　國際雪氷委員會の前總裁チャーチ博士は、現在八十九歳くらいである。チャーチ博士とは、十數年來文通をしていたが、初めて會ったのは、今から六年前、一九四九年の夏であった。
　ネヴァダ州のリノの町に、ネヴァダ大學があって、チャーチ博士は、その大學の教授を永らくつとめていた。私が初めてチャーチ博士に會った年、即ち一九四九年に、老齡の故をもって、大學から引退することになった。
　これは老博士の意志ではなく、大學側から要求された形であったらしい。先生はその點大いに不滿のようであった。初めて會った日に、もうその話が出て、「大學は、私を年寄扱いにして引退を勸めるのだ。まだ數年は働けるつもりなのに」と、言っておられた。年をきくと「八十三歳」だという。
　一寸可笑しいのは、チャーチ博士は、たしかその數年前に、インドの水資源調査を頼まれ、ヒマラヤ地方を踏査されたはずである。それで「貴方は近年ヒマラヤへ行かれたはずだが、あれはいつのことでしたか」と聞いてみた。そしたら「あれは一昨年のことで、八十一歳の時だった」とすましていた。
　アメリカでは、榮養學と老齡學が發達したので、こういう例がそう珍しくないそうである。日本でも戰爭後急に平均壽命がのびて、男は六十七歳、女は六十八歳になったという。まことに芽出度い話である。以前の日本人から見たら、平均して二十年以上も長生きするようになったのだから、これは大いに慶賀してよい。
　ところが、昔の日本人は、皆短命だったかというに、そうでもないという記録がある。東京都内の銀行支店長の懇話會で、絲川欣也博士が講演されたことがあるが、その筆記の中に、その記録が出ている。因幡鳥取松原村の百姓、松原仙右衞門の一家では、六代の夫婦が揃っていたが、その年齡は、左の通りである。
　　　仙右衞門（一八三歳）　　　　妻　きの（一七一歳）
伜　　佐右衞門（一三一歳）　　　　妻　いさ（一二九歳）
孫　　富右衞門（一〇三歳）　　　　妻　かね（一〇一歳）
彦孫　三十郎　（　六〇歳）　　　　妻　いく（　五四歳）
曾孫　源之助　（　三七歳）　　　　妻　ちよ（　三六歳）
玄孫　源太　　（　一五歳）　　　　妻　いの（　一七歳）
　文化十二年の話であるが、相當確實な資料のようである。これだったら、アメリカの老齡學など、足下にも及びつかないであろう。