<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>の話

わたしは<ruby><rb>甚内</rb><rt>じんない</rt></ruby>と云うものです。<ruby><rb>苗字</rb><rt>みょうじ</rt></ruby>は――さあ、世間ではずっと前から、<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか？　いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。

あなたは<ruby><rb>日本</rb><rt>にほん</rt></ruby>にいる<ruby><rb>伴天連</rb><rt>ばてれん</rt></ruby>の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや<ruby><rb>聚楽</rb><rt>じゅらく</rt></ruby>の<ruby><rb>御殿</rb><rt>ごてん</rt></ruby>へ召された<ruby><rb>呂宋助左衛門</rb><rt>るそんすけざえもん</rt></ruby>の<ruby><rb>手代</rb><rt>てだい</rt></ruby>の一人も、確か甚内と名乗っていました。また<ruby><rb>利休居士</rb><rt>りきゅうこじ</rt></ruby>の<ruby><rb>珍重</rb><rt>ちんちょう</rt></ruby>していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った<ruby><rb>連歌師</rb><rt>れんがし</rt></ruby>の<ruby><rb>本名</rb><rt>ほんみょう</rt></ruby>は、<ruby><rb>甚内</rb><rt>じんない</rt></ruby>とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、<ruby><rb>阿媽港日記</rb><rt>あまかわにっき</rt></ruby>と云う本を書いた、<ruby><rb>大村</rb><rt>おおむら</rt></ruby>あたりの<ruby><rb>通辞</rb><rt>つうじ</rt></ruby>の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか？　そのほか<ruby><rb>三条河原</rb><rt>さんじょうがわら</rt></ruby>の喧嘩に、<ruby><rb>甲比丹</rb><rt>カピタン</rt></ruby>「まるどなど」を救った<ruby><rb>虚無僧</rb><rt>こむそう</rt></ruby>、<ruby><rb>堺</rb><rt>さかい</rt></ruby>の<ruby><rb>妙国寺</rb><rt>みょうこくじ</rt></ruby>門前に、<ruby><rb>南蛮</rb><rt>なんばん</rt></ruby>の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の<ruby><rb>御寺</rb><rt>みてら</rt></ruby>へ、おん母「まりや」の爪を収めた、<ruby><rb>黄金</rb><rt>おうごん</rt></ruby>の<ruby><rb>舎利塔</rb><rt>しゃりとう</rt></ruby>を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。

しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか？　では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの<ruby><rb>刃金</rb><rt>はがね</rt></ruby>に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか？　名前は、――さあ、それは明かして<ruby><rb>好</rb><rt>い</rt></ruby>いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、<ruby><rb>冥福</rb><rt>めいふく</rt></ruby>を祈ってやりたいのです。いけませんか？――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、<ruby><rb>他言</rb><rt>たごん</rt></ruby>しない約束が必要です。あなたはその胸の<ruby><rb>十字架</rb><rt>くるす</rt></ruby>に懸けても、きっと約束を守りますか？　いや、――失礼は<ruby><rb>赦</rb><rt>ゆる</rt></ruby>して下さい。（微笑）<ruby><rb>伴天連</rb><rt>ばてれん</rt></ruby>のあなたを疑うのは、<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>のわたしには<ruby><rb>僭上</rb><rt>せんじょう</rt></ruby>でしょう。しかしこの約束を守らなければ、（突然<ruby><rb>真面目</rb><rt>まじめ</rt></ruby>に）「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、<ruby><rb>現世</rb><rt>げんぜ</rt></ruby>に<ruby><rb>罰</rb><rt>ばち</rt></ruby>が<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>る筈です。

もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の真夜中です。わたしは<ruby><rb>雲水</rb><rt>うんすい</rt></ruby>に姿を変えながら、京の<ruby><rb>町中</rb><rt>まちなか</rt></ruby>をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも<ruby><rb>初更</rb><rt>しょこう</rt></ruby>を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>ったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は<ruby><rb>摩利伽</rb><rt>まりか</rt></ruby>へでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に<ruby><rb>金</rb><rt>かね</rt></ruby>の入用もあったのです。

町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、<ruby><rb>小</rb><rt>お</rt></ruby>やみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い<ruby><rb>軒通</rb><rt>のきづた</rt></ruby>いに、<ruby><rb>小川通</rb><rt>おがわどお</rt></ruby>りを<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>って来ると、ふと辻を一つ<ruby><rb>曲</rb><rt>まが</rt></ruby>った所に、大きい<ruby><rb>角屋敷</rb><rt>かどやしき</rt></ruby>のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、<ruby><rb>北条屋弥三右衛門</rb><rt>ほうじょうややそうえもん</rt></ruby>の本宅です。同じ<ruby><rb>渡海</rb><rt>とかい</rt></ruby>を渡世にしていても、北条屋は<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby><ruby><rb>角倉</rb><rt>かどくら</rt></ruby>などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく<ruby><rb>沙室</rb><rt>しゃむろ</rt></ruby>や<ruby><rb>呂宋</rb><rt>るそん</rt></ruby>へ、船の一二<ruby><rb>艘</rb><rt>そう</rt></ruby>も出しているのですから、一かどの<ruby><rb>分限者</rb><rt>ぶげんしゃ</rt></ruby>には違いありません。わたしは何もこの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、<ruby><rb>一稼</rb><rt>ひとかせ</rt></ruby>ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの<ruby><rb>寸法</rb><rt>すんぽう</rt></ruby>です。わたしは路ばたの<ruby><rb>天水桶</rb><rt>てんすいおけ</rt></ruby>の<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>に、<ruby><rb>網代</rb><rt>あじろ</rt></ruby>の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。

世間の<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>を聞いて御覧なさい。<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ<ruby><rb>阿媽港</rb><rt>あまかわ</rt></ruby>にいた時分、<ruby><rb>葡萄牙</rb><rt>ポルトガル</rt></ruby>の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前を<ruby><rb>扭</rb><rt>ね</rt></ruby>じ切ったり、重い<ruby><rb>閂</rb><rt>かんぬき</rt></ruby>を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。（微笑）今までにない盗みの仕方、――それも<ruby><rb>日本</rb><rt>にっぽん</rt></ruby>と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。

わたしは一ときとたたない内に、北条屋の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の中にはいっていました。が、暗い<ruby><rb>廊下</rb><rt>ろうか</rt></ruby>をつき当ると、驚いた事にはこの<ruby><rb>夜更</rb><rt>よふ</rt></ruby>けにも、まだ<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの<ruby><rb>容子</rb><rt>ようす</rt></ruby>では、どうしても茶室に違いありません。「<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の茶か」――わたしはそう<ruby><rb>苦笑</rb><rt>くしょう</rt></ruby>しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の<ruby><rb>邪魔</rb><rt>じゃま</rt></ruby>を思うよりも、<ruby><rb>数寄</rb><rt>すき</rt></ruby>を凝らした囲いの中に、この<ruby><rb>家</rb><rt>や</rt></ruby>の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか？――そんな事に心が<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれたのです。

<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、<ruby><rb>釜</rb><rt>かま</rt></ruby>のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う<ruby><rb>大家</rb><rt>たいけ</rt></ruby>の茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>の<ruby><rb>隙</rb><rt>すき</rt></ruby>から、茶室の中を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>きこみました。

<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>の光に照された、<ruby><rb>古色紙</rb><rt>こしきし</rt></ruby>らしい<ruby><rb>床</rb><rt>とこ</rt></ruby>の懸け物、懸け<ruby><rb>花入</rb><rt>はないれ</rt></ruby>の<ruby><rb>霜菊</rb><rt>しもぎく</rt></ruby>の花。――<ruby><rb>囲</rb><rt>かこ</rt></ruby>いの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの<ruby><rb>真正面</rb><rt>ましょうめん</rt></ruby>に坐った老人は、主人の<ruby><rb>弥三右衛門</rb><rt>やそうえもん</rt></ruby>でしょう、何か<ruby><rb>細</rb><rt>こま</rt></ruby>かい<ruby><rb>唐草</rb><rt>からくさ</rt></ruby>の羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の<ruby><rb>煮</rb><rt>に</rt></ruby>え音でも聞いているようです。弥三右衛門の<ruby><rb>下座</rb><rt>しもざ</rt></ruby>には、<ruby><rb>品</rb><rt>ひん</rt></ruby>の<ruby><rb>好</rb><rt>い</rt></ruby>い<ruby><rb>笄髷</rb><rt>こうがいまげ</rt></ruby>の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。

「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは<ruby><rb>北条屋</rb><rt>ほうじょうや</rt></ruby>夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、<ruby><rb>悪名</rb><rt>あくみょう</rt></ruby>ばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。（残酷な表情）その時もわたしは夫婦の歎きが、<ruby><rb>歌舞伎</rb><rt>かぶき</rt></ruby>を見るように愉快だったのです。（皮肉な微笑）しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる<ruby><rb>草紙</rb><rt>そうし</rt></ruby>と云えば、悲しい話にきまっているようです。

弥三右衛門はしばらくの<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>、<ruby><rb>吐息</rb><rt>といき</rt></ruby>をするようにこう云いました。

「もうこの<ruby><rb>羽目</rb><rt>はめ</rt></ruby>になった上は、泣いても<ruby><rb>喚</rb><rt>わめ</rt></ruby>いても取返しはつかない。わたしは<ruby><rb>明日</rb><rt>あす</rt></ruby>にも店のものに、<ruby><rb>暇</rb><rt>ひま</rt></ruby>をやる事に決心をした。」

その時また烈しい風が、どっと茶室を<ruby><rb>揺</rb><rt>ゆ</rt></ruby>すぶりました。それに声が<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れたのでしょう。弥三右衛門の<ruby><rb>内儀</rb><rt>ないぎ</rt></ruby>の言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>きながら、両手を膝の上に組み合せると、<ruby><rb>網代</rb><rt>あじろ</rt></ruby>の天井へ眼を上げました。太い<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>、尖った<ruby><rb>頬骨</rb><rt>ほおぼね</rt></ruby>、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。

「おん<ruby><rb>主</rb><rt>あるじ</rt></ruby>、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」

弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の渡った時、わたしの心に<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えました。

その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは<ruby><rb>阿媽港</rb><rt>あまかわ</rt></ruby>に渡っていた時、ある<ruby><rb>日本</rb><rt>にほん</rt></ruby>の船頭に<ruby><rb>危</rb><rt>あやう</rt></ruby>い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは<ruby><rb>奇遇</rb><rt>きぐう</rt></ruby>に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば<ruby><rb>威</rb><rt>い</rt></ruby>かつい肩のあたりや、<ruby><rb>指節</rb><rt>ゆびふし</rt></ruby>の太い手の<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>には、<ruby><rb>未</rb><rt>いまだ</rt></ruby>に<ruby><rb>珊瑚礁</rb><rt>さんごしょう</rt></ruby>の<ruby><rb>潮</rb><rt>しお</rt></ruby>けむりや、<ruby><rb>白檀山</rb><rt>びゃくだんやま</rt></ruby>の匂いがしみているようです。

弥三右衛門は長い御祈りを終ると、静かに老女へこう云いました。

「跡はただ何事も、<ruby><rb>天主</rb><rt>てんしゅ</rt></ruby>の<ruby><rb>御意</rb><rt>ぎょい</rt></ruby>次第と思うたが<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>い。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか？」

しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を<ruby><rb>堪</rb><rt>こら</rt></ruby>えるように、消え入りそうな返事をしました。

「はい。――それでもまだ<ruby><rb>悔</rb><rt>く</rt></ruby>やしいのは、――」

「さあ、それが<ruby><rb>愚痴</rb><rt>ぐち</rt></ruby>と云うものじゃ。<ruby><rb>北条丸</rb><rt>ほうじょうまる</rt></ruby>の沈んだのも、<ruby><rb>抛</rb><rt>な</rt></ruby>げ<ruby><rb>銀</rb><rt>ぎん</rt></ruby>の皆倒れたのも、――」

「いえ、そんな事ではございません。せめては<ruby><rb>倅</rb><rt>せがれ</rt></ruby>の<ruby><rb>弥三郎</rb><rt>やさぶろう</rt></ruby>でも、いてくれればと思うのでございますが、……」

わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は<ruby><rb>北条屋</rb><rt>ほうじょうや</rt></ruby>の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>にも、<ruby><rb>立派</rb><rt>りっぱ</rt></ruby>に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。（皮肉に）世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>した時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も<ruby><rb>碌</rb><rt>ろく</rt></ruby>には知らないのですから。

「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」

弥三右衛門は<ruby><rb>苦々</rb><rt>にがにが</rt></ruby>しそうに、<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>へ眼を<ruby><rb>外</rb><rt>そ</rt></ruby>らせました。

「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは<ruby><rb>凌</rb><rt>しの</rt></ruby>げたかも知れぬ。それを思えば<ruby><rb>勘当</rb><rt>かんどう</rt></ruby>したのは、………」

弥三右衛門はこう云ったなり、驚いたようにわたしを眺めました。これは驚いたのも無理はありません。わたしはその時声もかけずに、<ruby><rb>堺</rb><rt>さかい</rt></ruby>の<ruby><rb>襖</rb><rt>ふすま</rt></ruby>を明けたのですから。――しかもわたしの身なりと云えば、<ruby><rb>雲水</rb><rt>うんすい</rt></ruby>に姿をやつした上、<ruby><rb>網代</rb><rt>あじろ</rt></ruby>の笠を脱いだ代りに、<ruby><rb>南蛮頭巾</rb><rt>なんばんずきん</rt></ruby>をかぶっていたのですから。

「誰だ、おぬしは？」

弥三右衛門は年はとっていても、<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>に膝を起しました。

「いや、御驚きになるには及びません。わたしは阿媽港甚内と云うものです。――まあ、御静かになすって下さい。阿媽港甚内は<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>ですが、今夜突然参上したのは、少しほかにも<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>があるのです。――」

わたしは<ruby><rb>頭巾</rb><rt>ずきん</rt></ruby>を脱ぎながら、弥三右衛門の前に坐りました。

その<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>の事は話さずとも、あなたには推察出来るでしょう。わたしは<ruby><rb>北条屋</rb><rt>ほうじょうや</rt></ruby>の<ruby><rb>危急</rb><rt>ききゅう</rt></ruby>を救うために、三日と云う<ruby><rb>日限</rb><rt>にちげん</rt></ruby>を一日も違えず、六千貫の<ruby><rb>金</rb><rt>かね</rt></ruby>を調達する、恩返しの約束を結んだのです。――おや、誰か戸の外に、足音が聞えるではありませんか？　では今夜は御免下さい。いずれ<ruby><rb>明日</rb><rt>あす</rt></ruby>か<ruby><rb>明後日</rb><rt>あさって</rt></ruby>の<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>、もう一度ここへ<ruby><rb>忍</rb><rt>しの</rt></ruby>んで来ます。あの<ruby><rb>大十字架</rb><rt>おおくるす</rt></ruby>の星の光は<ruby><rb>阿媽港</rb><rt>あまかわ</rt></ruby>の空には輝いていても、<ruby><rb>日本</rb><rt>にっぽん</rt></ruby>の空には見られません。わたしもちょうどああ云うように日本では姿を<ruby><rb>晦</rb><rt>くら</rt></ruby>ませていないと、今夜「みさ」を願いに来た、「ぽうろ」の魂のためにもすまないのです。

何、わたしの逃げ<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby>ですか？　そんな事は心配に及びません。この高い<ruby><rb>天窓</rb><rt>てんまど</rt></ruby>からでも、あの大きい<ruby><rb>暖炉</rb><rt>だんろ</rt></ruby>からでも、自由自在に出て行かれます。ついてはどうか<ruby><rb>呉々</rb><rt>くれぐれ</rt></ruby>も、恩人「ぽうろ」の魂のために、一切<ruby><rb>他言</rb><rt>たごん</rt></ruby>は<ruby><rb>慎</rb><rt>つつし</rt></ruby>んで下さい。

北条屋弥三右衛門の話

<ruby><rb>伴天連</rb><rt>ばてれん</rt></ruby>様。どうかわたしの<ruby><rb>懺悔</rb><rt>ざんげ</rt></ruby>を御聞き下さい。御承知でも御座いましょうが、この頃世上に噂の高い、<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>と云う<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>がございます。<ruby><rb>根来寺</rb><rt>ねごろでら</rt></ruby>の塔に住んでいたのも、<ruby><rb>殺生関白</rb><rt>せっしょうかんぱく</rt></ruby>の<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>を盗んだのも、また遠い海の<ruby><rb>外</rb><rt>そと</rt></ruby>では、<ruby><rb>呂宋</rb><rt>るそん</rt></ruby>の太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。それがとうとう<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>めとられた上、今度一条<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>り<ruby><rb>橋</rb><rt>ばし</rt></ruby>のほとりに、<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し<ruby><rb>首</rb><rt>くび</rt></ruby>になったと云う事も、あるいは御耳にはいって居りましょう。わたしはあの阿媽港甚内に<ruby><rb>一方</rb><rt>ひとかた</rt></ruby>ならぬ大恩を<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>りました。が、また大恩を蒙っただけに、ただ今では何とも申しようのない、悲しい目にも<ruby><rb>遇</rb><rt>あ</rt></ruby>ったのでございます。どうかその<ruby><rb>仔細</rb><rt>しさい</rt></ruby>を御聞きの上、罪びと<ruby><rb>北条屋弥三右衛門</rb><rt>ほうじょうややそうえもん</rt></ruby>にも、天帝の御愛憐を御祈り下さい。

ちょうど今から二年ばかり以前の、冬の事でございます。ずっと<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しけ</span>ばかり続いたために、持ち船の<ruby><rb>北条丸</rb><rt>ほうじょうまる</rt></ruby>は沈みますし、<ruby><rb>抛</rb><rt>な</rt></ruby>げ銀は皆倒れますし、――それやこれやの重なった<ruby><rb>揚句</rb><rt>あげく</rt></ruby>、北条屋一家は分散のほかに、仕方のない<ruby><rb>羽目</rb><rt>はめ</rt></ruby>になってしまいました。御承知の通り町人には取引き先はございましても、友だちと申すものはございません。こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた<ruby><rb>大船</rb><rt>おおぶね</rt></ruby>も同様、まっ<ruby><rb>逆</rb><rt>さか</rt></ruby>さまに<ruby><rb>奈落</rb><rt>ならく</rt></ruby>の底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、――今でもこの<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の事は忘れません。ある<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の烈しい<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>でございましたが、わたし共夫婦は御存知の<ruby><rb>囲</rb><rt>かこ</rt></ruby>いに、夜の<ruby><rb>更</rb><rt>ふ</rt></ruby>けるのも知らず話して居りました。そこへ突然はいって参ったのは、<ruby><rb>雲水</rb><rt>うんすい</rt></ruby>の姿に<ruby><rb>南蛮頭巾</rb><rt>なんばんずきん</rt></ruby>をかぶった、あの<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>でございます。わたしは勿論驚きもすれば、また<ruby><rb>怒</rb><rt>いか</rt></ruby>りも致しました。が、甚内の話を聞いて見ますと、あの男はやはり盗みを働きに、わたしの宅へ忍びこみましたが、茶室には<ruby><rb>未</rb><rt>いまだ</rt></ruby>に<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>ばかりか、人の話し声が聞えている、そこで<ruby><rb>襖越</rb><rt>ふすまご</rt></ruby>しに、<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いて見ると、この北条屋弥三右衛門は、甚内の命を助けた事のある、二十年以前の恩人だったと、こう云う次第ではございませんか？

なるほどそう云われて見れば、かれこれ二十年にもなりましょうか、まだわたしが<ruby><rb>阿媽港</rb><rt>あまかわ</rt></ruby>通いの「ふすた」船の船頭を致していた頃、あそこへ船がかりをしている内に、<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>さえ<ruby><rb>碌</rb><rt>ろく</rt></ruby>にない日本人を一人、助けてやった事がございます。何でもその時の話では、ふとした酒の上の<ruby><rb>喧嘩</rb><rt>けんか</rt></ruby>から、<ruby><rb>唐人</rb><rt>とうじん</rt></ruby>を一人殺したために、<ruby><rb>追手</rb><rt>おって</rt></ruby>がかかったとか申して居りました。して見ればそれが<ruby><rb>今日</rb><rt>こんにち</rt></ruby>では、あの阿媽港甚内と云う、<ruby><rb>名代</rb><rt>なだい</rt></ruby>の<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>になったのでございましょう。わたしはとにかく甚内の言葉も嘘ではない事がわかりましたから、一家のものの寝ているのを幸い、まずその用向きを尋ねて見ました。

すると甚内の申しますには、あの男の力に及ぶ事なら、二十年以前の恩返しに、北条屋の危急を救ってやりたい、<ruby><rb>差当</rb><rt>さしあた</rt></ruby>り<ruby><rb>入用</rb><rt>いりよう</rt></ruby>の<ruby><rb>金子</rb><rt>きんす</rt></ruby>の高は、どのくらいだと尋ねるのでございます。わたしは思わず<ruby><rb>苦笑</rb><rt>くしょう</rt></ruby>致しました。盗人に金を調達して貰う、――それが<ruby><rb>可笑</rb><rt>おか</rt></ruby>しいばかりではございません。いかに阿媽港甚内でも、そう云う金があるくらいならば、何もわざわざわたしの宅へ、盗みにはいるにも当りますまい。しかしその<ruby><rb>金高</rb><rt>きんだか</rt></ruby>を申しますと、甚内は<ruby><rb>小首</rb><rt>こくび</rt></ruby>を傾けながら、今夜の内にはむずかしいが、三日も待てば調達しようと、<ruby><rb>無造作</rb><rt>むぞうさ</rt></ruby>に引き受けたのでございます。が、何しろ入用なのは、六千貫と云う大金でございますから、きっと調達出来るかどうか、<ruby><rb>当</rb><rt>あ</rt></ruby>てになるものではございません。いや、わたしの<ruby><rb>量見</rb><rt>りょうけん</rt></ruby>では、まず<ruby><rb>賽</rb><rt>さい</rt></ruby>の目をたのむよりも、<ruby><rb>覚束</rb><rt>おぼつか</rt></ruby>ないと覚悟をきめていました。

甚内はその<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>わたしの家内に、悠々と茶なぞ立てさせた上、<ruby><rb>凩</rb><rt>こがらし</rt></ruby>の中を帰って行きました。が、その翌日になって見ても、約束の金は届きません。二日目も同様でございました。三日目は、――この日は雪になりましたが、やはり<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>に入ってしまった<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>も、何一つ便りはありません。わたしは前に甚内の約束は、当にして居らぬと申し上げました。が、店のものにも<ruby><rb>暇</rb><rt>ひま</rt></ruby>を出さず、成行きに<ruby><rb>任</rb><rt>まか</rt></ruby>せていた所を見ると、それでも幾分か心待ちには、待っていたのでございましょう。また実際三日目の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>には、囲いの<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>に向っていても、雪折れの音のする度毎に、聞き耳ばかり立てて居りました。

所が<ruby><rb>三更</rb><rt>さんこう</rt></ruby>も過ぎた時分、突然茶室の<ruby><rb>外</rb><rt>そと</rt></ruby>の庭に、何か人の組み合うらしい物音が聞えるではございませんか？　わたしの心に<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>いたのは、<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>甚内の身の上でございます。もしや<ruby><rb>捕</rb><rt>と</rt></ruby>り<ruby><rb>手</rb><rt>て</rt></ruby>でもかかったのではないか？――わたしは<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>にこう思いましたから、庭に向いた<ruby><rb>障子</rb><rt>しょうじ</rt></ruby>を明けるが早いか、<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>の火を<ruby><rb>掲</rb><rt>かか</rt></ruby>げて見ました。雪の深い茶室の前には、<ruby><rb>大明竹</rb><rt>だいみんちく</rt></ruby>の垂れ伏したあたりに、誰か二人<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>み合っている――と思うとその一人は、飛びかかる相手を突き放したなり、庭木の<ruby><rb>陰</rb><rt>かげ</rt></ruby>をくぐるように、たちまち塀の方へ逃げ出しました。雪のはだれる音、塀に<ruby><rb>攀</rb><rt>よ</rt></ruby>じ登る音、――それぎりひっそりしてしまったのは、もうどこか<ruby><rb>塀</rb><rt>へい</rt></ruby>の外へ、無事に落ち延びたのでございましょう。が、突き放された相手の一人は、格別跡を追おうともせず、体の雪を払いながら、静かにわたしの前へ歩み寄りました。

「わたしです。<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>ですよ。」

わたしは<ruby><rb>呆気</rb><rt>あっけ</rt></ruby>にとられたまま、甚内の姿を見守りました。甚内は今夜も<ruby><rb>南蛮頭巾</rb><rt>なんばんずきん</rt></ruby>に、<ruby><rb>袈裟法衣</rb><rt>けさころも</rt></ruby>を着ているのでございます。

「いや、とんだ<ruby><rb>騒</rb><rt>さわ</rt></ruby>ぎをしました。誰もあの組打ちの音に、眼を覚さねば仕合せですが。」

甚内は<ruby><rb>囲</rb><rt>かこ</rt></ruby>いへはいると同時に、ちらりと<ruby><rb>苦笑</rb><rt>くしょう</rt></ruby>を<ruby><rb>洩</rb><rt>も</rt></ruby>らしました。

「何、わたしが<ruby><rb>忍</rb><rt>しの</rt></ruby>んで来ると、ちょうど誰かこの<ruby><rb>床</rb><rt>ゆか</rt></ruby>の下へ、<ruby><rb>這</rb><rt>は</rt></ruby>いこもうとするものがあるのです。そこで一つ<ruby><rb>手捕</rb><rt>てど</rt></ruby>りにした上、顔を見てやろうと思ったのですが、とうとう逃げられてしまいました。」

わたしはまださっきの通り、捕り手の心配がございましたから、役人ではないかと<ruby><rb>尋</rb><rt>たず</rt></ruby>ねて見ました。が、甚内は役人どころか、盗人だと申すのでございます。盗人が盗人を<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えようとした、――このくらい珍しい事はございますまい。今度は甚内よりもわたしの顔に、自然と苦笑が浮びました。しかしそれはともかくも、調達の<ruby><rb>成否</rb><rt>せいひ</rt></ruby>を聞かない内は、わたしの心も安まりません。すると甚内は云わない先に、わたしの心を読んだのでございましょう、悠々と<ruby><rb>胴巻</rb><rt>どうまき</rt></ruby>をほどきながら、<ruby><rb>炉</rb><rt>ろ</rt></ruby>の前へ<ruby><rb>金包</rb><rt>かねづつ</rt></ruby>みを並べました。

「御安心なさい、六千貫の<ruby><rb>工面</rb><rt>くめん</rt></ruby>はつきましたから。――実はもう<ruby><rb>昨日</rb><rt>きのう</rt></ruby>の内に、<ruby><rb>大抵</rb><rt>たいてい</rt></ruby>調達したのですが、まだ二百貫ほど不足でしたから、今夜はそれを持って来ました。どうかこの包みを受け取って下さい。また<ruby><rb>昨日</rb><rt>きのう</rt></ruby>までに集めた金は、あなた方御夫婦も知らない内に、この茶室の<ruby><rb>床下</rb><rt>ゆかした</rt></ruby>へ隠して置きました。<ruby><rb>大方</rb><rt>おおかた</rt></ruby>今夜の盗人のやつも、その金を<ruby><rb>嗅</rb><rt>か</rt></ruby>ぎつけて来たのでしょう。」

わたしは夢でも見ているように、そう云う言葉を聞いていました。盗人に金を<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>して貰う、――それはあなたに伺わないでも、確かに善い事ではございますまい。しかし調達が出来るかどうか、半信半疑の<ruby><rb>境</rb><rt>さかい</rt></ruby>にいた時は、善悪も考えずに居りましたし、また今となって見れば、むげに受け取らぬとも申されません。しかもその金を受け取らないとなれば、わたしばかりか一家のものも、<ruby><rb>路頭</rb><rt>ろとう</rt></ruby>に迷うのでございます。どうかこの心もちに、せめては<ruby><rb>御憐憫</rb><rt>ごれんびん</rt></ruby>を御加え下さい。わたしはいつか甚内の前に、<ruby><rb>恭</rb><rt>うやうや</rt></ruby>しく両手をついたまま、何も申さずに泣いて居りました。……

その<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>わたしは二年の<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>、甚内の<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>を聞かずに居りました。が、とうとう分散もせずに<ruby><rb>恙</rb><rt>つつが</rt></ruby>ないその日を送られるのは、皆甚内の御蔭でございますから、いつでもあの男の仕合せのために、人知れずおん母「まりや」様へも、<ruby><rb>祈願</rb><rt>きがん</rt></ruby>をこめていたのでございます。ところがどうでございましょう、この頃<ruby><rb>往来</rb><rt>おうらい</rt></ruby>の話を聞けば、<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>は<ruby><rb>御召捕</rb><rt>おめしと</rt></ruby>りの上、<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>り<ruby><rb>橋</rb><rt>ばし</rt></ruby>に首を<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>していると、こう申すではございませんか？　わたくしは驚きも致しました。人知れず涙も落しました。しかし積悪の<ruby><rb>報</rb><rt>むくい</rt></ruby>と思えば、これも致し方はございますまい。いや、むしろこの永年、天罰も受けずに居りましたのは、不思議だったくらいでございます。が、せめてもの恩返しに、<ruby><rb>陰</rb><rt>かげ</rt></ruby>ながら<ruby><rb>回向</rb><rt>えこう</rt></ruby>をしてやりたい。――こう思ったものでございますから、わたしは<ruby><rb>今日</rb><rt>きょう</rt></ruby><ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>もつれずに、早速一条戻り橋へ、その曝し首を見に参りました。

戻り橋のほとりへ参りますと、もうその首を曝した前には、<ruby><rb>大勢</rb><rt>おおぜい</rt></ruby>人がたかって居ります。罪状を<ruby><rb>記</rb><rt>しる</rt></ruby>した<ruby><rb>白木</rb><rt>しらき</rt></ruby>の<ruby><rb>札</rb><rt>ふだ</rt></ruby>、首の番をする<ruby><rb>下役人</rb><rt>したやくにん</rt></ruby>――それはいつもと変りません。が、三本組み合せた、青竹の上に載せてある首は、――ああ、そのむごたらしい血まみれの首は、どうしたと云うのでございましょう？　わたしは<ruby><rb>騒々</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>しい人だかりの中に、<ruby><rb>蒼</rb><rt>あお</rt></ruby>ざめた首を見るが早いか、思わず立ちすくんでしまいました。この首はあの男ではございません。阿媽港甚内の首ではございません。この太い<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>、この突き出た<ruby><rb>頬</rb><rt>ほお</rt></ruby>、この<ruby><rb>眉間</rb><rt>みけん</rt></ruby>の<ruby><rb>刀創</rb><rt>かたなきず</rt></ruby>、――何一つ甚内には似て居りません。しかし、――わたしは突然日の光も、わたしのまわりの人だかりも、竹の上に載せた<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し首も、皆どこか遠い世界へ、流れてしまったかと思うくらい、烈しい驚きに襲われました。この首は甚内ではございません。わたしの首でございます。二十年以前のわたし、――ちょうど甚内の命を助けた、その頃のわたしでございます。「<ruby><rb>弥三郎</rb><rt>やさぶろう</rt></ruby>！」――わたしは舌さえ動かせたなら、こう叫んでいたかも知れません。が、声を揚げるどころかわたしの体は<ruby><rb>瘧</rb><rt>おこり</rt></ruby>を病んだように、<ruby><rb>震</rb><rt>ふる</rt></ruby>えているばかりでございました。

弥三郎！　わたしはただ幻のように、<ruby><rb>倅</rb><rt>せがれ</rt></ruby>の曝し首を眺めました。首はやや<ruby><rb>仰向</rb><rt>あおむ</rt></ruby>いたまま半ば<ruby><rb>開</rb><rt>ひら</rt></ruby>いた<ruby><rb>眶</rb><rt>まぶた</rt></ruby>の下から、じっとわたしを見守って居ります。これはどうした<ruby><rb>訣</rb><rt>わけ</rt></ruby>でございましょう？　倅は何かの間違いから、甚内と思われたのでございましょうか？　しかし<ruby><rb>御吟味</rb><rt>ごぎんみ</rt></ruby>も受けたとすれば、そう云う間違いは起りますまい。それとも阿媽港甚内というのは、倅だったのでございましょうか？　わたしの宅へ来た<ruby><rb>贋雲水</rb><rt>にせうんすい</rt></ruby>は、誰か甚内の名前を仮りた、別人だったのでございましょうか？　いや、そんな筈はございません。三日と云う<ruby><rb>日限</rb><rt>にちげん</rt></ruby>を一日も<ruby><rb>違</rb><rt>たが</rt></ruby>えず、六千貫の金を<ruby><rb>工面</rb><rt>くめん</rt></ruby>するものは、この広い日本の国にも、甚内のほかに誰が居りましょう？　して見ると、――その時わたしの心の中には、二年以前雪の降った<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>、甚内と庭に争っていた、誰とも知らぬ男の姿が、急にはっきり浮んで参りました。あの男は誰だったのでございましょう？　もしや倅ではございますまいか？　そう云えばあの男の姿かたちは、ちらりと一目見ただけでも、どうやら倅の弥三郎に、似ていたようでもございます。しかしこれはわたし一人の、心の迷いでございましょうか？　もし倅だったとすれば、――わたしは夢の覚めたように、しけじけ首を眺めました。するとその紫ばんだ、妙に<ruby><rb>緊</rb><rt>しま</rt></ruby>りのない<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>には、何か<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほえみ</rt></ruby>に近い物が、ほんのり残っているのでございます。

<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し首に微笑が残っている、――あなたはそんな事を御聞きになると、<ruby><rb>御哂</rb><rt>おわら</rt></ruby>いになるかも知れません。わたしさえそれに気のついた時には、眼のせいかとも思いました。が、何度見直しても、その<ruby><rb>干</rb><rt>ひ</rt></ruby>からびた唇には、確かに微笑らしい<ruby><rb>明</rb><rt>あかる</rt></ruby>みが、<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>っているのでございます。わたしはこの不思議な微笑に、永い<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>見入って居りました。と、いつかわたしの顔にも、やはり微笑が浮んで参りました。しかし微笑が浮ぶと同時に、眼には自然と熱い涙も、にじみ出して来たのでございます。

「お<ruby><rb>父</rb><rt>とう</rt></ruby>さん、<ruby><rb>勘忍</rb><rt>かんにん</rt></ruby>して下さい。――」

その微笑は無言の内に、こう申していたのでございます。

「お父さん。不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは二年以前の雪の<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>、<ruby><rb>勘当</rb><rt>かんどう</rt></ruby>の<ruby><rb>御詫</rb><rt>おわ</rt></ruby>びがしたいばかりに、そっと<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ<ruby><rb>忍</rb><rt>しの</rt></ruby>んで行きました。昼間は店のものに見られるのさえ、<ruby><rb>恥</rb><rt>はずか</rt></ruby>しいなりをしていましたから、わざわざ<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の<ruby><rb>更</rb><rt>ふ</rt></ruby>けるのを待った上、お父さんの<ruby><rb>寝間</rb><rt>ねま</rt></ruby>の戸を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いても、御眼にかかるつもりでいたのです。ところがふと<ruby><rb>囲</rb><rt>かこ</rt></ruby>いの障子に、<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>のさしているのを幸い、そこへ<ruby><rb>怯</rb><rt>お</rt></ruby>ず<ruby><rb>怯</rb><rt>お</rt></ruby>ず行きかけると、いきなり誰か<ruby><rb>後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>から、言葉もかけずに組つきました。

「お父さん。それから先はどうなったか、あなたの知っている通りです。わたしは余り不意だったため、お父さんの姿を見るが早いか、相手の<ruby><rb>曲者</rb><rt>くせもの</rt></ruby>を突き放したなり、<ruby><rb>高塀</rb><rt>たかべい</rt></ruby>の外へ逃げてしまいました。が、<ruby><rb>雪明</rb><rt>ゆきあか</rt></ruby>りに見た相手の姿は、不思議にも<ruby><rb>雲水</rb><rt>うんすい</rt></ruby>のようでしたから、誰も追う者のないのを確かめた<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>、もう一度あの茶室の外へ、<ruby><rb>大胆</rb><rt>だいたん</rt></ruby>にも忍んで行ったのです。わたしは囲いの障子越しに、<ruby><rb>一切</rb><rt>いっさい</rt></ruby>の話を立ち聞きました。

「お父さん。<ruby><rb>北条屋</rb><rt>ほうじょうや</rt></ruby>を救った<ruby><rb>甚内</rb><rt>じんない</rt></ruby>は、わたしたち一家の恩人です。わたしは甚内の身に<ruby><rb>危急</rb><rt>ききゅう</rt></ruby>があれば、たとえ命は<ruby><rb>抛</rb><rt>なげう</rt></ruby>っても、恩に報いたいと決心しました。またこの恩を返す事は、勘当を受けた<ruby><rb>浮浪人</rb><rt>ふろうにん</rt></ruby>のわたしでなければ出来ますまい。わたしはこの二年間、そう云う機会を待っていました。そうして、――その機会が来たのです。どうか不孝の罪は勘忍して下さい。わたしは<ruby><rb>極道</rb><rt>ごくどう</rt></ruby>に生れましたが、一家の大恩だけは返しました。それがせめてもの心やりです。……」

わたしは宅へ帰る途中も、同時に泣いたり笑ったりしながら、<ruby><rb>倅</rb><rt>せがれ</rt></ruby>のけなげさを<ruby><rb>褒</rb><rt>ほ</rt></ruby>めてやりました。あなたは御存知になりますまいが、倅の<ruby><rb>弥三郎</rb><rt>やさぶろう</rt></ruby>もわたしと同様、<ruby><rb>御宗門</rb><rt>ごしゅうもん</rt></ruby>に<ruby><rb>帰依</rb><rt>きえ</rt></ruby>して居りましたから、もとは「ぽうろ」と云う名前さえも、頂いて居ったものでございます。しかし、――しかし倅も不運なやつでございました。いや、倅ばかりではございません。わたしもあの<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>に一家の没落さえ救われなければ、こんな嘆きは致しますまいに。いくら<ruby><rb>未練</rb><rt>みれん</rt></ruby>だと思いましても、こればかりは<ruby><rb>切</rb><rt>せつ</rt></ruby>のうございます。分散せずにいた方が<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>いか、倅を殺さずに置いた方が好いか、――（突然苦しそうに）どうかわたしを御救い下さい。わたしはこのまま生きていれば、大恩人の甚内を憎むようになるかも知れません。………（永い<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>の<ruby><rb>歔欷</rb><rt>すすりなき</rt></ruby>）

「ぽうろ」弥三郎の話

ああ、おん母「まりや」様！　わたしは<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>が明け次第、首を打たれる事になっています。わたしの首は地に落ちても、わたしの<ruby><rb>魂</rb><rt>たましい</rt></ruby>は小鳥のように、あなたの御側へ飛んで行くでしょう。いや、悪事ばかり働いたわたしは、「はらいそ」（天国）の<ruby><rb>荘厳</rb><rt>しょうごん</rt></ruby>を拝する代りに、恐しい「いんへるの」（地獄）の猛火の底へ、<ruby><rb>逆落</rb><rt>さかおと</rt></ruby>しになるかも知れません。しかしわたしは満足です。わたしの心には二十年来、このくらい嬉しい心もちは、宿った事がないのです。

わたしは<ruby><rb>北条屋弥三郎</rb><rt>ほうじょうややさぶろう</rt></ruby>です。が、わたしの<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し<ruby><rb>首</rb><rt>くび</rt></ruby>は、<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>と呼ばれるでしょう。わたしがあの阿媽港甚内、――これほど<ruby><rb>愉快</rb><rt>ゆかい</rt></ruby>な事があるでしょうか？　阿媽港甚内、――どうです？　<ruby><rb>好</rb><rt>い</rt></ruby>い名前ではありませんか？　わたしはその名前を口にするだけでも、この暗い<ruby><rb>牢</rb><rt>ろう</rt></ruby>の中さえ、天上の<ruby><rb>薔薇</rb><rt>ばら</rt></ruby>や<ruby><rb>百合</rb><rt>ゆり</rt></ruby>の花に、満ち渡るような心もちがします。

忘れもしない二年<ruby><rb>前</rb><rt>ぜん</rt></ruby>の冬、ちょうどある大雪の<ruby><rb>夜</rb><rt>よる</rt></ruby>です。わたしは<ruby><rb>博奕</rb><rt>ばくち</rt></ruby>の<ruby><rb>元手</rb><rt>もとで</rt></ruby>が欲しさに、父の本宅へ忍びこみました。ところがまだ囲いの<ruby><rb>障子</rb><rt>しょうじ</rt></ruby>に、<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>がさしていましたから、そっとそこを<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>おうとすると、いきなり誰か言葉もかけず、わたしの<ruby><rb>襟上</rb><rt>えりがみ</rt></ruby>を<ruby><rb>捉</rb><rt>とら</rt></ruby>えたものがあります。振り払う、また<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>みかかる、――相手は誰だか知らないのですが、その力の<ruby><rb>逞</rb><rt>たくま</rt></ruby>しい事は、到底ただものとは思われません。のみならず二三度<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>み合う内に、茶室の障子が<ruby><rb>明</rb><rt>あ</rt></ruby>いたと思うと、庭へ<ruby><rb>行燈</rb><rt>あんどん</rt></ruby>をさし出したのは、<ruby><rb>紛</rb><rt>まぎ</rt></ruby>れもない父の<ruby><rb>弥三右衛門</rb><rt>やそうえもん</rt></ruby>です。わたしは一生懸命に、<ruby><rb>掴</rb><rt>つか</rt></ruby>まれた<ruby><rb>胸倉</rb><rt>むなぐら</rt></ruby>を振り切りながら、高塀の外へ逃げ出しました。

しかし<ruby><rb>半町</rb><rt>はんちょう</rt></ruby>ほど逃げ延びると、わたしはある<ruby><rb>軒下</rb><rt>のきした</rt></ruby>に隠れながら、往来の前後を見廻しました。往来には夜目にも<ruby><rb>白々</rb><rt>しろじろ</rt></ruby>と、時々雪煙りが<ruby><rb>揚</rb><rt>あが</rt></ruby>るほかには、どこにも動いているものは見えません。相手は<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>めてしまったのか、もう追いかけても来ないようです。が、あの男は何ものでしょう？　<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>に見た所では、確かに<ruby><rb>僧形</rb><rt>そうぎょう</rt></ruby>をしていました。が、さっきの腕の強さを見れば、――殊に兵法にも<ruby><rb>精</rb><rt>くわ</rt></ruby>しいのを見れば、世の常の坊主ではありますまい。第一こう云う大雪の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>に、庭先へ誰か<ruby><rb>坊主</rb><rt>ぼうず</rt></ruby>が来ている、――それが不思議ではありませんか？　わたしはしばらく思案した<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>、たとい<ruby><rb>危</rb><rt>あぶな</rt></ruby>い芸当にしても、とにかくもう一度茶室の外へ、忍び寄る事に決心しました。

それから<ruby><rb>一時</rb><rt>いっとき</rt></ruby>ばかりたった<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>です。あの怪しい<ruby><rb>行脚</rb><rt>あんぎゃ</rt></ruby>の<ruby><rb>坊主</rb><rt>ぼうず</rt></ruby>は、ちょうど雪の止んだのを幸い、<ruby><rb>小川通</rb><rt>おがわどお</rt></ruby>りを<ruby><rb>下</rb><rt>くだ</rt></ruby>って行きました。これが<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>なのです。<ruby><rb>侍</rb><rt>さむらい</rt></ruby>、<ruby><rb>連歌師</rb><rt>れんがし</rt></ruby>、町人、<ruby><rb>虚無僧</rb><rt>こむそう</rt></ruby>、――何にでも姿を変えると云う、<ruby><rb>洛中</rb><rt>らくちゅう</rt></ruby>に名高い<ruby><rb>盗人</rb><rt>ぬすびと</rt></ruby>なのです。わたしは<ruby><rb>後</rb><rt>あと</rt></ruby>から見え隠れに甚内の跡をつけて行きました。その時ほど妙に嬉しかった事は、一度もなかったのに違いありません。阿媽港甚内！　阿媽港甚内！　わたしはどのくらい夢の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>にも、あの男の姿を慕っていたでしょう。<ruby><rb>殺生関白</rb><rt>せっしょうかんぱく</rt></ruby>の<ruby><rb>太刀</rb><rt>たち</rt></ruby>を盗んだのも甚内です。<ruby><rb>沙室屋</rb><rt>しゃむろや</rt></ruby>の<ruby><rb>珊瑚樹</rb><rt>さんごじゅ</rt></ruby>を<ruby><rb>詐</rb><rt>かた</rt></ruby>ったのも甚内です。<ruby><rb>備前宰相</rb><rt>びぜんさいしょう</rt></ruby>の<ruby><rb>伽羅</rb><rt>きゃら</rt></ruby>を切ったのも、<ruby><rb>甲比丹</rb><rt>カピタン</rt></ruby>「ぺれいら」の時計を奪ったのも、<ruby><rb>一夜</rb><rt>いちや</rt></ruby>に五つの土蔵を破ったのも、八人の<ruby><rb>参河侍</rb><rt>みかわざむらい</rt></ruby>を斬り倒したのも、――そのほか末代にも伝わるような、<ruby><rb>稀有</rb><rt>けう</rt></ruby>の悪事を働いたのは、いつでも<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>です。その甚内は今わたしの前に、<ruby><rb>網代</rb><rt>あじろ</rt></ruby>の笠を傾けながら、薄明るい雪路を歩いている。――こう云う姿を眺められるのは、それだけでも仕合せではありませんか？　が、わたしはこの上にも、もっと仕合せになりたかったのです。

わたしは<ruby><rb>浄厳寺</rb><rt>じょうごんじ</rt></ruby>の裏へ来ると、<ruby><rb>一散</rb><rt>いっさん</rt></ruby>に甚内へ追いつきました。ここはずっと<ruby><rb>町家</rb><rt>ちょうか</rt></ruby>のない<ruby><rb>土塀</rb><rt>どべい</rt></ruby>続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番<ruby><rb>御誂</rb><rt>おあつら</rt></ruby>えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた<ruby><rb>気色</rb><rt>けしき</rt></ruby>は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも<ruby><rb>杖</rb><rt>つえ</rt></ruby>をついたなり、わたしの言葉を待つように、<ruby><rb>一言</rb><rt>ひとこと</rt></ruby>も口を<ruby><rb>利</rb><rt>き</rt></ruby>かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。

「どうか失礼は御免下さい。わたしは<ruby><rb>北条屋弥三右衛門</rb><rt>ほうじょうややそうえもん</rt></ruby>の<ruby><rb>倅</rb><rt>せがれ</rt></ruby><ruby><rb>弥三郎</rb><rt>やさぶろう</rt></ruby>と申すものです。――」

わたしは顔を<ruby><rb>火照</rb><rt>ほて</rt></ruby>らせながら、やっとこう口を切りました。

「実は少し御願いがあって、あなたの跡を<ruby><rb>慕</rb><rt>した</rt></ruby>って来たのですが、……」

甚内はただ<ruby><rb>頷</rb><rt>うなず</rt></ruby>きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい<ruby><rb>難有</rb><rt>ありがた</rt></ruby>い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の<ruby><rb>勘当</rb><rt>かんどう</rt></ruby>を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ盗みにはいった所が、<ruby><rb>計</rb><rt>はか</rt></ruby>らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を<ruby><rb>手短</rb><rt>てみじか</rt></ruby>に話しました。が、甚内は<ruby><rb>不相変</rb><rt>あいかわらず</rt></ruby>、<ruby><rb>黙然</rb><rt>もくねん</rt></ruby>と口を<ruby><rb>噤</rb><rt>つぐ</rt></ruby>んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>きこみました。

「<ruby><rb>北条一家</rb><rt>ほうじょういっか</rt></ruby>の<ruby><rb>蒙</rb><rt>こうむ</rt></ruby>った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの<ruby><rb>手下</rb><rt>てした</rt></ruby>になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける<ruby><rb>術</rb><rt>すべ</rt></ruby>も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に<ruby><rb>劣</rb><rt>おと</rt></ruby>らず知っています。――」

しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。

「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、<ruby><rb>伏見</rb><rt>ふしみ</rt></ruby>、<ruby><rb>堺</rb><rt>さかい</rt></ruby>、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も<ruby><rb>四斗俵</rb><rt>しとびょう</rt></ruby>は片手に<ruby><rb>挙</rb><rt>あが</rt></ruby>ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の<ruby><rb>白孔雀</rb><rt>しろくじゃく</rt></ruby>も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の<ruby><rb>鐘楼</rb><rt>しゅろう</rt></ruby>も、焼けと云えば焼いて来ます。<ruby><rb>右大臣家</rb><rt>うだいじんけ</rt></ruby>の姫君も、<ruby><rb>拐</rb><rt>かどわか</rt></ruby>せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」

わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ<ruby><rb>蹴倒</rb><rt>けたお</rt></ruby>されました。

「<ruby><rb>莫迦</rb><rt>ばか</rt></ruby>め！」

<ruby><rb>甚内</rb><rt>じんない</rt></ruby>は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように<ruby><rb>法衣</rb><rt>ころも</rt></ruby>の<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>へ<ruby><rb>縋</rb><rt>すが</rt></ruby>りつきました。

「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の<ruby><rb>獅子王</rb><rt>ししおう</rt></ruby>さえ、<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>に救われるではありませんか？　わたしはその鼠になります。わたしは、――」

「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」

甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。

「<ruby><rb>白癩</rb><rt>びゃくらい</rt></ruby>めが！　親孝行でもしろ！」

わたしは二度目に蹴倒された時、急に<ruby><rb>口惜</rb><rt>くや</rt></ruby>しさがこみ上げて来ました。

「よし！　きっと恩になるな！」

しかし甚内は見返りもせず、さっさと<ruby><rb>雪路</rb><rt>ゆきみち</rt></ruby>を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に<ruby><rb>網代</rb><rt>あじろ</rt></ruby>の<ruby><rb>笠</rb><rt>かさ</rt></ruby>を<ruby><rb>仄</rb><rt>ほの</rt></ruby>めかせながら、……それぎりわたしは二年の<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>、ずっと甚内を見ずにいるのです。（突然笑う）「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。

ああ、おん母「まりや様！」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに？――いや、恩と云うよりも、むしろ<ruby><rb>恨</rb><rt>うらみ</rt></ruby>を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか？　甚内は何をしているか？――誰にそれがわかりましょう？　第一甚内はどんな男か？――それさえ知っているものはありません。わたしが<ruby><rb>遇</rb><rt>あ</rt></ruby>った<ruby><rb>贋雲水</rb><rt>にせうんすい</rt></ruby>は四十前後の小男です。が、<ruby><rb>柳町</rb><rt>やなぎまち</rt></ruby>の<ruby><rb>廓</rb><rt>くるわ</rt></ruby>にいたのは、まだ三十を越えていない、<ruby><rb>赧</rb><rt>あか</rt></ruby>ら顔に<ruby><rb>鬚</rb><rt>ひげ</rt></ruby>の生えた、浪人だと云うではありませんか？　<ruby><rb>歌舞伎</rb><rt>かぶき</rt></ruby>の小屋を<ruby><rb>擾</rb><rt>さわ</rt></ruby>がしたと云う、腰の曲った<ruby><rb>紅毛人</rb><rt>こうもうじん</rt></ruby>、<ruby><rb>妙国寺</rb><rt>みょうこくじ</rt></ruby>の<ruby><rb>財宝</rb><rt>ざいほう</rt></ruby>を<ruby><rb>掠</rb><rt>かす</rt></ruby>めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の<ruby><rb>正体</rb><rt>しょうたい</rt></ruby>を見分ける事さえ、<ruby><rb>到底</rb><rt>とうてい</rt></ruby>人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、<ruby><rb>吐血</rb><rt>とけつ</rt></ruby>の病に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>ってしまいました。

どうか<ruby><rb>恨</rb><rt>うら</rt></ruby>みを返してやりたい、――わたしは日毎に<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然<ruby><rb>閃</rb><rt>ひらめ</rt></ruby>いた一策があります。「まりや」様！　「まりや」様！　この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、<ruby><rb>吐血</rb><rt>とけつ</rt></ruby>の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の<ruby><rb>身代</rb><rt>みがわ</rt></ruby>りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」

甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか？　そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も<ruby><rb>亡</rb><rt>ほろ</rt></ruby>んでしまう。――甚内は広い<ruby><rb>日本</rb><rt>にっぽん</rt></ruby>国中、どこでも<ruby><rb>大威張</rb><rt>おおいばり</rt></ruby>に歩けるのです。その代り（再び笑う）――その代りわたしは一夜の内に、<ruby><rb>稀代</rb><rt>きだい</rt></ruby>の<ruby><rb>大賊</rb><rt>たいぞく</rt></ruby>になれるのです。<ruby><rb>呂宋助左衛門</rb><rt>るそんすけざえもん</rt></ruby>の<ruby><rb>手代</rb><rt>てだい</rt></ruby>だったのも、<ruby><rb>備前宰相</rb><rt>びぜんさいしょう</rt></ruby>の<ruby><rb>伽羅</rb><rt>きゃら</rt></ruby>を切ったのも、<ruby><rb>利休居士</rb><rt>りきゅうこじ</rt></ruby>の友だちになったのも、<ruby><rb>沙室屋</rb><rt>しゃむろや</rt></ruby>の<ruby><rb>珊瑚樹</rb><rt>さんごじゅ</rt></ruby>を<ruby><rb>詐</rb><rt>かた</rt></ruby>ったのも、伏見の城の<ruby><rb>金蔵</rb><rt>かねぐら</rt></ruby>を破ったのも、八人の<ruby><rb>参河侍</rb><rt>みかわざむらい</rt></ruby>を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。（<ruby><rb>三度</rb><rt>さんど</rt></ruby>笑う）云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの<ruby><rb>恨</rb><rt>うら</rt></ruby>みも返してしまう、――このくらい愉快な<ruby><rb>返報</rb><rt>へんぽう</rt></ruby>はありません。わたしがその<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この<ruby><rb>牢</rb><rt>ろう</rt></ruby>の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか？

わたしはこの策を思いついた後、<ruby><rb>内裏</rb><rt>だいり</rt></ruby>へ盗みにはいりました。<ruby><rb>宵闇</rb><rt>よいやみ</rt></ruby>の<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の浅い内ですから、<ruby><rb>御簾</rb><rt>みす</rt></ruby>越しに<ruby><rb>火影</rb><rt>ほかげ</rt></ruby>がちらついたり、松の中に花だけ<ruby><rb>仄</rb><rt>ほの</rt></ruby>めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い<ruby><rb>廻廊</rb><rt>かいろう</rt></ruby>の屋根から、<ruby><rb>人気</rb><rt>ひとけ</rt></ruby>のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の<ruby><rb>警護</rb><rt>けいご</rt></ruby>の侍に、望みの通り<ruby><rb>搦</rb><rt>から</rt></ruby>められました。その時です。わたしを組み伏せた<ruby><rb>鬚侍</rb><rt>ひげざむらい</rt></ruby>は、一生懸命に<ruby><rb>縄</rb><rt>なわ</rt></ruby>をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いていたではありませんか？　そうです。<ruby><rb>阿媽港甚内</rb><rt>あまかわじんない</rt></ruby>のほかに、誰が<ruby><rb>内裏</rb><rt>だいり</rt></ruby>なぞへ忍びこみましょう？　わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている<ruby><rb>間</rb><rt>あいだ</rt></ruby>でも、思わず<ruby><rb>微笑</rb><rt>びしょう</rt></ruby>を洩らしたものです。

「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは<ruby><rb>夜</rb><rt>よ</rt></ruby>の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う<ruby><rb>気味</rb><rt>きみ</rt></ruby>の<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>い<ruby><rb>面当</rb><rt>つらあ</rt></ruby>てでしょう。わたしは首を<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない<ruby><rb>哄笑</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>を感ずるでしょう。「どうだ、<ruby><rb>弥三郎</rb><rt>やさぶろう</rt></ruby>の恩返しは？」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、<ruby><rb>日本</rb><rt>にっぽん</rt></ruby>第一の<ruby><rb>大盗人</rb><rt>おおぬすびと</rt></ruby>は！」（笑う）ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の<ruby><rb>弥三右衛門</rb><rt>やそうえもん</rt></ruby>に、わたしの<ruby><rb>曝</rb><rt>さら</rt></ruby>し首を見られた時には、――（苦しそうに）勘忍して下さい。お父さん！　吐血の病に<ruby><rb>罹</rb><rt>かか</rt></ruby>ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは<ruby><rb>極道</rb><rt>ごくどう</rt></ruby>に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………

（大正十一年三月）