　四十年ぶりで、郷里を訪れたいといふ母の望を叶へる好機会である。私は、講演旅行の勧めに応じた。それで、いよいよ出発といふ段取りになつて、家に病人ができ、母は病人を置いて家を明けることを気遣ひ、私もそれは仕方がないこととして、一方、講演の約束を今更破ることもできないので、不本意ながら、まあ、若葉は到るところにあらうといふぐらゐの気持で旅に出た。
　食堂車の窓から、朝の関ヶ原を――あの山の影と茶畑の色彩とを貪りながめながら、私はいい旅をしたと思つた。
　が、ジュネエヴとやらに向ふ総督の一行と、それに何か関係のあるらしい連中が同じ汽車に乗りこんでゐて、政治的といふか、官吏的といふか、一種無作法な騒音が、夜中、屡々私の夢を破つたことは事実だ。浜松あたりであつたか、かの鯛飯を購ふや否やの問題が、潜水艦の噸数比例を決する如く論議された。
　大阪は単色の大都会である。といへば、何を今頃寝とぼけたことを云ふんだ、と思ふ人があるかもしれないが、私は寝とぼけてはゐないのである。大阪は実に大都会らしき華やかさと陰惨さとを、同時にあらゆるもののうちに兼ね備へ、大都会らしき落ち着きと慌しさとを、程よく織り交ぜ、大都会らしき新しさと旧さとを、巧に同じものの上に調合した又と類のない都市のやうに思はれた。
　東京には、どことなく「昨日」と「明日」とが対立してゐる。大阪には「今日」があるばかりである。それは生活そのままの相である。いや、誰がなんと云はうと、「今日」は生活の全部だ。そして生活は単色だ。
　大阪は、一つの大きな顔だ。瞬きをしない顔だ。鼻の孔を一ぱいにひろげた顔だ。
　阪神急行電車、西宮北口といふ停留場は、私に不思議な興味を感じさせた。先づ、あの線路の交錯は、西洋人が書いた片仮名である。そして、あの風車のやうなプラツトフオオム！
　Ｔ氏の案内で宝塚ホテルに宿を取つた。
　日光は南欧のやうに豊かだ。――私は、そこで、ふとピレネエの春を思ひ出した。
　ホテルのボオイが白足袋をはいてゐる。
　四階の窓は、爽かな展望をもつてゐる。
　殊にあの、河岸に沿ふて建てられた三つの劇場は、Ｔ氏の説明によつて、私の好奇心をそそつた。
　私の空想は、限りなく翼をひろげる。
　演劇のエルサレム！　私は巡礼のやうに敬虔な眼をあげて、夕暮の星を仰いだ。
　私は幸にして、まだ少女歌劇といふものを見たことがないのである。そして、ここでもまた見ないつもりである。
　中劇場国民座の舞台で、私の『百三十二番地の貸家』が演ぜられてゐる。
　見物は空気にひとしい。
　舞台では、たしかに、三つ四つの火が燃えてゐる。私は慰められた。
　小劇場はヴエエトオヴエン祭の管絃楽。
　聴衆はさすがに耳を忘れて来てゐない。
　この一堂は、恐らく、神戸――大阪を底辺とする三角形の頂点だ。
　翌日、大阪朝日の講堂で、フランス現代劇の新傾向を論じたのは私だ。馬鹿なことをしたものだ。
　帽子をかぶつてゐる諸君よ、向うを向いてゐ給へ。
「退屈」は音を出すものだ。私は、その音を大阪と神戸で聞いた。
　京都のタクシイ、千鳥足。
　都ホテルのバルコニイで、何々婦人会がそつ歯を並べ、何条通りかのカフエエで、高等学校の生徒がプロレタリア文学を論じてゐた。
　そして、私は、そのホテルで昼食をすませ、そのカフエエで、主賓らしく納まつてゐたのである。Ｙ氏の如才なき干渉がなかつたら、私はどこまで行つたらう。
　公会堂は、男が右、女が左、満堂の聴衆は、紅白二流の旗の如く演壇の前に棚曳いてゐた。
　Ｋ氏が現はれると白い旗がひらめき、Ｓ氏が現はれると赤い旗がひらめいた。
　旧都の夜にふさはしい静かなまなざしを感じながら、私は空腹とたたかつた。
　朝、十一時、瓢亭の庭の池に、紅椿が一輪、なまめかしく浮いてゐた。
　なんて、嘘かもしれないさ。
　神戸では、義弟が、Ａ丸に乗り込む日である。
　テエプが涙で切れたら、それは見ものに違ひない。同行の某大尉が、細君に最後の小言をあびせかけ、私は眼をつぶつて、地中海の波の色を思ひ浮べた。