

八

それ以来、坊主が<ruby><rb>斉広</rb><rt>なりひろ</rt></ruby>の<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>をねだる事は、ぱったり跡を絶ってしまった。何故と云えば、斉広の持っている煙管は真鍮だと云う事が、宗俊と了哲とによって、一同に証明されたからである。

そこで、一時、真鍮の煙管を金と<ruby><rb>偽</rb><rt>いつわ</rt></ruby>って、斉広を<ruby><rb>欺</rb><rt>あざむ</rt></ruby>いた三人の忠臣は、評議の末再び、住吉屋七兵衛に命じて、金無垢の煙管を調製させた。前に河内山にとられたのと寸分もちがわない、剣梅鉢の紋ぢらしの煙管である。――斉広はこの煙管を持って内心、坊主共にねだられる事を予期しながら、揚々として登城した。

すると、誰一人、拝領を願いに出るものがない。前に同じ金無垢の煙管を二本までねだった河内山さえ、じろりと一瞥を与えたなり、小腰をかがめて行ってしまった。同席の大名は、勿論拝見したいとも何とも云わずに、黙っている。斉広には、それが不思議であった。

いや、不思議だったばかりではない。しまいには、それが何となく不安になった。そこで彼はまた河内山の来かかったのを見た時に、今度はこっちから声をかけた。

「宗俊、煙管をとらそうか。」

「いえ、<ruby><rb>難有</rb><rt>ありがと</rt></ruby>うございますが、手前はもう、以前に頂いて居りまする。」

宗俊は、斉広が<ruby><rb>飜弄</rb><rt>ほんろう</rt></ruby>するとでも思ったのであろう。丁寧な語の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>に、鋭い<ruby><rb>口気</rb><rt>こうき</rt></ruby>を籠めてこう云った。

斉広はこれを聞くと、不快そうに、顔をくもらせた。長崎煙草の味も今では、口にあわない。急に今まで感じていた、百万石の勢力が、この金無垢の煙管の先から出る煙の如く、<ruby><rb>多愛</rb><rt>たわい</rt></ruby>なく消えてゆくような気がしたからである。……

<ruby><rb>古老</rb><rt>ころう</rt></ruby>の伝える所によると、前田家では斉広以後、<ruby><rb>斉泰</rb><rt>なりやす</rt></ruby>も、<ruby><rb>慶寧</rb><rt>よしやす</rt></ruby>も、煙管は皆真鍮のものを用いたそうである、事によると、これは、金無垢の煙管に<ruby><rb>懲</rb><rt>こ</rt></ruby>りた斉広が、子孫に<ruby><rb>遺誡</rb><rt>いかい</rt></ruby>でも垂れた結果かも知れない。

（大正五年十月）