<ruby><rb>丈艸</rb><rt>ぢやうさう</rt></ruby>、<ruby><rb>去来</rb><rt>きよらい</rt></ruby>を召し、昨夜目のあはざるまま、ふと案じ入りて、<ruby><rb>呑舟</rb><rt>どんしう</rt></ruby>に書かせたり、おのおの咏じたまへ

旅に病むで夢は枯野をかけめぐる

――花屋日記――

元禄七年十月十二日の午後である。一しきり赤々と朝焼けた空は、又昨日のやうに<ruby><rb>時雨</rb><rt>しぐ</rt></ruby>れるかと、大阪<ruby><rb>商人</rb><rt>あきんど</rt></ruby>の寝起の眼を、遠い瓦屋根の向うに誘つたが、<ruby><rb>幸</rb><rt>さいはひ</rt></ruby>葉をふるつた柳の<ruby><rb>梢</rb><rt>こずゑ</rt></ruby>を、煙らせる程の雨もなく、やがて曇りながらもうす明い、もの静な冬の昼になつた。立ちならんだ<ruby><rb>町家</rb><rt>まちや</rt></ruby>の間を、流れるともなく流れる川の水さへ、今日はぼんやりと<ruby><rb>光沢</rb><rt>つや</rt></ruby>を消して、その水に浮く<ruby><rb>葱</rb><rt>ねぶか</rt></ruby>の屑も、気のせゐか青い色が冷たくない。まして岸を行く<ruby><rb>往来</rb><rt>ゆきき</rt></ruby>の人々は、丸頭巾をかぶつたのも、革足袋をはいたのも、皆<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の吹く世の中を忘れたやうに、うつそりとして歩いて行く。<ruby><rb>暖簾</rb><rt>のれん</rt></ruby>の色、車の行きかひ、人形芝居の遠い三味線の<ruby><rb>音</rb><rt>ね</rt></ruby>――すべてがうす明い、もの静な冬の昼を、橋の<ruby><rb>擬宝珠</rb><rt>ぎばうしゆ</rt></ruby>に置く町の<ruby><rb>埃</rb><rt>ほこり</rt></ruby>も、動かさない位、ひつそりと守つてゐる……

この時、<ruby><rb>御堂前南久太郎町</rb><rt>みだうまへみなみきうたらうまち</rt></ruby>、花屋仁左衛門の裏座敷では、当時俳諧の大宗匠と仰がれた芭蕉庵松尾<ruby><rb>桃青</rb><rt>たうせい</rt></ruby>が、四方から集つて来た門下の人人に介抱されながら、五十一歳を<ruby><rb>一期</rb><rt>いちご</rt></ruby>として、「<ruby><rb>埋火</rb><rt>うづみび</rt></ruby>のあたたまりの冷むるが如く、」静に息を引きとらうとしてゐた。時刻は凡そ、<ruby><rb>申</rb><rt>さる</rt></ruby>の中刻にも近からうか。――<ruby><rb>隔</rb><rt>へだ</rt></ruby>ての<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>をとり払つた、だだつ広い座敷の中には、枕頭に<ruby><rb>炷</rb><rt>た</rt></ruby>きさした香の煙が、一すぢ昇つて、天下の冬を庭さきに<ruby><rb>堰</rb><rt>せ</rt></ruby>いた、新しい障子の色も、ここばかりは暗くかげりながら、身にしみるやうに冷々する。その障子の方を枕にして、<ruby><rb>寂然</rb><rt>じやくねん</rt></ruby>と横はつた芭蕉のまはりには、<ruby><rb>先</rb><rt>まづ</rt></ruby>、医者の<ruby><rb>木節</rb><rt>もくせつ</rt></ruby>が、夜具の下から手を入れて、間遠い脈を<ruby><rb>守</rb><rt>も</rt></ruby>りながら、浮かない眉をひそめてゐた。その後に居すくまつて、さつきから小声の<ruby><rb>称名</rb><rt>しようみやう</rt></ruby>を絶たないのは、今度伊賀から<ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>に立つて来た、老僕の治郎兵衛に違ひない。と思ふと又、木節の隣には、誰の眼にもそれと知れる、大兵肥満の<ruby><rb>晋子其角</rb><rt>しんしきかく</rt></ruby>が、<ruby><rb>紬</rb><rt>つむぎ</rt></ruby>の角通しの懐を<ruby><rb>鷹揚</rb><rt>おうやう</rt></ruby>にふくらませて、憲法小紋の肩をそば立てた、ものごしの<ruby><rb>凛々</rb><rt>りり</rt></ruby>しい去来と一しよに、ぢつと師匠の容態を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>つてゐる。それから其角の後には、法師じみた<ruby><rb>丈艸</rb><rt>ぢやうさう</rt></ruby>が、手くびに<ruby><rb>菩提樹</rb><rt>ぼだいじゆ</rt></ruby>の珠数をかけて、端然と控へてゐたが、隣に座を占めた<ruby><rb>乙州</rb><rt>おつしう</rt></ruby>の、絶えず鼻を<ruby><rb>啜</rb><rt>すす</rt></ruby>つてゐるのは、もうこみ上げて来る悲しさに、堪へられなくなつたからであらう。その<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>をぢろぢろ眺めながら、<ruby><rb>古法衣</rb><rt>ふるごろも</rt></ruby>の袖をかきつくろつて、無愛想な<ruby><rb>頤</rb><rt>おとがひ</rt></ruby>をそらせてゐる、背の低い<ruby><rb>僧形</rb><rt>そうぎやう</rt></ruby>は<ruby><rb>惟然坊</rb><rt>ゐねんばう</rt></ruby>で、これは色の浅黒い、<ruby><rb>剛愎</rb><rt>がうふく</rt></ruby>さうな<ruby><rb>支考</rb><rt>しかう</rt></ruby>と肩をならべて、木節の向うに坐つてゐた。あとは唯、何人かの弟子たちが皆息もしないやうに静まり返つて、或は右、或は左と、師匠の床を囲みながら、限りない死別の名ごりを惜しんでゐる。が、その中でもたつた一人、座敷の隅に<ruby><rb>蹲</rb><rt>うづくま</rt></ruby>つて、ぴつたり畳にひれ伏した儘、<ruby><rb>慟哭</rb><rt>どうこく</rt></ruby>の声を洩してゐたのは、<ruby><rb>正秀</rb><rt>せいしう</rt></ruby>ではないかと思はれる。しかしこれさへ、座敷の中のうすら寒い沈黙に抑へられて、枕頭の香のかすかな匂を、<ruby><rb>擾</rb><rt>みだ</rt></ruby>す程の声も立てない。

芭蕉はさつき、<ruby><rb>痰喘</rb><rt>たんせき</rt></ruby>にかすれた声で、<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>ない遺言をした後は、半ば眼を見開いた儘、昏睡の状態にはいつたらしい。うす<ruby><rb>痘痕</rb><rt>いも</rt></ruby>のある顔は、<ruby><rb>顴骨</rb><rt>くわんこつ</rt></ruby>ばかり<ruby><rb>露</rb><rt>あらは</rt></ruby>に痩せ細つて、皺に囲まれた唇にも、とうに血の気はなくなつてしまつた。殊に<ruby><rb>傷</rb><rt>いたま</rt></ruby>しいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空でも望むやうに、<ruby><rb>徒</rb><rt>いたづら</rt></ruby>に遠い所を見やつてゐる。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる。」――事によるとこの時、このとりとめのない視線の中には、三四日前に彼自身が、その辞世の句に詠じた通り、<ruby><rb>茫々</rb><rt>ばうばう</rt></ruby>とした枯野の暮色が、<ruby><rb>一痕</rb><rt>いつこん</rt></ruby>の月の光もなく、夢のやうに漂つてでもゐたのかも知れない。

「水を。」

木節はやがてかう云つて、静に後にゐる治郎兵衛を顧みた。一椀の水と一本の羽根楊子とは、既にこの老僕が、用意して置いた所である。彼は二品をおづおづ主人の枕元へ押し並べると、思ひ出したやうに又、口を早めて、専念に<ruby><rb>称名</rb><rt>しようみやう</rt></ruby>を唱へ始めた。治郎兵衛の素朴な、山家育ちの心には、芭蕉にせよ、誰にせよ、ひとしく<ruby><rb>彼岸</rb><rt>ひがん</rt></ruby>に往生するのなら、ひとしく又、<ruby><rb>弥陀</rb><rt>みだ</rt></ruby>の慈悲にすがるべき筈だと云ふ、堅い信念が根を張つてゐたからであらう。

一方又木節は、「水を」と云つた<ruby><rb>刹那</rb><rt>せつな</rt></ruby>の間、果して自分は医師として、<ruby><rb>万方</rb><rt>ばんぱう</rt></ruby>を尽したらうかと云ふ、<ruby><rb>何時</rb><rt>いつ</rt></ruby>もの疑惑に遭遇したが、すぐに又自ら励ますやうな心もちになつて、隣にゐた其角の方をふりむきながら、無言の<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>、ちよいと相図をした。芭蕉の床を囲んでゐた一同の心に、<ruby><rb>愈</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>と云ふ緊張した感じが<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とつさ</rt></ruby>に閃いたのはこの時である。が、その緊張した感じと前後して、一種の<ruby><rb>弛緩</rb><rt>しくわん</rt></ruby>した感じが――云はば、来る可きものが遂に来たと云ふ、安心に似た心もちが、通りすぎた事も亦争はれない。唯、この安心に似た心もちは、誰もその意識の存在を肯定しようとはしなかつた程、微妙な性質のものであつたからか、現にここにゐる一同の中では、最も現実的な其角でさへ、折から顔を見合せた木節と、際どく相手の眼の中に、同じ心もちを読み合つた時は、<ruby><rb>流石</rb><rt>さすが</rt></ruby>にぎよつとせずにはゐられなかつたのであらう。彼は<ruby><rb>慌</rb><rt>あわただ</rt></ruby>しく視線を側へ<ruby><rb>外</rb><rt>そ</rt></ruby>らせると、さり気なく羽根楊子をとりあげて、

「では、御先へ」と、隣の去来に挨拶した。さうしてその羽根楊子へ湯呑の水をひたしながら、厚い膝をにじらせて、そつと今はの師匠の顔をのぞきこんだ。実を云ふと彼は、かうなるまでに、師匠と<ruby><rb>今生</rb><rt>こんじやう</rt></ruby>の別をつげると云ふ事は、さぞ悲しいものであらう位な、予測めいた考もなかつた訳ではない。が、かうして<ruby><rb>愈末期</rb><rt>いよいよまつご</rt></ruby>の水をとつて見ると、自分の実際の心もちは全然その芝居めいた予測を裏切つて、如何にも冷淡に澄みわたつてゐる。のみならず、更に其角が意外だつた事には、文字通り骨と皮ばかりに痩せ衰へた、致死期の師匠の不気味な姿は、<ruby><rb>殆面</rb><rt>ほとんどおもて</rt></ruby>を<ruby><rb>背</rb><rt>そむ</rt></ruby>けずにはゐられなかつた程、烈しい嫌悪の情を彼に起させた。いや、単に烈しいと云つたのでは、まだ十分な表現ではない。それは<ruby><rb>恰</rb><rt>あたか</rt></ruby>も目に見えない毒物のやうに、生理的な作用さへも及ぼして来る、最も堪へ難い種類の嫌悪であつた。彼はこの時、偶然な契機によつて、醜き一切に対する反感を師匠の<ruby><rb>病躯</rb><rt>びやうく</rt></ruby>の上に洩らしたのであらうか。或は又「生」の享楽家たる彼にとつて、そこに象徴された「死」の事実が、この上もなく呪ふ可き自然の<ruby><rb>威嚇</rb><rt>ゐかく</rt></ruby>だつたのであらうか。――兎に角、<ruby><rb>垂死</rb><rt>すゐし</rt></ruby>の芭蕉の顔に、云ひやうのない不快を感じた其角は、<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとんど</rt></ruby>何の悲しみもなく、その紫がかつたうすい唇に、<ruby><rb>一刷毛</rb><rt>ひとはけ</rt></ruby>の水を塗るや否や、顔をしかめて引き下つた。<ruby><rb>尤</rb><rt>もつと</rt></ruby>もその引き下る時に、自責に似た一種の心もちが、刹那に彼の心をかすめもしたが、彼のさきに感じてゐた嫌悪の情は、さう云ふ道徳感に顧慮すべく、余り強烈だつたものらしい。

其角に次いで羽根楊子をとり上げたのは、さつき木節が相図をした時から、既に心の落着きを失つてゐたらしい去来である。日頃から恭謙の名を得てゐた彼は、一同に軽く<ruby><rb>会釈</rb><rt>ゑしやく</rt></ruby>をして、芭蕉の枕もとへすりよつたが、そこに横はつてゐた老俳諧師の病みほうけた顔を眺めると、或満足と悔恨との不思議に錯雑した心もちを、嫌でも味はなければならなかつた。しかもその満足と悔恨とは、まるで陰と<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby>のやうに、離れられない<ruby><rb>因縁</rb><rt>いんねん</rt></ruby>を背負つて、実はこの四五日以前から、絶えず小心な彼の気分を<ruby><rb>掻乱</rb><rt>かきみだ</rt></ruby>してゐたのである。と云ふのは、師匠の重病だと云ふ知らせを聞くや否や、すぐに伏見から船に乗つて、深夜にもかまはず、この花屋の門を叩いて以来、彼は師匠の看病を一日も怠つたと云ふ事はない。その上<ruby><rb>之道</rb><rt>しだう</rt></ruby>に頼みこんで手伝ひの周旋を引き受けさせるやら、住吉大明神へ人を立てて病気本復を祈らせるやら、或は又花屋仁左衛門に相談して調度類の買入れをして貰ふやら、<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとんど</rt></ruby>彼一人が車輪になつて、万事万端の世話を焼いた。それは勿論去来自身進んで事に当つたので、誰に恩を着せようと云ふ気も、皆無だつた事は事実であるが、一身を挙げて師匠の介抱に没頭したと云ふ自覚は、<ruby><rb>勢</rb><rt>いきほひ</rt></ruby>、彼の心の底に大きな満足の種を<ruby><rb>蒔</rb><rt>ま</rt></ruby>いた。それが唯、意識せられざる満足として、彼の活動の背景に暖い心もちをひろげてゐた中は、元より彼も行住坐臥に、何等のこだはりを感じなかつたらしい。さもなければ<ruby><rb>夜伽</rb><rt>よとぎ</rt></ruby>の<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどう</rt></ruby>の光の下で、支考と浮世話に耽つてゐる際にも、<ruby><rb>故</rb><rt>ことさら</rt></ruby>に孝道の義を<ruby><rb>釈</rb><rt>と</rt></ruby>いて、自分が師匠に仕へるのは親に仕へる<ruby><rb>心算</rb><rt>つもり</rt></ruby>だなどと、長々しい述懐はしなかつたであらう。しかしその時、得意な彼は、人の悪い支考の顔に、ちらりと閃いた苦笑を見ると、急に今までの心の調和に狂ひの出来た事を意識した。さうしてその狂ひの原因は、始めて気のついた自分の満足と、その満足に対する自己批評とに存してゐる事を発見した。明日にもわからない大病の師匠を看護しながら、その容態をでも心配する事か、<ruby><rb>徒</rb><rt>いたづら</rt></ruby>に自分の骨折ぶりを満足の眼で眺めてゐる。――これは確に、彼の如き正直者の身にとつて、自ら<ruby><rb>疚</rb><rt>やま</rt></ruby>しい心もちだつたのに違ひない。それ以来去来は何をするのにも、この満足と悔恨との<ruby><rb>扞挌</rb><rt>かんかく</rt></ruby>から、自然と或程度の<ruby><rb>掣肘</rb><rt>せいちう</rt></ruby>を感じ出した。<ruby><rb>将</rb><rt>まさ</rt></ruby>に支考の眼の中に、偶然でも微笑の顔が見える時は、反つてその満足の自覚なるものが、一層明白に意識されて、その結果<ruby><rb>愈</rb><rt>いよいよ</rt></ruby>自分の卑しさを情なく思つた事も度々ある。それが何日か続いた今日、かうして師匠の枕もとで、末期の水を供する段になると、道徳的に潔癖な、しかも存外神経の繊弱な彼が、かう云ふ内心の矛盾の前に、全然落着きを失つたのは、気の毒ではあるが無理もない。だから去来は羽根楊子をとり上げると、妙に体中が固くなつて、その水を含んだ白い先も、芭蕉の唇を撫でながら、<ruby><rb>頻</rb><rt>しきり</rt></ruby>にふるへてゐた位、異常な興奮に<ruby><rb>襲</rb><rt>おそ</rt></ruby>はれた。が、<ruby><rb>幸</rb><rt>さいはひ</rt></ruby>、それと共に、彼の<ruby><rb>睫毛</rb><rt>まつげ</rt></ruby>に溢れようとしてゐた、涙の珠もあつたので、彼を見てゐた門弟たちは、<ruby><rb>恐</rb><rt>おそら</rt></ruby>くあの<ruby><rb>辛辣</rb><rt>しんらつ</rt></ruby>な支考まで、全くこの興奮も彼の悲しみの結果だと解釈してゐた事であらう。

やがて去来が又憲法小紋の肩をそば立てて、おづおづ席に復すると、羽根楊子はその後にゐた丈艸の手へわたされた。日頃から老実な彼が、つつましく伏眼になつて、何やらかすかに口の中で<ruby><rb>誦</rb><rt>ず</rt></ruby>しながら、静に師匠の唇を<ruby><rb>沾</rb><rt>うるほ</rt></ruby>してゐる姿は、恐らく誰の見た眼にも<ruby><rb>厳</rb><rt>おごそか</rt></ruby>だつたのに相違ない。が、この厳な瞬間に突然座敷の片すみからは、不気味な笑ひ声が聞え出した。いや、少くともその時は、聞え出したと思はれたのである。それはまるで腹の底からこみ上げて来る<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうせう</rt></ruby>が、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>と唇とに<ruby><rb>堰</rb><rt>せ</rt></ruby>かれながら、しかも<ruby><rb>猶可笑</rb><rt>なほをか</rt></ruby>しさに堪へ兼ねて、ちぎれちぎれに鼻の孔から、<ruby><rb>迸</rb><rt>ほとばし</rt></ruby>つて来るやうな声であつた。が、云ふまでもなく、誰もこの場合、笑を失したものがあつた訳ではない。声は実にさつきから、涙にくれてゐた正秀の抑へに抑へてゐた<ruby><rb>慟哭</rb><rt>どうこく</rt></ruby>が、この時胸を裂いて溢れたのである。その慟哭は勿論、<ruby><rb>悲愴</rb><rt>ひさう</rt></ruby>を極めてゐたのに相違なかつた。或はそこにゐた門弟の中には、「塚も動けわが泣く声は秋の風」と云ふ、師匠の名句を思ひ出したものも、少くはなかつた事であらう。が、その<ruby><rb>凄絶</rb><rt>せいぜつ</rt></ruby>なる可き慟哭にも、同じく涙に<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>ばうとしてゐた乙州は、その中にある一種の誇張に対して、――と云ふのが<ruby><rb>穏</rb><rt>おだやか</rt></ruby>でないならば、慟哭を抑制すべき意志力の欠乏に対して、多少不快を感じずにはゐられなかつた。唯、さう云ふ不快の性質は、どこまでも智的なものに過ぎなかつたのであらう。彼の頭が否と云つてゐるにも関らず、彼の心臓は<ruby><rb>忽</rb><rt>たちま</rt></ruby>ち正秀の哀慟の声に動かされて、何時か眼の中は涙で一ぱいになつた。が、彼が正秀の慟哭を不快に思ひ、<ruby><rb>延</rb><rt>ひ</rt></ruby>いては彼自身の涙をも<ruby><rb>潔</rb><rt>いさぎよ</rt></ruby>しとしない事は、さつきと少しも変りはない。しかも涙は<ruby><rb>益</rb><rt>ますます</rt></ruby>眼に溢れて来る――乙州は遂に両手を膝の上についた儘、思はず<ruby><rb>嗚咽</rb><rt>をえつ</rt></ruby>の声を発してしまつた。が、この時<ruby><rb>歔欷</rb><rt>きよき</rt></ruby>するらしいけはひを洩らしたのは、独り乙州ばかりではない。芭蕉の床の裾の方に控へてゐた、何人かの弟子の中からは、それと<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとんど</rt></ruby>同時に<ruby><rb>洟</rb><rt>はな</rt></ruby>をすする声が、しめやかに<ruby><rb>冴</rb><rt>さ</rt></ruby>えた座敷の空気をふるはせて、断続しながら聞え始めた。

その<ruby><rb>惻々</rb><rt>そくそく</rt></ruby>として悲しい声の中に、菩提樹の念珠を手頸にかけた丈艸は、元の如く静に席へ返つて、あとには其角や去来と向ひあつてゐる、支考が枕もとへ進みよつた。が、この皮肉屋を以て知られた東花坊には周囲の感情に誘ひこまれて、<ruby><rb>徒</rb><rt>いたづら</rt></ruby>に涙を落すやうな繊弱な神経はなかつたらしい。彼は何時もの通り浅黒い顔に、何時もの通り人を<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>にしたやうな容子を浮べて、更に又何時もの通り妙に横風に構へながら、無造作に師匠の唇へ水を塗つた。しかし彼と<ruby><rb>雖</rb><rt>いへど</rt></ruby>もこの場合、勿論多少の感慨があつた事は争はれない。「野ざらしを心に風のしむ身かな」――師匠は四五日前に、「かねては草を敷き、土を枕にして死ぬ自分と思つたが、かう云ふ美しい蒲団の上で、往生の素懐を遂げる事が出来るのは、何よりも悦ばしい」と繰返して自分たちに、礼を云はれた事がある。が、実は枯野のただ中も、この花屋の裏座敷も、大した相違がある訳ではない。現にかうして口をしめしてゐる自分にしても、三四日前までは、師匠に辞世の句がないのを気にかけてゐた。それから昨日は、師匠の<ruby><rb>発句</rb><rt>ほつく</rt></ruby>を滅後に一集する計画を立ててゐた。最後に今日は、たつた今まで、刻々臨終に近づいて行く師匠を、どこかその経過に興味でもあるやうな、観察的な眼で眺めてゐた。もう一歩進めて皮肉に考へれば、事によるとその眺め方の背後には、他日自分の筆によつて書かるべき<ruby><rb>終焉記</rb><rt>しゆうえんき</rt></ruby>の一節さへ、予想されてゐなかつたとは云へない。して見れば師匠の<ruby><rb>命終</rb><rt>めいしゆう</rt></ruby>に侍しながら、自分の頭を支配してゐるものは、他門への<ruby><rb>名聞</rb><rt>みやうもん</rt></ruby>、門弟たちの利害、或は又自分一身の興味打算――皆直接垂死の師匠とは、関係のない事ばかりである。だから師匠はやはり発句の中で、<ruby><rb>屡</rb><rt>しばしば</rt></ruby>予想を<ruby><rb>逞</rb><rt>たくまし</rt></ruby>くした通り、限りない人生の枯野の中で、野ざらしになつたと云つて差支へない。自分たち門弟は皆師匠の最後を<ruby><rb>悼</rb><rt>いた</rt></ruby>まずに、師匠を失つた自分たち自身を悼んでゐる。枯野に窮死した先達を歎かずに、薄暮に先達を失つた自分たち自身を歎いてゐる。が、それを道徳的に非難して見た所で、本来薄情に出来上つた自分たち人間をどうしよう。――かう云ふ厭世的な感慨に沈みながら、しかもそれに沈み得る事を得意にしてゐた支考は、師匠の唇をしめし終つて、羽根楊子を元の湯呑へ返すと、涙に<ruby><rb>咽</rb><rt>むせ</rt></ruby>んでゐる門弟たちを、<ruby><rb>嘲</rb><rt>あざけ</rt></ruby>るやうにじろりと見廻して、<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむろ</rt></ruby>に又自分の席へ立ち戻つた。人の好い去来の如きは、始からその冷然とした態度に<ruby><rb>中</rb><rt>あ</rt></ruby>てられて、さつきの不安を今更のやうに又新にしたが、独り其角が妙に<ruby><rb>擽</rb><rt>くすぐ</rt></ruby>つたい顔をしてゐたのは、どこまでも<ruby><rb>白眼</rb><rt>はくがん</rt></ruby>で押し通さうとする東花坊のこの性行上の習気を、小うるさく感じてゐたらしい。

支考に続いて<ruby><rb>惟然坊</rb><rt>ゐねんばう</rt></ruby>が、墨染の<ruby><rb>法衣</rb><rt>ころも</rt></ruby>の裾をもそりと畳へひきながら、小さく這ひ出した時分には、芭蕉の断末魔も既にもう、<ruby><rb>弾指</rb><rt>だんし</rt></ruby>の間に迫つたのであらう。顔の色は前よりも更に血の気を失つて、水に濡れた唇の間からも、時々忘れたやうに息が洩れなくなる。と思ふと又、思ひ出したやうにぎくりと喉が大きく動いて、力のない空気が通ひ始める。しかもその喉の奥の方で、かすかに二三度<ruby><rb>痰</rb><rt>たん</rt></ruby>が鳴つた。呼吸も次第に静になるらしい。その時羽根楊子の白い先を、<ruby><rb>将</rb><rt>まさ</rt></ruby>にその唇へ当てようとしてゐた惟然坊は、急に死別の悲しさとは縁のない、或る恐怖に襲はれ始めた。それは師匠の次に死ぬものは、この自分ではあるまいかと云ふ、<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとんど</rt></ruby>無理由に近い恐怖である。が、無理由であればあるだけに、<ruby><rb>一度</rb><rt>ひとたび</rt></ruby>この恐怖に襲はれ出すと、我慢にも抵抗のしやうがない。元来彼は死と云ふと、病的に<ruby><rb>驚悸</rb><rt>きやうき</rt></ruby>する種類の人間で、昔からよく自分の死ぬ事を考へると、風流の<ruby><rb>行脚</rb><rt>あんぎや</rt></ruby>をしてゐる時でも、総身に汗の流れるやうな不気味な恐しさを経験した。従つて又、自分以外の人間が、死んだと云ふ事を耳にすると、まあ自分が死ぬのではなくつてよかつたと、安心したやうな心もちになる。と同時に又、もし自分が死ぬのだつたらどうだらうと、反対の不安をも感じる事がある。これはやはり芭蕉の場合も例外には洩れないで、<ruby><rb>始</rb><rt>はじめ</rt></ruby>まだ彼の臨終がこれ程切迫してゐない中は、――障子に冬晴の日がさして、<ruby><rb>園女</rb><rt>そのじよ</rt></ruby>の贈つた水仙が、清らかな匂を流すやうになると、一同師匠の枕もとに集つて、病間を慰める句作などをした時分は、さう云ふ明暗二通りの心もちの間を、その時次第で<ruby><rb>徘徊</rb><rt>はいくわい</rt></ruby>してゐた。が、次第にその<ruby><rb>終焉</rb><rt>しゆうえん</rt></ruby>が近づいて来ると――忘れもしない<ruby><rb>初時雨</rb><rt>はつしぐれ</rt></ruby>の日に、自ら好んだ梨の実さへ、師匠の食べられない容子を見て、心配さうに木節が首を傾けた、あの頃から安心は追々不安にまきこまれて、最後にはその不安さへ、今度死ぬのは自分かも知れないと云ふ険悪な恐怖の影を、うすら寒く心の上にひろげるやうになつたのである。だから彼は枕もとへ坐つて、刻銘に師匠の唇をしめしてゐる間中、この恐怖に<ruby><rb>祟</rb><rt>たた</rt></ruby>られて、<ruby><rb>殆末期</rb><rt>ほとんどまつご</rt></ruby>の芭蕉の顔を正視する事が出来なかつたらしい。いや、一度は正視したかとも思はれるが、丁度その時芭蕉の喉の中では、痰のつまる音がかすかに聞えたので、折角の彼の勇気も、途中で挫折してしまつたのであらう。「師匠の次に死ぬものは、事によると自分かも知れない」――絶えずかう云ふ予感めいた声を、耳の底に聞いてゐた惟然坊は、小さな体をすくませながら、自分の席へ返つた後も、無愛想な顔を一層無愛想にして、なる可く誰の顔も見ないやうに、上眼ばかり使つてゐた。

続いて乙州、正秀、之道、木節と、病床を囲んでゐた門人たちは、順々に師匠の唇を<ruby><rb>沾</rb><rt>うるほ</rt></ruby>した。が、その間に芭蕉の呼吸は、一息毎に細くなつて、数さへ次第に減じて行く。喉も、もう今では動かない。うす<ruby><rb>痘痕</rb><rt>いも</rt></ruby>の浮んでゐる、どこか<ruby><rb>蝋</rb><rt>らふ</rt></ruby>のやうな小さい顔、遥な空間を見据ゑてゐる、光の<ruby><rb>褪</rb><rt>あ</rt></ruby>せた瞳の色、さうして<ruby><rb>頤</rb><rt>おとがひ</rt></ruby>にのびてゐる、銀のやうな白い<ruby><rb>鬚</rb><rt>ひげ</rt></ruby>――それが皆人情の冷さに<ruby><rb>凍</rb><rt>い</rt></ruby>てついて、やがて赴くべき寂光土を、ぢつと夢みてゐるやうに思はれる。するとこの時、去来の後の席に、黙然と<ruby><rb>頭</rb><rt>かうべ</rt></ruby>を垂れてゐた丈艸は、あの老実な禅客の丈艸は、芭蕉の呼吸のかすかになるのに従つて、限りない悲しみと、さうして又限りない安らかな心もちとが、<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむろ</rt></ruby>に心の中へ流れこんで来るのを感じ出した。悲しみは元より説明を費すまでもない。が、その安らかな心もちは、<ruby><rb>恰</rb><rt>あたか</rt></ruby>も明方の寒い光が次第に<ruby><rb>暗</rb><rt>やみ</rt></ruby>の中にひろがるやうな、不思議に<ruby><rb>朗</rb><rt>ほがらか</rt></ruby>な心もちである。しかもそれは刻々に、あらゆる雑念を溺らし去つて、果ては涙そのものさへも、<ruby><rb>毫</rb><rt>がう</rt></ruby>も心を刺す痛みのない、清らかな悲しみに化してしまふ。彼は師匠の魂が虚夢の生死を超越して、<ruby><rb>常住涅槃</rb><rt>じやうぢゆうねはん</rt></ruby>の宝土に還つたのを喜んででもゐるのであらうか。いや、これは彼自身にも、肯定の出来ない理由であつた。それならば――ああ、誰か<ruby><rb>徒</rb><rt>いたづら</rt></ruby>に<ruby><rb>䠖跙</rb><rt>しそ</rt></ruby>逡巡して、己を欺くの愚を<ruby><rb>敢</rb><rt>あへ</rt></ruby>てしよう。丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の<ruby><rb>桎梏</rb><rt>しつこく</rt></ruby>に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、<ruby><rb>漸</rb><rt>やうや</rt></ruby>く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの<ruby><rb>恍惚</rb><rt>くわうこつ</rt></ruby>たる悲しい喜びの中に、<ruby><rb>菩提樹</rb><rt>ぼだいじゆ</rt></ruby>の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、<ruby><rb>唇頭</rb><rt>しんとう</rt></ruby>にかすかな<ruby><rb>笑</rb><rt>ゑみ</rt></ruby>を浮べて、<ruby><rb>恭々</rb><rt>うやうや</rt></ruby>しく、臨終の芭蕉に礼拝した。――

かうして、古今に<ruby><rb>倫</rb><rt>りん</rt></ruby>を絶した俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾<ruby><rb>桃青</rb><rt>たうせい</rt></ruby>は、「悲歎かぎりなき」門弟たちに囲まれた儘、<ruby><rb>溘然</rb><rt>かふぜん</rt></ruby>として<ruby><rb>属纊</rb><rt>しよくくわう</rt></ruby>に就いたのである。

（大正七年九月）